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国境線の変遷から近代国家の輪郭を探究する歴史教育

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【研究報告】

国境線の変遷から近代国家の輪郭を探究する歴史教育

─アルザス・ロレーヌ地方を素材として─

柿沼 亮介

キーワード:近代国家、ネイション・ステイト、国境、国民、主権、アルザス・ロレーヌ、「最後の授業」

【要 旨】近代国家の三要素は、「国境」「国民」「主権」であるとされる。近代化の過程においてはどの国も、

特定の領域の中において統一的な支配を行い、そこにいる人々に国民としての意識を植え付け、さらに国内 において他国の干渉を排除することによって、近代国家への転換を図ろうとした。ヨーロッパ諸国はウェス トファリア条約によって主権国家となり、フランス革命以降、各地に国民国家ができていったが、後発の近 代国家の形成過程においても、いかにしてこの三要素を確立するかということが課題となっていた。このよ うな近代国家のあり方を歴史教育において理解させる上で教科書の記述には限界があり、授業において理解 を助ける工夫を施す必要がある。

そこで、近代国家のあり方や形成過程について理解させるために、あえて国境線が変遷した地域を取り上 げることで、近代国家の輪郭を探究させることを目指す。ここで素材となるのが、アルフォンス・ドーデの「最 後の授業」である。普仏戦争にフランスが敗れたことでドイツに割譲されることになったアルザスの人々が、

フランス語教育を禁じられることを悲劇的に描いたこの作品は、アルザスの人々が日常的に使用している言 葉がゲルマン語系のアルザス語であることや、アルザスの帰属がドイツとフランスの間で何度も変遷したこ とを考慮すると、問題も多い。この点を考察させることによって、近代国家のあり方についての深い理解を 促す授業実践を検討する。

はじめに

歴史は暗記科目ではないと、しばしば言われる。課題発見・解決のための能力を涵養するよう な授業を行うべきであるとも言われる。逆に言えば、現在の歴史教育の方法や内容について、暗 記中心であるとか、思考のために役に立たないといった批判があるということだろう。この問題 は、歴史総合が導入されようとも、教科書の内容をどれだけ絞ろうとも、教科書の内容を整理 し、分かりやすくまとめて提示するのが授業であるという姿勢でいる限りは、解決できない。こ れでは生徒は、ただ提示された内容を覚えればよいと思い、教員が納得する「解答」を求め、主 体的な思考から逃げてしまう。歴史教育の本質は、生徒の歴史的思考力を育み、それを活用して 現在の社会を見つめ直すような視点をもたらすことにある。本稿では、近代国家について深く理 解をさせるための授業実践について検討しながら、このような授業のあり方について探っていき たい。

(2)

第1章 近代国家をどのように教えるか

本章では、歴史教育において近代国家について扱う意義について触れた上で、歴史教科書にお いて近代国家がどのように記述されているか分析し、その問題点を指摘したい。

1.歴史教育における近代国家

歴史教育の目的の一つは、生徒に現在の社会を相対化して捉える視点を獲得させることにあ る。生徒が疑うことなく当たり前だと思っていることについて、それが歴史的に形成されてきた ものであるという見方ができるようになることは、現代社会の問題について根源的に考える力を 涵養することにつながるからである。

日本においてはその地理的・歴史的特性から、一般社会においても生徒の間でも「単一民族」

の国家であるという誤解や、在留外国人に対する無理解からくる差別的な対応がしばしばみられ る。「島国」で陸続きに他国と国境を接しておらず、地上波のテレビ放送では基本的に日本語の 番組しかなく、日本語のみによる教育が学校現場において当然のように行われている状況の中 で、様々な民族、言語の話者が国内に居住する国が多く存在することを想像するのは容易ではな いといえるだろう。そこで、こうした現在の日本の状況を相対化する力を養えるような歴史教育 を考えてみたい。

歴史教育の中でも、こうした問題と深く関係するのが、近代国家─特に国民国家─をどのよう に捉えるかということである。国民国家(ネイション・ステイト)は、「国境線に区切られた一 定の領域からなる、主権を備えた国家で、その中に住む人々(ネイション=国民)が国民的一体 性の意識(ナショナル・アイデンティティ=国民的アイデンティティ)を共有している国家」 と定義される。

近代国民国家は当然ながら歴史的に形成された概念であり、ここ200年程の間に登場し、世界 中に広がったものである。しかしながら国民国家の中で生まれ育ってきた多くの生徒にとって、

国境線の内と外で文化は区切られ、国家は主権を持ち、さらに自分自身が国民であるというこ とに疑問を持つことは容易ではない。そして現在の社会状況を自明のものとしてしまうことで、

様々な誤解も生じることになる。そこで、歴史教育の中で国民国家の形成過程について体感的に 理解させることが重要であると考えられる。

2.教科書における近代国家の記述

では、現在の歴史教育において近代国家はどのように扱われているのであろうか。検定教科書 の記述から考えてみたい。

中学校では、採択率の高い東京書籍、帝国書院、教育出版の3社の歴史教科書を、高等学校で は、世界史Bで占有率50%を越える山川出版社の『詳説世界史』、日本史Bで占有率60%を越え る山川出版社の『詳説日本史』を分析対象とする。教科書においては当然、近代国家の様々な 出来事についての多くの記述があるが、ここでは具体的な歴史的事実ではなく、「近代国家とは 何か?」という定義に関わる部分を抽出すると、以下の【表1】、【表2】のようになる。

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表1 中学校の歴史教科書における近代国家に関する記述 ※下線筆者

①東京書籍『新編 新しい社会 歴史』(2015年3月検定済、2016年発行)

第5章 1節欧米の進出と日本の開 国 2産業革命と19世紀のヨーロッ パ 19世紀のイギリスとドイツ

19世紀のヨーロッパでは、各国で産業革命が進み、次第に電気が普及し、化学も 発達しました。また多くの国で、憲法が制定され、議会が開かれて人々の政治参 加が実現すると同時に、義務教育も普及して「国民」としての意識が強まり、国 家としてまとまっていきました。(p.149)

第5章 2節明治維新 1新政府の 成立  明治維新

ペリー来航以降、日本社会は大きく変化し始め、さらに江戸幕府をたおして成立 した新政府も、欧米諸国をモデルにして、さまざまな改革を進めました。このよ うな、江戸時代の幕藩体制の国家から近代国家へと移る際の、政治、経済、社会 の変革を、明治維新といいます。」(p.160)

第5章 2節明治維新 1新政府の 成立 身分制度の廃止

新政府は天皇の下に国民を一つにまとめようと、皇族以外は全て平等であると し、また移転や職業選択、商業の自由を認めました。平民も苗字を名乗り、華族 や士族と結婚することが認められました。士族は、後に帯刀が禁止されました。

p.161)

用語解説 「近代国家」の項 近代化にともない、一つにまとまった国家。中央集権の場合や、アメリカのよう に連邦制の場合もあるが、領土・国民・主権という国家の要素が明確になった。

日本では、明治時代以降の天皇を中心とした中央集権国家を指す。」(p.276)

