論文
ドイツ経済の強さの秘密を考える
-中欧におけるドイツ生産ネットワークに着目して-
A Consideration of the Secrets of the German Economy’s Strength:
A Focus on the German Production Network in Central Europe
小山 洋司1 KOYAMA Yoji
キーワード: ドイツ生産ネットワーク、中欧、委託加工貿易、外国直接投資、労使関係 Key words: German production network, Central Europe, Outward Processing Traffic, Foreign
Direct Investment, Labor - management relations
1 はじめに
1990年10月に東西ドイツは統一された。東独を吸収したことによる大きな財政的負担により、
1990年代から2000年代初めにかけてドイツは経済的に停滞した。その頃、ドイツは「ヨーロッパの 病人」と呼ばれていた。21世紀に入ってから、ドイツ経済は比較的好調である。2008-09年グロー バル金融危機により、経済は一時的に落ち込んだもののすぐに回復し、いまではEU諸国の中でド イツ経済は圧倒的な強さを誇る。その理由として次のようなものが挙げられる。①歴史的に形成さ れ、受け継がれてきた技術力、②地域経済の発展に地方の銀行が大きな役割を果たしていること、
③国民が共有するインフレの恐怖をバックにドイツ連銀が伝統的にインフレ抑制を最優先する金融 政策をとってきたこと、④共同決定制(後述)で象徴されるような良好な労使関係、⑤中東欧(中 欧+南東欧+バルト三国)、とりわけ中欧と緊密な経済的関係を築いてきたこと、など。なお、中 欧はヴィシェグラード諸国(V 4)2とも呼ばれる。管見では、V 4とドイツ経済との関係はわが国 では十分明らかにされてないように思われる。ドイツの生産ネットワークは、V 4にとどまらず、
バルカンの国々(ルーマニア、ブルガリア、セルビア等)、さらにウクライナをカバーするに至った。
このことは、フランスの歴史人口学者のエマニュエル・トッドの主張を思い起こさせる。彼は、
『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』というセンセーショナルな表題を持つ書物の中で次のように 述べている。「ヨーロッパという空間の中でドイツの経済的スーパーパワーを検討すれば、それが、
半製品の生産拠点をユーロ圏外の東ヨーロッパへと移転するといった利己主義的な経済政策3を手 段として形成されていることが発見されます」(トッド、2016、215頁)。彼の表現はかなり過激だ が、ドイツ経済の強さの秘密を東欧との経済的結びつきに見ている点では、的を射ている。だが、
This paper considers secrets of the German economy’s strength, focusing on the close relationship which Germany constructed with Central Europe after the system change. The paper examines the process by which Germany has deepened its economic relationship with the Visegrad countries from outward processing traffic to foreign direct investment. Offshoring has affected domestic labor - management relations causing weaker workers’ bargaining power and a relative decrease in wage levels. This is one of factors which has contributed to Germany’s higher competitiveness.
この本は、東欧、とくにV 4諸国とドイツの経済的関係についてはそれ以上述べていない。
筆者はドイツ経済の専門家ではなく、中東欧の地域研究の専門家である。本稿では、中東欧研究 者の視点から⑤に着目して、ドイツ経済の強さの秘密を掘り下げて考察するが、その際、④にも言 及する。まず、ドイツとは疎遠な関係にあったV 4諸国が委託加工貿易から始まって外国直接投資
(FDI)へと経済的関係を深めていくプロセスを検討し、オフショアリングが国内の労使関係に及 ぼす影響を検討したうえで、結論を述べる。
2 東欧諸国の体制転換と欧州への回帰
ソ連・東欧諸国は1980年代、経済的停滞に陥った。ソ連ではゴルバチョフ書記長(後に大統領も 兼任)の下で1986年からペレストロイカ(ソ連型社会主義の抜本的改革)が進められた。1988年に ゴルバチョフが東欧への不干渉の立場を表明して以来、東欧では改革の動きが加速し、1989年に相 次いで体制転換が起きた。やがてソ連では経済危機と民族対立が深まり、ペレストロイカは破綻し た。1991年9月にバルト三国が分離、独立し、同年12月にはソ連邦はついに解体された。こうして 独立した国々はそれぞれ独自の資本主義への道を歩むことになった。経済統合の社会主義版であっ たコメコン(正式名称は経済相互援助会議)も機能しなくなり、1991年6月にその存在を停止した。
東欧諸国は社会主義時代、コメコン体制の下で国際分業を行っており、西側の経済とのつながり は弱かった。ポーランドの経済学者マリアン・ゴリニア(ポズナン経済大学教授)は、「ポーラン ドや他の中欧諸国の対OECD諸国輸出は経済的諸要因によって決まるレベルよりもはるかに低く かったのに、対コメコン諸国輸出ははるかに高かった」と証言している(Gorynia, 2002, p.76)。表 1が示すように、たしかに社会主義時代の末期においてもポーランドの貿易相手はコメコン諸国、
とくにソ連に偏っていた。
表1 社会主義時代末期のポーランドの貿易の地理的構成(%)
輸出 輸入
1988年 1989年 1988年 1989年
コメコン諸国 46.5 40.8 47.1 40.2
うちソ連 24.5 21 23.3 18.2
発達した市場経済の国々 43.5 49.3 45.9 52.8
うちEC 28.3 32.2 28.3 33.8
西独 13.1 14.8 13.3 15.8
途上国 9.9 9.9 7 7
出所:SGH(1990), p. 41.
