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Übersicht und Aufgabe zur Infantile Somatologie

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Academic year: 2021

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はじめに1

「 幼 児身 体 学(Infantile Somatologie)」とは このいにまず前提として確認してお かねばならないのはこの名辞上位概念である

「身体学(Somatologie)」内実である。身体学 、現象学という哲学一分野であり、一言 「身体における諸感覚分析とその志向的構成

intentionale Konstitution2 如何探究する ことである3それは、「身体」という意識現出につ いて、五感運動感覚(キネステーゼKinästhese))

分析からその本質規則性直観それが如何 して構成されているのかを研究するものであるその ような身体学において、特「幼児」というある 独特身体性着目、我々身体における諸感覚 「発生(Genesis)」という事態解明しようとするの 、幼児身体学ということになる

しかしながらなぜ殊更幼児身体性問題 されねばならないのかまた、一見するとこうした 課題、発達心理学幼児教育学分野であり 哲学という分野がその課題必要性自明でない ようにえるあえてこれらの問題哲学的探究 理由なのかその理由つとしてえられる のは、哲学という学問性質である。少々迂遠では あるがそのをまず確認したい

哲学、諸学問前提うという理念

ているそれはものごとの根源うという「態度

Einstellung)」意味しているこうした理念態度 において、我々身近、当たりすぎてにも

まらないこの身体こそがまさに人間的活動 てを下支えしているものとしてえられ、哲学課題 なるさらにそこでその身体ちといっ 前提おうとするときその眼差しは、「根源から 発生」へとけられる。例えば、我々、例外なく 乳幼児から次第成長してきたつまり我々、経 ねという意味での歴史、精神的にも 体的にもっているのであるそうであれば、成人 ある我々身体認識、それをえる諸感覚成立 しているということの根源的理由おうとするとき その歴史まりへと遡上その萌芽発生のプロ セスを解明することがめられるそれはまさに前提 うという哲学固有であるしたがって

幼児身体性問題にすることは、身体学という哲学 にとって重要探究領域つとなるのである

だが、上述のような幼児身体学目的やはり 発達心理学幼児教育学といった既存諸学問のそ れともそれほどがないようにえるそうであれば それらの学問領域せていればよいのではないだ ろうかという疑問当然提示されるだろうそこで 本論この疑問についてえるべくそれらの学問 、現象学ないし幼児身体学、如何なるにおい なるかすなわちそれらの探究内容とその方法

幼児身体学の概要と課題

Übersicht und Aufgabe zur Infantile Somatologie

キーワード:幼児身体学、現象学、脱構築、間身体性

Schlüsselwörter: Infantile Somatologie, Phänomenologie, Abbau, Interleiblichkeit

武藤 伸司

MUTO Shinji

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4如何なるにおいてなるかということを明示 するそして、幼児身体学概要としてどのような どのような探究課題つのかも、併 提示したい。以上のことから、本論、幼児身体 という学問領域内実規定するものとなるだろう

1.幼児身体学の方法論

現象学探究において特徴的とはそれ 、「意識における諸現出」分析することである まり、我々自身意識じている感覚知覚、表 象、判断などのいわゆる一人称的体験という 意識における内在的構成仕方(意識方)

研究対象にするのであるこの、主観的 私秘的なものとしてそれを客観的なデータでは ないとしそれ故学問的研究対象にはならないと する自然主義的学問(すなわち科学)とは きくなっている5そこで現象学、学問における そのような自然主義的態度から、上述「意識 現出」という研究対象へと視線、現象学的 態度へと変更することによって主観的事象解明 することになるそして同様、幼児身体学このよ うな態度において幼児身体性本質えようとす ることになるその際、確かに現象学範疇位置 する幼児身体学、乳幼児観察うこともあるが しかしそれは、単乳幼児外面的表現特徴

分析総合まるのではなくその感覚発生 質規則性、乳幼児体験からげることが 探究第一目的となる

とは、探究大本となる現象学個々人 識体験分析するとってもそれはらの意識体験 としまた他者記述的言明にして探究 めるのが基本であるだとすれば、探究 かりとなる証言記述のための言語すらたな 乳幼児体験うことは、不可能なのではない という疑問当然生じるだろう。上「掬げる といったことは、如何なる意味されるのかこの

