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学位名 博士(芸術学)

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Academic year: 2021

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アーウィン・パノフスキーと同時代 : パノフスキ ーの「イコノロジー」からみた二十世紀初頭のドイ ツの人文科学と美術史学の状況

著者 関 竜司

学位名 博士(芸術学)

学位授与機関 同志社大学

学位授与年月日 2011‑09‑15 学位授与番号 34310甲第513号

URL http://id.nii.ac.jp/1707/00000974/

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博 士 学 位 論 文 要 旨

論 文 題 目:  アーウィン・パノフスキーと同時代―パノフスキーの「イコノロジー」 

からみた二十世紀初頭のドイツの人文科学と美術史学の状況― 

氏 名:  関  竜司

要     旨:

アーウィン・パノフスキーのイコノロジーという芸術理論は、今日の美術史研究でも一般に採用さ れている有力な芸術理論の一つである。しかし一方でこの芸術理論は、美学的な立場からは、極端な 理性主義・観念主義を美術史に押し付けているという批判(ディディ=ユベルマン)や社会学的な観 点の欠如(ブルデュー)などが指摘されており、あまり評価されていない嫌いがある。しかしこうし た批判は、パノフスキーがイコノロジーという芸術理論を作り上げていった当時、――それは言うま でもなく美術史学がアカデミズムの中で認知されていった時代でもあったのだが――の人文科学の現 状を踏まえてない批判であるようにも思われる。本論文は、パノフスキーのイコノロジーが、どのよ うな経緯で二十世紀初頭のドイツの人文学界から生まれたかを明らかにすることで、パノフスキーが 美術史という学問に何を求め、美術史という学問がアカデミズムや一般社会にどのような貢献ができ ると考えていたのかを示そうとしたものである。それはパノフスキーという一美術史家の思いを明ら かにするだけでなく、当時の人文学界の中で、美術史学が一体、どのような役割を期待されて存在し ていたのかを明らかにすることにもつながる重要な研究であるように思われる。

第一部・「芸術理論としてのパノフスキーのイコノロジー」では、パノフスキーのイコノロジーが どのような哲学的背景をもって生まれたのかを、特に「内在的意味(intrinsic meaning・der immanenter Sinn)」あるいは「本質意味(Wesenssinn)」という概念に注目しながら明らかにした。

この「内在的意味」あるいは「本質的意味」という概念は、パノフスキーによれば、リーグルの「芸 術意思(Kunstwollen)」に相当する概念であり、心理学的な概念ではなく認識論的な概念であるとさ れる。そして従来の研究においても、これらの概念が新カント派の影響を受けたものであることは指 摘されてきた。しかし、なぜパノフスキーが、芸術意思という概念を、新カント派的な概念に読み替 えたのかについては明らかにされてこなかった。本論では、リンガーやジョーン・ハートらの研究を 参照しながら、思弁哲学が次第に実験心理学に学問的な権威やポストを奪われていく中で、文学や芸 術、歴史といった実験心理学が扱いづらい領域と連携を取ることでその権威を保とうとした事情を明 らかにした。そうした哲学的潮流の一つに新カント派は存在し、特に西南学派のハインリッヒ・リッ カートは、生の哲学のジンメル、社会学のマックス・ウェーバー、現象学のフッサールらと連携して ヨーロッパの伝統文化を守ろうとしていた。この潮流にパノフスキーもひき付けられ、憧れていたの ではないかということを示した。

しかし一九二〇年をピークにして新カント派は、本来重視していた認識論的主観という契機を忘れ 始め、次第にフィヒテの観念論に近いものに堕してしまい、急速に権威を失っていく。この新カント 派の凋落と新しい哲学の模索の中で、パノフスキーは自らの芸術理論を確立しようとしており、この 哲学的な混乱がパノフスキーの芸術理論を理解する障害になっている。本論では、ハートの研究や『パ ノフスキー往復書簡集(Erwin Panofsky Korrespondenz)』の分析から、パノフスキーがマックス・

ウェーバーによって作られたウェーバー・サークルや、ウェーバーの影響を受けてハンガリーで作ら れたルカーチ・サークルのメンバーと密接に交友していたことを明らかにし、パノフスキーが文化社 会学の方向に美術史が生きる活路を見出そうとしていたことを示した。例えばパノフスキーが一九三 二年に書いた「造形芸術作品における記述と内容解釈の問題について」で示された作品解釈の三つの 意味は、カール・マンハイムが「世界観解釈の理論への寄与」の中で示した文化現象を明らかにする

