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郷土コースオープン事業明治神宮から新宿御苑散策 ( 令和元年 5 月 23 日 =11 名参加 ) 一昨年 郷土の会では埼玉県出身 本多静六博士の偉業の足跡を検証するために明治神 宮の森を訪れています 今年の五月から新たな元号 令和 になったことから 新たな気 持ちで明治神宮を訪れて森を散策し 参拝

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Academic year: 2021

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郷土コースオープン事業

明治神宮から新宿御苑散策

(令和元年5月23日=11名参加) 一昨年、郷土の会では埼玉県出身、本多静六博士の偉業の足跡を検証するために明治神 宮の森を訪れています。今年の五月から新たな元号「令和」になったことから、新たな気 持ちで明治神宮を訪れて森を散策し、参拝し、新宿御苑へ足を延ばす企画を野村コース長 に企画していただきました。郷土の会の散策企画事業は全てオープンにしていますので外 のコースの方にも呼びかけしてきました。 21日の天気は大雨だったので、今日の天気はどうなる事かと案じていましたが、野村 さんは晴れ男なので天気の回復も早く、案の定、五月晴れになりました。JR原宿駅10 時現地集合ですから誰が参加する見当がつきませんでしたが、今日は健康コースの奥山さ ん、郷土コースの伊藤さん、吉野さん、小林さん、中島さん、長沢さん、岩松さん、相場 さん、有村さん、野村さん、岡村と11名が集まり、見学コース順に訪れました。 ●まずは、国立代々木競技場は、丹下健三さんの設計により、1964 東京オリンピックのために建設された。築50年以上経過たことか ら、耐震性の確保や 2020 東京オリンピックパラリンピック会場とな るため改修工事中であることからカット。 ★五月晴れ見る影もなき競技場 ●次に代々木公園の昭憲皇太后葬儀跡と閲兵式の松を訪れる。明治天皇の御后であった昭 憲皇太后の葬儀を記念して建てられた記念碑である。お亡く なりになられてこの代々木の地で盛大に葬儀がなされたと のこと、それを記念してこの記念碑が建てられたといわれて いる。近くには「閲兵式の松」がある。 ★明治から令和へ続き風薫る ★五月晴れ黒松の知る昔かな 広告写真を撮っている広場を抜ける左手の林の大木を這 い上る百足を発見し、その動きを見ていると垂直に登にして も安定感あり。百足を見るのは何十年ぶりの遠い向かのこと である。 ★大木を難なく攀じる百足かな ●原宿駅前の神宮橋が炎天下でも明治神宮に来て、大きい鳥居をくぐれば緑陰の続く杜の 涼の世界である。明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后をおまつり する神社で、都会の真ん中にいることを忘れさせてくれる、こ の杜は人工林であることを知る人は少ない。この杜を手掛けた のが埼玉県出身の本多静六博士である。広葉樹林を植えて林自 身で再生していくことを目論み、その通りになっている現実に 目にすればするほど本多静六博士の眼力には驚くばかりである。何と言っても驚くのは外 国人の多いことだ。とくに中国人が多い。我々も緑陰のもてなしを受け、胸いっぱいに酸 素を吸い込んで深呼吸する。 今回は足の具合が悪いにも関わらず参加してくれた三人を含め本殿前で全員の記念写真

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を撮り、お参りしてから三人とはお別れ し、残った八人は北参道へ向かう。 ★新緑や大勢渡る神宮橋 ★大鳥居明治の杜の風薫る ★緑陰や参道長き御祭神 ★何人も心癒さる緑かな ★外国人多き神社や五月晴れ ★炎天や我ら撮るのは台湾人 ★緑陰や深呼吸して通り抜けぬ ★盛り上がる若葉や古葉と入れ替わる ★オアシスや都会の中の杜深し ★緑陰や北へと辿る道しるべ ●明治神宮北参道を抜けて千駄ヶ谷方面にしばらく歩くと、右手へと国立能楽堂の標識が 見えてくる。野村さんの案内では入らないと書かれていた が、ラッキーにも今日は公演がないので館内の食堂がオー プンしており、中に入れることが判ったのでここで昼食を 摂ることにして入館する。能はテレビで見る以外私も知ら ない世界であり、好奇心旺盛な私はわくわくする。食堂は 緑に包まれた中庭も見えて和様式を取り入れた天井も高 く開放感もある。値段も手ごろで皆さん大喜び。食後は閉 じられている能楽堂入口前や、資料展示室を見学して、600年以上も継がれた能楽の歴 史を垣間見ると、参加者一 同から今日はここに来てよ かったとの一言に尽きる。 ボランティア活動のため、 奥山さんとはここでお別れ する。新宿御苑の千駄ヶ谷 門に向かう。 ★若葉して中庭の美能楽堂 ★春の昼手頃な食事有難き ★能面の歴史並べて風薫る ※国立能楽堂は、能楽の保存と普及を図ることを目的として 1983 年 9 月に開場した。日本 の伝統芸能の一つである能楽は、世界の古典劇のなかでも極めて600年以上の古い歴史 を誇るものであり、簡素で集約された演技・演出による独特の舞台芸術として、後世なが く受け継がれるべき貴重なものと解説あり。 ●新宿御苑を訪れるのは半世紀ぶりのことである。当時の植物園の前で撮った写真がある のみで、それ故に当時の面影は何もなく初めての入園に等しい。今年の春から入園料も値 上げされ500円であるが、65歳以上ということで半額とは有り難い。私も入園料は徴 収して維持管理に役立ってほしいと思うので抵抗感はない。新宿御苑の案内パンフを見る と、江戸時代に信州高遠藩主内藤家の屋敷があったこの地に、新宿御苑が誕生したのは明

