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女性の労働と子育ての社会的基盤に関する史的研究 (1) : 農村季節託児所の発達経緯と新潟県における地域的取り組みの動向

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(1)

女 性 の労 働 と子 育 て の社 会 的基 盤 に 関す る史 的研 究

1

農村季節託児所 の発達経緯 と新潟県 における地域 的取 り組みの動 向

-渡 邊 洋 子 は じめに - 問題 の所在 近年,女性 の晩婚化 ・晩産化が進み,合計特殊 出生率が低下 し続 ける中で, 「エ ンゼル ・プラン」な ど行政の子育 て支援 にむけた取 り組みが, ようや く始 まっている。 そこでは, 「少子化

が,女性 たちの ライフコースや意識 の変化 との関わ りで理解 され るようにはなって きた ものの, 「少子化問題」が同時 に, 日本社会が 「子産み ・子育 て し に くい社会

であること,す なわち 日本社会が 「子育 て環境

として決 して望 ま しい状況 にはない ことを告発す る ものであ ることは,十分 に認識 されていない ように思 える。 地方都市 において も,都市化,核家族化のなかで,地域での子育ては, ます ます困難 な ものになって きている。 働 く母親,共働 き家庭 の子育 てについては, まず,育児休業の完 全実施や職場での諸権利 の十全 な保障 に加 え,保育所の整備 ・充実 (延長保育 ,乳児保育, 病児保育 な ど)や学童保育の拡大 ・整備 な どの制度上の課題が山積 している。 だが同時 に,地域的なつなが りが希薄化 した現在 では,特 に核家族 の共働 き家庭へ の 日 常的でインフォーマルな形でのサポー ト体制,ない し相互サポー ト体制 (気軽 に子 どもを 預かる ・預か りあ う,悩 みの相談 にのる ・相談 しあ う,共働 きの子育 ての知恵や工夫 を伝 える ・伝 え合 う,一緒 に子 どもたちの成長 を見守 る,子 どもの活動 を組織 し大 人 もともに 楽 しむな ど) も,以前 に増 して重要 な意味 を持 って きた と考 え られる。 さらに, 「密室育児

や育児 ・子育 てをめ ぐる物質的 ・精神的サ ポー トの貧 困 さが,専 業主婦の母親 たちを地域 で孤立化 させ,焦燥感やス トレスをため こむ背景 となっている。 子 どもを 「他 人に預 ける」ことを極度 に嫌 う一方で,

2

4

時間体制の育児 ・子育 てに疲 れ果 て, 「子 どもか ら一時で も離れたい

と切望す るとい う矛盾 した状況 に身 を置 く母親 も, 少な くない。そ こでは,各 々の女性が, 自己形成の中で内面化 して きた 「母性神話

3

才 児神話

(

註1)か ら解 き放 たれ,規範 としての 「いい母親

へ の執着か ら脱却 し,子 ども と自分 との 「いい関係

づ くりにむけて一歩踏み出す ことが,重要 な意味 を持 って くる。 そのため には, まず,信頼で きる 「他人」(保育者,地域の人々) と出会い, 自分の子 ど もを一緒 に育 てて もらうこと (時 には他の人の子 どもを一緒 に育 てること) によって,千

(2)

育 て を開かれた もの に してい く必 要があ る。 親 自身が一人の人間 と して, どの ように生 き てい きたいのか を,冷静 に見つめ る物理 的 ・精神的余裕が生 じて初めて, 「自分 だけの も のでは ない」子 どもに対 して, どの ような関係 を作 り上 げてい きたいのか を,冷静 に考 え てみ る こ とがで きるので はないか。 また,子 どもも,親 も, 開かれた人間関係 の なかで, 様 々な人々 と関わる中で成長 しなが ら,の びの び と生 きることが可能 になるであ ろ う。 本研 究 は, この ような子育 ての現状 と課題 を踏 まえ,主 に働 く女性 の育児 ・子育 ての問 題 を念頭 に置 きなが ら,地域 の中での子育 ての社会 的基盤 を どの ように構築 してい くべ き か を考 え ようとす る ものであ る。 地域 の子 育 て支援 については, 「子育 て広場

0123

吉 祥寺

」(

2

)の よ うな新 しい タイプの施設 の構想 も重要であ る。 だが, ここでは まず,全 国各地 の地域 の発展史の なかで展 開 された共同的 な子育 て事業であ る 「季節託児所

に着 目す る。 地域の特色 や子 育 て風土 に根 ざ し,住民 の生活 に密着 しつつ ,戦前 ・戦後 ,農村 中心 に発展 した季節託児所 の経緯 と実態 か ら,地域 の子育 て にむけた示唆 を得 たい。

1

季節 託 児 所 とは何 か 季節託児所 は,農繁期 託児所 とも呼 ばれ る。 また戦後 は特 に、単 なる 「託児」でな く「保 育」施設 であ る とい う基本姿勢 を明確 にす るため, 「季節保育所

とい う言葉が用 い られ て きた。本論 で は,戦前 ・戦後 を含 む よ り広 い概念 と して 「季節託児所

を用 いたい。 ・季節託児所 は,年 間 を通 じて, 開かれてい る常設託児所 とは異 な り,一年の うち,農繁 期 にあ たる一時期 にのみ,臨時 に開設 され た ものである。 大正期 は,社会事業 における貧 民救済策の一つ と して着手 され,昭和初期 には農村更生事業, さらに戦時期 には国民厚生 事 業の一環 と して,その設置が推進 された。 この ように,戦前 の季節託児所 は 「国策」 と しての位 置づ けが明確 であ る。 だが,それは 「上か らの

一方 的 な押 しつ け と言 うよ りは,農村 の生活実態 に即 し,そ の生活課題 に対応 す る方 向で,農村 の労働 力や共同体意識が 国家 に吸 い上 げ られてい くプ ロセスで もあ った と考 え られる。 ゆえに, この時期 の季節託 児所 の設立 ・運営 のあ りよう は,国策 の意図や方向性 と,地域住民 の生活や意識 の実態 とのずれや緊張関係 の なかで捉 えてい く必要が あ ろ う。 季節託児所 には,敗戦 を機 に閉鎖 された もの と,その まま定期 的 に開設 され続 けた もの があ るが,その割合 な どについては, まだ明 らかで ない。 だが,閉鎖 された地域 で も,戟 後 の復 興 の なかで,地域住民 の強い希望 に よって再 開 された事例 が少 な くない ようであ る。 そ して,その要望 は,高度経 済成長期 の始 ま りに よって, さらに切実 な もの となってい っ た

。1

9

6

0

年代

∼7

0

年代 にか けて,季 節託児所 の設立 は,新 たな ピー クを迎 えている。 そ し て, 「保育所王 国」 と呼 ばれる新 潟県では, これ らの季節託児所 の多 くが,後 に常設保育 所 に移行 し, さらに現在 の公立 ・私立認 可 ・無認可保育所 と して樺能す る ようになってい

-2

0

(3)

-るのである。 桜井慶一は, 「戦前期農繁期託児所」 について,その 「成立,発展 の展 開過程 は,戦時 ファシズム体制 を積極的 にになっていった戦時期社会事業の一典型であ り,厳密 な批判的 検討が なされなければな らない」としなが らも, 「同時 にそれが,地域の実情 に応 じた大 衆的な保育施設 として当時の人々に一定受 け入れ られ,人々の集団保育観 を変革 し,普及 した史的意義 も,戦後保育史 との関連の下で,正当に位置づ けることを怠 ってはなるまい

と,その意義 を強調 している。 特 に,その集団保育観の変革 については,初期の 「農繁期託児所」が,多かれ少 なかれ, 「育児 は家庭で」行 うもので, 「託児所 は我が国の醇風美俗 の家庭観 をこわす もの」とい う意識 とたたか うことを強い られた事実 を指摘 し,新潟県三島郡大栄寺託児所の沿革(「託 児所 ヲ開設 シ主 トシテ乳児 ヲ扱 フ爾来榔捻 ,噸笑,嫉視,防害 ノ中二年 ヲ送ル

,

漸 ク受託 児 ノ多 キ ヲ加 フル

)

を例 として挙 げている。 さらに,桜井 は,次の ように も指摘 している。 一般的な児童保護,集団保育体験 に加 えて,農繁期託児所が地域の乳幼児の全 てを対 象 としたことは,託児 (保育)所が救貧施設でない ことを当時の人々に広 く認識 させ る 効果があった。 それは戦後の児童福祉法の理念へ とつ なが る意識改革 を先駆的 に果た し ていた とも高 く評価 で きるのである。 (註

3)

2

戦 前 ・戦 後 の季節 託児所 をめ ぐる全 国的動 向 と政策展 開 (1) 昭和初期にいたる動向

1

8

9

0

(明治

2

3

)

