• 検索結果がありません。

仏教系生保の破綻について

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "仏教系生保の破綻について"

Copied!
20
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

仏教系生保の破綻について

⎜⎜ 日宗生命破綻を中心に ⎜⎜

深 見 泰 孝

■アブストラクト

わが国では,明治20年代後半から30年代にかけて,世界の保険業史上でも 珍しい,宗教教団が関与した生命保険会社が設立された。しかし,そのほと んどは明治期に破綻や解散,合併によって,その歴史に幕を閉じている。こ れらの中には,教団が設立や経営に関与したものと,僧侶個人が関与した会 社がある。本稿では,このうち前者の破綻理由に,教団が関係しているが故 の破綻要因があったのではないかと仮説を立て,日宗生命を中心に六条生命,

真宗信徒生命と比較し分析した。その結果,経営者の教団内での地位の高さ が,彼らの規律づけを困難にし,一般の事業会社とは異なり,出資比率の多 寡だけでなく,宗教的な地位や教団内での地位が発言力に影響していたこと も破綻の一因であると結論づけた。

■キーワード

経営破綻,ガバナンス,仏教系生保

1.はじめに

明治20年代後半から30年代に,わが国には仏教系生命保険会社(以下,仏 教系生保と略記)と呼ばれる会社が存在した。この会社の特徴は,会社が教 団から保険加入者としての信徒の利用権を得る代わりに,利益の一部を教団

*平成21年2月21日の日本保険学会関西部会報告による。

/平成22年2月10日原稿受領。

(2)

へ寄付するという経済的関係を持っていたことである。また,このように宗 教教団が,保険会社の営業を支援したことは,世界中でも稀な事例とされる。

こうした仏教系生保と呼ばれる会社は,支援教団や,会社設立や経営に教 団が関与した度合いはそれぞれ異なる。そこで,表1を作成した。

表1によれば,仏教系生保には教団が設立や経営に関与していた会社と,

僧侶個人が関与していた会社があることがわかる。保険思想が十分に根付い ていなかった当時,仏教系生保が行った教団や高僧による人々の 信仰心 を利用した保険勧誘は, 生命保険 の仕組みを知らない人を勧誘するのに

(表1)仏教系生保各社の支援教団と教団の関与

会社名

(出所)小林(昭和54年)p.73,生命保 険 会 社 協 会 編(昭 和11年)pp.626‑628,

p

.1258,p.1366,生命保険会社協会編(昭和14年)p.121,禅徒生命(明 治32年),東 京 生 命(昭 和45年)p.26,日 宗 生 命(明 治29年),日 宗 生 命

(明治30年),深見(平成19年

b

),深見(平成20年),佛教生命(明治27年),

三岡編(大正5年)p.483より作成。

設立年月 支援教団 設立への教団の関与

佛教生命 明治27年3月 仏教各派 教団からの直接的な支援はない。僧侶を今でいう外務員と して雇用。

有隣生命 明治27年4月 仏教各派 設立に関わって,各宗の高僧が仏教興隆会を組織して設立 に協力。ただ,彼らは経営には関与していない。

明教生命 明治27年5月 神仏総合 教団からの直接的な支援はなく,各宗の高僧が個人的に後 援した。

真宗信徒生命 明治28年4月 浄土真宗 本願寺派

設立までは教団主導。経営は複数の有力門信徒によって行 われ,教団は保険勧誘を支援したのみ。

真宗生命 明治28年8月 浄土真宗各派 信徒が設立し,各派からの支援があると宣伝したが,本願 寺派,大谷派,高田派,誠照派,三門徒派は支援を否定。

日宗生命 明治30年2月 日蓮宗 門信徒が設立。経営も有力門信徒が行ったが,教団は株式 を保有し,高僧も賛助員として保険勧誘を支援。

禅徒生命 明治30年12月 臨済宗円覚寺派

設立に教団が関わっていたかは不明。営業報告書によれば,

同宗寺院が事業に賛成していたとの記述はあるが,どの程 度の関与があったかは不明。

御嶽生存保険

合資 明治31年5月 御嶽教 競盛生命が名称変更して設立。出資者に信徒がいた程度で,

教団との関係はほぼないと思われる。

六条生命 明治32年2月 浄土真宗大谷派 門信徒の企図,教団の保護によって設立される。設立当初 より門主が大株主となり,経営にも教団が関与。

共慶生命 明治33年10月 真言宗豊山派 六条生命から分裂して設立。営業開始後に教団に支援を願 い出るが,積極的な関与はない。

(3)

効果があったものと思われる 。しかしながら,仏教系生保のうち,教団と の関係を維持したまま,大正期以降も営業を継続した会社は真宗信徒生命の みであり,そのほとんどが明治30年代に合併や解散している。

さて,このような特徴をもつ仏教系生保の破綻理由を巡っては,小林(平 成元年)が分析を試み,次のように結論づけている。それは,仏教系生保が 保険数理を理解せず,教団の権威を用いて募集したため,顧客が限定されて 行き詰まったこと。また,教団への寄付が多額であったために自滅したこと。

教団が事業にあまり熱心ではなかったことなどである。

しかし筆者は,真宗信徒生命の契約高が,明治33年から36年までの4年間,

業界4位であったことを踏まえれば,顧客の限定や教団が熱心か否かではな く,むしろ教団が関係しているが故の破綻要因があったのではないかと考え ている。そこで,教団が設立や経営に関与していながら,明治42年に破綻し た日宗生命を取り上げ,同じく破綻した六条生命や昭和期まで事業を継続し た真宗信徒生命を比較し,仏教系生保の破綻要因を明らかにしたい。