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治 39 年。皇室の庭園として造られたが、 戦後、国民公園となり、多くの方に親しまれて きた。広さ 58.3ha、周囲 3.5km の庭園 には プラタナス並木が美しい整形式庭園などがあ り、数少ないわが国の風景式庭園の名作と言われているとか。私達老人がこんな広い庭園 を二時間で回り切れるわけがない。野村さんの案内で西側の日本庭園と母と子の森を訪れ て大木戸門に向かうことにした。 ★遠足や保育園児の数多なる ★爺婆も若葉楽しむハイキング ●まずは上の池の末端に建つ旧御凉亭(昭和2年昭和天皇ご成婚記念に建てられた歴史建 造物)を横目に見ながら池のほとりを歩く。右手に茶室・翔天亭や茶室・楽羽亭も見える が寄らず池の畔の景色の良さに見惚れてしまい、カメラに収める。つづいて母と子の森の ラクウシヨウを見に行くというので、最初はなんなのことか判らなかったが、行って見て 判ったのは説明書きを読むと、落葉針葉高木で沼沢地での根元が少し水につかった状態で 自生することが多く。幹の回りに呼吸のための呼吸根が出てくるという。大木の回りに筍 のように生え出している呼吸根をカメラに収めて、東上すると、高木の周辺に神宮の森で も見たモンシロチョウが数多乱舞しているのを発見。帰ってから調べると、「蛾」で今日は 気温が一気に上がり 25℃を超え夏日となり、公園の初夏の風物詩キアシドクガガ飛び交っ ている。「蛾」だという。今日は気温が一気に上がり 25℃を超え夏日となり公園の初夏の 風物詩キアシドクガが飛び交っているという。※ドクガ科に属し黄色い足を持っているこ とから名付けられ毒はない。 ★散歩して水辺の涼を楽しみぬ ★若葉して池の畔の茶室かな ★薫風や御苑取り巻くビル数多 ★竹の子の如く気根も突きだしぬ ★高木に乱舞数多のキアシドクガガ ★緑陰やベンチのアベック外国人 ●新宿門を通り過ぎて、旧洋館御休所着くと、入り口に閉館 の看板がある。ここは天皇や皇族の休憩所として明治 29 年 (1896)に創建され、大正時代後半からはクラブハウスとし て使用されてきたという。毎月第二・四土曜日 10:00~15: 00 公開しているらしい。平成 13 年(2001)重要文化財(建 築)指定されている。 ★洋館は文化遺産や風薫る

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場所でもあり、私は失恋した相手のグループと訪れたこ とがある。今思えばほろ苦い思い出の場所であるが、相 手も80歳に手が届くおばあさんとなると全てがセピ ア色である。半世紀以上の前はこのようなモダンな建物 ではなかった。振り返っても時間の経つ早さには驚くば かりである。 ★夏日射すガラスの中の植物園 かくして新宿御苑の散策も終わり、大木戸門に着いた。 ●次に甲州街道に出て四谷大木戸跡を訪ねる。元和 2 年(1616 年)、江戸幕府により四谷 の地に、甲州街道における江戸への出入り口として大木戸が設け られた。地面には石畳を敷き、木戸の両側には石垣を設けていた。 初めは夜になると木戸を閉めていたが、寛政 4 年(1792 年)以降 は木戸が撤去されている(木戸がなくなった後も四谷大木戸の名 は変わらなかった)。 大木戸近くには承応 2 年(1653 年)に完成した玉川上水の四谷 水番所が設けられ、ここから江戸市中へ配水していた。また、元 禄 12 年(1699 年)には大木戸の西に甲州街道最初の宿場となる 内藤新宿が開設されている。 明治維新後、石畳や石垣は交通の 障害となったため、明治 9 年(1876 年)に撤去されてしまい、現 在では何も残っていない。ただし、現在の交差点上が「四谷大木 戸跡」として東京都指定旧跡となっている。なお、新宿御苑の出 入り口のひとつである大木戸門の名前は、四谷大木戸に因むもの であると解説している。四谷大木戸跡を見学してから新宿御苑大 木戸門にもどり、大木戸門から新宿門までの玉川上水復元水路を 散策して今日の郷土の会企画事業を閉める。 ★炎天やここに門あり大木戸跡 ★水道の歴史の碑読む炎天下 ●玉川上水跡は、承応 2(1653)年に玉川兄弟によって多摩川羽村取水口から四谷大木戸 までの上水路が開削され、翌年には江戸市中に通水した。また、一部区間は、現在でも東 京都水道局の現役の水道施設として活用されている。羽村堰から 43 キロ、武蔵野台地を下 ってきた玉川上水が現在の新宿御苑の東端、四谷大木戸でせき止められ、その先は地下に 設置された石樋などによって江戸市中に配水される。余 った水は余水吐(よすいばけ)として、新宿御苑に沿っ て南に流される。この玉川上水余水吐が渋谷川の主要な 水源になっていた。 私は昨年12月に武蔵野市の玉川上水を見学てきた が、当時の玉川兄弟の突貫工事による水路開削は難儀が ともない大変な工事だったという。それらの積み重ねが 今日の水道事業に至っていることに対して、先人達に敬意を表さずにはいられない。 ★緑陰や江戸の上水真似て見る

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今回は歴史を学ぶ観点から大変勉強になったハイキングでした。主催してくれた野村さ んに感謝!帰りは大宮駅で下車してエキュートでお茶して解散としました。お疲れ様でし た。(郷土の会岡村)

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