Ge bu nd en he it
マン^イムは祉会学を︑祉会化の条件と形式に関する理論と呼ばれ而も祉会過租と祉会関係と社会形象との一
i iつの研究対象をも つところの﹁一般祉会学﹂と諸々の特殊な精神的文化的領城を祉会過租に関係せしめ︑そうした特殊な精神的文化的諸領域に対す る祉会過粗の意義を問題にするところの︑例えば経済社会学︑法社会学︑宗教祉会学等々の如き﹁特殊祉会学﹂︵あるいは逓字符祉 会学︶と更に諸々の社会的精神的現象の全体的聯関やその生成に関する学としての﹁文化祉会学﹂との三つの部門に分類するの
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あるが︑この場合彼の知識社会学が特殊社会学に属するものであることは既に明らかであろう︒
マンハイムの知識社会学
Wi ss en ss oz io lo gi e( S o z i o l o i 1
; i e d~s Wi ss en s)
は一つの特殊社会学として知識と社会過程との
( 2 )
関係を取扱い︑所謂知識の存在被制約性
Se in sv er bu nd en he it あるいは珊論や恩惟法の社会的被制約性
g es e l ls c h af t l i c h e
( 3 )
に関する狸論を主題とするものであると一応明確に規定されているのであるが︑然し実質的にはそれは
マルクスの唯物史観︑特にそのイデオロギ1論に対する強い関心の下に成立せるものであり︑叉アルフレット・ウェー
バーの文化社会学あるいは歴史社会学から大きな影響を受けているのであり︑更には叉その知識知会学をトレルチ等の
カール•マン^イムの知識社会学に関する若千の批判
序
カール•マン
/、
石
瀬
八七
秀
イムの知識祉会学に関する若干の批判
治
マンハイムの知識社会学ぱ︑上述の如く︑彼の所謂文化社会学や更には一種の歴史哲学的な社会構造論や社会変動論
によって基礎つけられていろのであろが︑然し之ぱ実ぱマルクスの唯物史観やアルフレット・ウェーバーの文化社会学
あるいは歴史社会学から系譜せろものであろから︑我々ぱ先すそうした関聯から検討してゆくことにしよう︒
周知の如くマルクスの唯物史観は歴史的現実を物質的生産力に基づく生産関係としての下部構部とこの下部構造の上 にそびえ立つ法制的︑政治的イデオロギーや同様にそうした下部構造に相応すろ宗教的︑芸術的︑哲学的諸イデオロギ ーとしての上部構造との二つの構造領域に二分し︑而もこの場合物質的生活の生産様式が社会的︑政治的及び精神的生
(4
﹀ 勾?〗)
︑ ︒ こ
︵ C1)
歴史主義によって基礎づけんと標榜しているのであって︑
れるにも拘らず︑その甚礎や周囲には歴史哲学︑知識哲学︑社会構造論︑社会変動論等の如き極めて多様な問題領域を 含んでいるのであり︑従つてこの知識社会学ぱ内実的には彼が諸々の社会的梢神的現象の全体的聯関やその生成に関す
( 4 )
る学として規定した文化社会学を基礎とするものに外ならないのであり︑又事実一般に彼がドイツ文化社会学の一代表 者として扱われていろ所以なのである︒私はこの小論文に於てこうじたマンハイムの知識社会学の根本思想を簡単に検
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討し︑更に芳干の点に関し批判を加えてみたいと思うのであろ︒
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22
富 大 経 済 論 集
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その限り彼の知識社会学は︑︱つの特殊社会学であると言わマン,ハイムやアルフレット•ウェーパーの祉会学論、特にマンハイムに於ける文化祉会学やアルフレット•ウニ
ー バ ー に 於 け る 文 化 祉 会 学 あ る い は 歴 史 祉 会 学 と い う 概 念 は 祉 会 学 論 上 い ろ い ろ 問 題 を 含 ん で い る と 思 う が
︑ こ の点の吟味は他の機会に譲りたいと思ら︒
八 八
カール•マン^イムの知識社会学に関する若干の批判 →1> 活過程一般を制約し︑人間の社会的存在がその意識を規定すろと説くのであろ︒
A
プし
之に対しアルフレット・ウェーバーの文化社会学あるいは歴史社会学はこうした唯物史観への関心や更にはシュペン
グラーやフロベニウスの文化形態学からの影響のもとに成立せろものであろが︑それによれば歴史的生は﹁社会過程﹂
と﹁文明過程﹂と﹁文化運動﹂との相互に異なろ遅動形式をもつ領域に一二分されろのである︒先ず社会過程は経済や政
治を内容とし︑文明過程や文化連動の根底にあって歴史的生の衝動的意志的身体的形象あろいは生物学的形式を形作っ
( 3 )
.
