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生殖補助医療によって双胎妊娠した女性が母親となっていくプロセス

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Academic year: 2021

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東京医療保健大学(Tokyo Health Care University) 2014年3月25日受付 2014年10月30日採用

原  著

生殖補助医療によって双胎妊娠した女性が

母親となっていくプロセス

—不妊治療期から出産後6か月までに焦点を当てて—

Processes of becoming mothers of women pregnant with

twins by assisted reproductive technology:

From their infertility treatment to pregnancy to the sixth month after delivery

藤 井 美穂子(Mihoko FUJII)

抄  録 目 的  本研究では,生殖補助医療(以下ART)によって双胎妊娠した女性が不妊治療期から出産後6か月頃ま でに母親となっていくプロセスを明らかにした。 方 法  研究デザインは,ライフストーリー法である。研究参加者はARTによって双胎妊娠し,妊娠8か月以 降に胎児に先天的な奇形や異常がない。加えて,妊娠8か月の時点で母親に合併症がなく,今後の妊娠 ・出産経過が順調であると推測できた妊婦4名である。データ収集は,半構成的面接と参加観察法によ って行った。面接や参加観察は,①産科外来通院中,②出産後の産褥入院中,③子どもの1か月健診時頃, ④子どもの3か月健診時頃⑤子どもの6か月頃の5時点で縦断的に実施した。 結 果  本研究では,子どもをもつことで夫と家族になる夢を叶えたAさんのライフストーリー,子どものた めに強い母親になろうとするBさんのライフストーリー,子どもを失った苦しみから立ち直ろうとする Cさんのライフストーリー,母親となったことをなかなか実感できないDさんのライフストーリーが記 述された。 考 察  本研究の参加者の全員は,妊娠期に母親となることを否認するが,出産後に妊娠期から母親の準備を していたかのように物語を書き替えることで,妊娠期に胎児と過ごした時間を取り戻していた。また, 不妊治療中に自尊心が傷つき辛かった体験を想起して現状を「良かった」と意味づけていた。研究参加 者は,未解決な過去を肯定的に意味づけることで過去を受容して母親としての人生を歩もうとする物語 を語った。  しかし,その裏で,出産後も拭いとることができない不妊というスティグマによる傷ついた物語が母 親となる物語に影を落としていた。ART後に双胎妊娠した女性の母親となっていく物語は,不妊治療

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期から育児期へと続く語りによって書き直されていくが,その根底には,不妊による傷ついた物語が継 続していたと考えられた。不妊治療期から育児期までの女性の体験を理解し,個々の女性の体験に即し て継続的に支援する必要性が示唆された。 キーワード:生殖補助医療,双子,母親となる,プロセス,ライフストーリー Abstract Purpose

The purpose of this study is to shed light on the period from infertility treatments to six months after delivery during which the women who became pregnant with twins after receiving Assisted Reproductive Technology (ART) went through the process of becoming a mother.

Methods

The study design is the life story method. The participants were four women who (1) became pregnant with twins after receiving ART, (2) do not have any inherent abnormalities and did not have complications with the fetus after eight months of pregnancy, (3) were anticipated at the eighth month of pregnancy to have a smooth pregnancy and delivery process. The data was collected through semi-constructive interviews and the participant-observer method. Interviews and observations were carried out in a longitudinal way at the following five points: (1) during regular outpatient visits to a maternity clinic, (2) during hospitalization after delivery, (3) around the time of the one-month health checkup of the babies, (4) around the time of the three-month health checkup of the babies, and (5) around the time of the six-month health checkup of the babies.

Results

The research describes life stories of: participant A whose dream of making a family with her husband has come true by having the babies, participant B who tries to be a strong mother for her babies, participant C who tries to recover from her previous pain of losing her child, and participant D who still has not really been able to feel that she has become a mother.

Discussion

All of the research participants during their pregnancy denied the thought that they might become a mother. But after delivery, they recovered the time they spent with their fetus by rewriting their stories as if they had pre-pared for becoming a mother from the time of their pregnancy. They also gave meaning to the current situation as 'satisfied' by recalling their harsh experience where their self-esteem was hurt during the infertility treatment. The women told their stories of going forward as a mother by giving an affirmative meaning to their unresolved past and accepting it.

At the same time, however, there was a possibility that their stories of being hurt by the stigma of infertility, which they cannot get rid of even after delivery, casts a shadow on their stories of becoming a mother. The stories of women becoming a mother after being pregnant with twins following ART were to be re-written along with the narrative that continues from the period of the infertility treatment to that of child rearing, at the base of which, it was believed, exists the continued stories of being hurt. It was suggested that it is necessary to understand the experience of women from the time of infertility treatment through to child rearing and provide continuous support that is appropriate for each woman's experience.

Keywords: assisted reproductive technology (ART), twin, becoming a mother, process, life story.

Ⅰ.は じ め に

  今 日 ま で の 生 殖 補 助 医 療(Assisted Reproductive Technology; 以下ART)の進歩は著しく,ARTの治療 件数は年々増加している。ARTによって双胎妊娠した 女性は,自然に双胎妊娠した女性と比べて高齢であり, 母子ともにハイリスクで妊娠管理の必要性が高い(林 ・中井・松田, 2012)。そのため,ART後に双胎妊娠 した女性は妊娠期に,高度な医療行為ができる病院へ 転院するケースが多く,不妊治療の体験を考慮した継 続的な支援を受けることが困難な状況にある。  Rubin(1984/1997, p.46)によれば,妊娠は心理・社 会的母親になるための準備期間で,母性性や母親らし さ(maternal identity)の発展は,妊娠が進み子どもが 発育するのと平行して進む。しかし,不妊治療によっ て妊娠した女性は,妊娠中に流産などの不安が強く胎 児を喪失する可能性を考え,たとえ失ったとしても自 分が悲しまないように身体的変化など妊娠の兆候を否

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認する特徴(Bernstein, Lewis, & Seibel, 1994;森・石 井・林, 2007)がある。

