135
モ ダ ニズ ムが 夢 見 たユ ー トピア ドイ ツ 田 園都 市 建 設 の歴 史(2)
労 働 者 コ ロニ ー の建 設 一
副 島 美由紀
1.「 モ ダ ン の ハ ー フ タ イ ム 」
ド イ ツ の 美 術 史 家,ユ ル ゲ ン ・ク ラ ウ ゼ は,1904年 か ら第 一 次 世 界 大 戦 勃 発 ま で の10年 間 に 対 し,近 代 化 の 道 半 ば と い う 意 味 で 「モ ダ ン の ハ ー フ タ イ ム 」 と い う 呼 称 を 与 え て い る 。1)1920年 代 に 開 花 す る 大 衆 文 化 の 醸 成 期 で あ っ た こ の 時 代 は,反 近 代 思 想 と 様 々 な 技 術 的 刷 新 が 混 在 す る 複 雑 な 様 相 を 呈 し て い た が,モ ダ ニ ズ ム は 未 だ 大 衆 の も の で は な く,専 ら各 分 野 に お け る
前 衛 の も の で あ っ た 。 例 え ば 建 築 の 分 野 で は,ペ ー一タ ー ・べ 一 レ ン ス(Peter Behrens,1868‑1940)や ブ ル ー ノ ・タ ウ ト(BrunoTaut,1880‑1938)と
い っ た 前 衛 が,労 働 者 住 宅 建 設 に 象 徴 さ れ る よ う に 「芸 術 と民 衆 の 一 体 化 」2) を 目 指 し て い た 。1908年 に 始 ま る ド イ ツ の 田 園 都 市 建 設 は そ の よ う な 「モ ダ ン の ハ ー フ タ イ ム 」 に 起 き た 典 型 的 な 出 来 事 だ と言 え よ う。
ド イ ツ で 最 初 に 田 園 都 市 の 建 設 に 着 手 し た の は,ド レ ス デ ン の 家 具 工 場 主 カ ー ル ・シ ュ ミ ッ ト(KarlSchmidt,1873‑1948)で あ っ た 。1907年 「ドイ ツ 工 作 連 盟(DeutscherWerkbund)」 の 設 立 に 参 加 し た シ ュ ミ ッ ト は,「 ド イ ツ 田 園 都 市 協 会 」 の メ ン バ ー で も あ っ た ヘ ル マ ン ・ム テ ー ズ ィ ウ ス(Her一
1)Klaus ‑JttrgenSembach
,JurgenKrause,UlrichSchulzeu.a.,Neunzehnhundert‑
zehn,HalbzeitderModerne:VandeVelde,Behrens,Hoffmannunddie anderen.Stuttgart,1992.
2)ブ ル ー一 ノ ・ タ ウ ト の 「建 築 綱 領 」(1918)よ り
。In:UweSchneede(hrsg.),Die
zwanzigerJahre.K61n,1979,S.72.
mannMuthesius,1861‑1927)や リ ヒ ャル ト・リー マ ー シ ュ ミ ッ ト(Richard Riemerschmid,1868‑1957)等 の 建 築 家 達 と繋 が り を持 つ よ う に な る。 開 明 的 な企 業 家 シ ュ ミッ トに と って 田園 都 市建 設 とは,労 働 者 の 生 活 改 善 と時 代 の 動 向 へ の 貢 献 とい う 自 ら に課 し た二 つ の 任 務 を 同 時 に果 た す 可 能 性 を意 味 し て い た 。 翌 年 彼 は住 宅 建 設 有 限 会 社 を設 立 し,ド レ ス デ ン郊 外 に140ヘ ク ター ル の 土 地 を購 入 す る。3)家具 工場 「ドイ ツ ・ク ラ フ ト工 房 」 を 中心 企 業 と す る 「田 園 都 市 ヘ レ ラ ウ」 の誕 生 で あ る。
ヘ レ ラ ウの 建 設 に は二 っ の手 本 が あ っ た 。 イ ギ リス の 田 園都 市 レ ッチ ワー ス と,ド イ ツ の労 働 者 コ ロ ニ ー で あ る。 芸 術 家 コ ロ ニ ー とい う側 面 も持 っ て い た ヘ レラ ウだ が,や は り田 園都 市 の 中 心 的 要 件 は 労働 者 へ の 良 質 の住 宅 提 供 で あ り,私 企 業 の 経 営 に よ る労働 者 コ ロ ニ ー は シ ュ ミ ッ トお よび ヘ レ ラ ウ の建 築 家 達 に とっ て 前 例 と して の 大 き な意 味 を持 っ て い た 。 本 論 は ドイ ツ 田 園 都 市 建 設 の 歴 史 を 回 顧 す る作 業 の一 環 と し て,ド イ ツ に お け る労 働 者 コ ロ ニ ー 建 設 とい う現 象 を振 り返 り,そ の歴 史 的 意 義 及 び 田 園 都 市 運 動 そ の他 の 生 活 改 革 運 動 との連 関 を概 観 す る試 み で あ る。
2.労 働 者 住 宅 のss発 見"
19世 紀 後 半 の ドイ ツ に お け る大 都 市 の住 宅 問 題 に つ い て は,本 稿 の 前 編
「 モ ダ ニ ズ ム が 夢 見 た ユ ー トピ ア:ド イ ツ 田 園都 市 建 設 の歴 史(1)」4)に お い て 既 に 述 べ た が,住 宅 問題 が 社 会 問題 と して 顕 在 化 す る まで 賃 貸 ア パ ー ト等 の 低 所 得 者 用 住 宅 建 設 は建 築 家 で はな く左 官 屋 の 仕 事 と考 え られ て い た 。1841 年,ベ ル リ ンで 労 働 者 住 宅 の た め の コ ンペ が 行 わ れ た 時,建 築 家 同 盟 は 「そ
の よ う な課 題 は建 築 学 的魅 力 に欠 け る」 とい う理 由 で参 加 を拒 否 して い る。
3)HansJurgenSarfert
,Hellerau,dieGartenstadtundKttnsterkolonie.Dres‑
den,1992,S.15f.