年,寛雄平が鳥取県気高郡美穂村下味野 に 「下味野村子供預 り所」を開 設 したのが,全 国初の季節託児所 である。

2

番 目は,桜井 によれ ば, この

1

9

年後 に設立 さ れた新潟県北蒲原郡五十公野村の同村託児所であった。同託児所 は, 「幼児 の保護 をな し つつ出席せ しむる

「子守 り学校

と同様 の趣 旨をもつ 「就学奨励託児所」である。 す なわ ち,一般 の季節託児所の開設期 間が 「農繁期」だけに文字通 り限定 され,

2

0

日間程度の比 較的短期 間であ ったのに対 し,開設期 間が一期約

7

0

日程度 と長 く,農繁期の前後 を通 じて 就学促進の役割 を果 たそ うとす る ものであった。 農繁期 を中心 とした季節託児所が全 国各地 に開設 されるようになったのは,第一次世界 大戦後 の農村不況 と,それに伴 う小作争議が激化 して くる大正末期以降である。 大正期末期以降の全 国の季節託児所数の推移 は,表

1

の通 りである。 農村 問題が深刻化 を増す

1

9

3

0

(昭和

5)

年以降,季節託児所 の設置 には, 「農村更生事 業

の一環 として,国か ら 「就学奨励金」が交付 されるこ とになった。地主 と小作 との階

(4)

1

戦前 の全 国の季節保 育所,常設保育所数 午 季 節 保 育 所 数 常 設 保 育 所 数 1924(大正13)午 48ヶ所 147ヶ所 25 ( 14)午 130 265 26 ( 15)午 268 (138) 312 27(昭和 2)午 549 不 明 28 ( 3)午 921 365 29 ( 4)午 1,428 419 30 ( 5)年 2, 519 482 31 ( 6)午 3,600 567 32 ( 7)午 4,800 不 明 33 ( 8)午 5, 745 634 34 ( 9)午 7,500 956 35 ( 10)午 不 明 879 36 ( ll)午 不 明 874 37 ( 12)午 ll,447 (ll,363) 885 38 ( 13)午 18,204 1,495 39 ( 14)午 20, 182 不 明 40 ( 15)年 22, 758 1,522 41 ( 16)午 28,357 1, 718 42 ( 17)午 31,064 -43 ( 18)午 37,629 -(桜井 F現代地域保育制度の研究一現状 と課題

1

25頁表 (2)より。 なお,カッコ内の 数字は, 日本保育学会編 『幼児保育史」(全六巻)の記述における数字であ り,同表 と一致 しなかった場合のものである。) 級対立 を緩和 し,農業の生産性 を向上 させ る必要性 を背景 に,従来の 「児童保護

「就学奨

(

「母性 の産業能率向上

)

に加え, 「農村教化

「隣保親善」とい った観念が,その 目的 として登場 して きたのである (註4)。 1933 (昭和8)年 に財団法人中央社会事業協会が行 った季節託児所調査 によれば,一番 多い県が兵庫県の735ヶ所,ついで山口県の481ヶ所,そ して三重県の423ヶ所 であ り,100 ヶ所以上の県が18もあった。 経営主体 は,85パ ーセ ン トが私営であ り,その中で も,寺院 や愛国婦人会な どの団体 による設立が圧倒的 に多か った。公営 も,多 くは寺院や愛国婦人 会 との協力 による ものであった。経費 は,平均1ヶ所あた り64円73銭の うち,道府県お よ び市町村の補助 は22円26銭 にす ぎず,寄付金その他 に依存 していた。 季節託児所の主 な形態 は,寺院,神社,小学校∴公会堂 な どに開設 され,ブランコ,す べ り台, シー ソー,砂場 な どが作 られ,絵本や遊具 などが用意 され,保育担当者 には住職 とその妻,婦人会幹部,小学校女教貞 などがあた り,保育料が無料である, とい うような ものであったが,実際の内容 は きわめて多様 であった とい う (註5)0

(5)

(2) 『季節保育所施設標準肌1935年)にみる季節託児所像 この調査 に先 だ

つ1

9

3

2

(昭和

7)

7

月,財 団法人中央社会事業協会 は, 自らが主催す る 「全 国隣保事業並保育事業協議会」の議決で設置 された保育事業研究委員会 において, 以下の ような 「季節保育所施設標準

を作成 ・発表 した。 季節保育所施設標準 一 日的 季節保育所 は地方産業の繁忙期 に於 て手不足 なる家庭の乳児及幼児 を受託 し之 を保護 す る と共 に母親其の他家族の労働 能力 を高め延いては農山漁村 に於 ける生活の向上 を 図るを以て 目的 とす ること 二 経営主体 経営主体 は市町村,各種団体,私人,又 は其の連合の何 れを間はざる も市町村経営の 場合 は成 る可 く各種団体,私 人に施設 を委任す ること 三 開所及閉所 の手続 季節保育所の開閉に就 ては其の都度当局 に報告す るを可 とす 四 設置場所 其の 目的に存す る所 に鑑み左記事項 に注意 して市町村 に成 る可 く多 く分散的に設置す るを可 とす (-)乳幼児の集合 に便 なること (二)危険の倶 な き場所たること (≡)衛生上風紀上弊害 な き場所 たること 但 し地方の事情 に依 り適当なる位置 を望み難 さ場合 は受託児童の送迎其の他 に特別の 配慮 を為す こと 五 設備 特別の建物設備 を有せ ざる時は小学校,同分教場,神社,寺院,教会,公会堂,青年 会館 ,其の他適当なる場所 を工夫の上利用す ること但 し成 る可 く次 の設備 を具へ能ふ 限 り自然の利用 に努 むること (-)相当の広 さを有す る運動 (二)雨天又 は食事午睡のための部屋 (≡)楽器,遊戯具及 び運動具,恩物,食器,寝具,衛生用具等 六 従事貞 季節保育所 に於 ける従業員の選定 は事業の効果 を挙 ぐる上 に至大の関係 あ り従事員 と しては主任者の外保栂及助手 を置 き別 に嘱託医師 を置 くの要あ り

(6)

主任 は斯業 に相当理解あ る者 を選 び保栂 には女子青年会其の他婦 人団体の幹部 に して 成 る可 く保育上の知識 と経験 あ る者 を以て之 に充て且つ小学校其の他の女教員の協力 を求 むること 七 受託児童 乳児及 び幼児 を原則 とす る も必要 に応 じて低学年児童 を も受託す ること 八 開設の時期及 び期 間 地方の事情 に依 り適 当に之 を定 むること 九 保育の実際 ママ (-)乳幼児 を単 に受託す るに止 らず其の身心の発育 に留意す ること (二)乳児 と幼児 は其の取扱 ひを区別す ること (≡)乳児 にあ りては成 る可 く人工栄養 を避 け適当なる時間に母親 を して来所授乳 せ しめ幼児 にあ りては給食 を為す を可 とす ること (四)保育方法 は常設保育所 に準 じて可 な り (五)保育時間は保護者の労務の実状 に応 じて適 当に之 を定 むること (六)保栂一人宛担当数 は乳児 にあ りては約五人道幼児 にあ りては約二十人迄 とす るを可 とす (七)入所前医師の健康診 断 を行 ひ開設 中は個 々の健康状態 に就 き常 に注意 を怠 ら ざること (八)危険防止並安全施設 に就 き考慮す ること

経費 季節保育所 の経費 は経営主体並 び保護者の醸 出す る金品市町村費及府県 ,国,其の他 後援 団体 よ りの奨励金 を以 て之 に充つ ること (註6) ー_ノ ㌔ 同協会社会事業研究所 は翌1934(昭和9)年,季節託児所づ くりの手引 きとして, この 「施設標準」 に同研 究所 の手 による 「季節保育所実施参考

を加 えた冊子 『季節保育所施 設標準』 を作成 した。 さらに翌35年7

, 「其 ノ内容 ノ一部 二改訂増補 ヲ行 ヒ,以 テ実務 者 ノ便 二供セ ン トスルモ ノ」と して, 「実施参考」部分 を詳細 に加筆 ・修正 した新 たなパ ンフレッ ト 『季節保育所施設標準』(同名 タイ トル) を刊行 している。 改訂増補 された 「季節保育所実施参考」 の具体的項 目は, 「設備 に関す る参考

「経営 に 関す る参考

「保栂 の心得 に関す る参考

「衛生 に関す る参考

に分かれている。 この時期 の` 同協会の実態認識 と季節保育所像 を考察す るため に, この内容 を項 目ごとに見 てい きたい。 ① 「設備 に関す る参考

ここではまず, 「施設標準

「五 設備」に関わって,季節保育所 は普通の民家で も開所

(7)

で きる こ と (少 人数や乳児 の場合 に 「適 当

)

,小学校 は設備上 「最 も適 当」だが乳幼児 の 利用 には 「相当の工夫 を要す る」 こと, 「寺院,協 会が この方面の仕事 に使用せ られる と は,いわゆる宗教の社会的進出の意味か ら」も 「建物経済の立場か ら」も 「誠に望 ま しい

ことが述べ られている。 これ らの記述 は,季節託児所の設立 を奨励す るために, 「施設標 準

の柔軟 な解釈 を示そ うとした もの と思 われる。 次 に具体的な 「設備

として,乳児 ・葡旬児の場合 には,乳児室 ・葡萄室 ・授乳所,幼 児の場合 には,運動場 ・遊戯室 ・保育室 ・湯呑所 ・洗面所 ・洗足所 ・便所 ・午睡室が挙 げ られ,各々に工夫 ・留意すべ き事項が付 されている。 また 「用具