用語解説 「国民」の項

国家の構成員である人々を指す。具体的には国籍を持つ者を指すが、民族とはち がう区分なので、一つの国家の中に多くの民族が存在することが多い。国民とし て統合されるためには、共通の歴史や文化を持っているという共通の認識が必要 とされる。(p.277)

②帝国書院『社会科 中学生の歴史 日本の歩みと世界の動き』(2015年3月検定済み、2016年発行)

第5部 第1章欧米諸国における

「近代化」 1市民革命の始まり 変 わる欧米諸国

日本の江戸時代にあたる17〜19世紀は、ヨーロッパが大きな変化をとげた時代で した。政治では、身分制度が廃止されて自由で平等な「市民」がつくる「市民社 会」に変わり始めました。それにより、これまで国王と支配身分だけが政治を進 めてきたのに対し、市民たちが主権者である「国民」となって、議会を通じて国 家を運営するようになりました。産業では、工業が発達して資本主義社会が生ま れました。こうした政治や産業の動きをあわせて、「近代化」とよんでいます。

p.138)

第5部 第1章欧米諸国における

「近代化」 4世界進出をめざす欧米 諸国 近代国家の形成

19世紀に入ると、イギリスで始まった産業革命はヨーロッパや北アメリカの国々 でも進み、一方で、フランス革命の影響を受けて、自由・平等の考え方の下に 人々を「国民」として一つにまとめる近代国家の建設が進められました。(p.144)

第5部 第3章新しい価値観の下で  新政府による改革  明治維新

新政府は、これまでの幕府と藩を中心とした政治のしくみをかえ、天皇の名にお いて、政府が直接全国を治める中央集権国家をめざしました。また、欧米諸国に ならって近代的で産業のさかんな国家づくりに取り組みました。これらの取り組 みが、日本を欧米諸国に認めてもらい、独立を守るうえで必要と考えたためでし た。(p.158)

第5部 第4章近代国家へのあゆみ  新たな外交と国境の確定 確定す る国境

近代の国家は、国境と領土を定め、そこに住む人々を「国民」としました。この ため新政府は、それまであいまいだった国境を定めることに努めました。(p.167)

第5部 第4章近代国家へのあゆみ  沖縄・北海道と近代化の波 生活 を変えられたアイヌの人々

開拓が進むにつれて、アイヌの人々は狩りや漁の場をうばわれました。新政府は、

アイヌ古来の風習をやめさせ、日本人風の名前を名のらせ、日本語の教育を行う など、「日本国民」にするための政策を行いました。(p.169)

③教育出版『中学社会 歴史 未来をひらく』(2015年3月検定済み、2016年発行)

第5章 1近代世界の確立と東アジ ア ④強大な国家を目指して 近代 化と列強の成立

ロシア・イタリア・ドイツは、先進国のイギリスやフランスに追いつくために、

その社会を手本にして改革を進めたり、国内をまとめて統一国家をつくったりし ました。そのような動きを、近代化といいます。

そして、イギリス・フランス・アメリカをはじめ、統一国家となったドイツ・イ タリア、近代化にふみ出したロシア・オーストリアは、他の諸国と比べて経済力 や軍事力などにまさるようになったことから、列強とよばれました。(p.139)

第6章 1明治維新と立憲国家への 歩み ①万機公論に決すべし 新政 府の出発

新政府は、その後もさまざまな分野で改革を推し進め、それによって社会は大き く変化しました。このような幕末から明治の初めにかけての一連の改革を明治 維新といいます。当時の人々は、「御一新」とよんでこの改革に期待しました。

p.157)

第6章 1明治維新と立憲国家へ の歩み ③学問は身を立てるの財本  小学校の誕生

まず政府は、近代化の基礎は教育による国民意識の向上にあると考え、1872(明 治5)年に学制を公布しました。(p.160)

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3.教科書の記述の特徴と問題点

①の東京書籍は、明治維新の項目で「幕藩体制の国家から近代国家へと移る」との記述があ り、その後に具体的な近代化の様相について説明がなされている。近代国家そのものについての 説明は、巻末の「用語解説」の中で「近代国家」の項を設けて行っており、「領土・国民・主権」

という三要素にも言及している。しかし、近代国家の説明として「日本では、明治時代以降の天 表2 高等学校の歴史教科書における近代国家に関する記述 ※下線筆者

④山川出版社『詳説世界史 改訂版』(2016年3月検定済、2018年発行)

第8章 4ヨーロッパ諸国の抗争と 主権国家体制の形成 主権国家と主 権国家体制

 近世のヨーロッパでは、カトリック教会や神聖ローマ帝国がかつてもっていた 普遍的権威が動揺した。諸国は自国の利害を求めて戦争と妥協をくりかえし、恒 常的な緊張状態にあった。しかも、戦争は長期化・大規模化し、軍事技術も進歩 していた。増大する兵員と軍事費の調達のために、各国は徴税機構を中心に官僚 制をそなえた行政組織を整備し、国内の統一的支配を強める必要があった。この 過程で多くの国は、自己の支配領域を明確な国境でかこいこみ、国内秩序を維持 強化して、外に対しては主権者としての君主のみが国を代表する体制を築くよう になった。こうした国家を主権国家といい、近代国家の原型となった。

(中略) 近世ヨーロッパに誕生した主権国家は、その規模の大小や、政体・宗教・経済 力などの点できわめて多様であった。しかし、各国は国際社会の対等な構成員と して、外交官を交換しあい、ときには国際会議を開いて、相手国と協力・対抗し ながら相互の利害を調整しようとした。このようにして形成・維持された国際秩 序は主権国家体制と呼ばれ、参加国を全地球規模に拡大して、現在まで続くこと になる。(p.213〜214)

第8章 4ヨーロッパ諸国の抗争と 主権国家体制の形成 17世紀の危機 と三十年戦争

三十年戦争は1648年のウェストファリア条約で終結したが、講和条約が大半の ヨーロッパ諸国が参加した国際会議でまとめられたことは、ヨーロッパの主権国 家体制の確立を示すものであった。これにより、ドイツの諸侯にはほとんど完全 な主権が承認され、帝国における諸侯の分立状態は決定的となった。長年戦場と なったドイツは、人口も激減してその後長く停滞することになった。ハプスブル ク家の勢力は後退し、フランスにアルザスを奪われた。(p.221)

第10章 近代ヨーロッパ・アメリカ 世界の成立 扉ページ

フランス革命で成立した共和政はナポレオンの帝政へと移行したが、フランス革 命が広めた国民国家の理念は、ナポレオン支配下のヨーロッパ大陸の各地で改革 をうながした。アメリカとフランスの革命は、近代国家と近代市民社会の重要な 原理を提起するものであった。(p.241)

第10章 3フランス革命とナポレオ ン 革命の終了

自由と平等を掲げたフランス革命は、それまで身分・職業・地域などによってわ けられていた人々を、国家と直接結びついた市民(国民)にかえようとした。革 命中に実行されたさまざまな制度変革と革命防衛戦争をつうじて、フランス国民 としてのまとまりはより強まった。こうして誕生した、国民意識をもった平等な 市民が国家を構成するという「国民国家」の理念は、フランス以外の国々にも広 まるとともに、フランス革命の成果を受け継いだナポレオンによる支配に対する 抵抗の根拠ともなった。(p.252〜253)

