ローレンス・スターン論集 : 創作原理としての感 情
著者 坂本 武
発行年 2000‑08‑28
URL http://hdl.handle.net/10112/00020109
第五部
﹃イライザに寄せる日記﹄
論
第十二章 懸想と死神—晩年の恋愛遊戯
第十二章
ローレンス・スターンには︑その絶えざる妄想と惑溺と不安の最晩年︵一七六七ー六八︶になした二つの書き物
がある︒﹃イライザに寄せる日記﹄︵一七六七年四月十三日
S
八月四日︶と﹃センチメンタル・ジャーニィ﹄︵一七六八年 二月 出版
︶
懸 想 と 死 神 晩 年 の 恋 愛 遊 戯
である︒そして前者の狂乱・妄想.感情惑溺ぶりと︑後者の静的な感情交感・ロココ的な優雅な趣
味・芸術的な抑制とは︑当時のスターンの精神の振幅の両極を示していると言ってよい︒一方では狂恋の炎に身を
焼くように見せながら︑また︑発熱による妄想に病気のわが身を遊ばせているように見せながら︑他方では冷静な
醒めた意識で彼自身の書く行為に向かっている︒そのようにしてはじめてスターンの生身は崩壊からまぬかれてい
たように思われる︒もっとも彼自身の実際の死は︑﹃イライザに寄せる日記﹄の一七六七年八月四日以後の中断から
七ヶ月後︑﹃センチメンタル・ジャーニィ﹄刊行から一ヶ月後の間近のことであって︑以下問題にする﹃イライザに
第五部 『イライザに寄せる日記』論
寄せる日記﹄は特に︑恋の妄想と発熱による狂気に追われながら︑同時に︑近づく死神の到来の予感を避け得ない
ままに書かれているように思われるのである︒﹃イライザに寄せる日記﹄の執筆は一七六七年四月から八月まで︑﹃セ
ンチメンタル・ジャーニィ﹄は同年六月から十月まで続いている︒従って六月から八月の夏の約三ヶ月間は両者を
並行して書いていることになる︒このようにほぼ同時期に書かれたものが︑
ンタル・ジャーニィ﹄ 一方では芸術的洗練を示し︵﹃センチメ
の場合︶︑他方では抑制のゆるんだ感情の氾濫ぶりを映している
︵﹃ イラ イザ に寄 せる 日記
﹄
の場合︶ことは︑作家スターンにとってはあまり名誉なことではないかも知れない︒しかしスターン晩年の文学の
在り様を知る上で︑﹃イライザに寄せる日記﹄が暗示している様々な問題は︑﹃センチメンタル・ジャーニィ﹄とは
別の重要性を持っているであろう︒この小論の目的は︑以下に﹃イライザに寄せる日記﹄の分析を試みながらスタ
ーン最晩年のエロスとタナトスの関わりを︑書く行為とからみ合わせて考察してゆくことである︒なおここにおけ
る筆者の立場は︑﹃イライザに寄せる日記﹄を^a
l i t e r a r y w r i t i n g
' と見る立場に立つものである︒﹁日記﹂という形式
は必ずしも真実のみをそこに読み取り得る形式ではないが︑それ故にスターンの如
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nを本領としたよ
うに見える作家にとって好ましい形式であったかも知れないからである︒又この﹃イライザに寄せる日記﹄を始め
て編纂し刊行した
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・クロスの記す所によると︑﹃イライザに寄せる日記﹄
に︑多数のインクによるなすり消しや行間の書き入れがあり︑
あっ て︑
の原稿は出版を意図されたかのよう
さらにスターン自身の次のような前書きが付されて
スターンにとって﹃イライザに寄せる日記﹄は読者を意識する必要のないような単なる気慰みの書き物で
(1 )
はなかったことが分かる︒この前書きは﹃イライザに寄せる日記﹄全体をフィクション化しようとするスターンの
260
第十二章 懸想と死神—晩年の恋愛遊戯
モデルとなったと言ってもよい︒
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あるいは文学史的に見て︑当時のいわゆる﹁書簡体小説﹂の流行のうちにこれを入れることも可能であろうし︑
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ウィフトの﹃ステラに寄せる日記﹄joミ
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el la のこ とが スタ ーン の念 頭に あっ たこ とは
︑既 に一 七六 七年 三
(3 )
月ドレイパー夫人宛の手紙の終わりの方にうかがうことが出来るのであって︑これが﹃イライザに寄せる日記﹄の
he
languish'dー—— 意図を伝えているであろう︒
第五部 『イライザに寄せる日記』論
始めに﹃イライザに寄せる日記﹄出版に至るまでのあらましを述べておきたい︒スターンがその最晩年の情熱を
傾けて懸想した相手である︑﹁イライザに寄せる日記﹄
のヒ ロイ ン︑
時東インド商会理事会議長で海軍提督のウィリアム・ジェイムズ
にあるその大邸宅に毎週通い︑インド関係の客達とも親しく交わるようになった︒その客の中にドレイパー夫人が
いたのである︒夫人は︑グロスター州の名門の家系の血をひくインド植民地長官の娘としてインドに生れ︑幼年に
して教育のためイギリスにやられ︵それが当時の習慣であったが︑本国においてもあまり上等な教育を受けなかっ
一七五八年十四オで東インド会社の有能な社員ダニエル・ドレイパー
D a n i e l Dr ap er
と結婚した︒夫は二十オも年上という︑いわゆる幼な妻であった︒
六五年に子供たちの教育と︑妻の出産・育児による熱暑の中での疲労をいたわるため一家は帰国した︒夫のドレイ
パーはすぐに単身インドヘ戻ったが︑夫人はインド関係の人々のサロンとなっていたジェイムズ家のサークルに入
り︑やがて一七六七年の一月︑スターンとの出会いを果たすのである︒
その時スターンは五十四オ︑﹃トリストラム・シャンディ﹄
巻目の﹃トリストラム・シャンディ﹄を出すが︑これが最終巻となった︒︶ たようである︶︑再びインドに帰り︑ て出会ったのは︑彼が
一方︑ドレイパー夫人エリザベスは︑ ﹃ヨリック氏説教集﹄を出した翌年一七六七年一月︑
一七六一年までに息子と娘が生れ︑
