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検察官上訴に関する若干の考察: 沖縄地域学リポジトリ

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(1)

Author(s)

伊志嶺, 恵徹

Citation

沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 79-115

Issue Date

1969-02-28

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/11003

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Keitetsu Ishimine

検察官上訴に関する若干の考察

伊 志 嶺 恵 徹

目 次

工. はしカ1き……・・・・・・・・・………・・・…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…・・・・・・… 79 2.

r

二重危険禁止の原則」の沿革と意義....・H・-………...・H・-… 81 3.

I

二重危険禁止の原則」に関する 米国連邦並ぴに州憲法の規定・……...・H・...・H・... 田 4. わが国における憲法第三十九条の解釈論………-……… 98

I

学説とそ'の 批 判 … … ・ … … … … ・……・……・…・…

9

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判例とその批判...・H ・-…....・H ・....・H ・...・H ・H ・H ・...・H ・-・109 S. むすび ...・H ・H ・H ・-…・・…・…・・…・…...・.H ・...…・・・……… 116

1

.

はしカ三き

日本国憲法第39条は、 「何人も実行の時に適法であった行為又は既に無罪 とされた行為については、刑事上の責任を間lまれない。叉同ーの犯罪につ いて、重ねて刑事上の責任を聞はれない」と規定している。 この規定の英訳は

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となっている。日本文では「重ねて刑事上の責任を問

79

(3)

-はない

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となっているが、英文では、 「ダブル・ツェパディ (doublejeo

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-ardy)におかれることがなL、」と表現されている。このダブル、ヲェパデ ィなる言葉は、いわゆる「二重の危険」とよばれる法原則で、元来、英米 の刑事法においてひろく認められているものである。それは、被告人の地 位の保護という見地から、刑事事件において検察官による上訴を禁ずる制 度であり、戦後わが国の憲法改正が占領軍の手によってなされた際、この 言葉が7 ッカーサーの憲法草案の中にあらわれたものである。 ところで、わが刑事訴訟法第361条は、 「検察官又は被告人は、

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訴を することができる」と規定し、検察官上訴を被告人同様に、はYひろくみ とめている。 そ二で、憲法第39条後段の法意を英米法系における「二重危険禁止の原 則」を規定したものと解する場合、検察官上訴をみとめる刑事訴訟法の違 憲問題が生ずることになる。 この点について、わが国では若干の判例があり、その中で憲法第39条後 段をもって英米法系の「二重危険禁止の原則」を採用したものとする弁護 人の主張があり、学界においては、間藤重光教授がこの問題をとりあげて 論じておられる程度で、この問題は、まだ充分に論究しつくされぬま〉 に、検察官上訴は合憲とする立場がほとんど公定解釈となって今日にいた っているようである。

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こY最近になって、田宮裕助教授が「わが国でも検察官上訴の当否をそ ろそろ問題にすべき時がきていると思われる。判例は肯認しているし、わ (1) たしもかつてこれに従ったが、いまでは重大な疑問を抱いている」とし て、検察官上訴に批判的見解をとられる。 わたくしは、検察官にひろい上訴権をみとめている現在のわが国におけ る刑事裁判に対しては、憲法第39条とわが憲法の成立過程を根拠に、いさ さか疑問をいだくものであり、この論文において私なりの素朴な疑問を提 示しつ〉、この件に関して論及してみたいとおもう。

(4)

-80-検察官上i

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:

1乙関する若干の考察 Tこちf、この問題を論ずるにあたって温法だけでなく刑事訴訟法の問題が 必然的に関連してくるわけで、刑事訴訟法に明らかでないわたくしは、知 識不足からくる誤解、あるいは独断的な点などのでてくるのをおそれるの である。この点については、この小論を読んで下さる人々のきたんなき御 批判をたまわりたい。これがわたくしの希望である。 (注1) 旧富裕、刑事訴訟法講座3(裁判、上訴)

2

.

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二重危険禁止の原則」の沿革と意義

注2 ノfートカス事件において、ブラック判事は次のようなことを述べている。 「同一行為について重ねて裁こうととする国家権力に対する恐怖 (fear) と嫌悪 (abhorence)は、西洋文明のなかに培かわれたところの最も古い制 度の一つであって、その起源はギリシヤ、ローマ時代まで遡るものである。 そしてこの一度の裁判と一度の刑聞をもって充分だとする考え方は、あの 中世において正義が著しく否定きれた暗黒時代にも耐えて、守り育てられ てきたのである。かようにしてこの原則は、十三世紀になって確立され、 コモン・ローにおける普遍的法移(universalmaxim of the comrnon law) となるにいたったのである」と。 こうして育った原則が、初期のアメリカにおける植民者逮によって自由 (注3) の遺産 (heritageof freedom)として受け継がれたのは当然であり、岡原 (注4) 則は人権のうちで碁本的なものとして絶えず是認されてきたものである。 今日では、この法原則は、その表現の仕方こそ異うが連邦憲法のみなら (注5) ずあらゆる州の憲法や司法制度において等しく認められているのである。 また、この原則は、すぐれた司法制度には必らず存在するものとして述 べられており、人閣の理性と正義と良心の普遍的法則の一つであるとな (註6) し、哲人キケロの言葉として「ある争いがローマとアテネという異った場 所で現在と将来にわたって別々に裁かれるべきでない。すべての国におい (注7) てそれは同一でなければならない」と挙げて、同原則の背景を示している。

(5)

-81-ブラック判事によって指摘されるまでもなく、古来、人類は、国家権力 の抑圧をおそれ、日.つ嫌い、これに対して執劫なまでに警戒の目をひから せてきているのでああ。トーマスジェファーソンの次の言葉も、このよう な権力への警戒を表明している。

