塞騙.願
究
民 族 と 傳 統
中野清一
私は民族の本質を吟味しようとした別稿の冒頭に次の檬に記した事がある︑﹁民族なり國民なりの本質を明
らかにしようとする人々は殆んど例外なくといつてい玉程にこれらの言葉の使用が如何に暖昧多義を極めてゐ
のるかを指摘する事から始めるのを恒とする︒﹂叉バウエルの民族理論を批判しようとした今一つの蓄稿に於て
は﹁日常最も多く用ひられる言葉はそのま﹂最も明瞭な意味のものであるとは限らない◎場合によつてはその
もつ意味の不鮮明である事がその言葉をして汎く用ひ易からしめてゐる事が砂くないであらう︒﹂と述べ︑こ
民族と傳統(申野)一
s)小 樽高等商業學佼創立 二十五 周年 記念論 丈集所載拙稿「民族及國民 の本質 」 入十一頁o
二
わういふ言葉の著七い例として﹁民族﹂がある事を指摘しておいた︒みは民族概念の嚴密なる理論的規定におけ
る著しい混齪を指示しようとしたのであの︑他は民族どいぶ言葉の日常の使用における無雑作ぶりを嘆じょう
としたものなのである︒・勿論こういふ二種類の混齪なり曖昧さなりは特に民族の概念に限つてのみ現れてくる
事情ではないのかもしれぬ︒然し他の如何なる概念の使用に於ても全く見出され得ぬ程の特異なる姿に於て上
の如き事情が﹁民族﹄の場合に現れてゐる様に私には考へられる︒それはこうである︑他の概念の場合にあつ
ては大罷に於て理論的規定の多義である事情がその概念の日常使用における曖昧さの原因をなしてゐるといふ
風にこの二種類の混齪は因果の關係にあると見る事が許されようと思はれるが︑これに反して民族の場合には
勿論二種類の混齪が因果の關係にたつ場合も存しなくはないが︑より重要な事に第二種の混齪︑即ち日常使用
における混齪が第一種の混齪︑即ち理論的規定のそれに何等の關係なしに︑といふよりは寧ろ理論的規定が如
何に進行しつ︑あらうと敢てこれを意に介せざる如き姿に於て現れてゐるのを稜見する︒
上に述べた様な民族の概念につきまとふ特殊なる事情は一面この概念の理論的吟味が如何に困難なるもので
あるかを思はしむるに足ると共に他面この困難さそのものを見詰め︑その特殊さが何塵にひそむかを考ふる事
の申にこそ實はこの概念の本質を明らかにしてゆく手掛りが︑思ひもかけナ見出されてくる事を暗示してゐ
る︒この著しく特異なる藩をあくまで特異肇ものとして認め︑その場合感ぜしめられ蓄惑を超へて︑こ
の特異なるもの︑人をルて當惑せしむるもの隅申に却つて今直面しつ玉ある現象の本質をなすものがあると考
2)「 商 學討究 」第十巻 中冊所載拙稿 「民族=蓮 命共 同燈説 の吟味 」九十 一頁o
へてゆくのでなければ民族の概念及びこれに關聯する幾多の問題は容易に究明t得られない︒民族概念の把握
のにおける多岐なる姿こそ民族現象の本質をなしてゐると指摘したチィグラ﹂は民族概念の規定に壽ける︑L多く
の人々の思駄もかけなかつた最も有力なる道を訓へてゐる︒︑.・︑
所でかくの如き特異なる事情は民族の概念に欄聯するすべての問題江一様に現れてゐるとはいふもの玉︑仔
細に立入つてみるならばこの特殊なる事情の構成要素ともいふべき二種類の混齪の中その何れがより強く吟味
の進行を妨げてゐるかの事情を異にするに絆ふて一々の問題の取扱ひが異ならざるを得ない檬な風に︑場合々
の々πつれて若干異つた姿に於て現れてくるのに氣つく︒例へば私は嘗て民族と政治との關聯を吟味したが︑そ
