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周康王の即位と重宝の陳列

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Academic year: 2021

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周康王の即位と重宝の陳列

著者 横田 健一

雑誌名 阡陵 : 関西大学考古学等資料室彙報

巻 10

ページ 2‑3

発行年 1984‑11‑01

URL http://hdl.handle.net/10112/00024347

(2)

周 康 王 の 即 位 と 重 宝 の 陳 列

横 田 健

博 物 館 や 美 術 館 の よ う に 、 す ぐ れ た 軍 要 な 美 術 品 、 宝 と も い う べ き 芸 術 品 等 を 陳 列 、 展 観 す る こ

と は 、 い つ 頃 か ら 始 ま っ た の で あ ろ う か 。 東 洋 で 文献上の初見について記そう。

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尚書』は『書経」ともいい、 詩経』と共に、

中国では殻も重要な古典で、尭、舜から夏、殷(商)、

周 第5代の穆王までの歴史を記したものである。ぼく

秦 の 始 皇 帝 が 焚 書 坑 儒 を 行 っ た 時 に 、 秦 の 博 士 で あった伏生が壁の中に塗りこめて隠したものを、

漢 の 孝 文 帝(BC180‑157)の時に取り出したが、 29 篇を得たという。(「史記」儒林伝)

そ の 後 に 、 漢 武 帝 (BC141‑87在位)の時代に、

孔 子 の1B宅の壁から出た16篇 の 「尚書』があり、

これを『古文尚害」という、文体や内容の検討か ら、前者の『今文尚書」の 方 が 、 古 体 を 存 し 、 後 者を後代の偽作と考える学者も少くない。

ここに取り上げるのは前者の中の第25篇「顧命」

で 、 周 成 王 が 崩 じ 、 康 王 が 即 位 し た 時 に 国 家 の 重 宝類を陳列、展観に供したとある。なお成玉は、

周王室の初代文王(西伯昌)、第2代が武王(発)、

しよう

そ の 子 で 第 3代 に あ た る 康 王 の 太 子 で 名 を 釧 と い う。周初の年代は未だ確定していないが、およそ B ClOOO年 余 、 前11世紀代のことである。

以 下 「 顧 命 」 の 文 を 野 村 茂 夫 氏 著 「書 経」の 訳 文を参考にして述べる。

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席玄粉純凪天口

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垂 和 兌之 之 之竹 弓 文(東房)

 

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逗譴鯉返鍼. ︵辻図︶

・重護席綱

・大玉・鱒摩涛疇宴

~吋.轟ど忘

A•河図

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巨〗次

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この1l11ほ賀鑽戌「尚書通考」による。

塾)

顧命図(野村芳夫著『書経」1974明徳出版社刊)

成 王 は 、 在 位 年 末 の4月16日甲子に太子や重臣 百 官 を 集 め て 遺 言 し 、 翌17日乙丑崩じた。太保す な わ ち 宰 相 に あ た る 召 公 は 、 仲 桓 と 南 宮 毛 に 命 じ て太子刻を迎えさせて、喪主とした。丁卯(19日) に 、 史 官 に 命 じ て 、 成 王 の 臨 終 の 命 を 記 し た 冊 書 と法度の記録を作らせ、その7日 後 の 癸 酉(25日) に 召 公 は 、 士 に 命 じ て 棺 材 を 作 ら せ た 。 楽 官 の 秋 人 は 斧 の 文 様 を 描 い た 屏 風 と 帷 恨 と を 成 王 の 生 前 のように設けた。

正殿中央の窓のある間に、南向きに竹を綱み、

白黒の糸をまじえて縁どりをした三重の席(敷物)

を敷いた。五色の玉で飾った脇息を傍に園いた。

ふだん王が使用していたものである。

王が朝夕に政を聞く西序(西側の脇の間)には、

東 向 き に 、 蒲 で 編 み 五 彩 の 糸 で 縁 ど り を し た 三 重 の 席 を 敷 い た 。 文 様 の あ る 貝 で 飾 っ た 脇 息 を 傍 に 圏いた。これも王がふだん使用したものである。

国 の 長 老 た ち に 宴 を 賜 わ り 、 群 臣 に も 酒 を 賜 わ る 座 で あ る 東 序 ( 東 の 脇 の 問 ) に は 西 向 き に 、 竹 の 皮 で 編 み 彩 色 の あ る 糸 で 縁 ど り を し た 三 重 の 席 を 敷 い た 。 彫 刻 を 施 し て 玉 で 飾 っ た 脇 息 を 傍 に 置 いた。

玉の親族の宴会の座である西央には、南向きに、

竹 の 皮 を 編 み 黒 の 縁 ど り のして あ る 三 璽 の 席 を 敷 ぎ、漆塗りの脇息を置いた。

以 上 の 4席 は 、 天 子 平 生 に 用 い る と お り に 席 を 設 け た 。 野 村 氏 は 「 い ま 天子の霊がそのどれにと ど ま る か 知 る こ と が で き な い た め 、 す べ て 平 常 ど お り に 席 を 設 け た の で あ る 」 と し る す 。 原 文 に な い 文 だ が 鋭 い 指 摘 で あ る 。 こ こ に 玉 を 五 重になら べ、また王が宝としたものを陳列した。

