• 検索結果がありません。

1) Basil, Otto: Johann Nestroy in Selbstzeugnissen und Bilddokumenten. Rowohlt,

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "1) Basil, Otto: Johann Nestroy in Selbstzeugnissen und Bilddokumenten. Rowohlt,"

Copied!
12
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

ネ ス ト ロ イ と三 月 革 命

塚 部 啓 道

抑 えつ け られ た臣民 ども も/や が て考 え始 めた/「 畜 生 め/ど うして お れ が 奴 隷 で な くち ゃな らんの だ/そ りゃ君 主 は御 主人 様 さ/だ が おれ だ っ て同 じ人 間 だ/た と え この首 が とんで も/お 偉 い方 た ち にゃ/み ん な責 任 を/と って貰 わ に ゃな らぬ」/

弁 髪頭 の絶対 主 義 の進 退 ここ に きわ まっ た。 さあ ど うす る。 ど うす る。

『ク レー ヴ ィ ンケル の 自 由』 の ウル トラ の唄 で あ る(1幕7場) 。 ウィー ン三 月革 命 の勃 発4ヶ 月後 の7月1日 に この劇 が初演 され る と,  こ の唄 は 「燎原 の火 の よ うに」 燃 え拡 が って流 行 歌 とな り,  作 者 の ネ ス トロイ は一 躍 「ウル トラ自 由な」 「ウィー ンで唯 一 の 民 衆 詩人 」 に祭 りあげ られ た1)。革 命 の最 後 の,  第3段 階 ともい うべ き十 月の叛 乱 の直 前(10月4日)ま でに,  計36回 の 上演 をみ た この茶 番 劇 は,  勿 論革 命 の失 敗 後 は上 演 を 許 され る筈 もな か った か ら,  こ の劇 は文 字通 り3月 革 命 と運 命 を 共 に した とい え よ う。

だが62年 ま で生 きのび た ネ ス トロイが,  こ の革 命 と運命 を共 に した とい える か ど うか。

例 えば8月1日 か ら9月10日 まで カー ル劇 場 は 「客 の入 りが非 常 に悪 い た め」2)閉鎖 さ れ,  ネ ス トロイ は グラー ツ そ の他 に客 演 を して い る。 従 って8月23日 のプ ラー ター の 労働 者 のデ モ を国 民 防衛 軍 が襲 撃 した事件 に,  カール 劇 場 の あ る イ ェ ー ガー通 り(現在 のプ ラー ター通 り)で 立 ち会 うわ け には い かな か った。 彼 とそ のア ン サ ムブ ル に とって は, 世 界 史 の舞 台 よ りも, 芝 居 の 出来 る舞 台 の方 が大事 で あっ たか らで ある。 で は ネ ス トロイ は三 月革 命 に どの よ うに関 わ った の か。以 下 は ネ ス トロイの人 と作 品 の革 命 との 関 わ り方,「 参 加 ・不 参 加 の謎 」3)を 『ク レー ヴィ ンケ ル の 自由』 を中心 に,  48‑49年 の 作 品 を,  観客 の反応 を含 め た,  当時 の政 治 社 会 の状 況 の 中に置 くこ とに よっ て解 明 しよ

うとす る試 み で ある。 これ は又 ネ ス トロイ の調刺 の本 質 の解 明 に重 な るで あ ろ う。

ネ ス トロイ の場合,  そ の政 治的 参 加 を証 す る資 料 は ない。 自 由主義 的 文士 の検 閲 の緩 和 の た めの請 願 書 の 中に も彼 の署 名 は見 あた らぬ 。 あ の革命 の勃 発 した3月13日 の夜, 彼 は 『ル ムパ チバ カ ブ ン ドス』 の クニ ー リー ム を演 じて い る ので あ る。彼 が武 器 を手 に

1) Basil, Otto: Johann Nestroy in Selbstzeugnissen und Bilddokumenten. Rowohlt,

1967,  S. 125.  所 載 の1848年 の パ ン フ レ ッ トか ら.

2)  Nestroy, Johann: Samtliche Werke. His.‑kritische  Gesamtausgabe in 15 Bdn., hrsg.  von Fritz  Brukner und Otto Rommel.  Wien (Schroll)  1974,  Bd. 15, S.  425.

3)  Sengle,  Friedrich:  Biedermeierzeit.  Bd. 3. Stuttgart  (Metzler)  1980, S.  246.

(2)

ネス トロイ と三月革命  35 した雄 姿 は数 葉 の戯 画4」とな っ て後世 に親 しい 。 だ が これ は劇 場支 配 人 の カー ル が, 一 座 の俳 優 に 自分 の衣 裳部 屋 の 軍服 武 具 の類 をお しきせ, 俳 優 防 衛 軍 に仕 立 てた もので あ

っ た。4月30日 人 気俳 優 のネ ス トロイ と シ ョル ツの コ ン ビの歩 哨 姿 を一 目見 ん もの と, 数 千 の ウィ ー ン人 が フェ ルデ ィナ ン ト橋 を渡 った とい う。 それ は一 つ の シ ョ ウ, 劇 場 の 宣伝 のた め の,  い わば ち ん どん屋 の顔 見せ で あ った 。 こ の一件 は カール の た くま しき商 魂 と ともに,  ウィ ー ンの市 民 の革 命 に対 す る態 度 を端 的 に示す もの で あろ う。 彼 らは 自 由 の陶 酔状 態 の中 で革 命 そ の もの を一 見 の価値 あ る芝居 と見 な して い たの で あ る。 今 そ の橋 のた も とで抜 身 の剣 を捧 げ持 つ ネ ス トロイ の 目に は, 現 実 と芝居 を混 同 して,  自 由 の陶 酔 を ただ 演 じてい る にす ぎない群 集 の 姿 が滑 稽 な揶揄 すべ き もの と して映 っ て いた に違 い な い。 彼 は この揶揄 を革 命 前 よ り執 筆 して い た 『親 類 縁 者 』 の唄 の 中 で,  次 の よ

うな形 で果 す ので あ る。

民 衆 が武 装す る って事 で 考 え違 え して る者 が多 い/… 連 中 は つ ば 広 帽 子 に す る か,  筒 型 にす るか で/… 国 民全 般 の幸福 も違 っ て くる と思 っ てい る のだ 。 こ の重 大 な御 時 世 に/ほ ん と, け った い な人 の数 は尽 きぬ よ(4幕4場)

