Ⅱ .検 出遺構 の報告
1.西 院地区の調査
西 院伽藍 は天平19年 の法 隆寺資財 帳 において西 院伽 藍 のみを記 し
,東
院 とは区別 されてい る。現在 で は,現
東大 門所在地 か ら西方 の伽藍域 を西 院 とよび,そ
の中心部 を西院大伽藍 と もい う。西院地 区 は,回
廊 に囲 まれ た,い
わゆる大伽藍 と,そ
れ に付属 する東室,綱
封蔵,食堂 な どの一郭
,現
大宝蔵殿域,大
宝蔵殿 の問の西側広場 と,東
大 門 と西大門を結 ぶ参道南 側 の子 院群 か ら構成 されている。今 回の概報 で も,そ
れ によって報告 しよう。ただ し,実
相 院門の北側,大
宝蔵殿前広場か ら見出 された若草伽藍関係 の遺構 につ いては説明の便宜のた め別頂 とす る。説 明はおおむね,北
か ら南へ と進 める。A
食堂 。東室北側地 区 (第 1・2,3図
)この地 区 は
,大
宝蔵殿 の表 門か ら北へ進 む道路 があ り (この途 中に参詣者用手洗 い所 があ る),北
へのびて不浄門 にあたる。 この道路か ら西側,西
院回廊 までの間 には,弥
勒 院,知
足 院
,宝
蔵 院が あったが,現
在 はすべ て徹去 され,広
場 とな り,県
文化財保存事務所,旧
金 堂解体修理事務所 (現発掘調査事務所),寺
の作業所 などが仮設 されている。 ここの東面 に トレンチ を設 けた。食堂 の裏側広場 には,食
堂解体修理 の時 に仮設 された製材所 の基礎工事 が残 されていたので,発
掘調査 はやや手間 どった。なお,食
堂 の西北 の県作業所の南側 の トレンチ は
,土
塀 との間 に配管 され る こと もあって,幅
70cmしか掘 れなか った。1
食堂 裏 の第 230ト レンチ金堂 の昭和大修理 に伴 う製材所 の基礎 コンク リー トが地 下 に大量 に残 されてお り,発lFB調査 は困難 を伴 った。しか し,柵 列
(SA4500),井
戸(SE4501), 瓦質土管排水濤(SD4502),中
近世の土壊 (SK4503〜4505)を
検 出す る事 がで きた。SA4500
金堂 に並行 す る東西4間
以上 の掘立柱列 (掘形1辺 0,7m,柱
痕 直径24cm)で
ある。柱 間 は等 間で はな く2.0〜
2.4mで ,建
物 にま とまる可能性 は薄 い。土層観察 お よび遺物 か ら 西 院創建以降,平
安初 期 まで に建築 され た もので,お
そ らく食堂 (資財帳 にい う政屋)と
の 関係 の ある柵 (あるい は影壁風 の塀)で
あろう。SE4501
トレンチ東部 で検 出 した直径2.7mの
掘形 を もつ 円型 石組 井戸 (直径0.8m,深
さ4m以
上)である。井戸埋土 か ら多量 の瓦片,土
師灯 明皿,瓦
器,陶 ,磁
器 が出土 した他,「法 隆寺弥勒院
」 の銘 の ある軒丸瓦 が出土 した。破片 で あるうえ瓦 当面 が録」離 しているた め年代 ははっき りしないが
,中
世 の瓦 で ある。江戸 時代初期 の法 隆寺境 内古 図 によれ ば,こ
の地 は弥勒院 にあた り
,ま
た文献で は室町時代の建立 とされている。出土 した遺物か らも室 町時代 か ら近世 まで機能 して いた井戸 で あると言 える。SD4502
トレンチ中央 の北拡張 区で検 出 した瓦質土管排水濤 である。瓦質土管 (直径1lcm, 長 さ18cm)は
わずか3本
検 出 したのみで あるが,整
地土 に埋 め込 まれ,
レベ ル値 によると東十 薫 翼
下N ωΦ Φ0 00 0
一
下博 ωΦ
∞o O0 0 一
︶令 とぃ ωΦ 刊〇
〇〇
〇 11 11
寄翼 霊 ︒
+
第
1図
食堂北 トレンチの遺構図第
2図
食堂 裏 の発掘,左
・ トレンチ東半分(西か ら),右
・ トレンチ西半(東か ら)230ト レ ンチか ら西への流 れであった らしい。室町時代後半の ものである。
SK4503〜 4505
と もに瓦器 。羽釜・灯 明皿・瓦片 を出土する土娠 である。その他
,多
数 の小穴 を検 出 したがすべて中近世 の遺構 で,室
町時代 か ら明治11年 まで存在 していた弥勒 院関係遺構 であると言 える。‖
第 234ト レンチ
旧知 足 院土塀 と現県修理事務所作業所 の間 に設定 され たわずか
0,7m幅
の トレンチである。築地基礎(SA4520),東
西濤 (SD4520・ 4521),小沼地(SG4522), その他 中世 の土壊 を検 出 した。SA4520
現築地 か ら12m北
で これ に先行す る築地基礎 を検 出 した。地表下20〜 30cmで 検 出 し,面
を北 にする平石 が部分的であるが連続 して残存 していた。染付碗等 が出土 している近 世 の遺構 で ある。SD4521 SA4520の
直下 で検 出 した東西 溝 で あ る。SA4520に
並行 して東西 に延 びるが,土
層観察 に よると
SD4521が
埋 ってSA4520が
築 かれてお り,SA4520の
雨落濤 にはな り得 なか った。SD4521は ,
トレンチ東部下層で検出 した中世 の濤 である。SG4522
トレンチ東端部 はち ょうど知足院 と弥勒 院 との境界部 にあたる。複雑 な遺構 の状 態 で検出 されたSG16は ,知
足院側 の旧築地基礎 と同 レベルの石敷か ら子 院の境界部 に斜 め に瓦質土管に よるりF水濤 が延 び,こ
の先端 に完形 の忍冬唐草軒平瓦 を配す。 この流水 を受 け+ 藷 蓄
↓ 誕 蓄
艶 棗 葦
+
目目
三 三 〒 1 , 1 1 1 旱
﹁ 1
l 二
■ 十 L 硼
第9A図
東室 お よび妻室北 の トレンチ遺
+
る石濤が
L字
形 にあ り,板
石敷 の小池 に導 かれ る。十‖
第 235ト レ ンチ
束 室 北 妻 の 北側 にの こる子 院の石垣上 に
,石
垣 に平行 して,設 定 した この トレンチで は, 地表面 に明治 まで続 いた宝蔵院の築地 基礎 が残存 している。 これ に伴 な うと 考 え られ る瓦 敷
SA4530の
他,築
地基礎 痕
SA4531,
石 列SA4532,
池 SG4533を 検 出 した。SA4530
平 瓦 と丸 瓦 を組 み合 わせ斜 面 に貼 りつ けた瓦葺 で ある。子 院の苑 地 の嵩上 げに伴 な う土留 めの作業 と考 え られる。瓦 はすべて近世 の もの。SA4531
現 地 表 下 30〜 40cmで 検 出 さ れ,現
存 す る築地基礎 に先行 す る幅約1.lmの
築 地 基礎 の抜 き取 り痕 跡 で あ る。 この レベル差 に対応 して,残
存 する宝蔵院石垣 などの基礎 は積 みたされ て嵩上 げされている。
SA4532
トレンチ東端 で検 出 した南 北方 向の石列 で ある。東面 に幅約 10cm の濤 を伴 なう。位置的 に知足院 と宝蔵 院の境界の土塀跡 と考 え られ る。SG4533
東 室 の北 辺 に ほ ぼ並 行 す る 地 山 を切 る池 で ある。東岸 はSA4532
に切 られているが,北
岸 は トレンチ東半部 の北拡張 区で検 出 し
,西
岸 は トレ ンチ西端 に及ぶ大 きな池である。瓦器・土師灯 明皿 ・青磁片・染付碗等 を出 土 している事 か ら
,宝
