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Vaeren=Christen : セーレン・キェルケゴールのキリスト教理解について 利用統計を見る

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Title Væren=Christen : セーレン・キェルケゴールのキリスト教 理解について

Author(s) 深井, 智朗

Citation 聖学院大学総合研究所紀要, No.12, 1998.3 : 259-286

URL http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/de tail.php?item_id=3452

Rights

聖学院学術情報発信システム : SERVE SEigakuin Repository for academic archiVE

(2)

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││セlレン・キェルケゴlルのキリスト教理解について

深井

一︑問題設定

二十世紀末に至つてなお十九世紀のデンマークに生きたひとりの﹁宗教的著述家﹂︑すなわちセiレン・キェルケゴ

ひとは第一次世界大戦後のドイツにおけるその思想の再発見ールの思想が読み続けられていることのひとつの理由を︑

という出来事の中に見いだすことができるであろう︒W

lトは既に一九二一年﹁キェルケゴlル・ルネッサン

ス﹂について語っていぷ︒神学の領域を見るならば︑いわゆる弁証法神学におけるキェルケゴlルからの影響は明瞭で

あじ︒それはもちろん弁証法神学と呼ばれた一連の神学者へのキェルケゴlルへの影響が同一ものであったという意味

ではないが︑﹁時と永遠の質的差異﹂について言及した初期K・バルトやその解釈学のうちに実存主義の影響をしばし

ば指摘されるR・ブルトマンのみならず︑E・ブルンナーやE・トゥルナイゼンの初期の著作の中にキェルケゴl

強い影響をみいだすことも容易なことである︒さらにF

・ ゴ

lガルテンの思想はE・トレルチによれば﹁キェルケゴl

(3)

ルの木から落ちた実﹂なのである︒

またその影響は哲学の分野においても明らかであり︑キェルケゴlルの思想は実存主義哲学のひとつの源流とされた

260 

しかし人は間わねばならないであろう︒キェルケゴlルの思想は今世紀の実存主義思想のひとつの源流であるとして

も︑彼はいわゆる実存主義哲学者であったのだろうか︒K

lスが言うように﹁いかなる哲学もキェルケゴl

を基盤として建設されることはできない﹂のではないのか︒あるいは彼は二十世紀においてもっとも影響力を持つよう

になったいわゆる弁証法神学に方法や体系を提供した彼らの思想的な父なのであろうか︒しかし彼はいかなる学問体系

も学問的な方法論も提示しはしなかったのではなかったか︒そのような彼の思想から引き出されるさまざまな結論のこ

K・レ!ヴィットが指摘したように﹁彼自身が草葉の陰で聞いたとしたらおそらく顔を背け︑冷ややかな噸笑と

ともに︑自分の矯正手段をひとは何と規範にしてしまったこと︑あるいは自分の要求をひとは体系にしてしまったと感

じるに違いない﹂のではないだろうか︒チュlビンゲンの神学者H

lムもそのことに絶えず警鐘を鳴らし続けた

ひとりであった︒彼は一方でキェルケゴlル・ルネッサンスの幻想性を指摘し﹁キェルケゴlル・ルネッサンスなどそ

れは作り話しに過ぎない﹂と述べ︑今日キェルケゴlルの思想が正確に理解されていないが故に︑キェルケゴl

ネッサンスどころか逆に大変な誤解にさらされていることを指摘した︒他方で彼は今日のキェルケゴiル理解の危険性

を指摘している︒すなわち哲学に対しては﹁人聞が実存することに関するキェルケゴlルの思想を体系化すること︑

してそれを実存哲学にまで仕上げてしまう危険性﹂であり︑神学の側に対しては﹁キェルケゴールの著作をキリスト教

(4)