い うま で もな くっ ば広,  とん が り帽 子(カ ラ ブ レー ゼ)は3月 革命 の震源 地 ミラ ノの暴 動 以 来 瞬時 に して ウ ィー ンに飛 び 火 したモ ー ド, 特 に カ ラブ レー ゼ に幅 広 いた す き, 赤 い羽 毛 は急 進 的 な学生 の好 ん だ ス タイ ルで,  既 に 自由,  革 命 の シ ムボ ル と化 して いた 。 それ に対 して 前立 て付 き筒 型帽 は従来 の軍帽 。 革命 がモ ー ドの次 元 に堕 した状 況,  これ が厳 粛 さが 滑稽 に転 化 す る場 で あった 。上 の唄 の導 入部 に あた る独 自の 中 には,  ネ ス ト ロイ の諷 刺 の方 法 が述 べ られて い る とい っ て も過 言 では ない 。 「厳 粛 さに は, 荘重 な, 身 も引 しま る よ うな と ころ, 総 じて非常 に真剣 な と ころ が多 い もの です が,  それ に もかか わ らず常 に電 気 を帯 び た部 分 が あ って,  そ こ を しか るべ く摩 擦 す る と陽気 な笑 い の火花 を発 す る ので す」5)。人民 の武装 とい う厳 粛 な事 実 も, そ の帯 電 部 の,「国民 全体 の幸福 」 とい う普 遍 的 な合言 葉 と,「 カ ラブ レー ゼ」 とい う本 来 は個 別 的 なモ ー ドの言 葉 とを衝 突 させ 「しか るべ く摩 擦 す る と」, 笑 い の火 花 を発 して滑 稽 に見 え るの で あ る。 しか も 現 実 が厳 粛 さを増 してい く時 代 ほ どそ の帯 電 部 位 のエ ネ ル ギー は大 き く, そ れ を笑 いへ

と転 換 させ る可 能性 と欲 求 も又 増大 す る。 時 は ま さ に厳 粛 な政 治的 合言 葉 の飛 び か う時 代 で あ った 。 こ の傾 向 の引 き金 と保 証 に な った の が3月14日 の検 閲 の廃 止 で あ った事

は言 を俟 た な い。

だ が 『親類 縁 者』 の初演(5月21日)は 散 々 で あ った。 この時 期 は,  フ ラン ク フル ト 国 民議 会 へ の代 表 の選 出 も終 り, 5月17日 には 皇帝 が ウィー ン を 逃 亡 し,  革 命 は第二

の昂揚 期 に入 って い た。 ネ ス トロイが 先 に引 用 した唄 の5連 目で 「フ ラン クフ ル トとい

4) Schwarz, Heinrich: Johann Nestroy im Bild. Eine Ikonographie bearbeitet und herausgegeben von Johann Huttner und Otto G. Schindler. Wien 1977, S. 6; 68-69.

5) Basil, O. S. 124.

(3)

えば ソー セ ージ しか知 らない選 挙 人 た ち」 とや った とこ ろで場 内 は騒 然,「謝 罪 しろ」の 声 が乱 れ とんで,  結 局上 演 中止 のや む な きに到 った もので あ る。 ネ ス トロイ は楽屋 に閂 をか けて震 えて い た とい われ る。 この観 客 の反 応 の真 の原 因 は判然 としない 。 判然 とし てい るの は彼 が,  当 局 に よ る検 閲 が廃 止 され た今 も, 別 の形 の検 閲‑観 客 と批 評 家 側 か らの規制‑が 現 存 す る こ とを思 い知 ら さ れ た 事 で ある。 例 え ば保 守的 な 「演劇 新 聞」 も次 の よ うに督 促 してい る。 「ネ ス トロイ氏 は こ の 失敗 を必 ず忘 れ させ て くれ るだ ろ う。 聞 く ところ に よれ ば,  氏 は今,  現 今 の要 求 に適 合 す る 脚本 を執 筆 中 との事 であ る。」6)時代 の要求 に適合 す る事,  これ がい つ の時 代 で も市外 の民衆 劇 場 の茶 番 劇作 家 の とるべ き原 則 で な くて は な らな か った。 そ して時 代 はバ リケ ー ドが初 めて ウィー ン に築 かれ(5月27日),  革 命 の勝 利 が確 定 的 に見 え た時,  次 作 のた め路 線 は既 に決 って いた 。

『親類 縁 者』 の中 で も, 罰 棒 の廃 止,  リゴ リ派救 世 主 会士 達 の ウ ィー ン追放 は触 れ られ, メ ッテル ニ ッ ヒは幽 霊 と して 嘲笑 され てい た(1幕4場)。 今 度 は体制 側 と革 命 側 へ の攻 撃 の度 合 い を逆 に して,  作 者 自身 の旗色‑黒 ・黄 で あ るか,  赤 ・黒 ・金 で あ るか‑

を鮮 明 にすれ ばよ か った。

『ク レー ヴ ィ ンケル の 自 由』 の 中に は三 月革 命 の,  バ リケ ー ド構 築 まで の重 要 な事 件 が ドキ ュメ ン ト風 に又 回顧 的 に と り入 れ られ てい る。 ネ ス トロイ を 「ウィー ンで 唯一 の 民 衆 詩 人」 と賞讃 した先 の宣 伝パ ン フ レッ トの作 者 に 「ネ ス トロイ は この作 品 で,  オ ー ス トリヤ の歴 史 を,  ドキ ュ メン トを書い て くれ た」 と言 わ せ る もの が確 か に この作 品 に は あ る。 だ が この見 方 は,  ネ ス トロイ の作 品 の現 実 との密接 な関連 性 の指 摘 には な りえ て も, H.ゼ ーバ の断 言 す る よ うに矢 張 り 「誤 解」7)で あろ う。 ネ ス トロイ は革命 を素 材 に して歌 入 りの茶 番劇(ポ ッセ)を書 こ うと した の で あ る。 こ の 目的 のた め に彼 は ウィ ー ン民 衆劇 の伝統 に立 ち戻 って ,  コ ッツ ェ ブー を経 て,  ボ イ エル ル に よっ て ウィー ン民 衆 劇 の中 に定 着 した 『ク レー ヴィ ンケ ル市 』の モチ ー フ を茶番 劇 の枠 組 と して利用 す る。

ボ イエ ル ル の 『偽 の プ リマ ドン ナ』 の 中で, プ リマ に変 装 して, 市長 一 派 の陰 謀 を打 ち破 る俳 優 ル ス テ ィゲ の役 は ネ ス トロイ の十 八番 で あっ た か ら,  これ は彼 の最 も手 堅い 手 法 とい えた。 今 度 の主 人公 は変装 に よっ て, 反 動 の市長 一 味 の裏 をかい て,  革 命 を成 功 さ せ る ので な くて は な らぬ。 こ う して歴 史 的現 実 とし て の ウィー ンは,  革 命 の成 功 した ポ栄光 あふ れ,  自由 の光輝 くオ ー ス トリヤ」(1幕7場)の 首都 に引 きあ げ られ, 偏 狭 固陋 な住 民 の住 む ク レー ヴ ィン ケル は,  そ の ウ ィー ン をモデ ル に して,  革 命 の かわ りに革 命 っこ(Revolutionerl)の 起 る想 像 上 の舞 台空 間 に な る。 こ の両 者 の間 の距 離 に よって, ネ ス トロイ は ク レー ヴィ ンケ ル の視 点 に立 って ウィー ン の革 命 を讃 め あげ る事 が可 能 で あ り, 同 時 に又 ク レー ヴ ィ ンケ ル の戯 画 化 された 革命 っ こによ って,  ウ ィー ンの革 命 そ

6) Nestroy, S. W. Bd. 5, S. 610.

7) Seeba, Heinrich C.: Die Sprache der Freiheit in Krahwinkel. In: Austriaca. Tubin

gen (Niemeyer) 1975, S. 138.