 さらに,双胎妊娠した女性が一度に2人の子ども と絆を深めることの難しさを示唆するものに単向性 理論がある(Bowlby, 1958, p.370)。この理論を用いて Klaus & Kennell(1982, pp.83-84)は,母親は妊娠後期 に1人の子どもに1つのイメージ,あるいは絆を受け 入れることしかできない可能性があることを指摘して いる。つまり,ART後に双胎妊娠した女性は,ART 後の妊娠に加えて双胎妊娠という特徴があるため,妊 娠中に2人の胎児をイメージすることが困難であると 考えられ,単胎妊娠とは異なる絆の形成過程をたどる 可能性があり,双胎妊娠特有の母親となるプロセスが あると考えられる。しかし,ART後の双胎妊婦の出 産後までの様相を継続的に明らかにした研究はほとん どない。  また,単胎児の母親のアイデンティティは,出産後 4か月頃に獲得される(Mercer, 2006)といわれている。 双子の母親においても,少なくとも出産後3か月まで の期間は,育児が最も大変な時期(Beck, 2002;藤井, 2010)であり,子どもとの絆形成が不安定な時期であ ると推測できる。  以上より本研究では,妊娠後期から双子の育児を落 ち着いた状況で回顧的に振り返ることが可能と推測で きる出産後6か月頃までを通して,ART後の双胎妊娠 した女性が母親となっていくプロセスを明らかにした い。

Ⅱ.用語の定義

1.生殖補助医療(Assisted Reproductive Technology)  本研究では,医学的定義にのっとり,不妊症の診断, 治療において実施される体外受精の胚移植,顕微授精 などの専門的であり,かつ特殊な医療技術の総称(日 本産科婦人科学会, 2008, p.221)とする。 2.母親となっていくプロセス  母親や母親役割というもののイメージや価値観,自 分が母親となっていくことへの気づき,感覚,思考等 が双子や家族,医療者,友人,職場の人々など周囲と の関わりの中で形づくられていくプロセスのことをい う。

Ⅲ.研 究 方 法

1.研究デザイン  ライフストーリー法である。  女性が母親となっていくプロセスには,個々人のラ イフスタイルや価値観,女性が生活している文化・社 会規範などが強く反映される。このように個別性が 高く,かつ不妊治療期,妊娠期,出産期,育児期とい う時間的経過に伴い生起する,双胎妊娠した女性が母 親となるプロセスを理解するには,個々の体験を時 間的経過に沿って理解することが必要である。ライフ ストーリーは物語としてのライフの観点を重視し,ラ イフヒストリーは個人の歴史性を重視したものである。 本研究では,双胎妊娠した当事者の立場から女性の 生き方という個別性をとらえ,女性が母親となる姿を 個々の体験の時間的経過に沿って描きだすことを目的 としており,ライフストーリー法が適切だと考えた。 2.研究参加者とデータ収集期間  研究参加者は,ARTによって双胎妊婦となり,妊娠 後期に異常,及び合併症が見られず,今後の妊娠・出 産経過が順調であると推測できた妊婦4名とした。デー タ収集期間は,2011年1月∼2012年9月までの1年9か 月であった。 3.データ収集方法  データ収集は,半構成的面接と参加観察法によって 行った。  a.半構成的面接  データ収集は,インタビューガイドを用いた半構成 面接法によって行った。半構成的面接は,①産科外 来通院中②出産後の産褥入院中③子どもの1か月健診 時頃④子どもの3か月健診時頃⑤子どもの6か月頃の5 時点で縦断的に実施した。面接は原則1回,1回につき 60分程度実施した。面接では,インタビューガイド を作成し,母親になることや母親役割について気がつ いたことや,感じていること,考えていること,及び 理想とする母親像とその理由等を中心に自由に語って 頂いた。  b.参加観察  研究参加者の母親となる自分に対する思いに接近す るために,育児場面の参加観察を行った。女性の語り から得られたデータの時間性を考慮することや,面接 時に具体的な出来事を挙げることで,研究参加者の母

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親となることについて回想を助けることを目的として, 補足的に参加観察を実施して,豊かな面接データを収 集できるように努めた。観察時期は,助産師の指導場 面や医師や家族とのやり取りをする場面等であり,産 科外来及び産褥入院中は各期3回程度観察した。子ど もの1か月健診頃,3か月健診時頃,6か月健診時頃は, 子どもの健診時及び退院後の面接の際に授乳等育児場 面に遭遇した場合はそれについても観察を行った。  尚,フィールドワークにおける研究者の関わり方は, 参加者としての観察者の立場をとり,研究対象者に対 して面接や参加観察時のみ関わり,ケア提供者として 研究参加者と関わることはなかった。 4.データ分析方法  本研究では,不妊治療期∼妊娠期,出産後∼出産後 3か月,出産後6か月の3期毎の時期に分けて個々の母 親となっていくプロセスを縦断的にとらえた。データ 分析は,Riessman(2008)が紹介するナラティブ分析 の手法であるThematic Analysisを参考に行った。母親 となるプロセスに接近するためには,一人ひとりの体 験を理解することや,その体験を時間的な経過に沿っ て描き出すことが必要であると考える。Riessmanの Thematic Analysisは,個人的な語りや主張している出 来事から「何」が語られているかに着目する方法であ り,繰り返し語られる内容から連続性に着目できると いう特徴がある。研究者の着目したいART後に双胎 妊娠した女性が母親となっていくこと,つまり不妊治 療期∼妊娠期,出産後∼出産後3か月,出産後6か月 頃の3時点の時期における継起順序の流れに着目しな がら,個々の女性が母親となる様相を縦断的に捉える ことが可能であると考えこの分析方法を採用した。ま た,過去を想起した語りや語り直しが何を意味してい るのかにも注目することで,各期の特徴とその連続性 に接近するように努めた。  本研究は,分析結果の真実性(Trustworthiness)を 確保するため,Lincoln & Guba(1985, pp. 289-331)が 提唱する4つの規準,すなわち確実性(Credibility), 転用可能性(Transferability),信頼性(Dependability), 確認可能性(Confirmability)に留意した。本研究では, 研究参加者と長期的に関わり関係性を構築する中で データ収集を行い,参加観察と半構成的面接という複 数の方法を用いて確実性の確保に心がけた。また,研 究指導教員より定期的にスーパーヴィジョンを受け, データ分析の結果の確実性の確保に努めた。分析過程 で不明な点は確認し,必要があれば補足的面接を実施 した。転用可能性については,ART後に双胎妊娠し た女性の特徴が伝わるように研究参加者の語りを用い て詳細な記述を行うようよう留意した。確認可能性に ついては,フィールドノートを作成し,現象をとらえ るだけでなく,研究者自身の感じた事など当時を回顧 できるように詳細にメモを残した。 5.倫理的配慮  本研究は,日本赤十字看護大学研究倫理審査委員会 の承認(No.2012-30)および研究協力施設の研究倫理審 査会の承認(No.2012-11)を得て行った。  研究参加者には,研究者の立場,研究の目的,方法, 研究の任意性,個人情報の保護,同意を得て面接内容 を録音することを口頭と文書で十分に説明した。そし て,研究参加者の直筆の署名を得て参加の同意とした。 面接及び参加観察中の子どもの安全や母親の心身状態 に十分に留意して面接を行った。また,本調査は調査 期間が長期にわたるため,面接及び参加観察毎に研究 参加者の意思を口頭で確認して実施した。

