Bungaku Kyouiku Kenkyuusya Syuudan
NII-Electronic Library Service Bungaku Kyoulku Kenkyuusya Syuudan
「
文
学
と
教
育
」百
号
の
歩
み
福
田
隆
義
夏
目
武
子
鈴
木
益
弘
芥
川 は 「執
念
く ( し ゅ う ね く ) 」 と いう
語
を 何度
か使
っ.
た 。 太宰
も 井伏
も使
っ て い る 。 こ の語
は 教 養的
中
流
下層
階
級
者 が 現実
の “倦
怠
” と た た か う中
で、
自 己 を 励 ま し 、 自 己 の存
在 証 明 を 行 う際
の「
種 の合
い こ と ばな
の かも
しれ
な い 。私
た ち の機
関
誌 「文
学
と教
育
」 も小
冊 子 な が ら 、 執 念 く発
行 を つ づ け て 、 百 号 を 迎 え た 。 そ の間
、 機関
誌
の編
集 に当
っ た 三 人 の編
集
長 に 、 そ の こ ろ の こ と を 語 っ ても
ら っ た 。小
さ
い体
に大
き
な
のぞ
み
回 顧
的
な 文章
を書
く
よ う に い わ れ る こ と が多
く
な っ た 。 年 の 功 と い い た い の だ が 、 私 の 場 合 は 、 年 の せ い で あ る 。懐
古
に終
わ っ て 、 展 望 に結
び つ か な い 。 こ の 小稿
も 「文
学
と 教育
」 の創
刊 号 か ら 、 机 の 上 に積
み 重 ね た も の の 、 ど こ か ら紹
介
し て い い か迷
い に迷
っ た 。 が と も かく
は っき
り し て い る と こ ろ か ら書
き 始 め る 。機 関
誌
「
文 学 と 教育
」 は、
そ の 形 式 か ら 三期
に 分け
ら れ る 。 第一
期
t
創
刊 号 (58
年
10 月 ) か ら 、 廠14
(60
年1
月 ) ま で 。 ガリ
版
刷 り、
14
頁 組 み 。 第 二 期1
%15
(60
年3
月 ) か ら 、 癒64
(70
年6
&
ま で 。 タ イ プ 印 刷、
平
均24
頁
組
み 。 第 三 期−
姦65
(70
年8
月
) 以降
。 活字
印
刷 。 私 が こ こ で 分担
す
る の は、
右
の一
期 と 二 期 で あ る 。 第一
期 私 た ち の集
団 の前
身 「 サ ー ク ル・
文 学 と 教育
の 会 」(
58
年10
月 ) 発足
か ら 「文
学教
育
研 究者
集
団
」(
60
年2
月 )創
立 ま で の期
間 。 私 た ち が冗
談 口 に い う、
文教
研神
話 時 代 に あ た る 。初
期
の編
集
を 担 当 し た の は 、 木村
敬 太 郎・
鈴
木勝
・
小川
勇・
小 沢雄
樹
男
氏
ら の神
々 と 荒 川 有史
さ ん で あ る 。 後半
は 、 荒川
さ
ん が 大 阪 に赴
任
。篠
原
由 喜 子 氏 と 福 田隆
義 が 担 当 し た 。 ザ ラ 紙、
ガ リ 版 刷 り、
14
頁 。 な ん と も貧
弱
な体
裁
で あ る 。 発 行部
数 は、
会 員 二 十数
名 プ ラ ス 寄 贈 分 で、
80
部
ぐ
ら い だ っ た と記
憶
し て い る 。 が 、 お そ らく
今 は 、 日 本 に数
部
し か残
っ て い な いだ
ろう
。 そ う 思う
と 限り
な い愛
着 が わ い てく
る 。 と いう
の は、
体
裁
は貧
弱
だ
っ た が、
内
容 は充
実 し て い た と 思う
か ら で あ る 。 た と え ば 、会
員 の強
い 要望
で 姦36
に再
録 し た 、 熊 谷孝
先
生 の「
国語
教
育
と し て の文
学 教 育 」 は、
姦5
に掲
載
さ れ た 論稿
で あ る 。 特 に こ の 論 文 に対
し て は 、 読 者 の 反響
が 大き
か っ た 。 来 栖良
夫・
永
積
安 明・
鴻
巣
良 雄 氏 ら を は じ め、
国 民 教育
研 究 所 な ど か ら、
賛
意 と 期待
