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J.K.A.ムゼーウス「屈背のウルリヒ」 訳・注・解題

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(1)

   

のウルリヒ

ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス

      

鈴木

滿 

訳・注・解題

フ ィ ヒ テ ル ベ ル ク ︵ 1 ︶ か ら ほ ど 遠 か ら ぬ、 ベ ー メ ン ︵ 2 ︶ と の 国 境 に、 皇 帝 ハ イ ン リ ヒ 四 世 ︵ 3 ︶ の 時 代、 勇 敢 な 戦 人 で 名 を エ ッ ガ ー・ゲネヴァルトという男が、異邦の南国 ︵ 4 ︶ への出征の報償と して与えられた封土に住んでいた。彼は皇帝に仕えて夥しい 町や村を劫掠、莫大な財産を我が物にしていたが、これを用 いてとある陰鬱な森の中に三つの盗賊城を築いた。高みにク ラウゼンブルク城、谷間に ゴ ッテンドルフ城、そして河辺に ザーレンシュタイン城である。ゲネヴァルトはこれらの城に 大勢の騎兵らや歩卒どもを従えて出入りし、強盗・略奪の慣 わしを止めようとせず、能う限り拳骨と棍棒の権利、すなわ ち強者の権利を行使した。彼はしばしば武装した部下ととも

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に待ち伏せ場所から躍り出て、商人や旅人を襲撃し、意のままにできるとあれば、キリスト教徒だろうがユダヤ人で あろうが一視同仁。突然好い加減な言い掛かりをつけて隣人を攻撃したこともちょくちょくあった。優しい妻の腕の 中で憩い、戦で苦労したあと愛の幸せを満喫する機会には恵まれていたが、そもそも彼は安息を 女 女 しい所業と 看 做 していたのである。なにしろその無骨な時代の物の考え方によれば、ドイツ貴族が手にする剣や槍は、平和な農夫が 手にする鋤や大鎌と同じで、真っ当な稼業の道具だったわけ。いや全くの話、この騎士殿、その倣岸不遜な天職にせ っせと励んで暮らしの 糧 としていた次第。 けれども彼はこうした蛮行のために近隣のあらゆる人人の重い 頸 枷 になっており、誰一人として財産を安全に保有 できなかったから、一同は彼に対してある手立てを執ることを決議し、この凶猛な 沢 を ︵ 5 ︶ 巣から駆逐し、その山塞を 壊滅させるためには金も命も惜しみはせぬ、と誓い合った。彼らはゲネヴァルトに果たし状を送りつけ、兵卒どもを 武装させると、野戦では同盟軍に対抗できなかったので彼が立て籠ったその三つの城をある日包囲した。フー ゴ ・フ ォン・コッツァウは郎党どもとともに高みのクラウゼンブルク城の前に進軍、騎士ルドルフ・フォン・ラーベンシュ タインは谷間の ゴ ッテンドルフ城の前に布陣、 馬 騎 り ︵ 6 ︶ と異名を取ったウルリヒ・シュパールエックは部下の弓兵たち を引き連れ、河辺のザーレンシュタイン城の前に位置を占めた。 エ ッ ガ ー・ ゲ ネ ヴ ァ ル ト は、 四 方 八 方 か ら 脅 か さ れ て い る の を 看 て 取 り、 ひ し ひ し と 攻 め 立 て ら れ た の で、 剣 を 振るって敵の同勢の真っ只中に血路を開き、山地に逃げ込もう、と一計を案じた。彼は家来たちを身の回りに駆り集 め、勝ち抜くにせよ玉砕するにせよ、迅速に行動せよ、と兵どもを督励し終わると、分娩を控えていた奥方をよく調 教された馬に乗せ、従者の一人に彼女の面倒を見るよう申し付けた。けれども跳ね橋が下ろされ、鉄の城門が開かれ る 前 に、 ゲ ネ ヴ ァ ル ト は こ の 男 を 呼 び 寄 せ、 こ う 言 っ た。 ﹁ 後 衛 に 位 置 し て わ し の 妻 を お ぬ し の 目 の 玉 の よ う に 大 切

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に 守 っ て く れ い。 わ し の 軍 旗 が 翻 り、 わ し の 冑 の 羽 根 飾 り が 立 っ て お る 限 り は な。 し た が、 わ し が こ の 合 戦 で 一 敗 地 に 塗 れ た ら、 す ぐ さ ま 森 へ 向 か い、 お ぬ し の よ う 知 っ と る あ の 巌 の 裂 け 目 に 妻 を 隠 す の だ。 し て、 夜 の う ち に 剣 で 妻 を 刺 し 殺 せ。 何 が そ の 身 に 起 こ っ た か あ れ が 気 付 か ぬ よ う に。 わ し に 関 わ る 記 憶 は 悉 皆 こ の 世 か ら 根 絶 や し に い た さ ね ば。 わ し の 貞 節 な 妻、 あ る い は あ れ の 胎 内 の 児 が、 わ し の 仇 敵 ど も の 嘲 り の 対 象 と さ れ て は な ら ぬ ﹂。 こ う 言 い 終 る と、 彼 は 勇 猛 果 敢 に 城 か ら 打 っ て 出 た の で、 敵 軍 は 大 恐 慌 に 陥 り、 逃 げ 場 を 探 す 始 末 だ っ た。 し か し 全 軍 に 撃 ち か か っ て き た の が な ん と も 寡 勢 な の に 気 づ く と、 英 気 を 回 復、 雄 雄 し く こ れ に 立 ち 向 か い、 敵 軍 を 取 り 囲 ん で、 従 う 郎 党 と も ど も 騎 士 を 打 ち 負 か し た の で、 例 の 従 者 を 除 い て は た だ の 一 人 も 重 囲 を 抜 け 出 す こ と が で き な か っ た。 こ ち ら は 闘 い の 混 乱 に 紛 れ て 奥 方 を 連 れ 出 し、 森 の岩屋に隠したのだった。 洞 窟 に 入 る な り、 懊 悩 恐 怖 の た め に 気 息 奄 奄 と な っ た 彼 女 は 気 絶 し て 死 ん だ よ う に 倒 れ 伏 し た。 従 者 は 主 君 の 言 い つ け を 想 い 起 し て、 す ん で の と こ ろ 剣 を 抜 き、 典 雅 な 女 主 人 の 心 臓 を そ れ で 貫 こ う と し た。 し か し こ の 美 し い 婦 人 が 哀 れ で な ら な く な り、 胸 は 奥 方 に 対 す る 熱 い 恋 に 燃 え 立 っ た の で あ る。 奥 方 は 再 び 意 識 を 取 り 戻 す と 滝 つ 瀬 の よ う に 涙 を 流 し

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て自らの不幸と夫の横死を嘆き悲しみ、両の手を揉み絞って大声で 哭 き叫んだ。そこで誘惑者は彼女に近づいて、こ う 言 っ た も の。 ﹁ 奥 方 様、 背 の 君 が あ な た 様 の 御 身 の 処 置 を ど の よ う に お 決 め に な っ た か お 分 か り に な れ ば、 さ よ う に悲しげにふるまわれますまい。ご主君はそれがしに 下 知 なさったのです、この洞窟であなた様を殺害いたせ、とな。 したが、そのお美しい 御 目 を見るにつけ、さようなお言葉に従う気にはなれませぬ。それがしの申すことにお耳をお 貸し願えれば、それがしにもあなた様にも役立つ良い思案がありまする。それがしが家来であったということをさら りと忘れてしまわれよ。 時 世 時 節 の 巡 り合わせで今我らはおんなじ境涯となり申した。それがしに同道、わが故郷 バ ンベルク ︵ 7 ︶ へ引き移られい。かの地でそれがしはそなたを妻に迎え、大切にあつかって進ぜる。身籠っておられる赤児 もそれがしの子として育てあげましょうぞ。生まれついたご身分はさらりと諦めることだて。土地財産は 一 切合 財 ふ いになってしもうた。そなたがご主人の敵の手に落ちたら、奴らは威張りくさってそなたを嘲弄しぬくのが関の山。 寄る辺無い惨めな 後 家 さんとなったそなたは、 それがしを頼りになされいで、 これから先どうやって行くおつもりか﹂ 。 奥方はこんなことを聴かされて身の毛もよだつ思い、背筋を恐ろしい悪寒が襲う。彼女は夫の酷い指図にも 殊 の 外 驚愕したが、厚かましくも不義の色情をあからさまに述べ立てた従者の 没 義 道 ぶりにも仰天した。とは言え今や彼女 の命はしもべ風情の掌中にある。こやつ、彼女の命を奪うとしても、主君の望みを実行、おのれの義務を果たした、 と思うことだろう。となると、奥方は、自分の刑吏であり、愛している、と名乗りを挙げたこの男のご機嫌を取る ほ か 打 つ 手 は 無 い。 そ こ で ひ た す ら 我 慢 に 我 慢、 親 し さ を 装 っ た 恥 ず か し げ な 様 子 を 作 り、 こ う 答 え た。 ﹁ し ょ う の な い人だこと、おまえは私の内心の秘密を目から読み取りでもして、それでどれ ほ ど愛を求めてうずいているか察した のかえ。⋮⋮ああ、壊れてしまった私の幸せの灰の下でおまえのために微かに光っていた 埋 み火をおまえは燃え上が る炎にまで掻き立ててしまう。⋮⋮けれど今は討たれた旦那様のことを隅っこでちょっぴり泣かせてちょうだい。明

