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1960年代シンガポールにおける工業化政策の形成過程について

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(1)1960 年代シンガポールにおける工業化政策の形成過程について 坪 井 正 雄. はじめに. 1)1961 年国連工業化調査団による工業化計画 提案(調査団長に因んでウインセミウス報告とし. シンガポールは 1960 年から 2005 年の間,年. て知られる,以下ウインセミウス報告または報告. 率平均 8% の 高 い 成長 を 持続 し 一人当 り GDP. 書)は,マラヤ連邦との経済統合や共同市場創. は す で に 1994 年 に 2 万 USD を 超 え 先進工業. 設による輸入代替工業化政策に依存しようとす. 国の水準に達しているが,最も特徴的なのは. る PAP 政府に周辺諸国に多くを期待できない. その GDP に比して極めて規模の大きい貿易額. 厳しい現実を認識せしめ海外市場に目を向けさ. (2005 年中継貿易 を 含 む 輸出入合計 7,157 億 S ド. せ自立への道を示した極めて先見的かつ実践的. ル,GDP の 3.7 倍)と 海外 か ら の 直接投資残高. な提案であり,PAP 政府の工業化政策の出発. (2003 年末で 2,455 億 S ドル,GDP の 1.5 倍)であ. 点であった.. ろう.1959 年自治政府の政権を獲得した人民. 2)多くの先行研究において 「PAP 政府は 59 年. 行動党(People’ s Action Party,以下 PAP)は,. 以降輸入代替工業化政策を追求してきたが,65. 以来今日まで半世紀に亘り政権を掌握し続けて. 年マレーシアからの分離・独立で輸出指向工業. いるが,PAP 政府による積極的・開放的な海. 化政策に転換せざるをえなかった」 との見方. 外直接投資の導入を柱とする工業化政策は,伝. が 定着 し て い る が,「60 年代前半 PAP 政府 に. 統的な中継貿易を基礎に短期間に国際競争力の. は共同市場を前提とする輸入代替政策とウイン. ある金融・産業・サーヴィス部門を構築したシ. セミウス報告が提案した輸出指向政策が並存. ンガポールの経済発展の原動力として高く評価. し,実際の政策遂行段階ではより現実的・実践. されている.本稿は第 2 次大戦後イギリス直轄. 的な提案を行った報告書に沿った政策(すなわ. 植民地の下,中継貿易と英軍基地関連需要に依. ち 輸出指向工業化政策)が 推進 さ れ,し た がっ. 存 す る 「中継貿易経済(entrepot economy)」 と. て 65 年の分離・独立は PAP 政府に輸入代替か. して生存してきたシンガポールが急速に増大す. ら輸出指向への政策転換を迫ったのではなく輸. る人口圧力,共産主義勢力浸透の脅威,周辺諸. 出指向へのさらなる徹底を促すものであった」. 国との利害対立で苦境に立った 1950 年代末か. とみるべきである.. ら 60 年代,工業化政策の模索過程で当時の発. 1950 年後半から 60 年代のシンガポールでは. 展途上国の政策形成に大きな影響力を持ったコ. 急増する労働人口に新たな雇用を創出して生存. ロンボ計画や国連・世界銀行等の開発政策専門. していくことが最大の課題であり,マラヤ連邦. 家による政策提言とシンガポール政府の政策形. との統合によりマラヤ共同市場を実現し保護関. 成過程を詳細に辿り次の 2 点を明らかにしよう. 税を設定して輸入代替産業を育成することが. とした.. 発足当初の PAP 政権の経済政策の基本であっ.

(2) 134 (808). 横浜国際社会科学研究 第 12 巻第 6 号(2008年 2 月). た.統合による共同市場の創設は極めて難しい. て 先進国 に 従属 す る 危険性 を 指摘 し た.難波. 政治的・経済的課題 で あった が 両者 の 経済的. (1974)は 工業化開始時期 を 創始産業法制定 の. 利害の対立で共同市場について合意が得られな. 59 年とし,61 年 EDB の設立を経て 65 年以降. いまま政治的統合が優先され 63 年 9 月シンガ. 本格的な外国資本の流入により製造業が急速に. ポールはマレーシア連邦に参加した.これに先. 拡大した要因を地勢的優位,割安な生産・輸送. 立ち PAP 政府の要請により工業化の可能性を. コスト,政府の積極的な外資導入政策に求めて. 調査した国連の専門家調査団は 60 年代初頭シ. いる.ヨシハラ(1976)はシンガポールの工業. ンガポール内外の状況を冷静に観察し幼稚産. 化開始時期 を EDB 設立 の 61 年 と し,当初 の. 業の保護による輸入代替工業化政策の短期的・. 輸入代替政策から分離・独立を機に輸出指向へ. 限定的効果を認めつつ中長期の開発政策とし. と政策転換された工業化は 67 年までに軌道に. て 「積極的な外国資本の誘致により世界市場で. 乗ったとするが,外国企業への高い依存の危険. 競争で き る 輸出産業 を 育成 す る」 と い う 当時. 性を指摘した.シンガポールの工業化開始時期. とし て は 極 め て 先見的な輸出指向工業化政策. を 65 年分離・独立の時期と捉えた渡辺(1979). を提案した.PAP 政府は報告書と一体と見ら. は,輸入代替プロセスを経ず独立当初から自由. れる 61 年国家開発計画を策定し,新たに組織. 主義的政策の下で外資を自由化し輸出指向工業. した経済開発庁(Economic Development Board,. 化政策を進めてきたのがシンガポールの特色で. 以下 EDB)を中心に輸出指向工業化政策を追求. あるとするが,その都市国家的色彩と開発の初. し共同市場構想が実らないまま輸入代替工業化. 期条件の特殊性を強調している.アリフ・ヒル. 政策から離れて行き,やがてマレーシアからの. (1995)は,共同市場構想が促したシンガポー. 分離・独立という事態を迎えたが,60 年代後. ルの輸入代替政策を短期間の緩やかな保護政策. 半シンガポールは前半に準備された産業インフ. と 特徴 づ け,65 年 の 分離・独立 が 輸入代替政. ラを含む投資環境の整備を背景に多国籍企業の. 策の合理性を奪い輸出促進に方針転換したが. 東南アジア地域での生産拠点構築の流れを他の. PAP 政府 は「緩 や か な 輸入代替」か ら「保護. 発展途上国に先行して捉え,これら企業の海外. よりも奨励に力点を置いた工業化戦略」を目指. 直接投資を積極的に誘致して新たな製造部門を. したと分析している.リンネマン(1987)はシ. 構築するに到るのである.. ンガポール経済の特殊性として伝統的で徹底し. Ⅰ.シンガポールの工業化政策に関する先行研 究. た自由貿易体制,最小限の制限と規制および海 外直接投資への高い依存性を指摘し,EDB が 工業化戦略の主要な執行機関として 67~68 年. シンガポールの工業化政策については多くの. に輸入代替から輸出促進へ政策転換したと述べ. 先行研究 が あ る が,1970 年以降 の 外国資本 の. ている.リム(1995)は,シンガポールの初期. 導入による急速な経済発展過程に関するものが. 開発政策は共同市場前提の輸入代替政策に重点. 多く 50~60 年代開発初期の時代に焦点を当て. が置かれたが分離・独立とともに輸出指向政策. たものは比較的少ない.. に転換したとする.上記の諸研究はヨシハラを. 松尾(1962, 73)は,世界銀行報告 に 従って. 除いていずれもウインセミウス報告の存在に触. 輸入代替工業化政策を取ったシンガポールは共. れていない.. 同市場を巡るマラヤ連邦との対立で工業化を阻. こ れ に 対 し チ ア(1984)は,報告書 を 60 年. 害され 65 年分離・独立を契機に輸出指向に転. 代シンガポール工業化のブループリントと評価. 換したと捉えているが,シンガポールが積極的. し て い る が 65 年分離・独立以降工業化戦略 が. な外資導入策により国際分業に深く組み込まれ. 輸出開発にシフトしたと捉えている.林(1990).

