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眉 山 周 縁 に お け る 土 地 利 用

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(1)

眉山周縁における土地利用

 一︑序

 二︑研究地域の設定

 三︑礫石原の土地利用

 四︑北千本木及び南千本木の土地利用

 五︑三つの集落の兼業型態と土地利用

 六︑結び      ①② 序眉山の周縁地域は眉山の爆裂に関連する新規の岩塊泥流や崩壊物

の堆積によって形成された扇状地が広範囲に発達し︑特に眉山の東南麓

は寛政年間のきわめて新しい崩壊物質によっておおわれている︒こうし       ⑧た火山性扇状地としての眉山周縁における地形七一単元は島原半島にお

ける他の火山性扇状地と比べて特異ななりたちを示している︒

 この地域内の土地利用を研究対象としたことについては︑自然条件の

特異性と土地利周縁との関連性を強調することを意図したものではなく︑

むしろ︑このような自然的特異性を背景としながら︑主として経済的祉

会的条件の麦配によって土地利用の配置が展開されている過程をありの

ままに濯えたいためであり︑更には︑その合理的な再配置を検討するた

めの基礎的資料を得ることを目標としたものである︒

 なお︑本研究に当って︑終姶御懇切な御指導と御鞭達をたまわった吉

田敬市教授に深甚の感謝の意を表し︑この論文集に小論を捧げる次第で

ある︒ 研究地域の設定 現在では島原市域に包含される眉山周縁地域におけ

る土地利用調査に当って︑当該地域内の六二個の集落のうち次の操作に よって四つの集落を選定し︑その附近を研究地域として設定した︒即ち︑この地域にふくまれる六二個の集落の各農家別経営耕地の広狭別規模︵一九六〇年︑世界農林業センサス︶及び各集落に所属する耕地中の水田度によって︑その分類を試み︵第1図︶︑次の四つの類型に区分した︒A型集落︑この型に属する集落は︑五反未満の農家一〇%以下︑五反乃 至一町未満一〇%乃至二〇%︑一町以上が八○%以上を示す︒当該地 域においては礫石原︵くれいしばる︶の開拓地だけがこの型に属する 純畑作集落である︒次に︑B型集落︑これを瓦型︑恥型の二つに分類した︒ 践型集落︑この型は五反未満︑三五%以下︑五反乃至一町が二五%乃 至五〇%︑一町以上が三五%乃至六〇%を占す︒三会︵みえ︶地区の 広高の︵ひろこうや︶︑大手原︵おおてばる︶︑津吹︵つぶき︶︑大鳥 ︵おおとり︶︑長貫︵ながぬき︶︑大杉︑原口︑及び安中︵あんなか︶ 地区の大南下︑新切︵しんきり︶がこれに属し︑水田度二〇%以下が 大部分を占める︒ 恥型集落︑この型は︑五反未満は一〇%乃至四〇%︑五反乃至一町未 満は三〇%乃至六五%︑一町以上は一〇%乃至三五%を示す集落群 で︑稗田︑畑中︑亀甲︵かめのこう︶︑寺中︵じちゅう︶︑一下︑出ノ 川︑木崎︑三会馬場︑平︑北千本木︑江里︑坪浦︑川地︑中尾︑宇 土︑下門内︑札の元︑天神元︑新天︑白谷︑上中野︑下中野︑立野︑ 的野︑油堀︑大下南︵おおしたみなみ︶︑大下北︑中原の各集落が含 まれ︑水田度三〇%以下の集落が多い︒ ︒

眉山周縁における土地利用

(2)

眉山周縁における土地利用

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D型集落︑この型は五反未満が六〇%乃至九五%五反乃至一町未満は三

 五%以下︑一町以上は一〇%以下︑五反未満が圧倒的高率を示す集落

 群で︑上町︑下町︑上折橋︑下折橋︑浜︑柏野︑鉄砲町︑北原︑桜馬

 場︑田屋敷︑新馬場︑先魁︑宮ノ丁︑高島︑萩原︑寺町︑上ノ原︑白

 土︑湊道︑崩山︑新山︑坂上︑八幡︑川尻︑下川尻︑赤禿︑船泊︑枯

 木︑新湊がこれに属し︑水田三三〇%以上のものが多く含まれる︒

これらの各類型の分布を第2図に示す︒これによると各類型の地域分化

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C型集落︑この型は︑五反未満四〇%乃至六〇%︑五反乃至一町未満は二

 〇%乃至五五%︑一町以上は二五%以下を示す集落群で︑北浦︑金洗

 ︵かなあらい︶︑洗切︑南千本木︑六ツ木︑山寺︑杉谷馬場︑原︑杉

 山︑安中︑三山︑安中馬場︑鎌田︑中南上・下︑大南上︑池端︑上木

 場南・北がこれに該当し︑水田度二〇%以下の集落は︑きわめて少

 い︒ .D.