の弁証のために用いることの危険性﹂である︒

もしわれわれがなおキェルケゴlルの思想に学ぼうとするならば︑彼がその旺盛な著作活動を通して行おうとしたこ

とは何であったのかを聞い続けねばならないであろう︒彼がその著作を通して試みたことは︑﹁真のキリスト教への誘

惑者﹂であろうとしたということであれ︒そのことは彼自身が︑自分だけがこの世にあって真のキリスト教とは何であ

るかを知っている唯一の人物であることを自認していたことからも明らかである(果たしてそれが正しかったのかどう

かについてはあえてここでは扱わないことにしよう)︒

しかしキェルケゴlルの生涯を貫く根本問題が﹁真のキリスト教への誘惑者であること﹂︑

そして何よりも彼自身

﹁真のキリスト者であること﹂を模索し続けたことだとしても︑﹂れまでの研究が明らかにしてきた通り︑ひとはひと

つの困難に直面せざるを得ないのである︒それは彼の思想の中には明らかに︑相反するようなキリスト教理解が存在す

E・ガイスマルはそれを次のようにまとめている﹁われわれはキェルケゴlルの中に二様のキリスト教

理解を見ることができよう︒キリスト教的な二重運動を通して︑生活を愛による生きた作品へと形成していく

立場であり︑もうひとつは完全な自己犠牲の立場であ説﹂︒もう少し具体的に述べるならば︑ひとつは晩年のキェルケ

ゴールに見られるような︑制度としてのキリスト教︑あるいはキリスト教文化批判という側面である︒今日のデンマi

クに真のキリスト教は存在しないといい︑千八百年前のキリスト教との直結を主張するキリスト教である︒しかしその

同じキェルケゴ!ルはその初期の諸著作の中では︑キリスト教が現世に生きる可能性について問うていた︒すなわちそ

れはいわば制度の中で︑今日的な形態の中で︑真のキリスト者であることを模索する道であったと言ってよいのであろ

(5)

う︒﹁真のキリスト者であること﹂が彼の課題であったことには違いはない︒しかし彼は何をもってキリスト教と考え ていたのであろうか︒この二つの相反するキリスト教理解が︑あるいは初期と後期との質的な差異が︑

キェルケゴl

262 

のキリスト教理解を統一的に捉えることを困難にしているし︑

おそらくそこに彼の思想の全体的な把握を困難にする大

きな理由があると言ってよいであろう︒

そうであるなら︑キェルケゴlル研究において重要な問題は︑﹂の両者の関係をどのように理解するかということで

あろう︒われわれはどのように答えるべきであろうか︒

どちらかのキリスト教理解を彼のキリスト教理解として取り上 げるべきなのか︒あるいは彼のキリスト教理解はある時変化したのだと言うべきか︑あるいはそれを発展とみるべきな

のか︒即答を避けよう︒われわれはまずキェルケゴlルの思想の中に存在するこつのキリスト教理解を整理し︑その上

で両者の関係をどのように理解するかについて考えてみたい︒

その際われわれは︑常に彼の生涯を貫く根本問題が﹁真

のキリスト者であること﹂にあるということを確認しつつ議論を進めねばならないであろう︒

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lルはここで﹁今や︑キリスト者となることにともなう困難は︑真実にキリスト者になるために︑最初の存在日キリ

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宵許可ロ)ということを自ら進んで受け入れることによって可能になるようにと変わらねばならない

ことである﹂と述べている︒

( 2

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キェルケゴlルの思想の再発見については次の文献を参照のこと︒巧

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(6)

liche Denker und sein Werk, 1929, Deuser Hermann, Kierkegaard. Die philosophische des religiosen Schriftstellers, 

Darmstadt, 1985 (EdF 232). 

(的)W. Elert, Der Kampf um das Chrstentum, 1921 430ff. 

(司)4t;t記封1:!ttirtAJ *" rlミミトh一五ミQ盟主題人JG'mEl$UやニドtiJ.W. Elrod, Kierkegaard and Christendom, Princeton, 

1981, 56ff., Walter Diestz, Soren Kierkegaard. Existenz und Freiheit, Frankfurt a. M., 1993, 19 

(∞) Karl Barth, Der Romerbrief, 21922, VII, cf. K. Barth, Danke und Reverenz, in: Evangelische Theologie, (1963) 

337ff. 

