特集/グローバル社会との接点
企業のグローバル化戦 略
‑ものづ くりの国際経 営 ‑
田 中 則 仁
要 旨
グローバル化が進展す る中で、企業の国際経営戦略 を ものづ く りの 観 点か ら考察 した。戦後 の 日本企業 、特 に製造業 にお いては、戦後 の 早い段 階か ら生産性 向上、晶質改善 に取 り組 んできた。 その過程 で、
諸外国の先端技術 を移転 し学びなが ら、自社の創意工夫を加味 していっ た。 とくに製造 の要 となる工作機械 では、 日本 の機械業界が真剣 に追 いつ き追い越 しを図った。 日本企業 の製 品には次第 に高い信頼性 が寄 せ られ 、品質 にお けるブ ラン ドカ を持つ にいたった。 しか しア ジア諸 国の台頭 に よる、当該製 品市場での厳 しい価格競争 か ら、アジアや欧 米で現地生産 を開始 し、国際経営の視点か ら生産拠 点配置戦略 を立て てきた。 日本 国内か らの生産部 門の移転 を機 に、蓄積 された ものづ く りの技術や職人芸が失 われつつ ある。 グローバル社会 での 日本企業 の ものづ く りを、拠 点再配置や人材 育成 か ら考察す る。
キー ワー ド :国際経営、経営戦略、工作機械 、 ものづ く り、職人芸、
技術移転、企業環鏡
国際経営フォーラムNo.21
1
はじめに2009年12月 に発売 され、2010年上半期 の総合ベ ス トセ ラー上位 になったライ トノベル の書籍 が あ る。 『も し高校 野球 の女子 マネー ジャーが ドラ ッカー の
「マネ ジメン ト」 を読んだ ら』 とい う書名 で略称 は 『も し ドラ』 と呼ばれ る。 出版元のダイヤモ ン ド社 は2010年 7月 には100万部 を発行 した とい う。 1 ドラ ッ カーの 『マネジメン ト
』
2の内容 を、高校 の野球部 の運営にあてはめた題材 で ある。表紙 と中の一部にキャラクターの絵が入ってはいるものの、内容はいたっ て真面 目であるO女子マネージャーが偶然入手 した同書 を、 甲子園大会 出場 を 目指す野球部の管理運営に用いて改革 を図るとい う論 旨である。2009年が ドラッ カー生誕100年 で あ り、長年 の研 究 と多 くの著作、GMの組織 改革 を実践 したことな どか ら、再評価 がお こった。実務 に精通 し、常に理論 と実践 を念頭 にお いていた ドラ ッカーが存命 であれば、『も し ドラ
』
はわが意 を得 た りとい う心 境であったろ う。 ドラッカーをは じめ とす る欧米 の研 究者 の理論 と実践の手法 は、 日本企業に新鮮 な息吹をもた らした。 グローバル社会 との接点は、先ず 日 本企業の経営者 に大きな意識改革 と価値観 の転換 を迫 った。日本が戦後、経済復興 を してい く中で、諸外国 との さま ざまな接点 を築 き、
成長 に必要 と考 え られ ることは積極的に取 り入れてきた。戦後アジアの諸国の 中では、天然資源 に乏 しく、最 も経済成長 の可能性 が低い とされた 日本が、 こ れだけの経済成長 を成 し遂げた ことはま さに奇跡 であった。 しか しその背景 に は、皮 肉な巡 り合わせ ではあるが、敗戦 と戦災 によるところが多かった ともい えよ う。戦後の経済民主化政策で、財閥は解体 され、労働 の民主化 が実現 し、
自作農が創設 された.公職追放で多 くの政治家、高級官僚、年配 の経営者が一 掃 された。一方、当時40歳代か ら50歳代の活力 ある人材 が官公庁 の要職、企業 の経営者や役員 に抜擢 され、経営理念や組織文化 のパ ラダイム転換 を可能 に し た。終戦 を境 に、それまでの価値観 が根底か ら覆 り、新たな方向性が模索 され
l岩崎夏海著 『も し高校野球 の女子マネー ジャーが ドラ ッカーの 「マネ ジメン ト」 を読 んだ ら』 ダイヤモ ン ド社、2009年初版0 2010年6月2日付 け トーハ ン調 べ では、2009年12月か ら 2010年5月末までの2010年 上期総合ベ ス トセ ラーの4位 で ある0
2 参考文献 (20) ドラ ッカー (1973)
特集 企業のグローバル化戦略
た。すべ ての考 え方が変化 した とい うことではないが、少 な くとも従来の価値 観 に とらわれない 自由で柔軟 な発想や思考が生まれてきた。何事 にも挑戦 し、
何でも試 してみ るとい う気風が、企業の再生 と成長に とって大きな活力源 になっ た。 グローバル化 の流れは、単に海外 との接点 とい うだけではない。人 々の価 値観 の広 が りとその可能性ができた ことこそ、本質的な意味でのグローバル化
の産物 といえよ う。
また第二次世界大戦 中の空襲 によ り、 日本各地の主要都市で当時 としては最 新鋭 の工場や最先端の機械が被災 した。そのため製造業の各企業 は、 旧式の機 械 に頗 ることもできず、わずかな外貨事情のなかで、欧米の機械 を輸入 し、そ れ らを使 い こな してい くことが至上命題 になった。 日本 では古 くか ら優れた職 人芸があ り、ものづ くりの伝統がある。製鉄技術では玉鋼 (たまはがね)のた た ら製鉄 な ど刀剣や大工道具 な どで、今 に伝 わる高度 な技術 の片鱗 を垣間見 る ことができる。それ らの技術 の さらに元 をた どれば、おそ らく朝鮮半島を通 じ て、中国や シル クロー ドに遡 ることもできよ う。 しか し本稿 では、戦後 日本 の 経済発展過程の中で、 日本企業が どの よ うに して当時最新鋭 の技術 を導入 して ものづ くりを進 め、国際市場 での 日本製品を提案 していったかを検証す る。 日 本企業のグローバル社会 との接点 を、 ものづ くりの視点か ら再考 してい く。