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2

(3)

をかなり明瞭に指摘することができる︒島原市街地附近及び︑三会地区

の中心集落︑上町・下町附近にD型が分布し︑島原市街地近郊のD型地

区の南北両翼にC型集落の地区を伴っている︒更に︑眉山西南麓の上木

場地区にC型及び西北麓から北麓にかけて︑南千本木︑折橋︑原︑のC

型及びD型地区が介在し︑三会地区の扇状地面では全域にわたってB型

集落が展開している︒扇頂部の礫石原の開拓地は︑ひとりA型集落とし

て特異な隔絶性を示している︒このように明瞭な地域分化のみられる各地域の中から︑火山山体に最も近い縁辺部から︑A型集落としての

﹁礫石原﹂を︑B型集落として﹁北千本木﹂を︑C型集落として﹁南千

本木﹂をひとまつ選定し︑その附近の土地利用を研究対象として設定す

ることとした︒

 礫石原の土地利用

 A型集落としての礫石原は︑耕地所有においては上層農家に属するも

のが圧倒的に多いが︑戦後の開拓地であるため︑歴史的背景に乏しく︑       ④農家資本の蓄積︑そしてあらゆる丈化遺産に恵まれない︒しかも︑あら

ゆる開拓地がそうであるように土地条件は劣悪であり︑低位な土地生産

力増強のための土地改良事業や施肥に投ずる資本や労働力の過重投下を

要請され︑交通条件にも恵まれていない︒眉山周縁の古い集落群に比べ

て︑次にのべるように︑特殊な型態を示し︑また︑特殊な課題を有する

集落である︒

 礫石原の位置は︑雲仙岳北麓の熔岩流を被覆する火山砂礫及び火山灰

からなる扇状地の扇頂部に相当する︒俗に﹁黒のっぽ﹂とよばれる火山   ⑤灰中に縄丈晩期の遺跡が発掘され︑この地域の表層火山灰は先史時代以

後の新しい降灰物と推定される︒こうした土地条件に対して︑戦前︑牧野

として利用されたが︑原野としての利用が主流をなして戦後に到った︒

一九四六年︑引揚︑復員者を対象とする入植地として開墾がつづけら

れ︑一九五〇年までに四五・七町歩の耕地化が行われた︒それ以後の開

 眉山周縁における土地利用 墾は全く湾益し現在に到っている︒現在︑集落戸数は三二戸であるが︑この間に一〇戸の離脱農家を数えている︒これらの農家は主食中心の増産政策の一環として入植し︑耕地はほぼ均等に配分され︑農業経験も︑農業資本も︑等しく絶無に近い状態で︑農家経営の出発点を等しくする農家群であった︒しかるに僅か十数年間における社会的︑経済的環境の変化に従い︑各戸の農業適合への順化力の差異によって︑その所得面での階層分化が現われはじめている︒いま︑一農家における土地利用を指標としてその過程を明かにすることにつとめたい︒丁家は︑開拓道路に沿って東面し︑道路の西方高地に上畑︵じょうばた︶を有し︑東側に宅地︑畜舎︵乳牛一頭飼育︶と宅地畑︵たくちばた︶を有している︵第3図︶︒ 耕地中にみられる未開墾地は︑巨大な礫層の露われているところで︑これまでの開墾の困難性がうかがわれる︒ 丁家では︑一九四六年︑入植以後主食中心の作物栽培を焼畑形式で行い︑アワ︑ヒエ︑オカボ︑トオモロコシを主とて栽培したが︑入植一〇年酒の一九五六年においても主食中心から脱しきれず︑春夏作︵第4図︶をみると︑陸稲作付面積が最も多く甘藷︑大豆︑アワがこれにつづいている︒一九五八年及び一九五九年を明瞭な劃紀的時点として︑主食中心から疏菜中心の土地利用への転換がみられ︑一方酪農を附加する経営への転換が︑飼料作物の春夏作及び冬作を加えての作付増大にうかがいえられるのである︒一九五八年の春夏作では︑陸稲︑大豆は半減し︑粟は全く消減し︑代って飼料作物が大きく伸びている︒一方︑スイカやトマトの疏菜栽培が漸増の傾向を示しはじめている︒T家だけでなく︑礫石原集落全体についての傾向を第5図によってうかがうことにしたい︒礫石原において︑生産額︑販売繋属に最も犬きな伸び︵一九五六−

