「緋文字」邦訳書目
著者 重久 篤太郎
雑誌名 主流
号 23
ページ 92‑97
発行年 1961‑10‑10
権利 同志社英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016662
親 F
文
.,j‑‑L骨
子
﹁緋文字﹂最初の邦訳
邦 訳 書 日
重
太
長 E
久 篤
明治三十六年すなわち一九
O
三年の十一月︑東京東文館刊の富永蕃江訳﹁緋文字﹂は︑最初の邦訳本として世に現われ
た︒紙表紙に右横書きに四段に分って︑﹁緋文字﹂︑赤字で
つ
A﹂の文字︑ついで﹁東京/東文館﹂と書かれ︑タイトル・ページには和英両用の文字で
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切可
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三 宮巳 巾‑z g
仲
F
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および﹁弓モ鳩山著者富永蕃江訳/掛緋文字/
東京東文館﹂と記されている︒大きさは四六判︑口絵にホl
ソンの肖像一葉︑小引六頁︑本文二四九頁である︒
小引では作者の小伝︑と作品について解説しているが︑その
中に次のような一節がある︒
﹃ス
カ
iレット・レッタア﹄は十九世紀の英語小説中ゴ
ールドスミスの﹃ヴィカI︑オブ︑ゥェ!クフィルド﹄︑
スト
i夫人の﹃アソクル︑トムス︑ケピソ﹄等と共に︑趣
味高き吐舎に最も愛護せらるLものなるが︑若し深刻痛切
にして人心の底までも振蓋するものを推さば︑此警は随一
﹁主
流﹂
がホ
lソソの﹁緋文字﹂研究特集号を出すので︑
上野直蔵学長から﹁緋文字﹂の邦訳書志を書くことをすすめ
られ
たが
︑
A7
にわかに書志を作成する暇がないので︑邦訳書
目録を作るに止めた︒しかし︑本目録の努頭に収録した﹁緋
文字﹂の最初の邦訳本を近頃見ること︑が出来たので︑まずそ
の紹介と解題とを試みたいと思う︒
ホlソソの﹁緋文字﹂を読んで︑最初に思うことは︑﹁緋
文字﹂の訳語をはじめて用いた人は誰であろうかと云う疑問
である︒本目録によっても瞥見できるように︑多くの訳者は
叶宮
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己
2
F 2
Z H
の訳語に﹁緋文字﹂を用いており︑ただ
僅に大正十二年の神芳郎訳が﹁スカIレット︑レタi
﹂と
原
語のまま用いたのと︑昭和二年の馬場孤蝶訳が﹁緋の文字﹂
と訳しているのが例外である︒
の傑作と稿ぜらるべきなり︒
訳者富永蕃江(徳磨﹀は︑明治八年ハ一八七五)大分県佐
伯町(現在佐伯市)に生れ︑鶴谷学館に学んだが︑国木田独
歩と師弟の関係を結び︑独歩に伴われて上京し︑植村正久の
福音新報社に入った︒同三十年(一八九七﹀日本基督教会伝
道師となり︑群馬県伊勢崎教会・万川県金沢石浦町教会の牧
師を歴任した︒彼が﹁緋文字﹂を出版した当時の明治三十六
年(一九
O
一二﹀には金沢石浦町教会の牧師であった︒同三十九年(一九
O
六﹀上京︑その翌年には駒込基督会を創立し︑さらに大正十四年(一九一一五)に新公同神学院を創立して︑
自ら学院長兼教授となった︒このように︑彼は生涯を献げて
牧師・神学者として終始し叶昭和五年(一九三
O )
東京で残
L
た ︒
富永徳磨には︑﹁基督教の根本問題﹂(一九一四年刊﹀の如
き神学上の著述が少くなく︑その本領は神学であったが︑青
年時代には国木田独歩の影響もあって︑文学に志したことが
あり︑創作や英文学の翻訳があった︒富永の文学的業績につ
いては︑彼の門下生の江口忠八牧師が﹁富︑氷徳磨先生記念文
集﹂(昭和三十年刑)の中で詳しく語っている︒
江口氏は︑富永の二つの翻訳であるAジョージ・エリオット
の﹁ロモラ﹂の翻訳(実は梗概﹀である﹁雪崩と百合﹂とホ
lソソの翻訳﹁緋文字﹂とをあげて︑﹁緋文字﹂については︑
﹁訳文円前訳(再調と)よりかなり精練されていると思われ る︒これらの訳著が︑当時の読書界からどんな評価をうけ︑叉どんなに普及していたかを︑今たやすく知りえないのが惜しい︒が︑当時としてはかなり歓迎されたものと推察されるよと記して︑その稿を終っている︒
当時の文学雑誌を播いてみると︑例えば赤門派の﹁帝国文
学﹂では︑宮︑氷蕃江の二翻訳書のいずれをも新刊批評にとり