蔵院 が築造 され る直前 に埋 めたて られ た池 と考 え られ る。宝蔵院 は江戸初期以降か ら文献 に 記載 されてお り,創
立 も江戸初期 ある第38図
食堂北側 の井戸S F4501 (南か ら)230ト レンチ
第
4図
大 宝 蔵 殿 西 側 通 路 の トレ ンチ全 景 (南か ら)229ト レンチ11
第
5図
県 工 作 所 南 側 トレンチ全 景 (西か ら)234トレ ンチ
第
6図
知足院 と弥勒 院の間の排水 溝 (東 か ら)234ト レンチ
第
7図
東室北側 トレンチ全景(左西 か ら
,右
東 か ら)231ト レンチ第
8図
東室北側 の江戸時代 の瓦列細部(南か ら)231ト レンチいは
,そ
れ をやや さかのぼるもの と 考 え ら れ て い る。 し た が っ てSG4533上
層 の深 さ15mの
整地層 も 中世後期 か ら近世 の整地 と言え る。B
大宝蔵殿表門 か ら北収蔵庫西側 の地区大宝蔵殿 か ら不 浄門 旧地 に至 る道 路 である。参 詣者用手洗 い よ り南 の 第223ト レンチ と,それ よ り北約40cm の第229ト レンチ に接続 す る部分 と か らなる。
トレンチ幅 は70cm〜
lm
で
,総
延長 は75mで
ある。 この両 トレ ン チ で 土 壊
(SK4540),溝 (SD4541)お
よび径05m以
下 の小 土壊数個 を検 出 した。SK4540
第229ト レンチ北端で上幅4mで
東西 にの びる地 山の落 ち込 み を検 出 したが,そ
の東西への拡 が り は未 確 認 。 た だ し,西
に入 れ た第 230ト レンチ に は及 んでいないので 土壊 の可能性 が強 いが,大
きなV字
形 の断面形 は濤 をお もわせ る もので もある。
SD4541
第230ト レンチで検 出 した 上 幅08m,深
さ10mの
素掘濤 であ るが,の
ちに廃棄 されている。 この 濤 は,そ
の位置 か ら綱封蔵の南側 に 現 に存在する石組 み濤の先行溝 と推 定 され る。出土 品 と土層 か ら室 町時 代以 降の溝 で あ り,子
院 に伴 うものと推定で きる。
第
9図
東室北側 の江戸 時代 の瓦列 (東か ら)235ト レンチ第10図
東室北狽」の江戸時代の瓦列細部 (西か ら)235ト レンチ
C
大宝蔵殿 内部 の調査大宝蔵殿 の北倉 ・中倉・南倉 と南北 にな らぶ三棟 の宝蔵建物 の東側空 間地 に配水工事 が さ れ るので事前 の調査 を行 なった。国宝東大門の西北 にある安養院表門の地下 を暗渠でぬけて, 南倉 に至 る配管 と
,聖
徳会館敷地 の北西隅か ら東大 門の北側 に,そ
の地下5mの
と ころを圧 入工法 によって設置 された配管 とが南倉 の東南 で合 して北上 し,北
倉 の東 で,昭
和56年 度布設 の本管 に合 され る。 この本管 に地上式 消火栓用 の二本 の支線 がつ く。全体 に トレンチ は
Y
型 となった。大宝蔵殿 の敷地 か らは中倉
,南
倉建設 にあたって古代 の柱根 が発見 されてお り, 北倉建設 に伴 う事前発掘 において も柱穴 の検 出が あつたので,
トレンチ幅 を2mと
して調査 の完全 を期 した。 この地 の基本的土層 は現地表下約80cmは 大宝蔵建設 に伴 なって移動 した土 層 で,所
どころ,工
事 の仮設物設置 の ため深掘 され ていた。旧表土上 に薄 い灰褐色砂 質土 が の る。 これは近世 の堆積土 である。その中 に暗褐色の粘質土があ り,中
世 の遺物 を含 む。 こ の下 には黄茶褐色土があ り,古
代 とな る。地 山 は,南
倉 と中倉 の中間 よ り以北 で は黄色 の, 強 い山土 である。 この山土層 下部 との間 に砂層 が あ り,黒
褐色粘土 とな る。それ以南 は,植
物遺体 を大量 に含 む黒 色粘土層 となる。植物遺体層 の直上 の暗灰粘土 は
,部
分的 に粘質 も著る しかった り
,弱
か つた りする。以下主要 な遺構 につ いて,説
明 を加 え よう。1
中・近世 の遺構 (東蔵 院跡)S F4550
中倉 の東側 で検 出 した東西方 向の道路遺構 で,青
灰色粘土層 の うえに,径
5 cm以下 の小砂利 を敷 いて いる。南側 には築地土塀 の基 壇 で ある S A 3000が あ り
,北
側 には縁 留 め石 が並ぶ。前年 の食堂 ・細殿南側地 区で検 出 した道路 S F 2117の 東への延長部分であろう。
安養 院 と東蔵 院の間の道路 で ある。築地基壇 は旧安養 院北狽1築地 で
,こ
の天端 か ら道路面 で 約80cmあ る。 これ は道路 が中世以来 の高 さを留 めているの に比 して子 院が嵩 あげされ た結果 であろう。S D4551
道路 S F 4550の 北端留石 か ら北 に幅lmの
断面U字
形 の素掘構 が ある。S F4550
の北側濤 であるが,道
路 の北側 の東蔵 院の南端 を画 す る濤 で もある。S D4551の北肩 は グラ グラとたちあが り,道
路面 によ り約80cHlたかい。 これによって東蔵院南面 には石垣等の施設 がなか った ことが知 られ る。S Z 4552 北倉 の東南 隅部 ちか くに南北約
2m東
西2m以
上 の,一
辺20cm程 の川原石 を並 べ た石 囲風 の遺構 である。 この埋土か ら土師器片・瓦器片・瓦質土器片 が出土 したので,室
町期 の遣構 であるが
,そ
の性格 は判 らない。同様 の ものが旧安養院側 にもある。推沢1をた くま しくすると,窯
築 の基礎 と考 えて よいが積極 的根拠 が ないので呈示 す るにとどめる。 なお, 中倉 よ り以北 は,も
と もと凹地 であったのか,S Z 4552の 直上 まで現代 の廃棄物 がつ ま る。S K4553
道路北狽」溝 の北側 に柱掘形風 の長方形 の土壊 が ある。東西15m,南
北 1.lm。 な お この周辺 に径10〜 20cm前 後の小土坑 があった。以上 が子 院東蔵院 に関連 する遺構 である。‖
中 。近世 の遺構 (旧安養 院跡)
第11図
大 宝 蔵 殿 南 倉 南 側 。上部 は安養 院 表 門 の基 壇(北か ら)213ト レンチ
第12図
大宝蔵殿南倉 か ら 東南 への トレンチ の 中世 面(西北 か ら)214ト レンチ
S L4554
旧安養 院築地 の基壇 である。北 北側築地 は径20cm前 後 の小転石 や小割石 を 野面 に積 み,内
側 は50cm程 の大形転石 を一 段 のみ積 み並べ る。S Z 4555 南倉 の東側 で検 出 した石組 み。
南北
1.5m,東
西1.5m以
上 で,内
側 に石 の 面 を積 み並 べ た もので,層
位等 か ら室町時 代 の もので,S Z 4552と よ く似 てお り同様 の施設 であろう。S D4556
東西 に掘 られた大濤 で ある。地 山 を深 く掘 りぬ く。上 幅約6m,深
さ約2m
で
,そ
の上部埋土 には近世 の上器片 を合 む が, S A4557の 築地基 壇 よ りはない。濤 中 か ら遺物品4箱
分 の平瓦片,土
器片 が出土した。
S G4558