一九六〇年︶を示すのは野菜類︵スイカ︑バレイショを除く︶で︑この

伸びを支えているのは︑主として︑ニンジン︑トマトである︒一九六〇

年現在︑丁家における野菜類としては︑ニンジン︑トマト︑スイカの三

作を春夏作の中心とし︑バレイショ︑イチゴの二作を秋冬作の中心とす

(4)

眉山周縁における土地利用

るに到っている︒

 礫石原におけるニンジンの作付は︑ 一町五

反歩︑T家では三反弱である︒品種は黒田五      ⑥寸二〇号で︑ ﹁旅荷﹂として関西市場で好評

を得ており︑ ﹁近在荷﹂としても長崎市場で

貴重な存在になりつつあったが︑一九六〇年

の伊勢湾台風によって濃尾平野のニンジンの

種子の入荷を欠いだためこの種の増反は一時

停頓した︒しかし今後の礫石原の有望作物で

あることに変りはない︒ニンジンの作付はそ

の初期の段階においては︑裸麦の収穫後︑夏蒔

ニンジンが採用され︑春蒔ニンジンは甘藷収

穫後の畑を一たん休閑地とし四月下旬に播種

される形式が採用されたが︑近年は︑春蒔ニ

ンジン←秋蒔ニンジン←スイカ←秋蒔ニンジ

ンの輪作形式が採用され︑ニンジンの作付面

積は更に増大しつつある︒

 トマトの栽培は︑この地域の高距性のた

め︑低地の里より七日又は一〇日おくれて播

種するのが良く︑また出荷期も︑里では七月

下旬つら枯れによってなくなってしまうのに

対して︑一〇月下旬まで︑

会扇状地上の野菜栽培地域である広高野︑

集落と共に一九五七年︑

培地域へ山女定性を与・え︑

に博多市場へも出荷を継続している︒

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      その期間が長い点に有利性がある︒また︑三

       油堀︑長当量・下︑大杉などの

       共同出荷組合を結成したことがトマトの集団栽

       ﹁近在荷﹂としてだけでなく﹁魚串﹂として主       トマトの品質の低下に対しては大

洋食品のジュース用原料としての需要が控えている︒第5図に見られる

そさいの伸びはニンジン︑トマトを主体とし︑イチゴ︑落花生︑ラッキ ョウなどが補助的役割を演じている︒ スイカは四月下旬に播種し︑八月下旬まで出荷できる︒品種は冨研︑小玉スイカ︑紅ザクラで︑もっとも多いのは冨研であるが︑近年電化ブームによる電気冷蔵庫の普及により小玉スイカが比較的高価をよび︑この地域のスイカのホープをなしている︒ 一方︑スイカの商品化率︵一九五六年と一九六〇年︶は︑八○劣から六七%へ低下している︒ ︵第5図︶このことは︑自家消費の増大を意味

(5)

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するより︑ここでは流通面への有機的な結合の弱さを意味していると思

われる︒一九五六年にこの集落の最も大きな販売額を示した甘藷及び大

根は︑ ﹁黒のっぽ﹂土壌に適した作物として︑反収それぞれ一八八七㎏

及び三七五〇㎏を示し︑その作付は衰えていないが︑販売額はそさい︑

馬鈴薯︑スイカにその比重を奪われている︒T家では馬鈴薯の比重は小

さいが︑集落全体としては︑重要な特徴作物で︑その商品化率は︑甘藷

と共に五〇%内外を示している︑一九五六年にはこの集落の中心作物で

あった陸稲︑ムギ類は大豆と共に産額と商品化率をかなり大きく低下し ている︒ ナタネ︑落花生︑アワは︑その生産額が停滞しているが︑僅かながら商品化率を高めている︒アワは大豆と共に︑島原市では︑大阪の﹁おこし﹂の材料として︑或いはカナリヤの餌として固定した市場をもつが︑ここでは商品化は低下の傾向を示している︒以上の如く︑礫石原の野菜栽培は大きく伸びている︒また島原市の主要農産物の平均商品化率は︑島原半島では