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日となれば不幸せはなにもかも忘れて、私のこれからをおまえと分かち合いましょう﹂ 。 ぞっこん惚れ込んではいたものの、美しい女性をこうもやすやすと征服できるとは思いもかけなかった従者は、奥 方 が か ね て か ら 自 分 に ひ そ や か に 愛 を 寄 せ て い た、 と 聞 か さ れ て 有 頂 天 に な り、 相 手 の 両 膝 を 抱 き 締 め て そ の 大 層 なご愛顧に感謝し、奥方が静かに哀悼に耽るままにしておいた。それから苔を集めて彼女に寝床をしつらえると、自 分は護衛のため洞窟の入り口で筋交いに転がった。艶麗な未亡人はすやすやとまどろんでいるふりをしてはいたが、 眠りが目に訪れたわけはない。彼女は無礼な 下 郎 が 鼾 をかくのを耳にするとすぐさま、ぱっと寝床から起き上がり、 男の剣をゆっくり鞘から引き抜き、素早くその咽喉笛を切断、同時に彼の生涯で最も甘美な夢を真っ 二 つにしたので ある。そして足元で男が魂をやっとこさじたばた放出してしまうと、屍骸をまたいで洞窟から外へと急ぎ、陰鬱な森 の中をどこへ向かうとも知らぬまま行き当たりばったりで 彷 徨 った。開けた野原は注意深く避け、何か動くものがあ ったり、遠くに人の姿を見かけたりするたびに、茂みの奥に身を隠した。 三日三夜というものこうして深い悲嘆に 昏 れながらまどい歩き、身の養いに口に入れたのは僅かな野苺だけで、奥 方はひどく衰弱した。ああ、そして彼女は分娩の時が近づいたのを感じたのだった。とある樹の根元に腰を下ろし、 激しく啜り泣き始め、自分の身の上を 声 高 にかきくどいていると、いつの間にやら一人の婆様が、ひょっこり地面か ら 生 え た よ う に 彼 女 の 前 に 立 ち、 口 を 開 い て こ う 訊 い た も の。 ﹁ 奥 方 様、 ど う し て 泣 い て ご ざ る。 ど う す れ ば お 役 に た て よ う か の ﹂。 嘆 き 悲 し ん で い た 女 性 は 人 間 の 声 を 耳 に し て ど っ と 気 が 安 ら い だ。 目 を 上 げ て、 傍 に た た ず ん で い る、頭をがくがく震わせ、 四 出 の木 ︵ 8 ︶ で作った杖に 縋 っている醜い老女をまじまじと見ると、こちらの方こそ手助けが 要 り そ う な て い た ら く で、 赤 い 両 眼 の 下 か ら 鞣 革 の よ う な 黄 褐 色 の も が も が す る 顎 を 突 き 出 し て い る 有 様 ︵ 9 ︶ 。 こ の 姿 になんともぞっとした彼女は顔をそむけて悄然とこう返事した。 ﹁お 婆 殿、私の難儀を聞きたがってどうするのです。

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私を助けることなど到底そなたの力に叶わぬことではありませぬか﹂ 。 ﹁案外なあ﹂と老婆が返す。 ﹁おまえ様を救ってあげられるかも知れま せんぞ。わしにご心痛の ほ どを打ち明けてくだされ﹂ 。﹁私の様子を見 て お 分 か り で し ょ う が ﹂ と 未 亡 人、 ﹁ 身 二 つ に な る 時 が 迫 っ て い る の です。それなのに私はこの荒れ果てた山地で一人ぼっちで頼る人も無 く 彷 徨 っ て い る 始 末 ﹂。 ﹁ そ う い う こ と で あ れ ば ﹂ と 老 婆、 ﹁ も ち ろ ん わしのところではろくに安心もできますまい。わしは正真正銘の処女 でしてな、陣痛を起こしている 女 子 衆に何が入用なのか不案内ですの じゃ。わしの関心は、人間がどうやってこの世に生まれて来るか、で は 無 うて、どうすればわしがうまいことこの世からおさらばできるか、 じゃからのう。したが、わしの家へ 随 いておいでなされ。できるだけ 面倒を見て進ぜましょう﹂ 。 寄る辺ない奥方はこの善意の申し出を渡りに舟と思い、同時代の処 女たちのうちで最年長のご婦人に案内され、一軒のみすぼらしい小屋 に 辿 りついたが、ここは野天よりもいくらか居心地が悪いくらいだった。けれどもシビュラ ︵ 1 0 ︶ の介添えで無事女の赤ち ゃんを産み落とし、母親自身が緊急洗礼 ︵ 1 1 ︶ を施して、この子を貞潔なこの家の女主人に敬意を表してルクレツィア ︵ 1 2 ︶ と命 名した。このように礼儀正しくふるまいはしたものの、産褥にある奥方は質素極まる食事で我慢しなければならなか っ た の で、 独 り よ が り の 医 者 た ち が お 産 婦 さ ん に よ く 処 方 す る 厳 し い 節 食 療 法 で す ら、 こ れ に 較 べ れ ば サ ル ダ ナ パ

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ルス ︵ 1 3 ︶ の饗宴と言うに値した。彼女が 糧 としたのは塩も脂肪も入れないで煮た野草のスープで、これに添えられる黒パ ンはがっちり屋の婆さんがまるでマルチパン ︵ 1 4 ︶ かなんぞのようにごく薄く切ったもの。こうした四旬節風食事 ︵ 1 5 ︶ に、身体 は健全、母乳の慄え ︵ 1 6 ︶ が収まったあとはすこぶる食欲を覚えるようになった産婦は間もなくうんざりしてしまい、滋養 のある肉料理か、少なくとも卵菓子が欲しくて堪らなくなった。そしてこのあとの方の望みはまんざら手が届かない でもないように思われた。なぜなら彼女は、毎日朝になると一羽の雌鶏がこっここっこと鳴いて、生み立て卵の存在 を高らかに告げるのを聴いていたからである。 し か し な が ら 初 め の 九 日 間 奥 方 は 毅 然 と し て 保 護 者 の 貧 弱 な 賄 い に 従 っ た。 が、 そ の あ と は、 濃 厚 な 鶏 肉 肉 汁 が 欲しい、と遠回しにではなく相手に分からせた。そして老婆がろくすっぽこれに取り合わなかったので、彼女はあか らさまな言葉 遣 いでずけずけとこう言った。 ﹁お 婆 殿﹂と彼女。 ﹁そなたのスープは 刺 刺 しくてきつい味。パンは口の 中を怪我してしまう ほ ど固い。咽喉越しの好い、脂濃いスープをこしらえて欲し い。お礼はいたしましょうぞ。お宅では鶏が一羽啼いていますね。あれをつぶし てお料理してくださいな。私が赤ちゃんを連れて旅に出るため、ちゃんとした食 事を 摂 って力を貯えられるようにね。私が頸に巻いているこの真珠の頸飾りをご 覧。出立の折これを代価としてそなたと分けましょう﹂ 。﹁奥方様﹂と歯無しの女 主 人 が 答 え る。 ﹁ お ま え 様 に は わ し の 手 料 理 に け ち を つ け る 資 格 は ご ざ り ま せ ん ぞ。よその 女 子 衆 から口出しされて平気なおかみさんなどおらぬわな。わしはス ープの煮方をよう心得とります。美味しく結構に仕上げられます。それにな、思 うにわしゃあ、おまえ様なんぞより長いこと料理をやって来ましたのじゃ、わし

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のスープは申し分なし、それにお乳の出にもええでしょうが。それ以上何がお望みかの。わ しのこっこちゃんは食べさせてあげません。あれはこの人里離れた荒地でのわしの遊び仲間 で同居人、部屋でわしと一緒に眠り、わしと同じ鉢から食べますのじゃ。真珠の頸飾りは取 って置きなされ。わしはその分け前とやらも、おまえ様のお世話をしたからとのお礼、代価 な ど 戴 く つ も り は あ り ま せ ぬ ﹂。 お 産 婦 さ ん は 宿 の 女 主 人 が 料 理 を と や か く 言 わ れ る の を 好 まないのを了解、口をつぐんで、折しも婆様が自分の前に据えた野草のスープを一所懸命 啜 った次第。 次の日老婆が手籠を腕に下げ、四出の木の杖を手に取って言うには﹁パンだがの、わしが お前様と分けるこのちいちゃな切れっ 端 以外は食べ尽くしてしもうたで、新しい貯えを仕込 みに、パン屋へ行って来ます。その間留守番と、わしのこっこちゃんの世話を頼みますぞ。 くれぐれもあれを殺したりせんようにな。卵はおまえ様にあげます。捜す気がおありならじ ゃ。あの子はいつも隠すのが好きだでの。わしが帰るまで七日待たっしゃれ。一番近くの村はここからたんだ野道を 一本じゃが、わしの足では三日の旅路。七日経ってもわしが帰らなんだら、二度とお目 に か か る こ と は あ り ゃ せ ん で ﹂。 こ ん な 言 葉 を 残 し て ち ょ こ ち ょ こ と 出 て 行 っ た が、 な に せ 蝸 牛 の よ う な 歩 き ぶ り の こ と、 昼 に な っ て も ま だ そ の 姿 は 丘 か ら 矢 の 届 く 距 離 ︵ 1 7 ︶ ほ ども遠去からず、見送っていた宿泊客の目から消えたのはやっとこさ 黄 昏 時 のこと。 さてこうなると台所の総指揮に当たるのは女客の方。そこで熱心に産卵鶏の卵を捜し に掛かる。家の隅隅をことごとく調べ、周りの藪や生垣を残らず注意深く捜し回ったも