2 ものづ くりの伝統
近代経営の さま ざまな手法が考案 され、 日本 にもいろいろな理論や手法が導 入 されてきた。その中で も 日本生産性本部の生産性 向上運動 は、 日本企業の も のづ くりに多大 な貢献 を果た した
。
3詳細 は下記論文 で既述 で あるが、デ ミン グ博士の統計的手法 によ り、欠陥品の発生 を調べ、その原 因究明 と再発防止 に 現場が取 り組む とい う小集団活動の原点が形成 された。 1941
年 の コ‑ リン ・ク ラー クの産業分類、 あるいはペテ ィ‑クラー クの法則 では、第1次産業か ら進 化 し発展 した第2次産業 とい うマ クロ的な産業組織論 の観 点 を提示 している。日本 にお ける生産性 向上運動は、産業の進化 とい う流れ ではな く、 ものづ く り
3 参考文献 (28)田中則仁 (2010)
国際経 営フォーラムNo,21
としての製造業 を根本的に改善す ることになった。戦後の企業家は新 しい手法 に関心を示 し、 トップダ ウンで この運動 を現場 に取 り入れていった。 この柔軟 で意欲的な経営者の積極進取の気性が、 日本経済にとって最大の経営資源であっ た。一方、同業他社が先駆 けた時、バ スに乗 り遅れ るな とい う追従的な感覚の 経営者 も少な くはなかったであろう。 しか し当時の経営者 たちの、少 しで も成 長 し発展 しよ うとい う方 向性 とエネル ギーのベ ク トルが一致 し、成長志向の 日 本 の企業風土が形成 されていったのである。製造業の現場では、技術者 は もと よ り職人 としての高い意識 をもった人々が、新 しい技術 にも積極的に取 り組 ん で、欧米企業の技術水準に挑戦 していった。 この先端技術 に追いつき追い越そ
うとい う強い意欲が、産業界全体の技術水準 を押 し上げていった。
戦前戦 中の昭和初期 では、 日本の製造業では軍需産業が大 きな割合 を占めて いた。技術開発や最新鋭 の機械が造 られ、その技術水準は当時の世界的な レベ ルであった。海軍の軍艦造船技術 は、設計製造 はもとよ り、船舶 では一番重要 な溶接 にいたるまで、世界最高水準にあった。戦後、 この高度 な造船技術 が民 生利用 され、 日本 の造船業の飛躍的な発展 と、その輸 出による外貨獲得 に多大 な貢献 を した。鋼鉄造船では、船体、舶用機 関 と脹裳の三点に分 け られ、 日本 の造船業は1
960
年代か ら70
年代にその競争力 を誇 った。舶用内燃機 関では長 らく ドイツの企業が競争優位 を持 っている
。 1 980
年代後半か ら韓国の造船業が技 術 を高め、1990
年代 には西欧企業がシェアを減 らす 中で、韓国の造船業は世罪 市場で認知 されて発展 した。製造業では一般 に技術進歩が、機械化や 自動化 を もた らすが、造船業でなお一部の分野に限っては、大型船舶用のスク リュープ ロペ ラ研磨 な どにみ られ る、人 に蓄積 された技術が品質 を決 める要素 となって いる。しか し戦後の一般製造業では、 さま ざまな技術革新が進み、 自動化や高度化
‑の試みが進行 していった。次 に、機械 を作 る機械 といわれ る工作機械 に焦点 を当て、グ ローバル化 との接点 を考察す る。
2. 1
工作機械産業の技術導入過程( 1 956
年‑1 97 0
年)日本の工作機械産業は、1
945
年の終戦時点で、戦争 による壊滅 的な打撃 を受 け、ほ とん ど生産ゼ ロの状態が約1 0
年 にもわた り続いた。その間、細 々 とでは特集 企業 のグローバル化戦略
あったが徐 々に復興 してきた 日本の 自動車産業、電気機器産業 な どの機械工業 では、機械製造のための工作機械 は、海外か らの輸入工作機械 に頼 らざるを得 なかった。 日本の工作機械産業の復興は1
956
年以降の高度成長期か らであった。当時の通商産業省 は産官学共同の基礎技術研究 を積極的に推進 し、技術開発の 進展 を促 した。4
1 950
年代後半か ら60
年代 にか けての 日本経済 の発展期 に、工 作機械 の生産が徐 々に増加 し、各企業の技術 開発 が高まった。工作機械企業は 欧米企業か ら一流技術 の導入 を積極的に行 い、 この間の技術提携 は約60社、10 0
件 にのぼった。技術導入 の対価 は特許料 、技術 ノウハ ウな どの工業所有権等 の支払いな どで計上 され るが、 日本の産業界では1992
年 までいわゆる技術貿易 収支の支払い超過す なわち赤字が続いた。 1993
年以降は技術貿易収支が黒字化し、年 々拡大 してい る。 5
このよ うに設備 の近代化な ど業界 あげての努力 とともに、研 究所 の基礎技術 面か らの支援等 によ り、 日本の工作機械 は技術 の向上が著 しく進 んだ。戦前か らの技術蓄積の上 にさらに研究 を重ね、各企業の新製品開発が相次 ぎ、生産量 は増加 した結果
、1 970
年代 には西 ドイ ツ (当時)、アメ リカ、 ソ連 (当時) とともに、世界の4大生産国のひ とつ といわれ るよ うになった。
2. 2 NC
工作機械 を主力に成長( 1 976
年‑1 985
年)1 970
年代前半には、いわゆるニクソンシ ョック( 1 971
年)や第一一次石油危機( 1 973
年か ら)があ り、経済環境 が激変 して不況が続 いた。1 976
年 の工作機械 生産は、それまでの ピーク時であった1970
