2003年 度 事 業 の 概 要
]調
査 と研 究 ………飛鳥藤原京の発掘調査 ―――………
平城京の発掘調査 ………
文化遺産研究部の研究活動 ―………
0建造物研究室の調査 と研究 ―………
●歴史研究室の調査と研究 ――一――――………
0遺跡研究室の調査と研究 ………
埋蔵文化財センターの研究活動 ………
0遺物調査技術研究室 ………
0遺跡調査技術研究室の調査 と研究 ―……… ………
●古環境研究室の調査と研究 ………
●保存修復科学研究室の調査と研究 ―………
●保存修復工学研究室の調査と研究 一―………
0文化財情報研究室の調査 と研究 ………
0国際遺跡研究室の調査 と研究 ―――………… …………
国際学術交流 ――………
0中国社会科学院考古研究所との共同研究 ―………
●遼寧省文物考古研究所との共同研究 ―――………
0河南省文物考古研究所との共同研究 ―――………
●韓国国立文化財研究所 との共同研究 ………
0アフガニスタン文化遺産保存修復のための 一一―――
緊急協力事業
0異なる気象条件下における不動産文化財の 一―
̲̲̲
発掘技術及び保存に関する調査研究
海外 か らの主要訪 問者 一覧 ――――――――一―――
海外 か らの招聘者一覧 一――――――――――一―‐
海外渡航一覧 ………
発掘調査現地説明会 i― ………
公 開語演会
―………
第92回 公開講演会 ―一―一――――………
第93回 公開講演会
一―――………
0平城宮跡の整備 … …… … … ……
0キ トラ古墳の予備調査 ― ― ― ― … … … …
2研
修 ・ 指 導 と教 育 ………埋蔵文化財センターの研修と指導 ―一………
京都大学大学院の教育 ―………
奈良女子大学大学院の教育 ―………
3展
示 と公 開 ―………飛鳥資料館の展示 ――――………
平城富跡資料館の展示 ………
解説ボランティア事業 …………
図書資料・ データベースの公開
4そ
の 他 ………刊行移 。データベース等 ―――………
人事異動 ――………‐
予算等 ――………
26 26 26 28 28 28 29 29 29 30 30 31 32 32 32 33 33 34 34 34 34
35
36 36 37 39 40 40 40
4 4 4
4 4 4
4 4 4 4
51 51 51 52 52
25
兼 査と研究
飛鳥藤原京の発掘調査
飛鳥藤原宮跡発掘調査部 では、2003年 度 に計14件・
M認
どの発掘・立会調査 を実施 した。 うち、藤原宮 の調 査が5件 。2335∬、藤原京の調査が1件 。1963∬、飛鳥 地域等の調査が8件・■∞どである。以下、主な調査 に ついて概要 を述べ る。藤原官の第128次調査では、①朝堂院南北規模の確定、
② 朝集殿 院区画施設お よび朝 堂院回廊 との接続部 の様 相 の解 明 を 目的 に調査 をお こなった。 その結果、朝堂 院回廊東南 隅 を検 出 し、朝堂院南北規模 の復 原のため のデー タを得 た。 また朝集殿 院 を区画す る施設 を確認 し、掘立柱塀 か ら礎石建 ちの複廊へ建 て替 え られた こ とも明 らか となった。 さ らに、朝堂院回廊 との接続部 分の様相 も判明 した。第132次調査 は、朝堂院東 第三堂 南半 と東面 回廊 を対象 とした。戦前 にお こなわれた 日 本古文化研 究所 の調査 で は、東 第三堂 は切 妻造南北棟 建物 で、桁行15間 (柱間14尺等間)、 梁行4間 (柱間10 尺等 間
)の
総柱建物 と報告 されている。本次調査 の3月 末段 階での所 見では、建物規模 については古文化研 究 所 の想定 どお りであ るが、梁行の柱 間につ いては、身 舎が10尺で、庇部分 については9尺であると考 えている。また平安時代 の建物 も検 出 し、付近 に存在 した荘 園の 管理施設である可能性がある。
第131及調査地 は、藤原京左京六条二坊 にあたる。藤 原宮期の遺構 は後世の開削のため確認で きなかったが、
径
20m前
後 の円墳3基を近接 した状況で検 出 した。墳丘 は藤原京造営 時 に削平 された と考 え られ るが、残存す る周壕 内か ら多数 の埴輪 ・須恵器が 出土 した。古墳 の 造営年代 は2基が6世紀前半、1基
が5世紀前半 と考 え られ る。それ以外 は、 中世 の村 落 と関係す る とみ ら れる井戸 を多数検出 した。飛鳥地域の調査 としては石神遺跡 (第129次調査)、 川 原寺 (第
119‑5次
調査)、 キ トラ古墳 (第130次)が
あ る。石神遺跡 の調査 では、昨年度の調査で検 出 した天 武朝 の池状遺構 お よび藤原宮期 の南北溝 。石敷遺構 に 続 く部分 を検 出 した。昨年 同様、両遺構 か らは天武朝 を中心 とす る多 数 の木簡 や多様 な木製 品が 出土 した。木簡の内容 は仕丁 に関係す る ものや、「三川」地域か ら の荷札木簡が多 い。川1原寺 の調査 で は、川原寺北面大 垣 を検 出 し、寺域 の南北規模 が3町であるこ とが確 定
した。 また、北面大垣 に接す る寺域北部 で、多数の工 房 関係遺構 を検 出 した。工房 の操業時期 は川原寺創建 期 (7世紀後半
)〜
平安時代 に及ぶ。鉄 ・銅 。銀 な ど の金属加工、瓦、 ガラス製 品、漆製品の生産がお こな われてお り、川原寺 の造営 や4多繕 に ともな う寺 院工房 と推 定 され る。 このほか、鉄釜 の大型傍造土坑 を検 出 した。大型 の鋳鉄遺構 としては最古 の ものであ り、古 代 の鉄釜製作技術 を解 明す る上 で重要 なデー タとい え る。キ トラ古墳 については本概要別項 を参照 されたい。なお、発掘調査 に ともな う現地説 明会 と現地見学会 を実施 した。実施年 月 日、担 当者 は以下の とお りであ る。
飛鳥藤原第
119‑5次
(川原寺寺域北限) 2003年 9月9。 10日現地見学会 飛鳥藤原第128次 (藤原宮朝堂院東南隅)
2003年 6月21日
箱崎
和久 飛鳥藤原第129次 (石神遺跡)
2003年11月 22日
内田
和伸 。市
大樹・竹内
亮 飛鳥藤原第132次 籐 原宮朝堂院東第三堂および東面回廊)
2004年 3月 20日
市
大樹
平城京の発掘調査
平城宮跡発掘調査部が2003年 度 に実施 した発掘調査 は、平城宮跡3件、平城京跡11件の計14件であ る。以 下、主要 な調査成果 につ いて概要 を述べ る。
平城宮朝集殿 院 (中央 区朝堂 院の南 には朝集殿 院が 確 認 されていないので、朝集殿 院 といえば東 区朝堂院 の南 にあ る この地 区 を さす
)の
発掘 調査 (第355次)は、2001年度 の第326次 調査 に始 まる同地 区の一連 の 調査 と して な され た もので、昨年度 の第346次調査 に 一部重複 して実施 された。今次 は とくに朝集殿 院の内 庭部 と、 回廊 や掘立柱塀 な どの区画 (閉塞
)施
設の構 造 の把握 を 目的 としてお こなった。 内庭部分 では第48 次調査 区の南側 に接 して未発掘 区 を広 く掘 ったが、奈 良時代 の遺構 は まった く確認で きず、北東 か ら南西 に 流 れ る古墳 時代 の流路が確認 された にす ぎない。 これ に対 して、 まず、殿 院の南面 を画す る東西方 向区画施 設 は、掘立柱塀 が 同位置で築地塀 に建替 え られ、 しか もその間に、 よ り簡易 な構造 の掘立柱塀 が一時建 て ら れていた ことが わか った。一方、東面で は後半期 の朝 26堂院地 区か ら一直線上 に伸 びて くる築地 回廊 の下層 に は遺構 が な く、15小尺外側 の位置 に、掘立柱塀 がある ことが は じめて判明 した。 これ らの成果 によ り、平城 宮朝集殿 院の 区画施設 に関す る大 きな知見が得 られ、
