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「知識は感覚である」という定義をめぐって : プラトン『テアイテトス』 151d7-160d4 の一解釈

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(1)

  MEMOIRS

 

OF

 

SHONAN INSTITUTE  OF TECHNOLOGY   Vo呈

 No

 1

2001

テ ア

151d7

160d4

解 釈

田 坂

   

On

 a 

Definition

 of 

Knowledge

 as 

Perception

An

 

lnterpretation

 of 

Plato

s 

Theaetetus

 

151d7

160d4

−一

SatsUki

 

TASAKA

 

In

 the丘rst 

Part

 of 

the

 

Theaetetus

151d7−187a8

 

TheaetetUs

 tries to 

define

 

knowledge

 as perception

 

In

 my  view  of

this papethe 

first

 

half

 of this part 151d7

160d4

 

Plato

 expbins  a 

interrel

且tion of this definition and other several the

ses which  are

Man

 

is

 the measure  of all things

 and

All

 things really  are 

in

 proc(ms of becoming as the result  of move

ment  and  change ’

 etc

 However they are 

different

 theses丘om  a philosophical point of view

 the 

definition

 and other

these are 

based

 on another thesis that nothing  

is

 one 

just

 

by

 

itself

 

Therefore

 the 

definition

 and  other  these are rolled  

into

one 

by

 this tbesis

 and 

Plato

 want to examine  the theses 

based

 on this

 

部の冒頭

テア イ テ トス は 「知 識 (episteme は感 覚 (aisthesis であ る。 (151e2

3)」 と知 識 を定 義し

(以 後 これ を 「第

定義」と呼ぶ)

ソ ク ラ テ ス は第

一・

定 義の 正 否 を検 討 す る

部 は 『テ ア イテ トス亅の中で最 も プラ トンが紙 面 を費や し

複 雑で入念 な 議 論 展 開 をする 難 解 な 部 分で あ る

部 全 体は大 き く二 つ に分か れ

前 半 部 (

151d7−160d4

)は 第

定 義と立 場 を 同じくする諸 説 を導入 する議 論

後 半部(160d5

187a8)は諸説 お よ び 「第

定 義 」 を 反 駁 する議 論

と なっ て い る

 第

定 義は

知識につ いて経験 主 義 的な態度 をと る説 とし て

学 者ので は注目 を集めて きた

また

プラ ト ンが その よ う な 立場に反 対する際に

『テ ア イテ ト ス』 におい て中 期 イデア論に言 及し ない点につ い て は

プラ ト ン研 究 者の間で は見解が別 れて い る

議 論 構 成が難 解 で あ る た め に

『テ ア イテ トスに お け る プラ ト ン の 知 識 と感覚に関する思 索の内 実につ い ては

い ま だに不 明 な 点 が多い

本 稿の 目 的 は

部 前 半部の 議 論構成 を 明 ら か に し てプラ トンの 思索の内実を探るこ と に あ る。  ソ クラテス は 前半 部で

「知識は感覚で あ る

」とい う 第

定義の 正否のみ を論 ずるの で は なく, 第

定 義と 立 場 を 同じくす る諸 説 を も検 討の対 象にす る

導人され る 諸 説の主 な ものは 以 下のと お りであ る

   プロ タ ゴ ラスが唱 えた 「人 間 は万 物の尺 度である

」 とい う相 対 主 義 説 (以 後 「人 間 尺 度 説」と略 記する)。    プロ タゴラ ス が弟 子 達に秘 密で教え

多くの知者が 共 有 す る説 (以 後 「秘 密の教 説」と略記する)

これ は 二つ に分かれて い る

   

1 ,

「何 ものもそれ 自 体

で あ る とい う こ と は ない

    (

hen

 auto  

kath’hauto

 ouden  estin)」 (以後 「『そ れ 自     体

で ある』否定説」と略 記 する)

   

2 ,

万物は 運 動 に よっ て 「な る」 (以 後 「運動生 成     説」と略記 する)。    「運 動 生 成 説」を 原 理とし て構 築した感 覚の メ カニ ズム解説 (以後 「感 覚 論 1り と略 記 する)

総 合文 化教 育セ ン タ

  専任 講師  平 成

12

年 10月

30

日受付   論 旨 を 明 確にする た め に

予め

本 稿の結 論 を 簡 潔に 述べ るこ とにする。 ソ ク ラテスは第

定 義 を直接 検討 す ることを避 け

「『それ 自体

である亅否 定 説」に与 する とい う 点 に おい て

「第

定義 」 「人間尺 度説」 「運 動生 成説」三者が立場を同じ くするこ と を論 証 する

プ ラ ト ンは 「知識は感覚で あ る

」とい う第

定義を検 討 する こ とを 通し て

1

そ れ 自 体

で あ るとい う規 定 を満た す もの を

切 認めない知 識 論 お よ び 相 対 主 義や運 動 生 成 の世 界 観 を

括し (第

部 前半 )

それ ぞ れ を (第 部 後 半 ) 反 駁 するこ とに よ り

『そ れ 自 体

で あ る』とい う 言 葉の使 用 が ど うい う次 元で確 保できる の かを論 究し て

一 115一

(2)

湘 南工科 大 学 紀 要   第

35

巻   第

1

号 い るの である。 本稿は こ の こ とを明ら か にするもの で あ る

1

諸 

 

釈  こ の箇 所の解 釈につ い て は 近 年

M .

F

ニ エ トが 従 来 主 流 と さ れた伝 統 的 解 釈 (

A

説 )に対 峙 する解釈 (B 説 ) を提 起 し

現 代の研 究 者の 注 目 を 集め て きた 2)

伝統 的解釈 (

A

説)は

いわゆ る二世 界論 的な イデア論 解 釈 を 前 提 し

部 を次の よ うに解 する。 すな わ ち

プラ ト ン は プロ タゴラ ス の 「人間 尺 度 説 」とヘ ラ ク レイ トス の 運 動 生 成 説」は現象界での事 象を説 明するの に は適 切 だが

知 識の対 象で ある イデア は感覚の対象で は ない ゆえに第

定義は成立 し ない

と3)

 これに対 し て

B

説 (バ

テ ア イ テ トス

部の議 論が帰 謬 法に よ る第

定 義の反 証だ と 解 する

つ ま りプラ トンは

部前半 で 「プロ タ ゴ ラ ス説 」と 「ヘ ラ クレ トス説 」は 「第

定義」 と同

で あ る こ とを明ら か に し た後

部 後 半で

「ヘ ラ ク レイ トス説」が不合理 な結論を導くこ と を 論 証し

謬 法によ る反 証が成 立 したと解 す るの である4}

ニ エ トの 見 解で は

「ヘ ラ ク レイ トス説 」が反 駁 されると 同 時に

いわ ゆる 「プロ タ ゴラ ス説」も 「第

定 義」も成 立の 余 地がな く なる以 上

,A

説の よう に

現象界に お いで 「プロ タゴラ ス説 」 お よ び 「ヘ ク レイ トス説 」 が 成立する と解 することもで き ない 。  『テ アイテ トスには

中期 『国家 』のよう に現象 界 と イ デア界の区 別 も

知識の対 象は イデア で あ る とい う 記述もみ られ ない

A

は中 期の イ デア論 解 釈 を前 提 す る が

,G .