4)副 島 美 由 紀 「モ ダ ニ ズ ム が 夢 見 た ユ ー ト ピ ア:ド イ ツ 田 園 都 市 建 設 の 歴 史(1)
世 紀 転 換 期 の 生 活 改 革 運 動 」,小 樽 商 科 大 学 「人 文 研 究 」第96輯,1998,p.189
ff●(1998)
モ ダ ニ ズム が 夢見 たユ ー トピ ア:ド イ ツ 田園都 市 建 設 の 歴史(2) ヱ37
住 宅 問 題 が 深 刻 化 し て き た1891年 で す ら,多 くの 建 築 家 が 労 働 者 住 宅 建 築 は 芸 術 的 に 魅 力 の な い 仕 事 と考 え て い た 。5)彼 ら の 意 識 に 変 化 を も た ら し た の は,1870年 頃 か ら 始 ま っ た 住 宅 改 革 や 土 地 改 革 等 の 生 活 改 革 運 動 で あ る 。「社 会 政 策 協 会(VereinfUrSocialpolitik)」,「 ド イ ツ 公 共 衛 生 促 進 協 会(Deu‑
tscherVereinfttr6ffentlicheGesundheitspflege)」,「 住 宅 改 善 協 会(Verein fUrWohnungsreform)」 と い っ た 団 体 や,1889年 の 帝 国 協 同 組 合 法 成 立 を 受
け て 設 立 さ れ た 建 築 協 同 組 合 の 活 動 に よ り,建 築 家 達 の 目 は 次 第 に 低 所 得 者 用 の 住 宅 建 築 に 向 か う よ う に な る 。 し か も 「大 衆 の た め の 芸 術 」 を 目 指 し た 芸 術 運 動 等 の 影 響 に よ り,内 的 機 能 に 即 し た 芸 術 性 の 探 求 が そ の よ う な 住 宅 建 築 に も 求 め ら れ る よ う に な っ て い っ た 。
「賃 貸 兵 舎(Mietskaserne)」 と呼 ば れ た 高 層 賃 貸 ア パ ー ト の 改 善 に 最 初 に 取 り組 ん だ の は,プ ロ イ セ ン 政 府 の 建 築 マ イ ス タ ー で フ リ ー ド リ ヒ ・シ ン ケ ル 賞 の 受 賞 者 で も あ る ア ル フ レ ー ト・メ ッ セ ル(AlfredMessel,1853‑1909)
で あ る 。 彼 は1892年,著 名 な 土 地 改 革 論 者 ア ドル フ ・ダ マ シ ュ ケ ら が 組 織 す
ア ル フ レー ト ・メ ッ セ ル に よ るベ ル リ ン建 築 ・住 居 共 同 組 合 の ア パ ー ト (1893)
5)FritzNeumeyer
,BautragerundBausti1:BaugenossenschaftenundWerk‑
wohnungsbauinBerlinum1900,in:EkkehardMai(hrsg.),Kunstpolitikund
Kunstf6rderungimKaiserreich。Berlin,1982,S.309.
る 「 ベ ル リン建 築 ・住 居 共 同 組 合(BerlinerBau‑undWohnnungsgenossen‑
schaft)」 の 依 頼 に よ り賃 貸 ア パ ー トを建 設 す る。 それ は低 所 得 者 の共 生 とい う 目 的 を建 築 的 に反 映 した初 め て の総 合 的 デザ イ ン とし て 注 目 を浴 び た 。
この 「 ベ ル リ ン建 築 ・住 居 共 同 組 合 」 に属 し て い た 住 宅 改 革 者 の ハ イ ン リ ヒ ・ ア ル ブ レ ヒ ト(HeinrichAlbrecht)は,1892年 ベ ル リン で初 め て の 「 労 働 者 住 宅 設 計 図 展 示 会 」 を 開催 し,建 築 家 達 に労 働 者 住 宅 建 築 へ の参 画 を促 す 。 ま た1896年 に小 冊 子 『 労 働 者 住 宅(DasArbeiterWohnhaus)』 を出版 し,メ ッセ ル の デ ザ イ ン を載 せ て 住 宅 改 革 に関 す る理 論 的基 盤 の 確 立 に貢献 した 。 自 ら労 働 者 コ ロニ ー や ズ ィー ドル ング の建 設 に携 わ っ た ブ ル ー ノ ・タ ウ トは メ ッセ ル の影 響 を認 め,自 ら の仕 事 を 「メ ッセ ル の理 念 の 継 承 」 で あ る とさ え 語 っ て い る。6)
新 時 代 の 工 場 建 築 で 知 られ るペ ー タ ー ・べ 一 レ ンス も,中 産 階 級 の住 宅 を
馨 窯 趣 繋蹄壁鰹
欝
騒
鮒 懇
謬 ㎎
O.騰
£
騨恥籔 . 贈
『 労働 者住 宅Jに 載 ったメ ッセル によ る労働者 住宅 の デザ イ
ン(1896)
糠 紮蝉ふ
騨 顯
譲 轟 繋
麟 曝 亀 幽 謬
ペ ー タ ー ・べ 一 レ ン ス に よ るAEGの 社 宅(1911)
6)ibid .,S.311.
モダ ニ ズ ムが 夢 見 た ユー トピア:ド イ ツ 田園 都 市建 設 の歴 史(2) ヱ39
模 倣 した労 働 者 住 宅 を批 判 し,労 働 者 住 宅 に合 目的 性 と真 の芸 術 性 を与 え る 必 要 性 を説 い た 。 メ ッセ ル 同様,協 同 組 合 が体 現 して い る よ うな 「 共 生 の精 神 を構 造 的 に も表 現 で き る よ う な建 築 」7)を目 指 した べ 一 レ ン ス は,1911年 AEG(一 般 電 気 株 式 会 社)の た め の 社 宅 を建 設 す る。 こ の よ うな べ 一 レ ンス
の理 念 は彼 の 事 務 所 に い た ヴ ァル タ ー ・グ ロ ー ピ ウ ス と ミー ス ・フ ァ ン ・デ ル ・ロ ー エ に 引 き継 が れ る。 か つ て ブル ジ ョ ワ ジ ー が 「 労 働 者 」 を発 見 した よ う に 「 労 働 者 住 宅 」 を発 見 した 若 き建 築 家 達 は,そ こ に擬 古 典 主 義 的 建 築 との訣 別 の可 能 性 を見 て い た 。ム テ ー ズ ィ ウ ス は1906年,次 の よ う に語 っ て い る。「 現 在 の ドイ ツ に お け る市 民 的 な建 築 美 術 を特 徴 づ け る もの は,近 い将 来 手 に入 る は ず の 健 康 へ の 願 い で あ る。 そ の 展 望 は 明 るい 。 個 々 の 分 野 で は す で に春 の到 来 を告 げ る徴 が 見 られ る。 特 に 労働 者 住 宅 建 築 の分 野 が そ うで あ る。 」8)こう して1900年 頃 か ら建 築 美術 の前 景 に躍 り出 た 労 働 者 住 宅 は,ま さ に 「 モ ダ ンの ハ ー フ タ イ ム 」 の期 間 を通 し,市 民 的 幸 福 の 物 理 的 な 器 と し て モ ダ ニ ズ ム の 普 及 に大 き な役 割 を果 た して ゆ くの で あ る。
3.ベ ル リ ン の 労 働 者 住 宅
住 宅 改 革 に対 す る理 念 が 労 働 者 住 宅 や 建 築 組 合 住 宅 な どの 分 野 で 生 か さ れ る よ う に な っ た とは言 え,都 市 に お け る上 質 で 廉 価 な住 宅 建 設 は容 易 で は な か っ た 。 特 に イ ギ リス,オ ラ ン ダ,北 西 ドイ ツ 等 の 水 平 家 屋 文 化 圏 と較 べ,
中部 ドイ ツ か ら東 欧 に か けて の垂 直 家 屋 文 化 圏9)で は,理 想 と され た イ ギ リ ス式 一 戸 建 て住 宅 の 実 現 は よ り困難 で あ っ た 。 と りわ け ベ ル リン で は家 屋 一 棟 当 た りの居 住 者 数 が 高 く,当 時 建 設 され た建 築 組 合 住 宅 の 例 に も見 られ る
7)ibid .,S.313.
8)AxelSchollmeier
,GartenstadteinDeutschland.MUnster,1988,S.49.