(4)

ネス トロイと三月革命  37 の もの を笑 うこ とが出 来 る。 つ ま りこの距 離 は ネ ス トロイ の現 実 の政 治 へ の態 度 を隠蔽 す る仮 面 の 役 を果 して くれ る筈 で あ った。 彼 は一 方 で は打 倒 された現 実 の絶 対 主義 体 制 を,  ク レー ヴ ィン ケル の枠 内 に入 れ て矮 小 化 す る こ とに よっ て,  そ の嘲 笑 の度 を倍 加 さ せ る が, 一 方 では 『親 類縁 者 』 の唄 で行 な った 自 由の熱 に浮 かれ た ウィー ン人 に対 す る 批 判 を間接 的 に, 即 ち, ク レー ヴィ ンケ ル人 の 「自 由っ こ」 を笑 うこ とに よって 行 な う。

「自由 だ。自由 だ」 と叫 び な が ら,「押 しか け る先 は」 と問 わ れ る と一斉 に 「コ ー ヒー店!」

と答 え る ク レー ヴ ィンケ ル の市民(1幕10場)は,  革 命 とは コー ヒー店 で議論 し, 弾 劾 セ レナ ー ドの談 合 をす る事 と心 得 え てい た ウィー ン の小市 民 の戯 画 以外 の もの では な い。

ま た ウル トラ を 「ヨー ロッパ 自 由平等 委 員 会」 の馬上 の使者 に変装 させ,  革 命 の三 色 旗 な らぬ虹 の七 色旗 で 「幻 想 的 に飾 り立 てて」 登 場 させ る(2幕15場)こ とで, ウィー ン の 自由 の旗 手 をか らか う。 更 に男 子 学生 に替 っ て女 た ちが学 生 に変 装 してバ リケ ー ドを 守 る最 終場 面, ネ ス トロイ は 『12人 の制 服 の 乙女 』等 でお手 の もの の男装 劇 の手 法 を用 い て,  男子 学 生 軍 が存在 しな くて も, 女 性 が主 導 権 を とるこ とによ って成 就 され る革命 を描 く(『ユ ーデ ィ ッ トとホ ロフ ェル ネ ス』 にの び るテ ーマ)。 男子 学 生 の不 在 も,  現実 の ウィー ン で5月25日 に学 生軍 が 解散 を命 じ られ,  それ が 原 因 で バ リケー ドが築 か れ た とい う事 実 か ら発 想 され た と思 わ れ るが,  同 時 に,  常 に煽 動 の 中心,  急 進 派 の中 核 を な した 学生 軍 団 に対 す る市 民 階級 の反 応 も混 じて い るだ ろ う。 そ れ は ク レー ヴィ ンケ ル の女 性 軍 の かぶ る カ ラブ レー ゼ に ど くろ印‑学 生軍 中最 も急 進的 な 「ど くろ軍 団 」 の 印‑がつ い て い る事 に も表 われ て い る。 勿論 この女 子学 生 軍 に も攻撃 の矢 は 向 け られ る。 彼 女 た ちがバ リケ ー ドに馳 せ 参 じるの は革 命 の た めな の か,  そ こに詰 めて い る恋人 の た めな の か,  は っ き り しな い。 革 命後 の 『貴 婦 人 と仕 立屋 』 の唄(2幕7場)の 中で は

「は じめ学 生 さん にほ れ,  おつ ぎ は兵隊 さん に ほれ た」 バ リケ ー ド上 の女 闘 士 の志 操 が ま っ先 に槍 玉 にあ が るの で ある。

ネ ス トロイ の期 待 どお り, 茶 番 劇 の枠 は,  彼 に諷刺 を安全 に行 な うこ とを保証 す る カ モ フ ラー ジ ュの役 を十 分 に果 したで あ ろ うか。 否 で ある。 彼 の笑 い に よ る攻 撃 は体制 や 反 革 命 に向 け られ る時 には観 呼 を もって 迎 え られ た が, 革 命 に 向 け られ る と忽 ちそ の旗 手 た ち か ら反 撃 を受 け た ので あ る。 ウル トラ扮 す る七 色 の旗 で飾 った馬 上 の使 者 も,  3 月15日 に馬 上 か ら憲 法 を 布 告 し た 民衆 劇 作 家 のF.カ イ ザ ー(当時 学 生軍 に属 してい た)へ の揶揄 で あ る事 は明 白 で あっ た か ら,  カイザ ー は こ の劇 を 「自由 のた め の全 て の 努 力 を揶揄 す る もの」 と忌避 して い る。 又 ネ ス トロイ の論 敵 で あ るM.ザ フ ィー ルは

「ネ ス トロイ は 自 由 とい う高 貴 な 問題 を泥 の中 に踏 み に じった」8)ときめつ け てい る。 こ れ に対 して ネ ス トロイは革 命 後 ザ フ ィー ル宛 の手 紙 で,  革 命時 のザ フ ィー ル の姿 を 「自 由の あ りとあ らゆる帯 で もって飾 りた て た」 国民 防衛 軍 の姿 に描 い て見 せ て 「そ の姿 を 見 て私 は 自由 に対 して吐 き気 を もよお し… 黒 と黄 の 旗 印 の方 につい た の です」9)と し

8) Nestroy, S. W. Bd. 5, S. 628.

9) Nestroy, Johann: Briefe, hrsg. von Walter Obermaier. Wien 1977, S. 81-83.

(5)

っぺ返 しを してい る。

上 に見 るよ うに 『ク レー ヴ ィ ンケル の 自 由』 で は歴 史 的 事実 として の革 命 が,  茶番 劇 の枠 組 を圧 迫 し,  破 裂 させ よ うと して い る。 更 に歴 史的 事 実 は 劇 中 の 唄 の 中で扱 われ て,  作 者 の革 命 に対 す る姿 勢 が よ り直接 に露 呈 され て い る と思 わ れ る が,  こ の唄 も床 屋 政 談 に似 て,  民衆 劇 場 の観 客 の革 命 に対 す る姿 勢 に合 わせ て歌 わ れ る か ら, 作 者個 人 の 意見,  姿勢 で ある と速 断 出来 な い。 従 っ て次 に劇 中 に露 わ れ た政 治的 意識,  態度 を, 革 命時 の政 治,社 会状 況 の 中 に位 置づ けて,  ネ ス トロイ 自身 の態 度 を同定 す る必 要 が あ る。

まず ネ ス トロイ の絶対 主 義 の体 制,  検 閲,  官 僚 主義,  スパイ 網,  救 世主 会 に代 表 され る教 権 主義 等 に対 す る絶 対 的 否定 は,  それ らに対 す る嘲 笑 の言 葉 の直 接的 な激 しさか ら 確 証 され る。 一例 と して,  リゴ リ派修 道 士 の ウィー ン追放 の際 の民 衆 の合 唱 を引用 して

見 る。

黒衣 の皆 さん さよ うな ら/お 別 れ で きて うれ しい よ。/圧 制 の 世 は 終 り/あ あ素晴 ら しき時代 の夜 明 け。/メメ ン ト ・モ リとは御坊 た ち に い う言 葉/リ ゴ リ派 は も う コ リゴ リだ/二 度 と帰 っ て来 る でな い(3幕12場)

