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オオイタデジタルブック「大分の石橋探訪」

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Academic year: 2021

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各橋に便宜上 001 ~ 618 の通 し番号を付加した。 【加勢橋】などカッコ付きは撤 去された橋。 市町村名は合併後の新市町村名 称とし、合併で旧町村名が消え た町村は(旧佐賀関町 )、(旧野 津原町 )(旧香々地町 )(旧真玉 町 ) を付記し、三光村○○→三 光○○、大田村○○→大田○○、 宇目町○○→宇目○○、直川村 ○○→直川○○など、旧町村名 が分かるところは(旧町村名 ) は付記しなかった。 区分けは新市単位とし、各市の 中は合併前の町村単位に区分け した。 桁橋の橋名は 植野橋 のように ゴチックの強調文字とした。 年号には (1815) のように洋年 号を付記した。 旧町村指定有形文化財は合併後、 市の指定になったかを確認し、 最新の指定を記した。合併前の 旧挟間・庄内・湯布院が文化財 指定していたものは、由布市に 合併後、指定が解除された。よ って、旧町指定を表記した。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ※ 「大分の石橋探訪」「オオイタデジタルブック」について/奥付け

( 表 中 を ク リ ッ ク す る と 各 橋 の ペ ー ジ が 開 き ま す ) 新市郡 合併前の市町村名 番号 橋名 きょうめい 所在郡市町村名 種類 架替時期 豊後大 野市 大野町 大野町 413 澤田橋 さわだばし 豊後大野市大野町澤田 アーチ橋 大野町 414 三鶴橋 みつるばし 豊後大野市大野野町三木 アーチ橋 大野町 415 木原橋 こわらばし 豊後大野市大野町藤北木原 アーチ橋 大野町 416 田沈堕橋 だちんだばし 豊後大野市大野町矢田沈堕 アーチ橋 大野町 417【大野橋】 おおのばし 豊後大野市大野町矢田沈堕 アーチ橋 H2年架替 大野町 418 矢田橋 やだばし 豊後大野市大野町矢田 アーチ橋 大野町 419 尾平橋 おびらばし 豊後大野市大野町田中 アーチ橋 大野町 420 津留橋 つるばし 豊後大野市大野町両家 アーチ橋 大野町 421【宮ノ前橋】 みやのまえばし 豊後大野市大野町北園 アーチ橋 H 14 年架替 大野町 422 古殿2号橋 ふるとのにごうきょう 豊後大野市大野町北園 アーチ橋 大野町 423 古殿橋 ふるとのばし 豊後大野市大野町北園 アーチ橋 Next Back End

(3)

澤田橋・・・・・・・・豊後大野市大野町澤田/架設年:大正 12 年 (1923)5 月 橋長:7.0 m/橋幅:2.7 m/拱矢:1.8 m/径間:3.6 m/環厚:35㎝/単一アーチ

< 413>

 師田原ダム の上手から沢 田地区に通じ る 市 道 の 橋 で、道路が直 角に曲がる地点に架設されているた め橋の両側をコンクリートで拡幅し ている。

( さ わ だ ば し ) Next Back End Index

(4)

三鶴橋 ・・・・・・・豊後大野市大野野町三木/架設年:大正 14 年 (1925)4 月 橋長:9.5 m/橋幅:2.3 m/拱矢:2.9 m/径間:9.3 m/環厚:50㎝/単一アーチ

< 414>

 緩やかに流れる茜川に架かった石 橋で、童謡の「春の小川」を思わせ る趣がある。アーチ石を組むときは、 土のうを積んだ上に石を載せたそう である。残念ながら詳しいことは判 らない。

( み つ る ば し ) Next Back End Index

(5)

< 415>

( こ わ ら ば し ) 木原橋 ・・・豊後大野市大野町藤北 木原/架設年:大正 12 ~ 13 年(1923 ~ 1924) と推定 橋長:8.0 m/橋幅:3.0 m/拱矢:1.5 m/径間:3.0 m/環厚:30 cm/単一アーチ  豊後大野市大野町田中から大分市 野津原地区に通じる県道 26 号の旧 道の橋である。下流側はコンクリー トアーチで拡幅している。 Next Back End Index

(6)