E.

L.

エ ン以 来

パ ル メニ ス亅 以 降二 世 界 論が保 持されて い るか どうか は問 題 視されて おり

中 期 から 後 期へ の移 行 期 と言 わ れ る

1

テ アイテ トスにつ い て は解 釈が分かれて い る

B

説 は 基 本 的に は

部で 二世 界 論 的イ デア論は保 持で き ない とい う立場に立つ

 論 者は,

A

説 につ い ては

テキス トに明 記 されてい な い前 提 を持 ち込ん でテキス トを 解 読 す る点 は 反 対であ る

し か し B説は

部の議 論 構 成 を正 確に捉え てい ない ので支 持でき ない。  第

部の議 論 構 成の 解 釈につ い て

B 説は幾つ か の過 ち を 冒し てい る が

そ の要 点だ け は じめ に指摘 し て お く。 まず第

にバ

トは t 前 半 部に登場する諸 説を 「プロ タ ゴ ラ ス説」と 「ヘ ラ ク レイ トス説」とする

し か し テ キス トで は

プロ タゴ ラスは

方で 「人間尺度説」 を説き な が ら

他方 「運 動 生 成 説 」 を 含む 「秘 密の教 説 」 を弟子に教えて い た と なって い る以 上 (c五

152c8−11

「人 間 尺 度 説 」のみ を 「プロ タ ゴラ ス説 」 と するこ とは でき ない

また

「秘 密の教 説 」 が 「『そ れ 自 体

であ る』 否 定 説 」と 「運 動生成 説 」か ら構 成 さ れ てい るこ と は

ニ エ ッ トに先 立つ 解 釈に おい てすで に指摘さ れ てい る にもか かわらず

両者 をヘ ラ クレイ ト ス の 「万物 流 転 説 」と同

視 し てい る 5)

テ キ トで は

説 」は

ヘ ラクレイ トスの みならずホメ ロ ス エ ムペ ド クレス

エ ピカルモス ら が支持 し てい る太古か ら の世 界 観で あ るこ と が 明 記 さ れ て お り

ヘ ラ クレ イ トス以外の 思想も含まれてい る (c£ 179e3

6

18〔辷7

8>。  第二 にバ

ニ エ ト は

前 半部が 「第

定 義 」 厂プロ タ ゴ ラ ス 説 」 「ヘ ラ ク レイ ト ス説 」三者の 関 係に終 始 す る かの よ う に説明し

そし てテキス トに 必要 条 件につ い ての 証が ない こ とを認 め ながら も

三者は互い に必 要 十分条 件 を 満たすとい う 意 味で 同

だと解 し て いる

ニ エ ッ トが その重 要 な 典 拠 とする の は

「同じこ と に帰着す る (

160d3

」とい う箇所であ る が

これ はバ

ニ エ う 三者ので は なく

「同じこと」は 文 脈 上 「『それ自体

である』 否 定 説」 を指し てい る。 バ

ニ エ ッ トは

r

それ 自体

で あ る』 否定 説」が

こ の 三説を関係 付け る重要な役 割 を演じ てい る こ とを完全 に見 落と し てい る

前半 部で 三 説 が 必要十分条 件を満た す ような 意味で同

だ とい う論証が行わ れ ていない以上

帰 謬 法に よ る反 証とい う解 釈は成 り立たない。 テキス ト の裏付けの乏しい バ

ニ エ トの こ の解 釈に

多 くの研 究 者が基 本 的に同 調し て い るの は6}

論 者に は不 可 解で あ る

 哲 学 的 な 観 点か らも

レ イ トス の 「万物は動 く (panta rei」とい う思 想とプロタ ゴ ラスの相 対 主 義と が同 じ である

とい う解釈に は無理 が あ るη 。 少なくともバ

ニ エ ッ トの よう に

論理的に同値で あ る

と は 言 え ない

まず

「人 間 尺 度 説 」は

各 人に世 界が相 対 化 さ れ てい るこ と を説 くの であっ て

「誰か にとて」とい う限定 句の ない もの のあ りよ う を

切認めない の である。 それ ゆ え

「誰か に とっ て」とい う 限 定 の ない 万 人共通 の 世 界は

それが流動し てい る の であ れ

静止し てい る の で あ れ

プロ タゴラ ス に は認め られなし  これに対し て 「万 物 は動 く」とい う 思想は

個々人が どの よ う に世 界 を認識し てい る か と無 関 係に

万 人 共通の流動の世 界 を 語る こ と がで き る

た と え

「世 界はわた しに とっ て は 常 に流 動 し てい ない

」と相 対 主 義 者が主 張 して も

ま の に   て   

は 「万 物は常に運 動 し

生 成 変 化 を

一 116一

     

i

      し

(3)

「知 識は感覚で あ る」 とい う定義をめ ぐっ て 繰 り返 し てい る 」 とす るの がヘ ラ クイ トスの 「万 物 は 動 く (panta reiとい う 思想で あ る

つ ま りヘ ラ ク レ イ トス は

個々 人に おいて世 界の在り方につ い ての認 識の 異な り と は 無 関係に

世 界の在 り 方の 真 相 を 主 張し てい るので ある。 また

各人に相 対 化された世 界は 必ずし も 常 に 運 動 変化し てい る 必要はない。 「人 間 尺 度 説 」は

「こ の風は

今 も

5

分 前 も

私に とっ て冷たい。」と言 う こ と を 妨げない 。 さ ら に

万 物 が 常に運 動 し生 成変 化 を 繰 り返 し

性が ない とする な らば

認 識 す る 主 体

すな わ ち 「私に とっ て」 あ るい は 「あな た に とっ て」と 相 対 化 する際の 「私」や 「あ なた」の 同

性が確 保でき な くなる

つ ま り

相 対 主義に 立つ場 合

各 人に相 対 化 され た 世 界 は 変 化 してい て も構 わない が

認 識が 成 立 す る認 識主体の同

性は確 保 しな け れば な ら ない

ところ が 「運 動 生 成 説」で は

個々 人の身 体 的 状 態 (感 覚器官 や脳の状 態 を も 含め て)が絶えざる変化 を繰 り返し てい る とする 以上

認 識 主 体としての 同

性 を確 保 するこ と がで き ない

 重 要 なの は プラ トン の テ キス トである

わ れ わ れは

部の議 論 構 成 を 明か にするこ とを通し て

A 説で も B 説でもない第 三の 道 を ゆ くこ と に な る。

II.

