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ミリンダ・ディーカー訳註(三)

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Academic year: 2021

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(1)

威 玉     井

ミ リ ン ダ ・ テ ィ ーカ ー訳註

本稿は 『 同朋大学論叢』 第五十一号お よび同第五十三 ・ 五十 四合併号に所収の 拙稿 ( ミ リ ンダ ・ テ ィ ーカ ー訳註日, ぐ二)」 の続稿で あ る。 第三品におい て, 第一番 目は時間の根本の間で あ る。 〔51〕 地 面 に輪を 描 い て ( alikhitva) と は, 輪 を 何度 も ま る く 描い て (likhitva) , で ー あ る。 第二は, 前際 ( purima   koti) は知 られ ない こ と の問で あ る。 五 五 六

〔 〕 匹

よ 命名 ( 掻

卵)

義こ

(namana) の義によって, 四無色薙が名(nama) であるl

ここでは, 異熟としての名

が意味せ られた 。 冷 さ 等に よ っ て壊れ る (rapana) 義 に よ っ て色 (rnpa) で あ る。   不異 門 (nippariyaya) か らすれば, 九十六色か ら な る と言われ る決定色 (nipphannarilpa) かお り, 異門 ( pariyaya) か らすれば, 十腿の ( p. 13) 不決定色 (anipphannarapa) が あ る。 眼 ・ 耳 ・ 鼻 ・ 舌 ・ 身 ・ 有 (bhava) ・基 (vatthu) の七つの十者一具 (dasaka) と, 心所生 ・ 季節所生 ・ 食所生 (citta-utu-aharaja) の三つ の八者一具 ( atthaka) と , 心所 生 ・ 季節所生の声に よ る二つの声 と が九十六色か ら な る 〔決定色〕 であ る。 而 るに, こ こ で は茶所生色 ( kammajarnpa) が意味せ られた。   その業にに よ っ て他 の名色が結生す る と は, そ の善 ・ 不善 の業に よ っ て他 の名色, 〔即ち〕 善趣 ・ 悪趣に 繋属す る他 の未来 の名 色が, こ の現在 の名色 と と もに結生す る, で あ る。 尊者 よ, 最初のマ ン ゴ ーの実 を , 〔即 ち 〕 先に あ った根本の原因を現 に見てはい ないが, 〔即ち〕 放棄 してい るが (vijahitva) 。 一 生成 した 最後のマ ンゴ ー 〔ミの実〕 に関 し て彼は罰を 受け るべ き で あ る と い う 意味 で あ る。 -  一 第六は, 七つの回喩で飾 られた 名色結生の問で あ る。 〔44〕 務 め (adhikara) と は, 大い な る恭敬 ・ 供養で あ る。 こ の第七 の間は, 再質問の 場で , 讐喩を 聞 きた い と欲求す る こ と で , 再び 問われた も ので あ る と知 るべ きで あ る。 第 七は結生 の再質問の問で あ る。 第八 は名色の間で あ る。 第九 は時 間の間で あ る。 〔以上 で 〕 九 関を 有す る第二章が 〔終 った〕。

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五 五 五 大工が巧みに工作せ られた木材を継 ぎ 目に挿入 し固定さ せ る と は, 同朋学園佛教文化研究所紀要第七 ・ 八合併号 〔52〕 〔五〕 薙は苦 の種子で あ る とは, 結生 した 〔五〕 羅は, あ らゆ る ( kevala) , 〔即 - ・ 一 一        -ち〕 すべて の (sakala) 転起 した苦 の集 ま り の根本原因で あ るか ら種子 で あ る。 こ のよ う に 〔結生ので〕 刹那の端 (khaりakoti) と称せ られ る結生の 〔五〕 菰 よ り転起 した苦は増大 す る こ とがで き る とい う 意趣で ある。 第三は端 〔よ りで〕 増大す る こ との間で ある。 大王 よ, 眼 と諸色 と があ る と き眼識があ る と は, こ の場合, AbhidhammavataraUka の教説に よれば, 多 く の眼浄が 一方に 倶生 して あ る と き, 清浄な る 眼は 眼識 の 依止縁 (nissayapaccaya) で あ る。 而 るに, 眼 と とい う よ う に単数で 示 し , 諸 色 と とい う よ う に一 一一        一 複数で 示 して い る こ とか ら, 多 く の色 も ま た眼識 の前生縁 ( purejatapaccaya) で あ る。 縁性は差別を 自性 とす る も のだ か ら で あ る と 見 るべ き で あ る。 第四は, 〔生起す る と こ ろ の〕 何 らかの行はあ るか と い う 問で あ る。 大王 よ, 実 に行 (saflkhara) は現 に存在 しつつ生起す る と は,ー こ こ で は, 過去 におい て生 じた も の と し て , 直前 の縁が先行す る も のの中に あ る とい う 意味で ある。 (p. 14) こ の偶 と, 〔これ と〕 同様の偶で あ る 「〔以前〕 に存在 しな く て 今生ず る」 と い う 筒 と は, 刹那に関す る伺で ある と見 るべ きで あ る。 こ のよ う に前者 と後者が一致す る か ら で あ る 。 〔53〕 洪木の先端で 作用 を 行 な う 棒が上洪木 (uttararaが) と言 われ る。 第五 は, 七つー の讐喩を 伴 った存在 しつつ生起す る こ と の問で あ る。 第六は霊魂の問で あ る。 第七は眼識等の問で あ る。 〔60〕 接触 ( phussana) を相 とす る と は, 心 と所縁 と の接触を 相 とす る, で あ る。   眼一 は 〔一方の牡羊 の〕 如 く と は, こ こ で は, 眼を 浄色 と み る こ と も, 眼識 とみ る こ と も認 め られ る。 眼浄が認 め られ る場合には, 衝撃味 (samghatanarasa) とい う のは, こ れには 基 (vatthu) と所縁 と の衝撃味があ って, それの成就 ( sampatti) で あ る と の義が認め ら れ る。 眼識が認め られ る場合には, 心 と所縁 と の衝撃味があ っ て, それ の作用 (kicca) で あ る と の義が認め られ る。 ま た , 衝撃味 と い う のは, 五 門に属す る触におい て認 め られ, 意門に属す る触においては認 め られない。 こ のよ う な義はア ッ ク サ ー リニ ーにおい て, ま さ に説かれた こ と で あ る。 第八は触の相の問で ある。 第九は受 〔の相〕 の間で あ る。 (D61) 第十は想の相 の間で あ る。 第十一は思の相の問で あ る。 印2〕 第十二は識 の相の間で あ る。 2 -大工の人が巧みに よ く 工作せ られた木材を , 継 ぎ目に挿入 し, 到達 さ せ, 取 りつけ る こ とで ある。