は,乳児 ・葡旬児 では,寝台 ・運動用乳母車 ・おむつ棚 ・告知板 ・医療器 具 ・薬 品 ・その他が挙 げ られ,各 々の留意事項が付 されている。 医療器具や薬 品の欄 には, 常備品の リス トが掲載 してある。 これ らを見 る と,乳児 ・葡萄児 の 「保育

については, 何 よ りも養護的 な側面の保障が 目指 されていたことがわか る。 他方 ,幼児の 「用具

は, 「遊具

「保育用具

「事務用具

「其の他の用具」に分かれ,多 岐 にわたってい る。 「遊具

としては,ブランコ ・ 「滑台

・砂場 ・綱 ・小旗 ・ 「穫 (大 小)」が, 「保育用具」として,楽器 (ピアノ,オルガン,蓄音機) ・「楽譜及唱歌遊戯集」 (具体的名称が

9

冊挙 げ られ,その うち 「二三種位 は備 えたい」とされる) ・ 「積木

(

辛 作 り) ・絵本

(

「強いて新 しきもの を要せず

「コ ドモ ノクニ

「キ ンダーブ ック

「子供の友

等) ・紙 (色紙か新 聞紙 ・広告紙 な ど) ・ 「書 き方用具」(書用紙,書帳,黒板, クレヨン, 鉛筆等) ・粘土 ・鉄 ・玩具 (人形, ままご と道具,楽隊用具,紐,豆,小石,蝋石,貝殻, 柿の種等)が挙 げ られている。 これ らの事項 は,一方で この時期の幼稚 園で一般 的 とされた 「遊具

「保育用具」と比較 しなが ら捉 える必要があ る し,他方,当時の農村生活の実態 と対照 させ て, どの程度が入 手 ・整備可能であったのか を,検討す ることが必要であろう。 事務用具 としては, 「受託児名簿

「出席簿

「事務 日記

「保育 日記

「金銭物品出納簿

な どが挙 げ られている。 このほか に, 「参考書類

(

「季節保育事業 に関す る小冊子

)

と して, 『幼稚 園雑草』(倉 橋惣三),『幼児 に聞かせ るお話』(日本幼稚園協会編),『幼児の楽 しむ話』(同),幼児の遊 ば せ方 (坂 内 ミツ著),『手工 テキス ト

(

ト部たみ監修),『新教育家年 中行事講話』( 朝原梅-著),『年 中行事講話資料

『新選 日本年 中行事講話』(以上高橋焚仙著)『保育事業 と農繁記覧 所』(山中六彦著),「イソップ, グ リム,ア ンデルセ ンの各物語

が挙 げ られている。 ② 「経営 に関す る参考

この項 目では,農村 に季節保育所 を初めて設立 ・運営す る場合の実際的問題 に言及 して いる点で,中央社会事業協会の実態認識 と季節保育所像 を具体的 に読み とることがで きる。

(8)

具体的には

,

「準備 に関す る心得

「従業貞心得

「管理及実務心得

「閉所 に際 しての心得

「其 の他

に分 け られ,各々についての現実 に即 したア ドバ イスが掲げ られている。 「準備

では,季節保育所の設置 について村の有力者の理解 を深め,その設置 を促すた めに, 「先づ各村内の主なる人々に開設の趣 旨並 び事業の必要 を理解せ しめること

「地方 産業の繁忙 を他所 に見ぬ親切心 さえあれば誰 にで もで きる仕事である と息 は しめること

「既 に前か ら実施 して居 る所の様子 を二三の有志 を して観察せ しめること

「他町村 に於 け る季節保育事業の効果及 び其の利益 を説 き聞かせ ること

「開設の労 を取 るべ き中心 人物 (神官,僧侶,牧師,方面委員,社会事業家,小学校長) を前 もって物色 し置 くこと」 の 五項 目が挙 げ られている。 あ との四項 目は,そこでの 「府県当局 (者

)

」の役割 と自覚 に関する もので, 「町村民福 祉 の増進上保育所実施の希望 を有す ることを周知せ しめ

「保育所 に関す る講習会 を開 き其 の発達 を促進 し

「奨励金,補助金の準備 を有す る場合 はこれを一般 に承知せ しめる

こと が挙 げ られてお り, 「慈善救済の意味でな く隣保相挟,奉仕協同の作業たる観念 を持って 出発す

べ きことが明記 されている。 次 に 「従業員」については, 「大切 な子供 を預か るのであるか ら万事充分の注意 を払ふ こと

「常 に自信 を以て事 に当 り詰 まらぬ批評や非難 に心 を労 し目的の遂行 を誤 らぬ こと, 一時的の仕事 と思はず, これによ り受託児童の心身発育 を促 し,延ては地方民 の生活 を向 上せ しむる重要 な施設であることを理解す ること

の三項 目が挙げ られている。 「管理及実務心得」では,備品消耗品の節約, 「人夫賃等」の節約 (青年団月の奉仕作 業への期待),製薬会社等が配布す る広告用 の手旗 ・紙風船や宣伝 ビラの活用 な ど,経費節 減 に関わる

3

項 目, 「手工出来上 り品

を装飾用品に代用す る工夫,事務 日記,金品出納 簿,保育 日記の詳細 な記載 と各種資料 ・保育用具の常時の整理 を奨励する2項 目のほか, 季節保育所の開設側 と利用者側の認識 ・実態お よび両者の落差 を理解す るのに興味深い, 次の ような11項 目が挙 げ られている。 それ らは, 「成 る可 く付添 の子守,兄姉 は謝絶す る方針 をとること

(

「託児 が保栂 にな じまなかった り又おやつ を日当に来 る子供がある

ため),「人手の少 ないの も困るが余 り 多す ぎて も困 る (婦 人会の催 しな どにこの弊が多 い)」,「主任保栂 は開所 中変更せず保始 中一人は必ず楽器 を扱 ひ得 る ものたるべ きこと」,「奉仕事業たる性格上余 り長期 に捗 り関 係者 を倦怠せ しめぬ こと」(5日は短か過 ぎ,一週 間か10日が適当,二週間以上の場合 は「従 業員の選任等」に 「十分留意

す る),「所定の開所時間, 日限, 日数 に拘泥 し肝心の必要 期 を逸せぬや う注意す ること。 田植 えは天気次第の ものであ るか ら予定の期 間の役 に立 た ぬ場合が多い

「全 て儀式的の ことは控 目に し,殊 に開閉の時に,シルクハ ッ ト,モーニ ン グ, 白襟紋服,祝辞の行列等 に依って子供や親たちを倦怠 させぬ こと」,「平常着の まま出 所せ しめること。_又清潔 なエ プロンを用意 してお く事が望 ま しい

「受託者 には各々名前記

(9)

人の徽章又は白布 を胸 に懸けさせ ること

「その 日その 日の出席者 を確実 に知 り置 くこと

「強風雨等のために田植 え休みの時はむろん開所せぬ事。但 し誰か一人所内に留守居 をす ること

である。 「閉所」に関 しては,事物の処理や後片づけ,報告書等の書類提出の件の他, 「慰労 を かねた協議会 を開 き従業員相互の感想経験 を語 り合 ひ来 る年の計画 を立つる事

「受託児の 家庭へ は受託状況の大要 を報告 し金品の寄付先及関係方面へ事業の概要並び各種支出の報 告」を行 うこと,の4項 目が挙 げ られている。 「其の他」には, 「参考のため」の保育時間割の 「一例」(表

2

) に加 え,東京市衛生試 験所栄養試験部が作成 した,農村 (春 ・秋)用 ・漁村用 (春 ・秋)の計4種類の給食献立 例 (各7日分,材料 ・分量 ・調理法 を記載 した もの)の表が掲載 されている。 表

2

保 育 時 間 割 参 考 「保 育 時 間 は 地 方 の 実 状 に よ -必 ず し も 〓 疋 し 難 い ' 右 表 は 参 考 の た め そ の 1 例 を 示 し た に 過 ぎ ぬ 」 14 13 12 11 10 9

8

7

6

5 4 3 2 1 順序 退 退唱≡≒ 三自 問 三白 昼 ≡自 遊… 間 点 唱≡ 沈 三朝 洗自三 項辛 所 拶 . 戯 食 戯 食 戯 技 食 検 話 黙 歌 手 .

