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墨書土器研究の一事例 : 「〓(夷)」字の場合

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Academic year: 2021

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(1)

著者 小口 雅史

出版者 法政大学史学会

雑誌名 法政史学

巻 58

ページ 20‑25

発行年 2002‑09‑30

URL http://hdl.handle.net/10114/10765

(2)

近年、墨書土器研究については、単にその文字を読み、その出土した遺跡における意味を考えるだけでは正当な理解は不可能で、広く日本列島全体の中に位置づけるという作業の必要性が主張されるようになってきた。遺跡を越えて、共通した文字が、共通した器種に、さらには共通した部位に共通した方位で記載されることがあるという重要な指摘がなされるようになってきている。こうした作業を全国規模でより精徴におしすすめるためには、墨書土器の、考古学的見地をも十分に踏まえた正確なデータベース化が求められる。この三月に刊行された明治大学の吉村武彦氏らによる「古代文字資料のデータベー 〔コメント〕

里坐害土器研究の一事例

法政史学第五十八号

はじめに 「夫」字の場合I

(1)ス構築と地域社会の研究」には、ファイールメーカーというデータベースソフトで作成された「出土文字資料データベースー墨書・刻書土器編l」というファイルなどが添付されており、もちろん完壁ではないようであるが、全国規模で相当数の墨書土器が集成され、検索できるようになっている。こうした試みは、まさに右記した近年の研究動向(2)を踏まえた重要な基礎作業である1といえよう。このコメントでは、こうした近年の研究成果の一例として、北方史を特徴付けるものとして注目されてきた「夫」という墨(刻)害についてとりあげてみたい。なお法政大学史学会当日は、必ずしも報告者とコメンテーターは一対の一対応ではないとのことであったので、講演・報告のすべてについて一通りの感想を述べたが、こ

口雅史

(3)

この「夫」というあまり見慣れない文字が初めて注目されたのは、昭和五十七年に北海道大学構内のサクシュコトニ川遺跡で出土した土師器の篦書中にこの文字が見出さ(3)れ、それが「夷」と釈読された時のことである。古代の文献に描かれることがまずない北海道で、「夷」と記された文字が出土したことの意義は大きく、学界に与えた影響も大きかった。もっとも「夫」という字体は、何らかの文字の異体・省略体であることは明らかであるから、他の文字に釈読できる可能性は常にある。それを「夷」字と認めない説も根強(4)く存在した。筆者はそうした中で、「夫」字の出土例を集成し、それが都城と北日本とに偏在していること、また北野本『日本書紀」での「夷」字の字体例などから、「夷」と読む佐伯説を支持した。もっともその後、都城ないしその関連遺跡での事例については、|連の似た字体を含む記(5)(6)号とみる説に同一息している。その後、さらに全国で出土例は増加していくが、都城周 こでは本来事務局より期待されていたであろう田熊報告へのコメントにしぼって記すことをお許しいただきたい。

墨書土器研究の一事例(小口) 墨(刻)書「夫」字の従来の理解

こうした従来の研究に対して、全国的な墨書土器の使用例などから、平川南氏によって、「夫」字を統一的に「奉」(9)字と理解する新しい解釈がなされるようになってきた。平川氏は従来の説が、「①土器に文字を記すことは何かという本来の意義を問わなかったこと。②日本列島全体の墨書・刻書土器の流れの中で捉えていないこと。③土器と 辺を除けば、山梨県と佐渡をつなぐ線以北での出土に限られている。とくに青森市野木遺跡では同一遺跡内として初めて五例の出土が確認されている。これまでは一遺跡一ないし二例でしかなかったので、この遺跡の事例は貴重であ(7)る。そしてこうした北方地域で士器に「夷」字が記されるのは、東北辺境の民への被差別アイデンティティの強制であるとか、出羽国府や秋田城で蝦夷に対する饗応が行われたときに使用されたものであるためであるとか、あるいは場合によっては工人集団を示す記号であったからではないか(8)などと理解されるようになり、こうした「夷」字としての理解がほぼ定説とみなされるようになっていったのである。

二全国的な墨書土器の使用例から

||’

(4)

