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7.6b 胆沢扇状地における土地利用の変遷について

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(1)

胆沢扇 状地 におけ る

土地利 用の変遷 につ いて

千 葉 信

Ⅰ は じめ に

戦後我が国 において人 口増加が著 しく進行 し、その為に食糧増産が農業の 目標 とされ、全国各地 で開墾が盛ん に行 をわれ、従来利用度の少をか った扇状地 も次第 に開発されて行 ったO岩手県南部 の胆沢扇状地 も、時代の波 に対応するかの ように開発されて、徐 々に耕地面帯 の拡大 をもた らして 行 ったoそ こで聾者は、 この胆沢扇状地を対象 に選び、特 に扇状地の土地利用か らの研究事例が少 をいので この研究を試み、土地利用の変遷 を通 して胆沢扇状地 の変化過程の性格を明 らかに したい と思 う 。 この研究の調査方法 として、国土地理院発行の 5 万分の 1 の地形図を用いて 、 1 947 年 ・ 19 59 年 ・ 197 1 年 ・ 197 4 年の土地利用図を作成 し、また統計渠科は、農業基本調査 と農 林業 センサスを併用 し、その他現地での事情聴取に. よ9この研究を進. めた.

Ⅱ 地域概観

胆沢扇状地は、奥羽 山脈を背後 に して東方 に広が れ 北側 を胆沢川、南側を北股 川 , ・衣 川 に囲ま れ、扇頂を西方 に もち、北上 川 本流付近に扇端をもつ扇形の地域 で、半径約 20k m 、 中心角は約

5 5 度 あ 9、面積は 11 7 . 6 b ㌔である。 この東状地は西方か ら東方へ傾斜す ると共に、南部かむ北 部 にかけ に高度 を滅 じていて、階段状 に地形面が配列 しているo藤原 ・中村 (1965) は、南 か ら山地及び丘陵地、上位段丘 ・中位炭丘 ・下位炭 丘 に分類 してい る0、 土壌について見る と、台地 の土壌は、その表層部の全地境 とも大部分黒色を帯びた火山灰性土壌であb、低地地域の古い1 水 田 地帯 は、全般 に粘土質性の土壌である.気院は、太平洋岸の表 日本式気候 区に罵す るが、海岸か ら 北上 山地 を隔てて約 d O Kmも離れているので、内陸盆地型の気候を示 してい る.又 この地域は、昔 か ら農業が行 をわれ、その耕地は全て扇状地 に立地 していた.今か ら 4 0 0 年前に北郷茂井羅 に よ る茂井羅堰の開削、その後 18 17 年に後藤寿安 に よb 寿安堵が造 られて、下位段丘の北半の濯概 が行 をわれて きた . 1 946 年に国士総合 開発の‑蓋 として北上特定地域の一部 とそ ってか らは、

各方 面か らの開発事業が施行された. 19 51 年には国営事業 として胆沢川農業水利事業が行 をわ れ、 1957 年か らは胆沢開拓事業 も実施されてい る.又、 1955 年には、 ロックフィルダム方 式の石淵 ダムが膿沢上流 に建設され、発電使用後の水は潅混用水 として扇状地の各地域 に供給 され ‑ . 1 J ている.集落形態についてみると、胆沢扇状地の集落は、一般 に知 られている散村形態を示 してい る。

‑ 1 8‑

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図 1 旧町村 分布 図

0 5 1 0 伽 i 1 9 7 1 年 現 在 )

表 1 胆沢扇状地 9耕地面積の推移

真 城 地 区 ︺

南 都 田 地 区

佐 倉河地 区

描 ‑ 軒 予 」

小 山地区

}V 前沢 地 区

\ 了

ト Y

1950 年 19 占0 年 19 占5 年 I 197 0 生 I 197 4 年 I

経 営

878100 987875 1055805 1075506 1040599 (118 . 5) 耕 地 (100 ) (112. 5) (120 . 2) (122, 5)

求 657050 7

2 .

7757 ‑ 一 一 ̲ r ■ 85075̲ 1 941051 925占29 田 (100 ) (114 . 2) (155 : 5) (147 . 7) (145))

畑 221710 2 5 9 . 262 178798 115499 l 99028 地 (100) リ (107 . 9) ( 80 . 6) ( 52. 1) ( 44. 7)

園 (100) 9占90 (190 18452 . 4) (250 ) 22289

}

(147 14274 . 5) (128 12466 . 6)

秦 9510 2299 5057 4295 5181

園 (100) ( 24 . 2) ( 52. 5) ( 45. 1) ( 54. 5)

一千 裏芸

l l 117 . 9 124 . 5 l 150. 5 I 128 . 8 l l 125 . 8 1 〜 (農 林 業 セン サス と農業基本調査 よb )

‑ 17 ‑

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Z ヨ ーー‑ 1t Itt

‑1t 3‑

(4)