Ⅳ.結   果

1.研究参加者の概要  本研究の参加者は,初産婦3名とARTによる出産2 度目の経産婦1名を含む計4名の女性であった。年齢 は34∼42歳(平均38歳)であり,全員が2絨毛膜2羊膜 性双胎妊娠であった。研究参加者のARTを含む不妊 治療期間は,初産婦の全員が3∼4年であり,前回の 不妊治療中に凍結保存された胚移植を行った経産婦は 7か月であった。分娩週数は,37週∼39週であり,子 どもの体重は,1,900g∼3,300g(平均2,560g)であった。 4名の子どもがLFD1で出産し,うち2名が回復治療室

(Growing Care Unit;以下GCU)へ約2週間入院した。 また,出産後に一時的に低血糖になり2日間GCUへ入 院となった子どもが1名いた。全員が,夫や家族の育 児支援があった。  面接回数は,1名当たり6回∼10回で,1回平均面 接時間は58分であった。面接及び参加観察の期間は, 妊娠32週∼出産後7か月であった。参加観察は,面接 1 LFD

(light-for-dates)とは,国際疾病分類第10版(Inter-national Classification of Disease 10th revision; IDC-10) に従い体重のみが平均の10%以下の児を言う(仁志田, 2004, p.7)。

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中を含め合計51回行った。  また,以下の結果の記述において,研究参加者の双 子の第1子と第2子をそれぞれ「第1子」「第2子」,双子 の上にいる子どもを「長子」と表現する。 2.不妊治療によって双子を妊娠し出産した女性のラ イフストーリー  以下,不妊治療期∼妊娠期,出産直後∼出産後3か 月,出産後6か月の順で一人ずつのライフストーリー を示す。研究参加者により実際に語られた言葉は,斜 体のゴシック体または「 」内に示し,〈 〉は筆者の言 葉を( )内には筆者の補足を記した。[ ]内は,面接 時期を表す。 1 ) 子どもをもつことで夫と家族になる夢を叶えたA さんのライフストーリー  a.不妊治療期∼妊娠期:不安に襲われながらも夫 と家族になることを目指す  Aさんは,30代後半の初産婦である。Aさんは,入 籍した後に子どもを作りたかった。しかし,夫は子ど もがいない場合は「人生を添い遂げられるかわからな い」と言い,「子どもができない」と夫との生活はない ということに対して納得できなかった。Aさんは,家 族の持ち方について夫と何度も話し合うが,お互いの 考えが歩み寄ることは無く,外国人の夫とは「言葉の 壁」があり,意思が伝え合えないと意味づけて自分を 納得させて入籍前に不妊治療を開始した。  妊娠9週になったAさんは,出産施設の外来初診時 に看護学生から母親になる気持ちについて尋ねられ, 「お母さん」になることに気づくことがあった。しか し,Aさんは受診毎に医師により双胎妊娠は安定期が 無いこと等の双胎妊娠のリスクを繰り返し説明された ことや,インターネットで双胎妊娠に伴って起こり得 る異常に関する情報を得たことで,正常から逸脱した 事態が自分の身に起こるような気持ちになった。さら に,初めての妊娠で動悸や眩暈,腹部増大に伴う身体 の不調を感じ,妊娠初期には流産や死産に対する不安, 妊娠中期は胎児異常や早産の不安,妊娠後期には陣痛 や双子の出産に対する不安など,不妊治療中と同様に 「ステップ」を踏むように不安が押し寄せてきた。  Aさんは,出産が近づくと子どもの生命を信じよう とする一面もあった。しかしAさんは,これまで不妊 治療で妊娠への期待を何度も裏切られてショックを受 けた体験を繰り返していた。そのために,襲いかかる 不安への「心の準備」,つまり死産する可能性を心に 留める等「最悪なこと」に意識を向けて妊娠期を過ご した。 期待しちゃいけないっていうのは,たぶん,もしかし たら不妊治療の最中のことかもしれないですけど,い つも絶対,このままあのー問題なく赤ちゃんが生まれ るってことはない。最悪のケースもいつもあるんだっ てことをいつも忘れない[妊娠38週]  b.出産直後∼出産後3か月:幸せを見失うほど大 変な双子の育児を意味づけながら乗り越えようと する  Aさんは,妊娠38週に出産に向けて管理入院し,妊 娠39週に腹式帝王切開術が施されて無事に双子を出 産した。Aさんは,妊娠中に2児の五体満足を祈願し, 性別を考えないように努めていた。そのため出生直後 に健常であることや性別を聞いた瞬間に子どもが「本 当にいた」と思った。また,出産直後のカンガルーケ アで子どもの温もりや,自ら乳首を探し乳首に向かっ てよじ登り,誰かに教わったわけもなく児が自ら乳頭 を捕え,頬を赤くしながら絶対に乳頭から離れようと せずに,強い力で吸着する子どもの強さを体感した。 そして,Aさんは,一瞬にして子どもの生命力を感じ 取り,安心して双子の存在を認識した。妊娠後期に 最悪なことに意識を向けていたAさんであったが,出 産後1か月の面接では,「元気な子どもに会えることが 大前提」であり,妊娠中に「お産のプロセス怖いけど, 楽しもう」と幸せな思いであったことを振り返った。  出産後3か月のAさんは,自宅に退院した後の生活 を想起した。退院後の生活は,出産後の体調が戻ら ない中で2児の泣き声に振り回されて,毎日2児に対 して同一体勢で母乳を与えるという「単純作業の繰り 返し」だった。Aさんは,心身ともに疲れ,イライラ して夫と頻繁に喧嘩をする生活が「嫌」になっていた。 そして,一日に何度も不妊治療中の女性の書き込みが 見られるサイトにログインして,自分の幸せを確認し 育児に向けて自分自身を鼓舞させていた。 リマインダー(reminder)みたいな感じ(中略)この時間 をすごく大切にしなきゃっていう,自分に言い聞かせ るためっていうそんな感じですかね。[出産後3か月]  またAさんは,双子の育児を「貴重な経験」と語り, 「望んでなかった」ものの双胎妊娠がベストであり「良 かった」ととらえていた。現状を「良かった」と肯定 的に語るうちに,Aさんは不妊治療の当時には語られ