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信頼はいつも専制の親である。自由な 政府は、信頼ではなく、猫疑にもとずいて建設される。われわれが権力を 信託するを要する人々を制限政体 (limitedconstitution)によって拘束す るのは、信頼ではなく、猪疑に由来するのである。わが連邦憲法は、した がって、われわれの信頼の限界を確定したものにすぎない。権力に関する 場合は、ぞれゆえ、人に対する信頼に耳をかさず、憲法の鎖によって、非 (注8) 行を行わぬように拘束する必要がある。」 これらの言葉は、古今東西を問わず、国家権力及びそれを行使する人聞 に対する避けることのできない懐疑的或いは非観的な態度を示しているの であり、このように信頼に値しない権力側から被告人を保護しようとする ととろに、 「二重危険禁止の原則」の根拠もまた見出されなければならな し、とおもう。 この二度の危険におかれないという原則は、古くは Nemodebet bis vexari

si constet curiae quod sit tro una et eadem causa (何

λ

も同 →の事由について再度裁判を受けることなし)との法諺に示されている。 初期のコモン・ロー上における同原則は次の四つの場合において、一度危 険におかれたものとして、後の訴追に対し被告人に抗弁権 (tlea. in bar) を与えるとされた。この被告人に与えられた四つの抗弁理由は、付)前の無 罪 (autrofoisacquit)、(ロ)前の有罪 (autrofoisconvict) 、判前の私権剥 奪 (autrofoisattiant)、同前の恩赦 (autrofois

ρ

ardon)であり、この四 つの場合に前の危険 (formerjeo

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ardy)として後の訴追を禁ずる条件とな (注9) り、ブラックストーンなどによって説かれたようである。 このことは、換言すれば、一つの犯罪について前に危険におかれた者が、 その後同ーの犯罪について重ねて危険におかれた場合に、その被告人に前

(6)

-82-検察官Jニ訴に関する若干の考察 に危険におかれたことを理由として後の危険におかれることを拒否するこ とを得しめることなのである。かようにして、コモン・ローは、被告人が 同ーの犯罪に対して再び裁かれる、ことを禁ずるという「二重危険禁止の原 則」をうちたてたのである。 わたくしは、こ、であらためて、この原則の意義について考えてみたい とおもう。岡原則の目的は何だろうか。何故、米国憲法の起草者達がこの 原則を採り、入れたのか。何故、被告人は同一犯罪に対して二度裁かれない ように保護されなければならないのか等。 これらの問題にこたえるものとして、先ず第ーに、一度裁かれた事件を 再ぴ裁くことによって生ずる訴訟遅延を避けて被告人と社会の両者を保護 (注10) すること、第二に論理的に一つしか存在しない事実と法律の問題ぞくり返 (注11) えし審理すべ、きでないこと、第三に刑事訴追のくり返しによって生ずる過 (注12) 度の危険と汚名から被告人を保護すること、第四に被告人のある犯罪行為 に対じて一度無罪叉は有罪の判決があった場合は、被告人をして同事件が 終決したものと思わすことによって、再度の訴追から解放し、将来の生 (注

1

3

)

活設計を立てさせようとすることなどが一般にあげられる。以土に述べら れた理由、すなわち①時間と経費の節約、②過度の危険と汚名の排除、⑨ 被告人の心理的安定などが、 「何人も同一犯罪について二度と悩まされる ことなし

J

(No one shall be ttiJice vexed for the same cause.)なる言

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引4) 葉によって表わされている。 フランクファー夕、一判事は、この原則をもって、 「文明社会における正 (注t5) 義に反した任力と刑罰から人権ぞ護る憲法的保障の一部である」と述べて いる。さらに、この原則は、 「自由のための強力な防波堤であって、これ なくじでは被告人に必要以上の不安が伴ないまた、無罪の者が誤った訴 (注(16)) 追をうけることもありうるとし、この神聖なる法原則がなければ国家権力 にとってある有害な行為をなした者は、以後、権力による訴追の反覆によ (注(17)) ってたえず危険と不安にさらされるであろう」と結論づける。 -

(7)

83-また、:;-ョ-:;-ァ州のある裁判所は、一世紀も前に次のようなことを述 ぺている。 「二重危険よりの禁止原則は、法の慌界における人間性

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に基礎づけられたものであり、人権侵害に対する摘疑的監視 (

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という立場か ら確立されたものである。それは国家権力の濫用から市民を保護しようと する尊い警鐘である。法律をもって、あるいは慣習をもって、人権にいかに 防波堤を築き、擁護し、権力を制限してみても、権力はこれら全ての防壁を 破り、法の名の下に正義を破壊し、人間性を否定してきたことは、歴史がこ (注目印) れを憂うつな真実

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としてわれわれに教えている」と。 このように、人権保護に関して格調の高い意見を一世紀も前に述べうる 裁判所を有する米国の人権思組の高度さをわれわれは知る必要がある。 さて、この「二重危険禁止の原則」は、英国からコモン・ローとして米 国に採り入れられた制度でゐるが、両国の聞には同原則の適用の範囲に若 干の相異がみられる。すなわち英国普通法では、同一犯罪につき、かつて 有罪叉は無罪の判決があったことを裂したのに対し、米国においては同原 則はその適用範囲を拡張強イじして、同一事件についてかつて本案審理に係 (注目団) 属したことを要するとする。すなわち、再度の審理から保護するのである。 同原則を米国についていま少しながめるに、同一犯罪について一度判 決叉陪審の評決があった場合、それは被告人に関しては最終的且つ決定的

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であって、国の側では、これに対し上訴する権 (注(Z日) 利を有しないとされるのである。 元来、 「二二重危険禁止の原則」はこの二つの問題に集約して考えられよ う。第ーは、被告人に不利益江検察官による上訴を禁ずることである。す なわら第一審裁判所における審理を一つの「危険

J

とみて、 J度ぴ判決が あれば検察官は被告人に不利益な

l

二訴をなすことによって、被告人を「再 度の危険」におくことは許されないのである。その上訴は、無罪判決に対

84

(8)

-検祭賞上訴に関する若干の考察 するものは勿論のこと、有罪判決に対するものであっても、原審の判決よ り重い処罰を求めようとすることは許され沿い。けだし、無罪判決であろ うと有罪判決であろうと同様に前に一度の危険に既におかれたことになる からである。 第二に、被告人は同一事件について、二重の訴追をうけないという点で ある。すなわち、ある事件について訴追をうけた者は一度「危険」におかれ ているのであるから第二の起訴においては「二重危険禁止の原則」により 特別抗弁権を取得するのである。被告人がこの特別抗弁権を行使しうる前 提である「危険におかれた事実」というのは訴訟手続のいかなる段階にお かれた事実をいうのであろうか、という点が問題になる。被告人が一審判 決をうけた事実をいうのか、叉は陪審の評決をうけた事実をいうのか、あ るいは叉、それ以前の特定の訴訟段階におかれたならば一度の危険におか れたというのかという点である。この問題を検討する前提として、危険

