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b け る 入 会 林 野 の 展 開 と 再 編 成

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(1)

兵庫県丹波地域にbける入会林野の展開と再編成

渋 藤

直 佳 幸 久 谷 田

兵庫県丹波地域における入会林野の展開と再編成

昭和四一年にいわゆる﹁入会林野近代化法﹂ハ

1)

が公布制定されることによって始った入会林野近代化事業は︑わ

が国固有の伝統的な所有形態であった入会林野に対して︑明治以降一貫してすすめられてきた入会林野を解消させる

政策の一環として︑最後のとどめをさすに近い意味をもっている︒その直接の目的は︑高度経済成長期において︑そ

の権利関係の複雑さゆえに林業の生産性をあげられない入会林野宮﹀について︑権利関係を解消しようとする便宜的

な措置と︑入会林野の実測に要する測量費補助によって︑法人組織化や個人分割という形で権利関係を明確化しよう

とするものであった︒この実施については民法研究者の聞に私権論と公権論の立場から若干の論争があったがハ旦︑

前者が強い支持をすることで押し進められた︒

問題はいかなる山村がこの再編成事業を受け入れ︑いかなる再編成をしたかにある︒これまで筆者は若干の研究事

159 

マクロにみると東北日本と西南日本の山村の聞に︑この再編成事業の受入れに対する対応差がみられる

こと︑しかもそれは各地域の山村における林野所有形成の歴史的な差異にもとずき︑それに山村の今日的問題が付加

(2)

160 

されることによってそのような地域差がみられるζ

(&

再編成の結果だけ簡単に付言するならば︑

北日本ではもっぱら個人分割に指向し︑西南日本では個人分割と生産森林組合の組み合わせの形態に指向していると

いうことであり︑それらは林野所有の形成過程と密接に関係しているということである︒

本論の目的は︑そのようなマクロな地域差の中で︑大都市に近接した地域の事例として兵庫県丹波地域をとりあ

げ︑入会林野の再編成進程と山村の対応の仕方を検討し︑入会林野再編成の地域差にみられるもう一つの守タイプを検

討しようとしたところにある︒

ニ︑兵庫県における入会林野の再編成

丹波地域を含む入会林野面積は︑

O年のセンサスによれば︑約一五万ヘクタール︑事業体数は七︑OO

いずれも全国第一位を占め︑その面積は県内民有林面積の約三分の一を占めている︒絶対面積はもちろん︑

この比率も他府県に比べていちじるしく高く︑このように近年まで入会林野が存続してきたことは興味深い︒このこ

とは明治末期から大正期にすすめられた部落有林野統一事業において︑兵庫県の入会林野の統一面積率が一三・八パ

1セントと全国平均の三五パーセントを大きく下回ったことにもあらわれており︑この点は今後十分検討されるべき

課題でもあると考えられる︒

そこでまず︑今回の再編成事業がすすめられる前の入会林野の実態を明らかにしておく︒

第一図は再編成事業が始まる前の昭和三八年における部落有林野の分布を市町村別に示し︑しかも各市町村につい

ては登記名義別にも示したものである︒東南部の神戸を中心とした大都市地域を除いてハ5

(3)

161  兵庫県丹波地域における入会林野の展開と再編成

。 込

貝人全数

名名有有表義林協入社

村区共共代名森農法会町産名名落寺産産団阪市財記起部社生林財有

計 司 司 ⁝

10  20  30km 

L1

氏 λ

1 兵庫県の市町村別所有形態別部落有林野面積 昭和38年部落有林野実態調査資料より作成

(4)

162 

く分布が認められ︑そのうちでもとくに但馬︑丹波︑播磨北部に集中している︒

同図に示した登記名義をみると︑名義の実に多様なこと︑しかも同一市町村内で多様性のみられることが知られ

る︒その大半は実質的にはいわゆる部落有林であるが︑名義上に若干の地域的なまとまりも見出される︒全体として

は数名の記名共有名義と市町村名義とが多いが︑丹波地域には記名共有の比率が高く︑但馬や播磨北部では市町村名

田圃圃40%以上

佐世田 30%以上

~20%以上

U上凶 10%以上

位二斗0.1%以上 L....J  0% 

0 1 0  20  3Okm 

兵庫県市町村別部落有林野人工林率(昭和初年)

