• 検索結果がありません。

平城 宮跡と平 城京跡の調査 平 城 宮 跡 発 掘 調査 部

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "平城 宮跡と平 城京跡の調査 平 城 宮 跡 発 掘 調査 部"

Copied!
8
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

平城 宮跡と平 城京跡の調査

平 城 宮 跡 発 掘 調査 部

平 城宮 跡 発 掘 調 査 部 で は1978 年 度 に 第110 次 から 第115 次 まで の28 件に お よ ぶ発 掘 調 査を 実 施 し た 。 平 城 宮 内 で は 東 院 地 区 東 南 隅 の 庭園 辿 枯 に 北接 す る地 区 の 調 査 ( 第110次), 推 定 第 一 次 朝 堂 院 地 区 の 東 第 二 堂 を 中心 と す る 調査( 第111次), そ れに 推 定 第 二 次大 極 殿 の 調 査( 第113次)

を 行 な っ た。 ま た 平 城 京 内 で は 北 辺 坊 , 唐 招 提寺 戒 壇 院 な ど各 所 に おい て 調 盃を 行な っ た。 更 に 京 外 に お い て も 法 隆 寺 西 南 院 , 頭 塔 の ほ か平 城 ニ ュ ータ ウ ン予 定 地 内 の辿 跡に つ い て 範 囲 確 認 調 衣 を 行 な っ た 。以 下 別 項 で 報 告 す る平 城 宮 推 定 第 二 次 大極 殿 , 頭琳 , 平 城 ニ ュ ー タ ウ ン 予 定 地 内 の石 の カ ラ ト古 墳 の調 査 を 除 き , お も な 調 査の 概 要を 報 告 す る。

調  :毳   地   区 辿 跡訓 だ 次 歓 洲  た  期  問 術    

6 A  L  F

6 A  B  G ・BH  ・BT  ・B  U 6ΛA  R  ‑A ・B

6  A  C  V ・B  Z

6  A  BG 6  AG  R 6  A  F  I 6AGS‑A 6  B  FK‑  I 6  AG  A 一L 6AGR‑B

6  AG  A‑D ・K 6  AGO

6  BFK 一 1 6  AFC 6  AG  A‑  J 6  B  Z  T

平 城 ニ ュ ー タ ウ ン み

〃 乙/

6  BT  S 6  B  S  D 6BYS 6  BTD 6  BHR

ず・城 宮  第110 次 平 城 宮  第1H 次 平 城 宮  第113 次 平 城宮  第112一 11次

平 城 衣  第112一1 次 ヽ│二城 京  第112 ・2 次 平 城 京  箆112−3 次 ヽ卜城 京  第112・‑4 次 ず・城 京  第112‑ 5 次 ず・城 京  第112‥6 次 平 城 京  第112 7 次 平 城 叺  第112 8 次 平 城 京  第112 −9 次 平城 京  第112 10 次 平 城 衣  第112 ・12 次 平城 京  第112 13 次

第n4 次

35115‑・ 1 次 第115 2 次 第115‑ 3 次 第115‑ 4 次 第115一5 次 JR115  ― 6次

唐 招 提 加 酉人 与 薬 師 寺 朿 人 な 法 隆 な

78. 6.28 〜11.13 78. 4.  3 〜7.15 78.10.  1 〜79.2.7 79. 3.15 〜3.19

78. 5.  2 〜5.30 78. 5.  4 〜5.9 78. 7.01 〜7.25 78. 8.  7 〜8.22 78. 8.17 78. 9.20 〜9.22 78.10.  1 〜11.16 78.11.  6 〜11.16 78.11.21 〜12. 4 78.12.23 〜12.27 79. 3.26 〜3.27 79. 3.27 〜3.28 78. 7.17 〜8.16

79. 1.13 〜1.26 79. 1.20 〜1.25 79. 1.8 〜3.31 79. 1. 9 〜3.31 79. 3. 6 〜3.12 79. 3. 7 〜3.12

