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松田道之・熊谷薫郎等書翰 ― 鍋島直彬関係文書 ― 解題および翻刻: 沖縄地域学リポジトリ

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Academic year: 2021

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全文

(1)

Author(s)

小野, まさ子; 漢那, 敬子; 石原, 清香; 田口, 恵

Citation

沖縄史料編集紀要 = BULLETIN OF THE

HISTORIOGRAPHICAL INSTITUTE(36): 105-118

Issue Date

2013-03-29

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/11444

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「 鍋 島 直 彬 沖 縄 関 係 文 書 」 は、 沖 縄 県 初 代 県 令 で あ っ た 鍋 島 直 彬 の 書 翰 や 書 類 を、 国 立 国 会 図 書 館 が 整 理 し た 後、 一 九 六 六 年 に 故 鍋 島 直 紹 氏 か ら 琉 球 政 府 の 沖 縄 県 史 料 編 集 所 に 寄 贈 さ れ た も の で、 書 翰 一 〇 七 通、 書 類 五 一 点 お よ び『 上 杉 県 令 沖 縄 本 島 巡 回 日 誌( 全 )』 の 一 五 九 点 か ら な る。 書 翰 は 沖 縄 県 令 時 代 の 明 治 十 二 年 か ら 十 四 年 の も の で、 伊 藤 博 文、 岩 倉 具 視、 三 条 実 美、 松 田 道 之、 西 村 捨 三、 原 忠 順 等 か ら 鍋 島 宛 の 書 翰 一 〇 二 通、 鍋 島 か ら 大 隈 重 信 宛 の 書 翰 五 通 が あ る。 書 類 は 上 申 書、 報 告 書 な ど 多 岐 に わ た っ て お り、 県 政 初 期 の 施 策 や 県 民 の 動 向 を 知 る 上 で 重 要 な 資 料 である。 今 回 紹 介 す る 書 翰 は、 琉 球 処 分 に 際 し 松 田 道 之 に 同 行 し た 内 務 六 等 属 熊 谷 薫 郎 の 書 翰 二 通、 松 田 道 之 の 書 翰 二 通、 磯 邊 是 綱 の 書 翰 一 通、 真 宗 東 派 管 長 の 大 谷 光 勝 の 書 翰 一 通、 計 六 通 で あ る。 日 付順に並べると次のとおりである。 書 翰 1   明 治 十 二 年 四 月 二 十 五 日   松 田 道 之 よ り 鍋 島 あ て、 沖 縄赴任について打ち合わせしたいむねの書翰 ( 27.6 × 39.6cm )(目録番号 41-1 ) 書 翰 2   明 治 十 二 年 五 月 十 日   大 谷 光 勝 よ り 鍋 島 あ て、 真 宗 東 派沖縄布教のため細川千巖を派遣したいむねの書翰 ( 18 × 88.4cm )(目録番号 12 ) 書 翰 3   明 治 十 二 年 六 月 十 八 日   松 田 道 之 よ り 鍋 島・ 木 梨 精 一 郎 あ て、 沖 縄 よ り の 帰 途、 神 戸 に て、 出 張 所 小 使 取 締 の玉那覇筑登之の処遇について知らせる書翰 ( 27.6 × 39.2cm )(目録番号 41-2 ) 書 翰 4   明 治 十 二 年 七 月 八 日   熊 谷 薫 郎 よ り 鍋 島・ 原 忠 順 あ て、 琉 球 藩 王 一 行 の 上 京 後 の 動 静 な ど に つ い て 知 ら せ る 書 翰         ( 16.4 × 124.8cm )(目録番号 17-1 ) 書 翰 5   明 治 十 二 年 九 月 十 六 日   熊 谷 薫 郎 よ り 鍋 島 あ て、 コ レ ラ 流 行 の 状 況 や 沖 縄 県 よ り 上 京 し た 者 の 動 静 に つ い て 知らせる書翰    ( 15.4 × 79.2cm )(目録番号 17-2 ) 書 翰 6   明 治 十 二 年 十 二 月 二 十 日   磯 邊 是 綱 よ り 鍋 島 あ て、 沖 縄置県の創業に参加したいという要望を述べた書翰 ( 15.4 × 220.8cm )(目録番号 7 ) な お、 か っ こ 内 の 目 録 番 号 は、 国 立 国 会 図 書 館 が 鍋 島 関 係 資 料 を整理し目録を作成した際に付した番号である。 〈史料紹介〉  

 