昭和38年部落有林野実態調査資料より作成

2

義の比率が高い︒これは前述の明

治末期から大正期にかけての部落

有林野統一事業のさいに統一整理

をまぬがれる方途の一端が郡単位

程度のまとまりで示されたととも

に︑戦後の町村合併時における個

々の集落における部落有林野の有

無あるいは部落有林野面積の大小

差をめぐる処理方法の結果を示し

それらの利用水準を人工林率で

示したのが第二図である︒それに

よれば概して組放的であり︑人工

(5)

兵庫県丹波地域における入会林野の展開と再編成 163 

兵庫県入会林野整備後の経営形態別年次別事業体数

H 主4

生 林

E

産 組

森 合

43  44  33  33 

45  28  26 

46  35  32 

47  46  44 

48  31  31 

49  113  104 

50 

51  23  23 

52 

53 

309 

比率! 100%1  93%1  1.0%1  0 4%1  1

(r入会林野等整備の概要」昭和54年より)

Oパーセント未満の市町村が多い︒その

中で丹波地域の北西部から播磨北部︑それに南

O

ぇ︑部分的には四Oパーセントを越している︒

当時全国の人工林率は三Olセγト台であっ

たことを考慮すれば︑特に高い水準であるとは

いえないが︑部落有林野としては高い水準にあ

るといえる︒その多くは組織的な経営に負うと

このような状況をふまえて再編成の整備事業

はめざましく進展した︒昭和四二年から同五

年までの十一年間に延二ニ四の市町で三三四件

の整備が済み︑その面積は二一・二万ヘクタール

に達し︑面積では新潟県に次いで全国第二位と

なっている︒兵庫県のこの整備面積は︑

部落有林野統一事業時の大正一O年の時点での

面積を上回っている︒とくに昭和四九年には

(6)

164 

白鳥~[)

10 

3 20 

80  66人工林寧0  4@ O O0  20  20 

%  %  %  %  % 

以 以 以 以 来 上 上 上 上 尚

凡 例

入会林野近代化事業による整備面積と生産森林組合の人工林率 図中の数字は件数を示す。昭和54年兵庫県資料により作成

(7)

lクに達し︑昭和五二年にさらに九年間同法が延長になったのち大幅に減少している︒これは再編成の困

難な入会林野が残りつつあることをも示している︒整備後の経営形態は生産森林組合への組織化が総件数の九三パl

セントを占め︑圧倒的に多い︿第一表)︒このことからみれば︑前述した東北日本と西南日本のいずれのタイプとも

異なるタイプの再編成が兵庫県ではみられたことを示している︒

第三図で整備がすすんだ市町村の分布をみると︑第二図にみられる人工林率三Oパーセント以上の市町

T

兵庫県丹波地域における入会林野の展開と再編成

く︑三Oパーセント未満の地域に整合しており︑その点からすれば︑入会林野をめぐる利用度が低位な地域でこの再

編成事業が受け入れられ︑逆に入会林野とはいえ︑すでに利用度が高い林業経営を実現した地域では受け入れる必然

性のない一面のあることがうかがわれる︒また同図で生産森林組合に編成された事業体の人工林率をみると︑県中部

や但馬地方に比べて︑東南部の阪神都市圏の近接地域に低いことが注目される︒

三︑丹波地域におりる入会林野の分布

地域選定と地域概況

丹波地域は兵庫県中東部から京都府中西部に広がる四

OO

i00メートルの丹波高原上の範囲をいう︒なだらか

な準平原的な丘陵地形は︑マクロにみれば中国山地全域さらに大和高原から美濃・三河高原につづく西南日本内帯特

有の地形的特徴であり︑連鎖状に分布する小盆地・窪地は小さな規模の村落の存立基盤の一つとなってきた︒集落は

165 

平坦地が広がる盆地中央部では集村を示し︑樹校状の河谷では小村あるいは散村の形態を示している︒

本論で扱う兵庫県の丹波地域は多紀郡とその西北部に接する氷上郡からなるが︑いずれも前述のような地形的特徴

(8)