年 に比べで実質半減 し、販売条件が 悪化す るな どしたため、倒産が相次いで戦後最大の危機 をむかえた。不況下で は 自動車、家電 な どさま ざま機械製品‑の需要が減退す ると、ただちに影響 を 受 けるのが工作機械産業である。需要低下 を見越 した企業 は、機械設備 のなか で も工作機械 の発注 を見送 り、景気の回復 を待つ。 また一方で景気 の回復基調 が見込 める場合 は、いち早 く他社 に先駆 けて設備 の増強をお こない、工作機械 を発注 し増産 に対応す る。 このよ うに工作機械産業の動 向は、経済や景気の先 行指標 とい う意味 を持 っている。」 『日本 の工作機械産業』 p.10社団法人工作機械 工業会、1992年
5 『平成21年科学技術研 究調査』 p.24、国際技術交流 (技術貿 易)、総務省 、平成21年12月10日
国際経営フォーラムNo.21
い くつかの外部環境の変化 による厳 しい経済情勢 は数年間で次第に落 ち着 き、
1970年代後半か ら危機 を脱却できた企業が復活 し始 めた。 この契機 となったの がNC6 (数値制御)工作機械 である。 1952年 にアメ リカのマサチ ューセ ッツ工 科大学で発明 されたNC技術 は、いち早 く日本 にも紹介 され開発‑の取 り組み が着手 されたが、本格的な進捗が始まったのは1975年以降であった。第一次石 油危機 以降の顧客ニーズの多様化 に応 え られた こと、NC装置 のマイ クロコン ピュータ化 による機能拡大、装置の小型化、量産化 による低価格化で生産の増 加 が加速 された。NC工作機 は従来型 の機械装置 を操 る職人芸の よ うな微細加 工技術 を、穿孔テープに手順等 を記録 し動作に反映 させ る装置 とそれ を備 えた 機械 である。 これ によ り熟練工でな くともある程度の高精度 な製品を作 り出す ことを可能 に した点で、NC工作機械 はそれまでの技術 の延長 ではな く、画期 的で飛躍的な技術の出現であった。技術開発には過去の技術 か らの延長 で精度 を高め、よ り高度化 してい く技術進歩 と、前の技術 とは全 く異なる発想 での革 新的な技術進歩がある。 工作機械技術 にお けるNC工作機械 の登場 は、ま さに 革新的で飛躍的な技術進歩であった。 さま ざまな工具や旋盤 を駆使 して高い精 度 の製品を作 り出す職人芸 には、熟練の技があった。今 日でもその職人芸が残 る分野はあるものの、通常の製 品群 が要求す る程度 の精度 であれ ば、NC工作 機械 が十分 な製 品を製作できるよ うになった。熟練工の技 をNC工作機械 が習 得 し、次第 に精度 を高めていったか らである。
こ うして工作機械製造の現場 では、精度の向上 と安定化 が追及 され、 さらに NC工作機械 が 日本 の工作機械産業の中核製 品になっていった。 日本 の工作機 械産業は1981年 にはアメ リカに次いで2位 であったが、 1982年 か らは世界一 の
生産国になった。 1980年代 に入 ってか ら世界的な経済不況続 き、欧米の設備投 資需要が落 ち込んだ。そのため欧米の工作機械需要が落 ち込み、欧米の工作機 械企業が業績低迷 し、一方相対的に需要低下が少 なかった 日本 の工作機械産業 が売 り上げを伸ば した。 しか し日本 の工作機械企業各社が、機械産業のニーズ を見極 めて、顧客が期待す る適切 な新製品開発 を続 けたことが、 日本だけでな く世界の市場 に浸透 していった理 由であろ う。
6 NCはNumerlcalControlの略である。
特集 企 業のグローバル化戦略
この1
980
年代 はコンピュー タ技術 が飛躍的に発展 して時期 で もある。 トラン ジスタか ら集積 回路、そ して半導体‑ の進歩 と相まって、 コンピュー タの性能 が高ま り、NC工作機械 に も′J、型 で高性能化 した コンピュー タが搭載 され 、ま すます精度 を高 めていった。いつの時代で も共通す ることであるが、当該産業 の発展 はその分野だけの進歩 だけではなかなか うま く進 まない。NC工作機械 は機械 その ものの技術進歩だけでな く、半導体技術 の進展 とコンピュータの高 性能化 と小型化が同時期 に進 んだ こ とに よって初 めてNC工作機械 の本領発揮 となる製品が実現できたのである。技術分野のグローバル展開は、世界の様々 進んだ成果 を取 り入れ ることで、相互補完的になる組み合わせ技術 に要素を持っ てい るといえよ う。製造業のものづ く りにおいては、 この よ うにグローバル社 会 との接点はむ しろ当然のことである。製品市場 に国境がない よ うに、需要家 や消費者 はグローバル に存在す る。次 にグローバル市場 での課題 と取 り組み を みてい こ う。3
品質向上への挑戦グローバル市場 に進 出 しよ うとした 日本企業の課題 は品質であった0 1
95 0
年 代後半か ら輸出 されていった 日本製 品は多いが、海外市場 の消費者 には 目本製 品には、イメージは安かろ う悪かろ うとい うイメージがあった。 当時の 日本企 業の製造技術 では、欧米諸国の製品には品質面でまだ太刀打 ちで きる競争力は なかった。粗製乱造の粗悪品が輸 出 され、 日本製品のイ メー ジが定着 したので あった。映画の 『バ ック トウ‑ザフューチャー』7
で主演のマイケル・ J
・フォ ッ クスが1988
年か ら30
年前の195 8
年 にタイム トラベル し、発明家 の友人ブラウン 博士 にタイムマシンの修理 を依頼す る場面がある。ブ ラウン博 士が故障 した部 品が 日本製 であることか ら粗悪 品だな と指摘 した ことに対 し、マイケル・J・
