藤本 真理子
日本文学/講師
FUJIMOTO Mariko
日本語指示詞の複合形式にみられる問題
1 はじめに
日本語の指示詞コソアは、コレやソコなど単独でも用い られるが、またアッチコッチやソコココといったように、 複合形式でも用いられる。しかし、三上(1970)にも指摘 されるとおり、指示詞の複合形式は、様々な組み合わせが あるといっても規則性がみられる。たとえば「アッチコッチ」 とあっても「コッチアッチ」とは言わず、「ソコココ」とあっ ても「ココソコ」という形式は見当たらない。本稿では、 指示詞に見られる複合形式を取り上げ、考え得る組み合わ せの中で、実際に確認される組み合わせを示し、複合形式 の様相を整理する。さらに、実際に用いられている形式に ついて、その意味・用法を「ソコソコ」を中心に記述する。
2 日本語指示詞にみられる複合形式の組み合わせ
三上(1970)では、次のように記される。
(1)対(つい)にして使われるものを列記しよう。 アレ対コレ、アチラコチラ、カレコレ、ココカシコ、 アレかコレか
ソレ対コレ ソコココ、ソウコウするうちに、ソレ とコレとは話が違う。
アレ対ソレ――(無)
ド対コソア ドウコウ、ドイツもコイツも、ダレソ レ、ドコソコダレカレの見境なく
用例が少ないので、偶然の介入ということも考えなく てはなるまいが、アレ対ソレが一つもないことは偶然 でもない気がする。(p.36)
(1)で指摘されているとおり、日本語の指示詞には複合し て用いられる形式があるが、そこには偏りがある。まず、 どのような形式が確認できるかを考えてみる。コソアの 3 系列の指示詞に加え、ドという不定形式も含めるならば、4 つからなる組み合わせは、仮にすべての形式が等しく結び つくならば、(2)の組み合わせが考えられる。
(2)4×4=16
(2)より、16 通りが想定できるが、実際にはこのうちの
すべてが確認できるというわけではない。以下、いくつか 例を示す。
(3)アレコレ (4)ソウコウ (5)ドコソコ
(3)~(5)に示した複合形式に対し、(3)’~(5)’の ように順を入れ替えた語形は許容されない。
(3)’*コレアレ (4)’*コウソウ (5)’*ソコドコ
これに当てはまらないものに、今回、コソアには含めて いないアの前身と考えられる指示詞カがある。カの場合、 指示詞コとの組み合わせにおいて、(6)のようにコ―カ、 カ―コのいずれの順の例も確認できる。
(6)a.ココカシコ b.カレコレ
指示詞の複合形式の組み合わせについては、(2)で 16 通 りの可能性を示したが、実際には前後が入れ替えられない ものが多数あるため、その半分程度と言える。
表 1 指示詞および不定語による複合形式の組み合わせ
3 指示詞の複合形式が示す形態的特徴
本節では、指示詞の複合形式が示す形態的特徴を述べる。 ここからは、例として「そこそこ」と「これこれ」という 同一指示名詞句の反復形式をとる複合語を取り上げて見て いく。
3.1 連濁しない
指示詞の複合形式については、先の(3)~(6)に示し た例をみると、「人々(ヒトビト)」や「花々(ハナバナ)」 のような畳語と異なり、連濁現象を起こさない。(7)のよ うに、「そこそこ」や「これこれ」が連濁になることはない。
(7)a.だが「いや出世なんかしなくてもいいですよ。{そ こそこ/ * そこぞこ}の生活ができればいい」とい う人間がいたっておかしくない。(井沢元彦『逆説 の日本史』)
b.「消費税は悪くない税金だが、税率は上げるべき ではない」と反対するのか、{これこれ/ *これごれ} の条件が整えば税率を上げてもいいと支持に回るの かという問題です。(佐野正人『ベーシック/税金問 題入門』)
歴史的な文献資料では、清濁の確認はとりにくいものの、 確かに連濁が生じたと言えるものはなく、連濁は生じてい ないと考えられる。このように複合語において、特に畳語 において連濁が起こらないものとしては、指示詞の複合形 式のほかには、「トントン」「きらきら」といった擬音語・ 擬態語が挙げられる。これらの語との類縁性については、 今後、検討していく必要がある。
指示詞の複合形式の非連濁現象についての一部例外とし ては、「かくかくしかじか」「それぞれ」が挙げられる。こ れらの語についても語の意味もふくめ、個別に検討するこ とが課題となる。
