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茅盾とボグダーノフ

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(1)茅盾とボグダーノ 水. 白. Mao. Dun. 紀. A.. and. Noriko. フ 子. Bogdanov. SHIROUZU. 1.はじめに. 茅盾の「論無産階級芸術」は1925年5月の「5. ・30」事件をはさんで,. 『文学周報』に. 4回に分けて連載された,計5章よりなる論文である1'。当時の執筆状況を『茅盾的創作 歴程』 2)の著者庄鐘慶尉ま次のように紹介している。. 1964年7月2日茅盾は本章の初稿に目を通した際,この論文を編訳であるとみなした。 1980年2月21日童額(茅盾の息子--・白水注)は筆者宛ての手紙で次のように書いてい る:茅盾の再度の回想に依ると,本論文の資料は当時ソヴュトが出版していた刊行物か らとったが,観点は彼自身のものであると言っている。 (43頁) ところがこの「論無産階級芸術」という論文は,このような茅盾自身による参考テキス トの存在をほのめかす言及があったにもかかわらず,これまで彼のオリジナル論文として 論じられ,茅盾研究書ならびに関連研究論文においてほ例外なく「初めて階級的観点を用 いて文学・芸術を論じたもの」であると高い評価を受け,前期活動期茅盾の文芸理論面に おける最高到達点であるとみなされてきた3)。 一昨年,筆者の調査によって,この論文の第二章以下全てが,アレクサンドル・ボグダ ーノフ「プロレタリア芸術の批評」. (1918年)4)にはぼ全面的に依拠したもので,. 「抄訳」に. 近いかたちでとりいれられたものであることが分かり,従来の読みに対する再検討の必要 が生じてくるとともに,更にこの時期の茅盾の文学主張の特色考える上で大変興味ある資 料を提供することになったo. 中国の現代文学研究は,昨年の「6. ・. 4事件」によって一時的停滞を余儀無くされてい. るものの,文革後,作家・作品研究の多様化に向けて活発な動きをみせており,茅盾研究 においても,たとえば文芸理論に関して,今まで触れられなかった茅盾の「左」の傾向に ついて遠回しな言い方でほあるが論文の片隅にみられるようになり5),解放後の社会主義 リアリズム提唱時期までを含めた茅盾の文学主菜に対する全面的な見直しが期待されてい る。筆者がかねてから「論無産階級芸術」に関Jbを抱き,その過程でボグダーノフに出会 うことになったのも,茅盾の文学主張の理論的背景を明らかにすることでこの問題に取り.

(2) 白. 112. 水. 紀. 子. 組んでゆこうとしたばかりの時であった。 本稿は,以上の問題意識のもとで,. 「論無産階級芸術」が発表された25年から左適時期. に至る茅盾の発言を追いながら,これらと「論無産階級芸術」との関連を検討し,茅盾の 文学主張の理論的背景を探ろうとするものである。 本論にはいる前に,. 「論無産階級芸術」の典拠となった「プロレタリア芸術の批評」の. 作者ボグダーノフについて少し記しておきたい。 A.. Bogdanov. (1873-1928),文化啓蒙組織であるプロレトクl)トの*JL的人物であり,. 同理論誌≪プロレタリア文化≫(1918年創刊)の編集長を務め,経済学老,文芸批評家, 作家と幅広く活躍した人物である。ボグダーノフに対する批判ほ, 「マッ-主義的な<集 団性の弁証法>を基礎におき,個人的創造にたいして集団的活動の優位性を非弁証法的に 対置した機械論的な文化論」 6)を唱えたという批判が一般的であり,プロレトクリトの実 践活動に対する批判としては,現状を無視したやりかた,たとえばプロレタリア-トの純. 粋な階級意識を重視するあまり,過去の文化遺産に対する過度の批判,農民のこの運動か らの排除などがあり,. 22年にほレーニンから決定的な批判を受けている。. その後ボグダーノフ理論ほさまざまな解釈をされながらも,ナ・ポストウ派,そしてラ ップへと受け継がれていくが,中国でボグダーノフが紹介され始めるのは,ラップの影響. を強く受けた革命文学派が論文の一部引用をおこなうようになる29年以降である7)。中国 でほじめてソヴェトの文芸理論を体系的に紹介したものとして有名な『蘇俄的文芸論戦』 (任国櫨訳 未明叢書之-, 25年8月)が出版されたのは茅盾の「論無産階級芸術」がちょ うど連載中の時であり,新しいソヴェト文芸界の息吹を-早く伝えたとされる犀秋自「赤 俄新文芸時代的第一燕」. (≪小説月報≫15巻6期)ほこれより1年前のことである。茅盾自 身もそれまでソヴェト関係の文章を数多く書いており,それらは作家・作品紹介から政 治・教育・文化一般にわたるものまで広範囲に及んでいたが,しかしどれも断片的な短い ものばかりで,. 「論無産階級芸術」のように文芸理論を体系的に取り入れたものほこれ以. 前にほみられない。. 25年というきわめて早い時期にボグダーノフの論文に接し,それを自. 己の理論の中に組み入れていった過程は中国の文芸界においても,また茅盾自身の流れか. ら言っても特筆すべき事項であるように思われる。 である茅盾が唯物弁証法のAB. 21年に中国共産党に入党した古参党員. C一人の思想は社会環境の支配をうけ社会環境ほ経済条. 件の支配をうける-を文学に明確に適用するようになるのほ,事実,このボグダーノフ 論文との出会いを実検としているのである。. 2.茅盾「諭無産階級芸術」とボグダーノブ「プロレタr)7芸術の批評」. (以下,適宜. それぞれ茅盾論文,ボグダーノブ論文と呼ぶ) ボグダーノフ論文から茅盾が得たものほ,大きく分けて2つあり,その1つは文学を唯 物弁証法に基づいて社会現象的に捉える視点であり,もう1つはプロ芸術とほどういうも のかといういわば大枠としての概念であると思われるが,これらに共通する文学への階級. 的観点の導入ほ茅盾に極めて強烈な印象を与えたようである。 茅盾論文とボグダーノフ論文との具体的な対応箇所については,すでに≪資料≫を公表.

(3) 113. 茅盾とポグダーノフ している8)のでそれを参照していただきたいが,本稿ではその一部分を論述との関連で紹 介したい。. ボグダーノフ論文の「序」の部分ほ,大変短く簡潔なものだが,これに対応する茅盾論 文の第2章は加筆が一番多い部分である。 *ボグダーノフ論文「序」の部分 芸術家の仕事においても同じ関係が見られる。生きた形象の新しい組み合わせがつぎ つぎに生み出されるが,この場合,調整を行うのは意識的な選択,すなわち「自己批 評」というメカニズムである。このメカニズムが課題に合わないものを取り除き,課題 の要求に沿う方向を目指しているものを強化する。自己批評が不十分な場合,その程度. に応じて,矛盾,形象の無秩序な寄せ集め,非芸術性といった結果が生じる。社会的な 規模における芸術の発達は社会的環境全体によって,非計画的に調整される.すなわち, 社会はその中に現れる作品をある時は受け入れ,ある時はしりぞけるし,新しい芸術の 潮流をある時は支持し,ある時は圧殺するのである。しかしまた,計画的な調整もあり. それは批評によって果たされる。その真の基盤は無論やはり社会的環境である。批評の 仕事は何らかの集団の観点からなされるのであり,階級社会にあっては,それぞれの階 級の観点からなされる。. 茅盾はその第2章において,具体的にヨーロッパの文学史を振り返りながらこれとほぼ 同じ記述をしている。. 芸術の生産に,条件があるだろうか。私ほあるはずだと思う。それを方程式で示せば, 新しくて活きている形象+自己批評(個人の選択). +社会的選択-芸術. 新しく活きている形象は,我々の意識のうちで絶え間なく創造されているが,常に自. 己の合理観念と審芙観念の監督もしくは拘束を受け,そのうちの美しいもの,調和した もの,高貴なものだけが保存され,その後文字なり線なり音なりを借りてきてそれは表 現されるo. しかしこうして文字・線・音によって表現されたのちに,社会の大環境も選. 択を加えて,その時代の社会生活に適合するものだけを保存あるいは提唱し,適合しな いものは跡かたもなく消滅させる。こうした社会による奨励と拒絶ほ,実に大きな力を もっており,文芸の新潮流の発達を左右することができる。 ---資産階級支配下の社会 にあっては,その文芸に対する選択は,当然また資産階級の利益を基準とするのであ る。. そして,つづいて「批評」についての説明に移り,. 批評も「社会的選択」と同様,しばしば新芸術運動の死活を決定することができる。 しかし,その権威は絶対的でほない。もともと文学者には,批評そのもの及び批評の効 用についてさまぎまな見方がある。効用については一つの比較的共通する見方があるが,.