第11章欧米における近代国民国家の 発展 扉ページ

ヨーロッパではフランス革命に始まる大変動ののち、諸列強は協力してウィーン 体制による政治的安定をめざすが、ナショナリズムや自由主義的改革への動きを 阻止することはできなかった。産業革命は大陸諸国にも広がり、近代工業への移 行が開始された。1848年革命とクリミア戦争後、列強諸国が国内問題に専念する あいだ、イタリア・ドイツは統一国家樹立に成功し、19世紀後半には新しい形で 列強体制が復活した。一方、ヨーロッパの干渉を排除したアメリカ合衆国は南北 戦争後、産業の急速な成長と太平洋岸までの開拓をはたした。」(p.256)

第11章 2ヨーロッパの再編と新統 一国家の誕生 フランス第二帝政と 第三共和政

(18)75年になって共和国憲法が制定され、第三共和政の基礎がすえられた。そ の後、80年には7月14日が国民祝祭日に定められるなど、フランス革命を原点と する国民統合がすすめられた。(p.266)

⑤山川出版社『詳説日本史 改訂版』(2016年3月検定済、2018年発行)

第Ⅳ部 近代・現代 扉ページ

一方、日本では明治政府が、列強に範をとった近代国家化につとめ、憲法・軍 隊・議会など、近代化の指標となるしくみを20年ほどでそろえるに至った。日本 は、日清戦争では台湾を、日露戦争では南満州の権益を、第一次世界大戦では旧 ドイツ権益を取得して帝国主義国家の一員となったが、中国における権益を守ろ うとして第二次世界大戦に突入し、敗北を喫した。(p.249)

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皇を中心とした中央集権国家を指す」とあるものの、天皇を中心とした中央集権国家がなぜ近代 国家なのかということについては、教科書だけでは理解することができず、授業において説明す る必要がある。

「国民」については、19世紀のヨーロッパについて「義務教育も普及して「国民」としての意 識が強まり、国家としてまとまっていきました」とあり、さらに巻末の「用語解説」の「国民」

の項では、「国民として統合されるためには、共通の歴史や文化を持っているという共通の認識 が必要とされる」と解説している。そして本文の「身分制度の廃止」の項目では、「新政府は天 皇の下に国民を一つにまとめようと」したとも言及している。つまり、教育によって国民として の意識を育み、天皇の下で一つにまとめようとしたと述べられている。しかし、生徒にこれらを 関連付けて捉えさせるためには、授業における工夫が必要である。

②の帝国書院は、欧米諸国の近代化に関する節の中で、市民革命に関連して、「市民」につい ての説明や「市民たちが主権者である「国民」とな」ることについて記述している。さらに、近 代国家の形成についてフランス革命に関連させて、「自由・平等の考え方の下に人々を「国民」

として一つにまとめる近代国家の建設が進められ」たことを述べる。つまり、欧米における国民 国家については、基本的な説明がなされている。

一方、明治維新の項目では、「政府が直接全国を治める中央集権国家をめざし」たことや、「欧 米諸国にならって近代的で産業のさかんな国家づくりに取り組」んだことが述べられているが、

こちらも、中央集権国家をめざすことがどのような点で近代国家になることなのかということ や、「欧米諸国にならっ」た「近代的」な「国家づくり」で目指された近代国家のあり方は、定 義されているわけではない。

「国民」や「国境」については、「近代の国家は、国境と領土を定め、そこに住む人々を「国 民」としました。このため新政府は、それまであいまいだった国境を定めることに努めました」

という直接的な記述がある。さらに北海道開拓に関連させて、「アイヌ古来の風習をやめさせ、

日本人風の名前を名のらせ、日本語の教育を行うなど、「日本国民」にするための政策を行いま した」とも述べている。近代国家の特性を考える上で、重要な指摘がなされているといえるが、

なぜ国境を明確にしなければならないのか、また、なぜ日本の領域内となったアイヌの人々に

「日本文化」を強要し、アイヌの文化を捨てさせようとしたのかということを考えさせるために は、近代国家の特性についてより具体的かつ深い理解が必要になってくる。

③の教育出版は、近代国家について明確な定義をしている部分はなく、後発の近代国家である ロシア・イタリア・ドイツについての記述の中で、「国内をまとめて統一国家をつくったりしま した」と述べる程度である。統一国家をつくることが、なぜ近代国家の建設の上で重要なのかと いう点については説明しておらず、日本近代化について説明する際にも、国内の政治的統一の意 味については、「中央集権国家の建設を目ざし」(

p.

158)た以上の言及はない。

また、「国民」という語が、〈第5章 近代の幕開け 1近代世界の確立とアジア〉や〈第6 章 近代の日本と世界 1明治維新と立憲国家への歩み〉の中で何度も用いられているが、

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「国民」とは何かということを定義している記述はない。さらに、「小学校の誕生」の項目におい て、「政府は、近代化の基礎は教育による国民意識の向上にあると考え」という極めて重要な指 摘を行っているが、なぜ国民意識の向上が近代化の基礎であるかという根本的な問題に踏み込む には、授業における工夫が必要になってくる。

以上のように、中学校の歴史教科書においては、近代国家の定義についての明確な記述がな いか、あったとしても明治維新以降の諸改革と近代国家建設との関係について直接的に言及する ような記述になっていない場合が多い。たしかに中学校段階においては、「近代国家とは何か?」

という抽象的な問いは、生徒にとって思考すること、想像することすら困難である場合が多く、

教科書において理論を史実にあてはめるような叙述を行うのは難しいかもしれない。しかし、「近 代国家とはこのような国であり、そういう国にするために日本はこのような改革を行った」とい う形で、出来事の必然性を説明しなければ、内容として盛り込んでいる明治維新やその後の明治 政府の諸改革──一世一元の制、廃藩置県、徴兵令、四民平等、教育制度、神道国教化、領土の 確定、条約改正など──について、それらの改革をなぜ行わなければならなかったのかというこ とを示さずに羅列するだけになってしまう。それでは、時系列に並べられた様々な出来事を生徒 が暗記する、という授業になりかねない。

そのため、授業において近代国家とは何かということを具体的かつ直感的に理解させる工夫が 重要になってくるのである。

では、高校の教科書ではどうだろうか。④の山川出版社の世界史Bの教科書では、まず主権国 家体制の形成過程の記述の中で、「徴税機構を中心に官僚制をそなえた行政組織を整備」、「国内 の統一的支配を強める必要」、「自己の支配領域を明確な国境でかこいこみ」、「国内秩序を維持強 化」、「外に対しては主権者としての君主のみが国を代表する体制を築く」といった条件を説明 し、「こうした国家を主権国家といい、近代国家の原型となった」と述べる。そして主権国家体 制について説明した上で、「参加国を全地球規模に拡大して、現在まで続く」とする。これに よって、近代国家が主権国家であることや、近代の国際秩序が主権国家体制であることを示して いるのである。