(3) 1960 年代シンガポールにおける工業化政策の形成過程について(坪井). (809) 135. は,マ ラ ヤ 連邦 との経済統合を前提に輸入代. 対するシンガポールの優位性として捉え,シン. 替型の工業を建設する構想を示した報告書の. ガポールの開発戦略の性格を国家主導型と外資. 提案内容が 61 年国家開発計画に盛り込まれた. 依存性と特徴付けている.. が,65 年 の 分離・独立 が 共同市場前提 の 輸入. 上記のようにこれらの先行研究の大部分は,. 代替工業化構想を突き崩したため PAP 政府に. 1960 年代シンガポールの工業化政策について. は外資に依存した輸出指向型工業化と経済の多. 輸入代替 か ら ス タート し 65 年分離・独立以降. 角化以外に選択肢はなかったとしている.ロダ. に輸入代替から輸出指向工業化政策への政策転. ン(1992)は,PAP 政府 が 61 年報告書 の 提案. 換がなされたと捉えている.また工業化政策が. を盛り込んだ国家開発計画を策定して開発計画. スタートした時期については,59 年 PAP 政権. への国家の介入を正当化し外国資本の誘致を促. 発足から 61 年報告書を経て国家開発計画に到. したとして報告書の重要性を評価したが,共同. る時期に政策の基礎が築かれたという意味でこ. 市場構想の挫折により輸入代替工業化計画の修. の時期を出発点とするのが一般的であるが,ヨ. 正を迫られた PAP 政府は徹底した輸出指向工. シハラおよびリンネマンは工業化戦略の実行機. 業化戦略 に 転換 し た と す る.竹下(1995)は,. 関 EDB が 設立 さ れ た 61 年 と し,渡辺 は 工業. 報告書の内容を盛り込んだ開発計画が 61 年に. 化開始を 65 年マレーシアからの分離・独立の. 開始されたが共同市場構想の行き詰まりで新た. 時期と捉え,岩崎は 60~65 年を工業化戦略の. な政策転換を迫られ 66 年(第 2 次)5 ヶ年計画. 第一段階とするが開発体制の成立時期は 65 年. でマレーシア時代の輸入代替型から輸出指向型. としている.この点について筆者は,シンガ. へ転換したと捉えている.田村(2000)は,61. ポール の 工業化 は 50 年代直轄植民地時代 か ら. 年 PAP 政府は報告書を踏襲した開発計画に基. 論じられ試みられてきたが工業化政策を実行す. づきマラヤ市場を後背地とする輸入代替工業化. る 明確 な 意思 を もった 政治的主体 が 確立 さ れ. と地場資本を補う外資導入を奨励し国家の制度. たという意味において 59 年 5 月選挙の結果完. 的・財政的介入による工業化の早期実現を目指. 全自治権 を 獲得 し た シ ン ガ ポール 自治政府 に. したとしている.一方シャイン(1996)は,調. PAP 政権が誕生した時期を工業化の出発点と. 査団が雇用の創出を緊急課題とする PAP 政権. するのが妥当ではないかと考えている.. の要望に応えて的確な分析と政策提案を行った. それぞれの文脈からウインセミウス報告に言. と報告書を高く評価し,65 年の分離・独立が. 及している諸研究は,報告書の諸提案が国家開. 輸入代替工業化の妥当性を奪い製造業の輸出指. 発計画に引き継がれ PAP 政府の工業化政策に. 向と外国資本導入への政策転換をもたらしたと. 大きな影響を与えたと高く評価しているが,報. している.平川(1996)は,報告書が海外市場. 告書がその策定過程も含めて PAP 政府の政策. 指向,EDB の設立,育成すべき産業の選定等. 形成にどのように係わりそしてどのような影響. を勧告して開発における政府の役割を重視した. を与えたのかという視点からの分析はなされて. 結果,61 年国家開発計画が生まれシンガポー. いない.また報告書が提言した工業化政策につ. ル政府による日本企業の誘致へとつながったと. いて,林,ロダン,竹下,田村,シャイン,岩. 述べているが,シャイン,平川には報告書から. 崎 の よ う に 報告書 は 輸入代替工業化政策 を 助. の引用も見られる.岩崎(2005)は,59~65 年. 言したとする見方が多い.しかし本稿で明らか. をシンガポール経済史過程の輸入代替期(報告. にするように報告書は輸入代替工業化政策の短. 書 に 基 づ く 輸入代替工業化戦略展開期),65~78. 期的・限定的効果を認めつつも積極的な外国直. 年を輸出志向期と位置づけ,外国資本の誘致活. 接投資誘致により世界市場で競争できる輸出製. 動で実績を上げた EDB の存在を周辺途上国に. 造業を育成しようという基本的な考えを骨格と.

(4) 136 (810). 横浜国際社会科学研究 第 12 巻第 6 号(2008年 2 月). しており,報告書は輸入代替工業化政策が常識. 地政府も 51~57 年開発計画を策定したが成果. だった 60 年代初期としては極めて先見的な輸. のないままに終った1).57 年マラヤ連邦が独. 出指向工業化政策を提案したと筆者は考えてい. 立するが,これに先立つ 54 年自治領マラヤ連. る.. 邦政府,シンガポール植民地政府およびイギリ. Ⅱ.人民行動党(PAP)政権 に よ る 工業化政 策の模索. ス政府の要請に基づき世界銀行はマラヤ開発調 査団を現地に派遣し,55 年 6 月マラヤの経済 開 発( The Economic Development of Malaya, 以. 1.PAP 政権発足前の工業化政策の流れ. 下 55 年世銀報告)と題する調査報告書を提出し. 東南アジア地域の中心に位置する都市国家と. た.55 年世銀報告はマラヤ連邦・シンガポー. して独自の発展を遂げ ASEAN 諸国の中で特. ルをマラヤとして一体に捉え,将来の経済成長. 異の存在感を示しているシンガポールが歴史. のためには産業の持続的発展によってゴム・ス. に登場するのは,イギリスによる海峡植民地. ズ等 1 次産品と中継貿易に依存する体制から脱. が編成される 19 世紀初頭からであった(白石,. 却しなければならないとして産業インフラの整. 2000: 19).シンガポールはイギリス海峡植民地. 備,技術の育成,産業融資制度の導入の必要性. の中核として,また東南アジアに進出した華僑. を指摘し,関税の有効活用によって輸入代替産. の情報・金融・労働移動のセンターとしてイギ. 業の育成を目指す輸入代替型工業化政策を提案. リスの植民地統治,自由貿易主義,および中国. した.次いでコロンボ計画からシンガポール. 系住民のネットワークに育まれた中継貿易港と. 自治政府産業顧問として派遣されたライル(F.. して発展してきたが,田村によれば 「英領マラ. J. Lyle)は 58 年 11 月産業開発計画(Industrial. ヤの表玄関として発展してきたため地場の製造. Development Programme,以下 ラ イ ル 報告)と. 業を発展させる試みはほとんど行われなかった」. 題する報告書を自治政府に提出し,共同市場の. (田村,2000: 34)のである.. 創設,保護関税 の 設定,産業優遇税制 の 導入,. 第 2 次大戦時日本 の 占領下 に あった シ ン ガ. 工業化政策の一本化等,マラヤ連邦との早急な. ポールは 1945 年大戦終結とともに再びイギリ. 経済統合を通じての工業化への道をシンガポー. ス の 支配下 に 入 り 直轄植民地 と なった が,48. ル自治政府に提案した.. 年自治領マラヤ連邦の発足を契機にシンガポー. この二つの報告書は,いずれも旧宗主国イギ. ルにおいても逐次自治権は拡大されていった.. リスあるいはイギリスが主導するコロンボ計画. 1950 年代東西間 の 冷戦下,自由主義諸国 と. を背景にこれまでのイギリスによるマラヤ植民. 社会主義陣営は発展途上国の開発政策をめぐり. 地統治の流れを継承するもので,マラヤ連邦と. 農業部門の改革,工業化に必要なインフラの整. シンガポールを「汎マラヤ経済」として一体に. 備,開発資金の援助等の提案を競って働きかけ. 捉えた上で工業化による経済発展の諸施策を提. た.50 年 1 月に開かれた英連邦外相会議(コロ. 案したが,現実には自治政府から独立したマラ. ンボ会議)では東南アジア諸国の政治的安定維. ヤ連邦政府と英領直轄植民地シンガポール自治. 持と生活水準向上のため経済開発の速度と規模. 政府という別個の政治的主体が存在し,とくに. を拡大するための国際協力が論議され,この協. 左右勢力の厳しい政治的対立の中で対英独立交. 力を推進する年次会議としてコロンボ計画協議. 渉に臨んでいた当時のシンガポール自治政府に. 委 員 会( Colombo Plan Consultative Committee). は汎マラヤを視野に入れた工業化政策を自ら指. が設置された.第 1 回協議委員会で英連邦諸国. 導する政治的意思と実行力に欠けていた.. 内の東南アジア諸国は 1951 年から 6 ヵ年に亘. 1947~57 年シンガポールの人口増加率は年. る開発計画の策定に合意し,シンガポール植民. 率 4.3% という世界的な高率で,50 年代半ばか.