3.2 用法の範囲
「ソコソコ」には、(8)(9)で示すように、名詞的用法、 副詞的用法、複合辞用法、接尾辞用法があることが確認さ れている(清田2014参照)。
(8)a.コンディット通りを歩いていたら、ふとポリー ニの店をみつけた。ポリーニは若い世代にそこそこ 人気のある革製品のブランドである。(五木寛之『ス ペインの墓標』)
b.「インターハイには行けなかったけど、地域ブロッ ク大会では、そこそこの成績を収めてたんだから」 「信じられない」(市川拓司『いま、会いにゆきます』)
(9)a.風船を膨らまし終えると、哲士は挨拶もそこそ こに、さっさとスタジオを出た。(乃南アサ『水の 中のふたつの月』)
b.目鼻立ちがくっきりとして、顔にはそばかすが いっぱいあった。まだ三十歳そこそこであろうに、 目尻の皺が深い。(清水義範『短篇ベストコレクショ ン』)
(8a)は「人気のある」状態を「ソコソコ」が修飾しており、 「ある」ということに重きが置かれている。(8b)のような
形式で「ソコソコの〈名詞〉」という形も、(8a)同様、「イ ンターハイには行けない」程度であるが、「ある」ことに目 が向けられた意味を表わす。一方、(8a)は「挨拶もろくに せず」のような意味を、(8b)は「三十歳程度でしかない」 という意味を表わすと考えられ、否定的な意味と結びつく。 複数の用法をもつ「ソコソコ」に対し、「コレコレ」では 名詞的用法もしくはその派生的なものが見られるのみであ る。
(10)a.その間に、車掌さんといろんな話をしました。 これこれこういうわけで私は、仙台駅員の案内に 依ってこの列車に乗ったんです。(村上善男『萬 鐵五郎を辿って』)
b.「考えてごらん、冴子さん。逮捕されとるわしが、 これこれの品がどこそこの銀行にあずけてあるか ら引取りたい、などと申出てみんさい。」(五木寛 之『戒厳令の夜』)
c.かれは鳴滝で患者を診療しながら、 「この症 候はこれこれで、病名はこれである。これについ てはこういう手当をし、こういう薬剤をあたえる。 (司馬遼太郎『胡蝶の夢』)
同一指示名詞句の反復ではないが、「ソコソコ」と同じよ うに副詞的にも用いられる形式には、「アレコレ」や「カレ コレ」がある。
(11)a.イタリア語を全く知らない私に対して、あれ これ世話をやいてくれたのが、同室のマウロだっ た。(岡村喬生『ヒゲのオタマジャクシ世界を泳 ぐ』)
b.写真週刊誌が勝手に撮影して嘘の記事を載せ たと怒っていたが、しかし、あれこれと言葉を交 わすうちに、意外にもあっさりと方向転換した。 (中村智志『路上の夢』)
一『女ざかり』)
b.「いまからみっちりやる。かれこれ三日か四日、 まともに掃除してないだろう」(木村航『かえっ てきた、ぺとぺとさん』)
このように、語形によって、その用法の範囲に差がある ことがわかる。
3.3 場所の形式
指示詞の複合形式として、2 節では指示詞の系列に注目 して、組み合わせを確認した。ここでは、場所や事物、方 向などの意味を担う後部形態素についてその特徴を述べる。 本節で取り上げている「ソコソコ」と同様に場所の形式を 用いるものには、(13)がある。ここでは、指示詞カもふく めている。
(13)ココカシコ、アソコココ、ソコココ、ソコカシコ (、ドコソコ)
「-コ」という場所の形式を重ねるものは、「ソコソコ」以 外は、すべて別の指示系列の組み合わせである。
場所の形式以外では、「コレコレ」と同じく事物を表す「-レ」の形をとるものが多い。しかしこれも「コレコレ」以外は、 別の指示系列の組み合わせである。例は(14)である。
(14)アレコレ、カレコレ(、ダレソレ)
このほか、「そうこうしているうちに」や「今さらどうこ うしても仕方ない」のように、副詞の形をとる組み合わせ も見られる。
指示詞の複合形式の中では、場所の形式が最も多く確認 でき、後部形態素によっても組み合わせの数が異なること が確認できた。また不定語の場合、他の指示詞と組み合わ さるのは、「ドウコウ」「ドコソコ」「ダレソレ」であり、指 示詞カを含めると、「ダレカレ」が確認できる。このほか、 不定語に関しては、「ドコドコ」「ダレダレ」「イツイツ」「ナ ニナニ」のように、同一名詞句の反復が多いことが指摘で きる。
