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老舎『微神』試論

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(1)

老舎『微神』試論

*

On Lao shO(老

)'s

Wei shOn(微

)''

TakehideヽVATANABE*

概途

老合 的初期作 品大都是被称l故 幽獣作 品

"。

ヒ女日《老弘 的哲学》(1926),《越子 日》(1927) 等。但是1934年旋表的 《微神》却没有一点九幽歌因素了,夙共到尾都是悲惨的内容。所以逮篇 《微 神》可以口H倣 悲居J作

"。

我扶力,乏舎的 悲居J作"的代表作是 《路耽祥子》

(1936)、

男外可以称l故 悲居J作"的

有 《月牙九》(1935)等等。那老合是夙 什ム吋候"汗始写 悲居J作"的

?。

乏合 的最早的 悲居J作"是[一篇呪?凱在我逐不太清楚。遂篤 《微神》呪?我扶力,宮在老舎的 悲居

1作

"

中可能是最早的作 品之―。所以要研究老合的 悲居J作",就庄核夙遂篇 《微神》汗始。

《微神》里描述的内容是菱情的故事、髪情的悲居1。 〒以我扶力,如呆研究老舎億祥砲」作悲居

1,

我個就庄注意 "的因素。本文中,我想分析一下遂篤作品里的 菱"的因素与 悲居J"有/ム 系、在

悲居1"里如何起作用。

遂今作品的 髪"本身就是主人公和他情人的不幸的一介原因。他個越 "越不幸。彼奇怪。

"原来不是送祥。力什ム会遂祥呪?悠/ム会有送祥的箸局呪? 我在遂篇文章里洋鋼地解粋 《微神》的悲居」鈷杓。

′ ζて ,yψ ο rtrs i tragedy,、 卜

'oman,love

老舎 の 『微神」 は一九二四年の「文学」第一 巻第四期 に発表 された もので,後に同年九月に 出版 された短編集『遅集』(良友図書公司

)に

め られている。

ところで,老舎の初期の作品は「ユーモア作 品」 と呼 ばれることがある。例 えば『老張的哲 学』(1926)『趙子日』(1927)と い う作品にはこ の傾向が強い(1ち だが

この『微神』になると一 片の「ユーモア」も見 あた らな くなって くる。作 品中にあるのは暗 く沈んだ悲劇的内容だけであ

平成 11年10月 15日 半総合教育センター・助教授

る。 もともと「ユーモア作品」 と呼ばれるもの にも「悲劇」的要素はあるにはあった

(2ち

だが

「ユーモア」的なものが完全に払拭され「悲劇」

その ものを中心 に置 いた作品 とい うことなる と

この『微神』以前には見あたらないように 思われる。そしてこの作品の後に

,例

えば『月 牙児』

(1935)『

酪舵祥子』

(1936)の

ような幾つ かの「悲劇作品」が連なっているように見える。

このように老舎は

,あ

る時期から 「ユーモア」

的傾向の作品のほかに「悲劇作品」を書き始め ている。その「ある時期」 というところに

,こ

F微

神』があると思えるのである。

また

,「

『微神』の女主人公の形象と 彼女"の 悲惨な運命は

,老

舎が多 くの作品で描いている 婦女の形象 と多 くの共通点 と深い関係を持って

‑169‑

(2)

いる。だか ら『微神』の 彼女"は,老舎が描 く 様々な婦女の形象の原点であ り,基点であると い うことがで きる」0とい う伊藤敬一氏 の指摘 もあ り,これか らも老舎 の作品の中での,こ

『微神』の重要な位置が窺 える。

そこで,この小論では,この 『微神』の「悲 劇」が どのようなものであるか とい うことを考 えてみたい と思 っている。そしてこの作品は

「愛」をテーマにした作品であるか ら「悲劇」を 考 えるとい うことは,結局 「愛」 とい うものが

「悲劇」とどう関わってい くのかを考 えてみるこ とになる。

最初 に,この作 品の全体 の構成 を簡単 に述 べ てお きたい①

伊藤 敬一氏 は「『微神』 と老舎 の文学」0と

う論文 で,この作 品 を以下 の五 つの部分 に分 け て い る。

1)第一段 :「春 の花 園」

2)第二段 :「夢 の前 方」

3)第二段 :「『私』 の回想」

4)第四段 :「『彼女』 の陳述 と訴 え」

5)第五段 :「プ ロロー グ」

これで作 品 の大 まかな構成 が理解 で きるので はないか。本論文 も伊藤氏 の この分 け方 に沿 っ て分析 を進 めてい くことにす る。

第 一段 や第二段 は,伊藤氏 が詳細 に分析 され てい るように,非 常 に象徴 的 な言葉 が使 われ,読 者 を徐 々 に幻 想 的 な世界 に引 き込 んで行 く部分 である。

作 品 は清明節 も近 いある 日,主 人公 で あ り,語 り手で もある「私」が墓地 の見 える小高 い場所 にいて,寝るで もない醒 め るで もない,そん な

境界 の中で,ある幻想 の中 に入 って行 き,そ

で 「愛」の物語が始 まる。

そ してその「愛」 の物語 は,第二段 の「『私』

の回想」 と第 四段 の「『彼女』の陳述 と訴 え」の 部分 にあ る。 この第二段,第四段 には,「 私」と

「彼女」との,十七歳時の愛の交流のエ ピソー ド か ら始 まり,しだい しだいに二人が離ればなれ

とな り,あげ くの果てに「私」 は一人で南洋 に 行 って しまう。中国に残 された「彼女」 は他の 男性 と結婚す るが,その男性 とうまくいかず離 婚。 その後金持 ちの御曹子 とも結婚するが,こ の人物 ともうま くいかず,と うとう娼婦 に墜 ち,