(4) 白. 114. 水. 紀. 子. 批評の職能についてほ二つの方面から論じられている。一つほ芸術の真の姿を取り出し て意味を分かるように説明し,人々にいかに鑑賞するかを教えるものだとするもの.も. う一つほ芸術の傾向と範囲を指摘して,作家を無意識の創造から意識的な創造へと導く ことだとするものである。これらの説に,我々は同意してもよいが,しかし,批評その ものの解釈については,一つの新しい意見を提供しなければならない。. こう茅盾は加筆したあと,再びボグダーノフ論文にもどり, つまり,批評とは前述した「社会的選択」の,系統的かつ芸術化された表現であると. いうのが,我々の意見である。だがこの「社会的選択」なるものは,その社会の支配階 級が穏健(もしくは合理的)とみなした思想の集合体にすぎず,よって批評というもの. は一つの階級の立場に立って,その階級の利益のために,発せられるものである。 茅盾論文には最初,ここでの引用からもわかるように,ボグダーノフ論文に依拠しなが ら,文芸批評における階級的観点の導入を自身の言葉に置き換えて論じてゆこうとする姿 勢がみられるが,次章より徐々に直訳の傾向が強くなってゆく。たとえば,プロレタリア 芸術の概念規定に関してボグダーノフが述べている第1章と茅盾論文第3章を比較してみ ょう。ここでボグダーノフほ,プロレタリア芸術を農民階級の芸術,兵士の芸術,インテ リゲンチャの社会主義の芸術と区別し,プロレタリアートの集団主義的思想を強調する。. *ボグダ-ノフ論文第1章,社会主義の芸術について述べた部分 われわれの批評は,さらに.もうひとつ,プロレタリア芸術とインテリゲンチャの社会. 主義との間にも境界線を引かなければならない。この場合,両者の理想がお互いに近い ものであるため,混同が生じるのは全く当然なことであるし,また容易に生じやすい。 しかし,この両者の間の相違は深くかつ重大なものである。 インテリゲンチャはブルジョア文化の中から生じたものであり,ブルジョア文化の基. 盤の上で,そのために働き,それによって養われた。インテリゲンチャの原理は個人主 義である。. -・・・協力というものを直接的に感じることができない.集団の役割ほ視野に. 入らないのである。. --・. こうした事情があるため,インテリが労働者階級に真の,深い共感を抱き,社会主義 生活の発達の力と道 の理想を信じるに到った場合でも,彼らの思考法,生活の捉え九 程に対する理解の仕方の中にほ過去が根強く生き残っていることが多いのである。 たとえば,ヴェル--レンの戯曲『智明』を例にとってみよう。 ベルギーの偉大な彫刻家,. K.ミョニュは・,・・・・. 労働者階級の芸術的自覚は純粋,明瞭で,異質な混り物を含まぬものでなければなら ない。.

(5) 茅盾とポグダーノフ. 115. この部分は茅盾論文にそのまま見出すことができる。 第3に,プロレタリア芸術は旧来の社会主義文学でもない。社会主義文学とほ,社会. 主義に同情したり社会主義を宣伝したりする文学のことである。この種の作品がプロレ タリア芸術と混同されるのは,極めて自然なことである。なぜなら,両者の理想が極め て近いからである。しかし,社会主義文学の作者のほとんどがブルジョア社会のインテ. l)であり,彼らほブルジョア文化の下で育ち,この文化に養われ,且つそのた捌こ働い ている。彼らの主義は個人主義である。彼らは単独で活動し,集団的行動はとらない。 そのため,これらの作家の中にはプロレタリアートに同情し,社会主義を信奉する者も いるが,しかし,. 「過去」が1本の目に見えない糸のようにいつまでも彼らの思想と人. 生観を牽制するのである。彼らの社会主義文学ははとんどが個人主義の骨格をもってい る。例えばヴュル--レンの戯曲『賓明』は---また,ベルギーの彫刻家ミョニュの・.・ -以上の3点から見て,労働者階級の芸術的意識は純粋にそれ自身のものでなければな らず,外部の握り物を含まないものでなくてはならない。. このように,茅盾はボグダーノフのプロレタリア芸術観を順序たがわず数行あるいほ1 節ごとにそっくり書き写すことで,自説を組み立ててゆくのだが,ボグダーノフのこのよ うなプロ芸術における階級性,集団主義の思想の強調ほ,茅盾のプロ文学観形成に大きな 役割を果たしただけでなく,これはそれまで彼の中で形成されていた文学観全般に瓦る見 直しを迫るものとなったのである。. 3.. 「論無産階級芸術」と「告有志研究文学者」. ボグダーノフ論文が茅盾に与えた影響の強さを裳づけるものとして, 者」 9)という論文がある。. 「告有志研究文学. 「論無産階級芸術」の連載が一時中断した25年7月に発表され. たものである。 全4章,. 17頁に及ぶ茅盾にしてほ割合長い論文に属するもので,第1章のタイトルは 「文学とは何か」。ヨーロッパの7人の文学史家の説を紹介しながら,・茅盾ほ彼らの説に は文学が何からなっているか,つまり構成要素についての説明がない,と不満を述べ,そ. れらは誓えて言えば「餅がどのように作られるかを述べるだけで,餅がどんな材料ででき ているかを語らないようなものだ」と言うoそして彼は自身の考えとして次のように記し ている。. 私の考えでほ文学を構成する要素ほ2つあり, 1.我々の意識の中に生まれるところの,絶えず新しく,且つ極めて生き生きとした形 象。 2.我々の意識の中で起こる,全てを調和し整理しようとする審美観。. --これらの形象が我々の意識の中で,生まれたり消えたり変化を繰り返している時, 我々の意識の中にいる「審美」氏がそれら(形象)を揃え,それらを整理し互いに調和.

(6) 白. 116. 水. 紀. 子. させようとする。そこで,整理し調和できる形象は残されて編集されるが,一方整理 し調和しがたいものは退けられるのである。. (204頁). と指摘し,よって文学とは何かの答えとして,. 文学は我々の形象の集まりが,文字を借りて表されたもので,この形象とほまず我々 (204-. の審美観念の整理と調和,すなわち自己批評を経て保存されてきたものである。 5頁). と結論づけているoこの部分はポグダーノフ論文「序」の前半及びこれに対応する茅盾 論文第2章該当部分と,内容的にもまた文字表環の上からも明らかに軌を一にするもので あり「告有志研究文学者」の第1章はすべてこれらを茅盾の言葉に置き換えて論じたもの だとみてよいだろう。. 第2章は,. 「文学は人々のた捌こ何をすることができるか」。従来言われてきた5つの見. 解を紹介し,これらすべてが十分でほないと述べこれらに不足するものとして階級的観点. を指摘している。従来の文学の役割に関する5つの見解とは,高い理想を解釈することが できる,人や民族間の感情を通い合わせることができる,疲れ苦しむ人々の慰めとなるこ とができる,美を創造することができる,そして時代の精神を解釈することができる,と. いうもので茅盾ほこれら一つ一つにコメントを加えている。たとえば,文学が時代精神を 解釈するものだという説に対して, 文学の中に表現される現代の人生とは実は,作者個人と社会意識の選択と淘汰を経て 適切だと認められたものである。このいわゆる社会意識とは,実はその社会の支配階級. の意識であり,支配階級の意識ほ時代精神の集中的な現れなのである--社会のある階 級が入れ替わり支配者となるごとに,一つの新しい文芸運動が起こる。これは歴史が我. 々に教え示している事実である。支配階級の思想や感情の集合体はその時代の特色を現 すもので,まさにそれが我々が時代精神と呼んでいるものである。そういう訳で,文学 は時代精神を解釈するという言い方ほ本来間違ってほいないが,やや暖昧だと私は言っ ているのである。. (208, 210頁). と批評を加えるなどこれら五つすべてに階級的観点の欠如を指摘している。これらはボ. グダーノフ論文「序」の「社会的環掛こよる調整」に関する記述を踏まえたものである。 「論無産階級芸術」で茅盾が示した公式,つまり「新しくて生きた形象+自己批評(個人 の選択). +社会的選択-芸術」が,この「告有志研究文学者」の第1章,第2章で順次展 開されていることがわかる。 また,この論文で修正を受けた上記の五つの見解は,他でもなく茅盾自身が過去に述べ たことのあるものばかりで,引用は省略するが,たとえば「人の文学」を唱えた「文学与. 人的関係及中国古来対於文学者身分的誤認」. (21年),人生を充実させ社会の同情と慰めを.