一定義

提示

 例 示に よ る定 義の 難 点 を 指 摘 した後

ソ ク ラテ スは

無 理 数の定義の よう に全体を

括し て定 義 する よ う テア イ テ トス を 促 す (151d3

6

テア イ テ トス は

ソ ク ラ テ ス の 言葉に従い

151d7−

el)

「知 識は感 覚で あ る (第

定 義 )」が c (よい と)思われるs]

と 言 う (151e1

3)。 その 際テ ア イテ トス は

定 義 を 次の よ う な 仕 方で提示 し てい る

T1 何か を 知 っ てい る人は

知っ て い る当の もの を感    覚し て い る151el

−2

。 T2 知識は感 覚に他 なら ない 151e2

3)。 い る 」とい う言葉を使う際に は

知っ て い る当の 対 象 を 「感覚し てい る」と言い 替 え るこ と が で き る限 りに おい て

「知 ってい る」と 「知ら ない 」と の分 別の 基 準が 成 り立つ と 考 え るの で あ る。 そ れ ゆ え テア イ テ トス は

わ れ われが 「知っ て い る 」とい う仕方で事 物と関 わる際の 際立 っ た特 徴を

その 事 物 を 「感 覚し てい る」 状態の う ちに み てい る こ と に な る。

 

わ れ わ れは

感 覚し てい る こ と につ いて 「知っ て い る」 とい う言葉を 使 う場 合

その こと に誤 りが ない とい う あ る種の 確 信を持っ てい る

その種の確 信は

他 な らぬ私 が 感 覚 し てい るとい う その 直接 性に起 因 する

直 接 性に 起因 する確 信 が

当の 事 柄 を 「知っ てい る」と言わ せ る 根 拠 となっ てい る。 他人が感覚 した事 柄につ い て も信頼 を置 くの は

t

感 覚する際に

わ れ わ れ は 感 覚 経 験に おけ る同 種の 確 信 を 相互 に 認 め てい る か ら で ある

そし て

わ れわれが こ の種の確 信 を もつ の は

五感に対 応 する直 接 的な感覚に限らない 9}

こ の よ う な 立 場 を 明確に し て い るの が プロ タ ゴ ラ スで あ り

プラ トンは テア イテ ト ス がプロ タゴラ ス と 同じ こ とを 言っ てい る

とする

m . 「

人 間 尺 度 説 」  テ アイテ トス が第

定義 を提 示 する と

ソ ク ラ テス は そ れが 「知 識に関 す る容 易な ら ぬ説 (

logon

 ou 

phaulonl

」 で あ り (151e8

152al)

プロ タゴラ ス も またその 説 を 主 張 し てい る が(152al)

「別の仕方で (tropon tina allon

そ れ

ら同 じ こ と(ta auta tautaを 語 て い る152a1

−2

)」と言 う1°〕

そこ でソク ラ テス は

「人 間 尺 度 説 」 を導入 する。

ソ ク ラ テ スは書 物か らの 引用 とし て M を 示し

そ れを

M 「

の よ う な 仕 方で解 釈 する。

M  

万 物の 尺 度は人 間で あ る

「『あ る亅こ と につ い て

は (tOn ontOn」 「『あ る』とい うこ との

ho6

 esti」(尺度は

人間で あ り)

「あ ら ぬ」こ と につ い ては 「あらぬ 」とい うこ と の (尺 度は人 間であ る )(152a2

5)。

 T1

での 「知っ てい る(epistatai )」とい う 言 葉は

 T2 で の 知識 (episteme )」とい う言 葉に その ま ま移 行し て い る

定 義で問 題化されてい る 「知 識 」 と は

真な る 命題 の集 合 あるいは学 問の体 系 を指 すの で はな く

「知っ てい る」とい うこ と 自 体 を抽 象 名 詞に言い 替えた表 現で あ る

つ まり

「知っ てい る」とい うこ と を 問 題化し

そ れは 「感 覚 する」 とい うこ と で あ る

とテ ア イテ トス は 主 張し てい るの で あ る。 すな わ ち1 われ わ れ が 「知っ て  

M

々 の 事 物わ れ る よ う な仕 方

々 の 事 物は私に とっ て 「あ る (estin}」

またあな た に現 わ れ る よ うな仕 方で

あ な た に とっ て 「ある」

そし て 人間と はあな た と私である (

152a6−9

 

M ’

で は

「誰か に 現 われる(tini phainetai」 とい う 「現 わ れ 」 を 記 述 する部 分と 「誰か に とっ てある (tini estin」 とい う 「存在」を記 述 する部分 と が等値で結 ば れて い る

一 117一

(4)

湘 南工 科 大学紀 要 第 35巻 第 1号 つ ま り 「現われ 」と 厂存 在」と が

対応し て い るの であ る

換 言すれ ば

相対 的な存 在に符 合 する仕 方で

相 対 的な認 識が成 立 する

と 説 く の で あ る

し た がっ て

M ’

「現 わ れ」か ら独 立に 「あ る」と語り え る よ う な 世 界 が客 観 的に成立 し てい る

とする 立場 を退 け な け れ ばな ら ない

 ソ ク ラテスは

次に具 体 例 を あ げて こ の こと を 説 明す る

す な わ ち

同じ風 が 吹い ていて

われわ れの ある人 は寒く

あ る 人は寒 く ない

またあ る 人 は 少し寒く

あ る 人 は ひど く寒い とい うこと が あ る (

152b2−4

い わゆる 「相反 する現 わ れ」の事 例で あ る

これ に対 し て

対 立 す る二 つ の世 界観がある。

X 。

「風 そ れ 自体 (auto  epi heautou to pneuTna」が冷た

あるいは冷たく ない

152b2−3

Y

(風は)寒い人に は冷た く

寒 くない 人に は冷たく ない

152b3

 ソク ラ テス と テ ア イテ トス は, 「知 者プロ タ ゴラ ス に 妄言 は あ る まい

152b1

とし て プロ タ ゴ ラス に従い (152b1

−2,b6

 

Y

に立っ て議 論 をす すめ る

 Y は

風の 冷た さは各人に相 対 的に の み 「あ る 」 とい う

いわば相 対 的な在り方の みを 認め る 立場であ る

すなわ ち

風の 冷た さ は感じ るひ とによっ て異なっ た在 り方 をし て い る 以 上, 必ず 「各 人 に とっ て」とい う限 定句をつ けて相 対 化 しな け れ ば ならない

この例 示で は

風 そ の もの の存 在につ い て は何ら 問 わ れて おらず

風の 可 感 的性質が問 わ れてい る

そ し て

こ れ以降も 「人 間尺度説 」で は

述 定 される こ と が ら につ い て の み 「あ る」とする

そ れ ゆ え 「人間尺 度説 」に お ける 「ある」に は

何 ら か の述 語   を補うこ とになる

する と

Y

は 「『各人に とっ て

F

で あ る亅世 界観」と

般 化すること がで き る。 これ はM

を主張 するた め の前提であ る

事物の在 り方はすべ 相 対 的であ るがゆ えに

「F で あ る」と限 定抜きに 述 定する こ とを 認めず

「各人とっ て

F

で あ る」と相 対 化し て述 定 するこ との みを認め る の で あ る。  これに対して

各 人へ の現 わ れが事 物の在 り方 をその ま ま映し てい るのでな く

各 人へ の現 わ れと は独 立に客 観 的な事 実が成 立 し てい るの であ れ ば

各 人にどの よ う に現 わ れて い よ うが

それ と は独 立に 「風 『それ 自 体 (auto epi 

heautoul

」が冷たい とい う在り方をし てい る こ と を認め る こ と に なる

この場 合に は

各人がその た さ」 を 感 知で きない こ と

っ ま り誤っ て風の 性質 を 判 断 するこ ともあり う るこ と にな る

これ が

X

の立 場であ る。 わ れ わ れはこれ を 「『そ れ 自 体

F

である亅 世 界 観」 と呼ぶ

 『テ ア イテ トス』 第

部は

こ の 相 対 立 する二 つ の立 場の 緊 張 関 係か ら始 ま る

プラ トンは こ こ で は 「人間尺 度 説」を支 持し てい るわ けで も

その正 否 を 議 論 し てい るわけ で もな く11〕

こ こ で は 論 理 的 関 係の み を 問 題に し てい る

プロ タ ゴラ ス の 言に従い

「人 間尺度 説」に立 つ ならば

厂『それ自体

F

であ る 亅世界 観 」 を 否 定し て 「各人に とっ て

F

で あ る』 世界 観 」に 立 たな け れ ば な ら ない こ とを示 して い る

W

尺 度 説 と

第一定義

の関 係  ソ ク ラ テ ス は

人間尺度説 を導入 し た後

そ れから第

定 義 導出で き る こ と を 以下の よ う な問 答 を 通し て論 証する152b9

c7

ソ ク ラ テ ス テ ア イ テ ト ス ソ ク ラ テ ス テ ア イテ トス ソ ク ラテス テ ア イ テ トス ソ ク ラ テス 各 人にそのよう に (冷た く あるい は冷 たくな く)現 わ れる のだ ね。 はい