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なかった気持ちを想起していった。かつてのAさん は,「悲しい人生にするのは嫌だ」と思い,子どもが欲 しいという一心で自分を励ましたり騙したりしながら, 辛い不妊治療を楽しく思えるように努めて我慢してき たというのである。そして,結果的に五体満足な子ど もを出産して妻としての役割を果たしたことで「ゴー ル達成できた」と語った。 子どもができないから私の人生,私が十分じゃないっ て思っちゃう,そういう気持ちが常に楽しんでる反面 あったってことが今思えば辛かった。今すごく安心し た,やっとなんかお役目果たせたみたいな。 [出産後3か月]  c.出産後6か月:母親としての人生を歩もうとす るが不妊だった過去に引き戻される  Aさんは,出産後6か月には,不妊治療中の辛い過 去や,夫に「ネガティブ」な性格を指摘され,「自分が 幸せに感じる」ように「軌道修正」して生きてきた不妊 治療以前の生活に遡って想起した。そして夫と歩んで きたこれまでの人生を「よかった」と振り返り,「前に 進まなくちゃ」と思うようになり自然にインターネッ トで不妊治療中の女性の書き込みを見る機会が少なく なった。その一方で,見知らぬ人から「自然(妊娠)で すか」と尋ねられる出来事が何度かあり,選択肢なく 生まれた双子が偏見視されることを危惧していた。 不妊治療は不自然,妊娠の理想は自然。(中略)治療を 知らない人は子の誕生に人間が関与するのは変なイ メージがあるだろうってのは理解できる。(中略)そう いう偏見や興味がわが子にもたらされたら嫌だな。 [出産後6か月] 2 ) 子どものために強い母親になろうとするBさんの ライフストーリー  a.不妊治療期∼妊娠期:家族の支えにより双胎妊 娠を受け入れようとする  Bさんは,30代後半の経産婦である。Bさんは,結 婚後6年目に不妊治療を開始し,3年前に体外受精によ り長子を妊娠・出産した。不妊原因は男性不妊であり, 人工授精を10か月間行った後の初めての体外受精で 長子を妊娠した。Bさんは,妊娠は「自然な方がよい」 という考えがあり,顕微授精卵よりも体外受精卵の方 が「精子の意思で妊娠しているために優れている」と いう信念により,顕微受精卵を用いることに抵抗があ った。しかし,自分のために妊娠率を上げようとす る医師の気持ちを汲んで3年前に凍結保存された体外 受精卵と顕微受精卵を用いた治療を行った。Bさんは, 長子と同じ体外受精卵に生命を感じていたために,顕 微受精卵が同時に妊娠継続したことに対して信じられ ないという気持ちであった。そしてBさんは,凍結保 存されていた最後の受精卵を用いた治療で妊娠が叶っ たことを自然妊娠と同じ授かりものであると意味づけ て受け入れようとしていた。 顕微授精のやつは眼中になかったんです(中略)(顕微 授精による受精卵)もどらないと思ってる(中略)最終 的にもどったってことは,まー双子になるべくして (中略),本当,授かりものだと思いましたね。 [妊娠34週]  Bさんは,長子が順調に成長発達していることで体 外受精による受精卵には「生命を感じていた」が,顕 微授精による受精卵が着床したことが意外で「本当に 育っていくのか」半信半疑であった。そしてBさんは, 2児を比較して顕微授精により妊娠した胎児を脆弱視 して,体外受精によって妊娠した胎児だけでも生存し て欲しいと願った。  Bさんは,順調であった長子の妊娠経過と異なり, 妊娠悪阻の症状が辛いことや妊娠初期に大出血すると いう出来事があった。さらに,育児支援を実母に依頼 する予定であったが,助産師によって管理入院や出 産の時期について異なる説明があったことで予測の 立たない双胎妊娠への不安を高めていった。妊娠6か 月を過ぎると,これまで継続した原因不明の出血が止 まったことや,胎児が生存可能な大きさまで成長した ことから,これまでの不安は和らいでいった。またB さんは,主治医が双子だからといって妊娠経過や分娩 様式は「変わらない」と言ってくれたことをきっかけ に,自分が双子を特別視して不安になっていたことに 気づき,過剰に不安にならないようにと自分に言い聞 かせていた。そして,出産近くなると夫や子ども達が 妊娠中の体を労わってくれたことで一家の団結を感じ て,双胎妊娠が家族によい影響を与えていると思った り,将来の育児をイメージして楽しみを感じたりしな がら出産後の準備を始めた。  b.出産直後∼出産後3か月:不妊治療をした自分 に終止符を打ち双子の母親になったことを受容し ようとする  Bさんは,妊娠37週になり,第1子が骨盤位のため