トレンチ南端で二又 に合かれる トレ ンチ の南 東 支 トレンチ部 分 で検 出 し た。 この池の最上部 の埋土 にはラムネ ビン が入 っている。その下層の土層 。出土品か らみて,安
養 院の庭 園の洲浜 の一部 か と推 定 され る。汀線 に作 り出 した凸出部 をもつ。その他
この地 区には
,中 ,近
世 の素掘濤や小土壊 が多 いが
,何
分 に も線 的発掘 で あ るので,こ
の各 々の性格 を究明するには至 っていない。又安養院表 門の基壇,内
側雨 落 ち濤 なども検 出 して いる。安養 院表 問 は 現位置 での,先
行遺構 はなか った。m古
代 の遺構S X 4560 現安養 院表 門の内 (北
)側
の ト レンチか ら大量 の若草伽藍 に関係 する瓦片 が出土 した。 この瓦群 は土壊 に入れたもの で はな く,灰
褐色粘質上 の うえに直接 あっ た。安養 院表 門の内狽」よ現表 土下約1.5m
の ところに,門
中心 よ り約8.5mの
と ころ第13図
大宝蔵殿東側 トレンチ全景(上 南 か ら
,下
・北か ら)217ト レンチまでの部分 は
,瓦
片 が2‑3重
に不規則 に積 み重 なっている。瓦 は平・丸瓦片があるが,混
在 していた。軒丸瓦 も多 く
,10数
体 分 を数 えるが,瓦
当面 を上 に した もの と,下
に したもの もあ り,か
つ,平
・ 丸瓦片 にま じって出上 した。 この瓦層の北端部か ら陶硯片が出土 し,瓦
の下 にある灰掲色粘質土上か らは
,須
恵器・土師器片等が出土 した。 この瓦層 の南 への ひろ が り,東
。西へのひろが りは未確認であるが,相
当の瓦 がある もの と推定 できる。S K 4559
近 世 の池 S G 4558の 汀 の部 分 に須 恵器 甕 が土墳 中か ら出土。 直径0.8m,深
さ 0.5m。その他若草伽藍関係 の瓦 の出土地点
トレンチの南端 は二又部分 よ り以南の灰褐色粘質土か ら
,多
くの平・丸瓦,お
よびパ ル メ ン ト文様の若草伽藍関係 の丸瓦片 を検 出 した。なお この 下層 は,暗
褐色 ない し,黒
褐色 の粘質土 とな り,大
量 の ア シ等の植物遺体 を含 む地 山となる。D
食堂周辺地区食堂 の南面 を細殿 に平行 して
,綱
封蔵 の北 で直角 に北 に曲 るL字
形 の トレンチである。全 体 的 に食堂 の東方 にある防火用 の小規模 な池のあた りで地 山の高 さは東方 に急降下する。食 堂 の西側 では本来,地
山の高 さは現地表下 あま り深 くないところに地 山天があったようであ第
15図大宝蔵殿東側 トレンチの遺構細部①
S F455。 S D4551(北から
),②埋甕
(北西から
)214ト
レンチ③石組
S Z 4555(東から
)④安養院門内側の瓦群
(北から
)第
16図食堂、 細殿周辺の調査①細殿東および南狽
!(東から
)240トレンチ②細殿正面
(東から
)③網封蔵北狽」
(東から
)238トレンチ④食堂西狽
I(南から
)237トレンチ
章
ヽ
第17図
食堂 ・細殿周辺 の ト
るが
,土
取 りによって出来 た土壊等 によって深 くな っていた。食堂 。細殿南側 の平地 で は,食堂 。細殿 に向 う南 か らの道路遺構 の存在 を予想 して調査 を進 めたが
,調
査地 の ほぼ全面 に わたって近・現代 の遺構 が地 山面 まで及んでいたので古代の ものは検出できなか った。S F4776
食堂 の中心線 の南延長上 にある近代 の道路遺構 。現地表下20cmで 幅約2mに
わた って,小
砂利 と小砕石片 が あった。S L4778
細殿 の現 コンク リー ト基壇 の東3mで
南北 に検 出 した20〜 30cmの 自然石 を縁留 め と した土積基壇のあと。 この基壇の南辺 は,南
北 の石列 か らT字
型 にのびる。 これは現細殿 基壇南辺 に一致 す る。 これ とは別 に現基壇 よ り南1.5mで ,自
然石 の石列 を検 出 した。 これ は昭和大修理以前の細殿の上積基壇の南辺石積 である。S A 4779 細殿現基壇 と平行 して
,南 2.3mの
ところにある東西方向の柵列。柱間隔 は2.2〜3mと
不揃 で,柱
掘 り方 は径20〜 30cmの 円形 。細殿 を囲む柵列。柱穴 の埋 め戻 し土か ら瓦器 片 が出土 している。室 町時代。S K 4780 S A4779の
南側 で検 出 し,東
西2.8mの
襦鉢形の土壊,土
師質灯 明皿等 が出土。S K4781
細殿 の東方,
トレンチ最東部 で検出 した不整形 の土療。底部 ちか くか ら鎌倉 の瓦 片等 が出土。S D 4782
トレンチ西部の,東
室土塀 に平行 してある濤で,平
均上 幅60cm。 その一部 を発掘した。 この濤の深 さは30cm程 であるが現在 も湧水量が多い。瓦器出土。
S K 4783‑4785
細 殿 基 壇 と,綱
封蔵基 壇東北 隅部 が接 す る部分 にある土壊 群。 うちSK
4783は 東西が
3.5mと
もっとも大 きい。表土か ら錬倉 ・室町期の瓦片 出土。S K 4787‑4790
食堂 西妻 に併行 す る トレンチで検 出 した。 うちS K4787は上 幅1.4m,深
さ
40mの
濤状 の土渡 。 S K 4788は 上 幅1.4m,下
幅80cmの 長楕 円形 の上壊 。 これ らの土壊 は 現地表下1.5m程
の深 さが あ り,そ
の形 が不整形 で,土
壊 その もの に伴 う出土品 もな く,土
取 りによって出来 た穴 と推定 しうる。穴 の埋 め土 には大量 の瓦・土器片 を含 む。
S D4786
南北 トレンチの中央部 で検 出 した瓦質土管 である。4本
が西か ら東へ連 な り,合
計
1.lmの
長 さを発掘 したが,東
端 は近代 の土娯 で切 られている。落差 は2.6cll,掘 り方 が検 出 されないので,地
上 にす えた ものであろ う。E
東室・ 聖霊院西側地 区東室 と東回廊 との間 はわずか約
14mの
間隔 しか ない。そ こには一切経蔵 が あ り,さ
らに公 孫樹 などの を植哉 し,防
火林 と しているので,発
掘可能 な幅 は限 られている。 この ため,
トレンチ は
07m〜 lmの
幅 とな った。聖霊 院 と東室 との中間の馬道 よ り以北 は後述 す る自然 川道筋S D 2140(昨年調査 で は大濤 と していた ものの上流 である)の
埋土 を掘 ったこともあ り,発
掘 中に トレンチ壁 の崩壊 を防 ぐため,保
強材 で保強 して調査 を進 めた関係 で,
トレンチの下幅 はわずか に
0.4mと
な った。 この地域 の基本的 な地層 は北か ら南へ,西
か ら東へ地 山が傾斜 して いるがの ちにのべ るS D 2140(旧河道)の
埋上 の うえに西院関係 の遺構 がある ので,東
室の北か ら3本
目の柱 か ら,馬
道 あた りまで は,整
地土 が あった。トレンチの位置
第
18図東室と聖霊院周辺の調査①東室西側
(北から
)236トレンチ②同上
(南から
)③聖霊院
西側
(北から
)242トレンチ④聖霊院南倶」
(東から
)243トレンチ
,十 脚脈
僻 絆 鵬
+
﹁
=
=
=
= 劃
¶ 引 刊
= 引 劃
0 ︲ 0
│
Y‑24050000
+
X‑15406αOoo Y‑24050,000
+
脚
第20図
聖霊院西側の トレンチ遺構展