の場合主として考慮せられたものは第二種の混齪︑日常使用における混鼠が問題を支配的に決定しづ︑あると
のいふ事情であつたし︑叉別の機會に民族と階級との關係を明らかにしようとした時︑主として私の考慮の中に
おかれた事情は第一種の混齪︑理論的規定の混齪の姿であつた︒今この稿に於て民族と傳統との關係を考へよ
うとする場合︑私はこの爾種類の混齪が一面より見れば第一種の混齪が支配的であり︑他面よりするとき第二
種の混齪が支配的であると思はれる程に奇異なる錯綜を示しつ︑現れてゐる様に感ぜられる︒この奇異なる錯
綜は勿論一慮は私を甚しく當惑せしめる︑しかしこの奇異なる錯綜の姿こそ民族と傳統とが相互に如何なる瀾
係にあるか︑民族の概念構成における傳統の地位は如何なるものであるか等々の一聯の問題を明らかにしてゆ
くための有力な手掛りをなしてゐる︒
民族と傳統(中野)三
3) 4) 5)
H.0.Ziegler,DiemoderneNat量o馬Ig31,S.20.、
経 濟 往 來 、 昭 和 十 年 五 月 號 所 載 拙 輪 「民 族 と 政 治 」o
日 本 肚 會 學 會 年 報 「証 會 學 」、 昭 和 十 二 年 春 號 所 載 拙 稿 「民 族 と 階 級 」o
四
重ド
一
:・一罷民族と傅統との關係が問題としてとりあげられる場合︑この問題が正當に所在する地黙は民族の概念規
定の幾多の過程の申その何塵に見出され得るものなのであらうか︒これを逆にいふならば︑民族の概念を規定
しつ︑進行する理論的過程の何れの段階に於て︑始めて民族と傳統との關係如何の問題が正當に現れてくるも
のなのであらうか︒一見かくの如き問を嚢するといふ事は民族の概念を規定するに當つて充分なる用意を示さ
野る人々にとつては凡そ無意味な事柄であるかに感ぜられるであらう︒況んや民族てふ言葉を日常無雑作に使
用しつ﹂ある人々にとつては極めて迂遠なる問の嚢も方に過響ぬと思はれるであらう︒だが然し私は嘗て民族
わ
の概念規定の過程は次の如く三段にわたつてなさゐ玉べきものである事を主張した︒その第一は民族と呼ばる
玉集團の上位概念たる集團が何であるかを明らかにすると共に︑この上位集團と異なる所以のものが何である
かを指摘する事であり︑その第二は民族乏呼ばる︑集團と論理的に見て同位概念売る地位にたつ他の種類の集
團から特に民族を匠別せしめる徴表が何廼泌るかを吟味する事であり︑最後にその第三は︑一般に廣く民族と
呼ばれつ蕊あるものの申にあつ定特に^<9戸と名づけらる玉ものに相懸する﹁民族﹂と︑特にZ彗凶︒昌と呼稻
さる﹂ものに當る﹁近代民族﹂又は﹁國民﹂とを相互に匝別する事情が如何なるものであるかを究明する事で
ある︒若し私の思ふ所を大謄に表現する事が許遷れるならば激多くの學者の民族概念の吟味が精細なる論攻︑
1)前 掲 拙 稿 「良 族 と 階 級 」o
豊富なる立誰にも拘はらす猶勘からざる曖昧きを感ぜしむる理由の大孚は問題の吟味をこの三段に分ちつ玉企
でなかつた.事︑叉は勘くとも上述第一段の吟味が概ね閑却せられてゐた事に基ぐと考へられるが今はこの鮎を
姑く措くとして︑若しごの三段に分つて吟味がなされねばならぬとする私の主張にして正しいものであるなら
ばこの項の始めに於て私自ら叢した如透問が充分なる意義をもつものである事が自ら理解せられてくるであ