(3)

よ っ て 第四章において , 〔65〕 王 よ, 種 々の 最初の間の第一が分解 の間で あ る。 〔6豹   塩だ けが運ばれ るべ き で はない か と は, 車に軌せ られた 牛に よ っ て , た だ塩だけ が運ばれ るべ きで あ る と い う こ と で あ る。 大王 よ , 塩だ け が運ばれ る こ と はで き ない とい う読み方 (patha 異文) かお るべ きで あ り, 写本 (potthaka) には, na とい う 文字が見 られ る。 第二 の塩 の問は, 法相を 完全に確立せ し め るた め に, 長老に よ って , 初 めて 王に 対 して説かれた も ので あ る。 こ こ まで で 四十の間が終 った。 ミ リ ンダ ・ ティ ーカ 一訳註   ㈲ 第十三は尋 の相 の間で あ る。 第十四は伺の相の間で あ る。 ( 以上で) 十四の間を 持 った第三章が終 った。 〔63〕 い ち い ち 分解 し て と は, 各 々別 々に, い ちい ち分けて , で あ る。 章 よ り はみ出た 〔66〕 あ らか じめ たた めで あ るか と は, 前 も っ て , 努力 と 同時に転起 した 業で も て で はない と は, 苦界 に属す る有情 の五処は, 程 々の不善業に よ って (p.   15) 生 じた ので あ り, 善趣に属す る有情 の五処は, 揺々の善業に よ って 〔ミ生 じた ので あ っ って〕, 一つの 業 〔即ち〕 一つ の結生 を 生 じ る業だ け に よ っ て生 じた 〔ので はない〕。   Abhidhamm ava-tara-tika に あ る 「結生の刹那には, 上二界の思は業縁 (kammapaccaya) の故に, 業 作色 (katattariipa) の縁で あ る」 とい う語 に よ って , 結生 の刹那には, 現在 のす べて の業 作色には業縁があ る と 知 られ る。 「根の生起があ る時, そ の時, 極 々な る思は, 上二界の 業 と 欲界 の業 に よ って 生 じ た業作色に到 るだ ろ う 。 ま た, 一つ の結生は多 く の業に よ って 生 じた も ので はない」 とい う こ と と, 「一つ の業 に よ って 多 く の根の生起があ る」 と言わ れた こ と を 伺察 して, よ りふさ わ しい方を 取 るべ きで ある。 こ こに次 のよ う な伺察の行相 があ る。 す なわち, 上二界の有情 の諸根は, 結生 を生 じ さ せ る一つ の業に よ っ て生 じた。 而 るに, 阿羅漢 ・ 漏尽者 ・ 仏所覚を 知 る者で あ る ナーガセ ーナ長老は, 彼 の意趣に従 って 欲界の有情 の 〔諸根は〕 種 々の業に よ って生 じた も ので あ る と理解すべ き で あ る。 第一 〔,の間〕 は, 極 々な る業に よ っ て生 じた処 (ayatana) の間で あ る。 高貴な家柄 ( mahakulinata) と は, 高い (ucca) 家柄で あ る。 或は次 のよ う な一節が ー あ る 。 病 ・ 容色 ・ 権勢 ・ 富 ・ 家柄 ・ 智慧 ( のそれぞれ優 と劣 な る者について) の これ ら十四 の問 も 須婆経 (Subhasutta) の中で 明 らか にさ れた。 こ の偶は, 快 よ く 声高に暗誦す る楽 しみのた めに, 古聖 ( por助 a) に よ って言われた も ので あ る。 第二は人 の種 々性の間で あ る。 五 五 四

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同朋学園佛教文化研究所紀要第七 ・ 八合併号 っ て 努力が なさ れた ためにか, と い う 意図で あ る。 為す べ き こ と を 為 さ ない (akiccakara) とは, こ こでは, 望み通 り の結果 と 称せ られた 為すべ き こ とを 為 さ ない (kiccam   na karoti) とい う ので , 為すべ き こ と を 為 さ ない (akiccakara) で あ る。 これは適切 な 〔語 の〕 省略ではない。 死者のた めの食物で ある供物を 食べない (saddham  