(匂cf.Kraus K. Kodalle, Der non‑konforme Einzelne. Kierkegaards Existenztheologie. Philosophiegeschichtliche 

otiz, in: Taubes (Hg.) Religionstheorie und Polotische Theologie, Munchen, 1983‑226 

(ドE.Brunner, Die Botschaft Soren Kierkegaards, in: Neues Schweizer Rundschau, 13 (1930), cf. W. Diez, aaO. 20, 

24 

(∞Brief an Thurneysen, 27. Okt. 1920, 18. Mai 1921, usw., E. Thurnneysen, Anfange, in: "Antwort", Festschrift zum 

70. Geburtstag Karl Barth, 1956859ff. (=Karl Barth‑Eduard Thurneysen Briefwechsel. Karl Barth Gesamtausgabe, 

Zurich Bd. 12, 1973) 

(∞) ErnstTroeltschEinApfelvom BauIIレい同4崎♀や凶,.nーいいる二倍時体制料恥JU'ムム朴ti*G'Tl齢「制州かな桜余:

剃怖やμv時叫J.‑.Jドお>=,'*~ti I勾れ川な吋Fトレ持母刈将轄Jμo*.‑.Jνゃな吋小州浦Q製懸印刷Nh‑

土ミ斗E貢ド,Aヤパミミトh一三ミG'*‑R',‑N堤斗.C'+‑:!=‑‑入"nAJ7記"(+‑:! G' ~~子。。t.tqムムミミ十e市川ミミトhー±ミ漏斗やユドti

E. Troeltsch, GS. II, 293 Anm. 17j嶋監~G'~JAJ

(:::;) Helmut Fahrenbach, Existenzphi1osophie und Ethik, in: M. Theunissen/ W.Greve, (Hg.), Materialien zur 

(7)

Philosophie S. Kierkegaards, Frankfurt, 1979, 216ff. 

(口K..aspers, Rechenschaft und Ausblick, Reden und Aufsatze, 1951 

(~) K. Lowith, L' achevement de la philosophie clasique par Hegel et sa dissolution chez Marx et Kierkegaard, in: 

Karl Lowith Samtliche Schriften Band 4, 1988, 49lf. 

(口cf.H. Diem, Soren Kierkegaard‑Spion im Dienste Gottes, 1957 

(ヨH.Diem, Zur Psychologie der Kierkegaardrenaissance, in: Zwischenden Zeiten(1932), 216 

(白H.Diem, Die Existenzdialektik bei S. Kierkegaard, Zollikon, 1950, XI 

(出)SV. VII 245, 324, usw.j体堕~S'~JAJ

(口)E. Geismar, Sδren Kierkegaard, in: Zeitschrift fur systematische Theologie, (1925), ders., Das Stadium bei S. 

Kierkegaard, in: aaO. (1923) 227ff.例記~S'吋uやニド!!朕本脳「市H弐トhー弐U~士吋11ゃS'..w-=--κι縛酎睦」

『自民総島駅j11r<‑Kn)t> (1 ‑K‑K II叶)4J4隠匿S'~JAJ

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(8)

