日本の葬祭業における感情管理
著者
玉川 貴子
雑誌名
名古屋学院大学論集 社会科学篇
巻
52
号
1
ページ
117-132
発行年
2015-07-31
URL
http://doi.org/10.15012/00000585
日本の葬祭業における感情管理
玉 川 貴 子
名古屋学院大学現代社会学部
〔論文〕
Funeral Director’s Emotion Work in Japan
Takako TAMAGAWA
Faculty of Contemporary Social Studies Nagoya Gakuin University
発行日 2015 年 7 月 31 日 要 旨 サービス就業者が,感情労働を行っていることはホックシールドをはじめ多くの研究者に指摘され ている。そこでは,サービスの種類を問わず,会社からの感情管理によって労働者の感情が疎外され ていることが指摘されている。しかし,サービス内容が異なれば,顧客が抱くサービス職のイメージ も異なる。労働者は,職業イメージをもって接する様々な顧客に対して,マニュアルが示す感情管理 だけで対応しうるのだろうか。本稿では,葬祭業者の語りを取り上げ,葬儀の打ち合わせの場面等で みせる遺族へのインフォーマルな配慮を明らかにする。葬祭業者は,そうした配慮が会社から管理さ れるような営利目的の配慮ではないことをたえず意識することで,自らの仕事が遺族の感情に寄り添 う仕事と位置づけようとしている。 キーワード:感情デザイン,マニュアル化,インフォーマルな感情
1.はじめに 葬祭業界は死亡者数の増加1)から成長産業と言われ,就業者数も1986 年から 2005 年までの 20 年近くの間で約2 倍以上に増加した1)(経済産業省2005:1)。その一方で,葬祭業界は,給与面で 比較的高収入を得ながらも,雇用の流動性が指摘されている2)。人材が定着しにくい理由として, 葬儀社の営業職は当直業務など就業時間が不規則で体力的にハードな仕事だということが挙げら れる。女性の場合,他業界へ転職するケースも少なからず見られるが,男性の場合,自らが葬儀 社を興すケースや同業他社に転職するケースもある。葬儀社を興す理由の一つは,専業葬祭事業 者3)(以下,葬祭業者)の場合,冠婚葬祭互助会とは異なり,許可制ではないため手続き上の面 倒が少なく小規模でも会社を興しやすいためである。 かつて人材が定着しにくい理由として挙げられていたのは,上記のような労働環境ではなく職 業的地位との関連だった。たとえば,日本では,1995 年に葬祭ディレクター技能審査制度4)が設 立されたが,設立には,葬祭業の技能を向上させ,葬祭業が社会から認知されるようにするとい う目的もあった。当時の技能審査協会副会長の竹内恵司氏によると,資格制度導入の背景には, 「実際の社会の中で葬祭従事者が何らかの形であれ,客観的に認められることがないことには仕 事に誇りをもつことが難しい。特に長い間,死や葬儀は社会的に忌避されてきて,葬祭業そのも のが強い偏見の下に置かれてきたということがある」という認識があった。そして,この資格制 度によって「初めて葬祭業で働く人々に対する社会的位置づけができた」(表現社[表現文化社] 1995:31)という。社会的に忌避される職業だったこともあり,人材を定着させるためにも地 位向上が求められていた。 資格制度の整備やマニュアル教育の導入,そして葬祭業者数の増加によって,他のサービス職 と同じであるという認識が浸透してきた一方で,マニュアル管理のしにくい面も浮き彫りになる。 葬祭ディレクター資格の参考書では,どの遺族にも同じ対応は避けるよう記述されているだけで, 具体的・実践的な対応マニュアルがあるわけではない。つまり,葬儀の打ち合わせ場面で,金銭 的な話をいきなり持ち出さないような遺族への気遣いや配慮そのものは,細かな明文化された規 1) 平成 2005 年度の経済産業省経済産業政策調査統計部「特定サービス産業実態調査報告書」によると, 葬儀業に従事する人は,パートを含めて50,933 人で,1986 年度は 23,608 人なので,約 20 年で 2 倍以上 に増えたことになる。就業者規模別事業所数では,5 人から 9 人規模の事業所が最も多い。 (http://www.meti.go.jp/statistics/tyo/tokusabizi/result-2/h17.html, 2010/01/20.) 2) 本論文で扱っている A 社でも営業職において 10 年勤続すると表彰されるほど雇用は流動的である。 3) 本稿では,葬儀事業ならびに葬儀業に従事する労働者を葬祭業者と表記する。なお,ここでは葬祭事業・ 葬儀業を経営する雇用者は含まないこととする。産業分類では,葬儀業となっているが,自らを葬祭業 と名乗ってきた歴史的経緯があるため,ここでは,そのように表記する。 4) 厚生労働省が認可している葬祭ディレクター技能審査は,全日本葬祭業協同組合連合会を窓口にして, 1995 年に葬祭業界に働く人々の技能振興を目的として設立された。1 級と 2 級の資格認定がある。平成 21 年の 1 級合格率は 70.5%,2 級は 72.0%である。この資格はライセンス制ではない(葬祭ディレクター 技能審査協会http://www.sousai-director.jp/download/past.pdf 2010/02/27)。
