「じゅうどうあそび」による体ほぐし運動の可能性について
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(2) いのように見えて実はそうではない、いわゆるメタ・コ. ン、日本の伝承遊び等、様々なものが紹介され12)、実践. ミュニケーションとしての機能が備わっている9)Oさらに. されている。. 未開人(例えばイヌイット)の場合、新たな訪問者をそ. ここで筆者らは、まず、身体接触を伴う遊びの重要性 を指摘しておきたい。先にも触れたように、現代の日本. の部族に迎え入れる際に、儀式としての格闘を行うとい. の子どもの遊びは変容し、すもう・おしくらまんじゅう・. う例も報告されておりlO)、そうなれば、それは明らかなコ. 鬼ごっこ・長馬乗りなど、かって多く行われてきた身体. ミュニケーション行為とみなせる。. 接触を伴う伝承遊びはほとんど見られなくなっている。. 以上、単純素朴な形態でありながらも、人間の本源的. そのような遊びの変容の実態を踏まえて、体ほぐし運動 の教材にも身体接触遊びが多く採り入れられている往1)。. な衝動の発散、自己制御力の滴養やコミュニケーション. ちなみに筆者らは、そのような身体接触遊びの減少と、. 機能等を満たしてきた格闘行動は、人類に普遍的な文化 の-様式として根づいてきたといえる。. 対人関係をうまく結ぶことが苦手で「他者の痛みがわか. そして、現代の子どもにとっても、ファミコンゲーム の「格闘技ソフト」の売れ行きをみれば明らかなように、. らない子ども」や「他者に対してすぐキレル子ども」が 多く存在すること、そして「いじめ」や「暴力」等の社. 格闘遊びによる攻撃衝動の発散は求められている。ただ しそれは、いうまでもなく仮想・擬似体験であって、自. 会問題が起きていることは全く無関係ではないように考 えている。. らは傷つくことのない一方通行でわがままな破壊的行為 にすぎないところに問題がある。. そして、そのような遊びのなかでも、より直接身体に 接触する遊びは「すもう」のように「一対一」で行う格 闘形式によるものである。それは、生身の人間以外に媒 介するものは-切なく、より直接に他者を感知できるも. 4.学校体育における柔道. のといえる。. さて、冒頭で触れたように、本論では、格闘形式によ る身体接触運動のなかでも「柔道」に着目している。周 知のように、柔道は、すでに中学校・高等学校体育の武 道領域に位置づけられているものである。 「体ほぐし運動」 の脈絡における柔道の教材化の妥当性については後述す. 一般的に、格闘行動は、本能的な欲求に根ざしている。 ヒト化して以来、数百万年におよぶ狩猟・採集時代に遺 伝子にインプリンティングされた他者への攻撃性はそう て、暴力的な犯罪を防止する面からも、現代人にとって. ることとして、まずは、これまでの学校体育における柔 道の取 ̄り扱いと位置づけ、およびその今日的な課題につ. その攻撃衝動をいかにうまく処理するかが課題とされて. いて触れておきたい。. 簡単に消え失せるものではないといわれている(したがっ. いる>)。そして格闘行動は、これまでもその攻撃衝動を. 日本人であれば、 「柔道」が日本で創られたものである ことを、誰もが知っていよう(柔道の正式名称は、 「日本. うまく発散・処理するための文化装置として機能してき たのであり、古く未開社会の時代から世界中にその存在. 侍講道館柔道」である)。それは、明治15年に、江戸期 の武士社会において熱成された武芸である"柔術"を母. が確認されている。 また、格闘行動は攻撃衝動をうまく発散させるととも. 体として創られた。創始者は、東京帝国大学卒で、後に 東京高等師範学校の校長を歴任、さらにアジア初のオリ. に、殺し合いとは区別されたものであり、互いに深く傷 つけ合わないように一定のルールに従うため、自己制御. ンピック委員を務めた、教育者・嘉納治五郎(以下、嘉 納という)である。嘉納は柔道の創始以後、昭和13年. 力を養う機能も併せもっている。例えば、南ベネズェラ のヤノマメ族が行う格闘(胸打ち)は、 「一方が裸の胸を. に没するまでの長きに亘って柔道の価値・理念を考究し つづけ、それらを体系づけた。いうまでもなく、それら. 相手にさらし、これをめがけて相手がこぶLをしたたか に打ちおろすものである。打ちと受けは交代して行われ. の価値・理念は、絶えず柔道を教育に活かそうとする観 点から発せられたものであった6)。そして、嘉納亡き後. るが、我慢できるだけ受けて、受けた回数だけ相手にお 返しできるルール」7)であり、まさに「我慢比べ」の域. の第二次世界大戦後、オリンピック競技の-種目として 取り上げられた柔道は、今や海外の200近い国々で行わ. にある。そしてそのような格闘では、敗者に追い打ちを かけたり、定められたルールに違反した者は厳罰に処さ. れている「世界のJUDO」でもある。このように、ジャ パン・オリジナルであり国際スポーツでもある柔道は、. れたと報告されている8)。 また、できるだけ無駄な血を流さずにどちらが強いか. 早くは戦前から、日本のみならず、世界の国々の種々の 学校における体育授業やクラブ活動で実践されてきた。. を判定するための格闘行動自体は、例えば発情期の雄鹿 の角突き合い等にみられるように、すでに動物段階にお. つまり、体育教材としても、柔道には広く一定の価値が 認められてきたといえる。. いても認められるものであり、一様に敗者を迫って殺す ことはしない。つまり、それらの格闘行動には、殺し合. -68-.