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に腹式帝王切開術によって双子を出産した。第2子が 出生体重2,200g台のLFDであったが経過は順調であり, 第1子と同じように母子同室での生活が始まった。  Bさんは,妊娠中から実母が不妊治療による子ども の奇形への影響を心配する言動を聞いていた。Bさん は,長子が健康に成長していることで心配はないと自 分自身に言い聞かせてきたものの,長子と異なる凍結 胚移植の影響が気がかりであった。しかし,出産直後 に元気な泣き声と五体満足であることを確認でき,こ れまでの気がかりは一瞬にして解消され安堵した。  また,すぐにカンガルーケアが行われ,子どものぬ くもりを感じ,妊娠期の2児の胎動の特徴を思い出し て,「この子(第1子)はずっと頭が上に居座っていた」 「この子(第2子)は横行ったり上行ったり動き回って いた」と2児が胎内にどのように存在していたのかを 想像した。そして,双子が10か月間自分のお腹に「居 座っていた」ことを認めていた。Bさんは,不妊治療 したことを「リセット」して母子関係をスタートさせた。 不妊治療で科学的にやったとしても,五体満足で出て きてくれて,我が子として認識,母として認識した。 辛さとか大変だったことを含めて,今からスタートす るって過去はおしまい。[出産後4か月]  c.出産後6か月:不妊治療後に双子の母親になっ た自分を受容しようとする  Bさんは,出産後3か月頃から,買い物や散歩で外 出する時に町で出会った人達に「最近双子多いね」「計 画出産?」と声を掛けられる機会が増えていた。Bさ んは,長子と同じ不妊治療によって子どもを授かった が,双子を出産したことで長子の時には経験しなか った周囲の反応,つまり不妊治療について配慮なく声 を掛けられることに戸惑っていた。Bさんは,自分自 身が「妊娠は自然がベスト」という思いがあるために, 見知らぬ人からの言動を受けて不自然で「ずるい」治 療をしたという奇異の目で双子を見られていると感じ ていた。 半分,被害妄想的な感じで(中略)今時双子多いよね, っていうのが自然に聞こえずにちょっと剣があるよう に聞こえる(中略)否定,偏見,あっさりと計画出産 って聞かれる(中略)半分は自分自身も,そう思って るからかよくわかんない。[出産後6か月]  Bさんは,周囲の言動を受けて凍結受精卵を用いた ことの葛藤を思い出し,その記憶は長子の不妊治療ま で遡り,高度な治療に進む葛藤や受精卵が着床しなか った時に抱いた自分が原因で流産してしまったような 罪悪感を拭いながら治療に臨んだことを想起した。辛 い体験の語りは,今の幸せの物語へと書き替えられて 過去の出来事として語られた。また,双子を見ながら 何度も「自分の望んだ結果(性別)だった。良かった」 と語るBさんは,妊娠中に納得していなかった凍結受 精卵を用いた方法で母親となることへのわだかまりを 「良かった」と意味づけて双子の母親となったことを 受容しようとしていた。 E〈長子〉の時に人工授精から体外受精に上がったって いう状態だった(中略)要は昔の卵を使うか凍結した のを使うかどうかの葛藤だけ(中略)Eの時に流れた子 は自然淘汰されてるって思った(中略)今は2倍楽しさ と幸せを感じている[出産後6か月] 3 ) 子どもを失った苦しみから立ち直ろうとするCさ んのライフストーリー  a.不妊治療期∼妊娠期:喜びの絶頂から奈落の底 へ突き落された体験から母親になる喜びを抑制す る  Cさんは,専門職で家事と育児を両立して生きる実 母を尊敬しており,実母のような母親になりたいとい う思いがあった。周囲の友人が次々と出産したことか ら,不妊治療をしなくてはいけないと思うようになり, 医師に勧められながらARTを始めた。Cさんは,初め ての体外受精で子宮外妊娠となり腹腔鏡下左卵管切除 術を実施してその後1か月で治療を再開した。妊娠後 のCさんは,子宮外妊娠は繰り返しやすいことや,双 子の場合は子宮内と子宮外に着床する可能性がある ことの情報を得て,子宮外妊娠への不安を高めてい た。そしてCさんは,再び子宮外妊娠になった場合に は残存する片側の卵管を失うであろうことを想像して そうなった場合は,実母のような母親となれないこと を「人生の終わり」と思っていた。Cさんは,子宮外妊 娠にて突然「生きている子ども」を失ったショックが 忘れられずに,双胎妊娠を喜ぶ気持ちを押さえていた。 もしだめだったらどうしようっていうのは,何かずー っと結構,今も不安はあって,最後の最後でだめだっ たら,悲しいなっていうのがあって(中略),期待し てはいけないって思って,あまり準備はしてなくって [妊娠33週]

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 b.出産直後∼出産後3か月:子どもへの愛おしさ の高まりと母親となった喜びが湧き上がる  Cさんは,妊娠37週で無事に経膣分娩となった。出 産直後のカンガルーケアで子どもの温かさと重たさを 感じて2人が生きて産まれてきたことに安堵した。双 子は,低出生体重児のためにGCUへ入院となった。C さんはGCUの面会で,子ども達の全身をゆっくり確 認して「あーこの子を産んだんだーって意外によく入 ってたなーすごいちいちゃくなって入ってる」と2児 がお腹にいた様子をイメージした。そしてCさんは, 子どもの顔をみることで愛しさが高まりGCUへ何度 も足を運んでいた。特にCさんは,急に母乳が分泌し てきたことで子どもとの繋がりを感じたり,搾乳とい う母親としての役割を果たしたりしている時に母親と なったことを実感していた。  病院を退院したCさんは,毎日授乳練習にGCUへ通 院して,約2週間後に双子が同時に退院した。Cさんは, 出産後約2か月の間は,子どもを「かわいいと思う暇」 もなく双子の育児に追われ必死であり,身体的にも辛 い生活を実母の支援を受けながら過ごした。出産後3 か月になると,Cさんは,夜間に子どもが寝るように なり,子どもの成長を喜ぶ余裕ができた。そしてCさ んは,妊娠期の辛い生活と比べて出産後は,自分の身 体の回復が感じられ,子どもへの愛しさも高まり,こ れまでの不妊治療や子宮外妊娠,双胎妊娠の辛い体験 を乗り越えた自信が,今の育児を行うことの「パワー」 に繋がっていると思い現状を「良かった」「2倍幸せ」と 語った。  c.出産後6か月:辛い過去物語を編み直し母親の 幸せを実感する一方で周囲の視線によって不妊の 自分を思い出す  出産後6か月になるとCさんは,外出先で自分が緊 張していると自分の感情が子ども達に移行すると感じ て子ども達との一体感を覚え,信頼関係が築けてきた と思ったことや,自分が子ども達にとって特別な存在 であると感じたことで,母親になったことを実感して いた。  その一方で,不妊治療を重ねる度に,「未だ解明し ていない病気が自分にあるのではないか」と自分の生 殖器に欠陥があると思い知らされたことや,「あっと いう間に」子宮外妊娠で子どもを失った当時を回想し ていった。 悲しいなっていう,ずーっと窓の外を見ながらいなく なっちゃった(中略)今は,この子達のために生きて いるけど,笑顔みたりしたらもう幸せ。[出産後6か月]  このように辛い過去の語りは子どもの為に生きる現 在の幸せな語りへと移り変わっていた。  また,Cさんは,子どもの3か月の健診で病院を訪 れた時に退院直後の褥婦が双子とすれ違い様に「双子 じゃなくて良かったね」と夫婦で会話していたことや, 見知らぬ人から頻回に「親戚に(双子)いるの?」と尋 ねられて「いない」ことを伝えると不可解な顔をされ たことを体験していた。そしてCさんは,不妊治療に 対して一般の人は「負のイメージがある」と感じ,自 然妊娠できなかった不完全な自分を「区別」されてい ると思った時の気持ちを思い出していた。 4 ) 母親となったことをなかなか実感できないDさん のライフストーリー  a.不妊治療期∼妊娠期:双胎妊娠が継続すること に対する不安により母親になる気持ちを否認する  Dさんは,年齢的なタイムリミットを感じていたこ とから,「てっとり早く」子どもを得られる不妊治療を 選択した。Dさんは,周囲に乳幼児がおらず,新生児 について全く「見当」がつかない状態であった。Dさ んは,3回目の体外受精で凍結融解胚盤胞2個移植後 に双胎妊娠となった。Dさんは,不妊治療中に2回の 流産体験があり,医師の「こんなのよくあることだか ら」という「ドライ」な態度に救われて,すぐに同じ治 療を継続した。流産はいずれも妊娠初期だったこと で,胎児心拍が確認するまでは妊娠継続への強い不安 があった。また,双胎妊娠はバニシングツイン(1児 が流産して母体に吸収されること)があると医師より 聞いたこと,生殖補助医療による「自然ではない」こ と,高齢出産に伴う染色体異常児の出生率が高いこと や,二人分の胎動が分からないことで不安を高め「生 存のために身体を貸している」と自分が母親となるこ とが信じられずにいた。  またDさんは,夫婦二人で15年間「気ままに生活」 してきた今までの生活が,2人の子どもを得て一変す る可能性を考え,妊娠10か月に入っても「自分が母親 になる」という意識を持てずにいた。 自分の子ども(という)意識無くって,変な話,子宮 筋腫の発達したぐらいの意識しかない。それが人間が