ていて︑地課的風土的技術的運命的に夫々特殊な独自の発展法則をもつのであろが︑又他方普遍的類型的に繰返される
( 4 )
発展の系列と形式を示すものである︒次に文明過程はこうした社会過程を基礎としてその加工や発展として成立するの
"
5) であるが︑大体自然科学や技術を内容とし︑人間の知性によろ自然の外的技術的支配の過程であり︑従つて発見や発明
( 6 /
︶
による累積的直線的な合現化的進歩の過租であり︑普遍的に妥当し全泄界に伝逹継承され得ろものである︒最後に文化 運動は文明過程と同様に社会過程を基礎としてその加工発展として成立すろのであろが︑然し之は生が文明過程の如き
︵7︺
必然性と効用性を超越せろ形象となろ時に始めて成立すろのであり︑従つて文明過程の上に立つものなのである︒其故
︹8︶
文明過程は文化運動よりも社会過程に対し近接的であり︑文化運動と社会過程との中間領域をたずのであろ︒ところで
( 9
>
この文化連動は芸術と蝿念︵形而上学や哲学︶と宗教を内容とし︑人間の最も個性的感情的人格的なろものに基づく存
( 1 0 )
在把握の形式にして︑特殊性や多様性の支配ずろ枇界であり︑従つて新しい時々の生に於けろ自発的た創造を本質とし︑
一回起性や封鎖性をもち︑突発的に起り︑或ろ時期は生産的な上昇期と完成期に向い︑或ろ時期にいたろと非生産的た
"
11
)
下降期に向うものであり︑伝達や反復の不可能なろものである︒この様にウェーバーは眠心史的生を社会過程と文明過程
と文化運動との三つの相互に異なろ運動形式をもつ領域に区分すろのであろが︑然しこれ等の領域は唯分析的な珊解の
ために思惟的な操作によってのみ区分されるのであり︑現実的には不可分的な部分として統一的な生の全体を形成して
富 大 経 済 論 集 ( 1 2 ) ( 1 3
﹀いるのである︒そして又これ等空つの領城は相関的相互的な動学的関聯︑つまり相互作用的関聯をもつのである︒更に
は又これ等三つの領域は成程相互作用的関係をもつのではあろが︑然し叉それ等は前述の如く夫々独自の本質と固有のヽ4)発展法則を持ち︑その本質に於ては夫々固有の論踵に従って発展し︑他のものと何等必然的な関聯に立たないのであり︑
其故歴史的生の発展に関してはそれ等三つの領城の何れにも因果的優位性は認められず︑そうした因果関係に関しては
( 1 5 [
︶ 何ら一般的な主張は立てられないのである︒この様にウェーバーは歴史的生を社会過程と文明過程と文化運動との一1
一 っ
の領城に区分するのであるが︑この場合マルキシズムの用語法に従って言えば社会過程が下部構造に相当し︑文明過程
と文化運動とが精神的領域として上部構造に該当するのである︒そしてウェーバーによればマルクスの唯物史観は上部
構造のうちに全く異なった本質や機能をもつ文明過程と文化運動とを区別せす︑叉上部構造が下部構造によって限定制
約されると考えるために文明過程と文化運動の固有の発展形式や自律性を看過し︑更には文化運動の自発的創造的性格
を視誤まることによってそれを自然主義的に単なる観念形態として解択しているのであるが︑之は自然と梢神との二元
( 1 6 )
論に基づく歴史観に外ならす︑その限りそれは歴史的泄界の構造分析としては余りに単純なのである︒上述の如くウェ
1バーは彼の文化社会学あるいは歴史社会学が唯物史観と如何に相異するかを力説しているのであるが︑然しそれにも
フライヤーがそれを変容された史的唯拘らすそれは矢張り唯物史観から多くの点に於て影響を受けているのであって︑7ノ
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物論と評する所以であろう︒