解題および翻刻

       小野まさ子・漢那敬子・石原清香・田口   恵

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六 通 の 書 翰 は い ず れ も 明 治 十 二 年 の も の で、 松 田 の 琉 球 処 分 後、 県 令 鍋 島 直 彬 に 対 し て さ ま ざ ま な 動 き が あ っ た こ と を う か が わ せ る 内 容 と な っ て い る。 浄 土 真 宗 布 教 の 要 望、 滋 賀 県 の 警 察 署 に 勤 務 し て い た 磯 邊 か ら の 置 県 直 後 の 沖 縄 県 で 働 き た い と い う 要 望 な ど の ほ か、 熊 谷 か ら の 書 翰 は 上 京 し た 後 の 旧 藩 王 尚 泰 と そ の 一 行 の様子を知らせている。 では、それぞれの書翰に従って、解説していきたい。 書 翰 1、 3 の 松 田 道 之 の 書 翰 は、 い わ ゆ る「 琉 球 処 分 」 を 終 え 行 政 事 務 の 引 き 継 ぎ に あ た っ て い た 四 月 二 十 五 日 付 と 帰 任 途 中 の 六月十八日付の二通である。 松 田 は 明 治 八 年 七 月 の 来 琉 以 来、 琉 球 側 と の 折 衝 に あ た り、 明 治 十 二 年 三 月 二 十 七 日 に は 熊 本 鎮 台 分 遣 隊 や 警 官 隊 を 伴 っ て 首 里 城 へ 乗 り 込 み、 「 琉 球 処 分 」 を 断 行 し た。 書 翰 1 は そ の 約 一 ヶ 月 後 の も の で、 来 月( 五 月 ) 初 旬 に は 赴 任 し て ほ し い と あ り 鍋 島 の 着 任 を 待 ち 望 ん で い た こ と が 分 か る。 書 翰 3 で は 出 張 所 小 使 取 締 の 玉 那 覇 筑 登 之 に つ い て、 鍋 島・ 木 梨 が 採 用 し た 吏 員 と 比 し て も 劣 ら な い と し、 「 沖 縄 一 新 之 機 会 」 に 何 ら か の 役 に と り た て 相 当 の給与を与えて欲しいと訴えている。 書 翰 1 は 鍋 島 の 沖 縄 県 赴 任 前、 書 翰 3 は 松 田 が 東 京 へ 帰 る と き の も の で あ る が、 こ の 二 つ を 較 べ る と、 松 田 に よ る 鍋 島 沖 縄 県 政 へ の 期 待 へ の 変 化 を 推 量 す る こ と が で き る。 鍋 島 来 県 前 は、 県 政 の 主 導 者 は 松 田 で あ り、 鍋 島 に は そ の 方 向 性 を 引 き 継 い で も ら う つ も り で あ っ た だ ろ う、 置 県 直 後 の 沖 縄 が か か え る 問 題 や「 琉 地 景 況 」 に つ い て、 実 際 に 現 地( 琉 球 ) で と く と 説 明 し た い、 直 接 面 談 し た い と 記 し、 自 分 の 在 県 中 で の 赴 任 を 強 く 請 う て い る。 し か し、 鍋 島 は 必 ず し も 松 田 の 考 え た 県 政 を そ の ま ま 継 承 し た わ け で は な か っ た こ と は、 『 沖 縄 史 料 編 集 紀 要 第 35号 』( 二 〇 一 二 年 ) に紹介した俣野景明の例でも明らかである。 書 翰 2 の 真 宗 東 派 管 長 大 谷 光 勝 よ り 鍋 島 あ て の 書 翰 は、 鍋 島 が 沖 縄 県 令 と し て 赴 任 す る 直 前 に 出 さ れ た も の で、 皇 化 翼 賛 の た め に も、 沖 縄 県 へ の 布 教 に 着 手 し た い と し て い る。 大 谷 光 勝 は、 明 治 幕 末 期 の 浄 土 真 宗 の 僧 で、 兄 の 死 去 に よ り 父 の 法 嗣 と な り、 一 八 四 六 年 に は 東 本 願 寺 二 一 世 と な っ て い た。 彼 は、 幕 末 の 難 局 を 乗 り 切 り、 布 教 停 止 も 危 ぶ ま れ て い た 明 治 初 期 に は、 以 前 か ら 目 指 し て い た 北 海 道 布 教 の た め、 明 治 政 府 へ と 接 近 し、 政 府 の 北 海 道 開 拓 事 業 の 一 端 を 承 け る こ と に よ り 信 頼 を 得、 布 教 を 推 進 し て い っ た 人 物 で あ る。 琉 球 が 沖 縄 県 と な っ た 一 八 七 九 年 当 時 は、 幕 末 に 焼 失 し た 東 本 願 寺 両 堂 の 再 建 を 全 国 に 呼 び か け 推 進 し て い る 時 期 で あ る が、 こ の 時 期 に 沖 縄 に 赴 任 し た 鍋 島 あ て に、 沖 縄 へ の 積 極 的 な 布 教 の 意 志 を 述 べ て い る。 北 海 道 と 沖 縄、 い ず れ も 明 治 政 府 の 拡 大 政 策 に 伴 う 布 教 を 示 唆 し て い る。 た だ し、 書 翰 に は 自 身 は 同 行 で き な い の で、 権 大 講 義 の 細 川 千 巌 を 代 理 で 派 遣 し た い と あ る。 細 川 は、 後 に 大 谷 大 学 寮 の 講 師( 学 長 相 当 ) な ど を 勤 め た 人 物 で、 教 導 職 の 中 心 人 物 の 一 人 で あ る の で、 こ の 沖 縄