則があるというよりも葬祭業者自身が考えて対応するものと捉えられている。遺族にみせる配慮 や感情は,かつてのような蔑視があったこともあり,営利目的ではなくインフォーマルなものだ と葬祭業者自身が必要以上に示そうとしてしまう場合もあるのではないだろうか。 本稿では,遺族との対面的相互行為のなかで葬祭業者が自らの感情をデザインせざるを得ない 状況にあることをインタビュー等から明らかにする。そのうえで,他のサービス職と同じように 位置づけにくい葬祭業者特有の感情的な負担について検討していく。なお,ここでは,企業の利 益誘導教育やマニュアルなどによって感情をフォーマルな管理に依拠できず,遺族への配慮や感 情を労働者自身の個性や私的な感情として顧客に示す,あるいはそのようなものとして認知する ことを感情の「インフォーマルな管理」と呼ぶことにしたい。 それらの葬祭業者のインフォーマルな配慮や感情は,必ずしも利益に結びつくとは限らないた め,企業側と矛盾・対立する可能性がある。ただし,遺族からの感謝は企業側の価値を高めるた め,この点において労働者と企業利益との一致をみる根拠になるであろう。したがって,企業に よる管理と葬祭業者との労使対立は表向き回避されるものの,葬祭業者と顧客とのサービス上の 関係においては,企業側の教育やマニュアルに責任を帰しにくい状況をつくりだしてしまい,感 情の「インフォーマルな管理」は仕事を継続していくうえで必要不可欠なものとなっていると考 えられる。このことが,雇用の流動性とどの程度関係しているのかは本稿では検討できないが, 雇用環境(労働条件等含め)以外の離職や転職の可能性,つまり他のサービス業と同様に考えら れるようになったからこそ生じた葬祭業特有の感情管理を示すことができると考えている。 次のところでは,葬祭サービスと他のサービスとの共通点と相違点についてふれていくことに したい。 2.分析視角:顧客の感情と労働者の感情デザイン 接客サービスの多くは,顧客との対面的相互行為を含み,会社は労働者だけでなく,労働者4 4 4 を通じて4 4 4 4顧客をも何らかの形で管理していることが明らかにされてきた(Ritzer 1996 = 1999, Hochschild 1983 = 2000)。ここには,会社などの管理者,労働者,顧客という三極(三者関係) が存在する。 鈴木は,対人サービス職を理論的に整理しており,この三極統制関係に着目している。顧客行 動を統制して労働過程の予測不可能性を低下させるため,労働者は顧客行動を統制しようとする (鈴木2012:47)。三極関係においては当事者間の対立が別の対立に転移する。たとえば,顧客 を操作・統制し,売り上げアップをもくろむ管理者は顧客との対立を引き起こすはずだが,現場 で働く労働者と顧客との対立に転移する。接客現場では,労働者が会社を代表する存在になるか らである。これを鈴木は転移効果と呼んでいる(鈴木2012:54)。このように管理者,労働者, 顧客の三者関係は対立する可能性をはらむ。ただ,これまでの感情労働研究では,どちらかとい えば管理者と労働者の労使間対立に注目してきた。 サービス業就業者の感情労働について研究したホックシールドは,労働者の感情に影響を与え
る条件を組織的な管理(マニュアル)の影響が大きいと考えていた。近代以降の資本制社会の行 き着いた先が,生命や感情といった人間存在にかかわる「神聖で自然なもの」が金銭と交換され るという状態であり,そのときに起きたディレンマがサービス労働においても見出されるからで ある。そして,感情は,本当に「自然」かどうかを問いかけている。 ホックシールドは,労働者の感情に着目し,サービス業が他の労働と似ていながらも異なる点 は,感情が提供される点だと指摘する。サービス業に従事する人々は,社内教育とそれを受けた 労働者の感情管理によって自らの感情を装ったり(表層演技),誘発したり(深層演技)しながら, その職務にふさわしい感情が提供されているとホックシールドは指摘する(Hochschild 1983 = 2000: 5―10)。顧客に提供されるものが感情であることによって,会社から労働者は感情を管理 するよう訓練されている。そして,ホックシールドは,「遺族にわかっている」と感じさせる葬 祭業者もスチュワーデスや集金人と同じ感情労働者として位置づけている(Hochschild 1983 = 2000: 12)。 しかし,葬祭業者,スチュワーデス,集金人が同じ感情労働者といっても顧客自身の労働者に 対するイメージが異なる。顧客が労働者に抱くイメージが異なると,そうした顧客による労働者 への評価や感情を想定したうえで労働者側がふさわしい配慮や感情を呈示しなければならなくな る。管理者は顧客がスチュワーデスに抱く明るいイメージや笑顔を想定し,そのような教育を受 けたスチュワーデスは笑顔を呈示するし,管理教育された集金人であれば債務者が抱くイメージ 通りの感情,威圧的な雰囲気などを与えるだろう。こうした個々の職業によって異なる顧客感情 の想定は,労働者の感情の商品価値を高めることにもつながり,ますますマニュアル化に拍車を 掛ける。スチュワーデスの場合,航空料金はすでに支払済みであり,目の前の顧客がリピーター になることに重点が置かれるため,スチュワーデスの感情労働は次回以降の売り上げにつながり うるという意味で商品価値を帯びるだろう。しかし,日本の葬祭業者も同じように考えてよいの だろうか。日本の場合,葬儀商品の購入は,基本的にはその場での葬祭業者との相互行為によっ て決定していく。