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の。これを七日の間やったのだが、ただの一つも見当たらない。それから奥方は丸一日、それから更にもう一日老女 の帰るのを待ち 侘 びた。けれども一向現れないので、もう帰って来ないのだろう、と諦めた。食料は尽きてしまった。 奥方は三日目を権利喪失期限 ︵ 1 8 ︶ と設定、この日までに老女不出頭の場合、その不動産および動産を遺産として収用しよ う、ともくろんだ ︵ 1 9 ︶ 。先ず第一に所有権が行使されることになっていたのは卵を隠す雌鶏であって、これには恩赦無し で料理鍋行きの宣告が下っている。新しい所有者はもうとりあえ ずこの子を牢屋に入れることにして、籠の中に閉じ込めておいた。 次の日の朝まだき彼女は鶏を 屠 るための小刀を研ぎ、煮るために 竈 で湯を沸かした。鶏を別れの 宴 の材料にしようと思ったから である。こうしてせわしなく料理支度に掛かっていると、閉じ込 められた雌鶏が声高らかに生み立て卵があることを告げた。遺産 相続者としてはこのような遺産追加はまことに歓迎すべきもの。 彼女はこれでおまけに朝御飯が食べられると考え、すぐさま取り に行き、籠の底にそれを見つけた。食欲すこぶる盛んな奥方は、 この卵を食べてしまうまで処刑を延期することにした。彼女はこ れを固 茹 でにしたのだが、鍋から取り出すと鉛のように重い。殻 を剥いてみたものの、中には何も食べられる物は入っておらず、 びっくり仰天したことには黄身が 無 垢 の黄金だった。 この発見が嬉しくてたまらず食欲などもうどこへやら、今や奥

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方の関心はこの不思議な雌鶏に餌をやり、好い子好い子して、自分に馴れさせることに集中。彼女は、料理鍋の中で この貴重な卵製造工場があえなく最期を遂げる前に、雌鶏の素晴らしい特性を発見するのがうまく間に合った幸せに 感謝した。また錬金術師の鶏の存在から彼女はお婆殿についてこれまでとは打って変わった見解を持つに至った。初 め知り合った時にはこの女性を老いさらばえた百姓女と思い、その手になる塩気の無い野草スープを味わった時には、 物乞い女かな、と考えたのだが、こうした発見をしてからというものその正体は、自分を憐れんでたっぷり施しを恵 んでくれた慈悲深い 妖 精 な ︵ 2 0 ︶ のやら、それとも、まやかしの術を掛けて自分をからかった女魔法使い ︵ 2 1 ︶ なのやら、とんと 分からなくなった次第。あらゆる状況から今回の件では超自然的な何かが介在していることは明白となったので、思 慮深い奥方としては賢明にも、このフィヒテルベルクの 曠 野 から立ち去るにしても早急に事を運ばないで、自分に厚 意を寄せてくれているらしい目に見えない力を立腹させないようこれからの計画を充分に練り上げるべきだ、と考え た。不思議な雌鶏を自分のものにして一緒に連れて行った方がよいか、それとも元のように放してやるべきか、長い こと決心がつかなかった。卵はあげる、と老婆に言われたので、三日経つと彼女は三つの黄金の卵の持ち主になった。 けれども産卵鶏自体となると、もし連れて出かけたら窃盗の罪を犯すことになるのか、それとも暗黙の贈り物と考え てもよいのか、とんと見当がつかぬ。そこで私欲と 逡 巡 が不釣合いな競争を始めたが、そのうちに ―― こりゃあまあ 世間一般そうしたもの ―― 前者が優勢を保つようになった。老婆の遺産の帰属決定はそれでけりが付く。旅支度を済 ませた奥方は雌鶏を鳥籠に入れ、赤ちゃんは布切れにくるみ、 漂 泊の民 の習俗にならって背中に括り付けた。こうし て住人だった 三 幅 対 が ︵ 2 2 ︶ この人里離れた寂しい小家を後にしたので、中ですだいている一匹の 蟋 蟀 を除いてはもはや生 命の息吹は何一つこの家に残らなかった。 慎重な逃亡者は、今にも老婆が現れて、雌鶏を返して欲しい、と要求するのでは、とひっきりなしに予期しながら、

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老婆が赴こうとしていた森の村へ真っ直ぐに向かった。一時間も歩かないうちによく踏み 均 された路に出たが、これ は例の村へと一筋道。子細を知りたくてたまらぬ彼女はパン焼き小屋で、ここでしばしばパンを買うとかいうお婆殿 のことを訊き回ったが、そんな婆様を知っているとか、以前見掛けたことがある、と言い出す者は皆無。そこで同居 していた奥方としては老女の隠棲場所に滞在したことをなにくれとなく物語る気になった。百姓女たちはこのできご とをひどく不思議がったが、その山中の家については誰一人知らない。ただある 高齢の女性が祖母から、山の奥に森女 ︵ 2 3 ︶ が棲んでいて、何か善い事をするために百 年に一度姿を現わし、それが済むとまた消えてしまう、と聞いたことがある、と 思い出し話をした。これで奥方には謎がかなり解けた。彼女は、自分が丁度うま い時期に回り逢い、フィヒテルベルクの見知らぬ 主 が慈悲深くも親切な手を差し 伸べてくれたのだ、ということを疑わなかった。彼女は毎日黄金の卵を産み続け てくれる雌鶏を今や二重の敬意を払って大切にした。ただ単にこの子がもたらし てくれる豊かな利益のためばかりでなく、とりわけ、彼女が置かれていた絶望的 な状況下で真心籠めて世話をしてくれた仙女の懐かしい形見として。あのお婆殿 ともっと親しくお近づきになっておかなかったのが残念でたまらぬ。もしそうし てくれていたらもちろん奥方は好奇心満満の後世のために不滅の功績を挙げるこ とができただろうに。つまり、彼女が宿主のことを調べ出し、その本質やら性格 について詳細な情報を集めたとしたら、私たちは、これがノルネン ︵ 2 4 ︶ の一人だった のか、女性のエルフ ︵ 2 5 ︶ だったのか、呪われたお姫様 ︵ 2 6 ︶ 、白衣の夫人 ︵ 2 7 ︶ 、はたまた女魔法

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使とか、キルケ ︵ 2 8 ︶ ないしはエンドルの魔女 ︵ 2 9 ︶ のご同業だったのか、説明しえた次第であるが。 も て な し に あ ず か っ た 女 性 の 方 は と い え ば、 こ の 森 の 村 で 牡 牛 た ち に 牽 か せ る 車︵ 1 ︶ を 一 台 雇 い 入 れ、 こ れ に 乗って バ ンベルクに向かい、いとけない息女とこっこちゃん、それから一マンデル ︵ 3 0 ︶ の卵とともにそこへ無事到着、同 地に腰を落ち着けた。初め彼女はすっかり引き籠って暮らし、自分の小さな娘の訓育と不思議な産卵鶏の世話にひた すら専念していた。けれども時とともに卵の豊かな恵みが膨れ上がるにつれて、たくさんの土地や葡萄山、それから また荘園や城館の数数をも購入、それらから生じる収入で裕福な生活をするようになり、貧しい人たちに善行を積み、 幾つもの修道院に寄付をした。こうして彼女の敬虔さと彼女の莫大な富の評判は大いに広まったので、司教 ︵ 3 1 ︶ の関心を 惹いた。司教は彼女に好意を持ち、多大の敬意と親密さを示した。ルクレツィア姫は成長し、その淑徳と美貌のため、 僧侶にも俗人にも賛嘆された。彼女の魅力の数数は精神界にある高位の聖職者がたにとっても、肉欲界にある︵ 2 ︶ 貴顕紳士に負けず劣らず心地好い目の保養だったのである。 こ の 頃 皇 帝 は 帝 国 議 会 を バ ン ベ ル ク に 招 集 し た︵ 3 ︶。 高 位 の 聖 職 者 ︵ 3 2 ︶ や 諸 侯 が 夥 し く 逗 留 し て 市 が ご っ た が え し に なったため、母夫人は息女とともに騒がしさを避けて所有の荘園の館の一つに赴いた。けれども親切な バ ンベルクの 司教が何かの折姫のことを皇后に口を極めて褒めちぎったので、皇后は、この麗しい少女を宮廷の女官たちの一人に 取 り 立 て た い、 と 思 し 召 し た。 皇 帝 ハ イ ン リ ヒ の 許 に お け る 宮 廷 生 活 は 厳 し い 躾 と 美 徳 の 修 錬 場 と い う 評 判 が 立 っ て い る わ け で は な か っ た︵ 4 ︶ か ら、 細 心 な 母 夫 人 は こ う し た 御 諚 に で き る だ け 抵 抗 し、 娘 に 与 え ら れ た 名 誉 を 謝 絶申し上げた。にもかかわらず皇后は自分の意向を主張して譲らず、また司教の威信がさしも慎重な母夫人に大きな 効果を及ぼしたので、彼女は結局承諾したのである。純潔なルクレツィアは宮仕えの身となり、 贅 沢 な女官の一人と して着飾らされ、皇后のお針箱を預かり、他の高貴な血統の乙女たちとともに宮中行事の折折に皇后の裳裾に 随 き従