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布教への意気込みがうかがえる。 た だ、 『 鍋 島 直 彬 公 伝 』 に よ る と、 鍋 島 は 五 月 七 日 に 属 僚 三 四 人 と と も に 横 浜 か ら 名 古 屋 丸 で 琉 球 へ む け 出 発 し、 他 の 史 料 か ら も 十 八 日 に 那 覇 に 着 い て い る こ と が わ か る。 こ の 書 翰 が 五 月 十 日 で あ る と す れ ば、 赴 任 期 日 の 伝 聞 が ず れ た せ い で あ ろ う か。 鍋 島 が こ れ を ど こ で 手 に し、 実 際 に 細 川 が 来 琉 し た の か は、 今 後 確 認 していく必要がある。 次の書翰4、 5は、 熊谷薫郎より鍋島あての書翰である。熊谷は、 琉 球 処 分 官 と し て、 松 田 の 随 行 を し て 内 務 省 か ら 沖 縄 置 県 に あ た る た め に、 出 張 を 命 じ ら れ て い る。 明 治 十 二 年 三 月 二 十 五 日 に 来 琉 し、 同 年 四 月 二 十 七 日、 松 田 の 帰 京 よ り 一 足 先 に、 国 王 の 代 理 と し て 上 京 し た 琉 球 藩 王 世 子 尚 典 の 上 京 に 付 き 添 い 帰 京 し て い る。 な お、 熊 谷 薫 郎 所 蔵 の 琉 球 処 分 官 一 行 の 写 真 の ほ か、 熊 谷 自 身 の 琉 球 藩 出 張 の 辞 令 書( 明 治 十 二 年 三 月 八 日 付 ) が 御 子 孫 に よ り 現 在沖縄県公文書館に提供されている。 松 田 は 明 治 四 年( 一 八 七 一 ) 七 月、 明 治 十 二 年( 一 八 七 九 ) 一 月 に 続 く 三 度 目 の 来 琉 で あ る。 三 月 二 十 七 日 い よ い よ 首 里 城 で 廃 藩 置 県 の「 御 達 書 」 が 手 渡 さ れ、 三 十 一 日 に は 首 里 城 明 け 渡 し が な さ れ る の で あ る が、 熊 谷 は 松 田 に 同 行 し、 三 月 十 二 日 横 浜 か ら 汽 船 高 砂 丸 に 乗 っ て 出 発 し た。 『 沖 縄 史 料 編 集 紀 要 第 35号 』 で 紹 介 し た 俣 野 景 明 も 一 緒 で あ っ た。 松 田 に 同 行 す る 官 吏 た ち は、 琉 球 出 張 の 目 的( 琉 球 処 分 ) を 前 も っ て 明 確 に 知 ら さ れ て い た わ け で は な か っ た。 松 田 道 之『 琉 球 処 分 』( 全 三 冊、 一 八 七 九 年、 『 明 治 文 化 資 料 叢 書 』 第 四 巻〔 下 村 冨 士 男 編、 一 九 六 二 〕 所 収 ) に よ れ ば、 三 月 二 十 日、 高 砂 丸 の 船 内 で 初 め て 琉 球 処 分 の 大 略 を 知 ら せた、とある。 熊 谷 は 四 月 二 十 七 日 に 尚 典 に 付 き 添 っ て 那 覇 を 出 発 し て い る が、 た び か さ な る 延 期 願 い の 末、 藩 王 尚 泰 が 上 京 す る の は 五 月 二 十 七 日 に な っ て か ら で あ る。 熊 谷 の 書 翰 は 七 月 八 日 付( 書 翰 4) 、 九 月 十 六 日 付( 書 翰 5) で、 上 京 後 の 藩 王 尚 泰 の 様 子 を 鍋 島 に 伝 え て い る こ と に な る。 も っ と も 熊 谷 は 職 務 と し て 鍋 島 に 報 告 し て い る わ け で は な く、 帰 京 の 報 告 と 那 覇 滞 在 中 の お 礼 の 書 翰 の な か で 尚 泰 た ち に つ い て 触 れ て い る と い う 程 度 な の で、 細 々 と 述 べ て い るわけではない。だが、内容的には面白い情報が含まれている。 書 翰 4 で は、 尚 泰 が 上 京 す る ま で は 中 城 王 子 尚 典 た ち は 藩 王 上 京 延 期 の 歎 願 が 聞 き 届 け ら れ な い な ど、 苦 情 が あ っ た よ う だ が、 尚泰上京後は一変してすこぶる恭順を示していると伝える。 も っ と も 熊 谷 は、 自 分 が 琉 球 を 離 れ る 時 に も、 琉 球 の 人 々 の 大 和 人 忌 避 の 心 は 強 く、 表 面 上 従 う よ う に 見 え て も、 内 心 で は ど う 考 え て い る か 判 断 し が た い と し、 松 田 の 説 諭 は ま だ 彼 ら の「 固 執 念 慮 」 を 溶 解 す る に は 至 っ て い な い こ と を 述 べ、 内 情 を よ く 調 べ ね ば な ら な い と も 記 す。 ま た、 琉 球 の「 廃 藩 」 に つ い て す で に 中 国 政 府 が 抗 議 し て い る こ と、 そ れ が 外 交 問 題 に 発 展 す る の な ら ば、 日 本 政 府 は「 兵 力 に 訴 え ざ る を 得 な い 」「 尤 も 恐 れ る の は 外 国 の

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仲 裁 に 帰 す こ と 」 だ と も 記 し て お り、 県 治 に つ い て 一 層 の 注 意 を 促している。 書 翰 5 は、 書 翰 4 か ら 一 月 半 を 経 た 九 月 六 日 付 け で あ る。 こ の 一 月 半、 熊 谷 は 東 京 に お け る 尚 家 お よ び 周 囲 の 琉 球 人 に つ い て、 東 京 在 京 中 の 琉 球 人 に つ い て の い く つ か の 観 察 を し て い る。 そ の 中 心 が「 富 士 見 町 之 主 」 で あ る が、 こ れ は 明 治 天 皇 よ り 拝 領 の 屋 敷が麹町区富士見町二丁目にあったことから、尚泰を指している。 明 治 十 二 年 は、 沖 縄 県 で 八 月 に 入 っ て コ レ ラ の 流 行 が あ り、 鍋 島 も し く は そ の 関 係 者 が 感 染 し、 平 癒 し た こ と が わ か る が、 同 様 に 全 国 的 な コ レ ラ の 大 流 行 に よ り、 東 京 で も 尚 家 お よ び 近 傍 者 も そ の 感 染 か ら 免 れ る こ と は 出 来 ず、 傍 証 は な い が、 書 翰 に よ れ ば、 尚 泰 も 感 染 し た よ う で あ る。 し か し、 そ れ も 快 方 に 向 か っ て お り、 八 月 三 十 一 日 に 誕 生 し た 明 宮 嘉 仁 親 王( 後 の 大 正 天 皇 ) の 祝 い に も尚典とともに出席したようである。 そ し て、 も う 一 つ の 注 目 点 は、 尚 泰 の 周 辺 に い る 与 那 原 親 方 良 傑 ら の 動 向 で あ る。 廃 藩 の 命 が 下 っ た あ と、 琉 球 の 人 々 は 一 見 政 府 に 従 う よ う に 見 え て い る が、 内 心 ど う 考 え て い る か わ か ら な い と 書 翰 4 で も 記 し た よ う に、 在 京 で の 親 方 等 の 行 動 に 注 意 し て い る 様 子 が わ か る。 親 方 ら は 頻 り に 根 津 や 吉 原 な ど の 遊 廓 へ 登 楼 す る こ と が、 巡 査 の 微 行 に よ り 明 ら か で、 巡 査 も 困 っ て い る と し て い る が、 一 方 で は、 大 石 内 蔵 助 の 祇 園 の 二 の 舞、 つ ま り 赤 穂 浪 士 の 討 ち 入 り の 準 備 を お こ な っ た 大 石 内 蔵 助 の よ う に、 廓 遊 び に 隠 れ て、 琉 球 救 国 を 企 て て い る の で は な い か と い う 疑 い を 持 っ て い た こ と が わ か る。 そ れ は、 琉 球 が 各 国 公 使 へ 差 し 出 し た 書 状 や 中 国 公 使 何 如 章 の 明 治 政 府 へ の 抗 議 な ど に つ な が り、 ま た 按 司・ 親 方 ・ 雲 上 の 称 号 に つ い て も、 琉 球 国 と 切 り 離 す た め で あ ろ う か、 在京の親方らには使用させないようにしていることともつながる。 熊 谷 薫 郎 の 帰 京 後 の 状 況 は 断 片 的 で あ る が、 明 治 三 十 年 代 後 半 に は、 彼 の 出 身 地 で あ る 姫 路 の 淑 女 学 院 の 支 援 者 と し て 学 校 の 建 て 直 し に 尽 力 し、 明 治 四 十 年 に は、 同 学 院 か ら 発 展 し た 私 立 姫 路 女 学 校 の 校 長 と し て も 活 躍 し て い る。 そ の 後、 明 治 四 四 年 に は、 県 立 姫 路 女 学 校 が 出 来 た こ と を 背 景 に、 閉 校 し た 私 立 姫 路 女 学 校 の 学 校 用 地 を 市 に 提 供 し、 そ こ に 創 ら れ た 市 立 姫 路 商 業 学 校 の 校 長 と な っ て い る。 ま た、 不 確 実 で は あ る が、 明 治 の 鉄 道 王 と い わ れ た 雨 宮 敬 次 郎 の 逸 話 の な か に、 明 治 十 九 年 ご ろ 北 海 道 の 砂 金 採 掘 を 計 画 の た め 江 差 に 宿 泊 し た 時、 郵 便 局 長 で あ っ た 熊 谷 薫 郎 が 同宿者となり、甲武鉄道の株を買うことを勧めたとある。 書 翰 6 の 磯 邊 是 綱 の 略 歴 に つ い て 詳 し い こ と は 現 在 の と こ ろ 知 り得ていない。 磯邊の書翰にもあるように、 最初に採用されたのは、 西京 (京都) の 駅 逓 寮 郵 便 局 で、 そ の 後、 京 崎 の 法 掛 で 刑 法 な ど を 編 纂 す る 公 務 に 従 事。 そ し て、 こ の 書 翰 を 書 い た 明 治 十 二 年 に は、 滋 賀 県 の 彦 根 警 察 署 十 等 査 部 に 在 職 し て い る。 そ の こ と は、 『 明 治 十 二 年   官 員 録 』 に も 記 載 さ れ て い る こ と か ら も 確 認 で き る。 と い う こ