malakabhoja-nam

na   bhufijati) とい う のを, 供物を 食べない (asaddhabhoji) と 〔言 う〕 よ う な も ので あ る。 食べ よ う と欲 した とは, 飢え を 克服 し よ う と した , で ある。 第三は, あ らか じ め為すべ き こ と を為す こ と の間で あ る。 〔67〕 焼かれて (paccamana) とは, 地獄の火に焼かれて ((Jayhamana) で あ る。 モ一 の限 り (tava) 彼は死ぬ こ と がない 〔と は〕, その限 り 〔即ち〕 そ の限 り (tattakanl) , 地獄 の有情 であ る彼 は死ぬ こ と がない, で あ る。 〔68〕 業 の影響に よ っ て と は, あ らか じめ引 きお こ さ れ, 根本 の原因 と な った業 に よ っ て, で あ る。 第四は不溶解の問で あ る。 第五は, 虚空 と水 と地 の保持の問で あ る。 〔69〕 執着 し て と は, 渇愛に よ って貪食 し, むさ ぼ り尽 して, で あ る。 第六は涅槃は滅 で あ る こ と の間で あ る。 (p. 16) 詔知されるべき (abhififieyya) 撮とは, 非常に勝れた四諦智によって知られ るべ き法 〔即ち〕 四諦法で あ る。 第七は涅槃を 得す る こ と の問で あ る。 第八は, 涅槃を 〔安楽で あ る と〕 知 る こ と の問で ある。 〔以上で 〕 八つ の問を 持 った 第四章が 〔終 ったつ。 第五章において, 第一 〔の間〕 は仏陀不存在の間であ る。 第二は無上者仏陀の間で あ る。 〔71〕 仏陀は無上者であ る と知る こ とがで き るか とは, 王がすで に先に, 「世尊 ・ 仏陀 は無上者で あるか」 と長者に間 う た のに, 何故, こ のこ とが再び 〔こ こ で〕 問われた のか。 先の問は長老が 〔L仏陀が無上者で あ る と〕 了知す る こ と に関 して 問われた ので あ り, 後の 問は 〔人々が仏陀が〕 一切智者 〔で あ る こ と〕 を知 るこ とに関 して 問われたのであ る と知 るべ きで あ る。 第三は, 仏陀は無上者で あ る と 〔知 る こ とが〕 で き る こ と の問で あ る。 仏陀の導 きに よ り ( Buddhanettiya) と は, これに よ って, 涅槃に導 き, 天界に 〔導 く 〕 か ら導 きで あ り, 経 と 阿毘達磨の 〔二つ の〕 聖典の こ と で あ る。 こ れ に よ って , 世尊 の命令 (al:la) が制定せ られ る ( pafifiayati) と い う ので所制 (pafiiiatti) で あ り, 仏陀 の (Buddhassa) 所制が仏陀の所制 (Buddhapaflfiatti) で ある。 律聖典のこ とで ある。一 声聞た ち は命ある限 り遂行すべ きで あ る とい う こ の こ と が, 何故に, 長老に よ って , 「そ う です。 大王 よ, 私は法を 見た」 と答え られないで , 言われた のか。 王は, 長老が法を見 五 五 三

(5)

40 どの で は な い と ミ リ ンダ ・ ティ ーカ ー訳註 ㈲ た とい う こ と を 親 し く 知 っ て い なが ら, 〔L長老 の〕 美事な 弁舌 を 聞 きた い と 思 っ て , 〔「 あ な たは法を見たか」〕 と 間 うた ので あ って , 〔長老が法を見たか ど う かを〕 知 るた めで はな い。 長老は彼 の意向を 知って, あのよ 引こ答えた ので ある。 実 に未だ見ざ る法は, 仏陀の 導 きに よ り, 仏陀の所制に よ り, 命ある限 り, 遂行す る こ とがで き るか らで ある。 第四は 法 を見 る こ と の問で あ る。 第五 は転移 し ない こ と の問で あ る。 ヅ エーダ グー (vedaga) は認め られ るか とい う こ の間は以前 に問われた のに, 何故に再 び 〔こ こ で〕 間われた のか。   前の問は霊魂 ( jiva 命我) と して のヴ ェ ーダ グーに関 して 問われた ので あ る。 こ こ で は, バラ モ ン, 即ち ヴ ェ ーダ の達人 (vedagii) な ど と言われた 人 (puggala) と し て のヴ ェ ーダ グ ーに関 して 間われた。   も し長老が, 「 〔ヴ ェ ーダ グー は〕 認め られ ない」 と答え るな らば, 〔王はで〕 彼の 〔その〕 言葉におけ る誤 りを指摘せん と 欲 し て , 〔こ のよ う に〕 問 う た ので あ る。 然 るに, 長老は, 存在に よ る非存在な る も の の施設 (vijjamanena   avijjamanapafifiatti) に関 して , 大王 よ, 勝義 におい て は (pa-ramatthena) ヴ ェ 一ダ グーは認め られ ない と言 った ので あ る。 勝義におい て は認 め られ ない と い う のは, 慣習的 な言説 と して は (voharato) 認 め られ る, とい う のが長老の意 趣 であ る。 第六は, 人 と して のヴ ェ ーダ グーの問で ある。 五 五 二 〔72〕 〔74〕 一到 る と こ ろ よ り流出す る とは, この身体は糞尿等の不浄の ものを到 る と こ ろ よ り 読 出せ しめ る, で あ る。 第六章におい て, 第一 〔の問〕 は, 身体不可愛な こ と の問で あ る。 第二 は時機到来の問で あ る。 は, 〔その:〕 男が盗んだ マ ンゴーと, その所有者に よって植え られ, 植え られた結果マ ン ゴ ー と な った も の と は同一で はない , と い う 意味 で あ る。 第 七は, こ の 〔身体〕 よ り 〔他 の〕 身体 〔へ移転す る も の〕 の間で あ る。 第八 は, 何処に とい う 問で あ る。 (p. 17) 〔73〕 第九は, 生起す る こ と を知る とい う 問で あ る。 第十は仏陀実在の間で ある。 〔,以上で〕 十の間を も った 第五章が 〔終 った〕。 られた と は, こ の場合, 三十二大人相 -の形態 を と った ものは, 多 く の経典において伝来 さ れ, 明ら かに さ れて きた。 八十随相の 形態 を と っ た も のは明 らかに さ れ てお らず, ただ   Jinalaflkara-tika におい て のみ伝来 さ れて きた 。 それ故 に, それ を見 て み よ う。 八十随相 と は何で あ るか。 1 ) 諸指 の間が充満 し てい る こ と, 2 ) 正形の指 を有 し てい に よ っ て