上層クラスに属しているが︑この地域における一反歩以上の野菜栽培農

家︵第6図ならびに第1表︶をうかがうと︑礫石原は︑三会扇状地上の広

眉山周縁における土地利用

(6)

眉山周縁における土地利用

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高野︑油堀︑大鳥などと共に︑野菜類を一反以上栽培する農家

の全戸数に占める比重は大きく︑八○%以上を占している︒

扇状地末端部では寺中亀甲附近に八○%以上の小集団が指摘

される︒同じ扇状地上でB型集落に含まれる中野︑出川︑江里

などはタバコ栽培が盛んで︑一反歩以上の野菜栽培農家の比

重は五〇%以下に低下し︑その地域分化も顕著である︒眉山

南麓のB型︑C型では三〇%以下が示される︒市街地周縁の

D型集落では︑二五%の萩原二八%の折橋をのぞけぽ︑ほと

んど一〇%以下で︑野菜栽培の零細性と集約性が推定されよ

う︒このことから︑特定野菜の団地的栽培地域の形成は︑三

会扇状地の扇頂部に︑最も大きくその期待が寄せられるので

ある︒事実︑この地区では強力な共同出荷体制が固まりつつ

ある現状である︒なお︑特定品種やその栽培技術の共同的導

入や機械化への共同出資体制の確立を手はじめとして︑管

理︑経営の共同化への前進は︑この地区に与えられた将来の

課題であらう︒そしてその成功は︑眉山周縁における特徴作

物地域として活目すべき生産性の向上を意味するものと思わ

れる︒勿論︑この過程において脱農化していく多くの農家群

を全く否定するわけにはいかない︒このように︑礫石原の野

菜栽培の将来性は︑他の集落との有機的結合を前提としつ

つ︑集落内部での諸問題の解決にかかっている︒このことは

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入植頭初の目標であった酪農の将来性についても同様のことが指摘され

るであらう︒       ⑧      ⑨ 集落内での乳牛戸数は一九戸︑飼育度は五九%である︒眉山周縁にお

ける乳牛の飼育度︵第7図︶は︑経営面積六反歩以下の農家では極めて

低く︑六反歩を境として︑上層雲に向ってはゆるやかに上昇しているに

すぎない︒従ってこの地域では︑酪農経営は必ずしも上層農の指標とは

なり得ない︒六〜七反歩程度の階層にも乳牛の導入が進捗しているから

である︒しかし︑上層農の三七%︵島原市平均︶に比べて︑礫石原にお

ける酪農化の進展はこの地域の主導性を有つものとして注目されよう︒

眉山周縁における土地利用 頭数は︑二六頭で︑サイロは二〇基︒エンバク︵冬作︶トウモロコシ︵春夏作︶を主要飼料作物として︑その作付は次第に増加している︒ ︵第5図︶搾乳は一〇戸で毎日一〇〇既前後︑各戸で島原地方酪農ヘォートバイで出荷している段階である︒酪農中心の集落を目標としては︑停滞的とも見られるが︑飼育農家にとっては酪農収益はかなりの比重を占め       ⑩ている︒集落全体からみたその停滞性は︑畑地灌概用水路の漏水による心急の失敗や資金︑労力等に関連している︒現在︑この集落での発動機や動力脱穀機の個人所有はそれぞれ四台︑共有それぞれ三台︑ほかに動力カッター三台が共有になっている︒これらの機械所有者の営農収益は必ずしも上位ではなく︑人夫兼業となっているものが多い︒機械力は︑営農労働力の節約にはなっていても︑専業的営農改善をもたらしているわけではない︒これらを共有する農家では︑そのほとんどが営農収益は︑上位に属し︑酪農農家に該当している︒これらの農家では機械を共有するだけでなく眠る程度の協業が行われているのである︒現在︑この集落では︑二二戸の兼業農家があって主に月傭入夫を兼ねているが︑これらの農家でも年間三〇日程度の婦女子の労働力を雇傭している︒専業農家での最高は︑年間一三〇日となっている︒ はじめに述べたように︑均等的な農家群から出発した礫石原集落も︑耕地所有にもわずかながらの差を生じ︑農産物による現金収入面での格差を生じている︒ここではすでに述べたようにA型で︑一町乃至一・五反の経営戸数が主体をなしているが︑農家所得の面から見れば︑その平均において一町乃至五反一町の農家は五反乃至一町の農家より低位である︒更に︑一町乃至一町五反農家においては︑所得額からみた階層分化が最も著しい︒この階層においては︑三〇万円以上︑四戸︑二〇乃至三〇万円︑五戸︑一〇万乃至二〇万︑八戸︑一〇万円以下二戸を数え︑五反以下の所得額より低位な一〇万円以下の半離脱農家が一町乃至一町五反階層の中に一二戸も含まれているのである︒このことは︑所得分化が