確かに彼の二つのキリスト教理解は入り組んだ仕方で︑同じ著作の中にさえ現れ出たりしている︒しかし二つのキリス

ト教理解が最後まで並行的に存在していたということはできないであろう︒かと言って彼の思想を単純に前期と後期と

に区別することもできない︒なぜならたとえば後期ということで彼の教会批判に見られるような現世否定なキリスト教

理解をそれに当てはめるとして︑それでは前期にそのような要素が存在しないかと言えばそのようなことは言えないか

らである︒両者はある程度までは入り混じっていると言うべきである︒

その象徴的な著作が﹃愛のわざ﹄だと言えるで

このように厳密な区別はできないにしても︑他方でキェルケゴlルの生涯には彼自身が述べているような決定的な変

化が生じており︑それによって︑彼のキリスト教理解も変化したということができるであろう︒

その場合彼の思想の変化はどのように理解されるのであろうか︒また何をもって変化が生じたと考えるべきなのであ

ろうか︒これはキェルケゴlル研究にとって大きな問題である︒

キェルケゴlル自身は﹁わが著作活動の視点﹄の中で﹃哲学的断片への結論的・非学問的な後書き﹄を彼の著作の転

換点としており︑それを通して美的著作と宗教的な著作とを区別している︒﹁これ︹すなわち﹃後書き﹄︺は再び繰り返

して言うならば︑全著作活動の転回点である︒それは﹃問題﹄︑すなわちいかにしてキリスト者となるかということを

提起している︒それはまず人がキリスト者となるためにたどるべき一方の道︑すなわち審美的なものより離れ去ること

によってキリスト者になるということを描いたものとして︑すべての仮名の審美的著作をあてた後︑それ自身とは違っ

た道︑すなわち体系や思弁的なものなどから離れ去ることによってキリスト者となる道を叙述していじ﹂︒このような

(9)

この区別は﹁一八四六年﹂に求めるべきである︒それはコサlル事件のことを考えても

ある妥当性を持っていると言えるであろう︒ 彼自身の証言からするならば︑

266 

さらに﹁一八四七年﹂

llゲルとの結婚という出来事をもって彼の著作の新しい段階をネのフリッツリシュレ

それは﹁四六年﹂説を敢えて否定する程のものではないであろう︒想定する可能性もあるが︑

マインツの神学者ヴァルタl

lツが一九九三年に出版され

た彼の博士論文の中でその可能性についての見解を提示している︒この説をディiツが主張する際の根拠はキェルケゴ もう一方で﹁一八四八年﹂説という可能性もある︒

ール自身の

であり︑彼自身のこの年についての記述の中に彼のキリスト教理解の変化についての重要な証言を

見いだすことができる︒すなわち彼は一八四八年の出来事を後に意味深く回顧して次のように述べている︒﹁:::こう

して(一八︺四八年がきた﹂︒その時彼は一つの課題を受け取ったのだという︒それは彼がこれまに経験したこともな

その中で彼は今一度﹁キリスト教とは何であるかを明確にする﹂という課題を受け取ったという︒

︹牧師としての︺職を得るという熱望していた可能性を放棄する﹂に至ったという︒この体

そして彼はこの時﹁教会の

験はまさに﹁一八三八年五月一九日午前十時三十分﹂の宗教的な体験として多くの研究者によってキェルケゴl

とつの転機として言及される年に対応している︒

内部的な関係へと﹂向かったのである︒このことは一八四八年が実際には﹃死に至る病﹄︑﹃キリスト教の修練﹄ つまりその年彼はキリスト教の﹁外部﹂から︑﹁キリスト教に対して

の執筆

された年であったことからも明らかである︒工藤綬夫氏もその著﹁キェルケゴlル﹂の中で﹁一八四八年の四月一九日

に彼が﹃わが全本性は変わった﹄という宗教体験をした﹂としているが︑その指摘はおそらく正しいものであり︑また

(10)

先に言及した﹃わが著作活動の視点﹄がこの年に書かれていることも︑﹂の変化の帰結と考えてよいのではないかと考

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それ故に彼の思想を転換させるほどの大きな変化が︑またキリスト教理解という点からも重要な変化が一八四八年に

生じたと考えることができる︒しかしここでは既に述べたような理由から︑あまり厳密な区分を試みることはせずに︑

その変化は一八四六年には既に開始されており

一八四六年から四八年にかけて彼は転換を経験したと考えることにし

3 0

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四六年の転換説は彼自身の言葉でもあるから尊重すべきであるが︑四七年の﹃愛のわざ﹄にはなおこの転換前の