(7) 117. 茅盾とポグダーノフ. (23年),また時代精神の文学-の反映を述. 呼び起こすことを文学に求めた「什磨是文学」 べた「文学与人生」. (24年)などにこれらの見解をみることができるoつまりこの論文は. 茅盾が自分自身のそれまでの文学観に大きな修正を加えた,一つの総括文にあたると言え, 「論無産階級芸術」という論文,そしてこの「告有志研究文学者」 ボグダーノフ論文が, という論文によって確実に茅盾のものになっていった経過を伺うことができるのであるo 4.. 「文化遺産」をめぐって. ところで,. 「告有志研究文学者」でもみられるような,文芸を唯物弁証法(,T-基づき階級. 的観点から社会現象的にとらえる文芸観は,ボグダーノフー人のものではなく,マルクス 『無産階級芸術論』の日本語訳老麻生. 主義文芸理論のいわば基礎に属するものであるが,. 義民も指摘しているように,いち早くこれを体系的に論じたものとなるとやはりボグダー. ノフの一連の論文が挙げられるだろう。ただ問題は,このように社会現象的にとらえる視 点を磯械的に文芸に適用したところにボグダーノフの欠陥があったと言われており,この いわばマイナス要素も茅盾が受け入れてしまったのではないか,という思いが筆者の内に ぁる。例えばこの視点が過去の文芸の評価,いわゆる「文化遺産」の評価にも貫かれる時, かなり頗著なある一つの傾向を示すことになるのである。. 茅盾は「告有志研究文学者」において,. 「文学ほ高尚なる理想を解釈することができる 『イリアス』. ということを,我々ほ否定はしない。しかし,世界の名著たとえば『神曲』. 『オデュッセイア』などに込められている思想が今日においても高尚であると考えるのに は賛成できない」 (208頁)と述べ,なぜならその高尚な思想とは当時の最も権威ある思想 であり,その時代の時代精神を代表する支配階級の社会意識に過ぎないからで,よって, 過去の優れた文学作品を高く評価するあまりその作品にみられる「過去の高尚なる理想を 今日に適用しようというのは」弊害である,と記していた。また,たとえば28年に茅盾は 10)の中で, 「『楚辞』ほ後世の文学に影響を与え,その新形式が多く 「『楚辞』与中国神話」 の模倣老を出現させただけでなく,多くの材料と方法も提供した○ 『楚辞』は中国の『イリアス』. この点から言えば,. 『オデュッセイア』とみなすことができる」. (272頁)とも述. べていた。当然のことを言っているにすぎないようだが,これらを茅盾が34年に書いた 「渉士比亜与現実主義」 11'と同じフィールドで見るとどうだろうか。この文章は当時のソ ヴェト文芸批評家ディナモフとボグダーノフのシュ-クスピア評価を,何のコメントもっ. けずに並べて紹介したもので,茅盾がこの文章を書いた真意はこの論文だけからは測りが たいが,その内容は, s. Dinamovはこう述べている--マルクスとエンゲルスは「シェークスピアを批評. するとき,シェークスピアのリアリズムの外形に注目しておらず-マルクスとエンゲ ルスが重要だとみなしているのは,シェークスピアがシラーのように唯心的な立場から. 現実をみようとしなかった点にあり--・劇作の目的から,劇本の内容から,そして劇本 の其の性質からしてシェークスピアほリアリストだったとみなしている」 -・・・・この劇 (『-ムレット』を指す--白水注)の中で,その主人公は「封建的な復讐観に押し潰さ.

(8) 118. 白. 水. 紀. 子. れたのであって,けっして彼の意志が弱かったためでも,また為すすべもなくただ事を いまねいていたわけでもない。この英雄を倒したのほ,中世紀の社会全体であり・-=」. こうディナモフのシェークスピア論を私見をまじえずに紹介したあと,茅盾は続いてボ グダーノフの「芸術遺産について」の中から彼のシェークスピア観の紹介に移る。. 10年前-・-ボグダーノフの論文が掲載されたことがあり--その雑誌ほとうにどこか へいってしまったが,ただこんなことを言っていたように覚えている。ボグダーノフも またシェークスピアのことをリアリストだとみなしていたが,. S. Dinamovの論点とは. 異なっている。ポグダーノフほ,シェ-クスピアほ完全に彼の時代の彼自身の階級を代 表しており,彼の階級の感情,思想,願望を語っていると考えている。ボグダーノフほ 『-ムレット』についても論じているが,彼の意見でほ,この劇はまさにシェークスピ アの中世の封建的義務観念に対する屈服を示していると言う。ゆえにボグダーノフほシ ェークスピアの作品ほ貴重な文学遺産ではあるが,われわれがシェークスピアから学び 取ることができるのは,ただ彼がどのような手法で自己の階級の感情思想願望を表現し たかということだ,と結論づけている。. 具体的に『-ムレット』について言えば,中世の封建的義務観念に屈服したのほ,ディ ナモフは作品中の主人公であると考え,ボグダーノフは作者であるシェークスピアだとみ なしている。よって,古典から後世の者が学ぶことができるものとして前者ほこうした作 者のリアリストの「視点」を,後者は作者の用いた「手法」をまず挙げるのである。そし て,先に引用した茅盾の『楚辞』に関する発言は,この後老の見解に近いように思われる のだ.. ソヴェトはこの頃,ラップの解散により「唯物弁証法的創作方法」から「社会主義リア リズム」というソヴェト文学の創作方法そのものの大転換期にあたっていた。中国-の社. 会主義リアリズムの正式な紹介は33年の周楊「関於『社会主義的現実主義与革命的浪漫主 義』. 『唯物弁証法的創作方法』之否定」 12'に始まるとされ,マルクス,エンゲルスの 文芸に関する発言,とりわけバルザックに関する有名な文章やマーガレット・--クネス -. に宛てた手紙などがこれと前後して中国に紹介されている。そしてこれと関連して「文化 遺産」をめくtlる議論もこの頃の文芸雑誌をにぎあわせていたo茅盾の上記文章も恐らくこ の流れの中で善かれたものであろうが,この時,茅盾が10年も前に読んだボグダーノフの 芸術遺産に関する論文を思い起こし,かつ紹介しているという行為自体,ボグダーノフの 論文が彼に強い印象を与えていたことを物語っている。そしてまた仮りに茅盾がディナモ フよりボグダ-ノフの見方を支持しているとしたら,この文章が書かれた34年当時の茅盾 の「文化遺産」をめぐる発言は25年以来のものであると考えることも可能になってくる。 すでにこの頃ほ,中国でもボグダーノフ評価がマイナス方向へ大きく変わっていたにもか かわらずにである。 ここで一つの例として,. 「我m有什磨遺産?」. (34 ・4)13)をみてみようo.

(9) 茅盾とポグダーノフ. 119. 我々にほ水瀞,紅楼夢,儒林外史,西遊記・・--海上花列伝まである。これらは勿論す べて「遺産」である。社会科学老がもし過去の時代の社会情勢を研究しようとするのな らば,これらの「文学遺産」は大いに材料を提供することができるだろう。特に紅楼夢,. 儒林外史の額の小説はそうである。しかし,仮りに作家が「手法を学ぶ」目的を抱いて この「遺産」の古紙の山に入っていったとしたら,彼ほきっと手ぶらで戻ってくるだろ う。 ---我々が現在必要なのほもっと進んだ技術であり,これはあいにく我々の章回体 の旧小説にほもともとないのである。. よって彼は小説の形式や構成などの「技術」は外国の文学遺産から学ぶべきだ,という 方向へ論を展開してゆくのであるが,でほ社会科学者ほともかく作家は,これら中国の. 「文化遺産」から何を学ぶことができるのかという問題についてほ何も触れていないので ある。 しかし,ここで思い起こすのが,トロッキーの過去の文化遺産に対する態度である。彼 ほ過去の作品批評の基準を作品のイデオロギー的要素に置かず,その芸術性に置き,さら 1 に彼は芸術的作品の意義を明確に二つに分けて, ,特定の時代の生活を表現している史 2,蔑世紀問 的資料としての文化的意義つまり,歴史的認識の材料としての史的意義。. の芸術的な心理的な経験に満たされていることによる,作品の文化的芸術的意義,の二つ に分仇過去の芸術はこの文化的芸術的意義において,プロレタ1)アートによって正当に. 批判し摂取されるべきであり,プロレタリアート-の文化的遺産として我々の前にあるの だと主張したが,この主張はボグダーノフや茅盾のそれときわだった対照をなしている0 24年5月の有名な「ロシア共産党の文芸政策討論会」でのトロッキ-の発言14'を引用して みよう。. 『神曲』は彼(ラスコーリニコフ---白水注)の意見によれば特定の時代の特定の階 級の心理を理解させるゆえにこそ貴重なのである.このように問題を立てることは『神 曲』を芸術の分野から抹殺してしまうに等しい。. ・--芸術作品としての『神曲』は私自 身の感情や気分に何事かを語らねばならないはずで-・・・これこそが読者と芸術作品との. 基本的な相互関係なのである。むろん読者が研究者として現れ『神曲』を単に歴史的ド キュメントとみることを禁ずるものは何もない.しかし,この二つのアプローチはお互 いに結びついた二つの異なった平面にあるものであり,その一つをもって他に代えるこ とができないのは明らかである。. --いかなる意味でわれわれは労働者にプーシキンを. すすめることができるのか?プーシキンには階級的プロレタリア的観点はないし,普. してや共産主義的気分の一枚岩的表現はない。. -・・-しかしプーシキンが自身の気分に与. えた表現は,幾時代もの芸術的さらにはより広く心理的体験に満たされ,普遍化された ものであったから,それほわれわれの時代にも通用するのである。. この部分ほボグダーノフの文芸観の特徴を考える上で大変参考になるだろうoボグダー ノフはプロ文芸を規定する際その基準に階級的観点の有無を挙げ,さらに過去の文芸作品.