Ⅲ 土地利用の変化 とそ の要 因 ( 1) 194 7 年 〜 19 8 0 年

胆沢扇状地の経営耕地面積は 19 5 0 年に 878 100aで、全地域面凍 4 00 .24k 7 7 tの う ち 2 1 .9車を占めていたが、 196 0 年までに経営耕地面積は 12.5iも増加 して、全地域 面積の

) 2 4 .7帝を占めるT iでに浸 った。 これ らの増加 した理 由は、食糧増産 を 目的 と した国営事業の旭沢 川農業 水利事業 と胆沢開拓事業 の影響 に よるものである。

水 田は 195 0 年には 657 05 0aて、 196 0 年には 195 0年に比 して 14 .2帝の増加 を 見てい る.1 ' 水田面積 の拡大要因 と して、 この期問では胆沢J l l 農業水利事業が大 きを貢献 を してい るO

′ 〉

何 故 な ら用排7 K路 の敷設 に エ D、古 くか ら水 田化の進んでいた下位段丘か ら中位段丘へ と水田が 開 発 されて行 った為であるO

畑地は 198 0 年 にかけて各地 区 とも滅少傾 向を示 しているが、若柳地区 ・小山地区の山林原野 0 の開拓 によ b 僅かの増加 を見ている. 19 5 0 年には 2 2 17 1Caで、 1980 年には 259262a

と 7 .9弟の拡張が 浸された.畑地利用の農産物収穫 面積 を見て も、畑地拡張 で農産物収穣面積 も増 加 している。

果樹園は 1950年には 9 89 0a で、 198 0 年には 184 52a である。 1947 年の土 地利用図には上位段丘 の1 野原付近 に1 . , か果樹園が見 られ をいが、 19 5 9 年頃までには水沢周辺 と前沢地区 の北上川沿い に分布が見 られ る様 にそ った。そ して これ らは後 に、胆沢扇状地の果樹栽 ■ 培 の中核 を浸す ことに在 った.

)

桑園は 1950 年に 95 10a で あD、桑園分布は下位段丘 に集中 し、 中位 ・上位段丘には散在 していた。下位段丘 で も、北上 川沿 いの周辺 地帯の白山地区、姉体地区に集 っていた。又 この地域 は洪水常襲地帯であったが、石淵 ダム造築 と堤防の建設で冠水が回避 された為 に、桑園は他 の もの へ の利用 に移行 して行 ったOそ して 1960年には、 229 9aと桑園面積を激減 している.

3 , ( 2 ) 1960 年 〜 1974 年

経営耕地面積は 19 8ロ年 に 9878 号 5a、 19 85 年に 105 58 05 a 、 1970 年には つ

10755Oda、 1974 年に 1040599aで、全地域 面積の うち 24 . 7頭、 26 . 4蕗 、56 . 9 乳 26帝と 各 年 とも経営耕地面積が 4 分の 1 以上 を占めている。そ して両事業 の継続 に よD、経営耕地は増加 傾 向を示 してい る.

水 田は 1?80 年 に727757a 、 19ム5 年に 850751a 、 197 口年に 941051a、 1974 年 に 925629a と全般的に増加の様相 を呈 している。 これ らの増加は、開拓事業や用排水路の整備 敷設 ・自己開田・開田事業 に よる ものである.そ して徐 々に、上位段丘 も水 田化 されてい った.

畑地は 195 8年にその面積の ピ ークだ ったが、水田が 19 65 年頃か ら開田ブ Iムと騒がれ て 面横 を拡大 して行 った為、 開田された b してその面溝 を漸減 して行 った しか し近年水 田単一経営方

‑ 19‑

(5)

式か ら、畑地を利用 しての商品作物の栽培が 夜されてい る.

果樹園は、従来の ものが周辺地域 を取 b入れて大規模的拡大 を している.そ して この期闇では新 しい果樹園の開発が なされていて、それは扇項部の若柳地区土橋付 近であD、開発 された翌 年の

1985 年には果樹 園面積が最大拡張 を夜 してい る.近年水沢市周辺 では、住 宅地の進 出に よb果 樹 園が蚕食 されて きている。

桑園は前 の期間の散 歩 : : I に反 して、 この期間に於いては僅かに面積 を増 している.それは、従来桑 園が集中 していれ姉体地区で 19 84 年 に集団桑園が造 られ、前沢地区では 19 占8 年に丘陵地 を

開墾 して養蚕団地が形成された事が影響 して増加傾 向 とな つと思われ る。

Ⅳ 変化 の諸類型

胆沢扇状地 の変化過程 を分析 し考察 して来たが、変化面積に多かれ少をかれ差異は あ った として も、その変化の類型は大 き く次の様 に分類されたO

( 1 ) 畑地か ら水 田‑ の移行 型 ( 2) 桑 園か ら水田‑ の移行型 ( 5) 桑園か ら果樹園‑ の移行型 ( 4) 畑 地か ら果樹園‑ の移行型

昼上 の様 を変化類型 を もとに して輩者は、その移行型が どこの地区にあてはま通 か、移行時期は いつか、移行要因は何かを考 察 しようと思 う.