平城宮 の造営計画 に関す る基本的 なデー タが追加 され た。
平 城宮 第一次大極 殿 院南 面 回廊 の調査 (第360次)
は、2002年度 に第337次調査 と して実施 された西楼 の 調査 区 と、 1998年 度 に第296次 調査 と して実施 された 院西南 隅の調査 区に挟 まれた部分 に対 して調査 をお こ なった もので、現在進行 している当地 区の整備 に先立 ち、 当該エ リアの基本 的情報 を増加 させ ることが 目的 であった。そ して、南面築地 回廊 につ いての最終の調 査 で もあった。 それ に よ り、築地 回廊北側 の大極殿 院 内庭 お よび南側 の朝堂院内庭 に関す る知見が大幅 に増 加 した。 まず、大極殿 院内庭 に関 しては、時代が下 る につれて レベ ルを上 げて くる三層 の礫 敷各面 を過去 の 調査 同様 ここで も確認 で きたが、 中層礫敷以後、西楼 に向か って広場上面が なだ らか に上昇 してい く事実が 明 らか になった。 さ らに上層、 中層 ともにそれに とも な う雨落溝 際の見切石列 が確 認で きた。 また、朝堂院 内庭 につ いて は、
2面
の礫敷 を確認 で きたが、 これ ま で時代が 中世 に下 ることが考 え られていたそれ らの礫 敷 が、奈 良時代 に遡 る可 能性 が高 まった。 これ らは、礫敷 の層位 的発掘 を試み た成果である といえる。
2003年度最後 の宮跡 の調査 (第367次
)は
、 中央 区 朝堂院の広場 に姑 してお こなわれた。成果 の詳細 につ いては次年度の紀要 にまとめる予定だが、 ここでは4 棟 の掘立柱建物が検 出 され、それか ら窺 われ る全体 の 建物配置が東 区朝堂院でみつか っている大嘗宮 の建物 群 と一致 し、かつ、柱 穴か ら出土 した瓦 の年代観か ら、それが765年 (天平神 護元
)に
お こなわれた称徳天皇 重酢 の際 の大嘗宮 であ ることが推 定 された。 また、 こ れ らの遺構 の下層 か ら、下 ツ道の両側溝 も確認 された。これは朱雀 門の下で も確認 されているもので、 この遺 構 につ いての これ までで最 も北 での確 認 とい うことに
なる。
京 の調査 の うち、 旧大乗 院庭 園の発掘調査 (第365 次
)は
、現在庭 園 を管理す る (財)日
本 ナ シ ョナル ト ラス トの委嘱 を受 け、復 原整備 のための資料 を得 る 目 的で1995年 か ら毎年お こなって きた一連 の調査 に属す る ものであ る。今次 は主 として東大池 の西北 隅 と西南隅の2箇所 を発掘 し、 中世以前か ら近代 にいたる各時 期 の遺構 を把握 した。西北 隅では、東大池 の中世堆積 上 の上 に、 中世後半以後 の三層 の遺構面 を確認 し、そ の うち中間層 の段 階が 『四季真景 図』、 そ して上層面 が 『大乗 院殿境 内図』 に描かれている ものにそれぞれ 姑応す る とい う所見が導 き出 された。 これは、 これ ま で絵 画の技法 か ら想定 されて きた両絵 図の時期比定 と は正 反対 の ものであ る。西南 隅で は、積上の下 に入江 状 の洲浜が部分的 に確 認 され、それが元興寺禅定院の 庭 園遺構 である可能性 が出て きた。 また、それ以後 の 積上が長期 になされた結果、現状 の ような比較 的急勾 配の岸辺 となってい るわけだが、それ を切 る暗渠 の上 管が明治5年製であ ることか ら最上層 の積 土 は近世で あろ うと推定 されるにいた った。
法華寺 の調査 (第363次
)は
境 内全域 に姑す る防災 施設改修事業 に先立つ事前調査 で、基本 的に幅lmの
トレンチ調査 であ ったが、現境 内全域 に対 して実施 さ れた ことによ り、当地 区の古代以後 の変遷 を示す多 く の遺構 をみつ けるこ とがで きた。 なお、現本堂の南 に 位置す る池部分 に対 してお こなわれた調査 (第366次)
は護摩堂建 設 に ともな う小規模 な ものである。調査 に よ り、 まず、現境 内地 には規則的な配置 をもつ6棟の 東西建物群が存在 している ことが明 らか になった。 こ れ らは確 認で きた範 囲か らすれば掘立柱建物か ら礎石 建物へ建替 え られた と判 断 された。 また、それ らの北 方 に さ らに基壇 建 物 が存 在 す る こ と も新 た に判 明 し た。 この ほか、法華寺創建期 の講堂及びその先行建物 や中世 の環濠状遺構 な ども確 認 された。
以上 の主要 な調査 の詳細 やそれ らと併行 してお こな った小規模調査 の内容 につ いては『奈良文化財研究所 紀要2004』 を参照 されたい。
発掘調査 に ともない実施 した現地説 明会 は以下 の と お りである。
平城 第355次 調査 (平城宮朝集殿 院)
2003年 6月14日
山本
紀子
平城 第360次 調査 (平城宮 第一次大極殿 院南面 回廊)
2003年 8月 23日
山本
崇 平城 第365次 調査 (旧大乗 院庭 園)
2003年11月 15日
金井
健
平城 第367次 調査 (平城宮第一次朝堂院)
2004年 3月 27日
金 田
明大
27
文化遺産研究部の研究活動
当研究部 を構成す る建造物研究室、歴史研究室、遺跡 研究室では、各研究室の個別テーマによる調査研究 を継 続的にお こなうとともに、共同で南都寺院の歴史的景観 に関する研究 として唐招提寺 を対象に取 り組んでいる。
●建造物研究室の調査 と研究
歴史的建造物・伝統的建造物群の調査研究
現存建築・古材・遺構 ・遺物 な どの現物 資料 を中心 に据 えて古建築及 び伝統 的建造物 の調査研 究 を進 めて いる。
重要文化財長谷寺本堂 (奈良県
)の
建造物調査 をお こない、報告書 を刊行 した。 当本堂に対す る本格的な 詳細調査 は初 の試みであ り、必ず しも明確 で なか った 特 異 な平面や構 造形式 の成 り立 ち と慶安3年 (1650) 再興 の経緯 な どを明 らか に した。長野県楢 川村 か らの受託研 究 と して平沢地 区の伝統 的建造物群保存対 策調査(2004年度 まで継続)、 お よび 旧奈 良井宿 の原家住宅、 旧贄川宿 の深澤家住宅 の建造 物調査 をお こなった。 また、 岡山県成羽町か らの受託 研 究 として吹屋 の片 山家住宅 の建造物調査 をお こなっ た。建造物調査 で は各住宅毎 に報告書 を取 りま とめた。
木造建造物の保存修復に関する調査研究
1998年 度か らの7カ年計画 で進 めてい るプロジェク トであ り、多様化す る文化財建造物 の保存修復 に対処 す る新 たな体制 と組織 を検討す ること、過去 の事例 を 検証 しなが ら今後 の保存4笏復 のあ るべ き考 え方、方法 を探 ること、保存事業 に伴 い蓄積 された学術 資料 を再 評価 してその保存活用方法 を探 るこ とな どを 目的 とす る。2003年 度 は保存 図 目録、乾板写真 目録、現状 変更 説 明 を刊行 した。
平城宮建物の復原的研究