9)JosefStttbben著ttDerStatdebau"(Darmstadt
,1890)に よ る と,ヨ ー ロ ッ パ に は 北 フ ラ ン ス,オ ラ ン ダ,北 西 ド イ ツ か ら イ ギ リ ス へ と 広 が る 水 平 家 屋 文 化 圏 と, 南 欧 諸 国,フ ラ ン ス 中 南 部,中 部 ド イ ツ か ら 東 欧 に か け て の 垂 直 家 屋 文 化 圏 が 存 在 す る と い う 。In:BrianLadd,UrbanPlanningandCibicOrderinGermany,
1860‑1914.London,1990,S.150.
ベ ル リ ン の 建 築 組 合 住 宅,上(1907)・
下(1911)
労 働 者 コ ロ ニ ー ・ヴ ィル ダ ウ の 見 取 り 図 。 体 育 館 や プ ー ル が あ る。(1900)
労 働 者 コ ロ ニ ー ・ヴ ィル ダ ウ の 住 宅
よ うに,高 層 ア パ ー ト建 築 か ら の脱 却 は ほ ぼ不 可 能 で あ っ た 。 ベ ル リ ン近 郊 で 広 い 敷 地 を持 つ 労 働 者 コ ロニ ー の建 設 が 始 ま った の は,好 景 気 と生 産 工 程 の刷 新,鉄 道 や 船 舶 等 の 交 通 手 段 の発 達 等 に よ り産 業 の郊 外 移 転 が 起 こ っ た 1895年 頃 の こ とで あ る。
1895年,ア ル バ ー ト・ボ ル ズ ィ ヒの機 械 工 場 が モ ア ビ ー ト街 か らテ ー ゲ ル に移 転 し,同 時 に400戸 の 労 働 者 住 宅 が 建 設 され る。 また,1900年 に は機i関 車 と魚雷 を製 造 す る 「 ベ ル リ ン機 械 製 作 株 式 会 社 」がベ ル リン か ら25キ ロ の 郊 外 に 労働 者 コ ロ ニ ー ・ヴ ィル ダ ウ を造 って い る。 これ らの 住 宅 は工 場 との 近 接 性 にお い て労 働 者 に とっ て 有 利 で あ った の み な らず,当 時 の 個 人 経 営 の ア パ ー トよ り広 くて 衛 生 的 で,家 賃 も普 通 よ り20〜50パ ー セ ン ト低 か っ た 。
また 当 時 の プ ロ イ セ ン の法 律 が 郊 外 の住 宅 地 開 発 に公 共 施 設 の建 設 を義 務 付
けた こ とか ら,ヴ ィル ダ ウ の コ ロニ ー に も学 校,商 店,ス ポ ー ツ施 設 等 が 備
モ ダ ニ ズ ムが 夢 見 た ユー トピア:ド イ ツ 田園 都 市建 設 の歴 史(2) ヱ4ヱ
家 屋 一 棟 当 た りの 平 均 居 住 者 数(1910)
ブ レー メ ン フ ラ ン ク フ ル ト エ ツセ ン ケ ル ン
シ ュ ト ゥ ッ トガ ル ト デ ュ ッ セ ル ドル フ ハ ノ ー フ ァ ー ラ イ プ ツ イ ヒ ドレ ス デ ン ミ ュ ン ヒ ェ ン ハ ン ブ ル ク ポ ー ゼ ン ブ レ ス ラ ウ ベ ル リ ン
7.8マ ン チ ェ ス タ ー
17.1ロ ン ド ン
17。6リ エ ー ジ ュ
18ユ ア ン ト ワ ー プ
18.6ハ ー グ
19.1ア ム ス テ ル ダ ム 20.0フ イ フ ァ ル フ イ ア
27.4シ カ ゴ
34.6パ リ
36。6プ ラ ハ
38.7ブ ダ ペ ス ト
51.8ウ ィ ー ン
52.0 75.9
4.9 7.9 6.7 8.1 6.5 13.4 5.4 8.8 38.0 40.9 41.3 50.7
RudolfEberstadt,HandbuchdesWohnungswesenundderWohnungs‑
frage.(Jena,1920)よ り
わ っ て い た 。 労 働 者 コ ロ ニ ー 建 設 の 目的 は安 定 した 労 働 力 を確 保 す る こ と と 労 働 者 の 生 活 に物 質 的 ・精 神 的 安 定 を もた らす こ とで あ った 。 しか し労 働 契 約 の締 結 を条 件 とす る住 宅 へ の居 住 が 工 場 へ の 依 存 度 を高 め る上,企 業 指 導 型 の福 祉 が 労 働 者 管 理 機 関 とな っ て し ま う危 険性 もあ っ た 。 そ れ まで 大 都 市 生 活 者 だ っ たベ ル リン の労 働 者 達 は 大 家 族 的 な コ ロニ ー運 営 に抵 抗 を感 じ,
ま た社 民 党,労 働 組 合,社 会 政 策 協 会 な どは経 営 者 指 導型 の 福 祉 政 策 に懐 疑 的 だ っ た 。1902年,ボ ル ズ ィ ヒ社 の 住 宅 の うち社 員 が 居 住 し て い た の は約 半 数 に過 ぎ な か っ た とい う。10)
工 場 の郊 外 移 転 に付 随 して 生 じ,労 働 者 の福 利 厚 生 に は大 き く貢 献 した 労 働 者 コ ロニ ー だ った が,ベ ル リ ンの 労 働 者 意 識 を鑑 み た ハ イ ン リ ヒ ・アル ブ レ ヒ トは,コ ロ ニ ー 建 設 は労 働 者 が 大 都 市 か らで は な く地 方 か ら召 集 され る
10)Neumeyer
,ibid.,S.318.
