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第2節   知覚的質の空間性と知覚による存在するものの把握

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(1)

第2節   知覚的質の空間性と知覚による存在するものの把握

(7)視力を取り戻した人の話

メ イ は 一 人 で [ ス ー パ ー の ] 店 内 を 探 検 し は じ め た。 [ 中 略 ] 棚 に 目 を や る と、 す べ て の 商 品 が 全 部 で 一 つ の カ ラ フ ル な コ ラ ー ジ

ュ の よ う に 見 え た。 見 慣 れ な い も の を 見 る と、 隣 り 合 っ た 物 体 の 境 界 が 溶 け 合 っ て 見 え る こ と が よ く あ っ た。 [ 中 略 ] 棚 の 箱 が

ぼやけて見えるわけではない。ところが、一つの箱がどこで終わり、どこから次の箱が始まっているかが分からな い

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  通りを渡り切ると、杖が歩道との段差を探り当てた。ところが目を下に落としても、地面の高さが変わっているようには見えな

い。道に差している影の色が少し違うだけだっ た

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[ ヴ ァ ー ジ ル は ] 小 鳥 を 眺 め る こ と も あ っ た が、 小 鳥 が そ ば に よ っ て く る と、 ヴ ァ ー ジ ル は 驚 い て と び す さ っ た。 ( も ち ろ ん、 小 鳥

がそんなに近づいてくるはずはないのだけれど、と[妻の]エミーが説明した。ヴァージルには距離感がないのだ。 )

   [中略] 知覚の空間規定について(下)

松   永   澄   夫

(一)  

(2)

[ ヴ ァ ー ジ ル は ] 遠 く に あ る も の の 表 面 や 物 体 が ぐ っ と 近 づ い て き た り、 の し か か っ た り す る よ う に 感 じ る と い う。 ま た、 自 分 の

影 に 驚 い て ( 物 体 が 光 を さ え ぎ っ て 影 が で き る と い う こ と は、 彼 に は 理 解 で き て い な か っ た ) 立 ち 止 ま っ た り、 よ け た り、 飛 び 越 え

ようとすることもあった。とくに階段が危なっかしかった。並列する平らな面、交差する線など、彼をとまどわせるものばかり

が見えるからだ。頭では分かっていても、三次元の場で上ったり下りたりする堅い物体であるとは思えなかっ た

18

  最初の引用文はカーソンの著書から引いたのだが、カーソンは、メイを検査し助言も与えた視覚研究者、ファインの考えも紹介し

ている。   ファインは、メイの視覚世界を抽象画のような世界だと考えるようになった。カラフルで意味のない、おおむね平坦な図形で埋

めつくされているというわけだ。マイク・メイにとって「見る」とはどういうことなのだと思うかと尋ねられたとき、ファイン

が 口 に で き る 最 も 分 か り や す い 説 明 が そ れ だ っ た ―― そ れ は 抽 象 画 を 見 る よ う な も の、 マ イ ク は ピ カ ソ の 目 を も っ て い る の だ、

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他方でファインは、視覚というのは世界についての情報を与えてくれるものだという観点から、次のように言う。

一つの視覚的映像を分析し終える前に、次のものが視界に飛び込んできて、また同じように骨の折れる解読作業を意識的に始め

なくてはならない。途方に暮れるのも無理はない わ

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ものを見ることは、骨の折れる認識の重労働であり続ける。これからも相変わらず手がかりを組み合わせ、さまざまなものの正

体を割り出し、処理しきれない膨大な情報の洪水に対処し、ぐったり疲れる羽目にな る

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ここで言う情報は、手がかりであり、情報の担い手で何かを教えてくれるものである。しかし、それは それ自身

0000

、 目に見える何か

0000000

(二)  

(3)

であって

0000

、前節で論じた、 視覚の生理学等が述べる

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、 網膜像とか神経の電位変動とかではない

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、このことには注意すべきである。従 って、 見えることが既に成立した後での話

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なのである。それに対して、生理学、脳科学は、 見えることの成立のための情報解読

0000000000000000

を問

題 に し て い る。 ( そ う し て、 こ の 解 読 の 仕 方 を、 「 写 真 を 見 て 三 次 元 の も の を 見 る こ と 」「 写 真 が も つ 二 次 元 の 情 報 を( 足 り な い 情 報 で あ る に

も 拘 わ ら ず ) 解 読 し て 三 次 元 構 造 を 復 元 す る こ と 」 で 説 明 す る こ と で、 納 得 が ゆ く か に み え て、 実 は 曖 昧 な 説 明 方 式 を つ く り 出 し て い る の で

はないか。 ) ただし、手がかりは他にもいろいろある。知識や触れることで分かる事柄などである。メイ自身は次のように語る。

  足元の草に目を落とすと、頭がこんがらがってしまった。緑の草の中の一箇所だけまわりより緑色が濃くなっている。同じ場所

に、 緑 の 色 が 微 妙 に 違 う 草 が 生 え る こ と な ど あ る の だ ろ う か。 [ 中 略 ] 少 し 考 え て、 思 い 出 し た。 影 は 差 し て い る 場 所 は 暗 く 見

えると聞いている。だとすれば、この濃い色の箇所には影が差しているに違いな い

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  「おれにとって見ることは、外国語をしゃべるようなものなんだ。 」

「って言うと?」

「 勉 強 中 の 外 国 語 を 話 す と き は、 セ ン テ ン ス が 自 然 に 口 を つ い て 出 て く る と は い か な い じ ゃ な い?   単 語 を 頭 の 中 か ら 引 っ 張 り

出 し、 動 詞 を 正 し く 活 用 さ せ て、 そ れ か ら 単 語 の 並 べ 方 を 決 め な き ゃ い け な い。 お れ に と っ て、 見 る と は そ う い う こ と な ん だ。

手で触ってみるなり、論理的思考をはたらかせるなり、なにかの手がかりから探るなりして、いまなにが見えているのかを考え

ないといけない。すべての要素を意識的に組み合わせないといけないんだ。そうやってはじめて、いま見ているものがなんなの

かがわかる。 」

「まだ流暢にしゃべれないのね」

「そうだね。でも、色と動くものは別だよ。この二つは自然に理解できる。色と動くものは、おれの母国語ってところか な

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  それで、 メイとヴァージルにとって、 見ることによって初めて経験するさまざまな事柄 (すなわち 見える内容