2.日宗生命の設立と教団の関わり

日宗生命は,有力門信徒を中心に設立,経営が行われたのだが,設立や経 営に教団がどのように関わっていたのか,そして,同じく教団が関与してい た真宗信徒生命や六条生命との差異はどこにあったのだろうか。

まず,会社設立に教団がどのように関わっていたのか,また,設立目的を 明らかにしておきたい。日宗生命の設立経過やその目的について, 日宗生 命保険株式会社保険規則 と 第一回事業報告 に次の記述がある。

当会社は,日蓮宗篤信 素の発起したるものにして,其目的は,本宗信 徒相互救済の便を図り,併せて会社純益の内を以て,本宗拡張の資に供 1) 真宗信徒生命の代理店主は 保険と云うものゝ意味がチンプンカンプンで判 らぬ…丁度極楽行の切符を頂いた様なものだろう。アヽかたじけなや (東京 生命(昭和45年)pp.29‑30)と保険を理解していなかった。それゆえ,同社 は,念珠片手に 白骨の御文章 を引用して勧誘していたとされる(東京生命

(平成7年),p.27)。

(4)

するに在り。…当会社は,此の有力なる寺院と熱心なる信徒との団結に 依りて社業を拡張し,興学布教其他慈善の業を資け以て,本宗の隆盛に 裨補するところあらんとす 。

布教費,興学費及寺院火災補助費ノ資金ニ供シ度旨出願セシニ,同十月 十日,管長大僧正小林日董殿ヨリ承認セラル

すなわち,日宗生命は利益の一部を興学布教などとして教団へ寄付するため に,日蓮宗の僧侶と信徒によって発起された会社であることがわかる。

では,僧侶や教団は会社設立にいかなる関与をしていたのであろうか。

日宗生命保険株式会社保険規則 や株主名簿によれば,僧侶たちは株主と して,また55名の高僧は賛助員として会社に関与していたことがわかる 。 一方の教団も,設立時には総本山久遠寺執事名義で日宗生命株を50株(0.8

%)保有し,以後,明治33年に久遠寺名義で243株,日蓮宗宗務院名義で100 株の合計343株(5.7%)を保有していた 。

このように,日宗生命の設立には僧侶も賛助員,株主として関与していた のだが,経営は 帝都実業界の重鎮として…偶々北米市俄古に万国宗教大会 の開設あるや,君,日蓮宗代表者として参列し,大いに其宗義を発揮 し た熱心な日蓮宗信徒の川合芳次郎 があたっていた。

一方,日宗生命同様,教団が会社設立に関与していた真宗信徒生命と六条 2) 日宗生命(明治29年)。なお,引用にあたっては常用漢字に一部改め,長文

引用にあたっては読点を付けた。以下同じ。

3) 日宗生命(明治30年)p.5。

4) 賛助員の55名が高僧と判断したのは,彼らの所属寺院のほとんどに,宗祖日 蓮に関係する遺跡や宗派の歴史上,顕著な沿革のある寺院のみに与えられてい た 大本山 や 本山 の称号が付けられていたためである。

5) 僧侶たちの持株数は,株主名簿で僧侶と明らかになるもののみで,設立時に 646株(10.7%),以後も概ね10%程度を保有していた。

6) 松下編(明治44年)pp.82‑85。

7) 川合芳次郎は,明治8年に商店を開き,明治12年には横浜で両替商を創業す るが,明治17年の丸三銀行破綻が原因で閉店。以来,美術品などの貿易業を開 始。明治23年に横浜貿易会社社長,明治29年,東京貯金銀行頭取に就任(松下 編(明治44年)pp.82‑86)。

(5)

生命では,教団はいかなる関与をしたのであろうか。真宗信徒生命は,島地 黙雷,赤松連城ら本願寺の長老らが中心となり,キリスト教対策として実施 を計画していた慈善事業費獲得を目的として設立された。しかし,教団や僧 侶は株式を保有せず,経営にも関与せず,小西新右衛門や伊藤忠兵衛,鎌田 勝太郎といった本願寺の有力な門信徒である地方名望家あるいは有力商人ら によって経営されていた 。また,六条生命の設立目的は,東本願寺の機関 誌である 宗報 に以下の記述がある。

講頭小野善右衛門…,准講頭濱中 三郎等の主唱計画せるものに係り,

一は本山財務の整理強固を計らんとするには必要の機関と認められたる ものにして…一は門末をして間接に財産扶殖を幇助せんとするものにし て,本山に於ても其趣旨を採納し,既に御門跡に於かせられても銀行に 一千五百株,保険会社に五百株の御加入ありし… 。

すなわち,六条生命は門信徒達が困窮していた東本願寺財政 の整理資金調 達と,門信徒の財産形成を目的として設立された。そして,その趣旨に賛同 して門主が株式を500株(8.3%)保有し,設立当初より東本願寺宗政の中心 にいた石川瞬台(以下,石川と略記)を 被保人ヲシテ,安全ヲ与フル ために,監事として会社へ派遣した。また,後に門主が六条生命の持株を 3,500株(58.3%)に増やして支配株主になると,石川は社長に就任する。

以上から,六条生命の特徴として,僧侶が経営していたことが挙げられる。

このように,会社の設立や経営に教団が関与した3社は,使途は異なるも

8) 真宗信徒生命の設立に関しては,深見(平成20年)を参照されたい。

9) 宗報 第1号明治31年10月23日。

10) 東本願寺は,明治政府への懲罰的な献金や御影堂,阿弥陀堂の再建で負債が 膨らみ,明治31年1月には453,889円の負債を抱えていた( 宗報 第10号付録,

