MEMOIRS
OF
SHONAN INSTITUTE OF TECHNOLOGY Vo呈
・
路,
No,
1,
2001「
知
識
は
感
覚
で
あ
る
」
と
い
う
定
義
を
め
ぐ
って
プ
ラト
ン『
テ アイ
テト
ス』
151d7
−
160d4
の一
解 釈
田 坂
さ
つき
*On
aDefinition
ofKnowledge
asPerception
−
An
lnterpretation
ofPlato
’
sTheaetetus
151d7
−
160d4
−一
SatsUki
TASAKA
In
the丘rstPart
ofthe
Theaetetus
(151d7−187a8
),
TheaetetUs
tries todefine
knowledge
as perception,
In
my view ofthis papeちthe
first
half
of this part (151d7−
160d4),
Plato
expbins ainterrel
且tion of this definition and other several the−
ses, which are‘
Man
is
the measure of all things’
and‘
All
things really arein
proc(ms of becoming as the result of move−
ment and change ’
,
etc.
However they aredifferent
theses丘om a philosophical point of view,
thedefinition
and otherthese are
based
on another thesis that nothingis
onejust
by
itself
.
Therefore
thedefinition
and other these are rolledinto
oneby
this tbesis,
andPlato
want to examine the thesesbased
on this.
第
一
部の冒頭,
テア イ テ トス は 「知 識 (episteme )は感 覚 (aisthesis )であ る。 (151e2−
3)」 と知 識 を定 義し,
(以 後 これ を 「第一
定義」と呼ぶ).
ソ ク ラ テ ス は第一・
定 義の 正 否 を検 討 す る。
第一
部 は 『テ ア イテ トス亅の中で最 も プラ トンが紙 面 を費や し,
複 雑で入念 な 議 論 展 開 をする 難 解 な 部 分で あ る。
第一
部 全 体は大 き く二 つ に分か れ,
前 半 部 (151d7−160d4
)は 第一
定 義と立 場 を 同じくする諸 説 を導入 する議 論,
後 半部(160d5−
187a8)は諸説 お よ び 「第一
定 義 」 を 反 駁 する議 論,
と なっ て い る。
第一
定 義は,
知識につ いて経験 主 義 的な態度 をと る説 とし て,
哲学 者の間で は注目 を集めて きた。
また,
プラ ト ンが その よ う な 立場に反 対する際に,
『テ ア イテ ト ス』 におい て中 期 イデア論に言 及し ない点につ い て は,
プラ ト ン研 究 者の間で は見解が別 れて い る。
議 論 構 成が難 解 で あ る た め に,
『テ ア イテ トス』に お け る プラ ト ン の 知 識 と感覚に関する思 索の内 実につ い ては,
い ま だに不 明 な 点 が多い。
本 稿の 目 的 は,
第一
部 前 半部の 議 論構成 を 明 ら か に し てプラ トンの 思索の内実を探るこ と に あ る。 ソ クラテス は 前半 部で,
「知識は感覚で あ る。
」とい う 第一
定義の 正否のみ を論 ずるの で は なく, 第一
定 義と 立 場 を 同じくす る諸 説 を も検 討の対 象にす る。
導人され る 諸 説の主 な ものは 以 下のと お りであ る。
プロ タ ゴ ラスが唱 えた 「人 間 は万 物の尺 度である。
」 とい う相 対 主 義 説 (以 後 「人 間 尺 度 説」と略 記する)。 プロ タゴラ ス が弟 子 達に秘 密で教え,
多くの知者が 共 有 す る説 (以 後 「秘 密の教 説」と略記する)。
これ は 二つ に分かれて い る。
1 ,
「何 ものもそれ 自 体一
で あ る とい う こ と は ない(
hen
autokath’hauto
ouden estin)」 (以後 「『そ れ 自 体一
一
で ある』否定説」と略 記 する)。
2 ,
万物は 運 動 に よっ て 「な る」 (以 後 「運動生 成 説」と略記 する)。 「運 動 生 成 説」を 原 理とし て構 築した感 覚の メ カニ ズム解説 (以後 「感 覚 論 1り と略 記 する)。
* 総 合文 化教 育セ ン ター
専任 講師 平 成12
年 10月30
日受付 論 旨 を 明 確にする た め に,
予め,
本 稿の結 論 を 簡 潔に 述べ るこ とにする。 ソ ク ラテスは第一
定 義 を直接 検討 す ることを避 け,
「『それ 自体一
である亅否 定 説」に与 する とい う 点 に おい て,
「第一
定義 」 「人間尺 度説」 「運 動生 成説」三者が立場を同じ くするこ と を論 証 する。
プ ラ ト ンは 「知識は感覚で あ る。
」とい う第一
定義を検 討 する こ とを 通し て,
1
そ れ 自 体一
で あ る』とい う規 定 を満た す もの を一
切 認めない知 識 論 お よ び 相 対 主 義や運 動 生 成 の世 界 観 を一
括し (第一
部 前半 ),
それ ぞ れ を (第 部 後 半 ) 反 駁 するこ とに よ り,
『そ れ 自 体一
で あ る』とい う 言 葉の使 用 が ど うい う次 元で確 保できる の かを論 究し て一 115一
湘 南工科 大 学 紀 要 第
35
巻 第1
号 い るの である。 本稿は こ の こ とを明ら か にするもの で あ る。
1
,諸
解釈 こ の箇 所の解 釈につ い て は, 近 年
M .
F.
バー
ニ エ ッ トが 従 来 主 流 と さ れた伝 統 的 解 釈 (A
説 )に対 峙 する解釈 (B 説 ) を提 起 し,
現 代の研 究 者の 注 目 を 集め て きた 2)。
伝統 的解釈 (A
説)は,
いわゆ る二世 界論 的な イデア論 解 釈 を 前 提 し,
第一
部 を次の よ うに解 する。 すな わ ち,
プラ ト ン は プロ タゴラ ス の 「人間 尺 度 説 」とヘ ラ ク レイ トス の 「運 動 生 成 説」は現象界での事 象を説 明するの に は適 切 だが,
知 識の対 象で ある イデア は感覚の対象で は ない ゆえに第一
定義は成立 し ない,
と3)。
これに対 し てB
説 (バー
ニ エ ッ ト説)は,
『テ ア イ テ トス亅第一
部の議 論が帰 謬 法に よ る第一
定 義の反 証だ と 解 する。
つ ま りプラ トンは,
第一
部前半 で 「プロ タ ゴ ラ ス説 」と 「ヘ ラ クレ イトス説 」は 「第一
定義」 と同一
で あ る こ とを明ら か に し た後,
第一
部 後 半で,
「ヘ ラ ク レイ トス説」が不合理 な結論を導くこ と を 論 証し,
帰謬 法によ る反 証が成 立 したと解 す るの である4}。
バー
ニ エ ッ トの 見 解で は,
「ヘ ラ ク レイ トス説 」が反 駁 されると 同 時に,
いわ ゆる 「プロ タ ゴラ ス説」も 「第一
定 義」も成 立の 余 地がな く なる以 上,A
説の よう に,
‘
現象界に お いで 「プロ タゴラ ス説 」 お よ び 「ヘ ラク レイ トス説 」 が 成立する と解 することもで き ない 。 『テ アイテ トス』には,
中期 『国家 』のよう に現象 界 と イ デア界の区 別 も,
知識の対 象は イデア で あ る とい う 記述もみ られ ない 。A
説は中 期の イ デア論 解 釈 を前 提 す る が,G .
