イラク日本人人質事件とメディア報道
大場 祐香 大渕 みほ子 岡田 孝子
金澤 哲也
越村 格
OBA Yuka OBUCHI Mihoko OKADA Takako KANAZAWA Tetsuya KOSHIMURA Itaru
沢野 次郎 下井 隆幸 深田 結美 吉村 由理
SAWANO Jiro SHIMOI Takayuki FUKADA Yumi YOSHIMURA Yuri
1.「自己責任論」の論争プロセスとメディア報道の責任 (1)問題意識:「自己責任論」の発端と展開 2004 年 4 月、イラクで起きた日本人人質事件は日本政府、メディア、世論に深い衝撃 と動揺を与え、非政府組織(NGO)のあり方や自衛隊派遣問題もからんで大論争を巻 き起こした。論争の中核となったテーマは、いわゆる「自己責任論」である。 4 月 8 日にファルージャでまず日本人 3 人が人質となり、続く 14 日にはさらに 2 人が バグダッド西方で拘束された。事件は最悪の事態も予想されたものの、翌15 日に先の 3 人が、17 日に 2 人も無事に解放され、解決に向かった。しかしこの間、日本では政府 与党・当局者らの対応、人質の行動や生死のみならず、人質家族らの発言も巻き込んで、 「自己責任」をめぐる論議が急速に高まった。 論議が高まった理由はさまざまに考えられるが、最大の要因は5 人の主張と政府の方 針との間に大きな隔たりがあったことではないだろうか。すなわち、人質の生命と引き 換えにサマワに派遣された自衛隊の「即時撤退」を要求する犯行組織、撤退におおむね 同調する5 人の言動や家族・支援者らの要求と、政府が貫いた方針とが正面から対立し た。この対立の周辺に、政府が本来負うべき海外での邦人保護義務や、政府の渡航回避・ 退避勧告の妥当性をめぐる論議が展開され、またいわゆる「テロによる脅迫に応じるべ きか否か」の論議も加わった。さらには、そもそも論議が二分されていたイラク戦争自 体の是非、日本政府の支持、自衛隊派遣の賛否などが重なり合い、論議は多元、多層的 に拡大していったとみられる。そうした要素が複合した結果、「自己責任論」を盾に国 会議員が人質を「反日分子」呼ばわりしたり、「自己責任論」をめぐって全国紙同士が 賛否を争う状況もあらわれた。 またメディア報道では、一般的に確立されたNGO の機能、役割、活動状況と、人質 たちの行動について明確に弁別された説明や解説が展開されたとは言い難い。混乱や未 整理のままの報道も見受けられた。このため、事件や「自己責任」論争の一端として、 責任ある組織として活動するNGO までが市民からいわれなき批判を浴びる現象も起き た。一定のリスクを背負って活動するNGO にとって、確かに「自己責任」原則は活動 と切っても切り離せないものがあり、その点でNGO が論争に巻き込まれたのは避け難 い面はある。だが、NGO に関するメディア報道が十分とは言えない中で、NGO 活動が
不適切、不正確な形で事件と結び付けられ、国民の誤解や中傷を浴びたとすれば、将来 的にもそのマイナス影響はきわめて大きい。 こうしたメディア報道にさらされる中で、私たちが強い疑念を覚えたのは、3 人を中 心とする人質たちが日本社会のいわば「異質な分子」として排除されていくようなプロ セスが見られはしなかったかという点である。メディア報道に意図的なものがあったに せよ、なかったにせよ、「自己責任論」の行き着いた先は、彼らと家族たちが日本の社 会から深い疎外感の底に沈められたことではなかっただろうか。本来のNGO 活動に対 する適切な理解がメディア側に欠けていたのではないかとの疑問も拭えない。これらを 問題意識として、私たちは人質事件をめぐるメディア報道のあり方を見つめ直し、分析 する必要を強く感じたのである。 (2)分析方法と視点:メディアは責任を果たし得たのか 本研究は人質事件とそれに続く「自己責任論」の問題の大きさに触発され、メディア 報道における論争プロセスが異分子排除とも言える流れに一役買っていたのではないか という素朴な疑問を出発点にした。上記の問題意識に立ってメディア報道の流れを分析 するため、第1 章では事件全体と自衛隊派遣・撤退論議、イラク戦争の是非、「自己責任論」 などの論点について主要全国紙が展開した報道を分析する。続いて、政府・与党、当局者、 人質・家族らの具体的言動に即して「自己責任論」がどんな段階で、誰によってメディ ア報道に反映されていったかを検証する。内容的、量的分析には及ばなかったが、イン ターネット掲示板や週刊誌など他種メディアの動きにも触れる。また若干補足となるが、 そもそも「イラク=危険地帯」との認識を日本人が抱いた具体的きっかけは03 年 11 月、 イラク北部で起きた日本人外交官殺害事件である。そこで、自己責任論争の一つの背景 として、外交官殺害事件をめぐるメディア報道にも触れておきたい。 第2 章では、海外メディアに焦点をあてる。今回のように、自衛隊の実力部隊が海外 派遣された状況下でその撤退を強要する人質脅迫事件が起きたのは、日本政府、国民に とって初めての事態である。メディアにとっても過去に例のない事象であり、発生事件 としての扱いだけでなく、メディアそのものの対応、価値判断、政府方針の評価などが 厳しく問われた歴史的事件であったと言ってよい。そうした状況下で、とくに「自己責任」 をめぐる日本メディアの報道ぶりに海外メディアがどのように反応し、また同種の人質 事件が起きた国々については、それぞれの国内でどう報じられたかを調べ、日本のメディ ア報道との対比分析を試みる。そうした海外メディアの報道が日本メディアにどんな相 互作用や影響を与えたかも検討する。 第3 章では、事件と平行して論議となった NGO とその活動、「自己責任論」や「反日 発言」に着目し、それらがもたらした影響を中心にメディアがどう報じたかを分析する。 本来、人質の行動とは明確に弁別して論議され、注解されるべきであったNGO 活動に 関して、メディアがどこまで適切に報じることができたか。また自衛隊の活動とNGO 活動の違いや共通点、それぞれの限界などについて、メディアが読者や国民に整然と説 明し得たかを検証することを目的とする。 本研究を通じて最終的に問われるのは、前例のない異常事件に直面した日本のメディ
ア、とくに新聞が公器としての責任を果たし得たかどうかである。未検証の課題もあり、 これだけで結論を下せないにしても、メディア報道のあるべき姿を今後も追究し、将来 の研究課題に結び付けていきたい。(以下、登場人物の肩書きは全て当時) 2.政府の責任とメディア (1)はじめに (越村 格) 人質事件が多元、多層的な問題に昇華した大きな理由のひとつに、イラク問題全体を めぐる国内世論の二分化がある。03 年 3 月の米英主導で始まったイラク戦争の是非に始 まり、日本がこれに賛同するか否か、戦後復興に自衛隊を派遣するか否か等々にまで続 いている。二分化はメディアの中でも起こり、とりわけ新聞では、社説を中心に各紙の 間で激しい議論の応酬がなされた。例えばイラク開戦直後の03 年 3 月 20 日には毎日新 聞が「開戦支持の論拠まだわからぬ」と小泉首相の米英武力行使支持に対する説明不足 を批判する一方、読売は「小泉首相の『米支持』決断は正しい」との社説を掲げた。自 衛隊イラク派遣の基本計画が閣議決定された翌日03 年 12 月 10 日には、朝日が「日本 の道を誤らせるな」と計画の反対を打ち出したのに対し、読売は「国民の精神が試され ている」と支持した。