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国際私法における氏について : -若干の比較立法的考察- 利用統計を見る

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国際私法における氏について : -若干の比較立法的

考察-著者名(日)

笠原 俊宏

雑誌名

東洋法学

41

1

ページ

43-77

発行年

1997-09-30

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00000490/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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国際私法における氏

      若干の比較立法的考察

について

東洋法学

日に)←) 三

 四

(一) (⇒(二)(一) 目  次 緒言 学説の展開  学説の対立の原型  本国法主義の視点  小括 外国立法の動向  国際戸籍委員会ミュンヘン条約の概要  外国国内立法の動向  小括 若干の考察  本国法主義の意義 43

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国際私法における氏について 五  口に) 結

語総当

 括事

 的者

 考自

 察治

  の

  導

  入

緒  言  わが国においても、この数年、夫婦の称氏のあり方に関する議論が俄に盛り上がりを呈し、夫婦別姓︵別氏︶ を可能とする制度が実現することになるのか、その成り行きが注目されるところとなっている。また、それとと もに、かような実質法上の氏に関する問題ほどには一般的ではないが、国際私法上の氏に関する問題も未決着の 問題として残されており、それがわが国際私法における重要な論点のひとつとなっている。その問題を惹起する 直接的な原因は、とりもなおさず、氏に関する明文の抵触規定がわが国際私法に置かれていないことにあるとい うことができるであろう。平成元年の法例改正においても、氏に関する規定は新設されていない。それでいて、 氏に関する問題は、以下に改めて述べる通り、準拠法の選定を必要とする国際私法上の問題として理解するのが      ︵−︶ 一般的であり、氏が帯有する多角的な側面のいずれに重きが置かれるかによってその性質決定の結果も異なるに 従い、準拠抵触規則も異なるものとならざるをえない。一体、現行抵触規定の枠内において処理しうるものか、 はたまた、条理による新しい抵触規則を定立すべきものか、学説および判例は分かれており、いずれの立場から も決め手となるような決定的な論拠が提示されないまま、議論は推移しているかにみられる。わが国におけるか 44

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東洋法学

ような膠着状態に反して、近時、ヨーロッパを中心として、諸外国の立法においては氏名のための特別な抵触規 定の立法化が活発であり、しかも、その内容が革新的であるものが少なくない。当然に、それらの立法は、今後、 わが国際私法のもとにおいていかなる解決がなされるべきかについて、重要な示唆を与えるものである。すでに 幾多の論稿が発表されているにもかかわらず、本稿が今また若干の考察を試みようとすることの背景には、前記 のような諸外国の立法化の作業があり、それらにより、解決のための方向付けの輪郭が何やら見え出してきたと いうことがある。  なお、氏に関する問題としては、その準拠法の選定に関する問題のほか、それに依って決定される氏と戸籍実        ︵2︶ 務の取り扱いの乖離をめぐる問題が論じられてきた。わが国においては、むしろ後者の問題の方が活発に論じら れている感さえある。それについては、昭和五九年法律第四五号による戸籍法の一部改正により、昭和六〇年か ら、一定の手続きを経てより簡便に改姓の途が開かれているが︵同法第一〇七条第二項参照︶、未だ、渉外的婚姻・       ︵3︶ 離婚における実体法上の氏名の変更が当然に戸籍に反映される状態には至っていない。さらに、また、氏の取得       ︵4︶ ・変更の国際的裁判管轄権についての問題もある。これらの重要な課題も残されてはいるが、本稿の視野として は、婚姻や離婚など、一定の身分変動に基づく氏の変更の準拠法の選定のあり方をめぐる問題に的を絞ることと したい。従って、それ以外の場合における本人の意思に基づく氏名の変更の問題は、本稿における主たる論点と しては想定されていない。 45

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46 国際私法における氏にっいて 二 学説の展開  ⑭ 学説の対立の原型  まず、人の氏の準拠法をめぐるわが国の学説の対立の基本的な構図は、次のように整理することができるであ ろう。  遡れば、その対立は、久保岩太郎教授ならびに江川英文教授によってかつて論じられた二つの立場に辿り着く ことになるであろう。すなわち、そのひとつがいわゆる人格権説である。これは、氏名の使用ないし変更に関す       ︵5V る問題は、氏名権という人の人格権に関するものであるから、本人の属人法に依るべきとする立場である。いま ひとつはいわゆる身分的効力説である。これは、出生、婚姻、離婚、養子縁組など、一定の身分関係の成立・変 動に伴って当然に生ずる氏の変更の場合と、身分関係の変動と無関係に、専ら本人の意思に基づいて行なわれる 氏の変更の場合とを区別した上で、それぞれの準拠法の選定が考えられるべきであるとし、そして、本人の属人 法が妥当するのは後者の場合についてのみであり、前者の場合については、それぞれの身分関係の効力の準拠法        ︵6︶ に依るべきであるとする立場である。この立場は、折茂豊教授によって最も典型的な身分的効力説として受け継  ︵7︶ がれ、今日、その流れを汲む立場からは、国際私法における氏の準拠法の選定における原則は人格権説の立場で あるとされながら、身分変動に伴う氏の変更の場合のみが人格権説の例外をなすものとして、山田錬一教授ほか、        ︵8︶ 多くの学説によって唱えられ、定着している。かくして、婚姻による夫婦の氏については、婚姻の身分的効力に

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関する法例第一四条、また、離婚による夫婦の氏については、離婚に関する同第一六条、さらに、子の氏につい ては、嫡出子のそれのほか、認知された非嫡出子や養子のそれについても、親子間の法律関係に関する同第二一       ︵9︶ 条に依るべきこととなる。しかし、その一方、人格権説もまた、静岡家庭裁判所熱海出張所昭和四九年五月二九   ︵−o︶      ︵11﹀ 日審判や京都家庭裁判所昭和五五年二月二八日審判に象徴されるように、身分的効力説に劣ることなく支持され   ︵12︶ ている。  それでは、身分的効力説と人格権説との争点はいかなるものであるか。まず、人格権説から身分的効力説に対 する批判は、溜池良夫教授を始め、多くの学説によって指摘されている点であるが、次のように、法例第一四条 に依る準拠法の認定が不明確なため、解決上の困難が生じるということである。すなわち、同条が段階的連結の 方法を採用していることから、婚姻当事者の有する国籍や常居所のいかんにより、夫婦の氏の決定方法が相違し、 混乱を生ずる恐れがあり、また、密接関連法が準拠法とされるべき場合には、当事者がそれを判断することが困    ︵13︶ 難である。離婚に伴う氏の変更の問題、および、子の氏の決定の問題についても、同様の論拠をもって論じられ   ︵14︶ ている。 噺 一方、従来より、人格権説に対してなされる主たる批判は、夫婦の一方の本国法に依れば夫婦同氏の立場が採 られ、また、他方の本国法によれば夫婦別氏の立場が採られているときには、調整が困難な問題が生じるという     ︵15︶ ことである。すなわち、婚姻当事者の国籍が異なる場合であって、日本法が準拠法とされたような場合には、夫 婦の氏は同一のものとなるが、改氏した外国人当事者は、例えば、その本国法上、韓国法のように夫婦別氏の制 47