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の語源について大塚弁護士の次のような分析は参考になろう。 「元来

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なる言葉は「危険」と訳されているが、語源的に札し てゆくと、中世英語の

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が転化したものであり、その

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の語 源を更に遡ってゆくと古代仏語の

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が泌

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源であるとされている。 そ の 古 代 仏 語 の 仰 は

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game (

勝負ごと)の意味であり、

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勝負不明)の意味である。従って、

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の語源的意味は

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勝敗不明の 状態)であるということができるj。このように

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なる言葉を分 析したあとで、問弁護士は次のように説く。

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アメリカの学説判例におい て多数説が審理陪審がその事件立合のために法廷で登録宣誓したときに、 その被告人の危険が発生するとしている意味がわかる。即ち、その事件の 法廷が適法に成立して陪審が登録宜寄すればたとい判決叉は評決にいたら なくとも「一回の危険」が発生するというのである。従って、陪審の登録 が終った後、何らかの理由によって判決にいたらなくても、その被告人は二

- 8

5

(9)

重危険禁止の特別抗弁権を取得レたこととなり、他の法廷で訴追をうけた

(

2

1) ときは、この抗弁権によって会訴棄却の申し立てをなしうるのである

J

。 このようにして、米国においては「一回の危険

J

が英国にくらべてより 早い段階において発生するようである。前述した如く、英国では、被告人 が「一回の危険

J

におかれたというためには、有罪文は無罪の判決が再度 の訴追以前においてなされていな〈てはならないのである。被告よの保護 という点で、米関の制度がより深い注意をはらっているこ主がわかる。例 (注

2

2

)

えば、ケプナー事件の判決において、デイ判事は、 「ある学説判例におい ては陪容の評決があったときに危険が発生するとじているが、多数説は適 法に成立した刑事法廷において刑事責任を訴追されたときに危険におか れたとしている

J

と判示し、きちに

1

9

4

8

年の判例の申にも、 「危険は審問 (注

2

3

)

を開始されて証拠調が開始されたときに発生する

J

としている。 以上みてきたとおり、米閏においては、陪審の評決叉は判決が一度あれ ば、その時に「一回の危険

J

が生ずると解釈することは異論のないところ であるが、更にすLんで法廷が適法に成立して審理が一定の段階にす、ん

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:

ときにも「危険jが発生するとの解釈もかなり広範囲にわたってなされ ているようである。 1't(2} Bartkus v. people of State of D1inois. 359 U. S. 121 79 S. Ct. 676 (1959) (3) Scott. Criminal Law in Colonial Virginia. 81・82.102 (4)Ex parte Lange. 18 Wall16~. Green V. U. S.. 355 U. S. 184 Statey

Cooper. 1833. 13 N. J. L. 361. 370 (5) Brock V. State of North Caro1ina. 344U. S. 424, 429, 435 American . Law Institute. Double Jeopardy (1935) 61・67 (6) . American Law Institute. Double Jeopardy (1935) Introductory note.

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.

7

(7) Batchelder, Former Jeopardy, 17Am. L. Rev. 735 (8) 清宮四郎、憲法

1

(法律学全集)65ペーヲ (9) 4 Com. 335 F u n E

(10)

(10) 65 Yale L. J. 340 (11] 前掲341ペーヲ 1J2l前掲岡ぺ-~ ( 1割 前j掲悶ページ { 141 前掲同ぺ-~ 検察官上訴に関する若干の考察 U5l

is part. of the protection of the constitution against pressure and penaltiesthatoffend civiliz泡dnotion of Justice. Concurring opinion in U. S. ex rel. Marcus v. Hess. 317 U. S.537. 555(1945) (1曲 Stat~v.CqQper. 1 Green (NJL) 361. 370 (1833) (17)State v. Reyolds. 4 Haywood (Tenn.) 110(1817) (18) State v. Jones. 7 Ga. 422. 425 (1894) 11由江家義雄英米刑事法研究一巻97ぺ-~ 120)Willoughby. On the Constitution of the UnitedStatesVol. 2 2nd. ed.P.1l262.嶋良弼「米国に於ける刑事上訴制度J (司法研究報告書第二築 第入号65ぺーフ) 司(21)大塚喜一郎「二重危険の原則の適用について」判例タイムズ第三巻第五号31 ぺ,....~ (tb 195 U. S. 100 (1904)

帥 WadeV.Hunter;U. S.C.A. Constitution.Cummulative Annual Pocket Part(1948)p. 36

3

.

i

二重危険禁止の原則」に関する

米国連邦並びに州憲法の規定

周知のように、米国は連邦国家であり、 そこには連邦法を含めて50余の 異った法域が存在している。そこで米国法について考察する場合には、常 にこの連邦制のもたらす法の多元性に慎重なる注意を要する。この論文で とりあっかう「二重危険禁止の原則」についても例外ではなく、連邦法と 州法ではこどなり、 さらに州法においても多かれ少なかれ異った規定のし かたをとっている。

-

:

.

8

7

(11)

-先ず連邦憲法をみるに、同修正五条lよ、 「何人も同一犯罪に対して生命 又は肢体の危険に二度とおかされることはなし、

J

(No 抑rsonshall be su -bject for the same offense to be tut in jeoρardy of life or limb.)Jと 規定し、各州の憲法のほとんども大体同様の規定をもうけている。このよ うに、 「二重危険禁止の原則」が連邦憲法をはじめ、ほとんどの州憲法の 人権保障規定の中に採り入れられている事実は、同原則が米国においてい かに重要視されているかを物語るものであろう。若干の州にはこの原則は 憲法に規定されていない。コネチカット、メリーランド、マサチューセッ ツ、北カロライナ、パーモントの五州である。しかしこれらの諸州におい ても、同原則は制定法により、コモン・ローによりあるいはデュー・プロ セス・クローズ (due

