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平 城 宮 発 掘 調

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(1)

昭和五十三年四月

平城宮発掘調

査 出土木簡概報内

奈良国立文

財研究所

(2)

平城宮第104次・薬師寺調査出土木簡(約3 :5 ただし右端は2: 5)

(3)

平城宮第104次調査出土木簡(約4:5)

(4)

 この概報には︑さきに公刊した﹁平城宮発掘調査出土木

簡概報十二 ︵昭和52年5月︶以後︑平城宮跡および薬師

寺︑平城京左京三条二坊七坪の発掘調査から出土した木簡

の主要なものを収録する︒

 以下︑木簡の出土地域ごとの状況を述べ︑木簡の形態分

類︑凡例と釈文をかかげる︒

二木簡出土の地点と状況

第一〇二次調査︵6 ABF ・ BS ・ BT区︶

      昭和52年4月?8月

 発掘区は推定第二次朝堂院の朝堂区画の東辺北寄りに当

り︑昨年度調査した第九七次調査区の南に接する︒主な検

出遺構は︑東第一・第二朝堂に当る南北棟礎石建物二棟︑

朝堂の東面を区画する南北塀・築地各二条︑基幹排水路の

南北大溝二条などである︒この地区には︑和銅創建当初︑

基幹排水路の南北溝切cj呂が掘られ︑発塀区東辺に南北

塀SA8410が作られる︒その後全面的な整地によって埋め

たてられ︑SD3765の東に朝堂の東面を区画する南北塀

SA5550Aが作られ︑それとともに︑その東に切口芝呂の 代りに南北溝SD3715 %掘られる︒東面塀SA5550Aは︑その後築地SA5550Bに作り替えられ︑それとともにその内側︵西︶に東第二・二朝堂に当る南北棟礎石建物JSB8400・ 8550が作られる︒木簡は︑南北塀SA8410  ・南北溝SD3715から総計三〇点出土している︒ SD3715出土木簡 幅二!二m︑深さ約一mの素掘りの南北大溝で︑第一次・第二次朝堂の間を流れ︑両地区からの排水を受ける基幹排水路である︒掘られてから奈良時代末期まで存裂し︑本地区では一度の改修が認められ︑上層・下層溝の二期に分けられる︒木簡は両時期の溝から散在的に出血し︑総点数はニハ点である︒年紀を有するものは︑上層溝の下層堆積層から天平五年の服喪による請暇文書一点が出七し︑ほかに注目すべきものとして︑釘作成に関する文書がある︒SD3715からは︑これまでも第四一・九七次調査で本発掘区の上流︵北︶において木簡が出土している︒特に第九七次調査では︑SD3715に設けられた堰ωx回に付近を中心に︑工層溝から神亀?天平初の宮内造営関係の木簡を含むTこ八点が出土している︵﹁平城宮発掘調査出土木簡概報﹂

五;すI︶︒

(5)

 SA8410出土木簡

 SD3715'の西四・一五mを走る掘立柱南北塀である︒柱間三

m︑本発掘区で一九間分︑第九七次調査とあわせて三〇間

分を確認している︒柱掘形は一辺一・五〜二・〇mの方形

で︑深さは約四〇一と浅く︑また柱痕跡が確認できないの

で︑掘形を掘ったまま柱をたてずに埋めたてた可能性もあ

る︒木簡は発掘区南端から第一〇・一 一番目の柱掘形の埋

土から各一点出土している︒年紀のあるものはないが︑若

狭国遠敷郡﹁小丹生里﹂の米付札は︑里制であること︑里

名記載が和銅六年の国郡里名の好字表記の制以前の表記で

あることから︑和銅年間のものと考えられる︒

第一〇四次調査︵6A﹂R区︶ 昭和52年8月ヽぞ11月

 発掘調査区は平城宮東張出部内で︑いわゆる東院地区の

西辺部に当り︑第二二次南︵6AAE.F︶調査区と第四三次

︵6A﹂S︶調査区にはさまれた地域である︒また宮域拡張

以前には車一坊大路として機能していたと推定される場所

でもある︒

 検出遺構は大きくAtFの六時期に分けることができる︒

以下時期別に木簡出土遺構について略述する︒  A期 奈良時代初期の︑当地区での本格的造営開始以前の時期である︒主要な遺構は発掘区の北東から南西にかけて斜行する溝印む回目と︑発掘区北部の長方形土墳SK8630であり︑共に木簡が出土した︒ 斜行溝は幅約三m︑深さ〇・六mで︑全長九二m分を検出した︒両岸に護岸用のシガラミを施している︒溝の堆積は三層からなり︑木簡は上層からI〇五点︑中層から二点出土し︑下層からは出土しなかった︒また溝廃棄後に溝上を灰白粘土や建築部材片等で埋めているが︑この埋土の中からも木簡がニハ点出土した︒年紀のある木簡は計九点あるが︑いずれも和銅年間である︒その内訳は︑中層では和銅二年︸点︑上層では同四年︑五年各一点︑同六年四点︑同七年︑八年各一点である︒年紀のないものも記載内容から同時期のものとみてよい︒整地土出土木簡には年紀はないが︑これも内容からほぼ同時期とみられる︒内容的には貢進物付札が多く︑その中で埋土出土︒のものに山陽道からの鍬の貢進付札︑またはそれと推定できるものが八点あるのが注目される︒ 長方形土壌は東西四・六m︑南北二Im︑深さ〇・四m