場 合 に適 して い る と して,ベ ル リ ンの 企 業 家 に は む し ろ建 設 協 同組 合 の 活 動 支 援 を勧 め る。11)実 際 ベ ル リンで は 「 ズ ィー メ ン ス ・シ ュ タ ッ ト」 の よ う に建 設 協 同 組 合 と企 業 家 との共 同 事 業 とい う形 が取 られ る よ う に な り,労 働 者 コ ロ ニ ー は む し ろベ ル リ ン以 外 の 中 ・小 都 市 で成 功 に至 っ て い る。
4.イ ギ リス の 前 例
緑 に恵 ま れ た独 立 性 の 高 い 立 地 に労 働 者 の た め の 生 活 共 同 体 を造 る とい う コ ロ ニ ー建 設 の 理 念 は,産 業 革 命 の先 進 国 で あ るイ ギ リス の例 を模 範 とし て い た 。 イ ギ リス で は ロバ ー ト・ オ ー ウ ェ ンに代 表 さ れ る19世 紀 前 半 の 社 会 主 義 的 ユ ー トピ ア建 設 の 他 に,モ デル ・ヴ ィ レ ッジ と呼 ば れ る労 働 者 団 地 が 羊 毛 工 業 地 帯 を 中 心 に誕 生 して い た 。 ソル テ ア,コ プ レ イ,ア ク ロ イ ドン等 の 丘 陵 地 帯 にで き た初 期 の労 働 者 コ ロ ニ ー で あ る 。 これ らの モ デ ル ・ヴ ィ レ ッ ジ は背 中 合 わ せ 式 住 宅 が 中心 で,独 立 式 住 宅 とい う理 想 の 実 現 に は遠 か った も の の,労 働 者 住 宅 へ の新 しい様 式 の 導 入 と して は意 欲 的 な 試 み で あ っ た 。 オ ー ウ ェ ン主 義 が 廃 れ た後 の .19世 紀末 か らは,博 愛主義 的工 場主 と呼 ばれ る企 業 経 営 者 達 が 労 働 者 の 住 環 境 改 善 に よ る社 会 改 革 を継 承 す る。 チ ョコ レー ト工 場 主 ジ ョー ジ ・キ ャ ドバ リー(GeorgeCadbury)が1887年 バ ー ミ ンガ ム 郊 外 に建 設 した ボ ー ン ヴ ィル(Bournville)と,石 鹸 工 場 主 ウ ィ リア
モ デ ル ・ヴ ィ レ ッ ジ の デ ザ イ ン(1888)
ソ ル テ ア の 労 働 者 住 宅(1851)
11)ベ ル リ ン機 械 製 作 株 式 会 社 は1906年 に ,ボ ル ズ ィ ヒ社 は1919年 に建 設 協 同組 合
を設 立 して 事 業 を 継 続 し て い る 。
モ ダ ニ ズ ムが 夢見 たユ ー トピ ア:ド イ ツ 田園 都市 建 設 の 歴史(2> ヱ43
コ プ レイ,前 庭 の あ る背 中合 わ せ 式 住 宅(1853)
ボ ー ン ヴ ィ ル の2世 帯 住 宅(1900), 1981年
耀
誕 暴 軽
︑ ︑ 津
ボ ー ン ヴ ィル の 見 取 り図(1898) 集 会 場,養 老 院,運 動 場,公 園 等 が 見 え る。
ム ・ ヘ ス ケ ス ・リヴ ァー(W.H.Lever)が リ ヴ ァ プ ー ル の 対 岸 に建 設 した1889 年 の ポ ー ト ・サ ン ラ イ ト(PortSunlight)は,模 範 的 な ガ ー デ ン ・ヴ ィ レ ッ ジ と して ドイ ツ の 労働 者 コ ロ ニ ー 建 設 に大 き な影 響 を与 え た 。ガ ー デ ン ・ヴ ィ レ ッジ と は,工 業 の 成 熟 に伴 い 工 場 が 都 市 の過 密 地 区か ら分 散 した こ と に よ
り誕 生 した 都 市 郊 外 の労 働 者 コ ロニ ー で あ る。
労 働 力 の 安 定 供 給 が モ デ ル ・ヴ ィ レ ッ ジ及 び ガ ー デ ン ・ヴ ィ レ ッジ建 設 の
第 一 の 目的 で は あ った が,特 にガ ー デ ン ・ ヴ ィ レ ッジ の場 合,「 労 働 者 の社 会
的 状 態 を改 善 す る」 とい う理 想 主 義 的 な 理 念 が 極 め て 強 く前 景 化 して い た こ
と も また 明 らか で あ る。 この 時 期 の工 場 経 営 者 達 は,労 働 者 の 住 環 境 が彼 ら
の芸 術 観 と世 界 観 に与 え る影 響 を明 確 に意 識 して い た 。「 世 紀 の 変 わ り 目の 一
慧職 、
\
ポ ー ト ・サ ン ラ イ トの 街 路(上)1と2世 帯 住 宅 (下)(1900),1981年
つ の事 件 」12)と 言 わ れ た ボ ー ンヴ ィル を建 設 し た キ ャ ドバ リー は,「人 間 を取 り巻 く状 況 を改 善 す るた め の近 道 は,そ の 理 想 像 を高 め る こ とで あ る 。 しか し そ の住 居 が ス ラ ム の よ うで,唯 一 の娯 楽 が 酒 場 通 い で あ る時,ど う して 人 は理 想 像 を高 め られ よ う か」13)とい う言 葉 を残 して い る。 また,ポ ー ト・ サ ン ラ イ トの 経 営 者 リ ヴ ァ ー も,「健 康 の た め に最 適 な 環 境 の確 保 を 目 的 に,適 切
12)月 尾 嘉 男 ・北 原 理 雄 『実 現 さ れ た ユ ー ト ピ ア 』 鹿 島 出 版 会
,1980.p.163.
13)GabrieleHowaldt
,DieArbeitersiedlungGmindersdorfinReutlirlgen,in:
EkkehartMai(hrsg.),ibid.,S.334.
モ ダニ ズ ム が夢 見 た ユ ー トピア:ド イ ツ田 園都 市 建 設 の歴 史(2) ヱ45
縫欝 鐸
な 住 宅 条 件 の も とで都 市 生 活 を営 む こ と こそ が,人 類 の 幸 福 に と っ て と りわ け重 要 で あ る」 と語 っ て い る♂4)
ボ ー ン ヴ ィル もポ ー ト ・サ ン ライ ト も,広 い 敷 地 に庭 付 き住 宅 と商 店,教 会,病 院,学 校 とい っ た 公 共 施 設 を持 つ恵 まれ た 労 働 者 コ ロ ニ ー と な っ た 。 住 宅 建 築 の伝 統 を生 か し なが ら 「20世 紀 の 要 求 に答 え る」 とい う近 代 主 義 的 発 想 の も と に建 て られ た これ らの住 宅 を,ム テ ー ズ ィ ウス は 「 真 に実 用 的 で, 理 性 的 で,健 康 で あ る」15)と評 して い る。これ ら は一 棟 の 世 帯 数 か ら言 え ば2 世 帯 か ら6世 帯 住 宅 で,庭 付 き一 戸 建 て 住 宅 とい う理 想 の 実 現 に は至 らな か っ た もの の,採 光 や換 気 等 の衛 生 面 に配 慮 した 点 に お い て 当時 と し て は格 段 に 水 準 の高 い も の だ った 。 特 に ポ ー ト・ サ ン ラ イ トは,「 イ ギ リス 人 の 内側 に 根 付 い た 一 つ の ユ ー トピ ア 像 が,現 実 の 環 境 と し て 近 似 値 を実 現 して い た 」16)と 言 わ れ て い る。
勿 論 これ ら博 愛 主 義 的 共 同 体 の 中 に も管 理 的 な 体 質 が存 在 した こ とは否 め な い 。 あ る工 業 技 師 は レヴ ァー に対 し,「独 立 心 の 旺盛 な 者 は誰 で も ポ ー ト・
サ ン ライ トの 空 気 を長 く吸 っ て い る こ とは で き ませ ん」と書 き送 っ て い る 。17)
14)月 尾 嘉 男 ・北 原 理 雄
,同 上,p.163.
15)Schollmeier
,ibid.,S.49.
16)月 尾 嘉 男 ・北 原 理 雄
,同 上,p.169.
17)同 上
,p.169.