78. 5.29 〜6.22 78.10.25 〜10.27 78.12.11 〜12.25 78. 8.17 〜8.29 78.12. 7 〜79.1.25

21.00 a 33.00 a 21.00 a 0.4 a a 4.90 a 0.045a 3.01 a 2.84 a 0.06 a 0.42 a 3.60 a 3.50 a 0.60 a 0.12 a 0.03 a 0.20 a 1.97 a

2.00 a 1.32 a 21.00 a 3.13 a 0.50 a 0.38 a

0.57 a 0.18 a 0.90 a 0.325a 2.80 a

東 院 地│〉 次・;リ│唯 院

第二 次 大 極 殿 朱 雀 門・宮 南 面 人垣

右 京 一 条 二坊 こ・北 四坊一 坊 人 路 左 京 こ条‥.坊ヒ 坪 北 辺モ 坊・・l.  川 順  法 耀 か旧 境 内 右 京一条 二 坊 六 坪

北辺 し坊 ゛. 白 衣 一条l 坊.、l坪 白 京/11条 二坊│・l

・ 法 や 与1川境 内 人 京 一条・l坊│ 占 京条l 坊L・ 坪 頭 塔

占 墳 (13り 地 点` 敗 布地(14り 地 点〕

12?如 ケ 谷 瓦窯(9り地.・石 のカラト 古墳(7り 白 太 仙 堂(5り・地 点)

敗 布地(6廿 地 点丿

戒 娩 院 金 堂 院 漬院 南 面人 酉 南 院

第 1 表  平 城 宮 跡 と 平 城 京 跡 発 掘 状 況

(2)

平城 宮跡 と平城京 跡○ 調査

1.平城 宮跡の調査

東 院 地 区の 調 査 (第110 次 )  調 査区は平城 宮朿院東│ 匈 部に 二 位il `7 し,これ に南接する 地域は第44 次調査(1967 年 ) と第99 次調介

(1971 年 ) で大規模な庭 園遺構を検 出 して お り ,奈 良時代の新 旧2時期にわ たる園池 の 造替を確認 している 。木訓介は この園池 の北域 を明らか にする ことを目的と して,

約2100 ㎡を発掘 した 。西北か ら東南 に下が る 自然地形 に応 じて複雑 な整地の様相 をな しては いるか ,おおむね 3屑に大 別できる o

下層整地而で A〜 D期,巾睦恠 」 也 而 で E期,      第 1図  平 城 京 内発 掘 調 査 位 置 図

上層倍 地而で F ・G期 と計 7期 にわた る遺構 変迷が 明らか となった 。また A期 以前に おいても 遺構の存在 を部分 的に確認 したが ,全休 配il・・7 の把握 にはill らなかった。園池 との 関辿 では ,B

〜 D」 り ] は 旧池に, E〜 G期 は新池 に伴 なって いる 。おもな検川遺構 には礎石姓物 4棟 ・掘立柱 姓物12 棟 ・掘立柱塀 5条 ・溝19 条 ・石敷道路 4条が ある 。以下時期別に述べ る。

A期  東面築地大垣の造営 と併行 して下鈩j の整 地 を行 い,大II {に近接 して掘立柱東西棟建物 s B 9065  ・ 9066 を建てる 。大垣 西雨落溝s D9040A は側壁 に径40cm 程の 自然石を組み ,底 には 小磯 を敷 く。第44 次調査で検出 した東雨落溝s D58I5 との心々 距離は約 6m となる。大垣 下を 抜 ける木樋 略渠s D9056A は厚 さ約10cI の厚 板を底に 3枚,両側 壁に各 1枚 を組み 介わ せてお り ,樋 内か ら平城 宮I ・11 期の土器 か出 土 した。人埴は粘 晢土 を乱雑に砧 上げ

