自閉症スペクトラム障害児と母親の 不安に対する支援
渡邊 喜久枝*・東條 吉邦**
(2013 年 11 月 26 日受理)
A Study of Support for the Anxiety of Mothers and Children with Autism Spectrum Disorder
Kikue WATANABE * and Yosikuni TOJO**
(Received November 26, 2013)
Ⅰ.はじめに
自閉症スペクトラム障害(Autism Spectrum Disorder:ASD)は,自閉症と並んで,自閉症の 亜型であるアスペルガー障害,非定型自閉症などを同じ連続線上に位置づける概念で,DSM- Ⅳ -TR 体系の診断概念の広汎性発達障害(Pervasive Developmental Disorders:PDD)とほぼ同義 である。自閉症の臨床像は,「対人的相互反応における質的障害」,「コミュニケーションの質的障害」,
「行動・興味・活動の限局された反復的・常同的な様式」の三主徴の他に感覚過敏や多動,不器用,
アンバランスな知能など広汎に及んでおり,臨床像は個人差が大きく,また個人内でも発達ととも に変化すると述べられている(神尾,2010)。
これまでの研究論文等においては,自閉症スペクトラム障害の出現率は子ども 100 人に1人程度 とされ,このうちの約2割程度が知的障害を伴うと推定される。寺山・東條(2002)は,平成 12 年 5 月現在,義務教育年齢の児童生徒のうち,全国で約2万人の自閉症スペクトラム障害の児童生 徒が,特殊教育の場(養護学校と特殊学級)で教育を受けていると推定している。我が国の義務教 育段階の児童生徒のうち,盲・聾・養護学校(現在は,特別支援学校)及び特殊学級(現在は,特 別支援学級)に在籍している児童生徒は,平成 12 年5月現在,全国で 122,113 人(全児童生徒の 1.1%)
である。知的障害を伴う自閉症スペクトラム障害の児童生徒の推定人数(全国で約2万人)は,視 覚障害,聴覚障害,病弱・虚弱の人数と比べると,はるかに多く,肢体不自由よりもやや多い人数 となっている。こうした人数から見ても,養護学校における知的障害を伴う自閉症スペクトラム障
茨 城 大 学 大 学 院 教 育 学 研 究 科( 〒310-8512水 戸 市 文 京2-1-1; Graduate School of Education, Ibaraki University, Mito 310-8512 Japan).
茨城大学教育学部 (〒310-8512 水戸市文京2-1-1; College of Education, Ibaraki University, Mito 310-8512 Japan).
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害の児童生徒の教育の在り方については,制度面も含めて見直していくことが必要と考えられる。
知的障害を伴わない自閉症スペクトラム障害の児童生徒の出現率を推定するには,かなり難 しい側面がある。アスペルガー症候群の場合,DSM- Ⅳ -TR の診断基準(American Psychiatric Association,2000)では,「社会的,職業的,または他の重要な領域における機能の臨床的に著し い障害を引き起こしている」という基準を満たさない限り,障害とは診断されない。つまり,本人 に著しい困難や不都合の自覚がなかったり,支障や困難を感じていたとしても,そのことを周囲の 人々に理解できるような表現で訴えない限り,障害とは認知されず,周囲の人々からは「変わった 子」,「困った子」と思われ,性格や躾の問題とされてしまい,発達の問題としては認知されにくく,
適切な援助を受けにくいのが実態である ( 東條,2002)。
歴史的に見ると,自閉症の原因が親,特に母親の子育てとの関連で論じられてきたことがあった が,現在では,自閉症は,その基盤に脳機能の問題の存在が強く推定される発達障害として位置づ けられていて,その原因を親の子育てに求めることは否定されている ( 夏堀,2001)。しかし,自閉 症の生物学的基盤はいまだ解明されておらず,障害の根本的治療法があるわけではない。従って,
自閉症児を育てる家族は長期にわたって子どもをケアする必要があり,常に多くの不安やストレス を受けている。従って,このような保護者が精神的・情緒的な安定を図ることができるように,支 援していくことは重要なことであると考える。
Ⅱ.不安に関する定義と先行研究
1.不安の定義
不安は,人間存在の本質ともいわれ,フロイトの精神分析理論でも中心的な位置を占めており,
病的な不安はかつて「神経症」と呼ばれていた(坂野ほか,2006)。しかし,近年,研究がすすむ につれて,神経症は別々のメカニズムをもった雑多な障害の集まりであることがわかってきた。神 経症の名称は使われなくなり,「不安障害」という名称が使われるようになった。不安障害には,
恐怖症,パニック障害,全般性不安障害,強迫性障害,外傷後ストレス障害(PTSD)や急性スト レス障害が含まれる(坂野ほか,2006)。
石川ほか(2003)は,子どもの不安障害のなかで,近年,日本において不安障害という言葉を耳 にするようになったが,それらはあくまで,成人のクライエントの問題を指していることがほとん どである。欧米諸国では,児童の不安障害は有病率の高い問題として取り上げられているにもかか わらず,日本においては現象の記述に終始している報告が多くみられる。成人を中心に発展した理 論が子どもにも適応できるかは,実証的に検討しなければならない課題である。
2.児童の不安障害について
児童の不安障害の診断基準に関して, DSM- Ⅳ -TR においては,基本的に成人の診断基準がその まま使用されているが,実際には成人とは異なる特徴を持つと考えられる。アメリカ児童青年精 神医学会(AACAP, 1997)は,①全般性不安障害(過剰不安障害),②社会恐怖,③分離不安障 害,④パニック障害,⑤特定の恐怖症,⑥強迫性障害,⑦外傷性ストレス障害(PTSD)を児童の