田 園 都 市 ・レ ッ チ ワ ー ス
し か し 黙 繁 栄 の共 有"を 富 の 蓄 積 に 匹 敵 す る課 題 と考 え,ま た 労 働 者 階 級 の 住 環 境 に も美 的 な 性 格 を付 与 す る必 要 が あ る とい う工 場 経 営 者 達 の信 念 は,
これ ら労 働 者 コ ロニ ー の建 設 に とっ て 非 常 に重 要 な意 味 を持 っ て い た 。 ドイ ツ の労 働 者 コ ロ ニ ー に及 ん だ そ の影 響 も,建 築 様 式 に 関 す る よ り もむ し ろ思 想 的 な 面 に お い て 大 き か っ た と言 え るだ ろ う。 そ の後 キ ャ ドバ リー が ボ ー ン ヴ ィル を 「ボ ー ン ヴ ィ ル ・ヴ ィ レ ッジ ・ トラ ス ト」 とい う形 で 住 民 の 共 同 経 営 に任 せ,リ ヴ ァー は1909年,リ ヴ ァプ ー ル 大 学 の建 築 学 部 に都 市 デ ザ イ ン 学 科 を設 置 す るた め の寄 付 を行 うな ど,彼 等 の信 念 は さ らな る社 会 改 革 の プ ロ グ ラ ム へ と発 展 し て ゆ く。 ま た,1902年 にエ ベ ネ ザ ー ・ハ ワ ー ドの 田園 都 市 レ ッチ ワ ー ス の 建 設 が 始 ま っ た時,共 同 出資 者 とな っ た の もキ ャ ドバ リー
と リヴ ァー の二 人 だ っ た 。
5.ド イ ッ の 代 表 的 労 働 者 コ ロ ニ ー 5‑‑1.ミ ュ ー ル ハ ウ ゼ ン
ドイ ツ の 労 働 者 住 宅 に 最 初 の 影 響 を 与 え た の は,当 時 フ ラ ン ス 領 だ っ た ア ル ザ ス の ミ ュ ー ル ハ ウ ゼ ン に 建 て ら れ た 紡 績 工 場 住 宅 〈シ テ ・ウ ヴ リエ ー ル cit60uvri6re>で あ る 。1853年 に 建 設 さ れ た こ の 集 落 の モ デ ル は,1851年 ロ ン ド ン の 万 国 博 に 展 示 さ れ た 労 働 者 住 宅 で あ り,モ デ ル ・ヴ ィ レ ッ ジ の 一 つ で あ る ソ ル テ ア と の 類 似 点 も顕 著 だ と言 わ れ て い る 。18)ミ ュ ー ル ハ ウ ゼ ン も
18)Schollmeier
,ibid.,S.45.
モ ダニ ズ ム が夢 見 た ユ ー トピア:ド イ ツ田 園都 市 建 設 の歴 史(2)
墾
o 6雰團 圃
口≒r譜
「恥馬叫 鳩㎏ 警,
圃 圏『 一 『
試画o
纒 睡ヨ 臨
粋掬僧画μ町嘱、
騨 目i覇 {
ド 灘 難 ﹁ 懸 灘響 灘 灘 響 願
ミュ ー ル ハ ウ ゼ ン,4世 帯 住 宅 団 地 の 見 取 り図(1853)
147
最 初 背 中合 わ せ 式 住 宅 を建 設 して い た が,後 に後 期 の モ デ ル ・ヴ ィ レ ッ ジ に 倣 っ て4世 帯 住 宅 を採 用 し て い る。 こ の4世 帯 住 宅 は衛 生 面 で ま だ 問題 を残 して は い た も の の,背 中 合 わ せ 式 住 宅 よ り進 化 した もの と して 当時 は肯 定 的 に評 価 さ れ た 。 ま た ミ ュー ル ハ ウゼ ン に お い て長 期 ロー ンの 支 払 い に よ る住 宅 購 入 の道 が 開 か れ た こ とは,独 立 住 宅 の 所 有 へ 至 る試 み と見 る こ とが で き よ う。 この4世 帯 住 宅 の 様 式 が,1890 年 頃 か ら急 増 した ル ー ル 地 方 の 労働 者 住 宅 の モ デ ル とな っ た 。
5‑2.ク ル ッ プ ・コ ロニ ー
ドイ ツ で 最 も有 名 な 労 働 者 コ ロ ニ ー と言 え ば,軍 需 産 業 で知 られ る クル ッ プ 商 会 の クル ップ ・コ ロ ニ ー で あ る。 それ は また 既 に1860年 代 の 後 半 に建 設 が 始 め られ た ドイ ツ で 最 も歴 史 の古 い もの で もあ る。 ク ル ップ 社 の住 宅 及 び そ の他 の 厚 生 施 設 の 建 設 は,労 働 者 とそ の 家 族 を 包 摂 す る 「クル ップ 帝 国 」 の 隆 盛 に とっ て非 常 に重 要 な事 業 で あ った 。
ク ル ップ 社 の福 利 事 業 は1850年 代 に始 まっ た 。自 ら も勤 勉 な 工 場 勤 労 者 で あ っ た とい う 「 大 砲 王 」アル フ レー ト・クル ップ(AlfredKrupp,1812‑1887) は,国 内 立 法 に先 立 つ こ と約30年 の1853年 に社 内 労 災 保 険 や 年 金 制 度 を施 行 して い る。そ し て鉄 鋼 産 業 の隆 盛 に伴 っ て 従 業 員 が 急増 し た60年 代 後 半 か らは,労 働 者 住 宅 が 企 業 の 繁 栄 の た め に必 要 不 可 欠 な厚 生 設 備 とな っ て い っ た 。
xxクル ップ の 町"エ ッセ ン の人 口 は1850年 に は 約9
,000で あ っ た が,職 を
求 め る移 住 者 の 流 入 を受 けて1871年 に は52,000へ と急 増 した 。 ク ル ップ 社
シ ェ ー ダ ー ホ ー フ の 広 場(1900) ク ロ ー ネ ン ベ ル ク(1906)
の従 業 員 数 も1864年 の6,900か ら1871年 に は10,400に 増 加 し,住 宅 不 足 に 対 す る労 働 者 の 不 満 が 労働 運 動 の 高 ま りに拍 車 を駆 けて い た 。1865年,ま ず 独 身 労 働 者,高 齢 者,退 職 者 の た め に200世 帯 用 の住 宅 が 建 設 さ れ る。 そ れ は木 造 バ ラ ッ クの よ うな簡 単 な建 物 だ っ た が,そ の後 半 世 紀 に亘 っ て 行 わ れ る ク ル ッ プ ・コ ロニ ー建 設 の始 ま りで あ っ た 。
1870年 代 に入 り,普 仏 戦 争 後 の4年 間 で 従 業 員 数 が12,000に 達 す る頃, ヴ ェス トエ ン トホ ー フ,ノ ル トホ ー フ,シ ェ ー ダ ー ホ ー フ,ク ロ ー ネ ンベ ル ク とい った 住 宅 地 が 相 次 い で 建 設 され,社 宅 は順 次 快 適 さ を増 して い った 。 特 に後 者2つ の 団 地 は,緑 の 多 い 中 央 公 園 と各 住 棟 に設 置 され た庭 に よ っ て 恵 まれ た 住 環 境 を持 ち,コ ロ ニ ー とし て の計 画 的 な全 体 像 が 実 現 され て い た 。
「 緑 の 前 庭 と豊 か な 並 木 に縁 取 られ た 街 路 は そ れ ま で の ドイ ツ の い か な る労 働 者 街 に も見 られ ぬ もの だ った 」19)と言 わ れ て い る。
ク ル ッ プ ・コ ロニ ー に は,教 会,学 校,病 院,商 店 等 の 施 設 も揃 っ て お り, それ らの 厚 生 施 設 は クル ップ 社 の先 駆 的 な企 業 精 神 を反 映 して い た。 しか し アル フ レー ト ・ク ル ッ プ に よ る住 宅 建 設 は,あ くまで も最 低 限 の住 宅 を労 働 者 と企 業 の 両 者 に とっ て最 も低 廉 な価 格 で 提 供 す るた め の企 て で あ り,居 住 者 の美 的 な欲 求 を 満 足 させ るた め の もの で は な い 。 労 働 者 住 宅 に芸 術 性 を付 与 す る た め に は,世 代 の交 代 を待 た な けれ ば な らな か っ た。
19)月 尾 嘉 男 ・北 原 理 雄
,同 上,p.190.