E.
L.
オー
エ ン以 来,
『パ ル メニ デス亅 以 降二 世 界 論が保 持されて い るか どうか は問 題 視されて おり,
中 期 から 後 期へ の移 行 期 と言 わ れ る1
テ アイテ トス亅につ い て は解 釈が分かれて い る。
B
説 は 基 本 的に は,
第一
部で 二世 界 論 的イ デア論は保 持で き ない とい う立場に立つ。
論 者は,A
説 につ い ては,
テキス トに明 記 されてい な い前 提 を持 ち込ん でテキス トを 解 読 す る点 は 反 対であ る。
し か し B説は,
第一
部の議 論 構 成 を正 確に捉え てい ない ので支 持でき ない。 第一
部の議 論 構 成の 解 釈につ い て,
B 説は幾つ か の過 ち を 冒し てい る が,
そ の要 点だ け は じめ に指摘 し て お く。 まず第一
にバー
ニ エ ッ トは t 前 半 部に登場する諸 説を 「プロ タ ゴ ラ ス説」と 「ヘ ラ ク レイ トス説」とする。
し か し テ キス トで は,
プロ タゴ ラスは一
方で 「人間尺度説」 を説き な が ら,
他方 「運 動 生 成 説 」 を 含む 「秘 密の教 説 」 を弟子に教えて い た と なって い る以 上 (c五152c8−11
〕,
「人 間 尺 度 説 」のみ を 「プロ タ ゴラ ス説 」 と するこ とは でき ない。
また,
「秘 密の教 説 」 が 「『そ れ 自 体一
であ る』 否 定 説 」と 「運 動生成 説 」か ら構 成 さ れ てい るこ と は,
バー
ニ エ ッ トに先 立つ 解 釈に おい てすで に指摘さ れ てい る にもか かわらず,
両者 をヘ ラ クレイ ト ス の 「万物 流 転 説 」と同一
視 し てい る 5)。
テ キス トで は,
「運動生成 説 」は,
ヘ ラクレイ トスの みならずホメ ロ ス やエ ムペ ド クレス,
エ ピカルモス ら が支持 し てい る太古か ら の世 界 観で あ るこ と が 明 記 さ れ て お り,
ヘ ラ クレ イ トス以外の 思想も含まれてい る (c£ 179e3−
6,
18〔辷7−
8>。 第二 にバー
ニ エ ッ ト は,
前 半部が 「第一
一
定 義 」 厂プロ タ ゴ ラ ス 説 」 「ヘ ラ ク レイ ト ス説 」三者の 関 係に終 始 す る かの よ う に説明し,
そし てテキス トに 必要 条 件につ い ての 論証が ない こ とを認 め ながら も,
三者は互い に必 要 十分条 件 を 満たすとい う 意 味で 同一
だと解 し て いる。
バー
ニ エ ッ トが その重 要 な 典 拠 とする の は,
「同じこ と に帰着す る (160d3
)。
」とい う箇所であ る が,
これ はバー
ニ エ ッ トの言う 三者の同値関係で は なく,
「同じこと」は 文 脈 上 「『それ自体一
である』 否 定 説」 を指し てい る。 バー
ニ エ ッ トは,
「r
それ 自体一
で あ る』 否定 説」が,
こ の 三説を関係 付け る重要な役 割 を演じ てい る こ とを完全 に見 落と し てい る。
前半 部で 三 説 が 必要十分条 件を満た す ような 意味で同一
だ とい う論証が行わ れ ていない以上,
帰 謬 法に よ る反 証とい う解 釈は成 り立たない。 テキス ト の裏付けの乏しい バー
ニ エ ッ トの こ の解 釈に,
多 くの研 究 者が基 本 的に同 調し て い るの は6},
論 者に は不 可 解で あ る。
哲 学 的 な 観 点か らも,
ヘ ラクレ イ トス の 「万物は動 く (panta rei)」とい う思 想とプロタ ゴ ラスの相 対 主 義と が同 じ である,
とい う解釈に は無理 が あ るη 。 少なくともバー
ニ エ ッ トの よう に,
論理的に同値で あ る,
と は 言 え ない。
まず,
「人 間 尺 度 説 」は、
各 人に世 界が相 対 化 さ れ てい るこ と を説 くの であっ て,
「誰か にとって」とい う限定 句の ない もの のあ りよ う を一
切認めない の である。 それ ゆ え,
「誰か に とっ て」とい う 限 定 の ない 万 人共通 の 世 界は,
それが流動し てい る の であ れ,
静止し てい る の で あ れ,
プロ タゴラ ス に は認め られなし これに対し て 「万 物 は動 く」とい う 思想は,
個々人が どの よ う に世 界 を認識し てい る か と無 関 係に,
万 人 共通の流動の世 界 を 語る こ と がで き る。
た と え,
「世 界はわた しに とっ て は 常 に流 動 し てい ない。
」と相 対 主 義 者が主 張 して も,
ま の に て一
は 「万 物は常に運 動 し,
生 成 変 化 を一 116一
i
し
訓
「知 識は感覚で あ る」 とい う定義をめ ぐっ て 繰 り返 し てい る 」 とす るの がヘ ラ クレイ トスの 「万 物 は 動 く (panta rei)」とい う 思想で あ る
。
つ ま りヘ ラ ク レ イ トス は,
個々 人に おいて世 界の在り方につ い ての認 識の 異な り と は 無 関係に,
世 界の在 り 方の 真 相 を 主 張し てい るので ある。 また,
各人に相 対 化された世 界は 必ずし も 常 に 運 動 変化し てい る 必要はない。 「人 間 尺 度 説 」は,
「こ の風は,
今 も5
分 前 も,
私に とっ て冷たい。」と言 う こ と を 妨げない 。 さ ら に,
万 物 が 常に運 動 し生 成変 化 を 繰 り返 し,
同一
性が ない とする な らば,
認 識 す る 主 体,
すな わ ち 「私に とっ て」 あ るい は 「あな た に とっ て」と 相 対 化 する際の 「私」や 「あ なた」の 同・
性が確 保でき な くなる.