(10) 白. 120. 水. 紀. 子. に対しても同様の基準を用いているoそのためこの基準によっ'て排除される作品に対して ほ,史的資料としての文化史的意義をみいだすか,あるいは単なる技法上の意義を認める に留まり,結果としてはこれらを切り捨てていった歴史をもっている。さきのシェ-クス. ピアの評価はその一つの例である。そして茅盾にも, べる時,その「文化史的意義」を強調し,. 「文化遺産」の継承問題について述. 「文化的芸術的価値」には触れることなしに継. 承の対象を技法面¢こ限定して論じようとする態度がみられ,これほボグダーノフのそれと. 極めて類似していると言わざるを得ないだろう。例えば茅盾は『神曲』を論じて15'「『神 曲』ほ--\実際には貴族文化の最後の裏声にすぎない。. --ダンテほ発展しつつある商業 手工業ブルジョワジー社会に生まれたた捌こ,この新しい社会経済条件が確かにダンテの 思想に影響を与え,彼の芸術作品に一つの痕跡を残している。それゆえ,. "中世の史詩". である『神曲』ほ二重性を有し:一方でほ過去の貴族文化の総決算であり,もう一方では 未来の市民文化-いわゆる"文芸復興''の先駆となったのである」 るが,. (73頁)と記してい. 「中世の史詩」という言葉が示すように,茅盾の論述にほ『神曲』を特定の時代の. 特定の階級の心理の表現として捉える傾向が顕著である。このように,作者の属する階級 と,その階級社会及び階級の文化的発展の高度との相互関係を正しく見極めることは,マ. ルクス主義文芸批評の基本である。しかし,これをあまりに機械的に運用するとどういう ことになるか。ここでもっと分かりやすい例をあげてみよう。たとえば今日でも広く読ま. れている『ロビンソン・クルーソ-』について茅盾が論じた16)っぎのような言葉は,この 作品になにがしかの共鳴を覚える今日の読者にもとまどいをあたえるに違いない.. ロビンソンはデフォーが生きた時代の英国商業ブルジョワジーのりっばな典型である。 ロビンソソの生活を通して,自己の力によってのみ勝利を得ることができるのだという. ことを示しているが,この自己とほ個人であり,集団でほない。それゆえ,この本はブ ルジョワジーの個人主義と自由主義を礼讃した作品でもあるのだ。. (281頁). この分析に従えば,このような作品に感動する読者もまた同じくブルジョワ的だという. ことになりかねない。マルクスのこの作品に関する発言に依拠しているのだろうが,作品 批評をここで停止して,果たしてこれだけで読者を納得させることができるのだろうか。 だが,この観点は単にすでに古典となった文学作品に対してのみに見られるものでほな く,更に,アヴァンギャルド芸術に対する態度にも同様の傾向を認めることができるので. ある。筆者は骨て「論無産階級芸術」とボグダーノフ論文を対照する過程で,茅盾がこの アヴァンギャルド芸術に関する記述部分に手を加えていることを指摘し,それに対する所 感を述べたことがある17)。一部重複するが,論述の都合上ここで簡単に触れておきたい。. ロシアのブルジョワ文化を論じた該当箇所を引用してみる。 *ボグダーノフ論文. 『最新』の芸術家から学ぶことのできるものは些細な技巧にすぎない。その点でほ彼 らはすばらしい技傭の持ち主であることもまれでほないが,彼らから学ぶ際にはその退.

(11) 121. 茅盾とボグダーノフ 廃に染まらないよう慎重に接しなければならないo. ・・-・・プーシキン,レ-ルモソトフ,. ゴーゴリ,ネクラーソフ,トルストイなどの巨匠が持つ形式の簡象. 明快,純粋さこそ. 新たに生まれつつある階級の課題にもっとも適したものである。. *茅盾論文 過去の大文豪,例えばプーシキン,レールキントフ--・など,彼らの文学の形式にお ける成果ほ貴く,残しておいて使うことができる。しかし,最近の多数の新派,やれ未. 来派だ,意象派だとかほ,まったく役にたたない。. っまり,未来派等のアヴァンギャルド芸術に対して,ボグダーノフほ技巧の面で一定の 価値を認めているが,茅盾ほこの部分を全面否定に書き替えている。ただし書き替えとい 「一般的にいって,芸術的技巧はこのような. ってもボグダーノフはこのすぐ前の段階で, 堕落した生活の組織若から学ぶべきでほない」と述べていることから,結局プロレタリア ートにとってアヴァンギャルド芸術はほとんど価値のないものとして位置づけられており,. 茅盾の書き替えほボグダーノフの論点から大きくはみだしたものではないだろう。このよ うにここにも「文化遺産」としての価値を,それが古典に属するものであれ新派流に属す るものであれ,一様に技法面からとらえようとする姿勢がみられ,これらの技法を用いて 「文 盛り込まれる内容は新たに獲得した集団主義の主張に基づくものでなければならず, 化遺産」の中に求めるべきものでほないというのである. 茅盾には「論無産階級芸術」の連載中に発表した「関於"烈夫"的」 とは未来派の中から1922年マヤコフスキーを中心に結成された「レフ」. 18'がある。 「烈夫」. (芸術左翼戦線). のことである。この文章は翻訳紹介文で,その訳者附記には「最近の状況を言うと,未来. 派のロシアでの勢いはすでに衰え,ソヴュトの批評家たとえばルナチャルスキー,ボグダ ーノフなどの人達によって,手厳しい批判が加えられている」という記述がみられる。文 中のボグダーノフの未来派に対する批判とほ恐らく上で引用した茅盾の書き替えを含む部 分のことだろう。茅盾自身,前年までほマヤコフスキーをかなり高く評価しており, ヤコフスキ-の未来主義は"プロレタリア文化"とほ歴史的つながりはないけれども,実 によくプロレタリアの革命精神を表現している。. --・マヤコフスキ-は永久に失望せず, 19)と,それがプロ文学とは異なるこ 彼の作品にほ随所に熱烈な前進の精神が満ちている」. とを知りながら絶賛の言葉を記していたが,この年(25年)になると,明らかに未来掛こ 対して厳しい評価をするようになっており,その原因はやはりボグダーノフ論文との出会 いをぬきにしてほ考えられない。それほ茅盾の文学を見る視点に「階級的観点」が大きく. 作用し始めたことを意味し,これが「文化遺産」の継承問題にまで及び始めたことを示唆 している。. 以上,茅盾の「文化遺産」に対する態度,観点に関して述べてきたが,この問題につい てはこれらの発言がなされた背景の整理もまだ不十分であるため,ここでの即断は避けた いが,少なくとも,そのアプローチの一つとして,ボグダーノフ理論の存在はおさえてお. く必要があるだろう。茅盾の文芸批評のスタイルや性格を明らかにする上で,ボグダーノ. 「マ.