あげて論評していることが知られる︒
まず﹁雪崩と百合﹂については︑明治三十五年六月の﹁帝
国文学﹂の雑報では︑
ジヨルジ︑ェリオットの名著ロモラの梗概なり︒(中路)
略なれどもうれし︒文章は植村正久氏を領袖と載く一隅音新
報源の得意とさる温健清雅の睦にして︑光焔もなく︑彩華
なきも︑いやらしき所殆んど皆無にして︑すら/¥したる
肇路︑錯綜せる事件の跡を追うて思はず卒読せしむ︒梗概
的小著としては十分に成殺せる者と許すべし︒(中路)五日人
は需要なる此種の文墜の先鞭者たる本著及び著者蕃江生を
謹書界に紹介するを喜びとなす︒
と蕃江のこの小著をやや激賞している︒その頃の﹁帝国文
学﹂の編輯者には︑畔柳都太郎・内ケ崎作三郎らの名が見え
てい
る︒
ところが︑蕃江の﹁緋文字﹂については︑明治三十六年十
二月の﹁帝国文学﹂雑録では︑次のように批一評している︒
今この詩書を取りて原書と掛照するに︑全篇殆ど意書の
‑ 93ー
如く然も往々緊要︑痛切なる辞句を不注意にも脱却し︑或
は間々課課さへも交はれるを見て其の組漏を嘆惜せざるを
得ざ
るな
り︒
さらに雑録子は︑原文と対照しながら誤訳や訳文の不適当
なものを指摘した上で︑また次のように述べている︒
敷へ来れば見遁しがたき誤謬不注意︑此々概ねかくの如
し︒然してかばかり痛切を要すべき文字更に一黙の熱なく︑
卒々
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︑ 止 中 間 山 山 内 U砂 山
多とすれども︑併作って魂入れずの感あれば︑墜に原著の
梗概を知るに止まるべき書なりというの他なし︒
(点線は原文のまま﹀
その頃の﹁帝国文学﹂の編輯委員には安藤勝一郎や内ケ崎
作三郎の如き東大英文科出身の秀才がいた︒
蕃江の訳文は︑後に掲げた訳文例が示しているように︑原
文の忠実な翻訳ではなかった︒またすでに一一一目したように︑
彼の本領は神学であって︑文学は言わば余技とも言うべきも
のであった許りでなく︑彼は独学の人でもあったから︑赤門
派の新進気鋭の英文学者から訳文上の酷評をうけることも止
むを得なかったであろラ︒要するに︑富永蕃永訳の﹁緋文字﹂
は︑未だこの著の完訳がなかった時代に︑しかも明治期の唯
一の訳述として先鞭をつけ︑この書を読書界へ紹介した点に
おいて︑文学的業績と一言うよりは寧ろ啓蒙的な歴史的文献と してその価値を器めるべきものであろう︒
このように︑﹁緋文字﹂の邦訳は︑明治期の富永蕃江の訳
述から出発して︑大正期に入って漸く佐藤清の如き英文学者
によって完訳が試みられ︑更に昭和の初期に馬場孤蝶・福原
麟太郎氏と云った英文学者がこの著の翻訳︑をなして︑今日で
は六人の英文学者の手になる﹁緋文字﹂の完訳が読書界にあ
らわれるに至ったのである︒
﹁緋文字﹂邦訳書目録
本稿は忽卒の際の作成であるので︑てい山邦訳の単行本と対
訳書を収録することに止めて︑雑誌・新聞には及ばなかった︒
またこの目録を作るにあたっては︑国立国会図書館編﹁明治
大正昭和翻訳文学目録﹂に負うところが多い︒さらに文献に
ついては天野敬太郎氏をはじめ︑その他の方々から教示会‑得︑
初期の邦訳文献の閲覧に方つては国立国会図書館員から多大
の便宜を与えられた︒ここに一々その名をあげないが︑この
事を‑記して︑謝意を表する次第である︒
この目録では︑他日を期して書士山的解題には及ばなかった
けれども︑今日乏しくなったと思われる初期の文献には︑少
しく解題を試み︑訳文例を添えた︒これには︑目録の体裁上
いかがかとは思ったが︑将来の研究上の便宜を思って︑あえ
て一部の解題を試みたのである︒
A 全 訳 単 行 本
1一 九
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一 ニ 緋 文 字 富 永 蕃 江 訳 四 六 判 二 四 九 頁
口絵
(﹁
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そるん﹂)肖像││小引i
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本文(第一回獄の前
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第二十四回結末)訳者富永蕃江(億磨)(一八七五