明治35年6月1日)。また,当時の東本願寺では財政整理方法を巡って,末寺 からの募財による再建を訴えた渥美契縁(以下,渥美と略記)と教団自らが営 利事業を行い,その利益での整理を訴えた石川が対立する。しかし,渥美の財 政整理方法への不満は全国的な革新運動へと発展し,渥美は辞職。代わって,

石川が執事に就任する。

11) 生命保険会社協会(昭和11年)pp.1117‑1118。

(6)

のの,教団への資金提供を目的に設立されたことは共通している。ただ,設 立過程や教団の経営への関与度合いには濃淡が見える。日宗生命は,会社の 設立過程に教団が関与し,株式も若干保有した。そして,高僧が賛助員とな るも,経営は熱心な門信徒が行っていた。また,六条生命は,会社の設立過 程に教団の関与は見られないが,株式を保有し,当初から教団が経営に関与 していた。一方,真宗信徒生命は,設立過程こそ教団が主導的立場となった が,経営には一切立ち入らず,株式も保有していなかった。

3.募集活動と契約高の推移

⑴ 3社の募集活動

さて,教団が設立や経営に関与したこれら3社は,保険思想が十分に定着 していなかった当時,信仰という精神的つながりを活用できるため,他社よ りも保険募集を優位に進められたのではないかと考えられる。そこで,3社 の募集方法と契約高の推移を確認しておきたい。

これら3社のうち,最も早く営業を開始した真宗信徒生命では,代理店に よる募集に加え,本願寺執行長が諭達を発布して募集活動を支援し,僧侶た ちも念珠片手に 白骨の御文章 を引用して保険募集を行っていた 。また,

同じ教団ではあるが,宗派が異なる東本願寺が関係していた六条生命では,

末寺も募集拠点となっていた 。

一方の日宗生命でも,真宗信徒生命同様,代理店 に加え,諭達の発布や

12) 東京生命編(平成7年)p.27。

13) 趣意書及び募集方法 という石川が東本願寺に対し,生保会社設立が教団 財政にいかに貢献するかを記した文書に,以下の記述が認められる。

各末寺ニ於テ募集スル一ヶ年ノ保険加入者ヲ七萬五千三百五十人ト仮定(門 信徒総数七百五十三萬五千人ニ対スル百分ノ一即チ門信徒百人ニ付一人ノ割 合)セバ,末寺ノ総数 千二百ヶ寺トシテ,一ヶ寺一ヶ年九人強ノ割合トナリ,

此保険金額一人二百円ノ平均ニテ一千五百七萬円トナルベシ。( 趣意書及び募 集方法 宗報 第6号 明治32年3月28日)

14) 日宗新報 明治30年1月8日の記事に 同会社の代理店は,…著名の市邑 には悉く之を設置しつゝあり(代理店引受人は,無論本宗篤信家) との記述

(7)

僧侶による募集活動が行われていた。具体的には,僧侶が保険法話 と呼ば れる法話をして,勧誘活動を行っていた 。そのことは, 日宗生命保険会 社の十徳 の以下の記述からもわかる。

昨年四月,拙者(筆者注:脇田堯惇師)が郡内谷村(甲斐絹産出地)へ 布教した時,大に本会社の事を鼓吹し,又其時身延山の四月大会にて本 社特別志願の法要もあり。社長等も例の如く登山して居れは,社長より 延山の執事へ相談して,陰暦四月 日即大会の正当の日,釈迦堂に於て,

…三時間余の長舌を鼓して保険法話をなしたる等の因縁を以て,爾来今 日に至るまで山梨県の募集成績は,月々五万円以上 万円前後の契約額 に達し,今猶ほ駸々として進みつゝあり 。

また,教団も毎年数回,死亡した株主や被保険者の追善法要を行い,保険募 集を間接的に支援した。このように,教団が設立や経営に関与した3社では,

代理店などに加え,教団や僧侶も保険募集を行っていたのであった。

⑵ 3社の契約高の推移

では,これら3社の契約高はどのように推移し,また,同時期に設立され た会社と比較して優位に保険募集を行えていたのであろうか。そこで,契約 高の推移を表2にまとめた。表2によれば,日宗生命と六条生命は,決して 他社より優位に保険募集をしていたとは言えない。一方,真宗信徒生命は明 治35年に起きた大阪生命事件に巻き込まれるまでは,他社よりも順調に契約

があることから,日宗生命の代理店は,日蓮宗の熱心な信徒が引き受けていた ことがわかる。

15) 保険法話とは,日宗生命のみが普段から被保険者の長寿と幸福を祈禱してお り,他社の被保険者よりも長寿できるという内容の法話であった(阪本(明治 34年)pp.5‑7)。

16) ただ,日蓮宗や本願寺では,教団が営利活動に関与することを無条件に認め ていたわけではなかった。日蓮宗の宗会では, 管長ヲシテ,営利的会社ニ関 スル諭達ヲ発セシメサルコト という建議が出され,本願寺では定期集会で,

集会議員から反対の意見が出されていた。

17) 阪本(明治34年)pp.3‑4。

(8)

高を伸ばしていたが,事件以後,契約高は横ばいを続けた 。なぜ,日宗生 命は真宗信徒生命とこれほどの契約高の差が開いたのであろうか。

その要因と考えられるのは,販売対象と役員の信用力である。前者に関し ては,真宗信徒生命が門信徒に限らず募集したのに対し,日宗生命は 当会 社ノ主眼ハ,宗教上ニ於テ団結セラレタル信徒ヲ勧誘スルニ在ルヲ以テ と,募集対象を門信徒に限定していた。このことは,当時,日宗生命の支配 人であった楠秀太郎(以下,楠と略記)も 会社は小さいが宗旨を持つて居 ると云ふ事は大によからうと予期したのであるが…被保険者を宗旨から集め ると云ふことは却々に困難だ。而かも,一面には講学布教の資金を得ねばな らぬので,川合君等も随分堅い信仰で,一と方ならぬ骨を折つたのであつた が,余り思はしくなかつた と回想する。