モ ダニ ズ ム が夢 見 た ユ ー トピア:ド イ ツ田 園都 市 建設 の歴 史(2) ヱ49
1887年 に 当 主 と な っ た フ リー ド リ ヒ ・ア ル フ レ ー ト ・ク ル ッ プ(Friedrich AlfredKrupp,1854‑1902)は,新 時 代 の 空 気 を呼 吸 し て い た 。 イ ギ リス の
ガ ー デ ン ・ヴ ィ レ ッ ジ に よ る影 響 を受 け た 彼 は,安 価 で 簡 素 な だ けで は な く 美 的 で芸 術 性 の高 い 住 環 境 作 り を 目指 した 。 そ して 「 老 人 に は 住 み 心 地 を, 若 者 に は 美 を」20)と い うモ ッ トー の も と,視 覚 的 効 果 を意 識 した 広 い 住 宅 を建 設 し,ス ポ ー ツ や 芸 術 鑑 賞 の た め の施 設,図 書 館 等 を充 実 させ た 。1893年 か ら1907年 に か け て,ア ル フ レ ー ツ ホ ー プ,フ レ デ リク ス ホ ー フ,フ リー ドリ ヒス ホ ー フ 等,ア パ ー ト形 式 を脱 して 半 独 立 式 住 宅 又 は4世 帯 住 宅 を 中心 と す る コ ロ ニ ー が 完 成 す る。 そ れ ぞ れ 放 射 状 の 街 路,並 木 と家 々 の庭 な ど,田 園 的 雰 囲 気 を持 つ 落 ち着 い た 住 宅 地 だ っ た 。 こ の時 代 の コ ロ ニ ー の 中 で,絵 画 的効 果 へ の 志 向 が ひ と きわ 顕 著 な の が ア ル テ ン ホ ー フで あ る。主 に退 職 者, 傷 病 者,寡 婦 の た め の この コ ロ ニ ー は,「恩 給 を受 け な が ら 自宅 で 老 後 を過 ご す 機 会 を退 職 者 に提 供 す る」21)とい う父 親 の 遺 志 を フ リー ド リ ヒ ・ア ル フ レー トが 独 自 の 価 値 観 で 実 現 させ た も の だ っ た 。 彼 は建 設 に先 立 ち,「(退 職 者 に)美 しい健 康 な敷 地 で こ じん ま りし た庭 付 き の小 さな 我 が 家 を作 っ てや り,一 生 自分 の 好 き な よ う に利 用 し て 楽 しい 生 活 の 一 日 を送 らせ た い 」22)と 語 っ て い る。ア ル テ ン ホ ー フ は500の 住 戸 に2つ の 礼 拝 堂,森 と公 園 を持 ち, 直 線 街 路 は一 本 もな く,ロ マ ン主 義 的 な審 美 観 に よ っ て作 られ て い た 。フ リー
ド リ ヒ ・ア ル フ レー ト自身 よ く こ こ に立 ち寄 り,時 を過 ご した とい う。
1890年 代 の クル ップ社 は,労 働 者 の 生 活 に娯 楽 の 喜 び と芸 術 的 な潤 い を与 え る こ とが 上 質 な労 働 力 の 円 滑 な 再 生 産 に と っ て 重 要 で あ る とい う認 識 に 立 っ て い た 。 フ リー ド リ ヒ ・ア ル フ レー トの 時 代 ま で に 完 成 し た 住 宅 は 28,000を 数 え,第 一 次大 戦 前 に8万 の 人 間 を抱 え た 「ク ル ッ プ帝 国 」 は,そ
の労 働 者 達 が 「クル ップ の 住 宅 に住 み,ク ル ップ 社 の赤 ん坊 は ク ル ップ の 医
20)月 尾 嘉 男 ・北 原 理 雄
,同 上,p.191。
21)諸 田 實 『ク ル ッ プ 』 東 洋 経 済 新 報 社
,1980.p.200.
22)WilhelmBerdrow
,AlfredKruppundseinGeschlecht.Berlin,1937,S.212.
ア ル フ レ ー ツ ホ ー プ(1894)
購 響 讐:
ア ル テ ンホ ー フ の 寡 婦 用 住 棟(1920) ア ル テ ン ホ ー フ(1906)
者 に よ って 取 り上 げ られ,ク ル ップ社 員 の子 供 達 は クル ップ の 図 書 館 か ら本 を借 り,ク ル ップ の 教 会 で 結 婚 式 を挙 げ,ク ル ップ の 墓 地 に 葬 られ た 」23)と 言 わ れ る ほ どの大 家 族 的 共 同体 とな る。
さ ら に フ リー ド リ ヒ ・ア ル フ レ ー トの 死 後,ク ル ップ ・コ ロニ ー の 頂 点 を なす 住 宅 地 が 建 設 され る。 夫 の 死 後 も福 祉 事 業 に 力 を入 れ た 妻 の マ ル ガ レー テ が 資 金 と所 有 地 を提 供 して エ ッ セ ン市 と協 力 し,ク ル ッ プ社 の 社 員 及 び エ ッセ ン市 民 の た め に建 設 した マ ル ガ レ ー テ ンへ 一 工 で あ る。 エ ッセ ン市 の 中心 か ら4キ ロ の,周 囲 を森 で 囲 まれ た 敷 地 に 準 備 され た約2,500戸 の 住 宅
23)月 尾 嘉 男 ・北 原 理 雄 ,同 上,p.193.
モ ダ ニ ズ ムが 夢見 たユ ー トピア:ド イ ツ 田園 都市 建 設 の 歴史(2) 151
繋
マ ル ガ レー テ ン へ 一 工 の 広 場(1909)
マ ル ガ レー テ ンへ 一 工 の 住 宅1(1909)
地 は ク ル ップ ・コ ロニ ー の 中 で 最 も ビ クチ ャ レス ク な効 果 を持 ち,伝 統 的 な 建 築 美 を意 識 して 作 られ て い た 。 破 風 や 張 り出 し窓 の付 い た そ の様 式 は ドイ ツ の典 型 的 な村 落 の イ メ ー ジ を投 影 した もの だ った が,擬 中 世 的 ・ロマ ン主 義 的 で,真 に労 働 者 向 け の デ ザ イ ン と は言 い難 か った 。 ク ル ッ プ ・コ ロニ ー の建 設 が 労 働 者 の 生 活 環 境 改 善 に大 き く寄 与 しな が ら も,建 築 的 に見 れ ば労 働 者 住 宅 と して 真 の需 要 に 叶 った 機 能 性 と美 を求 め る とい う コ ン セ プ トか ら は ず れ て い る と言 わ れ る の は,24)伝統 的 な 中 産 階 級 の 理 想 像 に 向 か う そ の 審 美 的傾 向 に因 っ て い る。 しか し社 員 の 福 利 厚 生 面 の み な らず 熟 練 工 の 長 期 的
24)Howaldt ,ibid.,S.352.