しかも,葬儀におけるリピーターは,死亡によって決定されることが多く,必 ずしも自発的な顧客とはいえない。 葬祭業者が遺族に「わかっている」と感じさせるような感情が価値をもっている,ないしはそ のように教育されていたとしても,家族の死亡にともなって遺体処理が発生すればそうした義務 を果たそうとする遺族への販売促進において労働者の感情がどれほど有効なのかを特定すること は容易ではない。それは,そのように感じさせた方がクレームに繋がりにくいという程度のこと であり,葬祭業者の私的な感情が会社から搾取され管理されている明確な根拠を示すことそのも のが困難である(だからといって,搾取されていないとはいえない)。したがって,ホックシー ルドの調査からだけでは葬祭業者の感情的不協和を明らかにするのに十分とはいえない。 葬祭業者よりも明確に感情規則が設定されている集金人の調査ではどうだろうか。ホックシー ルドの調査では,集金人は債務者に対して恐怖心を与えて取り立てを行うよう指導されていたが, サットンの調査では,こうした恐怖心や敵意というよりは否定的な感情を表示するよう指導され, かつ債務者ごとに異なる感情が表示されるような規範があったという(Sutton 1991: 250,鈴木
2012:172)。管理者側が集金人だけでなく債務者ごと(=顧客)の異なる感情を想定し規範化 することで,集金人―顧客の相互行為に対して状況適合的な統制が可能になる。しかし,サットン, ホックシールドの集金人調査では集金人が「感情的不協和」にいかに対応するかが,客室乗務員 ほどあきらかになっていないと指摘されている(鈴木2012:173) では,商品を買わせる必要のない感情労働者たちに対して,そのサービスの受け手はどのよう なイメージを抱くのだろうか。パム・スミスは,患者らが看マ護婦(看護スタッフ)を「慈悲の天使」マ (Smith 1992 = 2007: 48)や「“生まれながらの”技能と,天職としての使命感を持ち,献身的である」 (ibid: 51)人としてイメージしており,看マ護婦の採用ポスターでもこうしたイメージが一致するマ ことを指摘したうえで,「看護婦が,“お金のために看護に魅力を感じる”ようなことはほとんど ありえない,といったイメージ」(ibid: 49)をもっていると述べている。しかし,看マ護婦自身は,マ そのイメージに抵抗を示して天職としての使命感をもたないという(ibid: 50)。このことは,自 分の職業や患者に対する感情が看護学生に本来備わっているのではなく,患者が抱くイメージを 損わないよう病院の中で管理されていくことを示す。 スミスは,看護学生の個性と病棟での管理スタイル,さらに病人への流れ作業的ケアの一部と しての業務を中心に管理するか,人をいたわることを念頭に置くかによって異なる特徴があるこ とを指摘し,病棟の婦長が人間志向的な場合,感情労働を重視する婦長のもとで看護学生もそう した感情労働を選択していくことが示されている(ibid: 113―157,202―207)。その上で,看護学 生は「ケアリングの雰囲気やケアする構えが病棟にない場合には,それを自分で作り上げる責任」 (ibid: 125)を感じていたという。このように管理スタイルが看護学生の個性と一致するかどう かということがケアに影響を与えることが指摘されている。看護ケアについては公式に教えられ 図 労働者の感情デザイン性に関する布置
ないため,マニュアル教育によって感情労働者になっていくというよりも病棟における婦長の管 理のもとで感情労働を自らの責任として引き受けているということになる。したかって,看護学 生は感情をある程度,自らデザイン・管理することが求められている。 ヴォウタースは,オランダのKLM 航空の調査から乗務員が多様な乗客に対応するためにマニュ アルに従うだけではないことを指摘する。そして,乗務員の対応を「インフォーマル化」された 自発的なもののようにみえるという(Wouters 1989: 117,岡原 2013:55)。労働者が自分の感情 をモニターし周囲の状況をみながら感情をつくりあげるというのであれば,本当の感情から疎外 されているというよりも主体的に管理しているということになる(岡原2013:55―56)。岡原は,「イ ンフォーマル化によって,縦横無尽に,その都度の状況にフィットする感情を体験して行くとし たら,それは管理された感情の堅苦しさより,デザインされた感情という言い回しがぴったりの ような気がする」(ibid: 55)と述べている。しかし,感情が管理されたものではなくデザインさ れていたとしても,そこに葛藤が生じないとはいえない。むしろ感情がデザインされることで三 者関係における対立の転移が起きやすくなるのではないだろうか。 管理者―労働者―顧客との三極関係を視野に入れた上で,何らかの職業イメージをもつ顧客との 相互行為場面を考えた時,労働者がインフォーマルな感情を呈示しやすいか,それとも管理・統 制された感情呈示に偏るのかという職業的な布置を示すと図のようになる。 3.葬祭業教育におけるインフォーマルな感情への誘導 先ほどの分析視角からも明らかにしたように,ホックシールドの感情労働論では,葬祭業もス チュワーデス,集金人との類似性が指摘できるが,顧客のもつ職業イメージや感情のデザイン性 からすると,やや異なる配置になるのではないかと考えられる。というのも,対面的相互行為に おいて,金銭的な話をもちかけるという遺族への感情の負荷が高く,葬祭業者自身もこのことを 自覚しているからである。 