あるが︑用途は未詳である︒この土墳の埋土から一三点の

2−

(6)

木簡が出土したが︑その中に和銅八年・霊亀元年・同二年

の年紀を持ち内侍名を記したものがある︒

 斜行溝や長方形土墳は木簡の年紀から︑奈良時代当初よ

り存していたことが明白であり︑この地域が東一坊大路と

しての機能を果していた時期はないとみられ︑宮域は平城

宮造営当初から東へ広がっていたことが考えられる︒

 B期 斜行溝︑長方形土墳等を埋め︑この地区を全面的

に整地し︑調査区西辺の南北掘立柱塀SA3237︑南北棟を

主とする六棟の建物等を作った時期である︒木簡は︑発掘

区北部中央の一一間x三間の南北棟建物印帥回目の南妻柱

の抜取穴から三点出土したが︑その中に天平十口年と記し

たものが二点ある︒これによりB期の廃絶時期が天平末年

であることが判明した︒この他にSA3237の発掘区南端か

ら二四番目の柱掘方から二点SA3237の中央部に接続する

東西塀SA8576の東端より三番目の柱抜取穴から二点︑五

番目の柱掘方から一点︑北東部の東西塀SA8581の東端の

柱抜取穴から一点の木簡が出土している︒

 C期 この地区を大きく改修し︑五間×三間南廂付の同

一規模の東西棟建物六棟が四mの間隔で整然と南北に並ぶ

時期である︒木簡は南から三棟目の建物必∽回旨北側柱列 の東から四番目の柱穴掘方から一点出土した︒ D期 発掘区西部の南北溝SD3236&Cと︑発掘区中央やや北よりでSD3236Bに流入する玉石敷東西溝印︷︸回目とそれを改修しSD3236Bに注ぐ素掘溝卯むま咀︑および南北棟四棟︑東西棟二棟の建物等が作られる時期である︒木簡は発掘区北西の六間×二間の南北棟SB8638の東側柱の南より五番目の柱穴掘方から二点出土し発掘区中央で二間分検出した東西塀卯ヽ呂回の中央と東の柱穴掘方から各一点出土した︒南北溝からは一五五点出土した︒この溝は当初幅二m︑深さ六〇Jあったが︵C溝︶︑のち同幅で深さ五〇Jに造りかえている︵B溝︶︒全長九七m分を検出した︒なおB・C溝廃絶後に小規模の溝SD3236Aが作られる︒木簡はC溝からスビ点︑B溝から五四点出土した︒C溝では溝の北半部で多く出土し︑B溝はSD8629が流入する付近で西岸が大きくえぐりとられ︑この個所で大半の四一点が出土した︒ C溝出土木簡で年紀を記すものは︑天平神護二年三点︑神護口口︑宝亀五年︑同六年各一点︑それに習書で﹁勝宝﹂がある︒また﹁閏十月﹂とあるものは天平勝宝六年か天平

神護元年である︒B溝では宝亀五年一点のみである︒内容

3−

(7)