(6)

同朋学園佛教文化研 究所紀要第七 ・ 八合併号 る こ と , 3 ) 指 の爪が 円い こ と , 4 ) 赤銅 色の爪, 5 ) 長い爪, 6 ) 湿 り のあ る爪, 7) く るぶ しが隠れてい る こ と, 8 ) 均等な両足, 9) 象の如 く 歩行す る こ と, 10) ラ イ オ ン の如 く 歩行す る こ と, 11) 賢鳥の如 く 歩行する こ と, 12) 牡牛の如 く 歩行す る こ と , 13) 身体を 〔廻す時は〕 右旋す る こ と , 14) 完全に美 しい膝小僧, 15) 完全な丈夫 の相, 16) 孔隙のな い臍 , 17) 深い臍, 18) 右旋回 し てい る臍, 19) 美 しい 玲鹿 のよ う な 腿, 20) エ ラ ーヴ ァ ナの手に等 しい手, 21) 形の正 し い肢体, 22) 光沢のあ る身体, 23) 清潔な身体, 24) よ く 区分せ られてい る身体, 25) 身体が増盛 し ていた り沈没 して いた り し たい こ と, 26) 退縮 して いない身体, 27) しみ等のない身体, 28) 形が正 し く 光輝のあ る身体, 29) 清浄な身体, 30) 百億の象の力を有す る身体, 31) 高い鼻, 32) 形のよい鼻, 33) 赤い島 の肉を も ってい る こ と, 34) 純白の歯, 35) 極めて清浄な根 ( 感官) , 36) 円い歯, 37) 赤 く 形の正 しい唇, 38) 広長 な顔, 39) 深い手紋, 40) 長い 〔手〕紋, 41) ま っす ぐ な〔手〕 紋, 42) きわめて 美 しい輝 き のあ る形の 〔手〕 紋, 43) 円満な身体を 有す る こ と , 44) 円 満な頬, 45) 長 く 広い眼, 46) 五つ の清浄 を具 して い る眼, 47) 先端が曲が った 腿毛, (p. 18) 48) 柔か く 薄 く て赤い舌, 49) 長い舌, 50) 長 く 光輝ある耳, 51) 結節のない脈, 52) 脈が隠れてい る こ と, 53) 頭が蓋に似て美 しい こ と, 54) 額が長 く 広 く て光輝のある こ と , 55) 形 のよい 眉, 56) 黒い 眉, 57) 柔かい眉, 58) 順当な 自然 の流れの眉, 59) 大 き な 眉, 60) 長い 眉, 61) 優美な る身体, 62) 極 めて輝 か しい身体, 63) 極めて上品な身 体, 64) 極めて広大な身体, 65) 蓮華の如 き身体, 66) 湿 り気のあ る身体, 67) よい香 り のあ る身体, 68) 身毛が平等で あ る こ と , 69) 出入息が極めて微細に保たれてい る こ と, 70) 口の形が よい こ と , 71) 口に よい 香 り があ る こ と , 72) 頭 に よい香 りが あ る こ と , 73) 紺青色の髪, 74) 右に旋回 してい る髪, 75) よ く 整え られた髪, 76) 湿 り気のある髪。 77) 柔かい髪, 78) 髪が乱れてい ない こ と, 79) 髪が花鬘宝の如 く 美 しい こ と, で ある。 第三は三十二大丈夫相の間で あ る。 〔76〕 第五 は梵行者の問で ある。 第六は涙の間で あ る。 第七は味 の感受 の間で あ る。 〔77〕 第八 は慧 の問で あ る。 第九は輪廻 の間で ある。 第十は念 ( 記憶) の問で あ る。 五 五 一 〔78〕 い 〔 と は〕, こ の よ う に, 私の思念の行相におい て は, 一切の記憶 が 自覚的に知 っ て , 〔即ち 〕 自ら 自 然に して , 他か らの指示な し に生ず るな らば, 外部か ら助成 さ れ る, 〔即ち〕 完全な る放

(7)

ミ リ ンダ ・ テイ ーカ ー訳註 同

棄 ・ 他か らの指示 と称せ られ る外部か ら の助成を 伴 った記憶は存 し ない , とい う 意味で あ る。 第十一は記憶 の自覚的証知の問で あ る。

〔以上 で〕 十一 の間を 伴 った第六章が 〔終 った〕。

自覚的証知 (abhijana) よ り と は, 記憶は abhi と残 りの fi切 a と の結合 した も のよ り 〔生ず る〕 であ る。 圧迫 とか他か らの命令 と称せ られる外部か らの助成(katumbhika) に よ って とい う のが, 外部か ら の助成に よ って (katummikaya) で あ る。 大所縁に対 し て転起 した識 よ り とい う のが, 豆な る識 (o!arikavififi切 a) よ りで ある。   苦 と い う不利 益に対 し て転起 した識 よ り とい う のが, 不利益の識 よ りで ある。 相似 した所縁 よ り とい う のが, ( p. 19) 相似 した 相 (nimitta) よ り であ る。   - -- 名 ・ 顕色 な どのよ 似こ 相互 に 相違 してい る所縁 よ り とい う のが, 相違 した 相よ りで ある。 他人 と の談話 と称せ ら れ る 表徴 (abhififi随 a) よ り と い う のが, 談話 と い う (認識の) 表徴 よ りで あ る。 牡牛 ・ 荷車 ・ 歯 ・ 吹出物等 の相 よ り とい う のが, 相 (1akkha卯) よ り で あ る。   他の も のが憶念せ し め る こ と よ り と い う のが, 憶 念 ( sara卯 ) よ り で あ る。   文字の学習 よ り とい う のが, 記号 よ りー である。 神通 (abhififia) と称せ られる修習よ り とい う のが, 修習 よ_ りで ある。 書物に書 かれて あ る教 誠 と か文字 と かを憶持す る こ と に よ り と い う のが, 書物を 参照す る こ と よ り一 一 で ある。 〔色乃至法の〕 六所縁を 以前に経験 した こ と よ り とい う のが, 経験 した こ と よ り で あ る。