中東欧諸国は貿易の方向転換をし、EUを主要な貿易相手にするようになった。EUの側もすでに
80年代末に東欧を技術的に支援し始めた。1989年7月のアルシュ(フランス)でのG 7サミットは、
改革が始まったばかりのポーランドとハンガリーを支援することを決め、その援助の調整を行う権 限を欧州委員会に与えた。それがPHARE(Pologne, Hongrie, Assistance a la Restructuration Economique の頭文字)プログラムであり、もともと両国の民主主義と市場経済の建設への努力を 強力に支援することを意図していた。このプログラムはまもなく中東欧のポスト社会主義諸国すべ てに適用されるようになった。これにより、EU諸国は中東欧諸国との経済的関係を強め始めた。
1989年はEU(当時はEC)にとってもたいへんな年であった。当時、EUにとって最大の課題は通 貨統合であった。西欧首脳がたびたび会談し、ヨーロッパ建設(当時の文脈では、通貨統合を意味 する)を論じているときに東欧での大きな政治的変化が進行しつつあったのである。同年11月のベ ルリンの壁崩壊とその後の東独でのダイナミックな動きは東西ドイツの統一を予兆するものであっ た。当時のフランス大統領ミッテランは、ドイツの東への漂流(西欧中心の通貨統合に背を向け、
東欧との強い政治的・経済的繋がりの復活を目指すこと)を恐れた。それゆえ、彼はその後、東西 ドイツの統一を認める代わりに、ドイツを新たな通貨圏に組み込むことにこだわったのである4。
ポーランド、ハンガリー、チェコスロヴァキアは1991年12月にECと欧州協定を締結した。これは 一種の連合協定であり、これにより締結国は準加盟国の地位を獲得した。1993年1月にチェコとス ロヴァキアは平和的に分離・独立したので、両国は1993年にあらためてECと欧州協定を締結した。
同年、ブルガリアとルーマニアが、そして1996年にスロヴェニアがEUと欧州協定を締結した。欧州 協定は貿易に関して有利な条件を東欧諸国に提供した。百済(1999)によると、欧州協定は通商政 策の分野だけでなく、政治的・文化的分野に関する条項を含んでいるので、締結相手国ならびに EC/EUの全加盟国による批准を得なければ、正式には発効しないが、貿易の自由化を促進するため
に、EU権限の所轄になる通商政策的な部分は、まずは「暫定協定」として発効した。大事なのは「自
由貿易区」であるが、それは「片務特恵」として設けられたというのである(16-17頁)。すなわち、
EC/EUは速やかに関税、輸入割当その他の制限を除去するが、他方、東欧諸国は段階的に関税率を 引下げ、10年かけて工業製品の自由貿易を目指すというものである。ただし、大部分の農業貿易は 除かれ、鉄鋼、化学製品および繊維のようないわゆる「センシティヴ」な製品は例外とされた。
表2 ヴィシェグラード諸国(V 4) 2018年
国名 面積(㎢) 人口(万人) 1人当たりGDP(ユーロ) 通貨 ポーランド 32.3 3,840 20,900 ズウォーティ
ハンガリー 9.3 978 20,600 フォリント
チェコ 7.9 1,057 26,700 コルナ
スロヴァキア 4.9 543 23,300 ユーロ
出所:Grieveson, Richard, et al. (2018).
表3 ドイツの貿易相手国としてのV 4諸国の地位
国 2003年にお
ける貿易額
(10億ユーロ)
2015年にお ける貿易額
(10億ユーロ)
2003年にお
ける順位 2015年にお
ける順位 増加率 順位の変化 ポーランド 32.2 96.8 12 7 201% 5 チェコ 34.2 75.8 11 11 122% 0 ハンガリー 24.1 45.6 15 14 89% 1 スロヴァキア 12.5 26 21 19 108% 2
ドイツの貿易額 1,194 2,034 70%
出所:Poplawski (2016), p. 20
中東欧諸国は1995年以降、次々にEUに加盟申請を正式に提出した。2004年5月には、地中海の 2つの島国(キプロスとマルタ)、バルト三国、スロヴェニアと並んで、V 4諸国もEUに加盟した。
すでにそれ以前からドイツとV 4諸国との経済的関係はかなり深まっていたが、単一市場に加盟し たことにより、双方の財・サービス貿易には関税がかからなくなった。それ以来、ドイツとV 4諸
国との間の貿易ならびに投資は急速に増加した。
V 4を含む中東欧の新規EU加盟国は個別に見ると、人口と経済の規模は比較的小さい(表2)。
だが、V 4諸国は合計すると、人口は6,418万人で、イタリア(6,105万人)を上回り、フランスの 人口(6,574万)に匹敵する。V 4には別の魅力がある。すなわち、地理的近接性と文化的類似性が あり、現地の労働者は比較的高い技能レベルを持つ5にもかかわらず、ほどほどの生産コストで済 むことである。それゆえ、ドイツ産業からの投資先として第5位の人気を持つ。2003年から2015年 にかけて、ドイツの貿易額は70%増加した。その間V 4諸国との貿易はそれを上回るペースで貿易 は増加し、なかでもポーランドは201%増加し、その順位を12位から7位へと上げたことが注目さ れる(表3)。
3 委託加工貿易
1990年代前半、西欧諸国と東欧諸国の間では通常の貿易に加えて、とくに委託加工貿易6が大き
な役割を果たしてきた。注文の発注者である西側企業が東欧の下請け企業に自分の計画と技術的仕 様に合致する特定の生産物を生産するよう契約を結ぶ。そのため、前者の企業が後者の企業に半製 品を輸出する。後者の企業がそれを加工し、製品または比較的精巧な半製品に仕上げ、西側の発注 企業に輸出(発注者から見ると再輸入)する。
表4 委託加工された製品のV 4諸国からのEU諸国の再輸入の内訳(%)と絶対額 (1億ユーロ)、1996年 ドイツ オーストリア イタリア オランダ デンマーク フランス EU-15 ポーランド 44.9% 0.9% 13.8% 64.3% 94.7% 45.5% 43.3%
ハンガリー 18.6% 68.8% 55.2% 21.4% 2.1% 36.4% 25.6%
チェコ 30.4% 18.8% 6.9% 3.6% 0.5% 9.1% 23.5%
スロヴァキア 6.1% 12.5% 20.7% 10.7% 9.1% 7.6%
V 4諸国 29.6 3.2 2.9 2.8 1.9 1.1 43.4
備考: 元の表ではエキュになっているが、1エキュ=1ユーロの比率に基づき1999年にユーロが 創設されたので、引用者(小山)がユーロに修正した。
出所:Pellegrin (1999), p. 4.
フランスの研究者アンドレフらによると、この種の貿易が発展するためにはいくつかの条件がそ ろっていなければならない。第1に、特恵的な関税である。本国の発注企業からホスト国の下請け 企業へ半製品が輸出され、そこで加工された後に完成品(またはより精巧な半製品)が本国へ再輸 入される過程で、もし普通の輸出入とはまったく区別されずに、税関により二度も(行きと帰りに)
関税をかけられるのであれば、発注企業は委託加工貿易を行うことには意欲がわかないであろう。
再輸入に際して、国境での貿易制限は特恵的貿易待遇により緩和される必要がある。実際、EU諸 国は早くから、それを行ってきた。その目的は、EU加盟国由来の商品への課税を避け、下請けに よって外国で付加された価値にだけ課税することである。ただし、この特恵関税の恩恵に浴するた めには、外国の下請けで加工されるときに生じる付加価値が発注者の最終製品の価値の50%を超え てはならない。第2に、ホスト国での労働コストが十分低くなければならない。とくに多くの人手 を要す産業、たとえば、織物・衣服産業や電気機械の組み立てが委託加工貿易にふさわしい。第3 に、低い輸送費。そのためには、地理的に近く、よいインフラと効率的な輸送網が存在しなければ ならない。第4に、ホスト国の側に、発注者の製品規格に適用可能な生産能力が存在していること、
最低限の政治的安定性があり、半製品の持込と完成品(またより精巧な半製品)の国外への持ち出 しの継続性を保証する能力がなければならない(Andreff, Andreff and Boudier-Bensebaa, 2001, pp.