つ ま り,
相 対 主義に 立つ場 合,
各 人に相 対 化 され た 世 界 は 変 化 してい て も構 わない が,
認 識が 成 立 す る認 識主体の同一
性は確 保 しな け れば な ら ない。
ところ が 「運 動 生 成 説」で は.
個々 人の身 体 的 状 態 (感 覚器官 や脳の状 態 を も 含め て)が絶えざる変化 を繰 り返し てい る とする 以上,
認 識 主 体としての 同一
性 を確 保 するこ と がで き ない.
重 要 なの は プラ トン の テ キス トである。
わ れ わ れは,
第一
部の議 論 構 成 を 明か にするこ とを通し て.
A 説で も B 説でもない第 三の 道 を ゆ くこ と に な る。II.
第一定義
の提示
例 示に よ る定 義の 難 点 を 指 摘 した後,
ソ ク ラテ スは.
無 理 数の定義の よう に全体を一
括し て定 義 する よ う テア イ テ トス を 促 す (151d3−
6)。
テア イ テ トス は,
ソ ク ラ テ ス の 言葉に従い (151d7−
el),
「知 識は感 覚で あ る (第一
定 義 )」が c (よい と)思われるs]’
と 言 う (151e1−
3)。 その 際テ ア イテ トス は,
第一
定 義 を 次の よ う な 仕 方で提示 し てい る。
T1 何か を 知 っ てい る人は,
知っ て い る当の もの を感 覚し て い る(151el−2
)。 T2 知識は感 覚に他 なら ない (151e2−
3)。 い る 」とい う言葉を使う際に は,
知っ て い る当の 対 象 を 「感覚し てい る」と言い 替 え るこ と が で き る限 りに おい て,
「知 ってい る」と 「知ら ない 」と の分 別の 基 準が 成 り立つ と 考 え るの で あ る。 そ れ ゆ え テア イ テ トス は,
わ れ われが 「知っ て い る 」とい う仕方で事 物と関 わる際の 際立 っ た特 徴を,
その 事 物 を 「感 覚し てい る」 状態の う ちに み てい る こ と に な る。わ れ わ れは
,
感 覚し てい る こ と につ いて 「知っ て い る」 とい う言葉を 使 う場 合,
その こと に誤 りが ない とい う あ る種の 確 信を持っ てい る。
その種の確 信は,
他 な らぬ私 が 感 覚 し てい るとい う その 直接 性に起 因 する。
直 接 性に 起因 する確 信 が,
当の 事 柄 を 「知っ てい る」と言わ せ る 根 拠 となっ てい る。 他人が感覚 した事 柄につ い て も信頼 を置 くの はt
感 覚する際に,
わ れ わ れ は 感 覚 経 験に おけ る同 種の 確 信 を 相互 に 認 め てい る か ら で ある。
そし て,
わ れわれが こ の種の確 信 を もつ の は,
五感に対 応 する直 接 的な感覚に限らない 9}。
こ の よ う な 立 場 を 明確に し て い るの が プロ タ ゴ ラ スで あ り,
プラ トンは テア イテ ト ス がプロ タゴラ ス と 同じ こ とを 言っ てい る,
とする。
m . 「
人 間 尺 度 説 」 テ アイテ トス が第一
定義 を提 示 する と,
ソ ク ラ テス は そ れが 「知 識に関 す る容 易な ら ぬ説 (logon
ouphaulonl
」 で あ り (151e8−
152al),
プロ タゴラ ス も またその 説 を 主 張 し てい る が(152al),
「別の仕方で (tropon tina allon),
そ れら同 じ こ と(ta auta tauta)を 語っ て い る(152a1
−2
)」と言 う1°〕。
そこ でソク ラ テス は,
「人 間 尺 度 説 」 を導入 する。ソ ク ラ テ スは書 物か らの 引用 とし て M を 示し
,
そ れをM 「
の よ う な 仕 方で解 釈 する。M
万 物の 尺 度は人 間で あ る,
「『あ る亅こ と につ い ては (tOn ontOn)」 「『あ る』とい うこ との (
ho6
esti)」(尺度は人間で あ り)
,
「あ ら ぬ」こ と につ い ては 「あらぬ 」とい うこ と の (尺 度は人 間であ る )(152a2−
5)。T1
での 「知っ てい る(epistatai )」とい う 言 葉は,
T2 で の 「知識 (episteme )」とい う言 葉に その ま ま移 行し て い る。
第一
定 義で問 題化されてい る 「知 識 」 と は,
真な る 命題 の集 合 あるいは学 問の体 系 を指 すの で はな く,
「知っ てい る」とい うこ と 自 体 を抽 象 名 詞に言い 替えた表 現で あ る。
つ まり,
「知っ てい る」とい うこ と を 問 題化し,
そ れは 「感 覚 する」 とい うこ と で あ る,
とテ ア イテ トス は 主 張し てい るの で あ る。 すな わ ち1 われ わ れ が 「知っ てM
’ 個々 の 事 物が私に現わ れ る よ う な仕 方で,
個々 の 事 物は私に とっ て 「あ る (estin}」。
またあな た に現 わ れ る よ うな仕 方で,
あ な た に とっ て 「ある」。
そし て 人間と はあな た と私である (152a6−9
).
M ’
で は,
「誰か に 現 われる(tini phainetai)」 とい う 「現 わ れ 」 を 記 述 する部 分と 「誰か に とっ てある (tini estin)」 とい う 「存在」を記 述 する部分 と が等値で結 ば れて い る。
一 117一
湘 南工 科 大学紀 要 第 35巻 第 1号 つ ま り 「現われ 」と 厂存 在」と が
一
対一
対応し て い るの であ る。
換 言すれ ば,
相対 的な存 在に符 合 する仕 方で,
相 対 的な認 識が成 立 する,
と 説 く の で あ る。
し た がっ て,
M ’は,
「現 わ れ」か ら独 立に 「あ る」と語り え る よ う な 世 界 が客 観 的に成立 し てい る,
とする 立場 を退 け な け れ ばな ら ない.