00000

) が 、もし情報

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(手がかり)

と し て の 役 割 を 果 た す べ き も の だ と す る な ら

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、 そ の 解 読 は 大 変 な わ け な の で あ る。 ( こ の よ う な 役 割 を 期 待 し な い 経 験 仕 方 と い う も の も

(三)  

(4)

ある、 ただただ色の美しさに感激するときのメイのように。註

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を参照。その場合には、 以下で言う、 情報過多、 ノイズ等の議論は意味を失う。 )

けれども、むしろ彼等では視覚がもたらす内容が多すぎて、それらは混乱を招く。だから、情報であるよりは、むしろノイズとなっ

ている、と解釈できるのではないか。この余分なものがノイズであり負担であるというのは、次の事情に似ている。今日、ネットで

は 大 量 の 情 報 が 飛 び 交 っ て い る と 考 え る の が 常 識 で あ る。 け れ ど も、 そ こ に 欲 し い 情 報 を 求 め に 行 っ て 苛 々 す る こ と は 屡

しばしば

々 で あ る。

不必要な情報はシャットアウトし、必要な情報だけを手に入れてこそ「情報」の名に値するわけなのに、情報が多すぎると、それは

余分で、実はノイズと化している。そこで、二人では、見える内容が役に立つどころか、さまざまなものが見えてくることによって

混乱し、見えることが負担になったのである。見えるようになることを願い視力を得た人のほとんどが、深刻な心理的危機に見舞わ

れるそうだ。ヴァージルを紹介したオリヴァー・サックスは、 「贈り物が呪いと化する」と表現してい る

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(8)空間規定の統合   ところがメイは、混乱や負担というマイナス面を克服していった。どのようにしてか。メイは八ヶ月も苦戦した後、発想を転換す

。「 も う 一 度、 失 明 者 に 戻 る こ と に よ っ て、 も の を 見 る 方 法 を 学 ぶ と い う ア イ デ ア 」 が 浮 か び、 自 分 が 既 に 知 っ て い る の で は な い

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初めての場所、 空港のラウンジで試してみたのだ。 「視覚情報の洪水が目に押し寄せるはずだが、 それを解明しようとするのではなく、

まずその前に部屋を歩き回ってまわりのものに触り、音の反響に耳を澄ませる。その後で、そうした確実な情報と視覚的情報が一致

するかどうか照らし合わせる。 」そういう方針である。だが、最初は失敗する。

ラウンジに足を踏み入れると、いつもと同じように色と形が飛び込んできた。いまはじっとしていろとメイは自分の視覚に指示

したが、おとなしく待ってくれない。触覚や聴覚を活用しようにも、その前に四方八方から世界が目に押し寄せてくる。 [中略]

これまで経験がないほどへとへとに疲れていた。

  だが、メイは諦めない。

  (四)  

(5)

次の挑戦の場に選んだのは、商談をおこなうホテルの会議室。部屋に入るなり、杖を右に左に動かし、カーペット、椅子、テー

ブル、壁を探り当てた。電話の受話器、ペン、メモ用紙を手で触り、電話線を手でしごき、自分の声が物体に反響して返ってく

るのに耳を澄ませた。目に流れ込んでくる視覚的情報のことを考えずに、こうした作業をするように努めた。視覚以外の感覚に、

自然に仕事をさせた。 するとある瞬間を境に、 その空間がさまざまな形と色のおもちゃではなくなった。 まちがいなく一つの部屋、

それも会議室に見えてきた。 すべてがしっくりいった。 [中略]   部屋の中のものを見るのに、 どれ一つとして苦労を要しなかった。

目が見えなかったときと同じやり方で周囲の状況を理解しようとするだけで、視覚を通して「見る」ことができたのである。そ

の後も、視覚を脇役に回し、そのほかの感覚を情報処理作業の先頭に立たせる練習を続けた。

  さて、 メイが成し遂げたことを著者のカーソンは、 「視覚 (的) 情報」 「情報処理」 の言葉で叙述している。 「視覚情報」 と言う言葉は、 「 見

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える内容

0000

が、何か実在するものについての情報をもっているはず」という考えにおける「見える内容」そのことを指して使われてい

る。しかるに、普通に見るとは「情報の解読」をすることなしに見ることではないのか。解読しなければならないことこそ「途方も

ない重労 働

」の正体なのだから。だが、そうだとすると、 普通に見るとき、見える内容は、もはや「見えるべき何か」の手がかりと

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し て の 情 報 で は な い

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、 と 言 う べ き で は な い か。 手 が か り な し で 既 に 見 え て い る の で あ る。 ( も ち ろ ん、 見 え る 内 容 を 手 が か り と す る、 何

か の 情 報 と す る 経 験 で 私 た ち の 生 活 は 満 ち て い る。 足 跡 が 見 え る、 猫 が あ ち ら の 方 角 に 歩 い て い っ た に 違 い な い、 黒 く 雲 が 立 ち こ め て い る の

が 見 え る、 直

じき

に 雨 が 降 る か も 知 れ な い、 苺 は 赤 い、 き っ と 甘 い だ ろ う、 と い う 具 合 に。

そ れ ぞ れ、 前 項 の「 見 え る 内 容 」 は 後 項 に つ い て

の 情 報 を も つ も の と し て の 位 置 を 占 め て い る.