5 - 9)。
ブーディエ=ベンセバとブレジンスキー(Boudier-Bensebaa and Brezinski, 2001)は次のように説 明している。委託加工貿易は1989年の体制転換よりもかなり前からドイツ企業によって行われてお り、とくに1990年代に急速に増えたが、1998年以後減った。相手国は東欧、とりわけ中欧諸国が中 心であった。業種を見ると、衣服が一番多く、1998年においてドイツの再輸入の50%強を占めてい た。次いで電機製品であったが、しだいにその割合を高め、1997年には24.9%を占めた。自動車組 み立ても次第にその割合を高めた。逆に、皮革・履物セクターはその重要度を低下させ、その割合 は1988年における8.5%から1998年には2.2%へと低下した。光学セクターの割合は小さいが、比較 的安定的であった。
こうして、地域的規模での垂直的分業が促進される。ペルグラン(Pellgrin, 1999)は中東欧の「マ キラドーラ化」と表現した。「マキラドーラ」はもともとメキシコとアメリカとの間で盛んにおこ なわれた委託加工制度のことである。90年代のこうした動きは外国直接投資(FDI)によるよりも、
「契約的非株式的な繋がりを通してEU企業の活動の再配置を促進」したという(p. 3)。
表4からは、次のようなことが分かる。1993年には、EU-15諸国はV 4諸国から委託加工後の製 品を総額43億4000万ユーロ再輸入した。そのうち、最も多かったのはドイツで、29億6000万ユーロ
(68%)も再輸入した。第2位はオーストリアであったが、1桁小さい。ドイツ以外の国々の出遅 れが目立つ。表を縦に見ると、EUの各国がV 4の個別の国々からどんな割合で再輸入したかがわ かる。委託加工貿易ではドイツ、オランダ、デンマーク、フランスはポーランドを最も多く利用し たのに対して、オーストリアとイタリアはハンガリーを最も多く利用していた。オーストリアの場 合、ハンガリーが隣国であり、しかもかつてハプスブルク帝国の傘下にあり、そして1867年から 1918年にかけて二重帝国を一緒に形成したという歴史的な繋がりがいまでも生きているのかもしれ ない。イタリアの場合、ハンガリーとは隣接しないが、北部イタリアの一部がかつてハプスブルク 帝国に属していたことと関係があるかもしれない。
表5 東欧諸国の対EU諸国貿易と委託加工貿易に占める主要貿易相手国の割合(%)
年 ドイツ イタリア フランス 3ヵ国の合計
輸出 輸入 輸出 輸入 輸出 輸入 輸出 輸入
1993 貿易全体 51.0 46.9 15.9 18.0 9.4 10.5 76.3 75.4
委託加工貿易 73.3 73.5 9.3 6.5 5.5 6.4 88.1 86.5
1994 貿易全体 49.5 46.5 17.2 18.4 8.6 9.5 75.1 74.5
委託加工貿易 74.7 72.4 10.0 8.8 4.8 6.1 89.5 87.3
1995 貿易全体 41.1 42.4 14.8 14.6 7.6 8.5 63.5 65.6
委託加工貿易 67.0 65.3 10.1 9.2 5.1 5.7 82.2 80.2
1996 貿易全体 39.2 41.7 15.7 13.3 8.0 9.0 62.9 64.0
委託加工貿易 60.4 60.4 12.1 12.1 5.0 5.7 77.5 78.2
1997 貿易全体 39.0 40.7 14.5 14.3 8.4 8.4 61.9 63.5
委託加工貿易 57.2 59.3 12.7 13.4 5.2 6.6 75.2 79.3
1998 貿易全体 41.1 42.3 13.9 13.8 8.0 7.5 63.0 63.6
委託加工貿易 53.5 54.4 13.3 13.7 5.6 6.1 72.4 74.1 出所:Boudier-Bensebaa and Brezinski (2001), p.38.
業種別に見ると、織物・衣服が委託加工貿易でもっと利用される分野であった。1996年、EU-15 諸国のV 4諸国との委託加工貿易(EU-15から見た再輸入)の総額は43億4000万ユーロであったが、
織物・衣服が29億1000万ユーロで、全体の3分の2(67%)も占めていた。電機が第2位で、総額 5億9000万ユーロで、全体の13.6%を占めていた。次いで、機械と家具がそれぞれ全体の3.7%、履 物が全体の2.5%を占めていた(Pellegrin, 1999, p. 6)。
東欧諸国の対EU貿易においては独伊仏3ヵ国が大きな割合を占めており、1993年にはこれら3 カ国が貿易全体のほぼ4分の3を占めており、委託加工貿易だけ見ても9割近く(輸出の88.1%、
輸入の86.5%)を占めていた(表5)。なかでもドイツの割合は大きく、1993年には東欧諸国の対 EU貿易全体の約50%を、そして委託加工貿易の約73%を占めていた。その後、ドイツの割合は徐々 に低下したものの、その優越的な地位は変わらない。なぜドイツが委託加工貿易において優越的な 地位を占めたのだろうか。まず、ポプラフスキが挙げているように、ドイツとV 4諸国との間の「地 理的近接と文化的類似性」のおかげである。1930年代には、V 4諸国はナチス・ドイツの「広域経 済圏」に組み入れられた(ベレンド・ラーンキ、1978)。ドイツの敗戦とその後のV 4諸国の社会 主義ブロックへの編入により、いったんはドイツ経済との関係は希薄になったが、かつての経済的 繋がりが容易に復活したであろう。
なお、ペルグランは、「マキラドーラ化」がホスト国にもたらす否定的な影響も指摘している。
「マキラドーラは賃金上昇を生産性上昇未満に保ち、他の現地企業との後方連関をほとんどもたら さず」、「低付加価値活動に現地企業を閉じこめていると告発されてきた」(p. 9)というのである。
4 委託加工貿易の過渡的性格
委託加工貿易は1990年代前半には急速に増加したが、1990年代半ばにはその勢いは鈍化し、1998 年には減少し始めた。なかでもドイツの場合、1996年には増加率は3 %台前半になり、1997年以降 委託加工貿易は減り始めた(表6)。
表6 東欧諸国とEU主要貿易相手国との間の貿易全体と委託加工貿易の増加率(%)
EU ドイツ イタリア フランス
輸出 輸入 輸出 輸入 輸出 輸入 輸出 輸入
1994/93 貿易全体 17.5 24.2 14.1 23.1 26.5 27.5 5.8 12.5
委託加工貿易 20.6 22.6 22.8 20.8 29.5 65.5 5.6 5.7
1995/94 貿易全体 40.3 30.5 76.5 19.1 21.1 3.6 26.0 17.3
委託加工貿易 21.2 17.6 8.8 6.0 23.0 22.7 28.8 11.6
1996/95 貿易全体 20.7 6.3 15.3 4.4 27.9 -3.5 26.9 12.2
委託加工貿易 14.5 11.6 3.1 3.3 36.9 46.5 12.0 9.8
1997/96 貿易全体 25.7 19.6 25.0 16.8 15.7 29.2 32.3 11.8
委託加工貿易 4.0 3.1 -1.4 1.1 9.5 14.4 8.0 21.2
1998/97 貿易全体 6.3 8.5 11.9 13.2 2.3 4.9 1.2 -3.2
委託加工貿易 -20.8 -19.3 -26.0 -26.0 -17.2 -17.4 -15.1 -26.3 出所:Boudier-Bensebaa and Brezinski (2001), p.39.