最後 には自殺するといった内容の話が ここに置 かれている。

本論文では第二段,第四段 を中心 に分析 して い くことになる。この部分 を,伊藤論文では,こ の作 品が老舎 の初恋 を扱 った もの とい う前提 ,老舎の経歴か ら照 らし,事実関係,実際の 時期 とのずれ とい うものか ら,この作品のフィ クション部分 を明 らかにし,そこか ら老舎 の創 作意図 を読 み解 こうとす る。ち この分析方向は,

本論文の方向 とは幾 らか違 っている。

最後 に置かれている第五段の「プロローグ」は 三分の一ページほ どである。葬式の行列が遥か 彼方を通 って行 くのが見 える。 この場面の「紙 銭が撤かれ,蝶の ように麦畑 に降 りてい く。」イ

61

といった ものは,伊藤論文 も指摘 しているよう ,ま さに老舎の有名 な話劇『茶館』 (1957)の ラス トシー ンを行彿 させ る。最後 は「心の中は 茫然 としていた。ただあのひ と揃 いの緑色 のス リッパ を思 い出 していた。それはふたつの木の 葉が,永遠 に生 きている樹木の上で春の夢 を見 てい るかの よ うだった。」

(つ

とい う象徴度 の高 い言葉で終わっている。

また創作手法 について,伊藤氏 は「私 は『微 神』 この作品 も老舎先生が ヨーロッパ文芸の新 しい象徴主義手法 を完全 に自分の もの とし,自

分の創作 に巧みに運用 した,一篇の注 目すべ き 作品である と思 う」(0と述べ る。 この指摘 の中 の「象徴」という言葉か らも察せ られるように,

この作品は非常 に象徴的言葉 が多 く用い られ,

寧 ろ一篇の詩のような印象 さえ受 けるものであ る。

(3)

老舎 『微神』試論

(渡

)

次 に,この作 品 を分析 す る前 に,まこの 論 文 で行 お う とす る こ とを さ らにはっ き りさせ るた め に い さ さか 結 論 め いた こ とか ら始 めた ヤゝ

この短編小説 『微神』の主人公 は「私」 とい う人物で,他には「私」の恋の相手である「彼 女」だけが登場す る。物語 は主 に「私」の回想 として語 られ,その内容 は「私」 と「彼女」の

「愛」の物語であるとい うことがで きる。

この作品の「私」 と「彼女」 は少年少女の こ ろか ら深 く愛 し合 つている。 に もかかわ らず,

「私」 と「彼女」 は結 ばれない。 そればか りか,

やがて「彼女」 は娼婦 にな り,肉体的 にも精神 的に もばろばろにな り,ついには自殺 をして し

まうとい う悲惨 な結末 を迎 える。

なぜ このようになって しまったのか。

こうなるにはもちろん社会的な要因 も関係 している。 この作品の時代背景 は民国,それ も 五四運動以前であ り,その時代の社会で女性が たった一人で家族 を養 って生 きて行 くのは困難 きわ まりないことが充分想像 される。だか ら当 ,この作品で も,彼女が不幸 に落 ちて行 く際 ,女性 をその ようにして しまう要因が,社 に しっか り組 み込 まれてい る こ とは諒 解 で き る。だが,この作品 を理解す るには,この こと を諒解 した上で,さ らに「彼女」が悲惨 な結果 に落 ちて行 く際の,その不幸への「愛」の関わ り合 い とい うものをも見逃せないのである。

とい うのは,こ の作品においては,ま さに「二 人 は愛 し合 ってい るか らこそ結 ばれなかった」

となっているように見 えるか らであ り,そして

さらに「二人が愛 し合 っていたか らこそ 彼女

"

は娼婦 にな らざるを得なかった」 し,最後 には

「 自殺 をす るしかなかった」となっているように 考 えられるか らである。つ まり

,「

愛 し合 ってい る」 この ことが,「私」と「彼女」 をしだいしだ いに悲惨 な結果の方向へ導いて行 く展開になっ ているように思 えるのである。 こうであるが故

,なおいっそう「彼女」の運命 も悲惨 な感 じ がす るのではないか。

だか らもし「愛 し合 っていること」が悲惨 への転落 の原因 というのであれば,老舎文学 を 理解す る上でその悲惨へ と落 ちて行 く時の落 ち て行 き方 を明 らか に してみ る価値 はある と思 う。 というのは,そこに老舎 の「愛」の理解の 仕方があるだ ろうし,なによりもこのような展 開 こそが老舎作品の「悲劇」の根底 に横たわっ ている重要な ものであるように思われるか らで ある。

第二段 の「『私』の回想」 を分析 してい く。

この第二段 は,十七歳の頃の出来事が冒頭 に 置かれ,以,「彼女」とのい くつかのエ ピソー ドが時間を追 って書かれている。それ らの うち 次 に引用 したエ ピソー ドが「私」 と「彼女」 と の「愛」の物語の冒頭 に置かれているものであ る。 この場面 は作品全体 の効果か ら見れば,作

者が ここで二人が「愛 し」「愛 され」ているとい う印象 をしっか り読者 に与 えられるか どうかの 極 めて重要な部分である。

○ 〈十七歳時の,二人の交流〉

「私」が十七歳の時,「彼女」の家 に行 くと,そ

の 日は偶々「彼女」の両親が居なかった。「彼女」

は「私」が来た と知 って,猫が遊び道具 を目の 前 に見つけたかのように部屋か ら勢いよく飛び 出 して くる。次の引用が まさにその部分である。

彼 女 のお父 さんお母 さんが家 にい る時,彼

女 はただ窓越 しに私 をち ょっ と見 るだ けだ っ た し,或い は口実 を見 つ けて私 が彼女 の処 へ 行 った際 には,私にち ょっ と笑 いか けるだ け だ った。今 回 は,彼女 は子猫 が面 白い遊 び道 具 に出会 った みた いだ った。私 は これ まで彼 女 が これ ほ ど活 発 にす る こ とが「で きる」 な んて知 らなか った。一緒 に部屋 の仲 間で歩 い