(3) 明治期に創られた柔道であるが、日本の学校の正課体 育に教材として導入されたのは、明治末期になってから. 以上でみたように、学校体育における柔道は、多少な りともその時々の政治的・社会的状況による影響を受け. である(ただし「選択教材」としてである)。すでに明 治初期から学校に導入されていた外来の「体操」や「遊戯 (スポーツ)」と同じ取り扱いを受けるまでに多少時間が. てきたが、今日求められているのは、すでに国際化した. かかっている。そのことに対する文部省側の主な言い分 は、児童・生徒にとって「危険である」ということにあっ た。もちろん嘉納は、柔道を安全化するために種々の工. 残念ながら体育界において、単純な過去-の回帰でもな. 夫を行っており、学校内の課外活動では、すでに明治期 において多くの実践者が在った。ちなみに学校外(警察・. れていない。その答えを出すのはそう簡単ではないよう. 町道場・軍隊等)を含めた柔道実践者は、明治後期には 数十万人を越えていたとされている。そして、昭和期に 至り、戦時体制が強化されるなかで、柔道は「武道」の. に創始者・嘉納が用意してくれている、と筆者らは考え. 柔道の普遍性に考慮しつつも、日本的なる特性を核とし て位置づけ直し、柔道を再構築することである。しかし く、また戦後のスポーツ化路線の延長でもない学校柔道 とは如何なるものかについて、末だ明解な答えは提出さ にもみえる。が、それを解くためのヒントは、実はすで ている。 そしてヒントとなる嘉納柔道の理念は、以下に示すよ. -種目として完全に正課体育へ編入された。その後押し 的な存在となったのは、国家的な「武道」の統括団体と して軍・警察・官僚等の上級官吏によって主導され、多. うに、 「体ほぐし運動」の理念・考え方と微妙に重なり 合っているのである。. くの武道専門教員を輩出していた京都の大日本武徳会で ある(ちなみに、嘉納が率いた柔道組織・講道館は、戦. 5.柔道の理念と体ほぐし運動. 前においては大日本武徳会への-参加団体であった。大 日本武徳会と講道館の違いについて一言付け加えておけ. の部分、 「体ほぐし運動」の理念・考え方に、マッチし. ば、前者は政治色が強く、後者はあくまで文化としての 柔道を求めたものといえる)。. (彰融和協調の精神. では、嘉納によって打ち立てられた柔道理念がかなり ていることを示そう。. 体ほぐし運動の理念. 柔道理念. 昭和20年の戦後直ちに、連合国軍総司令部(GHQ) の主導によって、公的な教育機関で行われる「武道」は 全面禁止とされた。そして大日本武徳会は解散を余儀な. i y'liト蝣:<」J "nfllr一十・才I ''i己・Ml!-. I.ト・l、、 ・\・. くされた。しかし昭和25年に、柔道は他の武道種目に先 がけて、学校において「スポーツ」として行うことが文. (自他共栄). .l′. 才. 圭 -> : い. 部省を通じて許可された。その背景には、先にも少し触 れたように、すでに戦前において柔道が日本的な運動文 化として広く欧米に認められていたことがある(そのた. ②精力善用. め、文化組織として認知されていた講道館は、戦後もお とがめなく存続した)。そして、昭和26年の学習指導要. ②体の調整. ③勝負しない柔道・-_」-2③他者・仲間との交流 l. 領から、柔道は選択教材としてレスリング等と同じく. (形). : J. 「格技(combative sports)」として行っても良いものと され、それ以降、平成元年の指導要領改訂において新た に「武道」領域が設定されるまでの約40年間に及んで、. I. 嘉納は、江戸期の柔術から、「柔よく剛を制す」という. 柔道は欧米格闘スポーツと同次元で扱われた。平成元年 の改訂であらたに「武道」領域が設けられたのは、昭和. 方法原理を受け継いだ。この柔よく剛を制すとは、 「相手 の力を利用して相手を制する」という意味である。