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一九
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三)
は︑翻
訳出版した当時︑石川県金沢石浦町教会牧師であった︒
つ 伊 は 台
︑ ん ひ ざ び さ な か ふ
訳文例︑(巻頭)﹁量生やしたる一群の人々は︑中に婦
び ん ま り も く 号
︑ フ 士 い か ま へ て
? セ い イ ラ い か
人をも雑へて木造の大匿の前︑鍛の大鋲うてる巌めしき
か じ 白 き さ ぴ や ら め ん あ っ ゐ
樫木の門扉に面して集まり居たり︒﹂ 東文館明治コ一十六年十一月
2
一 九 一 七 緋 文 字 佐 藤 清 訳 日 本 基 督 教 輿 文 協 会 月 四 六 判 四 三 二 頁
口絵
(そ
れ以
上一
一一
一日
も口
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︑ず
にあ
の森
の蔭
の中
にすべるが如く引き退いた﹀
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き│
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日次
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本文(一︑牢獄││廿四︑をはり)
い ろ き も 四 つ は い
﹀ ろ 士 か
訳文例︑(巻頭)﹁くすんだ色の着物を着け︑灰色の高
ぽ ラ し か ぶ ひ 沙 は を さ こ あ る づ
帽子を被った髭の生えた男だちの一むれが︑或ものは頭
き ん
﹁ あ る な に
巾を着けたり︑或ものは何もかぶらなかったりしてゐた
を ん た い も く み ヲ お ほ た て も の ま へ あ つ ま
女どもと入りまじって︑木造の大きい建物の前に集って 大正六年六
士 て も 由 さ 告 も か し で き て つ お ほ く ぎ
ゐた︒その建物の戸は︑重く樫で出来てゐて︑銭の大釘
が一杯に撃たれてゐた︒﹂訳者佐藤清(一八八五
ll
一九
六
O
﹀は︑明治四十三年東京大学英文科卒業︑関西学院高等部・東京女高師・
京城大学の教授を歴任し︑戦後は青山学院大学教授であ
った︒﹁緋文字﹂が刊行された当時は関西学院高等部教
授で
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た︒
一 九 二
3スカI
レ ッ ト
︑ レ タ ー
年
未見であるので︑その内容を詳にしないが︑国立国会
図書館編﹁翻訳文学目録﹂によって書名を掲げておく︒ 神芳郎訳精華堂大正十二
‑ 95ー
一 九 二 七 4 緋 の 文 字 馬 場 孤 蝶 訳 ( 世 界 名 作 大 観 ) 行 会 昭 和 二 年 五 月 四 六 版 コ 一 三 六 頁 序 文
! 目
次
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原序税関i
1本文((一﹀牢獄の入口
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(二十四)団円
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人英文)叶官︒5 5 5 '
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回目
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﹁税関﹂の邦訳はこの書が最初のものであろうと思わ
れる
訳者馬場孤蝶ハ勝弥﹀(一八六九││一九四 ︒
O )
は︑明 国民文庫刊
治二十四年明治学院を卒業︑在学中から島崎藤村・戸川
秋骨と親交があって︑﹁文学界﹂同人であり︑文学評論
家として聞え︑幾多の外国文学の翻訳や紹介があった︒
き も 白 ね ず み い ろ
tふ訳文例︑(巻頭﹀﹁くすんだ色の衣服や鼠色の塔のやう
いた
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ぽ
︑ フ し か ぶ ひ ゅ は を さ こ あ も 由
︒ つ
な頂の帽子を冠った賓の生えた男どもが︑或る者は頭