166 

と集落景観を有しており︑集落をとりまくなだらかな丘陵性の山地の多くが入会林野として利用されてきた︒

ところで︑この丹波地域のうち︑入会林野の再編成が受け入れられ展開した地域をみると︑すべて多紀郡に集中

し︑氷上郡ではほとんどみられない︒これは第二図について前述したように︑氷上郡の入会林野の人工林率が高く︑

すでに育林活動がすすんでいたこと︑具体的には山割りによる個々の農家の育林がかなりすすんでいる例も多くみら

れるため︑再編成自体の受け入れが容易ではなかったためと考えられ︑本論からすれば︑再編成を受入れない地域と

してその分析の必要が新たな課題にもなる︒いずれにせよ︑以上の状況をふまえ︑本論のテ!?に即しつつ︑以下多

紀郡を中心に取り上げることとする︒

多紀郡は神戸市の北方約四0キロメートルに位置する篠山盆地を中心に︑東西三二キロメートル︑南北二五キロメ

ートルの細長い範囲である︒昭和五O年に郡東部の篠山町︑城東町︑多紀町が合併して篠山町となり︑それに丹南

町︑今田町︑西紀町の四町からなる︒総面積は三七︑六一七ヘクタールで︑そのうち篠山町が半分を占め︑また総人

口は四万二千人余で︑うち篠山町が二万三千人余で過半を占める︒篠山川の河岸段丘上に広がる篠山盆地が最も広い

平坦地で旧篠山市街地や農村集落が集中するが︑篠山川の各支流域にも平坦地が聞け︑山麓を中心に農村集落が立地

高度経済成長期には大幅な人口減少をみたが︑近年は停滞傾向にある︒道路整備にともない︑かつての丹波杜氏と

しての出稼ぎは減少し︑通勤者が増加しつつある︒昭和五O年のセシサスによれば︑通勤者は約七千三百人で︑うち

阪神地区へは二千二百余人︑南接する三田市への通勤を含むと三千五百人となり︑また農家も昭和四五年に第二種兼

業農家数が第一種兼業農家数を上回わり︑昭和五O年には第二種兼業農家が圧倒的多数になっていることからも︑非

(9)

兵庫県丹波地域における入会林野の展開と再編成

対象町村の所有形態別林野面積 (1978)

J 県有林市町対財産EJ}捕 ま 土 寺 個 人 会 社 佑 吉 篠 山 町 70ha  610  5446  238  6353  1.438 /4.154 

西 紀 町 261  4  1125  73  1437  1357 4.253 

持 南 町 4  242  1991  212乙f43 1047  ;;639

今 回 町 29  397  1.355  58 1716  .564  4./19  合 計 99  .1272  248 9. 917  581 !1.649 .3406  254fi6 

農業的土地利用の増加傾向はまだ顕著ではないにしても︑阪神大都市圏に隣接し都市化が

すすみつつある地域ということができる︒その点で都市化の影響を局地的にしか受けてい

C英資*,斗よグ〉

ない氷上郡とは異なっている︒

入会林野の分布

2

第二表は昭和五三年における多紀郡の町別所有形態別林野面積を示したものである︒そ

れによれば︑各町とも入会林野である慣行共有形態の面積が多く︑全体としては四Ol

ント近くを占めている︒同年の兵庫県における慣行共有形態の面積比率が二Oパーセント

であることから比較しても︑その比率の高さが特徴的である︒しかも︑かなり整備事業がす

すんだ段階でなおこの数値を示すことからすれば︑かつてはもっと大きなウェイトを占め

おおやまていたことがわかる︒なお丹南町における財産区は旧大山村の大山財産区で︑この地域は

先進的な育林技術が成立し︑その育林起源は天保年聞にまでさかのぼることができるハ息︒

第四図は多紀郡における入会林野の分布と入会林野を有する集落︑およびそのうち入会

林野の整備が行われた集落の分布を示したものである︒なお︑﹂こで示した入会林野は図

に表現できる部分だけとし︑雰細な部分は省いた︒それによると︑入会林野は全体としては

167 

わかる︒しかも︑山系のうちでは平坦地に接した里山ではなく︑尾根筋を中心とした奥山部分に集中しており︑それ 篠山盆地を囲む北と南の東西方向の山系に断片的ではあるが連続的に分布していることが