たもの で,最高 約 lmの 高さで遺存す る。

B期  園池の│ 別 設に伴 なう時期 で,北 を叫する掘立柱塀s A9063 を設 ける 。束 院│ 怕酊 大 垣心 か ら北100.5m  (340 尺 ) に位 置する 。堀の内外 では倔 立柱東│ 倒 東 姓物s B 9067  ・ 9068 が A期の 配置 を踏襲 して建つ 。調査 区南 端では池への導水路s D8456 と,これ に繋がる屈曲 した石組 溝 s D9046 〜9050 が ある。溝に接 しては小石敖遺構s F9043  ・ s X9099 が あ り ,池北岸の散 策に 供する施設 とみ られ る 。

c期  庭園区画 を北へ10 尺 広げてs A  9060 によって北 を川す ととも に,斜行する掘立 柱塀 s A9061 を収 り付 けて西の境界 を設ける 。斜行 塀のaWI・e の結果 ,石組溝等はやや移 動する 。区両 外北方 ではs B9068 が二而㈲付掘 立柱南 北棟建物s B9070 に姓て替わ る。

D期  西 を画 して いた塀 s A  9061 と掘立柱東西棟建物s B9067 を撤去 した跡に,人規杖な南 廂 付 礎 石建東西棟建物 s B9071 が中央に ,伽立柱南 北楝 姓物s B9072 が東端に姓ち ,旧池北域 が最 も整備 される 。区画外北方で は c期の s B9070 がや や規模 を大 きくs B9073 に姓て替わ る。

E期  新池の 開設に伴 なう時期で,調査 区内全域 に中層整地が施 こされ る 。A期 以来の東而

― 21  ―

(3)

奈 良国立 文化財研 究所乍句

第 2図  第HO 次発 削遺糾 図

第3 M jU10 次辿ほ変.;・,1・t で1 ` 冫│

(4)

平城宮 跡と平城京跡 の調査

大 垣 に も 手を 加 え , 雨 落 溝 を 改 修 す ると 共 に 暗 柴を 木 樋 か ら 凝灰 岩 組 み にす る。 北 を 鹵 し た 塀 S A9060 は取 り 払 われ , 同 閲1副こ石 敷 道 路S F9057 が 通 る。 汕 の北 岸 にあ っ た石 細 溝 等 は 廃 棄 さ れ, 礎石 建 南北 棟 建 物S B9075 と 掘 立 住 東│悧 朿姓 物S B9076A*ii* つ な ど , 前 川 ま で と は 配 置 計画 を 異 に す る。S B9075 は 側柱 と 入 側 柱 の 掘形 を 一 辿 に し て お り , 径 約l m の 礎石 に は 八 角 柱 の 当り 痕 跡 が 残 る。

F ・G 期  上川 整地 を 施 こ し た 餃に 再 び 北を 画 す る塀S A  9064が 設け ら れ る か , そ の 位i副 ま 朿院 南 而 大 垣 心 か ら93m  (310尺) と な り 園池 北 域 が 縮 小 す る。 こ の た め 池北 岸 の 建 物S B9077

・9081 は 桁 行 3間 と 小 規 杖 にな る が ,い ず れ も礎 石 姓 て と なり ,D 期以 来 の 方 針 を 継 ぐ 。 区 画 外北 方 は 逆 に 南 に 拡 大 し た ため 建 物 は 2 棟S B 9078 ・ 9079が姓 つ。s B9079 は G 期 に 総 柱 建 物 S B9080 へと 建 て 替 わ る。 こ の よ う に 新 汕に 伴な う 北 域 はF」り]を も っ て 整 備を 終え る 。

遺 物  木 簡は 総 数66 点 が 出土 し た が, 削 片 が 半 数を 越え てお り , ま た 全 般 に 習,1 1: を 示 し た も の が多 く ,年 紀 の 記 哉 は み ら れ な い 。 A 期 以1徇の 上JRs  K9090 か ら 出土 し た20点 の 内 に は 里 名 を 列 記 し た 短 冊型 木 片 があ り , 一 字 表 記 の里 名 もあ る こ と か ら 奈良 初 期 と推 定 で き る。