き ん か ぶ た も 由 な に か ぷ ゐ な い を ん な ま
巾を被り︑他の者は何も被って居無い女どもと混じった松栄が︑芹がわ川俳で艶ペしくL
泣く
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ち く を ラ た て も の し 喝 炉 供 ラ め ん あ っ ゐ
た木造の建物の正面に集まって居た︒﹂
一 九 二 九
5
緋文字福原麟太郎訳(世界文学全集第十一巻︑ポオ 傑 作 集
︑ 緋 文 字 其 他 の 内
﹀ 新 潮 社 昭 和 四 年 一 月 四 六 判 二 七 一
ll
四五
O
頁解説
ハホ
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ソソ
に就
いて
﹀緋文字(一︑監獄の入口
ll
││二回︑終局﹀
訳者︑福原麟太郎(一八九四
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﹀は東京教育大学名︑誉教授︑文学博士︑共立女子大学教授︒その﹁緋文字﹂の
邦訳は現在で最も広く読まれている︒
あごひ抄訳文倒︑(巻頭)﹁顎賓の生えた人々が一群︑くすんだ
色の着物を着︑先の尖った鼠色の丸帽を蹴り︑それにま
た帽子を被ったり被らなかったりしたいろ/¥な女もま
じって︑建物の前に集ってゐた︒入口の大扉は︑どっし
び之
︑フ
りとした楢材で︑一面に鎖の鋲が打ちつけてあった︒﹂ 6緋文字書百
A
6 佐
藤 清 訳 ( 岩 波 文 庫 ) 昭 和 四 年 二 月 岩 波
(昭和十五年三月に改訳)
一 九 四 七
7
緋文字福原麟太郎訳(新選世界文学集)
昭和二十二年十月
B6
一八
O
頁 大泉書庖一 九 四 八
8
緋文字村上至孝訳(世界文学叢書却)京都︑世界 文学社昭和二十三年八月
B6
コ 一
OO
頁
一 九 五
0
9緋文字福原麟太郎訳(世界文学全集第二十巻︑第一
期十九世紀篇︑ホIソン︑マI
グ ト ウ ェ
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集の
内﹀
︑ 河出書房昭和二十五年五月
A 5
96ー 一
九 五 一 日緋文字福原麟太郎訳(世界文学選書九一)
房昭和一一十六年六月
B6
一七
四頁
笠 書 日
緋 文 字
十七年
九 五 二
福原麟太郎訳(角川文庫﹀
A 6
一二
一一
一頁
角川書庖
昭 和
一 九 五 四 ロ緋文字福原麟太郎訳(白水社世界名作選﹀
昭和二十九年六月
B6
二六九頁
一 九 五 五 日 改 訳 緋 文 字 佐 藤 清 訳 ( 岩 波 文 庫 )
三十年九月
A 6
二九八頁
一 九 五 六 日比緋文字太田三郎訳(河出文庫)
十一年十月
A 6
二八O
頁1 5
年 緋 十 文 月 宇 一九 五 八
鈴木重吉訳(新潮文庫)
A6
二六九頁 岩波書匝河出書庖新潮社 白水社
昭 和
昭和三
昭和三十
一 九 五 九 日 緋 文 字 太 田 三 郎 訳 ( 世 界 文 学 全 集 第 三 期 九
︑ ホ
iソ
ン︑へソリ・クエイムズ︑アメリカ他の内)河出書房
一
新 社 昭 和 三 十 四 年 五 月
A 5
= T l
一四三頁
﹁税関﹂の邦訳があり︑巻末にホ1ソソ年譜を添えて いる
︒
臼 緋 文 字 福 原 麟 太 郎 訳 ( 世 界 名 作 全 集 目
︑ ル ナ
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ルの
に ん じ ん 岸 田 国 土 訳 と 共 に ) 平 凡 社 昭 和 三 十 四 年 十
A 6
六一九頁
月
B 対 訳 単 行 本
一 九 五 三 日 緋 文 字 上・ 下 巻 福 原 麟 太 郎 訳
・ 富 原 芳 註 ( 開 文 社
英米文学訳註叢書第四
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巻 ) 開 文 社 昭 和 二 十 八 年九月
B 6
上巻
は一
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i一 一
一 章 ︑
下巻は一三ーーー二四章まで︒
一 九 五 七 四 緋 文 字 町 野 静 雄 訳 註
︿ 金 星 堂 新 英 米 作 家 対 訳 双 書 第 四巻)金星堂昭和三一十二年六月
B 6
二六九頁
一章から十二章まで原文と対訳︒
‑ 97ー