的には貢進物付札が比較的少く︑C溝では﹁造勅旨省司﹂

や︑造営に関するとみられる木工・鉄工・仕丁等の名辞の

みえるもの︑B溝では春宮坊被官の舎人監の名や︑木尺の

両面に万葉仮名文を記したものが注目される︒

 E期・F期 E期は奈良時代終末期で遺構はまばらにな

り︑F期は一面バラス敷の時期で九世紀に入り︑共に木簡

は出ていない︒

 これらの遺構出土の木簡以外に︑時期不明の柱穴・土墳

等五ケ所から計六点の木簡が出土している︒

 以上の各時期出土木簡のうち︑柱穴・土壌等で一点ない

し数点出土しているものには内容的に顕著なものが少く︑

採録しなかったものが多い︒

 なお木簡の出土総点数は三一九点である︒

第一〇三−一次調査︵左京三条二坊七坪︶昭和52年5月

 調査地は奈良市北新町で︑左京三条二坊七坪に当る︒発

掘区は七坪の中央よりやや東に南北トレンチ︵九一×八m︶

を設けた︒トレンチ調査のため建物配置は明確でないが︑

建物二五棟︑塀三条︑溝二条︑河川一条などを検出した︒

木簡は河川印x芯gから一点出土している︒㎝x芯胡は幅 約七m︑深さ約七〇J︑発掘区南部に東北から東南に大きく蛇行する屈曲部を検出した︒菰川の旧流路と考えられ︑埋土の出土土器からみて︑八世紀中葉に埋めたてられている︒木簡は川の屈曲部の堆積土中から︑八世紀前半の土器や多くの木片・木屑とともに出土した︒薬師寺境内地調査︵6 BYS‑I︶区︶ 昭和52年11月 薬師寺伽藍整備のため︑現売札所東方の摩利支天堂移転予定地を約コー○「発掘調査した︒ 発掘区内では︑約六〇Jの整地層下の地山面で︑掘立柱建物二・井戸四・溝二などの遺構を検出した︒掘立柱建物はともに奈良時代の遺構で︑東僧房の北にあたり食堂にも近いことから︑府屋関係の建物と思われる︒井戸は︑∽M呂を除いてすべて瓦積みで底に曲物を据えており︑出土土器形式によると十二世紀頃に使用されたものである︒ 木簡はすべて井戸 叩吻示から出土した︒︑㎝図示は発掘調査区では最も古い遺構で︑方約一m︑深さ約一・七m︑井戸枠は遺存しない︒木簡出土点数は︑二三三点︵うち削屑一六九点︶である︒出七状況は︑遺構検出面約三〇一下

より︑井戸底の灰色砂土にいたる灰色粘土層︵厚さ約二五

4〜

(8)

こおよび砂質土と混在して堆積する暗灰色粘質土層中に︑

多量の木片︵箸状のものが多い︶ ・削屑などとともに存在

した︒原形をとどめる木簡は数少く︑墨痕をとどめるもの

でも大半は箸状に縦割りしたものや削屑であるが︑長方形

の木片に千字文の習書とともに︑﹁霊亀二年三月﹂と墨書

したものをはじめ︑同年の年紀のあるものが三点出土して

いる︒全体として習書の木簡が多いことが特徴で︑曲物の

底に﹁那﹂を書いたものや︑﹁霊﹂の文字とともに亀の絵

を墨書したものもある︒

  叩M呂からは︑多量の土器︑瓦︑木器が伴出している︒

瓦はすべて本薬師寺式であり︑坏・皿・鉢・甕などの土師

器も奈良時代初頭に属するものである︒したがって︑SE05

は︑木簡年紀の霊亀二年か︑そのすぐ後に廃絶したものと

考えられ︑薬師寺造営工事に係る井戸であろう︒断片では

あるが︑﹁薬師寺縁起﹂にみえる養老二年薬師寺移建以前

の年紀をもつ木簡が出土したことは注目されよう︒

 なお第一〇一次調査︵6ACA区︑佐紀池地区︶で二点︑

第一〇三一一六次調査︵6AGR区︑北辺二坊二・三坪︶で

一点の木簡が出土しているが︑採録しなかった︒ 二︑木簡の形態分類

否ご型式 短冊形︒

否ぶ型式 短冊形で︑側面に孔を穿ったもの︒

否応型式 短冊形と推定できるもの︒

否旨型式 小型矩形のもの︒

6022型式 小型短形の材の一端を圭頭にしたもの︒

呂沢型式 長方形の材の両端左右に切り込みをいれたもの︒

6032型式 長方形の材の一端の左右に切りこみをいれたも

     の︒

呂S型式 長方形の材の一端の左右に切りこみをいれ︑他

     端を尖らせたもの︒

否路型式 長方形の材の一端の左右に切りこみがあるが︑

     他端は折損あるいは腐蝕して不明のもの︒

呂印型式 長方形の材の一端を尖らせたもの︒

否謡型式 長方形の材の一端が尖って︑他端の形態が不明

     のもの︒

否巴型式 用途の明瞭な木製品に墨書のあるもの︒

否呂型式 ある種の用途をもつと推定される木製品に墨書

     のあるもので︑その用途が判然としないもの︒

5−

(9)

色2型式 折損︑腐蝕その他によって原形の判明しないも

      の︒

色巴型式 削屑︒

 三︑凡  例

日 釈文は出土遺構ごとに掲げる︒最上段に出土地点︵ア

ルファベット・数字︶と層位︑つぎの段に形態による型式分

類番号︵本概報では千位の6を省き︑三桁で表わす︶をそれぞ

れ記入した︒また必要なものには遺構番号を釈文の下に付

した︒口 釈文に加えた符号はつぎの通りである︒

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抹消した字画のあきらかな場合に限り原字の左傍

に付した︒

抹消により判読困難なもの︒

欠損文字のうち字数の確認できるもの︒

欠損文字のうち字数が推定できるもの︒

欠損文字のうち字数の数えられないもの︒

記載内容からみて上または下に少くとも一字以上

の文字を推定したもの︒

異筆︑追筆

マ マ

m J

合 点木簡の表裏に文字のある場合︑その区別を示す︒

編者が加えた注で疑問の残るもの︒

文字に疑問はないが意味の通じ難いもの︒

校訂に関する注のうち︑本文に置き換わるべき文

字を含むもの︒

右以外の校訂注および説明注︒

6−

(10)

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平城宮木簡出土地点略図

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平城京木簡出土地点略図

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参照

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