このことを,インタビューと葬祭ディレクター試験受験者のための参考書から確認したい。企 業によっては,このディレクター資格を取得することが義務付けられており,筆者が調査した企 業でもその取得を推奨していた。 対人サービス業の多くが顧客との対応をマニュアル化しているなかで,葬儀社においてなかな かマニュアル化されないことは,その職業の特殊性として語られる。たとえば,現場の葬祭業者 を教育する立場にあるB さんは,マニュアルについて次のように話す。 そんなにマニュアルができているわけでもないんですよ。むしろもっとマニュアル化すべきだ と思ってますけども。たぶんA 社はそういう教育に関してはトップを走ってると思いますけど。 まだなんていうか暗黙知の部分を形式知にこう転換するっていう行為自体がなかったので。そ ういう蓄積はまだないんですね。で,補足すると,何でマニュアルが必要かっていうと,必ず マニュアルで対応できない部分が存在するからなんですよ[2009 年 9 月 19 日,B さんへのイン
タビュー]。 B さんは,葬祭業の仕事にはマニュアル化できないことが存在するために逆にマニュアル化が 必要だと主張する。このマニュアル化できない部分というのは,遺族との対応やコミュニケー ションである。マニュアル化可能な部分というのは,通夜・葬儀を行う時の準備・業務手順など である。したがって,遺族との対応に関しては,「マクドナルドのアルバイト的な発想ではちょっ と厳しい」とも語っていた。 つまり,どの遺族に対しても同じような表情,同じような対応しかできないことは,葬祭業者 としては通用しないと考えられている。もっといえば,マクドナルドのように効率よく利益を優 先させるための顧客対応が絶対的な正解ではないと考えられている。遺族自体,標準化された顧 客像として管理しえないことを葬祭業者が認識していることでもある。 では,葬祭ディレクターの参考書では,打ち合わせに臨む顧客はどのような状態にあると定義 され,その顧客にどう働きかけるべきだと書かれているのだろうか。 打ち合わせになると,すぐ祭壇の大きさや費用の見積に入るケースが少なくありませんが, まず遺族の葬儀に対する想いを聞きとることが重要になります。故人はどういう人だったのか, 故人は家族をどう思っていたのか,葬儀に対して言い遺しておいたことはないのか,故人に対 する遺族の想いはどうであるのか,にまず耳を傾けることが必要です。遺族は精神的な衝撃を 受けていることも少なくありません。その想いを相手に吐き出させることが,心の傷の癒しに とっても重要なことなのです。遺族は想いを聞いてくれたということで信頼や安心を増すこと でしょう。「打ち合わせの場は最初のカウンセリングの場」という考え方もあるほどです(碑 文谷1999:77)。 葬祭ディレクターの参考書において,打ち合わせは,精神的にダメージの大きい状態の遺族に 通夜・葬儀の日取りを決め,様々な物品購入を促す最も緊張が強いられる状況であることを示し ている。通常,葬祭業者と遺族は,遺族からの連絡を受けて初めて対面することが多い。つまり, 地域密着型の葬祭業者以外,死者やその家族らと生前からの継続的な付き合いをしているわけで はない。初対面の葬祭業者がいきなり金銭的な話を持ち出すことは遺族の不信感を増長させるこ とにつながりかねないのである。 ここでの遺族は,「精神的な衝撃を受けている」人だとみなされており,そのような遺族に対 して葬祭業者がどのように働きかけ,契約をとるのか,あるいはどのようして寄り添うことが正 解なのかということが明示されているわけではない。葬祭業者にとって「営業」も遺族への「ケ ア」も自らが考えなければならないものとなっている。 利益を上げるためには,それらを計算可能なものとしたマニュアル―遺族の年齢によって会 葬者数が多い/ 少ない,経済的に余裕のある人 / ない人などで祭壇の勧め方が異なるなど―
作成を必要とする5)。筆者がフィールドワークを行ったA 社6)では,顧客の「安心」と「信頼」を 目指し,顧客の「満足」を創りだすことを教えていた。しかし,これらの教えが会社の利益に繋 がる予測・計算可能なマニュアルとして葬祭業者が話しているのを聞いたこともなかった。葬祭 業にまつわる暗いイメージから脱却しようと試行錯誤していたこともあるためか(玉川2009), 利益誘導的なマニュアルが作成されること自体がタブーとなっているのかもしれない。 利益誘導的な文言は,葬祭ディレクター試験の参考書にもなかった。顧客としての遺族は,む しろ,「同じサービスを提供しても,ある喪家は『ありがとう』と感謝し,またある喪家は『余 計なことをする』と怒る,これがサービスのもつ特質です」(碑文谷1999:277)と書かれてい る箇所があるぐらいである。つまり,カウンセリングが必要となるような状況の遺族が,提供さ れるサービス内容に満足を抱くとは限らないことを示している。こうした遺族に対して,提供さ れるサービスを受けいれるよう,どう働きかけたらよいのかということはやはり示されない。 以上から遺族をコントロールし利益を得るような振る舞いが困難であると葬祭業者自身も,そ してマニュアルでさえもそのように示していることがわかる。このことは,マニュアルが本来, コントロールしなければならないもの,つまり売り上げにつながるような商品化された葬祭業者 の感情を提供することそのものをフォーマルに認めないことにもつながる。