︵一 七ニ
︱
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八三
︶ の知 遇を 得て
︑
一七
ソーホー区 イライザ即ちダニエル・ドレイパー夫人に初め
ロンドン滞在中の事である︒彼はこの
の作家として名声の頂点にあった︒︵この年も彼は九
262
第十二章 懸想と死神 晩年の恋愛遊戯 ン・
バザ ース ト卿 Lo rd
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児の母親であるが未だ二十三オ︑
ザベスと娘リディアは三年前南仏モンペリエに残したままであり︑多感の人スターンとしては︑ドレイパー夫人の
中に娘リディアの面影を見︑
読み︑教養もある程度は積んでおり︑多くの崇拝者を集める魅力
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ジェイムズ家のサークルのあいだで彼女は( b e l l e Indian'と呼ばれたを備えていた︒このようなタイプは︑他ならぬかつてのスターン夫人が持っていたも ので あっ て︑
︵一 六八 四ー 一七 七五
︶
スターンの娘リディアにわずか三つ年上という若さであった︒
一年後に死を迎 スターンの妻エリ
それを愛しく思ったことであろう︒夫人は極立った美人ではなかったが︑小説なども
スターンが︑容色はたとえ美しくなくとも︑上品・活発で教養があるような女性像に惹かれる性向を
(4 )
持っていたということは言えるかも知れない︒スターンはかくしてイライザの崇拝者となり︑著書の﹃説教集﹄や
( 5)
﹃トリストラム・シャンディ﹄を贈って夫人の歓心を買った︒イライザにしても名声ある作家から崇拝され︑虚栄
心も探られれば悪い気はせず︑インドに事寄せてスターンを知恵者﹁ブラーミン﹂'Braminゞと呼び︑
は彼 女を
﹁ブ ラミ ーヌ
﹂( Br am in e' と呼 び交 して
︑次 第に 彼ら の情 熱の 度を 増し てい った ので ある
︒
えることになるとは知る由もないスターンは︑娘のようなイライザにその老いらくの情熱を傾け︑二月三月と移る
間にも毎朝手紙をやりとりして欠かすことがなかった︒この二人の恋愛は最初から周囲の人々も認めるものであり︑
スターンは招かれた食卓などでイライザのことを話題にするのを好んでいたらしいことは︑三月の或る日の︑
│ポープ︑アディスン︑スウィフト︑スティー
(6 )
ルらとも親交のあった政治家Iとの会話の様子を伝える手紙を見ても分かる︒このような︿openness﹀は或る意
味でスターン文学の一特質であって︑ スターンの方
アレ
そこには倫理道徳を破壊しかねない道化的精神の可能性が含まれてもいると
第五部 『イライザに寄せる日記』論
思われるのだが︑要するにイライザとの恋愛事件をプラトニックなものにしておく余裕がスターンにはあったので
(7 )
ある︒彼の愛情には父親的なものが含まれていたこともこの事と無関係ではないであろう︒彼は娘リディアにさえ
(8 )
イライザとの交際を打明けている︒従ってこの恋愛も︑彼がそれまで数多く行なってきた恋愛遊戯の︱つに過ぎな
かったと言えばいえるであろう︒イライザヘの接近の仕方も︑かつてエリザベス・ラムレイ︵スターン夫人︶
に対
して行なったのと同じパターンのくり返しに過ぎない︒しかしそれまでの恋愛遊戯と異なる点は︑それがスターン
の死を間近にひかえた最後の事件であったという伝記的な事実の他に︑イライザの事件と書く行為とが殆ど同時に
進行しているということである︒イライザはこの時期のスターンにとって︿書くこと﹀の源泉となっていたように
思わ れる
︒
つまりイライザとは︑端的にスターン最晩年のエロスの対象というよりは︑現実の人間以上に高められ
た何かであって︑それ故スターンと彼女との関係にプラトニックな性格をおびさせることになった何かである︒そ
れをスターンの想像力の起点と言ってもいいであろうし︑彼自身の現実の状況を強く実感させる何か︑あるいは彼
に病的な妄想を許して現実からの逃避を可能にさせてくれる何かであると言ってもいいであろう︒以上のようなこ
とがスターンの中で明確にされるのは﹃イライザに寄せる日記﹄を書くことを通じてであるが︑その契機となった
のが二月の或る日インドの夫からイライザヘ送られてきた手紙であった︒それは彼女にすぐインドヘ戻るように要
請していた︒その日イライザはスターンとの関係の失われることを悲しむあまり︑床につき誰とも会わなかった︒
スターンにも衝撃だったが︑とにかく励ましの手紙を送り︑やがて面会を許され︑以後六週間つきっきりでイライ
ザを看病した︒さらにスターンは財政的な援助さえ顧慮しながら︑イライザにイギリスにもっと滞在して休養して
264
第十二章 懸想と死神 晩年の恋愛遊戯
束を交していたのである︒
( 9)
くれるようにと懇願したが︑彼女は結局夫の要求に逆らうことは出来なかった︒それが生身のドレイパー夫人の情
熱の限界であったといえる︒再会を約束してついにイライザはインドに帰ることになった︒イライザがアール・オ
ブ・チャタム号でディールを出航したのは一七六七年四月三日のことである︒その時スターンは病気のために見送
りには行けなかったが︑
一七五九年スターンが﹃トリストラム・シ郷 イライザが未だ滞英中︑彼らはお互いに日記をつけ︑再会の折にそれを交換するように約
これが﹃イライザに寄せる日記﹄が書かれるに至ったいきさつである︒このうちイライザの方の日記と︑﹃イライ
ザに寄せる日記﹄の四月十三日までの分とが消失しているので︑今日われわれが目にする日記はスターンの側から
だけの不完全な日記であり︑イライザ自身の言葉がどのようなものであったかを知ることは出来ない︒こうした事
スターンは四月十三日︑ 情のために︑この日記はスターン一人の一方的な惑乱ぶりを強く印象づけるように思われる︒
( 10 )
日曜日から八月四日までイライザヘの日記を書き続けたが︑南仏に残した妻と娘が秋頃
帰国する予定となったので︑スターンとしてはイライザヘの懸想に浸ってばかりもいられなかった︒イライザとの