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と は、 磯 邊 は 在 職 し な が ら、 鍋 島 宛 に 沖 縄 県 へ の 採 用 懇 願 の 書 翰 を 送 付 し た こ と に な る。 磯 邊 は こ れ ま で 培 っ て き た 警 察 事 務 の 職 を こ れ か ら 立 ち 上 が ろ う と す る 沖 縄 県 に 参 加 す る こ と で、 一 種 の ステータスを求めたのだろう。 し か し、 磯 邊 が 沖 縄 県 に 採 用 さ れ る こ と は な か っ た。 『 明 治 十 二 年   官 員 録 』 か ら『 明 治 十 四 年   官 員 録 』 に は、 滋 賀 県 の 十 等警部として磯邊の名が記載されているからである。 な お、 鍋 島 関 係 文 書 の な か に は、 磯 邊 の よ う な 県 外 の 官 員 出 身 者が鍋島宛に採用願いの書翰を送っている。 (目録番号 9  鹿児島県の越川重平沖縄県奉職希望) (目録番号 37-7   中川静一沖縄警部採用依頼の件) (目録番号 43-1   鹿児島県士族迫田健雄沖縄県採用依頼) (目録番号 44-1   沖縄赴任を祝す   石野基将履歴書送付) (目録外 01   園田忠苗の書翰   鍋島県政への参加希望) (目録外 04   島根県士族結城親敬沖縄県への採用依頼) (目録番号 80   秋元晋履歴書) (目録番号 81   沖縄職員候補者推薦書類) こ の な か で、 実 際 に 県 の 職 員 と し て 採 用 さ れ た の が 確 認 で き る のは、 『沖縄県職員録 (明治十三年五月十五日) 』 の石野基将 (十二 等出仕   正五位   京都府   華族)だけである。 な お、 最 後 に 本 文 書 の 解 読 に あ た り 助 言 を い た だ い た 垣 花 久 美 子 氏 に 感謝申し上げる 。 「琉球藩処分官一行」(1879 年) 写真前列左より、内務九等属の荒木章蔵、内務一等属の遠藤達、内務大書 記官の松田道之、内務六等属の熊谷薫郎、内務三等属の後藤敬臣、後列左 より内務二等属の種田邁、内務二等属の早瀬則敏、内務六等属の村木良蔵、 内務六等属の西村義道、内務御用掛の吉田市十郎

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〔凡例〕 文書の翻刻に際しては、以下の点に留意した。 Ⅰ   基 本 的 に 漢 字 は 新 漢 字 を 使 用 し 、 特 殊 な 場 合 の み 、 そ の ま ま 使 用 し た 。 ま た 、 助 字 に あ た る 部 分 は 、 他 の 字 よ り も 大 き さ を小さくしてある。 特殊な文字として、以下の例をあげておく。 より→ゟ    コト→ヿ なお、合わせ字の   トキ、トモは   トキ、 トモ   とした。 Ⅱ   判 読 で き な い 文 字 は □ で 示 し 、 類 推 の で き る も の は 行 間 に (―カ)で示した。また、翻刻者の責任で読点をつけた。 Ⅲ   翻 刻 の 様 式 は 、 行 数 ・ 字 数 と も に 、 本 紀 要 の 字 数 に あ わ せ て 加工してあるが、原文の消しの部分は (例) あいう のように棒線(見え消し)で示した。