〔79〕 促す (nibandhanti) と は, 迫 る (pi! enti) であ る。 書体を学んだ こ とに よ って と は, 文字を学 んだ こ と に よ って で あ る。 第七章において , 第一 〔の問〕 は, 記憶 の行相 の問で あ る。 〔80〕 第二は, 百 〔年間で3 の問で あ る。 第三は, 未来の間で ある。 〔82〕 第四は, 梵天界が遠い こ との問で ある。 第五は, 梵天界 と カ シ ミ ーラの問で ある。 ( 83) 第六は, 七覚支の間で あ る。 第七は, 福徳がよ り大 きい こ と の間で あ る。 〔80   第八 は, 知 ・ 不知 の間で あ る。 第九 は, ウ ッ ク ラ クノレの間で あ る。 〔85〕 第十は, 長い骨 の問で あ る。 第十一は, 出息入息の問で あ る。 第十二 は, 海 の問で あ る。 〔86〕 第十三 は, 同一の味 の間で あ る。 五 五 〇

(8)

同朋学園佛教文化研究所紀要第七 ・ 八合併号 よ る第二 の切 断は存在 し ない (natthi   dutiyam   pafifiaya   chedanam と は, 懸 五 四 九 今 (sampati) 何時か と は, 今 (idani) , 現在何時か とい う意味で あ る。 出て 行 く で あ ろ う と は, あなた と 一緒 に出て 行 く で あ ろ う , で あ る。 財宝か ら は, 財宝の庫か ら で あ る。 一 王 の贈物 と は, 王 の財物 で あ る。 〔88〕 問に対す る彼の解答に満足 した王 とは, 八十の間に対す る ナ ーガセ ーナ長老の解 答に満足 し た王 , で あ る。 内話 (abbhantarakatha) において は, 第一 日目に, 八十八間 〔の う ち 四間〕 が答え ら れ, 〔二 日目に〕 王宮において 食事の も てな し を受けて か ら , 〔三 日目の〕 初更 の終 り ま で の三 日間 に答 え られた 問は, 八十八間で あ っ た。 (p. 20) 外話 (bahirakatha 序話) に おけ る問は三つ で あ る。 それ と 合わせ る と , 九 十一 問 と な る。 九十一の問によ って飾 られた ミ リ ンダパ ンパ , の註釈が終 った。 と と も に二種類 の切断 と な る よ う な そ うい う切断は存 し ない とい う意味で あ る。 第十四は。 切断の問で あ る。 第十五は, 生物の命我 (jiva) の間で あ る。 〔87〕 第十六 の為 し難 き問が, 最初, 長老に よ っ て言われた。 〔以上で〕 十六の問を 伴 った 第七章が C終 っ た〕。 註 1.       Cf. A s1・ p.392 (原註 5) お よび As1. p. 52 参照。

2. 原 文に は viμ kanana隼 と あ るが vipakanamanl と 訂正 すべ きで あ ろ う。

3. 原文には sila- と あるが, sita- と訂正 すべ き で あ るら 4. パ ー リ では通常 ruppana と い う語形が見 られ る。   サンス ク リ ッ ト には rapaりa とい 5 語形 か お る。 5. 原文に は bhava と あ るが, bhava と訂正 すべ きで あ ろ う。 6. 原文には -aharaja と あ るが -aharaja と訂正 すべ きで あ る。

7. 原文は ambabijam で あるが, MS. は -bijjam であ る ( 原註 1) . Miln. 本文にはただ

ambam と あ る のみ で あ る 。 - 8 -略号 Vin= Vinaya (PTS) M = Majjhimanikaya (PTS) D   = Dighanikaya (PTS) その他 の略号の表記は 「 ミ リ ンダ ・ テ ィ ーカ ー訳註日」 ( 同朋大学論叢第51巻所収) の略語表に従 う。

(9)

ミ リ yダ ・ ディ ーカ ー訳註

  ㈲

こ8. 原 文は apaccakkhaya で あ る。 こ の語は, PTS の Pali-English

  D ic.

(s. v. apaccakkha)

に よ る と, 形容詞 apaccakkha 〔a十p吋i十akkha〕 ( unseen) の女性形, 具格で あ り, 副詞 と し て 用い られ, without   being   seen ,    notby   direct   evidence    の意味 で あ る とい う。 中村 ・ 早島両博士 の訳はこれに従 って い る ( 『 ミ リ ンダ王 の問い   I 』 平凡社 ・ 東洋文庫 7 ・ 一二四頁参 照) 。 本稿 の訳 もこれに従 う。   R hys   Davids    の T he Questions   of     K ingM ilinda ( pt. I , SBE

   voI. xxxv) には この部分は訳 されていない。 と こ ろが, I . B. H orner は こ の部分を not

・disclaiming

  responsibility

  for

    themangoes(mentbned) first と訳 し, 試訳にすぎない と し てい る ( Milindas

  Questions, v01. I , p. 64;

  ibid.