直接投資は1989年の体制転換までは行われなかった。自動車組み立て企業は、人的資本への投資 の必要性に直面したという。東欧の工場では、たんに安価な労働力の利用だけでなく、組織の再編
を担当してもらうために、すでに引退した経営者を募集さえした。つまり、マニュアルに記載でき る形式知だけでは不十分であり、経営者が長年の経験で身につけた暗黙知7を現地に移転すること が必要になったのである。以上のことは、委託加工貿易は、直接投資による生産工程への暗黙知の 注入が必要になる段階の手前にあることを意味している(Boudier-Bensebaa and Brezinski, 2001, p.
46)。
ランベールは、自由貿易協定により関税率の差がなくなるにつれて、1990年代後半には委託加工 貿易はメリットを失い、代わってFDIが優位に立つようになったと述べている(ランベール、
2018)。また、ブーディエ=ベンセバとブレジンスキーは取引費用の問題も重視している。委託加 工貿易を拡大しようとすれば、ホスト国の中でさらに下請け企業を確保しなければならない。ドイ ツの規格に合致するような品質をもつ生産物を期限内に引き渡すことのできるパートナーの探索に は時間がかかった。そのため、取引費用が高くなり、単位労働コストの低さによるメリットを上 回った。たとえば、ザクセン州にある企業は、外国資本が所有し、西欧式に管理される東欧企業と 協力する方を好んだ。数年間、委託加工貿易を実施したある企業は、ホスト国にある企業を買収す るか、企業を設立することを選んだという(Boudier-Bensebaa and Brezinski, 2001, p. 45)。こうして、
委託加工貿易に代わって、外国直接投資が盛んになる。
5 外国直接投資
ドイツ企業によるV 4の個々の国への輸出の構造は類似している。輸出の大半は機械と自動車で ある。輸入も同様である。V 4諸国へのドイツの輸出構造を見ると、いずれも自動車が第1位に来 るが、ハンガリーの場合、その割合が最も高く(56.9%)、次いでスロヴァキア(46.1%)、チェコ
(44.3%)、ポーランド(34.2%)である。半製品が2番目に大きな割合を占めており、スロヴァキ アでは18.3%、チェコでは17.7%、ポーランドでは15.4%、ハンガリーでは15.2%である。輸出のう ち若干の部分は、これらの国々に立地するドイツ企業の工場のための部品であった。こうした部品 を組み立て、完成品の一部はV 4市場で販売されるが、大半は欧州市場で販売される(Poplawski, 2016, pp.25-26)。
東欧諸国へのドイツのFDIは1991年には18億DM(ドイツマルク)であり、1999年には420億DM へと増加した。ポプラフスキ(Poplawski, 2016)によれば、ドイツ企業が中欧に投資する主たる動 機は、現地市場での販売と顧客サービスならびにコスト削減である。
自動車産業の事例 大部分のドイツ企業は西欧での生産を制限し、中欧での生産を増やすことを 決めた。2008-09年のグローバル金融危機以前は、ドイツ国内において生産される自動車の台数が、
外国にあるドイツ系企業の工場で生産される自動車の台数を上回っていた。ところが、2010年以 降、この比率が逆転したという。2013年には540万台がドイツ国内で生産されたのに対して、860万 台が外国(これにはV 4だけでなく、中国なども含まれる)で生産された8。
自動車部品の生産も中欧で行われるようになった。最も多く部品を外国で生産しているのはフォ ルクスワーゲン(79%)であり、次いでアウディ(53%)、ダイムラー(40%)、BMW(36%)であっ た。V 4のほかにスロヴェニアとルーマニアを含める地域で見ると、ドイツ系自動車企業の33工場 が稼働し、年間360万台の自動車を生産している。これは、EU全体の自動車生産の21%に相当する。
生産された自動車の大部分は西欧市場で販売され、わずか約70万台が現地の消費者によって購入さ れたという(Poplowski, 2016, pp. 48-49)。
電機産業の事例 電機産業はドイツ経済においては自動車産業に次いで2番目に重要なセクター である。ドイツの電機企業はV 4に多くの子会社を持っている。これらの会社の多くは中欧におけ る自動車生産のための下請けとして機能している。ドイツの電機企業は、ドイツの自動車企業とは 対照的に、高級な製品の生産は中欧には移転せず、機械の単純な部品の生産のみ移転した
(Poplowski ,2016, pp. 50-51)。
表7 投資国別に見たV 4諸国における対内FDIストック(2007年12月現在、%)
ホスト国
投資国 チェコ ハンガリー ポーランド スロヴァキア 新規加盟国合計 オーストリア 10.7 13.0 3.6 14.2 11.0 ベルギー 3.9 2.4 3.1 0.9 1.7 キプロス 2.3 2.4 1.4 1.4 2.5 デンマーク 0.7 0.8 2.5 1.1 1.8 フィンランド 0.1 0.9 1.1 0.1 1.5
フランス 5.2 5.2 11.2 4.6 6.9
ドイツ 15.7 24.6 15.9 18.9 15.3
ギリシャ 0.0 0.0 0.0 0.0 1.5 ハンガリー 0.3 n.a. 0.2 6.3 0.9 イタリア 0.6 1.7 4.3 5.4 3.0
日本 1.8 1.3 0.9 0.3 0.9
ルクセンブルグ 6.8 5.7 8.2 0.7 5.2
オランダ 30.5 14.2 18.5 26.6 19.2
ノルウェー 0.2 1.5 0.4 0.4 0.7 ロシア 0.1 1.2 0.2 0.0 0.8 スペイン 4.5 1.6 2.9 0.2 2.4 スウェーデン 1.5 1.0 3.9 0.5 3.3 スイス 4.3 1.5 2.4 1.2 3.0 イギリス 1.8 2.6 3.8 3.5 3.0 アメリカ 3.8 4.9 6.6 3.5 4.3 その他の国々 5.2 13.7 8.9 10.4 11.3
EU-15 81.5 73.9 81.4 76.8 81.0
EU-27 87.7 76.6 84.3 91.7 84.3
合計 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0
合計(100万ユーロ) 76,338 59,855 119,707 25,517 389,544 出所:Hunya (2009), p. 41.