(表2)契約高の推移(単位:円)

(出所)保険銀行時報社編(昭和8年)より作成。

18) 大阪生命事件は,深見(平成19年a),小川(昭和62年)を参照されたい。

19) 日宗生命(明治33年)p.5。

20) 征矢編(明治42年)p.220。

明治29年 明治31年 明治33年 明治35年 明治37年 明治39年 明治41年 3,410,700 8,042,750 12,271,700 14,073,800 14,113,995 14,362,518 19,576,089 6,471,800 10,434,200 12,044,700 11,914,300 14,167,000 20,652,300 30,828,000 3,511,786 8,067,355 10,488,124 12,877,573 15,176,008 17,521,800 26,019,500 5,117,380 9,220,550 11,393,370 9,912,716 10,837,616 12,720,906 16,833,306 6,536,140 10,372,256 8,748,840 9,313,461 11,391,643 15,130,053 1,901,100 5,115,466 6,921,578

5,289,100 10,034,500 7,972,800 11,773,518 14,811,517 25,255,775 919,900 3,595,050 5,263,050

1,435,340 3,775,700 4,937,750 11,486,269

2,664,250 3,862,100 4,973,500 5,034,500 10,145,550 8,537,100 794,500 3,840,050 3,583,350

六条生命 日宗生命 大阪生命 護国生命 愛国生命 九州生命 内国生命 有隣生命 仁寿生命 共済生命 真宗信徒生命

(9)

また,後者に関しては, その名望をもって創立会社の信用を高めるた め ,真宗信徒生命は小西新右衛門を社長に,役員に伊藤忠兵衛や鎌田勝 太郎,伊丹弥太郎など有力門信徒である著名な商人が就いていた。一方の日 宗生命役員は,こうした人物は川合芳次郎以外にはおらず,これらが両社の 契約高に差異を生みだした原因と考えられる。

⑶ 楠の復帰と日宗生命の契約高の増加

ところが,農商務省保険課長を務めた楠が顧問として日宗生命に復帰した 明治36年以降,同社は契約高を急増させる(表2)。当時を楠が 再び日宗 に入ったが,…生命に至つては支離滅裂,又収拾すべからずであつた。…一 旦入つた以上,兎にも角にも会社の経営さるゝまでにはせねばならぬと考へ,

遂に一千万円の契約高を見るに至つて,同社を退いた と回顧する如く,

彼を中心に新たな募集戦略が立てられた。

まず,日宗生命が行ったのは保険商品の再編である。これは表3に示した とおり,従来の生存保険(第二類保険)を廃止し,第一類保険も改正養老保 険へと商品を一本化している。その理由を 変更理由書 では,生存保険は 或ル種類ノ如キハ全ク需要ナキモノアリ。且ツ業務取扱上掛金徴収ノ如キ,

死亡保険ニ比シ頗ル手数ヲ要スル…兵役保険ハ…将来ニ於ケル事業ノ困難ヲ 慮リ…第二類保険を全廃 ,また,第一類保険も 終身保険ハ之ヲ廃シ,養 老保険 十歳満期ヲ設ケ,之ヲ代用シタリ…申込者ノ便益ヲ図リ,業務取扱 上ノ簡略ヲ目的トセシニ由ル とあり,経営資源を死亡保険に集中させ,ま た,商品も改正養老保険に絞り込んでいることがわかる。

21) 東京生命(昭和45年)p.12。

22) 征矢編(明治42年)pp.227‑228。

(10)

次に,どの地域で契約高が増加したかを確認したい。表4に楠の入社前後 を比較して契約高が増加した上位5都道府県をまとめた。

表4から室町時代以来,日蓮宗の信徒,特に不受不施派が多く存在した岡 山県,北海道や韓国といった 新市場 での契約高の顕著な増加がわかる。

保険銀行時報 によれば, 岡山地方は例の備前法華と称へらるゝ程あり。

宗旨上同社との関係非常に厚く,且つ信徒も多大にて…各寺院の住職諸氏は 自ら奮つて保険勧誘に当らるゝの有様 と,県内在住の僧侶達が積極的に 保険募集し,契約高を増やしたことがわかる。

また,韓国での保険販売では,楠自身が現地へ行き 同国皇族たる義陽君 を始め奉り,宮内大臣李址鎔,度支部大臣 泳綺,内務大臣李載克,金嘉鎮,

李允用等諸大臣,諸大官に対し,多大の保険契約を締結したるのみならず,

上記の人々は何れも同社の賛助員たることを承諾せられ と有力者を保険

23) 保険銀行時報 明治38年8月5日。

24) 保険銀行時報 明治38年8月5日。

(表3)日宗生命の商品別契約高の推移(単位:円)

(出所)各年度営業報告書より作成。

明治31年 明治33年 明治35年 明治37年 明治39年

改正養老 2,382,400 7,866,050

第一類

尋常終身 620,100 984,900

1,441,300

706,350

695,350

有期掛金終身 95,050 129,700 97,400

養老 768,700 1,348,350

1,826,950 881,750

842,150

有期掛金養老 86,500 109,200 82,200

合計 1,570,350 2,572,150 3,268,250 4,150,100 9,403,550

第二類

教育資 302,900 238,800 335,500 179,900 154,500

就業資 18,200 3,800 3,300 2,900 2,500

長寿 142,400 140,350 126,650 60,300 49,900 合計 463,500 382,950 465,450 243,100 206,900 兵役 兵役 630,400 907,000 1,239,800 641,300 535,000 合計 合計 2,664,250 3,862,100 4,973,500 5,034,500 10,145,450