フォ ックスが 日本製 晶は優秀だ と反論す るや り取 りがある。 これ は映画の一場 面であるが、 このや り取 りが一般のアメ リカ人の常識 であ り、 日本製 品に対す る共通の認識 であったことを示 してい る。 また粗悪品ではない ものの、一着 1
7 『バ ック トウ‑ザ フューチ ャー』 ステ ィーブ ン ・ス ピルバ ー グ製 作総指揮 、 ロバー ト ・ゼ メキス監督 、ユニ ヴァ‑サル映画、1985年
国際経営フォーラムNo.21
ドルで販売 されていた女性用のワンダラー ・ブラウスは、1
960
年代の 日本 の繊 維製品の輸 出を担 っていた製品である。 しか し日本企業の経営者 には、いっま で も安かろ うとい う製 品だけではな く、選 ばれ るだけの品質 をもった製 品を作り込まなければ とい う意識があ り、品質 に対す る向上心を支 えていった。
製品が競争優位 を持つには、いろいろな側面か らの差別化が可能である。通 常は、製 品差別化 、価格差別化 、サー ビス差別化 、ブ ラン ド差別化8な どがあ げ られ る。 同 じ程度の品質の製品であれば、価格競争 になることが一般的であ る。 その場合 には、品質の差がほ とん どな く、いずれの製 品であってもそ こか ら得 られ る効用 に違 いが認 め られない時に、価格 の違 いが意味 を持 って くる。
しか し近年、多 くの品揃 えがある ミネ ラル ・ウオー ターで も、含有物の差や味 の違いがあることか ら、水 とい う製品をとって も、単純 に価格差だけでの差別 化は難 しいのである。工業製品の中で も、部品点数が多い機械産業においては、
個々の部品の精度 を高め、それ らを組み合わせた完成 品の品質 をよ り高 く保つ ことが、選 ばれ る製品の基準 になる。 また部品 どうLを単純 に組みわせ るだけ では本来の性能 を発揮 しない場合があ り、技術者 と現場での製作 に携 わる職人 による技術のす り合わせがあっては じめて完成度 の高い製 品に仕上がるのであ る。 この事例 として、次 に 自動車産業 に焦点 を当てて考察 していきたい。
3. 1
自動車産業の品質向上日本 の 自動車産業では、 トヨタ 自動車9が1
957
年 に国産 自動車対米輸 出第一 号 としてクラウンを輸出 した。 当時のアメ リカはま さに資本主義国の繁栄 を謳 歌 してお り、 自動車産業はま さに国家の象徴的な産業であった。 そのアメ リカ 市場 に輸 出 した トヨタ 自動車のクラウンは 自動車 ジャーナ リス トの厳 しい評価 を受 けた。 自動車ジャーナ リス トが下 した結論 は、 日本の企業が輸 出 してきた 自動車の よ うな物 は、低価格 (Cheap price)、低馬力 (Cheap power)、低品質 (cheap quality)であ り、 とて もアメ リカ車の競争相手 にはな りえない、 とい う厳 しい評価 であった。その冷酷な評価 を受 けなが らも、品質の改善 に努 め販8 参考文献 (4)伊丹敬 之、加護野忠男 (2003)p.52
9 当時は トヨタ 自動車工業 と トヨタ自動車販売 の工販分離 であ り、1982年 トヨタ 自動車 とし て工販 合併C
特集 企 業 のグローバル 化 戦 略
売努力 を した結果
、28
年後 の1985
年 には 日本製乗用車の対米輸 出台数 は230万 台に達 し、全米の新車販売の20%にのぼった。 この間には さま ざまな厳 しい局 面‑の対応 はもとよ り、1 97 0
年代の2度 にわたる石油危機 での燃費 に関す るア メ リカ人ユーザーの意識変化 、環境問題‑の高ま りと排 出ガス対策‑の適応 な ど、の企業外部環境 の変化 があった。その一例 として、 自動車排 出ガス規制 を め ぐる 目米企業の対応 を振 り返 ってみ よ う。日米 ともに、1
950
年代か ら60
年代の高度成長期 を経 て、大量生産大量消費 の 社会 を形成 してきた。 日本の製 品市場 では1960
年代末まで、作れ ば売れ る、投 資が投資 を呼ぶ、 とい う言葉 に代表 され る好況期 が続 いた。 さま ざま製 品市場 では、製 品の未充足 な状態が解消 され るまでは、高品質 よ りも機能重視 で製 品 が量産 されてきた。そ こでは、本来考慮 され るべ き産業廃棄物や工場排水 、排 煙 による大気汚染 な どは問題視 されなかった。む しろ活力 ある経済発展 の象徴 とす らみな されていた時期がある。 人間社会 と自然環境が適切 な割合 で共存で きている うちは、生活排水 な ども、三尺流れ ば水澄む、 とい う浄化の原理 が作 用 したのであろ う。 しか し、戦後の高度成長期、工業化の進展で都市‑の人 口 の流入、工業集積 による工場 の密集 な どは、 自然 の浄化力 を超 えた状態 になっ て、環境汚染 を拡大 してきた。個 々の公害訴訟 については本稿 の主 旨か ら外れ るので別稿 に譲 るが、 この よ うな外部不経済 を放置 して経済成長がな されてき た ことは事実であ り、今後 とも企業経営や社会の大 きな課題 として注視 され な ければな らない。1 970
年代 には既 に述べた よ うに、ニクソンシ ョックや二度 にわた る石油危機 とい う外部経済環境 の変化があ り、 日本経済は じめ世界経済はそれまでの高度 成長期か ら低成長期‑ と移行 していった。 ニクソンシ ョックによる国際通貨体 制の歴史的な変革や 、世界のエネル ギー資源 である石油の主導権が、当時のセ ブンシスターズ とい う欧米の七大石油企業か ら、産油国のグループであるOPE C (石油輸 出機構)‑移行す るとい う、体制や制度 の変革があった。 しか し経 済成長率では低成長 とい うものの、∫.K.ガル ブ レイスのい う 「ゆたかな社会」10になった世界各国は、改 めて社会環境 の問題 、不平等の問題や暮 らしの豊か さ