このようなイラクを巡る緊迫した国内情況がある中で起きたのが 人質事件である。これを契機に今までの議論が再び盛り上がりをみせることになった。 こうした点を踏まえ、本章ではまず、全国紙3 紙(朝日、毎日、読売)の事件関連の 評論、論説記事の内容、数的分析を行い、各紙の論調、議論の傾向、展開を考察すると ともに、新聞報道の機能、あり方について考えていく。次に事件当事者である政府当局 と人質(家族)の動きとこれを伝えるメディア報道を追うことにより、メディア̶当局 ̶家族の三者がどう影響を及ぼし合ったかを検証する。 (2)メディアは事件をどう伝えたか (越村 格) 事件発生翌日の4 月 9 日∼ 5 月 8 日の約 1 カ 月間、全国紙3 紙(朝日、毎日、読売新聞)に 掲載された記事を「社の意見」「識者の意見」「投 書」の3 項目に分けて分析した。「社の意見」は 社説、朝刊1 面コラム(天声人語、余禄、編集 手帳)、記者の論説・解説記事とし、「識者の意見」 は寄稿や対談など(短評や談話を除く)。「投書」 は投書欄に限った。 ㈰記事数と推移 (a)項目別の記事本数比較 項目別の記事総数(図1)で「社の意見」「投書」 図 1 事件関連記事の各本数 (4 / 9 ∼)
の本数は朝日が一番多い。投書欄(34 本)が多 いのも目立つ。「識者の意見」は毎日と朝日が同 じ26 本、読売 6 本と読売が少なかった。 「社の意見」は社説、朝刊コラム、その他に分 けられるが、内訳はいずれも朝日が多く、社説の 掲載頻度は実に3 日に 1 本の割合にのぼった(図 2)。 (b)記事数の推移 記事は3 紙、3 項目とも発生後 10 日間に集中。 朝日、毎日の「社の意見」は人質解放後の19 日以降減ったが、「識者の意見」は多いま ま推移し、論議の広がりが窺える。解放10 日後以降は全項目とも減り、論議が終息に 向かったことを示した。 ㈪「社の意見」の内容分析 (a)朝日新聞 社説は「そもそも自衛隊を派遣していなければこんな事件も起きなかった」(10 日) と事件と自衛隊派遣の関連を指摘、日本政府の政策を批判した。「事件に象徴される反 米活動の激化の根っこに……米国の占領政策に対する反発がある」(11 日)、「情勢の悪 化を防ぐことが人質解放につながる」(13 日)など、事件の原因と解決を米国の政策に 求めている。人質や家族への非難には15 日社説で「家族をさらに苦しめるような言葉 を投げつけて追いつめることはただちにやめるべきだ」と主張。その風潮を「かつての 日本をつい思い浮かべてしまう」(高成田亨、17 日)、「彼らの行動を否定してしまったら、 NGO 活動全体にも冷水をかけることにならないか」(社説、30 日)などと強い危惧を 示した。自衛隊への言及は人質解放後減ったが、「自己責任論」に触れた論説は、その 後も続いた。 (b)毎日新聞 特徴は、社説よりも記者の意見が多かった点だ。「非戦闘地域がイラクに実在しない と改めて思う」(高橋豊、19 日)、「『そもそも無謀な行動だった』と断罪するのはいか がなものだろう」(与良正男、20 日)など自衛隊派遣に懐疑的で、「自己責任論」に批 判的な言説が目立つ。一方で「『自衛隊派遣のせいでこうなった』というべきでない」(西 川恵、26 日)との意見もあった。社説は「テロに屈しない」との政府の判断を是認しつつ、 「イラクの全体状況も冷静に見通して対応を練る必要」(13 日)のように、自衛隊派遣と 事件を切り離した議論が主で、朝日のように自衛隊派遣やイラク政策に結びつけた論は なかった。「自己責任論」の風潮を慎重に戒めているが、直接触れた社説は1 本にとどまっ た。 (c)読売新聞 社説は「3 人の行動はテロリストの本質を甘く見た軽率なものでなかったか」(9 日) など当初から「軽率さ」を指摘。「人質の安全を望むのは、家族として当然だ。だが政 府の重要政策の変更まで求めることが適切と言えるだろうか」(13 日)と、家族らが政 策を変えさせようとした点を批判して、毅然としたテロへの対応を強調している。朝刊 コラムも「善意でイラクに入った三人が誘拐されたこと自体、矛盾だ」(11 日)、「正し 図 2 「社の意見」内訳
いと信じる目的のためならば手段は常に正当化される̶̶といった幼稚な理屈はテロリ ストと狂信者だけにとどめておきたい」(16 日)と厳しく、主として人質の自己責任を 問う立場だった。 自己責任論批判には、社会部長が事件総括の形で「『自己責任論』は悪者か」と論じた(5 月1 日)。当初、家族や支持者らが「手際よく」政府を批判、自衛隊撤退要求デモを繰 り返したことなどへの違和感を指摘し、「他に責任を転嫁する前に、まず自らの責任を 明らかにするべき」と論じた。「自己責任論批判」に対しては、民間が善、政府が悪と いうのは思い込みだとして、「あまりフェアではない」と反論している。 (d)まとめ メディアの議論は四つに類別できる。第一は、自衛隊派遣に言及したもの。「事件が 起きたのは、イラクがきわめて不安定な状況にあるからで、政府が派遣の前提とした「非 戦闘地域」は疑わしい。犯人の要求とは別に、自衛隊の撤退を含めイラク政策を再考す る必要がある」など、日本政府や米英のイラク 統治に批判的な見方が特徴だ。「自衛隊の活動を もっと周知させることに努めるべき」との意見 もあったが、こちらは数が少ない。 第二は、人質の行動を評価するもの。「行動に 問題もあったが、志は評価でき、それが解放に つながった。日本の対外イメージも上げた」と、 人質らの行動に一応の忠告をしつつ概ね評価し ている。「自己責任論」や人質を批判する勢力、 そうした風潮を批判する。 第三は、人質に批判的なもの。「安全策をとら ずに退避勧告まで出ている地に行くのは無謀。いくら志が高かろうと、自覚が足りない」 などの指摘がされている。「人質や家族を非難する風潮」には言及しない特徴もみられた。 第四は上記以外で、「人質事件はファルージャ問題と密接に関係」、「日本政府は犯人 を説得できる環境を整えるべきだ」「人質と自衛隊は分けて考えるべき」といったものだ。 ㈫「識者の意見」にみる各紙の掲載傾向 以上の「社の意見」を踏まえ、各紙の「識者の意見」を「自衛隊に否定的/肯定的(政 府の対応を支持)」と「人質の行動を評価、同情的/厳しい見方」の2 つに分けて掲載 数と内容を分析した。 (a)自衛隊に関して 朝日の総掲載数26 本中、自衛隊派遣に絡めたものは 16 本に上る(図 3)。否定的な意 見には「そもそも3 人の生命を危険にさらしたのは、ほかならぬ自衛隊派遣という政府 の行動だ」(上野千鶴子、30 日)のように事件とつなげて論じる一方、「『非戦闘地域』 の区別とは別に、自衛隊をいつまでとどめておくのか、真剣な議論が必要」(大西健丞、 18 日)との論もある。肯定的意見では「イラクでの民生支援には危険が伴い、そうし た任務を担うことができるのは自衛隊だけ」(白石隆、16 日)などと評価、「危険だか らこそ自衛隊」の論もみられる。 毎日は6 本と少ないが、朝日と同様に自衛隊派遣や政策に否定的な意見が目立つ。だ 図 3 「識者の意見」にみる掲載傾向 (自衛隊関連)