4. 指示詞の複合形式が示す意味的特徴
「ソコソコ」に注目すると、3.2 節で取り上げたように、 現代語では、名詞的用法、副詞的用法、複合辞用法、接尾 辞用法が確認される。このうち副詞的用法については、清 田(2014)によると、(15)のような「挨拶もそこそこに」 のようなタイプの「ソコソコ」が、近世前期にはじめて見 られるようになる。
(15)与九「また折を見て、訴訟のしかたもあろう。な んにしろ、けふは内が取込でゐるから、又そのう ちに トあいさつそこ\/にして与える九八は出 てゆくと、引ちがへていも七立かへり」(東海道 中膝栗毛、p.40)
それより以前、中古、中世に見られる「ソコソコ」は、 (16) のような不定の意味を持っていた(藤本2017)。
(16)a.(内裏に行く用事があるというのを不審に思っ た作者が)人をつけて見すれば、「町の小路なる そこそこになむ、とまりたまひぬる」とて来た り。【町の小路のどこそこに車をお止めになりま した。】(蜻蛉日記、上、p. 100)
b.この院は御馬にて、頂に鏡入れたる笠、頭光 に奉りて、「いづくにかおはします、いづくにか おはします」と、御手づから人ごとに尋ね申させ たまへば、「そこそこになむ」と聞かせたまひて、 おはしまし所へ近く降りさせたまひぬ。【この花 山院はお馬に乗り、てっぺんに鏡をつけた笠を、 阿弥陀におかぶりになって、「父上の院はどこに いらっしゃる、どこにいらっしゃる」と言って、 ご自身で会う人ごとにお尋ねになります。そして 「どこそこにいらっしゃいます」とお聞きになっ て、冷泉院のいらっしゃる所に参上され、その近 くでお馬からお降りになられました。】(大鏡、p. 198)
また清田(2014)では、「ソコソコ」はもともと名詞的用 法でのみ用いられていたものが、中世後期から近世にかけ て副詞的用法を持つようになったとされ、その意味変化に 構文変化が関与している点も指摘されている。
(17)a.今まで切らせたるあまたの髪そこそこに投遣て 鼠の巣ともなりゆく(井原西鶴『椀久一世の物語』) b.そうして床が敷けるや否や、そこそこに着物 を脱ぎ捨てて、すぐその中に潜り込んだ。(夏目 漱石『門』)
4.1 複数性
指示詞の複合形式の意味については、複合形式にみられ る意味特徴として複数性が考えられ、(10a)や(11)の例 からは、複数性が読み取れる。
しかし、一方で複数性とはとらえられない例もある。
(18)「物理ではこれこれの成績、その他数学と化学で はどちらかにこれこれの成績を含んでいなくては いけない」というようなものだ。(山本麻子『こ とばを鍛えるイギリスの学校』)
(19)((18)を改変)「物理ではこれ、数学ではこれといっ た成績を含んでいなくてはいけない」
この例では、「これこれ」を「これ」と置き換えることも 可能であり、指示詞の複合形式が必ずしも複数性をもたな くともよいことがわかる。
同様に複数性としてとらえられる中古の「ソコソコ」の 例をあげておく。
(20) お と ど、〔 兼 雅 〕「 と ど ま り に し 人 の も と に、 『そこなるむつかしきものどもは、乳母の宿り
に残らず取らせて、そこそことよく掃き清め て、夜さり渡りね』といひ遣はせ」とのたまふ。 【一条邸に残っている者のところへ、『そちらにあ
る体裁のわるい調度などは、乳母のところにでも そっくりくれてやって、そこかしこと(そこやあ そこと)よく掃き清めてから、夜こちらに移れ』 と言い遣わせ」と従者にお命じになる。】(うつほ 物語2、p.591)
4.2 曖昧性
「コレコレ」も「ソコソコ」も畳語形をとることによって、 「コレ」や「ソコ」というように指示をおこなう場合と比べて、 指示の拡散が生じていると見ることができる。4.1 節でみた 複数性のほかに、この指示の拡散により生じる意味として、 指示対象を特定させない働き、すなわち曖昧性という意味 があらわれる。この曖昧性は、歴史的にも見られる指示詞 の複合形式のもつ意味である。
(21)a.〔兼雅〕「これは南のおとどに。これは、そ れは」といひつつ、〔兼雅〕「さらば、これもの せさせたまへ」とて奉りたまへば、大将、上に 使ひたまふ童、御供に小舎人にてありしを召し て、〔 仲 忠 〕「 こ れ、 そ こ そ こ に 」 と の た ま ひ て、〔仲忠〕「さし置きてまうで来ね」とて賜ふ。 【 こ れ を、 ど こ そ こ に 】( う つ ほ 物 語 2、p.513) b.げに心も知らず出でざらむも、いと便なけ