川 『ゆた か な社 会』Jolln Kenneth Galbralth, 1958,PelicanBookPublishing, 鈴 木 哲 太 郎訳 、岩 波 書店、1960年初版
国際経営フォーラムNo.21
の意味を問い直 したのである。
3. 2
環境基準への対応1 970
年代の環境保護運動の高ま りで、アメ リカでは 自動車の排 出ガスに対す る厳 しい規制法の制定の動 きが出てきた。エ ドモ ン ド・マスキー上院議員 は 自 動車排 出ガス中の一酸化炭素や窒素酸化物等 を従来の10
分の lに削減す るとい う厳 しいマスキー法11を議会 に提案 した。 これ にはアメ リカの 自動車産業が猛 反発 した。後処理装置 を付 けることで性能が低下 し、競争力が低下す ることを 懸念 した。また この規制 に本格的に対応す るには新型エ ンジンの開発 が不可欠 であ り、新規 に多額の研究開発費が必要 となるか らであった。研究開発費が増 えれば、株 主‑の利益配 当が減 ることになる。経営責任 を問われ ることを恐れ た 当時の三大 自動車 メーカーの経営者 は、議会工作 を展 開 して、 この法案 は1 97 4
年 には廃案 になって しまった。一方 日本 では、当時の環境庁がマスキー法の原案 をもとに、 自動車排 出ガス 規制 を策定 した。 日本 自動車工業会 も同様 の理 由で法案 に反発 した。 しか し二 輪車では実績 があった ものの、四輪市場‑の進 出が遅れた本 田技研工業な どは む しろ新型エ ンジンの開発 を、市場 占有率で先行す る トヨタや 日産 な どの大企 莱‑追いつ くまた とないチャンス ととらえた。 このため業界団体 の足並みが乱 れ、 自動車排 出ガス規制の厳 しい法案が成立 した。技術的には困難 といわれた 新型エ ンジンの開発であったが、排出物の低減技術が進 め られ、当初の2年遅 れで昭和53年 自動車排 出ガス規制が実施 され ることになった。環競保護 とい う
グローバル な社会 システムの変化が、業界や企業の利益追求の姿勢 を少 しずつ 軌道修正 していった事例 といえよ う。
本 田技研工業の技術開発では、従来型エンジンの改良で対応す るか、まった く新 しい方式 を開発す るのかが検討 された。従来型エ ンジンの改 良方式では、
触媒装置 を付 けるな どの後処理 をす ると、燃費等 を勘案 した場合 には どうして も限界があ り、新技術 の開発 に着手す ることになった。技術陣の努力 によ り排
ー1アメ リカ民主党のE.S.マスキー上院議 員が提案 した 「1970年大気清浄法 (cleanAirAct) 改正案」その後、アメ リカの 自動車排 出ガス規制 は次第 に強化 され、 1995年 にマスキー法 の 基準 に達 した。
特集 企 業 のグローバル化 戦 略
出ガス低減技術が実現 し、本 田技研 工業 のエ ンジンは世界の トップになった。
日本機械学会の機械遺産第
6
号 に認 定 された このCVC
Cエ ンジンは、技術的 に は もちろんアメ リカ環境保護庁 (EPA)か らも、マスキー法対応 の環境基準 を 満たす と1 973
年2月に認定 された技術である。 日本企業のものづ くりが、グロー バル社会の先端 をい くことになった画期的な新型エ ンジン開発 であった。このよ うに従来か らの 自動車用エ ンジン開発での晶質 向上 とい う主 目的が、
高性能や高馬力 とい う自動車の走行性能か ら、環境対応力や低燃費 とい う目的 に変化 してきた。 自動車のエ ンジンはマツダの ロー タ リーエ ンジンを除 くと、
1 20
年前 に ドイ ツでカール ・ベ ンツが量産 を始 めたガ ソ リンエ ンジンの 自動車 以来、現在 にいた るまで ピス トンの往復運動 によるレシプ ロカルエ ンジンであ る。 そ して環境対応 が認識 された197 0
年代まで、100
年近 くにわた り性能や馬 力の向上 こそが、品質の中心課題 であった。4
ものづ くりと品質製造業 におけるものづ くりでは、差別化 の要素は時代 とともに変化 し、また 国によ りあるいは個々の消費者 の価値観 によって異なるものである。 しか し時 代 を超 えて共通す る要素 も存在す る。本稿 の冒頭で述べた よ うに、 ものづ くり の伝統 とは少 しで も手間暇 をかけ、 よ り良い品質の製 品を完成 させ ること‑の 不断の挑戦 であるといって よい。市場 には二つ として同 じものはない とい う前 提 に立てば、その競争優位 を決す る要素は品質 である とい える。 品質 にこだわ るものづ くりの職 人の意識 には、常に良い ものを作 り続 けよ う、現状 で安心 し ていてはそ こで成長 が止まるとの思いがある。 この考 え方 は伝統工芸の分野で はま さにその通 りであろ う。それ は耐用年数 の尺度が大量生産 による普及 品 と は基本的に異 なるか らである。寺社建築の宮大工の世界 における千年単位 の時 間軸 はい ささか大袈裟であろ うが、本来 は永 く使用 に耐 え られ るものこそ、本 当に環境 に優 しいエ コ商品であるとの見方 も成 り立っのである。初期投資 は高 くついて も、毎年 の修繕や保守点検 をす ることで機能 を維持 し長持 ち させ る。
それ こそが製品のものづ くりで投入 された材料や労働力 を最大限活 かす ことで あ り、年単位 の コス トを低減 させ ることにもつなが るとい う考 え方 である。形
国際経営フォーラムNo,21