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国際私法における氏について        ︵16︶ 度が採られているときには、その者の元の氏を称することとなる。それに対して、近時、溜池教授により、氏名 権説︵人格権説︶を擁護する立場から、そのような不調和は氏名権説に拠ったならば避けることができるもので あり、日本法が外国人当事者の本国法上の氏名権には及ばない以上、夫婦別氏は問題ないというように唱えられ   ︵17︶ ている。また、同じ点に関連して、日本民法が選択的夫婦別氏制を導入すれば、そのような矛盾は減少するもの       ︵18︶ と展望する鳥居淳子教授の見解は人格権説に好意的であり、また、婚姻に伴う氏の変更の問題については身分的 効力説の立場に立つ桜田嘉章教授によっても、離婚に伴う氏の変更の問題に限り、婚姻中とは異なり、必ずしも 配偶者双方の関係で問題を解決すべき必要性や離婚の準拠法への依存度は乏しく、人格権説に従うべきであると      ︵19︶ いわれている。  しかし、また、右のように、夫婦それぞれの本国法に依ることにより、夫婦の氏について二つの準拠法が並存 することは法律関係を複雑化させるものであるという批判があるほか、そもそも、人格権説に立てば何ゆえに本        ︵20︶ 人の属人法のみに依拠しなければならないのかという見解が、人格権説が唱える連結規則に対する批判として注 目される。そのような批判への反論として、各国の伝統、文化、習慣などと密接な関連性を有する氏の特性を考 慮すれば、氏はその本国法の規律に従わせることが最も妥当であり、また、各国が本国法に依るとすれば、いず        ︵2 1︶ れの国においても常に同一の氏を称することができるということが考えられるであろう。  ⑭ 本国法主義の視点  本国法主義に拠ろうとするいまひとつの立場としては、戸籍実務における取り扱いとの兼ね合いから論じられ 48

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るものがある。例えば、鳥居教授によれば、改正戸籍法第一〇七条が外国人と婚姻した日本人の氏の変更の要件 を緩和したことにより、本国法主義の方が婚姻の効力の準拠法よりも現実性を有するものとなったのではないか        ︹22︶ という見方がなされている。その主張が根ざしているのは、氏の性質上、安定性・明確性が求められるという理 念である。また、海老沢美広教授によって基本的に支持されている立場もまた肢行的氏名の防止の観点からの本 国法主義であるが、日本人の氏の変更の規律に関する構成は、やはり、戸籍法上の立場を踏まえた渉外実質法的       ︵23︶ なそれであるとみられる。さらに、佐藤やよひ教授によるわが国の戸籍実務についての見方は、当事者が帰属す る本国の法の直接的適用を認める一方主義に拠るものであって、渉外的な氏の規制としては望ましいとするもの   ︵24︶ である。  以上に対して、氏については、それを公法上の問題とする沢木敬郎教授のいわゆる氏名公法理論からの見解が 全く異なる見地からのものとしてしばしば引用されている。それによれば、氏の変更は身分関係の変動に伴って 生ずるが、それは必ずしも実体法上の身分変動に直結するものではなく、氏はむしろ公法としての独自の規律に 従うものべきであり、従って、日本人の氏は公法としての日本民法上の氏の規定に依ってのみ規律されることと  ︵25︶ なる。この考え方の背後には、氏名は本国の公簿に記載され、人の身分証明も本国に依って行なわれるという現        ︵26︶ 実が存在している。この立場からは、国際私法を経た準拠法選定という処理は求められないこととなる。氏の変 更は戸籍上の記載と一体となって初めて実体的にも意味を持つこととなるのであって、戸籍上の変更の手続なし には実体的な呼称そのものがまだ変更されていないとする島野宥子教授の見解もまた同様の基盤に立つものであ 49

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国際私法における氏について      ︵27︶ るとみられる。それに対しては、氏名法には公法的側面があることは認められても、それによってその私法的側        ︵28V 面の存在が全面的に否定されるというものではないとか、氏の属地性のみを特別に顧慮しなければならない積極        ︵29﹀ 的な根拠に欠けるという石黒一憲教授による批判がある。そして、渡辺慢之教授によれば、戸籍上の氏はあくま で国内の登録手続法の制約の下で表示し得る限りでの氏であり、家族の国籍に相違があるような国際的な家族関 係の中では、それとは別に、家族の紐帯の象徴としての氏が顧慮されるべきであり、各国の登録手続法はそのよ       ︵30︶ うな氏を登録に反映するよう努力すべきとされている。何ゆえに氏名の成立の問題が公法に属するのか不明であ        ︵31V るというような基本的な視点からの批判も同じ基盤に立つものであるとみられる。  同じく氏名が有する公法的側面を重視しながらも、国際私法上の現実的な利益を考慮し、婚姻による妻の氏の 変動の問題は、第一次的には妻の本国法に依るが、妻が住所地法を選択することも認めるべきであるとするのが、       ︵32︶ 松岡博教授ならびに岡野祐子助教授による共稿における主張である。これは、松岡教授によって兼ねてより主張 されてきた立場であるが、その見解によれば、妻の氏を決定し、それを戸籍や旅券などの公的書類の記載に反映 させることに最も強い利害関係を有するのは妻本人の本国であるが、その理由は、自国民の氏の決定を外国法に 委ね、それを自国の公的書類に記載するわけにはいかないからであり、氏名権が私法上の権利としての人格権の 性質を有するからではない。その限りにおいて、その結論は氏名公法説のそれと同一である。しかし、教授の見 解はそれに止まらず、妻の本国の利益が常に優先すべきというものでもなく、例えば、妻の本国法が夫婦の住所 地法と異なる規定を有するときは、当事者の便宜や住所地の取引秩序を顧慮して、住所地法に依ることも認めら 50

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      ︵33︶ れるべきであるとするものである。  また、木棚照一教授の見解にみられる立場も同様に、一律にいずれか一方の立場に拠ろうとするものではなく、 条理に則った解釈として、原則として当事者の本国法に依るものとしつつ、当事者に準拠法選択を認め、身分関        ︵3 4V 係の効力の準拠法に依ることもできるとするものである。旅券等の氏の記載は本人の本国で行なわれるとしても、       ︵35︶ その本国の実質法に依るとは限らないということも指摘されている。当事者による準拠法の選定の可能性につい ては、桜田教授によってもまた、当事者による氏またはその準拠法の選択を全く認めないならば、抵触法上の氏 名についての人格権説を貫徹することは困難であるとか、あるいは、国際私法上の人格権の保護を考えれば何ら       ︵36︶ かの当事者の意思を尊重する方策が必要であるというように指摘されているところである。  ㊧ 小 括  かくのごとく、わが国の学説には多様なものがみられる。しかし、それらを極く大まかには、凡そ、次のよう に整理することができるであろう。まず、基本的には、氏の取得・変動を個々の身分関係の効力として捉える立 場と人の人格権の一部として捉える立場との対立がいまだに存在している。前者については、連結規則の適用上 の不明確性が指摘されており、他方、後者については、各当事者の本国法の適用の結果における調和の欠如の恐 れが指摘されている。しかし、そうした中にも、本国法に依るべきとする立場を唱える学説が次第に多くなって きている。人格権説の立場からも本国法主義が唱えられているが、それに対しては、属人法主義との理論的結び 付きについて疑間が呈されている.同じく本国法主義が主張されている場合であっても、それを公法的側面から 51