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子を産む,自然の生理の流れで自分の体に起こりえる んだろうか?難しいです。[妊娠36週]  b.出産直後∼出産後3か月:子どもに接近し母親 としての意識を培う  Dさんは,妊娠39週に予定帝王切開術となった。第 2子は2,400gでLFDであったが,母子共に出産の経過 は順調であった。Dさんは,出産直後に達成感を得 た。達成感を得たことで自分自身に「(母親になる)意 識が深かった」可能性があることに気がつき,過去の 流産体験から自分が悲しまないように母親となる喜び に「蓋」をして気持ちを抑制していたことを振り返っ た。しかし,「信じられない」気持ちが強かったDさん は,二人の元気な子どもがいることを現実のこととし て受け入れることができなかった。 子どもの存在に慣れない〈いるっていう?〉うん。2 人いること自体が不思議(中略)(母乳を)あげてても, 私母親やってるじゃん!みたいな(中略)客観的に見 てる自分みたいなのがいて〈私の赤ちゃん〉そういう 感じは全然程遠い。[出産後4日目]  産褥入院中のDさんは,泣いていても子どもを眺め ていることが多く,研究者が双子の泣きに耐えられず に子どもを抱くことがあった。なぜ子どもを抱かない のかと尋ねると,「不思議だから観ていたい」と語った。 また,他の出産後の女性が子どもに話しかける姿を見 て,気恥ずかしくてそれができないことで自分は母性 が足りないと思っていた。  Dさんは,退院後に自宅に帰り,子どもが泣いてい るにもかかわらず「あやさない」で寝ている夫の態度 を見て,「泣かせていてよいのか」と疑問に思い,子ど もが泣く原因について考えるようになっていた。出産 後3か月頃になるとDさんは,子どもの反応が増えた ことで,子どもの欲求が分かるようになった。そして, 子どもとの交流を通し,子どもとの一体感を得て,い つの間にか自分を客観視しなくなり,母親としての変 化を感じていた。Dさんは,妊娠後期を想起して子ど もと遊んでいたことを嬉しそうに語った。 食べたら右が動き出すとかわかってきて,やってみた りね(中略)コミュニケーションですかね(中略)楽し くってやりとりが楽しくって(中略)あとそこまで育 ってきて嬉しいって感じだったかもしれない。 [出産後3か月]  c.出産後6か月頃:母親としての自分を見失うが 辛い過去を吐露して現状を受容する  Dさんは,母乳を与える時に子どもとの一体感を得 ていたが,二人の母乳育児が大変で人工栄養に変える 出来事があった。母乳を幸せそうに与えている友人の 姿を見て,自分が母親という特別な存在であることが わからなくなった。 完母(完全母乳)とかだったら,こう自分しかこうご はんをあげれる存在はいないって思えるのかもしれな い(中略)母親の存在,母親だけのってなるとちょっ とイメージがわかんなくなってしまうんです。 [出産後6か月]  しかし,Dさんは,周囲に「お母さん」と呼ばれたり, 親の書類記入欄に自分の名前を記入したりすることで 「母親なんだ」という意識を取り戻していた。  その一方で出産後6か月のDさんは,不妊治療中に 流産して辛かった体験をうっすらと涙を浮かべながら 思い出していた。その様子は,産んであげることがで きなかった胎児に対する罪悪感を表出しているようで あった。 お姉さんかお兄さんか知んないですけど,なんかいた んだよーって語りかけた(中略)トイレですっごい出 てきてすくおうと思った,でもすくえなかった。 [出産後6か月 ]  Dさんは,流産した受精卵を双子のきょうだいと無 意識にとらえていた。研究者が,妊娠中の面接では「受 精卵は子どもじゃない」と語っていたが,流産時の様 子から子どもとして扱っていたことを指摘すると,妊 娠期には子どもに「思い入れない」ように自分の気持 ちを抑制してきたが,妊娠期にも受精卵を子どもと 認識していたと語り直した。そしてDさんは,不妊治 療中から今までを想起して「辛いことも楽しいことも 色々経験できて良かった」と意味づけた。

Ⅴ.考   察

 考察では,ART後に双胎妊娠した女性が母親とな っていくプロセスにみられた特徴を「A.母親となる ことの不安と否認」,「B.母親となった後によみがえ る外傷体験」,「C.払拭できない不全感」の順で述べる。 A.母親となることの不安と否認  本研究の参加者は,妊娠期に「最悪なこと」を想像