そし てこの柔よく剛を制すこそが、西洋にはない独自的な観. 62年に教育課程審議会が、 「国際理解を深め、我が国の 文化と伝統を尊重する態度の育成を重視すること」とい. 念として外国人を魅了した。例えばイギリスから来日し、 「怪談」などの著作で知られるラフカディオ・--ン(小. う教育課程改善の基本方向を示し、それを受けてのこと である。そしてその「武道」領域では、 「伝統的な行動の. 泉八雲)は、明治24年頃に嘉納の柔道指導を観て、 「西 洋の頭脳からは、この奇妙な業は案出されて来ない。力. 仕方に留意して、互いに相手を尊重し、計画的練習や試 合ができるようにするとともに、勝敗に対して公正な態 度がとれるようにする」と示されており、日本文化とし. と力で相向かうのではなくて、ただ攻めて、或る力を誘 導して利用する。全く敵の力で敵を倒し、敵の動きで敵 を制するという離れ技は、確かに西洋人にはない。」5)と 述べている。その他、明治9年にドイツから東京医学校. ての伝統的な特性を学ぶことの意義が強調され、他のス ポーツ教材のもっ特性とは区別されて現在に至っている。. (後の東京大学医学部)に招解され、我がEgの医学界の. -69-.
(4) 発展に多大な功績を遺したエルグィン・フォン・ベルツ. 要で適当なる力の調節を評価するのである。そして、そ. や、明治37年に講道館の高弟・山下義詔から柔道を習っ. のような精力善用を為し得るためには、常に自己の体の. たアメリカのルーズベルト大統領等、柔道の妙味である. 状態を知り、調整しておくことが求められる。すなわち、. 柔よく剛を制すに関心を抱いた西洋人は多くいたのであ. 「自然体」を保っことが基本となるのであり、その点から、. る。. 「体ほぐし運動」の意図する「②体の調整」と結びっく。. ここで本論にとって重要なのは、柔らかい力でもって ③勝ち負けを競わない柔道. ``相手と融和的に一体化する"ということにある。つま り、柔よく剛を制すにもとづけば、まずもって積極的に. さらに、先に「体ほぐし運動」の登場の背景として示. 相手の動きや力を感じ取ることが重要なのであり、そこ. したように、 「現代のスポーツは高度に制度化され、難し. には自然と相手(他者)への気づきが生まれる。そして. い運動技能や戦術能が要求されるため、誰もが簡単にス. そのことは、 「体ほぐし運動」の意図する「①他者への. ポーツのなかで心と体を解放できない」とする点につい. 気づき」と結びつく。. ても、柔道にはそれを可能とする余地が残されている。. また、後年に嘉納は、 "相手と融和的に一体化する". 今日、柔道といって我々がまず頭に思い浮かべるのは、. ことを発想の基点として、 「自他共に満足を得て共存共. ひたすら相手を投げ、抑えて打ち負かすための「競技柔. 栄すること」すなわち「自他共栄」という柔道理念を提. 道」であろう。オリンピックに象徴されるように、柔道. 示した。それは、自己と他者との相互作用を前提とした. を世界に普及させる要因として、この競技面を発展させ. うえで、他者とのよりよい関係を築こうとする融和協調. たことは大きかった。しかしそれは戦後のことであり、. の精神である。そしてその精神は、 「体ほぐし運動」が. 戦前ではかなり異なった価値観によって柔道は行われて. 意図する「③他者との交流」と見事に結びっく。. いた。嘉納は、 「目の前の勝敗ということより柔道修行の 終極の目的を考えて,あくまでも柔道の修行が人格の養 成,精神の修養に資するようにしたいものである」2)と 明言しており、勝利第一主義には批判的であった。さら に、柔道の行い方には、自由に技を掛け合う「乱取(ら んどり)」と、定められた攻防のパターンを練習する「形 (かた)」がある。今日にみる競技とは、前者の乱取が発 展したものである。一方、形は、技の施し方、力の使い 方といった方法原理を学ぶもので、そこには「勝ち負け」 はない。