_

蓋 義

堅 牢

蔓 曇

書 真 義

嚢 菅 着辛時間 所要時間 _ _ 三 二 四

三 三 二 一二 妄 語 妄 語

P

L

L

O

L 募 芽 募 妄 碁 萱 蔓 草萎 窄 学 会 備考 ③ 「保栂の心得 に関す る参考

「保栂の使命」 と 「保栂の心得及び受託児の取扱 ひ方

に分かれている。 この箇所は現 在の 「保育者」にも共通す る要素 と,当時の季節保育所特有の要素 とを兼ね備 えている と い う意味で,興味深いため,以下 に全文 を引用 したい。 一,保栂の使命 保栂 は母親 にな り代って乳幼児の心身を養護す る重大責任者である。

(10)

真 の保栂 は,賢明なる慈母の精神 と,誠実 なる女子 の心意 と,豊 か なる童心 と,更 に凡 て を包 む 「慈愛

を有せ ねばな らぬ。 母親 は子供 を愛す る。 しか しなが らただそれだけではない。子供 も又母親 を愛す るので あ る。 愛 し愛 されて師恩 の保 育 の使命が達成 され る。 -,保栂の心得又受託児 の取扱 ひ方 (-)保栂 は受託児 を母の心 を以 て取扱 はねばな らぬ。 (二)保栂 は受託児 よ り敬愛 されねばな らぬ。 (≡)保栂 は豊 か なる童心 の持 ち主で なければな らぬ。 (四)保栂 は常 に朗 らかで なければな らぬ。 (五)保栂 は受託児 に対 して凡 ての こ とに就 き十分注意 を払 はねばな らぬ。 (六 )保栂 の服装 は質素 を旨 と し,態度 ,言語等苛 め に も保護者 に気兼 ね をさせ る様 な ことがあ ってはな らない。 (七)受託児 の名 は出来 るだけ早 く覚 えるや うに したい。受託児 は其の名 を呼 ばれる事 に よって保栂 になついて来 る。 家庭 での呼 び名が よい。 (八)受託児が過 ちを した時無 暗 に叱っ てはな らぬ。叱 る前 に其 の原 因 を考へ それ を取 除 くや うに心懸 けたい。 (九) いかなる出来事 に も慌 ててはいけない。落 ち着 いて其の処置 を考へ たい。 (一〇)受託児が一つの ことに飽 きた時直 ぐ次 の ことを与へ る用 意が なければな らぬ。 (一一)一人の受託児 のため に全体 を忘 れてはな らぬ。 同時 に全体 のため に一人 を忘 れ てはな らぬ。 (一二)受託児 の過 ちは出来 るだけ他 の受託児 に知 らせ ぬや うに したい。 (一三)一人の受託児 の よい癖 は他の受託児 に も習Jませ るや うに したい。又一人の受託 児 の悪 い癖 は他 の受託児 に見習 はせ ぬや うにす る と共 に其の受託児 の悪 い癖 を も直 すや うに したい。 (一四)新入生 は必ず全体 に紹介す る。 (一五)画一的 な考へ を排 して出来 るだけ創作 的 に受託児 を導 くや う心 が け度 い。子供 のいたづ らは彼 らの創造的本能の表 はれであ る場合が多い。無 暗 に叱 るばか りが能 ではない。 (彰 「衛生方面 に関す る参考」 ここでは, 「入所児 の身体検査

「受託 中の注意

「其 の他

に分 けた注意事項 が挙 げ られ てい る。 「身体検査」は,身長,体重 な どの一般検査 や伝染病等へ の対処法が, 「受託 中の注意

に関 しては,登所児 の 「発熱 の有無

や発疹 をめ ぐる判断基準か ら,子 どもに見 られる主

(11)

な病気 ・けがへの対処や応急処置の方法が簡単 に説明 されている。 「其の他

には,回虫 ・墳虫駆除,偏食の矯正,歯磨 き ・手洗いの習慣,爪を切 ること,便所の消毒,飲用水 の 事前検査,伝染病対策の消毒

(

「季節託児所 は伝染病 を媒介す る

とい う非難 を重視 して) などが,挙 げ られている。 以上の ように,中央社会事業協会は 『季節保育所施設標準』 を通 し,季節託児所の設置 ・運営の具体的手続 きお よび留意事項 を示 した。社会事業関係者 に問題意識 を喚起す る と ともに,その実際について具体的イメージを提示 し,地域 レベルでの普及 .振興 を推進 し ようとしたのである。 この時期の季節託児所の実際 について,農民側か らの資料 を得 るこ とは難 しいが, 「農繁期託児所 は農民生活の利益 にとって大 きな意味 を持 っているにもか かわ らず,農民の間にはそれほ ど農繁期託児所-の関心 はたか まらなかった。それは農繁 期託児所の内容が農民の育児観や農民の生活 とかけはなれた ものであったか らだ といえ よ う

」(註7) との指摘 もある。

(

3

)

日中戦争以後の季節託児所政策の展開 日中戦争が始 まると,季節託児所の性格 も戦時 ファシズム体制の一翼 としての性格 を強 めていった。 初期の 「児童保護

「就学奨励」といった観点は次第に後退 し, 「銃後対策

としての側面が前面 に出てきたのである。

1

9

3

8

(昭和

1

3

)

年度か ら,戦時厚生事業が正式 に開始 され,国家総動員体制の もとで, 季節託児所 は, さらなる発展の段 階を迎 えた。 同 じ時期,農会や産業組合 を中心 に, 「農村共同化運動」が始 まっている。そこでは, 生産の合理化 を第一の柱 とす る 「共同作業」,お よび,その徹底化 を目的 とする生活の合理 化 に位置づ く 「共同炊事

「共同託児

を三大柱 として展開されたのである。 季節託児所での 「共同託児

は,母親の農業労働 の間,乳幼児が事故や疾病の危険にさ らされることか ら 「未然 にまもる

ための 「乳幼児保護

の手段 と見なされた。 公営 は一 割強 と依然 として少 な く,宗教団体や愛国婦人会など婦人団体が開設 した ものが多かった。 開設期 間は,

1

0

日間か

1

週間, または

5

日間 とい うような短期 間が 「絶対多数」であった。 また 「保栂」としては,国民学校の教師や保健婦の貢献が大 きかった (註8)0

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4

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(昭和

1

6

)

年 に,大 日本青年団,大 日本連合女子青年団,お よび少年団体 を統合 ・ 吸収 して成立 した大 日本青少年団本部 は, 「共同炊事」お よび 「共同託児」の普及 を目的 とす る 「託児所 開設運動」に寄与するべ く, 「都市女子青年農繁期勤労奉仕

の実施 を決 定 した。 同年

1

1

月,同本部 は,都市の女子青年団貞百人余 りを動員 して,埼玉,千葉,神 奈川の各県計17村 において,試験的に同事業 を実施 している。 同本部編 『農村 にひらく花 一女子青年奉仕記録 -』 には, 「予想外の好成績 と幾多の貴 い経験 を得 た」同運動の 「実施の詳細 なる経過 と,今 後地方 に於て開設せ ん とする者への

(12)

注意,諸統計及 び奉仕女子青年の生活記録

が,掲載 されている (註

9)

0

1

9

4

2

(昭和

1

7

)

年 に厚生省 は,次の ような 「季節保育所設置補助要綱

を出 して,安価 な設備 と少 ない人手で,なるべ く多数の子 どもの面倒 を見 ることを奨励 した。 季節保育所設置補助要綱 (抄)(一九四二年度) 第- 滴三歳未満の乳幼児 を含 む季節保育所 に して左 の各号 に該当す るもの を設置せ ん とす るときは予算の範囲内に於て国庫補助金 を交付すること。 -、市町村の経営す る もの又 は地方長官 に於て確実 な りと認める団体若は個人の経営 す る もの 二、滴三歳未満の乳幼児一 日平均十人以上 を保育す る もの 三、保育時間は土地の状況 に依 り真 に労力不足の緩和 と乳幼児の健全 なる育成 に実行 を収 め得べ きもの に して保育 日数は特別の事情 なき限 り一回十 日を下 らざるもの 四、保育期 間中なるべ く一回以上医師の健康診断 を行ふ もの 五、保育従事者中乳幼児の保育 に経験 ある者一名以上 を有す るもの 六、創設後毎年引続 き開設す る見込みある もの 第二 国庫補助金は道府県が第一に掲 ぐる季節保育所の創設費 に して左 に掲 ぐる物品購 入費又は建物設備費 に付支出する道府県の補助金 に対 し道府県 に之 を交付す ること但 し別 に国庫 より補助金の交付 を受 くべ き場合は此の限 りにあ らざること -、毛布,枕,莫塵,軸椎篭,嬰児篭又 は嬰児用簡易寝台等 二、晴乳瓶,乳首 三、洗面器,バ ケツ 四、黒板,飯台,食器 五、乳幼児用玩具類 六、応急薬品 道府県前項 に掲 ぐる もの以外の物品の購入費 に付支出する道府県の補助金 に対 し国 庫補助金の交付 を受 けるとす るときは其の理 由を具 し予め協議す ること 第三 国庫補助金の額 は一施設当平均参拾円を限度 とす ること (以下省略)(註lo) さらに,

1

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(昭和

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8

)

年 には, 「生産増強

とい う至上 目的にそって,農村では季節 託児所,都市では戦時託児所の設置が積極的 に打 ち出 され,非常設託児所数は急増 した。 そ こでの施設設備や保育者 は,全体 として間に合わせ的であった。例 えば,同年