( 1 ) 畑地か ら水 田‑ の移行型

この類型 に罵す る地区は、近年開発 された若柳地区 ・小山地区が入 るOそ し脚 は、 195口 年 ら19 85 年 に見 られ る。 開拓 事業 に よb開かれた畑地が、食糧増産 と価格安定 な水稲栽培 に圧 迫 されて開E Bがをされた、畑地は面積を狭小化 されて行 った.

( 2 ) 桑園か ら水田‑ の移行型

このタイプは、やは b桑園の集中 していた姉体地区 ・白山地 区に見 られ る.そ して この移行型は 1958年か ら 19 56 年にかけて見受け られたO桑の需要淑少 と冠水か らの回避 に よD、又生産 性 の高いそ して価格変動の少ない水 田経営が選ばれ、開田ブ l ム に対応 して開発 され桑 園面積は敦 滅 して行 った。

( 5 ) 桑 園か ら果樹園へ の移行塑

この移行型の見 られ る地区は、前沢地区 ・水沢地区が上げ られる。そ して この傾 向は、 195 0 年か ら 19 占□年にかけて見 られたO桑が以前に も増 して需要滅少 し、面積 を縮少 して行 った反面 商 品性が高 く、需要 も増加 して行 った果樹が選ばれ、そ の耕地 を利用するに至 っているO

( 4 ) 畑地か ら果樹園‑の移行塑

このタイプは扇状地上 では僅 少であ b 、そ の地区 としては若柳地区土橋付近を上げ ることがで き

(6)

るOそ して この移行 時期は、 19占0 年か ら 19占5 年にかけて見 られたO この付 近は、従来 、 自 給作物 を作 D、畑地経営 を していたが、所得 向上は困難 と解 し、又地元農協 の積極際 を指導 もあ b

b ん とを導入 して東京市場や地元市場 を どに出荷 され てい る,

Ⅴ むすび

( 1 ) 胆沢扇状地の経営耕地面積の増 加 には、胆沢川 集業水 利 事業 と胆沢開拓事業の影響が大 きい.

( 2 ) 水 田は、古 くか ら用水路の整 っていた下位段丘か ら、用排水路の敦設に よb中位 ・上位段丘

‑ と開発 されて行 った。

( 5 ) 畑地 は、開拓事業 に よ b 面横 を増加 したが、その後開 田7'‑ムに よb大半 を水 田に転化 した 為 面積 を釈′ J 、 化 して行 った。

( 4) 果樹園は、特 に古 くか ら開発された地境が大規模経営 に よ b 残存 し、都市近郊では住宅地 ( Z ) 進 出で蚕食 されてい るO

( 5) 桑園は、従来の集 中 していた地区に残存 してい るが、そ の面横 は以 前 よ b 少を くそ っている。

一 方養蚕 団地造成や集団桑園の整備 も実施 されてい る.

( A) 胆沢扇状地の土地利用 としての特異性は、水 田が卓 越 してい る ことであD、 これは比叡 的水 田化 しやすい土壌 と農業用排 水路 の普及の結果 である.

最後 に̲ 、 この論文を進める忙あた D、終始多大 なる御助言 ・御 指導 を賜 った横 山 ・水野両教官、

資料 を操供 して下 さ った今井教官な らびに地理学研究室の後輩諸君 に感 謝の意 を表 しますo 参考 文献

( 1 ) 葛西大和 (19ム9):立谷川扇状地の果樹栽培地 城 東北地理 2 1‑ 1

( 2 ) 池 田雅美 ( 19 da) : 胆沢扇状地における開発過程の歴史地理的研究 人文地理 18

( 5) 社会法人 全国農業構造改善協会 (19 7 1) : 胆沢地域農業近代化調査 ( 4 ) 中川久夫他 (19占5) :北上川中流沿岸 の第 四系及 び地 形

地質学雑誌 占9

( 5) 経済企画庁 (19占5) :5 万分の 1 土地分類基本調査

「水沢」図幅

( 占 ) 池 田雅美 ( 1 9・ 72) :胆沢扇状地の集落 と散村貴 の変貌 東北地理 24 ‑2

‑21 ‑

図 1 旧町村 分布 図 0 5 1 0 伽 i 1 9 7 1 年 現 在 ) 表 1 胆沢扇状地 9耕地面積の推移 真城地区︺ノ南都田地区佐 倉河地 区描‑軒予」小 山地区}V前沢 地 区\了\トY 1950 年 19 占0 年 19 占5 年 I 197 0 生 I 197 4 年 I 経 営ノ 878100 987875 1055805 1075506 1040599(118.5) 耕 地 (100 ) (112

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