が 寄 せ ら れ た 。 第 二期
主 と し て
福
田 が実
務
を担
当 し た 期 間 。飛
躍
的 に読
者 を拡
大
し た 癒49
。夏 目
編
集
長 が担
当 し た時
期
の 三 つ に 分げ
て略
述
す
る 。 漁15
〜 癒48
廠15
は、
タ イ ブ印
刷第
一
号 。文
教
研 と 改称
し 、 会員
の再
登録
を し た 最初
の号
。 ま た 、 文教
研
第
一
回 全 国集
会 レ ジュ
メ号
でも
あ る 。 こ の 時期
の 会員
は 、 大 阪 に い た 荒川
さ ん を含
め て 、 わず
か 八名
。 機関
一 45 一
N工 工一
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誌 の タ イ プ 化 も
、
全 国集
会 も、
実 に思
い き っ た 企画
で あ っ た 。 当 時 の裏
話
を一
、
二 紹 介 し よ う 。会
員 は 八 名 か ら 七名
。 そ し て、
六名
に と い う状
況 。 販路
の見
と お し は ま っ たく
な い ま ま、
二 百部
を 印 刷 し た 。多
い 時 は、
百 部 以 上 が お倉
入 り 。残
り の 百 部も
ほ と ん ど が寄
贈 本 だ っ た 。 し た が っ て 、一
号 出す
ご と に数
千
円 の赤
字
を か か え 込 んだ
。 廠14
に 「 私 た ち は 臨 時 会 費 五 百 円 を 拠 出 し 、 運 転資
金 に し た 」と
記 し て あ る 。 当 時 と し て は か なり
の 高額
だ っ た 。 だ が 、 そ れく
ら い で は焼
石 に 水 。 ボ ー ナ ス カ ン パ だ の、
外
部
か ら の依
頼
原 稿 の稿
料
は 文教
研
で 没収
す
る な ど の 非常
手
段
で 切 リ抜
け
た 。 いう
ま
でも
なく
、
い ち ば ん の被
害
者 は、
熊
谷 先 生 だ っ た 。 ま た、
た て ま え と し て は隔
月 刊 で あ り な が ら 『 文学
の 教授
過
程
』 『 中学
校
の 文学
教
材研
究 と授
業
過程
』 ( 明 図秘
)執
筆
中 の64
年 か ら65
年 に は 、一
年
も の ブ ラ ン ク が あ る な ど 発 行 に も 乱 れ が あ っ た 。 そ れ が ま た、
誌
友
拡 大 の支
障
に な る と いう
悪
循 環 が つ づ い た 。飛
躍
的
に読
者 を拡
大
し た 孤49
臨
時増
刊号
を 発 行 し た の は、
今ま
で に 廠49
(68
年1
月 )}
冊 だげ
で あ る 。 こ の号
の 内容
をま
ず
紹
介 し ょう
。声
明灘 尾
文
相 「 国 防 発 言 」 に抗
議
す
る 言 論 抑 圧 は こ ん な形
下
熊 谷論
文
に対
す
る 不 当 な “抗
議
”〈
資
料V
抗 議
大 日 本 殉 皇
会
・ 不敬
言
動
審
査
会国
防
意
識 に結
び つく
改
訂学
習指
導
要
領
の 問 題点
(
座
談 会 )68
年 は、
昭和
43
年 版 学 習指
導
要領
が 出 た 年 で あ る 。 そ の改
訂
作
業 が進
行
中 の57
年 末 、 灘 尾 文相
が 「 小 学 生 に も 国防
意
識
を 」 と いう
発 言 を し、
物議
を か も し た 。 い う ま でも
なく
、
70
年安
保 へ向
け
て の 布 石 で あ る 。 私 た ち は、
他 の団
体 に 先 がけ
て こ の問
題 を 取 り あげ
た 。抗
議
声
明 を、
元 旦 づけ
で 出す
と同
時
に 署名
運 動 に取
り 組 ん だ 。 ま た 正 月2
日 に は改
訂 指 導 要 領 を め ぐ る 座談
会
をも
っ て 記 事 に し た 。 そう
し た準
備
を進
め て い る さ な か 、 正確
に は 「皇
紀弐
阡
六 百 弐拾
八 年壱
日 六 日 」 つげ
「 大 日 本 殉皇
会
・
不 敬 言 動 審査
会 」 と いう
、
得
体
の知
れ な い会
か ら 、熊
谷先