が東室 の柱心 か ら西 へ
3.5mの
位置 にあた ったので昭和修理 に伴 う足場穴S A4805が
トレン チの西壁添 にあった。S K 4850
トレンチ北端部 で検 出 した南北lm,東
西0.5mの
浅 い土疲 で,なか に小石があ り,その一部 に焼 け痕 がみ られた。
S X4851
瓦 溜 り。 さきのS K4850北側 に中・近世 の瓦 を中心 と した瓦堆積 があった。その 南北 の長 さ2.3m,東
西 は,東
室 の下 に入 ってゆ くので不 明。S K4802,S K4800,S X4801の
下層 にあ る南北上幅約6m,深
さ約3mの
傾斜の きつ い土城 で
,そ
の底部近 くに,30〜
50cm大 の角がある転石 が投 げ込 まれていた。石材 の ごく̲L部 に 平・丸瓦片 が あった。瓦片 は奈良時代 の ものであるが,土
療 の切 り込 みか らみて,中
世 の遺 構 で ある。S K 4803 東室 の馬道 の東北 で検 出 した江戸時代 の瓦製火舎等 を含 む土墳。上幅 は
1.5mの
円形 で
,深
さは0.7m。S B 4804 聖霊 院西側 にある閣伽井 の南約
5mに
雨落 ち濤があ り,そ
の内側 に小形 の 自然石 を縁石 と して配す。北辺 は,現
代 の井戸 の渡 り石 のま北 に雨落 ち濤がある。雨落 ち濤間の距 離1.5mで ,井
戸 に至 る渡 り廊下風 の建物 と推定 で きる。なお南雨落 ち濤 の さらに南5mに
も東西方向の小濤 があ り
,北
側 は平瓦片 を立 てて並べ縁止 めとする。S D 2140
トレンチ中央部 を東西 によこぎる。 この部分 は現表土下約40cmで 整地上上面 とな第21図
調子丸厩舎南側の トレンチ遺構図
〇〇〇いい0甘い一IX︲︲
一
〇〇
〇〇 一0 守N
>I
る。 よく締 まった黄褐色土 で
,遺
物 を含 まないので地 山 と見 ま ちが易 い土 で ある。 これ は厚 さ約40cmで,そ
の下 に厚 さl cm程の木炭層 があ り,そ
れ より下 は青灰色の砂質土層 でなる。そ こに もご く少量 の瓦片 がある。 S D 2140の 中央部 での深 さ約
15m。
昭和55年 度の第22ト レンチで報告 されている急激 な地 山の降下 はこの旧河道の右岸 にあたっていたのである。 ま た東室・聖霊院の解体修理 中に,お
のおの地 山の異常 な深 さが言E録 されているが,こ
れ もまた この旧河道 にあたっていたのであることを付記 してお く。
F
調子丸虜舎 南側旧年 の第128ト レンチか ら網封蔵方向へ, くの字型の トレンチ在設定 した。
S K4816
トレンチ南端で確認 した土師器 を大量 に含 む土壊 で,昨
年度調査 で,そ
の南側半 分 で発掘 して いる。S D 4817
トレンチの北端部で検 出 した素掘濤で,地
山 (火山灰 がその最上部 に厚 く堆積 す る)を
掘 り込 んだ上 幅約14m,下
幅約1 lmの
皿形断面の溝で,西
か ら東 に流れる。位置的 にはS D2118に関係 す るもの と思 われ るが石積 みがないので一応,別
の濤 と してお く。S D 4818 S D4817の
後 身濤 で,少
し方 向が南 に振 る。南側 には3〜40cmぐ らいの 自然石 に よる縁留 めが ある。第22図
調子 丸残舎前 の南北 トレンチ(南か ら)228ト レンチ
G
聖霊院地 区東室 と聖霊 院の西側 を南北 に走 る トレンチ は聖ギ 院 の西南方 で
,昨
年 の第129〜127ト レン チ と直角 に交わ り,こ
こか ら手水舎西 にのび, さらに ここでほぼ直角 に西 に折 れ曲 り中門前 地 区 にのびて1/9く 。 この地 区 は地形 的 に複雑 で ある。確認 した遺構 の数 は少ないが,整
地 の仕方 か ら知 りえた ことは大 きい。
S D 2140 昨年度 に第128ト レンチで確認 した旧河道 の西肩 を検 出 した。 ち ょうど聖竿 院正 面 向拝 中間 ぐ らいで
,地
山 は約13mも
急 に落 ち込 む① これに西 か ら流れ込 む小溝 もあ りこ の中には炭が含 まれ る。 この濤の埋土 は昨年の概報 において概略 を報告 したように,西
方 より山土 を落 し込 んで埋 めている。 この埋土 はあま り踏 み締 め等が されず
,粗
である。西肩から約
10m西
の南北 トレンチ と東西 トレンチの交合点 ちか くの地 山上 に,榛
原石片 とともに凸 面 に洗濯板状整形 を もつ瓦片 が集 中 してお り,瓦
の うちのい く片か は火中痕跡が あ り,ま
た この瓦片 中には少量 であるが,炭
片 もあった。なお,遺
物 と して は西肩上 に洗濯板状整形瓦第23図
聖霊 院西南の瓦 の出土状態(南か ら)242ト レンチ
x‑154065000 Y‑24065000
x‑154070000
154075000
第24図
聖霊 院西 ・南 の トレンチ遺構 図
「電 彰聡
│
V‑24050.000
とともに須恵器 があった。 これ らの遺物 を覆 って埋土がある。
S K 4816 南北 と東西 トレンチの交合点 の南側 で直径約80cmの 土墳 を検 出 した。 この壊 の深 さ7 cm程の浅 い皿形 の掘 り込 み内部 の土 はすべて高温の火 を受 けている。 この火 を受 けた土 中 に土師器片 と
,ご
く少量 の銅片が含 まれているので,銅
加工 に伴 う遺構 である。土層か ら 西 院伽藍造営時の もの とす ることができるが,石
膏 に よって固めて取 りあげ,い
まだ土師器 片 は取 り出 していない。S X4817
自然 の地形 の落 ち込 み。東南方 向 に開 く谷頭 の部分 である。 この谷 の埋上のなか に若草期の瓦片が多 く,他
に新 らしい遺物が含 まないので,こ
の部分 は若草期 の造成 である か も しれないが確証 はない。S D 4818 手水舎南 で東西 に入 れた トレンチで
,自
然河道 (谷)の
埋 め立 て跡 を見出 した。この旧河道 の西岸 は弥靱院か ら西院回廊 に至 る参道の西狽1にあるので
,昭
和55年 に検 出 した 柵列 はこの整地土 中 にあった ことが判 明 した。埋 め土 に遺物 を含 まないので,そ
の整地時期 は確定 しがたいが,整
地上 の状態か らは西院伽藍 に伴 う整地 である可能性 をが強 い。その他 の遺構。聖霊院西 の井戸か ら手水舎 に延 びる竹樋水道 と
,銅
管水道 を検 出 した。後 者 は大正期 の布設 で ある。竹樋 水道 には木製継手 を用 いている。聖霊院向拝 の前 に現在使用 中の聖霊会竜竿仮設用 の瓦製蓋 をもつ掘 り方 が あ り,こ
の周囲 に前後 する3時
期 の掘 り方 が ある。円形 と方形が ある。発掘 したうちもっとも古 いものは現在使用中の ものによって切 ら れて いる。掘 り込 み天 は瓦器層 である。手水舎南西 で戦後 まで存続 していた法隆寺の茶店の 基礎 を確認 した。H
西院伽藍 中門南側地区の調 査西 院 南 面 回 廊 東 出入 口前 か ら
,斜
め に中門前石敷参道 に向 う配管 と,中
門か ら東 へ東 回 廊5間
目を暗渠 で通 って,金
堂 にゆ く配管 とが ある。 これ に添 って発掘調査 を し,併