恋愛事件を知った妻の感情の悪化が予想されたのであろうし︑彼女の帰国の意図が南仏永住のための財産整理にあ
ることもはっきりしていたからである︒そしてまた﹃センチメンタル・ジャーニィ﹄
り大事なものとなっても来ていたのである︒こうして﹃イライザに寄せる日記﹄は八月四日までで中断されること
( 11 )
に帰 って 来た
︒
になった︒妻と娘は十月二日にスターンのいるコックスウォルド︵通称シャンディ・ホール︶
スターンと妻との中は結婚の当初こそ良かったが︑やがて熱も冷め︑ の執筆のことが彼にとってよ
第五部 『イライザに寄せる日記』論 ャン デイ
﹄
の作家となる頃から特に悪化し︑その年妻には精神障害の徴候さえ表われ︑別居の機会が多くなった︒
﹃イライザに寄せる日記﹄を読むと︑彼にとって妻は悪妻だったという推測が可能なように思われる︒例えば七月
十一日の日記には︑#
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ーーこといった激しい妻への罵倒の言葉が見られるのである︒
いったいスターンは現実というものに満足させられたことのない人であったように思われる︒その幼年時代も大
学時代も結婚も本職の牧師の仕事も︑彼にとって現実的には成功したものではなかったようである︒幼年期の十年
間︑彼は連隊旗手として終わった父親の部隊の移動するままに︑
アイ ルラ ンド
︑ ウエ ール ズ︑
ワイト島などの任地
を転々として病弱のうちに過ごさねばならなかった︒大学時代は叔父からの送金と︑縁故によってやっと貰った奨
学金で苦しい学生生活を送り︑卒業した年に最初の喀血をした︒叔父とは後に教会内部の権力争いにまきこまれた
時︑敵対者同士となった︒また聖職者としても︑
しなかった︒そして彼の家庭は︑彼が作家として名声を確立した時に崩壊をはじめていたのである︒スターンが﹃イ
ライザに寄せる日記﹄を書いている頃すでに妻は五年ほど異国にあった︒そしていま彼女はスターンの浮気を耳に
し︑このさい財産を整理して自分と娘は暖い南仏に永住しようと決心したのである︒スターンは妻の意向に同意し
( 12 )
たが︑財産整理とはいえ︑事実は彼が﹁まきあげられ﹂
( ^ f l e e c e
d ' )
︑﹁ はぎ とら れ﹂ ( ' f l a y e d ' )
たのである︒妻と娘
との三人水入らずの最後の生活は︑しかし表面上円満に過ごされ︑彼女達はやがてヨークの方へ去り︑
シャンデイ・ホールで﹃イライザに寄せる日記﹄ スターンは
の執筆に専念した︒この頃の事情を﹃イライザに寄せる日記﹄
の
ヨーク大主教となった曾祖父リチャード・スターンほどには出世
266
第十二章 懸想と死神—晩年の恋愛遊戯
激情がわれわれに明らかにされたのである︒ スターンは翌一七六八年三月のロンドンでの客死に至るまで﹃イライザに寄せる日記﹄ていたらしい︒死後それは多くの書類に混じって発見され︑ジェイムズ家がそれを預かった︒書類の中にはスターンがイライザの夫に宛てた手紙と︑ジェイムズ夫人宛てのイライザの手紙も入っていた︒これらが全部いつの間にかバースのギブズ某の書斎に紛れ込み︑やがて反古にされた︒ところで或る日ギブズ氏の十一オになる息子トーマス・ウォッシュボーン・ギブズがロウソクの点火用の紙きれをさがしていると、偶然•Yorick'..IJ'Eliza'..IJいう名前の
付してある草稿を発見した︒彼は以前にこれらの名前を聞いた覚えがあったので一八五一年までこの草稿を取って
おいたのである︒もしこの少年がヨリックとイライザの名を知らなかったら︑われわれはこの^
m o s t
( 13 )
d o c u m e n t
' を永久に失っていたことになる︒トマスは一八五一年五月︑当時の文壇の大家サッカレイがその著T窓
E桑
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娑
H・ mo
ミ材
bの中にスターン論を入れる予定であると聞いて︑﹃イライザに寄せる日記﹄の草稿を彼に送った
( 14 )
のである︒周知の如くサッカレイのスターン評は辛辣極まりない
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であるが︑主として性格論及び
道徳論的にスターンを批評しているサッカレイがこの﹃イライザに寄せる日記﹄を読んで︑そのロマンティックと
もいうべき感情の奔流を気持ち良く思わなかったであろうことは想像に難くない︒サッカレイは﹃イライザに寄せ
る日 記﹄
の草稿を離さず持ち歩い
の草稿をギブズ氏に返し︑やがて一八九四年彼の死に際して︑草稿は大英博物館に保管された︒そして前
述し た如 く︑
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・クロスが一九
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四年に草稿をまとめて編集刊行したことにより︑初めてこの老作家の晩年の 最後の十一月一日の日記が伝えている︒i l l u m i n a t i n g
縄鱈窪咽0辱蕊噸『"""I!'‑
咋暉匹亨』早ぬ辱叶鱈心譴虹知゜卜
JA"...)噂臨鴻怨‑‑,
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品立心疇・太忌ギ麟砂如
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器S睾足吋0ドg
こ改全心菜‑ゃ2心゜恙心蕊2兵四柊我睾S巴岨辺埒肉堂足示初森令菜心卜J心足祁P心Sや埒心全心'kぷー入SIIIIII据茶蓋自尽辺邸
信
t{<IO翌畔年J応t{<I゜