ρ

rocess clause) などによって一応みとめられてい るところである。次は、各州の憲法にみる同原則の規定である。 アラパマ州:

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何人も同ーの犯罪に対して、生命叉は身体の危険に二度 とおかれることなし。但し、裁判所は法律の定める理由にもとずいて審理 中の陪審を解任することができるがこの陪審の解任によって何人もいかな (注24) る利益もうけない」 (注目) アラスカ州:

r

何人も同ーの犯罪に対して二度と危険におかれない」 (注2

6

)

アリゾナ州:

r

何人も同ーの犯罪に対して二度と危険におかれない」 アーカンソー州:

r

何人も同ーの犯罪に対して二度と生命叉は自由の危 (注

2

7) 険におかれなしづ コロラド州:

r

何人も同ーの犯罪に対して二度と危険におかれない。但し 陪審が評決にいたらなかった場合、叉は陪審の評決後に判決の宣告猶予が なされた場合、もしくは法律適用における誤まりを理由に判決が破棄され (注29) た場合は、被告人は危険におかれたとみなしではならない」 コネチカット州:規定なし デラウェア州:

r

何人も同ーの犯罪に対して二度と生命叉は肢体の危険 (注

3

0) におかれない

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(12)

検察官上訴に関する若千の考察 (注31) フロリダ州:

r

何人も同一犯罪に対し、二度と危険におかれない」 ~ョ-::;>ア州:

r

何人も同一犯罪に対して生命叉は自由の危険に一度以 上おかれない。但し、有罪の判決後に被告人の申出による再審があった場 (注

3

2

)

合、もしくは誤判の場合はこの限りでない」 (注3

3

)

ハワイ州:

r

何人も同一犯罪に対して二度と危険におかれない」 (注34) アイダホ州:

r

何人も同一犯罪に対して二度と危険におかれない」 (注3

5

)

イリノイ州:

r

何人も同一犯罪に対して二度と危険におかれない」 (注3

6

)

インディアナ州:

r

何人も同一犯罪に対して二度と危険におかれない」 アイオア州:

r

何人も同一犯罪に対して一度無罪の判決があった後、その

f

注3

7

)

無罪とされた行為に対して、重ねて裁かれることはない」 (注3

8

)

カンサス州:

r

何人も同一犯罪に対して、二度と危険におかれない」 ケンタッキー洲:

r

何人も同一犯罪に対して生命叉は肢体の危険に二度と (注3

9

)

おかれない」 Jレイヲアナ州:

r

何人も同一犯罪に対して生命又は自由の危険にご度とお かれない。但し、被告人の申出による新裁判の場合、叉は誤判の場合、若 (注40) しくは判決の猶予があった場合などはこの限りにあらず」 メイン洲:

i

何人も同ーの犯罪に対して、二度と生命叉は肢体の危険にお (注41) かれることはない」 メリーランド洲:規定なし ミゾリー洲:

i

何人も同ーの犯罪に対して、一度陪審によって無罪の評決 があった後は再び生命又は自由の危険におかれない。但し、陪審が評決 tこいたらなかった場合は、裁判所はその裁量によって陪審を解任し同ーの 又は次の間延期の裁判まで被告人を収監し叉は保釈することができる。も し、有罪の評決があった後、起訴の穣庇を理由として判決の猶予がなされ た場合、叉は法律の適用の誤まりを理由に有罪の評決にもとずく判決が破 棄された場合、被告人は新たに適正な起訴と法律にもとずいて裁かれ得る。

-8

9

(13)

(iJ:43) モンタナ洲:

I

何人も同ーの犯罪に対して二度と危険におかれHない」 ミシシッピー洲:

I

何人の生命叉は自由も同ーの犯罪に対して二度と危険 におかれない色但し、再度の訴追を防止するためには、前に無罪叉ほ有罪 (注44) の判決がなければならない」 ミネソタ洲:

I

何人も同ーの犯罪に対して二度と処罰の危険におかれな (注4

5

)

ミシガン州:

-

r

何人も同ーの犯罪に対して無罪の判決後に、その無罪とさ (注46) れた行為に対し重ねて裁かれることなし」 マサチューセッツ州:規定なし (注47) 北ダコタ州:

I

何人も同ーの犯罪に対して二度と危険におかれない」 北カロラィナ州:規定なし (注4

8

)

ニューヨーク州:

I

何人も同ーの犯罪に対し二度と危険におかれない」 (注4

9

)

ニューメキシコ州:

I

何人も同ーの犯罪に対して二度と危険におかれない」 ニューハンプシャー州:

I

何人も同ーの犯罪に対して無罪の判決があった (注50) 後は、その無罪とされた行為について重ねて裁かれることはない」 ニュージャージ州:

I

何人も同ーの犯罪に対して無罪の判決があった後 (注

5

1) は、その無罪とされた行為に対し再ぴ裁かれることなし」 (注5

2

)

ネパダ州:

I

何人も同ーの犯罪 lこ対し二度の危険におかれることなじ」 ネプラスカ州:

I

何人も同ーの犯罪に対して二度の危険におかれることな (注5

3

)

(注54) オハイオ州:

r

何人も同一犯罪に対して二度の危険におかれることなし」 オクラホマ州:

I

何人も一度陪審によって無罪とせられたる後は、その 無罪とされた行為について再ぴ生命叉は自由の危険におかれない。叉、何 (注5

5

)

人も同ーの犯罪について重ねて生命叉は自由の危険におかれない」 (注5

6

)

オレゴン州、い「何人も同ーの犯罪に対して二度と危険におかれることなし」 ペシシルパニヤ州:

I

何人も同ーの犯罪に対して二度と生命又は肢体の危 (注57) 険におかれることなし」

-

(14)

90-検察官上訴に関する若干の考察 ロードアイランド州:

I

何人も同ーの犯罪に対し、一度無罪の判決があっ (注58) た後、その無罪とされた行為に対し再び裁かれることなし j 南カロライナ州:

I

何人も同一犯罪に対して生命叉は自由の危険に二度と (注59) おかれない」 (注60) 南ダコタ州:

I

何人も同一犯罪に対して二度の危険におかれない」 テネシー州:

I

λ

も同ーの犯罪に対して生命叉は技体の危険に二度とお (注61) かれない」 テキサス州:

r

何人も同ーの犯罪に対して生命叉は自由の危険に二度とお かれることなし。文、何人も管轄権を有する適法な裁判所において無罪の (注

6

2

)

評決があった後は、その無罪とされた行為に対し重ねて審理されない」 (注63) ユタ州:

r

何人も同ーの犯罪に対して二度と危険におかれることなし」 パーモン卜州・・規定なし (注64) パーヲニヤ州:

I

何人も同ーの犯罪に対して二度の庖険におかれない

J

(注65) ワシントン州・・「何人も同ーの犯罪に対して二度と危険におかれない」 西パージニヤ州:

I

何人も同ーの犯罪に対し生命叉は自由の危険におかれ (注66) ない」 ウイスコンシン州:

I

何人も同ーの犯罪に対して二度と危険におかれるこ (注6

7

)

となし」 ワイオミング州:

I

何人も同ーの犯罪に対して二度と処罰の危険にさらき て注

6

8

)

れない」 以上、米国における連邦憲法と各州の憲法に規定された「二重危険禁止 の原則

J

に関する条文をあげたが、その表現のしかには統ーされてはいな い。 32の州は大体において連邦憲法修正5条と表現を同じくしているが13 の州は異った規定のしかたをしている。また、アイオア、ニュージャーヲ ー、ニューハンプシャー、ミシガン、ロードアイランドの5州は、後の訴追 を禁じるためには前に無罪の判決があったことを要するとしている。叉、

- 9

1

(15)

ミゾリ一、アラパマの両州では、「裁判所は法律の定める事由によって事件 審理中に陪審を解任することができるがこの陪審解任によって被告人は如 何なる利益もうけるものではない」と規定しており、実際に判決があって はじめて再度の訴追から解放されるようになっている。 コロラド州では「陪審が評決にいたらなかった場合、あるいは陪審の評決 後に判決の宣告猶予がなされた場合、若しくは法律適用における誤まりを 理由に判決が破棄された場合などは、被告人は一度の危険におかれたとみ なされない」と規定して、かような場合は再度の訴追が可能であることを 示してし、る。 ヅョージャー州とルイジアナ州は大体類似している。すなわち「有罪の 判決後に被告人の申出によって新しく裁判が行なわれる場合、あるいは誤 判の場合には二重危険禁止の適用を否定しているようである。 ミシシッピー州は再度の訴追を禁ずるためには無罪叉は有罪の判決が以 前になくてはならないと規定しており、有罪、無罪を問わず一度判決があ れば再度の訴追から被告人を解放している。 以上概観したように、その規定の方法には多少の相異があるも、 「二重 危険禁止の原則」は、一応どの法域でも是認されているようである。 また、同原則の適用の範囲についても、法域により、微妙な差位はある が、被告人の無罪判決に対しては、ほとんど例外なく検察官による上訴を 否定している。したがって、被告人のための陪祷による無罪の答申又は無 罪の判決は、それが第一審におけるそれであると否とに拘らず、被告人に 関しては最終的日ーつ決定的であるとするのが米閏における岡原則のとらえ かたである。 なお、連邦憲法や若干の州において「重ねて生命叉は肢体 (life or limb) の危険におかれなしリと規定し、叉、他の若干の州では「重ねて生 命叉は自由 (lifeor liberfy) の危険におかれない

J

と異った文字を用い ているが、これらは単に沿革 I~. の理由にもとずいてこのように規定きれて

-

(16)

92-検察官上訴に関する若干の考察 いるにすぎないとされ、現在では単に体刑のみならずさらにひろくいかな る刑罰をも含むと解され、罰金刑のみにあたるような軽罪の事件について (注6

9

)

も検事側の上訴を許さ Yるものと解せられている。 要するに、 「重ねて危険におかれない」とは、検事側の上訴を許さない との解釈が一応公定解釈とされているが、この点について米国においても 若干の反対意見がある。偉大なる反対者 (greatdissenter)で知られる有 (注

7

0) 名なホームズ判事は、かつてケプナ一事件においてホワイト、マッケーナ の両判事とともに少数意見を書いているが、その中で「危険とは訴訟の最 (注71) 初から最後まで一つの継続的な危険である。本来第二の危険より免れると いう原則はかつて既に審理されたことのある場合には新しく且つ独立の訴 訟の審理(atrial in a neωand independent case)はこれ告なすことを 得ずということであったので、決して同ーの訴訟において再ぴ審理するこ とを得ずとなす趣旨ではなかったのである」と述べている。 ホームズ判事のこの意見は、ちょうど現在のわが国における学説、判例 の一般にとっているのと立場を同じくするもので興味深い。ホームズの少 数意見に拘らず、やはり多数意見は、下級裁判所の答申叉は裁判は被告人 に関しては最終的且つ決定的と判断したし、また連邦及ぴ州の圧倒的多数 がこのケプナ一事件の多数意見と立場を同じくしているのである。 とにかく、米国における「二重危険禁止の原則」は、その適用の範囲に おいて州により若干の相異のあることは否めないが、連邦と州のほとんど において二重危険の制限は強く、重罪、軽罪、罰金刑などの事件を区別す ることなく、叉、有罪、無罪を間わず一度判決があれば、検事側の上訴を 禁じているといってよかろう。 (注目) Art.,1Sec 9: No person shall, for the same offense, be twice put in jeopardy of life or limb; but courts may, for reason -s fixed by law, discharge juries from the consideration of any case, and no person shall gain an advantage by reason of such

a

n

(17)

(f:l:26) Art. II, Sec. 10: No person shall be twice put in jeopardy for the same offense

· (f:l:27) Art. II, Sec. 8 No person, for the same offense, shall be• tw-ice put in. jeopardy of life or iberty.

(f:l:28) Art. I. Sec. 13: No person shall be twice put in jeopardy for the same offense.

(f:l:29) Art. II, Sec. 18: Nor shall any person be twice put in.jeopa· rdy for the same offense. If the jury disagree, or if the judgment ; . be arrested after the verdict, or if the judgment be reversed for

error in law, the accused shall not be deemed to have been in jeopardy.

(f:l:30) · Art. ?, Sec. ?: No person shall be for the same offense twice: . put in jeopardy of life or limb.