サービス分野の事例 サービス分野のオフショアリングについては、先進工業国が人件費の安い 途上国にコール・センターを設けたり、レントゲン写真の画像診断や会計事務を委託する事例がよ く知られている。ドイツを含むEUの先進国もV 4諸国にサービス分野のオフショアリングを行っ ている。『ポーランド競争力レポート2008年版』は、サービスにおけるオフショアリング・プロジェ クトのほとんどがNACE分類のセクションK(不動産、賃貸およびビジネス支援活動)に分類する ことができる、と述べている。2006年には、ポーランドへのFDI流入の3分の1、すなわち約50億 ユーロがセクションKに属する産業に投資された。そのうち約30億ユーロがNACE 3桁分類741グ
ループ(法務、会計、簿記および監査活動)を代表する企業に投資された(SGH, 2008, pp. 259- 260)。
データはやや古いが、ウィーン比較経済研究所のガボール・フーニャ(Hunya, 2009)が作成し た表7を見てみよう。これは、2007年12月現在の投資国別に見たFDIストックをしめしているが、
一番右の欄は、2004年に新規にEUに加盟した10ヵ国の対内FDI合計の中でどの投資国がどれだけ投 資したかをその割合で示している。これを見ると、意外にも、オランダが第1位で19.2%であり、
V 4諸国にもハンガリーを除く3ヵ国ではオランダが第1位の投資国になっている。だが、貿易に 関するいわゆる「ロッテルダム効果」9と同様、FDIにおいてもオランダの投資額が膨らんで見える ような事情があるかもしれない。たとえば、アメリカ企業や日本企業がオランダに置いている子会 社を経由して中東欧諸国に投資しているのかもしれないが、確実なことはわからない。オランダを 別とすれば、V 4諸国に最も多額の投資を行ってきたのはドイツである。次いで、オーストリアが チェコ、ハンガリー、スロヴァキアに多額の投資を行っている。フランスはポーランドに比較的多 く投資を行っているが、イタリアの対EU新規加盟国の投資はわずか3 %で、意外と振るわなかっ た。小国ルクセンブルグが比較的多額の投資(5.2%)を行っているが、多分、金融仲介の分野に 積極的に投資したのではないかと推察される。
表8 活動分野別に見たV 4諸国における対内FDIストック(2007年12月現在、%)
ホスト国
チェコ ハンガリー ポーランド スロヴァキア 新規加盟国 合計 農業、狩猟、林業、漁業 0.2 0.6 0.4 0.2 0.4 鉱業、採石 2.8 0.2 0.2 1.3 1.3
製造業 37.4 35.9 33.5 43.0 33.1
電気、ガス、水道 8.2 4.9 3.0 13.9 5.3 建設業 1.0 0.8 2.0 1.2 1.9 卸売・小売商業、自動車修理等 9.6 14.7 16.3 11.8 13.7 ホテル、レストラン 0.6 0.6 0.5 0.1 0.6 運輸、保管、通信 7.8 7.3 7.3 6.0 7.8
金融仲介 16.4 12.4 19.1 16.0 18.6
不動産、賃貸、ビジネス支援 14.7 19.8 14.9 6.0 15.1 公務行政、国防、社会保障 n.a. n.a. n.a. n.a. 0.0
教育 0.0 n.a. n.a. n.a. 0.0
医療、社会的活動 0.2 n.a. n.a. 0.2 0.0 その他のコミュニティ・社会的サービス 1.1 n.a. n.a. 0.3 1.3 分類不能の活動 n.a. 0.6 n.a. n.a. 0.4 不動産の民間の購入と販売 n.a. 2.2 n.a. n.a. 0.4
合計 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0
合計(100万ユーロ) 76,338 59,855 119,707 25,517 389,545 出所:Hunya (2009), p. 43.
分野別に見たV 4諸国における対内FDIストック(表8)を見ると、最も多かったのは製造業で ある。次いで多かったのは、国によって少し異なるが、金融仲介、不動産・賃貸・ビジネス支援、
卸売・小売商業である。それらの次に電気・ガス・水道が来るが、スロヴァキアでは卸売・小売商
業・自動車修理等が比較的大きな割合を占めていた。
2004-12年の時期に、ドイツからV 4諸国へのFDIの額は360億ユーロから770億ユーロへと倍増し
た。国別にみると、チェコが最も多く投資を誘致した。ポーランドがそれに続き、ハンガリーが第 3位、スロヴァキアは第4位である。1人当たりでみると、ハンガリーとスロヴァキアが最も多く、
ポーランドは両国のわずか3分の1にすぎない。しかし、ポーランドへの投資の伸びは著しく、
2002-12年の時期に、ポーランドへのFDIの累積の増加率は160%で、次いで、スロヴァキア(129%)、
チェコ(111%)、ハンガリー(32%)となる(Poplawski, 2016, p. 33)。
6 ドイツ生産ネットワーク
汎欧州生産ネットワークの中でもドイツのウェートは大きい。ドイツ生産ネットワークを取り出 して考えることも大事であろう。ドゥストマンらの研究によると、製造業における付加価値は最終 製品の価値のおおよそ3分の1にすぎない。付加価値の残りは国内の他のセクターからのインプッ ト(投入物)と輸入されたインプット(投入物)である。国内産業のインプットと比べて、外国か らのインプットの使用が増えてきた。ドイツは他の国よりもはるかに多く、外国、とりわけ東欧諸 国から輸入されるインプットを用いた。2000年の数字であるが、V 4から輸入したインプットはイ タリアの場合、対GDP比で2.5%、フランスの場合1.9%であったのに対して、ドイツの場合約8.5%
であった。このことがドイツの競争力向上に寄与した(Dustmann, 2014, p.176)。
ポプラフスキによると、中欧はドイツの中小企業にとって投資するのに魅力的な場所になった。
また、自動車または機械のような、ヨーロッパ市場向けのかさばる財は、輸送コストを考えると、
アジアで生産する価値はなかった。そこでドイツ企業は2009年以来、中欧に投資し、生産能力の増 強を行った(Poplawski, 2016, p. 11)。さらに、ポプラフスキは、V 4に対して行われた結束基金10か らの投資の最大の受益者であったのはドイツだと言う。資金の重要な部分はインフラ整備に使わ れ、ドイツと中東欧の物品の輸送をたやすくした。良好な交通網を必要としていたドイツ自動車業 界にとって、決定的なことであったという。
ポプラフスキは次のように言う。「ドイツの輸出企業のサプライヤーとしてのV 4諸国の役割は 近年大いに高まった」(Poplawski, 2016, p. 19)。「中欧はドイツ製品の工場になった」(p. 10)とい うのである。ドイツをはじめとする西欧先進国からのFDIを受け入れ、中欧は経済発展を遂げたが、