   nt. 2) 。 これは apaccakkhaya を

paccakkhati 〔pati十a十y khya〕 ( to

  speak   against,   to   reject,    to refuse) に否定辞 a- の つ いた ものの gerund と解 した もので あ ろ う。 因みに, A   Critica1   P油 Dic. (s.v .   apaccak-khaya) も後者の解釈 を と ってい る。 後者に従えば, Miln. 本文の訳は, 「最初 のマ ンゴ ーに対 しては責任を放棄 しないが, 最後のマ ンゴーに関 して彼は罰を。受けるべ きである」 とな る。 しか し, 註釈が apaccakkhaya を vijlhitva (放棄 して) と言い換えてい る と こ ろか らする と, 「責 任を放棄 しない」 とはまさに反対の言とな って, 恐ら く 註釈者は前者の解釈を と った ものと,思わ れ る。 な お, シ ャ ム本 (p. 66) も Miln.   と同座であるが, 南伝大蔵経中の 「弥蘭王間経」 ( 第 五九巻上 ・ 九四頁) では意訳 されていて, いずれ の解釈 を と って いるのか不明で ある。 9・ 原 文に は sotiikama と あ るが, sotukama- と訂正 すべ きで あ ろ う。 10.   M S. には -kkhi- と あ る ( 原註 3) 。 原文には こ の語の直前に abhnso とい う語があ って, ジ ャ イ ニ氏は これに疑問符 を付 し てい るが, A   Critica1   Pali   Dic. の説明に よれば, これは本来 a と bhuso の二語に読 まれるべ き もので, bhuso は a が接頭辞で ある こ とを説明する もので ある とい う ( s. v. abhuso; abhasoは various

  reading) 。 従 って , 原文の abhasoは 副 khitva とい う語 の中の a- が接頭辞で あ る こ と を示 した もの と考え られ る。

11. 原 文は Khandha

  ca

     dukkhassabijaniであ るが, Miln. 本文では khandhaca

  kevalassa dukkhakhandhassl   biji ni   とな っ て い る。 12. 原 文に Abhidamma- とあ るのは, Abhidhamma- と訂正すべ きで あ る。 な お, この註釈書 に つ い て は T he   Pali   L i ヒerature   of    Ceylon, p. 200 参照 ( 原註 5) 。 ゛13. 原 文に は A tthi   keci    saiijananapanho とあ るが, これでは こ こ の問いの内容を表示す る間 名 とはな って いな い。

   M iln. 本文中 ( p. 52, 1. 10) に atthikeci

  saflk hara   ye   jayanti   な る 一節が見え るので, こ こは Atthi   keci   sa能 harapanho と すべ きで あ ろ う。 訳 はこ れに従 う。 ゛14. 意 味が 不明 であ る。   M iln.   (p. 52) 中には見出せな い ( 原註 1 参照) 。 ゛15.

    こ の文 は Miln. p. 52, 1. 1 に ある。 ただ し, 原文の ahutvasam〔bh〕:)ti は, Miln. で は

ahutva

   sam bhavati と な っ て い る。

16. 原 文に は upamasahit6 と あ るが , upamasahito と訂正 すべ き で あ る。

17.

こ こは原文では イ タ リ ッ クにな って いないが, Miln. 本文中にある文な ので, イ タ リ ッ ク体で

示 すべ き で あ る。 な お , こ こ の phussana は, Miln. では phusana で あ る。

18. こ こは Miln. 本文にあ る yatha   eko`m9 (Jo   evam   cakkhu‥‥ とい 5一節の註釈 と考え られ るので, 原文の方を Y atha 〔一加 -〕 cakMm と イタ リ ッ ク体で示すべ きだ ろ う。 ^19. 原 文は Yatha   cak khupasado

   labbhati で あ る が , こ のあ と に Y ada cakkhuvifin師 anl

pi    labbhati とい う一文が見え, かつ限浄は眼識 と並列的に扱われて いるので, 後者の眼識 (ca-kkhuvi丘n晦 a) の場合に合わせて, Yad5   cakkhupasad0   1abbhati   と読んで訳す。 20. Asl. p. 108 ( 原註 2 参照) 。

21. 原文には Vad〔(J) haki とあるが, MS. が Vadhaki とな っていたのであれば, Vad( (J)

〔〔J〕-五

(10)

同朋学園佛教文化研究所紀要第七 ・ 八合併号 haki と訂正すべ きで あ る。 22. この 「分解の間」 と次の 「塩の間」 が終った と ころで, Miln. 本文には 「 ナーガセーナ と ミ !ア ンダ王の問が終 った」 ( p. 64) とい う結語が添え られている。 このこ とは現在の Miln. が逐次, 増広成立 してい った こ とを想像 させ るが, いずれに し ろ , これ ら二間は第三章には含まれず, い わばこの章に付随した形で, こ こに置かれている。 註釈に 「章よ りはみ出た」 とあるのは, こO こ と を物語 って いる。 シ ャ ム本にはこ の結語はな く , こ れ ら二問は次の第四章の中に収め られて い る 。 23. 原文には balib(v) addehi とあ って 語中の bを vに直すよ うに校訂 して あ るが, パ ー ジテキス ト中には balibadda とい う語形 も見 られ るので (Vin.   I V ,   p. 312) , banbaddehi のま までよ いで よい で あ ろ う。 21, これに よる と, Mnn T の作者が依拠 した版には, 「大王 よ, 塩だ けが運ばれ る こ とはで きた い」 とい う文 とは異な る文があって, naとい う否定辞はそこ にはなか った よ うに推測 され る。 し か し , ジ ャ イ ニ氏が こ の部分を イ タ リ ッ ク体で示 した よ うに, Miln. 本文には, こ の一文は存在 する。 25. 原文には tecattalisa   panha    と あるが, こ こ ま でで 四十問が終 っ た こ と にな るか ら, te cat-talisa    pai ha と訂正 すべ きで あ ろ う。 或は tecattalisa の まま では 四十三 とな るが , 外話 (序 話) の三間が これに含まれて いる とみるべ きか ( 本註 64 参照) 。 25. 原文には nibbattani (生 じた) とあ るだけで否定文 とな っていな いが, こ こ には na とい } 否定辞が あるべ きで あ ろ う。 2Z. パ ー リニ 十四緑の一で , 業 と異熟 と の関係で あ る。 23. 業等起色 ( kammasamutthana-rnpa) と もい う。 29. 原文には nibbati とあ るが, 原註 2 で示 された MS. の nibbattani の方が, こ の場合はふ さ わ しい で あ ろ う。 30. M iln. では mahakulina とな っ て い る。 31. こ の喝の言お う と している こ とは, ニ カ ーヤ中部にあ る Ca! akammavibhaflga-Sutta ( N0. 135) に説かれて いる (cf.   M . I I I ・   p. 203.    原註 3) 。 この経典には, こ こ に挙げられた病等O 六項 目の他に, 寿命 (ayu) が最初に挙げ られ, 以下こ れ らについて , 例 えば, 人には如何なる 因縁で, 長寿の者 ・ 短寿の者, 多病の者 ・無病の者 とい 5 よ うに, それぞれの優劣があるのかと い う問があって, 数え上げる と十四になる。 従って, 偶文中には 「寿命」 の項が欠落していると み るべ きで あろ う。 これ ら の間は, Miln. 本文中にお い て も, ミ リ ンダ王に よ っ て発せ ら れてい る。 なお, 現在のニ カ ーヤの中で, Subhasutta と名づけ られている ものには ( D. N0. 10;   M ・ N0, 93) , 寿命等のこ とは言及 されていな い。