らの中には岩盤が露出して条件の悪いところもみられる︒里山は個人利用が早くからすすみ︑近世において百姓持山

(10)

168 

(名前山﹀が成立している

(7

O

みによって確保されたが︑彼らがまた入会林野も独

多紀郡における入会林野再編成集落と再編林野の分布

占していたことは岡光夫の研究で明らかになってい

h v( 8O

また同図によれば︑篠山盆地の中央部に位置する

若干の集落を除くと︑ほとんどの集落が入会林野を

有していることが示され︑これまで各集落における

入会林野の重要性が知られる︒これまで入会林野は

採草地としてだけの機能に留まらず︑松茸山として

も管理し︑その入札により各集落の共同体を支える

経済的基盤として大きな意味をもってきた︒近年不

作になったとはいえ︑松茸山の入札は続けられてい

る︒近世においても松茸は運上の対象になってい

4 (9)O

そのうち︑整備事業のすすめられた集落をみる

と︑かなり分散的ではあるが︑その多くが丹南町北

部の旧大山村に集中しており︑この地区でかなり積

(11)

極的に入会林野の再編成がすすめられたことがわかる︒

四︑入会林野の展開

そこで次に再編成がどのようにすすめられたかについて検討するが︑その前にこの地域の入会林野がどのような経

緯で今日に至っているかを︑主に林野所有の観点から検討しておく︒それによって入会林野再編成における歴史的背

兵庫県丹波地域における入会林野の展開と再編成

景を解明することが可能になるからである︒

多紀郡における入会林野は︑近世には篠山藩領下にあった︒各地での聞き取りによれば︑各入会林野が地租改正以

降もほぼ同様の経過をたどって今日に至っているように思われる︒そこで︑再編成事業をもっとも多く受け入れた丹

南町旧大山村のうち高倉を事例として︑林野所有の展開過程を把握する︒

高倉集落は旧大山村を西北から東南へ突き抜ける京都と山陰を結ぶ街道沿いにある大山上から東北へ小さな河谷を

︿ろっぽ一キロメートルほど入った黒頭峯を望む窪地の縁辺部に位置し︑谷底に広がる水田と谷奥・山地の一帯約六O町歩を

領域としている︒戸数は一五︒大山荘の崩壊後︑近世初期にさらに開墾がすすみ︑太閤検地で大山上︑大山中︑大山

下の三ケ村が成立したものの︑各村内の村々の結合単位︑が強化される中で︑承応年聞に今日の村落の骨格である一五

独立を強めた

a u o

大山中に含まれていた高倉もその時から高蔵寺と称して独立村落の地位を確保

していく︒それゆえ大山郷としての大枠の共通意識(これは今日の大山財産区に象徴的である)や大山中としての中

169 

枠(大山上︑大山中︑大山下に各村落の庄屋を統括する大庄屋が近世を通じて存在﹀の共通意識もそれにかぶさって

存在し︑今なお大枠としての大山郷のまとまりは強い︒

(12)