せて中門前 に推定 されている西院南門の所 在 を明 らかに し
,遺
構保存 の万 全 を期 すため,中
門か ら第25図
中門前 の発掘
,左
。(東か ら),右
。(南か ら)』理
!子Ψ +
Y‑24075000
0 10
第26図
中門束 の トレンチ遺構 図
能石 に至 る石敷参道 の延長 に沿 つて
, 2本
の トレンチを設定 した。以下 に主要 な遺構 の説明 を加 えよう。南門の所在地 につ いては,ま
とめの項 にゆずる。S K 4830 南 回廊 の東
5問
目の地覆か ら南 に約5mの
ところにある近世 の土壊 で,大
量 の瓦を含 む。丸瓦 と平瓦 が ある。他 に博 が多い。土壊 の南北 は約2m。 深 さは約
1.5mで
地 山 を 掘 り込 んでいる。江戸期 の回廊修理 に伴 う廃棄瓦 を入 れ た もの。S K 4831 銅鉾 を含 む東西
0,5m,南
北0.6m,深
さ0.3m,断
面 円形 の小土墳 で内部 には銅 鉾 に よる黒色土 と,少
量 の攀大の川原石,銅
鉾が ある。なお,こ
の周辺 の江戸期 の参道面か らも,銅
鉾 お よび銅今字の付着 した川原石 が出土 している。S K3101の周辺 には,厚
さ0.2cm第27図
中門南側 の遺構 図 X‑154100 ooo
Y‑24110000
前後 の鋼板 の小切 れ端 しが あ り
,こ
こで銅の加工 もされたことを示 している。S D 4832
トレンチの東端 で検 出 した幅約20cm,深
さ15cllの素掘溝 で,そ
の方位 は国土座標 軸 に80度 西遍 す る。溝 内か ら近世の磁器片 と銅鉾 をえた。参道面 の調査
中門前 の敷石参道周辺 は
,現
参道面 (歩行面)の
約 10cm下 に砂利,粗
砂 か らな る参道面 がある。 これは昭和16年 の聖徳太子1300遠 忌回による整地面 である。 この面か ら10cm下,つま り現参道か ら約35cm下 の地 山直上 に小砂利 が敷かれた参道面 があ り,小瓦片,染付片 が割合 多 く
,他
に古代 には じまる各時期 の土器小片 を含 む。 この直下 は地 山である。南 門検 出のための支 トレンチを
,東
西 幅63mの
敷石参道 の左右 に幅lmで
設 けた。南 に向か って
5.5m(第
252ト レンチ)。 北 に向か って6.3m(第
253ト レンチ)を
調査 したが,検
出 したの は近 。現代 の小土壊 のみであった。地層の関係 はすべて参道面の調査 と同 じ。l
大宝蔵殿西側広場現在 の実相 院表 門付近か ら
,北
上 し,旧
宝光 院 (寛政9年
には金剛院,の
ち実相院)跡
の 庭 園遺構 の東側 で くの字形 に折 れ曲 って,北
上 し,昨
年度調査 の第127ト レンチに至 るパ イ プエ事 に伴 う調査 である。 この地区の調査 は法隆寺参詣の善男善女 の集合場所等 になってい第28図
大宝蔵殿前地 区の 調 査 と全 景 。(北 か ら)225ト レンチ
――トー
X‑154055000 Y‑23990000
、
i!
l ttf!:と ::竹l10
r 障
= 眸 性
= r
=
=
=
= L
x‑154080.000 Y‑2398α 000
+
│
中 期
審
SK48■第29図 大宝蔵殿西側広場 の トレンチ遺構図
第30図
若草伽藍北柵 列
(柵
列北側の瓦群 はすでに取 りあげている(東か ら)。 225ト レンチ第31図
若草伽藍北柵列北 側の瓦溜(西か ら)
第32図
若草伽藍北柵列の複元(東か ら)225ト レンチ
第33図
大宝蔵殿表 問南側 の若草伽藍北柵列 の掘 り方(南か ら)
231ト レンチ
第34図
鏡 池東岸 の若草伽 藍北柵列 の掘 り方 (東か ら)233ト レ
ン チ
る関係 もあ り
,参
詣客 の少 ない夏期のお盆 あけに実施 し,秋
の参詣時期 までに終 了すること に した。なお,こ
の地点の表土 は異常 に固いので,電
動 ス コ ップを用 いると共 に,
トレンチ の拡張時 に,パ
ー ワシ ョベルカーによって排土 を移動す ると共 に,拡
張 トレンチの表土 の一 部 を機械 力 によって除去 した。当初 は くの字 トレンチであ ったが,
トレンチ中央部 において 柱穴 を検 出 した ことに伴 い,発
掘調査小委員会 の指示 および文化庁の同意 を得 て,柱
穴 の性格 をた しか め るため
,三
個所 で トレンチ を拡張 した。その結果,若
草伽藍 に関係 す る柵列 で ある ことが明 らか になったので,鏡
池 の東,大
宝蔵殿表 門南側の二個所 で,小
試掘 (第 231, 233ト レンチ)を
実 施 した。 ここで検 出 した遺構 は濤2,土
墳6,井
戸2,柵
列3,瓦
溜 り1で
ある。中近世 の遺構 には濤
2,土
墳6,井
戸2が
ある。X‑154100000 Y‑23985000
第35図
大宝蔵殿西側広場南半 の トレンチ遺構図
k
i
第36図
西 院伽藍 に伴 う柵列 S A 4850(東 か ら)225ト レンチ
第37図
大宝蔵殿西狽!広場 の井戸S E4853(西北 よ り)225ト レンチ
S K4848・
S K4847
ともに短径55cm,深
さ10cmの 長橋 円形の土城 。遺物 はないが,埋
土 の種類 か らみて室 町時代 の もの。
S K 4846 瓦 溜 の北 にある径
90cm,深
さ 5 cm程 の浅 いす り鉢形 の土壊。東半分 は旧管掘 り方 のため,破
壊 されている。出土遺物 はない。S K 4849 瓦溜 りの北 にある径50cHlの円形 の上渡 。埋土か ら須恵器 。土師器・瓦 の各破片 が 出土 す るる。
S K 6019 瓦 溜 りの南 にある長径
38cm,短
径30cn,深
さ3帥
の土墳 。埋土か ら須恵器,瓦
片が出土する。瓦片 は洗濯板状整形瓦。
S K4581
若草伽 藍柵列 の東 よ り2本
国と3本
目の中間 にある浅 い円形 の土壊,深
さ6 cm。位置 か らみて柵 列 に関係 す るもの と推定 で きるが性格 は不 明。長径 1.2m。 短径 1.05m。
S K 4582 柵列 と井戸 の中間 にある深 さ9 cmの浅 い土壊 。土墳底 か ら洗濯板状整形痕 をもつ 瓦片 が出土 。
S E 4858 双 円状 の掘 り方 の中 に一部石積
,一
部瓦積 みの井戸枠 を もつ井戸 。掘 り方 の長径3.lm,短
径1.2m,深
さ1.6mの
一段 目の掘 り方底 に,さ
らに径約1.3m,深
さ1.6mの 2段
目の掘 り方 を穿 ち,そ
の底 に径70cm,深
さ50伽 以上の素掘 り部分 を掘 る。三段 の掘 り方 を併 せ る と,そ
の深 さは3.7m以
上 にな る。素掘 り部分 は崩壊 の危院があったので,底
まで は掘り終 つてはいない。井筒部分の東壁 は瓦 が大部分 でそれに少数の 自然石 が混 じる。西 。南・
北 の三壁 はすべ て 自然石 を積 み あげる。一辺80cmの ほぼ正方形 の井戸枠 で
,最
下段 のみ内狽」にせ り出 し
,素
掘 り部分 の天端 にせ り出す。東壁 には9個の忍冬文 には じまる奈良時代 。平 安 時代初期 の平瓦 が混 じっているが,大
部分 は平瓦 を平積 と小 口積 み とに している。掘 り方 底部 か ら瓦器片 が出土 し,鎌