らう︒
私は民族と傳統との關係如何の問題は主として上述の三段にわたる吟味過程の申第三段階に於て症當に嚢せ
られうるものであると考へる︒換言すれば狭義の民族概念を所謂近代民族の概念から匝別せしめようとする場
合に傳統との關聯が問題としてその正常なる位置に於て浮び來るものであると考へる︒何故にてう考へるか︑
又第三段の吟味過程に於て傳統との關聯がどういふ形で現れ︑どう考へられてゆくか︑以下これらの鐵を明ら
がにしよう︒
順序として第一段及第二段の吟味過程に於て得たる措定の大禮を要約︑叉或場合には鼓に必要であると思は
れる限りに於てこれに若干の補読を加へつ玉當面の澗題に迫つてゆく事とする︒第一段の吟味の結果として到
わ蓮し得た私の結論は民族は世界に於ける第一次の部分集團たる性質をもつといふ事であつた︒世界を一箇の集
團どして考ぶる時︑そこにはその全面にわたつての統一的積極的秩序の存在を見出し得ない︒こういふ意味に
於ては世界とはいふもめ飴沖各種集團め︑未だ組織づけられぎる︑輩なる総括にすぎないといつてもよい︒こ
民族と傳統(中野)五
2)前 掲拙稿 「民族 及國民の本 質」、108頁 以下、 及び 同拙稿 「民族 と階級 」謬 照6
臼
六
の意味での世界集團の下には︑自らの集團範園を超へて統一的積極的秩序を有するか否かを標準とする事によ
つて相互に匝別し得られる二種類の集團が所属してゐる︒一は自らを超へてはか玉る秩序を有せざるもの︑換
言すれば第一次的に自らの範園に於てのみか瓦る秩序を所有しつ﹂あるものであるし︑他は自らを超へてか歯
る秩序が支配しつ瓦あるもの︑よし官らのみの範園内に於てか︑る秩序を有する事があるとしても第二次的意
義に於て璽あるにすぎぬ如き集團である︒事實に於てはこの後のものは第一種類のものΣ下に從属する地位に
たつ︒この中前者を私は世界に於ける第一次の部分集團と名づけ︑民族はか︑る種類の集團であると考へよう
としたのである︒第一次の部分集團であるといふ事は別檬に表現するならば︑この範園を超へては確實にして
有効な集團生活の保誰が見出され得ないといふ意味に於て︑限界集團たる性質をもつてゐるといふ事を意味七
てゐる︒勿論第一次の部分集團たり限界集團たるものが具髄的に見て何れの集團であるかは歴史的には攣遷し
さており︑大艦に於てはか﹄る性質の集團の範園が歴史的には次第に擾大されつ﹂ある乏思はれるが今はこの鮎
に深く立入らない︒勘くも現在のみを念頭にする限り民族は紛れもなくか﹂る種類の集團である事に疑問はな
いと考へられる︒この瓢の立誰は別の稿に於て企てたが故に鼓では繰り返さない︒唯後との關聯のために︑今
迄の私の何れの稿に於ても鰯れなかつた次の如き一窯をζ玉に補読しておきたい9民族が限界集團たる性質を
現在に於てはもつてゐると主張ずる事の根撮が如何なるものであるかの問題とは猫立に︑現在の所︑限界集團
たる性質が何故に民族に附着しそれ以下及びそれ以上の他の集團に附着しないかの問題が考へられる︒例へば
3)屡 々論 議 せ られ る 「郷 土 」 と 「粗 國 」 との 關 係 如 何 の 問題 も こ の 事 情 な 中 心 と して 見 る時 、 容 易 に解 決 し得 られ ろ様 に 考 へ られ ろ 。 近 く この 馳 な 、 稿 な 別 に して 吟 味 して み 六 い と思 つ て ゐ ろ。