生 あ て に 親展
・
速達
で 「 抗議
文
」 が舞
い 込 ん だ 。内
容
は 「 i−
略
1
「 現代
教育
科学
』一
月 号 に掲
載 さ れ て居
る貴
下 の執
筆
し た − 王体
性
放
棄
の 同 化 の 論 理 』 は 反 国冢
的 、 反 民族
的
な有
害極
わま
る も の で あ りー
略−
日 本 の国
体
を傷
つげ、
皇窒
の 尊厳
を 甚 だ しく
冒濆
す
る も の で あ る 。1
略ー
故
に貴
下 は 即刻
、皇
室 の 尊厳
冒漬
の 大 罪 を 天 下 に謝
罪
」 せ よ 、 と い う も の 。 孤49
に は 、 こ の 時代
錯誤
の「
抗
議 文 」 を 写真
入り
で掲
載 し た 。 あ る い は 文教
研
に 対 し て、
抗
議
や い や が ら せ が あ る かも
知
れ な い こ と を覚
悟
し た う え で あ る 。70
年
安
保 を 目前
に し た 時点
で の こ の脅
迫状
は、
た ん に 熊 谷個
人 へ の も の で は な い と考
え 、 ひ と り でも
多
く
の 人 に 訴 え た か っ た か ら で あ る 。 と こ ろ で 、 こ の 号 は 、 そう
し た 私 た ち の緊
張
感
と相
ま っ て、
飛 躍的
な 売 れ中
き を し め し た 。癒
50
〜
%64
こ の 時期
に は 、 会員
は 二 十名
近く
に、
地方
会
員 も か な り の数
に な っ て い た 。ま
た 、 組織
も
委
員会
制
を 確 立 し 、委
員
が、
研
究
・
編
集
・
財政
を 分 担 し た 。 そ し て 、初
代
編
集
長
に は夏
目 さ ん が就
任
し た 。夏
目
編集
長 に な っ て か ら は、
隔
月
刊 を 実行
。誌
友も
拡
大
さ れ、
あ る 展 望 が 開け
た 。69
年8
月、
夏目
さ ん の 提案
で 、 機 関誌
の 活字
化・
五 百部
発 行 を め ざ し て 〃 活字
化基
金
” 月 額一
口 三 百 円 の積
み 立 て を 始 め た 。 そ し て、
一
年後
の70
年8
月
号 か ら 、第
三 期 に 入 る 。 (福
田隆
義 )一 46 一
N工 工一
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「
文
学
と
教
育
」活
字
化
の実
現
タ イ プ印
刷 の「
文 学 と 教 育 」 の 持 つ 手 づく
り の よ さ を 十 分 認 め な が ら も 、活
字化
に ふ み き っ た の は 、「
読
み やす
さ 」 を 求 め て の こ と で あ る 。 会負
が一
年 余 に わ た っ て 積 み 立 て た 活 字化
資
金 を も と に、
一
九 七〇
年 八 月 、第
一
号公
誌
65
号 ) 誕 生 。 編 集技
術
の 手 ほ ど き を 当 時 三省
堂 に勤
務
さ れ て い た武
井
美
子 氏 に受
げ
た 。 印 刷所
を ど こ にす
る か ?た ま た ま
手
に し た 「編
集
マ ニ ュ ア ル 』 に、
文化
社
が 編集
・
出版
の代
行 をす
る と い う広
告 が あ っ た よう
で、
と に かく
尋
ね て み た 。 地 下鉄
京
橋 駅 の近
く
で あ っ た 。 後 で 知 っ た の だ が 、 こ こ は 千単
位 の 大 規模
な 出 版 を引
き
受
け
て い る所
だ っ た 。A5
版
24
ペ ー ジ 、 発 行 部 数 は そ ん な に多
く な い の に 、 こ こ に 写 真 を 入 れ、
こ こ は こ ん な ふう
に、
と習
っ たば
か り の編
集
技術
?を も と に
、
注
文
を つけ
る 。 風変
わ り の客
と 思 っ て か 、社
長 が快
く
引
き
受け
てく
れ 、 親 切 に ア ド バ イ ス も し てく
れ た 。感
謝 。 定 価 は一
五〇
円 。 編集
費
持
ち出
し 、 文 化社
も 大 サ ー ビ ス し てく