土 器類 は A 期Jぷ前 の 斜 行 溝S D9041 お よ び A 期 の 整 地屑 と 木 樋暗 渠か ら 平 城 宮1 ・ 皿期 の も の が 出土 し , E 期 の石 敷 路S F9057 の上 面か ら は V 〜VI 期 の も の か 出土 し た 。 特 異 な も のと し て は 下 層 整地 土 か ら 製 塩土 器 か ,巾 層 整地 か ら 越 州 産 青 磁 ぷ が ,上 層 整 地 か ら 水 鳥 形 硯 が 出 土 し て い る 。

瓦 坊 類 は500 点 を 越 え る軒 瓦 と , 緑 釉 摶 2点 一二 彩 釉 平 瓦片 1点 な どが あ る。 軒 瓦 は6282 型 式81 点 ・6721 型 式100 点 な ど 第 Ⅲ 期 の もの が 最 も多 く, 上 層 整地 土 中 に主 と し て み い だ し た。

ま と め  各 期 の年 代 は 未 確 定 で は あ る か, A 期 以 前 は 木 簡の 記 載法 か ら 和 銅 年 間 頃 に , B期 は旧 池 の開 設 さ れ る 養 老年 間以 前 に ,E 期 は 整地 土 に 含 ま れ る 造物 か ら 天 平 勝 宝 年 間 と 推 定 さ れる 。 今 回 調 査に よ り , 東 院 地 区 は 奈良 初期 にす で に 大 垣 築 造 な ど の 整 備 を し て い る こ と が 判 明 し た。ま た 庭 園 地 区 の北 を 両す る堺 を 検 出 し ,後 期に は区 画か 縮 小 し て い る こ と を 確 認 し た 。

推定第1 次朝堂院の調査( 第111次丿  調 査 地 は 第102 次 調 査 地 の 南に 接 し , 発 掘ぼ の ほ ぼ中 央 に 朝堂 院 の推 定 南北 2 等 分 線 が 想 定 さ れ , 東 第 2堂 の推 定 土 壇 が 南北 に 延 び て い る。 検 出 さ れ た 主 な 辿 構 に は , 礎 石 建 物 1 棟( 推定朿 第二堂), 伽 立 住姓 物 I 棟 ・ 掘 立 柱 塀 1 条 , 築 地 塀 1・ 溝 12 条 な ど で あ る。 奈良 時 代 の 遺 構 は 整 地丿凹に よ って 5期 に わか れ る 。

第1期 整地 以 前 の時 期 でSD9020 が あ る。素掘 り の 東 西 溝 で造 営 時 の 区 画 溝 の 可 能 性 が あ る。

第 2」り」 第 1 次 整 地 層 に 造 営 さ れ た 辿 構 でS D3765  ・ S A  8410 ・ S X8956 ・ S D8944 ・ S D 8945 が あ る 。 S D3765 ・ s A8410 に 関 し て は, 先 の調 査と 変 る 所 は な い 。S X8956 は, SD 3765 の 東 約35m に 位illjllaす る 幅 約11m, 深 さ約0.4m の溝 状 の 遺俳 で あ り , 性 格 は 不 明 で あ る が , 第 4次 整 地 に│怒し て 埋 め ら れ る。

第 3 期  第 2 次整丿包I引こ造 営 さ れた 遺構 でS A5550A  ・ S D3715 ・ S F8950 ・ S D8947 ・ S X8941 ・ 8942が あ る。 第 1 次 朝堂 院 の 東を 両すS A5550 は 保 存状 態 が極 め て良 好 で , 今 回 の 調

―  23  ―

(5)