ある物 の命 を最大限に活用す ることは、本来社会 生活 の基本 であったはず であ る。
4. 1
ものづ くりと消費社会1 950
年代以降の大量生産大量消費社会では、公 害問題 とい う負 の遺産が残 っ た ことは既 に述べた とお りである。消費需要 があっての生産供給体制 であるこ とも市場 の現実である。供給す る企業側 には、選 ばれ るものづ く りである と同 時 に、次 々に買い替 えて も らう仕掛 けを持つ必要があった。特 に消費財 市場 で は、新製 品を計画的 に市場 に投入 し、それ以前 の製 品の陳腐化 を促す こ とで、個人消費者 の買い替 え需要 を喚起 した。 自動車や家電製 品ではその傾 向が強 く、
消費者 の買い急ぎを煽 る仕掛 けが さま ざまに とられ た。 自動車では新車が発売 され ると、同車種 の前 のモデル は半年 も過 ぎれ ば F取 り価格 が急落す るため、
法人 で も個人ユーザで も定期 的な買い替 え需要 につ なが る仕組み をつ く りあげ たo
このよ うな新製品の開発戦略では、必ず しも技術的な面での画期的な開発 が な されていた場合 ばか りではない。む しろ 目先 の違 いや、マイナーチ ェンジを 施 しなが ら、新鮮 さだ けを強調す る新製 品が多 く登場 した。現実の企業経営や その集積的な産業構造 を鳥取す ると、設備投資の増強 による生産能力の増大は、
一度走 り始 めた らペ ダル を止 めることができない 自転車走行 の よ うで もある。
多 くの場合、当該市場 に競争企業がひ しめいてい る と、各企業の新製 品開発競 争 はます ます過熱す る。 企業 の営業担 当者 は卸問屋や小売店 を回 り、他社 の新 製 品を見 るたびに、開発部 門を督励 して新製 品投入 を促す。 この よ うな競争状 況 がェスカ レー トす る と、各企業 は顧客ニー ズを忘れた高機能化‑ と突 き進む ことになる。民生用機械製 品、デ ジタル家電やI
T
機器 の場合 は、 この よ うに顧 客か ら遊離 した競争状態 にな りやす い傾 向が ある。i2顧客 は確 実 に市場 にい る に もかかわ らず、それ が数十万人 あるいは数百万人単位 になると、個人個人 の 顔や晴好 が見 えな くなって しま う。高度大衆消費社会では一人ひ と りの顧客が 目に入 らな くな り、人々が今何 を考 え、何 を望んでい るかが掴 めないのである。ー2 参考文献 (4)伊丹敏之、加護野忠男 (2003)p.55
特集 企 業 のグローバル化 戦 略
その代 わ り同業他社 の新製品ばか りが 目の前 にち らつ き、それ にばか り目を奪 われて しま う。他社 の新製 品は街 に出れば簡単 に 目にす ることができ、情報収 集 できるか らである。 このよ うに大切 に しなければな らない本来の顧客や消費 者 か ら遊離 して、 目先の競争 にばか り目を奪われている企業が多いのではなか ろ うか。一時期 の 日本の携帯電話がその好例である。 国内でのシェア争いに明 け暮れ、次 々に新製 品を出 しては見 るものの、世界市場 の動 向や通信 の互換性 がな く、隔絶 された独 自の進化 を遂 げたのである。そのこ とか ら隔離 された島 で独 自に進化 したガ ラパ ゴス諸 島の動物 になぞ らえて、 日本 の携帯電話 はガラ パ ゴス携帯な どと評 されていた。競争相手に勝つ ことだけが 目的 とな り、顧 客 のニーズを顧み ることを忘れて しまった といわ ざるを得 ない。
4. 2
品質 とグローバルスタンダー ド企業が独 自で開発 した製 品仕様 をローカル スタンダー ドとい う。製 品企画者 と開発者 の思いを具現化 した製品にはそれぞれ に個性 があ り、また個性がなけ れ ばな らないであろ う。その製 品にこれまでにない新規性 があ り、その製 品仕 様 が市場 で評価 されて、当該製 品市場 にお ける標準仕様 になった場合 に、それ をデ ファク トスタンダー ドとい う。 この段階になると、同業他社 といえ ども同 じ仕様 で製 品を製造す ることが、 よ り一層 の市場の拡大 にもつながることにな るoそ して世界市場でその製 品仕様 が用い られ、一般化 した時にそれ をグロー バルスタンダー ドという 。 製品の基本的な設計思想 が具体的に示 された仕様が、
世界の企業で使用 されれ ば、それはま さにグローバル スタンダー ドとい うにふ さわ しいのである。現在 、世界 中の多 くの人々はパ ソコンを、マイ ク ロソフ ト 社 のオペ レー シ ョンシステム (OS)上 でマイ クロソフ トのオ フィスを立 ち上
げて使用 している。本来はアメ リカのシア トル に本社 を持 ち、一企業 であるマ イ クロソフ ト社の ロー カルスタンダー ドであった製 品が、事実上世界のパ ソコ ンをつな ぐプ ロ トコール としてその機能 をはた している。 この よ うな現象 は こ れまでの機械製 品では、通常は見 られ なかった ことである。それ はあるとす る な ら、何 らかの基幹部品が特許等の工業所有権 によって厳重に保護 されてお り、
その技術仕様 がま さにブラックボ ックスの よ うな箱 に納 め られてい る場合であ る。パ ソコンが1990年代 中頃まで広 く使 われていた単体 の文章作成機 、す なわ
国際経 営フォーラムNo.21
ちスタン ドア ロー ンの ワー ドプ ロセ ッサーであれ ば、各企業独 自の仕様があっ て も何 ら問題 はなかった。東芝のRupo、富士通 のOa
s ys
、NE