(4)

て行 く時,彼女 の肩 が私 の肩 に触 れた。私 た ち は両 方 とも十 七歳 になった ばか りだ った。

二人 とも何 も言 わなか った。 で も四つの 目が それぞれ私た ちが千万 ほ ど嬉 しい とい うこと を告 げていた。 …… (略)…wいの中 に尋 ね た い こ とは沢 山あった。 ただ,日が何 かの力 で封 をされていた。私 は彼女 もそ うだ とい う こ とが分か っていた。 とい うの は彼女 の 白い 喉が ず― っ と小刻 み に震 えてい るのが見 えて いたか らだ。 まるで関係 のない言葉 を飲 み込 もう とし,話す に値 す る もの もまた言 うの は 恥 ず か しい とい うふ うだ った。。)

この二人 は十七歳 とはい え,言葉 を越 えた深 い と ころで お互 い を理 解 し合 って い る とい え る。た とえ言葉 を発 しな くとも,自分 も愛 して い る し,相手 か らも愛 されてい る とい うことを お互 いがわか るのであ る。

だが,この喜 びが大 きけれ ば大 きいほ ど,こ

の喜 び を打 ち壊 す もの に対 す る恐怖 もまた大 き くな る。二人 の幸福 な時間 を打 ち破 るような誰 かが来 は しないだ ろ うか。 この不安が襲 う。

時々,彼女 はチ ラ ッ と窓 の外 を見 た。 おお か た誰 かが入 って こないか恐 れてい るのだ ろ う。誰 もいない ことを しっか り見 て取 る と,彼 女 の顔 に映 った花 影 は喜 びで紅 く染 まった。

彼女 の両手 はかわ るが わ る小 さな背 もたれ の ない椅子 の端 を撫 でていた。 はっ き りと耐 え 難 さ を表 して い た。 それ は喜 び の耐 え難 さ だ った。 ついに,彼は深 々 と私 の 目を見,絶

対 に言 いた くないのだが,言わ ざ るを得 ない とい うふ うに して「帰 りな さ い

!」

と言 っ た。

(1の

「走日!(帰 りなさい)」 とい う言葉 を発する。

この場面で発せ られた言葉 は この一言である。

それにして もこの言葉 に込 め られ る「彼女」の 気持 ちは非常 に複雑である。

この場合の「走口

!」

とい う言葉が相手 を嫌

いで言 った ものでない ことは改 めて言 うまで も ない。 また彼女 自身が,本当は「私」が訪ねて きた ことが迷惑であるとい うもので もない。「彼 女」 は「私」 を深 く愛 してお り,寧ろ両親が不 在 の時 にやって きた「私」 を歓迎 してい るし,

「私」を帰 した くないのである。 こういう気持 ち の中で発せ られた言葉 なのである。

だか らこの「走日

!」

は「私」 を「愛 してい る」が故 にこそ発せ られた言葉であると考 える べ きものである。そして「愛 している」が故 に,

もし誰 もいない ところに二人でいるところを他 の人 に見 られて しまった ら相手が困った ことに なるのではないか と彼女 は「私」の ことを心配 しているであ り,それか ら引 き起 こされ る最悪 の事態 を恐れているのである。

しか し,たとえ気持 ちはそうであった として ,「走口

!」

とい う言葉 は二人 を引 き離す方向 へ と作用する。相手の ことを「愛 していればい る」 ほ ど,相手の ことを「思いやればやる」ほ 「走日

!」

と言わざるを得ず,だ,そう言っ て しまうことで,結果的には二人が「結 ばれな い」方向へ と進 んでい くことになる。 ここには この種の悲劇が存在 している。 この二人の気持 ち と実際 に生み出され る結果 とがまるで正反 対 になって しまうのである。

それ は「私」や「彼女」が生 きている時代,所

属 しているに社会 に「愛 している」か らこそ,つ

まり愛情の表現 として「彼女」 に「走日

!」

言わせて しまうものが存在 し,また「私」が「彼 女」を「愛 している」か らこそ,その「走日

I」

を聞 き,心の中では去 りた くはないのだが,去

らざるを得ない と決心 して しまうものがあるか らである。

○ 〈二十二歳 の時,「 私」が校長 にな る〉

二人 は次第 に大人 になってい く。 この過程 の 中で,幾 つかの二人 の交流が描 き出 されてい る。

次 はその,幾つかの中の,「 私」が学校卒業 と同 時 に校長 になった時 のエ ピソー ドで あ る。校長 就任 を祝 って「彼女」 か ら手紙 が来 る。

(5)

老舎 『微神』試論

(渡

)

私 は卒業 してす ぐ小学校 の校長 になった。

これ は私 の生涯 にお ける最大 の光栄 になっ た。 というのは彼女が私 に一通の手紙 を くれ たか らだ。手紙の末尾 に一枝の梅 の花が描か れてお り,彼女が「返事 はい りません」 と注 をつけていた。私 も敢 えて返事 を書 くような ことはしなかった。 しか しまるで私 は心の中 で火 の束 が燃 えさかって い るか の よ うだっ た。そのあ りった けの力 をぶ りしばって学校 の ことを行 った。私 は学校 をきちん と修 める ことを彼女への返信 とした。彼女 は夢 の中で 私 に勝利 の拍手 ―一 あの腕 さえ も玉で ある 手で 一― をして くれた。