田沈堕橋・・・・・豊後大野市大野町矢田 沈堕/架設年:昭和 7 年 (1932)12 月 橋長:11.4 m/橋幅:3.2 m/拱矢:5.0 m/径間:8.4 m/環厚:45㎝/単一アーチ

< 416>

 沈堕の滝の下流、左岸側から大野 川に流入する佐渕川に架かってい る。昭和 19 年 (1944) 以前は、現 在の大野橋の下流にあった吊り橋か らこの橋が幹線道路であった。工費 の総額は 900 円で、町の補助と九 州水力電気㈱の寄付金も受けている が、地元が負担し施工している。石 工は工藤益巳ら 3 名である。

( だ ち ん だ ば し ) Next Back End Index

(7)

【大野橋】 ・・・・・・ 豊後大野市大野町矢田 沈堕/架設年:昭和 19 年 (1944) 橋長:64.8 m/橋幅:5.5 m/拱矢: m/径間: m/環厚:50㎝/ 2 連アーチ

< 417>

 平成 2 年 (1990) 7月集中豪雨によ る増水で左岸側の取付部分の岸壁が 洗われ、右岸側のアーチが残ったが 新橋に架け替えることになって撤去 された。昭和 40 年 (1965) 代にコン クリート巻き立てがされていた。ス パンも左右で異なっており、左岸側 は尖頭アーチ、アーチ石は清川村の 出合橋と同じ交互二段積みであった。  雪舟も描いたという沈堕の滝の下 流。県道の橋で、下流に架かってい てバスも通っていた大きな吊り橋が 崩落したため県が発注、犬飼町の清 水組(社長は清水正夫氏 ) が請け負い、 石工は地元の多田平人と工藤直記の 両名、下地橋は多田の兄一(はじめ ) があたったという。  工藤直記氏(明治 41 年 (1908) 生 まれ ) によると「大きい方(左岸側 ) アーチの巻き立てには 55 日かかっ た。小さい方はいくらか少ない日数 だったが(勾配が急なため ) 難しかっ

( お お の ば し ) た。途中で下地橋が流されたが巻き 立てが終わっていたこととキョウハ ラ(拱腹 ) をある程度積んでいたので、 アーチは流れなかった。ピーア(橋脚 ) は三重町の神田某が施工していた。」 そうである。また、清水氏夫人の記 憶では「当初の契約高は 12 万円、そ の後増額になった」そうである。 Next Back End Index

(8)

< 418>

( や だ ば し ) 矢田橋 ・・・豊後大野市大野町矢田/架設年:明治 45 年 (1912)3 月/橋長:18.5 m      橋幅:3.1 m/拱矢:5.6 m/径間:15.3 m/環厚:60㎝/単一アーチ  県道28号から分岐した町道に架 かっているが上流側に新橋が架設 されて拡幅されている。昭和 10 年 (1935) 代後半に洪水で左岸下流側 の壁石が流失し積み直し(谷積み ) ている。 Next Back End Index

(9)

尾平橋 ・・・ 豊後大野市大野町田中/架設年:昭和 6 年 (1931) /橋長:8.0 m      橋幅:2.7 m/拱矢:1.8 m/径間:3.6 m/環厚:34㎝/単一アーチ

< 419>

 豊後大野市大野町田中から藤浪地 区への市道から外れた場所にある。 普段は水も流れていないような小さ な川に架かっているが橋面は意外に 高い。要石に「佐伯市太郎架」と刻 まれているが個人で費用を負担した ものであろう。石工も不明である。

( お び ら ば し ) Next Back End Index

(10)

津留橋 ・・・豊後大野市大野町両家/架設年:大正 12 年 (1923)2 月/橋長:46.6 m     橋幅:4.2 m/拱矢:3.6 m/径間:7.2 m/環厚:46c m/ 5 連アーチ

< 420>

 豊後大野市大野町田中から豊後大 野市緒方町に通じる県道 210 号の 橋で、橋面は拡幅されている。平井 川のゆったりした流れに架かってお り、旧大野町で最も長い石橋である。 石工は川登村(現臼杵市野津町 ) 吉 良房五郎であるが、竣工を前にして、 石橋の一部落下で死亡するという悲 劇があった。記念碑にはその名前も 刻まれている。先年、橋脚の根固め がされている。