この リゴ リ派 の追放 の場面(6‑12場)は,  4月6日 の事 件 の忠 実 な反 映 で ある。 この合 唱 を歌 う 「民 衆 」 は従 って革 命 の担 い 手 で あ るブ ルジ ョア, 手 工 業者 な どの小 市民 か ら な る国民 防衛 軍 で ある が,  当時 体制 側 と結 託 して い る と思 わ れ てい た聖 職 階級 に対 す る 憎悪 は,  ウィー ン の市 民 の間 に蔓 延 してい た か ら, ネ ス トロイ も 「素 晴 ら しき時代 の夜 明 け」 と革 命 の未来 へ の期 待 の声 に和 した事 は疑 えな い。 しか し この リゴ リ派 追放 をは じめ,  先 に挙 げた検 閲 そ の他 の体制 批 判 に は精 神 的 要 素 が強 い。 これ は三月 革 命 の主 体 が最 初 ブル ジ ョアジ ーで あ り, こ れ を 「誓 願 」 な どの形 に組 織 した層 が 自由主 義的 知 識 人,  学 生 の 「反対 派 」 で あ った事 を示 して い る。 ネ ス トロイが本 来 属 してい る こ の層 は,  ヨゼ フ ニ スム ス の洗 礼 を受 けて啓 蒙 化 され た階層 であ り, 漸進 的 な改 革 論者 で あ っ て,  急進 的 革 命家 か らは程 遠 い。 そ れ ど ころ か皇帝 に忠 実 な君 主制 主 義者 で さえ ある。

ネ ス トロイ が この君 主政 体主 義 に反 対 でな い事 は,  劇 中 にハ プ スブル ク王 家 を揶揄 し攻 撃 す る言 葉 のな い事 か らも明 らかで あ る。 いや 全 くない とい うよ り, 冒頭 に引用 した唄 に も 「君 主 」(Herrscher)の 形 で引 き合 い に 出 され る が,  こ れ も 「君主 は主 人 に違 い な い」 と是 認 され,  責 任 を とっ て貰 わ ね ばな らない 「お偉 い方 た ち」(die  groBmacht'gen Herren)に は,  メ ッテ ル ニ ッ ヒを始 め, 弁 髪頭 の権 力者 達 が想 定 され て い る。 二 度 目の

ウル トラの 唄 では 「ヨー ロ ッパ で は,  共和 制 は ど うも うま くい か ない」 と共 和制 の可 能 性 に対 して 否定 的 発言 が あ る。又 同 じ唄 の第4連 は外交 政 策 に対 す る ネ ス トロイ の 立場 を推 測 させ て くれ る。 即 ち,  ハ プ スブ ル ク家 の支 配 下 の諸 民族 の分離 へ の 傾 向(連邦 主 義等)を 否 定す る,  中央集 権 的 な立 場 で あ る。 これ も革 命 初期 の推進 者 とそ の階 層 に共 通 な立 場 で あ った。

ウィー ン の三 月革 命 は,  他 の ブル ジ ョア革命 と同 じ く, 革 命 の主体 が,  ブル ジ ョア階 級 か ら次 第 に階級 として の意 識 とま とま りを持 つ に 到 った プ ロ レタ リア ー トへ移 行 し,

(6)

ネス トロイ と三月革命  39 両 者 の分 裂抗 争 が顕在 化 す る過 程 で あ る とい える。 そ の両 者 の 中間 に あ って,  絶 え ず急 進 的 に な ろ うとす る学 生 の層 が あ り, ブ ル ジ ョアジー も大 ブル ジ ョア と小 市 民 に絶 えず 分 化 してい た の であ る。 従 って初 期 の 革 命 の 主体 で ある ブル ジ ョアジ ー(主 と して 市 内 の)は後 方 に政 府,  宮 廷 貴族,  前 方 には プ ロ レタ リアー ト(主と して 市外 の住 人)に対 し て の両 面 作戦 を余儀 な くされ る。特 に後 者 に対 して は革命 の当初 か ら, 彼 等 の作 り出 す 無 政府 状 態 に恐 怖 を感 じて い た事 は,  次 のバ ウエ ル ン フェ ル トの 回想 か らも明 らかで あ ろ う。3月13日 に 「市 民 の請 願 」 の代 表 と して王 宮 に赴 いた 彼 は,  ミ ヒャエ ル広 場 を 埋 めた群 集 に対 して煽 動 家 が私 有財 産 の廃 止 を説 き,「 社 会 民 主主 義 」 の理念 につ い て 演 説 す る の を聞 いて 「私 の感 覚 か らい って最 も厭 わ しい怪 物 <無 政 府主 義>  が ま ぎれ

もな く眼前 に あっ た」10)と書 い てい る。

ネ ス トロイ が ブル ジ ョァ 階級 の一員 と して,  この階 級 の考 え方,  特 に感 じ方 に規 定 さ れ て い た と して も不 思 議 で は ない 。 ゼ ン グ レが指摘 す るよ うに 「大 ブル ジ ョアジー とい う自意 識 」11)さえ持 って い たか も知 れ ぬ。 何 しろ47年 の彼 の年収 は約1万 グルデ ン, 住 み 込 み の靴 屋 が 日給28ク ロイ ツ ァー,  1年 で100グ ル デ ン以 下, 役 人 の家 族 が年400グ ル デ ン で暮 せ た時代12)であ った 。 しか し中産 階級 の家 に生 れ,  ウィー ン大 学 で法 律 を〓

った ネ ス トロイ は,  絶 え ず この階 層 に背 を向 け て,  ヴ ァイ ゲル の言葉 を借 りれ ば 「市 外 の 町へ 逃 亡」13)して,  そ こ の民 衆劇 場 の観 客(主 と して 市内 の小 市 民 や,  ギ ャ ラ リー に つ め か ける社 会 の最 下 層 の人 達)を 相 手 に歌 い 演 じ続 け て きた。 こ こか ら必然 的 に彼 の ブ ル ジ ョア として の存 在 と, 上 か ら下 へ とい う意 識 の間 に分 裂 が生 じる。 この分 裂 は三 月革 命 の 主体 の間 の分 裂 が激 化 す る につ れて 大 き くな る。 これ が 『ク レー ヴ ィ ンケ ル の 自由』 にお け る諷刺 の多様 性 と,  そ の強度 の差 を生 じ させ る原 因 で あ る。 彼 の諷 刺 が 旧 体 制側 の み な らず,  革 命 の旗 手 や推 進 者 た ちに 向 け られ,  又 ブル ジ ョア ジー とプ ロ レタ リアー トの間 を揺 れ動 く学 生 層 に も向 け られ た事 は既 に述 べ た。 そ の他,  詩 人 シュペア リン グ像 にお い て は,  当時 の傾 向詩 人 の文 体 のパ ロデ ィー に よって,「 自 由」 と 「鞭」

の 間 を,  即 ち反体 制 と体制 の間 を動 く層 の 日和見 性 が痛 烈 に攻 撃 され てい る。概 して ネ ス トロイ の属 す る ブル ジ ョアジ ー の階層,  知識 階 級 を対 象 に した 笑 い は, 屈 折 に とんで 皮 肉 で辛辣 な もの が多 い。

次 に ネ ス トロイの 労働 者 階級 に対 す る態度 が問 わ れね ば な らな い。 劇 中 で ウル トラは 変 装 を繰 り返 して, 革 命 を救 い, 最 後 に は 「プ ロ レタ リア ー ト」 に変 装 してバ リケー ド 上 で革 命 を勝 利 に導 く。 これ は現 実 の プ ロ レタ リア ー トが5月 のバ リケ ー ド戦 で学 生 軍

10) Bauernfeld, Eduard: Lebenserinnerungen aus Alt und Neu-Wien. Ausgewahlte Werke in 4 Bdn. 1905, S. 173.