(f:l:31) Art. I, Sec. 12: No person shall be subject to be

twic~

'put in jeopardy for the same offense.

· (f:l:32) Art. I, Sec I, para. 8: No person shall be put in jeopardy of life or .liberty more than once for the same offense •. save on his or her own motion for a new trial after conviction or in case of mistrial.

(f:l:33) Art II, Sec. 8: Nor shall any person be subject for the same

,offeq~ to be twice put in je~pardy.

(f:l:34) Art. I, Sec.13: No person shall be twice put in jeopardy for tho same offense

(f:l:35) Art I, sec. 10: No person shall be twice put in jeopardy for the same offense.

(f:l:36) Art. I, Sec. 14: No person shall be put in jeopardy twice for the same offense.

(f:l:37) ArtJ, Sec. 12: No person shall after acquittal be tried for the same offense.

(f:l:38) 'Art. ?, Sec_ ?: No person shall be twice put in jeopardy for the same offense.

(i:l:39) Art. I. Sec. 13: No person shall,· for the same offense, be

(18)

-94-twice put in jeopardy of his life or limb.

(i':l:40) Art. I, Sec. 9: Nor shall any person be twice put in jeopardy of life or liberty for the same offense, except on his own applic· ation .for a new trial, or where there is a mistrial, or a motion in arrest of judgment is sustained.

(l':t41) Art. I, Sec. 8: No person, for the same offense, shall be twice put in jeopardy of life or limb.

(i:t42) Art .. I. Sec. 19: Nor shall any person be but again in jeopar-dy of life or liberty for the same offense, after being once acquitted by a jury; but if the jury fail to render a verdict the court may, in ~ts discretion, discharge the jury and commit or bail the prisoner for trial at the same or next term of court; and if judgment be arrested after a verdict of guilty on a defective indictment or information, or if judgment on a verdict of guilty be reversed for error in law, the prisoner may be tried anew on a proper indictment or information, or according to law.

(il:l!43) Art. Ill, Sec. 18: Nor shall any person be twice put in jeopar-dy for the same offense.

(ii:J:44) Art. I, Sec. 22: No person's life or liberty slulll be twice put

i~ jepardy for the same offense; but there must be an actual acquittal or conviction on the merits to bar another Pr9secution.

(Ji:t45) .

Art. I, Sec. 7: No person for the same offense shall be put in twice jeopardy of punishment.

(Ji:t46)

Art 1,. Sec. 14: No Person, after acquittal upon the merits, shall be tried for the same offense.

(1$47) Art. 1,. Sec. 13: No person shall be twice put in jeopardy for the same offense.

(lfl:48) Art. I, Sec. 6: No person shall be subject to be twice put in jeopardy.

(il:l!49) ·Art. II, Sec. 15: Nor shall any person be twice put in jeopardy for the same offense.

{Jl:t50)' Art. 16: No subject shall be ·liable ·to be. tried, after acqui-ttal, for the ~e crime or offense.

(j£51) Art. I, Sec. 11: No person shall, after acquittal, be tri~d for

(19)

-95-(l$53)

Art. I. Sec. 12: No person shall be twice put in jeopardy for the same offense.

(l$54)

Art I, Sec. 10: No person shall be twice put in jeopardy for the same offense.

(il:l:55)

Art. II, Sec. 21: Nor shall any person, after having been once acquitted by a jury, be again put in jeopardy of life or liberty for that of which he has been acquitted. Nor shall any person be twice put in jeopardy of life or liberty for the same offense.

(il:l:56)

Art. I, Sec. 12: No person shall be put in jeopardy for the same offense.

(l$57)

Art. I, Sec. 10: No person shall, for the same offense, be twice put in jeopardv of life or limb.

(/':l:58)

Art. I, Sec. 7: No person shall, after an acquittal, be tried for the same offense

(/':l:59)

Art. I, Sec 17: Nor shall any person be subject for the same offense to be twice put in jeopardy of life or liberty

(/':l:60)

Art. lv, Sec. 9: No person shall be twice put in jeopardy for the same offense.

(/':l:61)

Art. I, Sec. 10: No person shall, for the same offense, be twice put in jeopardy of life or limb.

(/':l:62)

Art. I, Sec. 14: No person, for the same offense, shall be twice put in jeopardy of life or liberty, nor shall a person be again put upon trial for the same offense, after a verdict of not guilty in a court of competent jurisdiction.

(/':l:63)

Art. I, Sec. 12: Nor shall any person be twice put in jeopardy for the same offense.

(/':l:64)

Art. If Sec 8: Nor shall he be put twice in jeopardy for the same offense.

(/':l:65)

Art. I, Sec. 9: Nor shall he be twice put in .jeopardy for the same offense

(/':l:66)

Art. III, Sec. 5: Nor shall he be twice put in jeopardy of life

(20)

-96-検察官上訴に関する若干の考察 or liQerty-for -the-same offense. (注67) Art.1.Sec. 8: No personforthe same offense shall b巴put in twice jeopardy of punishment (注68) Art.' 1.-Sec.11: Nor shallany person be twice put in jeopardy for the銅meoffense. (注目) 村瀬l直奏「険事上訴のì~窓性についてj 法律新報鎗757号 17ぺーフ (注70) 195

U

.

S

.

100 (1904)

(注71) one continuing jeopardy from the beginning to the end of

theαuse

4

.

わが国における憲法第

3

9

条の解釈論

前項までにおいて、英米法特に米国訟における

r

-

:

:

.