れ て も 、 こ の値
段
に な る 。 百 ペ ー ジ を こ え て 七 〇 円 の 週 刊誌
が う ら め し か っ た 。「
値
段
の 上 で マ ス・
コ ミ に 勝 て なく
と も 、 文 教 研 と い う 個性
あ る文
体
、 文 体的
発想
で こ の雑
誌
を う め る こ と だ 。 そ の こ と で ま た 、 文 教研
と いう
き
り 口 か ら で は あ る が、
日 本 の 国 語教
育
の 歴 史 の証
言 と も なり
、未
来
を先
ど りす
る問
題提
起 の 役 目 を 果 た し た い と 思う
」 と、
そ の あ と がき
に書
い た 。 当時
の文
教 研、
そ し て編
集
委
員
の 黒川
実、
奥
津
( 旧姓
大島
) 志津
子
、高
沢健
三、
山崎
宏、
各 氏 の気
持
を 代 表 し た つ も り だ 。編
集
会議
は ひ んば
ん に 持 っ た 。 リ ー ド の こ と を高
沢 氏 の命
名
に従
っ て ” 能 がき
” と よ ん で い た 。 原 稿 の 字 数 オ ー バ ー を カ ッ トす
る の は 、 カ ッ ト マ ン 。 山崎
宏
氏
は 名 カ ヲ ト マ ン で あ っ た 。 表紙
は も ち ろ ん 高沢
氏 。65
号
か ら70
号
と、
一
年 間 に 六 回 発 行 し た と こ ろ で、
私 が病
弱 の た め、
現
編集
長
の鈴
木
益弘
氏 に 交 替 し て も ら っ た 。各
号 の性
格 と、
ぜ ひ ご一
読 願 い た い 論稿
を 記 し て み る 。65
号 ( ワ0
年8
月
刊 ) 物 年春
季 合宿
、 年19
回 全国
集
会
特
集
66
号 ( 男 年1
月 刊 ) 文 教 研第
19 回集
会 の講
演、
総
括 67号
( 竹 年1
月 刊 )例
会 の 学習
の 総 括「
教 材 化 の 論 理 」68
号
( 唾 年3
月 刊 ) 年冬
季合
宿
総 括 ω、
第20
次
全 国教
研 ま と め69
号
( 町 年5
月 刊 ) 年冬
季 合宿
総 括 、 熊 谷孝
氏 の授
業
体
験
談70
号 ( 竹 年8
月 刊 )文
教
研
第20
回集
会
へ向
げ
て 、 基 本 用語
解 説 、 文 教研
13
年 の 足 跡 を 顧 み る1
座談
会 活字
化 第一
号
の巻
頭 論文
は、
春
季
合宿
の 熊 谷孝
氏
の 講演
の 部 分 再 現 で 、「
国語
教育
と し て の文
学 教育
か ら、
” 文体
づく
り の 国 語 教育
” へ 」 で あ る 。 戦 後文
学 教 育 の 歴 史 の 総 括 で あ り、
“文
体
づく
り ” と いう
「未
来 を 先 ど りす
る問
題
提起
」 が な さ れ て い る 。69
号
は 井伏
文学
特
集
と も 言 え る「
剛 山 椒魚
』 か ら 『 丹下
氏邸
』 へ 』 と題
し た冬
季
合 宿 総 括 。読
み な おす
たび
に、
新
た な こ と を 感 じ る の が 、 文 学 の特
質
な の だ、
と い う こ と を 実感
さ せ ら れ る 。 ま た、
六 年 間 の私
た ち 文 教 研 の 研究
へ の と りく
み の深
さ と 意 欲 を 、 あ ら た め て 感 じ る 次 第 で あ る 。70
号
の 基 本 用 語 解説
。90
号 に 再 録 さ れ て い る が、
「 私 の辞
書
」 と し て欠
かす
こ と が で き な い 。同
じ
く
70
号
の文
教
研
13
年 の足
跡
を めぐ
っ て の 座談
会記
録「
戦 後文
学
教育
運 動 の渦
の な か で 」 は、
文 学教
育
研 究 者集
団
と い う 呼 び名
に こ め ら れ た創
建 当 時 の 人 々 の 熱 気 を 伝 え て い る 。 文 教 研 の 歴史
を 知 っ て い た だく
た め にも
、
ご一
読を
。夐
目
武 子 )一
47
一
N工 工一
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”