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〔 書 翰 1   明 治 十 二 年 四 月 二 十 五 日   松 田 道 之 よ り 鍋 島 あ て、 沖 縄赴任について打ち合わせしたいむねの書翰〕 ( 27.6 × 39.6cm )(目録番号 41 -1 貴 翰 拝 読 シ 候、 御 示 シ ノ 趣 委 曲 致 承 知 候、 陳 者 貴 官 御 赴 任 ノ 時 ニ 付 テ ハ 内 務 卿 ヨ リ 被 達 候 次 第 モ 可 有 之 候 得 共、 琉 地 景 況 ニ 付 テ ハ、 実 地 ニ 就 キ 篤 ト 御 面 談 致 度 儀 モ 有 之 ニ 付、 来 月 初 旬 便 ニ ハ 必 ス 御 赴 任 相 成 度 候、 且 亦 県 庁 ニ 属 ス ル 諸 物 品 御 逓 送 ノ 儀 ニ 付 御 問 合 ノ 趣 モ 有 之 処、 右 ハ 既 ニ 百 般 整 ヒ 居 リ、 今 日 迠 ハ 格 別 ノ 差 支 モ 無 之 候 間、 先 ツ 一 品 モ 御 持 越 シ 無 之 方 可 然、 而 シ テ 是 等 ノ 時 ハ 都 テ 御 赴 任 ノ 上 可 然 ト 存 候、 就 中 県 費 予 算 等 ノ 事 ニ 至 テ ハ、 実 地 ト 想 像 ト ハ 余 程 ノ 相 違 有 之 候 間、 是 等 ハ 最 モ 御 赴 任 ノ 上、 御 詮 議 相 成 度 候、此旨回信旁申進候也         於那覇 明治十二年四月廿五日         松田内務大書記官   印 鍋島沖縄県令殿

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〔 書 翰 2   明 治 十 二 年 五 月 十 日   大 谷 光 勝 よ り 鍋 島 あ て、 真 宗 東 派沖縄布教のため細川千巖を派遣したいむねの書翰〕 ( 18 × 88.4cm )(目録番号 12 ) 未 接 傾 蓋 候 得 共、 一 書 相 呈 時 下 清 和 之 候、 弥 御 清 穆 奉 恭 賀 候、 然 者 今 般 沖 縄 県 へ 御 赴 任 之 趣 伝 承、 就 而 者 該 地 方 之 儀 者 兼 而 布 教 着 手 罷 在、 別 而 今 回 御 改 正 之 際、 弥 教 務 拡 張、 皇 化 翼 賛 仕 度 ニ 付、 諸 般 御 依 頼 旁 拙 拝 出 張 致 度 候 処、 法 会 中 不 能、 其 儀 候 ニ 付 為 代 理 権 大 講 義 細 川 千 巖 差 遣 候 間、 被 致 拝 謁、 同 人 ゟ 委 曲 被 拝 了 被 成 下 度、 此段御 倚 (依) 頼申上候也         真宗東派管長 明治十二年五月十日        大谷光勝 鍋島沖縄県令殿

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〔 書 翰 3   明 治 十 二 年 六 月 十 八 日   松 田 道 之 よ り 鍋 島・ 木 梨 精 一 郎 あ て、 沖 縄 よ り の 帰 途、 神 戸 に て、 出 張 所 小 使 取 締 の玉那覇筑登之の処遇について知らせる書翰〕 ( 27.6 × 39.2cm )(目録番号 41-2 ) 各 位 御 清 適 奉 賀 候、 陳 ハ 小 官 一 行 無 恙 本 日 午 前 六 時 着 神 候 間、 御 放 慮 被 下 度、 東 京 ヘ ハ 明 後 日 当 港 出 発 之 都 合 ニ 御 座 候、 又 説 其 地 出 発 之 際、 申 上 残 シ タ ル 一 事 有 之、 則 チ 出 張 所 小 使 取 締 ナ ル 玉 那 覇 筑 登 之 儀 ハ、 年 久 シ ク 奉 仕 ノ 者 ニ シ テ、 特 ニ 大 和 語 ニ 能 ク 通 シ 頗 ル 用 便 ヲ 為 ス 者 ニ 有 之、 而 シ テ 過 日 来、 諸 間 切 諸 島 行 ノ 為 メ 数 人 御 採 用 之 輩 ニ 比 ス ル ニ、 其 一 二 者 ヲ 除 ク 之 外 ハ 決 シ テ 劣 リ 不 申 処、 彼 ノ 輩 ハ 相 応 髙 給 之 雇 ト 為 リ、 玉 那 覇 ハ 依 然 五 円 給 ニ テ ハ 同 人 年 来 ノ 勤 労 ニ 対 シ テ モ、 権 衝 ヲ 得 サ ル 様 愚 考 仕 候、 就 テ ハ 当 今 沖 縄 一 新 之 機 会 ニ 依 テ、 更 ニ 雇 ノ 名 義 ヲ 付 シ 相 当 之 俸 給 ヲ 増 シ、 玄 関 番 其 他 雑 細 之 事 務 ニ 御 使 用 相 成 リ 候 テ ハ 如 何 乎、 愚 存 之 侭、 一応申上試候、猶御髙考希望候也、匆々敬白 明治十二年六月十八日        於神戸港        松田道之 鍋島直彬様 木梨精一郎様