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国際私法における氏にっいて 属地法としてそれを唱える立場もみられている。また、本国法主義を採っているものの中にも、本国法の一律的 な適用に留まることなく、それを原則としつつ、当事者の意思による準拠法の選択をも許容すべきことを唱える 立場が拾頭してきている。もっとも、その場合において選択されることができる法の範囲については、必ずしも 確立されておらず、今なお浮動的である。 三 外国立法の動向  ⑭ 国際戸籍委員会ミュンヘン条約の概要  氏名に関する国際的立法として知られるのが、一九八O年九月五日に締結された﹁氏名の準拠法に関する国際        ︵37V 戸籍委員会︵CIEC︶条約第一九号﹂︵いわゆるミュンヘン条約︶である。オランダ、イタリア、スペインを締 約国とする同条約第一条第一項は次のように規定している。すなわち、﹁人の氏名は、その者が国民である国家の 法律によって規律され、そのため、氏名が依存する事情は同国家の法律に従って評価される。﹂とするのがそれで  ︵38︶ ある。同条項が本国法主義を採用していることは明白であるが、それとともに、それを特徴付けているのは、氏 名の取得・変更の先決問題である身分変動についても同法に依るとしていること、つまり、先決問題についての       ︵3 9︶ 従属連結の立場を採用していることである。そして、その法律は、それが非締約国のそれであっても、適用され るべきものとされている︵第二条参照︶。同条約は、イタリアおよびスペインによって、それぞれ、一九八五年四月        ︵40︶ 二四日、同年八月一二日に批准され、オランダによっては一九八九年一〇月一〇日に受諾されている。 52

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 前記条約の批准に伴い、国内立法を制定したのがオランダである。すなわち、﹁氏名の抵触法を規律するための       ︵41︶ 一九八九年七月三日法律﹂︵以下、氏名抵触法として引用︶がそれである。オランダの法体系においては、条約は、 その批准によって国内的効力を有することとなり、従って、それが、それと矛盾する国内法に対して優先するこ とは同国基本法第九三条および第九四条からも明らかである。かくして、氏名抵触法はミュンヘン条約のための        ︵42︶ 施行法として位置付けられるものである。その内容は次の通りである。まず、準拠法の選定における本国法主義 が原則として採用されていること、および、称氏の先決間題となる身分変動について従属連結の立場が採用され ていることは、当然のこととして、ミュンヘン条約上の規則と同一である。すなわち、同法第一条第一項は、﹁外 国人の氏名は、その者がその国籍を有する国家の法に服する。同法は、抵触法規則をも含む。氏名の決定が依存 する事情は、同法にのみ従って判断される。﹂と定めている。同条約に対する同項の特徴として指摘されるべき点 は、準拠法となる本国法の中に抵触法規則も含まれるとされていることである。同項が先決問題について従属連 結の立場を採っていることは同条約と符合するものである。また、いまひとつ、同条約と異なる点は、当事者が 重国籍者の場合に限られるが、連結点とされる国籍が、密接関連性すなわち実効性を有するものでなければなら ないとされている点である︵同第二項参照︶。これは、オランダ国際私法において従前から採られてきた立場を踏襲       ︵43﹀ したものにほかならない。しかし、重国籍の中の国籍のひとつがオランダのそれであるときは、オランダ法が基 準とされる︵第二項前段参照︶。さらに、注目されるべき点は、補充的な氏の選択が許容されている点である。すな わち、複数の国籍を有する者は、戸籍吏に対して、その者が最も密接に関連する国家以外の国家の法、または、 53

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国際私法における氏について オランダ国籍とともに保有している国籍が属するいずれかの国家の法に従って称する氏について、その者の出生 証書へ欄外注記として記載されることを申請することができる︵第一二条参照︶。このことが意味するものは、オラン ダの国外における別個の称氏が認められるということである。その結果、渉外婚姻から生まれてきた子の氏がオ ランダ法と外国法とにおいて異なる場合であっても、家族の氏として統一性が得られることを氏名抵触法は目指       ︵44︶ しているということができるであろう。  一方、同じくミュンヘン条約の締約国であるイタリアは、一九九五年、国際私法体系の改正に関する法律によ        ︵45﹀ り、国際私法の大改正を実現したが、その規定の中に氏名に関する特別の明文規定は置かれていない。しかし、 それに関するとみられる第二四条第一項本文は、第三章第二節﹁自然人の能力および権利﹂の下に、人格権の存 在および内容は本国法に依って規律されるべきものと定めている。また、それと同時に、同項但書は、﹁家族関係 に由来する権利は、当該関係の準拠法に依って規律される。﹂とも規定している。そこにおいては、氏については 明示的に規定されてはいないだけに、身分の形成に由来する称氏の問題も、同法をみる限り、それを惹起する各 個の身分関係の準拠法に依るべきことが定められているものと推知することができるであろう。ただし、いうま       ︵46︶ でもなく、そのような解釈はミュンヘン条約とは矛盾することとなるものである。  口 外国国内立法の動向  まず、氏の取得について、それを明文をもって一定の身分形成に付随する効果として位置付ける立場を採って       ︵47︶ いる立法としては、僅かに一九七九年のハンガリー国際私法のみが知られる。その第三九条は、﹁夫婦の身分的法 54

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律関係および財産的法律関係﹂の標題の下に、次のように定めている。すなわち、﹁夫婦の称氏、扶養または夫婦 財産制に関する取り決めのような夫婦間の身分的法律関係および財産的法律関係については、裁判当時夫婦の共 通属人法である法律が適用される。﹂︵第一項︶とするのがそれであり、そこにおいて採られている立場は、裁判当 時の夫婦の共通属人法、その最後の共通属人法、その最後の共通住所地法、事件受理裁判所所在地法の段階的適 用の立場である︵第二項および第三項参照︶。そして、そこにおける属人法とは本国法のことである︵同法第二条第 一項参照︶。また、一方、同第四五条第一項は、﹁親子間の法律関係﹂の標題の下に、次のように定めている。すな わち、﹁とくに、子の称氏、収容、教育権、家庭への受入れ、その法定代理、その扶養、および、その財産の管理 のような親子間の家族法上の関係については、親に対する扶養を除いて、子の属人法が適用される。﹂とするのが それである。  ちなみに、比較的に早い時期から明文をもって氏名について規定していた一九二六年のリヒテンシュタイン民        ︵48︶ 法典中の第一編﹁個人﹂第一章﹁人の法﹂第二節﹁人格権の保護﹂における第四五条は次のように定めている。 すなわち、﹁人の称氏の権利は、家族法上の法律行為の効果の留保のもとに、氏の発生ないしはその侵害の当時に おいて本国法の適用規定によれば基準とされる法に従って判断される。﹂︵第一項︶とするのがそれである。同規定 は、氏に関する問題を人格権に関する問題として位置付けながらも、それが家族法上の問題としての側面をも有 することを認めるものであり、従って、家族法上の法律行為の効果の準拠法に依って規律されることの余地をも 否定してはいないといえるであろう。その点において、同条は前記のイタリア法第四五条を連想させる規定であ 55