又ウェーパーによればコントやスペンサー等の進化論的歴史観も文化運動を文明過程から区別せずに同一視し︑或は文明過程を文化 運動に優先するものとしてそのうちに包含し︑従って更には単に人間の精神的領城の半分のみを問題としている限り︑単純たるを免れ ないのである︒唯物史銅や進化論的歴史銅に対するウェーパーのこうした批評に於ても明らかなように︑彼は歴史的生に於ける文化の 内在的超越性という事実を強調するのであるが︑之は彼が西欧の機械的文明主義や進化主義をドイツの文化主義と統一する地平を見出
九〇
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︒
カール•マンハイムの知識社会学に関する若千の批判
( 2 0 )
し︑更には機械的文明主義を文化︑主義によって克服する蛾平を見出さんと努力せることに基づくのであり︑その限りその祉会学がドイ
( 2 1 )
ツ的イデオロギーであると言われるのも理由のないことではないのである︒
前述のようにマン→イムの文化社会学はこうしたマルクスの唯物史観やアルフレット・ウデーバーの文化社会学ある
いは歴史社会学から系譜せるものであ
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︑彼の知識社会学はその某礎の上に成立しているのである︒それで次にマンハ史鍛やアルフレット・ウェーバーの文化社会学と同様に歴史的枇界を下部構造と上部構造に区分すろという思考図式を
採用していることと第二にはウェーバーの上部構造を文明と文化との二つの領域に区分すろという見解を高く評価し︑
これを継承しながら更にこの修正発展を企図していることに求めろことが出来ろのであろ︒先す第一の特徴から検討し品マンハイムは歴史的生の下部構造と上部構造への区分を根本的なろものとして採用し︑この点に於て先すゥ
ェーバーと共に唯物史観への強い関心を示していろのである︒然し遺憾ながら彼ぱ下部構造の内容に関しては明確に説 明しておらす︑僅かの暗示的な説明しか与えていないのである︒それに依ろとマンハイムは経済的権力的機構を生活秩
( 2 3 )
序の根底をなすものとし︑従つて大体ウェーバーと同様に経済と政治の領域を下部構造と考えるのである︒
尤 も 彼 は 或 る 箇 所 で は 全 く 唯 物 史 観 に 同 調 し て 下 部 構 造 を 生 産 関 係 を 中 心 と し て 考 え る こ と は
︑ 現 代 に 於 て 現 実 の 重 点 が 正 に そ こ に
( 2 4 )
推 移 し た と い う 点 に 於 て
︑ 是 認 せ ら れ 得 る こ と で あ る と 語 っ て い る こ と は 注 意 す べ き で あ ろ う
︒ 他 方 又 彼 は 他 の 場 所 で は こ の 下 部 構 造
( 2 5 )
品ご
の内容をなすと思われるものを槌めて漠然と祉会的存在や更には単に存在と呼んだり︑或は歴史的社会的経済的なるものと名付けたり︑
或 は 又 祉 会 過 租 や 存 在 上 の 要 素 と 称 し て い る の で あ る
° 然 し 兎 に 角 彼 は 下 部 構 造 の 内 容 を
︑ 唯 物 史 観 の 線 に 沿 つ て
︑ 又 ウ ェ ー パ ー と 同
様に大体経済と政治であるとするのである︒ イムのそうした文化社会学の内容を検討することにしよう︒
九
次に上部構造の内容に関してはマンハイムは前述のようにウェーバーの文明と文化との二分法の立場を継承しながら