ソ ク ラテスは,
次に具 体 例 を あ げて こ の こと を 説 明す る。
す な わ ち,
同じ風 が 吹い ていて,
われわ れの ある人 は寒く,
あ る 人は寒 く ない。
またあ る 人 は 少し寒く,
あ る 人 は ひど く寒い とい うこと が あ る (152b2−4
)。
い わゆる 「相反 する現 わ れ」の事 例で あ る。
これ に対 し て,
対 立 す る二 つ の世 界観がある。X 。
「風 そ れ 自体 (auto epi heautou to pneuTna)」が冷たい
,
あるいは冷たく ない (152b2−3
)。
Y,
(風は)寒い人に は冷た く,
寒 くない 人に は冷たく ない (152b3
)。
ソク ラ テス と テ ア イテ トス は, 「知 者プロ タ ゴラ ス に 妄言 は あ る まい (152b1
)」とし て プロ タ ゴ ラス に従い (152b1−2,b6
),
Y
に立っ て議 論 をす すめ る。
Y は,
風の 冷た さは各人に相 対 的に の み 「あ る 」 とい う,
いわば相 対 的な在り方の みを 認め る 立場であ る。
すなわ ち,
風の 冷た さ は感じ るひ とによっ て異なっ た在 り方 をし て い る 以 上, 必ず 「各 人 に とっ て」とい う限 定句をつ けて相 対 化 しな け れ ば ならない。
この例 示で は,
風 そ の もの の存 在につ い て は何ら 問 わ れて おらず,
風の 可 感 的性質が問 わ れてい る.
そ し て,
こ れ以降も 「人 間尺度説 」で は,
述 定 される こ と が ら につ い て の み 「あ る」とする。
そ れ ゆ え 「人間尺 度説 」に お ける 「ある」に は,
何 ら か の述 語 を補うこ とになる。
する とY
は 「『各人に とっ てF
で あ る亅世 界観」と一
般 化すること がで き る。 これ はM’
を主張 するた め の前提であ る。
事物の在 り方はすべ て相 対 的であ るがゆ えに,
「F で あ る」と限 定抜きに 述 定する こ とを 認めず,
「各人とっ てF
で あ る」と相 対 化し て述 定 するこ との みを認め る の で あ る。 これに対して,
各 人へ の現 わ れが事 物の在 り方 をその ま ま映し てい るのでな く,
各 人へ の現 わ れと は独 立に客 観 的な事 実が成 立 し てい るの であ れ ば,
各 人にどの よ う に現 わ れて い よ うが,
それ と は独 立に 「風 『それ 自 体 (auto epiheautoul
」が冷たい とい う在り方をし てい る こ と を認め る こ と に なる。
この場 合に は,
各人がその 「冷 た さ」 を 感 知で きない こ と,
っ ま り誤っ て風の 性質 を 判 断 するこ ともあり う るこ と にな る。
これ がX
の立 場であ る。 わ れ わ れはこれ を 「『そ れ 自 体F
である亅 世 界 観」 と呼ぶ。
『テ ア イテ トス』 第一
部は,
こ の 相 対 立 する二 つ の立 場の 緊 張 関 係か ら始 ま る。
プラ トンは こ こ で は 「人間尺 度 説」を支 持し てい るわ けで も,
その正 否 を 議 論 し てい るわけ で もな く11〕,
こ こ で は 論 理 的 関 係の み を 問 題に し てい る。
プロ タ ゴラ ス の 言に従い,
「人 間尺度 説」に立 つ ならば,
厂『それ自体F
であ る 亅世界 観 」 を 否 定し て 「各人に とっ てF
で あ る』 世界 観 」に 立 たな け れ ば な ら ない こ とを示 して い る。
W
.
人間
尺 度 説 と第一定義
の関 係 ソ ク ラ テ ス は,
人間尺度説 を導入 し た後,
そ れから第一
定 義が 導出で き る こ と を 以下の よ う な問 答 を 通し て論 証する(152b9−
c7)。
ソ ク ラ テ ス テ ア イ テ ト ス ソ ク ラ テ ス テ ア イテ トス ソ ク ラテス テ ア イ テ トス ソ ク ラ テス 各 人にそのよう に (冷た く あるい は冷 たくな く)現 わ れる のだ ね。 はい。
し か るに 「現 わ れ ること」は 「感覚す る こ と」な の だ ね。 そ う です。
し た がっ て,
暑 さ や その よ う な類の こ とすべ て におい て,
「現 わ れ 」 と 「感 覚 」と は同じ で あ る。
なぜならば,
各 人が感覚 し てい る通 りに,
各 人に とっ て その よ うにある,
よう なの だか ら。 そ の よ う です。
し た がっ て感 覚は,
「あ る」 ことの 感 覚で あ り,
過 ち な き もの であ る,
知 識 が そ うで あ る よ うに。 論 証の構造 は 次の と おりで あ る。
まず
,
人 間 尺 度 説M
’におい て,
現 わ れが 「各 人に 」 で あった こ とを確認 し(152b9−10
),
そし て 「現 わ れ るこ と」は 「感 覚 するこ と」で あ るこ と に テア イ テ トス が 同 意 す る (152b11−12
)。
五 感で感覚可能な 諸性 質 (可 感 的性 質 ) が 「誰か に現 わ れてい る」とい う事 態 を,
誰か が 可 感 的 性 質 を感 覚 し てい る と 記述 する こ と がで き る。 こ こ で注意すべ き こ と は,
感覚 者が不 在の現 象 を 「現 わ れ 」 と し て は認め てい ない こ とである。
人 間 尺 度 説M ’
で は,
「現 わ れるこ と」は 「誰か に 現 われるこ と」以外で は な一 118一
「知 識 は 感 覚であ る 」 とい う定 義 を め ぐっ て い
。III
で確 認 した とおり,
人 間 尺 度 説によ れ ばt 事物は 感 覚 者に相 対 的にの み記 述 可 能で あ る。
そ れ ゆえ.
誰か が感 覚 しない限 り,
その風の冷た さ は 現 わ れ ず,
その 存 在につ い て語れ ない 。 つ まり,
各人へ の現 わ れの み が事 物の在 り 方 を正確に捉え てい る とする以h ,
各 人の感覚か ら独 立に 「風 そ れ 自体 (auto epi
heauteu
to pneuma >」が冷たいか冷た く ない かを 語る こ と そ の もの を否定し てい るの である
。
つ ま り 「『そ れ自体 F で ある』 世界観 」 を 否 定 する とい う 前 提の 下で はじめて,
「各ム.