大極殿 院東西楼 の基本設計 に必要 な資料 を得 るため に、小屋構 造 の類例調査 、簡易構 造模型 の製作 、韓 国 建築 の小屋構造 に関す る資料 の収集及 び研 究会 の開催 をお こなった。 また、大極殿 の屋根仕様 に関す る研 究 会 を開催 した。
その他
文化庁 に よるア ジア・太平洋地域文化財建造物保存 修復協力事業 として実施 され るベ トナム・ ドンラム村
の保存計画策定調査への協力要請 を受 けて、その準備 作業 に着手 した。その他、全 国各地で実施 されてい る 文化財建造物等 の4多理事業・遺跡整備事業 に関わる修 理・復 原 。整備等 に対 して援助 ・助言 した。
●歴史研究室の調査と研究
歴 史研究室 で は世界文化遺産 に登録 されている南都 の寺社所蔵の書跡資料 について継続的に調査研究 をおこ ない、また奈文研所蔵の歴史資料の研究 をおこなっている。
本年度の南都寺 院の調査 は、興福寺、薬 師寺、唐招提 寺、東大寺所蔵の書跡 資料 につ いてお こなった。興福 寺調査 は、聖教文書箱が80合 以上所蔵 されている うち、
目録が未刊 行 の第61画 以 降の分 につ き、補足 の調査・
写真撮影 をお こない、第70面 までの分 の 目録 を『興福 寺典籍文書 目録 第三巻』と して刊 行 した。 当初 は第80 函 までで一冊 の 目録 とす る予定であ ったが、量 的 に収 録 しきれず分冊 とした。 内容的 には、鎌倉 時代後期 の 紙背文書 のあ る論義草や江戸時代 の維摩 会関係文書 な どが量 的 に多 い。 なお良尊筆 といわれ る大般若経600 帖 を収 める第68函 分 は今 回は除いた。 あわせ て第81画 以 降の分 について も、 目録 デー タを作成 しつつ ある。
薬師寺調査 は、第29面 にあたる箪笥収納分 を調査 中 であ る。江戸 時代 の「公文所 日記」や「年 中毎 日之記」
な どの冊子や年貢 関係 の文書 を多 く】又納 し、江戸時代 の薬 師寺 の状態 を知 る格好 な史料 である。現在 第23函 分 を撮影 してい る。唐招提寺 関係 では、寺 内惣倉 に収 蔵す る明治以降の書類 の調査 とともに、奈 良県立図書 館所蔵の唐招提寺 関係 史料 の翻刻 をお こなった。科研 費 も活用 した東大寺所蔵 の未整理聖教 文書 の調査 は、
今年度12画分 の 目録 デー タを入力 した。江戸 時代 の年 預 関係文書、周辺所領 関係文書 な どが多 くを占め るが、
平安・鎌倉期 の文書や経巻類 の発見 もあ る。一例 とし て、『奈 文研紀 要2004』 に長治元年 の美作 国封戸結解 状 断簡等 を紹介 した。
その他 の寺 院で は、寺側 の調査協力 の依 頼 を受 け、
京都仁和寺御経蔵聖教調査、滋賀石 山寺聖教調査や京 都府教委依頼 の神護寺聖教調査、奈 良市教委依頼 の氷 室神社大宮家文書調査、奈 良吉野町教委依頼 の上 田家 文書調査等 に協力 を した。
また奈文研所蔵の資料 については、継続 して調査撮 影等 の業務 をお こなってい るが、その うち北浦定政 関 係 資料 に関 して、「松 の落 ち葉」 を昨年 度 に引 き続 き 28
影 印 お よび文 字 部 分 翻 刻 して、F北浦 定 政 関係 資料 松 の落 ち葉二』 として刊行 した。 これで北浦定政作成 の野帳「松 の落 ち葉」五冊 の紹介 を終 えた ことになる。
また 関野 貞 関係 資料 につ いて は、『奈 文研 紀 要2003』
に概要 を報告 した。明治30年 代前半 の 日記や調査野帳、
図面頚 な どが含 まれ る。
なお北浦定政 関係 資料 は、2004年3月に飛鳥資料館 でお こなわれた「重要文化財指定記念展」 に展示 され たが、その展示お よびパ ンフ レッ ト作 成 に協力 を した。
● 遺跡研究室の調査 と研究
遺跡研 究室 は2001年4月発足 の文化遺 産研 究部 に新 設 された研 究室 であ る。遺跡整備 に関す る調査研 究 と、
庭 園史 に関す る調査研 究が 当研 究室の二本柱 となる。
遺跡整備 に関す る調査研 究 として、整備 後の遺跡 の 活用 に対す る関心 が急 速 に高 まってい る現状 に鑑 み、
中期計画では全 国各地の大規模遺跡 の整備 ・活用・管 理 に関す る情報収集・調査・分析 を と りあげた。計画 は5ケ年 で、全 国の対象遺跡 の現地調査 を順次 お こな い、最終 的 には報告書 を作成す ることとしている。3 年 目にあたる2003年 度 は一乗谷朝倉氏遺構 (福井県福 井市
)な
ど北 陸地方 の10ヶ所 と安土城跡 (滋賀県安土 町)な
ど近畿地方 の10ヶ所等、計32ケ所 の遺跡 を調査 した。現地調査 の と りまとめは (a)整備手法・技術、(b)維
持 管 理 、(c)学
習施 設 と して の活用 、(d) 観光資源 としての活用、(e)ォープ ンスペ ース として の活用、(f)地
域 の文化 施設 と しての活用、 の六つ の観点か ら現状 と課題 を整理 した。整備後の活用、管 理が適切 になされ るためには整備段 階か ら活用、管理 につ いての綿密 な計画 を立 てる必要が ある こと、担 当 者 をは じめ として 自治体 の熱意、力量 に よる ところが 大 きい こ とな どが明か になった。 なお、研 究で得 られ た成果 につ いては、必要 に応 じて各遺跡 にフ イー ドバ ックす るこ ととしてお り、 当研究室が この分野 にお け る情報 セ ンターの役割 を担 うもの と考 えている。庭 園史 に関す る調査研 究 と して、中期計画で は 日本 の古代庭 園 を対象 として文献 史料、発掘調査資料、遺跡 現 地 にお ける地形・水系調査 な どに基づ く多角 的 な研 究 を設 定 した。個 々の庭 園 の形 態、技 術 な どを明 か に す ることに よって、庭 園の源流、成立過程、変遷 を解 明 す るこ とを期 してい る。2003年 度 は奈 良時代 の庭 園遺 構 を と りあげ、その特色 と機能 を中心 に分析検討 した。
対 象 と した遺構 は、平 城 宮 東 院庭 園(奈良県 奈 良市)、
周 防 国府(山口県 防府市)な ど15ケ所 であ る。これ らの 遺構 の形態的特色、技術 な どは明か にす るこ とがで き たが、庭 園遺構 の機能、使 われ方 については不透明な 部分が残 った。2004年 度以 降 さ らに検討 を加 えたい と 考 えて い る。また、発 掘 調査 され た古 代 〜 近代 の庭 園 遺跡 に関す る資料収集 とデー タベース化 も中期計画で 設定 した庭 園 に関す る研 究項 目であ るが、 これ まで に 307件 の発 掘庭 園の所在 地・時代 。構 成要素 な どの基本 項 目を和 文 。英 文 でデ ー タベ ース化 し、当研 究所 のホ ームペー ジ上で公開 している。英文デー タベースの公 開は当研 究所 での最初 の事例 である。画像 デー タの追 加が今後 の課題 となっている。
この他 、地方公共団体がお こなっている遺跡の整備 事業や庭 園の保存4多理事業 に関す る指導、助言 も当研 究室 の重要 な役割 であ り、2003年 度 は篠 山城跡(兵庫県 篠 山市)、 大乗 院庭 園(奈良県奈 良市)をは じめ49か 所 の史跡等 についてお こなった。
埋蔵文化財センターの研究活動