k応―'\年も応恥遣芯巧一掘‑eternal Sun‑shine! Eliza !‑dark to me is all this world without thee! and most heavily will every hour pass over my head, till that is come which brings thee, dear Woman back to Albion. (Sunday April 13) I am so ill to day, my dear, I can only tell you so‑I wish I was put into a Ship for Bombay‑I wish I may otherwise hold out till the hour We might otherwise have
met—…—Come!‑Come to me soon my Eliza and save me ! (April 29) Remember my Truth and eternal fidelity‑ Remember how I Love‑remember What I suffer. (May 29th
and 30th)
‑0 Eliza! Eliza !‑Heaven nor any Being it created, ever so possessd [sic] a Man's heart‑as thou
第十二章 懸想と死神—晩年の恋愛遊戯
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4)
四月から八月までの四ヶ月にわたるこうした持続力も︑愛情の強さの故であることには違いないが︑見方を変え
れば︑対象の不在と︑例文に見られるスターンの病気︵肺結核︶がこの持続力を支える条件である︒イライザがイ
ェロ ス
ンドに去ったことによって現実の愛は不可能になっているが︑逆にこうした現実の不可能性が︑スターンの想像力
を強め且つ持続させる作用を果たしたであろう︒︿書く人﹀にとって現実が不可能態として表われる時︑それに耐え
得るには想像力
( 1 1
言葉︶をもってする他にないからである︒イライザが現実にそこにいないことによって︑
ーンの中にエロスが喚起され︑そうしてスターンは日記を書くことに向かったであろう︒
スタ
もう︱つの条件であるスターンの病気については︑前述した如きスターンの生来の病弱と宿病である胸の病いが︑
彼の体質のみならず気質までも決定したであろうと考えられる︒そして現実の不如意に加えて︑喀血と発熱という
肉体の危機が彼に憂欝な気分を与え続け︑そのことが彼を瞑想と書くことへと向かわせたであろう︒
また現実を不可能にするものであり︑言葉の行為へのプロセスは右の条件と同じであるといえる︒
ところでスターンには︑発熱の中である一瞬︑精神の錯乱あるいはエクスタシーの状態に見舞われたことがあっ
たようである︒次は﹃イライザに寄せる日記﹄
p o s s e s s e s t m in e│
︵J
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e 21)
つまり病気も
には入っていないイライザ宛ての手紙︵三月三十日付︶である︒こ
第五部 『イライザに寄せる日記』論
の時イライザはインドヘ旅立つ直前である︒スターンは悲しみに耐えず︑喀血し︑彼女から貰ったハンカチをその
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スターンとイライザの︑類型としての﹁父娘﹂関係は︑ここに見られる
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f e c t
i o n ' という言葉にもうかがわ
れるが︑このような言葉によってスターンのエロスは和らげられているために︑その自己憐憫の︑同情を誘うよう
な調子にも拘らず︑﹃イライザに寄せる日記﹄
に寄 せる 日記
﹄
の印象は反撥を感じさせるようなものではない︒むしろ︑﹃イライザ
の描写の総てが真実ありのままのものではないとしても︑少くともここにこめられた激情・惑乱の 血で染める︒死に近い状態の中で彼は夢を見る︒
270
第十二章 懸想と死神一―—晩年の恋愛遊戯
調子 だけ は︑
れているのとは対照的に︑タナトスの本能は︑
るであろう︒彼は喀血の後の夢の中で︑愛するイライザが他ならぬ自分の死を見取ってやってくれるのを見ている︒
スターンとイライザの﹁父娘﹂関係を取り払えば︑これは正にロマンティックな﹁愛死﹂の夢想である︒そしてこ
の夢 想は
︑
スターンの内実を示して余りあると思われる︒ところでしかし︑
ヒーローが︑愛するヒロインの死を見取るという図式の正反対を示していることによって︑
中の無力感
d i s a b i l i
t y を暗示しているであろう︒彼は病気のためにいつも消耗していた︒病気というものが現実から
の逃避を必至にするものであるとすれば︑ エロスの本能がそのように和らげら
スターンの中に恒常的な発熱と喀血という形で表われていると言え
スターンの
スターンには正にその現実逃避は不可避であったと言える︒このような
スターンの心理的過程が︑無力感につながり︑メランコリーにつながってゆくであろうことは容易に察せられる︒
タナトスそして当然︑無力感の彼方には絶対的な死がある︒
デイヴィッド・トムソンは︑﹃イライザに寄せる日記﹄はロマン派的な崩壊と傷痕の先がけを示すその方法と︑自
己崩壊の洸惚の描写の故に革命的であるという評価を下していて︑おおむね妥当ではあるまいかと思われるが︑
らにスターンの︿本質的な無力感﹀
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を指摘しているのは興味深い︒次はその一節である︒ さ
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第五部 『イライザに寄せる日記』論
( 1 6 )
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トムソンの説は言いかえると︑自己自身の虚妄の正体を病的につかんでいた故に︑
あったというのである︒恐らくこの説はスターンの本質を問題にする時︑最も強力な意見の一っとなるのではない
かと 思わ れる
︒
スターンの無力感は︑外面的には先述したような︑現実的な失意と病気とから来ていると考えられ