た だ し、 そ れ は 普 通 に 見 る こ と が で き た 上 で、 更 に 重 ね る 経 験 で あ る。 翻 っ て、 こ こ で 問

題 に し て い る の は、 普 通 に 見 る こ と の 成 立 の た め の 情 報 と い う か、 少 な く と も 普 通 に 見 る と き に 手 に 入 る は ず の 事 柄 に つ い て の 情 報

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と い う 資

格で、或る独特な仕方で見えている内容を解読することの方なのである。 )

では、どのような仕方で見えるときが普通に見るときなのか。安定した空間規定を携えて見えるとき、というのが、その答である。

筆者は、 情報解読というような概念を使わずに

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、次のようにまとめるべきだと考える。メイは、視覚の世界を触れる世界や音の世界

などと一致するように手なづけることによって、視覚に本来の役割を果たすようにさせることに成功した、と。では、この一致とは

何 か。 異 種 の 知 覚 が そ れ ぞ れ に 携 え る 空 間 規 定 の 一 致 に 他 な ら な い

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と、 筆 者 は 解 釈 す る。 一 般 に、 知 覚 空 間 と は ど の よ う な も の か。

(五)  

(6)

体からさまざまな方向へと広がる空間であり

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、 その中にさまざまな物が分離的に位置する空間である

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。メイにあって、始めは視覚は そのような空間性を獲得し損なっていた。見える内容は 不安定な

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空間性をしかもたなかったと、筆者は表現したい。そうして、この ように 空間規定に関して不安定な視覚内容は行動の役に立たない

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。別の言い方をすれば、情報という観点からは失格なのであり、負

担を強いるのである。 (けれども、 先に注意したように、 見える内容を 「何かについての情報をもつ手がかり」 として捉えるのではない場合には、

こ の よ う な 事 態 は 生 じ な い。 な お、 自 閉 症 の ド ナ・ ウ ィ リ ア ム ズ の 独 特 の 体 験 と 彼 女 自 身 に よ る 解 釈 は 非 常 に 興 味 深 い が、 自 己 と 他 と の 分 離

等 の 事 柄 も 絡 み、 複 雑 な の で 本 稿 で は 扱 わ な い

。) し か る に、 見 え る 内 容 の 不 安 定 な 空 間 規 定 を 他 の 知 覚 が 携 え る 空 間 性 ( 特 に 触 覚 の 空

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間 性、 従 っ て 結 局 は 運 動 の 空 間 ) に 統 合 す る こ と で、 視 覚 は も つ べ き 空 間 性 を 携 え、 突 然 に 普 通 に 見 る こ と が 生 じ、 色 な ど は 整 理 済 み

0000

のものになるのである。

(9)色の外在性

手がかりとしてであれ、物体の色としてであれ

ところで、メイが、色と動くものは自然に理解できる、と言っていることに注目したい。動くものが空間を必要としているのは明

らかである。そうして、それは場所から己を分離して見せる。己を一つの何かとして示すわけだ。見えているもの全体が溶けあって

見え、物と物との境界があるはずなのに分からない、という状態から、運動するものは自ら脱してくれる。

では、色はどうか。実に、色に関する哲学や心理学、そうして、生理学、脳科学の歴史において、色は音、匂いなどだけではなく、

痛みや痒さなどと一緒に「感覚」の概念で捉えられ、それ自体は広がりをもたないとされるのが一般的であった。そうして、 そのこ

000

とは色等は主観的な経験内容であるという見解と堅く結びついていた

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。ところで、本稿(上)で紹介した藤田氏は、見ることそのこ

とが心のできごとだと捉え、三次元のものを見ることそのことをも「感じる」という主観経験だと述べていた。実在する物体の構造

だと前提されている三次元と、感じられる三次元としての見える三次元とは別物だというわけである。後者は前者の復元だと捉えら

れているので、当然にそうなる。けれども、問題含みのこの見解は差しあたり措いて、次のことに注目したい。すなわち、他方で藤

田氏は、 「主観」 「感じる」という言葉を使うのに相応しい、とっておきの経験

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を、実は別のところに見いだし、見ることでは色の経

験がとりわけ主観的なものだと考えているように思われるのである。

  (六)  

(7)

情 報 処 理 の 内 容 と の 関 係 が い っ こ う に 明 ら か で は な い 視 覚 系 の 機 能 が 残 っ て い る。 そ れ は、 「 見 え る 」 と い う 主 観 経 験 を つ く り

00000000

だすこと

0000

である。

真 っ 赤 に 熟 れ た ト マ ト を 見 た と き に 感 じ る「 赤 さ 」、 [ 中 略 ] 海 辺 で 見 る 水 面 の「 ま ぶ し い 」 か が や き、 モ ン ロ ー ウ ォ ー ク の 女 性

の「 し な や か な 」 動 き、 わ が 子 に 乳 を 含 ま せ る 母 親 の「 や さ し い 」 瞳。 [ 中 略 ] 心 に の ぼ っ て く る あ の「 感 じ 」・ 「 質 感 」 は、 哲

学や認知科学では、 「クオリア」と呼ばれ る

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  「 見 え る と い う 主 観 経 験 」 を 言 い な が ら、 ト マ ト が 丸 く 見 え る こ と に は 触 れ ず に 赤 く 見 え る こ と の 方 に、 ス ッ と 話 が 行 っ て い る。

そうして、その方が読者も理解しやすい。見えている三次元の世界は脳の中で組み立てられたものだ、という話に対しては湧き起こ

るかも知れない違和感を覚えないで済むのである。 (なぜ違和感を覚えずに済むかの考察は本稿ではしない。 )

そこで、やさしさと赤さとを一緒くたに論じるのは適切ではないと筆者は考えるが、その問題も措いて、赤さなどの色の経験を考

えよう。色について、藤田氏は次のように述べている。

  私たちのまわりにある物体それぞれには色がついており、これは、私たちが存在しようがしまいが、変わることのない事実のよ

うに思える。しかし、そうではない。それぞれの物体の表面は、どのような波長帯域の光を放出または反射するかの固有な性質

をもっているが、それを色として感じるのは私たち自身の目と脳の共同作業の結果である。私たち人間を含めた生物のいないと

ころに、色は存在しな い

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  ありきたりの、よく受け入れられている見解で、わざわざ引用するまでもないと思う人がほとんどだろう。けれども、藤田氏の考

えでは、出っ張りや引っこみ等の三次元構造について用いられた 「復元」という表現が、色には適用できない

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ことを確認したい。復

元 す べ き 元 の 何 か が あ る わ け で は な い。 色 は 主 観 経 験 の 中 で 単 純 に 生 み 出 さ れ る だ け で あ る と 藤 田 氏 は 考 え て い る。 ( た だ し、 そ れ で

い て、 氏 は、 「 色 に 関 す る 情 報 」 と い う 言 葉 遣 い で、 色 も 外 界 に 元 か ら あ る か の ご と く 思 わ せ る 書 き 方 も し て い る。 こ の よ う な こ と は 生 理 学 の