に 現 わ れる」 とい う表 現 は 「各 ム 塑感 覚 する」とい う表 現に変 換 可 能 と な り,
「各 ム 至感覚 し てい る通 り に,
各ム 巫 そ のよ うにあ る(152c2−
3)」,
と言えるの である。 その際 「感 覚 し て い る」 事 柄は,
冷たい・
暑い 等,
感 覚 者の み が知 り うる事 柄で ある(152c1−2
)。
そし て,
これ らの 性 質に 関 する判 断が相 対 的に の み成立する こ とを前提し てい る 以 上 (『各人 に とっ てF で あ る』 世界観 ),
感覚し てい る内 容 は 真であ り,
誤 り な きこ とにな る。
そ こ で ソク ラ テス は次のよう に言 う。
し た がって,
感 覚は 「あ る」 とい うこ と に関わ り,
誤 り な きもの で ある。
知 識が そうであるよ うに (152c5−6
)。
「人間尺度 説 」に よ れ ば,
各ム の 「感覚 」は 「ある」 とい う言 葉 を 用い て 事 物の あ りか たを 正 確に捉え るもの で あ り,
そ の内容は真であ り誤 りがない。
他 方 「知 識」 と は,
言 語 「あ る 」 を 用い て 事 物の あ りか た を正確に語 るもの であ り,
その 内容は真であ り誤 り が ない。
そして T こ こ か ら 「知識は感覚で あ る。」とい う 第.・
定 義 を導く こ と がで き る。
こ こで確認 すべ きこ と は,
論 証の構 造 ヒ,
第一
定 義で い う 「感覚」は各 ム 虹現 わ れ る も の で あ り,
「各ム ニ とユ 〈L
F
で ある。」とい う相 対的な仕方で記述され る 以上.
第一
定 義で い う 「知 識 」 も 各 人に現 わ れ る もの で あり,
知 識の内容は 「各人に とっ てF
である。」と表現 さ れ る。
つ ま り,
人間尺度 説 を 前提し て第一
定義を 主 張する な ら ば,
「知 識 」は相 対 的で あ り,
真理が相 対的で あ る こ と を も認め るこ とになるのであ る。
し たがっ て.
事 物は 「a に とっ て F で あ る。
」以外の仕 方で は語れず,
相 対化せ ずに 「F で あ る。
」と事 物 を規定するこ と を認め ない こと に な る。
議 論の筋道を確 認 する と,III
で確認 した 通 り,
「人 間 尺 度 説 」 は , 「「そ れ 自 体F
で あ る』 世界観 (152b2−3
)」 を排 し て,
「各 人に とっ て F で ある』 世 界 観 (152b3
)」に立っ てい る。 そ れゆえ,
「人 間 尺 度 説 」 を よ り どこ ろ に 「第一
定 義1
を 正 当 化 する場合,
「知 識」と は誰か に 「現 わ れる」 もの であ り,
相 対 的なもの に な る。 目撃者 不 在の事実 も,
「現 わ れ」が 「事 実 」と異な る 可 能 性も一
切 認 め ない こと に な る。 換言すれば,
私に 現 わ れ て い る とい う こ と が実 在 性お よび 不可謬性の根拠で あ り,
そ れが 「知識」たり うる ゆ え ん と な るの である。
プラ トンはこ こで,
「人 間 尺 度 説 」 を 前 提 し て 「第一
定義 」を 正当化 する議論を展 開し てい るが,
こ こ で は論 理 的 関 係の み し か問 題に せず,
人間尺度 説の 正否は 議 論 されてい ない 12〕。
こ の 議 論で重 要 なこ と は,
「第・
定義」 も 「人 間 尺 度 説 」 も,
『各 人に とっ て Fで ある』 世 界 観 」 と相入れない 「『それ 自体F
で ある』世界 観」を排除 す る こ と を前提に し てい る とい う点で あ る。
V
.秘密
の教説
ソ ク ラ テスは テ ア イ テ トス に次の よ うに 言 う。
「カ リ ス に かけて,
プロタ ゴ ラス は まった くの 知者だ。 そして こ の こと を,
わ れ わ れ 大 衆に は謎めい た仕 方で話 し,
他 方で弟子 達に は真 理 13)を 秘 密 裏に語っ たの だ (152c8−
11)14}。
」つ ま り,
プロ タ ゴ ラス は大 衆 向け に 「人 間 尺 度 説 」 を 語 りな が ら,
弟子た ち に秘密で真理を語っ た。
そ し て,
その 秘 密の真理 は次の よ う な内 容の 「実 に容 易な ら ぬ説 (152dl
)」であ る。
これ を 「秘 密の教 説 」 と呼ぶ。 「秘 密の教説」は 二つ の部 分 (1,
2
)に分かれ,
それぞれ 同 じ構 成になっ てお り,
対 応し てい る ( , ) 15) 。 1 『そ れ 自体一
である』否 定 説 (152d2−6
)【
原 理 命 題】(152d2−
3) 「何 もの もそれ 自 体.
一
であるこ とはない (hen
auto
kath’
hauto
ouden estin ) ロ」【言 語】(152d3
−
6)・
あな た は,
何で あ る とも, どの よ う で あ る と も,
正確に 「対 象 を 規 定 する 〔proseipois)」こ とがで き ない。
・
もし,
あ なた が 「大 きい 」と 「述 定 する (prosa・
goreueis)」ならば,
「小 さい」 と も現 わ れ,
もし「重い」 (と述定する)ならば
,
「軽い 」とも (現 わ れ る )。
あ らゆ る もの は同様であ る。
な に ものも一
.
・
で あ るこ とも,
何かで あ るこ とも.
どの よ う か であ ること もないの だ から。一 119一
湘 南工科 大 学紀 要 第
35
巻 第 1号2
「運 動生成説 」 (152d7−
8)【原 理命題
】
(152d7−8
) すべ て の もの は,
移 動や運動や相互の 交 わ り「か ら(ek)な る(gignetai)」。
【「運 動生成説 」の 言 語】(152d8
−
el)・
そ れ らすべ ての もの を わ れ わ れ は 「あ る (einai)」 と言っ てい る け れ ど も,
わ れ わ れ は 正 しく述 定 し て いない。
・
な ぜ なら,
な にものい か な る時に おい て も 「あ る」の で は な く,
常に 「な る」の だ か ら。「そ れ 自 体 」 とい う表 現 を 「各 人 に とっ て」とい う限 定 句 によっ て相 対 化するこ とを拒む表現 とすれ ば 16)
,
「『それ自体一
で あ る」 否 定 説」は.