3

月の茨 城県の季節保育所保始養成講習会の

1

2

1

名の講習生 は,ほ とん どが 「素人」で, 「保育所 を見た事 も無い人達

であった とい う。 これ らの人々がわずか

2

日半の講習会 で得 た知識 をもとに, 自分の村で保育所 を開設す る責任者 として 「伝達講習

を も期待 された。-也

(13)

城一 ヶ所主義 をとった愛知県では, 「婦人会貝,都市青年団貝の勤労奉仕,女子 中等学校 の生徒 の保育実習等」によって保育要員 をまかなわねばな らなか った とい う。 この ような動 向の中で,季節託児所 を慈恵的な ものに終わ らせず,村全体の生活の共同 化の一環 として位置づ け.ようとす る試み も,少数 なが ら存在 し,戦争末期 に至 るまで続 け られた。木下龍太郎 は, この試み を,以下の ように紹介 している。 その一つは,恩賜財 団母子愛育会が厚生省の援助の もとで行 った 「愛育村」運動 であ る。 愛育村 は,正 しい育児知識 を農山漁村 に普及 させ,乳幼児死亡率の提言や子 どもの 心 身の健康増進 をめ ざ して,村内の婦人が組織す る愛育班 を中心 に,母子 の教化や養護 をはかる諸事業が総合的 に実施 される村 を意味 した。 「愛育班」の 「班員は時々講習 を 受 け保健 育児 に関す る知識 を高める と共 に,乳幼児又は妊婦の健康診断の際 には,その 助手 として働 き,農繁期託児所 の開かれる場合 には,その世話役 ともなる

とされた。 この 「愛育村

は,全 国各地 に普及 し,その数一千 を越 えた。 また浦辺史は, 「民主的指導者のいる町村,例 えば秋 田県平賀郡旭村」な どでは,農 作業の共同化 と共 に 「共同保育 ・共同炊事 ・共同風 呂等 の生活共同化」が行 われた と指 摘 してい る。旭村のばあいは,すで に鈴木暢子 らによって 日中戦争以前か ら,農民の生 活 と文化の向上 を視野 においた農繁期共同保育所の経験が積み重 ね られていたのである (浦辺史 『日本保育運動小 史

)

しか し,戦時下での これ らの先進的な試みは,農村の生活 を援助 し,母子 の心身 を守 るための ヒューマ ンな努力であったにせ よ,他面 で国民 を死 に追いやる戦時体制 に協力 しそれ を一層 強化す る役 目を担 うことによってのみの存在 をゆるされたのであった。 (註

1

1

)

(

4

)

戦後の季節託児所の位置づ けと発展 _

1

9

4

7

(昭和

2

2

)

に児童福祉法が制定 されると,公立の常設保育所 の数は,かな りの速度 で増加 したが,

1

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5

3

年以降,伸 び悩み を見せ た。農 山漁村 の場合,保育所 は相対的 に少 な く, 自治体財政の貧 しさと関係 して公立保育所の設置は一層 困難 となる。 このため,厚生 省 は,児童福祉施設の保育所 には該当 しないが,特別の保育対策 として 「季節保育所」(19

5

3

年度) と 「へ き地保育所」(

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6

1

年度) を認め,運営費の三分の一 を補助す ることになっ たのである。

1

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5

7

(昭和

3

2

)

5

月,次 の ような厚生次官通知の 「季節保育所設置要綱」が出 され, これを根拠 に補助 を受 けることになった。だが,保育所の施設,設備 ,運営 な どを規定す る最低基準 を下 まわる ものであったため, これによって問題 が解決 されたわけではな く, 無認可であることに変 わ りなか った。

(14)

季節保育所設置要綱 (昭和三二年五月八 日,厚生省発児五三各都道府県知事 ・各指定都 市市長宛厚生事務次官通知) 第一 日的 農繁期等地方産業の繁忙期 において,保護者の労働のため保育 に欠ける乳幼児 に対 し必要な保護 を加 えて心身共 に健やか に育成 し,あわせ てこれ らの福祉増進 に資す る ことを目的 とする。 第二 設置基準 1 季節保育所の設置主体 は,市町村 (市町村が其の運営 を委託す る場合 を含 む。)と す ること

2

開設期 間は,原則 として-か所 につ き二〇 日間 とす ること。

3

入所児童 については,乳幼児 を原則 とす るが,必要がある場合はその他の児童 を も入所 させ ることがで きること。

4

入所児童 は,-か所 につ き,三〇名以上 (乳幼児の収容延人員 を開設 日数で除 し た児童数) とす ること。

5

入所の設置は,市町村が行 うこと。 6 設備及 び運営 については,児童福祉施設最低基準 (昭和二十三年十二月二十九 日 厚生省令第六十三号)の精神 を尊重す ること。 7 入所児童の保育 に従事す る者 (以下 「保育従事者」とい う。)は,原則 として保母 の資格 を有す るものでなければな らないこと。ただ し,やむを得 ない場合は,代用 保母の認定 を受ける資格 を有する者 (児童福祉施設最低基準 に定める保育所の保母 の特例 に関する省令 (昭和二十五年厚生省令第三号)第二条第-項の各号の一に該 当す る者)及び保母試験の受験資格 を有す る者 (児童福祉法施行規則 (昭和二十三 年厚生省令第十一号)第四十条各号 の一に該当す る者)又はこれ らに準ず る者であ って児童の保育 に適する者 をもって充てること。 第三 国庫補助の用件 1 季節保育所 に要する費用 は市町村が支弁す るが,都道府県は市町村の支弁 した費 用の三分 の二以内の金額 を補助す ること。ただ し,都道府県は,地方 自治法第二百 五十二条の十九第一項の指定都市 (以下 「指定都市

とい う。)に対 しては補助 しな い ものであること。

2

国は,予算の範囲内において都道府県が補助 した金額の二分の一以内及び指定都 市の支弁 した金額 の三分の一以内の金額 を,それぞれ都道府県及 び指定都市 に対 し 補助する ものであ ること。

3

国の補助す る費用算定の基準額 は,別 に定めること。 第四 国庫補助金 申請交付等 の手続

-3

2

(15)

-1

国庫補助金 申請等の手続 きは,別 に定めること。 (註

1

2

)

これをうけ,農村の季節託児所は再 び,新たな時代 を迎 えた。季節託児所数 は

,1

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6

3

(昭 和38)年 には,7,000ヶ所 に及 んだが,産業構造の変化 による兼業農家や出稼 ぎ農家の増

加(

「三 ちゃん農業」や 「二 ちゃん農業」の出現) を背景 に,

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7

1

(昭和

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6

)

年 に,5,000 ヶ所へ と減少 している。 さらに,

7

0

年代 には,季節託児所は,へ き地保育所 とともに,減 少の一途 をた どった (註

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3

)

0

3

戦前 の新潟 県 にお ける社会 事業 と季節託児所 の実際 (1)季節託児所の発展前史 ① 明治 ・大正期の託児事業 をめ ぐる状況 桜井慶一は,明治30年代以降の全国的な 「子守学校

の普及 を背景 に,新潟県内では小 学校付設の就学奨励託児所が,昭和初期 までに計

1

2

ヶ所,設立 されてい ことを明 らか に し ている。 一般の 「農繁期託児所」は開所期 間が20日程度であったのに対 し, これ らの大半 は,春 と秋 に各 々

6

0

∼9

0

日前後,開所 された (註

1

4

)

。この就学奨励託児所は,子守児童 の就学保障 を第一 目的 とす る 「子守学校」と同様の機能 をもってはいた ものの,独立 した 乳幼児保護施設 としての 「託児所」の原型 となった点で,特筆すべ きであろう。 そ して,子守学校 と就学奨励託児所の分岐点 に, 「日本初の常設保育所」 として知 られ る赤沢保育園の前身 「守狐扶独幼稚児保護会

があ った。同会は

1

8

9

0

(明治

2

3

)

年 に赤沢 鐘美が設立 した私塾,新潟静修学校の付設託児所か ら出発 した。 同校 は,貧困家庭の子 ど もを対象 に,安い授業料 と短い修業年限で,実地 に役立つ ことを教 える学校であ り,背 中 に幼い子 どもをおぶ った り,幼児の手 をひいて登校 して くる生徒が少 な くなか った とい う。 弟や妹 を気 に しなが ら授業 に身が入 らない生徒 にきちんと授業 を受けさせたい,待 ってい る幼児 に も何 とか対応 してや りたい, とい う赤沢の思いが,別室での子 どもたちの託児 に つなが っていった。 赤沢は, この経緯 について

-・-来ル者, クル者憐 レナ者 デ終二一切 ヲ無料 トシテ帽子 や傘ヤ足履 ナ ド買 ヒ与へ間食玩具 ヲ供 シ一室 ヲ開放 シ妻 ノオ仲 ヲ主任 トシテ保護 シ始 メタ

-

」(註15)と述べ ている。 同校で幼児 を預か ることを聞 きつけて,子 どもを預 けて働か なければな らない人々が次 々に託児 を頼みに来 るようにな り,学校に関係 ない幼児の数が 上回るようになった。 赤沢夫妻は同校の託児部 を独立 させ,徐 々に保育所 としての体裁 を 整 えた。 「赤沢保育園