(11)

「彼女」の「愛」の表現,それに対す る「私」

の返答の仕方が ここで表現 されている。

ここでのお互いに対す る「愛」の表現 は十七 歳の時 と基本的には変わ らな。

手紙 に「彼女」 は「返事 はい りません」 と書 いているが,では本 当に「返事がい らない」 と い うと,実はそうではないのである。む しろ返 事 は欲 しいのである。 また「私」 も返事 を出さ なかったが,真か ら返事 を出 した くないので は ない。本当は返事 を出 したかつたのである。

ではなぜ「彼女」 は「返事 はい りません」 と 手紙 に書 き,「私」 は返事 を書かなかったのか。

その最 も大 きい理 由は,返事 を書 くことで「彼 女」 は「私」が困った ことになることを恐れて いるのである。例 えば「彼女」 は,結婚 もして いない女性 と交際 していることが明 らかになれ ば「私」の校長の座が危 うくなるか もしれない と心配 しているのである。一方「私」の方 も返 事 を書 くことで「彼女」 に迷惑が掛か ることを 恐れていると考 えてよい。決 して校長 としての 自分 の名誉 に傷 が付 くと考 えての ことで はな い。二人 はあ くまで相手 の ことを思いや ってい るのである。

つ まり「彼女」が「返事 はい りません」 と書 いたのは「私」 に対す る愛情か ら出た ものであ ,一方「私」が返事 を書かなかったの も,や

は り「彼女」 に対す る気遣 いか ら出た ものであ ると考 えるべ きものである。

「私」も「彼女」の ことを大事 と思 っているし,

「彼女」もまた「私」の ことを想 っている。二人 はお互 いに深 く愛 し合 つている。深 く愛 し合 つ ているか ら,相手 を思いや り気遣 う。だが,こ の思いや り気遣いは,恋の成就 に とって,何 役 に も立たないのである。いや役 に立たないば か りかこの思 いや り気遣 いが,却つて恋の成 就 の障害 になっているのであ り,互いを引 き離 す方 に作用 しているのである。

ともか くこの ような愛情表現 の ままで あれ ,「彼女」とは精神的には結 ばれていた として ,現実の世界で は結 ばれ ることはない。

○ 〈結婚 の障碍〉

二人 の愛情表現が二人 を引 き離す方向に作用 しているにしろ,も し公明正大 にかつ正式 に結 婚すれば,おそ らく,あた々ゝも何 ら問題がなかっ たかの ように,ハッピーエ ン ドに終わることに なる。だがその公明正大 な方法 による結婚 の道 が閉 ざされた ときもし二人の愛情 の表現の仕 方が相変わ らず この ままであ り続 ければ,二 の「愛」の運命 はさらに残酷 な ものになること は疑 いなのである。

作品はまさにこの方向で進んでい く。正式 に 結婚 を申 し込む ことの不可能 さについて以下の

ように述べ られる。

結婚 の申 し込 み は考 え られ ない こ とだっ た。多 くの,と って も多 くの,気づかない

,力

のある障碍があった。 それはまるで力 を頼 み にする猛々 しい凶暴 な虎のようであ り,そ

が我々の間に立 っていた。

(121

障碍 が どんな もので あ るのか具体 的 には書 か れ て いない。 ただ巨大 な,猛々 しい障碍が あ る とい うのみで あ る。 これ によって公明正大 に直 接結婚 の 申 し込 みが で きない とい う事 実 が はっ

き りす る。

‑173‑

(6)

ただ正式 に結婚 を申し込 む道 は閉 ざされてい て も,二人が同 じ地域 に住んでいれば,「互 いに 愛 し合 っている」のだか ら,それで も幾 らか二 人が偶然 に出会 う,話をする可能性 は残 ってい る。だ とすれば,まだ二人が結 ばれ る希望だっ てない ことはない。

だが,作品はさらにこの可能性 さえも打ち消 す方向へ と展開 してい く。「私」が「南洋」へ行 っ て しまうのである。「私」が南洋 に行 き,「彼女」

が中国に残 っている。 この条件の下で,果た し て二人の愛 はそのままの状態であ り得 るのか。

○ 〈「私」の南洋行 き〉

「私」が南洋 に行 っている時,「彼女」 とどの ような交流がなされたのか。 これについて書か れているのが,以下である。

国外 にい る何年間の うちに,彼女 の消息 を 聞 く術 が なか った。直接手紙 を出すの は不可 能 な こ とだ った。間接 的 に聞 くの も具合 が悪 か った。 だ か ら夢 の 中 で 会 う よ り仕 方 が な か った。

(13)

南洋 に行 って も彼女 に手紙 を出す こ ともな ,彼女の消息 を間接的 に聞 くこともない。 こ のや り方はこれ まで取 って きた「私」の「彼女」

に対する愛情表現の延長線上 にあることは明 ら かである。

手紙 を出さず,消息 も聞かないのだが,だ らといって「私」が「彼女」 と交際 した くない と思 っているのではな く,ま して「彼女」がほ かの男性 と結婚 して欲 しい と願 っているわけで もないのである。手紙 を出さず,消息 も聞かな くとも,それで も心の中ではやは り「彼女」の ことを想い続 けているのである。

○ く帰国後〉

帰国後す ぐに「私」は積極的に彼女に接近を 図る。 ところが「彼女」の消息を尋ねると,「 女」が「私娼」をしているというショックな情

報が伝わって きた。

それで も「私」 はむ しろ「彼女」 に会いたい と思 った し,「彼女」を助 けたい と思 った。 そう 思 って「彼女」の家 に行 くが,すでに嘗て住ん でいた家 は売 られ,「彼女」の姿 はなかった。 こ こであきらめず,八方手 を尽 くし,結局 は探 し 出 した。