埋 蔵文化財 セ ンター は7研究室か らな り、それぞれ の研 究課題 に取 り組 んでいるのは言 うまで もな く、全 国の埋蔵文化財担 当者 に対 し、埋 蔵文化財 の調査や保 存、遺跡保存や整備 に関す る研 修 を年 間を通 して開催 している。また、地方公共団体や関係機 関の求めに応 じ て、各地でお こなわれ る発掘調査や保存事業 について、
専 門的・技術的立場か ら指導 と協力 をお こなっている。
●遺物調査技術研究室
2003年 度 よ り本研 究室 は人事異動 に伴 って、旧古環 境研 究室がお こなっていた環境 考古部 門の業務 を遂行 す るこ とになった。本年度の受託事業 は大阪市 内遺跡、
特 に大坂城下 町お よび、神戸市兵庫津遺跡 出土 の動物 遺存体 の同定及 び考察であ った。 その他 に前年度 よ り 継続 してい る韓 国釜 山大学 の発掘 した金海会幌里貝塚 出上 の動物遺存体 の報告書執筆、高知県土佐市居徳遺 跡 出土動物遺存体 の同定、お よび報告書 の執筆がある。
学 会発 表 は、2003年9月 に青森 県奥入瀬 で開催 され た 第16回 国 際 環 境 生 物 地 球 化 学 シ ン ポ ジ ウ ム
(ISEB16)で
研 究発 表 をお こない、 同 じ9月 に英 国 ダ 29― リ ン トンで 開催 され た「 ブ タ と人類
,Pigs and
Humans」 において研 究発表 をお こなった。
大坂城 関連 の動物遺存体 には、大坂城下層(豊臣期 〜 江戸初期
)の
魚市場、薬種 問屋、町屋 か らの ものが含 まれ、食用 だけで な く、薬用、骨細工 な どの多種 にわ た る動物利用 の一端 を明 らか にで きた。兵庫津遺跡か らは神戸港 の前 身であ る開港以前 の近 世、兵庫津 か ら発掘 された魚類遺存体 が多数出土 した。
特筆 で きるの は以前、 これ まで に報告 を担 当 した広 島 県福 山市 の草戸千軒 町遺跡、岡山城本九 な どと比べ て、
出上 した魚種が多様 で、特 にマ ダイが小 さい固体 に集 中す る傾 向が見 られた こ とである。 これ は近世 に生 じ た人 口増加 に対応 して需要 を満 たす ために、従来漁獲 対象 とな らなか った小 魚 まで補獲 した と考 え られ る。
その背景 には魚携技術 の進歩 と、水 産物 の流通機構 が 整備 された こ とを明 らか にで きた。 中世 までの網漁法 は、比較 的大型 の魚種 を対照 と していたが、近世 にな って魚種 が小型化す る現象 は、漁網 の 目のサ イズが小 さ くなった こ とを示 し、 それ に伴 う水 の抵抗増加 を解 決で きる網漁法 の発達が あった ことを推定で きた。
受託事業以外 で は、高知県土佐市 の居徳遺跡 、兵庫 県尼崎市大物遺跡 出上 の動物遺存体 の同定及 び考察が あ る。
現 生骨格標 本 の収集 に関 して は、3月 に鹿児 島県 出 水市立 ツル博物館 よ り、 ナベ ブル、マナ ヅルな ど4個 体 の現生標本の提供 を受 け、現在、成骨 中である。
●遺跡調査技術研究室の調査と研究
当研 究室 で は、第一 に、古代官衡遺跡 の発掘調査・
研 究や遺跡 の保存活用 に資す るため、官衡遺跡発掘調 査法 の研 究 を実施 してい る。 この研 究で は、昨年度刊 行 の 『古代 の官衡遺跡 I遺構編』の続編 と して、各種 の官衛遺跡 の発掘調査 や 出土遺物 の調査 に際 して手引 き書 として も活用 で きる ことを意図 して、研 究成果 の 一 部 を F古代 の官衛 遺 跡 Ⅱ遺物 ・遺 跡 編 』 と して編 集 。刊行 した。 この報告書 で は、官衡 関係遺物 の特徴 や 資料 調査 法 、宮 都 や 国府 ・郡行 ・駅 家 ・城柵 ・ 山 城 ・末端官衡 遺跡 な ど各種 の官衛遺跡調査研 究の現状 や発掘調査法 について まとめた。
第二 に、古代官衛遺跡 とともに、各地 の古代集落・
寺 院・ 豪族 居 宅 遺跡 等 の発 掘 調 査 資料 を収 集 。整 理 し、適宜公 開 を 目指 して、 デー タベ ース作 成作業 を実
施 してい る。 この うち、遺跡 の性格 。所在地 。文献 目 録 か らな るデ ー ター 覧 は、 イ ン ター ネ ッ トで順 次 更 新・公 開 してい るが、昨年度か らは官衛 遺跡 の所在地 図や遺構 配置 図、建物遺構 の実測 図 な どの画像 デー タ や建物遺構 の諸属性 につ いて もデー タ入力 してお り、
数年以 内 に公 開で きる よう、 デー タベース構 造 の改造 な ども進 めている。
第三 に、昨年 度 は鳥取 県気 高 町 の指導依 頼 を受 け、
上原遺跡群(因幡 国気多郡衡・寺 院)の発掘 調査報告書 を刊行 したが、官衛 と周辺寺 院 との関係 や、地方行政 と 領域 の問題 を研 究す る一つ のケースス タデ イとして上 原遺跡群 の瓦類 と検 出遺構 を主 に と りあ 吠 隣接 す る 鹿野町寺 内廃寺 な どの出土瓦 の調査成果 も踏 まえなが ら、遺物 の製作技 法 。型式・編年 、お よび郡衛周辺寺 院 の性格、郡 と領域 の問題 について研究 を継続 している。
第四に、古代官衡 と集落 に関す る研 究集会 を開催 し た。2003年 度 は、「駅家 と在地社会」をテーマ とし、駅家 の構 造 、駅家 と在地社 会 との 関係 、伝 馬制 と駅 制 に関 す る問題 な どをめ ぐって研 究 報 告 と討 議 をお こな っ た。
第五 に、各地の公共 団体 か らの依頼 に よ り、全 国の 官衡 ・寺 院遺跡等 の発掘調査 、遺跡 の保存整備活用等 につ いて指導助言 をお こなっている。
●古環境研究室の調査と研究 考古学関連
福 岡県か ら青森県 にかけて19都府県下の32遺 跡か ら 出上 した木材 を年代測定の対 象 とした。注 目すべ き調 査結果 としては、石 川県八 日市地方遺跡 出上 の木棺材 (小口板 一辺材 な し)の年輪 年代 が297BoC.と 判 明 した 他 、 大 阪府 和 泉 市 府 中遺 跡 出土 板 材 (辺材有 り
)の
312A.D.、 兵庫 県尼崎市東 園 田遺跡 出土木材(抗―辺材 未確 認)の 181A.D.、 大阪府瓜生堂遺跡 出土木棺(底板 ― 辺材 な し)の 436BoC。な どは弥生・古墳 時代 の年代 を考 え るうえで重要 な年代情報 を提供す ることがで きた。
古建築関連
奈 良県 (法隆寺 金堂、唐招提 寺金 堂)、 京都 府 (宇 治上神社 本殿 、宇 治上神社 拝殿 、平等 院鳳凰 堂)、 大 阪府 (錦織神社
)に
所在 す る6件 の古建 築 部材 の年代 測定 をお こなった。 もっ とも注 目すべ き成果 は、京都 府 宇 治市 に所 在 す る国宝 宇 治 上神 社 本殿 の右 殿 ・ 中 殿 ・左殿 の3殿 が いず れ も1060年 頃の平 安 時代 後期 初頭 に建 て られた ものであ るこ とが判 明 し、現存す る 日 本最古 の神社建築 であ るこ とが証 明 された。 この成果 が、建築史 に与 えた影響 は大 きい。
美術品関連
奈 良県 国宝唐招提寺金堂 に安置 されてい る国宝乾漆 慮舎那仏坐像、国宝木心乾漆千手観音立像、国宝木造帝 釈天像 の各部材 につ いて年代調査 を実施 した。年代が 確定 した もの もあ るが、 いず れ も部材 その もの に明瞭 な辺材部が残存 してい る ものが なか ったので、仏像 の 製作年代 にせ まるような年輪年代 は得 られ なか った。