不安障害として取り上げている。また,児童の場合,それぞれの不安障害ごとに症状を捉えるとい う考え方とともに,不安障害全体として問題を捉える必要もある。なぜならば,児童の場合,不安 症状の合併,併発の問題を考慮せざるをえないからである(Kendall, et al., 2000 ; Schniering, et al., 2000)。
Schniering, et al.(2000)は,レビューの中で,特に分離不安障害,社会恐怖,全般性不安障害(過 剰不安障害)の3つは鑑別することが困難であると指摘している。児童期においては,分離不安障 害,全般性不安障害といった障害は有病率が高くなっている。DSM- Ⅳ -TR における分離不安障害 の説明によれば,分離不安障害の基本的特徴は家や愛着をもつ人物からの分離に対する過剰な不安 である。この障害を持つ者は,家庭または愛着をもっている重要人物からの分離に際して過剰な苦 痛を反復経験するかもしれないこと,またこの障害をもつ子どもは,家またはその慣れた場所から 離れて一人で出かける際に不安になったり,家に一人でいることができなかったりするかもしれな いとしている。また就寝時に問題があり,自分が眠りにつくまで誰かが側にいるようにと主張する ことがある。分離不安は,「広汎性発達障害,統合失調症,または他の精神病性障害」に関連する 特徴でもあると示されている。
3.自閉症児の不安に関する先行研究
不安に関する先行研究の多くは,成人を中心として検討が行われている。しかし,若年層を対象 とした不安障害の先行研究や自閉症児を対象とした先行研究は少ない。不安障害は,欧米諸国では 有病率の高い問題として取り上げられているにもかかわらず,日本においては現象の記述に終始し ている報告が多い。
発達障害児の不安障害に関しては,川端ほか (2011),杉山 (1994)などの報告があり,幼児期・
児童期の不安傾向に関する研究は,西澤(2010, 2011),石川ほか(2003),石川・坂野(2005)な どいくつかの報告があるが,本稿では,川端ほか(2011),石川・坂野(2005)の研究の概要を以 下に述べる。
川端ほか(2011)は,広汎性発達障害児は不安に関する問題を有していると述べている。なかで もアスペルガー障害や高機能自閉症の子どもたちは,知的な問題が顕在化しにくいことから周囲に 気づかれず,特別な支援がないまま見過ごされていることが多いことが示されている。就学後に集 団活動や対人関係での不適応など様々な問題を呈して,初めてその障害の存在が認識されることも 珍しくない。広汎性発達障害児は,社会性の障害を中核に抱えているため,集団内で不適応を起こ しやすい。その結果,失敗体験や罰刺激が増加し,学習への動機づけの低下や反社会的行動の増加 もしくは過度に抑制的になるなど,二次障害として様々な症状や問題行動を呈しやすいと言われて いる。また,広汎性発達障害児は不安に関連する問題が多く,有病率調査では 11 ~ 84%の子ども に不安障害の併発が認められており,それらにより社会的機能がさらに障害されている可能性があ るとされている。
石川・坂野(2005)は,「不安障害の臨床心理学」のなかで,児童の不安障害は,前述したように,
日本においては現象の記述に終始している報告が多く,実証に基づく臨床心理の立場に立つ児童の 不安障害に関する研究は皆無であると述べている。
この原因として不安症状を示す児童の行動的な特徴が関連している可能性がある。欧米の先行研
究では,不安症状を示す児童の行動的特徴として,教師や親から見て「望ましい行動」と「引っ込 み思案行動」の2つが挙げられている。(Muris, et al., 1999 ; 2001)引っ込み思案行動は欧米では問 題になるが,日本では問題となることは少ない。つまり,これらの2つの行動を示す児童は日本で は問題視されない可能性が高い。このことが不安症状を持つ児童が見逃されてきた原因のひとつで はないだろうかと述べている。また,児童の場合,自分の心理的な問題について自ら訴えることは あまりなく,親や教師がその子の問題に気づくか否かといった点が問題の早期発見に重要な役割を 果たすと述べ,不安症状を示す児童を発見することの難しさを指摘している(石川・坂野,2005)。
アスペルガー症候群などの知的障害のない自閉症スペクトラム障害児の場合,一層この傾向が強 まる可能性があると考えられる。
Ⅲ.自閉症児の親の不安とストレスに関する先行研究
不安とストレスの関係について,不安は,ストレス関連障害の発症・維持・増悪に密接に関与し ているとされている。熊野ほか(2000)によれば,身体症状を主訴としてプライマリケアを受診し た患者の約4割は何らかの不安の問題を抱えていることが明らかにされている。ストレス関連障害 には,循環器系の疾患,消化器系の疾患,呼吸器系の疾患,内分泌・代謝系の疾患,認知・行動系 の疾患などさまざまな病態が存在するため,不安とストレス関連障害との関連を一義的に述べるこ とは難しいとされている。
坂野(1995)によれば,Spielberger(1979)は,ストレスを「ストレッサー」,「脅威の知覚」,「不 安状態」という3つの要素からなる心理生物学的なプロセスであると定義している。ストレッサー とは,身体的あるいは心理的危険性を持つ状況や刺激を指している。また,不安状態とは,脅威を 知覚した結果生じる主観的な緊張,気がかり,神経質,心配や自立神経の興奮による情緒反応を指 している。何かのストレッサーが与えられ,同時にそれが個人にとって脅威であると知覚され,不 安状態が生じたとき,このようなプロセス全体をストレスと呼ぶと述べている(坂野,1995)。
自閉症児を育てる親の不安とストレスに関する研究は,これまでも数多く行われてきている。母 親のストレス構造に関しては,小椋ほか(1980),橋本(1980),中塚(1985),植村・新美(1985),
丹羽(1991),北川(1995),田中(1996),渡部ほか(2002),湯沢ほか(2007)などの報告がある。
また,母親の障害受容に関しては,渡辺(1982),田中・丹羽(1990),中田(1995),夏堀(2001),
松永・廣間(2010),前盛・岡本(2007),前田ほか(2009),山根(2010)などの報告がある。