そ して,その再会の様子が以下である。

結局私 は彼女 を捜 し出 した。彼女 は既 に前 髪 を切 り,後ろの方に結 ってお り,首の後 ろ の ところには大 きな緑の箸があった。赤色の 長い旗抱 を着てお り,袖は僅かに肘 まで達 し ていた。二の腕 は既 に以前のあんなふ うな柔

らか さはなかった。顔 の白粉 は厚 く,額l此

には敏があった。少 しの活発 さもなかったの だが,それで も彼女 は笑 うと綺麗だった。だ ,も し白粉 と油 を取 り去 って しまった ら,彼 女 はおそ らく良 くって も産後の病婦 といった ところだろう。始めか ら終わ りまで一度 も私 を正視す ることはなかった。顔 には決 して恥 じらいの様子 はな く,確かに彼女 は話 しもし,

笑い もしたのだけれ ど,ただ心 は話や笑いの 中にはな く,完全 に客 として私 につ きあって いるかの ようだった。私 は試みに彼女の問題 と経済状況 をたずねたが,彼女 は余 り答 えた が らなかった。彼女 はタバ コに火 を着 け,煙

は素早 く鼻か ら出てきた。

(1つ

この ように表面上 は明 らかに娼婦の服装,態

度 で あ り,終始私 に何 の感情 を表 す ことはな かつた。「彼女」はすっか り変わって しまったの である。 しか も,少な くとも表面上 は「彼女」の

「私」に対する愛の心 は消涙 して しまった ように 見 える。

それで も友達 を通 じて「私」は強引に「彼女」

に結婚 を申し込む。 しか し「彼女」狂ったよう に笑 うだけでなにも返事 はしなかった。 それで 今度 は自ら正式 に結婚 を申 し込 みに出か ける。

だが会 えなかった。何度か「彼女」の家 に行 き,

(7)

老舎

F微

神』試論

(渡

)

四度 目に彼女の家 に行 った とき,「彼女」の部屋 の中に小 さな棺桶があ り,その中に「彼女」が 収 め られていた。堕胎の失敗で死 んだ というこ

とだった。

以下 は「私」の回想 の最後の記述である。

一 籠 の,花 び らに私 の涙 が落 ちてい る,と て も新鮮 な攻魂が,彼 女 の霊前 に置 かれた。私 の初恋 はおわ つた。 で もなぜ彼女 は この よう な境遇 に落 ちて しまったのか?この こ とを私 は もう尋 ねた くはなか った。 どのみち彼女 は 心 の 中 に永遠 に生 きていい るのだか ら。

(15)

「彼女」は どうして娼婦 になって しまったのか については何 も語 らなかった。何 も語 らずに堕 胎の失敗で突然死 んで しまう。

第二段では「私」が南洋 に行 っている間になに が起 き,何故 「彼女」が娼婦 にな り,堕胎の失 敗で死 ななければな らなかったのか全 く明 らか

にされてはいない。

ここか らは第四段 の「『彼女』の陳述 と訴 え」

の場面である。

死 んだはずの「彼女」が「私」の目の前 に姿 を現 し,そこで「彼女」 と「私」の会話が始 ま るとい う形式 を取 る。

○ 〈 死後の彼女 との最初の会話〉

以下は死んだ「彼女」との最初の会話である。

「君は独 りで ここに住んでいるの ?」

「私はここに住んでいるのではな く

,こ

こに 住んでいるの

,」

彼女は私の胸 を指 さして言つ た。

「始終君のことを忘れた ことはない

,そ

れな のに ?」 私は彼女の手を強 く握った。

「他の人にキスをされているとき

,心

の中で はあなたを見ていたわ I」

「で も君は他の人がキスをするのを許 した じゃないか ?」 私 は決 して少 しの嫉妬 もな かった。

「愛が ,い の中にあれば

,唇

だってじつとして いられないわ。 どうしてあなたは私にキスを しなかったの ?」 (10

ここでの「彼女」は「私」に「帰 りなさい

!」

と言 った り,手紙 に「返事 はい りませんわ

!」

言 つた人物 とは別人 の ように饒 舌 かつ率直 で

「私」の胸 に抱かれた り,「どうして私 にキスを しなかったの」 と発言 した りす る。

第二段 の「私」の回想の場面 とは愛情表現 に 対す る考 え方 も明 らかに違 っている。 この変化 ,すでに死 んで しまっているのだか ら,現 の諸々の規範か らは全 く「自由」であ り,解 放たれていると説明で きるだろう。

愛 していれば唇 を求 めることだつて自然であ るとす るのである。 もしこれが 自然であると見 るな らば,かつての「私」たちの愛情表現の仕 方 は不 自然だった とい うことになる。

「 どう して あ なた は私 にキス を しなかった

?」

に答 えて,「キスをす る」行為 に踏 み切れ なかった理由を述べた文章が以下である。

「私 は君のお父 さん,お母 さんを裏切 るよう な こ とが出来 なかった んだ。だか ら南 洋 に 行 ったんだ。」

彼女 は頷 いた

,「

恐れがあなたに一切 を失わ せたのだ し,離ればなれが愛の心 を動揺 させ たの よ

?」 (1つ

そのキスをす る行為 に踏 み切れなかった原因 ,すで に自由な立場 にいる「彼女」は「恐れ」

とし,その「恐れ」のために一切 を失 った と私 に告 げている。「恐れ」 とい う言葉で「私」の, 以前の「彼女」 に対する愛情表現の仕方 を批判

していると取れ る。

「恐れ」を乗 り越 えるには勇気がいるわ けであ るが,それではその勇気 とはどのような勇気 な

(8)