32. 原文では babhukkhito で あ るが, Miln. 本文中にあ る bubhukkhito に従 って訳す。

33. 原 文には khudha- と あ るが, khuda- と 訂正 すべ き で あ ろ う。 な お M S. で は

khuddha-とある ( 原註 6) 。

31. 原註 7 に, Miln. では -mano とある と註されているが, 実際はそ うではな く , Miln. におい

て も -man5 で あ る。

35. 「業の影響によ って」 とい う語句は, Miln・

  p. 67 に初出す るので, 〔67〕 の下に摂すべ きで

あ ろ う。

36. 原文は

  Akasa-udaka-pathavidhara卵 panho で あ るが, Miln. 本文の内容か らすれば, akasa と udaka の間に, vata ( 風) を入れ るべ きで あ ろ う。

37. 「 あなたは法を見たか」 とい う王の質問に対 して, ナーガセーナがこれには直接答えないで。

- 10

-五

(11)

M iln   T   原文 dakkhi卯 vattagattata suvaりQakaddaliiruta E rava卯 akarasadisa-* bhujata matthagattata sucigattata kotisahassahatthibala-dhara〔皿 〕gattata susaりthananasata** rattadvijamamsata susukkadantata suvisuddhindriyata rattotthasamabimbata gambhirapaがlekhanata ayatalekhanata ujulekhata parimal;1(Jalakayavan-tatii akucchitagga〔pa〕khuma-ta Dpd・ dakkh防avattagatita 欠 dviradakarasadisa-urubhujata mattagattata 欠 -dharaり ata ミ リ ンダ ・ ティ ーカ ー訳註   叫 「仏陀の導きによ り …… 遂行すべきである」 と 答えたこ と について, Miln. の校訂者である TI゛ellckner は, こ こ には脱文があ る と見ている (cf.   M iln・   p. 422,   notes) 。    R hysD avids は・ こ の一節は一種の 判 じ物 (riddle) であるこ とが 意図 されたのか も知れない と述べてい る (The   Questions   of

    K ing M m nda, pt. I , SBE, v01. χχχv, p. 110, nt. 2) 。 38.    Cf. M iln. p. 54. 39・ 拙稿 「 ミ リンダパ ンノー に於ける霊魂説について」 ( 『印度学仏教学研究』 第21巻第 2号) 参照。 40・ 原 文は Na   kho-p3- tena   ropitani   と あ って 文の中間が略 されてい るが, こ のま まで は和訳 し難 いので , 略 さずに全文を訳出 し た。 41・ 註釈文中に avahariyani と あ るのは, avahari   yani    とすべ きで あ ろ う。 なお, こ の語の前 後の文脈 が混乱 し て い る よ うに思われ る。 42・ 原 文に は kuhi   ti

   pafiho とあるが, 「何処に」 訳 した kuhi は Miln. では kuhim である。

なお, 原註 3 の Miln. kuhim は kuhil!1 と訂正すべ きである。 43・ 原 文は Dvattimsa-pe-pariranjito で , 途中は略 されてい る。

44.

Jinala丘kara-tika, p. 193, R angoon 1940. T he Pali L iterature of

   Ceylon, p. 10; James   Gray s   edn.   of   Jinalaflkara, lntr. p. 8 参照 ( 原註 1) 。

45. こ の八十活相 と類似する リス トは, Gurulugomi の Dharmapradipika ( = Dpd. ed.

  D har marama, 6th    edn・, 1951) と呼 ばれ る Sinhalese の作品の中に与え られていて, 恐 ら く Jinalafikara-tika か ら借用 された もので あろ う。 仏教梵語作品に見 られ る リス トについては, E dgerton の B uddhist   H ybrid   Sanskrit    Dic・ p. 34   を参照のこ と ( 原註, 2) 。 以下, Dpd. と相違する点のみを原註 5 ~ 20 ( p. 17) お よび原註 1, 3~ 5,   8~ 19 ( p. 18) に詑 って図示する と次の如 く であ る。 随相番号 3   9 0    2 3 0    2 3 4 5   7 9 0 1   3    7 1 1 2    2 2   3    3 3 3 3   3 3 4 4 4    4 aku丘citagga-欠 surattadija-suddhadantata visuddhi-rattotthata -lekhata -lekhata ujuka--k ayappabhavantata £ 四 六