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国際私法における氏について る。  以上に対して、氏名をむしろ人格権の重要な一部として位置付ける立場を採っているとみられる諸法としては、 次のように比較的に多くのものを挙げることができる。まず、そのひとつは、一九七八年のオーストリアの国際        ︵49︶ 私法に関する連邦法︵国際私法典︶第二二条である。同条は、同法典﹁第二節人事法﹂の下に配された規定であ る。それに依れば、﹁人の称氏は、氏の取得がいかなる原因に基づこうとも、その者のその時の属人法に従って判 断されるものとする。﹂︵第一項︶と規定されており、押し並べて本人の属人法主義が採られている。そして、そこ における属人法として原則的に採用されているのは、人が属する国の法、すなわち、本国法である︵同法第九条第 一項第一文参照︶。       ︵50︶  次に、一九八七年のスイス国際私法︵国際私法に関する連邦法︶第三七条がある。同条もまた、﹁第二章自然人﹂ の下に配された規定である。それによれば、﹁スイスに住所を有する者の氏はスイス法に服する。外国に住所を有 する者の氏は、住所地国の抵触法が指定する法に服する。﹂︵第一項本文︶と規定されている。しかし、また、﹁但し、 人はその者の氏が本国法に服することを要求することができる。﹂︵同但書︶と規定されており、一定の範囲の法か ら当事者が準拠法を選定することが認められている。かくして、スイス法の特徴は、第一に、抵触法を含めた住 所地法主義が採られていることであり、第二に、制限的ながら当事者自治が認められていることである.ちなみ に、氏の変更の要件および効果についてはスイス法に服すべきことが定められている︵第一二八条第三項︶。  また、理念上、ほぼ同様な立場を採っているのが一九八六年のドイツ国際私法︵国際私法の新規則のための法 56

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        ︵5 1︶ 律︶第一〇条である。同条もまた同法律﹁第二節自然人および法律行為の法﹂の下に配された規定であり、それ により、﹁人の氏は人が属する国の法に服する。﹂︵第一項︶ということが原則とされている。以下にみられるよう に煩項な同条は一九九三年に改正されているが、当初より、それは、婚姻後の夫婦の氏について、﹁夫婦は、内国 における婚姻締結に際し、戸籍吏に対する宣言により、次の各号に掲げる法に従い、婚姻締結後に称すべきその 氏を選択することができる。e第五条第一項にかかわらず、夫婦の一方が属する国の法、口夫婦の一方がその常 居所を内国に有するときは、ドイツ法﹂︵第二項︶というように、当事者の意思による準拠法の選定を限定的なが ら認めていた。また、改正によって削除された補則として、﹁ドイツ人および外国人の夫婦間の婚姻が内国におい て締結されず、かつ、夫婦が婚姻締結に際して婚姻におけるその称氏についていかなる宣言をもしなかったとき は、ドイツ人たる配偶者は、その者が他方配偶者が属する国の法に従ってその家族の氏を称することを欲するこ とを宣言することができる。︵中略︶ドイツ人がいかなる宣言をも行なっていないときは、その者は婚姻において その者が婚姻締結の当時称した家族の氏を称する。﹂︵第三項︶と定められ、さらに、﹁婚姻が内国において締結さ れず、かつ、少なくとも一方がドイツ人でない夫婦が共通の家族の氏を称しないときは、次の各号に掲げるとき、 夫婦は、︵中略︶婚姻の氏についての宣言を行なうことができる。e夫婦の一方がその常居所を内国に有するとき、 または、ロドイツ法が婚姻の一般的効力につき基準となるとき、第三項第二文が準用される。﹂︵第四項︶と規定さ れていた。その一方、子の氏については、嫡出子のそれにつき、﹁両親がドイツ人でないときは、共同の嫡出子の 出生の登録前に、その法定代理人は、次の各号に掲げる法に従い、戸籍吏に対し、子が家族の氏を保持すること 57

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国際私法における氏について を決定することができる。e第五条第一項にかかわらず、両親の一方が属する国の法、または、口両親の一方が その常居所を内国に有するときは、ドイツ法﹂︵第五項︶とされ、また、非嫡出子の氏については、﹁非嫡出子は、 両親の一方または氏を授ける者が属する国の法に従っても氏を保持することができる﹂︵第六項︶とされていた。 かくのごとく煩項な旧規定に対して、改正後の第一〇条第二項は、﹁夫婦は、婚姻締結の際または婚姻締結後、戸 籍吏に対して、次の各号に掲げる法に従い、今後称すべきその氏を選択することができる。e第五条第一項にか かわらず、夫婦の一方が属する国の法、または、口夫婦の一方がその常居所を内国に有するときは、ドイツ法。 ︵以下、省略︶﹂と定め、また、旧第三項および旧第四項は前述のように削除され、旧第五項は第三項となり、そ の内容も、﹁嫡出子の出生の登録前に、その父母は、次の各号に掲げる法に従い、戸籍吏に対し、子が家族の氏を 保持することを決定することができる。O第五条第一項にかかわらず、両親の一方が属する国の法、または、口       ︵52︶ 両親の一方がその常居所を内国に有するときは、ドイツ法﹂というように改正されている。さらに、旧第六項は 第四項となっている。そこに見出される主要な改正点は、規定の簡素化と当事者による法選択の可能性の拡大で  ︵53V ある。  さらに、また、一九八五年のフィンランド家族氏名法は、実質法および抵触法の両次元にわたって、広範に当          ︵54︶ 事者自治を認めている。まず、原則とされているのが住所地法主義である。その第二六条第一項が﹁家族氏を取 得すべき者が、家族氏の取得のための原因の発生または意思表明の時点においてフィンランドに住所を有すると きは、家族氏の取得についてはフィンランド法が適用されなければならない。﹂と定めると同時に、同第二項は、 58

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﹁家族氏を取得すべき者が第一項に挙げられた時点においてフィンランドに住所を有しないときは、その者は、そ の者が前記の時点においてその住所を有する国家における権限を有する官庁によって適用されるべき家族氏名法 に従い、家族氏を取得する。﹂と定めている。その一方、同第三項は、﹁フィンランド、デンマーク、ノルウェー またはスウェーデンとは別の国家における住所を有するフィンランド国民は、第二項にかかわらず、フィンラン ド法が家族氏の取得について適用されるべきことを要求する権利を有する。︵以下、省略︶﹂と規定して、フィン ランド人に限られるが、その本国法であるフィンランド法に依ることも認めている。スイス法に近似する立場が 採られているといえるであろう。なお、住所地法主義を原則とする同法の立場が、当事者の本国法上の立場と抵 触することも考えられるが、フィンランド実質氏名法が当事者に広範な選択権を認めていることにより、実際上、        ︵5 5︶ 解決が困難な抵触はあったとしても僅少であるとみられている。  そして、フランスのピエール・マイヤi︵霊Φ霞o竃身R︶の手になるといわれている一九八九年のブルキナファ       ︵56︶ ソ国際人事・家族法もほぼ同様の立場を採っている。すなわち、その中の抵触規定である第一〇二〇条は、まず、 ﹁自然人の氏の決定、保護および任意的変更は、当事者の本国法によって規律される。﹂︵第一項︶と定めている一 方、﹁身分の変更によって生じる氏の変更は、新しい身分の効果を支配する法律によって規律される。﹂︵第二項本 文︶としつつ、﹁但し、当事者は、その者に対してその者の本国法が適用されることを要求することができる。﹂︵同 但書︶と規定している。これは、身分的効力の準拠法の適用を原則として、当事者の選択により、本国法に依るこ とをも許容するものである。従って、子の出生による氏の決定については、同第一項に従い、子の本国法に依り、 59