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三つの意味を参照したものだし、『パノフスキー往復書簡集』を読むと、パノフスキーは、文化社会学 の権威であったアルフレート・ウェーバーの誘いを受けてハイデルベルク大学への招聘が決まってい たが、トラブルのために実現しなかった事情が明らかになる。本論では、こうした背後関係を解き明 かすことで、パノフスキーの芸術理論を、なるべくパノフスキー自身の意図に沿う形で明らかにして いる。またパノフスキーが、現象学や象徴形式の哲学の直接的な影響を受けているという意見に対し ては、パノフスキーの現象学理解は、恐らく新カント派からみた現象学理解(「現象学とは生の哲学の 一つに過ぎない」)に留まっているということ、また象徴形式の哲学に関しても、カッシーラーの象徴 の「機能的価値」のみを重視する立場とは一線を画していることを証明した。

  第二部・「パノフスキーのヴァールブルク受容とイコノロジー」では、第一部で明らかにしたような 理論的枠組みを持っていたパノフスキーが、どのようにヴァールブルクの「イコノロジー」を再解釈 していったのかを明らかにした。パノフスキーは、一九二〇年にハンブルクにやってきているのだが、

それ以前にもヴァールブルクとの面識をもっていた。ただし一九二〇年にパノフスキーがハンブルク にやってきたとき、ヴァールブルクはすでに精神病院に入院しており、ヴァールブルクの学問の全容 を彼はフリッツ・ザクスルから教わることになる。ザクスルやパノフスキーは、基本的に心理学に根 拠を求めようとするヴァールブルクの手法を古いとみなしており、最新の哲学である新カント派やそ の周辺の学問に鋳直す必要を感じていた。本論では一九〇〇年以降、本格的に台頭してきた精神分析 やマルクス主義に対して彼らが、とりわけジェルジ・ルカーチ的な立場から批判を行おうとしている ことを明らかにした。端的に言ってしまうと、ザクスルやパノフスキーが心理学や精神分析、さらに はマルクス主義的な立場を否定したのは、それらの思考があまりに決定論的すぎ、人間の意志や責任 を度外視しているように見えたからだった。パノフスキーとザクスルは、ルカーチが「憧憬と形式」

や『小説の理論』で提唱した「憧憬」や「ユートピア」の概念を採用することで、エロスにも経済活 動にも還元できない芸術作品独特の魅力や感性を捉えようとしている。またパノフスキーは「造形芸 術作品における記述と内容解釈の問題について」や『イコノロジー研究』の「序論」で「ホロフェル ネスの首をもつユディト」の例を挙げているが、これも当時、娼婦や女性の精神が薄弱であることの 象徴とみなされていたユディトを、人間的な意志と責任をもって行動した女性として捉え直したもの であることを示した。この第二部の終わりでは、パノフスキーとザクスルが、ルカーチから明らかな 影響を受けているにもかかわらず、なぜルカーチに言及しないのかについて説明するとともに、ルカ ーチの芸術理論が同時代の芸術研究に及ぼした深い影響を指摘した。

  第三部・「パノフスキーにおける「人文学」としてのイコノロジー」では、ジェルジ・ルカーチの発 見した「第一の自然」あるいは「現存在」としての自然という概念が、その後の哲学や芸術研究に与 えた広範な影響を明らかにするとともに、その中でパノフスキーの提唱する自然概念がもっている学 問的な可能性について論じた。ルカーチは、慣習的世界である「第二の自然」を打破する概念として、

慣習以前の世界である「第一の自然」を持ち出し、その体現者としてドストエフスキーの小説の主人 公たちやユディトなどを想定していた。T・J・クラークは、この「第一の自然」という概念を踏ま えることで、私たちが普段、自然として思い描いている自然は「自然化」された「第二の自然」であ り、第二の自然を自然そのものとみなすことに違和感を覚えたマネやクールベの作品に共感を寄せて いる。またアドルノもまたルカーチの発見した第一の自然やそれを捉えるエセーという手法を高く評 価する一方、ルカーチ本人はマルクス主義に転向することで、それらの概念をマルクス主義の中に包 摂してしまったことを全体主義的であるとして批判している。一方、パノフスキーは、ヴァールブル クの影響を受けて、この「第一の自然」を呪術的自然と読み替ることで、自然科学と文化科学との連 携をはかる。このヴァールブルクの美術史研究の方法と、リッカートやルカーチらの構想した哲学的 枠組みを総合したところにこそ、パノフスキーの「イコノロジー」の真の学問的意義があり、この読 み替えは今日、硬直化している美学・芸術学研究に大きな寄与をなすものであることを指摘した。

第三部の最後では、ルカーチが革命思想に走った原因が、この第一の自然による慣習的世界の打破 にあったことを示すとともに、その態度にパノフスキーが同調できなかったことが彼独自の「人文学」

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を構想させたことを明らかにした。しかしその「人文学」も今日的な視点から見たとき十分なものと は言いがたく、ヤロスラフ・ペリカンのいう「文化史の中でのキリスト像」という視点から乗り越えら れる必要があると結論づけた。

参照

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