(12) 122. 白. 水. 紀. 子. フとのかかわりほ,その影響の有無においてよりも両者の類似性において,極めて本質的 な問題を提起しているのである。. 5.革命文学論争にみるボグダーノフ論文の影響 「論無産階級芸術」ほ理論性の高い論文として扱われてきたが,後に中国の現実との関 わりの中でこの観点が作用した時,大変興味ある展開を見せている。. 革命文学論争時期の発言から, 10)21), 「読『侃焼之』」 (29・5). 「歓迎《太陽≫ !」. (28・1)20',. 「従枯嶺到東京」, (28・. 22'の三つの論文をみてみたい。これらはスローガン文学. 批判と題材の拡大を提起したよく知られている論文であるo茅盾と革命文学派(便宜上, 創造社と太陽社を指し,両者の違い,また個々のメンバーの違いにはここでほ触れないこ とにする)の論争については,その決定的な要因として両者の文学観の違いとりわけリア. リズムに対する認識の違いが指摘されている。筆者もこの見解に同意する老の一人である が,ただ茅盾サイドからこれらの論文を考える場合,これに補足すべき側面が更に幾つか あるのでほないかという思いが以前からあった。今回の「論無産階級芸術」の典拠の発見 によってその一つの側面がかすかではあるが輪郭を現してきたように思われるのでここで 少し述べてみたいと思うo. 茅盾論文第4章(ボグダーノフ論文でほ第2章)ほ,当時プロ文学と呼ばれていた作品 にみられる誤った傾向-プロ文芸の扱うテーマほ労働者に限定されるという誤解や刺激. と扇動こそ芸術の目的であると誤認する傾向を批判した部分である。以下まず茅盾論文第 4章ほじめの部分,題材の拡大を述べた所を引用してみる。. (. )は茅盾の加筆部分,そ. の他ほボグダーノフ論文とほぼ同一内容であるo以下,同様。. 年齢的に幼く,かつ困難な環掛こおかれた階級の最初に作りだす芸術が,内容的に浅 くて狭いという欠点を持つのはやむをえないが--. (プロレタリア芸術の扱うテーマは. 労働者に限定され---更にほ「プロレタリア文芸ほ即労働文芸である」との意見さえ現 れた。これほ全く誤った観念である). --プロレタリア芸術が,やがて,過去の芸術と 同様に,全社会及び全自然界の現象を題材の源泉としていくことは自明の理であって, 疑問の余地はない。 それゆえ,いかに内容を充実させ豊富にしていくか,これこそプロレタリア芸術の批 評がまず意を注ぐべき問題なのである。. ---我々ほ常にこの問題を提起して作家の注意 を促すことができ,随時,内容が単調であるという欠点を指摘して,作家が題材収集の 範囲を広げるよう促すこともできる。. とあるが,例えば,このような批評家の態度で茅盾ほ雑誌≪太陽≫を論評している。 「歓迎《太陽≫!」の次の部分は今引用した所と基調を同じくするものである。 文芸は多方面に亙るものであり,それは社会生活が多方面に亙るのと同じである。革 命文芸もまた多方面に亙るべきである。ただ第四階級の生活を描写した文学だけが革命.

(13) 茅盾とボグダーノフ. 123. 文学だと言うことができないのは,あたかも労働者農民の生活だけが現代の社会生活だ と言えないのと同様である--・革命の後方もまたよき題材である・--清光慈の論文は,. 非労働者農民の革命の高揚に対する反応-恐らく反革命の反応であろうが,これもま た革命文学の題材であるということを認めていないかのようである。もし蒋君の説に従 えば,我々の革命文学は極めて単調で狭い道に足を踏み入れることになってしまい,こ れほ革命文学の前途に幸福と利益をもたらすものでほないと思うのだ。. (263-4頁). 茅盾はこの文章の中で,文芸の創造者と時代の創造者との関係が緊密ではないために, 文壇が一時的な「空自」状態に陥っている現在,客観的な観察によれば実体験のない「旧 作家」でも新しい作品を書くことができると言い,新文芸に必要なのほ文学的教養と現実 を正しく把捉する観点であり,経験の有無や題材の中味を問うものでほないと述べていた。 上の引用部分はこのような認識に基づいて善かれたものだが,この題材拡大の主張ほ,更 「私. に「従姑嶺到東京」で,具体的に小資産階級との関わりの中で語られるようになり, ほ現在の"新しい作品"は題材面で,あまりにも小資産階級を考えなさすぎると思う。今,. 君が小説を書いて労働者・農民のために苦しみを訴えれば,それがどうであれ,こぞって 君を革命作家だと賞賛するが,もし小資産階級のために苦しみを訴えれば,まるで反革命 (40頁)と述べて,題材 と同罪の扱いをする。これは極めて不合理なことではないか!」 と読者の両側面から小資産階級不在の現状を批判する。これほ,無産階級の文学ほ無産階 級者が自ら創造しなければならぬいう定義を前に,作者も読者もその大多数が小資産階級 であった中国の現状を踏まえての発言であった。茅盾が言う「新しい作品」とは,厳密に 言えばプロ文学でほなく,それに至る過渡期の文学であり,ボグダーノフの規定に従えば, インテリの社会主義的文学に近く,これの持つ思想的限界をいかに克服してプロ文学に近. づいていくかに茅盾の課題があったように思われるo. それゆえ,茅盾からみると当時の. 「革命文学」 vこは更にもう一つの大きな問題があった.すなはち「一途に.Aローガンを絶 叫する」作品が革命文学として賞賛されるという憂うべき現象であるo プロレタリア文学とは何か--(1)小資産階級の有閑的態度,個人主義に反対すること。 (3)反抗主義。 (4)技術面で新写実主義的傾向を有すること。主掛こ非とする (2倭体主義。 ところほないが,それが作品に表現される時,期待通りにほなかなかいかないものであ る。 ・・・-それは「新しい作品」が結局「スローガン文学」の拘束から抜け切れないこと. を自ら暴露したからである。. --・革命的情熱ほあるが文芸の本質を無視しあるいほ文芸 を宣伝の道具(狭義の)とみなし--文芸の素養に欠けた人間ほ知らず知らずのうちに この道を歩みがちである。しかしながら,わが国の革命文芸の批評家は終始これを予防 しようとしなかった。. (37-8頁). これと額似する発言ほ「読『侃換之』」にもみることができる。 「5. ・. 30」時代以降の「第四期前夜」の新文学がかがやかしい成績を収めようとするな.

(14) 124. 白. 水. 紀. 子. らば,必然的にまず内容と形式-すなわち思想と技巧両面のバランスのとれた発展と. 成熟を求めねばならない。作家ほわずかな聞きかじりの社会科学の常識では不十分であ ることを知るべきであり,単に大衆大会のアジテ-ショソの熱っぽい口調で小説をつく るのも間違いであることを知るべきである.新文芸に献身しようとする人間ほ,まず組. 織力,判断力を持った,観察し分析することのできる頭脳を準備する必要がある--辛 苦して技術を磨くべきである--昨年わたしは「従枯嶺到東京」を書いたが-. -一当時彼 らが熱心であったプロ文芸一無産階級意識が表現されていない上に,無産階級が読ん. でもわからない,ただ「膏薬売り」の口上のようなスローガンや広告文のようなプロ文 芸にわたしは全然賛成できなかった。 (289-90頁). このように茅盾は,中国の「革命文学」にあるのは「革命的情熱」のみであり,文芸の 本質をわきまえず,思想性(無産階級意識)においてもまた技法においても欠点を有する とみていたのであるが,この批判の背景には,ソヴェトにおける未来派批判が意識されて いた可能性が強い。. 「従姑嶺到東京」で茅盾は革命文学派のスローガン文学を批判する際. に未来派批判を引き合いに出して次のように述べている。 1918年から22年ごろにかけて,ロシアの未来派ほ多くの「スローガン文学」を製造し, ソヴェトの無産階級に対し彼らのために創造したものだと言った。しかし,無産階級は 未来派の厚情を無視し---大衆だけでなく,モスクワの指導者たち,たとえばプ--リ ン,ルナチャルスキー,トロッキーらも「スローガン文学」ほ人々に我慢ならぬ嫌悪感 を与えるものだと思った。なぜなのか。未来派の「スローガン文学」が革命的情熱を欠 いていたからなのか。勿論そうではない。重要なのほ人々が文学を読む時に望むものは,. けっして単に「革命的情緒」だけではないということである。. (38頁). この部分の主張の骨子ほ,スローガン文学にほ文芸としての価値がないこと,つまり,. たとえ革命的文学であろうとその芸術性を忘れてほならない,ということであろう。この 部分だけを読むと,茅盾の批判が思想性よりも技巧問題に集中しているように受け取れる が,実ほこの言葉ほ,一層深いところから発せられたものだったのである。茅盾がこの頃 「こうした誇張法がある には目を通していたトロッキーの『文学と革命』第6章23'には, 程度現代の狂暴な怒りを反映していることほうたがいない。だが,そうだからといって, 全面的に芸術的に正当化されるわ桝こほいかない。 がれ声のためにぶちこわされてしまう」. --この詩人のペーソスほ怒号としゃ. (343-4頁)という批判があり,そしてその原因. ほ,単なる技巧の椎劣,イメージの貧弱さにあるのでほなく,より深い部分にあるという こと,つまり「マヤコフスキーの革命的個人主義は,情熱的にプロレタリア革命の中-疏 れこんだが,しかしそれ¢ことけこみはしなかった。 者のそれではなくて,ボ-ミアンのそれであった」. --彼の潜在的意識的な感情は,労働 (342頁)という思想的限界の指摘があ. って,これが上記引用部分の要旨を支えていると考えられるからである。茅盾ほ「従枯嶺 24'を執筆した際にも,トロッキーの未来派に対する批. 到東京」の翌年に『西洋文学通論』.