倉 時代 の井戸 で ある。なお一段 目掘 り方 の底 に凝灰岩片 が あっ た。S K 4857 長辺
90cm,短
辺75cm,深
さ40cmの 方形土渡,底
部 か ら瓦器 出土 。S K4858 S K4857に
切 られている深 さ15cmの 不整形 の土壊底部 か ら瓦器片 が出土 。 S E 4854。S K4856 ‑辺 1.6m以
上 の方形掘 り方 の井戸 であるが,大
部 分 が トレンチ外 に あるので,未
完掘 。S E4854が廃絶 したの ち,そ
の窪みを利用 して土師器皿類 を大量 に投棄したのがS K4856である。
S K 4859 長辺
2.2cm,短
辺 1.3cmで,深
さ1.3mの
方形土壊 で,墳
壁 はほぼ垂 直 にたつ。 そ の底 に,径
約60cm,深
さ21cmの 円形土壊が ある。S D 4861 浅 い濤 で
, 2時
期 ある。当初 は2mの
幅 であ ったが,の
ち1.3mに
狭 め られ る。濤 内か らは輸入青磁片等 が出土 す る。位置 か らみて法隆寺西 院南面大垣 の内溝 にあたるが, 濤 の方 向が西北西 か ら東南東 な方 向 に向 うので
,子
院関係 の濤 と してお きたい③なお,こ
の溝の南方 の表土層 で二彩小片 が出土 して いる。
S A4850
ほぼ東西 にのびる柵列 で,そ
の方眼軸 に対 する振 れは17度9分
43秒 で ある。検出した掘立柱 の掘 り方 は
4個
で,そ
の掘 り込み天 は地 山直上 の厚 さ約2 cm程の硬 い暗茶褐色砂 質土 で柵列 の北側 にあ る瓦溜 S X 6022は この砂質土 に密接 している。柵列の柱掘 り方 は一辺 85cmと ほぼ方形 で,深
さ70〜80。 で柱 を立 てての ち灰褐色砂質土 で埋 め戻 す。確認 した4個
の柱穴 の うち,西
端 の一本 を除 いて抜 き取 り痕跡 はなかった。掘 り方 の底 には径20〜 25cmの 柱底 の痕跡 が残 っていたので,柱
の直径 を知 りうる。柱間 は東か ら27m,2.lm,2.6mで
,中央 の一 間が狭 いが
,第
IV章 でのべ るように,今
回の発掘地点が若草伽藍の中軸線上 にの っ て いる こととも関係 す るようである。地覆等 の柱 間装置 の痕跡 はなか った。第231・ 233ト レ ンチで,東
西へ の延長 を確認 した。S X 4860 柵 列 S A 4850の 北側約
2.8mの
と ころで瓦片が幅約60cmの 帯状 にあった。瓦片 は すべ て洗濯板状整形痕 をもつ瓦片 で,そ
れ にま じって素弁8葉
の完形軒丸瓦 が出土 し,須
恵器邦 のほぼ完形品 も混 じっていた。瓦 は第31図 で も判 るように旧管掘 り方 よ り東方 にはなか った。瓦の散布す る帯状 の ひろが りと,S A4850の方 向が同 じで,地層 的 に も同一 であるので,
柵列 と瓦群 は年代 的 に も構造 的 に も関係 ある もの と して よい。
S A 4855 S A4850に
直交 す る方 向の柱 列。掘立柱lFL方を三個検 出 した。掘 り方 は一辺約90cm の方形 で,深 さ約70cm。 発掘地 の関係 で,柵・建物 いずれかを決めることは困難である。但 し,南 へ も北へ も柱列 は延 びないので
,東
西棟 の妻部分の柱穴 である可能性 が強 い。将来の調査 をまちたい。なお,こ
の南端 の柱 か ら約1.4m,S A4850か
ら北へ7.2mの
ところで,地
山 を 約15cm程 削 って段 をつ けている。 この段 の方 向はS A4850とほぼ平行す る。S A4845
西院伽藍方 向にほぼ平行 する8度
30分 西偏 する柵列で掘立柱掘 り方 を3個検 出 し た。掘 り方 は80cm× 70伽 の長方形 で深 さ約60伽 。うち2個に柱 の一部が残 る。柱径 は約18cll。柱 の掘 り方 は灰褐 色粘 質土 で埋 め戻 されて い る。 この柵列 は細殿南柱筋 か ら
5300m,食
堂 南柱 通 りか ら61.35mの
ところを東西 に走 り,ほ
ぼ西院伽藍 の南回廊線 の東延長線上 にのる。J
安養院前 か ら実相院前 まで安養 院前 か ら観 音 院 門前 をへ て
,晋
門院 門前 までのL型
の トレンチが第230ト レンチ,そ
こか ら実相 院門前 までが第234ト レンチである①総延長
91,6m(支
線6,6mを
合 む)。 この地 点 は東大門 と能石 をを結 ぶ参道 にあたる。 この両 トレンチで検出 した遺構 は極 めて少 な く,出土遺物 も多 くない。基本的土層 は現表土下約25cmは 明治以降の盛 土で
,そ
の下 に約20cHlの 中世以降の遺物 を含 む土層 が ある。 これ は細 か くは第39図 の写真 の ように10層 以上 もの砂質 土 で,大
雨等 による自然堆横土 である。 この下 は直 ちに火山灰層 となる。火山灰層 よ り下 は 厚 さlm前
後 の砂 や粘上 の堆積層 が あ り黒色粘土層 となる。S D 2741 安養 院前 の石橋 か ら
1,2m南
側 を東西 にの びる上幅40m,下
幅25m,深
さ20cmの 素掘濤 。S A 3001 観音院表 門前 にある幅75cHlの築地 の基壇 と考 え られ る自然石 を二列 に並べ た南北 方 向の石列。現表上下約8cm。
第38図
安養院か ら晋 門院へ(東か ら)219ト レンチ
S A 3002 晋 門院表 問の東約
3mの
と ころの南北 方向の築地基壇。 自然石 を幅約40cmに 並ベ る。現表土下約20cmで 検 出。S A 3003 現在 の実相 院表 門の東側 に参道 を横切 る石列が ある
(A期
)。 これ は子 院界 を示 す もので ある。A期
の石列 の東側30cmに 面 を揃 えた自然石列 がある(B期
)。B期
の ものは 現地表下9cmに ある。S D 3004 2段
の掘 り方 をもつ上幅3,3m,中
段 幅2m,深
さ1,2mの
南北溝,晋
門院表 門の 西側 にあるので,子
院界の溝 と推定 され る。出土 品 には瓦器片 が ある。S K 3005 上 幅
3,5m,底
幅2,7m,深
さ43cmの 大形 の土壊。出土品 はな く,土
取 りの ための穴 の ようである。北辺 は トレンチ外 の ため未 発掘 。
S A 3006 ‑辺
20帥 前後 の方形掘 り方 をもつ柵列。11,5mの
距 離で9個
の掘 り方 を検 出 した レンチ第39図
観音院前 の中世以 降の堆積・整地土 の分層(束か ら)219ト レンチ
が
,近
世 の仮設物 の掘 り方 である。なお,実
相 院前 か ら以西 には表土,又
は表土 直下か ら多 くの円形,方
形 の掘 り方 が ある。 これ らはすべての祭礼時の仮設物 に伴 うものである。S K 3007 ‑辺 3mの
大形 の土壊 の一端 を発掘 したが遺物 はない。 S K 3005と 同性格 の もの んゝ。S K 3008 S A 3003の下層 にある近世初頭 の瓦 を投 げ入 れた土壊 。 この上壊 の底 の一部 は火 を受 けて赤褐色 に硬化 している。
その他
この両 トレンチ とも既述 の ように地 山 は浅 く
,そ
の上面 に火山灰 をもつが,こ
の直上 か ら
,い
く点かの若草伽藍 の丸瓦片が出土 している (219ト レンチB区 ,H区