マンハイムの文化社会学の特徴は先す第一には上述の唯物
更にその発展修正を企図しているのである︒即ちマンハイムはウェーバーが文明と文化を区別せろことの意義を合理主
( 2 8
﹀
義の進歩観と歴史学派の有機体観を結合し両立せしめろことに成功した点にあろと考えろ︒そこでマンハイムもそうし たウェーバーの立場を採用して歴史的枇界の上部構造のうちに技術や自然科学の如き文明的合呵化的領城と宗教や芸術
の如き文化的非合理化的領域を分つのであろが︑然し彼は歴史的泄界の上部構造をウェーバーの如く単にそうした文明
と文化の二領域のみに区分することに満足せず︑更にそれ等両者の間に哲学︵特に倫迎学︑形而上学︑認識盗
i )
や歴史
科学︵社会学も含む︶や更にぱ歴史的認識の如き弁証法的な発展形式︑即ち合迎化的な自然科学的技術的恩惟に於ける 加算的綜合や潮進的進歩とば異なつて常に新なる一層包括的な体系化の中心より既存のものを否定的に止揚するという
( 2 9 )
発展を示す中間領域を設定すろのである︒つまりマンハイムは哲学︵之ぱウェーバーに於ては文化に属するとされてい
たのであろが︶や歴史的認識に於ては体系化の中心が現実生活の推移と共に勁的に推移し︑体系化が常に新しい中心か らなされ︑前代の成果が常に現代の新しい体系化の中心から再紐織されろのであり︑従つて立場によろ被制約性が認め られるのであり︑その限りこれ等ぱ文明的合埋的領域や文化的非合迎的領域とは相異せろ独自乃弁証法的中間領域をな
すものとし︑かくして上部構造をそうした一二つの領城に区分すろに至ったのである︒
マ ン
^ イ ム が 上 部 楷 造 を ウ ェ ー バ ー の 如 く 合 理 化 的 文 明 と 非 合 理 化 的 文 化 と に 区 別 す る こ と の み に 満 足 せ ず
︑ 両 者 の 間 に 弁 証 法 的 な 発 展 形 式 を 示 す 中 間 領 域 を 設 定 す る に 至 っ た の は 実 は 彼 が ト レ ル チ の 歴 史 主 義 や 歴 史 学 派 の 立 場 と ヘ ー ゲ ル 主 義 の 立 場 と の 綜 合 を 企 図
( 3 0
ー
せることに基づくのである︒序論に於て指摘したよらに元来マンハイムはトレルチの歴史主義から出発し︑歴史主義を標榜するのであ︱
る が
︑ 然 し ト レ ル チ の 歴 史 主 義 は 成 桓 歴 史 的 事 象 に 関 す る 判 断 の 基 準 と い ら 問 題 に 関 し て は 所 謂
﹁ 現 在 的 文 化 綜 合
﹂ と い う 優 れ た 深 い 思 想 を 展 開 し て い る の で あ る が
︑ 種 々 の 歴 史 形 象 の 間 の 発 展 と い ら 問 迎 に 関 し て は 夫 々 の 時 代 の 非 合 理 的 特 殊 性 を 重 視 す る こ と に よ っ て 単 に 歴 史 の 時 代 区 分 と い う 問 題 の み に 止 つ て 個 々 の 歴 史 形 象 を 発 展 の 生 成 的 統 一 に 於 て 把 提 せ ん と は し な い の で あ り
︑ 従 っ て 頂 観 的 に は 相 異 な る 個 々 の 時 代 を 有 意 味 の 段 階 を 有 す る 発 殷 的 全 体 に 結 合 す る と い う 歴 史 主 義 に 於 け る 一 っ の 根 本 的 な 問 題 を 未 完 成 の ま ま に
富 大 経 済 論 集
九
九
残しているのであリ、又その点に於て(ーゲルの合理主義的弁証法の立場に反対したのである0マンハイムと同様にアルフレット•ウ ェ ー バ ー も こ の ト レ ル チ か ら 出 発 し て い る の