(5) 1960 年代シンガポールにおける工業化政策の形成過程について(坪井). (811) 137. ら急速に増大する新規労働人口が中継貿易と英. め天然資源に恵まれかつ最大の貿易相手国たる. 駐留軍関連需要に依存する経済社会に大きな重. 隣国マラヤ連邦との共同市場を実現し保護関税. 圧となっていた.この中で誕生した PAP は 54. による輸入代替工業化政策を推進する,これが. 年の立党宣言において植民地経済体制を排しシ. PAP の基本方針であった4).. ンガポールを含むマラヤの長期的利益確保のた. 1950 年代後半 PAP 政権発足前 の 二 つ の 工業. めに反植民地主義を掲げ,①マラヤ連邦とシン. 化政策提案(55 年世銀報告と 58 年ライル報告)お. ガポールを統合する独立民主国家の憲法制定,. よび 59 年総選挙に臨んだ PAP5ヶ年計画は,シ. ②余剰労働力吸収のための工業化の促進,③経. ンガポールの工業化の方向とそこに到る道筋を. 済の多角化の推進,④富の不平等の軽減を謳っ. 示そうとしたが,二つの提案はシンガポールを. たが,その後幾多の党内抗争,政策論争を経て. 含む旧英領植民地マラヤを汎マラヤとして発展. 58 年 の 党大会声明 で 「独立・民主・非共産・. させようという考え方で,シンガポールの植民. 社会主義マラヤ」 という概念が始めて公式に表. 地支配からの脱却と新たな経済発展のためのマ. 明された2).創成期の PAP は植民地支配の終. ラヤ連邦との統合を掲げる PAP5ヶ年計画に大. 結 を 目指 す 戦後派中産階級(弁護士,ジャーナ. きな影響を及ぼした.55 年世銀報告はマラヤ連. リスト,教師,労組指導者等)のナショナリスト. 邦とシンガポール両自治政府の存在を前提にし. グループによって創設され党内では非共産主義. た上で汎マラヤの視点から統一的な産業政策の. 派と共産主義ないし容共派との主導権争いが展. 実現を目指すというスタンスであったが,宗主. 開されたが,両者を結びつけた絆は反植民地主. 国イギリスを含めた高次元の政治的決定を必要. 義と少なくとも社会主義的な考え方でありこの. とする提案が多くクリアすべきハードルの高さ. 過程で 「民主社会主義」 が党のブランドになっ. 故にほとんど実行されなかった.そしてそれぞ. ていった(Chan, H. C 1976: 9─10).. れの政府が独自に実行可能な産業開発のための. 1959 年 5 月 総 選 挙 に 臨 ん で 発 表 さ れ た. 公共投資支出計画 も 実行 に 移 さ れ な かった5).. PAP の 5 ヶ年政策目標(The task ahead,以下. ライル報告はライル自身,59 年総選挙による. PAP5ヶ年計画)には社会民主主義を標榜しつつ. 完全自治政府の発足まで長期的な産業政策の実. も現実的な政策に徹する当時の指導者の考え方. 行が不可能なことを十分認識していたが,いず. がにじみ出ている3).すなわちマラヤ連邦に参. れにしてもこの二つの報告はやがて政権を担う. 加して社会主義を実現するという長期的目標を. PAP の 5ヶ年計画 や 政権初期 の 工業化政策 に. 掲げながら当面の政策課題を増大する人口への. 大きな影響を与えるという歴史的役割を果たし. 雇用の創出と産業育成による経済の生き残りと. たのである.. いう極めて現実的な問題に定め,産業企業育成 のための経済開発庁(EDB)の設立,教育訓練. 2.PAP 政権の発足とその政策課題. による労働力の質的向上,特定産業育成のため. 1959 年 5 月立法議会選挙 に 圧勝 し 6 月完全. の限定的保護関税の設定等の工業化政策を打ち. 自治政府の政権の座に就いた PAP は,高い失. 出した.政策目標はさらに進出外国資本を歓迎. 業率と緊迫化する労働情勢,PAP 内部での左. し海外市場へのアクセスのための中継貿易ネッ. 右の激しい対立,マラヤ連邦との経済交渉の難. トワークを重視し自由港体制を堅持する等,後. 航,新政策と自由貿易の伝統との矛盾等厳しい. のシンガポールの発展に重要な意味を持つ考え. 環境の中での船出となった6).. 方も表明している.中継貿易の将来に不安があ. 当 時 香 港 の 経 済 専 門 誌 Far Eastern. る中,急増する労働人口にいかに雇用を創出し. Economic Review(以 下 FEER),マ ラ ヤ 大 学. て生き残っていくかが喫緊の課題でありこのた. の Malayan Economic Review, あるいはシンガ.

(6) 138 (812). 横浜国際社会科学研究 第 12 巻第 6 号(2008年 2 月). ポールの英字紙 The Straits Times(以下 TST). たが,伝統的な中継貿易の持つ強み(海外と. 等で PAP 政権の経済政策が盛んに論評・報道. の交易関係,周辺諸国からの容易な原料入手)を. さ れ,PAP の 社会主義的思想 と 自由貿易 や 私. 製造業の育成発展に活用する可能性に目を向. 企業の役割,マラヤ連邦との政治的統合と経済. け工業化の過程での中継貿易の補完的な役割. 的統合(共同市場 の 実現)の 優先順位,工業化. に期待した.. における政府の役割, 中継貿易の役割と将来性,. 5)発足当初 の PAP 政権 に とって 工業化 に お. 保護関税による輸入代替政策と自由貿易港のあ. ける市場問題の中心は近隣市場,とりわけマ. り方,工業化における外国資本の役割等の諸点. ラヤ連邦との共同市場であり周辺諸国市場を. が活発に論ぜられたが,発足当時の PAP 政権. 越えた世界市場の重要性はほとんど認識され. の経済政策,とりわけ工業化政策の内容は概ね. ていなかった.工業化政策における市場への. 下記の通りであった.. 関心はマラヤ共同市場に集中していた7).. 1)PAP は 58 年党大会 で 民主社会主義 を 打 ち. 6)PAP5 カ年計画はシンガポールの地場資本. 出 し た が リー(Lee Kuan Yew 後首相),ゴー. の蓄積を評価しつつ,進出外国資本の地場資. 博士(Goh, K. S 党経済顧問,後蔵相)は 早急 な. 本への補完的役割を認め進出外国企業への支. 社会主義的改革を否定し増大する人口を支え. 援・外国企業の利潤の本国送金の保障等の考. るための現実的な工業化政策の重要性を強調. えを明らかにしたが(PAP, 1959: 25),積極的. しシンガポールの自由貿易の伝統の上に国家. な海外直接投資誘致政策を打ち出すのは 61 年. の指導による私企業優先の産業社会を構築す. ウインセミウス報告に基づく EDB の設立以. る意図をにじませた(FEER, 16─1: 89).. 降のことである.. 2)PAP は結党以来,反植民地主義の立場から.   PAP 政権発足直前 59 年 5 月 マ ラ ヤ 大学 の. マラヤ連邦との統合による独立の達成を掲げ. リム博士は当時の政策論争を総括してシンガ. てきたが,59 年 5 ヶ年計画で新たにマラヤ共. ポールの工業化推進のためには組織的な現状. 同市場の創設を主張するようになった.PAP. 分析とそれに基づく体系的な政策形成が必要. は 「マ ラ ヤ 国家 は 歴史的必然性 で あ る が ゆ. であると訴えたが(FEER, 16─20: 708─709),博. えに最終的に実現されるに違いない」(PAP,. 士の言う 「組織的な調査に基づく政策立案」 は. 1959: 12)としながらも政治的統合と経済的統. やがて 60 年代初めのウインセミウス報告とそ. 合の優先順位は明確ではなかった.. れに続く EDB の設立を待たねばならなかった. 3)PAP5ヶ年計画 が 製造業 の 発展 こ そ 深刻化. のである.. する失業問題解決の道であると述べたように PAP 政府の経済政策の核心はシンガポールの 工業化にあった.同計画は製造業拡大のため. 3.マ ラヤ連邦との政治的統合とマラヤ共同市 場構想. のシンガポールの強みとして勤勉・有能な労. 1959 年 6 月に発足した PAP 政権は,党内主. 働力,地勢的優位,民間と公的部門の豊富な. 導権をめぐる左右勢力の激しい権力抗争による. 蓄積資本,近隣諸国の市場を挙げたが経済開. 騒然とした政治的・社会的雰囲気の中で発足し. 発庁(EDB)の 設立以外工業化 に 果 た す 政府. たが,内には増大する労働人口圧力の下で深刻. の役割に触れずこの時点では体系的な工業化. 化する高い失業率と劣悪な居住環境の改善とい. 政策を持っていなかった.. う焦眉の急務に注力しつつ,外には共同市場構. 4)PAP 政府は近隣諸国の自国産業育成と独自. 想実現のためマラヤ連邦との統合交渉に取り組. の貿易ルート開拓傾向を重視して中継貿易に. んだ8).. 代わる新たな製造業の育成を最優先課題とし. PAP 政府は共同市場構想実現のため直ちにマ.