疑問、幼児身体学、一般的成人する 現象学的探究とはなる、幼児身体学特有 法論いてそれにえるその方法論発生的現

象学における「脱構築(Abbau)」HuaXIV, S. 115 という方法であるこの脱構築という方法その

諸学問幼児身体学かつ重要である その考察この方法理解するため 諸前提確認しておこう

a自己と他者の発生を問うこと

現象学始祖であるフッサールは、他者 観、すなわちその認識存在について探究する際、

「我々、感情移入(Einfühlungじて、有機 個体、生気えられたものとして統握する

HuaXIV, S. 116べている。差たり、「統握

auffassung)」とは、対象して主観意味付与 、解釈するということであるそして、上言明 重要なことは、「感情移入」という現象学におけ 特有術語であるその意味、「身体的現出 における意味理解」、ということであるvgl. HuaIV, S. 224)。その内実、他者身体そこに れることによって、自己他者との類似性 差異性じさせ、自己他者「対化(Paarung)」

HuaI, S. 142成立させるという、無意識的 6しているvgl. HuaI, §43 45, §51)。こうした 無意識的感情移入じているからこそ、我々 他者して自分じようにきた身体、感 思考といったつと解釈するのであるそし このことを基礎にして、我々、「他者経験 発生」についてもることができるようになる

まず、「発生」ということについて確認しようフッ サールは、「我々経験、我々のあらゆる 物知覚、可能的経験地平(Horizont たわっていてそしてそのことと、可能的 地平それらの段階形成その段階形 相応している低次統覚、低次経験仕方 制限された地平発展せねばならないといっ 、経験発生している。〔その経験発生 、〕さらにたな経験連関じて、新たな経験 統一、高次地平けた高次段階 などに発展するHuaXIV, S. 115べている 我々経験、単外界諸情報素朴 るだけで成立するのではなく、意識における構成

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プロセスすなわちここで言明されている段階的 によって成立している。例えば、我々にリ ンゴがあるとするそのリンゴにして我々そこか られる、丸、甘、光沢感、などの 感覚与件だがそうした単純感覚情報 だけをめれば、「リンゴという判断成立するわ けではないそれらの感覚的与件集積リン ゴという「意味」その意味わる記憶、イメー ジなど、様々周縁情報(差たりこれが「地 平」ばれているものである付加されることによ 、「これはリンゴであるという綜合された表象、知

覚、判断じるのであるつまり、我々認識 経験、感性的直観さらに悟性的 をするという構成のプロセスをっているのである

vgl. HuaXIX/2)。そしてこの構成において重要 ことは、意味学習記憶蓄積といった経験 なりすなわち意味付与する内容「歴史的 発展同時えられるということでもある

また一方、感覚与件所与することや、理念的 意味内容獲得することはまさに学習記憶とい 過去未来わる時間性意識していること ならない。現在における認識経験意味 たに獲得されるということはそうした過去記憶 、未来への予期投企することのわせによっ されている。発生ということの内実にはそうした 時間性まれていることも見逃してはならないした がってフッサールがべるところの「段階形成」

とは、構成プロセスと歴史性(時間性)同時意味 しているのである

b脱構築という方法

しかしながら、自らの体験身体についての意識 発生おうとするときその歴史性において 言及できない領域があるそれは、自我発生以 体験、すなわち乳幼児期体験である。人 誕生してから次第成長していくいつのから 自我芽生めるいわゆる「物心がつくという タイミングである。一般、我々辿りきれる記憶 最古のものはこのタイミングに相応していると るだろうだがそうであるとすればそれ以前

体験発生過程、体験として言明できないが ゆえに、分析できないということになってしまうこの 解決するためにフッサールによってされた 方法まさに脱構築なのである。以下からこの 脱構築内実確認することとする

脱構築という方法についてフッサールは、「我々 ある特定仕方において、我々完全経験(知 覚、原本的経験統覚)体系的脱構築できる のであるHuaXIV, S. 115べているこの言明 における「経験脱構築するとは如何なることなの これについてフッサールは、「もし、我々がある 特定経験発生から遮断つまりある特定 のグループを一切可能ではないとした場合、我々 どのようにして知覚がその地平して ねばならなかったのかということをえてみることが できるebd.ともべているこの記述にしたがって