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〔書翰4   明治十二年七月八日   熊谷薫郎より鍋島直彬・原忠順 あ て、 琉 球 藩 王 一 行 の 上 京 後 の 動 静 な ど に つ い て 知 ら せた書翰〕 ( 16.4 × 124.8cm )(目録番号 17-1 ) 寸 楮 拝 啓 仕 候 、 酷 熱 煉 石 之 候 益 御 壮 栄 御 □ 勝 之 段 奉 冥 加 候 、 扨 在 琉 中 ハ 厚 キ 御 懇 情 ヲ 蒙 リ 大 幸 之 至 ニ 可 存 候 、 却 説 那 覇 御 分 袂 後 、 海 上 都 合 能 ク 、 殊 ニ 三 大 洋 ノ 如 キ モ 其 平 和 ナ ル ヿ 如 上、 日田船ノトキニ比ス ルニ更ニ平和ヲ加フ 一行無恙去月廿三日午後着濱、直ニ帰京 仕 候 、 併 シ 麑 島 寄 港 ノ 際 ハ 上 陸 乗 込 共 大 雨 ニ 侵 サ レ 、 神 戸 浦 港 中 ハ 虎 列 剌 病 ノ 為 メ 鉄 路 四 方 ニ 通 ス ル モ 身 ヲ 置 ニ 地 ナ ク 、 実 ニ 困 難 ヲ 極 メ タ リ 、 若 シ 琉 人 ヲ シ テ 云 ハ シ ム ル トキハ 、 普 天 間権現ノ神怒ニ出ルト云ハン歟 一、旧藩王初メ一行ノ動静ヲ繙クニ中城王子ノ一行ハ歎願書   延期ノ歎願ニシテ      御発京前日指令之分 聴 許 ナ キ ヲ 怨 嘆 シ 、 更 ニ 願 書 ヲ 出 シ 藩王着 京迄ハ 御指令ナク其侭ニ返事無 キニ被成タル由        且 滞 京 命 セ ラ レ タ ル ニ 付 テ ハ 、 是 亦 不 叶 苦 情 ニ テ 有 之 タ ル 由 、 然 ル ニ 旧 藩 王 着 京 後 ハ 更 ニ 一 変 、 頗 ル 恭 順 ヲ 表 ス ル 由 、 旧 藩 王 ニ ハ 那 覇 ニ 於 テ 乗 船 之 外 、 他 ノ 諸 港 ニ 於 テ ハ 他 ノ 扶 助 ハ 要 ス ト 雖 トモ上 陸 乗 船 共 肩 輿 ヲ 用 ヒ ス 、 惣 テ 歩 行 シ 、 且 賜 邸 ニ 於 テ ハ 楼 上 ヲ 以 テ 居 間 ト 致 シ   注 云   謁 見 ノ 際 等 ニ 於 テ ノ 進 退 ハ 見 事 ニ 出 来 由   居 ル 様 ニ テ 、 余 程 快 癒 之 由 、 併 シ 那 覇 乗 船 之 際 ニ 特 ニ 重 病 ト 見 セ 掛 タ ル モ 知 ル ヘ カ ラ ス   併 シ 麑 島 神 戸 ニ 於 テ ハ 療 養 ノ 為 浦 留 之 儀 ヲ 唱 ヘ 附 添 官 ヘ 困 却 ヲ 与 ヘ タ ル 由   尤日向洋ニテハ風波烈敷   船客一統ニ困却セシト云フ 着 京 後 、 叙 従 三 位 、 麝 香 間 詰 、 東 京 住 居 ノ 命 令 共 無 異 議 奉 命

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候 由 ナ レ 共 、 内 情 ニ 於 テ 帰 郷 ヲ 欲 ス ル ハ 勿 論 、 既 ニ 藩 吏 ゟ 相 良 氏 ヘ 藩 王 ノ 帰 京 ハ 難 相 成 次 第 モ ア レ ハ 、 中 城 王 子 ナ リ トモ帰 国 之 儀 ハ 叶 間 敷 哉 云 々 ト 相 尋 候 処 、 相 良 氏 ハ 即 今 左 様 ノ 儀 ヲ 願 テ ハ 首 尾 無 ニ 於 テ 如 何 ト 相 考 候 ヘ ハ 、 其 内 好 機 会 モ 可 有 之 ニ 付 、 先 ツ 現 今 ノ 処 ハ 左 様 之 儀 申 出 無 之 方 可 然 旨 相 答 候 処 、 向後ハ其等之儀ニ付申出も無之、単ニ恭順ヲ表セリ、 又本日旧王ヘ、家族相纏メ、随従者省減、 百五十名   余ト聞ク 及伊江・ 今 帰 仁 王 子 移 住 之 儀 ヲ 達 セ ラ レ タ リ ト 聞 ク 、 此 儀 ハ 其 筋 ヨ リ 逐 一 御 通 知 之 筈 ト 相 考 候   此 儀 ニ 付 テ ハ 松 田 書 記 官 ゟ 面 説 モ ア リ タ ル 由 、 此 達 ニ 依 テ ノ 動 静 ハ 其 後 藩 吏 ニ 面 会 ノ 儀 モ 無 之 ニ 付 、 一 言 ス ル 能 ハ ス ト 雖 トモ既 ニ 随 従 者 節 減 之 儀 ハ 相 良 氏 ゟ 与 那 原 ヘ 相 談 シ 候 処 、 無 異 議 承 諾 セ シ 趣 ナレハ異状モナカルヘシ 一 、 風 説 ニ 依 レ ハ 支 那 政 府 ゟ 我 政 府 ニ 向 ヒ 廃 藩 ノ 儀 ニ 付 既 ニ 問 題 ヲ 起 シ タ ル 趣 、 其 信 (真カ) 偽 測 知 シ 難 シ ト 雖 トモ、 政 府 ハ 予 メ 此 等 ノ 儀 ア ル ヲ 知 ツ テ 御 処 分 御 着 手 之 儀 ニ 可 有 之 候 ヘ ハ 、 此 儀 ヲ シ テ 真 ナ シ ム モ 、 政 府 ハ 正 理 ノ 在 ル 所 ニ 拠 リ 御 応 答 可 被 成 ハ 必 然 ノ 儀 ト 可 存 候 共 、 彼 レ 若 シ 執 拗 帰 着 ス ル 処 ナ キ ニ 至 ツ テ ハ 、 終 ニ 面 立 テ 兵 力 ニ 訴 ヘ サ ル ヲ 得 サ ル ニ 至 ル ヘ シ 、 然 ル トキ ハ 支 那 モ 数 年 前 ノ 支 那 ニ 非 サ ル 趣 ノ ミ ナ ラ ス 、 実 ニ 財 政 上 云 フ ニ 忍 ヒ サ ル 点 モ 可 有 之 、 然 ル トキハ 尤 恐 ル 彼 ノ 外 国 中 裁 ニ 帰 セ ン ヿ ヲ 、 然 ル トキハ 其 結 菓 果 シ テ 如 何 可 成 行 哉 、 実 ニ 杞 憂 ノ 至 ニ 可 存 候 、 併 シ 此 等 ハ 政 府 自 ラ 遼 遠 廟 謨 ノ 可 有 之 儀 ニ 付 、 迂 生 輩 ノ 黄 喙 ヲ 容 ル ヘ キ 処 ニ 非 ス ト 雖 、 御 県 下 ニ 於 テ ハ 一 層 御 注 意 之 儀 、 相 奉 希 望 候 、 此 等 之 儀 、 疾 ニ 御 熟 知 之 儀 ト ハ 可 存 候 共 、 遠隔ノ地御賢考ノ一助トモ可被成ト相考ヘ聞込ノ侭ヲ贅シテ婆心ヲ述フ 一 、 那 覇 出 発 之 前 夜 、 知 己 之 琉 人 ヘ 離 県 ヲ 告 ク ル 為 相 訪 ヒ 、 且 時 勢 之 変 遷 ニ 付 テ ハ 自 ラ 所 志 ヲ 改 メ サ ル ヘ カ ラ サ ル ノ 談 ニ 及 ヒ 候 処 、 彼 ノ 落 説 ノ 如 ク   落 説 ト ハ 着 琉 廃 藩 ノ 命 令 下 ル ノ 数 日 後 、 彼 ノ 陳 セ シ 所   大 和 人 ヲ 忌 避 ス ル ノ 語 気 更 ニ 前 日 ト 異 ナ ル 処 ア ル ヲ 見 ス 、 依 テ 考 フ ル ニ 、 仮 令 松 田 ノ 説 諭 ア ル モ 其 中 心 ヲ 固 執 念 慮 ヲ 鎔 解 ス ル ニ ハ 至 ラ サ ル 歟 、 宝 吏 ヲ 奉 命 等 ノ 事 ニ 付 キ 表 面 空 気 ノ 一 変 セ シ 如 キ 体 ヲ 示 ス モ 、 其 中 心 果 シ テ 如 何 可 有 之 乎 、 何 分 隠 匿 陥 (韜カ) 晦 ヲ 以 テ 最 上 ノ 国 是 ト ス ル ノ 国 体 ニ 付 テ ハ 内 情御討知之儀、偏ニ御希願候、 一 、 出 発 之 際 、 日 程 ノ 御 状 外 ニ 珍 壺 共 方 ニ 送 致 事 取 計 至 シ 申 候 、 先ハ着御吹聴旁前件申述度、書外ハ後便ニ譲リ、茲ニ閣筆ス 七月八日        熊谷薫郎   拝 県 令 公 書記官公   閣下