170  高倉村における文政11年から明治5年にかけての所有耕地規模の所有 者別変化

3

合 計 07215 α4324 

α4027  α3645  03545  03351 03306 

、2912

2200 01924  01318 

1906

、0333

、0330

、0306 00218  00206  00121 00009  00015 

!t'lB 

、1503 01409 

、 OW3 00227  00227  00024

、0100

、0300 00203  18 00127 0212 0200 0.0206  00121  0009 O0015 水 田

5712

2915

3224 α3418  03318  03327  03206 

、2612 022D O1924 

1115

、1218

026 00118 00306 

0018

1

h h z k m

x万一茂舟印刷官栄善於吉右主グフ長武欠半嘉平佐公又

会 針

7624

、6112 04602  0.4327 

3603 2206 01524 01445 

1027λ 01315  01303 01200 01100  00709 00524 00111

0303 00212 

、0112 .0111 6

ー一倍︒ぉ日

MD

Aω

UU

O

0O

o m M m

M M H

E

3 7 3 5 2 1 3 2 d 7 2 M T

出一

m o o o α D O l i o o o o o α a a o α a α α α a q a q o q

Ic

7109 06112  0.4206 

4212 03209 

α2206  0.1021 

1223 01200  01315  01100  00118 00524 0033

(1) ?5年

i::t 四 回 数 二 段p 中 通 伊 兵 衛 岡 田 両 松 岡 田 五.IJ 岡 田 均 七 岡田主主五防 永 井 喜 平 岡 田 助 治p 岡 田 半4 南 国 平 助 ii: 常産量 岡田茂左エ内 岡回線右工内 佐 殊 法 次 郎 岡 田 勝 太 白P

岡 田 }g‑¥ζ  向 田 平 七 .pz捧依田台p 申 沢 幸 助 岸 本 善λ 佐殊長石工円

(文政 11 年 9~i'J1戸惑蕨寺中・7だろl 懐こμ作点)

山野正彦は同族集団によって成立する小集落の集

合する集落を﹁丹波山地型村落﹂と呼ぶことを提案

したがハ呂︑この大山郷内の場合においては前述の

ような枠をもちつつも︑実質的には小集落が近世初

期に独立村落として成立したとみることができる︒

高倉の谷の奥には高蔵寺があり︑資料的には中世

の仁治年間までさかのぼることができるという

a y

今なお参道の両側には遺構がみられ︑当時の寺の大

きさがしのばれ︑この寺の関係者が一部留って岡田

(明治 5 年月波図多知郡高創刊~jil 帳より作成;)

株としてこの村を支えたと地元民は伝えている白﹀O

独立した高倉(当時は高蔵寺)の石高は三七石余臼﹀

で︑以降ほとんど変化はないが︑文政一一年の地

引帳は田畑四町歩余でその高二O

る ︿ MY

戸数は慶応二年で一六戸であり分﹀︑今日と

ほとんど変わらない︒

まず近世末期の土地所有状況からみる︒得られる

資料は少ないが︑第三表は文政年間の所有者別所有

(13)

兵庫県丹波地域における入会林野の展開と再編成 171 

高倉村における耕地所有者の耕地・林野・屋敷地所有状況(明治B年)

所 有 者 名 F

合 告 ト 非木 霊予 暴勇買 JJく 回

中 沢 丑害車努 19402(38) 1.9402 

岡 田 新 次 郎 11lI8(29) 01926(9コ口、0215(1コ1‑3029 0528 t:t 保 兵 衛 12127(29)  !う906

園 田 永之助 05923(13) 6522(6) 0007(0 1.1522  0129 岡 田 淵l 0.8605 (18)  01322(10) 00025(1) 1.0022  1.1020  0060<

岡 田 磯 七 2609( 5)  0.1704(4 o002ζ1) 0.4515  0.2427  51$

岡 田 重五郎 02621 (6)  00421(2)  0.3112  0044 永 井 喜 平 01308ι5) 0.1124(5)  00127(1)  02629 0.0920  0521 岡 田 栄 蔵 2506 (6)  00103ζf 02609

佐燕 長囚郎 11¥7ζ8) 1318(6)  02505 2624 0322 周 回 勘主的 0.14135) 0715(3)  00023(2) 2221 1.4805  0418 岡 田 半 七 013125) 0425(2)  00012n 0.1819  0.212.ι  σ'.0307  南 田 平 七 00315仁仁〉 o0820仁1) 0.0502仁1) 01703 0.0012O 305