)。 なお,両 トレンチの位置 は若車伽 監 の講堂 ない し
,僧
房 推定地 であるので細心 の調査 を進 めたが, 関係 す る遺構 は検 出 しなか った。K
実相院門前 か ら弥勒院前 まで実相 院表 門前 か ら弥勒 院の東土塀 際 までの
72mで
あ る。 この地 区の トレンチは幅1,5mで
調査 を開始 したのであるが
,若
草伽 藍関係 の遺構調査 や,検
出 した主要遺構 が旧河道 や人工 河道 であったので トレンチ壁 の崩壊 防止 のため,ト レンチ を拡張 した結果,発
掘面積 は1874a2 に達 し,拡
張 トレンチ に各 々 トレンチ番号 を設定 したので トレンチ数 は5個 (250,254,255,257,256)を
数 え るに至 った。 ここで は一括 して設 明 を加 え よう。若草伽藍 関係遺構 につ い て はⅣ章でまとめるので,こ
こでは諸元 を述べ る程度 にとどめる。S D 3501 表土層 をはずす とあ らわれ る上 幅
12m,深
さ約40cmの 濤。 この溝 はS D 2140の 東肩 の一部 を破壊 して いる。室 町時代,花
園院 と現実相院 との子院界濤か。S K 3502〜3504 S D 3501の 東
3mに
南北 に一列 に並 んだ瓦片 を中心 とす る廃棄物 を埋 めた 土壊 。 S K 3503か らは手彫忍冬文軒平瓦片,八
葉素弁軒丸瓦片,S K 3504か らも手彫忍冬文 軒平瓦 が出土 して いるが,近
世以 降の穴 。その他。 この地区では現表土 (昭和55年 に砂利入 れ をす る
)を
除去 した層 には じま り,厚
さ約30cmの 表土層 の いずれの分層 に も実 に多数 の方形
,円
形,大
小 さま ざまな穴 が ある。 これ らはすべて,こ
の参道 に,聖
霊会の期間中,昭
和40年 ぐらいまで出ていた見世物小屋等 の杭 や柱 のあとである。トレンチ西方の第250ト レンチ
RoS地
区で は銅鉾 が出土 し,輸
入 陶磁器片 も出土 している。
S A 3555 若草伽藍西側の柵列
,掘
立 て柱 の掘 り方 を3個検 出 した。掘 り方 は80×90cmの 長 方形 で深 さ約60cm。 柱 間隔 は2,7mで
ある。3個
検 出 した掘 り方 の うち中央 の もの には現存 高44cmの 柱根 が残 って いた。直径 は現在15cHlを 計 るが,表
面 の寓食 を考慮 す ると径 25cm程 に 複元 で きる。北側 の掘 り方 の中央部 には,柱
痕 の空洞が残 り,底
に木片があった。空洞の上 部 には洗濯板状整形平瓦片 があ り,こ
れ をとると空洞があ らわれた。柱痕 直径 は24〜 23cmで ある。南 の もの は掘 り方 内には柱痕跡のみが残 っていた。推定複元柱径23cul。 この3本
の柱 を結ぶ線 は方眼北 に対 して約20度 西偏す る。計算上 は北限の柵 S B 4850の 西端 とはS A3555
若草伽藍 によって 埋 め立 て られ た自 然 川 S D 2140(西 か ら)。 トレ ンチ 拡張前 の写真
第41図 S D 2140の 西側 に 掘 ら れ た 川
SD
3560。 手前 すよ
SD
2140の 西 岸。(東 か ら)。 トレ ンチ 拡張 前 の写真
の北端か ら
21,5mの
と ころで交合す る。なお,こ
の地点 は鏡地 の池中である (柱数 に して8 本)。 なお北柵列 と西柵列 は50分 の1程
度 の図上 で は正 しく直交 す る。S D 2140 本年度 の調査 において東室北側 で
,そ
の上流 を,昨
年度 の第128。 129ト レンチに おいて も検出 した旧河道である。河道 に対 してい く分斜交 して トレンチ を設定 し,断
面 図 を作成 して いるので
,旧
河道 の川幅 につ いて は確定 的 で はないが,約 14.5mで
ある。その方向第42図
若草伽 藍西柵列 (S A 3555)上 。南 か らみ た柵 列
,中
央 の左右 の低 み1事埋 め たて られ ていた 自然川S D 2140。 下左・柵列の柱根 。下右・柱痕 。(250,255,257ト
レンチ)は方眼北か ら約15度 束 である。東岸肩の標高 は54.3m。 東岸 はゆるやかな傾斜 で約
14m落
ち,そ こか ら急 に約
lmお
ち込 む。川の深 さは最深部 で2.5m程
を計 る。溝の堆積土 は大別2層
あ り,さ
らに埋 め立 て土 がある。濤の底部 には青灰色粘土がある。 この粘土 は粗砂 を多 く含 み合水性 が高 く,非
常 に軟弱 である。 この粘土層中 よ り大量の木暦片が出土 し,少
量 の須恵 器 ・土師器片 が混 じる。 これ らの木屑 は東岸 に多 く,西
岸近 くで はほとん ど出上 しない。 こ の ことは木層 が東岸か ら投棄 されたことを示 している。旧河道の一段 目の底 の平坦 な部分から
,急
傾斜 す る肩 にか けて はア シなでの水草 の根 や茎幹が多数 あ り,根
株 か ら茎幹 が立 った もの もあ った。一段 目の傾斜面 に馬骨が,根
株 にひっかか った ようにあった。 この濤 を茶褐 粘質土等 で もって埋 め立 て整地 している。 この整地上 には少量 の銅今宰や洗濯板状整形平瓦片 が入 る。そ してその整地土 を切 り込 んで,S A3555の
柱掘 り方 が掘 られ る。 この整地土の上 面 は海抜 54.2〜543mで
ある。S D 3560 S D 2140を埋 め立 て るの と前後 して
,開
掘 され た人工 の川である。今回の調査 ト レンチで は S A 3555か ら西へ3.8mの
と ころが S D 2140の 西肩 であるが,こ
の部分か ら西側 へ開掘 す る。濤底 には黒色 の粘土層 が露 出す る。濤東肩 か ら8.2m西
は溝底 の海抜 が53mで
ある。 この地点か ら西へ は溝底
,つ
ま り地 山天 はグラグラと立 ちあが ってい く。掘 り込 の明 確 な東肩 で は,ほ
ぼ方眼方位 にあうが,発
掘 幅が下幅で2mで
あるので,確
定 的で はない。西肩 は東肩 ほど明確 でないが
,溝
幅 は約10mで
あ る。濤底の東岸 よ りに幅約lm,深
さ1 5cmの溝底濤がある。 この濤の底 と
,埋
土 か らは大量 の瓦,土
器,埴
輪片 が出土 している。濤底 か らは炭化物,土
師器,須
恵器片,八
葉素弁軒丸瓦,洗
濯板状整形平瓦片,漆
の しみた布片 な どが出土す る。須恵器 の うちには硯 に転用 された郭 なども出土 し,埴輪片 は,破 片が大 きい。この濤の埋 め土 は大別
3層
あ り,上
か ら茶褐色粘質土,茶
褐 色砂質土,灰
色粘上 である。茶 褐色砂 質上 の表面 には雨水 が 自然 に流 れ たい く条 かの 自然の濤の跡 がある①最上層 の茶褐色 粘質土 は厚 さが10〜 30程 で部分的 に厚薄 があ り, S D 2140埋 め土, S A 3555等 の上面 をも一 様 に覆 う。 この層 中 には若草期 の瓦片 にま じって,西
院創建瓦 を合み,こ
の整地が西院造成第44図 S D 2140の東斜面 の獣骨
(ウマの左狽J上腕骨 など。)
第
45図東大問から能石まで①実相院〜晋問院
(西から
)224トレンチ。②能石〜実相院
(西か ら