教 科 書 そ の 他 ど こ に で も み ら れ る こ と で

第 1 節( 3) で の 生 理 学 の 教 科 書 の 引 用 に も み ら れ る

、 一 方 で は 述 べ た い こ と を 読 者 に 直 感 的

(七)  

(8)

に 伝 え る た め の 方 便 で あ り、 他 方 で 情 報 概 念 の 注 意 深 い 検 討 な し の 無 造 作 の 使 用 ゆ え の も の で あ る と、 筆 者 は こ の よ う に 判 断 し て い る。 ) こ う

し て、 「 見 え る 」 全 体 を 主 観 経 験 と 規 定 す る に し て も、 徹 頭 徹 尾 主 観 的 な も の で し か あ り 得 な い 色 と、 復 元 に 成 功 す る 限 り で は ま さ

に 復 元 と し て 世 界 に 届 い て い る 部 分 ( 少 な く と も 世 界 の あ る が ま ま の 近 似 で あ る 部 分 ) と、 二 つ の 部 分 か ら 成 り 立 っ て い る と、 こ う い

う発想があると思われ る

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だが、メイは色というものは、運動するものと同じく自然に理解できる、と述べた。どういうことだろうか。色は 外部に存在する

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ものとして明確に難なく理解できる

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、ということではないのだろうか。

た だ し、 メ イ は 色 を 二 通 り の 仕 方 で 見 る こ と に は 注 意 し な け れ ば な ら な い。 一 つ は、 解 読 す べ き 手 が か り と し て 見 る 場 合 で あ る。

次の場面をみてみよう。

  自宅のリビングルームのコーヒーテーブルの上に銀色の細長い長方形の物体が在れば、テレビのリモコンだと自信をもって言え

た。ところが同じリモコンがスーパーの棚や車のシートに置いてあると、二次元の意味不明の物体にしか見えない。

[中略]

[ 勝 手 知 っ た 場 所 で は な く 未 知 の ] そ う い う 場 所 で は、 も の を 見 る た め に 別 の 方 法 を 活 用 し な け れ ば な ら な い。 そ の 場 で 収 集 で き

る手がかりをヒントにすることにしていた。その手がかりとは、手触り、色、文脈と予測、触覚以外の感覚である。

[中略] ハイネケンの深緑色は、そこがビール売り場だという目印になった。紫の箱に黒い文字が記されているのは、ケロッグのレーズ

ンブランのノベルティーグッズ だ

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  こうして、 メイは「ヒントになる色を探し た

。」この場合には、 色は解読の材料、 手がかり (そういう意味で情報であり、 視覚によっ

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てしか得られないので、 情報の中でも視覚情報) の一つである。 (ただし、 メイにとって、 それだけでは手がかりとしては足りない場合も多い。 )

そうして、 情報であるためには、 色は

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メイにとってだけの何か、 (見るメイの心のうち、 あるいは脳の中にある) 主観的なものでしかない

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ということであってはならない

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。客観的な事柄なのである。つまり、どうして色が手がかりとなり得るかと言うと、色は或る 実際に

000

(八)  

(9)

あ る も の の 色

000000

で あ る は ず

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だ か ら な の で あ り、 こ の こ と が 重 要 で あ る。 色 を 手 が か り に す る ( 情 報 と し て 用 い る ) と は、 色 に よ っ て 色

をもつ何かに到達できるという前提でのことで、何かがあることとその色があることは一緒になっている。

ただし、もう一つ重要なことは、以上のようなメイの解読による把握は、普通の見ることとは違うということである。だから、 色

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を見る仕方も違ってくる

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。別の場面で、メイには次のような思いがよぎった。

  正 解 で き た こ と は う れ し か っ た。 し か し [ 中 略 ] 自 分 が や っ て い る こ と は 本 当 の 意 味 で「 見 る 」 と い う 行 為 で は な い。 [ 中 略 ] こ

んなに骨の折れる作業であるはずがな い

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  そこで、次の場合を検討してみる。

  子供部屋は新しい惑星だった。どこを見回しても、色とりどりの謎めいた形のごった煮がベージュのカーペットに溶け込んでい

る。 [中略] 毎晩息子たちに片づけなさいと命じている物体の数々にちがいない。

しゃがみ込んで、ごちゃごちゃした形が散らばっている一帯に目を凝らした。数分かかって、横長で車輪がありそうなものを見

つけ出した。手で触れると、とたんにそれがお目当てのものだと分かった。すると、その物体ははっきりとトラックの形をなし

はじめた。運転台の赤い色が天の啓示のように、目に飛び込んでき た

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  これを筆者は、色が物体に、他のものから区別されて一つのものとして見える物体に貼り付く瞬間だと解釈する。そうして、貼り

付く仕方で見えれば、 解読の作業は要らない

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のである。では、色が物体に貼り付く見え方とはどのような見え方か。それが先に述べ

た、見えるものが安定した空間規定を伴って見える見え方に他ならない。肝腎なのは、その空間規定とは、諸物体が奥行きある空虚

な広がりの中に散らばって見える、 そういう空間規定だ、 ということである。 (空の青さの場合、 これは更に先の奥行きがない背景だから、

青 い と い う 色 が 物 に 貼 り 付 く わ け で は な い。 そ れ か ら、 光 源 色 や 透 過 色 を ど う 考 え る か と い う 問 題 が あ る が、 こ こ で は 考 察 を 割 愛 す る。 こ こ

で 注 目 し た の は い わ ゆ る 物 体 色 で あ る。 あ れ こ れ の 物 体 の 空 間 へ の 散 ら ば り が 確 定 し な い と、 見 え る 世 界 は 浮 遊 し て し ま う の で、 物 体 色 が 重

(九)  

(10)

要なのは間違いない。 )

10

)色(知覚的質)と物体(知覚対象)

視覚の空間規定、体の外の見えるもの ――

こ こ で、 色 や 音、 匂 い な ど の 知 覚 的 質 を、 痛 み や 痒 さ な ど と 一 緒 に「 感 覚 」 と 規 定 し、 「 心 の 中 で 」 生 じ る も の で あ り、 従 っ て 広