自然災害関連
神 奈 川県 茅 ケ崎 市 にあ る国史跡 旧相模 川橋 脚 の う ち、8本 の橋 脚 (いず れ も辺材未確 認
)に
つ い て年輪 年代調査 をお こなった結果、1260年 以 降の ものであ る こ とが確定 した。 また、長野県南信濃村 の遠 山川河川 敷 に露 出 してい る埋 没 ヒノキ は714年 に枯死 した もの で あ る こ とが判 明 した。 これ は、 平 安 末期 の歴 史書『扶桑略記』や奈良時代 の歴 史書 F続日本紀 』 に記 さ れてい る遠江 地震 (前者 の文献 で は714年、後者 の文 献 で は715年 と異 なる
)の
生 き証 人であ る可 能性 が き わめて高い ことを裏付 ける結果 となった。年輪画像計測 システムの開発
デ ジタル カメラやスキ ヤナ等 で撮影 した年輪 の画像 か ら、年輪幅の計測 をお こな う専用 の画像計測 ソフ ト
を開発 している。現地 で試料表面 の詳細 な年輪幅 を撮 影 し、 コ ンピュー タ上 で年輸幅の計測 をお こな うとい うこの方法 は、従 来の年輪読取器 で は扱 えない ような 大型 の木製 品試料 や現 に建 っている建造物 な どの年輪 年代調査 に威力 を発揮 す る。上記 の宇治上神社本殿 お よび拝殿 、錦織神社 な どの年輪年代調査 は、 この シス テムを用 いて得 られた研究成果である。
● 保存修復科学研究室の調査と研究
保存修復科学研 究室 で は、 出土遺物 お よび遺構 の保 存科学 的研 究 な らびに保存修復 に関す る開発研 究 を進 めている。以下 に2003年 度 において取 り組 んだ内容 を 概観す る。
奈 良文化財研 究所 の発掘調査 で出上 した遺物 (木製 品、木簡、鉄製 品、金銅製 品
)に
対 して材 質 。構造調 査 を実施 し、保存処理 をお こなった。 この他 、他機 関 との共 同研 究 と して以下 の調査研 究 を実施 した。1) 固着 した状 態 で 出土 した絹銭 をXttCT法
で丹 念 にス ライス画像 を取得す ることに よ り、絹銭 の形態 を保 っ た まま非破壊 で銭種 を判別す るこ とがで きた (長岡京 市埋 文)。2)南
茅部 町で火災 に よ り焼損 した垣 ノ島B
遺跡 出土漆 製 品に対 して材 質 。構 造調査 を実施 し、漆 成分お よび赤色顔料 があ る程度残存 してい るこ とを明 らか に した (北海道教委、南茅部町教委)。 3)】 ヒ海道 縄 文時代漆工技術 の重要 な手 が か りとなる カ リンバ4 遺 跡 よ り出土 した漆 製 品 の材 質 。構 造 調 査 をお こな い、 その構造的な特徴お よび製作技法 について多 くの 知見 を得 るこ とがで きた (恵庭市教委)。
開発 的 な研 究 としては、有機質遺物 の保存処理 にお ける強化薬剤 の浸透性 の向上 とよ り安 定 した形状保持 を 目的 に、継続 して超 臨界流体二酸化炭素 を用 いた保 存処理法 の開発 に取 り組 んだ。 また、文化財 資料 の非 破壊 非接触 の材 質判 定分析技術 を開発す る ことを 目的 と して、 これ まで実験 室 に運 び込 む こ とので きなか っ た もの、発掘直後 あ るい は発掘現場 にお ける遺物 な ど に対 して も、 フィール ドにお いて迅速かつ精 度の高い 材 質分析 が可能 となる携帯型 レーザ ー ラマ ン分光分析 装置 を作製 し、基礎 デー タの蓄積 と文化財 資料の ラマ
ンスペ ク トルの測定 をお こなった。
この他、受託事業 として重要文化財加茂岩倉遺跡 出 土 品の事 前調査 (文化庁)、 重 要文化財加 茂岩倉遺跡 出土 品の保存4雰理 (文化 庁)、 重 要文化財平 原遺跡 出 土 品の事 前調査 (文化 庁)、 重 要文化財平 原遺跡 出土 品の保 存4笏理 (文化庁)、 京都市 鹿苑寺 出土修羅 の保 存4笏理 (京都 市埋 文)、 安芸 国分寺 跡 出土 木簡 の総合 的調査 (東広 島市)、 妻 木晩 田遺跡土 質遺構 露 出展示 技 法 の研 究 (鳥取県)、 古代 土塁 (石垣
)遺
構 の保存 整備手法 の研 究 (総社市)、 青谷上寺地遺跡 出土遺物 の顔料調査 (鳥取県)な
どをお こなった。また、 中国 よ り古代壁画 の調査研 究お よび保存修理
に取 り組 んで い る研 究者 を招聘 し、「 日中 にお け る古 代壁 画 の保存4笏復」 をテーマ に保存科学研 究集会 を開 催 した。
●保存修復工学研究室の調査と研究
当研 究室 で は、今年 度 は「遺跡 の保存 工学 的研 究」
として「遺跡 の斜面保護」 を対象 とした。遺跡 にお け る斜面 は、墳 丘や土塁 な どの ような「遺構 と してのの り面 (人工斜 面)」 及 び遺構 と直接 的 な関係 を もた な い「遺跡内地形 としての斜面 (自然斜面及 びの り面)」
に分類 で きる。前者 の保護が遺跡 の保存 と本 質的 にか かわ るこ とは言 うまで もないが、後者 の保護 も遺跡 の 保存 な らびに景観保全上 きわめて重要 であ る。 この研 究 で は、「遺構 と してのの り面」 と「遺跡 内地形 と し ての斜面」 の特性 を抽 出 し、その保護 にお ける基本 的 な考 え方 をまとめた うえで、各種斜面保護工法 の適用 につ いて取 り扱 った。 さ らに、 これ までの各種事例 の 情報収集 もお こなった。 これ らの成果 は、公表 で きる 段 階 にはいた って い ないが、「遺跡 の斜 面保護 (稿)」
として取 りまとめた。遺跡保存整備 の理念 に基づ いた 包括 的 な斜面保護 に関す る研 究 はこれ までお こなわれ てお らず、研 究の継続、発展 とともに、成果 の公表 も 視野 にいれたい。こうした研 究のほか、2003年 度 には、
埋蔵文化財発掘技術者専 門研修 「城郭調査過程」 を担 当 した。 この過程 は、定員 を大 き く上 回 る受講者 の参 加が あ り、城郭分野 に対す る地方公共 団体 の関心 の大
きさを示 した。
●文化財情報研究室の調査と研究
文化財情 報 の電子化 及 び システム構 築 につ いて は、
研 究会等 においてそれ らの研 究成果 を公表す る ととも に、所外 の研 究状 況 につ いての情報 を収集 し、今後 の システム構築、改良等 の検討材料 とした。10月 には地 理情報 シス テム学会大会 にお いて、「遺跡 内分析 にお け る高細 精空 中写真 画像 の可 能性」「遺跡 の階層性 と 位置表現」 と題 して、遺跡GISに関す る資料 の活用 や 遺跡 の認識 にお ける基礎 的問題 につ いて研 究成果 を発 表 した。 また、遺跡 地 図情報 システム研 究会、及 び、
遺跡情 報管理検討会 を開催 し、遺跡研 究 に対す るGIS の応用等 につ いての研 究報告、報告書抄録 デー タベー スに関す る意見交換 をお こなった。
文化財情報 の電子化 として、木簡、図書、全文、写
真 、遺跡、航空写真、軒瓦 な どのデー タベースにおい て、 デー タの更新 な らびに追加入力 をお こないデー タ の充実 に努 めた。 デー タベ ースヘ のデー タ入力 に際 し て は、事前 のデー タ整理が大切 であ るため、各種 文献 や参考書 目の調査等 をお こないなが らデー タの拡充 を お こなった。 また、い くつかのデー タベ ース において はプログラムの細部 の改 良 をお こなった。写真 デー タ ベ ー スの基礎 となる写真 の電子化 に関 して は35mm、