11) Sengle, F.: Biedermeierzeit. Bd. 3, S. 196.

12) Andics, Hellmut: Das osterreichische Jahrhundert. Die Donaumonarchie 1804- 1918. Molden 1974, S. 48.

13) Weigel, Hans: Johann Nestroy oder Die Flucht in die Vorstadt. In: Flucht vor

der GroBe. Wien 1978, S. 73 ff.

(7)

団 を援 けて 以来,  階級 として の存 在 を主 張 し始 めた史 実 に対 応 してい る。 劇 中 の プ ロ レ タ リア ー トに よ る革命 の成功 は した が って, プ ロ レタ リア ー トの勢 力 を占 め る市外(特 に レオ ポ ル トシ ュ タ ッ ト)の劇 場 の観 客 に対 す るネ ス トロイ の 連 帯 の 表 明 の役 を果 す 。 し か し ウル トラの他 の変 装 と同 じく,  ウル トラの た った一 人 のプ ロ レタ リアー トへ の変 身 は非現 実 的 で あ り, 幻 想 的 で ある。 この像 はネ ス トロイ の幻想 が創 り出す,  真 の革 命 の 担 い手 で ある と同時 に, 現 実 の革 命 の担 い手 の不 完 全 さ, 虚偽 性 を暴露 す る た めに現 実 につ きつ け られ る像 で もあ る。現 実 に幻想 をかぶ せ る こ とによ っ て 現 実 の幻想 を剥 ぐ, これ が ネ ス トロイ の諷 刺 の基 本 的構 図 な の だが,  こ こか らネ ス トロイ の政 治的 立 場 につ い て の対 極的 な二 つ の解釈 が生 じて くる。

一 方 では, ネ ス トロイ が幻 想 を ま とわせ た革 命 を現 実 の革 命 と同一 視 す る こ とに よ っ て,  劇 の表 面 の革 命 の讃 歌 のみ を見 て,  そ の裏 の革命 とそ の担 い手 に対 す る辛 辣 な皮 肉 に 目をつぶ ろ うとす る。 これ は ネ ス トロイ を 「ウル トラ 自由」 だ と見 て,  全 面 的 に支持 した当 時 の観 客,  批 評家 と後世 の 「進 歩 的」 批 評家 に多 い観 点 で あ る。 他 方 は ネ ス ト ロイが革 命 に ま とわ せ た幻 想 を彼 の人間 や歴 史 に対 す るペ シ ミズ ム の表 現 との み見 な し て,  革 命 の幻想 を剥 ぐ諷刺 家 として の ネ ス トロイ しか認 め ない 。彼 が幻想 の形 で伝 えよ う とした彼 自身 の内 な る革命 へ の意志 も,  こ の観点 か らは否 定 され る。 これ は 当時,  彼 の諷 刺 が 自分 に 向 け られて い る と思 った 自由 の旗手 達 や,  後 世 の保 守的 な解釈 に認 め ら れ る観 点 であ る。 ネ ス トロイ の革命 に対 す る 態 度 は そ の 両 者 の二 者択 一 の中 にで は な く, 彼 の ブル ジ ョア として の存 在 と, そ れ に もか かわ らず あ らゆ る絶対 的 な不 合 理 に反 抗 しよ うとす る彼 の革 命 的 な意 識 との交差 す る とこ ろに求 め られね ば な らな い14)。

再 び プ ロ レタ リア ー トに対 す る彼 の 態度 に 戻 って い え ば,  過 激 な暴 動 に走 る(既 に3 月13日 市外 で略 奪,  焼打 ち を行 な った)プ ロ レタ リア ー トに対 して ネ ス トロイ が恐怖 を 感 じてい た事 は確 か で あろ う。彼 は この恐 怖 を 自分 の相 手 役 の,  間抜 けた 道化 役 シ ョル ツ扮 す る クラ ウスの言 動 に封 じ込 めて い る。 「私 有財 産 は神聖 に して犯 す べ か らず」 と 家 々 に魔 除札 の よ うに書 いた 富裕 な 市民 は ク ラ ウスに よ って真 似 られ る(3幕18場)。 し か しす ぐそ の後 で ネ ス トロイ は賢 い 道化 ウル トラの 口か ら 「その言 葉 は 労働 者 の心 に書 か れ るの で なけ れ ば,  そ んな壁 の落 書 きい く ら書 い て も何 の役 に も立 た ぬ」 と念 を押 す 事 を忘 れ ない 。 ク ラ ウス の 「わ た しは ク レー ヴ ィン ケル の連 中の こ とは よ お くわ か って い ます。 暴 れ る だ け暴 れ さす の です。 激 昂 がす ぎれ ばお とな し くな りま す。 そ した ら手 でつ かま えて,  ひね りつ ぶ してや りま しょ う。 この民 衆 っ て奴 を」(1幕24場)と い う民 衆 観 は,  革 命後 『貴婦 人 と仕 立屋 』 の 中で 「民 衆 とは揺 籠 にね む っ てい る巨 人。 目覚 め て,  起 き上 り, の っ しの っ し と歩 き廻 って,  全 て を踏 み に じ り, 揚 句 の果 に,  ば た り と 倒 れ た そ の場所 は,  揺 籠 よ り もは る か に寝 心 地 が悪 い」(1幕8場)「 自 由 が共 産 主義 に な った ら, ほ ん と, こ いつ は結 構 とは言 って はお れ ぬ」(2幕7場)と 展 開 してい く もの

14)  Jurgen  Hein  は遊 び と諷刺 の融 合 に よ って,  上 の二つ の立 場 を総 合 させ よ う とし て い るが,  この場 合 もネ ス トロイ の現 実 社会 との 関わ りの精 査 は必 須 の前 提 とな る。

(8)