C
あ る が
︑ 然 し 前 述 の 如 く ウ ェ ー バ ー は 文 明 と 文 化 を 区 別 す る こ と に よ っ て 単 に 合 理 主 義 の 進 歩 観 と 歴 史 学 派 の 有 機 体 観 を 両 立 せ し め る こ と に 成 功 し た の み で あ っ て
︑ 未 だ 上 述 の 如 き 精 神 的 に 拘 束 さ れ 直 観 的 非 合 理 的 に の み 表 現 さ れ 得 る も の で あ り な が ら 而 も 尚 一 種 の 合 理 的 発 殷 を 示 す 領 域 の 存 在 に 注 目 し よ ら と し な か っ た の で あ る
︒ マ ン ハ イ ム は 恰 も そ う し た 領 域 の 存 在 に 注 目 し
︑ 直 観 的 に は 相 異 な る 個 々 の 時 代 を 有 意 味 の 段 階 を 有 す る 発 展 的 全 体 に 結 合 す る た め に
︑ 非 合 理 主 義 的 直 観 主 義 的 な ト レ ル チ の 歴 史 主 義 や 歴 史 学 派 の 立 場 と ヘ ー ゲ ル の 合 理 主 義 的 な 弁 証 法 の 立 揚 と の 綜 合 を 企 図 し
︑ そ こ に 合 理 化 的 文 明 ゃ 非 合 理 化 的 文 化 と は 相 異 せ る 弁 証 法 的 中 間 領 域 を 設 定 す る に 至 っ た の で あ る
︒
マンハイムは上述のように歴史的批界を一方経済や政治を内容とすろ下部構造と他方技術ゃ自然科学の如き文明的合
四的領城と宗教や芸術の如き文化的非合珊的領域と哲学や歴史科学や歴史的認識の如き弁証法的中間領城との一二つの領
域を内容とすろ上部構造とに区分するのであろが︑
のであろうか︒この問題に関してはマンハイムは︑ウェーバーと同様に︑相互作用的関係であろと考えるのである︒即
ちマンハイムによれば下部構造と上部構造の関係は本来相互的であり︑従つて下部構造の一定の構造聯関に於てのみ上
部構造中に見出される精神的なるものが生じ得ろという命題が正しいのみではなく︑
一定の状態に於てのみ下部構造に於ける改善が行われ得るという命題も正しいのであろ︒
は相互に規定し合い︑相互に反映し合っていろのであろ︒経済組織としての資本主義もそれに対すろ精神的状呪が与え
聯関の或る部分を︑ それでは彼はそうした下部構造と上部構造との関係を如何に考える
又逆に上部構造中の精神的勢力の
つまり下部構造と上部構造と
られた時にのみ現われることが出来たのであろ︒我々は唯部分的な考察を行う場合にのみ或時にはそうした球状的なる
品3
2)
又他の時には他の部分を歴史の独立変数として絶休化することが出来ろのである︒以上の如くマン
ハイムの歴史哲学的な文化社会学は一方唯物史観やアルフレット・ウェーバーの文化社会学あるいは歴史社会学から系
カール•マンハイムの知識社会学に関する若千の批判
譜し︑他方トレルチ等の歴史主義からの深い影轡のもとに成立し︑
知識社会学は恰もこうした歴史哲学的な文化社会学を基礎とし︑ それ等の修正批判を企図していろのであるが︑彼の
その上に構成されているのである︒次に節を改めて彼
我々はこの第二即に於てマン^イムの知識祉会学の基礎になっている文化祉会学的思想の概要を唯胸史観とアルフソト•ウニーバー
の 文 化 祉 会 学 に 系 諮 づ け て 検 討 し て 来 た の で あ る が