の名称で地域 に根 ざした同会は,やがて県下で有数の 「慈善救済 団体」として認め られるようになった とされる (註

1

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)

0

この ような常設託児所 を前提 に,県が 「托 (託)児所設置

問題 について,初めて調査 に乗 り出 したのは,

1

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1

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(大正

8)

6

月であった。 同月

2

9

日付 「新潟新聞」では,社会

(16)

問題 の一つ として大都市で労働者向けの 「托児所」が設置 されるようになって きたが,本 県で も 「此必要 を認 め

るに至 ったこと,物価が ます ます高踏 し 「一番下層社会の者

が 生活困難 に陥 っているのに対 し, 「子弟」 を 「養育

中の者 は 「之が為め労働 に従事す る 能はずむな しく自宅 に在 りて教養 を為 し居 るの実状

にあること,ゆえに, これを 「救済 す るの方針 に付 き目下夫 々調査の歩 を進めつつあ り

などが伝 えられている。 特 に必要な地域 は,新潟市等の 「都会地

をは じめ, 「海岸地方の漁村」 とされた。そ こで 「托児所」の 目的は, 「労働者 を充分 に活動せ しめ生活の安定 を図 らしむるは勿論 な る も現在の如 く婦女子が児童 を背負ふて業務 に服す るが如 きは繊 き児童 をして発育不完全 に陥 らしむることあ り是等将来国民の保健上 に於 て も重大関係 を有す より之等 の点 よ りし て も設置の要あ り

とされた。 すなわち,女性労働者の就労援助 と乳幼児の保護 とい う二 つの理由か ら,託児所設置の重要性が強調 されたのである。 この調査 をもとに, どの程度 までの児童 を託児所 で保護すればよいのかを明確化す る と ともに,保護の必要 な人員 を把握 し, 「比較的貧弱 なる町村

については特 に 「其実績 に 鑑み」,県が率先 して託児所設置 を行 う方針 とされた。だが, 「一歳以上五歳位 まで」を対 象 にす ると,保母一人につ き 「五人位

しか担当で きないため,設置 に際 しては経費が多 額 を要する 「次第

との記述が付 されている (註17)0 (参 社会事業関連団体 の組織化 と託児事業 新潟県の常設 ・季節託児所 の設置 ・運営の実質的な推進母体 は,県社会課 と結 びついた 社会事業団体であった と考え られる。 季節託児所の発達 を考察す る場合,関係す る団体組 織 は,当初 「新潟県慈善協会

として設立 された 「新潟県社会事業協会

であ る。 1919(大正8)年7月,新潟県知事渡連勝三郎 を会長 とす る 「新潟県慈善協会」が組織 された。 同会は,県知事の呼 びかけで,県下の慈善団体が,相互の連絡 ・協力 によって「社 会上幾多病的現象」の 「対策

に力 を注 ぎ, 「社会全体 ノ健全 ヲ維持」す るために発足 さ れた協議会であった。同会は,1922(大正11)年4月の第三回総会で, 「対策」とい う消 極的姿勢か ら転 じて,団体の相互連絡や 「講究」によ り社会事業の 「理想 目的 を実現せ む

ことと掲げて, 「新潟県社会事業協会

と改称 された。 同会 には市長 その他の有力者 も含 まれ,毎年,新潟県社会事業大会 を開催す るようになった。 第三回総会では,県提 出の諮問案 「本県 に於 て急施 を要す る社会事業」への報告の第二 項 目として, 「託児所 を設置 し労働者の従業 に便せ しむると共 に子守就学児童 を して義誇 教育 を完全 に受 くるを得 しむること

が掲 げ られた点が注 目される (註18)。同協会 は,社 会事業の一環 に 「乳幼児保護

「児童保護」とい う枠組で,託児所事業 を明確 に位置づ けて お り, またその振興 ・普及 にあたっての諸対策 を具体的に担 った点で注 目される。 なかで も季節託児所 はL小作争議 な ど農村の もつ矛盾や諸問題 を融和 ・改善 し,戟時体制 に向け

(17)

た労働力増強を支 える社会政策の側面 をも有するものであった。 (2)季節託児所の設立 ① 「農繁期託児所」の開設 大正末期以降,小作争議の激化 を背景 に,全国各地で農繁期の就労援助 を目的 とす る季 節託児所の開設が始 まった。県内で も,

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2

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(大正

1

4)

年 に北蒲原郡中浦村天王季節託児 所が開設 されたのは契機 に, 「農繁期託児所

が普及 していった。 同託児所 は,新潟県随一の大地主市島家十五代の当主市島徳厚の手 による ものである。 市 島は熱心 に計画 に着手 し,県当局 ・中央社会事業関係者の意見 を聞 き,単独 で経費 を負 担 して同託児所 を設立 した。彼はこの事業 を農民融和対策 として重視 し,隣保館事業の一 部 として開始 したのだとい う。 翌年,市島は自らが理事 を務める県社会事業協会 と,民 間 社会事業団体恩光会 との連名で,県内2,800 の仏教寺院に対 し, 「児童愛護 と母性 の産業 能率向上のため」の共同の設置 を呼びかけるべ く, 「簡易託児所設立 に関す る調査

を実 施 した とい う。 この調査の主 目的は実施依頼であ り,それは,恩光会主宰者富山虎三郎が 自ら述べ てい るように,季節託児所の設置 を小作争議への融和対策の一環 と位置づ ける発想 に基づ くも のであった。富 山はこの ような意図か ら, 「比較的有産階級の子女

を 「保栂」として雇 うべ きことによ り, 「其の人を得 ると同時 に社会問題の紛糾 を緩和 し,地方産業の振興 を 期するを得 ましたことは実 に大 なる幸福であ ります」 と述べ ている (註

1

9

)

こうした結果,同県内では,

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(大正

1

5

)

年春季 には,計

2

0

ヶ所の季節託児所が開設 され,発展の土台がで きあがった。他方,学校教育で も,大正13年度の 「貧困児童就学奨 励」の 「御下賜金」を基礎 に 「新潟県児童就学奨励規定

を作成 し,学校教育の場か ら, 積極的に子守児童の一掃が図 られた とい う。具体的 には,就学奨励 のための託児所設置が 呼びかけ られ,県内各地 に係官 を派遣 し,本格的な取 り組みが開始 されたのであった。 ② 新潟県社会事業協会の季節託児所問題への対応 この ような動向 を背景 として,季節託児所問題 は,新潟県社会事業協会の大会で も,中 心的課題 となっていった。

1

9

2

7

(昭和

2

)年

5

月の第二回大会で同協会は,協議事項 「農村 に必要 なる社会的施設 及び其の普及実施 を図る良策如何」の項 目の一つ として 「児童保護事業」を挙 げている。 季節託児所 については,その他の協議事項のなかで,刈羽郡北篠村千手院住職岡田豊元提 出の 「四,農繁期託児所設置に関 して (イ)受託児童の年齢及人数 (ロ)保栂 に関す る件 ママ (ハ)経費支出の方法 に就て」,宮平農繁託児所代表者 田辺石定提 出の 「七,期節託児所 を ママ 最 も有効 ならしむる設備の具体案如何 八,期節託児所の永続 を期す る為経費の合理的捻

(18)

出法如何」が取 り上げ られた。 第三回大会 になると, 「農漁村二適切 ナル社会事業 ノ普及 ヲ図ル良法如何

が県か らの 諮問事項 に挙が り, 「本会提 出」の協議事項 として 「児童保護事業 ノ整備二関スル要綱如 何」,千手 院農繁託児所提 出の 「託児所事業 ヲ普及徹底セシメラ レム事 ヲ其筋二建議 スルノ 件

が取 り上げ られている。 第四回大会 においては, この千手院農繁託児所の問題提起 を受 けてか,県か らの諮問事 項 に託児所問題が取 り上げ られ,以下の ような答 申が出 されている。 諮問事項 託児所 ノ設置 ヲ容易 ナラシムル良法如何 答 申 - 設置方法 -、世帯数五十以上集団セ ル地方並人口千人以上 ヲ有スル市町村又ハ農会,漁業組合, 産業組合,部落農区,寺院其 ノ他 ノ団体 二於 テ必 ス設置スルコ ト 二、常設又ハ季節的二子守児童一校二十名以上登校スル学校二於 テハ託児所 ヲ市町村営 ニテ通年又ハ季節的二設置スルコ ト 二 経費 -、原則 トシテ当該団体 ノ負担 トシテ私設団体 ノモ ノニハ経費二分 ノー ヲ市町村費 ヲ以 テ補助 スル コ ト 二、県ハ相当奨励助長 ノ途 ヲ講 スルコ ト 三 従事者 一、県社会事業協会保始養成所 二市町村費 ヲ以テ保栂希望者 ヲ物色 シテ入所 セシメ而 シ テ共 ノ市町村営 ヲ以 テスル託児所 ノ保栂二義務的二従事 セシムル コ ト 四 実行方法 一、以上の実行方法 トシテ県ハ毎年五 月 ヲ保育月 トナシ活動写真会 ヲ以 テ託児所 ノ設置 運動 ヲ為ス コ ト 二、本県諮問答 申ヲ市町村二移牒 ノ上極力之 力実現二付努カサ ラルルコ ト 三、其の筋二託児所令 ヲ制定セ ラレムコ トヲ建議 スルコ ト其 ノ成文ハ協会二一任 ノコ ト 以上 同大会ではこの他 に,西蒲原郡弥彦村昭和託児所 か ら, 「託児所 ノ必要ナルコ トヲ地方 民間二徹底的ナル諒解 ヲ得 ル方法如何