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して,自分自身の胎内で育つ胎児の成長を感じること を拒むことで,妊娠期に母親となる準備をしようとす る思考や身体感覚の変化を抑制していた可能性が考 えられた。Stern, Stern, & Freeland(1998/2012, pp.36-37)は,妊娠中に母親の内部で,胎内で育つ胎児,心 の中で育つ母性,頭の中での想像上の子どもの3つが 同時に形づくられながら母親の新しいアイデンティテ ィが形成されていくことを指摘している。本研究の参 加者達は,胎児のイメージを否定しようとしていたた めに想像の中で胎児が育つことは困難であり,妊娠期 に母親としてのアイデンティティを育むことは容易で はなかったことが考えられる。  しかし,Aさん,Bさん,Cさんは,妊娠後期に子ど もの生命の存在を信じるようになり,子どもとの関係 性を築こうとする一面がみられていた。Stern, Stern, & Freeland(1998/2012, pp. 43-48)は,自然妊娠した女 性が妊娠後期になるとこれまで想像していた胎児のイ メージを取り消し,心の中でつくり上げた期待との落 差を無くし現実を受け入れる準備をする,つまり理想 化することを止めて不測の事態に備えて心の準備をす る傾向があることを述べている。本研究の参加者は, 逆に妊娠中期までは最悪の事態を考えて子どもを想像 することさえ抑制するが,妊娠後期になり胎児の生命 への不安が軽減することで胎児を現実として受け入れ るようになっていた。Sternらが研究対象とした自然 妊娠の女性達は,妊娠後期になってイメージを取り消 す特徴があったが,不妊治療後の女性は,妊娠後期に なって胎児の生命への不安が軽減していくことで,母 親となることへの準備を始めるという心理過程の特徴 がみられた。 B.母親となった後によみがえる外傷体験  研究参加者は,子どもが元気に出生したことで不安 から解放され,子ども達と交流したり周囲に認められ たりしながら母親となったことを実感していた。その 一方,研究参加者は,不妊によって傷ついた体験を想 起していた。この傷ついた体験は,子どもを出産した 後も女性の脳裏から離れることはなかった。 1.母親となる物語の修復  出産直後に研究参加者は,子どもの元気な産声を聞 いて五体満足に出産したことに安堵した。さらにカン ガルーケアを体験した研究参加者は,子どもの温もり とずっしりとした重さを感じたこと,生まれた直後に 自ら乳首へ這い上がり乳首を捕え,自分からは離そう としない強い吸着力を感じたことなど,身体感覚を通 して子どもが元気に生まれてきたことを体感した。単 胎児を出産した女性は,出産直後の産声によって,一 体だったものが2つとなったことに気づき,カンガ ルーケアや授乳によって自分が母親であることを確か める(Stern, Stern, & Freeland, 1998/2012,pp. 68-72)。 ART後に双胎妊娠した本研究の参加者もこれと同様 に,出産直後に身体感覚を通して子どもが元気に出生 したことを認識し一瞬にして妊娠中の緊張から解放さ れていた。  研究参加者は,妊娠期の緊張から解放された後に妊 娠中に遡って胎児の様子を想像することで,子どもと の関係のイメージを後書きするかたちで自分が母親と なったことを実感していた。妊娠期の女性は,胎動 など女性に起こる身体的変化により,胎児を想像す ることで胎児に対する愛着を高めながら母親として の自己を形成していき母性性や母親らしさ(maternal identity)を発展させていくといわれている(Klaus & Kennell, 1982; Rubin, 1984/1997, pp.45-61)。本研究の 参加者全員は,妊娠期に胎児を想像することは難しか ったが,出産後に五体満足な双子を目にした安心感を 得て,初めて胎児期の姿を具体的に想像することが可 能となったようにみえる。そして,妊娠期に想像する ことが難しかった胎児とのつながりを出産後に確認し て,自分が,目の前にいるこの子たちを生んだ母親で あることを実感していた。  また,研究参加者は,妊娠期に子どもの存在を否認 するような語りをしたが,出産後には妊娠期にも子ど もを受容していたとする語りに書き替える特徴があっ た。浅野(2001)は次のように述べる。自己物語の構 造は「私が̶語る̶私を」であり,「私」は2つの位置を 同時に占めており,「私」が自分自身に対して差異化し なければならないと同時に同一化しなければならない というパラドクスがある。もし2つの「私」が完全に一 致したならば,もはや語りは起こり得ないであろうし, 完全に差異化するならばそれはもはや「自己」物語で はありえない(pp.16-17)。つまり自己物語は,異なる 位置を占める2つの「私」から産み出されており,最終 的には重なり合うという特徴がある。  妊娠期の女性達は,子どもが生まれて来ない可能性 を心に留めていたが,出産後には,妊娠期から子ども が生まれてくることを待ち望み,子どもを受容してい たという語りに書き替えたり,出産後に子どもとの関 係を後書きしたりしながら,妊娠期からの母親となる

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自己物語の矛盾を無くて母親になる物語を修復し,子 どもとの関係を取り戻して我が子として認めるプロセ スであった可能性がある。 2.浮上する不全感と罪悪感  研究参加者は,出産後6か月間に双子の母親となっ た喜びを語ることと同時に,不妊治療中に傷ついた記 憶がよみがえっていた。研究参加者の傷ついた記憶に は,不成功体験による自尊心の傷つき,失った子ども への罪悪感など,ARTを繰り返すたびに幾重にも重な り合う辛い体験が織り込まれていたことが推察できた。  研究参加者は,出産後3か月以降に双子の子育てが 落ち着き始めると,不妊治療中に味わった自尊心の低 下や失った胎児への思いが不全感や罪悪感となってよ みがえり,過去の辛かった体験を語る特徴があった。 やまだ(2007, pp.15-16)は,語るという行為は,過去 の記憶をそのまま現在に引っ張り出すのではなく,時 間的にも空間的にも「はなれる」ことによって,人は ようやく過去の出来事を再構成して語ることができる ようになると述べている。ART後に双胎妊娠した女 性は,出産後3か月以降に母親となったことを実感し たことで,過去の辛い体験の中にいる自分から「はな れる」ことができ,語ることが可能となったのだろう。 また研究参加者は,苦痛を過去の出来事として語るこ とで過去を再構成し,辛かった体験から離れようとし ていたといえる。 C.払拭できない不全 1.物語の書き替え  研究参加者は,出産後3か月以降に現状を「良かっ た」と語りながら,過去に語ることのできなかった不 妊治療中の壮絶で苦しい体験を吐露する特徴があった。 望ましくない解決や未解決などの出来事があった時 に,日常の出来事を肯定的に意味づけるといったコー ピングを行うことによって,肯定的感情を経験して いることも明らかになっている(坂口, 2010, pp.97-98)。 しかし,研究参加者の語りは,単なるコーピング作業 ではないと思われた。Neimeyer(2002/2006, pp.14-70) は,喪失体験者は必然的に喪失の意味を探り,自分な りに意味づけしようとするが,これは新しい生き方の 再構成であり,私たちは人生の新たな局面を迎える度 に,喪失の教訓を改めて学習し直す必要があると言及 している。研究参加者は,母親という新しい人生を迎 える時期に過去の喪失体験を想起して「良かった」と 語りを編み直すことで,これまで心に秘めた思いを表 出して悲嘆作業を行うと同時に,乗り越えた自分を見 つめ直し喪失から立ち直り,新たな人生に向かおうと していた可能性がある。つまり,自分の選択した治療 を行って妊娠し,出会えることを懇願していた子ど もを失うという罪悪感と女性としての不全感を伴う喪 失体験を「良かった」と意味づけ,母親としての新し いアイデンティティを獲得して行こうとしていたと考 える。「意味」は文化によって形成され,自己は過去を 振り返りその過去に照らして現在を修正したり,現在 に照らして過去を修正したりして記憶を再構成する力 がある(Bruner, 1990/1999, pp.49-154)。研究参加者は, 双胎妊娠したこれまでを想起し,現在と過去を行き来 しながら語り替えることで喪失体験に自分の納得する 意味づけをして意義あるものと再認識しようとしてい たと考える。 2.不妊の女性にまとわりつくスティグマ  出産後3か月以降の研究参加者は,社会との交流が 増え,母親であることの意識を高めていた。その一方 で周囲の人々からの不妊を連想させるような言動や視 線を感じることで,かつての不妊であった自分に引き 戻されるような感覚を抱いていた。周囲の人々からの 言動や視線は,出産後に子どもとのやりとりにより身 体に織り込まれた母親となった自覚を揺さぶり,母親 となった高揚感までも忘れさせるほど過酷で辛い体験 をよみがえらせるものであると考える。  不妊治療をした女性は,出産後に子どもとの関係に おける母親としての肯定的な評価が低く,出産後に母 親としてのアイデンティティが低下することが明らか になっている(Dunnington & Glazer, 1991)。本研究の 結果はこの考えを裏づけるものであり,女性達は健常 な子どもを出産したことで,不妊だった人生から母親 としての新しい人生を歩み始めようとするが,その矢 先に周囲の人々からの言動や視線によって自尊心が低 下していた頃の自分に引き戻される。つまり,不妊を 偏見視する社会によって,母親としてのアイデンティ ティが低下させられていた。  しかし,母親としてのアイデンティティを低下させ る原因としては,女性自身に内在化されたスティグ マの観点からも考察できる。自身が持つスティグマ はセルフスティグマ(Self-Stigma)と呼ばれ(Corrigan & Watson, 2002),セルフスティグマが社会の偏見や セルフエフィカシーの低下と関連があることが明らか