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った。皇后が 出 御 するたび、あらゆる目がルクレツィアを待ち受けた。というのも宮廷人全員一致の告白によれば、 彼女は大奥のニンフ ︵ 3 3 ︶ たちの中で 優 美の女神 だ ︵ 3 4 ︶ ったからである。 宮廷では毎日がなにかしらの祝典。母君に監督されながらの単調な暮らしに取って代わった目 眩 めくような多彩な 楽しみごとの数数に、ルクレツィアの魂は筆舌に尽くしがたい歓喜で満たされ、神の至福に抱かれたとは行かなくと も、その前庭のあたり、 火 天 に ︵ 3 5 ︶ 運ばれたのだわ、と考えた。優しい母親はかねて娘にお小遣いとして、宮廷からの お手当ての他に、魔法の鶏が産んだ一ショック ︵ 3 6 ︶ の卵を与えてくれた。だから 愛 神 の矢にまだ傷つけられたことがなく、幸せの最高の願いといえば、子ど もっぽく嬉しがって装身具できらきらと着飾るくらいの麗しい少女らが思い つくどんな望みだってこれを果たすことなど何の 雑 作 も。こんなきらきら、 彼女たちは聖人の 光 背 とだって取り替えはしないことだろう。衣装が豪奢と いう点でも彼女は自分の女主人にかしずく全ての乙女たちを凌駕していた。 彼女たちは心中ひそかにルクレツィアをそのせいで妬ましく思っていたが、 面と向かっては高雅なその趣味を誉めそやし、宮廷の習慣に従って彼女を愛 想良くちや ほ やしながら、不快と 憤 懣 は一切深く胸の奥底にしまいこんでい た。何しろ皇后がこの子に愛顧寵遇を降り注いでいたので。伯爵がたや貴顕 紳士の面面もおもねり、ちや ほ やすること、これに引けを取らない。もっと もこちらの方は上辺だけのものではなく、一言一句心底からの吐露。そもそ も女人賛美と申すものは、男たちの口の中では油のように滑らかだが、ご婦

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人がたの舌の上では酢みたいにきつく、刺すような味となる。 宮廷の甘やかな薫香が絶えず匂っていたのだもの、ルクレツィア姫の清らかな女らしい魂の 冴 え 冴 えとした光沢が 虚 栄 の 錆 に 蝕 ま れ な か っ た と し た ら、 全 く の 話、 黄 金 の 鶏 卵 同 様 大 い な る 奇 蹟 と 言 わ ざ る を 得 ぬ。 甘 美 な く す ぐ り の数数に心 驕 った彼女は好いことずくめを囁かれるのをしょっちゅう要求、宮仕えの乙女たち一同のうちで最も麗し い、と告白されるのを 生 得 の権利と思い込むようになった。こうしたつけあがった思いつきがやがて 孕 んで 艶 かし い 媚 態 を 生 む。 こ の 媚 態、 お し ま い に は、 諸 侯、 伯 爵、 宮 廷 出 仕 の 貴 族 た ち を 自 分 の 凱 旋 戦 車 の 軛 に 繋 ご う、 で き るものなら、ドイツ民族の神聖ローマ帝国 ︵ 3 7 ︶ 全体を勝ち戦の 虜 因 として引き回そう、とまでになる。このように傲慢な 意図を慎ましさの仮面の下に隠す 術 を心得ていたので、彼女の海賊行為はそれだけ一層うまく成功した。ちょっとそ の気になるだけで、彼女は 諸 人 の感じやすい胸に火を 点 けた。こうした 嗜 癖 をかっかと煽り立てるのは父親の血統か ら彼女に唯一受け継がれた遺産と見えた。目的を果たしたとなると、すげなく取り澄ましてさっと身を引き、ご愛顧 をひたすら求める男たちを全て失望落胆させるのが常。そうして、ひそやかな苦悩が不幸な者たちを責め苛み、せつ ない恨みつらみにふっくらしていたその頬が痩せ 萎 びるのを眺めて、思い上がった意地悪な喜びに浸るのだった。け れども自分自身はというと、鉄壁の無感動で心を包んでいたので、中にこっそり忍び込み、仕返しにこれを同様にぱ っと燃え上がらせよう、とこの障壁を制覇するのは、彼女の 戦 士 た ︵ 3 8 ︶ ちのだれにも成し遂げがたいことだった。姫は 愛を受けはしたが、愛を返さなかった。時機がまだ来ていなかったからか、それとも、功名心が優しい情を抑えつけ ていたからか。あるいは、彼女の気質が大海原のようにすこぶる揺れ動き、変わり易かったので、恋の芽生えが飛び 跳ねる落ち着きのない心根に根づかなかったせいかも。 雅 びの道に最も練達した傭兵たちは、この土地からは何も戦 利品を獲られないことをよくわきまえているので、いつもただ攻撃するふりだけで済ませておき、ちょいちょい 鬨 の

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声を挙げておいて、それからまたひっそりと脇へ進軍して行ってしまうか、美しい胸部の中で鼓動していれば、どの ご 婦 人 の 心 を も と ん と ん 叩 い て み は す る が、 ア フ リ カ の 荒 野 に 棲 む 猛 獣 ど も が 火 に 怯 え る ご と く、 婚 礼 神 の ︵ 3 8 ︶ 清 浄 な 炬 火 は敬遠する当世ドイツの軽佻浮薄な紳士諸君のようにふるまった。一方場数を踏んでいない連中は、すっかり信 頼しきってこの上もなく大真面目に攻撃を遂行、心の安息と満足を失って撃退された。なぜなら姫は堡塁を守り抜い たからである。 もう何年も前から皇帝の 行 宮 に ︵ 4 0 ︶ クレッテンベルク ︵ 4 1 ︶ の若い伯爵が随行していた。彼はちょっとした肉体的欠陥を除け ば宮廷で最も愛すべき男性だった。この青年、一方の肩が曲がっているので、 屈 背 のウルリヒと 綽 名 されていた。け れども彼のその他の才能および好もしい資質のお蔭で、アドニス ︵ 4 2 ︶ のような美青年を敢えて征服しようとなさるご婦人 たちの厳しい 法 廷 で ︵ 4 3 ︶ もこうした欠陥は 看 過 ごして、とやかく文句を付けるようなことは無かった次第。宮中での評 判 は 良 く、 女 性 に 優 し い 言 葉 を 大 層 た く さ ん 掛 け る の で、 上 臈 が た は 一 人 残 ら ず、 皇 后 御 自 ら も 例 外 で な く、 彼 に 好感を抱いていた。新しい 娯 しみ事を考案したり、ありきたりの宮中の催しに新鮮な魅力と高雅な風合いを加味する 彼の機知縦横ぶりは無尽蔵だったので、ご婦人連の居間にはなくてはならぬ人物とされていた。悪天候の折や、教皇 猊 下 のせいですこぶるそういうことがあったのだが、皇帝がご機嫌斜めのみぎり、宮廷中が無気力な倦怠に陥ってげ んなりしていると、不愉快な気分を追い払い、朗らかさ・陽気さを皇帝の 行 在 所 に取り戻して欲しい、とウルリヒ伯 爵にお呼びが掛かるのだった。 ご婦人方の集いこそ彼が生き生きと活躍する得意の領域。もっとも悪戯な 愛 神 を ︵ 4 4 ︶ 絶えずかわす術を心得ていたので、 愛神はその抗し難い投げ矢という 銛 を彼に届かせることはできず、うっかりしたら綱に引きずられる ︵ 4 5 ︶ のが落ちだった ろう。おどけた恋の戯れが彼のお気に入りだったが、どこかの女が手枷足枷を 嵌 めようと企むと、サムソンが不実な