し か るに 「現 わ れ ること」は 「感覚す る こ と」な の だ ね。 そ う です

し た がっ て

暑 さ や その よ う な類の こ とすべ て におい て

「現 わ れ 」 と 「感 覚 」と は同じ で あ る

なぜならば

各 人が感覚 し てい る通 りに

各 人に とっ て その よ うにある

よう なの だか ら。 そ の よ う です

し た がっ て感 覚は

「あ る」 ことの 感 覚で あ り

過 ち な き もの であ る

知 識 が そ うで あ る よ うに  論 証の構造 は 次の と おりで あ る

 

まず

人 間 尺 度 説

M

現 わ れ 「各 人 」 で あった こ とを確認 し(152b9

−10

そし て 「現 わ れ るこ と」は 「感 覚 するこ と」で あ るこ と に テア イ テ トス が 同 意 す る (152b11

−12

五 感で感覚可能な 諸性 質 (可 感 的性 質 ) が 「誰か に現 わ れてい る」とい う事 態 を

誰か が 可 感 的 性 質 を感 覚 し てい る と 記述 する こ と がで き る。 こ こ で注意すべ き こ と は

感覚 者が不 在の現 象 を 「現 わ れ 」 と し て は認め てい ない こ とである

人 間 尺 度 説

M ’

で は

「現 わ れるこ と」は か に 現 われるこ と」以外で は な

一 118一

(5)

「知 識 は 感 覚であ る 」 とい う定 義 を め ぐっ て い

。III

で確 認 した とおり

人 間 尺 度 説によ れ ばt 事物は 感 覚 者に相 対 的にの み記 述 可 能で あ る

そ れ ゆえ

誰か が感 覚 しない限 り

その風の冷た さ は 現 わ れ ず

その 存 在につ い て語れ ない つ まり

各人へ の現 わ れの み が事 物の在 り 方 を正確に捉え てい る とする以

h ,

各 人の感覚

か ら独 立に 「風 そ れ 自体 (auto epi 

heauteu

 to pneuma 」が

冷たいか冷た く ない かを 語る こ と そ の もの を否定し てい るの である

つ ま り 「『そ れ自体 F で ある』 世界観 」 を 否 定 する とい う 前 提の 下で はじめて

「各ム

に 現 わ れる」 とい う表 現 は 「各 ム 塑感 覚 する」とい う表 現に変 換 可 能 と な り

「各 ム 至感覚 し てい る通 り に

各ム 巫 そ のよ うにあ る(152c2

3)」

と言えるの である。 その際 「感 覚 し て い る」 事 柄は

冷たい

暑い 等

感 覚 者の み が知 り うる事 柄で ある(

152c1−2

そし て

これ らの 性 質に 関 する判 断が相 対 的に の み成立する こ とを前提し てい る 以 上 (『各人 に とっ てF で あ る』 世界観 )

感覚し てい る内 容 は 真であ り

誤 り な きこ とにな る

  そ こ で ソク ラ テス は次のよう に言 う

 し た がって

感 覚は 「あ る」 とい うこ と に関わ り

誤 り な きもの で ある

知 識が そうであるよ うに (

152c5−6

  「人間尺度 説 」に よ れ ば

各ム の 「感覚 」は 「ある」 とい う言 葉 を 用い て 事 物の あ りか たを 正 確に捉え るもの で あ り

そ の内容は真であ り誤 りがない

他 方 「知 識」 と は

言 語 「あ る 」 を 用い て 事 物の あ りか た を正確に語 るもの であ り

その 内容は真であ り誤 り が ない

そして T こ こ か ら 「知識は感覚で あ る。」とい う 第

.・

定 義 を こ と がで き る

 こ こで確認 すべ きこ と は

論 証の構 造 ヒ

定 義で い う 「感覚」は各 ム 虹現 わ れ る も の で あ り

「各ム ニ とユ 〈

L

 

F

で ある」とい う相 対的な仕方で記述され る 以上

定 義で い う 「知 識 」 も 各 人に現 わ れ る もの で あり

知 識の内容は 「各人に とっ て

F

である。」と表現 さ れ る

つ ま り

人間尺度 説 を 前提し て第

定義を 主 張する な ら ば

「知 識 」は相 対 的で あ り

真理が相 対的で あ る こ と を も認め るこ とになるのであ る

し たがっ て

事 物は 「a に とっ て F で あ る

」以外の仕 方で は語れず

相 対化せ ずに 「F で あ る

」と事 物 を規定するこ と を認め ない こと に な る

議 論の筋道を確 認 する と

,III

で確認 した 通 り

「人 間 尺 度 説 」 は , 「「そ れ 自 体

F

で あ る』 世界観 (

152b2−3

)」 を排 し て

「各 人に とっ て F で ある』 世 界 観 (

152b3

)」に立っ てい る。 そ れゆえ

「人 間 尺 度 説 」 を よ り どこ ろ に 「第

定 義

1

を 正 当 化 する場合

「知 識」と は誰か に 「現 わ れる」 もの であ り

相 対 的なもの に な る。 目撃者 不 在の事実 も

「現 わ れ」が 「事 実 」と異な る 可 能 性も

切 認 め ない こと に な る。 換言すれば

私に 現 わ れ て い る とい う こ と が実 在 性お よび 不可謬性の根拠で あ り

そ れが 「知識」たり うる ゆ え ん と な るの である

  プラ トンはこ こで

「人 間 尺 度 説 」 を 前 提 し て 「第

定義 」を 正当化 する議論を展 開し てい るが

こ こ で は論 理 的 関 係の み し か問 題に せず

人間尺度 説の 正否は 議 論 されてい ない 12〕

こ の 議 論で重 要 なこ と は

「第

定義」 も 「人 間 尺 度 説 」 も

『各 人に とっ て Fで ある』 世 界 観 」 と相入れない 「『それ 自体

F

で ある』世界 観」を排除 す る こ と を前提に し てい る とい う点で あ る

V

.秘密

教説

 ソ ク ラ テスは テ ア イ テ トス に次の よ うに 言 う

「カ リ ス に かけて

プロタ ゴ ラス は まった くの 知者だ。 そして こ の こと を

わ れ わ れ 大 衆に は謎めい た仕 方で話 し

他 方で弟子 達に は真 理 13)を 秘 密 裏 だ (

152c8−

11)14}

ま り

ゴ ラ 大 衆 向け に 「人 間 尺 度 説 」 を 語 りな が ら

弟子た ち に秘密で真理を語っ た

そ し て

その 秘 密の真理 は次の よ う な内 容の 「実 に容 易な ら ぬ説 (

152dl

)」であ る

これ を 「秘 密の教 説 」 と呼ぶ。 「秘 密の教説」は 二つ の部 分 (1

 

