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メ リ カ 産 業 関 係 史 論 研 究
コ労働1
国 枝 芳 夫
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アメリカは︑西ヨーロッパと同じく近代社会が︑従って近代資本主義が﹁典型的な﹂型で確立された国であると言われ
ている︒アメリカの資本主義が﹁西欧・アメリカ型﹂として一括して︑ドイツや日本の資本主義と対比される事があるの
(1)はこのためである︒しかしアメリカが国家としての出発をしたのは極めて遅く︑一七七六年であり︑ピルグリム・ブァー
ザーズがこの地に達したのも一六二〇年であった事を考えるならば︑その後のアメリカ産業経済の開発と発展には非常に
著しいものがあったと言わなくてはならない︒しかし︑逆の立場で考えれば︑アメリカ資本主義が漸く軌道に乗り始めた
南北戦争以後は封建遺制が殆んど存在しなかった事︑広大な土地があった事等の結果︑資本主義的な農業生産が確立して
極めて広い国内市場を提供した事︑高価な労働力が機械生産を促進した事等々の事情があいまって︑アメリカ産業経済は
非常に順調かつ幸福な成長を遂げたものと言うべきであろう︒アメリカに労働組合が最初に出来たのは一七九一年の事で
あるが︑永続的な近代的労働組合の出来たのは一八五〇年代である︒南北戦争(一八六一〜五年)中︑組合は成長して連
盟を作り始め︑一八六九年労働騎士団(↓げΦ20びδOa興oh些Φ国風αq洋ωo暁冒似げo民)が出来た︒これはやがて消滅し︑
後にAFLの出来たのは一八八六年の事である︒
このアメリカ労働運動の開始は︑アラソスやスカンジナヴィア或いはドイツなどに比ぺて遅れたと言う事は出来ない︒
しかし︑イギリスにあっては︑すでに一入二四年に全国労働組合大連合(O冨言乞碧δ郵一〇〇霧o一一α魯oユ月昼O①d巳8)
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の如きものが出来︑チャーチスト運動を経て一八五一︑年以降は︑新型労働組合が勢力をふるっていた事から見ればかなヴ(2)﹁遅れた﹂ものであると言ってもよい︒そこでこの事実はアメリカ労働組合の普及をにぶらせ︑産業別組合主義の成長を
長く阻んだ一因であるとも考えられるのである︒
アメリカ労働組合の発生の遅延は︑その理由を産業資本発達の遅れに帰する事が許されよう︒独立戦争後南北戦争終了
ヘヘヘヘヘヘヘカへの頃迄(即ち一七八三〜一八六五)はもっぱら商業資本支配の時期であって初代財務長官ハミルトン(≧霞ぎ創興国苗§塔
カへ8昌)の産業資本育成の希望と政策はその考え通りには行かなかった︒これは工業者は農業との兼業の域を脱せず︑文︑
ヘカヘへ商業資本は一部工業に投資するものもあったとは言え︑主に土地投機(これは一八六二年の自作農創設法︹昏Φ口α旨Φ斡$α
ヘへあへ︾o菖の頃も非常に盛んで︑従ってこの法律も当初の意図を完遂出来なかった︒)や鉄道投機(鉄道は産業発展と西部開
発の枢軸であるので政府も土地を払い下げて援助をしたから安全な投資目標であった︒土地投機とも結びついていた事は
ヘヘカセヘヘカヘヘカヘカカへいうまでもない︒)に向けられていた為である︒その上︑イギリス工業製品のダソピングと言う事情があった︒元来イギ
リスはアメリカを植民地として原料供給地及び製品市場地に永く確保する希望を持っていたのである︒独立戦争後︑この
夢は破れた︒そこで︑かくの如く破れたが故にこそ︑一層イギリス商品の売り込みは激しかったのであった︒