1.自閉症児と精神遅滞児の親のストレスの特徴
植村・新美 (1985) は,自閉症児の母親が受けるストレスと精神遅滞児の母親が受けるストレスの 違いを述べている。精神遅滞児の母親は,家庭の内・外の人間関係から生ずるストレスに関しては,
子どもの年齢が移り変わることでの変化は見られない。このような人間関係から生ずるストレスは,
子どもの障害に要因があるというより母親の個人差が要因である可能性も考えられる。また,その 後のストレスも,小学校,中学校への入学の前に規則的に変化が見られるとともに,ストレスの量 自体も自閉症児の母親に比べて相対的に低いという特徴がある。これに対して,自閉症児の母親は,
ほとんどすべての尺度にわたり精神遅滞児の母親よりストレスが高く,しかも,学齢到達後に最も ストレスが高くなる点に特徴を持つとしている。
前田ほか(2009)は,親の障害受容や子育てのストレスの実態とニーズを明らかにし,求められ る具体的な支援について考察している。アンケート調査によれば,生活意識では「ややゆとりがあ る」が 50%を占め,幼児期と学齢期での生活意識の間には有意な差は見られなかった。養育の実 態とニーズは,「イライラしやすい」「自分の健康」「自由時間が持てない」など多岐に渡る悩みを 抱えている。親が子どもの障害に気づいてから診断を受けるまでには2年ほどのタイム・ラグがあ り,それは,親にとっては辛い時期であるとしている。学齢期になると学習への支援が新たに必要 となることや,専門的な支援やサービスを探すことに不安を抱えることになる。そのような状況が,
養育者の苛立ちにつながっている可能性が示唆された。
2.自閉症児とダウン症児の親の障害受容の特徴
夏堀(2001)は,自閉症児とダウン症児の母親の障害受容過程の差異を検討している。ダウン症 児の場合は,出生後間もない時期に障害の疑いと同時に「ダウン症」と明確な診断名を告げられ,
比較的早い時期に障害受容をしている。ところが,自閉症児の場合,障害の疑いから診断名がつく までは平均で約1年4か月もの期間を要している。自閉症児の母親は,その診断までの期間大きな 困難にぶつかっていることが考えられる。また,子どもの行動特徴を指標に診断を行う自閉症のよ うな障害の場合,「自閉的傾向」という曖昧な言葉が使用されることが多い。そのような曖昧な言 葉に惑わされてしまう母親は,結果的に障害受容が遅れることになる。
湯沢ほか(2007)は,「子どもの障害を受け容れられない気持ち」は,重度の知的障害を伴う自 閉症の母親よりも,知的発達に遅れがない自閉症の母親の方が強いと報告している。知的障害のな い高機能自閉症やアスペルガー症候群の子どもたちは,これまで診断の困難さもあり,本人の性格 や親のしつけの問題とされがちであった。また,アスペルガー症候群の母親は,診断の告知後にお いても子どもの障害に対する複雑な葛藤を長期間体験していることが指摘されている。子どもに知 的な遅れがない場合には,母親の受容がより複雑になることが示唆されている。
このような知見から,自閉症児の母親は,他の種類の障害児の母親と比較して,子どもの障害を 受け容れられない気持ちが強く,複雑な葛藤や不安感やストレスを長く抱えていると考えられる。
特に,知的な遅れのない自閉症児では,早期の確定診断が困難であるため,その診断の曖昧さが親 のストレスや不安感に影響を及ぼしていることも知られている(夏堀,2001)。
Ⅳ.目的
そこで,本研究では,幼児期から学齢期における知的な障害のない自閉症スペクトラム障害児が 抱く不安感をとらえるため,まず,母親への聴き取り調査をして対象児の状態像を捉えることとし た。次に,自閉症スペクトラム障害児の行動観察をして心身の発達や行動の特徴を捉えることとし た。さらに,知能検査を実施して能力や発達に関する側面を捉えることとした。以上のことから,
知的な障害のない自閉症スペクトラム障害児が抱く不安感の推移を検討し,不安の軽減やそれらに
対する支援のあり方について検討することを目的とした。併せて,母親がこれまでの子育ての過程 でどのような不安感やストレスを感じてきたのかについては,聴き取り調査をすることとした。ま た,現在はどのような不安感やストレスを抱えているのかについては,質問紙調査をして明らかに する。
自閉症スペクトラム障害児が持っている不安感と母親が抱えている不安感は,連動していて密接 な関係があると考えられる。井出・清水(1997)は震災後の子どもの援助について,子どもへの援 助でも,先ず,親自身の不安に共感し心労を軽減することが大切であると述べている。村上(1997)
も,災害後の母親の不安の高さが問題で,母親の不安が軽減していくことで子どもの恐い経験も改 善していくと述べ,子どもの不安や恐怖のうしろには母親の「しんどさ」があり,母親を支えてい くことの重要性を述べている。滝・東條(2013)は,震災時の広汎性発達障害児の不安感について,
保護者の不安感と子どもの不安感には正の相関があることが認められると述べている。
以上のように,母親が抱える不安感が子どもに影響を及ぼし,深く結びついているという報告は 多い。このように,母親と子どもの不安感は互いに相関していることから,母親の感じる不安感や ストレスを明らかにして早期に支援していくことで,子どもに対しても不安を与えない支援のあり 方を検討していくことを目的とする。
Ⅴ.自閉症スペクトラム障害児の不安に対する支援
1.対象児のプロフィール (1) 家族構成
父親,母親,兄,対象児(以下,A 児)の4人家族である。
(2) 生育歴
正常分娩で産まれ,胎生期及び周産期に特に異常は認められなかった。運動面の発達は正常であっ た。2歳時で,ことばの発達の遅れがみられたが,その後は問題なく正常に発達した。文字に関し て興味を示さなかった。3歳児健診での指摘は特になかった。喘息の発作をたびたび起して何度か 入院している。5歳半の時,医師から自閉症スペクトラム障害の一つであるアスペルガー症候群と 診断された。
(3) 状態像
相談センターへ来所したのは5歳の時,幼稚園年中クラスに在籍していた。同年齢の子どもたち と一緒に遊ぶことを苦手とし,教室へ入ることも嫌がる状態であった。担任や他の大人と関わるこ とは大好きであった。幼稚園のカリキュラムにあるような運動(きまりに則ってするような運動)