るが︑内面的には彼の自我のとらえ難さ︑手ごたえの無さ︑
のではなかろうか︒このようなスターンにとってイライザは︑自己の内に強い感情を喚起してくれる源泉なのであ
る︒イライザを思うと新しい感情が流れ出すのがスターンには感じられる︒例えば四月十五日の日記︒
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15)
つま り︑
そのようにして彼の無力感が克服され︑崩壊が支えられている︒
ある時にはしかし︑スターンの虚妄の自我は︑錯乱あるいは熱狂のうちに︑幽霊さえ見るに至る︒四月十六日︑
彼は﹁ジェイムズの散薬﹂という発汗作用のある薬を飲んで︑鬱々とした状態でイライザの肖像画を眺めている︒
つまり現実感の欠如に対する予感から生れて来ている スターンには本質的な無力感が
272
第十二章 懸想と死神—晩年の恋愛遊戯
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12) いは次のようである︒ そうしながら彼女とよく語ったエーリュシオンる︒そこへ幻の女性コーデリアの幻影が入り込む︒
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16)
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コックスウォルドからニマイルほど離れたシトー派の修道院の廃虚バイランド・アベイヘ夜の散歩
に出ている︒六月十二日にはこの廃墟へ︑非在のイライザを伴っている︒廃寺への夜の散歩が与えた幻想の中の思
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︵神々に愛された人々が︑死後に住む楽土︶の到来を待ち望んでい
第五部 『イライザに寄せる日記」論
そして︑未知なる女性に宛てたとも考えられている六月十八日の手紙には︑
歩に︑他の昔の尼僧たちの霊と一緒についてきた様子が述べられていて︑
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*****﹀ コーデリアの幻が廃墟の寺への夜の散
スターンがいくらか狂的な幻想に心を奪
われてしまっているのが感じられる︒しかしいつも思っているのはイライザのことばかりで︑幽霊のコーデリアも
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仮構のロマンスは︑例えば五月一日の日記に︑かつての恋愛遊戯の対象の一人﹁シバ﹂︵恐らくはレイディ・ウォ
ークワスと推測されている︶との再会の様子が︑洗練された軽妙な調子をもってフィクション化されて︑それが﹃イ イライザヘの橋渡しの役を負わされているに過ぎない︒
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274
第十二章 懸想と死神—晩年の恋愛遊戯
る ︒ ライザに寄せる日記﹄の文体を予想させているという例があるが︑
バイランド・アベイという廃寺であり︑夜であり︑足もとのイバラ
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(六 月十 二日 の日 記︶
アという幽霊であって︑これらが﹃イライザに寄せる日記﹄
要素となっている︒ちなみに︑﹁イバラ﹂は︑生命・欲情︑ コーデリア登場の場合︑その背景の道具立ては
であ り︑ コー デリ
の中にゴシック・ロマンスに近い雰囲気を作りあげる
そして死の象徴である︒病苦と恋人の不在が生みだす非
現実の世界に身をゆだねているスターンは︑この時恐らく怪奇な幻想の中に自己にとっての現実感を得ようとして
いるのであり︑そのことにおいて彼はロマン派の心情をも抱え込んでいたのである︒このような部分に限らず︑﹃イ
ライザに寄せる日記﹄を読んでいるとわれわれは︑この作者を単に理性の時代の人とか︑笑いの文学者といった概
念でまとめることの不合理さを感じる︒﹃イライザに寄せる日記﹄には笑いがない︒ただわずかに四月二十四日の日
記に︑少し恢復したスターンが︑イライザのために﹃トリストラム・シャンディ﹄の中の﹁鼻物語﹂や﹁上下窓事
件﹂のことを話してやり︑その後二人の医者を呼んで病状判定をして貰うところで︑﹁梅毒﹂であることをほのめか
され︑﹁妻とは十五年の間同会していないのですがね﹂と反論する場面に︑滑稽なくすぐりがあるくらいである︒
恐らくはスターン自らが︑自己のアイデンティティを捉え難かったのであり︑それ故われわれはスターンの本音
を聞きとり難いのである︒彼は例えば次のように︑つねに現実から逃げ出し︑追ってくるものをはぐらかし︑道化
( 18 )
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. 1767)
第五部 『イライザに寄せる日記』論
これは直ちに﹃トリストラム・シャンディ﹄
︿私﹀を支配するものは書く行為そのものであって︑︿私﹀が書くことに対して︑︿私﹀は窮極的な責任は持てない
という訳である︒しかし︑
いる︱つの精神があるといえないであろうか︒身を僧職に置き︑古典の教養も積み︑
る知的精神が︑自己自身を測りがたいと思っている︒彼は︑シャンディ・ホールの人々がそうであるように︑現実
( 19 )
に対しては無力である︒現実に対抗するには彼の神経はあまりにも引き裂かれていたのであろうか︒その無力感の
故に︑彼にとっては病気さえもが自分の存在を確証するための現実的な手がかりとなる︑
こっ てい る︒
スターンは死を間近にした一七六八年三月︑或る婦人に宛てて書く
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﹃イライザに寄せる日記﹄においては︑病気は錯乱にまで進行することによって︑ス
ターン自身は︑死に近づき︑崩壊に近づくが︑その中で一瞬彼はイライザ今や彼の半身ともいうべきイライザ
ーの存在を確かめることが出来︑そうして始めて彼の心は平安を見つけ︑和らぐように見える︒﹃イライザに寄せ
る日 記﹄