(15) 125. 茅盾とボグダーノフ 評を引き,マヤコフスキーの一派は「ソヴュト政権を擁護し,自ら最も革命的な詩人であ ると名乗った。しかし,トロッキーの批評によると,マヤコフスキーは天才で,革命を受. け入れたけれども,彼の意識にほまだ非無産階級的集団主義の傾向がみられる,と指摘さ れている」と記しており,これからも当時茅盾が未来派の思想的限界を認識していたこと が伺える。未来派の「革命的情緒」,そして革命文学派の「革命的情熱」は,トロッキー の言う「革命的個人主義」が「情熱的に」表現されたものであり,. 「労働者のそれ」では. ない,という認識がすでにこの時期には茅盾の中で形成されていたとみてよいだろう。つ まり,革命文学派批判にソヴュトの未来派批判をもってきたのは,茅盾が両者を組じ枠組 みの中で捉え得ると見たからであり,このことは中国の「革命文学」が未来派と同様に, 技巧面においてだけでなく思想面にも欠陥を有し,プロ文芸とは流れを異にするものとし. て彼に捉えられていたことを示しているo だが,茅盾がここで展開している「スロ-ガン文学」批判の理論的根拠についてほ,更 にボグダーノフ論文の存在も忘れてはならないだろう。茅盾論文第4章に・は作品における 過度の刺激や扇動を戒め, 「熱烈な革命精神や勇頑な気概」は「歴史的信念と強固な意志 によって生じたものこそ貴い」のだと述べた箇所があり,すでに25年段階で「怒号」と 「誇張」からなる作品に対する批判の目が形成されていたことがわかる。 これまでの無産階級の詩歌と小説ほ,そのうちの10分の9が,階級闘争の精神を激励. (これは今の段階では当 し階級闘争の勝利をたたえたものであると言うことができる。 然の現象だし,またある意味ではこうした刺激も必要なのである.)しかし,いつまで もそうでほありえない。刺激や激動は,芸術のもつ目的の一つに過ぎず,全体でほない。 我々は部分を全体であると誤認してはならない。刺激性扇動性に富んだ作品ほ--・過度. の刺激が読者の同情心を麻捧させ,且つ作品の芸術的美しさを損うことを知るべきであ る-(もちろん我々も,熱烈な革命精神や勇敢な気概が必要であり貴重であることは 認める。だが歴史的信念と強固な意志によって生じた革命精神や戦闘の勇気こそ貴く信 頼できるものである。まるでモルヒネを打つように刺激を与えたり),バラ色の鏡で激 励したりするのは,信煩の置けぬニセモノである。無産階級の戦闘精神は自己の歴史的 使命を認識することによって生じるものである。. 文中,. 「しかし,いつまでもそうではありえない」以下の内容は,のちの「従枯嶺到東. 京」等の論文に確かに受け継がれていることに気づくだろう。 また,さきの「読『侃換之』」からの引用の「形式と内容ほバランスのとれた発展と成 熟を求めなくてはならない」という発言ほ,茅盾論文第5章(ボグダーノフ論文では第3 章)冒頭部分の「無産階級の形式についてわれわれはまず"形式と内容は調和すべきだ' という目的を,努力の方針としなければならない」を連想させる。 ただ,言うまでもなく,このようにスローガン文学を批判したり題材の拡大や内容と形 式の一致を述べたものにほ他に,. 「従枯嶺到東京」で茅盾自身も名前を挙げているルナチ. ャルスキーやトロッキー等がおり,よって当時の茅盾の発言すべてを「論無産階級芸術」.

(16) 126. 白. 水. 紀. 子. の直接的影響と結び付けることは避けるべきだと考えるが,しかし少なくとも言えること. ほ,革命文学論争時期の茅盾の発言をトータルに眺めた時,これらが「論無産階級芸術」 の主要論点と驚くはど一致し,ボグダーノフ論文の茅盾における受容と深化をここにみる ことができるということである。このことは革命文学論争時期の茅盾が,その一つの側面 として「論無産階級芸術」つまりボグダーノフ論文を理論的支柱としてこの論争に加わっ た可能性が強いことを示唆し,またそうであれば茅盾がプロ文学推進の立場をこの時期に も堅持していたことを示す重要な材料を提供したことになるのである0. 銭杏邸は革命文学派の中で茅盾に対して手厳しい批判を展開した一人で,. 30年初期には. ボグダーノフ主義者として左翼文壇から,また「第三種人」側からも批判を浴びた人物で. ある。その彼の「中国新興文学中的幾個具体問題」. (30・ 1) 25)という論文ほ,茅盾の革命. 文学に対する発言に大革命の失敗という歴史的事件を問に挟んで「後退」現象がみられる ことを指摘し,茅盾のプロ文学陣営からの脱落を宣言しようとしたもので,茅盾が「論無 産階級芸術」や「『紅光』序」 (27・3) 26)においてプロ文学が初期の段階で陥り易い欠陥 「従枯嶺 到東京」に華るとこの現象を批判し始めたことに茅盾のプロ文芸に対する態度の変化を見, -題材の狭さ浅さや過度の激励・扇動などについて容認の態度を示したのが,. 更に茅盾のいう「リアリズム」がプロ文芸のめざす「動的リアリズム」と質的に異なるこ とを蔵原惟人の「再びプロレタリアリアリズムについて」を借りて批判したものである。 この時,銭が理論的拠り所として蔵原やルナチャルスキーの他にボグダーノフの「プロレ. タリア芸術の批評」を引用しているのは大変おもしろい(なぜならば銭はこの中でボグダ -ノフ論文と「論無産階級芸術」を同時に引用しながら,. 「論無産階級芸術」がボグダー. ノフ論文の引き写しであることに気づいていなかったからだ)が,本当に銭の言うように. 茅盾の主掛こは大革命の失敗を間に挟んで大きな変化が見られるのであろうか。銭が比較 の対象の一つとして挙げる茅盾の「『紅光』序」をみてみよう。これは顧仲起が自殺する 前年に,詩集『紅光』のた捌こ茅盾が武漢で書いた序文である。なお,銭が前記論文でこ の序文から引用している箇所には下線を引いておいた。 我々ほ『紅光』を新形式の成立と言えないならば,少なくともその「始まり」だと言 うことほできるだろう。. 『紅光』そのものほ感慨と悲憤の叫びであり,あるいは「スローガン」の集合体と言 えるかもしれない。恐らく. 「せっかち」な文学批評家はこれは詩ではなく広告スローガ. 榔、と 言うだろう。しかし,ここ一極度に緊張した空気に 包まれたここでは,かえってこのような急を突いた叫び, ほ環境が生んだ真の文学だと言える. スロ-ガン調の新詩が,結局. のだ---それぞれの民族. の文学の発展には当然それ 自身の路があるだろうが,正に大激動の時代にある中国の,将来の革命的新文学ほ,あ るいは10月革命以後のロシア文学と同じ方向に進むことができるのではあるまいか。私. は仲起同志がこの方面に努力し,スローガン文学を更に完成した新形式の革命文学へと 発展させて欲しいと願っている。 確かに,銭杏部が引用した部分だけを見ると,茅盾ほ「スロ-ガン文学そのものの有効.