(7) 1960 年代シンガポールにおける工業化政策の形成過程について(坪井). ラヤ連邦との統合交渉に動き出したが,連邦側 は統合にやや距離を置いた姿勢で対応した9).. (813) 139. Ⅲ.国連調査団による工業化計画提案(ウイン セミウス報告). PAP 政府はシンガポール港の共同管理を見返. 1.国連調査団による工業化調査. りにシンガポールで生産された製品への輸入税. 1950 年代から 60 年代,経済成長の機会を模. の撤廃を連邦政府に要望したが,連邦側の反応. 索していた当時の発展途上諸国では経済の実情. を冷たく 「関税は連邦の産業保護に必要である」. を調査し財政的・技術的支援を獲得するために. (FEER, 16─20: 713)と し て 輸入税 の 存続 を 主張. 国連や世界銀行の開発政策専門家を競って招い. した.かくて 10 百万人の人口,豊富なマラヤ. たが,すでに世界銀行は 55 年マラヤ(マラヤ. の天然資源,東南アジア地域の中心に位置する. 連邦およびシンガポール)について調査を行い最. シンガポールの優れた中継貿易港を統合して統. 善の策として製造部門を育成し輸入している製. 一的な共同市場を構築するという本来の共同市. 品を自製する輸入代替工業化政策を助言し,58. 場構想は,シンガポール側の自由貿易港維持の. 年にはシンガポール自治政府経済顧問ライルが. 願望とマラヤ連邦側の関税収入確保への固執の. 55 年世銀報告の延長線上でマラヤ連邦との経. ために早い段階で修正を余儀なくされ,60 年 6. 済的統合を通じての工業化への道をシンガポー. 月の両者間の関係閣僚会議では 「両地域のより. ル自治政府に提案した(本稿Ⅱ- 2).アジア諸. 密接な経済協力への第一段階として限定的な共. 国の工業化を論じた渡辺利夫が言うように11). 同 市 場( limited Common Market)」( TST, Jun11,. 「輸入代替工業化政策」は 当時 の 開発政策 の 主. 1960)が論議されたが交渉は進展しなかった.. 流であった.. 難航していた事態が急速に統合の方向に動き. 1960 年 PAP 政 府 は 国 連 ア ジ ア 極 東 委 員. 出したのは経済問題での交渉が進展したから. 会(ECAFE)と の 協議 に 基 づ き 国連技術援助. ではなく全て政治的な状況の変化によるもの. 局に対し早急な産業発展の可能性と方向を探. だった.リー・クアンユは回顧録で統合へのイ. る た め 工業化調査団 の 派遣 を 要請 し た.団長. ギリスの積極的な働きかけ,シンガポールへの. に指名されたウインセミウス博士(Dr. Albert. 共産主義勢力の浸透についてのマラヤ・シンガ. Winsemius,戦後オランダの産業復興計画に参画し. ポール両首脳の強い懸念が両国の話し合いの機. た産業エコノミスト)は当時 ECAFE(バンコッ. 運を醸成させた政治的な事情を示唆している. ク)に駐在した旧知のタン(Tan I. F)を誘い 8. が(リー,2000: 上 256),そこには共同市場の創. 名の実務専門家からなる調査団(工業用地,電気,. 設という経済的な合理性の追求が進展しないま. 金属機械,化学,造船等 の 分野)を 編成 し ,60. ま中国の無言の圧力,統合に対するインドネシ. 年 10~12 月,61 年 3~4 月二度 に 亘って シ ン. アの敵対的姿勢の中で政治的安定を求めるシン. ガポールに来訪,PAP 政府スタッフの協力の. ガポール指導者の苦悩がにじみ出ている.共同. 下急速に増大する労働人口と経済の中核たる貿. 市場構想の概念や実現時期,共通関税の設定,. 易部門の低迷で高い失業率と経済的困難に直面. 産業政策の統一的運用等経済問題での討議が進. したシンガポールの実情を現地調査,政策立案. 展しないまま 61 年 8 月の首脳会談で新国家マ. に注力し,60 年 12 月 1 次報告書,61 年 6 月正. レーシアにおけるシンガポールの地位が大筋で. 式報告書(工業化計画提案,ウインセミウス報告). 10). 12). 合意され 63 年 8 月の統合という政治的スケ. によってシンガポールに適した産業の選定と工. デュールが確認された.. 業化に必要な投資を確保するための方策につい て具体的な提案を行った. ウインセミウス報告は調査団が PAP 政府の ために作成したものであるが,PAP 政府はい.

(8) 140 (814). 横浜国際社会科学研究 第 12 巻第 6 号(2008年 2 月). まだにこの文書を公開していない.しかし 63. 役割を強調して技術者・熟練労働者の持続的供. 年国連技術援助局が他の政府や開発関係者の要. 給のための教育・訓練の拡充,製造現場での生. 請に応じてニューヨークで関係者に配布したオ. 産性向上策,安定した労使関係構築のための具. リジナルテキストの限定コピーによってその. 体策等を助言した.さらに 10 年間の工業化計. 内容に触れることができる.多くの先行研究が. 画の所要資金を約 8 億 M ドル(2.6 億 US ドル). 報告書の存在に触れているが内容に立ち入った. と見積もりこれが調達のための外資導入や産業. 文献は少ないので次節で報告書の要点を紹介す. 開発銀行の設立による資金供給等具体的な手順. る.. を提示し,最後に 「政府は工業化の促進と工業 化風土の創造に専心すべきで政府の直接関与は. 2.工業化計画提案(ウインセミウス報告)の 概要. 可能な限り特定の基礎産業に限定すべきである」 と述べて工業化の主役は内外の民間企業である. ウインセミウス報告は,序論,工業化政策,. ことを強調した(報告書 , Ⅱ工業化政策).. 組織,特定の産業,緊急プログラム提案,技術. 報告書の最も重要な提案は,工業化政策を立. 支援,最終評価の 7 部で構成され,中継貿易と. 案・実行 す る 機関 と し て ①製造業 へ の 資金供. 英駐留軍関連需要に依存するシンガポールに新. 給,②製造業の買収・誘致を含む投資の奨励,. たな産業風土をもたらし向う 10 年(61~70 年). ③工業用地・用役等産業インフラの整備,④製. を視野に国際競争力ある製造部門を育成して完. 造業への技術支援サーヴィスを主たる任務とす. 全雇用を実現するための総合的な政策とその手. る経済開発庁(EDB)を設立して内外からの投. 順を詳細に提示した.. 資意欲を具現化するために速やかに活動を開始. 報告書 は PAP 政権発足時 の 政治的不安,マ. するよう勧告したことである.とりわけ海外企. ラヤ連邦の産業政策との競合の懸念,インドネ. 業の誘致活動を EDB の最も重要な業務の一つ. シア市場の不安定性,不穏な労使関係,信頼性. として海外関係業界にシンガポールに立地する. の低い投資環境等シンガポールの現状を厳しく. 優位性を広報し個別企業を誘致するノウハウを. 捉え,製造業育成のためには①内外市場を拡大. 詳細に提示したが,海外資本による直接投資の. する積極的な通商政策,②平和な労使関係を保. 積極的な導入を柱とするシンガポールの工業化. 障する将来に向けた政策,③外国資本を誘致し. 政策の原点として注目すべき点である(報告書 ,. 国内資本を刺激する効率的な投資促進策の必要. Ⅲ組織).産業部門については,初期には雇用. 性を強調し,さらに失業問題の解決を最優先課. 創出のため労働集約的小規模産業を発展させ,. 題として 60 年の就業可能者 50 万人,実質失業. 中長期的に世界市場で競争可能な輸出産業を育. 者 4 万人を前提に 10 年間に創出すべき雇用を. 成し産業全体として高い生産性を実現すること. 21 万人(う ち 製造業 で 8 万人)と 具体的 な 目標. を前提に,シンガポールが注力すべき四つの産. を掲げ,緊急対策で対応しつつ長期的な産業開. 業分野(造船・船舶修理,金属・機械,電気設備・. 発計画を促進する組織的な努力の必要性を訴え. 製品,化学工業)を 選定 し た (報告書,Ⅳ特定. た(報告書 , Ⅰ序論).. の産業).. 次いで報告書はシンガポール市場の特殊性. さらに報告書は長期的産業開発計画に先行し. (伝統的な開放性と輸入品指向),近隣諸国市場の. て当面の失業救済のための短期緊急対策で 2 万. 制約(マラヤ連邦との産業政策の競合,インドネ. 人の雇用を創出する具体策を助言し(報告書 ,. シアの敵対政策)等冷静な市場分析結果を踏ま. Ⅴ緊急プログラム提案),海外からの専門的人材. えて工業化計画成否の鍵を海外市場への集中的. の導入も含めた海外の技術的支援を最大限に. な輸出努力 に 求 め,輸出振興における政府の. 活用する方策を提示した(報告書 , Ⅵ技術支援).. 13).