特徴があることを考えるならば︑

四六年に始まった転換は四八年に決定的なものとなったと考えることができるであろ

う︒そしてその四八年に﹁わが著作活動の視点﹄が書かれたと考えることができるのではないだろうか︒それ故に本論

との関連で言えば︑

四八年以前と以後では彼のキリスト教理解に大きな変化が見られるということを以下において明ら

かにしその特徴を提示してみたいと思う︒

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この点については民間山口

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lル﹄(清水書院)別頁︒また荒井氏前掲書も同意見である

268 

三︑﹁デュアハ!ブンと神への信仰﹂

キェルケゴlルは自らの課題を﹁真のキリスト者となること﹂にあると考えていた︒彼は次のように述べその目的を

自覚した︒﹁私に似かよっているただ一人の人物と言えばそれはソクラテスである︒私の課題はソクラテス的な課題で

それはキリスト者であるとは何を意味するのかという概念をたえず訂正することにある︒私自身は自らをキリ

スト者とは自称しないが︑しかし私は他の人々が私よりもなおその名にふさわしくないということを明らかに知って

いる﹂︒すなわち彼は人が﹁キリスト者である﹂という﹁錯覚﹂の中に生きている時に︑﹁キリスト者になる﹂という課

題と取り組んだ︒それが﹁キリスト者であるとは何を意味するのかという概念﹂の訂正に他ならない︒そしてその取り

(12)

組みは﹁二様のキリスト教理解﹂を生み出したのである︒

そのひとつはガイスマルによれば﹁キリスト教的な二重運動を通して︑生活を愛による生きた作品へと形成して行く

立場﹂︑すなわち﹁世俗﹂︑あるいは﹁現世﹂との関係を﹁受け取り直そうとする﹂キリスト教である︒

われわれはその典型的な議論を﹃哲学的断片への結論的・非学問的な後書を﹄の中に見いだすことができる︒それは

との聞の調停と言ってとよい︒﹁デひとことでいうならば﹁神への信仰﹂の問題と﹁デュアハl

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lブン﹂とはコペンハlゲンの北にある公園であり︑本書の独訳者であるディデリクセンによれば

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︿gl︑すなわち﹁デュアハブンに行くこと﹂とはこの公園で散策を楽しんだり︑射的を楽しみというような行

キェルケゴlルはこの言葉によって﹁市民生活﹂を表現しようとしていた︒それはデンマーク市民楽を意味しており︑

であることとキリスト者であることとの結び付きを意味している︒それは後のキリスト教批判者バlゼルのフランツ・

l

lベックが﹁ビスマルクの宗教としてのキリスト教﹂と言ったことと同じ事態をきしている︒ここには後期の

とりわけ晩年におけるキリスト教会批判に見られるような現世否定的な︑世界拒否へと至るような理

むしろ彼はここでは世界と超越の問題との﹁結び付き﹂に苦慮していると言ってよい︒

キェルケゴlルは次のように述べている︒﹁恐らくは一︑二の宗教的な者はデュアハlブンに行くのは自分には不適

当だと思うだろう︒もしそうであるならば︑私は質的弁証法によって︑修道院に対して顧慮を乞いたい︑なぜなら下手

な手出しは何の役にも立たないからだ﹂︒すなわち現世と超越との結び付きの問題に関しては︑修道院の出番は既に終

わっているというのである︒修道院の宗教性が中世に行ったこの間題についての解決とは何であろうか︒それは﹁有限

(13)

性の中には神への思いとは相いれない︑あるいは実存しつつ結び付けることはできない何物かがある﹂

﹁有限性と決別すること﹂が修道院の宗教性の﹁情熱的な表現﹂であった︒つまり神への信仰︑あるいは超越を取るた

270 

めに︑現世のもの︑有限なものを拒否するパトスが中世における修道院の解決であったとキェルケゴ!ルはいうのであ

しかし彼は繰り返し語る︒﹁ただ現代は周知の通りその宗教性においては中世よりも前進したのである﹂︒それ故に現

代の宗教性は中世のそれとは別の解決を可能にした︒すなわち﹁われわれは修道院に入る必要はなく︑われわれはデュ

lブンに行くことができる﹂ということなのである︒彼はまた次のように述べる︒﹁現代の宗教性がさらに中世の

それよりも進んでいるというのならば︑それ故に現代の宗教性は︑神への思い︹あるいは信仰︺をば有限性の最も脆い

とともに実在しつつ確保できるのである︒

進した結果宗教性の幼稚な形態に舞い戻つてしまうということでなけれ同﹂︒ たとえばデュアハlブンにおける娯楽︑つまりもし現代の宗教性が前

lルは次のようにこのことを説明する︒

﹁それ故に中世よりも前進するところの宗教性は︑その敬慶な観察によって︑宗教的な者が︑月曜日には彼が前日

に聞いたのと同じことの内に実在すべきなのであり︑また月曜日には同じカテゴリーによって実在しなければらな

いということが表されていることを見いだすのでなければならないのである﹂︒

(14)