が提 出 されたが,県の諮問事項 と重複 していると の理 由か ら,討議が うち切 られている (註20)0

(19)

(3) 「農村更生事業

「戦時厚生事業」 と しての季節託 児所の発展 桜井が 「他県 との比較表

(

3

) を掲 げて 「新潟県 にお ける決戦体制下 における農繁期 託児所 の急増 ぶ りが如何 に目ざま しい ものであ るか

に注 目 しているように, この時期 の 同県の季節託児所の発展 は,国策の展 開 を跳躍台 とした ものであ った (註21)0 表

3

農 繁 期 託 児 所 設 置 上 位 県 年 度 総 数 上 位 五 県 昭和12年 ll,44ヶ所7 1.兵 庫 1,009ヶ所 2.愛 知 760 3.山 形 595 4.山 口 590 5.長 崎 520 (30.新潟 152) 昭和19年 ヶ所 1.熊 本 3,770(伸 び率 20.7倍 ) 2.兵 庫 3,000 ( ,, 3.0倍) 50,320 3.新 潟 2,600 ( ,y 17.1倍) 4.埼 玉 2,400 (

,

,

7.5倍) 5.鹿児 島 2,372 (

8.8倍) 桜井 r現代地域保育制度の研究」38頁 より。 昭和初期 の経 済恐慌 の なかで,農民 の 「自力更生

を目指す農村経済更生運動 が展開 さ れた。季節託児所 は 「農村更生事業

の一環 に組み込 まれ, 「農村教化

「隣保親善」の観 念 と結 びついた。 さらに1937(昭和12)年の慮溝橋事件以後,季節託児所 の設立 ・運営 に は, 「生産増強

「銃後対策」と しての側面が登場 した。農村共同化運動 のなかで,新潟県 内で も,産婆 を中心 とす る保健婦 たちが,農村の季節託児所 の設立 ・運営 に重要 な役割 を 果 た したのであ る (註22)0 新潟県内の季節託児所 の数 は,表3? ように昭和13年度以降急増 し,1村で8ヶ所設置 す る地域 も生 まれた。 この時期 の 「共同保育所」(季節託児所) は,熊本 ,兵庫 に次 ぐ,全 国三位- と急上昇 した。 参加戸数77,500余戸 は全農家戸 数 の三分 の一 に及 び,戦後 「保育 所王国」 の基盤 となった とされ る。 この時期 の特色 としては,設立 ・運営主体が,従来の個 人立 中心か ら団体 (婦 人会 ・農 会)立 中心へ と大 き く移行 した ことが挙 げ られる。 新潟県 内では特 に,愛 国婦 人会新潟県 支部 の貢献がめ ざま しか った。 例 えば昭和12年度 の同支部 「事業概況」によれば, 「一般 社会事業」支 出6,312円の うち 「幼児保育」が大半 の5,600円 を占めてい る。 内訳 は,通年 託児所 の支 出が3ヶ所 で4,500円,残 りの1,100 円が季節 託児所 (新 設が7ヶ所 で320円, 既設が36ヶ所 で780円)であ った (註23)0

(20)

託児時間は,午前

8

時 (開所 は

6

時)か ら午後

6

時 まで と長期化 し,午睡時間 もある長 時間保育へ と移行 していった

。1

2

時間程度が標準であった。開所期 間 も標準

1-2

ケ月 と 長期化 した。全体の

7

割以上の季節託児所が準常設 とな り,戟争末期 にかけて常設 に展 開 してい く例 も見 られた とい う。 この傾向は,就学奨励型託児所 ・農繁期託児所 に共通す る ものであった。 同 じ農業県で も,例 えば青森県では大半が

2

週 間以内の開設だったことと 比較す ると,かな り顕著 な特色 と考 え られる。 1941(昭和16)年 に出 された 「農繁季節保育所援助方こ関スル件」では, 「農繁季節保 育所設置スル場合ハ支障ナキ限 り学校 ノー部 ヲ開放 シ之二協力スルコ ト,手不足 ナル保育 所二於 テハ女教員並女生徒 ヲシテ積極的援助 ヲナサ シメルコ ト」(註24)とされた。 実際, その運営 には,愛国婦人会員,女子青年団員,女学校生徒,小学校の女性教員 な どが動員 されている。

4

戦時期の新潟 県 にお ける季節 託児所保 育 の実際 戦時期 において,新潟県の季節託児所の設置 ・運営お よびそ こでの保育活動 は, どの よ うに展 開 されたのだろうか。 その一端 を知 るために,同県中蒲原郡金津村 (現新津市)の金津村愛国婦人会第一季節 託児所,お よび同所主任保母根岸 まつえ (文献 によってはマ ツエ と表記 される) を取 り上 げる。史料 として,根岸が1941(昭和16)年 に書いた 『実践季節保育所

(山雅房) を手がか りとしたい。 『実践季節託児所』(復刻版)所収 の田辺敦子の 「解説

によれば,根岸個人の半生 と金 津村の季節託児所への関わ りの経緯 は,以下の ようであった (註

2

5

)

0

根岸草笛 は,1908(明治41)年 に新潟県高田市 に生 まれた根岸 (旧姓水野,執筆当時は 結婚 によって改姓) まつえのペ ンネームである。 父水野与三衛 門は,高 田師範学校の第-回生で,卒業後 は同附属小学校の教諭 となった。母水野ヤスエ は,長 岡師範学校 を卒業 し, 高田市の小学校の教諭 を定年 まで勤め,その後同市の保育園の主任保母 として働 いた とい う。 また五人姉妹の うち三人が,教育者の道 を選んでいた。 根岸 は,東京女子高等師範学校への入学 を志 して上京 したが,志 を果たせず,工場の寮 の主任 な どを していた。 この時期 に肋膜 を患 い,その後結婚 し子 を得 たが,子 ども,夫 を 続 けて失 った。1930(昭和5)年 に,東京都品川区大井町にあった昭和保母養成所 を卒業 し,新潟県中蒲原郡金津村の 「金津村愛国婦人会第一季節託児所」(以下,金津村託児所 と 略す) に主任保母 として赴任 した。根岸は金津村での仕事 を,1943(昭和18)年 まで10年 間続 け,その後 は高 田市立北本町保育園の主任保母 を していた母の後 を継 ぐため,金津村 託児所 を退いた とされる。実際に同保育園に赴任 したのは,1947(昭和

2

2

)

年であ り,彼 女 はその間に新潟県高田中央病院保健婦養成所 を卒業 し,翌年,看護婦 ・保健婦の免状 を

-3

8

(21)

-取得 している。

1

9

5

3

(昭和

2

8

)

午,根岸 は長野県が諏訪 に保育専門学院 を設立す るにあた り, 「知事 自 らの御懇請で手厚 く迎 え られ」院長 に就任 した。同学院で

『愛 と自由 と信頼』 を精神的風 土の基盤 とす る教育

を行 った後,彼女 は同学院 を

1

9

6

6

(昭和

4

1

)

年 に退職 した。金津村 時代 か らすでに講演依頼が多か った根岸 は,全 国各地か ら講師 として招碑 され, 日本保育 学会,新潟県児童福祉審議会 な どで役職 に就 き,多忙 な生活 を送 っている。 また

6

0

歳で, 師であ り仕事上の支援者であった児童心理学者 山下俊郎 と結婚 し,今 日に至 る とされる。 この ような半生 をた どった根岸が 『実践季節託児所』を執筆す る契機 となった金津村託 児所 での仕事 は,彼女の母の教貞時代 の友 人であった愛国婦人会主事が,金津村役場の社 会係 に話 を持 ちかけることか ら始 まった。 「保母 はこち らで用意す るか ら」との条件 で, 根岸 を迎 えることになった とい う (註

2

6

)

愛 国婦人会 とは,

1

9

0

1

(明治

3

4

)

年 に奥村五百子が設立 した軍事援護団体である。 設立 当初 は軍人遺家族の援護活動 を主 な事業 としていたが,大正期以降,農村 を中心 とす る社 会事業 を拡大 している