確 保 と製 鋼 法 の秘 密 の保 持 とい う点 に お い て も,ク ル ップ ・コ ロニ ー の 企 業 経 営 的 な 成 功 は大 きか っ た と言 え よ う。
ト3.グ ミ ンダ ー ス ドル フ
ドイ ツ の 伝 統 的 な 住 宅 様 式 を踏 襲 しな が ら もよ り機 能 主 義 的 で,労 働 者 の ア イ デ ンテ ィ テ ィ育 成 とい う 目的 に沿 っ た と言 わ れ て い る の が,ヴ ュ ル テ ン ベ ル ク州 ロ イ ト リ ン ゲ ン の 繊 維 工 場 ウ ル リ ヒ ・グ ミ ン ダ ー社 に よ る グ ミ ン ダ ー ス ドル フ(Gmindersdorf)で あ る。
19世 紀 後 半 以 来,労 働 者 の確 保 とそ の住 宅 問 題 の解 決 は企 業 に とっ て共 通 の 課 題 で あ った が,ウ ル リ ヒ ・グ ミン ダ ー 社 の 当主 達 は地 方 名 士 とし て の 自 負 か ら もキ リス ト教 的 な 社 会 政 策 理 念 に 関 心 を持 っ て い た 。 イ ギ リ ス滞 在 の 経 験 か ら労 働 者 の住 宅 環 境 に つ い て の 理 念 を持 つ に至 っ た エ ミー ル ・グ ミ ン ダ ー(EmilGminder)は,「 帝 国 自 由都 市 ロイ トリ ンゲ ン は労 働 者 の た め に 劣 悪 で か つ 高価 な住 宅 しか 提 供 して こな か っ た 」25)として ク ル ッ プ社 の 例 を 引 き,ロ イ トリ ン ゲ ン市 と労 働 者 コ ロニ ー建 設 の 交 渉 を始 め る。 グ ミン ダ ー の理 想 に よ る と,廉 価 で 美 的 で 健 康 な住 宅 地 は コ ロ ニ ー で もズ ィー ドル ン グ で もな く,独 立 した 村(Dorf)と な るべ き で あ っ た 。1903年,シ ュ トゥ ッ ト ガ ル トの 工 科 大 学 で 都 市 計 画 を 教 え て い た テ オ ドー ル ・フ ィ ッ シ ャ ー
塵 撫
餅 か 杖 趣
撫
グ ミ ン ダ ー ス ド ル フ の 見 取 り 図 (1908)
グ ミ ン ダ ー ス ドル フ の2世 帯 住 宅 (1903),1973年
25)ibid .,S.332.
モ ダニ ズ ム が夢 見 た ユ ー トピア:ド イ ツ田 園都 市 建 設 の歴 史(2) ヱ53
(TheodorFischer,1862‑1938)が 建 築 デザ イ ン を担 当 し,48の 家 屋 と商 店, 託 児 所,小 学 校,養 老 院 等 か ら成 る一 っ の 小 規 模 な村 の 建 設 が 始 ま る。
「 モ ダ ン の ハ ー フ タ イ ム 」は ,実 用 派 が 次 第 に芸 術 派 の優 位 に 立 っ て い く時 代 で もあ った 。1904年,芸 術 批 評 家 グ ル リ ッ トは 都 市 建 築 に 関 し,「 目 的 に 適 っ た もの こ そが 真 に芸 術 的 か つ 美 的 で あ り,真 に 美 的 な もの こ そが 目 的 に 適 っ て い る」26)とい うモ ッ トー を発 表 して い る。 フ ィ ッ シ ャー 自身 も「 建 築 家 は衛 生 学 者 や 社 会 政 策 者 の示 す 可 能 性 を,最 も廉 価 に,実 用 的 に,ま た慎 ま し い条 件 下 で も美 し く実 現 さ せ る術 を心 得 て い な け れ ぼ な ら な い 」27)と 考 え て い た。 グ ミン ダ ー ス ドル フ もイ ギ リス の ガ ー デ ン ・ヴ ィ レ ッ ジ を模 範 と し て お り,住 戸 は大 き くて も4世 帯 住 宅 の コテ ー ジ様 式 だ っ た 。質 素 で 美 しい 建 築 を心 が けた フ ィ ッ シ ャ ー は,木 組 み,切 り妻 屋 根,差 し掛 け屋 根 とい っ た ドイ ツ の伝 統 的 な建 築 様 式 と都 市 型 ス タ イ ル を折 衷 し,画 一 性 を避 け るた め18も の モ デ ル を作 る。 伝 統 的 な ス タ イ ル へ の 回 帰 は 「フ ォ ル ム と機 能,美 と 目的,実 用 と芸 術 の 調 和 」と い う彼 の 理 念 と相 容 れ な い もの で は な か っ た。
グ ミン ダ ー ス ドル フの 住 民 の 多 くは農 村 出 身 者 で あ った し,労 働 者 住 宅 が 中
グ ミ ン ダ ー ス ドル フ の2世 帯 住 宅 (1905)
グ ミ ン ダ ー ス ドル フ の 住 宅(19D7)
26)Schollmeier ,ibid.,S.51.
27)Howaldt ,ibid.,S.341.
産 階 級 の た め の建 築 の 亜 流 とな る こ とを避 け る た め に も,農 村 的 建 築 様 式 が 住 民 の現 実 に合 致 した もの だ っ た 。 ま た各 ブ ロ ック 内 の レ イ ア ウ トは住 民 の 交 流 を容 易 にす る よ う考 案 さ れ て い た 。
クル ップ ・コ ロ ニ ー とグ ミ ンダ ー ス ドル フ は両 者 と も イ ギ リス の 労 働 者 住 宅 を模 範 と し,労 働 者 に実 用 的 で 健 康 的 な 住 宅 を供 給 しっ つ職 場 以 外 で の生 活 の 満 足 感 を与 え る とい う 目標 にお い て も共 通 して い る。 外 見 的 に もマ ル ガ レー テ ンヘ ー エ とグ ミン ダ ー ス ドル フ の差 違 は さ ほ ど大 き くは な い 。 しか し 建 築 を世 界 観 の 表 出 と捉 え て い た フ ィ ッシ ャー に と って,コ ロ ニ ー 建 設 は 労 働 者 の生 活 の 安 定 と労 働 力 の再 生 産 を 図 る とい う 目的 の 枠 を越 え,「互 い に 心 情 を共 有 す る住 民 組 織 」創 設28)の 試 み だ っ た 。 グ ミ ンダ ー ス ドル フ は企 業 全 体 の 労 働 者 に 占 め る コ ロニ ー住 人 の 割 合 の低 さ と,労 働 者 の再 生 産 に さ ほ ど 成 功 し な か っ た とい う点 に お い て,ク ル ップ ・コ ロ ニ ー と比 較 す る とそ の経 済 性 は低 か った 。しか し人 間 の 新 た な 共 生 理 念 の体 現 を 目指 した もの と し て,
「 人 間生 活 の新 た な 理 想 の追 求 」に よ り進 歩 的 に踏 み込 ん だ 試 み で あ っ た と言 わ れ て い る。29)
社 会 改 革 者 の ヘ ル マ ン ・シ ュ ミ ッ トは1910年,「 毎 年 多 くの建 築 家 や 社 会 政 策 者 が イ ギ リスへ 赴 い て 模 範 的 な コ ロ ニ ー を見 学 し,賞 賛 す るが,規 模 と い う点 を 除 い て は イ ギ リス の例 に 決 し て 引 け を取 らな い 労 働 者 コ ロニ ー が ド イ ツ に も既 に存 在 す るの で あ る。 第 一 に挙 げ るべ き は,ヴ ェ ル テ ンベ ル ク 州 の我 らが 小 さ き グ ミ ンダ ー ス ドル フで あ る 。 」 とい う言 葉 を残 し て い る。30)
6.コ ロ ニ ー と生 活 改 革 運 動
テ オ ドー ル ・ フ ィ ッ シ ャ ー は擬 古 典 的建 築 か ら出 発 し な が ら1900年 頃 に新 しい様 式 の模 索 を始 め た建 築 家 で あ る。 グ ミン ダー ス ドル フ の プ ロ ジ ェ ク ト
28)ibid .,S.354.