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になっている(林・金子・岡村, 2011)。研究参加者は, 妊娠は「自然がよい」という信念があり,偏見視する 周囲の人々の気持ちと不妊治療した当事者の気持ちの 両方を理解できるという特徴があった。ART後に双 胎妊娠した女性達は,周囲の人々からの言動や視線が 自分を映しだす鏡となり,自分の心の根底にあった不 妊への思いが掘り起こされたと考える。妊娠は自然 がよいという社会通念の中で生きるART後に双胎妊 娠した女性達は,社会の文脈の中で不妊治療後の双子 の母親になった自分をとらえていくことが考えられる。 そのため,ART後に双胎妊娠した女性は,社会の不 妊治療への偏見に埋没するかのように心の奥底に存在 したセルフスティグマにより,いつまでも不妊である 自分がつきまとうことにより母親のアイデンティティ の獲得が困難となる可能性があると考える。

Ⅵ.研究の限界

 女性が母親となるプロセスには,女性が育った環境 や養育者の影響が反映されると考えられるが本研究で はその点を十分に追究できなかった。ライフストー リー法を用いた本研究では,女性の主体的な語りを損 なわないように面接を行ったが,出産後6か月という 期間は,双子の育児に多忙であり不妊治療以前の人生 を想起する余裕がなく語り難い状況にあったと思われ る。双子の育児が落ち着いた時期には,母親自身の養 育者に対する思いや不妊治療前のライフストーリーが 語られる可能性がある。今後,不妊治療以前の女性の 生き方や母子関係の視点からも対象をとらえていく必 要がある。

Ⅶ.結   論

 本研究は,生殖補助医療によって双胎妊娠した女性 が不妊治療期から出産後6か月までに母親となってい くプロセスを明らかにすることを目的に,4名の研究 参加者のライフストーリーを記述した。  本研究の参加者は,妊娠期に様々な不安を抱えなが らあえて緊張状況に身をおき,胎内で育まれつつある 子どもを想像することを控え,自分が母親となるとい う事態を否認していた。これは,不妊治療中に何度も 母親となる期待を裏切られた体験が,妊娠期に再来す ることによるショックを回避する手立てであると考え られた。そして,出産直後のカンガルーケアにより直 接肌と肌を密着させた体感を通し,妊娠期に味わった 緊張状態から一瞬にして解放されていた。  本研究の参加者は,妊娠期の緊張から解放された出 産後に,妊娠期に遡って胎児がどのように胎内で過ご していたのか想像することや,子どもと送った妊娠生 活について語り替えることで子どもへの思いを巡らせ ていた。そして,妊娠期に抑圧されていた子どもとの 関係を再びよみがえらせ,今ここにいる子どもが自分 のお腹にいた子どもであったことを認識していたと考 える。  しかし,母親となる夢を叶える物語の裏側には,常 に不妊によって何度も母親となる期待を裏切られた体 験が影を落としていた。研究参加者は,出産後3か月, 6か月と時間の経過とともに子どもとの交流や周囲の 人々との関わり合いを通して母親となったことの自覚 を高めるが,一方で不妊治療中に払拭できなかった過 去の記憶に遡り辛かった体験を想起した。双子に向け られた周囲の視線が研究参加者のセルフスティグマを 刺激し,母親としてのアイデンティティ形成を阻んで いると考えられた。  このように,ARTによって双胎妊娠した女性が母親 となっていくプロセスは,不妊治療を始めた時から継 続する再帰的な物語であった。医療従事者は,不妊治 療期から育児期までの女性の体験を理解し,個々の女 性の体験に即して継続的に支援することや,女性が母 親としての人生を歩むことを妨げるセルフスティグマ を脱却してエンパワーメントすることの支援が必要で あると考えられた。 謝 辞  本研究にご協力くださいましたお母様方,施設の皆 様,ご指導いただきました日本赤十字看護大学大学院 の谷津裕子教授,武井麻子教授に深謝いたします。尚, 本研究は,2013年度日本赤十字看護大学大学院看護学 研究科に提出した博士論文の一部を加筆修正したもの である。また,内容の一部は,第33回日本看護科学 学会学術集会で発表した。 引用文献 浅野智彦(2001).自己への物語論的接近 家族療法から 社会学へ.勁草書房.

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