ヘヘカヘヘヘヘカへリヘカヘヘヘアメリカ産業資本の発詳は︑農村工業の転化と商業資本の転化の中とに求められている︒最も早い工場制と言われるの
ヘヘヘヘヘヘカヘへは︑スレーター(ω05P自Φ一ω一〇什Φ同)木綿工場(機械紡績工場︑一七九一)であるが︑これは正しく後者の型であったゆ一
セヘヘカヘヘヘセへあぬヘヘへあヘヘへめぬヘヘヘヘヘヘヘヘヘへ八一四年にはウォルサム(寓鋤ω︒︒鋤9ロ︒︒Φ暮ρ芝巴葺餌目)に綿工場が設立されたが︑これは農家から女性の﹁出稼者﹂を得︑
カへあコヘヘヘヨコヘカぬヘセセセヘヘセヘセヘヘセヘヘへぬへあヘヘヘヘヘヘヘヘへこれを寄宿舎に於いて温情主義的態度を以って経営したもので︑ウォルサム型と呼ばれる︒この産業組織は総じて純粋に
資本主義的なものであると言う事は出来ない︒一九世紀前半は︑諸種の生産形態(工場︑手工業︑商人支配工業︑・農村工
業等)が混在していた︒のみならず︑主に自家労働︑出稼労働及び児童労働を中心とした生産が行われていたのである︒
このように近代的プロレタリアートの発生が遅れた事︑フロソティアの存在の為︑社会が著しく流動的であり︑階級意
(3).識の如きものが芽生えなかった事は近代的労働組合の結成を一八五〇年以後のものとした︒しかし︑初歩的な運動がなか
ったわけではない︒即ち︑一七八六年フィラデルフィアの印刷職人がストライキを行ったと伝えられているし︑一七九〇
年から一八二〇年の頃迄には靴工︑印刷工︑建築工︑裁縫工等の組合が商人的製造業者に対抗して現われているのであっ
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(4)て︑一八三四年には全国組合( Z餌江O旨巴↓H薗創Φロo︑d.ロ一〇口)すら結成されたと言われている︒(地方的連合組織はいずれも
クラフト・ユニオソであるが︑ブィラデルフィア大工組合(一七九一)︑フィラデルフィア製靴徒弟協会(一七九四)︑二
(5)ユーヨーク印刷協会︿一七九四﹀︑バルチモア洋服組合︿一七九五﹀︑パルチモア印刷工協会︿一入〇三﹀︑など︒)これら
の組合は相互扶助︑徒弟制度・賃金・労働時間・労働条件規制∵非組合員(崔①σq﹄ヨき)排除・共謀罪に起訴される事
への反抗及びストライキ等を主たる機能としていた︒雇主も勿論相互に統合して対抗したのであるが︑一七九九年フィラ
(6)デルフィアの靴工組合と雇主の間には︑すでに団体交渉が試みられ︑又︑ニューヨークの靴工は一八〇五年に永継的スト
ライキ資金を設置したのであった︒(雇主側の共謀罪をもってする法律上の抵抗は︑一八〇六〜一四年頃フィラデルフィ
︑(7)ア︑ニューヨーク︑ピッツバーグ等で行われた︒)しかし︑一八一九年ナポレオソ戦争による不況の為︑これらの運動は下
火になり︑.代って﹁勤労者組合運動(芝o時貯α9日Φ口b母蔓)﹂なる政治活動が起り︑政治的改革と十時間労働を要求した
が︑これは要するに富者に対する小生産者の対抗意識を中心としたもので︑労働者は籠絡されていたに過ぎない︒次いで
一八三〇年代には再び経済活動が中心となり︑都市中央組合や州単位の組織(製靴工・印刷工・硫毛工・大工・手織工)
や地域を越えた組織も出来︑一八三五年フィラデルフィア建築工・機械工は十時間労働を確立するに至った︒(労働者の
(8)勝った稀れな例︒尚︑連邦政府事業については一八四〇年十時間労働とせられた︒)しかしながら︑この運動も結局一八
三七〜四三年の不況期を乗り越え得ずこの期には空想的社会主義運動が盛んになるに至ったのである︒この時代は︑いわ