は苦手である。先生の説明(一斉指示)が理解できないと話していた。しかし,運動能力は高く,走っ たり,サッカーをしたりすることは得意である。自宅近くの友だちと自由に遊ぶことはできている。
絵を描くことも上手で大好きである。兄弟関係は良好であるが,父親とは接する時間が少ないこと もあり,甘えることができないでいる。母親への依存度は高く,離れて行動することに不安を訴え ている。環境の変化に敏感に反応することがあり,雷の音に怯えたり,地震の揺れを極度に怖がっ たりしていた。知的な遅れは無いが,物事を柔軟に考えて行動することは苦手である。先の見通し
が立たないと不安になったりする傾向もみられた。特に,母親と離れて行動することを極端に嫌がっ ていた。睡眠障害,偏食,夜尿,喘息,金属アレルギーの症状がある。
2.対象児のアセスメント
幼稚園の年中へ入園したときは問題なく集団に適応できていたが,6月頃から登園することを嫌 がり,教室へ入ることもできなくなってしまった。同年齢の子ども達との関わりを嫌がり,母親と 一緒に登園しても,教室へ入らず帰ることが続いていた。担任から,相談センターへ行くように勧 められ9月になり教育相談を受けた。初回面接で,A 児は,言語発達の偏りや知的な問題は見ら れなかった。2週間後の面接でも,対話は正常にでき,行動にも問題はなく母親と離れて遊ぶこと はできた。特に「強いこだわりや偏り」も見られなかった。母親とは,週に 1 ~ 2 日は幼稚園へ行 くことを約束して実行していたが,前日から登園することに対する不安感で夜眠れないことが続い ていた。喘息の発作もたびたび起こして入院することも多くあった。大人と1対1で会話すること や遊んだりすることには問題が見られないが,同年齢の集団に対して苦手意識があるように感じら れた。
5歳2か月の時,発達や能力に関する側面を捉えることを目的として知能検査(WISC- Ⅲ)を 実施した。全検査 IQ は,「優れている」の値であった。動作性 IQ と言語性 IQ との間に有意な差 は見られなかったが,下位検査評価点に「大きなばらつき」が見られた。言語発達水準や知識の蓄 えは優れているが,先の見通しを立てて行動したり,新しい状況や未知の問題に対して柔軟に考え たりすることが苦手という結果であった。検査時の行動観察では,検査の内容に対してよく関心を 示し取り組みも意欲的であった。こちらからの指示に対しても,良く理解してきちんと答えること はできた。しかし,時間に関してこだわりがあるようで,時計を見ながら「あと何問で終わるの?」
とたびたび聞いてきた。先の見通しが立たないことに関して,不安感があるように思えた。
3.対象児への支援経過 (1) 幼稚園年中期の支援
A 児は,前日から「明日は幼稚園に行かない」と訴えることが続いていた。登園しなくてはいけ ないという思いはあるが,朝になると喘息の発作が起きるという身体反応がでてしまう状態であっ た。無理に登園させるよりも,母親と一緒にいる時間を大切にしていくことの方が重要であると考 えた。同年齢の児童との関わりについての支援は,相談センターにおいてソーシャルスキルトレー ニング(以下,SST)を実施した。SST は,社会生活技能訓練と呼ばれることがあり,認知行動療 法と社会学習理論を基盤にした支援方法の一つである。相談センターでの SST は,少人数のグルー プで一緒にゲームをしたり,グループ内の決まり(きちんとあいさつをする・返事をする)を覚え ることを目的とした。最初は,母子分離ができず母親と一緒に参加した。不安な様子を見せながら も,母親が一緒であれば嫌がることなく同年齢児と遊ぶことはできた。
母子分離の困難に関しては,親子合同面接から始めた。A 児が好んでいた「人生ゲーム・野球ゲー ム・サッカー等」を親子合同で実施しながら少しずつこころを落ち着かせていった。母親と別れて の面接や遊びは,スモールステップで時間を伸ばしていった(10 分 → 20 分 → 25 分)。母親と別々 の面接時には不安になり,母親の面接室に入って来ることもあったが,「あと 20 分で終わるよ」と
時間を知らせると納得した。A 児にとって時間の構造化を図ることは,先の見通しを立てる上で 効果的であった。
(2) 幼稚園年長期の支援
幼稚園へ行くことは強制しない方針を続けた。母親は何とか幼稚園に行って欲しいと考え,A 児と話し合いをして,放課後に登園することを提案した。A 児も登園したい気持ちがあるので,
放課後に登園することを実施した。先生からご褒美シールを貰うだけという小さなステップからス タートした。次の段階では,先生から作品づくりの宿題を与えられ,宿題提出のためにまた登園す ることを積み重ねた。焦らずゆっくり一年間かけて,幼稚園にいる時間を延ばしていった結果,嫌 がっていた教室に入ることもできて,先生とコミュニケーションがとれるようになった。普通に登 園することや同年齢児との係わり合いはできなかったが,担任とのやりとりが積極的にできるよう になり,ご褒美シールが増えていくことも A 児の励みとなった。卒園アルバムに向けての集合写 真を映すことができ,卒園証書も園長先生から頂くことができた。
同年齢の児童との関係については,最初は SST に参加することができたが,同じグループの ADHD 児とのトラブルを嫌がり,ADHD 児が注意された時に自分も注意されたと感じとってしまう 過剰反応を起して参加を拒否した。不安傾向が強い自閉症スペクトラム障害児には,SST は適さな いのではないかと考え個別指導に切り替えた。個別指導では,A 児の気持ちを大切にすることに重 点を置き,絵カードを使って話しをしたり,A 児の好むゲームをして粘り強く対応していった。
母子分離の困難に関しては,相談センターに来てから1年が過ぎ,A 児が相談センターへ来所 した頃とは違いがでてきた。個別に対応してきた相談員に対し反抗的態度を示し,母親との分離に も更なる不安を示してきた。相談員に対する反抗的態度は,A 児が自分の気持ちを出し始めた時 期と考えられた。無理やり母子分離をするのではなく,合同プレーすることで情緒の安定を図って いった。面接時間内は,A 児のわがままを認めつつ,相談室でのルールを守ることの大切さを示した。