その上で「夫」を「夷」と理解したのでは、何ゆえにその文字を記したのか、日本列島全体の墨書土器の流れの中で説明できないことから、「夷」説を採らず、青森市野木遺跡の事例でも、「夫」と共伴している墨書土器に、「万」「十万」「#」など日本列島全体の事例と合致するものがあることから、やはり墨書土器本来の記銘目的である神仏への「タテマッル」行為を示す「奉」字こそが釈読としてふさわしいと結論づけた。「奉」は用例が多いからこそ記号化され様々な字体を生み出したのであって、「夫」もその一つだとする。またそもそも古代においては日本海側は「夷」ではなく「狄」と表記されたのであって、その点についても説明がつかないことも指摘している。 瓦に記された文字は同一には論じられない。④墨書と刻書は、一応、区別して論じなければならない」といった四点について問題があるとし、①②については、一般集落跡の墨書士器が村の中の祭祀行為に際して神や仏にたてまつるという行為そのものの説明として記されていること、③④については、瓦に記されたものが基本的に工人名、出身地、生産にかかわる何らかの記号として表されるものであって、祭祀を目的とする墨書土器とは大きく異なること、などを指摘している。 法政史学第五十八号

右にみたように平川説は、これまでおそらくもっとも多くの墨書土器にふれてきた、斯界の第一人者によってなされた包括的で整合的な理解であるだけに、説得力は大きい。筆者も、かねて主張してきたように、「夫」字がすべて「夷」ではないとしてきたのであるが、とくにあらためて、瓦の刻書などは「奉」とみるべきものが多いと考える。ただなお、北辺の地で出土した墨書士器については、そのすべてとまではいわないまでも「夷」説が成り立つ可能性が残されているものと思われる。また平川説にある①~④の批判が、従来の説にとって必ずしも正鵠を射ているわけではないと思われる点も気になるところである。この問題については青森市野木遺跡での複数の「夫」字 こうした理解に立てば、北方世界の中でもすでに古代の段階で、本州各地と共通の信仰世界が浸透していたことが明らかにされたことになるのであるから、そのもつ意味は大きい。本年三月~六月に開催された国立歴史民俗博物館での創設二○周年記念展示「古代日本文字のある風景l金印から正倉院文書までl」でも、この平川説にそって展示品中の「夫」字の解説がなされていた。

一一一再度「夷」字説の立場から

(5)

(、)出土を受けて開催されたシンポジウムの席上で4℃述べたことがあるが、第一に、その出土分布の状況が気になる。奈良市(平城京・宮、歌姫西瓦窯)・京都府木津町音如ヶ谷瓦窯跡などのものは先に触れたように除くと、他は新潟県真野町佐渡国分寺跡・山梨県一宮町狐原遺跡・群馬県群馬町上野国分寺跡・同伊勢崎市上植木廃寺跡・栃木県小山市八幡根東遺跡などの事例があるものの、他はすべて東北~北海道の出土である。分布域が異様に偏っている。全国的視野にたって共通する特徴を見ることも重要であろうが、この偏りについても同様になお慎重に検討する必要がある(Ⅱ)のではないか。本州の他の一般的な集落遺跡から中山士する墨書と同じものが青森でも出土するとする平川氏の指摘は貴重であるが、たとえば古墳文化にしろ、この世界は北の独自の文化と南の中央の文化とが交わり、独自のものを生み出す地域でもある。両方の要素を慎重に見極める必要があるように思う。単純に本州の信仰世界が北方まで及んだとはなお考えにくい側面があるのではないか。また第二は、青森を含む北方地域を「狄」と限定する論(、)占佃である。これについては詳論は避けるが、必ずしも「狄」表記にこだわる必要はない。「狄」表記は律令時代および安倍清原~奥州藤原氏時代に特徴的に現れるもので

墨書土器研究の一事例(小口) いまさら強調すべきことでもないが、以上みてきたように、墨書士器はその遺物としての特徴から遺跡の中での位置づけのほかに、全国的視野での位置づけが重要であることは確実である。しかし逆に、全国的視野にそわない側面があるときには、その独自性の問題を追究する必要がある。いずれにしろ、その出士した一文字だけにとらわれない視点は、今後ますます重要になっていくであろう。 あって、とくに一○~二世紀については用例は極めて稀である。また第三は書体の問題である。これはさほどこだわるべき問題ではないとも思われるが、「夫」が「奉」の異体字ないし減画字体ならば、むしろ「夫」のように、二画目の横線との交点から五画目を払い出す文字があってもよさそうなものであるが、現在のところ、そうした字体は、墨書土器とは区別すべき、上野国分寺跡出土の平瓦の事例しか知られていないように思われる。第一一・第三の論点はともかくとして、第一の論点にはなおもう少しこだわってみたいと筆者は思っている。