'

重危険禁止の原則」 について、その沿革や意義などにつき概観してきた。 この原則は、とりも なおさず、国家の強犬な権力から被告人を保護しようとするところにその 狙いがあるといえよう。人権の擁護は、古来、人類が深い関心をよせてき たことであるが、その強力さにおいて英米法系は大陸法系に勝るといえよ

ところで、明治以来、 大陸法的司法制度になじんできたわが国が、第二 次大戦の終結を境に、ー儲然、従来の司法制度に大きな変革を余儀なくされ ている。先ず憲法の根本的改正が特筆されよう。そして、この改

E

憲法の 第

3

9

条に、 「……伺人も既に無罪とされた行為については重ねて刑事上の 責任を聞はれない。叉同一切犯罪について重ねて刑事

k

の責任を聞はれな い」 と規定されている。 この条文の前段後半及ぴ後段の部分が、英米法系における「二重危険禁 止の原則」を規定したものや否や。これを積極に解した場合、検察官上訴 をひろく認めている現行刑事訴訟法の違憲問題が生ずる。 こ の 点 に 関 し て、従来のわが国における学説、判例は、これを消極に解して、同条は大 陸法系に伝統的な「一事不再理の原則

J

を採用したものであると し て い

(21)

-97-る。この学説、判例の立場は、現在のところ、公定解釈のようになってい るが、わたくしにとっては、充分の説得力をもち得ないものであり、以下 において学説、判例を挙げながら、検討をくわえたいとおもう。

C

1

)学説とその批判

現在までのところ、わが国においては、 「二重危険禁止の原則」につい て充分論究し尽きれぬまhに、たY単に憲法第

39

条をもって英米法流の 「二重危険の原則」のようなものとしたり、あるいは大陸法系の「一事不再 理の原則」を強イじしたものといった程度である。たY一人、団藤重光教授 のみが、 「憲法

3

9

条と二重の危険」と題して、かなり詳しく論じておられ (注

7

2

)

る。 わが国学説の傾向としては、先ず憲法第

3

9

条の前段後半と後段をもっ て、(イ)一事不再理に重点をおくもの、加)二重危険禁止に重点をおくもの、 付両者を併立的に考えるものに分けられよう。 げ)にあたるものとしては、 (i)第

3

9

条前段後半と後段とを合わせて「一 (注7

3

)

事不再理の原則」とするもの、 (ii)第

3

9

条後段のみを「一事不再理の原 (注

7

4

)

則」とするもの、とがあり、(叫にあたるものとしては、 (i) 第

3

9

条前段 後半と後段とを合わせて、いわゆる「二重危険禁止の原則」を規定したもの (注7

5

)

とするもの、 (ii)第

3

9

条後段のみを「二重危険禁止の原則」 と把握する (注

7

6

))

ものなどがあげられる。叉、村にあたるものとしては、前段後半は「一事 (注行) 不再理の原則

J

を、後段は「二重処罰の禁止」を規定したものなどである。 これら諸説のうち、最後の村にあたる説が一応わが国における通説のよ うであり、この説をとる団藤教授が最も詳しく論究されているので、この 説について検討することにする。 同教授は、 「一事不再理の原則」と「二重危険禁止の原則」の相異を述 べた後、憲法第

3

9

条は大陸法系における「一事不再理の原則」を強化した

(22)

-98-検察官上訴に関する若干の考察 〈注7

8

)

ものにすぎないと述べられる。教授の指摘するとおり、たしかに、 「一事 不再理の原則

J

と「二重危険禁止の原則」とは、似て非なるものである。 こhで両原則の区別を団藤教授に従ってみてみると、先ず、 「二重危険禁 止の原則」は、一度判決があれば、それが下級審の判決たると否とに拘 らず、その確定に関係なく、たYちに二重の危険の原因となる。米国にお いては、判決がある以前においでさえ、被告人がある一定の訴訟段階にお かれた場合は二重の危険の原因となるとしている。大陸法系におけるよう に判決の確定によってはじめて効力を発生する「一事不再理の原則」と比 較してこれは重要な差位であろう。 次に無罪判決に対する上訴、ことに国の側からの上訴が二重の危険の禁 止にふれることになる。上訴によって再度の危険が生ずることになるから である。大陸法系では、判決確定前は一事不再理の効力は生じないから未 確定の判決に対する上訴はなんら「一事不再理の原則」に反するものでは ないが、英米法ではかような上訴も原則として許きれないことになる。さ らに、二重の危険の禁止は、 「同ーの犯罪についてみとめられるのである が、 「同ーの犯罪」の観念は、大陸法系における「事実の同一性」の範囲 よりもはるかに限定されているようである。したがって概言すれば、二重 の危険の禁止は、その効力において一事不再理よりも強力なものである (注79) が、その行われる範囲においては限定されていることになる。 以ヒみてきたように、団藤教授は、 「一事不再理の原則」をもって大陸 法系特有のものとし、他方、 「二重危険禁止の原則」は英米法系に特有の 観念としてとらえ、この両者を区別することによって、元来大陸法系に属 するわが国においては、英米法系の「二重危険禁止の原則」を採用するこ とを得ず、第39条をもってあくまで大陸法系の「一事不再理の原則」を強 イちしたものと解しているようである。 わたくしは、この「一事不再理の原則」をもって、必らずしも大陸法系 n 3

n z

(23)

に特有の

L

のとする考え方には疑問をいだく右のであり、この点について 検討してみよう。 一事不再理 (nebis in idem)の原則とは、民事、刑事を間わず判決の 実体的確定力即ち既判力の外部的効果として、ある事件につき終局判決が あった場合は、同一事件につき再ぴ当事者聞において、もはや争い得ない という法原則であると理解するのである。これは、裁判における法的安定 の要請から生まれたものと思われる。裁判なるものは、一方において正義 に合するものでなければならないという要請をもっとともに、一度裁判 がなされた以上、それが動揺せしめられることを避けたいという要請が他 方においであるわけである。このように、紛争解決の一回性の理念が、一 (注80) 事不再理の要請するところである。 この「一事不再理の原則」は、沿革的にみた場合、ローマ法の res judicata (既判力)の制度にさかのぼるといわれている。そちそも、一度 起きた訴訟は、これに解決をあたえ、そのむし返しを避けることによって 紛争に終止符をうち、当事者をして将来の生活設計を立てさせ法的安定を はかろうとするところに、 この既判力の狙いがあると考えられる。既判 力なる制度のJ恨底には、裁判一般の理念であるところの一事不再理の要請 (注81) が横たわるとされ、このようなところから、 「既判力は真実とみなされる (Res judicata ρro veritate habetur)

J

とし、う法格言も生れてきたわけで あろう。このように、争いに終止符をうつことによって法的安定をはかろ うとすることは、古来、洋の東西を問わず、裁判そのものの本質として要 求されてきたところである。 このような要請から生じた「一事不再理の原則