武王が 殷 の 討 玉 を 伐 つ に 用 い た 赤 い 文 様 の あ る 刀。太古から文王、武王までの記録である大訓。

大きな璧(円環状の薄い玉)、}宛と}炎と名づけられ た2つの玉、これらは西序に置かれた。

か と

大 玉 、 夷 玉 、 天 球 の3つの宝玉。河医という、

ふ く ぎ し

太 古 の 伏 義 氏 の 時 に 竜 馬 が 黄 河 よ り 背 に 負 う て も た ら し た 神 秘 の 図 。 こ れ ら は 東 序 に お い た 。 胤 国 製 作 の 舞 衣 、 大 き な 宝 貝 、 大 太 鼓 。 こ れ ら は 西 房

た い

においた。名エ兌の作った文。名エ和の作った弓。

垂の作った竹矢は、東房においた。

た い ろ

玉 を も っ て 飾 っ た 車 、 大 絡 は 、 西 の 階 段 で あ る

て い ろ

賓階に南向きにおいた。黄金で飾った綴略という

‑2‑

(3)

そ か い

車は、東の階段、昨階に南向きにおいた。

せ ん ろ

装飾のない木製の車、先絡は左塾の前においた。

じ ろ

革 で 飾 っ た 車 お よ び 象 牙 で 飾 っ た 車 で あ る 次 略 は 右 塾 の 前 に お い た 。 以 上5つ の 車 は 、 成 王 存 命 の 時と同様に配置された。(中略)

王 は 、 そ の 地 位 を あ ら わ す 黒 色 の 麻 製 の 冠 を か ぶ り 、 斧 の 文 様 の ぬ い と り を し た 裳 を つ け 、 賓 階 よ り 堂 に 升 っ た 。 賓 客 と し て 、 先 王 の 命 を 受 け るのぼ

ためである。卿・大夫および諸侯たちは、みな同じ

< 麻 製 の 冠 を か ぶ り 、 黒 色 の 裳 を 身 に つ け 、 王 の 後から堂に上り、所定の位濫についた。

太保召公爽と、太史(記録官)と、太宗(礼官)

とは、いずれも麻の冠をかぶり、赤い裳をつけた。

太保は介圭(天子の持つ太王)をささげ、上宗は、

ぼう

同 ( 祭 祀 に 際 し 、 酒 を 酌 む 器 ) と 瑾 ( 諸 侯 の 手 に し た 圭 に か ぶ せ る 四 寸 四 方 の 玉 ) を 持 ち 、 昨 階 よ り 堂 に 上 っ た 。 太 史 は 、 成 王 の 遺 命 を し た た め た 書 を 手 に し て 、 賓 階 よ り 上 っ て 、 王 に 成 王 の み こ

とのりを伝えた。

太史は亡き先王の遺命をよみあげて言う。

「大いなる君成王は、玉の脇息に身をよせて、

しよう

終 り に の ぞ ん で の 命 を 申 し 述 べ 、 汝 刻 を し て 、 文 王・成王の教を受け継がしめんとするのである。

汝 は 周 国 に 君 臨 し 、 先 王 の 定 め た ま え る 大 い な る 法 度 に 、 す べ て 従 っ て 、 天 下 の 人 々 を 和 ら げ 睦 ま せ、もって、文武二王の輝ける御教えに答え、いっ そう王徳を盛んにせよ」と。

王 はこの 言 葉 に 対 し 、 再 度 頭 を 垂 れ 、 つ い で 起 ち上がって答えた。「ああ、とるに足りない幼きわ た し は 、 よ く 父 祖 の 如 く に 天 下 四 方 を 治 め 、 天 の 威 徳 を う や ま い 畏 れ る こ と が で き ま し ょ う か 。 心

もとない限りであります」と。

ついで同と瑠を受けとり、王は三たび爵(酒器)

を 神 に す す め 、 三 た び 酒 を 神 に さ さ げ て 祭 り 、 三 たび爵を置いた。太宗がいう。「神は王の祭りを受 けた」と。(以下祭の次第略す)

こ の 文 章 は 、 周 代 の 玉 の 即 位 犠 礼 を 如 実 に 語 っ て 要 を 得 て い る 。 こ こ に 展 観 さ れ た 宝 物 は 玉 が 中 心 で 、 そ れ に 刀 や 弓 矢 、 文 の よ う な 武 器 と 、 大 訓 の よ う な 系 譜 的 歴 史 、 河 図 の よ う な 地 図 で あ る こ と は 興 味 深 い 。 宗 廟 社 稜 を 祭 る 尊 や 鼎 や 爵 、 杯 の ょうな食器、飲器に鼓鐘のような楽器はない。

右 の 重 宝 に つ い て は 「周 礼 』 巻20「宗伯礼官之 職」の「天府」(祖廟の守蔵と禁令を貴とぶ官)の 条に、「凡そ国の玉鎮、大宝器を蔵す。若し大祭、

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