絵カードやタイムタイマーを利用して視覚的な支援や時間の構造化を図り,先の見通しが持てるよ うにしていくことで,徐々に安定した状態となり母親と離れることに不安を示すことが少なくなっ ていった。それに伴い相談員に対する反抗的態度も減少していった。
(3) 学齢期の支援
小学校への就学時,A 児は通常学級ではなく自閉症・情緒障害特別支援学級を選択した。しかし,
母子分離ができず母親と一緒に登校していた。苦手な国語と算数は,特別支援学級で学習し,他の 教科は通常の学級で学んでいた。ところが,1年生の9月,運動会の練習を境に不安感が高まり,
「学校へ行きたくない」と登校渋りが始まった。A 児にとって運動会は,時間割には無い行事であ り,受け入れることができなかったのではないかと思われる。母親は不登校を避けるため,学校側 へ「運動会の練習は見学にさせてほしい」と話し了解を得た。その結果,A 児は安心して通学す ることができた。12 月のマラソン大会に向け,昼休みに持久走の練習をすることになった。A 児 は,予定外のスケジュールに,再び混乱し登校渋りが始まってしまった。今まで,A 児に関しては,
時間の構造化を図りながらスモールテップで進めてきたが,次々と入ってくる予定外の行事につい て行くことができず,不安感が高まってしまったと考えられる。その一方で,特別支援学級の担任 は,A 児の高い学習能力のみで評価して通常の学級で学習するよう促していた。母親は,学習内 容より情緒の安定を図ることを望んでいて,まず一人で登校できるようになることを目標としてい
た。焦らずに進めたいと考える母親の気持ちはなかなか理解してもらえなかった。毎日の学校生活 においても安定した状態を保つのは難しく,母親が付き添う時間も長くなり疲れもピークに達した。
母親は,A 児が自宅で安心して過ごせるなら学校での時間を短くしてもよいと考えた(午前中の み学習)。時間の短縮化をすることで,母親の疲れの緩和並びに A 児のストレスの軽減を図ること ができたと考えられる。
2年生の新学期にクラス替えで交替した新しい担任は,声のトーンが低く大らかな性格であっ た。担任は A 児に対し,見通しが立つような働きかけをした。例えば,一日のスケジュールを明 確にすることで時間の構造化を図った。また,個別に声掛けをすること,連絡事項は文書にして提 示するなど視覚の構造化をした。音楽のテストでは,A 児が教室で歌うことができず困っていると,
音楽室で個別に受けさせた。その後,「仲の良いお友達に聞かせてあげましょう」と何人かの児童 を招待して,少人数の前で歌うという形式を実施した。同級生の力を借りて A 児に社会性を身に 付けさせる方法を実施した。このように接してくれる先生に対して A 児は安心感を持つことがで き,通常クラスで過ごす時間が増えていった。相変わらず母親と一緒の登校は続いているが,介助 の先生が個別に就いてくれるようになったので,途中母親が帰宅しても学校にいることはできるよ うになった。担任の先生や信頼できる介助の先生の支援により,安心感を得ることが出来たと考え られる。表1に,対象児の支援経過を不安感と安心感の視点からまとめてみた。
Ⅵ.母親の不安に対する支援
1.母親のプロフィール
30 代,専業主婦,おっとりとした穏やかな性格である。3人兄弟で,自分の両親は近くに住ん でいるので,子どもの事では助けてもらっている。母親自身,小学校の時に給食を食べることに困 難を示していた。当時,担任からは食べ終わるまで頑張ることを強要された。毎日,毎日辛かった が,学校での出来事を自分の母に話すことができず我慢していた。なぜ話せなかったのか今でも分
からない。学校へ行くことも辛かったが頑張って通っていた(登校渋りであった)。母親に「助けて」
と伝えることができなかったことが,今でも心のシコリとなっていると話していた。
結婚当初は,夫の実家で義父母と同居していた。知らない土地になかなか馴染むことができず精 神的に不安定な時期を過ごした。現在は,義父母とは別々に暮らしている。家族関係は良いが,夫 はワンマンなところがあり何事も自分のペースで進めてしまうという特徴がある。スポーツ少年団 の指導員をしていて「男はこうあるべき」と厳しい指導している。少年団の子どもたちには人気が あり,信頼されている。A 児に対しても同じように厳しい接し方をするので A 児は怖がっている。
2.母親のアセスメント
2週間に1回の割合で,アセスメント面接等を行った。初めて相談に来所したときは,何かに依 存していないと,不安でいられないと話していた(例えば,買い物依存症等)。依存している時は 嫌なことを忘れられると話していた。一般的には良き理解者であるはずの夫は,出張が多く当てに できないことが多い。祖父母は助けてくれるが,A 児の特徴をなかなか理解してくれず,「祈祷し てもらうと治る」と言われたりした。そのようなこともあり,母親は A 児の子育ての中で,かな りの不安感とストレスを感じていた。自分の子育てが原因で A 児が集団に入れないのではないか と,危惧していた。精神的にも落ち込むことは多いと話していた。
A 児が不登園の時期は,毎日家の中で2人きりで何をしたらよいのかわからなかった。2週間 に1回相談室に通うことだけが唯一の外出であった。生活のリズムを作るうえでも,図書館へ行く ことや公園で遊ぶことなどを提案した。それからは,幼稚園の校門まで行くこと,図書館で本を読 んで過ごしたり,電車に乗って出かけること,近くの公園を散歩したりと行動半径を広げていった ようである。兄の友だちが遊びに来ると,一緒にサッカーの仲間に入れてもらった。また,近くの お年寄りと話をしたりすることは大好きであった。しかし,同年齢の子ども達とはなかなか交われ ないようであった。