の同じ言葉を想起させよう︒︿
pe n ﹀とはつまり︿書くこと﹀であり︑
スターンの道化精神を考慮に入れるとしても︑ここにはなお自らを制御しがたく感じて
かつ自意識のうちに醒めてい
といった心理的顛倒が起
の中では二︑三種の薬物︵スターンはその一っを飲んで死ぬ思いをする︶が使われているが︑スターンに
とってイライザとは或る時は鎮痛剤であるー
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4)そしてついには﹁第二の自分﹂としての﹁親友﹂^my
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21)とさえ認識される︒そしてスターン
276
第十二章 懸想と死神 晩年の恋愛遊戯
﹃イライザに寄せる日記﹄
四
しかし︑やがてその惑溺を断念すべき時が近づいていた︒
はこうした様々なイメージを与えてくれる﹁わが心の女性﹂
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5)
と共に︑現実をのがれ
ユートピアたひそやかな理想郷で愛のドラマを演じてみたいと思う︒1丘ere
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のうちにとどまることをやめて︑
ひたすら感情に惑溺しているように見える︒ー^
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は︑
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9 ) ︒これらもスターンの妄想に他ならないが︑彼はもはや理性
( 21 )
おおむね﹁われ愛す︑故にわれあり﹂(ミ思筵g
゜
sさn
;というぃわば︿惑溺の精神﹀といったものによって書き続けられている︒恐らくはこの精神も︑
いわゆる﹁洗練され高められた感情﹂と
いうスターンのセンチメンタリズムの中に入っていたに違いなく︑時代もまたこれを悪徳とはしなかったのだが︑
後世に伝わったセンチメンタリズムは﹁精神﹂の方を抜かした﹁惑溺﹂だけだったのである︒この﹃イライザに寄
ェロス
せる日記﹄が問うている問題はしかし︑結局︑病苦と恋情による二つの狂気と︿書くこと﹀の相剋である︒イライ 至るまで驚くほど細かな配慮を行っている
第五部 『イライザに寄せる日記』論
注 いたが︑彼の前にはまだ手にすべき︿ペン﹀があった︒ ﹃イライザに寄せる日記﹄から﹃センチメンタル・ジャーニイ﹄
4)
︒
への移行は︑より本格的な文学作品の創造への移 ザヘの愛情と妻への不安と憎しみ︑高熱を出しては不思議に恢復し︑次にはまた悪化することをくり返している彼の肉体︑不如意の現実︑そして近づく死の予感⁝⁝これらのトータルな現実が強いる感情の嵐と︑それら負の価値
( 22 )
をフィクションに転化させようとするスターンの︿ペン﹀との相剋である︒しかしこの相剋は︑現実に処置すべき
二つの事柄によって中断され︑あるいはさらに引き継がれてゆくことになる︒︱つは妻と娘の帰郷と︑財産整理の
現実的手続きのためであり︑今︱つは﹃センチメンタル・ジャーニィ﹄執筆専念のためである︒彼は﹃イライザに
寄せる日記﹄をあきらめる︒ということはイライザをあきらめる︒八月四日︑彼は﹁私のすべての苦しみを伝える
︱つの普遍的な話﹂^
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を﹃イライザに寄せる日記﹄ではなくもっと長い
物語にーっまり﹃センチメンタル・ジャーニィ﹄にー│'仕上げることを決意してイライザに別れを告げる
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行であり︑﹃イライザに寄せる日記﹄の妄想から覚醒への移行であったといえよう︒スターンの肉体は死に近づいて
テキストは
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Un i v . P r e s s
, 1968)を使用した︒テキストからの引用は日付のみを括弧内に
278
(...)
(N) (M)
器製訳疑〇母痣苺娯 覇詣 7
("SI')
(U"))
(<.D)
(t‑‑‑)
1
慨十踪
(00) l恰,...)'t‑',X談岱l恰和好令0俎°終沿俎Q距令足俎お心示正岱后器好底D>J菜如に終P心゜
W. L. Cross, The Life and Times of Laurence Sterne (New York: Russell & Russell, 1967). p. 440='As if designed for publication, the manuscript contains numerous blots and interlineations for better phrases, in addition to the introductory note, which was clearly framed to mystify the general reader….' The Journal To Eliza Q 1¥‑‑.. ‑Ir K‑'‑Q ill皿語知J菜や埒心゜りS廿—足‘aCounter part'笑~l-O>J,.\J苓迂晋I~初ぷや2芯菜'怜
奴やや巡足疸て心→Am足'Elizao宍全心譴嘩蕊淀水
⇒
ド2心°終泣'珊桐訳讀椅〇辻墜以0悩悩や埒灼゜L. P. Curtis, Letters of Laurence Sterne, p. 319: <Letter 192〉=‑NotSwift so loved his Stella, Scarron his Maintenon, or Wall er his Sacharissa, as I will love, and sing thee, my wife elect ! All those names, eminent as they
were, shall give place to thine, Eliza.'