2

に分かれ

それぞれ 同 じ構 成になっ てお り

対 応し てい る (  ,  ) 15) 。 1 『そ れ 自体

である』否 定 説 (152d2

−6

 

 

原 理 命 題】(152d2

3)     「何 もの もそれ 自 体

であるこ とはない

hen

 auto

   

kath’

hauto

 ouden  estin ロ」

 

  【言 語】(152d3

6)    

あな た は

何で あ る とも, どの よ う で あ る と も

    正確に 「対 象 を 規 定 する 〔proseipois)」こ とがで     き ない

   

もし

あ なた が 「大 きい と 「述 定 する prosa

    goreueis)」ならば

「小 さい」 と も現 わ れ

もし

  

「重い」 (と述定する)ならば

「軽い も (現 わ     れ る )

あ らゆ る もの は同様であ る

な に ものも    

で あ るこ とも

何かで あ るこ とも

どの よ う     か であ ること もないの だ から。

一 119一

(6)

湘 南工科 大 学紀 要   第

35

巻  第 1号

2

「運 動生成説 」 (152d7

8)

 

  【原 理命題

152d7−8

)     すべ て の もの は

移 動や運動や相互の 交 わ り

  

「か らekな るgignetai)」。

 

  【「運 動生成説 」の 言 語】(152d8

el    

そ れ らすべ ての もの を わ れ わ れ は 「あ る (einai)」     と言っ てい る け れ ど も

わ れ わ れ は 正 しく述 定      し て いない

   

な ぜ なら

な にものい か な る時に おい て も 「あ     る」の で は な く

常に 「な る」の だ か ら。

 

「そ れ 自 体 」 とい う表 現 を 「各 人 に とっ て」とい う限 定 句 によっ て相 対 化するこ とを拒む表現 とすれ ば 16)

「『それ自体

で あ る」 否 定 説」は

明ら か に

皿 で提示 された

r

『そ れ 自 体

F

であ る 亅 世 界 観 」 と対 立 す る

な ぜ な ら 「『それ 自 体 F で ある世 界 観」とは

(風)そ れ 自 体 (auto epi 

heautou

 to 

pneuma

」が 「

F

で あ る (冷た

い )」

とい うこと を認め る立場であ り(152b2

3)

「「それ 自体

で あ る 』 否 定 説 」はそ れ を認 め ない立 場 だからで あ る。 そ れ ゆえ

プロ タゴラ スが弟 子 達に秘 密で教 えた 「『そ れ 自 体

で ある亅 否 定 説 」 を 「『それ 自 体F で ある』 世 界 観」と相 対 立する 厂「各人に とっ て

F

である」世 界 観」に立つ 説 とし て理解 する こ と は文脈上 ごく自然であ る

(で あ る)」 とい う表現 が加わ っ てい るの は単な る強 調 とし て も理 解でき る

 しか し

1

の テ キス トは

相 対主義を説く た め に は不可 欠な 「各 人に とっ て」 とい う限 定 句 を 欠い て い る

「人 間 尺 度 説 」 を念 頭に置 き1  を 読 む な ら ば

,1

  で 「現 わ れ」につ い て言 及する箇所に 人に とっ て」とい う 限 定 句 が ない こ と は不 可解で あ る。 もっ と も

限定句が 省 略 さ れてい る と 解すれ ば問題 な く

「そ れ自体 」とい う意味 内 容が相 対 化 との 対 比であ るこ と は 議 論 展 開から い うと自 然であ る

この よ うに

「「そ れ 自 体

であ る 』 否 定 説 」は相 対 主 義の 文 脈で解 するこ と が で き る

 と こ ろ が

これま で の議 論 展開を度 外 視し て

1と 2 を関連づけて読む と

1の 「そ れ 自 体

で ある』 否 定 説」を 主 張する理 由 を

,2

運 動生成 説 」が与えて い ると 解する こ と が で き

そ う な る と 「『それ 自体

であ る」 否定 説」は 全 く別 様に解 釈で き る

つ ま り

あ ら ゆ る もの が

運 動によっ て 「な る」の であ るか ら

で あ りつ づ け る 」 とい う もの は何

つ ない

と解 す るの で あ る

こ の 場 合に は

(で ある)」とい う表 現は非 常 に重要に な る が

「それ 自 体」とい う表現は

相 対 主 義 の 文 脈 とは異 な り単 な る 強 調で付 加 され た もの とい うこ と に な る

 こ の よ う に 「『それ自体

であ る 亅否 定説」は

「人 間 尺度 説 」と の 関連で 解 釈 す ること も

,2

で 導 入 さ れ る 「運 動 生 成 説 」 と 関 係づ けて 解 釈 するこ と も可 能で ある

プラ トンは

「「そ れ 自体

である亅否定説」と 「運 動生 成 説」と を

付 加 された事 柄 (「運動生 成 説」)を以前の 文 脈と対 比 さ せ て 強 調する こ と を鮮 明にする順 接の 接 続 詞 (

dede

)で結ん で お り1η

12 も微 妙 な 緊 張 関 係が あ る

文 脈 上こ の よ うな二 義 性 を もつ理 由につ いて

さ ら に 1と2を 考 察 して みよ う

 

1

は 否 定命題の み で構 成される。

1

  は

「何 ものもそ れ自体

で あ る こ と は ない 」とい ういわば存 在につ い て の原 理 命 題であ る

1  は

ま ず,

1

  に対 応 す る わ れ わ れの述 定の あ りかた を

わ れ わ れが経 験する相反する 現 わ れ を通し て

理命題に関 連づ て説明する。

 

これに対し て

2

否 定 命題で はない

2   は

,1

  同様 原理命 題で あ る が

否定 的な内容で は な く

万 物が さ ま ざ まの 運 動か ら 「なる」とい う世 界の在 り方につ い て の主 張 を含 んでい る

そし て

2

  は

,1

  と同 様

,2

  に対 応 するわれ わ れの 述 定の あ り か た を原理命題 と 関連 づけ て説 明する。 こ のよ うに 1 と2 と は対照 的に構 成さ れてい る

 次にその 内 容 を検 討する

まずそ れ ぞ れの 理命題 t   を比 較する

事柄自体と し て

,1

  と

2

  は同 義で は ない

1   は否 定 命 題であ り

肯 定 的な主 張は含んで い ない

「そ れ 自 体

である」とい う規 定 を認めない 人で あ れ ば

その 肯 定 的 な 主 張 内 容 が 何で あ れ 同 意する テ

ゼ で あ る。 例えばヘ ラ クレ イ トス であ れば

万 物 流 転の 世界観に基づい て 1   を 主 張 す るであ ろ うが

プロ タゴ ラス であ れ ば

「人間尺度 説 」に基づい て 1   を主張す る だ ろ う

す な わ ち

「「そ れ 自 体

で ある』 否定 説」に はそ も そ も複 数の解 釈 が 可 能であ り

,2

  は 「『そ れ 自体

で あ る』 否 定 説の 唯

の 解 釈 で は ない

 