明ら か に,
皿 で提示 されたr
『そ れ 自 体F
であ る 亅 世 界 観 」 と対 立 す る。
な ぜ な ら, 「『それ 自 体 F で ある亅世 界 観」とは,
「(風)そ れ 自 体 (auto epiheautou
topneuma
)」が 「F
で あ る (冷たい )」
,
とい うこと を認め る立場であ り(152b2−
3),
「「それ 自体一
で あ る 』 否 定 説 」はそ れ を認 め ない立 場 だからで あ る。 そ れ ゆえ,
プロ タゴラ スが弟 子 達に秘 密で教 えた 「『そ れ 自 体一
で ある亅 否 定 説 」 を 「『それ 自 体F で ある』 世 界 観」と相 対 立する 厂「各人に とっ てF
である」世 界 観」に立つ 説 とし て理解 する こ と は文脈上 ごく自然であ る。
「一
(で あ る)」 とい う表現 が加わ っ てい るの は単な る強 調 とし て も理 解でき る。
しか し1
の テ キス トは,
相 対主義を説く た め に は不可 欠な 「各 人に とっ て」 とい う限 定 句 を 欠い て い る。
「人 間 尺 度 説 」 を念 頭に置 き1 を 読 む な ら ば,1
で 「現 わ れ」につ い て言 及する箇所に 「各人に とっ て」とい う 限 定 句 が ない こ と は不 可解で あ る。 もっ と も,
限定句が 省 略 さ れてい る と 解すれ ば問題 な く,
「そ れ自体 」とい う意味 内 容が相 対 化 との 対 比であ るこ と は 議 論 展 開から い うと自 然であ る。
この よ うに,
「「そ れ 自 体一
であ る 』 否 定 説 」は相 対 主 義の 文 脈で解 するこ と が で き る。
と こ ろ が,
これま で の議 論 展開を度 外 視し て,
1と 2 を関連づけて読む と,
1の 「「そ れ 自 体一
で ある』 否 定 説」を 主 張する理 由 を,2
の 「運 動生成 説 」が与えて い ると 解する こ と が で き,
そ う な る と 「『それ 自体一
であ る」 否定 説」は 全 く別 様に解 釈で き る。
つ ま り,
あ ら ゆ る もの が,
運 動によっ て 「な る」の であ るか ら,
「一
で あ りつ づ け る 」 とい う もの は何一
つ ない,
と解 す るの で あ る。
こ の 場 合に は,
「一
(で ある)」とい う表 現は非 常 に重要に な る が,
「それ 自 体」とい う表現は,
相 対 主 義 の 文 脈 とは異 な り単 な る 強 調で付 加 され た もの とい うこ と に な る。
こ の よ う に 「『それ自体一
であ る 亅否 定説」は,
「人 間 尺度 説 」と の 関連で 解 釈 す ること も,2
で 導 入 さ れ る 「運 動 生 成 説 」 と 関 係づ けて 解 釈 するこ と も可 能で ある。
プラ トンは,
「「そ れ 自体一
である亅否定説」と 「運 動生 成 説」と を,
付 加 された事 柄 (「運動生 成 説」)を以前の 文 脈と対 比 さ せ て 強 調する こ と を鮮 明にする順 接の 接 続 詞 (dede
)で結ん で お り1η,
1と2の 間に も微 妙 な 緊 張 関 係が あ る。
文 脈 上こ の よ うな二 義 性 を もつ理 由につ いて,
さ ら に 1と2を 考 察 して みよ う。
1
は 否 定命題の み で構 成される。1
は,
「何 ものもそ れ自体一
で あ る こ と は ない 」とい ういわば存 在につ い て の原 理 命 題であ る。
1 は,
ま ず,1
に対 応 す る わ れ わ れの述 定の あ りかた を,
わ れ わ れが経 験する相反する 現 わ れ を通し て,
原理命題に関 連づ けて説明する。これに対し て
2
は,
否 定 命題で はない。
2 は,1
同様 原理命 題で あ る が,
否定 的な内容で は な く,
万 物が さ ま ざ まの 運 動か ら 「なる」とい う世 界の在 り方につ い て の主 張 を含 んでい る。
そし て2
は,1
と同 様,2
に対 応 するわれ わ れの 述 定の あ り か た を原理命題 と 関連 づけ て説 明する。 こ のよ うに 1 と2 と は対照 的に構 成さ れてい る。
次にその 内 容 を検 討する。
まずそ れ ぞ れの 原理命題 t を比 較する。
事柄自体と し て,1
と2
は同 義で は ない。
1 は否 定 命 題であ り,
肯 定 的な主 張は含んで い ない。
「そ れ 自 体一
である」とい う規 定 を認めない 人で あ れ ば,
その 肯 定 的 な 主 張 内 容 が 何で あ れ 同 意する テー
ゼ で あ る。 例えばヘ ラ クレ イ トス であ れば,
万 物 流 転の 世界観に基づい て 1 を 主 張 す るであ ろ うが,
プロ タゴ ラス であ れ ば,
「人間尺度 説 」に基づい て 1 を主張す る だ ろ う。
す な わ ち,
「「そ れ 自 体一
で ある』 否定 説」に はそ も そ も複 数の解 釈 が 可 能であ り,2
は 「『そ れ 自体一
で あ る』 否 定 説」の 唯一
の 解 釈 で は ない。
1 につ いて も
,
相 対 化 を 示 す 限 定 句 が ない の で,
同 様に 二義的に解 釈で き る。1
は,
相 対 的な仕 方で し か 事物を規定で き ない とい う 理由で主 張 するこ ともで き る が,2
の よ う に万 物が絶えざる 生成 変 化 を繰り返 すと い う 理 由で主張 する こともで き, それ 以 外の 理由で 主 張 す るこ とも可 能であ る.
また, 相 反 す る現 わ れにつ い て も 同 様に.
「わた し にとっ て重い」 もの が 「あ なたに とっ て は軽い」とい うよ うに相 対 主 義 的に理 解 す る こ とも,
「重かっ たもの が軽くな る」と い う よ う に異なっ た時点一 120一
「知 識は感 覚で ある」とい う定 義 をめ ぐって で の重さの 変化と し て理 解するこ ともで きる
。
このよ うに,
「「そ れ 自 体一
であ る亅 否定 説」は複 数の 解 釈が 可能で あ る。
「運動生成 説」は 「『そ れ 自 体一
で あ る』 否定説 」の一
つ の解 釈で は あ る が,
唯一
の 解 釈で は ない 18)。
そ れゆえ,
両 者は同 義と はい え ず.