これ まで作品を見て きた ように「私」 は「彼 女」を愛 してお り,「彼女」との交際 に当たって は「彼女」が困った状況 に陥 らない ように細心 の注意 を払 っている。 しか も「私」には「彼女」

の「お父 さん,お母 さんを裏切 る」 ようなこと がで きない とい う気持 ち もあるのである。

この ような ものを「恐れ」と批半」す るな ら,そ

れ らを越 えるためには,「彼女」が困 った状況 に 陥 るな どとは考 えてはいけなかった し

,「

お父 さ ,お母 さんを裏切 る」 ような ことをして も良 か った ということになる。相手の事情 は全 く考 えず,完全 に自分の都合のみで生 きて行 くそん な人物 になる勇気が必要だ と言 っているのでは ないか。

しか し,一方の「恐れ」 と批判 した部分 に存 在す る,人間の優 しさ,思いや りをどう考 えれ ば良いのか。 これは人間に とっては素晴 らしい ものではないのか。実際 に「恐れ」 を乗 り越 え られなかった二人 は,乗り越 えられなかったが 故 に,逆に人 に対 する優 しさ,思いや り,気 い とい うものが一層輝 いて見 えるので はない か。 このように考 えると,実はこの「恐れ」も,

特 に人 に優 しかった り,思いや りがあった り,相 手 を気遣 った りす る人 には,簡単 に乗 り越 える

ことので きるものではないのである。

だが こうい う人物だか らこそ,この作品では,

本当に愛 しているな ら「恐れ」 を振 り払 い,勇

気 を持 って,そこまで踏み込んでいかなければ な らない と,「彼女」は言 っているのだ と解釈 し てお きたい。

この会話 の後 に「彼女」が娼婦 に落 ちて行 っ た経過 が「彼女」 の国か ら話 され る。以下 が そ の 冒頭 にな る。死後 の最初 の会話 の「離 れ ばな れが愛 の心 を動揺 させ た」 に相 当す る部分 だ と 思 わ れ る。     

○ 〈「私」 に似た男 との結婚〉

「私」が南洋 に行 った後,母親が死 に比較的 自 由になった。その際 に彼女 を追いかける男性が 出現 し,容貌が「私」に似ているとい うこと,あ

るいはさらに肉体的な欲求で,その人物の「愛」

を受 け入れた。その結果 どのようになったのか ,次である。

彼 女 は一人 の青年 の愛 を受 け入れた。彼 が 私 にそ っ くりだ ったか らだ。彼 は とって も彼 女 を愛 した。が,私を忘 れ られ なか った。 肉 体 の結合 は愛 の満足 で はな く,そっ くりの容 貌 で愛 の真 の姿 を代 用す るこ とは出来 なか っ た。彼 は疑 った。彼女 は自分 の心が南洋 にあ る こ とを認 めた。彼 らぶた りの関係 は切 れて しまった。(19

外見 は「私」にそっ くりであるか ら,「私」以 外 とい う点では,最も「私」 に近 い人物 とい う ことになる。だか らその青年の愛 を受 け入れ,

「彼女」も「私」を愛す るの と同 じようにその青 年 を愛 しようとしたのである。だが,それはで きなかった。「彼女」が「私」が忘れ ることがで きなかったか らである。依然 として「私」の方 を愛 していたか らである。

この ことを青年 に「疑われた」のだ。そして,

おそ らく問いつめ られたのであろう。その結果,

「彼女」の「愛」の心がその青年 にない ことを告 白して,二人の関係 は切れたのである。

ただ,こ こで確認 してお きたい ことがある。そ れは,何故「彼女の心が南洋 にある」 を疑われ るに至 ったか ということと,二人の関係 をどち らが切 ったのか とい うことである。 これはある 意味では自明の ことであ り,また作品に も特 に 何 も書かれてはいないがとくにこの作品の理 解 には重要であると考 える。

この作品の時代背景である民国,しか も五四 運動以前 においては,女性側か らすれば,多 の人がそうであった ように,たとえ愛 してはい な くとも嫁 いで行 った先の男性 と何事 もな く一

(9)

老舎 『微神』試論

(渡

)

緒 に暮 らして行 くことが一番良い選択であろう と思われ る。 ともあれ離婚 は当時 にあっては女 性の生存 に も関わ るものであると考 えられ る。

だか らその青年が「疑 った」 とい う一文 もな にげな く書かれているが,時,社会背景 を考 えれば,そのように疑われ るのはかな り恐 ろし い ことなのである。

で は どの よ うに して疑 われ る ような ことに なったのか。 それ は青年でな く他の人 を愛 して いるとその青年 に感 じさせ るものが「彼女」 に あ り,それが「彼女」か ら知 らず知 らず に出て しまった と考 えるべ きだろう。決 して「彼女」は 故意 に「疑われ る」 ような ことをした とは考 え

られないのである。

青年 は「彼女」 に問いただ した。 そ こで「彼 女」 は告 白し,その青年の方が別れ話 を持 ち出 ,「彼女」との関係 を切 った と思われ る。やや 極端 に言 えば,「彼女」は自分か ら決 して別れ る つ もりはなかったのだが,その青年 に捨て られ て しまった と見 る方が当たっているであろう。

当時の多 くの女性がそうであった ように し結婚 した男性 と何事 もな く生活 をしてい くこ とがで きるというのを普通 の女性 の一番の「幸 せ」 と考 えるな らば,「彼女」はその「幸せ」を 逃 した とい うことになるのである。その「幸せ」