1   につ いて も

相 対 化 を 示 す 限 定 句 が ない の で

同 様に 二的に解 釈で き る

。1

  は

相 対 的な仕 方で し か 事物を規定で き ない とい う 理由で主 張 するこ ともで き る が

,2

  の よ う に万 物が絶えざる 生成 変 化 を繰り返 すと い う 理 由で主張 する こともで き, それ 以 外の 理由で 主 張 す るこ とも可 能であ る

また 相 反 す る現 わ れにつ い て も 同 様に

「わた し にとっ て重い」 もの が 「あ なたに とっ て は軽い」とい うよ うに相 対 主 義 的に理 解 す る こ とも

「重かっ たもの が軽くな る」と い う よ う に異なっ た時点

一 120一

(7)

「知 識は感 覚で ある」とい う定 義 をめ ぐって で の重さの 変化と し て理 解するこ ともで きる

 このよ うに

「「そ れ 自 体

であ る亅 否定 説」は複 数の 解 釈が 可能で あ る

「運動生成 説」は 「『そ れ 自 体

で あ る』 否定説 」の

つ の解 釈で は あ る が

解 釈で は ない 18)

そ れゆえ

両 者は同 義と はい え ず

論 理 的に は 同 値で は ない

 そ れ で は何 故 プラ トンが

「『そ れ自 体

で あ る』否 定 説 」と 「運動生成説」とを 「秘 密の教説」とし て

つ に 扱っ たので あ ろ うか 。 プラ トンは

秘 密の教 説 を プロ タ ゴラスの秘密の教 説と して導入する が

すぐさ ま

ク レイ ト ス

プロ タゴラ ス のみならず

エ ンペ ド ク レ ス

エ ピカル モ ス

ホメ ロス ら

ル メス をの ぞ く すべ ての知者が同調 し てい る説と位置づけ てい る

プラ トン が こ こ で意 識してい る の は む し ろパ ル メ ニ デスで あっ て

パル メニ デス対 反パ ル メ ニ ス論 者とい う構 図 を 念 頭に おい てい る

それゆ え

「秘 密の 教 説 」 を 構 成 する二つ の説 1 「『そ れ 自体

で あ る』 否定説 」と

2

「運動生 成 説 」の 否 定 (r2

)はそ れ ぞ れはパ ル メ ニ デス の立場 を 端的に示 し て い る

1’

「そ れ 自 体

であるものが ある

」 2

運 動 も生 成 もない

 すなわち

「秘 密の 教 説 」はパ ル メニ ス の思 想に 反 対 する

とい う

点に お い て立場 を同じくする人々の包 括 的なテ

ゼで あっ て

,一

人ヘ ラ ク レイ トス の 説で は な い

「秘 密の 教 説」は

部 前 半で は常に複 数の 知者 が標 傍 する説とし て 紹 介されて お り

部 後 半で も

反パ ル メニ デ ス派とパ ル メニ デスの対立 をすもう に例 え てい るこ と か らも (c£ 18ic7

181b5

プラ トン が 両派の 対 立 構 図 を 念 頭 に おい て議 論し てい ること は明 らか で あ る

わ れ わ れは次に

「『そ れ 自 体

で あ る亅 否定説 」と 「運 動 生 成 説」と を 個々 に詳 しく見てい くこ とにする

 

§1 「『そ れ 自 体

である』 否 定 説」   「「そ れ 自 体

であ る

j

否定説」は

部に登場 する 諸説 を 関 係 付け る要所に必 ず 登 場し19)

部 後 半

説の反 証の最終段 階にも登場 する 20)

れ 自 体

る』否 定説」は第

部前 半で も極め て重要な位 置に置か れて お り

プラ トン に とっ て重 大な意 味 を 持っ てい た こ と はま ず 間 違い ない

しか し残 念 なこ とに

今 まで の 解 釈は こ の 重要な点 を見落と し てい た

 マ ク ダ ウェ ル は

プロ タ ゴ ラ スの秘密の教 説を導入し た経 緯 を 重視し て

「『そ れ 自 体

で あ る』 否定 説」を 「人 間 尺 度 説 」の結 論 として解 するe す な わ ち

「誰か に とっ て

F

で あ る

」と語るべ き で あ る が ゆ え に

端 的に 「

F

で あ る」と 語 ること は で き ない と解 し

「『そ れ自体

で あ る』 否 定 説 」を 「運 動生成 説 」か ら区別 する

しか し こ の よ うに解 する と

「『そ れ 自 体

であ る 』 否 定 説」 と 「運 動 生 成 説 」 との 関 係づけが難 しく なる

これに対 し てバ

「「そ れ 自体

あ る 』 否 定 説 」 と 「運 動 生 成 説 」と同

視 し て解 釈 する

つ ま り

万 物は 運 動 する が ゆ え に静 止し て い ない とい うこ とと 同 義に 「『それ自体

で あ る亅 否定説 」 を解 するの で あ る

し か しこ の よ うに解 す る と

「人 間 尺 度 説 」 との つ な が りは 跡 絶え

プロ タゴラ スが 弟 子に教える とい う経 緯の 説 明 はつ か ない

プラ ト ンが プロタ ゴラ ス もヘ ラ ク レイ ト ス も支 持し てい る説と し て提示 し てい る 以 上

「『そ れ 自体

あ る 』定 説

両 者 説 を 包含すう な 解さ な け れ ば ならない

 バ

ニ エ トが 「

r

そ れ 自

で あ る亅 否 定 説」と 「運 動生成説 」とを 同

視する よ う な無理 な解 釈を と らざる をえ な くなった最 大の理 由は

「『そ れ 自体

で あ る亅 否 定 説 」が否 定 命 題で複数の解 釈が可 能で あ る にもか かわ らず

,一

義的 に解釈 し よ う とし た か ら で ある

r

それ 自 体

で あ る』 否定 説」は

「人間 尺 度 説」か らも

「運 動 生成説」か ら も支持 すること がで き

ま た別の立場か ら 支 持 す るこ と も 可 能 で あ る

「秘 密の教説」の 支 持者が パ ル メニ デス を除く多 くの人々

と なっ てい るこ と は 重 要で あ る

「「そ れ自 体

で あ る亅否 定 説」はパ ル メニ デ ス説 を 受け 人 れ ない複 数の人 々の 複数の 立場を否定命題 で包 括 する テ

ゼ で あ り

そ れゆ え多 様な複数の 立場 を 内含し て い るの で ある

 それで はプラ トンは

「『それ 自体

で ある』否 定 説」 に 対 し て ど の よ う な立 場に立っ てい るの だろ うか

部 後 半でソ ク ラ テ ス は

ヘ ラクレイ トス とパ ル メ ニ デ ス との 中 間に来て しまっ た と言 う (181e5

6)