(11)

加入させた 。そして,彼らを賛助員や代理店とし , 目下の処では,此 等(筆者注:韓国皇族,諸大臣,諸大官)の人々が非常なる熱誠を以つて,

我日宗の為めに奔走して下さるので,宛然旭日冲天の勢ひを以つて新契約の 拡張を見るやうになりました と,韓国での成功を楠が回顧している。

さらに,北海道では 戦勝ノ効果ニ乗ジ,大ニ新生面ヲ展開セント期シ,

一面ニハ北辺ノ新領域ニ拡開ヲ試ムルノ予備トシテ大ニ力ヲ北海全道ノ勧募 ニ効シ と積極的な募集をし,一方の韓国でも 新タニ我勢力圏内ニ帰入シ タル韓国 道ニ向テ,鋭意社業ノ発展ヲ策シタ 効果もあり,明治38年に

(表4)契約高増加の上位5都道府県(単位:円)

(出所)日宗生命営業報告書より作成。

25) 韓国での保険契約者が高額な保険に加入していたことは,次の楠の回顧から もわかる。 僅つた千円といつては顔にも係はるから,といふことで二千円の 申込に応ずることにしました所,今度は掛金が百円に満たぬので百円にも満た ぬ契約をしては矢張り顔に掛るといふのでどうかして掛金を百円にしてくれと の申込で,遂に二千百円の契約を締結しました ( 保険銀行時報 明治38年8 月12日)

26) 日宗生命は, 日本の三井とも称すべき韓人斐東赫,又日本の渋沢とも称す べき金鼎煥の両氏に依嘱して,代理店たることを承諾せしめ( 保険銀行時報 明治38年8月5日) たことが報じられている。

27) 保険銀行時報 明治38年8月20日。

28) 日宗生命(明治39年)。

明治35年⒜ 明治39年⒝ 増加額

⒝‑⒜

総増加額に 占める割合 北海道 173,150 1,054,800 881,650 14.3% 岡山 63,400 715,100 651,700 10.6% 朝鮮 0 623,900 623,900 10.1% 静岡 88,800 546,650 457,850 7.4% 愛知 91,900 434,950 343,050 5.6% 全国合計 3,238,450 9,403,550 6,165,100 100.0%

(12)

は375,900円,39年には342,200円の契約高の増加が見られる。このように,

保険商品の再編と日蓮宗門信徒は多いが,業績が低迷していた地域や新市場

(韓国や北海道)での販売強化によって,契約高を大幅に増加させていた。

4.教団関与の仏教系生保の破綻

次に,明治期に破綻した日宗生命と六条生命の破綻理由に共通点があった のか否かを検証したい。

まず,日宗生命に関しては,明治39年から41年にかけて,契約高が減少し ている(表2)。同時期には,客層の重複によるシナジー効果を狙って設立 した日宗火災が,函館大火をきっかけに経営危機に陥っている。

日宗生命は,日宗火災設立時に同社株1,539株(持株比率7.7%)を引き受 けたのを契機として,明治39年6月時点で1,586株(7.93%)を保有する筆 頭株主であった。そして,日宗生命の川合芳次郎社長やその家族,関連企業,

教団関係で判明するだけでも,設立時に3,239株(16.2%),明治39年6月期 に4,136株(20.68%)を保有していた。さらに,彼らが保有した以外の株式 も,日蓮宗中檀林建設資金を貸し付けることを条件に,日蓮宗信徒に購入さ せていた 。また,両社での広告掲載や店舗の共同利用,両社役員の重複か ら,世間では同一会社と思われていた。それゆえ,日宗火災の経営危機が日 宗生命に大きな影響を与えたのであった。

⑴ 日宗火災の破綻

日宗火災は開業当初より,損害保険業界で起きていた保険料引下競争に巻 き込まれていた。各年度の事業報告書には, 近年著シキ保険料ノ低下ヲ来 シ,此上尚益低下ノ趨勢アリ , 同業者競争ノ結果,保険料率漸次低落シ 来リ , 同業者ノ競争ハ旧ノ如ク甚シク,料率低落ノ弊ハ更ニ著シキモノ

29) 立正大学博物館(平成19年)p.4。

30) 日宗火災(明治36年)。

31) 日宗火災(明治37年)。

(13)

アルカ故ニ,保険金額ノ増進スルノ割合ニ保険料ノ増収セサルハ頗ル遺憾ト ス , 収入保険料ノ契約額ニ比シテ其割合ノ多カラサルハ,此年各社競争 ノ結果料率ノ低下愈々止マル所ヲ知ラサルニ依ルモノニシテ という記述 がある。こうした激しい競争下において,日宗火災は他社より料率を低く設 定し,厳密な被害査定もせず,甘く早く保険金を支払うことで 契約者を集 めていた 。

次に,表5に日宗火災の契約高と収入保険料の推移をまとめた。これによ れば,契約高の伸びに比べて収入保険料の伸びは低く,当初の目論見よりも 採算性は悪化していたと思われる。また,支払保険金も明治39年6月期決算 で急激に増加し,明治40年から会社整理を始める。こうした日宗火災の経営 悪化が,日宗生命に影響することを恐れたのか,明治40年5月頃には日宗生 命と日宗火災との分離が計画され,ハマカタ火災保険への社名変更 やそれ まで共同利用していた営業拠点の分離 が検討されていた。

32) 日宗火災(明治38年)。

33) 日宗火災(明治39年)。

34) 保険銀行時報 明治38年7月7日。

35) 保険銀行時報 明治37年12月17日。

この点は日宗生命でも同様であった。 日宗新報 明治39年4月3日号によ れば, 当会社は被保険者如何なる職業に従事せらるゝも,又,如何なる地方 に旅行せらるゝも保険料の割増をなさず,又,保険金額を減少することなし との広告が出されており,甘い加入審査で保険加入を認めていたと言える。