が、「事件とは別に、自衛隊を撤退させなければ 違法な状況」(水島朝穂、14 日夕)など事件と派 遣への疑問を分けて論じた意見が朝日に比べて 多い。また毎日の傾向として自衛隊関連よりも、 「自己責任論」に力を入れている。読売は総数6 本のうち「政府は揺らぐことなく、既定方針通 り復興支援を進め、国際責任を果たす必要」(志 方俊之、16 日)と「自衛隊派遣とは結び付けて 考えない方がよい」(白石隆、18 日)の 2 本にと どまった。 (b)人質の行動について 朝日の人質行動関連記事は11 本。自衛隊関連 に比べて少ない。「3 人のような市民による支援 活動こそが最後には日本の評価を高める」(池澤夏樹、10 日)のように、「正しいこと」 をしたのだからバッシングはおかしい、との主張が目立った。 一方、毎日は「まさかファルージャで米国が掃討作戦をやっている時に、あのルート を通る日本人がいるとは思わなかった」(池内恵、9 日)など人質に苦言を呈する本数 が他紙より多い。「社(記者)の意見」は逆に評価するものが多く、これを補完する形 になった。「評価」派では「『現場』に行こうとした意思そのものを根本から否定するか の発言は∼国家総動員法時代の回帰だ」(服部孝章、20 日)などがある。特徴的なのは、 「無事救出された人質に向かって、自己責任や費用負担を言い出す政治家や官僚は醜悪」 (佐野眞一、27 日)など、行動の是非に触れずに自己責任論の風潮を懸念、批判する論 説が毎日では比較的多いことだ。読売は人質への苦言(櫻田淳、16 日夕)と、人質批 判がテレビによって感情的に増幅されたことを憂慮したものがあった。 投書の内容では、おおむね上記の各紙の特徴を反映した傾向がみられた(図4)。 (3)政府の責任はどう伝えられたか (下井 隆幸) ㈰邦人保護義務 前節では事件全般の多様な側面をメディアがどう伝えたかを分析した。本節では人質 解放をめぐる政府の責任に絞って検証する。この事件における政府の責任は、少なくと も▽邦人保護、▽自衛隊派遣を含む対イラク政策、そして▽再発防止に関する措置が挙 げられる。まず、邦人保護に関しては憲法第十三条「すべて国民は、個人として尊重さ れる。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない 限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」があり、外務省設置法は、 外務省が国際社会における日本国、国民の利益の増進を図るために、海外での邦人の生 命、身体の保護などを行うことを任務として規定(第三条及び第四条九)している。国 家に邦人保護の義務、責任があるのは言わずもがなのことである。 事件発生後、小泉首相は人質の無事解放に全力を挙げるよう指示した。4 月 9 日、逢 沢一郎外務副大臣を国際テロ緊急展開チームと共にヨルダンへ派遣し、官邸に在イラク 図 4 「投書」にみる掲載傾向 ※重複あり
邦人人質事件対策本部(本部長:福田官房長官)を設置した。逢沢副大臣はヨルダン首 相、外相代行らから支援の約束を取り付け、イラク現地では上村司駐イラク臨時代理大 使らと共に対応した。川口順子外相は8 日、チェイニー副大統領に協力を要請、シリア、 パレスチナ自治政府にも電話で協力を求めた。また犯行グループへのビデオメッセージ を収録、配信した。12 日には小泉首相がチェイニー副大統領と会談した。 一連の対応に対し、毎日新聞は「日本政府が犯人側から突きつけられた自衛隊撤退要 求をのまなかったのも的確な判断だった。政府は邦人保護の重責を果たしたといえる」(4 月22 日社説)と政府を評価した。産経新聞も 16 日の「主張」(社説)で犯人の要求に 応じず、人質救出に全力で臨んだ対応の早さなどを評価、25 日の主張でも「政府に邦 人保護の義務がある。救出に全力を尽くしたことは評価されるべき」とした。また、読 売新聞も「政府は人質三人の救出などに全力を挙げている」(14 日社説)と政府の対応 を肯定的に捉えている。 朝日新聞21 日社説のように、政府内の自己責任論の台頭に対して感情論を排するよ う求め、邦人保護の徹底を促す主張もあった。だが、どの新聞も政府の人質救出行動と 結果に否定的な報道は見られなかった。表現の違いはあっても、自衛隊撤退要求を拒否 し、人質解放に全力を挙げたことが全紙で評価されたことは留意しておきたい。そこに は、4 月 9 日の東京新聞社説が指摘したように「犯行グループの要求を受け入れれば日 本がテロに弱い国と印象付けられ、今後もかえってテロリストたちが日本人を狙って事 件を引き起こし、様々な要求を突き付ける事態を招きかねない」との共通認識があった と言える。フィリピンなどのように、国内メディアの足並みが大きく乱れる現象は起き なかった。最終的に人質が解放されたこともあって、事件後の政府の対応は国民世論の 間でも適切だったとの判断が形成されたのではないか。各紙世論調査でも政府の対応を 評価する割合は高く、読売新聞の17、18 日の調査では 74%、朝日新聞の 16 日の調査 でも73%の高支持を得ている。 ㈪自己責任論をめぐるメディア同士の論争 このように政府の行動は評価されたものの、事件解決前の時点から政府閣僚が自己責 任を持ち出したことには大きな疑問を覚える。人質家族の要求に違和感があり、またそ れが国の政策に関わる主張であったとしても、一般個人に対して発言すべきものであっ たかどうかは、論議を呼ばないはずがない。一部週刊誌やインターネット掲示板では、 人質や家族の経歴、プライバシーに立ち入って暴くものもあった。その引き金になった のが政府関係者の「自己責任論」であったとすれば、国民のプライバシー擁護という観 点からも重大な人権問題である。その経過は次節で詳しく検討するが、今後政府、メディ アがともに反省し、検証すべき点であると思われる。 無視できないのは、犯行組織の要求に大きな政治性が込められ、それが日本の国内政 治に直結していわばハレーションを拡大したことだ。政府がイラク戦争を支持し、自衛 隊を派遣した責任を問う声が上がり、メディア同士の論争が起きたのもそのためだろう。 朝日新聞の4 月 10 日社説は「そもそも自衛隊を派遣していなければ、こんな事件も起 きなかっただろうと考えると、いたたまれない思いだ」と述べ、翌11 日社説も「もし この戦争を支持せず、自衛隊を送らなかったら、日本人がこんどのような人質事件に巻 き込まれる危険はけた違いに小さかったろう。国民にはそんな思いが強まっている」と
指摘した。これに対し、読売新聞の13 日社説は「自衛隊が派遣されたから、人質事件 が起きたという主張は、それ自体がテロに屈する論理」と正面から反論、犯行組織に責 任を求めた。毎日新聞は13 日付特集欄で事件と自衛隊派遣の関係について大学教授の 意見を掲載した。「最初の拘束声明で人質解放の条件として自衛隊撤退を挙げているの だから、無関係なはずはない。しかし、自衛隊が派遣されていなかったとしても、同様 の事件が起こった可能性はある」と原因の一部を自衛隊派遣に求める一方、全ての責任 を自衛隊派遣に帰してはいない。 ㈫再発防止義務──まとめ 人質は全員無事解放されたが、政府には事件再発防止義務もある。事実、半年後には 香田証生さんが惨殺される事件が起きた。特定地域への渡航禁止を求める意見は、憲法 第二十二条「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有 する。何人も、海外に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない」との関連や救出 費用の負担などをめぐる議論に終始した嫌いがある。その半面、すでに13 回の退避勧 告が出ていたにもかかわらず事件が起きた以上、退避勧告が徹底されていたとは言えな い。