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〔 書 翰 5   明 治 十 二 年 九 月 十 六 日   熊 谷 薫 郎 よ り 鍋 島 あ て、 コ レ ラ 流 行 の 状 況 や 沖 縄 県 よ り 上 京 し た 者 の 動 静 に つ い て 知らせる書翰〕 ( 15.4 × 79.2cm )(目録番号 17-2 ) 帰 京 後 滞 在 中 之 厚 誼 ヲ 謝 ス ル 為 メ 寸 楮 存 呈 仕 候 処 、 懇 篤 ナ ル 御 謝 状 ヲ 蒙 リ 却 テ 恐 縮 之 至 ニ 可 存 候 、 扨 御 地 ニ 於 テ 乕 列 垃 病 流 行 終 ニ 御 伝 染 之 趣 尓 承 、 如 何 ニ 可 有 之 哉 ト 大 ニ 苦 慮 御 座 候 間、御平癒之趣何寄之大慶有之候 一 、 当 地 之 景 況 ハ 過 日 遠 藤 氏 ゟ 御 聞 有 之 筈 ト 相 考 候 、 其 後 証 ヲ □ 事 寄 間 も 承 リ 及 ヒ 不 申 候 、 衆 人 打 寄 之 節 之 □ □ ハ 虎 列 垃 病 □ 之 次 第 、 一 時 ハ 近 傍 ニ も 属 □ 没 甚 苦 慮 仕 候 へ 共 、 追 々 冷 気 ヲ 催 シ 候 故 歟 、 即 今 ニ テ ハ 衰 微 ヲ 顕 シ 最 早 甚 敷 儀 も 有 之 候 間 敷 ト相考申候 一 、 富 士 見 町 之 主 も 追 々 快 方 ニ 候 歟 、 過 日 皇 子 御 降 誕 之 折 も 父 子 共 々 年 賀 之 趣 、 又 御 □ 連 中 ハ 頻 リ ニ 吉 原 根 津 等 へ 登 楼 ス ル ヲ 以 テ 附 添 巡 査   親 方 連 中 ノ 遊 歩 ニ ハ 巡 査 微 行 シ テ 其 跡 ニ 随 フ ナ リ   モ 困 却ノ由、蓋シ大石氏祇園ノ遊ノ二ノ舞ヲ演スルモノ歟 一 、 昨 年 琉 人 よ り 各 国 公 使 へ 差 出 シ タ ル 書 状 ハ 、 支 那 公 使 ノ 教 唆 ニ 出 ツ ル モ ノ 趣 ニ 特 承 セ リ 、 果 シ テ 信 ナ ラ シ メ ハ 支 那 公 使 何 如 章 ハ 日 本 国 ノ 駐 剳 ハ 謝 絶 シ テ 可 ナ ル モ ノ ヽ 如 シ 、 内 地 之 成 行如斯キ事ヲナス、実ニ悪ムヘキノ極ト存候 一 、 御 地 ニ 於 テ ハ 成 長 按 司 親 方 親 雲 上 等 ノ 称 呼 ヲ 用 ヒ サ セ 、 其 方 事 実 ノ 害 ナ キ モ ノ ニ 付 可 然 存 候 共 、 当 地 家 人 之 家 格 ノ 輩 ハ 親 方 親 雲 上 ノ 称 ヲ 用 ヒ ス 、 名 乗 ヲ 相 用 ヒ 居 申 候 、 与 那 原 良 傑 ノ □ 姓 ハ 、 蓋 シ 宮 内 省 ゟ ノ 指 示 シ ニ 成 リ ル 哉 ニ 、 考 候 得 ハ 御 参