(12)

ayatajivhata niga吋 hisirata*** niguyhasirata kaりhabham ukata m ahabham ukata ayatanabham ukata* * ** ativiya ujuligattata ativiya somagat〔t〕a-ta ativipulagattata susa吋 hanamukhata sutanusukhata sugandham uddhata ketum aliirattacittata 欠 nigga吋 hisirasata nigu! hasirasata 欠 m ahanta- ayata-ujjalita一 一so nl ln a-同朋学園佛教文化研究所紀要 第七 ・ 八合併号 9 1 2   5 9 0 2 3    4 0 1   2   Q ″ 4 5 5 5 5 6 6 6    6   7 7 7   7 なお, 随相 21 は Dpd. で は 24 の後に置かれ。 62 は 63 の後に来 る。 また Dpd. で は 68 の後 に は, 次 の四つ komalalomata, dakkh防avattalomata, bhinnanjanasadisanilalomata, siniddhalomata が続 き, 78 の後には samakesata と komalakesataが付け加 え られてい る。 また, Mahavyatpatti に も 80随相の リス トがあ るが, それ と比較 し てみ る と, 1~ 15, 17, 18, 21~ 23, 27, 29, 31, 36, 39, 40, 45, 48, 51, 52, 60, 78 につい て は, それぞれ に相当する

ものが Mahavyutpatti 中に見出され る。 そ の他に も類似 する ものが, い く つか見 られる。 46. 原文は Erav呼 りa- で あるが, 辞書に見 られ る語形は EravaQa で , イ ン ド ラの象の名であ

る 。

47. 原文に は anussannanussannasabbagattata と あ るが,

  a n u s s a n n a - u s s a n n a 一

と す る か,

ussannanussanna- と すべ き で あ ろ う。

48. 原文に は sus岬 thananasata と あ るが , susanthana- と訂正すべ きで あ る。 49. 原文は ayatavadanatao

Mahavyutpatti の八十随相の四十六番 目 (M vyut. 314) に, natyayata-vadana ( 面不長大) とい うのがあ って, 長大過 ぎるの も よ く な い こ とがわか る。 50. 原文は ayatalekhanata で あ るが, ayata〔p切 i〕-lekhanata と い う よ うに, p勁 i ( 手) を

入れて理解すべ き で あ ろ う。

  41,

42 について も同様に考え られる。

51. 原文に は niga吋 hisirata と あ るが, nigga叫 hi- と訂正すべ きで あ ろ う。 52. 原文に は ayatanabhamukhata と あ るが, ayata- と訂正 すべ き で あ る。 53. 原文は sutanusukhata で あ るが, Dpd. の sugandhamukhata に従 っ て訳す。 54. 八十番 目の陸相が説かれていない。 55. 第四の間名が欠けている。 第四問 も梵行者に関する間である。 なお, Miln. の頁数 〔76〕 が原 文に落ち ているので, 第五の問名の前に入れるべ きである。 56.   この頁数 も こ の第八間の前に入れ るべ きであ る。 57. 原文に は evam‥‥ sabba   sati

   abhijanantaと あ るが, Milnの本文で は evanl‥‥sabbal!1

- 12 -五 四 五 vim alagattata 欠 sugandham ukhata -m uddhanata ketum alaratana-ranjitata * 註 46 参照 ** 註 48 参照 *** 註 51 参照 **** 註 52 参照

(13)

章 1 2 3 匹 4 5 6 間数 ミ リ ンダ ・ テ ィ ーカ ー訳註   ㈲ satiql   abhijiinanti    とな っ ている。 本文には, これの直前に sabbi sati   abhijananta   uppa-jjati

    udahu katumikavasati

とい う質問が置かれていて, 次に eva隼 で も って , こ の質問 を うけた と考え られ る ので, 原文の読み方の方が適 しいで あろ う。   Horner はこ の読み方に従 り てい る ( Milindas   Questions,   v01. I , SB B   v01. XXII , p. 107) 。 53.    M iln. には uppajjati の語が欠けてい る。 59.

  Miln. で は katumikaで ある。 シ ャ ム木 ( p. 109) では kutumbikassa であ る。 これは難解な 語で あ るが, abhijananta と対照的に用い られて いる こ と は明 らかで あろ う

  .

   B uddhistH ybri(1

Skt. の krttima y kartrma, Skt. の krtrima, kuttima, Pali の kittima な ど と比 較 され るべ きで あろ う。 Trenckner はこ の所はテ キス ト の原形が損なわれてい る (corrupt) と 述べてい る ( Miln. p. 422, notes) 。

  H orner は an

  artificial

   aid と訳 し (op. cit・ p. 107) 。

R hys

  D avids

    は suggestionfrom outside

と訳 してい る (op. cit・

   p.121) 。

60. 原文に は sahita

  abhi

vasesari匈 ato と あ る が, sahitabhi vasesan助 to と 訂正 すべ きか。

61. Miln. で は katumikaya で あ る ( 原註 21) 。 62.   Miln. 本文にある例文には, 過去世のこ と を思い起 こ す こ とが説かれて いるか ら, 六神通の中 の宿命通 のこ と を言 っ てい る こ とがわか る。 63, これについては, 拙稿 「 ミ リ ンダパ ンノヽ- における慧について」 ( 『同朋仏教』 第 20   ・   21合併 号所収) 参照。 64. 実際は次の表の如 く 八十八間 もな く て八十五間で あ り, 従 って外話の三間を加えた間数は, 九 十一で はな く て八十八 とな る。 £ 四 四 15 9 14 2 8 10 11 7         16 -合計 85 間 65. こ こ までが, 成立史的にみて Miln. の古層部 と考え られている部分 (漢訳 「那先比E二経」 大 正32巻 ・ N0. 1670 と対応する) に対す る註釈で ある。

参照

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