手放しで喜んでいるわけにはいかない。ポプラフスキは、中欧にとっての問題も指摘している。ド イツ企業のブランド名で中欧から製品を販売することは、自分自身の強力で、グローバル規模で認 識できるブランドを生み出すことには役立たないのである。V 4諸国におけるR&D支出の対GDP比 はまだ低い。ブランド力など「非価格競争力」を強める必要がある11。その努力がなければ、「中 所得国の罠」に陥る危険性が残る。
7 生産のオフショアリングが国内の労使関係に及ぼす影響
生産のオフショアリングが近隣諸国に対して行われるという新たな可能性がドイツ国内の労働者 と経営者の力関係を変化させ、多くの場合、労働者の賃金の引下げにつながった。多くの論者(た とえば、Poplawski, 2016;相沢、2018)が論じているように、筆者(小山・富山、2018)も社会民 主党のシュレーダー政権のときに実施されたハルツ改革(2002~2005年)の影響を指摘した。それ は労働市場を柔軟化(不正規労働者の割合の引上げ、失業手当支給期間の短縮、等を含む)するこ
とにより単位労働コストを引下げ、競争力強化をめざしたものである。不利な内容であるが、労働 者の代表は、自分たちが譲歩しなければならないことがわかっており、「雇用の弾力化を進める法 律への反対は腰砕けとなり」(ランベール、2018)、その結果、賃金が低下したのである。
しかし、ドイツの工業の国際競争力強化には、ハルツ改革よりも別の要因が寄与したと主張する 研究者もいる。たとえば、ドゥストマンらは、それ以前に、1995年以後、ドイツでは実際、組合組 織率の低下があり、賃金設定が分権化されたことを重視している(Dustmann, et al, 2014, p. 178)。
これを説明するためには、やや横道にそれるが、共同決定制とは何かを説明しておく必要がある。
これの源はワイマール共和国時代の経営協議会法にさかのぼる。ナチス時代に廃止されたこの法 律は、第二次世界大戦後アメリカ占領地区とフランス占領地区において州経営協議会法という形で 復活した。そしてドイツ連邦共和国(西独)成立後、1951年にモンタン産業(鉄鋼業と石炭業の総 称)において共同決定制が認められた。企業には本来の執行機関である取締役会が存在するが、そ れと並んで重要な役割を果たすのが監査役会である。日本の企業にももちろん監査役会が存在す る。それは形式的には株主総会で選出されることになっているが、実質的には代表取締役社長に よって指名されており、取締役会に従属し、大きな役割を果たしていない12。それに対して、西独
(そして現在のドイツでも)では、監督機関である監査役会は労使同数の監査役からなり、それの 選出に際しては被用者代表の労働組合が提案権を持つ。したがって、被用者代表の同意が得られな ければ、監査役会の決定ができないという意味で、企業の意思決定においては労使双方による共同 決定が行われるのである。さらに、労務担当取締役を被用者代表監査役が選ぶようになった。以上 のような企業レベルでの監査役会の共同決定と並んで、事業所には労使交渉機関である経営協議会 があり、ここで職場レベルの共同決定がおこなわれる。このように、企業レベルの共同決定と職場 レベルの共同決定の両者が相互補完的な役割を果たしている。
山崎(2009、41頁)によると、アメリカは、敗戦国ドイツにおいてアメリカ的経営の普及や賃金 決定の分権化を意図していた。アメリカ的経営は徐々に受け入れられたにもかかわらず、ドイツ独 特の共同決定制が設けられたことには当時の西独の事情が反映していた13。それはまだ戦後間もな い時期で、米英仏3カ国による統治から独立(ドイツ連邦共和国=西独の成立)に移行する頃であっ た。労働運動は非常に活発で、労働組合は基幹産業の社会化と計画経済を要求していた(久本、
1986、79頁)。経営者側も労働者の支持を取り付ける必要があった。共同決定制は、「社会化への強 い要求に対する妥協の産物」(山崎、2009、51頁)であった。モンタン産業以外の分野では、被用 者側にはそれほど大きな発言力は与えられなかった。1952年経営組織法では、監査役会の構成メン バーの3分の1の労働側代表の参加が認められたにすぎず、また労働側の労務担当取締役が存在し ないので、労働側の影響力行使には限界があった。こういう限界を克服したのが1976年共同決定法 である。この法律は、モンタン産業以外の企業に監査役レベルの労使対等の共同決定の拡大をは かったものであった。労働側の監査役と取締役会との事前協議がたびたび行われ、監査役会の決定 は満場一致でなされるのが通例であった。「経営協議会は、その独自のイニシャティヴを発揮する というよりもむしろ、経営者と労働者との間の一種の緩衝地帯としての協調機関としての機能を果 たした」(山崎、2009、64頁)のである。こうして意思形成の複雑性は増大したが、プロセスの透 明性は高まった。
法定の最低賃金が2015年1月1日に導入された(Herzog-Stein, 2018, p. 2)。それまでは、ドゥス トマンら(Dustmann, et al, 2014)によると、賃金交渉の自治という原則がドイツ憲法によって規定 されており、交渉は政府が直接に影響を及ぼすことなく行われることになっていた。だから、法定 最低賃金を持たなかった。むしろ最低賃金は産業レベルと地域レベルで労働組合と経営者協会との
間の定期的な交渉により決められていた。ドゥストマンらは、この労使関係モデルは非常にうまく いったと述べている。というのは、組合との交渉や意志決定プロセスへの経営評議会の参加は、共 通利益の促進と生産性向上に大きな役割を果たしてからである。また、ストライキ等で失われた労 働日の少なさが示すように、労使間の交渉には対決色がないという。
ドイツでは、労働組合と経営者協会との間の契約的協定は地域-産業レベルか企業レベルのいず れかで交渉される。賃金だけでなく労働時間規制も交渉の重要な構成要素だという。労働組合の契 約は、関連するセクターの賃金交渉契約を承認する企業における労働者をカバーする。また、組合 の契約を一度承認した企業は後で自分自身の裁量で離脱することができる。産業レベルで交渉され た組合賃金契約の内部でさえも、もし労働者の代表が同意するならば、企業レベルで賃金を変更す る余地がある。それは、「Opening」(または「hardship」)条項と呼ばれるものである。Opening条項 は当初、労働時間に焦点を当てていたが、後にそれは賃金も対象とするようになった。もともとこ の条項は企業が経済的困難(hardship)に陥ったときに一時的にのみ破産を避けるためのものであっ たが、後に競争力を保証するためにも実施された。Opening条項を用いる企業は、賃金と労働時間 に関する細部を経営評議会と交渉する。団体協定をもつ企業全体の75%はOpening条項を用いてい る(p.181)。