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国際私法における氏について また、婚姻、離婚、養子縁組による氏の変更については、同第二項本文に従い、各個の身分関係の準拠法を原則 としつつ、同第二項但書に従い、本人の本国法に依ることもできるということになるであろう。なお、人格権に 関する特別の規定は置かれてはいない。  ちなみに、氏名に関する問題を人格権に関する問題とも身分形成に伴う効果の問題とも分類することなく、そ れらの諸問題と並列的に掲げているのが、古くは一九四二年のブラジル民法典中の国際私法規定であり、また、 最近においては一九九二年のルーマニア国際私法典である。まず、前者は、その第七条本文において、﹁人が住所        ︵57︶ を有する国の法律は、人格の発生および消滅、氏名、能力および親族権を規律する。﹂と定めている。また、後者 は、人格権に関するその第一三条とは別個に、その第一四条第一項において、﹁人の氏名はその者の本国法によっ       ︵58︶ て規律される。﹂と定めている。これら両立法についていえることは、それぞれの属人法主義における立場が、人 の氏名についても基準とされているということであろう。  日 小 括  かくして、ヨーロッパ諸国における近時の立法にみられる動向として、次のような点を指摘することができる であろう。まず、氏について、それを身分変動の効果として性質決定する立場と人格権の一部として位置付ける 立場とがあり、それはわが国の学説・判例にみられる立場と同じものである。しかし、それぞれ、いずれも明文 をもって行なわれている限りにおいて、それぞれの立場は確立した立場として統一的に行なわれており、明文規       ︵59︶ 定を有しないフランスやわが国の学説・判例にみられるような対立的な状況とは大きく異なるものである。一方、 60

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連結規則については、身分的効力説の立場を採るものもあるが、属人法である本国法とか住所地法に依らしめよ うとする立場がやはり優勢になっているとみることができるであろう。そして、そのような傾向については、次 のような二つの点が特徴として指摘されるべきである。まず、そのひとつは、オランダ法、スイス法、フィンラ ンド法にみられるように、準拠外国法の意義が総括的なそれであること、つまり、国際私法規定をも含むものと されていることである。丁度、木棚教授にする前記の指摘が想起されるところである。いまひとつは、準拠法の 選定を当事者の意思に拠らしめようとする立場を採っているものが少なくない点である。ただし、その場合に、 いずれの立場を原則とするかについては、本国法主義を原則とするもの、住所地法主義を原則とするもののほか、 婚姻の効力の準拠法を原則とする立法もある。そして、その殆どの場合において、本国法が選択の対象とされて いるということが注目される。 四 若干の考察

東洋法学

 の 本国法主義の意義  わが国の判例・学説における身分的効力説と人格権説が拮抗し、その対立状態が膠着したままに大きな進展が 見られないとしたならば、それは、やはり、それぞれの理論的根拠がそれなりの正当性を有しており、そのいず れを優先させるかについて、必ずしも決め手となるものがないというところに理由があるということになるであ ろう。それは、あたかも国際私法上の先決問題論において、本間題の適用によって生じた問題であるからとして 61

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国際私法における氏について いわゆる準拠法説が主張され、他方、国際私法の本質からみて、法廷地において適用されるべき国際私法は常に 法廷地のそれであるとしていわゆる法廷地法説が主張されていることに似ている。同様に、氏の変更の問題が何 らかの身分変動に伴って惹起されたことが、その準拠法の選定についてもその身分関係の準拠法に依るべきと考 えるべきか、それとも、身分変動は単に氏の変更の契機となるものであって、その準拠法の選定は別個の視点か ら行なわれるべきものと考えるべきか、ということに帰結することになるであろう。このことは、氏の有する身 分的側面と人格的側面とのいずれを重視すべきかということとも符合するものと思われるが、それは、結局、論 者の見解の如何に掛かっているというほかはない。従って、そのいずれの立場を良しとすべきかは、実践上の根 拠の善し悪しに頼らざるをえないように思われる。そこで、そのような観点から試みられる若干の検討が、以下 のごとくである。  まず、予め指摘されるべき点は、これまで、理論上の問題と実践上の間題とが錯綜したままに論じられており、 そのため、そこにおける議論が必ずしも噛み合っていないとみられる点である。とくに、それは人格権説から身 分的効力説に対する批判の中にみることができる。すなわち、後者の立場に拠ったならば、わが国際私法におい ては法例第一四条に従うこととなるが、その場合、夫婦の同一本国法、同一常居所地法、密接関連法への段階的 連結が行なわれることとなり、同一常居所地法として日本法に依った場合には、日本法と本国法との間に氏の不 一致が生じることが想定され、また、密接関連法に依らなければならない場合には、その決定が困難であるとい う批判がそれである。確かに、現行法例の適用においては、まさしくその通りであろう。しかしながら、理論上、 62

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東洋法学

婚姻に伴う氏の変更に関する問題が婚姻の効果に関する問題であるか否かという問題と法例第一四条がいかなる 連結規則を規定しているかという問題とは、本来、無関係であるというべきである。仮に、同条が氏の変更の問 題を規律することが妥当ではないとしたならば、その問題に限らず、そもそも婚姻の直接的・付随的効果の問題 を押し並べて一律に前記のような連結規則に拠らしめていることこそが批判されるべきものである。それにもか かわらず、それをもって婚姻後の称氏の性質決定に関する理論的批判の根拠とすることは正当ではないように思   ︵60︶ われる。ここにおいて強調されるべき点は、今日、諸国の国際私法において汎用されているいわゆるケーゲルの        ︵倣︶ 梯子︵因紹①一ωo冨いΦ一けR︶の妥当性そのものの再検討とその限界設定の必要性である。  しかし、実践的にみて、身分的効力説の立場に立った解決が望ましい結果をもたらさないことがあることも事 実であろう。とくに、同一常居所地法としての日本法と当事者の本国法とが称氏について異なる立場を採ってい る場合には、すでにみた通りである。そのような状態は、さしずめ、準拠法としての日本法の適用による解決が、 当事者の本国における実効性を確保することができない場合であるとみることもできるであろう。それは、丁度、 相続の準拠法として被相続人の本国法が適用されながらも、遺産である不動産の所在地が別国であり、そして、 同国国際私法が不動産所在地法主義を採っている場合と似ている。すなわち、同様のことを氏についていえば、 身分的効力説に基づく準拠法は、時として、人格権説が唱える本国法主義との関係において、いわゆる総括準拠 法であり、それに対して、本国法は個別準拠法であるということになるであろう。個別準拠法としての本国法の 適用の優先という考え方は、氏名公法説が唱える日本人についての本国法主義とも、結果的には、調和すること 63

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国際私法における氏について        ︵62︶ になるといわざるをえない。以上から、身分的効力説についての理論的根拠と実践上の現実との齪齪の存在を直 視した上で、現実的な視点から氏の変更に関する問題の準拠法を追求するならば、やはり、本国法主義に拠らざ るをえないという結論が導かれることとなると思われる。  それでは、人格権説が手放しに支持されるべきものであろうか。この立場にも、次のように、数々の疑問が残 されているように思われる。まず、人格権説の立場から主張されている当事者の本国法主義が、必ずしも氏を人 の人格権に関する問題と捉えることから導き出されるべき必然的結論とはいえないのではないかという疑問があ る。確かに、人格権を属人法事項であると理解するならば、属人法における本国法主義を採用しているわが法例 上、称氏についても本国法が適用されるべきと考えることには相当の根拠がある。しかしながら、属人法の決定 基準について国籍主義が採られない場合には、氏の問題については本国法が妥当しないこととなる。︸体、人格 権説が唱える立場は本国法主義であるのか、それとも、属人法主義であるのか.その点については、必ずしも明 らかではないように思われる。いかなる場合においても本国法主義が貰かれるべきであるというのならば、その 立場は、人格権に基盤をおいた理論構成から派生する立場とは必ずしも関係のない連結政策上の本国法主義その ものであるというべきであろう。  また、例えば、桜田教授によって前記のごとくいみじくも指摘されているように、氏が人格権の一部を成すも のであるというのならば、専ら本国法主義が貰かれるばかりではなく、当事者の意思を尊重することも考慮され るべきである。そして、準拠法の選定における当事者の意思の尊重を極めれば、それは当事者自治として発現さ 64