実際我々もその操作ってみよう

えば、我々身体における運動感覚(キネステー これまで一切働いていなかったものとして してみるすると当然、我々、運動感覚 なかったということでその場所からいたことが ないということになる。人、身体各部可動域 行動範囲によって、対象への接近離脱 距離感奥行きといった空間認識構成するが れが可能でないとなれば、我々はそうした認識 ないということになるしたがって、今、我々空間 という認識として距離感奥行きという経験成立 ているというのであればその構成根底、運動 感覚必然的いていなければならないということ になる

このようにある特定構成要件除外してこれ までの自分ていた経験がそれによって たなくなるということが論証されれば、逆説的 構成要件、実くことのできない本質規則性 あるということが「必当然的明証性(apodiktische Evidenz)」にもたらされることになるこの方法応用 すれば、問題となっていた自我目覚以前発達 段階規則性呈示することができるのであるこれ についてフッサールは、「もし、私成熟した人間 主観であるのならこの〔脱構築による論証ことを

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正当であるとるが、属している超越的統覚 、私(上述意味において正当解釈された 未成熟ないしどもの発達しても十分 るのである。〔つまり、〕私るというだけで なく、子どもが、私るのと事物ていても その事物について完全形成された統覚 たず、子どもには高次地平けていて 、子どもが当該事物子供としてるとしたときと 我々るとしたときのどちらをけてもこれこ れのたな動機〔子どもが〕受っていないので だその事物経験組織化できていないとそのよ うにえるのであるHuaXIV, S. 115f.つまり、脱

構築感情移入わせてえれば、探究者自身 感覚、他者、特にここで主題となっている乳幼児 諸行動分析することができるということである。他者 経験、感情移入によってらの経験 れることができるのだとすれば、自らの経験段階 形成から、他者のそれも同様えることができ 。成人どもを対照させる、成人である探究

感覚構成いている諸規則性あえて 脱落させれば、我々、自他区別保持しつつも それをえて、認識経験根源えることができ るようになるしたがって、幼児身体学この方法 いることによって、乳幼児における身体性諸特

徴、諸様態解明目指すことになる

2.幼児身体学の諸前提

以上のような方法によって、乳幼児身体性 目指されるその、本論提示せねばなら ないことは、繰しになるが、幼児身体性から される必当然的感覚構成諸本質規則性 、感覚、身体、自我、そして他者他者性 にして「発生」するのかという課題げる理由 であるそこでまず、我々確認せねばならないの 、身体学ないし幼児身体学母体である現象学 なぜそうした事象問題にせねばならなかった のかという根本的である7この問題、本題 して少々遠回りの議論となるが、前提として言及 しておくこととする

フッサールが意識れる諸事象志向的 されるとえたことはこれまでべたりである 諸事象構成におけるこの意識、「超越論的 主観性(transzendentale Subjektivität)」。現 象学における「超越論的」という言葉意味、様々 存在する世界諸事物、諸事象素朴存在 ると自然るのではなくそれをあえて自明なも のではないとしてその意味成立過程「態 度」のことであるそうした態度においてそれら諸対 意味成立過程自体えばそれは、人間 認識主観性諸能力問題となるしたがっ この超越論的主観性という術語、現象学にお いてつのことを意味する。一つは、世界諸対象 構成、認識する意識固有能作(Leistung8 であるということそしてもうつはその主観方、

仕組みをうという哲学的探究主題そのもの 標語でもあるということこれらである

さてこの超越論的主観性において、意識におけ 現出構成されるとえるとき、問題となるのが 主観であるこの私」、すなわち自己意識そして そのとなる、私以外のものすなわち自然的 めた「他者」である。現象学、超越論的主 観性志向的構成分析するのがその探究目的 であるがそこで見出されることは、「あらゆる形式 おける超越とは、内在的、自我内部構成され つつある存在性格である。思考可能意味のそれぞ 、思考可能存在のそれぞれはそれが内在的 あれ超越的であれ、意味存在構成しつつあるも のとして、超越論的主観性領分まれるHuaI, S. 117ということであるだとすれば、超越という 他者、ないし異他なるものは、結局のところ、志 向性という両者関係概念包含される わば、超越論的主観性外部というものはないとい うことになるこうした独我論にもりかねない徹底 主観性分析において、我々意識れている 私自身についての認識それ以外事物他者 構成とは、如何なるものなのかこの問題について フッサールの分析確認する必要があるそこで我々 、超越論的主観性による自我他者構成プロセ スをていくこととする

参照

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