続いて、「近代ヨーロッパ・アメリカ世界の成立」という章の扉ページでは、「フランス革命が 広めた国民国家の理念は、ナポレオン支配下のヨーロッパ大陸の各地で改革をうながした」、「ア メリカとフランスの革命は、近代国家と近代市民社会の重要な原理を提起するものであった」と 述べ、国民国家・近代国家が世界中に広がっていくという方向性を示している。

国民国家については、フランス革命とナポレオンに関する項目で、「国家と直接結びついた市 民(国民)にかえようとした」、「フランス国民としてのまとまりはより強まった」、「国民意識を もった平等な市民が国家を構成するという「国民国家」の理念は、フランス以外の国々にも広ま る」とあり、国民国家について説明した上で、ナポレオン戦争を通じてその理念が広がっていく 様子について述べている。

以上のように、近代国家の定義や形成過程について理論も含めて世界史の教科書では説明され

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ている。そしてその後の歴史において、他国でも同様に近代国家の形成が図られたことを前提と して叙述される。しかし、例えば後発の近代国家について、「欧米における近代国民国家の発展」

という章の扉ページで、「イタリア・ドイツは統一国家樹立に成功」と述べ、章の中では、これ らの国々の統一の過程について説明するが、統一国家を形成することが近代国家を建設する上で 重要であるということは、すでに自明のこととして直接的には言及されていない。

また、日本の近代化についての記述は、以下のようになっている。

日本でもアメリカの海軍軍人ペリーの来航をきっかけに1854(安政元)年に日米和親条 約、58(安政5)年に日米修好通商条約を結び、開国をおこなった。この対外危機のなかで 下級武士層を中心に倒幕運動がおこり、幕府の大政奉還を経て、68年に天皇親政の明治政府 が成立した(明治維新)。明治政府は富国強兵をめざし、工業や軍事の近代化のほか、ドイ ツ憲法にならった大日本帝国憲法の発布(89〈明治22〉年)、二院制の議会の開設(90〈明 治23〉年)など、社会制度の面でも中国より一足はやい近代的改革をおしすすめた。日本 は、ロシアと樺太・千島交換条約を結んで北方の国境を定めるとともに、当初より積極的な 海外進出の姿勢を示し、台湾出兵や琉球領有のほか、朝鮮にも勢力をのばして、宗主国の立 場をとる清と対立した

つまり、日本の近代化について、対外危機の中で起こったことや、改革の内容については述べら れているものの、なぜこうした一連の改革や国境の確定などの作業を進める必要があったのかと いうことについては言及されていない。

このように、後発の近代国家の近代化についての説明において、近代国家の定義に立ち返り、

どのような国にすれば近代国家になるのかという形の記述になっていないため、授業においては

「なぜ近代国家に転換する必要があったのか」という視点から考えさせる必要がある。

さらに、「フランス第二帝政と第三共和政」の項目においては、「7月14日が国民祝祭日に定め られるなど、フランス革命を原点とする国民統合がすすめられた」との記述があるが、これは国 民統合が人工的に行われたものであり、その際にフランス革命の「記憶」が利用されたという 発想がなければ理解できない内容である。

つまり、世界史の教科書では近代国家について定義した上での記述がなされているが、生徒に 理解させるためには、授業においてさらなる工夫が必要となると考えられる。

続いて、日本史の教科書の記述をみてみたい。⑤の山川出版社の日本史Bの教科書では、「第

Ⅳ部 近代・現代」の扉ページにおいて、「日本では明治政府が、列強に範をとった近代国家化 につとめ、憲法・軍隊・議会など、近代化の指標となるしくみを20年ほどでそろえるに至った」

と述べるにとどまり、近代国家とは何かということについて、定義などは説明されていない。

このように記述されるのは、日本の近代化の位置付け方が関係している。「第Ⅳ部 近代・現 代」の扉ページは、日本の近代国家化についての記述の前に、以下のような文章がある。

産業革命後のヨーロッパ列強は、アジアへの進出を本格化させた。インドではイギリスが 直接支配を始め、中国ではイギリス・フランスが清朝から諸種の利権を奪い、南下したロシ アも領土を拡大した。イタリア・ドイツもイギリス・フランスのあとを追って植民地の獲得

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に乗り出し、アフリカ大陸とオスマン帝国・中国に向かった。この動きは、帝国主義と呼ば れ、ついにはバルカン半島での紛争を機にヨーロッパ全土に第一次世界大戦を引きおこすこ とになった。一方、18世紀後半に独立を達成したアメリカでも、産業革命が進んだ結果、北 部工業地帯と南部農業地帯との対立が南北戦争を引きおこした。  

つまり、産業革命や欧米列強のアジア進出を日本の開国や近代化の前提としているのである。そ のため本文においても、「第9章 1開国と幕末の動乱」の「開国」の項目において、

18世紀後半、イギリスで最初の産業革命が始まり、工業化の波はさらにヨーロッパ各国や アメリカにおよんだ。巨大な工業生産力と軍事力を備えるに至った欧米諸国は、国外市場や 原料供給地を求めて、競って植民地獲得に乗り出し、とくにアジアへの進出を本格化させ た。

清国はアヘン戦争でイギリスに敗れて南京条約を結び、香港を割譲し、貿易の拡大を認め させられた。清国の劣勢が日本に伝わると、幕府は1842(天保13)年、異国船打払令を緩和 していわゆる天保の薪水給与令を出し(後略)

とあり、欧米列強の進出によって日本が開国、近代化へと向かっていったという流れで描いてい る。

日本の近代化について、対外関係や幕末の政局と関連付けて理解するということが問題なので はないが、しかしこうした描き方をすることで、開国や軍事・技術の近代化、さらに欧米列強を 範とする国内制度の整備は当然の帰結として理解され、結果的にそこで目指された国づくりにど のような意味があったのか、つまり、近代国家になるとはどのようなことなのかということが、

生徒に十分に理解されない可能性がある。

『詳説日本史 改訂版』では、明治維新後の諸改革について、以下のような記述がなされてい る。

イ)第9章 近代国家の成立 2明治維新と富国強兵 廃藩置県

 新政府は藩制度の全廃をついに決意し、(中略)廃藩置県を断行した。すべての藩は廃止されて府 県となり、旧大名である知藩事は罷免されて東京居住を命じられ、かわって中央政府が派遣する府知 事・県令が地方行政にあたることとなり、ここに国内の政治的統一が完成した。(p.262)

ロ)第9章 近代国家の成立 2明治維新と富国強兵 廃藩置県

 近代的な軍隊の創設をめざす政府は、1872(明治5)年の徴兵告諭にもとづき、翌年1月、国民皆 兵を原則とする徴兵令を公布した。これにより、士族・平民の別なく、満20歳に達した男性から選抜 して3年間の兵役に服させる統一的な兵制が立てられた。(p.264)