(8)

眉山周縁における土地利用

耕地所有から見た階層の

みに左右されるのではな

く労働力の構成や生産及

び経営の意慾などによる

各農家の有する単独な活

力に関連することを裏書

きしている︒

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ンサスの資料整理︵第2

表︶によって︑所得階層

と営農類型との関連をみ

ると︑礫石原における所

得の上層を示す営農型はDH型︵野菜収入︑畜産

収入のうちいつれかを一位︑他を二位とする農家︶で︑DB型︵野菜収

入︑麦類収入のうちいつ

れかを一位︑他を二位と

する農家︶は中層に位し︑

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    他を二位とする農家︶

  ほとんどが下層に位している︒

       礫石原の営農型は︑野菜と酪農の複合経営がきわめて有

利である現状を示している︒他の類型からDH型への移行のためには︑

現在︑計画中の水路が完備することによる水の獲得と労働力の合理的活用のための機械化による協業とが当面の具体的集約的な課題である︒し

かし︑先述したT家のように︑創意と工夫を重ねて︑粗放な経営からD

B型にそしてDH型へと進化した生産性の高い農家は︑六戸を数える︒ HB型︵畜産収入︑麦類収入のうちいつれか  は︑中層以下で︑その他の類型はここで 従って︑これらの課題の解決のためには集落民の自主的な意識の高揚が基盤をなすものであることは言うまでもない︒また︑協業化の前提としては同質的な類型を示す農家群の形成が望まれよう︒

北千本木及び南千本木の土地利用

 B型集落に類する北千本木にくらべて︑南千本木はU字形の谷間にあって日照時間も短かく︑またその他の自然条件も南千本木︵C型集落に

属する︶に対してきわめて粗暴に思われる︒

 寛政年間の新焼熔岩流にせまられている北千本木は︑この熔岩流の流      ⑪出以前においてはしばしば土石流をかぶった扇状地面であることは地形

調査によって明かである︒しかし︑熔岩流の流出以.後においては︑この熔

岩流は流水調節の役割を果しているものと思われ︑北千本木では︑最近に

おける水害の痕跡を発見し得ない︒この集落は寛政年間以後において

は︑卵焼熔岩流によって︑水害から保護されているともいえる︒これに対して︑南千本木は︑七面山西方の爆裂火口跡︵第8図のE︶に相当

し︑山子の崩壊は間けつ的に継続し︑一九五七・七・二五の大豪雨の際︑

この山壁の崩壊は特異な現象を示した︒即ち︑高度四〇〇一五〇〇米の

間にある山雪のうち︑七面山の斜面での崩壊は︑わずかに第六渓に見られるのみで︑第一渓から第五渓までの新規崩壊が南西斜面に集中して         ⑫いることである︒ ︵第8図︶この非対称的な崩壊は常習性をもつものと

思われ︑扇状地は北方に拡がっている︒眉山周縁における崩壊型を概観   ⑫すると爆裂火口と推定される急崖の崩壊である点は共通しているが︑南

千本木においては特に顕著なカール状を呈している点に特色がある︒こ

のことは︑急激な土石流の氾濫を予想せしめる︒一九五七・七・二五の

際は瞬時にして網目状に土石流をおし出し耕地埋没︵第3表︶︑家屋流

失と共に八名の人命が失われたのである︒こうした土石流の氾濫は過去

においてもしばしばくりかえされたものと思われ︑畑の土壌の基部に

(9)

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は︑砂礫の互層がかなり厚く確認される︒このこ

とは透水性を高くし︑畑地灌概に不利な条件を呈

している︒こうした劣悪な条件の上に︑更に︑恵

まれない歴史的︑社会的条件が附加されている︒     ⑬この集落の発達過程については十分に明かになし

得ないが︑旧藩時代においては︑

附近に相当し︑山奉行︵山方役所︶

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       広大な雲仙岳の藩有林と民有地の境界

      の出先機関としての山番︵手代︶が

    それと前後してかっては主として狩猟などの行われた土石流扇

状地上の山林原野が︑山番を依嘱された庄屋によって開かれ︑その開墾

作業や入植は庄屋に隷属する里人︵特に︑北千木および杉谷の農民︶に

よって行われたものと推定されている︒農地開放前においては︑この集 落は︑庄屋跡のM氏の小作人が大部分を占めていたし︑住民は北千本木︑杉谷に本家をもつものが多く︑耕地も南千本木と北千本木に分散所有し.ているものが多い︒経営規模からみた類型は北千本木はB型︑南千本木はC型で︑南千本木は極めて零細である︒ ⑭ 国有林と民有地の境界は︑南千本木においては標高四〇〇米に近い︒