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情人に縛られた七本のまだ使ったことのない 靭 皮 の縄を断ち 切った ︵ 4 6 ︶ ように、これをずたずたにするのだった。高慢なルク レツィアと全く同様、彼は枷を掛けるだけで、自分が掛けら れる気はさらさら無かったのである。偶然の成行きでお互い に近づけられ、一つ空の下に暮らし、一つ屋根の下に住み、 一 つ 部 屋 で 食 事 を し、 一 つ 東 屋 に 日 蔭 を 求 め る 二 つ の 同 じ 気性の魂はとうとうぶつかり合って、その才能を相手に試し てみざるを得ない破目になった。 ルクレツィアは伯爵を制覇する計画に着手。そして彼は宮 廷切っての移り気な恋人と定評があったので、 服 飾 界が服 の流行を変えるように季節ごとに取り替えるのが習いだった 自分のこれまでの戦士よりもしっかり繋ぎ止めておこう、そ して、この気紛れな遊星を固定したという名声を獲得しない うちは放免すまい、と決心した。伯爵の方はというと、かの こ の 上 も 無 く 麗 し い 宮 女 と 雅 の 交 わ り を 結 ん で、 全 て の 恋 敵を鞍上から突き落とし、愛の手練手管に自らが卓越していることを彼らにじっくり感じさせよう、との野望に駆ら れた。で、ルクレツィアが触れなば落ちんばかりにその帆を下ろしたら ︵ 4 7 ︶ 、こちらは即刻錨を巻き上げ、風の翼に乗っ て、だれか別の女人の愛情溢れる胸という港に走り込もう、というのである。二つの強国は相互攻撃のために準備完

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了、花咲き乱れる恋の戦場で代わる代わる望みのままに作戦が進行した。 この乙女、殊の外うまく成功。もう長いことこっそり標的にしていた宮廷の寵児が、今度は向こうから近づいて来 て、彼女の神秘的な魅力に敬意を表したのである。これまで自分を撥ねつけていた伯爵に、仕返しをする機会が得ら れたわけ。以前はそそくさと彼女から逸れて行った男の視線は今やもう彼女一人に釘付けの 態 。そして昼が太陽にく っつき放しのように、彼女にぴったりと隋き従う。伯爵が主宰する宮廷の祭典はことごとくルクレツィアと引っかか りがあるもので、催しの趣向について彼がお伺いを立てるのはルクレツィアの好みだけ、彼女が、よろしいわ、との たまうことは、善美を尽くし活発に遂行されるし、彼女の意にそぐわぬことは、皇后御自らのご提案でも実現しない。 こうした 妙 なる薫香 が焚かれているのはどの神様の祭壇か、敏感な鼻の持ち主たちは容易に嗅ぎつけ、この宮廷はル クレツィア姫の思いのままに鳴り響く 角 笛 だ、と公の取沙汰となった。花も盛りの絶頂にある女性観相学者たちはこ うした類稀な色恋沙汰を目の当たりにして嫉妬のため黄色くなったり青くなったり。喜んで伯爵に心を捧げたかった、 あるいは、伯爵の心をちょいと分けて戴きたかった沈黙の女性観客たちは諦めざるを得ない。さて伯爵はかの美しき バ ンベルク乙女のために自分のこれまでの戦利品をことごとく犠牲に供し、乙女の方もそのお返しに囚われの身とし ていた殿方全てを再び釈放、こぼれるような優しさという網や罠で宮廷人の心を囲い込むことはなくなり、彼女の吟 味する目がひそかな渇仰者たちのうずうずしている視線を探ることも無くなった。 これまでのところこの典雅なご両人の恋の交わりは双方ともに拘束されている体系的秩序に完全に従って進行、二 人ながら交代に楽しみを満喫して満月のように輝いていた。で、次には再び欠け始めるのだが、観ている者の目には 片割れが全く消えてしまって影に入るのに引換え、もう半分は二十六夜の三日月になってもまだ輝きは留めている、 というわけ。こうなったらどちらか一方が、自分の方がだまくらかされたのじゃない、ということを宮廷の面面の前

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ではっきり証明する達人の一撃で、この恋の戯れを打ち切りにするのが肝心。最初伯爵は見栄から、あらゆる恋敵よ り優位に立って、それを自慢の種にし、これに成功したら獲物を捨てて別のを探そう、ただそれだけが目標だった。 そうした意図は達成された。が、 嗤 い者にされたら滅多に罰せずにはおかぬ悪戯な愛神は知らず知らずのうちに、こ の高慢と虚栄の戯れを真剣な恋に変えてしまっていた。ウルリヒは心を麗しのルクレツィアに奪われ、その身は虜囚 として彼女の御する戦車に繋がれたのである。ルクレツィアの方はまだしも自分の計画に忠実なままだった。彼女は これまで思いやりというものを知らなかったし、釈放してやらぬうちに反逆者に服従を拒まれでもしたら、心の征服 者という自分の名声が危険に曝されるだろう、それに、ひそかに心配で堪らなかったのだが、この親衛騎士が枷をか なぐり捨てようものなら、大向こうの観衆に受けっこあるまい、と考えたので、伯爵がいとも熱心に彼女の愛顧の永 続を求めたら、その時には相手に別れを告げよう、と決心した。 この破局に至る機会は思いがけなく生じた。クレッテンベルクの伯爵ウルリヒの同郷人で領地も境を接するケーフ ェルンブルクの伯爵 ︵ 4 8 ︶ ループレヒトが、ぴちぴちした紅い頬っぺの従妹を参内させるため、皇帝ハインリヒの通常の滞 在地である ゴ スラール ︵ 4 9 ︶ にやって来た。そしてここで麗しのルクレツィアを見たのである。彼女に一目惚れするのは、 我らが祖国ドイツの四方から、当時ドイツのパフォス ︵ 5 0 ︶ だったこの古雅な帝国直属都市に駒を 騎 り入れた全ての騎士た ち貴族たちの通例だった。ループレヒトの外貌はご婦人がたにとってはあんまりぞっとしない代物。それに彼の幼い 頃の子守女は軽率にも母なる自然の職分に干渉、世話をしていた子どもに自然が授けた以上の物を付け加えてしまっ たの ︵ 5 1 ︶ である。つまり背中に瘤をくっつけた次第。この瘤は大層目立ったので同名の男たちと区別するため 傴 僂 のルー プレヒトと綽名された。肉体的欠陥は往時には仕立て屋の 技 術 によってうまく隠されることはなく、公の目に曝され、 堂 堂 と 見 せ 付 け ら れ た し、 後 世 の 歴 史 家 た ち に よ っ て 注 意 深 く 保 存 さ れ さ え し た。 跛 者 、 吃 音 者 、 斜 視 、 独 眼 、

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太 鼓腹 、 消 耗病者 などは、彼らの事跡についての記憶がとっくの昔に消えて無くなっても、いまだに忘れられないで いる。このケーフェルンブルク男、大変に傲岸不遜。彼の容姿は色恋の領域で将来を大いに嘱望されるものではなか ったが、そのため卑下することなんてろくすっぽありはしない。だからいわば背中の間の重荷は己惚れに釣合いを取 る 分 銅 といったところ。少なくともこの御仁、これを恋路の幸せの見込みが挫折するかも知れぬ暗礁だなどと思って もみなかった。彼は勇猛果敢に麗しのルクレツィアの心への攻撃を開始。彼女はまた折しも久しく閉ざされていたヤ ヌスの神殿の門を開いた ︵ 5 2 ︶ ところなので、捧げられた生贄をいかにも お気に召した様子をつくろってご嘉納あそばす。この幸先の良い前 兆に ゴ スラールはループレヒトにとって 至 福の園 と ︵ 5 3 ︶ 化した。お人好 しのぽっと出の伯爵殿はもとより 与 かり知らぬことだったが、この 狡賢い優美な宮女は自分の心をさながら凱旋門のように用いている のであって、これは、彼女に枷を掛けられた群集を通過させはする けれど、内にずうっと踏み止まることを求めるような 性 質 の門では なかった。 これまで乙女の心を許されていた方は己の没落を予想したが、辞 めさせて戴きます、と言明する決心がつかず、できる限りこれにし がみつき、 罷 免 されるまでためらってしまう地位がぐらついている 大臣さながら。移り気な女支配者となんとかうまく縁が切れたとし たら、もしかするとこの勝負を有利に転じ、袖にされたという印象