現実問題として、政府はメディア、空港、航空会社、旅行代理店などを通じて旅行 者に周知徹底を図る必要があったのではないか。またメディア側にもそうした現実的対 応策に関する提案は見られなかった。 (4)自己責任論と政府、家族、メディアの対応 (岡田 孝子) ㈰早い時期に登場した「自己責任論」 事件発生から人質解放までの流れを追うと(1)、かなり早い時期から政府側が「自己責 任」を言い出していることがわかる。第一報の翌日(9 日)に小池百合子環境相が「(人 質の行動は)無謀ではないか。一般的に危ないと言われているところにあえて行くのは 自分自身の責任の部分が多い」と発言したのをはじめ、12 日午後の記者会見で、竹内行 夫外務事務次官が「邦人保護に限界があるのは当然だ。自己責任の原則を自覚して、自 らの安全を自ら守ることを改めて考えてもらいたい」と語った。3 人の安否が判然とし ないうちから、「彼らの行動は無謀で、政府に迷惑をかける困った人たち」といった意 識が存在したのではないかとの疑問も生じる。 そうした状況を考えつつ、メディア報道を通じた政府の責任と家族側の対応について 考えてみたい。なぜ日本中を「自己責任」の言葉が駆け巡り、すさまじいバッシングが 起こったのか。事件が終わって振り返ると、結局は「テロに屈せず」を貫いた政府、小 泉首相の評価は上がった(2)。反対が上回っていた自衛隊派遣についても、賛成が逆に上 回る結果になった。その勢いにのってさらに多国籍軍参加や派遣人員増加へと続き、政 府を利することになった感が否めない。 ㈪家族への反動と家族側の変化 政府の対応の一方で、人質家族らを支援する市民団体などの活発な救援活動が展開さ れた(3)。一部は自衛隊撤退を要求する抗議集会やデモなどに流れ、ある意味で事件を利 用した政治的動きと見られた。そもそも過半数の世論がイラク戦争や自衛隊のサマワ派 遣に反対だったにもかかわらず、十分な説明を欠いたまま決断を下した政府への批判が
政府批判勢力の間に充満し、事件をきっかけに噴出した形である。そうした批判勢力に 対するいわば防御本能として早い時期から「自己責任論」へつながり、それを受けた保 守系メディアの人質バッシングをあおる展開となったのではないだろうか。政治の思惑 が渦巻く荒波の中に、突然、人質やその家族が投げ込まれた形だったとも言える。 家族側の行動にも変化が起きた。9 日の会見で自衛隊撤退を含む対応を要求していた 家族側は11 日の段階でも、川口外相がアルジャジーラ放送で犯人向けに「自衛隊もイ ラク復興のために派遣されている」と呼びかけたビデオメッセージに強く反発し、この 部分の削除を求めた。しかし、当初の殺害期限とされた3 日間が過ぎると、家族たちは 与野党幹事長を訪問し、解放への協力を改めて要請した。政府への要求や追及姿勢も穏 やかとなり、「ご迷惑をおかけしています」「失礼な態度をお許し下さい」などと頭を下 げ続けた(12 日)。同じ日、高橋はるみ北海道知事は「自己責任の論議は事件が解決し てから。(家族たちの)窮状を考えたら、できる限り手伝うのが私たちの気持ちだ」と 政府とはかなりニュアンスの違う発言をしている。13 日には、イタリア国籍の 4 人を 含めてさらに多数の外国人人質事件が発生、邦人家族たちは「自衛隊撤退」の要求を口 にしなくなり、「(世論やメディアの)批判を謙虚に受け止めなくてはいけない」と発言 するようになった。 ㈫「自作自演・ヤラセ」問題 事件の中でとりわけ特異だったのは、人質の3 人が事件を自作自演したとする「ヤラ セ説」である。この問題についても触れておきたい。事件の第一報が日本にもたらされ た8 日夜から、一部のインターネット・メディアにそうした情報が書き込まれ、あっと いう間に他のメディアにも広がった。「ヤラセ説」を取り上げたメディアは、産経新聞、「正 論」、「諸君!」、「週刊新潮」などだが、例えば産経新聞は人質解放後もこの流れが続き、 21 日付一面トップでは「3 邦人人質ビデオ──日本語話す人物存在」と報じている。同 紙は解放を報じた17 日付一面でも「悪いのは自衛隊」、「なぜ警察がいる」、「聴取に不 快感」などの人質バッシングを助長するかのような見出しをつけていた。 ㈬解決後も続いた人質批判──まとめ 政府・与党側からの人質批判は、解放後も続いた。「政府は事件にかかった費用を国 民に明らかにすべきだ」(16 日、冬柴鉄三・公明党幹事長)、「家族はまず『迷惑をかけ て申し訳なかった』と言うべきで、自衛隊撤退が先にくるのはどうか」(同、井上喜一 防災担当相)をはじめ、同趣旨の発言が平沼赳夫経済産業相、麻生太郎総務相、石破防 衛庁長官らからも続いた。見過ごせないのは、人質の住所がある新聞のサイトに掲載さ れたり、インターネット掲示板に書き込まれたりしたことから、彼らの自宅に中傷の手 紙が大量に送られた(4)ことである。また3 人を乗せた飛行機が羽田空港に到着した際、 一部の批判者たちが「自己責任」、「税金泥棒」などのプラカードを掲げて非難する光景 もみられたという(5)。 「自己責任論」にもとづく人質バッシング全体について、政府が主導したとは必ずし も言い切れず、その証明もない。だが、一部メディアやインターネット掲示板などがバッ シングに大きな役割を果たしたことは否定できない。イラク戦争に関しては、大量破壊 兵器が最後まで発見できなかった問題をはじめとして、本来国民が真剣に考えなければ ならなかった問題(日本政府の戦争支持、自衛隊派遣、対米外交のあり方など)が結果
的にかき消され、政府が問われるべき責任も見えなくさせてしまった。私たちは無意識 のうちにメディアが真実を伝えるものと思いがちだ。だが、事件の経過を冷静に振り返 ると、情報が常にどこかで操作されるものであるということを改めて心に留める必要が あるのではないか。 (5)補節として:日本人外交官殺害事件とメディア報道 (大場 祐香) ㈰事件の経過 本節では03 年に起きた日本人外交官殺害事件でメディアが伝えた政府の責任を分析 する。外務省が04 年 5 月 12 日発表した「イラクにおける外務省職員殺害事件(事件の 状況・経緯)」によると、03 年 11 月 29 日午後 1 時過ぎ、奥克彦在英日本大使館参事官 と井ノ上正盛在イラク日本大使館三等書記官は、復興支援に関する「国際機関/NGO 復興会議」(1)出席のため、国道1 号線をバクダッドからティクリートへ大使館館用車で 移動中、ティクリートの南約30km の地点で何者かに銃撃された。館用車はトヨタの 99 年製ランドクルーザー(黒)で、一定の拳銃弾に抗し得る程度の防弾仕様が施されていた。 レバノン外交団ナンバー(D-242-10)だったが、安全対策上ナンバープレートは前後と も外し、車内に保管してあった。警護車両や武装警護員は同行せず、防弾チョッキやヘ ルメットも携行せず、目立たなくする対策だったという。12 月 2 日、逢沢一郎副外相は、 自民党外交・国防合同部会で在外公館警備について「自衛隊に守ってもらうように法改 正すべきだ」との考えを表明した。 ㈪当初の報道 朝日、読売、毎日各紙は12 月 1 日朝刊で「邦人 2 外交官殺害」(朝日)「日本大使館 員2 人殺害」(読売)、「日本人外交官 2 人殺される」(毎日)と一面で扱った。読売社説 は「2 人の殺害は痛ましい犠牲であるが、自衛隊の派遣をはじめ日本のイラク復興支援 が後退することがあってはならない」とし、5 日社説で「2 人の死を無駄にしないため にも、日本は国際社会の一員としてイラクの復興支援に一層の責任を果たさなければな らない」と述べた。