29)ibid .,S.353.
30)ibid .,S.347f.
モ ダ ニ ズム が夢 見 た ユ ー トピ ア:ド イ ツ 田園都 市 建 設 の 歴史(2) ヱ55
に は 彼 の 事 務 所 に い た ブ ル ー ノ ・タ ウ トや シ ュ ト ゥ ッ トガ ル ト中 央 駅 の 設 計 者 と し て 知 ら れ る パ ウ ル ・ボ ナ ー ツ が 参 加 し て お り,フ ィ ッ シ ャ ー 同 様 「ド
イ ツ 工 作 連 盟 」 の 設 立 メ ン バ ー だ っ た リ ヒ ャ ル ト ・ リ ー マ ー シ ュ ミ ッ ト も彼 と共 に ヘ レ ラ ウ の 建 設 に 関 わ っ て い る 。 フ ィ ッ シ ャ ー は エ ー リ ヒ ・メ ン デ ル ス ゾ ー ン や フ ー ゴ ・へ 一 リ ン グ,ヴ ァ ル タ ー ・グ ロ ー ピ ウ ス と い っ た 面 々 に も影 響 を 与 え た と言 わ れ,建 築 史 上 の 功 績 は 大 き い 。 そ の フ ィ ッ シ ャ ー 自 身 と グ ミ ン ダ ー ス ドル フ 建 設 は,生 活 改 革 運 動 と相 互 に 影 響 を 与 え 合 う 関 係 に あ っ た 。
1900年 頃,社 会 改 革 者 や 社 会 主 義 者 達 に よ り 「家 庭 生 活 の 理 想 」 が 語 られ 始 め て い た 。 「幸 福 な 人 間 存 在 の 基 盤 は 自 宅 と庭 に あ る 」と す る 民 俗 学 者,W.
H.リ ー ル(WilhelmHeinrichvonRieh1)の 著 書 『 家 庭(DieFamilie)』
が こ の 頃 教 科 書 版 と し て 再 版 さ れ,広 い 読 者 層 を 得 る 。31)リー ル は 既 に19世 紀 後 半 か ら 田 園 礼 賛 に よ っ て 知 ら れ た 著 作 家 で あ っ た 。32)「 田 園 都 市 協 会 」 と
「ドイ ツ 工 作 連 盟 」両 方 の 設 立 に 加 わ っ た ム テ ー ズ ィ ウ ス も1907年 ,「 唯 一 の 人 間 的 な 住 ま い は 独 立 家 屋 で あ り,虚 栄 か ら の 脱 皮,率 直 な 心 情,正 直 さ, 深 み の あ る 精 神 生 活 は,独 立 家 屋 と の 相 関 関 係 に あ る 」と述 べ て い る 。33)また 郷 土 保 護 運 動 や 芸 術 教 育 運 動 等 多 く の 生 活 改 革 運 動 に 関 与 し た 反 ユ ダ ヤ 主 義 的 イ デ オ ロ ー グ,パ ウ ル ・シ ュ ル ツ ェ ーナ ウ ム ブ ル ク(PaulSchulze‑
Naumburg)34)は,1903年 に 理 想 的 な 集 落 の 建 築 に つ い て 述 べ た 『村 落 と コ ロ ニ ー(D6rferundKolonien)』 を 著 し て い る 。35)1907年 に は ハ ワ ー ド の 『明
31)WilhelmHeinrichvonRieh1
,DieFamilie,1855,erschiennoch1896,Stuttgart, in:Howaldt,ibid.,S.354.
32)Schollmeier
,ibid.,S.27.
33)Howardt
,ibid.,S.354.
34)副 島 美 由 紀 「近 代 《病 理 》 の イ コ ノ グ ラ フ ィ ー:ナ チ ス に よ る 近 代 美 術 の 〈病 理 化 〉 現 象 」,小 樽 商 科 大 学 「 人 文 研 究 」 第91輯,1996,p.189ff.同 「モ ダ ニ ズ ム が 夢 見 た ユ ー ト ピ ア:ド イ ツ 田 園 都 市 建 設 の 歴 史(1)一 世 紀 転 換 期 の 生 活 改 革 運 動 」,小 樽 商 科 大 学 「人 文 研 究 」 第96輯,1998,p.201.
35)PaulSchulze ‑Naumburg ,D6rferandKolonien,KulturarbeitenBd.III,Hrsg.
Kunstwart,Mttnchen,1903.
日の 田 園 都 市 』 が ドイ ツ で 翻 訳 出版 され,入 植 運 動 の高 ま り もあ っ て 共 同 体 建 設 に は大 きな 関 心 が 寄 せ られ て い た 。しか し19世 紀 ドイ ツの 労 働 者 住 宅 建 築 に対 す る不 満 は大 き か っ た 。 ム テ ー ズ ィ ウ ス は,イ ギ リス の コ ロ ニ ー建 築 が 「 家 庭 的,小 市 民 的,農 村 風 の建 築 を経 由 して 単 純 で 自然 で 理 性 的 な様 式 へ 至 る」こ と に成 功 した の と較 べ,「 ドイ ツ の歴 史 主 義 は,騎 士 時 代 の理 想 か 大 邸 宅 の イ ミテ ー シ ョン」 に 過 ぎ な い と述 べ て い る。36)真に 実 用 的 か っ理 性 的 で,健 康 的 な住 宅 様 式 が模 索 され ね ば な らな か った 。
フ ィ ッ シ ャ ー は シ ュル ツ ェーナ ウ ム ブ ル ク を通 じて ム テ ー ズ ィ ウ ス が もた ら し た イ ギ リス建 築 に関 す る情 報 を得 て い た 。 また 『 村 落 と コ ロニ ー』 の 中
中 産 階 級 の た め の 住 宅 (1899)
轟
〜帳