葬祭業者がどんなに 自らの感情をデザインし,売り上げには結びつかない遺族への配慮を遂行したとしても(営業と は別の私的な配慮),会社側は遺族へのインフォーマルな配慮ではなく利益を上げることを求め るだろう。 では,顧客に対する統一的なイメージや個々の顧客への対応マニュアルがないなかで葬祭業者 は遺族との打ち合わせをどのように遂行しているのだろうか。そして,葬祭業者らの間で遺族と の打ち合わせにについて,どのような相違/ 共通点が見られるのだろうか。 4.利益につながらない「配慮」:「打ち合わせ」についての語り 3 でも述べたように,ディレクター資格の参考書では,遺族を「心の傷」を負った人と位置付 けていた。では,現場の葬祭業者は,遺族に対してどのように接しているのだろうか。また具体 的・実践的な遺族対応マニュアルがないなかで,打ち合わせについてどのような経験を語るのだ ろうか。 ここで,筆者が調査した葬祭業者の打ち合わせ場面についての語りを見ていくことにしたい。 主に取り上げるのは,2006~2009 年時点で仕事を継続している A さん,B さん,C さんの 3 名と, 会社を辞め葬祭業界からも去ったD さんの計 4 名である7)。 5) ただし,経験を積んでいく中で遺族の経済状態に見合った祭壇をすすめることは暗黙知として身につい ている場合がある(小林2009:65)。 6) A 社でのフィールドワークは,2002 年 10 月から 2003 年 3 月まで行った。A 社は大都市圏で葬祭事業を 展開している。詳しくは,注の7)を参照されたい。 7) A 社は大都市圏に本社をもち,都内にも営業所をもつ大手葬儀社(従業員数は 2009 年時,320 名)であ
仕事を継続しているC さんの場合,葬儀の打ち合わせ場面は,実際は「営業」であったとして もそれを前景化させるものではないと指摘し,次のように語っている。 すぐ泣いちゃうんですよ。遺族と話しながら涙目になっちゃうんですよ。だからいいます。 「すみません,涙もろいんです。ごめんなさい」っていっちゃいます。私はあのー……だめで すね。すぐもらい泣きしちゃいます。話しているときにちょっと涙目に,涙目になっているこ とが恐らくばれているであろうなっていう状況になって。それで別に嫌な雰囲気になったって いうことはないです。どちらかというと何かこう,ちょっと打ち解け……られたかな,と感じ る方が多いですね。私はしょっちゅう泣いていますから[2006 年 9 月 18 日,C さんへのインタ ビュー]。 遺族との打ち合わせで「泣く」のは,C さんのパーソナリティよるものかもしれないが,「泣く」 ことが許容される仕事でなければC さんも泣かないだろう。つまり,泣くことは営業に支障をき たすよりも「どちらかというと何かこう,ちょっと打ち解け……られた」と感じられるのである。 ただし,泣くことを職務上における営業行為として結びつけるのは,早計であろう。ある女性葬 祭業者は,「泣きそうになることもあるが,本当に悲しくて泣いているのかなと思うと自分たち は泣く資格はないなと思う8)」と語っていた。遺族でも親族でもない葬祭業者が「泣く」ことは, その“立場上”からは,やや逸脱的な行為と考えられている。 興味深いのは,C さんは「もらい泣き」が葬祭業者の“感じ方”としては逸脱的な行為だと感 じていないという点である。彼が逸脱と感じなくて済むのは,『葬儀概論』で教えられていた「遺 族の心の傷」を《共感的》に引き受けたという解釈が成立し得るからである。こうした「配慮」 は,葬祭業者として遺族からの信頼と社会的承認を得るという点では重要だと考えられているの だろう。しかし,先ほどの女性葬祭業者の発言にもあるとおり,職務上必要な行為としてどの葬 祭業者にも共有されているわけではない。 C さんとは真逆ともいえるような発言をしていたのが,B さんである。担当経験が豊富な B さ んは,遺族と対面する時,どのような点に注意しているのかということを次のように語ってくれ る。都内営業所で働く/ 働いていた葬祭業者(営業の社員)とセレモニースタッフに 2002 年から 2009 年まで断続的ではあるが,在職者・退職者を含め23 名にインタビュー調査を行った。主に半構造化イン タビューの手法を用いている。このデータの中から営業職として遺族と打ち合わせ経験のある葬祭業者 のインタビューを取り上げる。2009 年時入社 4 年目の A さん(2009 年時・20 代女性),10 年以上,葬祭 業者として働いているB さん(2009 年時・30 代男性),2006 年時,介護職から中途採用で入社して 1 年 半のC さん(2006 年時・30 代男性),そして,2 年で退社した D さん(2005 年時・30 代女性)の 4 人が, 遺族との打ち合わせについて語った部分をピックアップし分析する。A さんは,2009 年 9 月 19 日にイン タビューを行い,そこにはB さんも同席していた。C さんは,2006 年にインタビューした。B さんは, 2002 年から 2009 年まで筆者の個人的なインタビューを含め 5 回以上,D さんは,2003 年と 2005 年にイ ンタビューを行っている。それぞれのインタビュー時間は,約1 ~ 2 時間である。 8) 2009 年 9 月 19 日,Y さん(2009 年時,20 代女性)へのインタビュー