の邪魔 をしたのが,実は「私」 を忘れ られない という心である。 この作品ではこの,当時の 女性 の普通の「幸せ」 と,「彼女」の「私」を忘 れ られない「心」 との関係 も押 さえてお く必要 があると考 える。 この関係 は次のエ ピソー ドで

さらに明 らかになる。

○ 〈金持 ちの御 曹 子 との結婚 生活 〉

ち ょうどこの ような とき,父親 が財産 を全部 無 くして しまい,さ らにアヘ ンに手 を出 して し

ま う。 だか らお金 のた め に自分 の身 を売 るよう な形 で裕福 な家 の御曹子 と結婚 す る。

「私は愛を心の中に仕舞いこんで

,」

彼女は 言った

,「

肉体で稼いだご飯でそれを養ってい

ました。肉体が死 んで しまった ら,愛は存在 しな くなって しまうとい うことを深 く恐れて い ました。で もそれ は間違 っていました。先 に こんな話 をす るの を止 め ま しょう。彼 は とって も焼 き餅 を焼 き ました。いつ も私 に くっついてい ました。何 をするにして もです。

どこに行 くにも彼 はいつ も後 に付いてきま した。彼 は私の破綻 を探 し出す ことは出来 ま せんで したが,私が彼 を愛 してない とい うこ とには気づ きました。段々 と,嫌いそれか ら 人前で私 を罵 るようになってき,甚だ しきに 到 っては私 を殴 るようにな りました。彼 は強 引 に,私が心の中に別 の人がいるとい う事 を 認 めない訳 にはいかないふ うにしました。我 慢 して も我慢 しきれず

ご飯 の問題 も顧 みる

ことは出来 ませんで した。彼 は一枚の着物 も あた えず,私を追い出 しました。」

(19

このエ ピソー ドも基本 的 には,「 私」にそっ く りな青年 との結婚 のエ ピソー ドと同 じ展開で あ る と考 える。 この場合,確か に金 のた めに結婚 した ので あ り,「 愛」とは関係 ない ようだが,実

は金持 ちの御曹子 との結婚 に も「彼女」の「私」

に対 す る「愛」 の心が絡 んで い る と考 える。

まず,「 私」にそつ くりの青年 との結婚 のエ ピ ソー ドと違 うの は

この結婚 には生活 がかか つ てお り,自分 か ら別 れ る こ とは絶対 にない とい うことである。次 に,そのためには「彼女」が

「私」を愛 しているとい うことを絶対 に知 られて はいけない とい う点である。 このように「不ム」に そっ くりな青年 との結婚 の場合 にはエ ピソー ド の背後 に潜 んでいた ものが,この場合 にはむし ろ鮮明 に前面 に持 ち出されているのである。

まず,「彼 は私の破綻 を探 し出す ことは出来 ま せんで したが,私が彼 を愛 してない ということ には気づ きました」 に注 目したい。 ここで「破 綻」と言つているのは,「彼女」が他の男性 と密 会 とか,交際をしている証拠の ことであ り,金

持 ちの御曹子 はそのような ことを疑 い,その現

場 を見つけ出そうとしているのである。確かに

‑177‑

(10)

金持 ちの御曹子 には嫉妬深い とい う人格的な欠 点 はあるがこの ような行為 をさせ るのは「彼 女」 に も金持 ちの御 曹子 にそ うさせ る ものが あった とい うことにな らないだろうか。 もちろ ん この場合,「彼女」が故意 にそうさせ るように した とは考 えに くい。彼女 自身 は隠そうとした のだが,いつの間にか「彼女」か らそうさせ る ものが出て しまった と考 えた方が 自然である。

もしも「彼女」が「私」 に対する「愛」 を完 全 に捨てることがで きさえすれば,或いは最初 か ら「私」に対す る「愛」その ものがなければ,

金持 ちの御曹子 の世話 を受 け られただ ろ うし,

そ うなれば少な くとも金のためにあ くせ くす る ことだけか らは免れたか もしれない。しか し,そ れがで きなかったのである。金持 ちの御曹子 は 罵 り,殴,無理矢理 自白させとうとう「一 枚 の着物 もくれず」に「彼女」を「追い出 した」

のである。

ここにきて明 らかになった ことがある。

「彼女」は相手の男性 に対す る「愛」は無いけ れ ど,その男性 と一緒 に暮 らしていこうと思 っ ている。否,そうしなければな らない と決心 し ている。 しか し,「私」を余 りに深 く愛 している が故 に,「彼女」が一緒 に暮 らそ うとしている男 性 の目の前 に「彼女」 自らの意志で コン トロー ルで きない「私」 に対する「愛」が知 らず知 ら ずの うちに出て しまう。 これに相手 の男性が気 づいて しまうのである。 こうなれば相手の男性 は「彼女」 を問いつめる。 こうして「彼女」 は こらえきれず,その事実 を認 めて しまうことに なる。「私」以外の男性 との結婚 の破局 はこのよ うにして起 こっている。

この場合もし「結婚生活」 を続 けてい きた い立場 に立つな ら,まさに「愛」が「結婚生活」

を阻む,或いは壊す とい う関係 になっていると いえる。その時 には,その「愛」は負担であ り,

重荷 になって くるばか りか,時には邪魔 なので ある。だけれ ども,その「愛」 は消 えて くれな い し,自らの意志でコン トロール もで きない。だ か ら,結局「彼女」 は「私」以外のどの男性