ブローニ、4×5、 ガラス乾板 につ いて電子化 を継続 し てお こなった。航空写真 デー タベースにおいては、入 力 の元 となる原 フ イルムか らのマ イクロフ イルムの作 成、マ イクロフ イルムか らの電子画像 の作成 を継続 し てお こなった。
● 国際遺跡研究室の調査 と研究
国際遺跡研 究室 は、研 究所 が主催す る国際共 同研究 事業 を円滑 に実施す るための調整 と外 国か らの訪 問者 に対す る対応 が主た る業務 であ り、業務課 と連繁 して お こなっている。
2003年 度 には、共 同研 究で招聘 した外 国人研 究者 は 29名、施設見学 や表敬 訪 問で研 究所 を訪 れ た外 国人 研 究者 は、10カ国44名 であ り、
SARSの
影響 で、訪 問 者 は昨年度 よ り大幅 に減少 してい る。一方、科学研究 費、招聘、共 同研究費 に よる研 究所員 の渡航件 数 は76 件 で、その うち共 同研 究 に よる渡航 は29件 であった。また、埋蔵文化財 セ ンターでは、 国際協力事業団・
日本 国際協カ セ ンターな どの要請 に よ り、他機 関が招 聘 した外 国 人 に対 して も研 修 事 業 をお こな って い る が、 当研 究室で は研4寡内容や講 師の選定 な どもコーデ ィネー トしてい る。2003年 度 には3件あ り、合計26人 に対 し研修授業 をお こなった。
これ らの国際関係業務 の他 に、2003年 度 には埋蔵文 化財発掘技術者専 門研修 F陶磁器調査課程 』を担 当 し、
他 の研修授業 の講師 を務 めた。 また、 当研 究室 は、 山 内清男資料 の保管並 びに資料 閲覧希望者へ の対応 の任 務が あ り、2003年 度 には10名が資料 を閲覧 した。本年 度 の当研 究室 関係 の出版物 は、『山内清男考古 資料14』
奈良文化財研 究所 史料第66冊 であ る。
国際学術交流
奈 良文化財研 究所 で は、現在、 中国・韓 国・ カ ンボ ジア・チ リの4カ国の研 究機 関 と以下 の よ うな共 同研 究 を実施 してい る。2003年度 の中国 との共 同研 究 は、
中国各地 に蔓延 した新型流行性肺 炎の影響 で研 究計画 を大 き く変更す る事 になった。 当初 は本年度の共 同研 究 の実施 自体 も危 ぶ まれ たが、幸 い な こ とに肺 炎 は8 月に終息 した事 に よ り、各 プロジェク トは年次計画 を 大幅 に変更 して、何 とか 当初 の 目的 を達成す る事がで きた。散 々の1年であ ったが、研 究所 に とって喜 ば し い朗報 ももた らされた。町田章所長が、中国社会科学 院の名誉教授称号 を授与 された事 である。 これ までの 町 田所長の長年 にわた る中国考古学研 究成果が、 日本 は もとよ り中国で も高 い評価 を受 けた事 が最大 の受賞 理 由であるが、社会科学 院考古研 究所長劉慶柱氏 の談 に よる と、奈良国立文化財研 究所 時代 か ら代 々の所長 の下で現 町 田所長 中心 に苦労 を重ね地道 に取 り組 んで 来た中国 との交流成果 ももう一つ の受賞理 由であ る と 云 う。 これ を機会 に、両 国間で よ リー層質の高 い共 同 研 究が進 め られ、多大 な成果 を達成 で きるので はない
だろ うか。
●中国社会科学院考古研究所との共同研究
両研 究所 は、2001年度 よ り5カ 年計 画 で唐 長安城大 明宮太波池遺跡 の共 同発掘調査 を行 ってい る。太液池 は、蓬莱池 とも呼 ばれ、大 明宮北部 中央 に位 置す る。
これ までの試掘調査 。発掘調査・ ボー リング調査 に よ って、平面 は扁楕 円形 を呈 し、東西最大 長484m、 南 北最大 長310m、 面積 17万 だ の壮 大 な規模 を誇 る園地 であ ることが知 られてい る。2003年 度 には、春 と秋 の 2回発掘調査 を実施 した。
春 には、池北西部の半 島部 と池 中央東寄 りにあ る蓬 莱 島南岸部 の二箇所 に発掘 区を設定 し、本格 的 な調査 をお こなった。残念 なが ら日本側研 究者 は、中国で新 型流行性肺 炎が蔓延 したため、 この調査 には参加 で き
なかった。
池北西半 島部 の調査 区で は、「千欄 式建物」 と呼 ば れ る極 めて珍 しい構造 の建物跡が発見 され、注 目を浴 びてい る。蓬莱 島南岸 の調査 区で は、平城宮東 院庭 園 跡 で もみ られ る護岸石積 み、砂州、景石 の他 、樽積 み
擁壁 の小池、玉石積 みの小池、玉石溝、建築基壇 、道 路遺構 な ど遺構 を検 出 し、初 めて蓬莱 島岸辺 の様子が 明 らか になった。詳細 を知 りたい方 は、考古雑誌社 出 版 の 『考古2003年11期』(中支
)と
『奈 良文化財研 究 所紀要2004』 をご覧頂 きたい。秋期 の調査 は、太液池南岸 の一段 高 くなった高台部 を対象 に実施 しているが、凍結 な ど遺構 に悪影響 を与 え る季 節 に入 るため、遺構 面 直上 まで掘 り下 げた後、
一旦調査 を中断 し、2月後半 か ら調査 を再 開す る事 に なっている。
研 究 員交流 に関 して は、9月 か ら10月 にか けて、安 家瑶 女 史 を団長 とす る5名の研 究者 を招聘 し共 同研 究 をお こなった。 また、訪 日の機会 を利用 して、一般聴 衆 を対象 とす る公開講演 を開催 した。安家瑶 女 史 には
「唐 長安城 の発掘調査 と研 究」、棄 国強氏 には「唐大 明 宮 太 液 池2003年春 期 の発 掘 調 査 成 果」、 龍 瑞 氏 に は
「広州南越 国の王宮 と官署遺跡 の新発見」、謬 雅婿女 史 には「古代城跡 と中国文明の起源」 と題す る講演 を し て頂いた。
一方、 日本側 は、秋 に岡村道雄平城宮跡発掘調査部 長 を団長 とす る5名の研 究者 を派遣 し、今後の研 究計 画 を協議策定す る とともに、秋期 の発掘調査現場や春 期 の発掘調査 出土遺物 な どを視察 した。 また、12月末 か ら 1月 中頃にか けて、平城宮跡発掘調査部各研 究室 か ら各1名、総計5名の研 究員 を派遣 し、報告書作成 のための出土遺物の調査 を実施 した。
この他、2004年 度刊行 を 目指 し、従前 に実施 した漢 長安城 の共 同発掘調査報告書 を漑方協力 して作成 して いる。
中国社会科学院名誉教授称号授与
●還寧省文物考古研究所との共同研究
2002年度か ら4カ年 計画 で は じまった「
3‑6世
紀 日 中古代遺跡 出土遺物 の比較研 究」 は、三燕時期 の主要 な墳墓 ごとに、 出土遺物 につ いて比較研 究 をお こな う こ とに してい る。Wall嚇洞墓地 出土遺物 の検討が一段 落 した2003年 度 につ いては、双方協議 の結果、甜草溝墓、十二台88Ml墓、獲通墓 を姑象 とす るこ とで合 意 した。
甜 草 溝 墓 は、 数多 くの金 製装 身具類 を出土 した晋 代 (3世紀末〜4世紀前葉
)の
墓 であ り、十二台88Ml墓は、重装騎 兵装備 をは じめ とす る豊富 な副葬 品 を出土 した 前燕 (4世紀 中葉
)の
墓 で あ る。 また、獲通 墓 は建興 10年 (395年)の