れば、〔中納言〕「とくとおぼしたりつる人によ りて。暮れにもかならずと思ふを、いかでかた づね聞こゆべき」と問ひ給へば、〔后〕「今日明 日は、いみじうかたき物忌なれば、ここへはえ おはしまさじ。長里といふところのそこそこな るに、いま二三日ありて、夜さり立ち入らせ給 へ。これは、かりそめのところの、物忌もいみじ うかたかるべし。つつましかるべき人もはべる なり。御消息なども、ここへはな賜はせそ。か しこにてを」と、いささか疑ふべきもあらず。 【「今日と明日はたいそう厳重な物忌なので、ここ
へはお越しになれないでしょう。そこで、長里と いう所の、{これこれ/ ??どこそこ}という場所に、 もう二、三日経って、夜になってからお立ち入り あそばせ。ここは、ほんの仮の住まいで、物忌も たいそう厳重なのです。気兼ねをしなければなら ない人もおります。ですからお便りなどもこちら へは下さいませんように。あちらでお目にかかり ましょうよ」】(浜松中納言物語、p.71)
(21)に示したように、「ソコソコ」という複合形式により、 指示対象を特定せず、曖昧な指示が行われている。ここで の「ソコソコ」には指示対象を伏せるという働きが見られる。
5 まとめ
本稿では、指示詞の複合形式のもつ課題を示した。「ソコ ソコ」を例にみると、「ソコソコ」とは、歴史的には具体的 な場所の想定がもともとありつつも、対象を特定せずに、 値を伏せるという目的で用いられていた。そして、この値 を伏せるという働きは、(10)のようなコレコレにも見られ る。(22)は(10)の再掲である。
(22)a.その間に、車掌さんといろんな話をしました。 これこれこういうわけで私は、仙台駅員の案内に 依ってこの列車に乗ったんです。(村上善男『萬 鐵五郎を辿って』)
b.「考えてごらん、冴子さん。逮捕されとるわしが、 これこれの品がどこそこの銀行にあずけてあるか ら引取りたい、などと申出てみんさい。」(五木寛 之『戒厳令の夜』)
c.かれは鳴滝で患者を診療しながら、 「この症 候はこれこれで、病名はこれである。これについ てはこういう手当をし、こういう薬剤をあたえる。 (司馬遼太郎『胡蝶の夢』)
生じる性質であるのか、それとも同一の指示形式を複合す るということから生じる性質であるのかについては、今後 さらに検討が必要である。
日本語指示詞の複合形式にみられる問題が、何に起因す るのかを検討していかなければ、現象が指示詞のどの系列 を使用しているから生じているという説明は成り立たない。 本稿で取り上げた曖昧性についても、「コレコレ」などソ以 外の指示詞の形式にも見られることから、ソ系列指示詞由 来であることだけでなく、指示対象を一つに定めない形式 であることによる働きが大きいと考えられる。
以上、取り上げてきた問題のほか、(21)に示したような 現代語訳におけるコレコレとドコソコの使用の差について、 また複合形式をとる場合に生じる指示対象のカテゴリー転 換については、今後の課題とする。
調査資料
蜻蛉日記:『土佐日記・蜻蛉日記』、菊地靖彦・伊牟田経久・木村正中校 注・訳、新編日本古典文学全集13、小学館、1995
大鏡:『大鏡』、橘健二・加藤静子校注・訳、新編日本古典文学全集 34、 小学館、1996
うつほ物語:『うつほ物語』2、中野幸一校注・訳、新編日本古典文学全 集15、小学館、2001
浜松中納言物語:『浜松中納言物語』、池田利夫校注・訳、新編日本古典 文学全集27、小学館、2001
東海道中膝栗毛:『東海道中膝栗毛』、中村幸彦校注・訳、新編日本古典 文学全集81、小学館、1995
現代日本語書き言葉均衡コーパス 中納言、Ver.2.4、2017. (https://chunagon.ninjal.ac.jp/)
参考文献
清田朗裕(2014)『日本語における複合指示詞の歴史的研究』(平成 25 年度大阪大学大学院博士学位論文)
藤本真理子(2017)「現実世界の対象を表さないソの指示―歴史的変遷 をとおして―」『日本語語用論フォーラム 2』(加藤重広・滝浦真 人編)ひつじ書房、pp.155-178