かつては産業レベルの団体交渉により、賃金が設定されていた。経営者協会、労働組合、および 経営評議会の合意によって産業全域の賃金レベルが設定されていた。ところが、賃金設定の分権化 が進められた。制度的な仕組みは基本的には不変だが、それが作動されるやり方が変化したのであ る。まず労働組合の協定によってカバーされる労働者の割合が激減した。そして、かつては産業レ ベルで賃金設定されていたのであるが、1990年代初め以来、雇い主[経営者]側は、より企業特有 の規制を要求し、その圧力の下で、個別の企業レベルの交渉で賃金が決まるようになった。この低 下は、産業全域にわたる協定が減少したことにより、賃金が低下したのである。1995年から2008年 にかけて、産業全域にわたる協定によってカバーされる労働者の割合は75%から56%へと低下し、
他方、企業レベルの協定によってカバーされる労働者の割合は10.5%から9%へと低下した。逆に、
協約によってカバーされなかった労働者の割合を見ると、1995年から1997年にかけて貿易財のサー ビス分野において最も高く(22%)、貿易財の製造業分野では9.8%、非貿易財分野では12%であった。
2006年ないし2007年までに、組合非加盟の比率は3つの分野すべてにおいて著しく高まり、貿易財
サービス、製造業、非貿易財においてそれぞれ40%、27%、32%であった。2010年には、製造業セ クター、鉱業セクターおよびサービス・セクターにおける従業員10名以上の企業では全従業員の 41%は団体賃金協約によってカバーされてなかった(Dustmann, et al, 2014, p. 178)。
以上まとめると、1990年代後半以来の労働組合の組織率低下と賃金設定の分権化、そしてそれら の延長線上にある2002~2005年のハルツ改革が賃金水準の相対的な低下をもたらし、そのことがド イツの国際競争力の向上の一因となったと言えるだろう。
8 結論
第1に、委託加工貿易により、ドイツはV 4諸国の魅力(地理的近接性と文化的類似性に加えて、
賃金が低いにもかかわらず、技術的レベルと教育レベルが比較的高いこと)を活用した。それは、
体制転換後、「ヨーロッパへの復帰」と経済再建を目指すV 4諸国の利益に適うことであった。
1990年代後半、委託加工貿易に代わって、FDIが主要な協力形態となった。
第2に、生産のオフショアリングはドイツ国内の労使関係にも影響を与えた。生産を国外に移す
可能性を持つことにより、経営者側の立場が強くなったこと、そして賃金設定の分権化、労働組合 の組織率の低下は賃金の相対的な低下をもたらした。このことがドイツの国際競争力向上の一因と なった。
第3に、欧州統合は「冷戦後の経済的巨人のドイツを飼いならすことを意図したプロジェクト」
(Handl, 2018)であった。1989年から90年にかけて中東欧では社会主義が破綻し、新しい政権は「欧 州への回帰」と資本主義復活の道を目指した。フランスが東西ドイツの統一を容認し、そしてその 後単一通貨ユーロの導入に本腰を入れたのは、ドイツが東へ漂流するのを阻止してヨーロッパの枠 内にとどめるためであった。にもかかわらず、結果的には、ドイツが覇者になった14のは、ハンド ル(Handl, 2018)が言うように、歴史のパラドックスであるといえるかもしれない。
参考文献
[日本語文献]
相沢幸悦(2018)『ドイツはEUを支配するのか-現代の"帝国"が勧める欧州統一への道』、ミネルヴァ書房。
岩井克人(2005)『会社はだれのものか』平凡社。
小山洋司(2010)「資料紹介:ポーランド競争力レポート2008年版」『ロシア・ユーラシア経済-研究と資料-』No.
930。
小山洋司・冨山栄子(2007)『東欧の経済とビジネス』創成社。
小山洋司・富山栄子(2018)「ユーロ圏の諸問題-『真の経済・通貨同盟』の議論と関連して-」『事業創造大学院大 学』第9巻第1号。
久本憲夫(1986)「西ドイツ共同決定制の形成」『経済論叢』第138巻、第5・6号、298-315号。
細矢浩志(2012)「欧州自動車産業の生産ネットワークの形成と進化」『産業学会研究年報』第27号、111-124頁。
田中素香・長部重康・久保弘正・岩田健治(2014)『現代ヨーロッパ経済(第4版)』、有非閣。
トッド、エマニュエル/堀茂樹訳(2015)『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる-日本人への警告』、文春新書 ベレンド、I. T、ラーンキ、G./南塚信吾監訳(1978)『東欧経済史』中央大学出版部。
百済勇(1999)『EUの「東方拡大」とドイツ経済圏-ドイツの東方拡大"シナリオ"を中心に-』日本評論社。
山崎敏夫(2009)「ドイツの労使共同決定制度とその現実的機能」『同志社商学』第60巻、第5・6号。
山崎敏夫(2013)『現代のドイツ企業-そのグローバル地域化と経営特質-』森山書店。
ランベール、ピエール(2018)「経済版『神聖ドイツ帝国』-中欧近隣諸国へのオフショアリング、『ル・モンド・ディ プロマティーク日本語版』 www.diplo.jp/articles18/180501 Saintallemand.html 2018年6月5日アクセス。
[英語文献]
Amsden, Alice H., Jacek Kochanowicz and Lance Taylor (1994), The Market Meets Its Match: Restructuring the Economies of Eastern Europe, Cambridge (USA) and London: Harvard University Press.
Bozo, Frederic (2009), Mitterrand, the End of the Cold War, and German Unification, NY and Oxford: Berghahn Books.
Dustmann, Christian, Bernd Fitzenberger, Uta Schoenberg, and Alexandra Spitz-Oener (2014), From Sick Man of Europe to Economic Superstar: Germany’s Resurgent Economy, Journal of Economic Perspectives, Vol. 28, No. 1, pp. 167-188.