年紀 と被 葬者名 を刻 む墓 誌 を出上 し た後燕 の墓 であ る。9月 には、 日本側 が訪 中 し、造寧省 文物 考古研 究所 にお いて、上記墳 墓 出土遺物 につ いて観察 。実測 ・写 真撮影 を進 め る とともに、金製 品、金銅製 品 を中心 に 理化学 的分析 を試みた。 これ に対 し、11月 には遼寧省 文物 考古研 究所 の研 究員6名 を招聘 し、 日中墳 墓 出土 遺物 の比較検討 をお こな うとともに、訪 日の機会 をと らえて、一般聴衆者 を対象 に、 中国 にお ける古代碑塔 修 復 の理 念 と実 際 に関す る講演 会 (講演 者 工 晶辰所 長・演題「中国朝陽北塔4歩復」
)を
開催 した。また、昨年度、遼寧省文物考古研 究所 が編集 。発行 した 『三燕文物精棒』 の 日本語訳 を刊行 した。
●河南省文物考古研究所との共同研究
2000年度か ら5カ 年計画 で実施 してい る事 業 で、撃 義市大・小責冶、 白河村 に所在す る唐 三彩窯跡 及 びそ の産品 に関す る共 同研 究であ る。
2002年度 か ら本格 的 な窯跡 の発掘 調 査 が 始 まった が 、2003年度 も春 期 と秋 期 に2回の調 査 を実 施 した。
奈 良文化財研 究所 員 は、秋期 の発掘調査 に参加 し、併 せ てサーズの影響 で参加で きなか った春期発掘調査 出 土遺物 の調査 をお こなった。5月 の発掘調査 は、小黄 冶塔 湾村地 区で実施 し、調査地点 は、昨年度の発掘調 査 区の南方、約30メ ー トルの地点 に当たる段丘面であ る。 この調査 で は唐 三彩 の窯 は検 出 され なか ったが、
大量 の三彩 陶器や窯道具等が 出上 した。秋期 の発掘調 査 は、小 黄冶塔 湾村 と大責冶瓦 窯溝村 の2箇 所 で実施 したが、遺構面 は非常 に深 く、滞在期 間中には、遺構 の全貌 を知 る事 はで きなかった。
10月には、研 究員 を招聘 し、情報交換 をお こな うと
ともに関連す る遺跡 。遺物 を共同で調査 し、学術交流 を図 った。 また、滞在期 間中には、公 開講演会 を開催 し、張志清副所長 には「近年 にお ける河南重要考古発 見」、郭木森氏 には「中国撃義市 黄冶唐 三彩 窯跡 の発 掘調査 の主要成果」 と題す る講演 を して頂 き、共同研 究の成果 を公表 した。
●韓国国立文化財研究所との共同研究
韓 国 国立 文化 財研 究所 とは、 日本 の都 城 並 び に百 済 。新羅王京 の形成 と発展過程 に関す る共 同研 究 と生 産遺跡 に関す る共 同研 究 を実施 してい る。 この他、毎 年短期 で はあ るが、両研 究所 は、様 々な分野 の研 究員 を相互 に派遣 し、学術 交流 を図 ってい る。本年 度 は、
平城宮跡発掘調査 部主任研 究官高橋 克壽 を派遣 した。
滞在期 間中には、韓 国の考古学研 究者 と意見 を交換す る とともに、「 日本古墳 時代 の編年」と題す る講演 をお こなった。
2003年 度 も都城 に関す る共 同研 究 で は、 日本 の研 究 者 は、新羅王京跡、慶州 の発掘現場 や関連遺跡 な どを 踏査 し、 また、新羅王京跡 出土遺物 の視察 をお こなっ た。一方、韓 国側研 究者 は、藤原宮跡の発掘調査現場 や飛 鳥地域 な どの関連遺跡 を視祭 した。 また、滞在期 間中に、公 開研 究会 を開催 し、金教年氏 に「慶州九黄 洞苑地遺跡 の調査状況」 と題す る講演 を して頂 いた。
生産遺跡 に関す る共 同研 究で は、本年度 は、慶州・
扶 余 を中心 とす る新 羅 。百済 の瓦 の調 査 を実施 した。
また、4名の韓 国人研 究者 を招聘 し、報告書刊 行 に向 けて現在整理 中の飛鳥池工房跡 出土遺物 を観 察検討 し て貰 い有益 な教示 を頂 いた。
●アフガニスタン文化遺産保存修復のための緊急協力 事業
当事業 は、文化庁 の委託 を受 け、東京文化財研 究所 と共 同で実施 した。9月初旬 、 ア フガニス タン・ イス ラム移行行政政権情報省 との間で協力事業 に関す る協 定書 を締結 し、世界文化遺産 になったバ ー ミヤ ン仏教 遺跡 の保護事業 と現地人ス タッフ養成のための研4多事 業 をお こなった。本年度のバ ー ミヤ ン遺跡 の保護事業 は、遺跡 の範 囲確 認 に重点 を置 き、仏巌の前面 に広が る平 地 部 分 、32ヘ ク ター ル を対 象 に非破壊 地 下探査 (レー ダー探査法
)を
お こない、遺構 の分布状 況 を把 握 した。研4笏はカブール博物館 において、土 でで きたつ
遺物 (テラコ ッタ)を対象 に した保存修復技術 の トレー ニ ングを実施 した。研修 も終 わ りに近付 いた頃、ス タ ッフが宿泊 してい るホテルが ロケ ッ ト弾 に よるテロ攻 撃 を受 けたが、全 員無事 に任務 を果 た し帰還す る事 が で きた。改 めて、 テ ロ・ 治安状況 に関す る綿密 な情報 収集の ネ ッ トワー クの必要性 を痛感す る事 になった。
●異なる気象条件下 における不動産文化財の発掘技術及 び保存に関する調査研究
当研 究 はカ ンボ ジア とチ リの遺跡 、遺物 を対象 に実 施 してい る。 カ ンボ ジア・ ア ンコール文化遺産保護 に 関す る研 究協 力 は1993年 か ら開始 し、 これ まで に3年 を1フ ェイズ とす る3回9年 間 にわた る事 業 をお こなっ て きた。 これ まで に延べ32名の研究員交流 をお こな う とともに、上智大学 国際調査 団 と共同でバ ンテアイク デ イ遺跡 や タニ窯跡群 の調査研 究 をお こなって きた。
2002年 か らはア ンコー ル・ トム内にある西 トップ寺 院 跡 を対象 とした新 たな共 同研 究事業 を発足 させ た。今 回は事 業期 間 を2005年度 までの4年 間 と し、事 業 開始 当初 に定めた発掘調査、遺跡探査、広域遺跡整備 な ど の諸研 究 を、現地 の
APSARA(ア
ンコー ル地 区遺跡 整備 開発機構)と
共 同でお こな う予定であ る。西 トップ寺 院 は、バ イ ヨンの西約
500mほ
どに位 置 す る小 型 の石造寺 院遺跡 であ る。 同寺 院か らは9世 紀 の碑文が発見 されている ものの、現存す る ものは建築 形式 な どよ り10世紀 に建立 された もの と考 え られ、そ れ以後13世紀 か ら17世紀 にか けて仏教寺 院 として再興 された と推 定 されてい る。 この共 同研 究 では西 トップ 寺 院の変遷 を明 らか にす るに とどま らず、 ア ンコー ル 王 朝 崩壊 後 の 中世 の仏 教 寺 院 と して の姿 を明 らか に し、 この地 の中世 史 をよ リー層、豊か な もの にす るこ とを 目指 してい る。 また発掘現場 を共同研究の場 とす ることによって、 よ り実効性 のあ る人材 育成 を進める ことが可能 になると考 えている。西 トツプ寺 院での共 同研究 開始 に当た り、2002年12 月6日 に現地 において
APSARA(ア
ンコー ル地 区遺跡 整備 開発機構)と
の覚書調 印式 をお こない、翌7日 に 現場 で調査 の鍬入 れ式 を執 りお こなった。本年度 は こ れ に加 えて、 これ に先 立つ8月 には、西 トップ寺 院調 査 の第1回 目調査 と して、平板 に よる地形測量 を実施 した。2003年 度 には、遺跡 に残 る現存建物 の詳細 な図 面 を作 成す る とと もに、小規模 な発掘 調査 を実施 し、地下遺構 の状況 を明 らか に し、2004。2005年 度 には、本 格 的 な発掘調査 と諸 図面の完成 を 目指す予定である。