ハ)第9章 近代国家の成立 2明治維新と富国強兵 四民平等

 国内統一と並行して、封建的身分制度の撤廃も進められた。(中略)いわゆる四民平等の世になっ た。(中略)1872(明治5)年には、華族・士族・平民という新たな族籍にもとづく統一的な戸籍編 成がおこなわれた(壬申戸籍)。これらの身分制改革によって、男女の差別はあったが、同じ義務を もつ国民が形成された。(p.264)

ニ)第9章 近代国家の成立 2明治維新と富国強兵 地租改正

 こうして地租が全国同一の基準で豊凶にかかわらず一律に貨幣で徴収され、近代的な租税の形式が

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整って、政府財政の基礎はいったん固まった。(p.266)

ホ)第9章 近代国家の成立 2 明治維新と富国強兵 文明開化

 教育の面では、1871(明治4)年の文部省の新設に続いて、翌72(明治5)年に、フランスの学校 制度にならった統一的な学制が公布された。政府は、国民各自が身を立て、智を開き、産をつくるた めの学問という功利主義的な教育観をとなえて、小学校教育の普及に力を入れ、男女に等しく学ばせ る国民皆学教育の建設を目指した。(p. 269〜270)

ヘ)第9章 近代国家の成立 2明治維新と富国強兵 文明開化

 明治維新の変革は、宗教界にも大きな変動を引きおこした。1868(明治元)年、政府は王政復古に よる祭政一致の立場から、古代以来の神仏習合を禁じて神道を国教とする方針を打ち出した(神仏分 離令)。そのため全国にわたって一時廃仏毀釈の嵐が吹き荒れたが、これは仏教界の覚醒をうながす ことにもなった。政府は1870(明治3)年に大教宣布の詔を発し、また神社制度・祝祭日などを制定 し、神道を中心に国民教化をめざした。(p.270)

ト)第9章 近代国家の成立 2明治維新と富国強兵 明治初期の対外関係

 琉球王国は、江戸時代以来、事実上薩摩藩(島津氏)に支配されながら、名目上は清国を宗主国に するという複雑な両属関係にあった。政府はこれを日本領とする方針をとって、1872(明治5)年に 琉球藩をおいて政府直属とし、琉球王国の尚泰を藩王とした。しかし、宗主権を主張する清国は強く 抗議し、この措置を認めなかった。

 1871年に台湾で琉球漂流民殺害事件が発生した。清国が現地住民の殺傷行為に責任を負わないとし たため、軍人や士族の強硬論におされた政府は、1874(明治7)年に台湾に出兵した(台湾出兵)。

これに対し清国はイギリスの調停もあって、日本の出兵を正当な行動と認め、事実上の賠償金を支 払った。ついで1879(明治12)年には、日本政府は琉球藩および琉球王国の廃止と沖縄県の設置を強 行した(琉球処分)。(p.273)

チ)第9章 近代国家の成立 2明治維新と富国強兵 明治初期の対外関係

 幕末以来ロシアとのあいだで懸案となっていた樺太の帰属については、日本は北海道の開拓で手 いっぱいであったため、1875(明治8)年、樺太・千島交換条約を結んで、樺太にもっていたいっさ いの権利をロシアにゆずり、そのかわりに千島全島を領有した。また、欧米系住民が定住していた小 笠原諸島へは幕府が1861(文久元)年に役人を派遣して領有を確認したが、その後引き揚げていたの で、1876(明治9)年、内務省の出張所において統治を再開した。このようにして、南北両方面にわ たる日本の領土が国際的に確定された。(p.274)

リ)第9章 3立憲国家の成立と日清戦争 条約改正

 旧幕府が欧米諸国と結んだ不平等条約の改正、とくに領事裁判権(治外法権)の撤廃と関税自主権 の回復は、国家の独立と富国強兵をめざす政府にとって重要な課題であった。

 岩倉具視・寺島宗則の交渉失敗のあとを受け継いだ井上馨外務卿(のち外務大臣)は、1882(明治 15)年、東京に列国の代表を集めて予備会議を開き、ついで1886(明治19)年から正式会議に移っ た。その結果、1887(明治20)年には、日本国内を外国人に開放する(内地雑居)かわりに、領事裁 判権を原則として撤廃する改正案が、欧米諸国によって一応了承された。

 しかし、領事裁判権の撤廃に関しては、欧米同様の法典を編纂し、外国人を被告とする裁判には過 半数の外国人判事を採用するという条件がついていた。政府部内にもこれらの条件は国家主権の侵害 であるという批判がおこり、井上が交渉促進のためにとった極端な欧化主義に対する反感とあいまっ て、改正交渉に反対する政府内外の声が強くなり、井上は交渉を中止して外相を辞任した。

 そのあとを受けた大隈重信外相は、条約改正に好意的な国から個別に交渉を始め、アメリカ・ドイ

(10)

これらの内容を理解するためには、近代国家がどのようなものかという視点が不可欠である。

の廃藩置県については、「ここに国内の政治的統一が完成」とあるが、欧米の近代国家が国 内の統一的支配を前提に成立していることと関連付けると理解しやすくなる。

の徴兵令・国民皆兵や、の封建的身分制度の撤廃は、「同じ義務をもつ国民が形成」とあ るように、等しく自らの国を守る義務を負わせることで「国民」としての意識を持たせるという 形で教授すると分かりやすくなる。さらに、の国民皆学や、の神道国教化も、「国民」であ ることを教育し、さらに天皇制のイデオロギーによって「国民」を天皇の下に位置付けようとし たという形でまとめることができる。

の地租改正は、徴税機構の安定化によって国内の統一的支配を行うための中央政府とその官 僚制を支えるという視点から捉えることができる。

の琉球処分と、の樺太・千島交換条約や小笠原の領有は、近代国家が明確に「国境」を画 定する必要があることから行われたことである。

の条約改正は、明治政府が幕末に旧幕府が結んだ条約の不平等性を強調し、その改正を図る ことで、明治政府の正統性を確保するという意味合いがあった。しかし不平等条約については、

内容を説明されれば感覚的には不平等であることは認識できるものの、それでは列強との国力の 差がある中で不利な条件の条約を結ばされてしまったという程度の理解にとどまってしまう。不 平等条約の問題点は、国内における主権が制限されるという近代国家の本質に関わる問題である ということを理解させる必要がある。条約改正交渉において外国人判事の任用が問題とされたの も、この点が分かっていなければ何が問題とされたかについて本質的には理解できないことにな る。そのため、主権について授業においてしっかりと扱う必要がある。

ツ・ロシアとのあいだに改正条約を調印した。しかし、条約正文以外の約束として大審院への外国人 判事の任用を認めていたことがわかると、政府内外に強い反対論がおこった。大隈外相が対外硬派の 団体玄洋社の一青年により負傷させられた事件(1889〈明治27〉年)を機に、改正交渉はふたたび中 断した。

 条約改正の最大の難関であったイギリスは、シベリア鉄道を計画して東アジア進出をはかるロシア を警戒して日本に対して好意的になり、相互対等を原則とする条約改正に応じる態度を示した。そこ で青木周蔵外相が改正交渉を開始したが、1891(明治24)年の大津事件で辞任した。