毎日は「日本政府にある種の『誤算』や『油断』」があった」と述べ、「日 本政府はイラク情勢に十分な知識を持っていると言えるのか、現状で自衛隊派遣に関す る基本計画を週内に閣議決定するのが適当か」の二点を指摘した。朝日は「ナンバープ レートをつけない黒の四輪駆動車は、米占領当局の要人移動に使われていることが知ら れていた」と指摘し、「2 人はバクダッド陥落後の 4 月、日本政府から真っ先に米復興 人道支援室(ORHA)に派遣された。米政府の一機関に過ぎない ORHA への人員派遣は 『占領行政に加担する懸念がある』との批判があったが、小泉首相が問題ないと決断した」 と報じた。同日の社説は「『たじろぐな』では済まぬ」、「政府はこの事件を機に、イラ クの混迷の原因をはっきりと見据え、復興支援のありかたを根本から再検討すべきであ る」と、政府が自衛隊派遣を見直すべきで、「復興支援が進むような確かな土台を国際 社会と共につくることが、亡くなった二人の遺志を生かすことに通じる」と論じている。 ㈫「英雄化」と本質追究の喪失 毎日、朝日の自衛隊派遣反対または慎重な意見は、その賛否は別としても事件の再発 防止や外交官の安全を講じるべき政府の責任を論じたものとして当然であろう。だがそ
の後、こうした政府の責任を検証する記事は急速に消えてしまった。なぜ、そうなった のか。 各紙の紙面は政府の責任を問う代わりに、犠牲者への同情へ導いたり、英雄に仕立て るような内容の記事であふれていった。1 日は「『復興の志』半ば」(朝日)、「『常に現場』 無念の死」(読売)「イラク復興志半ば」(同)、「復興に奔走した日々」(毎日)。その後 も「悲劇繰り返さないで」(朝日、2 日)、「つぶやきつつ穏やかな最期」(同、3 日)、「涙 で出迎え」(毎日、5 日)、「無言の帰国」(読売、5 日)、「外務省に別れ」(同、6 日)な どと続く。新聞に限らず、各テレビ局、雑誌も2 人を英雄と扱う企画が多かった。奥氏 と井ノ上氏の扱いには偏りがあり、奥氏の生い立ちの紹介が圧倒的に多く、学生時代に 所属していた早稲田大学ラグビー部のOB とのインタビューも積極的に行われた。 ヒューマン・インタレスト(人間的興味)もジャーナリズムの要素であり、国民の同 情心を煽る報道に必ずしも問題があるとは言い切れない。しかし、一種のワイドショー 化された報道でメディアが一様に覆われてしまった結果、本来メディアが追究すべき部 分、すなわち政府の責任や外交官の安全確保の問題がうやむやにされた一面も否定でき ない。本来報道されるべきテーマは、2 人の輝かしい任務遂行を掲載する記事やテレビ 報道に消えてしまったのである。 (6)まとめ (越村 格) 人質事件は、人質の行動から政府と個人のあり方まで議論の広がりを見せた。新聞は、 論説(言論)機能や、さまざまな議論が交わされるフォーラム(広場)性を備えたメディ アとされているが、今回の事件ではそれらの機能をどの程度発揮できたのだろうか。 記事分析では、各社で論調がかなりはっきりと分かれ、各項目掲載記事なども概ねそ れに沿った傾向にあることが分かった。発生当初は事件と「自衛隊・イラク政策」を中 心に論が進められた。朝日は、自衛隊派遣など政府のイラク政策に反対の立場から、事 件の原因をそれらに求めたのに対して読売は、イラク政策の支持、自衛隊派遣は自明の こととした上で、原因は人質個人の「無謀」「独善的」な行動の結果である、と位置付 けた。毎日は、社説では、解決をイラクの治安回復や日本の多元的な外交努力に求め、「自 衛隊派遣か個人か」といった原因をめぐる議論は社説以外の欄で補った。 議論はその後、人質やその家族の行動の是非、そこから巻き起こった「自己責任論」 に対する言及へと移っていく。ここでは朝日・毎日は、人質家族を批判する「風潮」に 懸念を示すが、事件の原因を人質の行動に求めた読売は、「風潮」については言及せず、 専ら「自己責任」を問う立場に終始した。また特徴として、他2 紙に比べ、社外の意見、 反対意見が際立って少なかったことも指摘できる。 焦点が「自己責任」に移ってからは、人質や家族のプライバシーや言動、行動にも注 目が集まった。とくに早い段階で政府・与党方面から「自己責任」を問う声が出始めた ことや、家族の発言が日に日に変化し、政府に感謝したり、国民に謝罪させたりするに 至った経過については、メディア報道自体もそのプロセスの一部となった観があり、特 異なものに映った。その過程をメディアはどこまで検証できたのか。そうした検証なし に、責任を人質の行動に集約させ、議論の広がりや他の視点を取り入れることがなかっ
た一部の紙面展開には疑問を抱く。他方で、そうした流れに懸念を示した新聞も、家族 の行動を変えさせた犯人を日本全体の「風潮」という曖昧なものに収斂させ、単純化さ せた傾向は否めない。また、風潮に限らず、全紙押しなべて評価した「テロに屈しない」 という政府対応も、解放にどこまで貢献したかは必ずしも明らかではない。その後に起 きた拉致事件でも、そうした経過を改めてメディアが追及したとは言い難いのではない か。 人質事件はさまざまな視点、議論を提供したが、それを伝える各紙面は、全てを深く 掘り下げた上で問題点を整理していたとはいえない。また個々の事象においても、賛否 両論を遍く掬い上げる、多角的な面から事象を掘り下げる、といった新聞報道の特長を どこまで発揮できたのかにも疑問が残った。イラクは治安の悪化が続き、メディア各社 とも満足な取材活動ができない状態が続いている。イラク問題を考える上で、今回明ら かになった問題点と、こうした状況を踏まえつつ、新聞を含むメディア報道のあり方を 見極める目が必要である。 3.外国メディアはどう見たか (深田 結美、吉村 由理) (1)はじめに 人質事件をきっかけに、日本国内で「自己責任」を問う声が強まった時、まるで犯罪 者の如く扱われる被害者3 人の様子をいち早く批判的に捉えたのは外国メディアであっ た。人質や家族の置かれた状況を「いじめ」や「非道」と受け取り、非難を込めて配信 したのである。これを受けて、日本メディアに「擁護派」と「批判派」が生じ、世論も 二極化していった。一部の新聞、テレビ番組では海外メディアの反応が「正常」で、「批 判派」を異常とするかのような報道もあり、「客観的」「中立」であるべき「メディアの 責任」も問われた。本章では、外国メディアが報じた「日本の自己責任論争」と外国で 同様の事件が生じた際の報道を比較し、世論の反応を交えて分析した。その際、外国メ ディアが批判的であったことを踏まえ、「日本社会は異常なのか?」との仮説を軸に考 察した。改めて日本のメディアの在り方を検証することがその目的である。 (2)「自己責任論」に対する外国メディアの反応 ㈰アメリカ・イギリスの報道について イラク派兵の主力国、アメリカ・イギリスの主要メディアは、事件をめぐる日本の様々 な「混迷」に強い関心を示した。事件発生後、4 月 12 日付米ウォールストリート・ジャー ナル紙は、チェイニー米副大統領訪日とからめて「日本の平和主義の試練」と報道。「戦 後の平和主義を維持しながら、米主導の安全保障活動で役割を拡大することがいかに難 しいか」を事件が示していると分析した(1)。また解放後に帰国した人質たちが日本国内 で非難の声を浴びていることを驚きを持って伝えている。英ガーディアン紙は20 日付