が り を も た な い と 特 徴 づ け る 考 え、 曖 昧 さ を 抱 え る 流 布 し た 考 え を お 払 い 箱 に し な け れ ば な ら な い と、 筆 者 は 指 摘 す る。 ( た だ、 こ

の 考 え が ど う し て 生 ま れ、 容 易 に 受 け 入 れ ら れ た ― 受 け 入 れ ら れ る ― の か の 考 察、 そ う し て そ の 限 り で は 或 る 有 効 性 を も た な い わ け で は な か

ったことの考察は必要である。が、いまは考察が拡散するので、省く。置き換えられるべき適切な考え方を提示するだけにする。 )

三点がある。一つは、 色や匂いなどの「知覚的質」を、 痛みや疲労のような「体の感覚」ときっぱりと区別すること。二つめ、 「知

覚 的 質 」 と い う 言 葉 に は、 「 知 覚 」 と い う、 よ り 広 い 事 柄 の 中 で そ の「 質 」 と い う 側 面 に 着 目 し て い る の だ、 と い う 含 意 が あ る が、

この側面を具えた、より広いものとは何かと言うと、それこそが成熟した知覚での「知覚対象」であること。そうして、知覚対象と

は本来は行動対象となる可能性をもつものとして知覚されること、 これが第三のことである。 (色をどうにかしたければ、 色をもつもの、

あ る い は 光 を 相 手 に す る と い う 迂 路 を 必 要 と す る。 音 の 場 合 だ と、 音 を 出 す も の、 あ る い は 空 気 を 相 手 に 何 か を な す こ と で、 音 を 間 接 的 に 操

作する。これらの場合で、行動ないし操作の直接の対象となるものこそ、知覚のターゲットだ、ということである。註

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を参照。 ) このことは 敷

ふえん

衍 すれば、 知覚対象と体とは同じ一つの広がりの中に位置するということであり

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、 知覚空間は体の外に広がるものだ

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ということで

あ る。 な ぜ な ら、 行 動 対 象 と は 体 で も っ て 働 き か け る 相 手 の こ と だ か ら で あ る。 ( 押 し 倒 す と か の 接 触 を 必 要 と す る よ う な 行 動 で は な く、

言 葉 に よ っ て 働 き か け る 人 間 と い う 相 手 が 行 動 対 象 の 場 合 で も、 言 葉 を 出 す 口 を も っ た 人 の 体 と、 そ の 言 葉 を 聞 く 人 の 体 と は 同 じ 広 が り の ど

こかに位置しているのでなければならない。 )

一 つ め の、 「 知 覚 」 と「 感 覚 」 と に 関 す る 概 念 規 定 と 言 葉 使 い と に つ い て の 考 察 は、 紙 数 に 余 裕 が な い の で、 省 く

。 第 二 と 第 三 の

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点について、一緒に解説する。

色や匂い等が、 見る、 嗅ぐ等の対象、 知覚対象ではないか、 という意見が出るであろう。しかるに、 この意見と、 色や匂い等を「感覚」

の 概 念 で 押 さ え、 広 が り を 認 め な い 考 え は 連 動 し て い る よ う に 思 わ れ る。 ( こ の 点 は 一 つ め の 論 点 と 連 動 し て 検 討 し な け れ ば な ら な い が、

や は り 検 討 を 割 愛 す る。 ) し か し、 さ ま ざ ま な 知 覚 的 質 は そ れ ぞ れ の

00000

空 間 規 定 を も っ て お り、 し か も そ れ ら は す べ て 一 つ に 統 合

00000

さ れ る。 (一〇)  

(11)

な ぜ な ら、 ど の 空 間 規 定 も 体 を 基 点 ( 起 点 ) に、 方 向 の 差 と 遠 近 か ら 成 る と い う 共 通 性 を も ち、 異 種 の 知 覚 の 空 間 規 定 す べ て が 同 じ

体を核に重なるものだからであるからである。ブーという音が右手背後から聞こえ、 段々に近づいてくるし、 匂いが前方からしてくる。

丸い緑に黒の縞が、茶色で平に見えるものの手前に見える。触れてすべすべして冷たいものは、体からの距離は零だとしても体に外

在 的 で、 体 の ど の 部 位 で 触 れ て い る か と い う 空 間 規 定 を も つ。 ( 体 そ の も の が、 体 の 重 さ を 受 け 取 め、 地 面 を 踏 み し め る 足 が 下 部、 食 べ る

も の を 呑 み 込 む 口 や 見 る 目 が あ る 側 で、 動 き や す い 方 向 が 前 部 な ど の 空 間 規 定 を も つ。 ) 甘 く 溶 け て ゆ く も の は、 口 の 中 で 味 わ わ れ る と も、

呑み込まれるまでは体の外なるものである。そうして、体が運動するものであるゆえに、知覚空間は運動空間に統合される べき

00

もの

に他ならない。 (統合の失敗や、 車のサイドミラーの中に広がって見える空間の特殊な仕方での統合などについての議論も本稿では割愛す る

。)

37

そこで、知覚における空間規定の定まりとは、原則として物体、広くは物象の定まりという意味をもつ。そうして、物象とは、 異

0

なる種類の知覚それぞれによって異なる知覚的質によって捉えられる可能性をもつ

0000000000000000000000000000000000000

もので、これらを知覚対象と呼ぶ方が適切である。

す る と、 色 や 匂 い 等 の 知 覚 的 質 は、 こ の 知 覚 対 象 の 性 質 と い う 位 置 づ け を 得 る。 ( こ れ は 先 に 言 及 し た、 色 は、 物、 光、 見 る 人 の ど れ に

帰 属 さ せ る べ き か と い う 議 論 に 早 々 と 決 着 を つ け る 独 断 的 見 解 に み え る か も 知 れ な い が、 そ う で は な い。 次 項 で 述 べ る 知 覚 と 行 動 と の つ な が

りゆえに、普通の知覚経験の場合の知覚的質の処理としては妥当であるというに過ぎない。註

30

を参照。 )

実 際、 目 が 見 え る よ う に な っ た メ イ が、 あ る べ き 仕 方 で 見 る こ と が で き る よ う に な っ た と き と は、 色 が 物 の 色 と し て 見 え る よ う