 その後、第2次伊藤内閣の外相陸奥宗光は、自由党の支持によって国内の改正反対の声をおさえ、

日清戦争直前の1894(明治27)年、領事裁判権の撤廃と関税率の引下げ、および相互対等の最恵国待 遇を内容とする日英通商航海条約の調印に成功した。

 ついで他の欧米諸国とも改正条約が調印され、1899(明治32)年から同時に施行された。残された 関税自主権の回復も、1911(明治44)年に小村寿太郎外相のもとで達成された。こうして開国以来半 世紀を経て、日本は条約上列国と対等の地位を得ることができた。(p.287)

※下線筆者

(11)

4.現行の授業の問題点

前節でみたように、検定教科書においては近代国家の定義が十分になされていないか、なされ ていても、近代化にともなう個別の歴史的事象に位置づけを与える形になっていない。そのため 現行の歴史の授業においては、歴史的事象の中身を丁寧に説明することが中心になっており、な ぜその事象が授業において扱われるのかといったことを生徒が意識することが難しくなってい る。

例えば日本史の授業において明治政府による諸改革について扱う場合、一世一元の制、廃藩置 県、徴兵令、四民平等、教育制度、神道国教化、領土の確定、条約改正などについてその内容を 教えることが中心になり、内容を正確に理解させることはできたとしても、これらの改革が近代 国家を建設する上でなぜ必要だったのかという話にはなりにくい。そうなると、例えば条約改正 であれば、それぞれの時期に改正を試みた中心人物と目指した改正内容などを順番に理解し、覚 えていくという形の授業になりがちである。しかも大学入試においても、条約改正に主権の確立 という意義があったということを問う問題よりも、改正交渉の過程を正確に理解できているかを 問うような問題が多く出題されることから、授業もそれに対応したものとなり、暗記型になりが ちである。入試改革や入試と授業の関係について論じることは本稿の趣旨とはずれるので言及し ないが、歴史教育が事象の羅列を細かく覚えていくことを目指すものではない以上、少なくとも 授業においては、何のためにそれぞれの事象を学んでいるかということに自覚的になることを目 指すべきであろう。そこで、近代国家の定義から近代化の過程を理解させることを目指すため仕 掛けが必要となってくる。

第2章 アルザス・ロレーヌ地方を素材とした近代国家に関する授業実践

第1章でみたように、中学校の歴史教育では、近代国家において「国境」「主権」「国民」とい う三要件がいかに重要であるかということを、具体的かつ直感的に理解できるような授業を展開 することが求められる。高等学校の世界史では、教科書の中に散らばる近代国家に関する理論を 有機的に結合させ、さらには日本を含めた後発の近代国家における国づくりについて、理論的に その必然性を理解できるようにするためにも、近代国家の特質を直感できるような授業が求めら れる。また、高等学校の日本史においても、近代国家の定義や理論に関する記述が教科書にほと んどない中で、明治維新後の国内の統一や「国民」の創出、国境の確定や主権の確立について理 解させる必要があることから、近代国家の特質について授業では扱う必要がある。

そこで本章では、近代国家の特質について生徒に理解させるための、アルザス・ロレーヌ地方 を素材とした授業実践について検討したい。

1.なぜアルザス・ロレーヌ地方か

アルザス・ロレーヌ地方は、フランスとドイツの国境地域に位置し、現在はフランス領となっ ている。この地域の帰属をめぐっては、歴史的に様々な変遷を経てきた。

ローマ帝国の版図に組み込まれていたアルザス地方には、4世紀にゲルマン系のアラマン人が 侵入し、以後、現在に至るまで彼等がアルザスの主要民族となった。ゲルマン民族の大移動の

(12)

後、アルザスはフランク王国に編入されるが、カール大帝の死後、フランク王国が分裂する中 で、メルセン条約によってアルザスは東フランク王国の支配下に入る。そして神聖ローマ帝国に 属する形となる。しかし三十年戦争の結果、1648年のウェストファリア条約でフランスがアルザ スを獲得した。その後、ドイツ統一を主導するプロイセンのビスマルクは1870年、スペイン王位 継承問題を契機にエムス電報事件をでっちあげ、フランスの宣戦布告を引き出して普仏戦争に持 ち込んで勝利した。その結果、アルザスはドイツ領となる。ロレーヌ地方もまた、神聖ローマ帝 国とフランスの間で帰属が行き来したが、普仏戦争の結果、一部がドイツに併合された。ドイツ は、普仏戦争を通して国民国家としてのドイツ帝国を形成した。一方、フランスではアルザス・

ロレーヌの喪失にもとづく対独報復のナショナリズムが高まった

その後、第一次世界大戦でドイツが敗れたことで、1919年のヴェルサイユ条約でアルザス・ロ レーヌ地方は再びフランス領となる。第二次世界大戦に際して、1940年〜45年にかけてドイツが 占領するも、戦後、再びフランス領となって現在に至る。

以上のように、アルザス・ロレーヌ地方はドイツとフランスという大国の間で、歴史上その帰 属をめぐって揺れ動いてきた。しかもその過程で、双方のナショナリズムが喚起されてきたので ある。

こうした中でアルザス・ロレーヌ地方の人々は、ドイツ、フランスそれぞれの「国境」の内側 に取り込まれる度に、どちらかの「国民」として生きていくことになった。元来、言語も含めて ゲルマン系の文化とラテン系の文化の境界にあたり、双方の文化が混じりあう地域であったが、

近代国家は排他的に国民を囲い込む性質を有することから、両属的な立場をとることができず、

近代以降は国境線の変更の度にアイデンティティそのものを問われることになった。

このような歴史的背景を有し、近代国家の枠組みに容易には当てはまらない中で、その矛盾を 抱え込んできた地域だからこそ、アルザス・ロレーヌ地方を素材とすることで、生徒にとって自 明のものであった近代国家の姿が、強烈に浮かび上がるような授業を展開することが可能である と考えられる。

2.アルフォンス・ドーデ「最後の授業」

アルザス・ロレーヌ地方の歴史から近代国家のあり方を考えさせる授業を展開する上で、格好 の教材となるのがアルフォンス・ドーデの「最後の授業」である。パリの新聞『レヴェヌマン』

紙に1872年5月13日に掲載されたもので、後に彼の同様の小説とあわせてまとめられ、短篇集

『月曜物語』の冒頭に収録された。物語は、以下のような内容である。

アルザス地方に住む少年フランツがある朝学校へ行くと、村人たちも教室に集まっている。普 仏戦争でフランスがプロイセンに負けてアルザス・ロレーヌ地方はドイツ領となったため、フラ ンス語の授業が禁止されることになり、この日がフランス語での最後の授業だった。アメル先生 も、40年間にわたって教壇に立ち続けたこの地を去ることになっている。鉄の定規を持ち、いつ もは怖いアメル先生も、この日は優しい。フランツはフランス語を真面目に勉強してこなかった ことを後悔する。アメル先生はフランス語の素晴らしさを語り、民族が奴隷になっても国語を保

(13)