*' 常蔵、 01519C 3 01519 00305 南田 平玉初 1226 C 3)  0018cf)  01314 OOl2C央〉

中 沢 善石工円 0112(2)  1212 0210400 中}R fflJ 00803(2)  00091 o0113(0 0025

イ佐脹 直古工f 0408C 2)  0.0328( 1 0806

iR 種主イ〉 0.0109 0706(1 0815 7002

平田 2 0313仁1) 00115(1)  00428 01517 00229 A ヲホ四色p 0.00181 00220(2)  00308 0.3013  00301 岡 田 4 0201仁1) 2(1) 00203 α1727  0428 岡 田 欠次官p 00024 (1)  00024 0528

i草津洋婆?蓋主事誠、 0.4302  00304

音 堂 0616 cf)  06904(0 』鏡、寺 0018ζ1

4

耕地は明治 8年,屋敷地も明治 8年。林野は明治11

(現地反別地価一筆限名寄II~長より作成)カッコ内の数値は筆数。

(注)

耕地面積を規模の順に示したものであ

り︑さらにそれぞれの所有者を明治五年

にまで追跡し︑その変化を示したもので

ある︒まず文政一一年の状況をみると︑

O人が所有しており︑若干名の村外者

の所有が知られるほか︑所有規模はあま

り大きくはないものの︑所有者聞の階層

性はかなりはっきりしている︒これはこ

の地区の近世における身分構成を含め︑

階層分解の傾向臼﹀と一致する︒明治五

年になるとさらにその傾向は強まり︑明

治五年の上層農は文政年間の各層から広

く耕地を集中したこと︑逆に文政年間の

上層農は耕地を切り売りして下降したこ

とがわかる︒明治五年の資料とした地引

帳はまだ近世の検地帳的性格をもっ(臼﹀

土地所有の正確な実態を示していn‑

TH 

(14)

172 

るとはいえないまでも︑階層差の拡大ははっきり認

それゆえ︑第四表に示した地租改正後の明治八年

の資料は︑所有者がさらに増加して二六人に達して

高倉村林野の土地利用(明治11年)

いること︑これは同表右端に示した屋敷の有無から

もわかるように︑屋敷のない層は下人層ではなく︑

つまり︑村外地主の形成と地元

民の小作人化がすでに確立される形で︑さらに階層

分解のすすんだことが示される︒そして明治一一年

には林野もまた村外者の手に渡りつつあり︑村内者

の個人所有面積はいずれも少ない︒

5

次に林野をみる︒第五図は明治一一年の林野利用

の状況を示したものである︒それによると里山以外

はほとんど草山で︑その中の所々に山畑がちらばっ

ている︒里山部分には雑木がみられる︒図中北部に

杉山がみられるが︑これは趣法山で︑高倉外一五ケ

村名義となったものの︑一郷一山の主旨で︑天保年

(15)

兵庫県丹波地域における入会林野の展開と再編成 173 

高倉村林野の所有形態(明治11年)

A:徳永持 B:大山新持 C:ー印谷持 B

聞に大山郷の金穀融通のために植林された経

済林の一部である︒

第六図は同年における林野所有を示したも

のである︒それによると第五図に示された草

山はほとんど村持山で近世における入会林野

である﹁野山﹂を引き継いだ部分である︒こ

の村持山はほとんどが一郷一山の主旨から︑

高倉村有ではなく大山郷(大山村)有として

考えられていた︒ただ高倉領にあるため高倉

村他二ハケ村の名義にはなっていたため次第

に高倉の占有的な性格を強くしていったこと

は︑その後の所有変化の中から裏付けられ

る︒なお周辺部には高倉以外の村の所有分が

みられるが︑それらの村はいずれも領内に林

野が少なく︑林野の多い高倉領へ入り込んだ

ものである︒次に第五図にみられる里山の雑

木はほとんど個人有になっている︒いずれも

(16)

174  高倉村における林野の植生別所有状況(明治11年)

1418

;5.320;5  19725

17306 

15906  14805 T1020 0、814 α7002  0.4302  03013 02911 02824  02807  02708 02427 02126  02104 01727 01517  0.0920  00323 0ρ310  1:00310 oο012( 10.12