になったときである。たとえばクリーム色が、自分の声を反響させる壁の色として見える、これが本来の見ることである。そうして、

見えるものと反響音の出所とが同じであるとは、視覚の空間規定と聴覚の空間規定とが一致することにおいて達成される。

も ち ろ ん、 各 知 覚 に 特 有 の 内 容 に こ だ わ る こ と は で き る。 実 際、 視 覚 の 空 間 規 定 が 非 常 に 不 安 定 で 苦 し ん だ 時 期 の メ イ に あ っ て、

失明していたときには想像もつかなかった「見ることによって のみ

00

経験するさまざまな特有の内容」はあったのである。そうしてそ の内容を、先にみたようにファインは抽象画のようなものだと考えた。しかし、メイにしろヴァージルにしろ、奥行きが 掴

つか

めないと き、だからといって、代わりに絵のような 安定した平面

000000

が見えるわけではないのには注意しなければならない。高層ビルがいまにも

倒れそうにのしかかって見えたり、道路標識が路面に置いてあるように見え、車に激突するのではないかと通過する寸前まで心配し

なければならない仕方で、だから三次元で見えるのである。

それから、次のような経験も記されている。

(一一)  

(12)

[ 妻 が 運 転 す る 車 の 助 手 席 で、 メ イ は ] 目 で 見 た も の に 手 で 触 れ た い と 強 く 感 じ た。 し か し 車 の ウ ィ ン ド ウ に さ え ぎ ら れ て い て は、

なすすべがなかった。こんなにいろいろなものが見えるのに、ガラスの中に閉じこめられていて、目に見えるものにどれ一つと

して触れることができない。なんとも奇妙な気分だっ た

38

  以 上 に 述 べ た よ う な 見 え 方 の 場 合 と、 メ イ が 苦 労 し て 獲 得 し、 私 た ち が 当 た り 前 の ご と く 経 験 し て い る 標 準 的 な 見 え 方 の 場 合 と、

両方に共通なのは何か。 見えるものは光という媒体を通して体と交渉関係にあるもので

0000000000000000000000000000

、 場合によって行動の対象となるものだ

00000000000000000

、と

いうことである。これは先に指摘したことの第三点に他ならない。そうして、見えるものと体との距離が大事、別の言い方をすれば

奥行きが大事なことを示している。遠くにしかいない小鳥が少し近づくだけでとびすさるヴァージル、影をよけようとするヴァージ

ルにとって、見えるものとは、単に見えているのではなく、必要に応じて対処しなければならないものなのである。ただ、対処がう

まくゆくには、見えるものの空間規定が適切なものでなければならないが、その空間規定が 不安定

000

なのである。別に 平面であるわけ

0000000

ではなく

0000

、 三次元だけれども不安定なだけ

00000000000000

、と言っていい。

こうして、視覚の対象は色ではない。色と形であると言っても足りない。色や形をもった もの

00

、空間規定によって定まる物象であ

る。そこで、抽象画を見るというのは特殊な見方であることに注意する必要がある。また、先にも指摘し、後で考察するように、抽

象画ならざる絵、具象画や、写真や図を見るというのも、抽象画を見るのとは違った仕方での高度で特殊な見方である。

そうして、この点を念頭に置くと、基本的な働きをしている場合の聴覚という知覚の対象も音ではなく、音を出すものなのだ、と

いうことが納得できる。背後から近づいてくる音を聞いて振り向き、車を 避

ける。鳴き声を頼りに子猫を探す。異常な音で機械の不

具合を見つける。すべてで、聴覚は音の出所へと向かっている。音楽の音を聞くような経験はより高度な経験なのである。

11

)現われる仕方で存在するものを捉えること

現われを越えるものと想像の契機?

こうして、一つの種類の知覚の対象は、行動の対象や、他の種類の知覚の対象ともなる 可能性

000

をもつものという資格を携えるので

あり、 色や音、 匂い等の知覚的質は、 その対象の一つの側面でしかない。メイが、 「混乱した洪水とでも形容すべき仕方で見える内容」

を手なづけたときに見えてきたものとは、 或る意味で 「見える内容を越えているものとして見えている」 のである。 矛盾的表現だが、 「見 (一二)  

(13)

える内容の中には 不在のもの

00000

をも見る」ことに成功することが、 あるべき

0000

見ることの成立なのである。手術して見えるようになった

ばかりの数ヶ月、彼は悪戦苦闘して見える内容を分析し、解釈し、それがうまくいけば「何が見えているのかが分かる」のであった。

解釈の結果を含み込んだものへ、つまりは見える手がかりである見える内容を越えたものに到達することが、見ることを流産させず

に成功させることであった。全き仕方で見えるもの、それは色であり、かつ色に尽きぬもの、それは色を一つの性質としてもつもの

である。 ところで、色に尽きず色を越えたものにどのようにして到達するのか。既に筆者は、見えるものの空間規定という答を出した。こ

こでは、その空間性に想像という契機が絡みはしないか、その可能性を探る形で考察を進めていきたい。

次の二つの表現を取り上げよう。二番目のものは先に引用したものである。

  売り場でメイは目を凝らし、手で触り、予測を働かせ、想像力を駆使し、推論を組み立てようとした。しかしこの店の中のかな

りの空間は、相変わらず明るくカラフルな図形が描かれたキャンバスのままだっ た

39

しゃがみ込んで、ごちゃごちゃした形が散らばっている一帯に目を凝らした。数分かかって、横長で車輪がありそうなものを見

つけ出した。手で触れると、とたんにそれがお目当てのものだと分かった。すると、その物体ははっきりとトラックの形をなし

はじめた。

  ここで筆者は、予測、推論、解読などはすべて想像の或る仕方での働かせ方だと考える立場から、一つめの引用文における「想像

力を駆使し」という表現に重きをおいて、二つめの引用文に関し、次のようにも 一応は

000

言ってみたい。おもちゃのトラックが形をな して見えるようになったときとは、 想像が現実になったとき

00000000000

というふうにも言えはしないか、と。ただし、その想像の内容とは、見

えるときにはどのように見えるかについての想像ではない。どのように見えるかが想像できるくらいなら、最初から現実に見えるだ

ろう。この場合の想像の内容とは、 見えること固有の現われを越えた部分

00000000000000000

であり、視覚において現われる仕方で 存在する

0000

ものの方で あ っ た。 そ こ で、 「 想 像 が 現 実 に な る 」 仕 方 で 見 え る よ う に な っ た と は、 単 な る 現 わ れ を 経 験 す る こ と か ら 移 行 し て