ち続けなければならないと述べる。そして最後に、「フランスばんざい!」と板書し、最後の授 業は終わりを迎える。

この作品は、訳者の桜田佐が岩波文庫の本作の解説の中で、「幼な心に映じた敗戦国の悲哀と 愛国の熱情を描いた名編として、早くからわが国の少年読物にも紹介された」10と述べるように、

普仏戦争での敗戦によりフランスからドイツに割譲されることになったアルザスの人々が国語を 奪われる悲しい物語として解釈され、国語教育の教材として利用されてきた。

しかしこの作品の背景を考えると、別の見方ができる。そもそもアルザスはゲルマン的世界と ラテン的世界の境界に位置し、先述のようにドイツとフランスの間で何度も帰属が変わってきた 地域である。さらに、アルザス地方の多くの人々が使用しているアルザス語は、ゲルマン語系の アラマン語がもとになっており、フランス語よりもむしろドイツ語に近い言語である。

つまりこの話は、フランス語を母語とする人々が敗戦によって母語を奪われる物語ではないの である。後述するように、この作品にはフランツたちアルザスの人々が、フランス語ができない ことを示す表現が多くある。彼等は日常生活では母語であるアルザス語を使っているのであろ う。そしてアメル先生は、フランス語ができないアルザスの人々を「鉄の定規」をもって教化 し、「フランス国民」にしていく使命をもって送り込まれた人物であるといえよう。

では、なぜこのような作品が生まれたのだろうか。そこには、作者であるアルフォンス・ドー デと、当時のフランスの人々の意識が関係している。ドーデは南仏ニーム出身の作家であるが、

普仏戦争に際して義勇軍として参加している。また、当時のパリ市民の間でも対独報復ナショナ リズムとアルザス・ロレーヌ奪還を希求する世論が盛り上がっていた。そうした中で、「最後の 授業」をはじめアルザス・ロレーヌを舞台とする一連の小説を『レヴェヌマン』紙上に発表した のがドーデだったのである11。そのため、歴史的経緯やアルザスの言語状況はほとんど顧慮せず に、アルザスの人々は憎きドイツにフランス語を奪われたかわいそうな人々であるという構図に 落とし込んだ本作が生まれたということになる。

教科書の定番だったこともあり、以上のような本作の「問題点」について、徐々に批判的見解 が示されるようになっていった。国語教材としての「最後の授業」の扱われ方とそれへの批判に ついては府川源一郎が詳述しているが12、教材としての「最後の授業」にとって決定的だったのが、

田中克彦による『ことばと国家』(岩波新書)である。田中はこの中で、以下のように述べる。

アルザスの土着の人のことば、すなわちアルザス・ドジン語はまぎれもないドイツ語の方言 である。それをドーデは、「ドイツ人たちにこう言われたらどうするんだ。君たちはフラン ス人だと言いはっていた。だのに君たちのことばを話すことも書くこともできないではない かと」というふうにアメル先生に言わせているのである。いったい自分の母語であれば、書 くことはともかく、話すことができない0 0 0 0 0 0 0 0 0などとはあり得ないはずだ。だからこの一節は、こ の子たちの母語がフランス語でないことをあきらかにしている。アメル先生は、ドジンのこ とばを美しいフランス語にとりかえるための人だったのだ。そうであれば、「ある民族がど れいに落とされても、その言語を保っていさえすれば、牢獄の鍵を握っているにひとしい」

というアメル先生のお説教は、自分たちすなわちフランス人に言うべきであって、いま自分

(14)

たちから解放されていこうとするどれいに言ってはそぐわないのだ13

さらに、この作品が国語教育において利用されてきたことについて、次のように批判する。

奇妙なことは、「最後の授業」は、まさに日本のアジア侵略のさなかに、「国語愛」の昂揚の ための恰好の教材として用いられたということだ。その国語愛の宣揚者たちは、たとえば朝 鮮人の「国語愛」には思いもよらなかったのである。しかしこの奇妙さは、言語的背景であ るアルザスに朝鮮を、フランスに日本を入れかえれば一挙にして消え去るのである。日本の アメル先生にとって、朝鮮人は皇民であったのだから。このように考えをすすめていくと、

「最後の授業」の母国語愛がどのような性質のものであったかがありありと姿をあらわして くるであろう14

こうした批判から、「最後の授業」は1986年度版以降の国語教科書から姿を消すことになった15

3.「最後の授業」を利用した授業実践

前節でみたように、「最後の授業」は歴史的背景が複雑な作品であり、国語教材としては、登 場人物に自己を投影させて──それがアメル先生であってもフランツ少年であっても──、安易 に「国語愛」や「愛国心」を育むものとして読んだり、単に「戦争の悲惨さ」について考えさせ る材料にするには問題がある。

しかし、こうした問題を孕んでいるからこそ、歴史教材としては考察させる意味がある作品で あるといえる。第1章でみたように、近代国家の中でそれを自明のことのようにして生きている多 くの生徒にとって、教科書の記述だけでは近代国家や近代化のための諸政策について深く理解す るのは容易ではない。そこで、近代国家のあり方について具体的な文脈の中で直感的に理解させ ることが授業において求められる。「最後の授業」は、その際に好適な教材であると考えられる。

次に示すのが、その授業展開と留意点である。

《授業展開》

Ⅰ)最初の発問と作業

①アルフォンス・ドーデ「最後の授業」(桜田佐訳、岩波文庫版)を配布し、まずは個人 で読ませる

②最初の発問「この作品を通してドーデは、どんなことが言いたいのだろうか?」

③グループで話し合いをさせる

Ⅱ)発表と解説

④グループごとの発表と講評

⑤解説

Ⅲ)さらなる探究

⑥解説を聞いた上で、さらに調べて考察

「アルザスの人々にとって、ドイツ・フランスとはどのような存在なのか?」

「アルザスの中心都市ストラスブールが『ヨーロッパの首都』と呼ばれるまでになっ たのはなぜか?」

(15)

⑦成果物の作成

《留意点》

② ・

何をすればよいかイメージが湧かない生徒には、「アメル先生は、フランツたちにとっ てどのような先生だったか?」といったことを聞く。その際に、「厳しいけれど実は生 徒思いの先生」といった「道徳的」なことを聞いてるのではなく、アメル先生の立場な ど、社会的な考察をしてほしいことも伝える。

③ ・「普仏戦争でフランスが敗れたことでアルザスがドイツに割譲されることを描いている」

というところまでは、生徒の認識をもっていきたい。

  ・

話し合いの中で、フランツたちがふだん使っている言葉はフランス語ではないというこ とに気付くグループが多いようであれば、解説をする前に、この作品の問題点について も議論させる。その際、気付いておらず話し合いがうまく進んでいないグループには、

「作品を読んでいて、不自然だと思うところはないか?」という糸口を与える。

  ・

インターネット上には、「最後の授業」の問題点などについて触れたサイトも多く見ら れる。スマートフォンや

PC

等を使用させて授業を展開すると、それらを見つけて「解 答を得た」つもりになる生徒も多いが、その情報を踏まえてさらに深い探究を行うよう に指示する。実際、インターネット上の情報には時代背景や問題点についての指摘は多 く見られるが、アルザスの圧倒的多数の人々がドイツへの帰属を望んでいたわけではな い16ことなど、この地域を取りまくさらに複雑な状況や帰属意識の問題についての情報 は多くないので、インターネットで調べた上でも議論すべき内容は多い。