奈 良 国 立 文 化財 研 究 所 年報

査でその変遷 に関 して新 しい知見 を得た 。S A5550  A は基壇 を持つ掘 立柱塀 で,その後 2回改 修 され ,木塀 B一築地 Cと変遷す る ことか明 らか になった 。 S F8950 は発掘 区の 東端 にあ り,

第 2次 内裏外郭の南 門S B8160  に通ずる南北 方向の 道路で ある 。S D8947  はその西側 溝 であ り,S X8941  ・ 8942 はS F  8950 に敷設 され た 暗渠 で ある 。

第 4期  第 3次整地屈 に造 営された遺俳 で東第 2堂か造 営され , この 時点で妲煢 院 区画が完 全 に整備 され る 。 S B8550 は今回の調査で桁行 8間分 を検出 したが ,先の調査分 と合せ て梁 問 4間,桁行12 間 以上の規校 となる事が明 らか になった 。基壇上の残 りが よく,柱間 ・礎 石松吁 法 に関する 良好な資料 を得た 。根 因石か ら桁行14.5 尺 等,梁間11.5 尺に復原 され る 。礎 石松付 の手順は,基壇築成 かおる程度 まで進 んだ段階 で皿 状の 掘形 を掘 り,川原石 を詰 め込む。その 上に礎 石を据 え,割 石を周囲 に詰め ,版築で礎 石の頂 上近くまで積 み上 げる工法 を取って い る。S B8555 は,S B8550 の 足場で あり,S X9015  ・ S X9016 もS B8550 の建設に伴 う遺構 と 考 えられ る。東西溝S D9024  ・ S D9025 は,S B8550 の柱筋 に合ってお り,第 2堂への通路S F9026 の 両側溝 と考 えられ る 。 S A  5550 は 3期 以降 ,2回の 改修 があ り,改修の 時点は不明で あるか,倔 立柱 木塀一築地と変遷 をたどる 。 S B8980 は ,築 地に開く,く ぐり門である。

第 5期  第 4次整 地層に造営 され た遺構 で,S B8960  ・ S A  8967  ・ S X8954  ・ S K8948 等が ある。第 4次整 地はS X8955 を埋 める程度 の小規校 な位 地で, この上に桁 行 8問以上,梁間4 問 (lO 尺 等 間 ) の二面廂付南 北棟 建物S B8960^ 造 営され ている。S B8960 の柱倔 形は小さく,

第 4図  第111 次発 掘遺構 図

― 24  ―

(6)

平城宮跡と平城京跡 の調査

長 方 形 と 円 形 の も のがあ り,残 存してい た 柱 根 は, いず れ も黒木の広 葉 樹であ り,S B8960 は 仮 設 的 な 建物と考えら れ る。こ れ ら の 遺構は, 朝堂 院 の 廃 絶に 関 係す る 遺 構と 考え ら れる。刺 堂 院 かその 機 能を 失った後,S A5550 とS B8550 の 悶隙部 は一時 鍛冶 工 房として 使川 される。

その 後,こ の間隙 部 に は 瓦 が 詰め 込 ま れ,企体的に整地 さ れ,奈 良時 代の遺 構は 完 全に 埋め尽 くされ る。

遺物  木 簡 は 総 数24 点あ り,S K  8948のI点 を 除 くす べ て は,S D3715 から の出土で ある。

な か で も, 帥亀5年の紀 年の あ る瓦 の 進上に関 す る木 簡が 注口される 。 土 器類 の出土量は少 な く,主としてS D3715 か ら出土し た。 土器は 平 城宮1[ 〜v]り](725〜780乍頃)が主休を な す。軒 瓦 は,総 数1048点 あ り,人 半 はS A  5550とS B8550 問を埋め 立 て た 瓦屑から出土し て い る。瓦 層 出 土 の軒 瓦 の う ち7割 を 占 め る の が皿期(721〜745)の 瓦 で, 6313 ・ 6685が き わだって 多 い。 こ の他,銀 鈴・帯 金 具・ サ ンゴ玉 等 があ る。