(9) 1960 年代シンガポールにおける工業化政策の形成過程について(坪井). 最後に報告書は,港湾活動・中継貿易・加工産. (815) 141. 提案を期待した PAP 政府に応えた). 業・小規模企業等シンガポールの伝統的分野に. 2)マラヤ共同市場構想に依存せず先進国市場. 期待する安易な楽観論を諫め,「シンガポール. の可能性を期待し , シンガポールに自立への. の製造業と労働者は世界市場での競争に直面し. 道を探るように迫った.(シンガポールの市場. ているので世界の顧客が要望する品質と価格で. 規模を前提に工業化の鍵を集中的な海外市場の開. 競争しなければならない…輸出に依存しなけれ. 拓 に 求 め た が 近隣諸国市場 の 可能性 に 疑問 を 呈. ばならない小国の労働時間と賃金待遇を決める. し,先進諸国市場での競争に耐える覚悟を迫った). のは政府でも労組でもなく海外の顧客である」. 3)政府の役割を工業化風土の育成と位置づけ,. (UN Report, 1963: 199─200)と輸出市場で生き残. 工業化の主体を民間企業に求めた.(工業化推. れる製造業の急速な拡大のため政府・労組の協. 進専門機関 EDB の組織・機能を提案することに. 調関係の重要性を説いた(報告書 , Ⅶ最終評価).. より開発計画への国家の介入を正当化した15)). 報告書 の 付属資料Ⅵ工業用地開発計画 は PAP. 4)港湾活動・中継貿易等伝統的部門 の 成長 に. 政府がすでに着手していたジュロン地域の開発. 期待せず,国際競争力を持った新たな製造部. 構想を容認し開発推進のため新設する EDB に. 門 の 育成 を 重視 し た.(船舶,金属・機械,電. 工業施設部を設置するよう提案した.. 気機器,化学の 4 分野に絞り込んだ新たな製造部 門の育成方向を明示した). 3.工業化計画提案(ウインセミウス報告)の 意義. 5)共同市場を前提に輸入代替産業の育成によ る 工業化 を 目指 す PAP 政府 に 対 し,特定 の. 初 め て の 完全自治政府 の 政権 を 獲得 し た. 幼稚産業 の 限定的保護 の 必要性 を 認 め つ つ,. PAP 政府が急増する労働人口に雇用を創出す. 輸出指向工業化政策を提案した.(PAP 政府に. るために工業化の必要性を深く認識し,自ら. 輸出市場向け製造業の育成を目指した工業化計画. ECAFE との協議に基づいて国連調査団の派遣. の推進と輸出支援策を提案した). を要請し,来訪した調査団の実地調査・政策立. 6)シンガポールに海外直接投資を積極的に呼. 案に組織的に協力し関与したという経緯からみ. び込む政策を助言し多国籍企業の生産拠点を. て,ウインセミウス報告は政府の受け止め方や. 誘致する具体的なノウハウを提示した.(報告. 政策の実効性において 55 年世銀報告や 58 年ラ. 書は多国籍企業の直接投資の積極的誘致を柱とす. イル報告とは根本的に異なる政策提案であっ. るシンガポールの工業化政策の原点であった). た.政権発足後 1 年余,PAP 政府 が マ ラ ヤ 連. 報告書に言及した先行研究も上記 6 項目のう. 邦との統合による共同市場構想を掲げて工業化. ち⑴実践的な政策提案,⑶政府の役割の明示,. 政策を模索していたこの時期に出された報告書. ⑷特定製造業部門の育成,⑹海外直接投資の誘. は,共同市場を前提とせず従って輸入代替工業. 致の諸点については評価しているが,共同市場. 化政策に固執しない点で世銀・ライル両報告の. の実現という発足当初の PAP 政権の経済政策. 延長線上にあった PAP5ヶ年計画のパラダイム. の枠組みと幼稚産業の保護による輸入代替が一. をも大きく超える異質の提言であり,下記の諸. 般的であった当時の開発政策の流れの中で報告. 点で 60 年代シンガポールにおける工業化政策. 書がシンガポールに輸入代替工業化政策を提案. に決定的な影響を与えた極めて重要な報告書で. したと捉えている.しかし報告書は実証的な市. あった.. 場分析を踏まえマラヤ・インドネシア等近隣諸. 1)イデオロギー的主義主張を排し実地調査に. 国市場に多くを期待できないという現状認識か. 基づく実践的な政策・手順を提案した14).(工. ら出発しシンガポールの生存と自立の可能性を. 業化による雇用創出を最優先課題として現実的な. 先進国市場に求めたが,その文脈から導き出さ.

(10) 142 (816). 横浜国際社会科学研究 第 12 巻第 6 号(2008年 2 月). れる工業化政策は輸入代替ではなく輸出指向で. の言う 「最大限に加速した経済拡大計画」(UN. あったのは当然の帰結である16).. Report, 1963: 10)で初の公式経済計画として 60. Ⅳ.PAP 政府による工業化計画提案の遂行 1.国家開発計画の策定と経済開発庁 (EDB) の 発足. 年代の経済発展の方向を示すものであったが, 内外の第三者からは極めて野心的で且つ厳しい 挑戦と受け止められた18). 報告書で提案され PAP 政府がフォローした. ウインセミウス報告を受取った PAP 政府は. 諸政策 の 中 で 最 も 重要 な の が EDB の 設立 で. 1961 年 7 月 61~64 年国家開発計画(The State. あった. EDB は 61 年 5 月政府法令により報告. of SingaporeDevelopment Plan 1961~64, 以 下 61. 書で吟味された通りの組織・機能で発足し極め. 年開発計画 ) を策定・公表したが,これまで 61. て広範な権限が付与された.62 年 EDB 年次報. 年開発計画は報告書を踏襲したものとみなされ. 告は工業化過程における政府の役割を 「好まし. 17). てきた .しかし報告書を詳細に読むと開発計. い投資環境と基礎的なインフラストラクチャの. 画の諸施策は来訪した国連調査団に多くの政. 創造」 であると位置づけ,「シンガポールの産業. 府スタッフが参加・協力する過程で形成された. はまず国内市場で輸入品を追いさらに国際市場. 部分が多く,その意味で筆者は報告書と開発計. で競争しなければならない」(EDB, 1962: 2─3)と. 画は一体をなすものと捉えるべきであろうと考. 輸出指向を掲げ EDB が育成しようとする産業. えている.61 年開発計画はシンガポールを世. 12 業種を明らかにしたが,これは報告書が絞. 界経済や周辺諸国の政治情勢に左右される商業. り込んだ業種そのものであった.EDB はまさ. センターから製造業が重きをなす経済への転換. に 報告書 が 提案 し た 工業化政策 の 実行機関 で. 期(MOF, 1961: 58)と捉え円滑で効率的な移行. あった.. を図るためには従来のような完全な自由放任主. 報告書がシンガポール最初の工業用地計画と. 義経済はありえないと政府の役割の重要性を説. して認めたジュロン工業地域計画は EDB の工. き,① 4 年間 に 8.7 億 M ド ル(2.8 億 US ド ル). 業施設局 に よって 推進 さ れ た が,61 年開発計. の公共開発資本支出計画,②資金・組織・業務. 画ではこの地域に鉄鋼・アルミ・造船・石油精. 内容とも報告書通りの EDB の設立,③期間中. 製・製材・セメント・繊維等の産業を建設する. の完全雇用達成に必要な 8 万人に対し 7 万人の. 企画が盛り込まれ後に開発専門家からも高い評. 雇用創出計画,④工業化推進のためのジュロン. 価を得ている(ECAFE, 1966: 249─250).工業用. 工業地域の開発,⑤ 4 年間に 4 万戸の新規住宅. 地の造成計画から発して 5~10 年のスパンで内. 建設計画等の重要政策を打ち出した.. 外企業を誘致し目的とする産業クラスターを計. PAP は す で に 5ヶ年計画 で 工業化政策専門. 画的に創り上げていく手法は,後に 68 年 EDB. 機関としての EDB の設立,在外地場資本の還. から用地開発業務を移管されて設立されたジュ. 流による製造業への資金投入,進出外資の優遇. ロンタウン・コーポレーション(JTC)に引き. 等いくつかの注目すべき政策を打ち出していた. 継がれていった.. が,共同市場の創設と自由貿易港体制との政策 面の矛盾を抱えて体系的な工業化政策にまで煮 詰められない状態にあった.PAP 政府のこの. 2.マ レーシアへの参加そして分離・独立と共 同市場構想の崩壊. 政策的な閉塞感を打破し工業化政策で政府のな. マレーシア発足を前に経済問題の合意が得ら. すべきことを明確に示したのが報告書であり,. れない 1963 年初め,マラヤ連邦・シンガポー. そ の 提案 を PAP 政府 の 政策 と し て 公表 し た. ル 両政府 は 世界銀行 に ①共同市場,関税・通. のが 61 年開発計画であった.本計画は報告書. 商政策,工業化政策等より密接な経済統合の問.