36) 保険銀行時報 明治40年5月12日。

37) 保険銀行時報 明治40年8月27日。

200,058 39,633

308,157 106,651

45,286,658 20,721,990

明治39年6月期

86,934 10,733

226,015 43,943

27,909,713 7,839,109

明治38年6月期

101,110 21,171

135,845 15,205

13,481,015 2,599,491

明治37年6月期

21,173 2,187

75,828 10,208

6,954,585 1,133,734

明治36年6月期

不動産 動産

不動産 動産

不動産 動産

支払保険金 収入保険料

契約高

(出所)日宗火災保険 各年度事業報告 より作成。

(表5)日宗火災の契約高・収入保険料・支払保険金(単位:円)

(14)

さらに明治40年8月25日,函館市東川町より出火し,函館市内の大部分を 焼失する大火事が発生した。日宗火災は函館市内で40万円の契約高があり,

この大火によって約32万円の支払いが必要となる 。表6にまとめた明治39 年度決算では,次期に繰り越される責任準備金は14万円余りあったが,当該 年度の保険事故は函館大火だけであるはずはなく,他社が支払いをする中,

保険金の支払い不能に陥る。こうした事態に保険契約者は,保険金催告同盟 会を結成し,会社に保険金支払いを要求する 。しかし,事態は改善されず,

明治41年5月に日宗火災は清算された。

⑵ 日宗火災破綻後と日宗生命破綻へ

函館大火による日宗火災の経営危機が表面化した明治40年,日宗生命では,

契約高が1,610,200円(明治39年の契約高の15.9%)減少した。日宗生命は,

この原因を日宗火災と同一会社と思われていたためと考え,新聞紙上に,何 度も日宗火災とは別会社であることを広告掲載した。しかし,社名,役員が ほぼ同じであるため,解約に歯止めはかからなかった。

その結果,日宗生命の損益は表7のように変化する。すなわち,解約の増

38) 保険銀行時報 明治40年9月13日。

39) 保険銀行時報 明治40年10月27日。

(表6)明治39年6月期の日宗火災の損益計算(単位:円) 収入

(出所)日宗火災保険株式会社 第四回事業報告書 より作成。

前年度繰越金 剰余金 責任準備金 支払備金 保険料

再保険料 諸利息 財産評価益 雑益

合計 577,258 合計 562,221

8,960

1,050 支払備金 608

12,435 次年度繰越金 責任準備金 141,179 46,479 代理店費及紹介手数料 36,493

414,808 社費 115,232

293 解約返戻金 2,835

91,945 保険金額 239,692

1,289 前年度繰越金 再保険料 26,183 支出

(15)

加に伴って収入面では,保険料が35,000円余の減額となり,一方の支出面は,

解約返戻金や準備金の積み増しもあり,赤字決算に転落する。そこで,明治 41年6月,川合芳次郎は社長を辞任し,後任に伯爵・滋野井実麗を据える 。

ところが,滋野井実麗も業績を改善できず,明治41年12月,福国生命保険 の創立を検討していた下郷伝平 との会社売却交渉を始める。しかし,その

40) 日宗新報 明治41年7月1日では,次の謹告を掲載していた。

今回,予て整理中の日宗火災保険会社(東京々橋区日吉町三番地)が解散の 事に相成候に就ては,昨年,函館大火以来当会社が屡々誤解を招き候事有之。

爾来,其無関係なる事は事実を以て証明致居候為め,今日に於ては一般に其実 際を認めらるるに至り候得共,今回同社の解散に就き,又々誤解を惹起し候哉 も難斗候に付ては,従来,屡々弁明致居候通に有之。何等異状無之営業致居候 間,決して御懸念無之様致度,此段御注意申上候。

尚ほ,当社々長川合芳次郎儀,先般辞職の上,関係を断ち,新に伯爵滋野井実 麗社長に就任致候。此段謹告致候也。

明治四十一年六月 日

東京市日本橋区通二丁目六七番地 日宗生命保険株式会社

41) 下郷伝平は,長浜銀行頭取,近江銀行頭取,中之島製紙社長,近江製糸社長 (表7)日宗生命の損益の変化(単位:円)

収入

(出所)日宗生命(明治40年), 保険銀行時報 明治42年2月13日より作成。

支出

保険金 解約返戻金 募集費 本店費 出張所費 代理店費 所有公債評価損 所有公債売却損 責任準備金 支払備金 合計 差異

‑245 109,882 894

‑35,342

‑3,591

‑211 21 387

71,796 明治40年

163 630,022 7,200 366,445 17,454 333 70 387

1,022,074 明治39年

408 520,140 6,306 401,787 21,045 543 49

950,278 前年度繰越金

繰越剰余金 責任準備金 支払備金 保険料 諸利息 雑収入 所有公債評価益 所有公債売却益

合計

差異 6,186 27,813

‑11,154 10,209 1,933

‑1,486

‑1,208 1,881 137,338 9,406 180,919 明治40年

101,824 56,951 81,966 53,627 34,089 16,478 253 1,881 767,360 16,606 1,131,034 明治39年

95,638 29,138 93,120 43,418 32,156 17,964 1,460

630,022 7,200 950,115

(16)

同時期に, 他の名義の下に同社株式の大多数を掌握し居る 川合芳次郎 も,会計課長・原田玄成(以下,原田と略記)を使って買収者を探し始める。

原田は 河合氏の内意を含み ,当時成金として有名な鈴木久五郎 へ救 済を願い出る。この一連の売却交渉からも,実権は依然として川合芳次郎が 握り,滋野井社長は 数千円の報酬條件の下に現地位に立てるものにして,