まとめ  調 査 の 結果は,S A  5550の変 遷 以 外 は,先に 行 な われ た 第97 ・ 102次 調 査 の 所見とほ と ん ど変る 所 は な い。畦 畔 か ら も 想定さ れ るよ う に,第1次・:りj堂 院 の 南北長 が 第2次 朝 堂 院 の 人 極 殿 回 廊 か ら12堂 院 南門ま で の 距離と同 じ で あ る な ら は,第1次 刺 堂 院 の 配置は,第2次 の それと は 異 な り, 東西に各 2 棟の 南北 棟が 配此されてい るII!f能 性が 強くなったと言えよう。

朱雀門・南面大 垣の調査( 第112−11次) 平 城 寓 南 面 の東西 水路 改 修 に 伴な う 事 前 調 介として, 5 ケ所 にトレン チ を 設 定 し,朱 雀門 お よ び 出 証 人J11の遺構を 検 出し た。

朱 雀III』は第16次調 査(196が│)で 棟通り と 北 側 住 列を 検出し てお り,桁 行・梁 間 共 に17尺(5.05 m )等間と判Iリjしてい る。今 川 は・巾側 柱筋 にあたり, 調査 の結 果 , 棣 通 柱筋 の 南17尺 のfM Ilaで, 礎石 の抜取 り跡に 残 存良好の根固 め 石 を 検川し た。前回 の 訓 介と 合 せて ,朱 雀門桁行 5間,梁 間2間の 企 住 田I`・laを 確,烈す る こ と と な った。以壇 は 東西31.6m に わた る 掘 込 み地 柴をし て い る が,調 介 区 狭小のため に 深 さ1.3m まで を 亂 副するに留 ま っ た。

大 垣 は地山を削り 整地の 後 に版築 を 施 こ して お り,遺存 度 のよい 所で高 さ0.8m を 測 る。

遺 物 は 瓦類 だけで , 軒瓦 は すべて藤 原寓 式 で あ り,前回調 介と 同様な 状 況 を 示 し た。

2. 平 城 京 の 調 査

唐招提寺戒壇の調査 木調在 は唐招 提 寺 戒壇へ の ストゥーパ 姓 設 に伴な う小前凋査であ る。戚 壇 の封 土 は, 地 山の 上 に 版 築土 ・文禄 倒壊後 の砧土・元禄 再興 時 の拮土 一人IIモ修 理時 の拮土 の 順に 屑 位を な し て い る。地山は戒 壇 部 分を 周辺よ り 約1.2m 高 く水 平 に削り 残し て お り,こ の 上 に 厚 さ0.6m ほどの版築 川 が 残 る。版 築土 は地 山と 類 似 の土を 用 い る などy呻j の版 築と みら れ る。造 営時 期 に 関 し て は,寺 の 創 姓 に 伴 なうとす る 説 と 弘 安7年 と す る説 があ るが,い ず れ と も 解明 でき る資 料は得ら れなかった。

版 築 上 の上に は厚さ0.1m ほ ど の暗黄褐 色土川が あ る。上 而 では 方一問の小咄 物 の 礎石と土 壙 ・小 ピ ットを 検 出した。上壙 か ら は 炭化物 や飾 金具な どと 共 に8世 紀 後 半 と推定 さ れ る坊仏 12関 休分か 出土した。ま た ,小 建 物 は「招 捉千歳 時記 」 の戒 壇堂の条 に み え る「文 禄五 年 (慶

― 25  ―

(7)

奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所 年報

長 元 年 ) 大地震 。此時殿 堂多倒 。此殿 又倒 。久成莓 苔之地 。倥 有 小屋覆壇耳。 」の記事 に符合す るとおもねれ る。

暗黄 同色土層の上には厚 さ0.6m ほ どの砧 土が あ り ,現戒城化粧 石の裏込め 土は この 層か ら 切 り込 まれ ている。砧土には古代か ら近世 にか けての瓦 片や中世 以降の瓦器 片 を含み ,緑釉 を 施 こ した瓦 片 ・陶器 片もみ られ た 。上面 では礎 石の 抜収 り跡 を検 出 し,奈 良県所蔵の 戒壇堂跡 実測 図 (明治 ) にみ える礎 石配置 に 一致する 。元禄 年間の 再興に伴 な うもの とみ られ る 。

以上の ように ,創 建時期の解 明はで きなか った が,当初の遺俳の残 りの よいことが判 明 し,

また倒 壊か ら再興への 変迷 を文献のみ ならず遺構の 上か らも裏付 ける ことができた 。

平  而図

│圻  面 図

第 5図  唐 招 提 寺 戒 壇 発 掘遺 構 図

条坊 遺 構 の 調 査 (第112 ― 3  ・ 8  次 )  第112 ― 3  次調査 では左京三条二坊二 ・七坪の坪境小路 を 確認 した 。また小路の東側 では七坪内の 一部 を調査 して 4期 以上の重複 関係 をも っ掘立柱建物 9陳 を検 出 したが, いずれ も建 物の 一部 しか確 認 できず 全休 配置 は明 らかでな い。小路の幅は 側溝 心々 約7mで,東側 泌幅0.7 〜1.5m, 西側 清幅1.2 〜2.6m を測る 。小路心は朱雀門心か ら

−26−

(8)

平城 宮跡 と平城京 跡の調査

東665.55m  (2250 尺 ) に 位 置 し , 条坊計画の 1 坊 (1800 尺 )十 l 坪 (450 尺 ) に相 当す る 。 側 溝 か ら は 土 師 器 ・ 須忠器が ま と ま っ て出土 し , 緑 釉 陶器 ・土 馬 ・1 旧。 日逞 い 漆 付 着 土器 な ども み ら

れ る 。 奈良時代の初 期 に 造 営され , 平 安時代 回 り ] に廃絶 され たこ とが 判 明 し た 。

第112 ― 8  次調査 で は右京 一 条 二 坊 二 ・ 七坪の 坪 境 小 路 と 二 坪東 端部 に 整 然 と 配 され た掘立 柱南北棣 建物 3 棟 を確 認 した 。 ま た3J り ] にわ た る 古墳 時 代 の 遺 構 が存 土 し , 掘 立柱建物 3 棟 ・ 伽立 柱 塀 1 条 ・竪 穴 住 居 1 棟が ある。 小 路の幅は側 渮 心々約8.3  m で, 東西 側 溝幅は 共 に1.2m ほ どで ある 。 西一 坊 大路心か ら 叫へ480 尺 を測 り ,推定位illllla よ り30 尺 西 へずれ て い た 。

その仙 に 条坊解 明 を主 日 的 としての調 査 に は 第112 − 1  ・ 7  次 などが あるが , 伽 立柱 建物の 一 部 を検 出 するに留 ま り ,削 平 等 の ため条 坊 遺構 の確 認 は で き なかった。