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れることとなると考えられる。従って、人格権説はそれを規則の中に採り入れることが不可欠であり、そうしな い限り、その立場の本来の趣旨が貰かれているとはいえないであろう。その場合には、当事者によるその住所地 法や常居所地法の選定ということも認められる余地もあることはいうまでもない。それにもかかわらず、住所地 法や常居所地法の適用に比して、あくまで本国法の適用の方が妥当であるというのならば、それは、結局、氏の 有する公法的側面を重視することにより、本国法の適用が優先されるべきとする立場に接近することになるであ ろう。松岡教授によって端的に指摘されているように、近時の判例における妻の本国法説の根拠は、氏名権が私 法上の権利として人格権としての性質を有するという点に求められるべきではなく、自国民の氏の戸籍や旅券へ        ︵63︶ の記載を管理する妻の本国の公益的側面にこそ求められるべきではないのか。かくして、人格権説が、氏名公法 理論ないし絶対的本国法主義と一線を画し、なおもその立場の独自性を保持しようとするならば、その活路は当 事者自治の導入へと展開するほかはないと思われる。  ⇔ 当事者自治の導入  近年、準拠法の選定における当事者自治の原則は、益々、その支配の領域を拡大している。契約の準拠法の選 定に止まらず、不法行為の準拠法や物権の準拠法などの財産法の分野への導入について、すでに活発な議論が重       ︵6 4︶ ねられてきたことは、すでによく知られているところである。家族法の分野においても、夫婦財産制の準拠法に ついては、わが法例第一五条も制限的ながら規定しているところであり、また、離婚の準拠法については、オラ        ︵65︶ ンダ国際離婚法第一条がいち早くその立場を規定しており、さらに、相続の準拠法については、ハーグ国際私法 65

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国際私法における氏について       ︵66︶ 条約においてその導入が実現されている。そして、今、氏の準拠法については、すでに概観したように、スイス、 ドイツ、オランダ、フィンランド、ブルキナファソなどの諸国の現行法がそれをそれぞれの形をもって現実のも のとしている。それらの立法が目的とするものが当事者の意思の尊重であることは明らかであろう。いかなる氏 を称するかについては当事者の意思に沿うべきであるというのが、それらの立法の理念である。しかし、称氏に おいて、当事者の意思を最も端的に反映させようとするならば、実質法上、当事者による氏の選択を許容するこ とに優るものはない。現在、わが国においても議論が盛り上がっている夫婦別姓制の導入の可否の問題は、まさ しく当事者による氏の選択の余地を拡大しようとするものである。かような選択的夫婦別姓制が世界的に広く普 及されたならば、抵触法の次元における当事者自治は実際的にはそれほど重要な意味を有しないこととなると考 えられる。フィンランド家族氏名法が同国に住所を有する外国人についても、同法に依るべきことを原則として 定めていることの根底には、同法が実質法の次元における氏の選択の許容を実現しているということが存在して       ︵67V いることを看過してはならないであろう。しかし、そのような実質法上の立場がまだまだ普遍的なものとなって いない現在において、抵触法が当事者意思の尊重という理念の実現のために果たさなければならない役割には大 きいものがある。かくして、連結政策上、その理念を実現しうる法の適用を確保するための手段となりうるとこ ろに、人格権説の理論に由来する当事者自治の導入とは異なるいまひとつの意義が存在しているとみることがで きるであろう。  しかしながら、いかなる規則をもって当事者自治を導入すべきかについては、外国立法にもみられる通り、必 66

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ずしも確立された立場といえるものはない。例えば、本国法主義を原則として、常居所地法としてのドイツ法に 拠ることを許容するドイツ法に対して、住所地法主義を原則として、本国法に依ることもできるとするのがスイ ス法およびフィンランド法である。それに対して、ブルキナファソ法は身分的効力の準拠法の適用を原則として、 本国法を選択することもできるとしている。このように、今後の課題は残されているが、諸外国の立法にみられ る立場が当事者による準拠法の選定を許容する方向に向かっていること、および、右の諸立法をみる限り、本国 法が選択しうる法の範囲に含まれていることは否定できないであろう。  それでは、わが国の現行国際私法において、当事者自治の導入が可能であるかが次の問題である。そこで、そ れに関連する見解として最も注目されるのが松岡教授ならびに木棚教授の見解であろう。すでに見たように、前 者は、利益衡量の観点から、本人の本国法のみならず、夫婦の住所地法の適用の可能性も確保されるべきである とし、また、後者は、条理により、本人の本国法を原則としつつ、当事者の意思により、身分関係の効力の準拠 法の適用も認めるべきであるとする。一見したところ、これら二つの立場は同じく連結の多元化を唱えているが、 決して同一のものではない。前者が連結政策上より望ましいと考えられるいずれか一方の法の適用を義務付ける 択一的適用の立場であるのに対して、後者は、一定の範囲において当事者自治を許容する立場であり、従って、 木棚教授の主張する立場のみが当事者自治の導入を唱えるものである。この立場は、夫婦の氏に関する問題につ いて二重の性質決定を行なうものであり、現実には、連結される法の内容をみた上で、適用する法を決定するも のである。本国法主義を原則としつつ、批判されることが多い法例第一四条の連結規則を採り入れることの意義 67

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国際私法における氏にっいて        ︵68︶ は、本国法の適用の結果の不都合を常居所地法の適用によって回避しうることにある。いかなる範囲において当 事者自治が許されるべきかについては今後の課題である。差し当たり、少なくとも婚姻に伴う氏の変更の問題に 関する限り、婚姻当事者間の調和を顧慮して、本人の本国法と相手方当事者の本国法に制限し、それらの中から        ︵6 9︶ 選択することが認められてもよいのではないかと思われる。  ㊧ 総括的考察  氏の準拠法の決定における困難は、それが有する多面性に起因する。氏名には権利性と秩序性、あるいは、人 格権的側面、家族法的側面、公法的側面の三つの側面があるということはすでに多くの認めるところである。従っ て、いずれの側面を強調するか、つまり、いかなる連結政策を採るかによって、その準拠法の決定における態度 も自ずから異なることとなるであろう。しかしながら、右に見たごとく、氏に関する問題は、その性質決定につ いていかなる側面に重点を置こうとも、原則として、または、当事者の選択により、本国法を基準として解決さ        ︵70︶ れるべきことに見解がほぼ集約されてきたように思われる。そして、今後、検討されなければならない課題とし て浮上してきた問題は、本人の本国法主義を中心としながらも、いかなる場合に当事者自治が認められるべきか、 それが認められるとしたならば、いかなる範囲において認められるかということである。現在、氏名の﹁自己決 定権﹂や、ひとたび取得した氏の﹁継続性の保証﹂が顧慮されるべきことの要請が高まってきていることが、当       ︵鴛 事者自治の導入の背景として存在している。そのような要請の実益がとりわけ存するのは、婚姻を締結したり、 それを解消しようとする夫婦の氏の場合であろうと思われる。とくに離婚の場合には人格権説に拠るべきとする 68