(11) 1960 年代シンガポールにおける工業化政策の形成過程について(坪井). (817) 143. 題点 と フィージ ビ リ ティーの 調査,②地域 の. 人種的な諸問題が複雑に絡み合ってシンガポー. 最大利益実現のための経済政策についての助. ルは参加後僅か 2 年にも満たない 65 年 8 月マ. 言,③産業開発を含む総合的・統一的な開発計. レーシアから分離され独立の道を歩むがここで. 画についての助言を求めて調査団の派遣を要請. は経済的問題に絞って争点を明らかにする.. した.フランスの経済学者リュエフ(J, Rueff). 1)共同市場構想の概念. を団長 と す る 調査団は 3 ヶ月の現地調査を経.  1960 年以降両政府 の 関係閣僚会議 を 中心 に. て 63 年 7 月マレーシアの経済動向(Report on. 「限定的な共同市場」創設の可能性が議論され. Economic Aspects of Malaysia)と題する報告書. てきたが,63 年時点で PAP 政府が描いていた. (以下 63 年世銀報告)を 提出 し た が,同報告 は. 共同市場構想は 「シンガポールとマラヤ連邦は. 統合国家マレーシアと共同市場の創設が地域の. 域内(シンガポールまたは連邦)で製造される商. 経済の多様化と成長を促進するとの立場からマ. 品への課税を相互に撤廃し,域外からの当該製. レーシアとして最大効果をもたらす経済政策を. 品輸入に対しは共通保護関税を課し,他方両地. 探り,関税政策の運用により共同市場と中継貿. 域で製造していない商品および中継貿易にとっ. 易を両立させ,工業化政策を含む両者の産業政. て重要な加工用原料や半製品の輸入には課税し. 策を統一的に推進するよう提案した.. ない方式で中継貿易を維持し,東南アジアの. 63 年世銀報告はマラヤ・シンガポールを一. 貿易センター,シンガポールの強みを損なわな. 体に捉えた汎マラヤ経済を基盤に輸入代替工業. いような共同市場を目指している」(Goh, 1963). 化政策によって国内産業を育成して経済発展を. というゴー蔵相の立法議会への説明に示されて. 図ろうという 55 年世銀報告の延長線上にあっ. い る.共同市場構想 は 政権獲得前 か ら の PAP. たが,とくに保護関税の適正な運用(中継貿易. の経済政策の基本でありマレーシアへの参加も. への特別の配慮と保護関税に公正な運用が強調さ. この構想を実現するためであったが,PAP 政. れた)と統一的な産業政策推進のための組織・. 府は政権発足以来マレーシアへの参加そして分. 制度の重要性を指摘したところに特徴があっ. 離に到る最後まで共同市場について共通の概念. た.ここで提案された工業化政策は 「市場メカ. を共有することができなかった.それはシンガ. ニズムを重視しつつ政府の積極的な役割に期待. ポールの一方的な思い込みに過ぎなかったと. しなおかつマレーシア各地域の均衡発展にも目. いっても過言ではないだろう.. 配りした」(IBRD, 1963: 37─39)考え方を基本的. 2)統一関税の設定. な枠組みとし一貫した経済合理性を持ってい. 63 年世銀報告 は 共同市場 と 中継貿易 の 両立. たが,統合によって誕生するマレーシアが単一. のために国内産業保護を目的とする「輸入関税」. 国家として機能しマレーシア全体の利益の実現. と税収を目的とする「非保護関税」の組み合わ. に向けて行動する限り 63 年世銀報告は誠に正. せによる 「調和のとれた関税」 が重要であると. 鵠を射たものであった.問題はそのように統一. 助言し(IBRD, 1963: 15),シンガポールもこれ. 的な政策を推進するマレーシア政府が組織され. に先立つ 62 年 7 月関税諮問委員会を設けて統. るかどうかにかかっていた. この間両政府は. 合後の関税政策の調和に備えて公正な保護関税. 61 年 9 月の基本合意に基づいて交渉を進め難. を設定する作業を始めていた.統合後クアラル. 航の末,63 年 7 月に統合への最終的合意がな. ンプールに設置された関税諮問会議はマラヤ連. され 63 年 9 月ボルネオ地域のサバ・サラワク. 邦で課せられていた保護関税のシンガポールへ. 両州とともにシンガポールがマラヤ連邦に参加. の適用の是非を調整しマレーシア域内の共通関. する形でマレーシアが発足した.統合後もマラ. 税を設定する作業に入ったが作業は難航し合意. ヤ・シンガポール両地域間の政治的・経済的・. に到らなかった..

(12) 144 (818). 横浜国際社会科学研究 第 12 巻第 6 号(2008年 2 月). 3)創始産業問題. 立を連邦政府に働きかけるよう提案しているが. 1958 年マラヤ連邦政府は創始産業法を制定. (UN Report, 1963: 27─30) ,61 年初めの時点でそ. し海外民間資本の進出に対し特恵的な待遇を与. の後の両者の対立を見通すかのように連邦との. えたが,シンガポール自治政府も 59 年 2 月工. 早期の話し合いの必要性を指摘しているのは報. 業化に必要とみなされた産業を創始産業と認定. 告書の洞察力を示すものといえよう.. して法人税免除等の優遇措置を講ずる創始産業. 1965 年 8 月 9 日 マ レーシ ア 中央議会 は シ ン. 法を制定した.PAP 政府は 59 年から 63 年の. ガ ポール 分離・独立協定法案 を 可決,シ ン ガ. 統合までに 77 業種,113 企業,252 製品に創始. ポールのマレーシア時代は僅か 1 年 11 ヶ月で. 産業 の 地位(pioneer-status, 操業開始 か ら 5 年間. 終了した.これによりシンガポールは政治的. の法人税免除)を与えたが,造船・製鉄・セメ. に は 59 年 PAP が 完全自治政府 の 政権 の 座 に. ント・石油精製・繊維・基礎化学品・砂糖・化. つき統合による共同市場の実現に向けて交渉を. 学肥料・合板・タ イ ヤ・金属加工・電線・TV. 始めた振り出しの状態に戻ったが,経済的には. アンテナ,各種軽工業等産業社会を代表する広. ウインセミウス報告,61 年開発計画,EDB の. 範 な 業種 を 網羅 し て い た(EDB, 1963: 11─12).. 設立,創始産業の育成強化,大規模工業地域の. 統合に伴い創始産業の認定業務を手中にした連. 開発等を経て独自の工業化に向けた制度・組織. 邦政府はシンガポールでの創始産業による投資. が整備され内外資本による投資環境が準備され. の増大を懸念して認定手続きを滞らせたが,64. 60 年代後半の経済的飛躍への潜在力を蓄えつつ. 年シンガポールは独自の認定を行う道を開いて. あった.しかし 「まさに突然われわれは独立国. 対抗し創始産業問題は連邦・シンガポール州政. 家になった…われわれが継承した島には何の後. 府間の大きな政治問題に発展した19).. 背地もなかった…独立直後の海外の新聞論調は. 64 年 EDB 年次報告 は 「遺憾 な が ら 合理的・. どれも惨憺たる内容で気が滅入るほどだった」. 現実的・非党派的手法で解決すべき政策課題,. (リー,2000: 下 2)とのリー・クアンユの述懐に. すなわち共同市場の手続き,域内貿易の拡大,. 当時のシンガポールの政治的・経済的孤立の厳. 新産業立地決定基準 の 明確化,健全 な 財政・. しさが伺え,その潜在力は当時のシンガポール. 租税政策 の 確立 に 見 る べ き 進展 は な かった」. の指導者にも十分認識されていなかったのであ. (EDB, 1964: 1)と述べてマレーシア発足後,共. る.. 同市場構想が進展しないことへのシンガポール 側の焦燥感を窺わせている.ロダンや田村は両 者の隔たりの大きさを当時のマラヤ連邦が長期. 3.積極的な海外直接投資の導入による工業化 政策の展開. 的な経済政策を持っていなかったことにあると. 65 年 EDB 年次報告は 「65 年 8 月の突然の事. 指摘している20).ここで想起されるのは 61 年. 態は経済界にシンガポールの将来性についての. ウインセミウス報告におけるマラヤ連邦政府の. 懸念を生んだが,現実の経済にはマイナスの影. 産業政策の認識とそれに基づく PAP 政府への. 響や混乱はみられなかった…幸い世界との貿易. 提案である.すなわち報告書はマラヤ連邦が創. 関係と東南アジアにおける貿易・金融センター. 始産業への優遇税制等シンガポールと同様の産. としての経験がシンガポールの経済内部に環境. 業育成策によって域外産業を誘致しシンガポー. 変化への弾力的な対応力を組み込んでくれた.. ルと競合しつつある実情を懸念し,シンガポー. この 5 年間に産業の基盤は拡大し工業化計画の. ル政府にマラヤ連邦政府とのより密接な協力関. 成功への連鎖的な動きが進んでいる…分離以降. 係を構築するよう助言し,さらにマラヤ既存の. EDB の投資促進活動は国際市場に通じかつ急. 産業開発銀行を包含する汎マラヤ投資会社の設. 速な成長の可能性ある輸出指向産業への投資に.