眉山周縁においては︑この境界線が一〇〇f二〇〇米の高さにあるのが

眉山周縁における土地利用

(10)

眉山周縁における土地利用

一般で︑特に︑島原城下附近では五〇米に低下している︒城下を災害か

ら守るための眉山の治山治水を藩の直接責任とする現われであらう︒こ

れに対して︑南千本木では︑常習的な掃流地域や砂礫覆地域としての災    ⑮害地域が﹁邨原名﹂として︑民有に委ねられ︑ここでは零細な農民の流

入地域を意図的に構成していたかのようである︒歴史的︑社会的条件の

ゆえに︑災害常習地域に零細な農業集落が立地を余儀なくしているとい

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ういわゆる﹁災害の階層性﹂がここでも指摘されよう︒

 島原半島の各地で栽培され︑藩財政の再建に一役買った櫨︵現在長崎

県の生産額は全国第二位︶は︑西海岸では北野扇状地に最も多く︑東海

岸では南千本木にその栽培密度が最も大きい︒南千本木のY家には︑じ

ねん木とよばれる櫨の元本がある︒旧藩時代︑櫨方役所によって栽培を      ⑯指示し︑その実を︑

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︒灘轡念凡⁝ 一方的買収価格で不等価交換を強制した藩の専売制 度は︑一般的に農業の生産性を停滞せしめ︑下 層農民の培養に役立ったとさえ考えられる︒ま た︑一方︑櫨の栽培は茶の栽培と共に耕作条件 に恵まれない南千本木扇状地への適作物として 選ばれ︑この地域における土地利用の原初的形 態をなすものとも解される︒  現在︑この集落の農産物販売金額︑五万円未満 の零細な農家が四四戸︑全戸数の八一%を占 め︑櫨の実︵平均年間収量二〇〇〇斤︶の販売 もわずかながら貴重な現金収入源となっていた のである︒また︑南千本木の山林所有は一戸当 平均一・六反で︑山林を有たない農家が四三%

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を占め︑山林所有農家でもその= 当りの平均は二・八反にしかすぎず︑北千本木の七︒五反にくらべて極めて零細である︒北千本木の山林所有は一町以上乃至一・五町以上の耕地を有する上層農の山林所有状況︵島原市平均︑第9図︶に類似し︑南千本木では七反未満の下層農

の山林所有型︵第9図でC型︶に近い︒礫石原

は開拓地としての特殊性から島原市に示される

山林所有の階層化の一般的傾向を示す相関曲線

(11)