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桜田教授の見解も、右のような要請を満足させる連結が行なわれるべきであるとの含みを有するものとして理解 されるべきであろう。ドイツ法においても、離婚後の夫婦の称氏については特別の規定は置かれていないが、原 則的には夫婦それぞれの称氏につきその本国法が適用されるといわれながら、夫婦が婚姻中その本国法とは別の 法に拠っていた場合には、離婚後、再び自己の本国法の適用を選択できる権利が与えられるべきであるといわれ   ︹72︶ ている。しかし、右のような要請に応えるために氏の準拠法の選定における当事者自治が認められるとしても、 それは、婚姻中の夫婦であれ、離婚後の夫婦であれ、夫婦の氏の場合に限られるべきであろう。渡辺教授によっ ては、属人法説は氏の問題の基本的な法的性質の把握において正当であると考えられるとしても、親子関係の成 立・変動に伴う氏の問題については、親子という家族関係の関連において捉えることが必要であるということか       ︵73︶ ら、親子関係自体と切り離して家族の個々の構成員の属人法に拠らしめることには疑問が抱かれている。確かに、 子の称氏については、夫婦のそれとは違った原理が支配すべきであると思われる。すなわち、子の独自性よりも、 親子の一体性が優先されるべきであろう。かくして、本稿における立場としては、夫婦間の称氏の問題と子の称 氏の問題とが同一に論じられるべきかは疑問が残るところである。  また、本国法主義にしても、当事者自治の原則にしても、それによって、直ちに氏の﹁自己決定権﹂や﹁継続 性の保証﹂が確保されることを意味するものではない。称氏を決定するのは、あくまでも実質法規定である。妻 の氏について本国法に依ったとしても、同法がその夫の氏への従属を規定していたり、あるいは、当事者による 準拠法の選定が許されていたとしても、いずれの法も夫婦同姓の制度を採用していたとしたならば、抵触法上の 69

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国際私法:における氏について 政策的考慮は活かされないこととなるであろう。前述のように、フィンランド法が住所地法主義に拠りながら、 フィンランド人に限って本国法を選択することを許容していることの意図もそこにあるとみられる。日本民法が 選択的夫婦別氏制を導入すれば、夫婦それぞれの本国法の適用による矛盾は減少するという鳥居教授による指摘 が再び想起されるところである。結局、この問題は、実質法上いかなる立場が採られているかとも密接に関連し ており、従って、わが民法上の夫婦別姓制の成否をも睨みながら、検討されなければならない性質を有するもの である。 70 五 結  語  一定の保護されるべき利益の確保に向けられた択一的連結と当事者意思の実現のための当事者自治の原則とい う二つの連結方法を二大柱として、家族法事項に関する抵触規則を再編成しようとする現代的動向は、平成元年       ︵7 4V における法例の改正においてもその兆しが明瞭に発現しているように思われる。前者は、例えば、法例第一七条 や第一九条のように、適用されるべき法がすでに抵触規則の中に表現されており、それ以外の法の適用は違法と なるような連結規則である。それに対して、後者は、当事者の意思に従って連結すること自体に第一次的な意義 があるとされる連結規則であり、本質的には、その適用の結果には無関心な立場である。氏の問題についても、 それらの連結規則が妥当する問題の範囲から除外すべき積極的な根拠はないと思われる。このような観点に立っ て当面の問題について考慮したならば、夫婦の氏に関する問題の連結方法として、右の二つの中のいずれが相応

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しいというべきか。それについては、次のように考えることができるであろう。すなわち、いかなる氏を称する ことが当事者の利益になるかは本人の主観の問題であって、それが客観的な判断に親しむとは思われない。その 場合において優先されるべき観点は、やはり、同氏、別氏、結合氏のいかなる氏であれ、当事者が希望する通り の氏を称することを可及的に叶えるという意味における当事者意思の尊重のほかにはないというべきであろう。 そうであるとすれば、より多様な称氏を認める法への連結を優先させるか、または、当事者自治を認めることに よって、連結の多元化を図るほかにはないと思われる。本国法主義を中心としつつ、それに拠ることが不都合な 結果をもたらす場合もあることを考慮して、本国法に代わる他の法の適用をも視野に入れていくことが今後のあ り方ではないであろうか。すでに見てきたように、諸外国の立法における動向も基本的にはこの方向にあると認 識してよいであろう。

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︵1︶ ︵2︶ ︵3︶  註  氏に関する問題を国際私法的処理に依らず、国籍帰属国法の専属事項であるとするいわゆる氏名公法理論に対す る批判として詳細であるのが、石黒一憲﹃現代国際私法・上﹄︵東京大学出版会・昭和六一年︶三五一頁以下である。  文献としては多くのものがあるが、海老沢美広﹁氏︵姓︶変更の準拠法﹂沢木敬郎U妹場準一編﹃国際私法の争点 ︵新版︶﹄︵以下、争点とする︶一九三頁以下、島野宥子﹁姓・氏の準拠法と戸籍﹂同一九五頁以下を挙げるに止める。  尤も、海老沢美広﹁渉外的な夫婦の氏試論﹂判例タイムズ七六六頁以下によれば、昭和五九年の戸籍法改正により、 日本人の氏の問題は一先ず解決されているとみることもできるものであり、残されているのは外国人の氏に関する 71

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国際私法における氏について

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︵8︶ 13 12 11 10  9 問題のみである。  山田錬一﹁氏の変更①﹂渉外判例百選︵第三版︶一八三頁以下、石黒・前掲書三五一頁以下等参照。  久保岩太郎﹁国際私法上における婚姻の身分的効力﹂法学新報五七巻二号三九頁以下。  江川英文﹁外国人と婚姻した日本人の戸籍﹂法曹時報七巻六号一頁以下。  折茂豊﹃国際私法︵各論︶︵新版︶﹄︵有斐閣・昭和四七年︶二六五頁以下、三〇七頁以下、三八七頁以下参照。さ らに、三浦正人﹁離婚﹂山田錬一H沢木敬郎編﹃国際私法演習﹄︵有斐閣・昭和六〇年︶一一八頁、欧龍雲﹃国際私 法講義︵補正版︶﹄一六五頁以下参照。  山田錬一﹃国際私法﹄︵有斐閣・平成三年︶三七〇頁参照。また、同様に、離婚の結果として個人の意思と関わり なく当然に生じる氏の変更については離婚の準拠法に依るべきであり、属人法によることができるのは、離婚の必然 的結果ではなく、本人による申立てなどを介する氏の変更に限られるべきこととなる。早田芳郎﹁西ドイツ人たる夫 の氏を称するアメリカ人たる妻につき離婚約﹃年後に婚姻前の氏への変更を許可した事例﹂昭和四七年度重要判例 解説一二〇頁参照。さらに、同様な立場からの見解によれば、婚姻後の妻の氏や子の氏について、妻や子の意思と無 関係な氏の変動ないし決定については身分関係の変動の準拠法により、妻や子の意思に基づく氏の変更については、 氏名権の問題としてそれらの者の本国法によるべきであると主張されている。同﹁氏﹂山田H沢木編・前掲書一七二 頁以下参照。  山田・前掲書三七〇頁、三八八頁、四四一頁参照。  家裁月報一一七巻五号一五五頁。  家裁月報三三巻五号九〇頁。  海老沢・前掲﹁試論﹂三六頁参照。  溜池良夫﹃国際私法講義﹄︵有斐閣・平成五年︶四二〇頁以下、鳥居淳子﹁内外人の婚姻と夫婦の氏﹂ジュリスト 一〇五九号九七頁、桜田嘉章﹃国際私法﹄︵有斐閣・平成六年︶二四三頁参照。 72