Cの文豪 シ リーズ な ど人気 の製 品シ リーズがあ り、利用者の好みに合 ったメーカーや シ リーズの 製品を使用 していた。 しか し今 日のよ うに、パ ソコンが情報端末 としてインター ネ ッ ト接続 された ことで、共通のコンピュータ言語 を使用 している多 くのユー ザーがい るOSを利用す るほ うが情報 の送受信 が 円滑 にな り、人 々が一斉 に同 じメーカーの製 品を使用す るよ うになった。結果 としてマイ クロソフ トとい う 一企業が、その市場のユーザー を総取 りす ることになるのが この分野の特徴 で ある。自動車は長年 の歴史の中で、技術 を発展 させ進化 してきた。現在 でも世界 中 には数十社 の 自動車メーカーが存在 している。年産900万台 を組み立てる トヨ タ 自動車があれ ば、年 間で6,000台未満 の組み立て台数 ではあって も、根強い 人気 を誇 る知名度の高いイタ リアのフェラー リ社 も市場で共存できるのが 自動 車産業である。一般 の家電製 品の場合でも同様 なことがいえよ うO
品質 とは製品に対す る作 り込みの段階 を示 している。 したがって基本仕様 と い う意味でのグローバル スタンダー ドとは異なる側面の事項であるが、 どれ ほ どの精度 を保 った製 品を作 り上げることが世界標準 といえるか とい う点では、
ま さに接点を持つ ことになる。重要なことはその標準値が、消費者の期待に沿っ た レベルで作 り込まれ、顧客ニーズに合致 してい るか どうかを繰 り返 し検証 し 続 けることである。
5
品質の目的本稿で考察 してきたい くつかの事例か ら、 ものづ くりにお ける品質の 目的 を 考 えてみたい。 ものづ くりにはよ り良い ものを追求す るとい う原点がある。精 度 を高め仕上げを美 しくす ることでの造形美 にまで昇華 された製品はた しかに 美 しい と感 じられ るほ どである。 自動車産業の分野では、速い車は美 しい、 と い う格言がある。空気抵抗 を抑 え無駄がない車体はま さに流線型 とい うにふ さ わ しい。一般の機械 においても、無理、無駄、ムラを排除 し、考 え抜かれた個々 の機械 とそれ らが据 え付 け られた生産 ライ ンは整然 としてい る。近年 、石油化
特集 企 業 のグローバル化 戦 略
学プラン トや製鉄所が見学対象 になってい るが、 これな どはパイプの配管が最 短経路で無駄 な く配置 され、見 る人が造形美 を感 じられ るか らであろ う。
工業デザインの分野をは じめよ り広い視点か ら活用できる、バイオ ミミク リー とい う概念 が フランスの生物学者 ジャニ ン ・ベニ ュス13によって提 唱 されてい る。 自然界のモデル を学び、そのデザイ ンやプロセスを真似、イ ンス ピレーシ ョ ンを得て、人間界の問題 を解決す る新 しい科学である。生物模倣 ともいわれて お り身近 なものでは、カ ワセ ミの塀が水 中に入 って も泡 を出 さず に獲物 を捕獲 す ることか ら、その造形 を新幹線 の500系の先端 の形状 に活用 した こ とな どが ある。 新幹線 の最新型
N700
系はカモ ノハ シの 口に ヒン トを得 てい ることな ど を考 えると、 自然界の生物や生体 に学ぶ ことは数多 くあるのであろ う。進化 の 過程で適者生存の原理の中、最 も無駄がない流麗 な形状の姿態 を備 えたものが、永い年月を経 て選 ばれて生き永 らえた といえよ う。
ものづ く りの分野にあって も、常に進化 を し続 けた製品が世界市場 での評価 を得て、グローバル ・ナ ンバー ワン製 品になる。 しか し改 めて指摘 してお きた い ことは、その精度 の向上 と撤密 さの方 向性が、顧客や消費者 の望む方向 と一 致 していなければな らい。企業 あるいは職人 による供給側 の独 りよが りな思い 込みは、顧客 を忘れた失敗 につがることになる。工作機械産業ではかつて欧米 の先進企業の製 品に、少 しで も追いつ き追い越そ うとい う向上心があって今 日 の信頼 を得てきた。 また 自動車産業 は世界 を市場 として今 日の生産体制 を敷い てい る。 日本国内で生産が完結 していた時には、部品納入企業 との緊密 な意見 交換や、部 品製造上での設計 と製作現場 とのす り合 わせ が頻繁 に行 われ、信頼 性 の高い製 品を作 り出 してきた
。2 01 0
年2月にアメ リカで起 こった トヨタ 自動 車の リコール 問題t4は、同社が基本 としてきた生産現場 と納入業者 との緊密 な す り合 わせが、同社 の急速 なグローバル展開で十分 な されていなかったために 起 こった問題 ではなかろ うか との不安が残 る。 日本ではきちん と作 り込まれて いたはずの車種で も、アメ リカのユーザー向けの機能仕様 と寸法仕様 の微調整 が完了 していたのであろ うか。今や世界一の生産台数 を誇 る トヨタ自動車に とっ て、話題 になった新型車種カム リの2 0 0 6
年 1月世界同時発売や、現地生産の増13参考文献 (19)ジャニ ン ・ベニュス (1997)
14参考文献 (31) 田中則仁 (2010)p.62‑63.
国際経営フォーラムNo.21
加 な ど、新たな枠組みでの国際経営管理が十分に機能 していたのか どうかを検 討す る必要があろ う。
企業のグローバル事業展開は、大 きな視野か らの企業の発展過程 でもある。
ものづ くりの職人芸や品質に対す るこだわ りを、 どのよ うな環境下でも維持 し 続 けるのは容易なことではない。技術開発 は ともす るとガラパ ゴス型‑ と突出 す ることがある。 これ はす でに4.