(13) 1960 年代シンガポールにおける工業化政策の形成過程について(坪井). (819) 145. 重点を置くことになった」(EDB, 1965: 1─4, 7─8,. 20.7% に増え,国内粗資本形成は 9.2 倍にその. 18)とこれまでの工業化進展を評価し輸出指. GDP 比は 9.5 から 32.5% に上昇したが,これら. 向政策 へ の 方向 を 示唆 し た.次 い で 66 年年. の数字は製造業への投資が経済成長を主導した. 次報告は 61~65 年の経済成果に自信を示し,. 経過を物語っている.60 年代前半のインドネ. 「計画された経済発展を達成するためには政府. シアの対決政策,マレーシア統合・共同市場構. の前向きな開発展望が欠かせない.それが外国. 想の失敗はシンガポールの成長にとって大きな. 投資家の信頼を生み経済計画への彼らの積極的. 撹乱要因となったが,この間シンガポールは報. 参加を促す」(EDB, 1966: 4, 11)と積極的な外国. 告書に沿って国家開発計画を策定し諸提案を忠. 資本誘致の必要性とそのための政府の指導力. 実に実行して潜在成長力を引き出し,65 年以. の重要性を強調した.分離後のシンガポールの. 降はマレーシア中央政府との論争や交渉からも. 将来性について内外に悲観的な論評が支配的で. 解放 さ れ,60 年代後半 の 工業化 と 経済発展 を. あったが,65~66 年シンガポールが収めた経. 加速させることに成功したといえよう.. 済実績はこれら悲観論を跳ね返すに足る水準で あった. PAP 政府 は 66 年「自助努力 に よ る 持続的 な成長を達成するため資本形成対 GDP 比を 64 年の 15% から 20% に引き上げる」という新た. Ⅴ.1960 年代シンガポールの工業化政策につ いての若干の考察 1.1960 年代 PAP 政権 に よ る 工業化政策推進 の背景. な 目標 を 掲 げ た 第 2 次 5 カ 年(66 ~ 70 年)計. 発足間 も な い PAP 政府 が 1960 年自 ら 招聘. 画 を 策定 し た が(TST, Dec10, 1965),そ の 後明. した国連工業化調査団が 61 年に提出した工業. ら か に さ れ た 71 年末 ま で の 英駐留軍 の 全面. 化計画提案 を 忠実 に フォローし 実行 に 移 し て. 撤退が経済に与える打撃が懸念される事態に. いった背景にある 60 年代の政治的,経済的お. なった の で 67 年 経 済 拡 大 奨 励 法( Economic. よび社会的要因を考察すれば次の 5 点に集約さ. Expansion Incentive Bill)を 制定 し こ れ ま で の. れよう.. 輸出奨励策 の 更 な る 徹底 を 図った.67 年年次. 1)PAP 政権内部および党内における英語派華. 報告は 「国際市場での投資誘致競争の激化に備. 人実務グループによる実権掌握. えてシンガポールは世界の投資を惹きつける最. PAP は 結党以来,幾多 の 政策論争 や 党内抗. も強力な磁石でなければならない」(EDB, 1967:. 争 を 経 て 59 年選挙 で 「独立・民主・非共産・. 21)と改めて外国企業誘致の重要性を強調した.. 社会主義マラヤ」 の理念を掲げて政権の座に就. ウインセミウス報告が EDB の最も重要な業務. いたが,この時点で西欧風・英語派・非共産・. としたのが海外企業の誘致活動であったが,60. 民主社会主義勢力が行政府を担い華語派・共産. 年代後半 EDB は 世界的 な 半導体製造大手,ア. 主義ないし容共左翼勢力が党組織を掌握してい. メリカの多国籍企業,さらに 66~67 年中国文. た.61 年 8 月マラヤ連邦との統合形態につい. 化大革命を機に香港資本および香港進出の多国. ての意見の相違から左派系グループは党を割っ. 籍企業をシンガポールに呼び込むなどこの分野. て社会主義戦線を結成し,以後英語派が党をも. で大きな成果を挙げた21).ウインセミウス報告. 支配するに到った.ウインセミウス報告が提出. がシンガポールの工業化政策に与えた影響の大. されたとほぼ同時期に実務的な英語派が党内外. きさを示すものといえよう.. で政治的主導権を掌握したことは報告書の実践. 政府統計 に よ れ ば 60~70 年,実質 GDP は. 的な諸提案を実行に移す重要な条件が整えられ. 年 率 平 均 9.4% 成 長 で 2.4 倍 に, 製 造 業 GDP. たことを意味した.英語派グループは 61 年党. (市場価格)も 4.7 倍,GDP 比率 は 11.9% か ら. の分裂,63 年マレーシアへの参加,65 年分離・.

(14) 横浜国際社会科学研究 第 12 巻第 6 号(2008年 2 月). 146 (820). 独立という重要な政治的場面を乗り切って工業. をひとまず支持した経済界の主流,双方にとっ. 化政策を推進していったのである22).. て政府の役割を「工業化風土の醸成」とし工業. 2)PAP 政権による既存の官僚制の活用. 化の主役を市場経済における内外私企業の自由. PAP 政権の指導層は自らの統治の正当性を. な活動に求めたウインセミウス報告はきわめて. 補強し経済開発における効率性を示すために. 受け入れ易い提言であった.報告書が PAP 政. 官僚の協力を得ることを重視し,英国植民地. 府と経済界の協調の触媒的役割を果したという. 統治時代から培われてきた人的インフラスト. 意味で報告書は博士が目指した 「中立的」 な立. ラクチャたる官僚制度をフルに活用した.英. 場を超えて自由主義陣営よりであり,市場経済. 語教育 を 受 け た 中産階級出身という社会的背. 主義的な政策提言であったといえよう.. 景を共有した PAP 指導層と官僚に基本的な利. 5)PAP 政府による労働組合の組織化と労使紛. 害対立 は な く,報告書の作成段階から参画し. 争の沈静化. ていた PAP 政権下の官僚にとって報告書が提. PAP 政権発足時のシンガポールでは左右勢. 案した工業化政策は受け入れ易かった.政権. 力の対立が激化し左派に指導された労使紛争が. 発足と同時に PAP 政府と官僚の融合が始まる. 頻発する社会的混乱期にあった26).報告書も労. 23). のである .. 使紛争の沈静化と平和的な労使関係の構築に政. 3)健全な財政収支に基づく幅の広い政策選択. 府の指導力を期待して多くの提案を行ったが,. 1950 年代植民地政府時代 か ら シ ン ガ ポール. 61 年党内左派勢力の離脱後 PAP 政権は不穏な. の財政収支は中継貿易経済を基盤にした安定し. 労使関係 が 内外投資家 の 不安 を 呼 び 工業化 を. た租税・関税・港湾関連収入に恵まれてきわめ. 阻害することを憂慮して左派勢力の基盤であっ. て健全な状態にあり,PAP 政府にとってウイ. た労働組合を政府主導の下に再編成する方向に. ンセミウス報告の提案する開発支出(EDB へ. 走った.この路線は報告書が期待した 「政府の. の出資,工業用地等の産業インフラへの公共投資. 指導力」 をはるかに超えるものであったが,結. 24). 支出)に財政上の制約はなかった .伝統的に. 果として 60 年代労使紛争の急速な沈静化をも. 健全な国家財政基盤の上に 50 年代には欠けて. たらし投資環境の醸成に寄与した.. いた体系的な開発政策とその政策を遂行しよう とする政権の強い意思が準備されることにより 60 年代シンガポールの本格的な工業化政策は. 2.1960 年代シンガポールの工業化政策の成功 要因. 展開されたのである.. シンガポールの経済政策を分析したリム(C. Y). 4)シ ン ガ ポール 経済界 の PAP 政権 へ の 消極. は,1960~70 年代シンガポールが他の発展途上. 的な支持. 国に先駆けて多国籍企業の誘致による輸出指向. 民主社会主義を標榜した PAP の社会主義的. 工業化政策に成功を収めた要因として①有利な. 理念は 59~60 年当時シンガポール経済界に経. 初期条件,②競争力ある生産要素,③恵まれた. 済政策についての不安をもたらしたが,PAP. 国際環境,④戦略的な経済政策の四つを挙げて. 首脳は当面の経済政策について中継貿易を中心. いるが(リム,1995, 上 25─32),60 年代初めにリ. に蓄積された民間資本や人的資源を極力活用し. ムのいう戦略的経済政策を提案したのがウイン. 経済界の協力の下に政策を展開する姿勢を明ら. セミウス報告であった.ここで本稿が辿った 50. かにし,私企業活動への介入を懸念する経済界. 年代末 か ら 60 年代 の 国家建設時代,PAP 政府. 25). の不安の払拭に努めた .PAP 政権の行政部. の工業化政策が 60 年代後半以降の目覚しい高度. 門を担った現実主義的な英語派華人と PAP の. 成長をもたらしたという意味での成功要因を挙. 社会主義的思想を警戒しつつその現実的な姿勢. げれば次の 5 点になろう..