すなわち日曜日と月曜日の︑つまり神への信仰(すなわち礼拝生活)と市民生活との区別があってはならないという生

き方が模索されるべきだというのである︒﹁デュアハlブンと神への思いをひとつのすることは困難である︒しかしそ

われわれはそれをすることができる﹂のである︒れにもかかわらず︑

の中でのキリスト教の倫理的な課題の設定の中に典型的に見いだされ得る︒彼はキ

リスト教の課題を倫理的な課題の中に見てい(れ︒すなわち﹁隣人を愛すべしということになると︑そこに課題が︑倫理 そのことはたとえば﹃愛のわざ﹄

的な課題が存在するのである︒そしてこの倫理的な課題がまた全ての課題の根源なのである︒キリスト教的なものは︑

をすべて取り払い︑ さまざまな思索から切り離され︑くどくどした序文を切り捨て︑

即刻この課題と取り組むことになるのであ討﹂︒信仰の倫理化はこの時代のキリスト教理解に典型 それが真の倫理的なものであればこそ︑一時的な保留

的なものであるが︑キェルケゴ!ルの第一のキリスト教理解の中にもそれがある︒彼はこの倫理的な課題をイエスの第

二の戒め︑すなわち﹁あなたは︑あなたの隣人を愛さなければならない﹂の中に見ている︒隣人愛は確かに自己愛では

その意味ではこの愛はこの世的な愛からは区別される︒しかし同時に﹁隣人愛の条件とは︑現実の中に

確固たる足場を発見するこ民﹂である︒それ故に︑隣人愛のというキリスト教の課題の中に要求されていることとは

いわば現世を自らに引き受けること﹂にあるのだとキェルケゴl

﹁現世を無視︹あるいは否定︺する代わりに

ここには現世否定的な要素は見い出せない︒むしろ現世の問題をどのように引き受けるかということが問題となって

いる︒それ故に彼は次のように述べたのである︒﹁キリスト者に向かって︑彼は他のこの世の人間と低級な食事をして

(15)

はならないとか︑他の人々から離れて隔離されたところで隠れて生きよというような要求は課せられていないので

ある﹂︒そこからしてキリスト者であることは現世否定や文化否定的ではない︒それどころか倫理的なもの︑あるいは

272 

キリスト教文化の積極的な保持者なのである︒なぜなら﹁キリスト自身その弟子たちを現世から取り去ることを欲した

まわず︑またそれを神に祈りはしなかったのである﹂からである︒

それ故にキリスト者であることと︑デンマーク市民であることは矛盾することはなく︑真のキリスト者であることは

いわゆるコルプス・クリスチアヌムが維持された中で生きるもののことなのである︒﹁現に見ている人々を愛すること

がキリスト教の課題であり義務であるならば︑何よりもまず愛の対象は対象を求め︑発見すべきだとする夢世界の妄想

的な︑調子外れの観念というようなものを全て放棄しなければならない︒すなわち冷静に︑現実の世界を発見し︑人に

指定された課題としてその現実世界の中に踏み留まることによって現実と真理とを獲得しなければならない﹂︒これこ

そキリスト者の姿なのである︒

このようなキェルケゴlルにおけるいわばキリスト教理解における世界の回復を基礎付けるものは︑彼の﹁反復﹂

概念である︒この反復の概念が周知の通り︑﹁罪によって破壊された人間の最も人格的な統合を取り戻すこと﹂(ガイス

l

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である︒そしてこのこのような取り戻しとしての反復は︑ガイスマlが指摘している通り︑人聞の罪の赦しによ