で「思いやりは祖国で終わった」と、やや控えめながら世論の反応を批判。かつての日 本赤軍ダッカ事件や、サマワに派遣された自衛隊の状況なども挙げながら報じた。また 22 日∼ 23 日付の米主要紙には「OKAMI(お上)」、「JIKOSEKININ(自己責任)」といっ た日本語が並び、「西側諸国とは全く違う現象だ」と、「特異性」を強調する論調が見て 取れる(2)。 23 日付のニューヨーク・タイムズ紙は東京発の一面記事で「解放された 3 人は黄色い リボンに温かく包まれるどころか、国民の冷たい視線にさらされた」と記述。パウエル 米国務長官の『危険を恐れない国民がいることを日本人は誇りに思うべき』との発言を 引用して日本の反応に異議を唱えた。さらに「3 人は OKAMI にたてついたために、罪 人にされた」とバッシングを分析、高度に洗練された日本都市の深層に「旧弊な社会構造」 が潜んでいると捉えている(3)。またロサンゼルス・タイムズ紙は「敵意の渦中への帰還」 の見出しで特集し、小泉純一郎首相が人質たちを「自己責任論を振りかざして非難した」 と報道。カナダの人道援助活動家の人質が地元で温かい歓迎を受けた例と比較した。 米フォーブズ誌アジア太平洋支局長のベンジャミン・フルフォード氏は、立教大学で 開かれた座談会で、日本の「自己責任論」を「きわめて異質で、世界の常識から外れた 議論。いまだに理解できない」と述べ、「日本人の『族意識』や集団主義が問題では」 と指摘した。「自己責任イコール当たり前」と捉える西側的認識から考えると、議論に なるということ自体に「違和感」を感じるという。 日本人人質事件後も外国人人質事件は後を絶たず、米英の犠牲者も増え続けた。「自 国の民間人犠牲すら大騒ぎしない」「日本のような現象は起こらない」とされた米英の 状況にも変化がみられる。9 月 16 日に拉致された英国人、ケネス・ビグリー氏の事件 は英メディアで大々的に報じられ、反戦世論をさらに刺激。家族もテレビ出演してブレ ア首相の対応を批判した(4)。英政府は方針を覆して武装組織と交渉したが、10 月 8 日、 ビグリー氏は殺害された。11 月 16 日には、別の英国人、マーガレット・ハッサン氏も 殺害と報じられた。イスラム教徒、しかも女性に危害を加える行為はイスラム教義上も 正当化は困難で、事態はますます混迷を極めているといえよう。 ㈪他のヨーロッパ諸国の報道について 日本の「市民社会の出現」や「NGO 運動の高まり」を評価する一方で、日本政府やメディ アの対応、「日本に根強いタテ社会」「お上意識」への批判的論調が目立つ。イラク戦争 に反対し、派兵もしていないフランスでは、4 月 17 日付ル・モンド紙が「日本 高揚 する人道主義」と題して「自己主張がなくとらえどころがない若者が多い中で、人質の 3 人のように社会に貢献する若者もいる」と紹介。20 日付では、政府・与党内で「自己 責任論」が台頭していると報じた(5)。「日本人は人道主義に駆り立てられた若者を誇る べきなのに、政府や保守系メディアは人質の無責任さをこき下ろすことにきゅうきゅう としている」と批判し、解放後の人質が「イラクで仕事を続けたい」と発言したことを きっかけに、「日本政府と保守系メディアに無理解と怒号が沸き起こった」と指摘。「こ の慎みのなさは制裁まで伴っている」とし、「人質家族に謝罪を要求」した上に、健康 診断や帰国費用の負担を求めたと批判した。また「人質たちの行動は、死刑制度や難民 認定などで国際的に決してよくない日本のイメージを高めた」と評価、ここでもパウエ ル発言が引用されている。28 日付は「ゆっくり右傾化していく日本」との見出しで、靖
国神社参拝や義務教育での国歌斉唱、国旗掲揚問題に言及し、「日本の潜在的な右傾化」 を指摘した(6)。 4 月 15 日付の南ドイツ新聞は「誘拐された日本人家族に口かせ」と報じ、ヘンリック・ ボルク東京特派員は、「自己責任論」が自衛隊駐留への国民の疑問やわだかまりを覆い 隠すために使われているようにみえると指摘。外務省の退避勧告についても「危険に関 する判断は、ジャーナリスト、非政府組織関係者、外交官など個人で異なる。すべての 個人が渡航すべきでないとの考えは奇妙」とし、「事件の被害者を非難することで、政 権に都合の悪い自衛隊派遣問題の責任回避を図っているのではないか」と分析した(7)。 一方、拉致された4 人のうち 1 人が殺され、その死を「英雄」と呼んだイタリアでは、 ANSA 通信が日本の人質状況を「批判と冷淡さ」と題して報じた。20 日付のイル・マニフェ スト紙は、3 人が「政府寄りでなく無垢な平和主義者」であるために、「メディアや政府 が彼らを虐殺しようとしているのだ」と強く批判し、週刊新潮や夕刊フジ等のプライバ シーにまで立ち入った「非難」を紹介。もしも3 人の「傲慢な厄介者」が政府の言う通 りに演じていれば、1 人約 4000 ユーロとされる身代金を日本政府は喜んで払っただろう、 と報じた。同紙のピオ・デミリア極東特派員は、立教大学での座談会で「ボランタリー で尊敬に値し、 良い日本人 である彼らをなぜ非国民扱いするのか。『自己責任』はむ しろ小泉総理に問うべきだ」と強い「違和感」を訴えている。 だがその後、バグダッドで拉致され、9 月 28 日解放されたイタリアの NGO「バグダッ ドへの懸け橋」女性スタッフに対して、日本と同様の「自己責任論」が噴出しているの は興味深い現象だろう(8)。「イタリア部隊撤退を含む訴えが必要」「テロと抵抗を区別す べき」という元人質の発言を発端に、親米路線を貫く右派政治家や保守系メディア等が 反発し、「政府に公式に感謝しないのはおかしい」「帰国費用を本人に払わせろ」などの 批判が集中した。「否定的な他者」を認めず、攻撃したり排除する構図がここにもみら れる。もはや「自己責任論」は「日本特有の、奇異で異常なもの」ではないのかもしれ ない。 ㈫アジア・オセアニアの報道について 「自己責任論」をめぐる報道は欧米に比べて少ないが、トーンはおおむね共通している。 韓国の東亜日報は「まるで罪人」「村八分」と指摘、「日本のように人質が謝罪する国は ない。日本特有の集団主義という以外、説明できない」と報じた(9)。またハンギョレ新 聞の孫 錫春(ハク・ソクチュン)論説委員に、「自己責任論争」と自国の人質殺害事件 との比較を尋ねた(10)ところ、直接的言及は避けた上で「外国軍の撤退」と「イラク戦 争批判」を強く論じた。また中国・深 の日刊紙「南方都市報」は自己責任論について「国 民に対する政府の義務に明らかに反し、国民の権利は空虚であいまいな偽りの概念とな り、残るのは『国家利益』のみとなる」と指摘、「日本の侵略戦争の動員の論理」と批 判した。 立教大学での座談会で、アジアの意見を代弁したスリランカ人のスヴェンドリニ・カ クチ特派員(伊IPS 通信)は「自己責任論」がどうこうではなく、「アメリカとの関係 で利益が多かった日本がはじめてマイナスを受けた事件」と論評した。またシンガポー ルのメディアがプライバシーに触れて人質を非難する記事(11)を載せたとして、「日本と 同様に非道」と非難した。トルコなどの中東・アジア諸国は外貨獲得のために、フセイ