00012C:) 100012

0OOIZCJ 00012

168.7.413&Jff品用13

草山 合計 薮・~

穿並木

? 1418

5.3205  19725  17306 

1.3029(2)  f4401CZ)  09214(5)  06522臼〉

01705  01922(2) 

402 00012(失〉

0.2911 (央コ 02408(2) 01025

00416(2

2219 00119 0.2104  003'29 0.1517  00920 00528 00208

02007 0128

Z807( O0404 00101  所 有 者 名

平 野 廉 助 岡 田 嘉 助 長 沢 信 蔵 、

岩田 7J'J

中 沼 保象衛

周回 晶沫即

周 回 タl

] 珂 田 周 吉 中 沢 禎 輔 、 累 津 峯 義 澄

佐繰 君主国防

岡 田 角兵衛

任 牒 長田担p

rtri 芳太郎r02807(失〉

芳 本 善 之 I0;2708(2) 

岡田碍.‑¥::

周 回 半4

中次 善在工内 岡 田 忠 七 平 田 笹 易 、

永井 嘉勝T

岡田 欠治食p

西尾 ?良p

平回 復財布

商白 平助

南田 平 七

l臼 公 有 地 5

~

07002  0183M

(明治11年野取畝歩出し11長より作成)

近世の百姓持山(名前山)の

継承分と考えられる︒その多

くは村内で唯一つの株をつく

る岡田株の構成員が所有する

が︑これは近世から里山部分

を薪炭山として保護管理して

きたものである︒

一千九オ

tλfb

者がそのような薪炭山を所有

している状況もみられ︑前述

した耕地の村外流出と軌を一

第五表は右の状況を所有者

別にまとめたものである︒そ

れによれば上位二名を除けば

所有規模はいずれも雰細であ

るが︑階層差ははっきり認め

られる︒とくに村外者が多く

(17)

を集中しており︑商品価値の高い杉山についてはそれがさらにはっきり示される︒この段階守岡田株のグループは全

体として分解弱体化し︑やがて耕地の流出とともに高倉の農家のほとんどが小作化していく︒このように岡田株を中

心に高倉村民の経済的基盤が弱体化した背景には︑村が街道から少し奥へ入った小河谷の窪地に位置するため︑耕地

の零細性︑が明治以降の経済変動の中で持ちこたえられず︑近接する街道沿いの村々に形成されつつあった小規模な商

業・地主資本の村内への進出を許容せざるをえなかったということである︒

兵庫県丹波地域における入会林野の展開と再編成

それゆえ︑草山の多くが完全な高倉村有ではなく大山郷有となっていたことは︑農家の小作化にもかかわらず林野

の分解をさまたげることになり︑近年の再編成事業でそれが高倉の共有となったことからすれば幸運でもあった︒す

なわちこれらの草山は︑地租改正によって明治一四年に大山郷一七部落の共有となり︑明治二二年に大山郷の村々を

合併して大山村が成立すると︑同三五年には大山村有として造林を計画的にすすめる一方︑大正一四年には村有林の

Oパーセントの約四三O町歩を縁故使用地として一戸当り八反の割で各集落へ貸付け︑高倉は一四戸で一五町歩

余が貸付けられた

a v

これは高倉の領域が広いため一戸当り一町一反の割で貸付けられたことによる︒

自作農を生みだしている

a v

山の運用で昭和初期に松茸収入一千円をあげ︑それで水田三町三反を購入し︑

丹南町への統合合併時には直営地についてはほとんどそのまま財産区を設立して移行し︑縁故地はそのまま各部落へ

無償で払下げられた︒かくして高倉にも高倉の部落有林が成立することになったのである︒

大山村の旧村々はいずれもこのような経過をたどった︒それゆえ︑戦前この村全体の小作地面積が五Oパーセント

175 

(水田)近くに達する中で︑部落有林野として入会林野を近年まで維持することになり︑そのことが今日の旧大山村

の各部落において入会林野の再編成を一斉に行なう背景にもなったのである︒

参照

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