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を隠し、観衆の目をごまかすことに成功したかも知れない。そうしていたら行き当たりばったりの情事に身を任せた で あ ろ う。 あ の ふ っ く ら と し た 頬 っ ぺ の 紅 い テ ュ ー リ ン ゲ ン 娘 な ど こ う し た 戯 れ の お 相 手 に お 誂 え 向 き。 け れ ど 彼 の全恋愛機構は真摯な情熱の介入によってまるきり狂ってしまい、今や、惚れ込み役をとことん深く研究したお蔭で、 よくあることだが、素人俳優としての経歴に結婚で終止符を打つ我がドイツの恋愛芝居の男優たちと同じ運命に陥っ た。灯火の周りを何度もひらひらと遊び戯れて罰を蒙らずにいた蛾が、これから離れることができなくなってしまい、 自由を求める努力の断末魔のあがきは熱い炎のために挫かれたわけ。 ウルリヒが最初この自由の喪失を認めたのは、同郷のケーフェルンブルク男が恋敵であることを発見した時のこと。 なる ほ ど、こんな奴は別段怖くはなかった。けれどもその存在によって、自分の想い人が本当に細やかな 眷 恋 の情を 分かち合ってくれているのではないことを悟らされたのである。 臍 の 緒 切ってこのかた初めて彼は報われぬ愛の苦悩 を覚え、それを賑やかな催しを開いて晴らそう、自分の人生を苦いものに変えた情火をかき消そう、としたが無益だ った。やがて、こうした企画を実行に移す気力も失せたことに気づいた。彼はもはや髪の毛の房もろとも壁から釘を 引き抜く、あるいは、自分を傷つけた棘を心臓から抜き去ることのできるサムソンではなかった。彼は力を奪われて、 自分を姦策に掛けたティルスの情婦 ︵ 5 4 ︶ の膝枕で寝入っているサムソンだった ︵ 5 5 ︶ 。生気も活気もなく、塞ぎ込んでひっそり 歩き回る彼は滅多に宮廷に伺候しなくなったが、出て来てもまるで無口だったので、上臈がたを退屈させる始末。彼 が控えの間に姿を見せただけでご機嫌斜めになるのすらも幾人か。なぜなら深い憂愁が、背後に沈む太陽が隠れてい る夕暮れの雲のように、彼の額に垂れ込めていたからである。これに反し彼の勝利の女神は、忠実な 親 衛騎士 の苦悩 に満ちた状態に一向同情を感じないで、誇らし気に凱歌を挙げて舞い上がっていた。いや、それどころか、残酷さを 発揮して、寵遇しているように見せ掛けている例の恋敵に、しばしば彼が居合わせるところで自分の魅力のありった

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けを振りまき、あからさまに秋波を送ることも憚らぬ有様。 いやがうえにも勝利を誇示しようとルクレツィアはある日婦人部屋で大饗宴を開いた。唄が響き竪琴が奏でられる 最 中 も て な し 役 の 快 活 さ が い と も 高 く 極 ま っ た 時、 仲 間 の 上 臈 た ち は 彼 女 に 歩 み 寄 っ て こ う 言 っ た。 ﹁ ね、 あ な た、 こ の 楽 し い 日 の こ と を 私 ど も が こ れ か ら も 思 い 出 せ る よ う に、 お 祝 い 事 に 何 か 名 前 を お 付 け な さ い な ﹂。 こ ち ら は 答 え る。 ﹁ こ の 催 し を ど う 呼 ぶ か、 あ な た が た に お 任 せ い た し ま す。 そ う す れ ば、 ち ゃ ん と お 心 を 配 っ て、 こ れ か ら も こ の こ と を 忘 れ な い で く だ さ い ま す も の ﹂。 け れ ど も 陽 気 な 客 の 群 が し き り と 強 い る の で、 彼 女 は 頼 み を 聞 か ず に は いられなくなり、お調子に乗って、ウルリヒ伯爵束縛記念日と命名したもの。 時代の好尚というのは、他の何事にまれそうだけれど、恋の道でも常に一定不変というわけではない。当代十八世 紀の末の四半期であってご 覧 じろ、愁いに沈み、ひそやかな心痛に 苛 まれ、 憔 悴 に頬のこけたウルリヒ伯爵はまこ とに場所を得たもの、心優しい女性たちは誰一人彼に抵抗できなかっただろう。可哀そう、という気持ちが慕情を始 動させる 槓 杆 の役割を果たしたはず。しかしこの時代にあっては、感傷に溺れている彼は何世紀も先行しちゃってい たのであり、同時代人の嘲笑に身を曝すのが落ちだったわけ。こんな調子では目的は実現できない、と何度も率直な 良識に告げられた彼は、とうとうこの善良な助言者に耳を貸し、嘆息する恋人役を人前で演じるのはもはや止め、再 び生気と活気を取り戻し、難攻不落の美女と戦うのに彼女自身の武器を使おう、と試みた。 ﹁ 虚 栄 は ﹂ と 彼 は 呟 い た。 ﹁ 引 き 付 け も し、 反 発 し も す る 磁 極 だ。 あ の 高 慢 な 乙 女 は 虚 栄 心 か ら 恋 慕 者 た ち を ち や ほ やしたり、袖にしたりする。だから私はこうした野心をはぐくんで、彼女が心中声高に語り始め、私に対してあの言 葉︹ お 慕 い し て お り ま す ︺ を 告 げ る よ う に し て 見 せ よ う ﹂。 彼 は す ぐ さ ま も と の 生 活 に 戻 り、 以 前 の よ う に つ ん と 澄 ました姫君のご機嫌を取り、彼女が何も言わぬうちにその望みをことごとく先回りして叶え、女性の虚栄心をくすぐ

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るのが習いの数数の捧げ物を雨霰と降り注いだ。ある富裕なアウクスブルク ︵ 5 6 ︶ 人がアレクサンドリア ︵ 5 7 ︶ から海を渡ってや って来て、皇后に素晴らしい装身具のお買い上げを願ったことがある。皇后が自分には高価過ぎるとの理由でこれを 断ると、ウルリヒ伯爵は商談に乗り、伯爵領の半ばをその代価として譲渡、この装身具を己が心の支配者への贈り物 とした。彼女は宝石を受け取ると、ある宮廷の祝祭の折、これで 面 紗 を絹のようなその髪の黄金なすお下げの上に留 め、宮廷のめかしこんだお仲間たち全てに腹膨るる物思いと極度の精神的緊張を惹き起こし、寄進者に愛想良く流し 目を送り、その後 戦 勝記念品 を宝石箱にしまいこみ、ものの数日と経たないうちに伯爵と彼が献上した装身具は忘れ 去られた。にも関わらず彼は迷うことなく新たな贈り物をしては前のをまた彼女に思い出してもらうことを続け、彼 女の己惚れを満足させるあらゆる品を捜し求めた。このような出費のため彼は余儀なく伯爵領のもう半分も同様に抵 当に入れてしまったので、そのうち彼に残されたのは紋章と称号だけ、これを担保にいくらかでも貸そうという高利 貸などありはせぬ。そうこうするうち彼の度を越えた浪費が日に日に人目に立つようになった。皇后ご自身が彼にこ のことで釈明を求め、先祖伝来の世襲領をこうも愚かしく無駄遣いするのを止めるように、と諌めた。 そ こ で ウ ル リ ヒ は 自 分 の 切 望 を 打 ち 明 け て こ う 言 っ た。 ﹁ い と も 恵 み 深 き 皇 后 様、 陛 下 に は 私 の 恋 愛 沙 汰 を お 隠 し 申すわけには参りませぬ。私はあの 手 弱 女 のルクレツィアに心を 偸 まれましたので、彼女無しには生きとうございま せ ぬ。 け れ ど も 彼 女 が 私 に ど ん な 仕 打 ち を し て い る か、 ま や か し の 徒 情 で ど の よ う に 私 を 弄 ん で い る か、 こ れ は 陛下の宮廷中の語り草。あやうく我慢ができかねることもありました。それでもなお私はあの女性を思い切れませぬ。 財 産 一 切 を 私 は 姫 の 愛 顧 を 得 る の に 擲 ち ま し た。 し か し 彼 女 の 心 は 私 に 閉 ざ さ れ た ま ま で す。 丁 度 至 福 の 天 国 が 破 門に遭った死者の霊魂に閉ざされておりますように。ただし彼女の目つきは時時私にもっともらしく恋の成就を約束 するのですが。ですから、なにとぞお願い申し上げます。姫に私の結婚申込みを拒む法的抗弁権 ︵ 5 8 ︶ が無いのであれば、

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彼 女 を 妻 と し て ど う か 私 に 添 わ せ て く だ さ い ま す よ う ﹂。 皇 后 は、 彼 に 代 わ っ て ル ク レ ツ ィ ア に 求 婚 す る こ と を 引 き 受け、彼の愛の誠をこれ以上試練に掛けず、真心籠めて愛し返してそれに報いるよう彼女を説得する、と約束した。 ウルリヒのことを高慢なルクレツィアに執り成す機会がまだ見つけられないでいるうち、くつまのルプレヒトが皇 后に謁見を請い、こう言上したもの。 ﹁いとも 優 渥 なる皇后様、お 扈 従 の中のさる乙女、貞潔なルクレツィアがこの ほ うの眼鏡に 適 いましてござる。また、あちらもこの ほ うに心を捧げてくれました。それゆえ、あれを 許 婚女 として 故 郷 に 連 れ 帰 り、 キ リ ス ト 教 会 の 掟 に 則 り 婚 儀 を 取 り 結 ぶ お 許 し を 賜 り た く、 か く は 参 上 つ か ま つ り ま し た。 陛 下 が 忝 く も、 あ れ の 手 を こ の ほ う の 手 に 置 き、 あ の 気 高 い 乙 女 に 暇 を 取 ら せ て く だ さ る な れ ば ﹂ と。 陛 下 は、 既 に 他 の殿御の 所 有物 だという乙女心に伯爵がどんな要求権があるのかしきりに問い質し、お気に入りのあの子が宮廷の二 人の貴族と、同時に恋の語らいを続けた、と聴かされて、大層ご不興になった。このようなことは当時にあっては忌 むべき所業で、先行き生死を賭した決闘となるのが普通。なにせ、かような場合恋敵同士己がものと思いこんだ意中 の 女 を流血沙汰無しに手放しっこないのが常なので。とは申せ、皇后がいくらか気を静めたのは、双方ともこの案件 での仲裁裁判長として自分を選んだのだし、両人ながら自分の裁定に儀礼を尽くしておとなしく従うだろう、と推測 できたので。 彼 女 は 姫 を 奥 ま っ た 私 室 に 呼 び 寄 せ、 厳 し い 言 葉 で こ う な じ っ た。 ﹁ こ の 跳 ね 返 り 娘。 そ な た の 恥 知 ら ず な 色 恋 沙 汰でなんという揉め事をこの宮廷に惹き起こしたことでしょう。貴公子たちは皆そなたに血道を上げ、そなたを娶ら せて欲しい、と哀訴嘆願でわらわを悩ます始末。これもひとえにそなたのことをどのように考えたらよいものやら、 彼らには分からぬからです。そなたは磁石が鉄を引き付けるように、全ての 鋼 鉄 の冑を我が身に 誘 き寄せ、軽はずみ に騎士や盾持ちたち ︵ 5 9 ︶ を弄び、それでいながらあの人たちの愛の誓いをすげなく撥ねつける。同時に二人の殿方に色目