(15) 1960 年代シンガポールにおける工業化政策の形成過程について(坪井). 1)PAP 政権首脳のイデオロギーを排した実践 的な政策運営. (821) 147. 準を維持し続けている.シンガポールの製造業 は海外資本主導によって発展したといっても過. PAP 政権を主導した英語派華人グループは,. 言ではないが,このような構造は 60 年代初め. 増大する人口への雇用の確保という目前の経済. のウインセミウス報告から生み出されたのであ. 問題の解決を最優先課題としてウインセミウス. る.. 報告の提案に従い海外直接投資の導入による製. 5)シ ンガポールを取り巻く国際的な政治・経. 造業の育成を工業化政策の中核に据え進出企業. 済環境の好転. のために 「良好な投資環境」 を準備することに. 60 年代 は 第 2 次大戦後 の 世界的 な 自由貿易. 専念したが,この点は外資による経済支配を. の拡大と東南アジア諸国の経済成長への離陸期. 嫌って外資の直接投資より借款を選好した当時. に恵まれたが加えてベトナム戦争特需,中国文. の発展途上国と対照的であった.. 化大革命による香港からの資本移動などこの時. 2)ウ インセミウス報告による共同市場に依存. 期の国際環境は海外直接投資の導入による輸出. しない自立への道の提案. 指向工業化を目指したシンガポールに有利に働. 報告書は PAP 政府の経済政策の最重要課題. いた.しかし 60 年代のシンガポールにとって. ながらマラヤ連邦との利害対立で実現困難な共. 最も重要な国際経済の動向は多国籍企業による. 同市場構想に捉われず,周辺市場に依存せず世. 東南アジアへの海外生産拠点構築の動きであっ. 界市場への輸出国として生き残る自立への道を. た.報告書 の 助言 に 従って 60 年代前半海外直. あえて模索し具体策を提示したという意味でき. 接投資の受け入れ態勢を整えたシンガポールは. わめてユニークで大胆な提案であった.分離・. 他の発展途上国に先行して自ら直接多国籍企業. 独立による共同市場構想の崩壊は報告書の目指. に働きかけて誘致導入に成果を挙げた.. す方向,輸出指向にしか生存の道のないことを. このように見てくると 60 年代初期にマラヤ. 明確に示したのである.. 共同市場の実現性に疑問を呈し輸入代替工業化. 3)強力な 「開発専門機関」 としての EDB の機. 政策全盛時代に国際経済の動きを先取りして積. 能. 極的な海外直接投資の導入による輸出指向工業. 報告書に提案された通りの組織・機能をもっ. 化政策を提案し,政策実行機関としての EDB. て 61 年 に 設立 さ れ た EDB は,強力 な 開発専. を組織して多国籍企業誘致の方策を示したウイ. 門機関として工業化のための諸施策を忠実に実. ンセミウス報告の意義は極めて大きく,報告書. 行し,後に業務の一部を引き継いだシンガポー. はまさに PAP 政府の工業化政策の原点であっ. ル開発銀行(DBS)およびジュロンタウン・コー. たといえよう.. ポレーション(JTC)とともに海外直接投資の 積極的な導入による工業化の推進に重要な役割 27). を果たした .. 3.発展途上国の開発政策におけるシンガポー ルの工業化政策の意義. 4)外国資本による直接投資の積極的な受け入れ. 1950 年代東西両陣営 の 冷戦 が 激化 し 新興独. PAP 政府は 60 年代初めからウインセミウス. 立諸国の開発を支援する競争が始まり,自由主. 報告の沿って他の発展途上国よりも自由な外資. 義諸国は国連,世銀,IMF 等の国際機関やコロ. 受入政策により 「良好な投資環境」 を準備して. ンボ計画を通じて途上国の開発政策に助言し資. 多国籍企業の海外直接投資を受け入れたが 28),. 金を供与したが,この当時の開発政策の主流は. 製造業への海外直接投資は 60 年代後半から加. 政府主導の輸入代替工業化政策であった.この. 速し 70 年代以降シンガポールの製造業の総固. 流れを汲む 55 年世銀報告,58 年ライル報告は. 定資産に占める海外資本比率は 70% 前後の水. 59 年 PAP5ヶ年計画に影響を与えさらに 63 年.

(16) 148 (822). 横浜国際社会科学研究 第 12 巻第 6 号(2008年 2 月). 世銀報告に繋がっていった.これに対し 61 年 ウインセミウス報告は輸入代替工業化政策の限 界を指摘して積極的な海外直接投資の導入によ. 積極的な活用 4)収支健全な安定的国家財政を背景にした外 国資本への政治的独立性の確保. る 輸出指向工業化政策 を 提案 し 61 年国家開発 計画 へ と 繋 がって いった が,67 年経済拡大奨. おわりに. 励法は輸出指向工業化政策の更なる徹底を促し. 60 年代以降シンガポールの工業化政策の柱. た.すでに台湾,香港次いで韓国が輸出主導型. となった外国資本による製造業への直接投資の. の経済成長期に入っていたが,60 年代東南アジ. 積極的受け入れは,必然的にシンガポール経済. ア諸国では輸入代替政策が一般的で輸出指向政. の国際経済や多国籍企業への過度の依存体質を. 策への転換は 60 年代終盤以降である.61 年先. 生み出した.それがもたらす負の遺産として第. 行してシンガポールに輸出指向工業化政策を助. 一に挙げられるのがシンガポール経済社会の長. 言したウインセミウス報告の源流は見出しがた. 期的安定への撹乱要因となるリスクであろう.. いが,ウインセミウス博士が戦後オランダの経. 60~70 年代初 め 世界貿易 の 拡大期,多国籍企. 済復興計画に携わった経験と実績から導き出さ. 業の海外生産拠点展開期に,海外直接投資を先. れたという推測が成り立つかもしれない29).. 行誘致して製造業育成に成功したためリスクは. ウインセミウス報告は,自由貿易の伝統に育. 顕在化しなかったが,その後石油危機・世界不. まれた自由港,比較的良質で豊富な労働力,中. 況・ア ジ ア 通貨危機・IT 不況 の 影響,中国 の. 継貿易と港湾サーヴィスで蓄積された豊富な地. 高成長による東アジア国際分業の変化等がシン. 場資本とその商業部門への偏在(地場産業資本. ガポール経済を脅かした.第二は独立した地場. の不在) ,健全な国家財政と安定した国際収支,. 製造業の発展,ひいては自前の技術開発により. 発達した金融市場等他の発展途上国には見られ. 長期的利益追求を目指す企業家精神の醸成を妨. ないシンガポール固有の特殊な初期条件を十分. げた点であろう.第三に海外直接投資を誘引す. 視野に入れており,報告書が自由貿易の伝統や. るための投資環境の整備を優先する工業化政策. 輸入品嗜好を勘案して輸入代替工業化政策の限. は地場の中小規模企業や労働者等経済的弱者の. 界を指摘し,地場産業資本不在を海外直接投資. 利益を毀損するリスクを伴ってきた.政府によ. 導入で補う方向を助言し,工業用地・交通・用. る労組の組織化は安定した労使関係の構築とい. 役等産業インフラへの巨額の投資を要請したの. う報告書の意図を超え,その後の長期に亘る. はこれらの初期条件を活用する意図であった.. PAP 一党独裁体制強化 の 政治的装置 と し て 機. し た がって 60 年代 PAP 政府 の 工業化政策 は. 能した.. シンガポールにのみ適用される極めて特殊な開. 50 年代末からの完全自治政府の時代,マレー. 発モデルであったといえよう.しかしその特殊. シアへの参加そして分離・独立という政治的激. 性を認識した上でなお発展途上国の開発政策に. 動の建国時代に経済を変革し成長軌道に乗せる. おけるシンガポールの工業化政策の意義につい. ために PAP 政権が果たした政治的な役割と経. て考えてみるとき PAP 政府の次のような基本. 済的な成果を十分に評価した上で 1959 年から. 的な姿勢に他の発展途上国が学ぶべき普遍性が. 今日までの PAP の一党支配体制に伴う負の側. あるのではないだろうか.. 面については別途の考察が必要であろう.. 1)冷静な現実認識に基づく実践的な政策選択. なお本稿は 2005 年 5 月アジア政経学会東日. 2)政策立案とその執行過程における市場経済. 本大会,アジア諸国の工業化分科会での筆者の. メカニズムへの信頼 3)腐敗のない効率的な官僚組織の構築とその. 報告を基礎にその後の研究成果を加えてとりま とめたものであることを付記する..

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