一方的な攻撃で終わることなく常に攻守(柔道 では「取り」と「受け」という)が交代し、二人組でい かに理に適った技を表現できるかが評価される。したがっ て、 「相手と合わせる」ことが最も肝心となり、先に述べ た融和協調の精神を感得するのに適した練習法である。 また、乱取によって陥りがちなパワーゲームとならずに、 ゆったりとしたリズムのなかで、体や力の「調整」が行 える。嘉納は、 「乱取について困ることと申すはどんな衣 物を着ていてもどんな場所でもするわけには参らぬとい うことです。 (中略)そこで講道館の体操の形と申すもの はちょうどその必要に応ずるがために掩えたものですか ら、これを乱取と合せて用いますときは実に完全なる体 育の方法が備ると申してもよろしかろうと存じます。そ うしてその形の方はどんなに静かにでも出来ましてこと にその中の一種は老人でも病人でも往来を歩行すること. ②精力善用 「柔よく剛を制す」から発展された柔道理念に、もう. さえ出来る人ならば致しますに決して差支えのないよう な仕組になっております。」3)と述べており、形には「い. 一つある。それは「心身の力を最も有効に使用すること」 すなわち「精力善用」であり、状況に応じた無駄や過不. つでも、どこでも、誰でも」が行える「大衆性」が強調 されている注2).そこで、この「形」の考え方にもとづい. 足のない力の使い方を理想とするものである。つまり、 柔道では、最大の力(パワー)を出すことを評価するの ではなく、柔らかな力の使い方、臨機応変として真に必. て教材を考案すれば、 「体ほぐし運動」の求めるところ に合致していくのである。. -70-.
(5) 「じゅうどうあそび」を「誰でもが行える易しい運動」と. 6. 「じゆうどうあそぴ」の試案. したかったからである注3)。 以上のことを踏まえて、体ほぐし運動の教材としての 「じゅうどうあそび」の試案を示そう。. なお、内容の構成については、小学校高学年生を対象. なお、ここで「じゅどうあそび」とネーミングした理. に想定して、. 由について断っておく。まず「柔道」は、すでに述べた. ・できるだけ遊びとして容易に楽しく取り組めること. ように、中学校・高等学校体育の武道領域に位置づけら. ・他者(相手)との一体感が味わえる内容. れているがゆえに、それとは異なり、 「体ほぐし運動」と. とすることを意図した。 (以下、寝技編・立技編として各1コマを例示)。. いう新たな領域に応じた内容であることを示すためであ る。平仮名表記を用いたのは、 「体ほぐし運動」が小学 校体育においても設定されていることを考慮し、さらに. 「じゅうどうあそび」授業実践の試案 <寝技編・ 1コマ>. 半ti清朝. 指導上の留意点. ○あいさつ. ○準備運動 ・畳の特性を活かした準備運動を行う。. ・ペアでのストレッチ. ・熊さん歩き ・えび,逆えび ・船こぎ ・トカゲさん等 0 2人でゴロゴロ ・正面から正対して ・逆向きで ・背後から抱きっいて 0 2人で足合わせ ・自転車こぎ ・左右開き ・上下 ○体重を感じる. ・ペアで「相手を感じる」 「相手と合わせる」ことを強調する。. ・足裏が離れないように2人の息を合わせて行うように助言する。. ・亀の親子(四つん這いでペアの相手を乗せて動く) ・コアラの親子(四つん這いでペアの相手が下からしがみつい て動く) ○いろいろな寝技 ・横四方固め ・上四方固め ・袈裟固め ・立四方固めなど ○整理運動 ○礼法 ・座礼の仕方を学ぶ ・黙想. 同じぐらいの体重の相手と組む。 乗る者、しがみつく者が協力することを強調する。 抑える者は、体の重心を常に抑えられる者のうえに置くこと。 抑えられる者は、一畳分のエリアからの脱出を目指す。 相手の首を締めない、顔に手をあてない、体をひっかかない、 つかまない、など相手が嫌なことはしないよう注意する。 相手を変えて行う。. ・ 2人で合わせることを強調する。 ・目をっぶって呼吸を整える。. -71-.