ン政権崩壊後すぐにイラクでビジネスを再開したが、米英に対する怒りの矛先がこれら の国民に向けられた形となった。12 人のネパール人殺害のニュースは悲劇としか言いよ うがない。一方、日本の人質事件と同時期に起きたオーストラリア人ボランティア女性 の人質事件では、本人がハワード首相を批判したためにメディアから非難された(12)と 伝えられる。社会的論議には至っていないようだ。 (3)まとめ 朝日新聞の集計によれば、04 年 4 月以降 12 月までに約 30 カ国 240 人以上の外国人が イラクで人質となり、うち約40 人が殺害された(13)。外国人人質事件急増の発端となっ たのは日本人人質事件だとする見方もある。フセイン体制は崩壊したものの、イラク人 にとっても国際社会にとっても、戦争はまだ終わっていない。開戦当初、「戦争支持」 が圧倒的多数を占めたアメリカに対し、開戦支持に世論が二分されたイギリス。そして 米英と鋭く対立したフランス。開戦時の経過や大量破壊兵器が発見されなかった事実な どを振り返ると、日本の立場は憲法九条の意味から考えても大変微妙なものであったこ とは周知の事実だ。 「自己責任論争」についても、各国の価値観や文化の違いもあり、外国メディアに指 摘されたからといって急に「被害者擁護」的な主張をするのでは、日本のメディアは「短 絡的」と言わざるを得ない。香田証生さん事件では発生直後から「最悪の事態も止むなし」 の風潮があり、「自己責任論」をめぐる明確な総括ができているとはとても言えない。 今や軍人も民間人も、復興支援ボランティアも、関係なく人質になるイラク情勢を考 えれば、この論争をきっかけに「政府」「世論」「メディア」三者間の関係が一方通行であっ てはならないと強く感じる。通信・交通の発達、インターネット普及が地球を一体化し、 グローバル化が進んでいる。香田事件は不幸な結果となったが、日本のメディアにでき ることは果たして何もなかったのか。メディアに身をおく人たちはそのことを考えるべ きであろう。また、「世論」の構成者でもある私たちひとりひとりが、膨大な情報を取 捨選択し、見極める「リテラシー能力」を身につけなくてはならない。「自己責任論争」 はそれを私たちに教えてくれたのかもしれない。 4.メディアは NGO についてどう伝えたか (1)はじめに (金澤 哲也) 人質事件が報じられると、従来からあった「自衛隊不要論」に加えて、事件が起きた のは自衛隊派遣のせいであり、NGO に復興支援を委ねていれば事件は起きなかった、 とするメディアの論調が勢いづいた。また「NGO」が新聞やテレビで頻繁に取り上げ られたのもこの頃である。しかし、当時の日本のNGO に果たして自衛隊以上の活動が できたのだろうか。メディアはNGO 組織や活動の実情を踏まえて報道していたのだろ
うか。本章では、まずこれらの疑問を軸にメディア報道とNGO の現実を検証する。後 段では、「人質事件報道で『NGO =反日』という誤ったイメージがつくられていないか」 という問題意識の下に、二つの事例に即してNGO がどのように報じられたかを分析す る。メディアがNGO に対する充分な理解と実態を踏まえて報道したかについて考察し たい。 (2)NGO に代弁させたメディア̶̶人質事件を通して見た NGO 報道の問題点 ㈰「NGO 優先」論と NGO の活動実態 事件前の04 年 2 月から事件発生までの約 2 カ月間に、NGO を復興支援の要にすべき との主張が数多くメディアで掲載または報道されている。主として費用対効果をうたっ たもので、TBS テレビでは、PWJ 代表が具体的金額も提示して活動を比較していた。「非 軍服でも支援可能」(毎日新聞、2 月 9 日付)、「友達ほっとけぬ」(朝日新聞、3 月 20 日付) など、自衛隊派遣反対や、隊員の危険手当でスクールバスが買えるとする報道もあった。 「自衛隊だけでは解決不可能」(毎日、3 月 5 日付)のように自衛隊批判ではないが、総 合的支援の必要性を訴えた記事や、「非武装であればこそ人々の間に入れる」(同、3 月 3 日付)、「記者の目・復興支援指揮は NGO に」(同、2 月 5 日付)などの指摘もあった。 しかし、外務省によると当時、「日本NGO 支援無償資金協力」を実際に得ていたの は1 団体(日本・イラク医学協会、2004 年 2 月 17 日契約、支援内容:医療器具の提供) のみで、他団体からは申請すら出ていなかったのが現実だ(1)。実質的に現地に職員が常 駐していなければ自衛隊に代替する活動ができないことを裏付けるもので、代替案なき 自衛隊派遣批判は、具体性のない主張と言わざるを得ない(2)。仮に自衛隊派遣がなかっ たとしても、治安の悪化に伴い日本のNGO が職員を避難させていたことは想像に難く ない。「自衛隊派遣=人質事件の原因=NGO 活動ができない」という単純な結びつけ は成り立たない。現にイラク戦争に反対し、派兵も拒んでいるフランスやロシアの民間 人らも被害に遭っている。テロが無差別化する中でNGO 活動を継続する難しさは、時 間の経過と共に必然的に生じた状況ではなかったか。 しかも各団体は事件発生前にすべての邦人NGO 職員を撤退させていた(3)。「現地職員 に移管しているので業務に支障がない」と言うNGO(4)ですら、WEB サイトに最新の 活動状況として掲載しているのは、6 月 17 日時点の内容にとどまっていた(8 月 15 日 現在)。 ㈪自衛隊並みの活動ができたか 自衛隊の活動状況も検証する必要がある。新聞報道では詳細が語られず、否定的な内 容も少なくない。専門紙から導き出した活動の数値(04 年 6 月資料より)は、▽ 1 日 平均給水量 145 トン▽ 1 日平均受益者数 36,357 人▽隊員 1 人当たりの被支援者数 66 人で、他に学校修復、道路補修なども行っている(5)。相当するNGO 側の数値がないた めに単純比較はできないが、自衛隊の活動は現地で喜ばれているとの報道もある(6)。 ㈫まとめ あるNGO はイラクでの活動実績を紹介し、「自衛隊よりも安く支援できる」と主張し たが、この団体は支援地域が限定的で、イラク特有の民族分布を考えると支援が偏りが
ちなことも否定できない。下図にイラクの人口と宗教宗派分布を見ると、民族的に2 つ に大別され、さらにイスラム教徒も二分されている。イスラム各派の宗教指導者による 対立があり、根本には部族制度もある(7)。支援が地域限定的であれば民族、宗教、部族 的枠内での支援となりがちで、他地域でも同じように進む保証はない。そうしたきめ細 かい分析や理解は、新聞報道では十分に触れられていないのが実情だ。自衛隊派遣決定 から人質事件を経た後も治安の悪化は続いている。そうした中で「自衛隊派遣のせいで 人質になった、というべきでない。ジャーナリストもNGO も所与の条件下で活動する よう運命付けられているからである」(毎日、4 月 26 日)との指摘もあった。 自己責任論をめぐって世論が揺れる中で、NGO は十分に組織的体力をつけ、目的を 黙々とこなし、自他共に認める組織となることが期待されている。メディアの側には NGO 活動の実態を知らずに意見を偏重した不勉強さと、ひたすら対立構図を描こうと するかのような姿勢も感じられたことを指摘したい。NGO と自衛隊それぞれの組織力、 力量、能力、活動目的などについて感情的でなく客観的に検討を深め、両者を適切に組 み合わせた官民協力体制、相互補完体制を築く方向が求められているのではないか。 (3)「反日分子発言とメディアの NGO 報道」 (大渕 みほ子) ㈰二つのケース 人質事件後、メディアでは頻繁に「NGO」という言葉が使われた。「NGO」の内容が よく説明されないままに、報道機関にうまく使い分けられたのではないかとの疑問が残 る。以下の二つのケースに沿って、人質事件報道を通じて「NGO =反日」の誤ったイメー ジが作られていなかったかどうかについて考察する。 ケース 1:柏村議員の「反政府、反日的分子」発言 自民党の柏村武昭参議院議員(広島選挙区)が4 月 26 日の参院決算委員会で「人質 の中には自衛隊イラク派遣に公然と反対していた人もいるらしい。