た。 たとえば自分のお子さんを亡くされたケースとか,そういったケースは本当になんていうの かな,いたたまれない部分があります。で,そういうときに自分が考えるのは,こういう言い 方は誤解があるかもしれないですけれども,本当に機械のようになろうっていうところがあっ て。機械のようになろうっていうとなんか,すごく感情がないみたいなイメージを持たれるか もしれないですけれども,そこは自分の存在をあくまで消してしまおうと。遺族の感情を最優 先して,自分のこうやった自己満足とか,そういったものを全て否定して,もう機械のように システマティックに。やはりそういう場ですからその人の人生観とか人間観みたいなのが試さ れるところはあるんで,そこはもう,葬儀社の担当の個性だと思うんですけれども,私は逆に そういう,むしろ機械的な,敢えて機械的なという表現を使いますけれども,そういった対応 をするべきだと考えている人間ですね[2007 年 6 月 20 日,B さんへのインタビュー]。 先ほどのC さんとは違い,感情を出さないようにしているのが B さんである。「機械のよう に」という言葉だけを捉えると,死後が合理化された中で働く労働者の脱人間化(Ritzer 1996 = 1999)が現れているように思えるかもしれない。しかし,B さんは,「遺族の感情を最優先」す るための手段として機械的に仕事をすると述べている。さらに,遺族と接するときは,「人生観 とか人間観みたいなのが試される」として,葬祭業者の個性が出るのだという。つまり,遺族に 対して自らが個性をもった葬祭業者として接する時の例として,B さんは語っているのであり, マニュアル通りに動くという意味で「機械のように」と発言したわけではない。 というのも,B さんは会社などのマニュアルでは使うよう教えられている「ご愁傷様でござい ます」という言葉を使わないと発言していたからである。B さんは,その言葉を使わない理由と して「心がこもってないと思うんです。『ご愁傷様でございます』っていうのは。日常の会話じゃ ないじゃないですか。だからあんまりそういう形式的な言葉というか,決り文句というか,そう いう表現はあまり使いたくないな,というね。……使っちゃダメって訳じゃないんです。自分の 考え方として,使わないようにしてます」と発言していた[2006 年 8 月 19 日,B さんへのインタ ビュー]。 B さんとは異なるが,人間観が試されるような経験をしたのが A さんである。A さんは,遺族 との打ち合わせ場面に臨んだ時,次のような経験をしたことを話してくれた。 そうですね,やっぱりテレビなんかで,こう悪質葬儀屋みたいなテレビとかがあったりと かするのが,私たちも見てるし,お客様もそういうのを見ていて,私は騙されないわ,って 覚悟で臨まれることがあって……,おばあちゃんだったんですけど,そのお打ち合わせをす る相手の方が「騙さないでね」と言われて「大丈夫ですよ」と,「ちゃんと今から全部説明し ますからね」ということもありますし。やっぱり,こうそういう風に見られる。最初から偏見 を持って一番最初のスタート段階はすごいこうふてぶてしくというか,お話をされるんですけ
ど,やっぱり終わる段階では一切なくなっているという[2009 年 9 月 19 日,A さんへのインタ ビュー]。 この語りからもわかるように,顧客である遺族は葬祭業者からサービスを購入しようとする時, 完全に葬祭業者を信頼しているとはかぎらない。顧客は,自らの遺族としての感情(家族の死に 対するショック)を葬祭業者が利用し,不当に利益を得ているのではないかと疑念を抱く可能性 がある。 こうした不当な利益についての疑念を遺族がぶつけることをA さんは予測していた。「悪質葬 儀屋みたいなテレビとかがあったり」というようにA さんは,遺族から見られる葬祭業者イメー ジを十分自覚し,「ちゃんと今から全部説明しますからね」と声をかけて,相手に信頼してもら うよう働きかけていた。つまり,ディレクターの参考書にあるように,感謝されるか怒られるか わからないという遺族の反応を念頭に置いたうえで,葬祭業者自身の人間性を見せる「配慮」が 必要になっていることがわかる。 マニュアル化しにくい遺族への配慮が,やや違った形で現れてしまった人もいる。結果的にA 社を辞め,葬祭業界からも去ったD さんの体験である。D さん自身の配慮は,ディレクターの参 考書における遺族の想いへの配慮というよりも企業の利益誘導的な管理と対立するものとして捉 えられている。 私,一度,50 代だったかな,40 代だったかなー,50 いってたぐらいの男の人? ほんとに 自分の父親ぐらいだったから,50 すぎぐらいの男の人で,癌で亡くなった人の請負(営業) をしたんだけど,[遺族が]奥さんと子供二人なわけ。子供もさあ,大学生と高校生だったか な,女の子,男の子だったのね。で,さあ,そういう人からあんまお金とりたくないじゃん, そんな人から。だけど,会社の人とか親戚の人とか来てて,会社の人は,[多くの会葬者が] 来ますね,って断言。会社中から来ますね,取引先からも来ますね,って言って。「ざっとで いいから,どれぐらいになりますかね」って[聞いて],あと友人関係とか。300 人規模ぐらい, すっごい[会葬者が]来ちゃう感じだったの。……そうなると,やっぱりそれ相応の大きさの 式場じゃないと,人もあふれてしまって,来ていただく方に迷惑なっちゃうし。そうなると, 「この部屋だと,この[価格の高い]祭壇が一番ぴったりきますけど,どうします?」って言っ て。結局150[万]だか 180[万]の祭壇とったんだよね,でもほんとに嫌だった。それで, ほんとになんか。……もうさ,むしりとる気持ちがしてしまったの,私。だってさ,そのお母 さんもどうも専業主婦っぽいし,これから大変だろうなって[2005 年 1 月 29 日,D さんへの インタビュー]。 D さんは,新卒で A 社に入社しており,新入社員研修を受けている。そのことをふまえた上で, D さんの語りを検討してみたい。まず,語りからわかるように働き盛りの男性が死亡し,遺族の その後の生活に想像をめぐらせたD さんは,できるだけ遺族に「配慮」した価格の安い葬儀を提