)251・ 258トレンチ③実相院〜花園院
(束から
)250トレンチ④弥勒院前
(束から
)251ト レンチ
の時期 で
,か
つ それ と関係 していたことを示 している。S K 3561 S D 3560の西岸付近 にある長楕 円形 の土壊 である。長径
2.2m,短
径1.4m,深
さ1.5mの
非常 に深 い土壊 で,須
恵器甕,壺 ,土
師器高不等が ぎっ しりと詰 っていた。S K 3565 東西
26m,南
北lm以
上 (ト レンチ外のため未完掘),深
さ25cHl以上 の大土療 に5本
の丸瓦が ほば完全 な形 で埋 まっていた。3本
は凸面 を上向 け, 2本
は凹面 を上 向 けてい た。 この土療か らは他 に出土品がない。 この土壊 の上部 にはひとまわ り大 きい浅 い土壊SK
3566が あ り
,瓦
器,瓦
製火鉢 などの破片 を含 むので,室
町期 よ り古 い土壊 で あるが,土
層 か らはS K3566に よって S K 3565の 掘 り込 み天 が破壊 されているので,完
形丸瓦 の集積 の意味 とともに明確 に しがたい。その他 S D 3560の 西岸 ぢか くでS K3565の東南 には多 くの濤状 の凸凹 や
,小
土嬢があ り,名 々出土 品が ある。 この あた りは地 山天 が S D 3560の 東岸部 よ りも
,も
と もと低 くか ったよ うで ある。L
弥勒 院前 か ら能石 階段下 まで弥勒 院前 か ら西 院手水舎 まで は直線 で約
34mあ
る。そ こで,旧
管接続 の ため鍵 の手 に折 れ 曲 った。発掘延長 は42mと
なった。 この地 区 は基本的 に地 山は表土下30〜 40cmに あるが,そ
の間 に旧谷状地形 を埋 めたてたところもあって凸凹のは げ しい地形 となっている。 この地区 で検 出 した主要 な遺構 は地鎮具 を納 めた土壊 と
,旧
地形の谷の落 ち込 み,お
よび中 。近世の第46図
SK3561の
全景(西南 か ら)250ト レンチ第47図
土娠 の北半分(南か ら)。 下 ・土媛 を覆 ってい た瓦科
土壊 である。
S D 3601 弥勒 院門前 で検 出 した北東 か ら南西方向に開 く上幅
7.6m程
度,深
さ1.5m程
度の 旧河道跡 。灰黄色粘質砂土 で埋 め立 て らら,そ
の上 を褐色土 で整地 される。 この谷 は流路の その方向か ら第45ト レンチの手水舎付近の地 山の落 ちに連 なるようである。S K 3600,S D 3601の 東岸 部 に掘 られ た地鎮具 を納 めた土壊 は上幅約
12mの
円形 で,そ
の中 に さらに上 幅90cmの 断面 円錘形 の穴 を掘 る。 この底 ぢか くに
,土
師器杯 をほぼ水平 に二個 合せ大 と墨書 された方 を下側 と して置 く。この埋土 は灰黄褐色粘質土で よく固め られていた。埋 め戻 したうえに
,さ
らに黄褐色土 をお き,そ
の上面 に瓦片 を乱雑 に並べ るが,と
くに土壊 の ま上 には瓦片 を径90cHl程あつ めていた。瓦群 は現地表下約70cHlに位置 す る。S D 3602,S D 3601の西側 にある谷状地形 で ある。 自然 の地形の凸凹で
,灰
褐色粘質砂土等 に よって埋 めたてている。谷の底の泥土 お よび埋土か ら西院創建瓦 ・土器片が出土す る。谷 の方 向 は西北 よ り南東 にのびるようである。谷の底 は現地表下25m以
上 にあ り来完掘 であ る。その他
中門 と南大門 を結 ぶ線上 を発掘 したが
,古
代 の参道等の遺構 は検 出 しなか った。能 石 よ り少 し西側 では地 山まで達する土壊群 があるが,こ
れ には現明王院の護摩堂 の元禄時の 祝融 によって生 じた瓦類 を投 げこんでいた。第48図
SK3565の
瓦 出土状態(西か ら)254ト レンチ2.東 院地区の調査
東 院地 区で は
,回
廊外側 をめ ぐる導水管予定地 及 び絵殿 ・舎利殿 と伝 法堂 の東側,伝
法堂の北側 で発掘調査 を行 なった。
トレンチ幅 は原則的 には
1.5mで
ある。 しか し,伝
法堂北側においては
,伝
法堂解体修理 にと もなって,昭
和14年 か ら15年 にか けて行 われ た発掘 によっ て,斑
鳩 宮跡 の遺構 の存在 が明 らか にな っているため,導
水管埋設位置 を決定 する意味 あい か ら,
トレンチ幅 を3mで
計画 した。 また,検
出 した遺構 の性格 を明 らか にす るため に,
トレンチを一部 で拡張 したところがある。
検 出 した遺構 は古代 か ら近世 にわ た り
,斑
鳩 宮 の方位 に一致 す る掘立柱穴列,平
安 時代 の 井戸,鎌
倉 時代 の瓦窯 な どが主要 な遺構 で ある。A
伝 法堂・ 絵殿 及舎利殿 地 区の調査1
第217,218ト レンチ旧導水管埋設位置 に幅
3mで
トレンチ を設定 し,遺
構 の検 出 に よって主 と して東辺部 を拡張 した。検出 した主要 な遺構 は掘立柱列3,濤 1,井
戸3など である。S A2517
伝法堂 の北4mの
位置 で検 出 した東西小柱穴列 であ り,伝
法堂解体修理工事 の際 の足場穴 である。S A 2500 伝 法堂 の北
4.5mの
位置 で検 出 した東西掘立柱 列 で ある。掘形 の大 きさは一定 で ない (0.8× 0.8〜 1.2× 1,Om)。 すべ てに柱痕跡 が認 め られ るわ けで はないが,柱
間寸法 は2.7m等
間で ある。S A 2506 S A 2500と重複 す る
2個
の掘立柱穴 である。掘形 の大 き さは一定 でない (0.8×0.8〜 1.1× 0,7m)。 柱 間寸法 は
2.4mで
ある①S D 2511 伝 法堂 の基壇北縁 に沿 う素掘 りの濤 (幅
2.4m,深
さ1.Om)で
ある。濤底 の幅 は0,85mで
あ り,両
壁面 とも急斜面 で掘 られている。濤 は,伝
法堂 の西北隅 で西南 へ方 向 を変 え る。一部 は伝法堂基壇下 にかかるようである。遺物 はきわめて少な く,埋
土 か ら瓦器片 が出土 したのみで ある。
S E 2509 発掘 区の ほぼ東端 で検 出 した正方形 の井戸 。旧導水管 の掘形 や コンク リー ト暗渠 な どの後 の攪乱 によって一部が破壊 されているが,掘 形 の一辺 は
1.8mに
復原 で きる。井戸 は,掘形 の底 に幅23〜
24cm,厚
さ20cmの 切石 を方形 の枠 に組 んで基礎 と し,そ
の上 に瓦 を120段 以上,約 4.lm積
み上 げている。瓦 は平瓦 を主体 と しているが,丸
瓦 や軒瓦 も含 んでいる。検 出面 か らの深 さは
4.3mあ
る。使 われた瓦 は奈良時代か ら平安時代前半 の ものである。S E 2511 発掘 区西辺部 で検 出 した円形 の井戸 。円形掘形 (直径
16m)の
中 に瓦 を円形 (内 径0,7m)に
積 み上 げて井戸枠 と して い る。底 に曲物 の狽1板 (直径0.5m,高
さ0.2m)を
2段据 えて いる。検 出面 か らの井 戸の深 さは
1,7mで
ある。S E 2560 発掘 区西端 で検 出 した井戸 。正方形 の掘形
(1辺
上縁 で1.9m,底
で1.3m)を
掘 り,第49図
束院伝法堂北倶1の調査地仝景 にと'束か ら,
第50図