事実上何等の実権をも有せざるもの に過ぎなかったことがわかる。

一方,売却交渉は,原田が鈴木久五郎の手下で 会社荒らし と言われ た須永清に篭絡され,株式を譲渡してしまうのである。筆頭株主となり相談 役に就任した須永清は,鈴木久五郎一派を排斥した上で会社整理を装い,帳 簿検査を行って会社の弱点を入手し,それを利用して主な社員を解雇する。

しかし,解雇された社員も鈴木久五郎一派と協力して須永清排斥を行い,

次々に内紛が起きたのであった。こうした社内の混乱を受けて,明治42年3 月18日,農商務省は新契約募集停止命令を日宗生命に対して発令した。当時 の報道によれば, 主務省が今回に限り,何故斯くは停止命令を急ぎたるか

…須永は有名なる会社荒らしなりと聞けば,斯る人物の入社は却って会社の 危険を大ならしむるの恐れある ことがその理由とされた。

⑶ 六条生命の破綻

次に,同じく明治期に破綻した六条生命を検討する。六条生命は,発行株

を歴任した著名な近江商人である。

42) 保険銀行時報 明治42年4月20日。

43) 保険銀行時報 明治42年3月20日。

44) 鈴木久五郎は,成金の語源になったと言われている相場師で,東京市街鉄道 株の買い占めや,日糖を乗っ取る。鈴木久五郎を有名にしたのは,明治39年の 鐘紡株買い占めで,神戸の相場師・呉錦堂との買い占め合戦は壮絶を極める。

結果的に,鐘紡の筆頭株主となり会社を乗っ取るも,翌40年1月の株価暴落で 株界を去ったとされる(鍋島(平成15年)pp.43‑52)。

45) 保険銀行時報 明治42年2月27日。

46) 保険銀行時報 明治42年3月20日。

47) 保険銀行時報 明治42年3月20日。

(17)

式6,000株のうち3,500株を保有する支配株主が存在した。それが,東本願寺 門主・大谷光演であった。大谷光演は,自身が保有する株式の議決権行使を,

東本願寺寺務局長・六条生命社長であった石川に委任していた。

東本願寺の執事就任当時,石川は東本願寺が抱えていた負債を,教団が行 う営利事業での利益で償還することを計画していた。六条生命設立もその一 環であった。ところが,東本願寺の営利事業はことごとく失敗 し,それに 加えて教団内で不正事件も起こり,負債額は表8に示したとおり,石川が執 事に就任した明治31年以降,大幅に増加したのであった。

自らが推進した営利事業の失敗によって,教団の負債を増加させた石川は,

その穴埋めを六条生命からの資金提供によって糊塗しようとし,報告書に現 れる資産額を上回る資金提供を教団にしていた 。このような,六条生命と

48) 一例を挙げれば,北海道の天塩,白糠両炭鉱の事例がある。天塩炭鉱は 遂 ニ七万 千余円ノ金子ヲ該礦ニ投ゼシモ好果ヲ得ズ。中途ニシテ事業中止ノ止 ムナキニ至りヌ( 大谷勝縁師経歴 井上馨文書 705‑59) ,白糠炭鉱は,

今尚ホ採掘シツヽアリト云フ。然ルニ,之レ又収利ヲ見ル能ハズ。出張所ハ 夫レガ為メ,年々巨多ノ失費ヲナシ居レリ…其買入代価ハ約二万円ナルガ,コ ハ勿論出張所ニ負担セシメタルモノ( 新門主之行為 井上馨文書 705‑31) との記述が認められる。

49) 明治33年時点の六条生命の資産額は,174,374円であり,東本願寺への資金 提供額として 報告書 には預金(6万円)は計上されていた。しかし,東本 願寺の財政整理に関連して行われた調査によれば,預金以外にも,貸付金 6,500円,繰替金33,000円,偽装不動産取引で13万円が資金提供されていた

(深見(平成19年

b

))。

(表8)東本願寺の負債額の変化(単位:円)

(出所) 宗報 第10号(明治35年6月1日)付録より作成。

年月 負債額 前年比

明治31年1月 453,889円 − 明治32年1月 579,079円 △125,190円 明治34年11月 2,200,082円 △1,621,003円

(18)

東本願寺との不透明な関係が,農商務省の検査によって明らかとなり,六条 生命に整理命令が出された。しかし,その後も改善が見られず,明治34年10 月7日,新契約募集停止命令と財産整理命令が出されたのであった。

このように,日宗生命においては,日宗火災の経営危機が経営悪化のきっ かけとなり,その後,教団を代表する門信徒であった元経営者の意向で生保 会社の経営者に適任とは思えない相場師に,会社を売却したことが破綻の要 因となっている。一方の六条生命は,営利事業の失敗が東本願寺の財政を逼 迫させ,そのことを糊塗すべく経営者が行った会社から東本願寺への資金提 供が,破綻の要因となっている。

両社の事例に共通することは,会社の経営者が,教団を代表する門信徒や,

教団内での地位の高い僧侶であり,また,彼らに匹敵する教団内での地位を もつ者がいなかったため,彼らが暴走しても,それを規律づけることは難し く,その結果,破綻したと考えられる。一方の真宗信徒生命は,教団は経営 に関与せず,複数の有力な門信徒で経営が行われてきた。

5.むすびにかえて

本稿は,従来,仏教系生保の破綻要因とされていた顧客の限定や教団の会 社に対する態度よりは,むしろ教団が関係しているが故の破綻要因があるの ではないかとの仮説を立て,教団が設立や経営に関与した3社(日宗生命,