Gorynia, Marian (2002), Internationalization of a Post-Communist Economy – Opportunities and Threats: The Case of Poland, in Marin A. Marinov (ed.), Internationalization in Central and Eastern Europe, Aldershot (UK): Ashgate.
Greiveson, Richard, Vasily Astrov, Isilda Mara, Robert Stehrer and Roman Stoellinger (2018), Riding the Global Growth Wave:
Forecast Report, Vienna Institute for International Economic Studies (wiiw).
Handl, Vladimir (2018), The Visegrad Four and German hegemony in the euro zone, Visegrad Fund. www.visegradexperts.eu 2018年6月5日アクセス
Herzog-Stein, Alexander, Camille Logeay, Patrick Nuess, Ulrike Stein and Rudolf Zwiener (2018), The Positive Economic Impact of Germany’s Statutory Minimum Wage – an Econometric Analysis, IMK Report 141e, September 2018, Duesseldorf:IMK (Macroeconomic Policy Institute).
Hunya, Gabor (2009), FDI in the CEECs under the Imapact of the Global Crisis: Sharp Declines, wiiw Database on Foreign Direct Investment in Central, East and Southeast Europe, Vienna Institute for International Economic Studies (wiiw). Mejstrik, Michal (2016), Czech Republic – the Present Situation of the Prospective Eurozone Member, in Koyama, Yoji (ed.)
(2016), The Eurozone Enlargement: Prospect of New EU Member States for the Euro Adoption, NY: Nova Science.
Poplawski, Konrad (2016), The Role of Central Europe in the German Economy: Political Consequences, OSW Report, Warsaw:
OSW (Centre for Eastern Studies) im. Marka Karpia.
Pellegrin, Julie (1999), German Production Networks in Central, Eastern Europe: Between Dependency and Globalisation, WZB Discussion Paper, No. FSI 99-304, Berlin: Wissenschaftszentrum Berlin fur Sozialforschung (WZB).
Available at http://hdl.handle.net/10419/44113
World Economy Research Institute at Main School of Economics [SGH](1990), Poland: International Economic Report 1989/90.
World Economy Research Institute at Warsaw School of Economics [SGH](2008), Poland Competitiveness Report 2008.(こ れの要旨は、小山洋司(2010)で読むことができる)
[フランス語文献]
Andreff, Madeleine, Wladimir Andreff and Fabienne Boudier-Bensebaa (2001), Sous-Traitance International de Facçonnage et Trafic de Perfectionnement Passif entre Les Pays de L’Union Europeene et de L’Europe de L’Est, Revue d’ etudes comparatives Est-Ouest, 2001, vol. 32, No. 2, pp. 5 -34. http://www.persee.fr/doc/receo_0338-0599_2001_
num_32_ 2 _3084 2018年6月18日アクセス。
Bourdier-Bensebaa, Fabienne and H. Brezingski (2001), La sous-traitance de faconnage entre l’Allemagne et les pays est- européens, Reveue d’études comparatives Est-Ouest, 2001, vol. 32, No.2, pp. 35-50. https://www.researchgate.net/
publication/272466420 2018年6月18日、アクセス。
謝 辞
筆者は、『ル・モンド・ディプロマティーク日本語版』に掲載されたランベール論文およびそれ の巻末で挙げられた参考文献を読み、本稿の着想を得た。ランベール論文については、児嶋俊郎氏
(長岡大学教授)から2018年6月に教えていただいた。残念ながら、児嶋氏は同年8月に急逝した。
彼に感謝するとともに、ご冥福を祈りたい。また、原稿を読み、有益なコメントをしてくれた青木 國彦氏(東北大学名誉教授)、冨山栄子氏(事業創造大学院大学教授)、権五景氏(長岡大学教授)
に感謝したい。
注
1 新潟大学名誉教授
2 中欧の3ヵ国、ポーランド、チェコスロヴァキア、ハンガリーは、体制転換後の1991年2月にそれぞれの首脳が ハンガリーの地方都市ヴィシェグラードで会合をもち、EU(当時はEC)加盟を目指して協力することを申し合 わせたので、ヴィシェグラード諸国と呼ばれるようになった。1993年1月にチェコとスロヴァキアは平和的に分 離・独立することになったので、ヴィシェグラード諸国はポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーの4ヵ 国で構成される。
3 「利己主義的な経済政策」は、トッドにあっては、自国の労働者を犠牲にしてより低賃金の東欧諸国へ生産拠点 を移すことを意味する。この表現に、彼の左翼的で、反グローバリズムの立場が反映されている。
4 東西ドイツの統一と通貨統合との関連については、フランスの政治学者フレデリック・ボゾの著書(Bozo, 2009)
第 ₃ 章を参照。
5 1990年代初頭の東欧の市場経済移行の実情を調査したアリス・アムスデンら(Amsden, et al, 1994)は、「東欧の 技能基盤は移行が始まった時点ではその潜在的な資産の一つであった。教育指標では、東欧とソ連は、工業国の 下に位置したが、途上国のレベルを優に上回った」と述べている(p. 7)。
6 この関係については、論者によりさまざまな表現が用いられている。英語文献(Pellgrin, 1999)では「対外加工 貿易」(Outward Processing Traffic; OPT)、フランス語文献(Boudier-Bensebaa et Brezinski, 2001; Andreff, Andreff and Boudier-Bensebaa, 2001)では「受け身の仕上げ貿易」(Trafic de Perfectionnement Passif; TPP)という表現が用 いられている。
7 暗黙知と形式知については、小山・冨山(2007)、145頁と165-166頁を参照されたい。
8 欧州自動車産業の生産ネットワークについては、細矢(2012)が詳しい。
9 オランダのロッテルダム港を経由してドイツが輸出する財と輸入する財がオランダによる貿易とカウントされる こと。Poplawski (2016), p. 21.
10 結束基金とは、1人当たりGNI(国民総所得)がEU平均の90%に満たない加盟国にEU財政から運輸ネットワー ク建設資金を拠出するものである(田中素香ほか、2014、248頁)。
11 チェコの経済学者ミハル・メイストジクは、自国の将来についてそれほど楽観的ではない。賃金と単位労働コス トが上昇しつつあり、それはヨーロッパ市場におけるこの国の価格競争力と比較優位の低下をもたらしていると いう。彼は、非価格競争力を選び出し、政府が策定した国際競争戦略の重要性を強調している(Mejstrik, 2016, pp. 105-109)。
12 この点については、岩井克人(2005)を参照されたい。
13 戦後のドイツの企業経営については、山崎(2013)が参考になる。
14 相沢(2018、210頁)も同様に、「ユーロ導入というのは、けっして、ドイツが主導したものではないものの、結 果として、ドイツのヨーロッパの経済支配が政治『支配』に深化する突破口となるものであった」と述べている。