つ まり プラ トン は

「秘 密の教 説 」に は与 しない が

パ ル メニ デス とも距 離を おいてい る

中期 イ デァ論 は

いわ ば 万 物 流 動の世 界 観と永 遠 不動の

との緊張関 係の な か で構築 された とい う 見 方は哲 学 史の 解 釈 とし て定 着 し てい る。 他 方

プ ラ ト ン の 中 期で は

「そ れ 自 体

で あ るもの

(auto 

kath’

hauto

 

hen

 on」とい う表 現は イデアを意 味 する

いわ ゆ る テ クニ カ ル タ

ムで あ る。 そ し て 「それ 自体で

(auto  kath

hauto hen onとし て イ デ アを 立

他 方 事 物の運 動生成 を 認め る 立場 をとっ て い る

(8)

湘南工科大 学紀 要  第

35

巻  第 1号  中 期か ら後 期の 間に位 置 すると される 「テ ア イ テ トス 亅 に は

こ の 現 を用い て イデア に言 及 する箇 所は ない しか しプラ トンが 中 期で イデアを 指し た表現を 「テ ア イ テ トス亅で無 頓 着に使 用する こ と は まず 考え られない し か も

「人 間尺度 説」を正 当 化 す る

つ の 根 拠 と なる 「相反 す る 現 わ れ 」は

中 期では

t

プラ トンが イ デア論 を立て る際に重要な役 割 を 果たし て お り

それは

現 象 界 との 対 比 とい う点 よ り もむ し ろ

相反する述 語づけ の 場 面がま さに問 題に なっ てい る21)

「『それ 自体

で あ る」

否 定 説 」 は

「そ れ 自体で

で あ る もの auto 

kath’

hauto

hen

 on〕」とい う規定 を満たす対 象は存 在せず

あ ら ゆ る

事物は相反する述 語 づけ が可 能で あ る

とい う 立場で あ り

「運動生 成 説」は 「そ れ 自 体で

で あ る もの auto

kath’

hauto

hen

on 」 を 想 定せずに世 界に つ い て語 れ る と

い う立 場で ある

つ ま り

それが イデア で あれ 何で あ れ

「そ れ 自体で

で あ るもの auto・

kath’

hauto

hen

on

う規 定 を満たす対 象 を想 定 する こ とそのもの が こ こ で は 問題 に なっ て お り 「人間尺度 説 」と 「運 動生成 説 」は

般 者 を立 と そ 反 対 す るの で

。一

者 を 立てる 際の 問 題 点は

中 期の 『パル メ ニ デス』です で に指 摘 さ れて い る。 しか しそ れ は無限 後退等

い わ ゆ る 形 式 的 な 難 点であっ た

「『それ 自 体

である亅 否定 説 」 を主 張 する論 者 達は

形 式 的 な 問 題 を議 論する以前

そ もそも 「それ自体で

であるもの auto 

kath’

hauto

hen

 onとい う規定 を満たす もの を立 論 しな くて も

世 界の 在り方 を正確に語るこ と がで き

知 識が成立する

と主 張 す る

「国 家 亅 以 降 , プラ トンがイデア論 を な お 正 当 化 す る 道 を 探っ てい ると解 す る場 合にも

イデア論 を 再考し新た な論を 立 て よ う と し てい る と解 する場合に も

プラ ト ン が 「テア イ テ トス

般者 を 立て る こ と その もの を問 題にし

そ れと相 対 する議論 を検 討するこ と は

ご く自然な成り行き だ と考え ら れ る

 §2  「運 動 生 成 説」   「運動生 成 説」は プロ タ ゴ ラス

ホメ ロ ス

エ ム ペ クレ ス

エ ピカル モ ス らパ ル メニ デス をのぞ くすべ て の 知 者に支 持されてい る説で あ り

ヘ ラ クレ イ トスの説と し て紹 介されていない ことは既 に 述べ た

ここで は

の内容 を確認 す る

プ ラ トンは 「運 動 生 成 説 」 を支 持 す るの 知者を 「ホ メ ロ ス がい る軍 勢 」と言い 替 え (

153al−2

「運 動 生 成 説」を次の よう に動 と静との対 比 によっ て言い替 えてい る (

153a6−

7)

  「ある」と思われてい る こ と

すなわ ち 「な る」こ  と は

動が これ を供 給 す る。   「あ ら ぬ」 (と思 わ れてい る )こ と

す な わ ち 「な  く な る」こ と は

静がこれ を 提 供 する

 「運 動 生 成 説」は

動の み に言 及 し てき たが

こ こ で は消 滅 する プ ロセ ス を代 表す る概念 と し て静に も 言 及 し てい る。 こ こ で も同じ 「運動 生成説」を定式 化し てい る こ と は テ キス ト上自 明で あ る以 上

「運 動生成 説 」は  を含 意し てい る こと に な る

部 後 半で言 及 されるヘ ラ クレイ トス の学徒の説は

静 止 を

切 否 定 し てい る と プラ ト ン は解 し てお り (179d7

180a3)

消 滅へ 向か うプ ロセ ス とし て の静に も言 及する 「運 動 生 成 説」とは

密に言 え ば 内 容 を 異にする

 続い てソク ラ テス は

「運動生成 説」を裏付け る具 体 例 を挙げる (153a5

−d7

)。 熱や 火の例

動 物が運 動から 発 生 するとい う自然の生 成の例に続い て

人 間の 身 体 と魂 まで論は拡 張 され

動は善

静は悪

とい う価値 判断に まで及ぶ な わ ち

身 体の状 態は体 育に よっ て動かす と保全 される が

静止 さ せて用いずに おくと だ めにな る (153b5

8)。 魂の状 態 も

学 習 や 研 究は動で あ る 力によっ て学識 を得て保全 し

優 秀な もの に な る が

学習も研 究 もし ないで お く な ら

何 物も学得するこ ともなく

ま た

い っ た ん学 得 し たもの も忘 却 す ること に な る (

153b9−

c2)

そ れ ゆえ

動は魂の方か らい っ ても身 体の ほ うか らい っ て も善きもの で あるが

他 方の もの (静 )は その 反 対で ある(

153c3−5

とい う の で あ る

そ し て

動は世 界 を維 持 するが

無 風や 凪 に み ら れ るよう に

静は腐敗や滅亡 を 引き起こす (153c6

8

とい う枠 組み が登 場 す る

そし て最 後に ホメ ロ ス の言 を 引いて

太 陽 が 万 物 を 保 全し て い るの で あ り

太 陽が静 止 す れ ば すべ て は崩 れる

153c8−

5

と結ぶ

 こ の よ う に 「運 動 生 成 説 」 は

善 き もの である運 動に より世 界が成立 し

悪 し き もの で あ る静止 は 世 界 を 滅 ぼ す

とい う

般 論で あり

ホ メロ ス降 多の知者の権 威と

幾つ か の経 験 的な事 例に よって裏付け ら れ ている

そ れ ゆ え 「運 動生成説」は

存在する も の は 「あ る」の では な く 「な る 」 と説 き

静 止 しつづ け存 在 してい る も の を認 め ない

その よ うな 意 味において t 「運 動 生 成 説 」 は 「「そ れ 自体

である亅 否定 説」を支 持 する。

 

ヘ ラ クレ トス の 「万 物は動く(panta rei」とい う思 想 は

動を世 界の構成原理 とし

静止 を否定する とい う意 味で 「「そ れ 自 体

であ る 亅 否 定 説 」 を 支 持 す る。 そ れ

 

122一

(9)