論 理 的に は 同 値で は ない。
そ れ で は何 故 プラ トンが,
「『そ れ自 体一
で あ る』否 定 説 」と 「運動生成説」とを 「秘 密の教説」とし て一
つ に 扱っ たので あ ろ うか 。 プラ トンは,
秘 密の教 説 を プロ タ ゴラスの秘密の教 説と して導入する が,
すぐさ ま,
ヘ ラ ク レイ ト ス,
プロ タゴラ ス のみならず,
エ ンペ ド ク レ ス,
エ ピカル モ ス,
ホメ ロス ら,
パル メニ デス をの ぞ く すべ ての知者が同調 し てい る説と位置づけ てい る。
プラ トン が こ こ で意 識してい る の は む し ろパ ル メ ニ デスで あっ て,
パル メニ デス対 反パ ル メ ニ デス論 者とい う構 図 を 念 頭に おい てい る。
それゆ え,
「秘 密の 教 説 」 を 構 成 する二つ の説 1 「『そ れ 自体一
で あ る』 否定説 」と2
「運動生 成 説 」の 否 定 (r2’
)はそ れ ぞ れはパ ル メ ニ デス の立場 を 端的に示 し て い る。
1’
「そ れ 自 体一
であるものが ある。
」 2厂
運 動 も生 成 もない。
すなわち,
「秘 密の 教 説 」はパ ル メニ デス の思 想に 反 対 する,
とい う一
点に お い て立場 を同じくする人々の包 括 的なテー
ゼで あっ て,一
人ヘ ラ ク レイ トス の 説で は な い。
「秘 密の 教 説」は,
第一
部 前 半で は常に複 数の 知者 が標 傍 する説とし て 紹 介されて お り、
第一
.
部 後 半で も,
反パ ル メニ デ ス派とパ ル メニ デス派の対立 をすもう に例 え てい るこ と か らも (c£ 18〔ic7−
181b5〕,
プラ トン が 両派の 対 立 構 図 を 念 頭 に おい て議 論し てい ること は明 らか で あ る。
わ れ わ れは次に,
「『そ れ 自 体一
で あ る亅 否定説 」と 「運 動 生 成 説」と を 個々 に詳 しく見てい くこ とにする。
§1 「『そ れ 自 体
一
である』 否 定 説」 「「そ れ 自 体一
であ るj
否定説」は,
第一
部に登場 する 諸説 を 関 係 付け る要所に必 ず 登 場し19),
第.
一
部 後 半,
諸 説の反 証の最終段 階にも登場 する 20)。
「[それ 自 体一
であ る』否 定説」は第一
部前 半で も極め て重要な位 置に置か れて お り,
プラ トン に とっ て重 大な意 味 を 持っ てい た こ と はま ず 間 違い ない。
しか し残 念 なこ とに,
今 まで の 解 釈は こ の 重要な点 を見落と し てい た。
マ ク ダ ウェ ル は,
プロ タ ゴ ラ スの秘密の教 説を導入し た経 緯 を 重視し て,
「『そ れ 自 体一
で あ る』 否定 説」を 「人 間 尺 度 説 」の結 論 として解 するe す な わ ち,
「誰か に とっ てF
で あ る。
」と語るべ き で あ る が ゆ え に,
端 的に 「F
で あ る」と 語 ること は で き ない と解 し,
「『そ れ自体一
で あ る』 否 定 説 」を 「運 動生成 説 」か ら区別 する。
しか し こ の よ うに解 する と,
「『そ れ 自 体一
であ る 』 否 定 説」 と 「運 動 生 成 説 」 との 関 係づけが難 しく なる。
これに対 し てバー
ニ エ ッ トは,
「「そ れ 自体一
であ る 』 否 定 説 」 と 「運 動 生 成 説 」と同一
視 し て解 釈 する。
つ ま り,
万 物は 運 動 する が ゆ え に静 止し て い ない とい うこ とと 同 義に 「『それ自体一
で あ る亅 否定説 」 を解 するの で あ る。
し か しこ の よ うに解 す る と.
「人 間 尺 度 説 」 との つ な が りは 跡 絶え,
プロ タゴラ スが 弟 子に教える とい う経 緯の 説 明 はつ か ない。
プラ ト ンが プロタ ゴラ ス もヘ ラ ク レイ ト ス も支 持し てい る説と し て提示 し てい る 以 上,
「『そ れ 自体一
で あ る 』否定 説」は,
両 者の 説 を 包含するよう な説と 解さ な け れ ば ならない。
バー
ニ エ ッ トが 「r
そ れ 自体一
で あ る亅 否 定 説」と 「運 動生成説 」とを 同一
視する よ う な無理 な解 釈を と らざる をえ な くなった最 大の理 由は,
「『そ れ 自体一
で あ る亅 否 定 説 」が否 定 命 題で複数の解 釈が可 能で あ る にもか かわ らず,一
義的 に解釈 し よ う とし た か ら で ある。
「r
それ 自 体一
で あ る』 否定 説」は,
「人間 尺 度 説」か らも,
「運 動 生成説」か ら も支持 すること がで き.
ま た別の立場か ら 支 持 す るこ と も 可 能 で あ る。
「秘 密の教説」の 支 持者が パ ル メニ デス を除く多 くの人々,
と なっ てい るこ と は 重 要で あ る。
「「そ れ自 体一
で あ る亅否 定 説」はパ ル メニ デ ス説 を 受け 人 れ ない複 数の人 々の 複数の 立場を否定命題 で包 括 する テー
ゼ で あ り,
そ れゆ え多 様な複数の 立場 を 内含し て い るの で ある。
それで はプラ トンは,
「『それ 自体一
で ある』否 定 説」 に 対 し て ど の よ う な立 場に立っ てい るの だろ うか。
第一
部 後 半でソ ク ラ テ ス は,
ヘ ラクレイ トス 派とパ ル メ ニ デ ス との 中 間に来て しまっ た と言 う (181e5−
6)。
つ まり プラ トン は,
「秘 密の教 説 」に は与 しない が,
パ ル メニ デス とも距 離を おいてい る。
中期 イ デァ論 は,
いわ ば 万 物 流 動の世 界 観と永 遠 不動の一
者との緊張関 係の な か で構築 された とい う 見 方は哲 学 史の 解 釈 とし て定 着 し てい る。 他 方,
プ ラ ト ン の 中 期で は,
「そ れ 自 体一
で あ るもの(auto
kath’
hauto
hen
on)」とい う表 現は イデアを意 味 する,
いわ ゆ る テ クニ カ ル ター
ムで あ る。 そ し て 「それ 自体で一
で あるもの(auto kath
’
hauto hen on)」とし て イ デ アを 立て
,
他 方 事 物の運 動生成 を 認め る 立場 をとっ て い る。
湘南工科大 学紀 要 第
35
巻 第 1号 中 期か ら後 期の 間に位 置 すると される 「テ ア イ テ トス 亅 に は,
こ の 表現 を用い て イデア に言 及 する箇 所は ない。 しか しプラ トンが 中 期で イデアを 指し た表現を 「テ ア イ テ トス亅で無 頓 着に使 用する こ と は まず 考え られない。 し か も,