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︵14︶ 23 22 21 20 19 18 17 16 15 ︵24︶ ︵25︶ ︵26︶ ︵27︶  溜池・前掲書四四四頁、四八六頁以下参照。それと同じ立場を採るものとして、出口耕自﹃基本論点国際私法﹄︵法 学書院・平成八年︶一四五頁、矢沢舜治・基本法コンメンタールニニ頁以下参照。  山田・前掲書三七〇頁参照。  青木清・基本法コンメンタール九三頁以下参照。  溜池・前掲書四二〇頁参照。それと同じ立場を採るものとして、出口・前掲書一四五頁参照。  鳥居・前掲書九七頁参照。  桜田嘉章﹁渉外離婚と夫婦の氏﹂判例タイムズ七四七号四四八頁参照。  桜田嘉章﹁国際結婚した夫婦の氏・戸籍﹂判例タイムズ七四七号四三六頁参照。  青木・前掲九四頁参照。  鳥居・前掲九七頁参照。  海老沢・前掲﹁試論﹂三三頁以下参照。そこにおいて、婚姻の効力準拠法説がもはやわが国の実定法の状態にうま く適合しないという指摘がなされていることのひとつの根拠は、婚姻の効力準拠法の内容にかかわらず、日本人は、 戸籍法第一〇七条第二項により、届出一本で外国人配偶者の氏を称することができるということである。  佐藤やよひ﹁渉外婚姻と夫婦の氏﹂星野英一先生古稀祝賀論文集﹃日本民法学の形成と課題・下﹄︵有斐閣・平成 八年︶二〇二頁参照。  沢木敬郎”道垣内正人﹃国際私法入門︵第四版︶﹄︵有斐閣・平成八年︶二二八頁参照。島野宥子﹁国際婚姻に基づ く氏の変動について﹂民事研修二五九号二五頁以下もまた同じ立場を採るものとしてしばしば引用されている。  沢木敬郎﹁人の氏名に関する国際私法上の若干の問題﹂家裁月報三二巻五号一頁以下、とくに、二頁以下、二頁、 二四頁以下参照。  島野宥子﹁渉外事件における氏名をめぐる問題点﹂岡垣學H野田愛子編﹃講座・実務家事審判法五巻﹄︵日本評論 社・平成二年︶一〇五頁以下参照。 73

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国際私法における氏について 31 30 29 28 37 36 35 34 33 32 ︵38︶

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 石黒一憲﹁氏の変更﹂山田錬一H早田芳郎編﹃演習国際私法︵新版︶﹄八二頁参照。  石黒・前掲書三五一頁以下参照。  渡辺慢之﹁渉外親子関係と子の準拠法﹂判例タイムズ七四七号四七一頁参照。  永田誠﹁氏の変更③﹂渉外判例百選︵第三版︶一八四頁参照。そこにみられる疑問に関連して山田教授の言葉を借 りるならば、氏の﹁個人の識別という機能﹂よりも、コ定の身分関係にある者が強制的にまたはその意思に基づい て共通に称する法律上の呼称﹂という認識に重きがおかれているとみられる。山田・前掲書三七一頁注ω参照。  松岡博目岡野祐子﹁妻の氏﹂木棚照一編﹃演習ノート国際私法︵改訂版︶﹄一〇六頁参照。  松岡博﹁婚姻による妻の氏の変動の準拠法﹂昭和五六年度重要判例解説二八三頁、松岡U岡野・前掲一〇七頁参照。  木棚照一日松岡博u渡辺慢之﹃国際私法概論︵新版︶﹄︵有斐閣・平成三年︶二一五頁参照。  木棚照一・法学セミナー三六三号九六頁参照。  桜田・前掲論文四三六頁、四四八頁参照。 ○。臣目富魯①ぴURZ餌BΦ一目鐸①毎畳・冨一窪ギ凶奉霞Φ。拝  9①≧σ。一8pαRO田Oき①幕BOびΦ邑昌− ぎヨ目①Pb禽Go外§魯Gり黛ミ味︵以下、Gり津Nとする︶一SPψω律  仏語の条文は、国亀訂畠9卑Pρψ。 。に掲載されており、また、西語の条文は、肉鳴箋の騨鳴も§O避魯駄ミ禽ぎ 軌ミミ醤§賊§ミ一8ρψG 。8に掲載されている。  国色富畠8卑鉾○●︸ψ㎝h参照。  肉ミ曇隣鳴熔§o奪魯魯ミらぎ賊ミ鳴ミ§賊§ミ一8。ひ。器。 。。参照。  零国○Φ一曾薫oΦ一罫弓甲OΦω魯囲①ど轟営α8Z一8Φ吋一餌且81U器Z鋤ヨΦ爵o≡ω一gω−巨α鼠ω浮Φざ一一一ω一〇房− 鳴器9ー︶、独嚢蹄駄8軌ミ鳴ミ“織§ミ§勺試ミ︸§織ささミ§的ミ魯討︵以下、鰭嚢とする︶H㊤OρψG 。零崔さらに、 笠原俊宏﹁外国国際私法立法に関する研究ノート㈲  オランダ氏名抵触法︵一九八九年︶・フィンランド家族氏名 法︵一九八五年︶  ﹂大阪国際大学紀要国際研究論叢一一巻一号︵近稿︶参照。 74

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︵46︶        52 51 50 49 48 47

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︵55︶  国○巴Φ−譲8一貫勲PO●︸ω。も 。錺.参照。  オランダの﹁婚姻の解消および別居についての法律抵触規則に関する法律﹂︵一九入一年四月一〇日施行︶第一条 第二項は、当事者と国籍所属国との社会的紐帯を必要としている。笠原俊宏﹃国際私法立法総覧﹄︵冨山房・平成元 年︶七八頁、および、杉林信義“笠原俊宏﹁オランダの国際離婚法について﹂秋田法学七号一六六頁以下参照。  閃○Φ一Φ−薫○Φ一貫ppP︶ω●o 。お。参照。  笠原俊宏﹁イタリア国際私法の改正とその特質について﹂比較法三四号一〇五頁以下、さらに、奥田安弘目桑原康 行﹁イタリア国際私法の改正﹂戸籍時報四六〇号五六頁以下参照。  なお、イタリア改正国際私法の逐条解説を特集した菱§醤魯蕊ミむ軌ミミミ濤篤§ミ恥︾試ミむ鳴慧8翁ミミ鳴一8ρ P5霧ωω●とくに、マ5器ωω・参照。  笠原・前掲書三一七頁および三一八頁参照。なお、第五条第一項は重国籍者の本国法の決定に関する規定である。  笠原・前掲書三九六頁および三九七頁参照。  笠原・前掲書七一頁参照。  笠原・前掲書一三五頁および二二六頁参照。  笠原・前掲書二四四頁参照。なお、第五条第一項は重国籍者の本国法の決定に関する規定である。  佐藤文彦﹁ドイツ国際私法における氏の準拠法についてー民法典施行法第一〇条の変更を中心にー﹂名城法学 四六巻一号一三三頁以下参照。なお、本文において引用された邦訳は、部分的に加筆されたものである。  佐藤︵文︶・前掲一二九頁以下、とくに一三二頁、二二六頁以下参照。  国●冒蜜目PN霞内o良ゆ貯讐一〇昌αΦω営けΦ旨讐一〇p巴ΦロZ蝉BΦ湯おo窪ω営固づ巳曽昌9毫嚢一〇〇 。①”ψω一霞廿劇■ ωoぼ雲ρU器ゆ暮δ9①○Φω9N§Rα雪司◎ヨ旨雪冨旨窪く自お。 。9のぶNおo 。8ω’ω器宍さらに、笠原・前掲研究 ノート参照。  冒Kヨρ鉾pO‘ψ総。●参照。 75

参照

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