母親は,相談室で話を聞いてもらえるだけで心が休まると話していた。いろいろなアドバイスを してもらったり,褒めてもらえることは心の励みにもなる。しかし,A 児と係っていくことはス トレスが多いし,不安になることも多いと話していた。良いアドバイスをもらっても,決断して実 行していくのは親である。先は長いかなと思うと暗くなる,と将来への不安を抱えていた。知能検 査終了後,分析結果を母親に報告するとともに,睡眠障害や極度の偏食も見られるので病院への受 診を勧めた。早期での母親の困り感や気づきはなく,3歳児健診での指摘も受けていなかった。前 述したように,5歳半の時の診断結果は,アスペルガー症候群であった。育て方が原因ではなく,
子どもが,もともと持っている特性のようなものと説明された。受診後の母親面接では,A 児が 幼稚園で集団に入れない事,こだわりが強い事などが,母親の子育てが原因ではないことが分かり 安心したと話していた。
3.母親への質問紙調査と聴き取り調査の方法
A 児が幼稚園の時は,相談センターでの面接(2週間に1回)や親子での合同プレーが主な支 援であった。年長時は,不登園であったため,母親にとって相談センターが居場所としての役割を 占めたと考えられる。
学齢期には,母親がどれだけストレスを抱えているか,不安感を持っているかを明らかにする ことを目的として質問紙調査を実施した。質問紙調査は,STAI 日本語版(State-Trait Anxiety Inventory)を用いた。STAI とは,Spielberger, et al.(1970)が開発した,不安測定のための基礎 的尺度である。STAI の特徴は,不安を,状態不安と特性不安とに分けて考える点にある。状態不 安尺度は,回答者が「今まさに,どのように感じているか」を評価している。状態不安は,不安を 喚起する事象に対する一過性の状態反応であり,そのときそのときにより変化し,脅威であると知 覚された場面では,状態不安の水準は高くなるが,危険性が全くないかほとんどない場面では,比 較的低くなる。特性不安尺度は,回答者が「ふだん一般にどのように感じているか」を査定してい る。特性不安は,脅威を与えるさまざまな状況を同じように知覚し,そのような状況に対して同じ ように反応する傾向をあらわし,比較的安定した特徴をもっていて,不安傾向に比較的安定した個 人差を示す。今回使用した STAI 日本語版は,清水・今栄(1981)らが信頼性と妥当性などの測定 学的特性を明確にして作成したものである。
4.母親への質問紙調査の結果
STAI 日本語版は,A-State(状態不安を測定する尺度)と A-Trait(特性不安を測定する尺度)
の2つから構成されている。岩本ほか(1988)の研究では,若年者(18 ~ 20 歳)と高齢者(60 ~ 89 歳)を母集団として,STAI 日本語版を実施している。A-State(状態尺度)と A-Trait(特性尺度)
の得点は,両得点とも若年者の方が高齢者に比べ「有意に高い」という結果になっている。男女別 または高齢者の年代別の差は見られなかった。40 項目の回答を因子分析した結果,A-State に共通 する因子として,現在の安心感や現在の緊張感という因子構造が得られ,A-Trait に共通する因子 として,日常の不全感や日常の満足感という因子構造が得られた。この結果は,若年者も高齢者も 同様であった。表2に示したように,今回実施した対象児の母親への質問紙調査での数値を,岩本 ら(1988)の研究結果に当てはめると,A-State の 55 点は,両群の平均得点を大幅に上回っており,
A-Trait の 51 点は,若年者の平均得点に近い値となっている。
今回質問紙調査をした母親の年齢(30 代)のデータが無いので比較は難しいが,若年者に比べ 高齢者の平均得点は低いという結果から判断して,状態尺度である現在の安心感や現在の緊張感は 非常に高くなっていると考えられる。特性尺度である日常の満足感や日常の不全感は,若年者の平 均得点に近い値となっている。もともと持っている特性的な不安感より現在感じている不安感が,
かなり高いということが示唆された。
5.母親への聴き取り調査の結果と支援経過
社会性は,他者との関わりの中から伸びていくと言われている。A 児は,幼稚園での同学年の
児童との係わりは出来なかったが,幼稚園の先生との1対1の授業を受けることができたこと,相 談センターでの相談員との関わりをもつことなどで,家族以外のリソースを獲得することができた。
不安は,予測のつかないことに対して起こるので,スケジュールを前もって提示することが必要で あった。時間の構造化は,A 児にとっては有効な手立てとなったと思われる。
前述しているように,A 児は小学校就学時に特別支援学級を選択した。しかし,母親と離れるこ とができず,母親と一緒に登校していた。苦手な国語と算数は,特別支援学級で学習し,他の教科 は通常の学級で学んでいた。ところが,9月の運動会の練習を境に「学校へ行きたくない」と登校 渋りが始まってしまった。母親は不登校となるリスクを避けるため,学校側へ,「運動会の練習は 見学にさせてほしい」と話した。その結果,A 児は登校することができた。その一方,学習に関して,
特別支援学級の先生は,A 児の高い学習能力のみで評価して通常の学級で学習するよう促していた。
母親は,学習内容より情緒の安定を図ることを望んでいて,まず一人で登校できるようになること を目標としていた。焦らずに進めたいと考える母親の気持ちはなかなか理解してもらえなかった。
毎日の学校生活においても,安定した状態を保つのは難しく,母親が拘束される時間が長くなり疲 れもピークに達した。自宅で安心して過ごせるなら学校は休ませてもよいと考えて,午前中のみの 学習に切り替えた時期もあった。
2年生の新学期,クラス替えで担任が交替し,A 児は通常クラスで過ごす時間が増えて行った。
相変わらず母親と一緒の登校は続いているが,介助の先生も付いてくれるようになったので,途中 母親が帰宅しても学校にいることはできるようになった。今回の学校側の配慮で,A 児は担任や 信頼できる介助の先生の支援を受けることができ,母親から離れての学習が成り立った。母親は,
A 児に一日中付き添うという重圧から解放されたと言える。
Ⅶ.考察
1.自閉症児が抱く不安感の推移