④ ・講評において、本文中の以下の部分が注目できることを指摘する。

「フランス語の最後の授業!……

それだのに私はやっと書けるくらい!ではもう習うことはできないのだろうか!この ままでいなければならないのか!」

「今あのドイツ人たちにこう言われても仕方がありません。どうしたんだ、君たちは フランス人だと言いはっていた。それなのに自分の言葉を話すことも書くこともでき ないのか!」

「オゼール老人がめがねを掛け、初等読本を両手で持って、彼らと一しょに文字を拾 い読みしていた。彼も一生懸命なのが分かった。」

⑤ ・

以下の【解説レジュメ】を利用して講義。世界史B受講者に対しては、フランク王国の 分裂や神聖ローマ帝国の国家構造などについては復習程度の説明をする。世界史Bを受 講せずに日本史を受講している生徒については、領邦国家や主権国家体制について丁寧 に説明する。中学生の場合は、受講生の年齢や学力によっては、抽象的な事項はあまり 触れずにアルザス地方の帰属の変遷をイメージとして分からせる程度に留める。

⑥ ・

基本的な問題点を理解した上で、さらに深い考察をうながす。解説を行った上で「最後 の授業」を読み返すと、「アルザスはかつてドイツ領であり、アルザスの人々はフラン ス語が話せないということを隠蔽して、フランスへの愛国心を煽るような内容に仕立て

(16)

上げている」という感想を持つ生徒が多い。しかしそれでは、アルザスはドイツかフラ ンスのどちらに帰属すべきかという、アルザスの独自性を無視した議論になってしま う。そこで、「アルザスの人々はゲルマン系の言語を話しているからドイツに帰属する 方がよい」といった単純な見方を越えて、ドイツやフランスに帰属することが自明であ るわけではないアルザスの独自性や、国民国家が孕む矛盾、国民国家を越えた欧州統合 にまで目を向けられるようにすることを目指す。

  ・

手掛かりが掴めない生徒には、欧州統合の歴史について、図書館やインターネットで調 べさせ、なぜストラスブールに欧州連合の諸機関が置かれているか考えさせる。

おわりに

本稿では、近代国家のあり方や、近代化のための諸政策の位置付けについて、生徒に深い理解 を促すために、「最後の授業」を用いた授業実践について提起した。この作品の問題点を指摘す る中で、近代国家についての理解を深めることを目的としているが、さらにそこから、ヨーロッ パ統合の中でアルザス・ロレーヌがどのように変化しているかという点にも注目して生徒の考察 を促すことで、近代国家そのものを相対化する視座を涵養することにもなると考えられる。しか しそのためには、アルザスとロレーヌの差異や、アルザスの中でのストラスブールの特異性など にも目を向けなければならない。今後はそうした点について検討していきたい。

《参考文献》

・木畑洋一「世界史の構造と国民国家」(歴史学研究会編『国民国家を問う』青木書店、1994)

・田中克彦『ことばと国家』(岩波新書、1981)

・谷川稔『国民国家とナショナリズム』(山川出版社、1999)

・手塚章・呉羽正昭編『ヨーロッパ統合時代のアルザスとロレーヌ』(二宮書店、2008)

・ドーデー作・桜田佐訳『月曜物語』(岩波文庫、1936)

・府川源一郎『消えた「最後の授業」言葉・国家・教育』(大修館書店、1992)

・『内外教育』6555号(時事通信社、2017年)

(17)

【解説レジュメ】

(18)

1 [木畑1994]

2 それぞれ、『詳説世界史』・『詳説世界史改正版』、『詳説日本史』『詳説日本史改訂版』をあわせた 占有率。『内外教育』6555号(時事通信社、2017年)による。

3 「フランスでは、17世紀の後半、国王ルイ14世の時代に絶対王政を最も強めました。ところが、国 王は、戦争や宮殿の建築などに浪費を続けたため、財政が厳しくなり、国民の負担も増えました。」

p.

133)〈下線筆者〉、「国王と貴族中心の政治が続いていたフランスでは、1789年、財政を立て直 すために、聖職者・貴族・平民という三つの身分の代表による議会が開かれました。しかし、平 民の代表は、自分たちこそが国民の代表であると主張し、国民議会を作りました。」(

p.

135)〈下 線筆者〉、「19世紀の中ごろには、ヨーロッパ各地で国民の権利の拡大を求める革命が起こりました。

その後、さまざまな制限はありましたが、選挙による議会を通して、しだいに国民の声を政治に 反映させようとする動きが進みました。」(

p.

137)〈下線筆者〉、「1873年に徴兵令を発布しました。

満20歳となった男子に、士族・平民の区別なく兵役を義務づけることで、武士に代わり、国民が 主力の軍隊としました。しかし、この改革は、士族の特権をうばうものとして、彼らの反発を招 いたほか、国民に新たな負担を強いることにもなったため、徴兵に反対する動きが各地で起こり ました。」(

p.

160〜161)〈下線筆者〉

4 さらに、三十年戦争を終結させたウェストファリア条約が「ヨーロッパの主権国家体制の確立を 示す」と記述する。

5 『詳説世界史改訂版』

p.

299〜300

6 フランス革命の「記憶」の利用について、谷川稔は次のように述べる。

「一八八〇年代のフランスは、大革命百年祭にあわせてパリ万博が計画されたのをはじめ、国民意 識の高揚がさまざまの分野ではかられた時期であった。たとえば、一八七九年にラ・マルセイエー ズが国歌とされたのを受け、一八八〇年には「七月十四日」が国民祝祭日(建国記念日)に定め られた。ラ・マルセイエーズは革命戦争時の義勇軍を鼓舞した軍歌であり、七月十四日はいわず と知れたバスティーユ襲撃の日である。議会主義共和派が左右の批判にさらされながら、自らを フランス革命の正統的後継者と位置づけ、「単一にして不可分の共和国」のシンボル化をはかる第 一弾であった。(中略)一八八九年の大革命百年祭は、こうした「歴史的記憶の動員」の白眉であっ た。(中略)フランス革命百年祭にみられる一連のセレモニーは、文字どおり建国神話の創出と形 容できるだろう。」[谷川 1999]

7 『詳説日本史 改訂版』

p.

249 8 『詳説日本史 改訂版』

p.

251 9 [谷川 1999]

10 [桜田 1936]

11 [府川 1992]、[谷川 1999]

12 [府川 1992]

13 [田中 1981]

p.

125〜126 14 [田中 1981]

p.

127 15 [府川 1992]

16 ドイツよりもフランスの文化や政治体制に共感を寄せる住民も多数おり、1872年9月まで適用さ れた国籍選択条項により、住民のおよそ9%がフランス国籍を選択し、アルザスを去った。[谷川  1999]

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