(17) 茅盾とボグダーノフ 性」に対して,. 「従枯嶺到東京」よりかなり寛容的であり,. 127. 「プロ文学の初期にみられる作. 品の幼稚さ」を容認しているかのようである。また,銭は「論無産階級芸術」及びボグダ ーノフ論文からプロ芸術にみられる,題材選択の狭さや題材を社会闘争にのみ限定する傾 「しかし以後は,この観点ではあまりに狭す 向を述べた部分をそれぞれ引用した際にも,. ぎる」以前の部分,つまり初期におけるこれらの傾向を容認した部分に注目し,これと 「従姑景到東京」とを比較して茅盾の「変質」を裏付けようとしている。しかし,これら の論文で茅盾が主張したかったのほ,銭が引用を止めたそのすく小後に続く部分であり,彼 がポグダーノフ論文からむしろこの「しかし」以後を学んでいたこと紘,本章の初めに引. 用紹介した「従枯嶺到東京」等の論文が証明してくれるだろうし,ここに引用した「『紅 光』序」からもそう言えるだろう。そしてこの読み方こそボグダーノフ論文の正しい読み. 方だったと筆者は考えるのである。 だが一方で,. 「『紅光』序」にほ,確かに銭が指摘するように,茅盾の他の文章にほ見ら. れない「寛容さ」があることも事実である。これほ恐らく茅盾と顧仲起との個人的な交流 にもよるのだろうが,ここでは一つ次のことに簡単に触れておきたいと思う。. 茅盾はこの「序」より2年前に「現成的希望」. (25年3月). 27)を書いて顧に言及してい. る。この中で茅盾は,ゴーリキーとディケンズを例にあげて,ともにプロレタ1)アの生活 を小説に書いた作家であるが,ディケンズの作品を読むと作者はただ傍らで「ごらんなさ い,これがプロレタリアートの生活ですよ」と声高に叫んでいるにすぎない印象をうける. のに,一方のゴーリキーの作品を読むと,読者もみずから彼らの生活の中に入り込み,彼 らの喜怒哀楽をともにすることができるのは,ディケンズがゴーリキーのように無産階級 に属し無産階級の生活を経験したことがないからだ,と述べ,ふりかえって中国でも同様 に,作者の頭の中で作られ,実体験に基づいて書かれていないために真実性に欠ける作品. が多いと不満を示している。そして,その意味で青年作家顧仲起ほ,様々な労働に従事し た経験を持ち,今度ほ軍隊に入って,生還したあかつきにはその経験を小説に書きたいと 言っており大いに期待できる,と述べていた。. 「小説の書ける人が兵隊になって戦いに赴. く前には,恐らく読むに耐え得る戦争小説にはお目にかかれないだろう。それはまさにプ. ロレタリアート(労働者農民)が筆をとり小説を書くことが出来るようになる前に,読む に耐え得るプロ文学がないのと同じである」. (175頁)という認識がここにある。. 本来茅盾は,作家の「実体験」よりもむしろ「客観的観察」を重視していたことは先に 述べた通りである。それは「文芸の創造者」と「時代の創造者」が同一でない現実をふま えての発言であったが,恐らくそれゆえにこそ,無産階級の生活を「実体験」し,今度ほ 更に軍隊生活を経験しようとしている顧仲起の出現ほ,茅盾にとってほ一筋の光明にみえ たのではあるまいか。茅盾が「『紅光』序」で顧の作品をプロ文学-の発展の枠組の中で 捉え,芸術的未熟さに暖かいまなざしで対応しているのも,彼が顧の中に自身とほ異質の ものを見出したからに他ならない。一方の革命文学派に対してほすでに述べたように,ソ ヴェトにおける未来派批判と重ねて考え,ボグダーノフと同様にプロ文学とほ相入れない. 批判の対象として捉えているが,それほ顧仲起の場合とは逆に茅盾が彼らに自身と同質の ものを見,問題の深刻さを自らの体験を通して知っていただ桝こ,それだけ厳しい批判と.

(18) 白. 128. 水. 紀. 子. なって表出したからであろう。彼らがいかに革命を実体験していようとも,無産階級の生 活については「頭の中」での理解にすぎず,プロレタリア意識の獲得は彼らが考えるよう 「読『侃. な容易なものではないことを,茅盾ほ未来派批判を通して学んでいたのである。 換之』」で,. 「わずかな聞きかじりの社会科学の常識では不十分だ」. 「大衆大会のアジテ-. ショソの熱っぽい口調で小説をつくるのほ間違いだ」と言い,これの打開策として「組織 力,判断力を持った,観察し分析する頭脳を準備すべきだ」と力説した所以はここにある。. 銭杏邸が大革命前後の茅盾の発言の変化を指摘する材料として,顧仲起に関する発言と 革命文学派に対する発言とをもってきて比較したことは,このように.茅盾の両者に対する 認識が異なっているために,銭の批判が茅盾にとってどれほど説得力を持ち得たかほ疑問 である。むしろ茅盾の顧に関する文章からは,彼のプロ文芸に対する憧慣にも似たものが 伝わってくるだけである。. ところで,同じくボグダーノフ論文に接した茅盾と銭杏邸が示した反応の違いを考える 時,その際困として,両者の当時の革命認識の違いがまず挙げられるだろう.それはボグ ダーノフ論文が善かれたソヴェトと彼らが現在生きている中国との時間的空間的な「差」. をいかに認識しているか,ということから生じて来た読みの違いであり,銭香邸がその 「差」をかなり短いものとして捉え,ボグダーノフ論文をストレートに中国に適用してい るのに対し,茅盾はその間にワンクッショソおいた捉え方をしている点にまず両者の違い. を認めることができる。再度の革命の高揚を近い射程に置く銭と,そう考えない茅盾との 革命認識の違いである。この時中国ほ,. 27年の4. ・12クーデターとそれvこ続く荘精衛の反. 共への方向転換により国共合作が崩壊し,国民革命-の期待が挫折した時期にあったが, 銭ほ小資産階級のプロレタリア意識の獲得や階級移行に楽観的である。銭に限らず革命文 学派は,そもそも小資産階級の立場を認めず,資産階級か無産階級のいづれかq=.帰属する ものだという考えを持っていた。彼らが一様に思想性(プロレタリア-トの階級性)を強 調して,小資産階級に「固執」する魯迅や茅盾をプチブルジョワ作家だと批判し,反革命 でさえあるとみなす時,彼ら自身はすでに自らの属する階級をアウフ--ベンしてプロレ タリアの隊列に立っているのだという自負がある。しかし,同じくボグダーノフ論文に接. し上述のように思想性(階級性)を重視するようになった茅盾は,小資産階級という自ら の置かれた階級的歴史的位置にこだわり,その「歴史的使命」をいかに果たすかという課 題に取り組もうとしたかに見える。そして文学についても,それがプロ文学に至る「過渡 期」にあると捉え,その中での小資産階級の役割に注目して諸々の問題を段階を追って解. 決しようとする現実的姿勢をはっきりと示している。銭がプロ文芸運動の高まりを強調し 28)と言い,すでにプロ文学時代 て「現在の革命文芸と労働文芸の交流の局面が開かれた」 に突入したかのような発言をしていたのとは大きな違いがある。両者ともに「歴史的使 命」に言及するが,これを支える現状認識の違いは,決定的だったと言ってよい。. このように考えるとき,ボグダーノフ論文は,茅盾にとっては,将来の新しい文学像を 明確に提示して彼の文学的理論的認識を高めただけでなく,さらにそれに至るプロセスを 具体的に明らかにして,中国の進歩的文学が20年代30年代に担うべき現実的任務が何であ るかを再認識させた現実的意味を持った論文だったとも言え,同じくボグダーノフ論文に.

(19) 茅盾とポグダーノフ. 129. 接した銭杏邸の反応と比べて見ると,一層ほっきりと茅盾の特徴を知ることができるよう に思われる。そして,このような対立を生んだ背景には,彼らの現状認識の違いとともに, 文学観とりわけリアリズム文学観の相違が存在することも以上の作業を通して感得できる のである。 6.結びにかえて. 茅盾の文学思想を語るとき,五四運動,. 「5. ・30」運動,大革命,左連結成--・と社会. 歴史の動きと′ミラレルに論じることが多い。確かに.,五四の新風は茅盾の目を世界に向け る大きな役割を果たしたし,大革命の失敗は茅盾に測り知れない深い傷を残し,それは彼 が生み出した作品に生々しい痕跡を留めている。しかし,彼の文学主張の理論的背景を探 る過程で筆者が見出したものは,五四時期に形成された茅盾のリアリズム文学観が25年の ボグダーノフとの出会いを契機に更に堅固なものへと発展を遂げた軌跡であり,その後の 大革命の失敗,日本亡命,左通加入と続く茅盾の身辺の変化はその時々の発言の変化とな って現れたものの,これらを支える彼の文学観の変化としては認められないということだ った。紙幅の関係で30年代の茅盾の文学主張について詳しく論じる余裕がなくなったが,. この時期の発言にも「論無産階級芸術」及びボグダーノフ理論の影響を思わせる文章が幾 つかあり29',またそれほ解放後の茅盾の文学主張の特色を考える上でも大変興味ある問題 を含んでいる。 「論無産階級芸術」で茅盾が示したボグダーノフ論文との関わりほ,単な る「抄訳」の域を越えて多方面にわたる問題の見直しを迫る注目すべき出会いだったと言 ってよいだろう。. 注. (*所収テキスト名の記載のないものはすべて原載誌あるいはその影印本を使用した。) 1)沈雁味(茅盾) 「論無産階級芸術」≪文学周報≫172, 173, 175, 196期(25年5月-10月). 『茅盾文芸雑論集』上集(上海文芸出版社81年6月)所収。 2)荘鐘慶『茅盾的創作歴程』 (人民文学出版社 82年7月) 「論茅盾革命現実主義文学観与蘇聯文学的影響」 (≪福建師範 3)例えば,最近の論文でほ開国虫L 大学学報≫哲学社会科学版, 87年2期)や郁伯周「迂回而再進」 (『茅盾研究』3 88年7月 文 化芸術出版社)がある。. 4)原載≪プロレタリア文化≫3号。茅盾ほこれの英訳「THE RIAN. ART」. (≪THE. LABOUR. MONTHLY≫vol.. CRITICISM. ≪O. kul'ture≫. ("Kniga'', M-L,. PROLETA.. 5,1923-12)をテキストとして使用し. たと思われる。詳細は注17)論文を参照のこと。 ボグダーノフの文芸関係の著書としてほ次の二つが有名である。 i rabotchii 1・ ≪Iskusstvo klass≫ (Izd, jurn, ≪Proletarskaya 2.. OF. kul'tura≫,. (Moskva,. 1918). 1924) 1・は「無産階級詩論」 「プロレタリア芸術の批評」 「芸術遺産について」の3つの論文を集めた 小冊子, 2・はこの3論文の他に1904年から1924年までの間に善かれた16篇の論文が再餐されて おり,各国語訳があるが(『理論』第2輯 MONTH. 琴松堂 昭和8年198頁),≪LABOUR LY≫掲載の英訳はこの1をテキストにしているようである。なお,本稿での引用ほ『資料 世 界プpレタリア文学運動』第1巻(三一書房 74年)所収の小泉猛訳を使用した. 178, 381, 5)郡伯周『茅盾評伝』 (四川文芸出版社, 87年1月)例えば, 392頁などを参照され たい。. proletarskoi.