案したいと思っていた。しかし,働き盛りで亡くなったがゆえに会葬者が多く来ることが予想さ れ,広い式場で葬儀を行うという別の「配慮」を優先させたのである。この「配慮」は,葬儀の 主催者でもある遺族にとって重要な決定事項ではあるが,D さんは広い式場や高い祭壇という会 社が利益を得ることに繋がっている「配慮」だと感じたのである。そして,この祭壇に関する配 慮が遺族の「満足」に繋がったとD さん自身が確信しているわけではない。というのも,D さん は,高い祭壇をとることができてしまったことが「嫌だった」と語っているからである。 このような自身の体験をふまえて,「ボランティアじゃないからそれぐらいの商売心がないと 難しいんだなっていうのがディレンマだった」とD さんは語っていた。先ほども述べたように D さんは新入社員研修を受けている。その研修資料のメモの中には顧客=遺族への「配慮」が教え られている。同時に,メモの中には,その配慮が「→気持ちだけじゃダメ」と書かれていた。こ のように「気持ちだけの配慮」は,葬祭業者の私的なものであることを示すかのように教えられ ており,それを戒められていた。D さんは,自分の気持ちによる4 4 4 4 4 4「配慮」を抑制・管理し,会社 にとって利益になるような配慮を選択したことに対して自分を責めてしまったのである。 ここで重要なのは,遺族との打ち合わせ場面において利益につながらないインフォーマルな「配 慮」そのものをD さんは感じてはいけないものという否定的な捉え方をしていなかったという点 である。D さんの語りからわかるのは,広い式場で葬儀を行うという「配慮」をした瞬間,それ が遺族に対する配慮ではなく会社の利益への配慮にすり替わってしまったことへの落胆である。 D さんは,会社への営業的な「配慮」と遺族へのインフォーマルな「配慮」という二重規範(double standard)に陥り,自問してしまったのである。 たとえ顧客の「満足度」が葬祭業者の担当指名回数などで数量化されたとしても,家族の死に よって顧客になっているため,「満足」自体がありえない。そのことを自らの配慮不足として自 問してしまうことを回避できるかどうかが,仕事の継続に関係しているのではないだろうか。 遺族の感情に関わる仕事であるという認識をもつB さんは,自分自身の感情は抑制し,遺族の 感情に「配慮」する。そのためマニュアルでは是とされている「ご愁傷様でございます」という 言葉は,遺族へのB さんなりの「配慮」として,あえて避けられている。このことは,葬儀社の 社員としては賞賛される行為とはいえないかもしれない。こうした「配慮」は,個人的なもの, 私的なものと捉えられるだけでなく自らの配慮不足を自問せずにすむようなものである。 A さんから D さんまでの語りを整理してみよう。4 人とも遺族に対して,会社から管理された 配慮というよりもインフォーマルな配慮を行おうとしていることがわかる。ただし,その配慮は, 遺族に対してストレートに表出されるとはかぎらない。C さんの場合,泣くという行為でストレー トに表出されているが,D さんの場合,インフォーマルな配慮を抑制し,結果的に会社の利益に なるよう誘導してしまったと自問している。しかし,C さん,D さんともに遺族への共感9)を示 している。 9) ここでいう共感は,葬祭業者が遺族に寄り添おうとし,近い立場からその生活背景や感情を理解するこ とを指す。
これに対して,遺族の感情を最優先にして「機械的に」と語っていたB さんは,共感的という よりも脱共感的に接していると考えられる。さらに,A さんの語りのなかにある遺族の「騙さな いでね」という言葉からもわかるように,悪質葬儀屋のイメージにならないよう,かつ購入商品 について丁寧に説明することで,会社のイメージ,あるいは職業イメージに貢献しようとしてい る。それは,遺族から信頼してもらうような配慮を示す顧客管理を体現していることになるだろう。 これらをマトリックスにすると,インフォーマルな配慮は以下のように整理される。 共感 脱共感 開放的/ インフォーマルな配慮 C さん B さん 抑制的/ インフォーマルな配慮 D さん A さん このように整理すると,それぞれの語りはバリエーションをもっていることにしかならないだ ろう。しかし,4 人に共通しているのは,遺族との打ち合わせについて,金銭的な話や会社の収 益に貢献するような働きかけを行うというようなことを語らない,あるいはそういうことに対し て語りたがらないという点である。本来,遺族との金銭契約は当然のことであるし,そのような 語りを抑制する必要はないはずである。しかし,葬祭業者たちは,悲しみのなかで金銭契約する というサービスへの負の感情を遺族が抱いていること,そしてそのことを十分承知しているから こそ,金銭契約とは関係のない配慮であるということを意識し,それを過剰に示さなければいけ ないのである。