0000000000000000000

、 現 わ れ に よ っ

000000

(一三)  

(14)

て存在するものを捉えるという知覚一般の構造を獲得した

00000000000000000000000000

ということである。ここで、存在するものとはどこかに在る、空間規定を

もって、他のものとどういう位置関係にあるかが明確な仕方で在るのだ、ということに注意を払わなければならない。そうして、位

置 関 係 の 中 で 最 も 重 要 な の は、 見 る 人 の 体 と の 位 置 関 係 で あ り、 従 っ て 奥 行 き と い う 規 定 な の で あ る。 ( な お、 こ の 場 合 の 存 在 概 念 の

源 泉 は 体 の 存 在 の 経 験 に あ る と い う 重 要 な 論 点 が あ る が、 本 稿 で は 扱 わ な い。 前 節 末 尾 で 提 起 し た 問 題 で あ る が。 ) そ こ で 逆 に、 見 え る も の

が安定した空間規定を携えて見えるとは、見るとは存在するものを捉えようとする働きであるということの証左に他ならない。

しかしながら、直ぐに注意しなければならない、普通に見ることは最初から「見えることに固有の現われを越えて存在するものが、

今はその現われる仕方で存在している、その様を見る」という構造をもっていて、 想像を必要としない

000000000

。メイが普通に見ることがで

きるようになったときとは、分析その他の作業なしで、想像力を駆使することもなく、最初から難なく物が見えるようになったとき

な の で あ る。 た だ し、 そ の よ う な 見 る こ と は 成 熟 し た

0000

見 る こ と だ、 と も 言 え る。 そ の う ち に は、 触 覚 の 内 容 と な り 得 る も の な ど が、

言い換えれば、視覚的質を越えたものが含まれている。その含み込みは、記憶や知識の介入を別にすれば、視覚対象が 諸々の物が空

000000

っぽの空間に散らばっている

0000000000000

という適切な規定を手に入れることにおいてなされると、こう筆者は総括する。

し か し な が ら 再 度、 普 通 の 知 覚 の 成 立 は 表 立 つ 想 像 の 働 き は 必 要 と し な い に し て も、 成 熟 し た 知 覚 の 成 立 の う ち に は、 同 時 に ( 想

像 の 十 全 な 働 き で は な く ) 想 像 の 萌 芽

00

が 潜 ん で い る と 言 っ て は な ら な い だ ろ う か。 楓 の 幹 の 向 こ う に 紫 陽 花 の 茂 み を 見 る と き、 幹 で 隠れた部分がつながった一纏まりの茂みを見るのであり、隠れた部分は想像しているとも言える。このような見方から、 尻

しっぽ

尾 を見る

だけで頭もあるはずの猫を見ること、匂いを嗅いでカレーを想うこと、赤い苺を見て甘さを想うことは連続している。そうして、黒

雲に雨を想う等の、十分に羽 搏

ばた

く想像が引き続くのである。また、言葉という聞こえるものがさまざまな意味を連れてくるようにな

るし、言葉は内語の形で各人に、知覚から開放されたかのような想像の世界を開くのである。

12

)写真や図を見ることにおける想像の契機

さ て、 視 覚 が 手 に 入 れ る べ き 適 切 な 空 間 規 定 と は、 原 則、 同 じ も の に 関 わ る 他 の 種 類 の 知 覚 が 可 能 な ら そ の 空 間 規 定 と 統 合 さ れ、

か つ、 運 動 に 関 わ る 空 間 で も あ り 得 る 仕 方 で 提 示 さ れ る 空 間 で あ る。 ( 鏡 に よ っ て 見 え る 空 間 が ど の よ う な も の か に つ い て の 考 察 は 本 稿

で は 省 く

。) そ こ で、 こ こ で カ ラ ー 写 真 を 私 た ち が ど う 見 る か を 考 え て み、 像 を 見 る こ と に お い て は、 そ の よ う な 奥 行 き あ る 空 間 の

40

  (一四)

(15)

知覚がないことを確かめ、かつ、像を見ることにおける想像のより明示的な働き方を確認しよう。

メイが特殊な視覚世界から脱して普通の視覚へ移行したとき、彼の視覚世界が抽象画の世界から具象画の世界に変わったというの

ではない。先に紹介した藤田氏は、写真や図がどのように見えるかを調べることで、視覚がどのような仕組みをもっているかが分か

ると考えている。筆者は、仕組みの或る面について分かるということには賛同する。しかしながら、写真を見ることと普通に見るこ

と、たとえば被写体を見ることとは全く違う。

レンズに入り込む光の調節がうまくゆかず撮影に失敗した写真で、ただ赤茶色や黄色、青い色が写真という紙の表面に見えるだけ

の こ と が あ る。 抽 象 画 は こ の よ う な 写 真 に 近 い。 ( 三 次 元 の も の を 見 る 場 合 だ と、 菜 の 花 畑 の 黄 色 の 広 が り と 空 の 青 さ と の 調 和 的 対 比 を 美

し く 思 う と か、 花 壇 の 彩 り の 配 色 に 気 を と ら れ る 仕 方 で 見 る と か の 場 合 に 相 当 す る。 た だ し、 絵 の 場 合 は、 画 家 の 表 現、 表 出 と い う 創 造 的 要

素 を 考 え ね ば な ら な い。 ) し か し、 き ち ん と 撮 影 し た 写 真 を 私 た ち が 普 通 に 見 る と、 被 写 体 の 像 が 見 え る。 け れ ど も、 メ イ は ピ ン ぼ け

の写真の世界から、このようにくっきりと像を見ることができる写真へ移行したのではない。メイが最初にいた特殊な視覚世界はピ

ン ぼ け の 世 界 で は な い し ( む し ろ、 遠 く の も の が 普 通 の 人 に 比 べ て 驚 く ほ ど く っ き り 見 え る 世 界 で あ る