から大きなずれを示している︒このように︑北千本木は南千本木にくら

べて林業要素の比重が大きく︑人工林のほかに苗木栽培農家が所在す

る︒苗木栽培農家のM家では︑普通畑六反︑茶園一反のほかに二・五反

の苗木畑を経営している︒耕地所有からみた階層は中層に位する︒苗木

は︑ヒノキ八幡︑スギニ万︑マツ一万︑総数一二万本程度で︑年三−四

回の施肥と五f六回の除草には雇傭労働︵一日最高八︑九名︶を必要と

している︒M家のほかに三反の苗木畑を経営する農家が一戸︑合わせ

て︑苗木経営農家は二戸にすぎないが︑南高北部苗木組合八名中の二名

を占め︑長崎県下の苗木の約三分の一をこの組合で栽培し︑北千本木の

苗木は主として五島列島へ出荷される︒

 また︑千本木は千本木刀の産地として近在に名がある︒茶の導入は︑

百数十年前平野山に三町歩開墾したのに初まるといわれているが︑それ

以前の自生の山茶が着目され︑栽培されるに到ったものであらう︒南千

本木では︑現在でも畝下士と山茶を主とする粗放的な段階で︑北千本木

では成園による茶の栽培が行われている︒こうした両者の差異は︑しば

しば述べてきたように集落の発生起源に関連しているものと考えられ︑

南千本木における製茶の停滞性も︑くりかえされる自然災害と地主支配

下におかれた農家資本の脆弱性鼓に営農改善意欲の低位性との悪循環に

その原因が追跡されよう︒

 北千本木では茶園約八町歩で︑栽培戸数は全戸数の八二%︑二 当り

平均二・一反の経営で︑耕地所有総面積の二〇%を軸として︑導入さ

れ︑ ︵第10図︶︑ 茶園専業の二 と他に三戸を除けば︑茶園度は五〇%

を限度として︑上位階層ほど茶園経営面積が増大する︒経営総面積九反

歩を境として︑上層農家の茶園度は二〇%乃至五〇%に上昇し︑茶園経

営面積は二反歩以上を示す傾向を有し︑九反歩以下の階層では︑茶園度

二〇%以下が大半を占め︑その経営面積は一反歩以下の零細な導入が示

されている︒

 南千本木では︑ ︵第10図②︶一反以上の茶園経営のもの一〇戸︑ 一

眉山周縁における土地利用

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(12)

眉ヨ周縁における土地利用

反未満六戸︑茶園のないもの三八戸となっている︒茶園のないもののなかには畝青茶として若干の茶の栽培をしている戸数も含まれるものと見られる︒茶の導入と階層との相関には法則的なもめがみられず分散的