おわりに

(6)

(1)「古代文字資料のデータベース構築と地域社会の研究』(平成十一年度~平成十三年度科学研究費補助金〈基盤研究00〉研究成果報告書〈研究代表者・吉村武彦〉、明治大学、二○○二年)。(2)筆者のかかわる青森県史古代部会でも、担当する「資料編2」を、北方世界で出土した出土文字資料の集成に宛て、現在、鋭意作業中である(平成十七年度刊行予定)。またそれにはデータを電子化したファイルを添付し、かつ独自の検索システムも構築して添付する予定である。(3)佐伯有情「刻字土器「夫」の意義」(北海道大学埋蔵文化財調査室編「サクシュコトニ川遺跡l北海道大学構内で発掘された西暦九世紀代の原初的集落l』北海道大学、’九八六年)他。一九九二年までのその詳細な研究史については、とりあえず拙槁「夫」字篦(墨)書について」(北海道・東北史研究会編『海峡をつなぐ日本史』三省堂、’九九三年)参照。(4)荒木陽一郎「篦(墨)書土器「夫」字の考察」s考古学の世界』六、’九九○年)、山本哲也「ロクロ土師器と北海道」(『国学院大学考古学資料館紀要』一三、一九九七年)、戸根貴之「古代文字資料にみる蝦夷」(『古代」一○六、’九九九年)など。(5)渡辺晃宏「歌姫西瓦窯等出土の箆書き瓦」(『奈良国立文化財研究所年報』’九九五年度、’九九六年)。 法政史学第五十八号

(6)拙稿「古代・中世における北方世界の史的展開l境界の地・津軽と南北交流の変遷l」(「通路的景観と交流の文化論lさまざまな道を素材としてl」弘前大学、一九九五年)。(7)拙稿「青森市野木遺跡出土の古代墨書土器」(『市史研究あおもり』二、’九九九年)、平川南「青森市野木遺跡出土の「夫」墨書土器」(『野木遺跡発掘調査報告書」Ⅱ青森市埋蔵文化財調査報告書第五四集’五「平安時代遺物分析総論編」、青森市教育委員会、二○○|年)他。(8)佐伯註(3)前掲論文、石上英一「古代東アジア地域と日本」(『日本の社会史』1列島内外の交通と国家、岩波書店、’九八七年)、鈴木靖民「古代蝦夷の世界と交流」(同編「古代王権と交流」1古代蝦夷の世界と交流、名著出版、’九九六年)、拙稿註(7)前掲論文他。(9)平川註(7)前掲論文。その趣旨は、筆者もパネラーとして参加した「縄文講座北の古代文字世界」(青森県総合社会教育センター、二○○年三月十一日)で述べられていた。なお註(4)に記したように、これまでも各土器を個別に検討し、「夫」字を「夷」と理解せずに、「奉」などと理解する説はあったが、平川氏はそれを全国における墨書土器の使用例から積極的に論証しようとしたもので、相当の説得力を有する。(、)註(9)参照。(Ⅱ)この論点については、本年五月十一日に北海道大学総合

(7)

博物館セミナー(佐伯有清先生喜寿記念論文集出版記念講演会)で「サクシュコトニ川遺跡(北大構内)出土の「夫」字のその後l発掘から二○年l」と題して講演された佐伯有情氏がやはり述べたとのことであるが、筆者は残念ながらそれを拝聴することができなかった。灰間するところでは講演内容はいずれ同博物館の紀要の創刊号に掲載されるとのことである。(、)拙稿「日本古代・中世における境界観念の変遷をめぐる覚書l古典籍・古文書に見える「北」と「東」l」(皆川完一編「古代中世史料学研究』下、吉川弘文館、’九九八年)他参照。

墨書土器研究の一事例(小口)

参照

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