(20) 白. 130. 水. 紀、.千 5. 『講座 マルクス主義 芸術』 6)沖浦和光「近代美学の展開とマルクそ主義芸術」 ・(日本評言針 社 70年) (東洋学文献セゾ′`ク 7)芦田肇編『中国左翼文芸理論におけ'る翻訳・引用文献目録(1928二1933)』 (劉穆訳, ≪小説月報≫20巻二4 78年)・によると,中文訳にをま「詩的唯物解釈」 ー叢刊帝29輯 29年5月≠ 事?-局) 号 29年4月) 『社会意識学大綱』上・下(陳望道・施存統訳,上海大江書鋪 (蘇改訳,水沫書店1930年)があり,最 がある。この他主要論文3篇をおさめた『新芸術論』 近『無産階級文化派資料選編』 (中国社会科学出版社 83年3月)に収録された(このう、ち「無. 産階級芸術底批評」の初出は, ≪熔塩≫創刊号 28年11月だと思われる。当該誌筆者未見)。ま たボグダーノフの文章を一部引用した論文としては; ・銭杏郁「中国新興文学中的幾個具俸的問 28年以前に関して峠筆者が調べた限りでは茅盾の「論無産階級. .題」注25)をほじめ四篇があるo. 芸術」があるの車である。 8)白水「『論無産階級芸術』の典拠について」.≪茅盾研究会会報≫7号(甲年6月)。茅盾「論顛 産階級芸術」第2章以下全文とボグダーノフ「プロレタリア芸術の批評」全文の英訳及び邦訳} また,これは≪中国文芸研究会会報≫92, '95, を対照し,対応箇所を示した「資料」である・6 94, 7,.8,i 96号(89年6, ュo月)′に転載された。な串, ,「論無産階級芸術」第1孝については,. 茅盾自身の注によると,同年5月2日の芸術師範学校での欝演録に基づいているというが,これ にも参考テキストがあったのかどうかはまだ分っていないo. 9)沈雁水「告有志研究文学者」も学生雑誌≫112巻7卑(25年7月). 『茅盾文芸雑論集』上集(既 出)所収。. 『茅盾文芸雑論 「『楚辞』与中国神話」≪文学周報≫第6各8期(28年3月18月)。. 集』上集(既出)所収。 「渉士比亜与現実主義」≪文史≫ 1巻5周(34年8.月)..本稿では京都大学人文科 ll)味著(茅盾) 1D)E 玄珠(茅盾). 研究所所蔵のものを使用した。文中のS. ソヴェ.L)原載,. Dimimov論文ほ≪文芸新聞湊12号(33年3月11自,. ≪国際文学≫33年3号(英文版)転載のものoなお,シ土Tユグース■ピアに関して. ほ,当時のソヴェトの文芸政策との閑適で数多く言及されており,例えば茅盾?上記論文カさ発 (≪現代≫5巻5期, 表された翌月に施塾存「我与文言文」 34年9月),これに対する魯迅の「渉 「又是『捗士比亜』」 (≪中華日報≫動向 34年9月23日, 士比亜」 10月4日)などがある.. また,茅盾には30年代前半に『世界文学名著』や『漢訳西洋文学名著』があり,. 「文化遺産」に. 関する発副手?いては,こ冬らも含めいづれ稿を改めて命じか.,と思っているo;. 12)周起庭咽於『社会主義的現実主義与革命浪漫主義』∴-=丁『唯物弁証法的即作方法』之否定 --」≪現代≫4巻1期(33年11月). 「我イ門有什磨遺産」≪文学≫2巻4期(声4年4月) 13)芥(茅盾) 14)本稿では『資料 世界プロレタリア文学運動』第2巻(琴串)∵所収の江川卓訳を使用七た。 (36年6月), 15)茅盾「『神曲』」≪中学生≫55,?6一号(35年・5月)。のちを:こ-『世界文学名著講話』 『世界文学名著雑談』(80年8月,百花文芸出版社)に収められた。本稿でほ後者を使用した。 『漢訳西洋文学名著』(35年4月)所収。本稿では『世界文学 16)茅盾「笛福的『魯演孫漂流記』」 名著雑談』 (既出)を使申した。 (≪野草≫43号, 「資粁」注8'の解題及び孫 17)白水「『論無産階板芸術』について」 ,89年3・月). (≪文芸報≫1988年8月20日).{に対する反論を試み 中田「関於茅盾≪論無産階級芸術≫的写作」 たものである。. 18)沈雁淡「閑於≪烈夫≫的」≪文学周報≫195号(25年10月),o,・第三インター嘩閃紙≪国際通信≫ (≪International■ press Disputation. correspondence≫). 1923年8月9.日掲載の.. F・. Rubiner. 「A. Public. Futurism」.の全文訳o 19)玄珠「蘇経挨俄羅新約革命詩人璃霞考夫斯基」≪文学周報≫130号.(24年7月・).I !」 ≪文学周報≫ 5巻23期(2声年1月). 20)方壁「歓迎≪太陽≫ 『茅盾文芸雑論集』,≦七集(既出) on. 所収。. 21)茅盾「従枯嶺到東京」≪小説月報≫19巻10号(28年1明)_. 80年5月)所収。. 『茅盾論創作卦・.(上海文芸出版社,.

(21) 131. 茅盾とボグダーノフ 22)茅盾「読『侃焼之』」≪文学周報≫8巻20号(29年5月)0. 『茅盾文芸雑論集』上集(既出)所. 収。. (23年)。本稿では『世界思想教養全集13』 (河出書房新社,昭38年 23)トロッキー『文学と革命』 2月)所収のものを使用した。また,茅盾ほ本文引用部分(前半)とはぼ同内容のものをトロ ッキーの言葉として注26)論文でW,介している。なお,茅盾におけるトロッキーの影響ほ興味あ るテーマであり,これとボグダーノフ理論との関連についても今後の研究課題となっている。 (30年8月 24)方壁『西洋文学通論』 世界吾局)。脱稿ほ29年10月。本稿では書目文献出版社(85 年5月)による再版本を使用した。引用は156頁。. 1巻1期(30年1月)。執筆は前年12月。 25)銭杏邸「中国新興文学中的幾個具体問題」≪拓荒著≫ ≪中央副刑≫ 「上溝」 6号(27年3月27日) 26)沈雁水「『紅光』序」 27)玄珠「現成的希望」≪文学周報≫164号(25年3月16日)。ただし,文中のディケンズや顧仲起 の出身階級に関する記述にほ検討の余地があるように思われるo 28)銭杏邸「死去了的阿Q時代」≪太陽月刊≫3月号(28年) 『西洋文学通論』 (注24'), 「関於創作」 29)例えば, (31)などがある。 運動的検討」. 「中国蘇維挨革命与普羅文学之建設」. ≪付記≫本稿は1989年度文部省科学研究費・奨励研究(A)課題番号01710248 におけるソヴニト文芸理論の影響について」の研究成果の一部である。. 「『五四』. 「茅盾(Mao. Dun).

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