真宗信徒生命,六条生命)を取り上げ,その破綻要因を分析した。

まず,この3社に共通したことは,募集活動を教団や僧侶が直接,間接的 に行っていたことである。一方,明治期に破綻した2社(日宗生命,六条生 命)と大正期以降も営業を継続した会社(真宗信徒生命)には,特徴的な相 違も存在した。それは,会社の経営に対する教団の関与の度合いと経営者に 占める教団内で地位の高い僧侶や門信徒の割合である。

前者に関して,真宗信徒生命の場合,本願寺や同寺の高僧は会社設立にこ そ関与したが,大阪生命事件を巡る一時期を除くと株式を保有することもな く,経営者も派遣していない。一方,破綻した2社の例では,六条生命には

(19)

東本願寺門主が支配株主となって,経営者に高僧を派遣し,日宗生命は高僧 が賛助員として名を連ねるとともに,株式を教団と高僧が保有していた。

また,後者に関しては,真宗信徒生命の場合,地方名望家や有力商人であ り,教団内でも地位の高い複数の門信徒が経営にあたっていた。それに対し,

破綻した2社は,高僧や教団内での地位の高い門信徒が単独で経営の中心に おり,彼らに匹敵する教団内での地位の者が存在しなかった。それゆえ,会 社に対して利益を逸するような意思決定であっても,彼らの教団内での地位 の高さから経営者を規律づけられず,経営者の暴走を止められなかったので はないかと考えられるのである。すなわち,一般の事業会社とは異なり,出 資比率の多寡だけでなく,宗教的な地位や教団内での地位で発言力が決まっ ていたことが,破綻の一因ではないかと考えられるのである。ここに,一般 の生保会社では起こり得ない,仏教系生保特有の破綻要因があったのではな かろうか。もちろん,仏教系生保には僧侶個人が関与していた会社もある。

これについては,別稿で取り上げることにしたい。

(筆者は滋賀大学経済学部附属リスク研究センター

╱日本証券経済研究所客員研究員)

参考 献

小川功 大阪生命の生保乗取りと日本生命の対応−鴻池財閥から山口財閥への移 動説の吟味− 保険学雑誌 第516号,日本保険学会,昭和62年3月。

小林惟司 日本保険思想の生成と展開 東洋経済新報社,平成元年。

阪本豊彦 日宗生命保険会社の十徳 明治34年。

生命保険会社協会 明治大正保険史料 第二巻第二編,昭和11年。

生命保険会社協会 明治大正保険史料 第三巻第二編,昭和14年。

征矢徳三編 財界名士失敗談 下巻,毎夕新聞社,明治42年。

東京生命保険相互会社社史編集委員会 東京生命七十年史 昭和45年。

東京生命保険相互会社編 東京生命百年史 ,平成7年。

日宗生命保険株式会社 日宗生命保険株式会社保険規則 ,明治29年。

鍋島高明 相場師奇聞 五台山書房,平成15年。

深見泰孝 明治期の生保株買い占めとガバナンス−大阪生命事件を中心として−

企業家研究 第4号,企業家研究フォーラム,平成19年6月⒜。

(20)

深見泰孝 支配株主とガバナンスリスク−六条生命破綻を中心に− 日本リスク 研究学会2007年度第20回研究発表会講演論文集 日本リスク研究学会,平成19 年11月⒝。

深見泰孝 仏教系生命保険会社の生成について−真宗信徒生命を中心に− 保険 学雑誌 第602号,日本保険学会,平成20年9月。

保険銀行時報社編 本邦生命保険業史 昭和8年。

松下長重編 東洋成功軌範 中央教育社,明治44年。

三岡丈夫編 由利公正伝 光融館,大正5年。

立正大学博物館 立正大学博物館第4回企画展立正大学のあゆみ 平成19年7月。

<文書>

大谷勝縁師略歴 井上馨文書 705‑59 新門主之行為 井上馨文書 705‑31

<営業報告書>

禅徒生命保険株式会社 第二回営業報告書 明治32年1月 日宗生命保険株式会社 第一回事業報告 明治30年12月 日宗生命保険株式会社 第二回報告 明治32年1月 日宗生命保険株式会社 第三回事業報告書 明治33年1月 日宗生命保険株式会社 第四回報告 明治34年3月 日宗生命保険株式会社 第六回報告 明治36年3月 日宗生命保険株式会社 第 回報告 明治38年3月 日宗生命保険株式会社 第九回報告 明治39年2月 日宗生命保険株式会社 第十回報告 明治40年12月 日宗火災保険株式会社 第一回事業報告書 明治36年6月 日宗火災保険株式会社 第二回事業報告書 明治37年6月 日宗火災保険株式会社 第三回事業報告書 明治38年6月 日宗火災保険株式会社 第四回事業報告書 明治39年6月 佛教生命保険株式会社 第1回事業報告書 明治27年4月

<新聞>

宗報 日宗新報 保険銀行時報

参照

関連したドキュメント

JR東海 名誉会長 葛西敬之 先生.

注意 Internet Explorer 10 以前のバージョンについては、Microsoft

2021年12月17日

・ 継続企業の前提に関する事項について、重要な疑義を生じさせるような事象又は状況に関して重要な不確実性が認

運用企画部長 明治安田アセットマネジメント株式会社 代表取締役社長 大崎 能正 債券投資部長 運用企画部 運用企画G グループマネジャー 北村 乾一郎. 株式投資部長

渡辺 俊哉 企画ラインの主要職務や支社長等の多様な経験を有し、企画部長とし

この資料には、当社または当社グループ(以下、TDKグループといいます。)に関する業績見通し、計

委員長 山崎真人 委員 田中貞雄 委員 伊藤 健..