仮にそうなら、そん な反政府、反日的分子のために血税を用いるのは強烈な不快感を持たざるを得ない」と 述べた。その後、野党から「反日的分子との発言は不穏当」などの意見が出て、発言削 除や訂正を含め理事会で協議し、5 月 31 日に「反日」などの表現を議事録から削除す ることが決まった。柏村氏は「(発言は)間違っていない」と述べ、自身は撤回しない 意向を示した。 ケース 2:特定非営利活動法人「国際協力 NGO センター」(JANIC)へ批判電話が殺到 人質事件発生後、JANIC へ人質や家族の言動を批判する電話が殺到した。職員の鈴木 真里さんによると、昼過ぎのワイドショー放映時間帯に殺到し、多い時は一日20 件程 あったと語る。中年層の男女が多く、「政府に反抗するなんてとんでもない」「高遠さん の連絡先を教えろ」などの内容で、NTT の電話番号サービスで紹介されて JANIC にか けてきたことが分かったという。大半はNGO が一つしかないかのように勘違いしてい たり、全くNGO を理解していない様子だったと語る。ケース 1 は「人質=反日」とい うメッセージを与えた例であり、ケース2 は「人質= NGO」のイメージを一般市民が 持たされた例である。
㈪ NGO とは何か(NGO の定義) 日本ではNGO と NPO という言葉が混乱を招いている現状がある。背景は定義の複 雑さにある。NPO は営利を目的とせず社会的活動を行なう民間非営利組織であり、特 定非営利活動促進法により認証制度がある。一方、NGO にはそういった認証制度はない。 簡単に言えば、誰でもNGO と言ってしまえば NGO になる、ということである。 「非政府組織」と訳されるため、「反政府」と混同されやすい現実もある。その所以は 国連憲章のNGO の定義にあり、「政府でない組織」の広い意味で使われる。日本での定 義はこれを狭めて、「開発途上国が抱える貧困、飢餓、難民、人権侵害、環境破壊の問題に、 社会正義的、人道的な立場から国境を越えて取り組んでいる草の根の組織、市民組織で、 政府外郭団体や業界団体は含めない」(出典:JANIC)となる。日本で一般的に NGO と 呼ぶ場合、「国際協力を行なう草の根組織または市民組織」という意味で使われること が多い。 ㈫ NGO は人質事件をどのように捉えたか
NGO 通信「地球市民 117 号」(04 年 6 月 JANIC 発行)には「NGO の人道支援活動『自 己責任』を考える」という座談会が組まれている。参加者は日本国際ボランティアセン ター事務局長(JVC)の清水氏、JEN 事務局長の木山氏、JANIC 理事の伊藤氏、外務省 経済協力局無償資金協力課課長の山田氏である。 人質の行動に関する発言を要約すると、「高遠さんの働きは評価でき、偶然起きた事件。 安全管理については、組織と個人の差がでたのではないか。(清水)」、「プロとアマの違 いが事件につながった。彼らはひとりNGO。区別は難しいが、今後さまざまな意味で の分類は必要。(木山)」、「二人(1)の行動が一般的なNGO だと世間に広まり誤解された のではないか。JANIC では NGO の基準があるが、彼らは組織としては未熟。(伊藤)」、「彼 らはアマチュアだと思った。自分達の行動がもたらした結果を冷静に見て、今回の事件 でNGO や政府の支援活動にブレーキがかかったのではないかと、反省すべき。(山田)」 とある。 座談会で注目すべき点は「人質はNGO か否か」ということだ。専門家が「組織と個 人の差」、「プロとアマチュアの違い」、「組織として未熟」と指摘するように、人質を NGO とは全面的に認めていない。しかしケース 2 では、人質事件報道を通じて「人質= NGO」という認識を持った人々が少なからずいた。NGO 側と一般との認識に差がある ことが問題だ。 ㈬メディアは NGO をどのように報道したか 事件発生後1 カ月間の朝日新聞と読売新聞を調べたところ、興味深い結果が出た。人 質とNGO を関連させた記事は朝日 130 件、読売 59 件。反日関連記事は朝日 17 件、読 売2 件だった。自衛隊派遣に否定的な朝日は NGO の言葉を積極的に使い、「反日」に 社説で反論するなど敏感に反応した。一方、自衛隊派遣に肯定的な読売は反日発言に特 に反応しなかった。明らかな違いがあったのは、人質の呼称だ。人質で「NGO」に分 類されたのは今井紀明さんと渡辺修孝さんだが、今井さんには朝日も読売もフリーライ ター、市民団体「NO !小型核兵器サッポロ・プロジェクト」代表と呼ぶのに対し、渡 辺さんには朝日は人権活動家、市民団体メンバーという言い方をする。読売は当初から NGO「米兵・自衛官ホットライン」メンバーとして渡辺さんにだけ NGO の呼称を使い、
団体の説明を脚注で載せている(2)。 ㈭まとめ NGO を直接反日呼ばわりしたような記事は見当たらなかった。しかし事件報道を全 体で捉えると、NGO をよく知らない一般市民が人質を NGO と認識してしまえば、柏 村発言にある人質はNGO であり反日であるということになる。以上の考察から言える のは、日本におけるNGO 理解が発展途上のため、人質事件の中で NGO という言葉が 報道機関によってうまく使い分けられた結果、一般市民に特定のNGO のイメージを与 えてしまったということである。 (4)まとめ (大渕 みほ子) 本章を通じてNGO 報道に関して共通して言える問題は、第一に「NGO」の言葉が頻 繁に使われた割合に、メディアの側に具体的で正確な実情を踏まえた説明が不足してい たことである。第二に、新聞もテレビも、人質を「NGO とジャーナリスト(たち)」と いう大ざっぱなくくりで語ることが多かったことだ。話を単純化させてしまい、結果的 に読者や視聴者にNGO に関する誤解を与えた可能性が強いということである。アジア のNGO の歴史を振り返ると、NGO が「反政府」と見なされ、弾圧されてきた経過もある。 日本でそうした誤った認識がされないように、NGO について報道する場合は、より正 確かつ適切な知識と配慮が求められるのではないか。 5.メディアが大きく見落としたこと (沢野 次郎) (1)はじめに──「被害者保護」の観点に欠けたメディア報道 人質事件を通じて、新聞を中心に「自己責任論」をめぐる論争やNGO のあり方がど う報じられたかを検証してきた。その中で、まず指摘されなければならない点は、人質 たちの言動や考え方いかんにかかわらず、基本的には3 人が事件の「被害者」であった ことが見落とされたことではないだろうか。 本来なら3 人はイラクの武装勢力による人質拉致・脅迫事件の被害者であり、救出の 対象であった。それだけではなく、救出後も保護されるべき対象であったはずだ。それ がいつのまにか「自己責任」や「無謀な活動」の責任を追及され、記者会見等の席でも 弁明と反省を強いられる立場に置かれてしまった。皆無とは言えないまでも、「被害者 として配慮ある取材をすべきだ」といった指摘はほとんどなされていない。結果として、 人質と家族が日常生活の自由を脅かされてしまったことは見過ごすことができない問題 である。 日本新聞協会編集委員会は01 年 12 月 6 日に出した見解で、集団的過熱取材、いわゆ るメディアスクラムについて「大きな事件、事故の当事者やその関係者のもとへ多数の メディアが殺到することで、当事者や関係者のプライバシーを不当に侵害し、社会生活