る内面的な回復だけではなく︑﹁さらに外的な現実生活の取り戻し﹂をも含んでいる︒罪の赦しの問題は︑既に述べた

一八三八年の体験の中心点な要素と考えられるが

の概念はこの赦しの問題へのひとつの回答なのであ

それはこの赦しによる本来的な自己の回復だけではなく︑さらには地上における現実的な事柄︑そして隣人との

(16)

関係の回復をも意味しているのである︒

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iルではこの罪の赦しによる回復︑あるいは人聞の再生のみちを﹁反復﹂と呼んでいるのである︒彼はこ

の点についてヨプを例にとって次のように述べている︒﹁主はヨブと和解した﹂

そのことによってヨブは

﹁祝福され﹂て︑﹁すべてを二倍にしたのである︒これこそ反復である﹂︒ここにはキェルケゴ!ル自身の願望が繁栄さ

れていると言ってよい︒神との和解は︑彼のおける罪の赦しの重要な契機であった︒そしてこの和解によってヨブのよ

つに地上の所有をも回復する︒

確かにここには超越の次元と地上の生活の単純な一致は見られない︒しかし四八年以前のキ(すなわち信仰の生活)

l

このいわば異質のものの結び付きにこそ大きな関心をはらっているのであって︑ガイスマl

それは宗教の文化の関係の破壊や﹂︑制度としてのキリスり一一日うとおり︑﹁だから両者の聞に対立が生じるであろうが︑

ト教の破壊を意味してはいないのである︒それどころか両者の結び付きの破壊は︑﹂の受け取りなおし︑すなわち罪の

赦しを無意味にしてしまうと考えたのが四八年以前のキェルケゴlルのキリスト教理解である︒

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(∞) cf. Franz Overbeck Werke und achlas Band 6/1, 1996 

(ド)SV 

(∞) aaO.154

(∞) aaO.156 

(ヨ)aaO.155f. 

(口)aaO.156 

(出)aaO.161 

(口SctrenKierkegaards Samlede Vrkerudgivne af A.B. Drachmann, ].K. Heiberg og H.O. Lange. Anden Udgave. 

Niende. Bind. Kjctbenhavn, 1927 (~)ιSV XII AJ皆炉)~J ~ 吋はやニドtiW. Diez, aaO.19f.j休眠~~JAJ

(ヨ)SV.XII 65 

(出)aaO 

(出)aaO.159 

(口)aaO. 

(出)aaO.52 

(出)aaO.73 

(~) aaO.156 

(18)

22  21 

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﹁デンマークには真のキリスト教は存在しない﹂

一八四八年以後のキェルケゴlルにおけるキリスト教理解が︑四八年以前のそれからは大きく転換していることはど

の研究者も認めることであろう︒晩年のキェルケゴlルにおいては制度的なキリスト教︑歴史的展開としてのキリスト

教︑キリスト教的文化は否定される︒あの神への信仰とデュアハlブンとの結びつきこそがキリスト教を歪めているこ

とときれる︒最終的にはコルプス・クリスチアlヌムを支える宗教としてのキリスト教は否定されるのである︒そこで

信仰は﹁反復﹂と呼ばれるよりも︑﹁同時性﹂という概念によって説明されることになる︒四八年以後のキェルケゴl

ルにおいては︑歴史のイエスとの同時性に生きることこそまさに真のキリスト者となることなのである︒

しかしこの﹁同時性﹂の概念は︑決して一八四八年以後のキェルケゴlルに固有の概念とは言うことはできない︒四

八年以前のキェルケゴiルにおいてはこの問題はたとえば﹃断片﹄における﹁直接の弟子﹂と﹁間接の弟子﹂について

のロジックの中に見いだされる︒しかしこの概念が彼のキリスト教理解のカギとなるのは四八年以後においてである︒

彼は﹃キリスト教の修練﹂において次のように述べている︒﹁絶対者との関係は現在というただひとつの時しかない︒

(19)