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考迄 一 、 井 上 参 議 外 務 卿 、 榎 本 外 務 二 等 出 仕 ノ 拝 命 ハ 、 弥 条 約 改 正 着 手被成候ゟ□ト伝聞咄、何卒速ニ承諾菓アランヿヲ希望ス 一、御地民情兎角頑固ニ有之候趣、殊更ニ面倒之儀ト存候 一 、 俣 野 ハ 此 程 帰 京 、 遠 藤 ハ 未 タ 帰 京 セ ス 、 併 シ 昨 今 ニ ハ 帰 着 ノ 筈ト存候、六拾名余ノ巡査ハ一昨日着京致候 先 ハ 時 下 御 見 舞 ヲ □ る 一 方 ヲ 拝 シ 呈 ス ル 所 如 此 御 座 候 、 匆 々 頓首 九月十六日         熊谷薫郎拝 鍋島県令公   閣下 松 田 氏 も 帰 京 後 兎 角 不 快 候 ニ 而 、 即 今 ハ 持 病 ノ 半 面 痛 ヲ 悩 ミ 引 籠被在候、速ニ快気ナランヿヲ希望ス 〔 書 翰 6   明 治 十 二 年 十 二 月 二 十 日   磯 邊 是 綱 よ り 鍋 島 あ て、 沖 縄置県の創業に参加したいという要望を述べた書翰〕 ( 15.4 × 220.8cm )(目録番号 7 )

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曩 ニ 明 治 十 一 年、 皇 帝 詔 諭 ヲ 降 シ 琉 球 藩 ヲ 廃 シ テ 沖 縄 県 ヲ 設 置 セ ラ レ、 閣 下 ヲ 補 ト シ 在 職 ノ 各 位 風 俗 民 情 ノ 如 何 ヲ 高 察 シ、 創 業 ノ 事 務 ノ 大 全、 漸 次 既 ニ 実 効 ヲ 奏 セ シ ム ル ハ、 全 ク 閣 下 及 諸 員 黽 勉 ノ発処ナラント諒知シ、 是綱、 大海ノ一滴タモ及ハス、 然りト雖モ、 我 人 民 ス ラ 之 ヲ 歓 喜 セ サ ル を ナ シ、 況 ン ヤ 吏 員 ノ 末 々 別 シ 祝 賀 セ サ ル 者 非 サ ル 可 カ ラ ス、 然 り 而 シ テ 爰 ニ 閣 下 ニ 書 ヲ 呈 シ、 以 テ 是 綱 冀 望 ス ル 処 ヲ 開 陳 セ ン ト 欲 ス、 抑 モ 是 綱、 最 初 之 駅 逓 寮 西 京 郵 便 局 ニ 在 リ、 尋 テ 京 崎 ノ 法 掛 ニ 転 シ、 庶 務 各 民 刑 法 律 規 則 ヲ 遍 慕 ス ル 公 務 ニ 従 事 シ、 爾 来 又 滋 賀 県 ニ 転 シ、 警 察 事 務   行 政 司 法 兼 検 事 及 監 獄 事 務   ヲ 採 リ、 目 今 検 察 事 務 ヲ 専 担 セ シ ガ、 当 県 ノ 如 キ ハ、 置 県 ノ 爾 来 已 ニ 数 年 ノ 星 霜 ヲ 経 過 セ シ 故、 諸 務 自 カ ラ 異 状 ア ル ナ シ、 之 レ ニ 反 シ 貴 県 ノ 如 キ ハ 縦 令 漸 次 事 務 ノ 進 捗 ス ル ト 雖 モ、 前 陳 ノ 如 ク 新 習 創 業 ト 云 サ ル ヲ 得 サ ル 場 合 ニ テ、 即 チ 置 県 後 未 タ 僅 カ ニ 壱 年 ニ 過 ル 耳、 因 テ 是 綱 固 ヨ リ 在 職 セ シ 以 上、 何 レ ニ 在 テ 赤 心 ヲ 尽 ス モ 均 一 ナ リ ト 雖 モ、 就 中 創 業 ノ 事 務 ニ 従 事、 極 テ 一 層 黽 勉 シ、 諸 員 万 分 ノ 一 ヲ 益 サ ン ト 欲 ス、 倘 シ 其 望 ヲ 得 バ、 即 チ 是 綱 ノ 念 慮 終 ニ 貫 徹 シ、 正 ニ 其 果 ニ 至 ラ ン、 仰 キ 冀 ク ハ、 閣 下 是 綱 ノ 念 慮 ヲ 推 □ シ、 速 ニ 貴 県 ニ 投 入 セ ラ レ ン ヿ ヲ 祈 願 ス、 誠 恐 誠 惶 頓 首百拝 明治十二年 臘月二十日        滋賀県        彦根警察署在勤十等警部在職中        磯邊是綱   印        二十六年七ヶ月 鍋島県令閣下   追 テ   警 視 第 三 課 ニ ア ル 京 警 視 補 工 島 明 政 ナ ル 人 ハ、 是 綱、 京 警 察 所 規 則 掛 ニ ア リ シ トキ同 勤 セ シ 廉 ヲ 以 テ、 本 文 貴 県 ニ 転 任 セ ン ト 欲 ス ル 旨、 前 日 郵 便 ヲ 以 テ 申 述 致 シ ヲ キ 候 条、 若 シ 御 掛 念 ア ラ ハ 是 綱 ノ 身 体 其 他 ト モ 仝 人 ヘ 御 問 合 相 成 候 ハ ゝ、 自 然 詳 明 ナ ル、 可 シ 仍 ホ 軽 率 ニ 書 ヲ 呈 ス ル ハ 太 タ 多 罪 ナ レ トモ、 冀 望 ス ル 所 よ り 如 斯、宜シク御海恕アランヿヲ O NO Masako, K ANN A Keiko, I SHIHARA Sayaka and T AGU CHI Megumi : Eluc ida tion a nd Mode rn Type se tting of t he Nabe shi ma N aoy oshi Mon jo : L ett ers

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