ネス トロイと三月革命  41 で あ る。

『ク レー ヴ ィ ンケル の 自 由』 は 「革命 」 と 「反 革 命」 の2部 構成 だ が,  第 一 部 の終 り で は市 長 の夢 の中 で反革 命 の勝 利 が夢 み られ てい る。 この劇 の初演 の時 期(7月1日)を 考 え る と,  こ こは ネ ス トロイ の諷 刺 の予 言 性 を,「観 客 よ り遠 くを見 る眼」15)を強調 した くな る と ころで あ る。 だ が現 実 に,  6月 か ら7月 にか けて の ブル ジ ョアジ ー の革命 離 れ と,  プ ロ レタ リア ー トの反 目が決 定 的 に な ってい く一 方 で,  イ ンス ブル ック に逃 れ た皇 帝 と宮 廷 は,  ラデ ツ キー老 将 軍 に よ るイ タ リヤ制 圧 作戦 の成 功 で, 反 革 命 の歩 を着 実 に 踏 み 出 して い たの で あ る。6月8日 の ラデ ツキ ー の初戦 の勝利 の報 に 「あな たの 陣営 に オ ー ス トリヤ はあ る」 と献 呈 詩 を書 い た の は グ リル パ ル ツ ァー で あった 。 又8月6日, ラデ ツ キー元 帥 の ミラ ノ入 城 の時 には,  ヨー ハ ン,  シ ュ トラ ウス(父)が 「ラデ ツキ ー行 進 曲」 を作 曲す るこ とにな る。 この よ うな時 代状 況 に抗 して,  ネ ス トロイ は彼 の 茶番 劇 を革 命 の勝 利 で終 らせ る。 そ して も し現 実 の革 命 が勝 利 して いた な ら,  ラデ ツキ ー行 進 曲 に かわ って有 名 に な った で あろ う 「革 命 行 進 曲」(ヨ ーハ ン ・シュ トラ ウス二 世作 曲) で幕 にす る。 つ ま り彼 は革 命 の方 へ賭 け たの で あ る。 「反革 命 は幽霊 で ある。 周知 の よ うに幽 霊 は臆 病者 のみ に存 在 す る。 そ れ故 反革 命 を恐 れな け れば,  反 革 命 は存 在 しない の だ」この有 名 な ウル トラ の最後 の セ リフが, 郊 外 の民 衆 劇場 の観 客 を, 10月 の叛乱 へ と 鼓舞 した とす れ ば, これ をネ ス トロイ の革 命 へ の参加 の形 の一つ と呼ぶ事 は許 され よ う。

ヴ ィ ンデ ィ ッ シュ グ レー ツ の ウィー ン包 囲 攻撃 に よ って11月1日 に ウィ ー ンの革 命 が敗 北 した後,  11日 には検 閲 が復 活 し, 13日 に は早 くも カー ル劇場 が再 開 され てい る。

反革 命 が勝 利 して,  革 命 の失 敗 に よ る深 い 挫折 感 と,結 局 は得 を し た ブ ル ジ ョア階 級 の,  秩 序 回復 を喜 こぶ気 持 の入 り交 っ た 「政 治的 二日 酔 」16)の時代 。 ネ ス トロイ は革 命 後 の第 一 作 『貴婦 人 と仕 立 屋』(49年2月6日 初 演)で,  政 治 に と りつ か れ て, 貴族 のお 家騒 動 に巻 き込 まれ る仕 立 屋 を主 人公 に して,  再 び政 治 に 関わ りを持 つ。 勿 論 反革 命 の 時代 だか ら, 前作 とは逆 に, 革 命 批 判 に力 点 が置 かれ てい る事 は 否定 出事 ない 。 こ の新 作 に対 す る観 客 の反 応 は二 分 され, 批 評 も好意 的 な もの とネ ス トロイ を政 治 的風 見 鶏 と 攻 撃 す る もの に分 れ た とい う17)。後者 は この作 品 を 『ク レー ヴ ィン ケル の 自 由』 と対極

を なす反 革 命 的 な作 品 と見 な して,  ネ ス トロイ の変 節 をつ く最 初 の評 で あ った。 い や厳 密 に は, 最 初 で は ない か も知 れ ぬ。 ネ ス トロイ 自身 が主 人公 の唄 で変 節 漢 を揶揄 して い

る か らで あ る(1幕8場)。

只 一つ 儲 か らぬ 商売 が ある/別 の意 味 で は一 番忙 しい 商売/そ れ が鞍 屋 だ/厖 大 な 仕 事 の量 だ よ/一 晩 の 中 に/何 十 万 の人 が (Hunderttausend'  von  Leut')/鞍 乗 りか

15) Hein, Jurgen: Nachwort zu: Johann Nestroy. Freiheit in Krahwinkel. Stuttgart (Reclam) 1969, S. 78.

16) Mautner, Franz: Nestroy. Heidelberg (Lothar Stiehm) 1974, S. 287.

17) Nestroy, S. W. Bd. 5, S. 672.

(9)

え る御 時 世 だ もの/そ れ で いて金 を払 う ものは だ一 れ もい な い/ま こ と激動 の世 に は/い ろ い ろな人 にお 目 にか かれ る。

民 衆 劇 の観 客 の 中 に政 治的風 向 き を嗅 ぎ と り, 笑 い の攻撃 の矛 先 を変 え てい くネ ス ト ロイ も鞍 を乗 換 え た何 十 万人 の一 人 で あ ろ う。諷 刺 は 自分 自身 に も向 け られ て,  そ の攻 撃 力 を強 め な が ら,  次 にそ の 何 十万 の 変 節者‑革 命 を生 き のび た45万 人 の全 ウィー ン人 に向 け られ る。 この集 団責 任論 は こ の年 に書 か れ,  結局 上 演 されな か っ た 『老 人 と 若 い妻 』 に そ の全 容 を表 わす。 「革命 が終 っ て か らとい うもの,  刑 罰 の適 正 規模 は ない よ うだ。法 に よれ ば何十 万 の人 が死刑 に価 す る‑勿 論 現実 には そ うは な らぬ。 っ ま り 銃殺 刑 にな る者 が い る。15年 の禁 固 の者 もいれ ば6週 間 の 奴 もい る。 か と思 う とメダ ル を貰 う奴 がい る。‑だ が考 えて見 れば皆 な同 じ事 をや った の だ」(1幕15場)。 しか しネ ス トロイ の笑 い の真 の攻 撃 目標 は,  鞍 を乗 りか え るこ とによ って 得 を した者,  メダ ル を貰 って時 流 に乗 ってい る者 で あろ う。 な に しろ3月 革 命 の 引 き金 に な った市 民 の請 願 書 の起草 にあ た った 自 由主義 者A.バ ッハ が,  法 の番 人 の トップ に, 即 ち法務 大 臣 の 椅 子 につ く時世 で あっ た。 この よ うに 『貴婦 人 と仕 立 屋』 では,  政 治 が現 実 とは関係 の ない 固 定観 念 に な って しまっ た, 人 の上 に立 ちた が る男 を通 して, 革 命 批 判 を表 面 に押 し出 しな が ら, 同 時 に反 革 命 の時流 に乗 っ てい る ブル ジ ョアジ ー批 判 が果 され るの で あ る。 これ は 『ク レー ヴ ィ ンケル の 自由』 に お ける諷 刺 の力 点 が逆 にな った だ け で,  ネ ス トロイ の革 命 に対 す る態 度 の根 本的 変化 を示 す もので は ない。 ネ ス トロイ に とって革 命 は未 だ終 って はい な い。『貴 婦 人 と仕 立屋 』 初演 の1カ 月後 に上 演 された 『ユー デ ィ ッ トとホ ロフェル ネ ス』 の 中 では,  ヴ ィ ンデ ィ ッシ ュ グ レー ツに囲 まれ た ウ ィー ンは,  ホ ロ フェ ルネ スに よ って包 囲 され たべ ェ トゥー リエ ンの町 に変 え られ て,  国民 防 衛 軍 はユ ーデ ィ ッ トの変 装 に よ って ,  も う一 度勝 利 をお さめる の で ある。