ケアをする,あるいは遺族の感情に寄り添うことを葬祭業の仕事と位置づけなが らも,それが営業行為になるような場面を経験するからこそ,会社から感情管理され,営利目的 で遺族に接しているわけではない,またはそのように接したいと思っているわけではないという ことを呈示しようとするのである。 筆者は以前,「仕事をしていてよかったと思うこと」をB さんに尋ねたところ,「お金をもらう 仕事でありながら感謝される」というようなことを口にしていた。同じような発言は別の葬祭業 者からも聞いたことがある。この言葉は,どの仕事,どのサービス業においてもいえるありふれ た表現のように思われる。しかし,もともと遺族から感謝される仕事という認識がないからこそ, その言葉は単純に他のサービス業と同じように考えてはいけないのかもしれない。特に遺族の悲 しみやその後のつらさに寄り添いきれず営業をしたことに後ろめたさを感じたことのある(D さ んのような)葬祭業者は,労働者として「お金をもらう」ことが当然でありながら,顧客に対し て本当に配慮しているのかどうかを問い続けてしまい,労働に対する対価として「感謝」まで受 け取ることが釣り合わないように感じてしまうのかもしれない10)。 10) 葬祭業の経験がある小林登は,その著書の中で次のような告白をしている。「遺族の方たちが納得し, 満足のいく葬儀をプロデュースできるのなら,どんなに高い料金にしてもいいのかもしれない。私はい つの間にかそんな思い上がった考えをもつようになっていました。しかし,やがて,こうした遺族の方 たちの『ありがとう』の言葉が,だんだんボクシングのボディブローのように私の良心に効いてきたの です。“こんなに吹っかけているにも拘わらず,遺族のみなさんは自分にこんなにも感謝してくれる。 その気持ちを,当然のように受け入れていいのか―”そんなことを感じるようになっていったのです。
「お金をもらう仕事でありながら感謝される」というのは,死を金銭に置き換えるというよう なイメージを想起させず,遺族の気持ちに寄り添える(ケアしている)仕事をしているという希 望を抱くことのできる言葉なのかもしれない。 5.おわりに 本稿では,葬祭業者と遺族との打ち合わせ場面についての語りから,自らの仕事に対してどの ような認識をもっているのかを検討してきた。葬祭業は,通常のサービス職と同じように位置づ けられているが,このことにより看過される問題があるのではないかというのが,本研究の出発 点であった。 葬祭業の場合,かつての職業イメージや遺族が抱く疑念等を自覚しているためか,商品化され た感情自体を否定する方向に働きやすいと考えられる。遺族との打ち合わせについて,会社の収 益に貢献するような働きかけは,業務遂行上当然のことである。しかし,葬祭業者たちは遺族に 対する配慮が,そうした営業行為とは異なるものだということを意識している。葬祭業者たちは, 悲しみのなかで金銭契約するという遺族が感じているサービスへの負の感情を承知しているから こそ,金銭契約とは関係のない配慮であると過剰に示そうとするのではないだろうか。会社から 感情管理され,営利目的で遺族に接しているわけではない,またはそのように接したいと思って いるわけではないということを,遺族に呈示しようとする。この点において,他のサービス職と 一線を画すところがあると考えられる。 このようなインフォーマルな感情は,葬祭業者の主体的な感情管理のようにみえる。多様な顧 客に対応するためには顧客にフィットするような感情管理が必要である。サービス職には,顧客 の反応が予測しやすいものとそうでないものがあると考えられるが,葬祭サービスの場合,どち らかといえば後者である。遺族は,家族が亡くなったことで遺族になってしまった4 4 4 4 4 4 4のであり,自 発的な消費・購買意欲をもって葬儀社の顧客になっているとはかぎらない。葬祭業者は遺族との 対面的相互行為のなかでよりケアする必要性を感じ,人間観が問われると感じることで,自らの 感情が会社から搾取され疎外されるとは感じにくい。このことにより,労働者の感情の商品価値・ 賃金に関する労使対立は表向き回避されてしまう。 とはいえ,労使間関係が幸福な状態にあるわけではない。葬祭業者は会社が望むものとは別の 配慮をデザインし,そのように認知してしまうがゆえに,遺族や会社からのフォーマルな評価は 期待できないと考えてしまう。葬祭業者の遺族への共感は,顧客との間での対立を,収益にかか わる会社と労働者の感情との利害対立(営業とケア)に転移するはずが,過剰に私的な感情と意 識してしまうことでD さんのように自らを追い込む場合があることがわかる。 このことが,雇用の流動性と関係しているかどうかを現時点で判断することはできないが,少 いったん,そう思うと,葬儀の価格がはたして正当なものなのかという気持ちがわいてきました」(小 林2009:174―175)。
なくとも葬祭業者の継続・離職においては労働環境,職業教育,顧客満足度,サービス内容等か ら考えるだけでなく,葬祭業者の遺族への配慮や「感謝」への反応(後ろめたさ)をインフォー マルな管理に委ねてしまうような,葬祭業界特有の「構造的な負荷」―現場の葬祭業者がみせ る遺族への配慮が営利目的のサービスとは異なるものとして呈示し続けなければならないという 負荷―を含めた検証が必要であると考えられる。 文献
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