とも永遠 に結婚で きない ことになる。ここに,生 活のために「彼女」が娼婦 に落 ちて行かざるを 得 ない理由が見 えるのである。

そしてまた,「彼女」が「愛」によって この よ うな状態 になっていることが分かれば,「ム」が 長 い間南洋 にいて,帰って来 ない とい うのが,

「彼女」に とって どれほど大 きなダメージであっ たか,はっきり認識で きるのではないか。

こういった ところが,冒頭 に述べた,「二人が 愛 し合 っていたか らこそ 彼女"は娼婦 にな ら ざるを得 なかった」 とい うことなのである。

○ 〈娼婦への転落〉

御曹子か らは追い出されたのだけれ ど,父 は相変わ らず,アヘ ンを買 うお金 を要求する。と うとう「彼女」 は娼婦 になった。娼婦 というの ,「愛」とい う感情 を介在 させない肉体だけの 男女関係,それを商売 にするものであると言 う

こともで きよう。

男女の関係の中に「愛」が介在 しなければ,そ

の男性 との間に「私」への「愛」が立 ち現れ,邪

魔 をす ることはない。寧 ろ誰 に向かって「私」へ の「愛」の ことを言って も平気であ り,公言 し て も問題 ないのである。皮肉な ことに人か らは 後 ろ指 をさされ る娼婦 になった途端,その呪縛 か ら解 き放たれ るのである。

しか しこの商売 は余 りに過酷で,不自然で ある。「彼女」は肉体がボロボロにな り,精神 は 荒 んでいって しまう。

「私」が南洋か ら帰 って きたのは,まさにこの 頃なのである。

○ 〈自殺 の告 白〉

「私」の回想 で は,彼女 の死 は堕胎 の失敗 に よって死 んだ ことになっていた。 ところが この 第四段では「彼女」の口か ら,実は彼女の死 は 自殺であった とい う衝撃的な事実の告 白が行わ れ る。 ここにも「愛」が関わっている。

(11)

老舎 『微神』試論

(渡

)

「私 は自殺 しました。」

「なんだって

?」

「私 は自殺 したのです。私の命運 はただあな たの心の中に住 む ことがで きるだ けです し, 一首の詩 の中に生 き続 けることがで きるだけ なのです。生 と死 に何 の 区別 が あ りましょ ?堕胎の時,自分で手 を下 したのです。 あ なたが私の側

│こ

いれば,私はもう笑 う術がな いのです。笑わなかった ら

どうや ってお金 を稼 げば良いので しょう

?た

だ一筋の道があ るだけです。死 とい う名 の。あなたは帰 つて くるのが遅かった。私が もうち ょっ とで も死 に遅れ ると,あなたの心の中に住む希望 さえ もな くなって しまい ます。」●0

「彼女」の自殺 はや は り「私」を愛 しているか らこそ行 われた もので あ る とい うことがで き る。 自殺す ることで「私」の心の中に生 き続 け たい とい うのである。

しか し,「彼女」の,死ぬ ことで「私」の心の 中で永遠 に生 き続 けたい という願いは達成 され てない。以下が「愛」の物語 の最後 にある会話 である。

「で も僕 はあの足 を覚 えてる。ち ょっ と見せ て くれないか

?」

彼女 は笑 って,首を横 に振 っ た。

私 は意地 を張 つた。彼女の足 を握 り,靴 を引 き下 ろした。す ると,肉のない白い,足

の骨が現れた。

「行 つて しまいなさい

!」

彼女 は私 を押 し た。 これか らあなた と私 は三度 と会 うことは ないわ !私 はあなたの心 の 中 に住 みたかっ た。で も今 はもう駄 目になって しまった。私 はあなたの心の中で永遠 に青春であ りたかっ たのに

1」 91)

靴下 を脱がす とい うのは,ほとん ど肉体的な 交渉 に近 い意 味 合 い を持 つ もの の よ うで あ る。り。だか ら,本文 にある「『彼女』の足 を握 り,

靴下 を引 き下 ろす」行為 に及 ぶ とい うことは

「私」がほ とん ど肉体的な ものを要求 しているこ とになるのではないか。 この行為 に「彼女」 は 激怒 し決別 したのである。

「彼女」は「私」を愛 しているか らこそ自殺 し た。 しか し「彼女」の この考 え方 にも問題 はあっ た。「彼女」 は死 んだのだか ら,「私」の心の中 で しか生 きられない。だか ら,「私」 も「彼女」

,い

の中にいることで満足す る必要があったの である。それにもかかわ らず「私」 はそれに満 足せず,「彼女」に肉体的な ものを求 めて しまっ たのである。

ただ,こ こでの幾 らか唐突 な「私」の荒々 し い行為 は,第二段での,「彼女」 を気遣 う「私」

のイメージ とずれ るようにも思 う。 このような ずれに

,作

者 の

,一

方 にある

,安

易 に自殺 によっ て目的 を達す ることを肯定することはで きない とい う意志や,「愛」が精神的な結びつ きに終わ ることに対す るかすかな疑いが読 み とれ るので はないか。 まさにこのような曲折 に富む展開の 部分が老舎の作品にある種の深 みを与 えている

と考 えられるのである。

第二段 の「「私」の回想」と第四段 の「「彼女」

の陳述 と訴 え」という部分の「私」と「彼女」の

「愛」 に関わ るところを中心 に考察 した。

第二段 と第四段 は「私」や「彼女」の心の中 に「愛」があるが故 に却 って二人が不幸 になっ てい くという「悲劇」 になっている点では一貫 している。だが,その「愛」の不幸への関わ り 方 とい う点では微妙 に異なる。

第二段では二人の「愛」がお互 いを徐々に遠 ざける方向に作用 している。「愛」は本来二人が 結 ばれ る方向に働 くものである。 にもかかわ ら ,結ばれないのは,その「愛」 をね じ曲げる ものがその社会 に存在 していて,結ばれたい と 願 う二人の間 を引 き離す ようにして しまうか ら である。愛 していればいるほ ど,相手 を気遣い,

‑179‑

参照

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