「知 識は感 覚で あ る」とい う定 義 をめぐっ て ゆえヘ ラ ク イ トスは

「「それ 自 体

で ある」 否定説 」 と 「運 動 生 成 説 」か ら構成される 「秘密の教説」を信 奉 する知者の 系 譜属 する が

「秘 密の 教 説 」 も 「運 動生 成 説」 もヘ レ イ トス 個 人 の 説と は 言えない

部 後 半で プラ トンは

「運 動生成 説」を 「動く ものを 『

F

で あ る』もの とする 説」と 言い 替 え

これはソ ク ラ テス の 議 論に従えば 「ヘ ラ クレイ トスでは な く

ホメ ロ ス と か 更に な お古い時 代の 誰か に帰 さ れ るべ き説 (cf

179e3−6

)」 であるこ と を 明 記 し て い る

そし て

そ の説の真意 を理 解 する 課 題 が 「わ れ わ れ は大 昔の 人々 (知 者 )か ら伝え られて おり(180c7

−8

)」

「大昔の 人々 知 者 )は詩の 形 式 を 用い るこ と によって

「オ ケア ノ ス と テ チュ ス と が そ れ自らを除く他の 切 を 生 産 するもの で あ る が

こ の 両 者は まさ に流 れ従って何 もの と言えど も 静 止 し てい る も の で は ない 』とい う自 分た ちの考えを 大 多 数の者には 気 付か れ ない よう に隠 し て い た (180【8

d3。」 とプラ トン は書い てい る。

 

「運 動 生 成 説 」は多 くの 人 が共有 する

般 論で あ り

ヘ ラ ク レ イ トス個人の哲 学 的 な 思 想 その もの で は ない 。

VI .感  覚  論

 

§

1.

「人 間 尺 度 説 」 と 「運 動 生成説」と の関係

 

さて

ヘ ラ ク レ イ ト ス が 「秘 密の教説」に 如 何 な る仕 方で与 する か は明ら か に なっ た が

プロ タ ゴ ラス は ど う か

わ れ わ れは

V

§1

プロ タ ゴ ラスが相 対 主 義 的 な 観 点か ら

「『そ れ 自 体

で あ る』 否 定 説 」に立つ こ とを 明 か に し た

し か しそこで確 認し た と おり

「人 間尺度説」 は相 対 主 義 的に解 釈し た 「『それ 自 体

で あ る』 否 定説 」 を 含 意 するが

「運 動 生 成 説 」 を 含意し ない 。 とこ ろ が 「運動 生 成 説 」 を 支 持 する知 者の にプロ タ ゴ ラス も挙 げら れて い る

これは注 目すべ き 点 で あ る

プ ラ トン は なぜ

プロ タ ゴ ラスが弟子 達に秘 密で 「運 動 生 成 説 」を も教え た とするの か

こ の 問い に対 する答えは

これ 以 降の難 解 な 箇 所の 解 釈と か かわる。 論 旨を 明確にする た め に

あら か じめ 論 者の 解 釈 を 述べ

の後

テ キ ス ト の議 論にそっ て論 証 する とい う手順 を踏み たい

 プラ トンは

「知 識は感 覚で あ る」とい う第

定 義が プロ タゴ ラ ス の 「人間 尺 度 説 」か ら導出さ れ るこ とを示 し

両 者が 『各人に とって

F

で ある

j

世 界 観」に 立つ こ と を 示した

『各人に とっ て F で あ る』 世 界 観 」 に は

これ を基 礎づける存 在 論が 必要で あ る

つ ま り

各人 に 相 対 化 さ れた仕 方で事 物が存 在し

実 際に認 識が成 立 し てい る こ とを 説 明 し な けれ ば ならない

感覚 経 験で い え ば

事 物の 可感 的 性 質は すべ て 感 覚 者に対 し て のみ決 定 し

決 定 し た通 りに感 覚で き る の は各 感覚 者の み である

とい うこ と が

般 的 な 仕 方で保 証 されない と

t

各人の 覚は 知 識で あ る と は 言 え な い の で あ る

 し か し な が ら

「人間尺度 説 」を信 奉 するプロ タ ゴ ラ ス は

自 分に相 対 化 された世 界につ い て は 語 れ て も

万 人 の世 界につ い て語 れ ない

相 対 主 義 的 な 認 識 論は

た と え自説の正当化の た め で あっ ても

万 人の 感 覚の成 り 立 ちにつ い て

.一

般 的な仕 方で語るこ と はで き ない

こ れ は 「人間 尺 度 説」の 自 己 反 駁に つ ながる哲 学 的に重 要 な点で あ る

プラ ト ン が

「「それ 自体

で あ る」否定 説」 と 「運 動 生 成 説」を プロ タ ゴ ラスが弟子 達に密か に語っ た 「秘 密の教 説」と言 うの は

深い意 味 が ある

つ ま り

プ ロ タ ゴ ラス は万 人の世 界の有 り様に つ い て

「プロ タ ゴ ラ スに とっ て」とい う視点 を外し て語ると 「人 間 尺 度 説」と明か に矛 盾 し て し ま うので

万 人の 世 界の有 り様 につ い て は公に語 れ ない の であ る

だか ら

密か に弟 子 達に の み語っ た の であ る

 

そこで プラ トンは 「運 動 生成 説」 を原理 とし て感 覚 対 象の性 質 規 定が感 覚 者に対 し ての み 決 定 する

とい う 世 界の 有り様を 「感 覚 論 」 とい う形で 記述し

それ をプ ロ タ ゴラ スが受け 入 れ る か の よ うに議 論 を 進 め る

こ こ に感 覚の場面で プロ タゴラス と 「運 動 生 成 説 」 との 接 点 を作ろ う とす る プ ラ トン の 意図が あ る

しか し な が ら

先に確 認し た とお り

「人 間 尺 度 説 」 と 「運 動生成 説 」 と は 互 い に 独 立 で あ り

哲 学 的に は異なっ た性格の説で あ るe 両 説は

反パ ル メ ニ デスとい う

ト ン に よっ て意 図 的に結 び 付 けられてい る

「人 間 尺 度 説」に は存 在 論 的な基 礎付けが 必要で あ る が

それを 「運動生 成 説 」が行 う必 然性は全 くない 。 そ れゆ え 「感 覚 論 」が 体 現 する 世 界 像は

 

見相 対 的なもの の あ りか たを 説 明 するよ うに見 え るが

実際は 「人間尺度 説」とぴっ たり 符合しないの であ る

そ れ で もプ ラ ト ン は

「感覚 論 」に 修正 を 加 え な が ら

「それ 自 体 「F で ある亅否定 説」を 通 し て 「人 間 尺 度 説」と 「運 動生成説」と を 強 引に近づけ る

そこ に は

「そ れ 自 体 「Fで あ る』 否定 説」を 支 持 する 「人間尺 度 説」と 「運 動生成 説 」と を

感 覚の場 面 で結び付 け よう とするプラ ト ン の強い意 図 が 読 み 取 れ る

 

それで は

テ キス トにそっ て議 論展開 を追う こ と にす る。 「運 動生成説」が様々 な例 示によっ て

運 動は世 界 を維 持 し静止 は消 滅へ と向か う

とい う

般 論 を 展 開し た直 後

プラ トンは この 「運 動生 成 説」 を 色に 適 用 す る

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参照

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