で︑茶園の初象段階を示している︒茶園度が五〇%以上のものが四戸を

数え︑その比重は北千本木に比べて大きい︒しかし茶園の経営には︑一

般的に︑かなりの差がある︒茶摘みも南千本木では︑一番茶が手摘みで行

われ︑二番茶以後の摘葉は行われないものが多い︒施肥も行われず畑作物

に与えた肥料の流亡量を問接的な施肥とする極めて粗放的な段階で︑二

番茶の摘葉は︑翌年の一番茶の品質を保持するために行われていない︒こ

れに対して北千本木では︑静岡産のヤボキタ種に統一された茶園が多

く︑摘葉は五月初旬に初まる一番茶摘から一〇月列旬の四番茶摘まで行

われ︑その間施肥と消毒とがくりかえして行われる︒茶園経営は最高を

八反とし専業的茶園経営は一戸で他は普通畑との兼営である︒反当収量

は一番茶で一二〇1一五〇貫︑二番茶︑三番茶は一〇〇貫程度で︑摘葉

期には︑五反三七−八入の労働力を必要とし︑この集落では近在の集落

から一〇〇入前後の労働力を雇傭する︒南千本木では茶の品質が不統一

で収獲時期を異にするため︑北千本木ほどの集中的雇傭労働力を必要としていない︒南千本木での集団的成園化への隆路は︑一方では自然災害

の集中化に関する問題があり︑他方︑成園化による集中的雇傭労働力

確保の問題がある︒労働力確保の点では北千本木と競合関係を生じ︑労

働力吸収資金の弱さから畝困惑に停滞を余儀なくされているとみられ

る︒ 製茶工場は︑現在︑北千本木では昭和一二年に共同出資によって設けら

れ︑茶業組合工場と寺入工場合せて三工場を有する︒これに対して南千

本木では開拓農協の経営による一工場が昭和二八年に設けられたが︑製

産能力はひくく︑収獲期のおそい狭山みどりの品種を導入することによってわずかに運転期間の延長を計っている︒南千本木後背台地上の垂木

︵たるき︶開拓地では入植戸数二戸であるが︑それぞれ空玉ー三反の茶 園を経営し︑この開拓地が南千本木集落に新たに配分され共同管理による茶園経営が予定されている︒この成果のいかんによっては馬繋茶から成園茶への比重が増大し︑北千本木から南千本木へと茶園の拡大が期待されよう︒北千本木では家屋の近くに茶園を有するのに対して︑南千本木では︑耕地分散度も大きく︑家屋の近くに︑そさい類︑甘藷−麦類が作付され遠距離の畑に永年作物の茶や栗を植樹する傾向にある︒茶の特産地化はこの集落の一つの目標であるが︑一方︑荒廃地や開拓地での栗の集団的植林がが言々にすすめられ︑将来は︑特徴作物としての栗の共同管理や共同出荷が計画されている︒もともとこの扇頂部には︑栗は多       ⑰かったらしく﹁栗山﹂の小字名もみられる︒ この集落の畜産導入は︑乳牛飼育戸数はわずかに四戸で︑その飼育度は︵前掲第7図参照︶五反未満の農家︵島原市平均︶にも及ばない︒役肉牛の飼育戸数は一二戸で︑その飼育度は一町未満の農家︵島原市平均︶に相当している︒大家畜の導入は低位である︒これに対し北千本木では一町−一・五町農家︵島原市平均︶の飼育度に該当している︒中家畜導入を豚・めん羊・山羊についてみると南千本木は豚の飼育度が極めて高く︑また︑めん羊のそれは低位で島原市の平均に見られる農家経営の零細性を如実に現わしている︒山羊の飼育は島原市の平均において︑その階層性は判然としないが︑南千本木は例外的にその飼育度は極めて高い︒北千本木はこれら中家畜導入についても南千本木と対蹴的である︒ さて︑北千本木における標準農家の土地利用について︑第11図にこれを示すと︑このM家では︑茶園三・五反︑水田二・五反︑普通畑四反計一町を経営している︒茶園は家屋に近く︑二・五反は三枚にわかれている︒永年作物であるから︑作物の季節的変動はない︒しかし︑戦後︑水田可能な茶園は開田され︑水田に変更された茶園面積は普通畑の茶園化によって補われている︒面積的には普通畑の水田化に外ならない︒水

(13)

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田の裏作には︑麦類のほか菜種︑キャベツ︑馬鈴薯が作付されている︒この集落の水田の大部分は︑一九五五年以後に開田されているが︑明治

初期や旧藩時代以前に水田がなかったわけではない︒邨原名には︑ ⑱﹁千本木田﹂ ﹁田尻﹂の小字名がみえ﹁千本木田﹂の二五九八番には溜

池が所在している︒その後の水田の荒廃については︑自然災害によるも

のか或いは城下町の問屋資本の進出に伴う水田の茶園化等の社会経済的

原因によるものかについてはにわかに結論を得がたい︒口碑によれば︑ ⑲﹁大変﹂以後灌概水が澗かつし︑水田が荒廃したと伝えられている︒い

つれにしても現在の開田は一次的のものではなく︑千本木田︑田尻を主

とする再開田である︒一九五五年前後︑島原市上水道の水源候補地とし

て焼山伏流水の調査が行われ︑地元民に湧水利用への関心が高まり一九

五八年には︑煙滅水路が開設され︑畑地の再開田が行われたのである︒

現在︑この集落の水田面積は二町六反余︑五反未満の下層では︑開田し

眉山周縁における土地利用 た農家は皆無に近いが︑五反以上の農家については開田面積と階層との相関関係に顕著な法則性を見出し得ない︒このことは開田にふみきらない上層農家群の所在を意味している︒開田農家では︑食料の自給性を高めているが︑このことが土地利用の輪作体系に変化をもたらしつつある︒即ち︑第11図で三四粟類作付地は飼料作物を除き︑そさい三等の換金作物への変換が予定されている︒水田経営には︑未だ保水力の弱さやその零細性に問題を残しているが︑畑地に比べて反当労働投下量︑反当施肥量の僅小さが経営上歓迎されたものとみられる︒南千本木の開田は局地的で︑崩壊斜面崖下に湧水利用の水田︑七・五反歩が三戸によって経営されているにすぎない︒ 畑作物では︑北千本木︑南千本木上に甘藷が主要な換金作物で︑特に南千本木ではブタの飼料作物として作付増加の傾向が著しい︒ また︑礫石原と同じく高冷地に準じて︑トマトの収獲期が長く︑有利

な市場条件を有する作物として特徴的であるが︑出荷態勢は礫石原にく

らべて弱脆である︒ 以上︑礫石原︑北千本木︑南千本木のA・B・C型集落における土地︑利用に関する資料を展示し︑その特性と問題の所在の発見につとめたが︑

最後に︑これらの集落の兼業三態への若干の解析を試み︑土地利用との

関連についての概況をのべ︑この小論の結びとする︒

三つの集落の兼業型態と土地利用

 礫石原集落の兼業型態は︑一町未満農家の兼業事態︵第12図でRは八

i九反の間に投影される︒︶に類似し︑A型集落としての階層性に比し

て︑兼業度が相対的に高くなっている︒この相関曲線に対するずれは︑自

然条件の制約と共に︑文化遺産の低さ特に農家資本の脆弱性から土地利

用の含理化に対する困難性を有する農家群がかなり析出していることを

示すものであろう︒しかし︑一方では婦女子労働力を雇傭し︑野菜栽培と

酪農による生産性の向上を麦持していることを考えると︑ここでは機械

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