チ リにおいて はイース ター島のモアイ石像 を保存4雰
復 す るための調査研 究 をチ リ国立文化財保存修復 セ ン ター と共 同ですす めて きてい る。本年度 はアフ トンガ リキのモ アイ石像 15体 の保存処置 な らびにモアイ石像 の風化 に関す る基礎的な現地調査 をお こなった。
ア フ トンガ リキのモアイ石像 の保存処置 は、ユ ネス コの世界遺産録護事業へ の協力である。 これ までイー ス ター島でお こなって きた暴露試験結果 をもとに、含 浸 強化 剤 と して市 販 の有機 珪 酸 エ ス テ ル(Wacker社 OH100)を選定す る とともに、浸透性 の高 い薬剤 と浸 透性 の低 い薬剤 を新 たに調製 し、劣化状態 に応 じて薬 剤 の使 い分 け をお こなった。含 浸 強化 にあた って は、
事前 にモ アイ石像全体 の表面強度 を軟岩ペ ネ トロメー タに よ り測定 して劣化状態(強度 とその分布)を把握 し た。含浸 強化処理後、所定の硬化期 間の後、撥水処理 をお こなった。
また、 イース ター島 にお けるモ アイ石像 の保存修復 を考 えるには、モ アイ石像 が どの ような劣化 を生 じて い るか を知 ることが今 回の保存処置のみな らず今後の 保存への取 り組みにも重要なことである。 このような 観点か ら、モアイ石像に生 じている劣化の要因を探 る ために、赤外線サーモグラフイなどにより基礎的な調 査 を実施 した。
西 トップ寺院第 1次発掘調査
モアイ石造の修復 モアイ石造の劣化状態の調査
35
海外からの主要訪間者一覧
0ドイツ:ベルリン日独 セ ンター事務総長 アンゲ リカ
フイーツ/'03.4.9
●台湾 :目 立台南芸術学院 コウホンイン/'03.4.15
0フランス :国 立パ トリモ ン研究所修復部
P]
Claire Breda//'03.5.2‑7.31
● ドイツ :構 造設計専 門家 WIatthias Beckh//'03.5,20〜 620
0ベトナム :社 会科学院 ベ トナム考古学院 グエ ン・キム・ズ ン/'0379〜81
0韓国 :京 畿文化財団
畿旬文化財研究院
金雄信
外3名 /'03.8.6
● カンボジア:
スー・ ソティ/'0398〜922
0ポル トガル:トマールエ芸研究所 Sofia lsabd Carrdro e」u10 外1名 //
'03,9.15‑1015
0英国:ケンブリッジ大学大学院博士課程 中西裕見子/'03.101〜'04.3.31
●韓国 i韓 国地質資源研究院 梁 ドンユ ン/'0310.21
●韓国 :韓 国地質資源研究院 李 ジンヨン/'03.10.21
0中国 :上 海博物館 日とIIB百讐///'03.10.30
0ベトナム :南 アジア研究機構 Dr.NGUYEN VAN VIET/'031111 0イ ラン:イ ラン文化遺産庁 マジー ドカーメイ
外6名/'0312.9 0中国 :大 明宮含元殿工事事務所 高
本憲
外1名/'031210 0台湾:中央科学院
リー・ クァンチ ー/'04.1220〜12.24
0イ ラン:イ ラン文化遺産庁
ハ ミー ド・ファヒー ミー
外1名/'04.120
0エジプ ト:カイロ大学考古学部保存修復 学科助教授
Ahmed Sayed Ahmed Shoeib/'04122
● ロシア :科 学アカデ ミー極東研究所 ユー リー・ヴォス トレツォフ//'04.24‑2.5
● ドイツ:フンボル ト大学
ステファン
アルテカンプ/'04223〜44
●韓国 :畿 旬文化財研究所 丁海得
外4名/'04.2.26
0英国 :ダ ラム大学
キース・ ドブニー/'04.3.25〜4.8
0中国 :河 南省文物局 杜啓明
外 9名/'04.3.30
海外か らの招聘者一覧
0中国 :中 国社会科学院考古研究所研究員 安 家 瑶/'03920〜9,30
0中国 :中 国社会科学院考古研究所副研究 員
拶 雅 媚/'03,920〜 930
0中国 :中 国社会科学 院考古研究所助理研 究員
女U 酬寺//'03.9.20‑9,30
0中国 :中 国社会科学院考古研究所副研究 員
棄 国 張/'03.920〜10,19
0中国 :中 国社会科学院考古研究所助理研 究員
李 存 信/'03920〜10,19
0中国 :河 南省文物考古研究所副所長 張 志 清/′'03.10.14〜1029
0中国 :河 南省文物考古研究所副所長 胡 永 慶///'03.1014‑10.29
0中国 :河 南省文物考古研究所館員 馬 暁 建///'0310.14‑1029
0中国 :河 南省文物考吉研究所副研究員 王 竜]E///'031014〜10.29
0中国 :河 南省文物考古研究所館員 郭 木 森/'03.10,14〜1029
0カ ンボジア:アプサ ラ文化局長 アン・チュリアン/'0310.25〜 ■4
0カ ンボジア:アプサラ総裁 プ ン・ ナ リッ ト閣下/'0310.25〜11.4
0中国 :透 寧省文物考古研究所所長 ]E 品 辰/ノ
ン'o3.10,25‑11.5
0中国 :遼 寧省文物考古研究所科長 ]E玉 女武///'031025´ヤ11.5
0中国 :遼 寧省文物考古研究所主任科員 際 木 実/'031025〜11.5
0中国 :遼 寧省文物考古研究所資料管理員 李 光 明//'03.1115〜1126
0中国 :遼 寧省文物考古研究所考古隊員 李 堆 宇´/'03.1115〜 1126
0中国 :遼 寧省文物考古研究所主任 万 雄 ヽ/'03.11.15〜11.26
0カ ンボジア :王 立芸術大学卒業生 生r Sok Keo Sovannara/'04115〜 2.13
● カンボジア :王 立芸術大学卒業生 MrChhum Meng Hong/'04115〜213 0カ ンボジア :王 立芸術大学卒業生 A/1r Khut Sokhan/ア'04115〜2.13
● カンボジア :王 立芸術大学卒業生 M s Ourn Sinang/'(И l15〜 213
● カンボジア :工 立芸術大学卒業生 h4ts Prak Sinath//'041.15〜2.13
0米国 :ダ ンバー トンオー クス研究所 ラン ドスケープ研究部長
ミシェル・ コナ ン/'04119〜1.25 0中国 :甘 粛省博物館副館長 馬1青 林//'042.5〜214
0中国 :甘 粛省博物館文物保護部副主任 張 健 全/'04,2.5〜214
0大韓民国 :日 立慶州文化財研究所長 升,堆 α鵞//'0429‑221
0大韓民国 :国 立慶州文化財研究所学芸研 究士
金 数 年′/'042.9‑221
0大韓民国 :国 立文化財研究所 学芸研究士 経 仁 華//'04.29〜221
0大韓民国 :国 立文化財研究所 遺跡調査室 長
申 昌 秀/'04216〜2.21
0大韓民国 :国 立文化財研究所 学芸研究士 李 思 碩/'04.216〜 221
● カンボジア :王 立芸術大学研究員 Voeun Vuthy/'04,3.1〜3.7
0大韓民国 :目 立群 山大学校博物館学芸研 究士
郭 長 根///'04315〜3.24
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