3.平城 ニュータウ ン予定地内遺跡の調査

1972 年度,  1973 年度に引き続 き , 日本 什 宅公 団 ヽF 城 ニ ュ ー タ ウ ン造成 工事予定 地 内遺跡の範 囲確認調査 を京 都 府教 青委 員 会 および奈 良県教 育 委 員会の 依 頼 を受 け て行 な っ た 。 木年度の訓 査 は前 回の調 査 にもれ た地点お よ び 再調 査 が必要 な地点 を と り あ げ , 当初 の 分 布 調介 で あが っ た 地点の うち 造成iji 業地 外 と なった地 点を残 してお おむね本 年 度 をも っ て 予 備調 た に 一 応の結 論 を得 , 今 後の遺跡の 保存1 国畆 汁11111 に資 す る ことと な った 。 諞介 圸 は 奈 良県 側 3ケ 所 , 京都 府 側 3ケ 所であるが , これ らに つ いてはす でに 京 都 府 教 青委 U会に よ り 報告 され て いる ( 「 奈 良山 一 Ⅲ  平 城 ニ ュ ー タ ウ ン 予 定 地 内追 跡 調 査 概 栩 」1979 ・ 3 )た め詳述 をさけ , 第 9 号 」 也 点 (音 如 ヶ 谷 瓦 窯 )につ いて簡11t に報告 する 。  なお 第 7 号 地 点 ( 石 の カ ラ ト古 墳 ) につ い て は別項 で翊 告 する 。 音 如 ケ 谷瓦 窯 ( 第9 号 地 点 )の 調 査  調 査 地 は 京都 府相 楽 邵 木 津│││ 」 音 如ケ 谷 にあ り , 奈 良 山丘│ 凌 の 東 側 M 部 に 位 置 し ている 。2100  nf にわ た る 調511 の 結果 , 発 伽 区 の 北半部 で瓦窯 4 从 と そ れ に 付属す る小規 模 な掘 立柱建物 5 棟 を検 出 し た 。 これ らの遺 構 は 2 時期 に│ 乂 分 され るが , ロ ス ト ル 式 と 吁ばれ る 4 基の平窯は 2 基 で 1 紐 と な る 2 グ ル

ー プ に分 け られ , 窯壁の瓦の砧み方や排水処 理 方法 , 焚囗の 方向などに 時 期 による相 異 かみ られ る。 掘立柱 建 物の 柱 穴 はいずれ も 小 さ く , 柱 間 寸法 も5〜7.5 尺 と小 規模 であ り , 作 業場 ある い は資 材F 冖 昜 と咎 え ら れ る。時期に つ い て は 出 土 遺 物か ら人 F 宝字頃と そ れ に 続 く時期 と想 定され る 。 遺物 は 大半が瓦窯跡 とそ の 前 庭 に掘 られ た土端か ら出土 した 。 軒瓦 には 軒丸 瓦 6 型 式29 個 休 ,軒 平 瓦 4 型式195 個 休が ある 。土器 は灰 原 下 層の 土 城 か ら多ill: の土 師 器 と少。 ほ の 須恵器が 出 土 し た 。 これ らの 土 器 は平城 宮 Ⅲ 期のs K820  と時 期 的 に OF 行する 時 期 の一括資料である 。

(巽  淳 一 郎 ・ 清 水  火 一 ・ 井 上  和 人 )      第 6 図  音 如 ヶ 谷第 1 り 窯

― 27   ―

参照

関連したドキュメント

ビスナ Bithnah は海岸の町フジェイラ Fujairah から 北西 13km のハジャル山脈内にあり、フジェイラと山 脈内の町マサフィ Masafi

Figure 90 Finds from gray sand layer at the open space, Level 3, Khor Fakkan town site. Green glazed ware, bowls, Iran,

[r]

施設 平成17年 平成18年 平成19年 平成20年 平成21年 平成22年 平成23年 平成24年 平成25年 平成26年 10年比 松島海岸 㻟㻘㻠㻝㻥㻘㻜㻜㻜

シーリング材の 部分消滅 内壁に漏水跡なし 内壁に漏水跡あり 内壁に漏水跡なし 内壁に漏水跡あり 内壁の漏水跡が多い.

 宮城県岩沼市で、東日本大震災直後の避難所生活の中、地元の青年に

東京都船舶調査(H19 推計):東京都環境局委託 平成 19 年度船舶排ガス対策効果の解析調査報告書 いであ(株) (平成 20 年3月).. OPRF 調査(H12

平成30年 度秋 季調 査 より 、5地 点で 調査 を 実施 した ( 図 8-2( 227ペー ジ) 参照