A 児の幼稚園から学齢期における不安感の推移をみると,幼稚園の年中期は,不安感がかなり 高く,教室へ入ることができず校門のところまで行くのがやっとであった。年長になり,先生の粘 り強い働きかけで教室に入ることができ,先生との1対1の授業が受けられるようになった。同年 齢の集団には不適応であったが,担任とのマンツーマンの関わりができて安心して教室へ入ること ができた。また,母親は A 児をいろいろな場所へ連れて行き様々な経験をさせた。家族以外の人 との関係を持つことができるように働きかけた。A 児の幼稚園期の不登園は,母親からの聴き取 り調査から推察すると,教室の騒音が苦手であること,同年齢児らの集団へ馴染むことができない ことが起因していたと思われる。また,母親から離れて行動することに不安感を抱いていたため,
なかなか,登園に結び付く支援には至らなかった。
就学は,自閉症・情緒障害特別支援学級を選択して母親と一緒に登校を始めた。A 児は,母親 が付き添うことで,安心して学校へ行くことができた。入学当初は,学校の雰囲気やシステムに慣 れないことが多くあり,通常学級の教室に座っていることさえ苦痛な様子であった。特に,体育の 授業は不安を感じるようで,体操服に着替えることの苦手さや体育の授業内容を理解できないなど
があり,ほぼ見学していた。また,教室の騒音や同級生の動きがストレスとなることが多く,特別 支援学級へ逃げ込むことが見られた。A 児にとって特別支援学級は,気持ちの安定を図る場所であっ たと思われる。新学年2年生の担任は,運動会の練習を個別に指導するなどの配慮を示し,A 児 は安心して運動会へ参加することができた。A 児にとって,運動会のプログラムの説明などの視 覚的な手がかりや個別の働きかけは,安心感を得るためには有効であったと思われる。現在は,通 常学級の担任の特別な配慮で,不登校とならずに学校生活を送ることができている。A 児にとって,
新しい担任は信頼して接することができる存在であり,介助の先生が就くことで母親から離れても 不安感を持つことなく授業を受けることができている。今回の聴き取り調査では,信頼できる人が 側にいるかどうかということが,A 児にとって極めて重要であることが分かった。
別府(1997)は,自閉症児のアタッチメントに関する研究で,自閉症も養育者を他者と区別して 理解し,その養育者にアタッチメント行動を起こすことが明らかだと述べている。しかし,自閉症 児の中でも養育者との分離・再会で接近維持行動を多く示す自閉症児と,そうでない自閉症児がい る。それは,アタッチメントの安定性の有無と認知・言語・粗大運動・微細運動能力のそれぞれと の連関によることを明らかにしている。また,自閉症児は,手の届かない対象を手に入れるため の道具的役割を養育者に求める場合もあれば,不確定な事態で他者の情動を参照する社会的参照
(Social Referencing)に見られるように,養育者の表情を自らが外界を意味づける際の手がかりと して求める場合もある。つまり,自閉症児のアタッチメントを接近維持行動の量的な差異ではなく,
他者とのやりとりの質においてみるべきと述べている。伊藤(2002)は,自閉症児は,他の障害児 に比べてアタッチメントの成立が遅れるものの,アタッチメント行動は形成されることを明らかに している。観察場面において,人と物とが同時にある空間では,人より物への注意がシフトしやす く,いったん物に注意が向くと,人の方へ注意を向けにくい独特の認知特性の可能性を示唆してい る。健常児はアタッチメント対象を心理的安全基地として求めるが,自閉症児は,要求を充足して くれる道具的安全基地として把握すると述べている。また,別府は,「アタッチメントと臨床領域(数 井・遠藤,2007)」の中で,自閉症児は,自らに快の情動を引き起こす行動や場面を,単一のアタッ チメント対象ではなく,多くのアタッチメント対象と多くの行動・場面で持つことが必要であると 述べている。それができることで初めて,自分の情動と場面の随伴性だけでなく,いつも自分に快 の情動を喚起する行動や場面の中に,同一人物ではないが人という存在がその状況を作ったり行動 を起こしてくれることに気づくと考えられる。このようにして,自閉症児においても,行動や場面 から相対的に独立した形での他者の存在をクローズアップすることが可能となる。自閉症児にとっ て,単一ではない複数のアタッチメント対象と関係を持つことが,他者存在そのものを場面から浮 かび上がらせるという点で,自閉症特有のアタッチメント形成過程であると述べている。
A 児の場合,単一のアタッチメント対象である母親だけでなく,別のアタッチメント対象とし て介助の先生も新たに対象となったと考えられ,快の情動が引き起こされ,安心感を抱くことがで きたと考えられる。しかし,まったく不安な状態がなくなった訳ではなく,更なるきめ細かい理解 と継続的支援が必要であると考えられる。
2.自閉症児の母親が抱く不安感とストレスの推移
A 児の母親は,A 児が登園渋りや不登園であった時期は,自分の子育てが起因しているのでは
ないかと自分自身を責め,精神的に不安定になっていた。「なぜ集団に入れないのか?」「なぜこだ わりが強いのか?」「自分の子育てが原因なのか?」と自問自答していた。その後,病院を受診し,
自閉症スペクトラム障害の一つであるアスペルガー症候群という診断を得た。障害名がついたこと はショックではあったが,反面,子育てが原因ではないと医師から言われたことは,安心材料になっ たと語っていた。しかしながら,毎日の生活の中で子どもと向き合っていくことは大きなストレス である。子育てが原因ではないとわかっていても不安になることは多い。
就学は,親にとっても子どもにとっても,緊張してストレスが高まる時期である。知的に問題の 無い自閉症スペクトラム障害児の場合,前述したように周りの人に理解されないことが多く,集団 内での不適応を起してしまうことが多くみられる。そのような A 児にとって,母親の付添は,必 要であった。母親は,子どものためと思ってはいるが,毎日の学校への送迎と付添はかなりの負担 になっていた。家事を行うためのエネルギーも無くなる程くたくたになり,子どもとうまく付き合 えないぐらい疲れた状態であった。
新学年の2年生の担任は, A 児に対し,前もってスケジュールの提示をするなどの時間の構造 化,連絡事項は文書で提示するなどの視覚の構造化の配慮をしてくれた。そのような配慮で A 児は,