1
で述べた よ うに、本来 の顧客 を忘れ た愚か さに他 な らない。顧客や消費者 の要望 を しっか り見据 えなが ら、他社の追随を 許 さない よ うなグローバル ・オ ン リー ワン企業 をめざして欲 しい。 日本企業 に とってのグローバル化 は、内か ら外‑の動 きだけでな く、外 か ら内‑ とい うグ ローバル化 もある。 さま ざまな動 向に対応 できる、ス ピー ド感 ある国際経営感 覚が求 め らられている。参考文献 日本語文献
(1)浅川 和宏 『グ ローバル経営入門』 日本経済新聞社、2003年初版
(2)天野倫文、新宅純二郎編 『ものづ く りの国際経営戦略』有斐 閣、2009年初版 (3)和泉章編 『標準 (スタンダー ド) のすべて』経済産業調査会、2009年初版
(4)伊 丹敏 之、加護 野忠男共著 『ゼ ミナール経営学入 門』 日本経 済新 聞社、 1989年初版 、 2003年3版
(5)伊丹敬 之 『経営戦略の論理』第3版 、 日本経済新 聞社、2003年第1刷 (6)伊丹敏 之 『イ ノベー シ ョンを興す』 日本経済新 聞出版社、2009年初版
(7)伊藤 賢次 『国際経 営 ‑ 日本企業 の国際化 と東 アジア‑ の進 出 ‑』新版 、創成社、2009 年
(8)岩崎 夏海 『も し高校野球 の女子マネー ジャーが ドラ ッカー の 「マネ ジメン ト」 を読 ん だ ら』 ダイヤモ ン ド社、2009年初版
(9)江夏健 一、太 田正孝 、藤井健編 『国際 ビジネス入 門』 シ リー ズ国際 ビジネ ス1、中央 経済社、2008年初版
(10)太 田正孝 『多国籍企業 と異文化マネ ジメン ト』 同文館 出版、2008年初版 (ll)大野耐‑ 『トヨタ生産方式』 ダイヤモ ン ド社、 1978年初版、2009年106刷 (12)片 山裕 ・大西裕編 『ア ジアの政治経済 ・入 門 (新版
)
』有斐 閣ブ ックス、2010年 (13)ハ イテ ク戦 略研 究会 、乾倍 、 中尾 久 、 黒堀利 夫 、小 野 隆生 、 田中則仁 、 中原秀 登編『日米 の技術競争力』 日経サイエ ンス社、 1990年初版
特集 企業のグローバル化戦略
(14)一橋大学イ ノベー シ ョン研 究セ ンタ一編 『イ ノベ ー シ ョン ・マネ ジメン ト入 門』 日本 経済新聞社、2001年初版、2008年8刷
(15)藤本隆宏 著 『能力構 築競争 一 日本 の 自動 車産業 はなぜ強 いのか』 中公新書 、 中央公論 新社、2003年初版
(16)藤本 隆宏著 『日本 の もの造 り哲学』 日本経済新 聞社、2004年初版
(17)藤本 隆宏 ・桑 島健一編 『日本型 プ ロセ ス産業 ものづ く り経 営学 に よる経 営分析』有 斐閣、2009年
(18)山本修一郎 『す りあわせ の技術』 ダイヤモ ン ド社、2009年初版
外国語訳書文献
(19)Benyus,JanineM.,Biomimicry;InnovationInspiredbyNature,HarperCollinsPublishers lnc.,1997(ジャニ ン ・M ・べ ニ ュス著 、 山本 良一監訳 、吉野美耶子訳 、『自然 と生体
に学ぶバイオ ミミク リ‑』オー ム社、2006年初版)
(20)Clark,Kin B"andFujimoto,Takahiro.,ed.,productDeve10pmentPerformance,Iiarvard BusinessSchoolPressinBostoll,1991 (藤本 隆宏 、 キム ・B・クラー ク著 『製 品開発 力 増補版』 ダイヤモ ン ド社、2009年)
(21)Drucker,PeterF.,〝whatWeCanLeaJ・n斤om JapaneseManagement",HarvardBusiness Review,1970(ピー ター ・F・ドラ ッカー、 「日本 の経営か ら学ぶ もの」ダイヤモ ン ド・
ハーバー ド ・ビジネス、ダイヤモ ン ド社、1980年7 ・8月号)
(22)Drucker,Peterド.,Management:Tasks,ResponsJ'bJlJ'[1es,PractJ'ces,1973(ピー ター・F ・ ドラ ッカー著 『マネ ジメン ト エ ッセ ンシャル版 一基本 と原
則
』 ダイヤモ ン ド社、2001 年初版)(23)Drucker,PeterF" "BehindJapan'ssuccess",HarvardBusinessReview,Jan.lFeb.1981 (ピー ター
・F
・ドラ ッカー、「日本の成功の背後 にあるもの」 ダイヤモ ン ド・ハーバード ・ビジネ ス、ダイヤモ ン ド社、1981年6月号)
(24)Jones,Geo於・ey.Mu]tJ'natl'onalsandGlobalCapJ'tallsm‑FTOm the19Lbtothe2lsECentuly,
Oxford University Press,2005,1sLed.(ジ ョー ンズ、G. 安室憲一 、梅 野 巨利 訳 『国 際経営講義 一多国籍企業 とグ ローバル資本 主義 ‑』有斐閣、2004年初版
(25)Penrose,Edith,T.,TheTheoJy OftheGrot44hoftheFl'zm,TheThirdEdition,oxford UniversityPress,1995 (ェデ ィス ・ペ ンローズ著 、 目高千景訳 『企業成長 の理論 (第
3版)』 ダイヤモ ン ド社、2010年初版)
(26)Prahalad,C.K"andKrishnan,M.S.,ed.,TheNew̲Ageoflnnovation,TheMcGraw‑Ilill, Companies,In°.,2008, (プラハ ラー ド、C.K.、有賀裕子訳 『イ ノベー シ ョンの新時代』
日本経済新 聞社、2009年初版)
(27) Raynor,Michael,E.,The Strategy ParadoxIWhy Comml'ttJ'ng to SuccessLeadeI・S tO Fal'Jureandi,I,77attODoAboutjt,LeighcoIn°.,2007, (楼井祐子訳 、松 下芳生 ・高橋 淳一監修 『戦略 のパ ラ ドックス』邦泳社、2008年)
国際経営フォーラムNo.21
(28) schumpeter,J.A.,Economl'c Theo/y and Entrepreneurl'alHl'stoIy,Harvard University ResearchCellterinEntrepreneurialHistoryandEntrepreneur,1945, (シュンペー ター、
J.A.、清成 忠男監訳 『企業家 とは何 か』東洋経済新報社、1998年初版)
日本語論文
(29)伊丹敏 之 「企業 とい う生 き物」、一橋 大学イ ノベー シ ョン研 究セ ンター編 、『一橋 ビジ ネ ス レビュー、[特集]企業の本質』東洋経済新報社、季刊2001年WIN.、49巻3号 (30)田中則仁 「アジアの制度設計」『ア ジア ンフォーカス』第2号、神奈川大学 アジア問題
研 究所、2010年5月
(31)田中則仁 「企業の国際経営戦略」『マネ ジメン ト・ジャーナ
ル
』第2買,‑、神奈川大学国 際経営研 究所、2010年3月(32)田中則仁 「東 アジアの戦略的提携 の構築 ‑ 日韓産業 の一考察 ‑」神 奈川 大学法学研 究 所紀要、2002年 4月