最 後 にネ ス トロイ の革命 に対 す る態度 を規定 して い る重 要 な概 念,「 唯 一 の世 界観 」18) であ る運 命観 につ いて,『 地 獄 の苦 しみ』 に入 れ られ る 筈 で あっ た 長 大 な モ ノ ロー グの 中 か ら聞 い て この小 論 の ま とめ とし よ う。 この運 命 のモ ノ ロー グは ネ ス トロイ の,  自 ら の革 命 に対 す る態 度 につ いて の 自己分 析,  総 括 で あって,  これ によ り初 め て彼 は こ の地 上 の三 月革 命 を乗 り越 え る事 が 出来 た とい え る。 「革 命 家 は ふ つ うこの世 の政府 を襲撃 す る。 私 に とって は これ で は あま りに 小 さい 。 〔… 〕私 が反 乱 を 起 す のは 宇宙 の政府

‑つま り運 命 と呼 ば れ てい る もの に対 して で ある。 私 は 目 に見 えな い カ ラ ブ レーゼ を かぶ り, 想 像 上 の赤 い羽 毛 をつ ける。 これ で私 は 巨人 にな る。 巨人 たち はそ の か みの大 学 生 。 チ ンボ ラ ッセ火 山 を レオ ポル ト山 に積 み あげ て… バ リケ ー ドを築 い て天 に反抗 した のだ」19)人間 と世界 を統 べ る盲 目 の力 と して の運 命 は,  未 だバ ロ ック の伝統 の中 に あ るネ ス トロイ の作 品 の中 で,従 来 も 「天」 と同義 の根本 概 念 で あ った。 「彗 星 の唄」 の 中 で クニ ー リー ム も,  天 上 と地 上 の狂 気 を対 比 させ な が ら,「 こ の世 は も う長 くはな い

18) Preisner, Rio: Der konservative Nestroy. In: Maske und Kothurn, 18 (1973) S. 35.

19) Nestroy, S. W. Bd. 5, S. 702.

(10)

ネス トロイと三月革命  43 よ」 と歌 って い た。 しか しそ こ では こ の 「世 」 は宇 宙 で あ る と同時 に,  メ ッテル ニ ッヒ 体 制 の支 配 す る世 で あ る事 が暗 示 されて い る に 過 ぎな か った 。 今 や 三 月革 命 の一 年 後 に, 運 命 は,  又 天 は 「弁 髪頭 」 で 「官 僚機 構 」 を持つ 「残 酷 な絶 対専 制 主 義」 と言 い表 わ され,  こ の運命 に反 抗 す る 「私 」 は,「絶 対 に満 足 しない もの」,  巨 人 で あ る 「大 学 生 」,「プロ レタ リア ー ト」「生 れ つ き の革 命 家 」 と規 定 され る。 この運 命 に対 す る反 抗 は 現 実 の三 月革 命 の失 敗 で実 証 され た よ うに挫 折 す る こ とのわ か って い る プ ロメテ ウス的 な反 抗 であ る。 これ が絶対 の否定 者 と して,  こ の世 の全 ての不 合 理 を笑 い に よっ て攻 撃 しよ う とす る ネ ス トロイ の諷 刺 の精 神 の根 で あ る。

だ が運命 の絶対 的 な力 は,  人 間 に行為 へ の 無力 感 を 生 み,  現 実 を運 命論 的 に傍 観 さ せ,  諦 念 と逃 避 へ と導 く力 で ある。 運命 に対 す る反抗 は現 実 か らの逃 避 の別 の表 現 であ る。 運 命 のモ ノ ロー グの第 二稿 は これ を次 の よ うに言 う。 「私 は一 度 も地 上 の体 制 に対 して反乱 しよ うな ど とは思 わ な か った。 体 制 自身 が往 々 に して 貧 しい か らだ」20)。ネ ス トロイ も確 か に現 実 の革 命 に は参加 せず,  市 外 の民 衆 劇場 の舞 台へ 逃避 した。 しか しこ の 現 実 か らの距 離 が,  彼 にそ の舞 台 か ら現 実 を攻撃 す る諷刺 の言 葉 を, 鋭 利 に磨 か せ た

の であ る。 こ の意 味 で彼 を逃 避 へ と誘 う力は又反 抗 へ と誘 う力 で あ った と言 え よ う。

この反 抗 と逃 避 の 中間 の道 をネ ス トロイ は常 に探 して い る。「中庸 は徳 」 で あ った21)。

そ して両 者 の拮 抗 す る と ころ に,  世界 苦 を一 身 に引 き 受 け て 耐 えて い る とい った風 の, 滑 稽 に も, 賢 い人 た ちの顔 が浮 かぶ 。 「た しか に 運 命 を 忍 耐強 く耐 えて い る人 た ち がい る 。本 当 は,  そ ん な事 は無 駄 で あ る と, 無 力 な反 乱 は滑 稽 で あ る とわ かっ てい る 賢い 人 た ち だ。 しか しそ れ故 に そ の人 た ちは や は り, 穏 や か な反 逆 者,  恭 順 な革 命 家,  温 和 な プ ロ レタ リアー トな ので あ る」22)。クニー リー ム もそ の よ うな 「穏 や かな反 逆 者」の表情 を見 せ た が,  この名 が最 もよ く適 合 す る のは 『老人 と若 い妻 』 の老 人 ケル ンで あ ろ う。

彼 に具現 され た諦 念 の叡 知 は,  反 逆者 ネ ス トロイ の仮 借 な き諷刺 の言葉 に一種 のや さ し さ と, 哀 しみ を加 える もの で あ る。 しか しこ のや さ し き反 逆者 は ネス トロイ 自身23)では な く, 彼 の願 望 の像 で あ った。 や さし き反 逆 者,  穏 や かな 革命 家 の表 情 を見せ た そ の瞬 間 に,  ネ ス トロイ の諷 刺 の精 神 は反 抗 と逃 亡 の両 極 へ 向 って走 り出 して い る よ うだ。

20) Ebenda. S. 706. 21) Ebenda. S. 707.

22) Ebenda. S. 703. 23) Vgl. Mautner: Nestroy, S. 107.

(11)

Nestroy und die Marzrevolution

YOSHIMICHI TSUKABE

Im Revolutionsjahr 1848 beflugelte die Aufhebung der Zensur den

satirischen Geist Nestroys und regte ihn zu seinem revolutionaren Theater

stuck •gFreiheit in Krahwinkel•h an, das er fur sein bestes hielt. Dieses Stuck

hat die wirklichen Revolutionsereignisse vom 13. Marz bis 27. Mai in Wien

zum Gegenstand. Trotz seiner Zeitverbundenheit ist das Stuck doch kein

Dokument der Revolution. Denn es kam Nestroy vor allem darauf an, mit

Hilfe aktueller Bilder eine illusionare Revolution in Possenform zu entwer

fen, die in der Wiener Volkstheatertradition tief verwurzelt war, damit er

das Illusionare in der realen Revolution enthullen konnte.