(6) ・おんぶ歩き ・うで引き相撲 ・足取り相撲 ・尻合い相撲 ○受け身 ・うしろ受け身 ・中腰で腕おし押し相撲(うしろへ倒れたら受け身) ○手で投げる ・ 「受け」が両膝をつき、前-投げられる ・ 「受け」が方腰をっき、前・後へ投げられる ○崩しの練習 ○全身を使って投げる ○整理運動 ○礼法 ・立礼の仕方を学ぶ mm. 準備物. ・アゴを引くこと。丸くなること。倒れる時、肘をっかずに腕を 伸ばすこと(うしろ受け身)0 ・投げる者は、相手の手を最後までしっかり握っておく。. ・前、槙、後への崩しをペアで練習する(この時点では投げない)0 特に押し引きの力、体の移動を感じるように。 ・前、横、後への崩しを使って、マットに向かって投げる。 「受け」 もきれいに投げられるように協力する。 ・ 2人で合わせることを強調する。 ・目をっぶって呼吸を整える。. 畳柔道着投げ込みマット. されている4)。なお、筆者(永木)はその小林によ. なお、ここに示した「じゅうどうあそび」の実践内容. る研究に助言者として加わった。. は、あくまで試案の段階であり、今後、実践を積み重ね ることによって工夫・改良を加えていくっもりである。. 文献 7.おわリに 「体ほぐし運動」という領域の登場が、余程新しいこ. 1)福島章(1991)ヒトは狩人だった、青土社. 2)嘉納治五郎(1918)柔道の修行者に告ぐ、柔道4 (2).. とのように思われがちである。そこで行われる内容とし て、欧米発の教材の活用も良いだろう。だが、 「温故知. 3)嘉納治五郎(1886)柔道一斑並二其ノ教育上ノ価値、 大日本教育会講演記録.. 新」というように、我々は、これまで日本で育まれ親し まれてきたものの中にも良いものがあるということを、. 4)小林稔(2000)、身体接触運動が子どもの心理面に 及ぼす影響一力を抜く方向の体育学習をめざした 「じゅうどうあそび」の授業実践を事例として-、第. もう一度見直す必要もあろう。. 49回・読売教育賞優秀賞(体育の教育). 注記. 5)丸山三造(1942)、日本柔道史、大東出版社、 p.213. 6 )永木耕介(1996)嘉納治五郎の柔道観の力点と構造、 武道学研究Vol.32・No. 1.. 注1)ただし、高橋は、「体ほぐし運動の教材として、体 を接触させるような活動が紹介され、実践されてい. 7)寒川恒夫編(1991)、図説・スポーツ史、朝倉書店、. ますが、小学校高学年や中学生が常に簡単に受け入 れるとは限りません。 (中略)体を接触させるだけが. pp.5-6.. 交流ではありませんので、結果として子どもたちの 肯定的な心の通い合いが生じるように配慮していた. 9) 7)、ii.. だきたいと考えます。」13)と、単に身体接触を行えば. 10) 7)、 p.18.. よい、とするやり方には注意を促している。したがっ て先にも触れたように、やはり、明確な目的や理論. ll)高橋健夫(2000)体ほぐし運動の背景、体育科教育、 Vol.48・No.5 、大修館書店、 p.143. 12)高橋健夫はか編(2000)、体ほぐしの運動、体育科 教育、 Vol.48・No.5、大修館書店. 13)高橋健夫(2000)体ほぐし運動Q&A、体育科教育、. ) 7)、p.15.. 背景・脈絡をもった運動として身体接触がなされる ように教材が編まれるべきであろう。 注2)現在受け継がれている主な「形」は、 「投げの形」、 「固めの形」、 「極めの形」、 「講道館護身術」、 「柔の. Vol.48・No.6、. 形」、 「古式の形」、 「五の形」である。 注3)ただし、「じゅどうあそび」という表現は、ここに 述べた同様の意図をもってすでに小林によって使用. -72-. p.21..
(7) Theme: Recreational Bodily Exercise through Recreational Judo The purpose of this study is to address the concept of recreational bodily exercise, which has recently been introduced into school physical education courses, and to demonstrate how judo, a traditional Japanese sport which has long been taught at schools, can be applied to recreational bodily exercise. As has been pointed out by many researchers in the field, children-s activities today tend to lack the following elements: (1) awareness of physical condition, (2) communication with other children, and (3) maintenance of physical fitness. The conventional physical education courses provided at schools have been too sophisticated to enhance such elements. Thus, recreational bodily exercise has been introduced to provide children with opportunities to improve their physical fitness and to communicate with other children. The result of this study suggests that recreational judo, or the more relaxed form of judo, can be applied to recreational bodily exercise for the following reasons. (1) Judo can enhance communication among children because of its spirit of harmonization and cooperation and its concept of kata, or form, which implies that the significance of judo lies not in the outcome of the match but in how it is fought. (2) The principle of judo, which emphasizes the importance of the effective use of physical and spiritual strength, can enhance physical fitness in children.. -73-.
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