( つ る ば し ) Next Back End Index

(11)

【宮ノ前橋】・・・・・・豊後大野市大野町北園/架設年:大正 12 年 (1923)4 月 橋長:6.0 m/橋幅:3.7 m/拱矢:3.0 m/径間:5.4 m/環厚:30㎝/単一アーチ

< 421>

 北園地区の稲荷神社の東側にあっ たが両側をコンクリートで拡幅し ていた。町道が県道 657 号となり、 道路改築で架け替えられた。

( み や の ま え ば し ) Next Back End Index

(12)

古殿 2 号橋・・・・・・豊後大野市大野町北園/架設年:大正 9 年 (1920)12 月 橋長:9.0 m/橋幅:2.8 m/拱矢:3.0 m/径間:5.6 m/環厚:43㎝/単一アーチ

< 422>

 古殿橋に平行して下流側に増設し ている。スパンは古殿橋と同じであ るが拱矢が 40㎝ほど大きい。架橋 記念碑があるが詳細は判らない。

殿

( ふ る と の に ご う き ょ う ) Next Back End Index

(13)

古殿橋・・・豊後大野市大野町北園/架設年:文化 14 年(1817)9 月/橋長:9.0 m 橋幅:1.8 m/拱矢:2.6 m/径間:5.6 m/環厚:35㎝/単一アーチ/市指定有形文化財

< 423>

 市道の橋で、下流側に古殿 2 号 橋を架けて拡幅している。県内では 3 番目に古い石橋である。アーチ石 の下面に、この石橋の架設年・寄進 者・石工の名前を刻んであるのが珍 しい。寄進者は地元の小野清右衛門、 石工は現由布市挾間町の阿部清右エ 門らである。側面から見るとアーチ の上部がやや押し潰された形になっ ているが、架設後に変形したものか どうか判らない。

殿

( ふ る と の ば し ) Next Back End Index

(14)

■大分の石橋探訪

    ( おおいた の いしばしたんぼう )  石橋の魅力に取り付かれた一人の石橋研究家、元大分 の石橋を研究する会会長の岡崎文雄氏が昭和 61 年から大 分県に散在する大小の石橋を探し求めて 20 年、流失・撤 去を含めた 618 橋の所在を確認、その歴史と諸元を記録 し約 1000 枚の写真とともに電子ブックにまとめた。

■筆者・・・・・・岡崎 文雄

( おかざき ふみお )氏 大正 13 年 大分郡挾間町生まれ ( 現由布市 ) 昭和 57 年 宮崎県を退職 昭和 62 年 大分の石橋を研究する会・日本の石橋を守る会会員 平成 5年  「魅せられて・里の石橋たち」共著 平成 6年  「大分の石橋記念碑」自費出版 平成 8年  「伝えたい・ふるさとの石橋」共著 平成 13 年 「宮崎県の石造アーチ橋」自費出版 平成 14 年 大分の石橋を研究する会 会長      (現住所:大分市緑ケ丘 4-12-10)

■オオイタデジタルブックとは

 オオイタデジタルブックは、大分合同新聞社と学校 法人別府大学が、大分の文化振興の一助となることを 願って立ち上げたインターネット活用プロジェクト 「NAN-NAN(なんなん)」の一環です。NAN-NAN では、 大分の文化と歴史を伝承していくうえで重要な、さま ざまな文書や資料をデジタル化して公開します。そし て、読者からの指摘・追加情報を受けながら逐次、改 訂して充実発展を図っていきたいと願っています。情 報があれば、ぜひ NAN-NAN 事務局にお寄せください。  NAN-NAN では、この「大分の石橋探訪」以外にも デジタルブック等をホームページで公開しています。 インターネットに接続のうえ下のボタンをクリックす ると、ホームページが立ち上がります。  まずは、クリック!!!

「大分の石橋探訪」

Vol.38:豊後大野市 (3) 2007 年 12 月 21 日初版発行 筆者 岡崎文雄 編集 大分合同新聞社 制作 別府大学メディア教育・研究センター地域連携部 発行 NAN-NAN 事務局 〒 870-8605 大分市府内町 3-9-15 大分合同新聞社総合企画部内 c 岡崎 文雄

大分合同新聞社

別 府 大 学

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