Welche Stellung hat dieser Satiriker zur Marzrevolution genommen? Um

•g das Ratsel von Nestroys Engagement oder Nicht-Engagement•h und damit

das Wesen seiner Satire darzulegen, sollen zuerst die verschiedenen Ob

jekte seiner politischen Satire aus dem historischen, gesellschaftlichen Ge

sichtspunktverdeutlicht werden. In der Posse •gFreiheit in Krahwinkel•h

kann man auf folgende drei Richtungen hinweisen:

1. gegen das Metternich-System - Burokratismus, Zensur, Spitzel

tum - und die Ligurianer.

2. gegen das Burgertum - die Ziellosigkeit seines Freiheitsrausches

u nd seinen KompromiB mit der Reaktion - und die Vorkampfer und

Fahnentrager der Freiheit.

3. gegen das Arbeiter-Proletariat - seinen anarchischen Radikalismus.

Zwischen die 2. und 3. Gruppe reiht sich der radikale Kreis der Klein

burger und Studenten ein.

In der Marzrevolution behielt zunachst das burgerliche Element die

Oberhand. Aber im ProzeB des Ubergangs der Revolution von der Bour

geoisie zum Proletariat wurde das Burgertum zum Zweifrontenkampf ge

zwungen, ruckwarts gegen den Adel und vorwarts gegen das Proletariat.

Nestroy, der seit der zweiten Halfte der vierziger Jahre zum GroBburgertum

gehorte, naherte sich bewuBt von oben her dem Volk d.h. dem Kleinbur

gertum und dem Proletariat als seinem ursprunglichen Publikum, wobei

sich in Nestory Sein und BewuBtsein immer mehr spalteten. Diese Spaltung,

die in der Revolutionszeit ihren Hohepunkt erreichte, ist der Ursprung

scharfer Geschliffenheit und schopferischer Vielseitigkeit der politischen

Satire Nestroys.

In •gFreiheit in Krahwinkel•h tritt schon der Sieg der Reaktion im Traum

des Burgermeisters in Erscheinung. Zum Zeitpunkt der Urauffuhrung

(12)

ネ ス トロ イ と三 日革 命  45

dieser Posse erkannte Nestroy, daB •gdas Gespenst der Reaktion•h die Frei

heit zu zerstoren drohte. Gegen diese antirevolutionare Tendenz der Zeit

feierte er den Sieg der Revolution am SchluB seiner Posse, wo Ultra ais Pro

letarier erklart: •gDie Reaktion ist ein Gespenst, aber G'spenster gibt es

bekanntlich nur fur den Furchtsamen; drum sich nicht furchten davor, dann

gibt's gar keine Reaktion !•h Wenn dieses beruhmte Wort Ultras dazu bei

getragen hat, den Kampfwillen gegen die starker werdenden Krafte der

Reaktion zu festigen, durfte man vom politischen Engagement Nestroys

sprechen.

Nach der Niederlage der Revolution schrieb Nestroy die Posse •gLady

and Schneider•h, in der eher die Revolution als die Reaktion karikiert wird.

Aber das zeitgenossische Urteil, Nestroy sei politisch wetterwendisch,

konnte von ihm nicht gelten. Denn gerade in dieser Posse klagte er •gHun

derttausende•h von politischen Umsattlern an, - diese Zahl deutet auf die

gesamte Bevolkerung von Wien. Hinter der Kollektivschuldfrage steckt

Nestroys Selbstkritik, die sich gegen das Burgertum als wahren NutznieBer

der Marzrevolution richtet. Zwischen den beiden Possen in und nach der

Revolutionszeit gibt es keinen ideologischen Gegensatz. In Nestroys Augen

war die echte Revolution noch nicht zu Ende. Das ist der Grund dafur, daB

er anschlieBend an •gLady und Schneider•h die Travestie •gJudith und Holo

fernes•h schreiben muBte, die Fortsetzung und AbschluB der •gFreiheit in

Krahwinkel•h sein sollte.

Aber der •gUmschwung der Zeit•h, der fur Nestroy ein AnlaB zu tiefer

Besinnung war, brachte auch in seinem BewuBtsein die spezielle Eigenart

seines Engagements und den Grund seiner Satire zutage. In einem Entwurf

zum Auftrittsmonolog der •gHollenangst•h entwickelte Nestroy seine Schick

salsphilosophie, die seiner Haltung zur Revolution zugrunde liegt. Dieser

Monolog zeigt, daB das Hauptziel seines Angriffs die •gWeltregierung•h des

Schicksals und dessen •ggraulicher Absolutismus•h ist, gegen die er sich als

MiBvergnugter und geborener Revolutionar wehrt. Diese Revolte gegen

das Schicksal, deren Scheitern er im voraus erkennt, ist die Wurzel aggres

siver Satire dieses groBen Neinsagers.

Jeder Aufruhr gegen den Himmel ist eigentlich ein anderer Ausdruck

der Flucht vor der irdischen Revolution. In der Tat floh Nestroy in die

Vorstadt, d.h. in die Spielwelt des Vorstadttheaters. Diese Distanz von der

Wirklichkeit aber ermoglichte ihm, seine satirischen Worte zu feilen, mit

denen er die wirkliche Revolution angreifen konnte. Zwischen Revolte und

Flucht suchte er immer einen Mittelweg, wo sich ein Bild •gsanfter Auf

ruhrer•h zeigt, die das Schicksal resignierend ertragen. Die Weisheit der

Resignation, die der Alte Kern im Volksstuck •gDer alte Mann mit der

jungen Frau•h verkorpert, wurzt die bittere Satire Nestroys mit einem Zug

von sanfter Traurigkeit.

参照

関連したドキュメント

The equivariant Chow motive of a universal family of smooth curves X → U over spaces U which dominate the moduli space of curves M g , for g ≤ 8, admits an equivariant Chow–K¨

(( 3ff.; Gaede, Durchbruch ohne Dammbruch—Rechtssichere Neuvermessung der Grenzen strafloser Sterbehilfe, NJW 20 (0, S?. 292 (ff.; Von der passive Sterbehilfe zum

Dies gilt nicht von Zahlungen, die auch 2 ) Die Geschäftsführer sind der Gesellschaft zum Ersatz von Zahlungen verpflichtet, die nach Eintritt der

—Der Adressbuchschwindel und das Phänomen einer „ Täuschung trotz Behauptung der Wahrheit.

Heidi Stutz, Alleinerziehende Lebensweisen: Care-Arbeit, Sorger echt und finanzielle Zusicherung, in: Keine Zeit für Utopien?– Perspektive der Lebensformenpolitik im Recht, (0((,

Greiff, Notwendigkeit und Möglichkeiten einer Entkriminalisierung leicht fahrlässigen ärztlichen Handelns, (00 (; Jürgens, Die Beschränkung der strafrechtlichen

Yamanaka, Einige Bemerkungen zum Verhältnis von Eigentums- und Vermögensdelikten anhand der Entscheidungen in der japanischen Judikatur, Zeitschrift für

( ) (( Heinz Josef Willemsen, Arbeitsrechtliche Fragen der Privatisierung und Umstrukturierung öffentlicher Rechtsträger, ). (( BAG