「人 間尺度 説」を正 当 化 す る一
つ の 根 拠 と なる 「相反 す る 現 わ れ 」は,
中 期ではt
プラ トンが イ デア論 を立て る際に重要な役 割 を 果たし て お り,
それは,
現 象 界 との 対 比 とい う点 よ り もむ し ろ,
相反する述 語づけ の 場 面がま さに問 題に なっ てい る21)。
「『それ 自体一
で あ る」否 定 説 」 は
,
「そ れ 自体で一
で あ る もの (autokath’
hauto
hen
on〕」とい う規定 を満たす対 象は存 在せず,
あ ら ゆ る事物は相反する述 語 づけ が可 能で あ る
,
とい う 立場で あ り,
「運動生 成 説」は 「そ れ 自 体で一
で あ る もの (autokath’
hauto
・hen
・on )」 を 想 定せずに世 界に つ い て語 れ る と
い う立 場で ある
。
つ ま り、
それが イデア で あれ 何で あ れ,
「そ れ 自体で
一
で あ るもの (auto・kath’
hauto
・hen
・on )」という規 定 を満たす対 象 を想 定 する こ とそのもの が こ こ で は 問題 に なっ て お り, 「人間尺度 説 」と 「運 動生成 説 」は
一
般 者 を立てるこ と その もの に反 対 す るの である。一
般 者 を 立てる 際の 問 題 点は,
中 期の 『パル メ ニ デス』です で に指 摘 さ れて い る。 しか しそ れ は無限 後退等,
い わ ゆ る 形 式 的 な 難 点であっ た。
「『それ 自 体一
である亅 否定 説 」 を主 張 する論 者 達は,
形 式 的 な 問 題 を議 論する以前に
,
そ もそも 「それ自体で一
であるもの (autokath’
hauto
hen
on)」とい う規定 を満たす もの を立 論 しな くて も,
世 界の 在り方 を正確に語るこ と がで き,
知 識が成立する,
と主 張 す る。
「国 家 亅 以 降 , プラ トンがイデア論 を な お 正 当 化 す る 道 を 探っ てい ると解 す る場 合にも,
イデア論 を 再考し新た な論を 立 て よ う と し てい る と解 する場合に も,
プラ ト ン が 「テア イ テ トス』で一
般者 を 立て る こ と その もの を問 題にし,
そ れと相 対 する議論 を検 討するこ と は,
ご く自然な成り行き だ と考え ら れ る。
§2 「運 動 生 成 説」 「運動生 成 説」は プロ タ ゴ ラス,
ホメ ロ ス,
エ ム ペ ド クレ ス,
エ ピカル モ ス らパ ル メニ デス をのぞ くすべ て の 知 者に支 持されてい る説で あ り,
ヘ ラ クレ イ トスの説と し て紹 介されていない ことは既 に 述べ た。
ここで は,
そ の内容 を確認 す る。
プ ラ トンは 「運 動 生 成 説 」 を支 持 す るの 知者を 「ホ メ ロ ス が率い る軍 勢 」と言い 替 え (153al−2
),
「運 動 生 成 説」を次の よう に動 と静との対 比 によっ て言い替 えてい る (153a6−
7)。
「ある」と思われてい る こ と,
すなわ ち 「な る」こ と は,
動が これ を供 給 す る。 「あ ら ぬ」 (と思 わ れてい る )こ と,
す な わ ち 「な く な る」こ と は,
静がこれ を 提 供 する。
「運 動 生 成 説」は,
動の み に言 及 し てき たが,
こ こ で は消 滅 する プ ロセ ス を代 表す る概念 と し て静に も 言 及 し てい る。 こ こ で も同じ 「運動 生成説」を定式 化し てい る こ と は テ キス ト上自 明で あ る以 上,
「運 動生成 説 」は を含 意し てい る こと に な る。
第一
部 後 半で言 及 されるヘ ラ クレイ トス の学徒の説は,
静 止 を一
切 否 定 し てい る と プラ ト ン は解 し てお り (179d7−
180a3),
消 滅へ 向か うプ ロセ ス とし て の静に も言 及する 「運 動 生 成 説」とは,
厳 密に言 え ば 内 容 を 異にする。
続い てソク ラ テス は,
「運動生成 説」を裏付け る具 体 例 を挙げる (153a5−d7
)。 熱や 火の例,
動 物が運 動から 発 生 するとい う自然の生 成の例に続い て,
人 間の 身 体 と魂 まで論は拡 張 され,
動は善,
静は悪,
とい う価値 判断に まで及ぶ。 すな わ ち,
身 体の状 態は体 育に よっ て動かす と保全 される が,
静止 さ せて用いずに おくと だ めにな る (153b5−
8)。 魂の状 態 も,
学 習 や 研 究は動で あ る 力によっ て学識 を得て保全 し,
優 秀な もの に な る が。
学習も研 究 もし ないで お く な ら,
何 物も学得するこ ともなく,
ま た,
い っ た ん学 得 し たもの も忘 却 す ること に な る (153b9−
c2)。
そ れ ゆえ,
動は魂の方か らい っ ても身 体の ほ うか らい っ て も善きもの で あるが,
他 方の もの (静 )は その 反 対で ある(153c3−5
),
とい う の で あ る。
そ し て,
動は世 界 を維 持 するが,
無 風や 凪 に み ら れ るよう に,
静は腐敗や滅亡 を 引き起こす (153c6一
8
),
とい う枠 組み が登 場 す る。
そし て最 後に ホメ ロ ス の言 を 引いて,
太 陽 が 万 物 を 保 全し て い るの で あ り,
太 陽が静 止 す れ ば すべ て は崩 れる(153c8−
5),
と結ぶ。
こ の よ う に 「運 動 生 成 説 」 は,
善 き もの である運 動に より世 界が成立 し,
悪 し き もの で あ る静止 は 世 界 を 滅 ぼ す,
とい う一
般 論で あり,
ホ メロ ス以降 多くの知者の権 威と,
幾つ か の経 験 的な事 例に よって裏付け ら れ ている。
そ れ ゆ え 「運 動生成説」は,
存在する も の は 「あ る」の では な く 「な る 」 と説 き,
静 止 しつづ け存 在 してい る も の を認 め ない。
その よ うな 意 味において t 「運 動 生 成 説 」 は 「「そ れ 自体一
である亅 否定 説」を支 持 する。ヘ ラ クレ トス の 「万 物は動く(panta rei)」とい う思 想 は
,
動を世 界の構成原理 とし,
静止 を否定する とい う意 味で 「「そ れ 自 体一
であ る 亅 否 定 説 」 を 支 持 す る。 そ れ一
122一
「知 識は感 覚で あ る」とい う定 義 をめぐっ て ゆえヘ ラ クレ イ トスは