。1

9

3

4

(昭和

9

)年の調査 による と,愛国婦人会 による農繁期託児 所 は,全 国で

2

5

0

0

ヶ所余 りに及 んだ とされる。 根岸 も 「序

で触 れている通 り,新潟県では,県社会課が同会新潟支部 と提携 し,金津 村託児所主任保母の根岸 に委嘱 して季節託児所保母の養成講習 を行 っていた。 そのテキス トとして まとめ られた本書の冒頭 には,愛 国婦人会会長水野万寿子 自らの手 による次の よ うな 「序」が,掲載 されている。 全 国に於 ける保育所 の数は今や常設,季節 を合せ総数二万数千 に達 し,その保育児童 数 は九拾万 に上ってゐるとの ことです。母親 に代 って,恵 まれない子等の為,奉仕 され る保母 さんたち数 も数万 に上 ることでせ う。 私共は,保育事業今 日の発展の陰に,か うした数多の うら若い青春の女性が, この貴 い しか も酬 はれることの甚 だ薄い仕事 に捧 げ られて来たことを忘れてはなるまい と思 ひ ます。 本書 は,雪深 さ越後 の-農村 の保母 として,燃 ゆるや うな保育報 国の至情 を胸 に抱 き 「保育の一等兵」たることを以 て 自ら任 じ,且つ之 を誇 りとして,半生 を捧 げて来 られ た著者の,多年 に亘 る体験 と研鐙 との結晶であ り,いは ゞ保母 としての体験記録 ともい ふべ きものです。 今や,人的資源確保 の観点か ら,保育所の普及 と並 んで,その内容 の進歩向上 といふ ことが真剣 に考へ られなければな らない時,本書 は此の点 において も多 くの示唆 を含 ん でゐるや うに思 ほれ ます。 昭和十六年十一月 愛国婦人会長 水野万寿子 (註

2

7

)

(22)

-支部の事業 に関わる出版物 に対 し,全 国組織の会長が 「序」 を善 くとい うことの意味 をどの ように捉 えるか 自体,検討課題 にな り得 るだろう。 だが,少 な くとも, この時期 , 「人的資源確保」の文脈 において,国策 としての季節託児所事業の意義 を,同婦人会が前 向 きに受 け止めていた点,季節託児所

(

「保育所

)

の 「内容の進歩向上

を通 じて,保育 と い う 「貴 い しか も酬 われることの甚だ薄い仕事

に正当な評価 をする必要があると捉 えて いた点 は, ともに注 目すべ きと考 える。 F実践季節保育所

執筆の直接 的動機 について,根岸 は 「序」で次の ように述べ ている。 --例年県社会課や愛婦新潟支部の嘱託 を受 け まして,養成講習 をさせ て頂いて居 り ます若い保母 さんたちに適当なテキス トが ござい ませ んので困って居 りま したが,その 若い保母 さんたちに,越後 と云ふ此の土地の特殊的事情 を沢山に持ってゐる郷土 に即 し た農村保育の真の姿 を知 って頂 くと同時 に,零下何十度 といふ朔北の広野 に, また遮 る 日陰一つ無 さ灼熱の南支の海上で,空前絶後の激 しい訓練 に耐 えなが ら日夜重い任務 に 奮闘 して祖国 を護ってゐて下 さる所の,皇軍の尊 い勇士の方々の愛児 を,私達の手で一 人で も余計確 りと護 らせ て頂 きたい と云ふ念が,不束 な我が身を省 る蓋 しさをも打 ち忘 れ させ,ペ ンを執 らせ て呉れたのでござい ます。要するに望みの一つは兎 に角至 らぬな が らも主任保母 として春秋二期 一 ケ月づつ位の保育所の責任 を持 たれると共 に,閉所後 も保育指導員 として乳幼児愛育思想の普及 に務め られるや うにと希って資料 を作 りま し た。尚常設保育所の保母 さんが御覧 になって も十分見応へがお有 りになることと存 じま す。 (註28) 文中の表現の ように,本書 は 「郷土 に即 した農村保育の真の姿」 を示そ うとした もので あ り,また,その内容の「すべ ては私達の園で実験済みの ものばか りでござい ます」(註29) とも述べ られている。 本書 は, F日本社会事業年鑑 昭和十八年版

で,厚生事業文献の 選奨 として 「昭和十六年一月 よ り十二月に至 る斯業関係文献 につ き審議委員会の審査 を経 て

決定 された三篇の一つ に選ばれ, 「昭和十七年十月十 日令 旨奉載記念式典席上 に於 て 選奨 を挙行 し表彰並 びに記念品 を授与」された と紹介 されている (註30)。 この意味で 『実践季節保育所』 は,単 なる一県の季節託児所の保母養成講習用のテキス トに留 まらない,戦時期 の社会情勢 を反映 した史料的価値のある文献 とも,みなす ことが で きる。本書は六編構成であ り,その内容 は,Ⅰ「農紫季節保育所

の趣 旨や保母の心構 えに関わる部分 (第一編 ・第二編),Ⅲ「農繁季節保育所」の経営 に関わる部分 (第三編), Ⅲ 「保育の実際

や 「保育案」 に関わる部分 (第四編 ・第五編)

,

Ⅳ閉所後の家庭指導 に関 わる部分 (第六編)′に分 け られる。

(23)

保母養成のテキス トであることを考慮 してか,季節託児所の位置づ けや意義でな く

,

「第 -編 季節保育所の保母 に求むる もの

か ら始 まっている点が,本書の大 きな特色である。 そ して, 「第二編 農繁季節保育所の使命

が次 に続いている。 根岸 は,季節託児所保母 に何 を求めたのだろうか。 彼女 はまず, 「農繁季節保育所」の設立 にあた り,農村の生産力の維持増進のため, 「農 繁期の婦人労働 の足手繰 ひになる幼児 を親たちに代 って保育す る保育所」 を 「人 も施設 も 最小 限度の条件で,兎 に角いかなる保育所で もよいか ら無 きに優 る」とい う態度で 「ドシ ドシ創設 してい く」方法 と, 「農村隣保事業の根基たるべ し」とい う自覚の もとに,あ ら ゆる方面 に 「基礎 と確信 を築いてか ら常設的なるものにまで,発展 を目指 して出発する」 方法 を示 してい る。 進 んだ近代的 な社会事業施設 としての農繁季節託児所 を示唆す る後者 が理想であるが, 「非常時下

では, この 「数 と質 との調節

が,間遺であるとす る。 そこで,根岸 は,この 「数 と質 との調節」の鍵 として, 「直接聖務遂行の任 に当る保母 その人達」に 「望みを懸け

たのである。 彼女は, 「今 日の保育所は唱歌や,遊技や,辛 技のや り方 を大体覚えた とか簡単 に衛生的方面の指導が行 き届いた」 とかは言われるが, 「まだ乳幼児の保育 とか,母性の教化 といふ方面 については,農繁保育所の保母 には期待 出来 ませ ん」と断言 している。 彼女 は,保母講習会の 「保育項 目即幼児教育

とい う 「誤 まった観念」を持つ保母が多 い と憂 い, 「保母の教養

を 「是非必要」と重視 した。 具体的には, 「農繁季節保育所」 の保母 に 「もっ と強 く求めたい もの」として,社会事業 に対する認識 と保育の本義,児童 心理学,保健衛生,栄養上の知識 を挙げている。そ して, このすべ てを貫 くものが, 「子 供達 と祖国 日本 に対す る強 き愛情 と真実

であるとした。す なわち, 「社会事業家 として の信念

と 「幼児教育者 としての精神 と知識知能の裏付 け

があって初めて 「一人前の良 き保母 としての資格 を具 えたことになる」と結論づけている。 とはいえ,保母 をめ ぐる戦時下の現実の厳 しさを考慮すれば,保母 に求め られるものは 多す ぎる。 そこで,根岸 は,保母 となる女性の知識 ・技 能 ・経験の乏 しきをカバーする論 理 として, 「保母魂

を掲げた精神主義 を説いた。唯一の 「良 き保母 とな り得 る近道

と して, 「日本のお国の保母 としての 『保母魂』それを生か してい くこと

を挙 げたのであ る。 この 「保母魂」について根岸 は, 「この 日の本 にも女性 は多 く,ただ今は各々が皆 そ の持場 々々で働 いて,共々にお国の為 に尽 くしては居 りますが,既 に別 な職業 に就かれて ゐた り,家庭の事情やその他 に妨げ られて,保母 として立 ち得 る方は僅かなのに,私たち は幸 ひに選 ばれて,直接お国のために働かせていただける,皇国の勇士の母子 を護 らせ て 頂 ける; さうした幸 ひを獲 ち得 た,その大和魂 を保母魂 として生か し得 る機会 を恵 まれた と考へ ます と,私 たち自身はその幸せ さ,勿体 なさに感涙 されて参 ります。そ して自分 を 捨 て ゝや りさへすれば良 き保母 に必ずなれるといふ 自信が生れて参 ります。」と説明 してい

表 1 戦前 の全 国の季節保 育所,常設保育所数 午 季 節 保 育 所 数 常 設 保 育 所 数 1924 ( 大正 13) 午 48 ヶ所 147 ヶ所 25 ( 14) 午 130 265 26 ( 15) 午 268 (138) 312 27 ( 昭和 2 )午 549 不 明 28 ( 3 )午 921 365 29 ( 4) 午 1 ,428 419 30 ( 5 )年 2 ,519 482 31 ( 6 )午 3 ,600 567 32 ( 7) 午 4 ,800 不 明 33 ( 8 )

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