︑︑(9)ば前史であって︑我々の言う産業関係は︑未だ完全には成立を見なかったのである︒
注(1)松田智雄﹃新編︑近代の史的構造論﹄(ペリカン社︑昭︑四三)ご二頁︒
(2)もっとも逆に考えれば︑ある程度長い準備期間をもち︑且つ︑それだけに堅実な成長を遂げた労働運動は︑イギリスの他︑いずれの国にも見られなかったのであるから︑イギリスの労働運動こそ極めて︑﹁独特﹂な進歩を見せたものと言う事が出来よう︒
事実︑イギリスの産業関係の特色は︑この﹁先行性﹂にあると言ってもよいのである︒イギリスの歴史を基準にした言い方はあくまでも一つの尺度にすぎないのであって︑従って時間的前後は単に︑相対的なものである︒それ故﹁遅れた﹂発展と言う時も
これが何ら価値判断に関するものではない事に注意せねばならない︒﹁先行性﹂は産業関係に就てみても︑それ自身は何ら﹃優秀性﹂ではなく﹁後進性﹂は別に﹁劣等性﹂であると言う事ではな
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これは日本の場合に関しても全く同⁝様である︒
ただ︑歴史の結果からすれば︑この単なる時間的前後が質的差異をもたらすものである事が重要である︒又﹁資本主義発達の諸類型﹂という事が言われる所以もここにある︒
(3)自由な土地があった事が労働者を窮乏から救ったと言うのは︑俗説であり正しくない︒かくの如き例は僅かであった︒唯︑この事実が著しく個人主義的意識を形成し︑従って労使の存立より寧ろ貧富の対立と言う意識を作り出したと言う事が出来る︒
(4)d.ω﹄︒9昌日Φ算︒臨い㊤9﹂窪臥田ω8曼︒協夢Φ﹀ヨ巴︒碧霊9H竃︒︿§Φ・け塾︒︒︒︒.三ρ§Pb.9
(5)切︒げΦ昌,団︒蝕ρ津巴Φd巳︒巳ω日ぎ什冨d巳什巴ω梓四9ρ>b覧Φ8PH㊤b︒ω層暑.︒︒卜︒‑︒︒ω.
(6)d・ω﹄8母け目Φ算o臨冨9さ︒b.簿こbμb︒・
(7)登創̀b・︒︒.(8)高村象平﹃アメリカ資本主義発達史﹄(金星堂︑昭︑二七)九二頁︒
(9)プロレタリアートは完全には成立していなかったとしても労働組合は︑一八二〇〜三〇年代に成立したのであるから︑産業関係がなかったとはいえない︒
勾︹(10)ところで︑アメリカ産業革命の起点は︑一八四三年頃(恐慌回復期)に求められている︒この際︑産業工業に労働力を
(11)供給したものは主に成年男子移民であった︒又︑労働者は移民と自然増加とにその源泉を得たのである︒労働組合は再興
(12)した︒これは︑最早︑一八五七年の恐慌にも負ける事はなかった︒生活費の上昇を止めたが︑再三に南北戦争(一八六一
〜六五)にょって好況(通貨インフレ)が到来したため運動が盛んになった︒(一八五九年迄に石切工・帽子仕上工・機
械工・機関車工等は全国組合を有していた︒五〇年代にはストライキも盛んで団体交渉も試みられた︒南北戦争中︑六三
年北部二〇州で地方組合は八〇あったが︑六四年にはほぼ三〇〇になった︒都市中央組合とそれら相互の統合も行われて
︑︑︑︑︑モ(13)いる︒全国又は国際﹁即ちカナダに支部をもつもの﹂︑組合は六五年に=二あったと言われる)組合の基盤も強くなり︑
石膏・煙草・煉瓦・石工などの組合で今日まで続くものも少数ある︒しかし︑tの時代の組合数・組織率は極めて小さい
︑︑︑︑︑︑(14)ものであって︑しかも大部分の労働者は五〇年代には依然立身出世を望んでいたのである︒又︑これらの組合はもっぱら
該職業特定の労働規約の維持にのみ努め︑団体交渉は一般的でなく斗争態勢を欠いたので︑ストライキは頻々に行われた・が・概ね失敗だったと言われて鳳縛︒.︑