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を遣い、しかも愚弄するとは、 躾 の良い娘にふさわしいことですか。 面と向かってはいちゃいちゃし、 徒 な望みをかきたてておきながら、 陰へ回って道化者扱いいたすとは。かようなことは許しませぬ。あの 二人の立派な若者のうちどちらか一人をそなたの夫にいたすのです。 くぐせのウルリヒ伯爵か、くつまのループレヒト伯爵のいずれかをな あ。とくとく選んで、わらわの不興を蒙らぬようにしなさい﹂ 。 ルクレツィアは、仕えまいらす皇后が自分の戯れの恋をこのように 叱責し、きつく訓戒したので、色を失った。彼女は、恋の道でのまこ と些細な 追 剥 ぎ行為なんぞが、神聖ローマ帝国の最高法廷で裁かれる とは、思っても見なかったのである。そこで峻厳な女主人の前に慎ま しやかに 跪 き、可憐な涙で手を濡らしたが、やがて動転から立ち直 る と、 こ ん な 具 合 に か き く ど い た。 ﹁ お 怒 り に な ら な い で く だ さ い ま せ、皇后陛下。私の取るに足らない魅力ごときがあなた様の宮廷を騒 がしたといたしましても。私、いけないことに手を染めてはおりませ ぬ。 公 達 がたがなんの遠慮もなさらず若い娘たちに近づくのは、どこでもあの方がたの慣わしでございましょう。け れど私、殿方に、心を差し上げます、とお約束するような望みをかきたてたことは一切ありませぬ。これはまだ思い の ま ま に 使 え る 誰 憚 ら ぬ 私 の 所 有 物 。 で す か ら、 陛 下、 賎 し い 端 女 に、 そ の 心 に 添 わ ぬ 夫 を 頭 ご な し の ご 命 令 で 無 理強いあそばすのはご容赦くださいますよう﹂ 。

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﹁ そ な た の 言 葉 を 聴 く 耳 は 持 ち ま せ ぬ ﹂ と 皇 后 は 応 え た。 ﹁ わ ら わ の 気 を 変 え よ う と、 逃 げ 口 上 で ご ま か そ う と い た すまいぞ。わらわはよう知っております。そなたが バ ジリスク ︵ 6 0 ︶ のようなその目から愛という甘い毒薬をこの宮廷の伯 爵その他の貴族がたの心に注ぎ込んだことをな。今はもう恋愛三昧の罪滅ぼしをして、そなたがこれまで男どもをい ましめて来た枷を我と我が身に掛けるがよかろう。それと申すのも、そなたに既婚女性の 頭 巾 を被せるまで、わらわ は安眠いたす気になれぬからじゃ﹂ 。 面目丸潰れの目に遭わされたルクレツィアは皇后がおそろしく真剣なのを見て取ると、これ以上 逆 鱗 に触れぬよう、 抗弁し続けるのは差し控え、ある企みを考え出し、これで落とし戸に 嵌 まるのを逃れようとした。 ﹁仁慈 遍 き皇后陛 下 ﹂ と 彼 女。 ﹁ お 言 い つ け は 私 に と り ま し て そ の 他 の 十 誡 同 ︵ 6 1 ︶ 様 お 守 り い た さ ね ば な り ま せ ぬ 十 一 番 目 の 誡 で ご ざ い ま す。仰せの通りにいたしますが、ただ、求婚してくだすっておられるお二方のうちお一人を選ぶことをお許しくださ いませ。あの方がたはお二人ながら私には大切な殿方、私、いずれのお怒りも買いとうございません。ですから、陛 下、あの方がたに条件を一つ出すことをお認め戴ければありがたい幸せでございます。それを果たしてくださる方を 背 の 君 と し て 受 け 入 れ ま す の に 吝 か で は あ り ま せ ぬ。 あ の 方 が た が そ れ を 成 就 す る こ と に よ っ て 騎 士 の 報 酬 と し て 私の手をかちえようとなさらぬなら、私は承知いたしました、との言葉をすっかり免除される、と陛下がご 綸 言 と ︵ 6 2 ︶ ご 名誉に掛けてお約束くださるなら﹂ 。 皇后は、狡猾なルクレツィアのこうしたまことしやかな従順さにすっかり満足し、課題を出すことによって恋する 男どもを煽り、彼らがたじろぐことは無いか吟味し、最もふさわしい者に戦利品として自らを差し出そうというこの 申 し 出 を 受 け 入 れ、 綸 言 と 名 誉 に 掛 け て そ の 条 件 を 容 認、 ﹁ 結 婚 を 申 し 込 ん だ 二 人 の う ち 一 番 健 気 な 御 仁 は、 そ な た を手に入れるためにどのような代価を支払わねばならぬのか、教えてたもれ﹂と言った。乙女は微笑みながらこう応

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え る。 ﹁ 他 で も あ り ま せ ぬ、 あ の 方 た ち が こ れ 見 よ が し に 身 に 付 け て お ら れ る く ぐ せ と く つ ま を お 取 り に な る こ と で すわ。重荷を振り捨てるよう試して戴きたいもの。私、蝋燭のように真っ直ぐでない、樅の樹のようにすらりとして いない求婚者と指環を取り交わす気はございませんの。婿君に非の打ち所がなくなるまで、くぐせもくつまも花嫁を 娶れない、とご綸言とご名誉が私に保障してくださっております﹂ 。 ﹁おお、この悪賢い蛇めが。とっととすさりおろう。そなたはわらわのみことのりを嘘八百でせしめおった。したが、 わらわはそれを取り消すことは叶わぬ。 一 度 口にのぼせたからにはな﹂と腹を立てた皇后は言い、いらいらと乙女に 背を向けたが、結局このようにうまうまと策に乗せられ、狡猾なルクレツィアに勝ちを譲らねばならなかったのであ る。ついでながらこれをしおに彼女は、自分が恋の道で周旋役を務めるというこの上も無く恵まれた資質は必ずしも 授かっていない、ということを学んだが、 高 御 座 についている身であって見れば、そのようなものは無くてもがな、 とすぐに心慰めた次第。好意の手助けがまずい結果に終わったと二人の求婚者に沙汰すると、ウルリヒ伯爵はこの悲 しい知らせにひどく意気消沈した。高慢なルクレツィアがああした思い上がった言葉を弄し、申さば彼の肉体的欠陥、 これまでは宮廷のだれ一人としてこれに触れたりすることがなかったから、もはや意識もしていなかった欠陥を咎め 立てしたことを、とりわけ不快に思った。 ﹁あの小癪な女は﹂と彼は呟いた。 ﹁もっと穏やかな口実を見つけることは できなかったのか。綺麗さっぱり 毟 り尽くしたあとで、他の夥しい崇拝者同様私を 慇 懃 にお 祓 い箱にしようとてなあ。 よ り に も よ っ て こ ん な 条 件 を 出 し て、 彼 女 の 心 を 我 が 物 に す る こ と は 到 底 で き な い 私 の 心 を 毒 あ る 蝮 の 一 咬 み で こ の上更に傷つける必要があったのか。厭わしい者として足蹴にされて追われるような目に遭わされても仕方が無いよ うなことを私がしたというのか﹂ 。 恥 辱 に ま み れ、 深 く 絶 望 し た 彼 は、 差 し 迫 っ た 宣 戦 布 告 を 目 前 に 控 え た 大 使 の よ う に、 暇 乞 い を せ ず に、 帝 都 を