Ibid., pp, 312‑3: <Letter 189. To Mrs. Daniel Draper〉(London,March 1767) ='‑You are not handsome, Eliza, nor is yours a face that will please the tenth part of your beholders, ‑but are something more ; for I scruple not to tell you, I never saw so intelligent, so animated, so good a countenance.…' Ibid., p. 298: <Letter 180. To Mrs. Daniel Draper〉(London,? late January 1767) Ibid., p. 304: <Letter 185. To Mrs. Daniel Draper〉(London,?March 1767) Ibid., pp. 306‑7. foot noteく2〉Q'Kぷ―'、ク全1ギ4<ギ母e圏泉D~II図RichardGriffith (?1714‑88)尉祖鯰心
e
示 庄摘陛゜Ibid., pp. 301‑2 : <Letter 183. To Lydia Sterne〉(OldBond‑street, February 23, 1767) = "tis true I have a friendship for her (Mrs. Draper), but not to infatuation‑I believe I have judgment enough to discern hers, and every漏woman's faults.'
....
函(a,)Cf. W. L. Cross,op.
cit., p. 434. til ~ (~) 出⇒
2[Il左拉目皿+11[Il([Il匿[Il)や伶心心⇒
2°紺PゃJournalQ[Il記述1[Ilvo斗たド燕^<心菜心お菜辺村心お2ギ怖苓怜渥辺祖2ド述1¥‑‑..‑1¥‑‑t<.LQ届策Q帯c,t.(..)+̲‑!°Cf. L. P. Curtis, op. cit., p. 327, note 1. 足年(::::)Cf.L. P. Curtis, ibid., p. 398. <P. S. to the Letter 217. To Mr. and Mrs. James〉(Coxwould,October 3, 1767)ヽ
II'\(~) See journal (July 4th) ='‑She is coming, every one says, to flea poor Yorick or slay him‑.'Cf. W. L. Cross, op.::
cit., p. 456.胃ぼ)W.L. Cross, ibid., p. 439. 掘•(;::!;) Ibid. Cf. W. M. Thackeray, The English Humourists and The Four Georges (Fveryman's Library No. 610)距姿
"Sterne and Goldsmith." (pp. 222‑63)
ぼ)L.P. Curtis, op. cit., p. 320 : <Letter 193. To Mrs. Daniel Draper〉(London,? 30 March, 1767)
ぼ)DavidThomson, Wild Excursions: The Life and Fiction of Laurence Sterne (London: Weidenfeld & Nicolson,
1972), p. 263.
(~) L. P. Curtis, op. cit., pp. 360‑1: <Letter 201. To the Countess****** /Mrs. Daniel Draper〉,←Tothe Countess
of******〉(Coxwould,June 18) (?18 June 1767)
ぼ)Ibid.,p. 394: <Letter 213. To Sir? William Stanhope〉(?Coxwould,September 19, 1767) Cf. Tristram S加ndy,VI,
6 :'Ask my pen,
—
it governs me, ‑I govern not it.'(~) Walter Sichel, Sterne: A Study (New York: Haskell House, 1971), p. 279.
(~) (応)
(斜) L. P. Curtis, op. cit., p. 416: <Letter 234. To Mrs. Montagu〉(London,? March 1768)
Ian Jack, op. cit.,'Introduction'to The Journal To Eliza, p. 133.
"""If'\""";\:--心Kへ―'、S竪逃S勢m初足い2ゃe>•心ミドQ瞬條拉'匙條e細沢ヒ捉心熙挑心〇埒2疋足埒心学囲如0
2ド盤営疑~° Cf. Virginia Woolf, Granite and Rainbow (London : The Hogarth Press, 1958) : "Eliza and Sterne,"
pp. 176‑80.