︑ こ ら し た 思 想 史 的 関 聯 や こ れ 等 の 歴 史 哲 学 的 思 想 の う ち に は 勿 論 い ろ い ろ 重 要 な 問 題 が 合 ま れ て い る と 思 ぅ
° 然 し そ れ 等 の 問 題 を 詳 細 に 検 討 批 判 す る こ と は 又 他 の 機 会 に 譲 り
︑ こ こ で は 唯 若 千 の 点 に 関 し て の み 簡 単 な吟味を加えておきたいと思う︒
唯 物 史 観 に 於 て は 前 述 の 如 く 物 質 的 生 産 力 に 基 づ く 生 彦 関 係 が 下 部 構 造 を な し
︑ 法 秤
︑ 政 治
︑ 宗 教
︑ 芸 術
︑ 哲 学 の 如 き イ デ オ ロ ギ ー は上部構造を形作るのであるが︑然しこの場合法律や政治は下部構造の上に直接立つものであるに対し︑その恥ば︸宗教︑芸術︑哲学は
ヽ ヽ ` `
こ の 下 部 構 造 に 適 応 す る の で あ り
︑ 従 っ て 前 者 は 下 部 構 造 に よ っ て 旗 接 決 定 さ れ る に 対 し
︑ 後 者 は 間 接 的 に 決 定 さ れ る の で あ る
︒ 之 に 対 し マ ン ハ イ ム は 唯 物 史 観 の 下 部 構 造 た る 経 済 の 外 に こ れ と 密 接 な 直 接 的 決 定 関 係 に 立 つ と 言 わ れ る 政 治 や 法 律 を も 共 に 下 部 構 造 の う ち に 取 入 れ る の で あ る
° 而 も マ ン ハ イ ム に 於 て は そ う し た 経 済 と 政 治 の 関 係 に つ い て は 何 ら 朋 確 な 設 朋 が 与 え ら れ て い な い の で あ る
︒ 其 故 唯 物 史 観 の 立 場 に 於 て は 明 確 な 説 朋 を 与 え ら れ て い た 経 済 と 政 治 の 意 味 や 両 者 の 関 係 と い う 重 大 な 問 題 が マ ン ハ イ ム に 於 て は 問 屈 に さ れ ず
︑ 祝 野 の 外 に 残 さ れ て い る の で あ る
︒ こ の 事 は 後 に 述 べ る 筈 の 彼 の 知 識 社 会 学
︑ 特 に そ の 政 治 的 祉 会 学 に 於 け る 二 糧 の 観 想 的 非 現 実 的 非 政 泊 性 と も 関 聯 す る も の で あ り
︑ 隷 点 た る を 免 れ な い と 思 う
︒
ところでマンハイムは、アルフレット•ウェーバーと共に、下部構造と上部糖造との関係を相互作用的関係であるとするのであるが、
之 に 対 し 或 は 人 は 下 部 構 造 と 上 部 構 造 の 相 互 作 用 と い う 思 想 は 既 に 唯 物 史 観 に あ り
︑ そ れ は マ ル ク ス 以 後 ェ ン ゲ ル ス や レ ー ニ ン に 至 っ て 益 々 明 確 に 発 殷 せ し め ら れ て い る と 言 う か も 知 れ な い が
︑ 然 し 唯 物 史 観 に 於 け る 下 部 構 造 と 上 部 構 造 と の 相 互 作 用 と い う 思 想 は 飽 く ま で も 下 部 楷 造 た る 経 済 の 根 本 的 優 位 性 と い う 前 提 の 上 で 言 わ れ て い る も の で あ り
︑ 従 っ て 両 者 が 共 に 下 部 構 造 と 上 部 構 造 と の 相 互 作
用を説くとしても、それ等の立場は矢張り根本的に相粟することは指摘するまでもなかるう。尚ここでマンハイムやアルフレット•ウ の知識社会学の根本思想を検討することにしよう︒
富 大 経 済 論 集
九四