絶対者と同時でない者には︑絶対者は存在し得ない︒すなわちキリストは絶対者であるので︑キリストとの関係はただ

同時性というひとつの状態しか存在しないことは明らかなことである﹂︒すなわち四八年以後のキェルケゴlルにおい

276 

て︑真のキリスト者であることは歴史のイエスとの同時性に生きることとなる︒それは信仰の直接性の原理である︒

この同時性の原理は︑さらに﹁単独者﹂という概念を要請する︒この概念もまた一八四八年以前のキェルケゴl

それも四八年以後とは違ったニヤンスを持っているといい得る︒

者のカテゴリーこそまさにキリスト教の原理であじ﹂とあるが︑

たとえば一八四七年の日記では﹁単独

﹂の記述は文脈からすれば当時の政治状況への批判の

文脈であり四八年以後のニヤンスとは別のものである︒

それでは四八年以後のキェルケゴールにおける﹁単独者﹂とは何か︑それはキリストとの同時性との間に存在する︑

さまざまな中間物の排除である︒﹁新約聖書のなかにある関係とは﹃神│人間﹄関係のことである︒個々の人間はきわ

これら無数の中のひとりの個人とそれぞれ関係する﹂︒めて単純名明解に︹神│人間関係の)聞を隔てる中間物なしに︑

しかし今日のキリスト教はそうなってはいないのである︒﹁キリストと個人の聞に最初に国家あるいは民族という巨大

な抽象物が置かれている﹂︒これらの﹁中間物﹂あるいは﹁巨大な抽象物﹂を排除して︑﹁単独者﹂として生きることこ

そ四八年以後のキェルケゴlルにおけるキリスト者として生きることの意味である︒それ故に彼は次のように述べるこ

とができた︒﹁パウロは公職についたのか︒そうではない︒彼は生活の糧を得ていたのか︒そうではない︒彼は資産を

なしたのか︒そうではない︒彼は結婚して子供をもうけたのか︒そうではない︒

ることはできなかったであろう﹂︒ そうであったならば彼は真の人間にな

このようなキリスト者理解は明らかに四八年以前のキェルケゴlルにおけるそれと

(20)

は異なっている︒一八四八年以前における﹁デュアハlブンとの結びつき﹂の要素はここでは見られない︒むしろそれ

さらにこの﹁単独者﹂の生き方は︑具体的には﹁模範﹂(︿OE

E )

としてのキリストに信従

( Z R F r f o )

すること

そのための教説なのだ﹂といにある︒﹁キリスト教とは何か︒それはキリストのようにあるという教義のことであり︑

そしてこの信従には明らかに四八年以前とは対照的に︑世界否定︑あるいは現世否定の強調がある︒﹁よろしい︒ /

ま同時性について考えてみることにしよう︒キリスト教とは何を意味しているのか︒貧困のなかで︑軽蔑の中で︑迫害

のなかで生きながら︑世間から死に絶えることを表現しているのである︒もし誰かがいま同時性という状態の中でキリ

ストに集中するならば︑その人は自らの実存に一致しなければならない︒なぜなら︑キリストはこの世から死に絶える

ことに関する教えを朗読したのではなく︑それどころか彼は自ら死に絶えることを実行したのである﹂︒キリストとの

この世を同時に得ることは不可能となる︒﹁新約聖書の助けによ

ってこの現実の生を︑現実の世界と出合うことは不可能であ討﹂︒それどころか﹁人間を憎むこと︑自分を憎み︑他者

これこそが新約聖書のキリスト教なのである﹂︒ 同時性においてキリストに信従するものにとっては︑

母︑子供︑妻を憎むこと︑それを通して神を愛すること︑

このキリストへの信従は︑十字架に付けられたお方への信従であるが故にさらにキリスト者の生き方として︑﹁殉教﹂

を要求する︒﹁新約聖書のキリスト教は模範もはっきりと示しているように︑殉教というものはそれだけで価値のある

ものであり︑無条件で価値のあるものだという考えに基づいているのである﹂︒ここでは明らかに現世否定のモティー

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