) 、 到 達 し た の は、 写 真 の 紙 が 机 の

41

上にあると見え、更に机と紙とのずっと先に床が見える、そのような構造をもつ世界である。

写真に像を見るというのは特殊で高度な見方である。というのも、写真の紙を見つつ、 それに加えて

000000

、写真の紙とは別のものを見

ることができるという二重性が必要なのであるから。では、この二重性はどのようなものか。写真表面の色模様は、被写体のあれこ

れの色へと分離してゆく。緑色は薔薇の葉っぱの色、赤は薔薇の花の色、栗色は女性の髪の色、黄色は女性が着ている服の色という

具 合 に。 し か し、 注 意 す る が、 色 と い う 視 覚 内 容 に 変 化 は な い

00000000000000

。 た だ、 そ の 色 が 写 真 の 紙 の 色 で は な く、 別 の 或 る 物 ( 被 写 体 ) の 色

として見えるようになるわけである。しかるに、物は奥行きを携えているのではなかったか。然り。だから私たちは像を奥行きがあ

るように見る。しかしながら、奥行きがある ように

000

見るのであり、奥行き を

0

見るのではない。

では奥行きを見るとはどのようなことか。写真の紙と机と床の見える場合で調べよう。見る私がほんの少し動くだけで、机の向こ

うの床の見え方が変わる。隠されていた部分が見えるようになり、見えていた部分が机に隠されて見えなくなる。他方、写真は相変

わらず机の同じ部分を隠し続ける。これゆえに、写真と机の間には空間が見えず、机と床の間には空間が見える。空っぽなのだから

何 も 見 え な い、 と 言 っ て は い け な い。 空 っ ぽ で は あ る 空 間 を 見 る の で あ る。 奥 行 き を 見 る と は

00000000

、 物 を 立 体

0000

( 三 次 元 の も の ) と し て 見

0000

(一五)  

(16)

る と い う こ と だ け で は な く

000000000000

、 む し ろ、 空 っ ぽ の 空 間 に 遠 近 さ ま ざ ま に 物 が 配 置 さ れ て い る こ と を 見 る こ と で あ る

000000000000000000000000000000000

。 ( そ う し て 逆 に 物 を

00

見 る と は

0000

、 先 に み た よ う に、 そ れ ぞ れ の 物 が 携 え る 奥 行 き

00000000

だ け で は な く、 物 と 物 と の 間 の 空 っ ぽ の 奥 行 き

00000000000000

を 見、 全 体 と し て さ ま ざ ま な 物 の 空 っぽの隔たりを含む配置からなる 視覚空間におけるその位置とともに見る

000000000000000000

ことなのである。 )

翻 り、 写 真 で は、 「 窓 を 背 景 に し た 女 性 」 の 像 を 見 る こ と、 従 っ て 女 性 が 窓 よ り は 手 前 に い る と 見 る こ と は で き る が、 女 性 と 窓 と

の間の空間を見ることはできない。そこで、仮に奥行きを言うなら、像を立体的 に

0

見るのではなく、立体的なもの として

000

見る、その

ようなものとして想像しつつ見るのと同様、女性がいる場所から窓がある場所への距離という奥行きも想像しつつ見るのに過ぎない。

この想像の働きがあることは、私たちが僅か数センチの写真の紙のうちに、それよりはずっと大きいものである人や窓を認めるとい

う こ と か ら も 窺 え る。 ( し か し、 か と 言 っ て、 窓 枠 の 内 側 に 遠 く の 建 物 が 見 え、 か つ、 そ の 建 物 が 窓 よ り ず っ と 大 き い と 見 る、 と い う こ と は

別 の 事 態 で あ る。 窓 や 建 物 の 見 え る 大 き さ は、 人 の 移 動 に よ っ て 変 化 す る。 そ う し て、 大 き さ と は ま ず は 体 を 基 準 と し て、 運 動 を 通 じ て 測 ら

れ る も の で あ り、 視 覚 空 間 が 運 動 空 間 に 統 合 さ れ る 仕 方 で 見 え る と い う こ と は、 大 き さ の 問 題 を 既 決 の 事 柄 と す る の で あ る。 翻 っ て、 写 真 の

紙とそこに見える像との大きさの関係は、移動によって変わらない。 )

ただし、注意しよう。人物の髪の色、服の色がどうかの方は、これは想像するのではなく、写真の紙の色として見る色そのままを、

想 像 し た 人 物 の 色 と し て 見 る し か な い。 見 え て い る 掛 け 値 な し の 内 容 と し て 色 は あ る。 ( だ か ら メ イ は、 色 は 運 動 す る も の と 並 ん で 自 然

に 理 解 で き る、 と 言 っ た の に 違 い な い。 ) 色 は、 そ の 形、 配 置 と と も に、 想 像 を 導 く た め の 材 料 で あ り、 想 像 が 成 就 す る と き に 想 像 さ

れたものに張り付く。紙の色でありながら、女性の服として想像されたものにその色として張り付くのである。

因みに、猫などは写真に像を認めない。写真に像を見るには想像の働きが必要だからである。しかし、魚の写真に見向きもしない

猫 も、 写 真 の 紙 は 見 て い て、 そ れ が 風 で 飛 ん で 注 意 を 引 く と 面 白 そ う だ と 追 っ か け る。 ( な お、 鏡 に 映 っ た 像 を 本 物 と 見 て 突 っ か か る 鶏

の こ と を 考 え れ ば 推 察 で き る よ う に、 鏡 の 映 像 は 写 真 の 像 や 図 と は 全 く 違 う 性 格 の も の で あ る。 ま た、 以 上 の 考 察 の う ち に、 藤 田 氏 が カ ニ ッ

ツァの三角形を例に 「手前の物体と奥の物体」 の見え方について解説していることの不十分性もみてとれる。手前の物体と奥の物体との関係は、

物 体 と そ の 背 景 と の 関 係 と 等 し く は な い。 氏 は、 脳 が 情 報 の 足 り な さ を 補 う た め に ヒ ン ト に し て い る も う 一 つ の 世 界 の ル ー ル と し て、 「 手 前 に

ある物Aの輪郭は見えるが、奥にある物体Bの輪郭は見えない」というものを指摘し、カニッツァの三角形を持ち出してい る

42

しかし、 この例では、 AとBとの間の奥行き、 距離が見えることは決してない。AとBとはぴったり重なっているとすら言えない。重なってい (一六)  

参照

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