安心して勉強することができるようになった。母親は,このような担任に対し,信頼感や安心感を 持つことができ,ストレスを多少軽減することができたと思われる。
STAI による質問紙調査の結果は,今回質問紙調査をした母親の年齢(30 代)のデータが無いの で比較は難しいが,若年者に比べ高齢者の平均得点は低いという結果から判断して,状態尺度であ る現在の安心感や現在の緊張感は非常に高くなっていると考えられる。もともと持っている特性的 な不安感より,現在感じている不安感がかなり高いということが示唆された。肥田野ほか(2000)は,
「新版 STAI の背景と概要」の中で,状態不安は,一過性の状況反応であって,そのときそのときに より変化し,脅威であると知覚された場面では,状態不安の水準は高くなるが,危険性が全くない かほとんどない場面では,状態不安は比較的低くなると述べている。母親の状態不安の高さは,現 在の状況を脅威と知覚していると捉えられる。一過性の状況反応とはいえ,不安と感じている場面 が多いのではないかと思われる。母親が示しているこの不安感の値は,はたしてこの母親だけが独 自に持っている不安感であるのか,それとも障害児を育てている母親が共通して持つ不安感である のかを調査する必要があると考える。今後は,継続して A 児の母親への聴き取り調査と質問紙調査 をすると同時に,障害児を育てている母親を対象とした質問紙調査を実施していく予定である。
3.母親と子どもの不安感の関係
自閉症の原因を親の子育てに求めることは否定されているが,自閉症の生物学的基盤は解明され ておらず,障害の根本的治療法がある訳ではない。従って,自閉症児を育てる親や家族は常に多く の不安やストレスを受けていると,夏堀(2001)は述べている。A 児の母親も子育てが原因では ないとわかっていても,日々,迷い苦しんでいるのが現実であると語っている。どんなに素晴らし く優れたアドバイスを受けても,子どもに対応していくのは母親である。障害を持った子どもを育 てる過程で,母親は多くのストレスと不安感を抱えることになる。A 児の不登園や母子分離の苦 手さは,母親の抱えている不安感が少なからず影響していると考えられる。
滝・東條(2013)は,「東日本大震災と知的障害児の行動変化」の中で,震災直後の行動や心理
の変化は定型発達児より障害児の方が大きかったと述べている。原発事故に対する変化は,障害児 より定型発達児で大きく,行動や心理の変化が認められる障害児は非常に少なかった。また,保護 者の不安感と子どもの不安感には,概ね正の相関があることも認められたが,障害児と定型発達児 では不安の内容に違いがあった。地震については,ダウン症児と広汎性発達障害児の不安感には若 干の差異があり,大震災後5月ごろまでは,ダウン症児の方が怖がっていたが,半年後には,広汎 性発達障害児の方が怖がっている傾向があり,広汎性発達障害児の方に不安が長びく可能性が高い と述べている。
井出ほか(1997)は,阪神淡路大震災の5ヶ月後に,神戸市内の激震地区に近い保育所の児童を 対象とし,保護者に児童の状況のアンケート調査をした。大震災による影響の項目(住居の被災の 程度,児童の身体的外傷,同居者の死亡の有無,避難した期間と避難先,親の不安の程度)と被災 後の児童の示した兆候の項目(DSM- Ⅳ -TR による PTSD の診断基準の 17 項目の兆候の有無,お よび退行,行動,食欲,気分の変化の有無とその内容)を検討している。この報告では,児童への 心理的影響について,親の不安感と兆候の項目との関係を見ると,睡眠,恐怖,退行の兆候に加え 基本的な安全感の乏しさを示すと考えられる兆候が,親に強い不安を認めた保育者の児童に有意に 多く見られたと述べている。村上ほか(1997)は,阪神淡路大震災の3ヶ月から1年2ヶ月後まで に被災児童の対応として,児童相談所が「神戸市児童こころの相談 110 番」を開設し相談を受け付 けた内容を分析している。約 551 件のうち災害ストレスの影響が大きいと判断されたケース 137 件 についての分析結果からは,電話相談において,子どもの主訴の後ろに母親(保護者)の「しんど さ」があり,いかに母親を支えてゆくかが大切であると述べている。井出・清水(1997)は,阪神 淡路大震災の発生2週間後から行われた児童精神科医による電話相談事例は 48 件で,予想に反し 少ない相談件数であった。これは,災害発生後1~2ヶ月の時期には,電話相談という受け身の相 談事業ではなく,出向いての相談活動が強く求められていたと考えられる。相談事例は親からのも のが大半で,子どもについての相談の助言だけではなく親自身の不安に共感し,心労を軽減するこ とに力を注ぐことが重要であったと述べている。
上記のような知見から,母親が抱える不安感と子どもが感じる不安感は相互に関係していることが 報告されている。これらの研究報告から母親と子どもの不安感は相互に関係していることが示唆され るが,しかし,本研究においてそれを実証することは出来なかった。今回の調査では,母親に対して STAI 日本語版で質問紙調査をして母親の不安感について考察した。一方,子どもに対しては,年齢が 達していないこともあり,STAIC 日本語版(曽我,1983)の質問紙調査を実施することができなかった。
曽我(1983)が標準化の研究で対象としている児童は,小学校4年生から6年生である。実施できる 年齢が詳細に規定されてはいないが,本研究の対象児の年齢が4年生になった時点で質問紙調査を実 施し,母親が抱える不安感と子どもが感じる不安感の関係を検討していきたいと考える。
謝辞
この報告は,日本学術振興会・科学研究費補助金の助成を受けて,平成 23 年度から実施してい る「自閉症児に不安を与えない支援のあり方の検討」(基盤研究 (B),課題番号:23330271)の研究
を通して得られた成果の一部をまとめたものである。
研究の実施にあたり,事例研究に快く応じてくださった対象児並びに対象児の母親に対して貴重 な情報並びにご意見をいただきました。この場を借りて,篤くお礼申し上げます。
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