S 薔蛍訳矮
址巻ー要嵌心顆賑
11
憐 十掘IOO8
第五部 『イライザに寄せる日記』論
ローレンス・スターンがその最晩年に書き綴っていた日記﹃イライザに寄せる日記﹄︵一七六七年執筆︑
年出 版︶
によって︑われわれはいわば老ヒューモリストのエロス︵イライザ・ドレイパーヘの惑溺ぶり︶とタナト
ス意識︵肉体の死への接近による書くことの進化︶
は じ め
に 化ーさまざまな定義ーヨリックの死と再生ー道化と死神 一︑﹃イライザに寄せる日記﹄I現実との懸隔感ー心理的理由ー創作心理的理由ー存在
論的理由ーヒューマー意識との関係ースターンにとっての肉体
二︑﹃センチメンタル・ジャーニィ﹄ー喜劇的跳躍ー^
N a t u
r e ' ー調和ーハムレットの道 はじめに
第十三章 スターンの道化
および︑プレ・ロマンティシズムのグロテスクのあり様を知る
一 九
0
四282
第十三章 スターンの道化
る︒まず﹃イライザに寄せる日記﹄を手がかりに︑
ヨリック像の性格を捉えてみよう︒そこにどのような問題が出
(l)
のであるが︑私がこのことを跡づけようとした時︑充分に展開できなかった︱つの論点がある︒それは︑
が﹁ヨリック﹂という喜劇的人物に仮託した意味あいといった問題である︒このローレンス・スターンの道化は﹃ト
リストラム・シャンディ﹄で始めて登場し︑その後終生続いたスターンの中の或るイメージである︒ スターン
いま﹃イライ
ザに寄せる日記﹄を再び取り上げるに当たってこの問題を考える場合︑この﹃日記﹄とほぼ並行して書かれて︑
し
かも同じ﹁ヨリック﹂を主人公とする﹃センチメンタル・ジャーニィ﹄をも当然考えに入れなくてはならないだろ う︒これら二つの晩年の作品︵﹃イライザに寄せる日記﹄を︱つの文学的作品と見なす理由については先の論考で述
べた︶を通して︑
スターンの中の﹁ヨリック﹂イメージはどのように捉え得るのであろうか︒以下はそれをめぐっ
ての私の観察である︒そしてこの際私は︑
スターンをほぼヨリック氏そのものとして捉えておこうと思う︒あるい はヨリック氏を殆どスターン自身として考えるといっても同じことである︒じつはこうした言い方の中にすでにス ターン文学における作者と主人公のイメージとのあいまいな融合が予想されているのであって︑﹁物語の中のトリス
(2 )
トラムと外側のスターンとの間のあの奇妙に魅力的な相互作用﹂こそが彼の書き物の基本的性格であり︑ブラッド ベリのこの言葉の中の﹁トリストラム﹂を﹁ヨリック﹂に代えて考えてみても事情は変わらないであろうと思われ てく
るか
︒
第五部 『イライザに寄せる日記』論
﹃イライザに寄せる日記﹄はおよそ﹃トリストラム・シャンディ﹄からは遠い︑
うな
︑
むしろロマン派の先ぶれとなるよ
ヤング︵その﹃夜想﹄は一七四ニー五年︶やグレイ︵その﹃エレジー﹄は一七五一年︶の︑いわゆる﹁墓地
派﹂を想わせるひたすらな︿感情惑溺﹀を示した日記である︒これがじつは多分に私的な書き物であり︑運命の偶
然によって反古にされるところを救われ︑今世紀初頭に至って始めて
w . L
・クロスが校訂︑出版した事情につい
ては先の拙論で言及したところであり︑ここでは述べない︒さてこの日記の書き手をスターンは﹁ヨリック﹂とし
ているのであるが︑スターンの書簡集を編集したL.P・カーティスの本では﹃イライザに寄せる日記﹄は︑他の
スターンの手紙類にまじえて年代順に並べてあり︑その中の一七六七年四月十三日から八月四日︑及び十一月一日
の追伸までは︑特別に`
7T he jo mm al TO El符
a︑︑という但し書がつけられている︒これはヨリック
1 1 スターンの関
係を具体的に示す例でもあって︑スターンはイライザヘの手紙を書くさいに単にヨリックの名を利用しただけと考
えた故にカーティスはこれを書簡集の中に組入れたのであろう︒しかし一方︑スターンはこの日記を出版する意図
(3 )
があって︑読者という存在を意識して書いていることがクロスの観察によって明らかにされているので︑まるっき
り私的な手紙という訳にもゆかない︑というのがこの﹃イライザに寄せる日記﹄
ところで﹃センチメンタル・ジャーニィ﹄ の二面的性格である︒
の主人公も勿論のことヨリックで︑この方はほぼ完全にフィクション
の世界の人物であり︑﹃イライザに寄せる日記﹄におけるスターン
1 1 ヨリックの関係ほど作者に近しくはないとは言
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第十三章 スターンの道化 似て
︑
える︒しかし果たして日記のヨリックと﹃センチメンタル・ジャーニィ﹄
つまりどちらが本質的にスターン的であるかということは一概に決められない問題であろう︒﹁日記﹂という形
式は︑あるいは作家が自己を餡晦するのに最も適した形式であるかも知れない︒
家がそれを利用しない筈はない︒しかし一方︑フィクションにおける方が真実を語りやすいということがある︒﹁道
化﹂の仮面をかぶって︑︿旅の空のセンチメンタリズム﹀をうそぶいている方が︑
スビアの道化の名を冠したスターンにはふさわしいし︑
︑︑
︑︑
の本質をさらしているかも知れない︒
さて﹃イライザに寄せる日記﹄
して いる
︒
のヨリックと︑どちらがスターンに近い
スターンのように自意識の鋭い作
いかにもヨリックというシェイク
つまりそのペルソナの気楽さのうちに︑彼はどこかで自己
におけるヨリック
1 1 スターンは︑彼の最後の狂恋の相手ダニエル・ドレイパー夫
人エリザベスに対する病的なまでの惑溺と︑現代的な意味で言うセンチメンタリズム︑つまり﹁感傷ぶり﹂を露呈
スターンはその死の前年一七六七年一月ロンドンのあるサロンで︑東インド会社の有能な社員の妻であ
り︑
︽
be ll eI n d i a n
' と呼ばれていたイライザに会う︒スターンの娘リディアよりわずか三つ年上であり︑二人の子持
ちである︒当時の慣例で子供の教育は本国でやることになっていたこともあり︑また暑いインドでの養育疲れをい
やすという目的もあって︑イライザは一時帰国してロンドンに滞在していた訳である︒このイライザという女性は
たまたまスターンのいわゆる恋愛遊戯の最後の恋人だったので︑文学史の中に例えばスウィフトにおけるステラに かヽ
︱つの名をとどめる存在になったにすぎないのであるが︑丁度スターン夫人エリザベスと同名でもあり︑夫
人同様極立った美人ではないが︑ある程度教養は積んで魅力的なところのある女性であった︒スターン夫人もかつ