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離れた。あれやこれやと考えを廻らす訳知り屋たちは、こうした突然の失踪から推し量って、思い上がった乙女に、 伯爵の手ひどい仕返しがあるだろうよ、と予言した。けれどもこちらはろくに気にもせず、軽やかな巣の真ん中で獲 物を待ち伏せする蜘蛛さながら、のんびりお高く構えこんで、すぐにまたぷーんぷーんと飛び回る蚊が彼女の張り巡 らした糸に掛かってもがき、手に落ちて新たな餌食になればいいな、と思っていた。くつまのループレヒト伯爵は、 ﹁ 火 傷 し た 子 ど も は 火 を 怖 が る こ と を 覚 え る ﹂ と い う 諺 を 金 科 玉 条 に 採 用、 伯 爵 領 が ル ク レ ツ ィ ア の 宝 石 箱 に し ま い こまれぬうちに、彼女の罠から逃げ出し、彼女の方でも羽をもぎ取ることなしに、飛び去らせてやったのである。私 利私欲に血道を上げる人間ではなかったので。黄金の卵なる宝が後ろ盾に控え、花も盛りの人生の春を謳歌している 身であって見れば、がめつかったりしたら、それこそ奇妙 奇 天 烈 至極な精神の迷妄であろう。ルクレツィアを喜ばせ たのは伯爵の領地ではなく、ひとえにその献身だったので、陰湿な陰口や、毎日浴びせられる皇后の、伯爵を破産さ せたのはそなたです、という批難に堪えられなくなり、不当に得た富にある方法で決着をつけることにした。もっと もその手段はそれでも姫の虚栄心をくすぐったし、自分に得が行く形で評判を広めるのに役立ったのだが。彼女は ゴ ス ラ ー ル 近 郊 の ラ ン メ ル ス 山 に 貴 族 の 息 女 用 の 修 道 院 学 校 を 建 て た の で あ る。 そ し て、 マ ン ト ノ ン 夫 人 ︵ 6 3 ︶ が ル イ 十 四 世の 内 帑 金 でその敬虔な時期に彼女の霊的な 理 想郷 であるサン・シール女塾を経営したように、これを財政的に豊か に支援した。当時こうした篤い信仰の記念碑は、ラーイス ︵ 6 4 ︶ のような遊女にだって聖女だとの名声を博させることがで きた。この鷹揚な寄進者は美徳と信心深さの鑑として誉めそやされ、彼女の道徳性の汚れや傷はことごとく払拭され た。皇后ですら、信心深い泥棒女がその略奪行為の獲物をどんな目的に使用したのか気付くと、お気に入りの女官を あんなにひどい目に遭わせたことを詫び、貧窮した伯爵にいくらかでも償いをするために、皇帝から 扶 養推薦状 を ︵ 6 5 ︶ 発 給してもらい、彼の滞在先が分かり次第すぐさま、それを彼に送り届けてやるつもりだった。

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一方ウルリヒ伯爵は山越え谷越えて彷徨っていた。虚飾の恋なぞもう厭でたまらず、きっぱり断つ決心だったし、 うつせみのこの世ではもう運が開けることはあるまい、と思ったから、突然世間には ほ と ほ と嫌気が差し、現世主義 者の中の不満分子に加わった。そして自分の霊魂の救済のために聖墓 ︵ 6 6 ︶ に巡礼し、帰国したらどこぞの修道院に閉じ籠 ろう、と志した。けれども祖国ドイツの国境を越える前に、彼は 愛 神 という 精 霊 との難儀な戦いをやり抜かねばなら なかった。この精霊、古巣を棄てるよう妖魔退散のお祓いを受けると、ウルリヒを責め苛んで狂人のようにした。 驕 り 高 ぶ っ た ル ク レ ツ ィ ア の 面 影 が、 ど ん な に 掻 き 消 そ う と し て も 再 三 抗 い 難 く 脳 裡 に 浮 か ん で な ら ず、 行 く 先 先 至 るところ災鬼のように付き纏った。理性は意思に向かって、あんな感謝を知らぬ女は憎みなさい、と命令。けれどこ ちらの強情な下っ端はご主人様に反抗して服従を拒絶する。彼女が傍にいない、という思いが、宮廷から遠ざかる一 歩一歩ごとに、一滴の油を恋の炎に注ぐので、これはねっから消えはしない。悲しい放浪の旅の間、騎士がしきりと 考えて止まぬのはかの麗しい毒蛇のことばかり。エジプトの肉の鍋に引き返し、約束の地ではなく、 ゴ スラールでお のが霊魂の救済の道を探したくてたまらなくなった ︵ 6 7 ︶ こともしばしば。世俗と天国との戦いでぼろぼろの責め苛まれた 心を抱えて彼は旅を続けはしたものの、向かい風を間切って進む帆船さながらの態だった。 こうした苦悩に満ちた状況でティロル ︵ 6 8 ︶ の山地をうろつき回っているうち、ロヴェレト ︵ 6 9 ︶ から程遠からぬ南国との国境 いに ほぼ辿り着いたのだが、その時ウルリヒは一夜を明かす宿に行き当たらぬまま、とある森の中で迷っていた。彼 は駒を一もとの樹に繋ぐと、傍らの草に身を横たえた。ひどく疲れていたからである。旅の難儀のせいというより、 内なる魂の藤のために。苦しい時の慰め手である黄金のまどろみがすぐに目を閉ざし、しばし彼の不幸せを忘れさ せてくれた。すると突然死神のように冷たい手が体を揺さぶって深い眠りから覚まさせた。目を覚ました彼が面と向 かって鼻突き合せたのは骨と皮ばかりの婆様の姿。上からかがみこんで、 角 灯 で顔をまともに照らしつけているのだ。

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この思いがけない光景にぞっと悪寒が走ったウルリヒは、こりゃ亡霊だ、と思い込んだ。けれどもまるきり勇気に見 放 さ れ た わ け で は な い の で、 す っ く と 立 ち 上 が る と、 こ う 言 っ た。 ﹁ 女、 そ ち は だ れ だ。 し て、 な に ゆ え わ た し の 安 息をあえて乱すのだ﹂ 。老女は答える。 ﹁わしはパドヴァ ︵ 7 0 ︶ の 女 医 師 様 に ︵ 7 1 ︶ お仕えする薬草採りでしての。奥様はご自 分のここの農場で暮らしとられます。で、真夜中の刻限に掘り取ると大層効能がある香草や草の根を探して来るよう、 わしを遣わされましたのだ。その途中あなた様を見つけたわけじゃが、て っきり、人殺しどもの手に落ちて殺されたお人か、と思いました。だもの で、まだ息がおありかどうか見届けようと、したたかに揺さぶりこづきま したで﹂ 。こう説明された伯爵は、最初の驚愕から気を取り直し、 ﹁そちの 女 主 人 の お 住 ま い は こ こ か ら 遠 い の か な ﹂ と 訊 ね た。 老 女 の 返 事。 ﹁ 奥 様 の山荘はごおく近間のあそこの谷合いにござりまする。わしゃ今しがたそ こからやってまいりましたで。あなた様が一夜の宿りを奥様にお求めにな るなら、拒まれはなさりますまい。したが、客人権をないがしろになさら ぬようご用心をな。奥様には可愛らしいお嬢様がお一人おありでの、殿方 がお嫌いではなくて、きらきらするお目目でお客様の心を覗き込まれます。 お母上はお嬢様の純潔を聖域のように守っておられますじゃ。ぶしつけな 客 人 が ウ ゲ ッ ラ 様 の 目 に 見 入 り 過 ぎ る、 と 気 づ か れ よ う も の な ら、 即 座にその御仁に魔法を掛けておしまいだ。なにせ奥様は自然界のさまざま な 力 や 天 が 下 の 目 に 見 え ぬ 精 霊 ど も を 従 え て お ら れ る 神 通 力 を お 持 ち の

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女 子 ゆえのう﹂ 。 騎士はこうしたおしゃべりにろくすっぽ耳を傾けていなかっ た。ひたすら憧れるのは必要な休息を取るための上等なもてな しの好い 臥 床 で、それ以外のことは馬の耳に念仏。ぐずぐずせ ずに駒に 馬 勒 を ︵ 7 2 ︶ つけると、痩せこけた道案内人に喜んで従う。 老婆は茂みや藪を幾つも抜けて急な流れの谷川がさらさらとせ せらいでいる心地よい渓谷に彼を導いて下った。 丈高い 楡 の並木道を通って、駒の手綱を取っていた疲れ切っ た巡礼者は山荘のぐるりを廻る庭園の壁に行き着いた。これは 昇る月に照らされてもう遠くから魅力溢れる眺めであった。老 婆は裏門を開き、新参の客がそこを抜けると、見事にしつらえ られた遊苑に入った。噴水がぱちゃぱちゃと水を 迸 らせて生 暖かい宵の大気を 清 清 しくしている。庭園の 露 壇 では何人かの 上臈たちがこの快い涼しさと優しい月の姿を雲の無い夏の夜に 愛 でながら逍遥していた。老女はその中に女医師がいるのに気づき、遠来の客を彼女の傍に連れて行くと、山荘の所 有者は騎士の物の具から、相手がありきたりの身分ではない、と看て取り、 慇 懃 に応対して、住まいに迎え入れ、あ らゆる種類の爽やかな飲み物を添えて、美味な晩餐を用意させた。 蝋燭の明るい輝きで伯爵は、もてなしてくれる女主人と家の者たちを、食事の間至極のんびりと観察することがで

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