J

に対して、被告人を二 度の危険にさらさないという「二重危険禁止の原則」は、本質的に前者と 異なおものであり、英米法系において、被告人保護という強い人権思担の 要請にその根拠をおいて発展させられてきた原則で、あり、古来英米におい て被告人の地位の安定保障という点でなくてはならない重要な法原則のー 100

(24)

-検察官上訴に関する若千の考察 つである。 このような同原則の特質からして、無罪判決あるいは有罪判決に対して、 検察官がより重い刑罰をもとめてヒ訴することは禁じられるわけである。 団藤教授は、この点について触れた後、「大陸法系では判決確定前は一事不 再哩の効力は生じないから、未確定の判決に対する上訴(検察官によろ一一 (注

8

2

)

筆者注)は、伺ら一事不再理の原則に反するものではない」とし、わが憲法第 39条は、大陸法系の「一事不再閣の原則」を採用したものであるから検察官 の上訴は何ら憲法に違反するものではないと結論づけられている。 しかし、伺故、教授は、それほど-事不再埋に拘泥するのであろうか。 おもうに、 「二重危険禁止の原則」は一事不再理とは性質を異にする法原 則であり、刑事法域においてのみ春在するものであろところから、わが憲 法第39条もこれを採用したものと解し、従来の一事不再現より一歩すhん で英米法系のごとくより強力な被告人保護のため、積概的態度を示してく れないのだろうか。くり返し述べるが、紛争にピリオドをうっという要請 に蒸づく「一事不再珂の原則

J

と異って、 「二重危険禁止の原則」は、国 家権力によって二度、三度とくり返えし裁かれることを嫌うという特質を 有するものであり、あくまで権力の恋意から、立場の弱し、被告人を保護す るというのがその目的である。これを比除的に表現すれば、 「一事不再理 の原則

J

は被告人にとって、橋ともなるし鉾ともなり得るものであるが、 「二重危険禁止の原則」は橋にのみなるものといえよう。また前者は、従 来もわが法域においてひろくみとめられてきた制度であり、現在の学説、 判例のとっている程度の被告人保護は、旧法の下でもできたはずである。 改正憲法が人権規定に細心の注意をはらって刑事訴訟法的な細かさでもっ て、くどいほどに規定している事実を見のがしてはならない。この点につ いて、宮沢教授の次の記述は参考になろう。 「人権保障の不完全さは、一般にドイツ系統の憲法の特色であれまた、 明治憲法の特色でもあった。これに対し、今度の憲法は、人権の保障を過

101

(25)

-去の経験にかんがみ、充分徹底させようとのねらL、から、その意味で、そ ういう点については、英米法が範とするに適するというので、特に英米法 を参考にしたのでありましょう。とにかく、わが憲法には、英米法独持の 規定が多くそこに含まれています。たとえば、第四条の奴隷的拘束文は苦 役からの自由という規定をみましでも、それはアメリカ憲法にある規定で すし、それから第

3

1

条の法定の手続に関する規定も、英米法の「適正な法 手続

(

d

u

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o

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s

0

1

l

a

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)

を思わせる規定です。さらに、第34条は、英 米法のへイピアス・コオパス

(

h

a

b

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a

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o

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ρ

u

s

)

の精神を採ったも白でしょ う。また第

3

6

条の残虐な刑罰を禁ずる規定、第

3

8

条の自己に不利益な供述 を強要されないという規定、第四条の刑事に関する事後法を禁止し、二重 の危険を否定する規定などは、いずれも英米法、ことにアメリカ憲法の規 (注

8

3

)

定の影響をうけていることは明瞭である」 憲法第39条の英文に

d

o

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t

b

l

ej

e

o

p

a

r

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y

とL、う言葉が用いられているが、 間藤教授は、同英文をもって甚だしく不正確であるからこれに拘掘する必 要はないとし、 「単なる文理解釈からいえば、同条は英米法流の二重の危 険の原則を採用したものとも考えられるし、また大陸法系の一事不再理の 原則を強佑したにすぎないものとも解することができる。なるほど、同条 の英訳によれば、同条後段についてあきらかに「二重の危険」という言葉 を用いている。しかしこのことからすぐに同条が二重の危険の原則を採用 したものだと解するのは早計である。後段がもし二重の危険の原則を示す ものであるとすれば、前段の後半もまた当然に二重危険の原則の中 l乙含ま れることになるはずである。後段が「前の有罪」ならば、前段の後半はま さしく「前の無罪」で両者があいまって二重の危険の原則の内容をなすも のといわなくてはならない。また後段が二重処罰の禁止を規定するものだ とすれば、二重処罰の禁止も二重の危険の原則の中に含まれてはいるけれ ども、その本来の内容ではない。ところがこの英訳では、単に後段だけを 「二重の危険」としているのであって、すでに英訳として、はなはだ不正 - 102ー

(26)

検察官上訴に関する若干の考察 確だといわねばならない。わたくしは、あえてこれを誤訳とまでいうもの ではないが、この訳文にかならずしもそれほど拘泥する必要はないと考え (注84) るのである。訳文はつまりは訳文としての意味しかない

J

として英文をは なれて同条を解釈する立場をとられる。 二重危険禁止の観念はひろしもともと「前の無罪」と「前の有罪」の 両者を包含するも

ω

であることは前述した。憲法第39条は、

1

.

.

.

.

.

.

既に無 罪とされた行為については、刑事上の責任を聞はれない」と前段後半に規 定し、つづけて、後段において「叉同ーの犯罪について重ねて刑事上の責 任を聞はれない

J

と規定しており、これは、両者を区別しないで規定する 米国連邦憲法修正第5条と異った規定の仕方である。しかし、これは、わ が憲法がより明瞭に且つ詳細に規定するために特に両者を分って、そ θ も っとも広範囲にわたって強力にみとめられている(米国では、連邦、州の 例外なく)

1

前の無罪」に対して、再度刑事上の責任を間わないことを前 段に規定し、つぎに「前の有罪」に対して重ねて刑事上の責任を関われな いことを後段に規定したと考えられるのであって、教授のいわれるように 「後段のみを二重危険の原則となしているのは不当である」との解釈は、 とうていこれを肯認しえない。 なお、後段の部分を二重処罰 (double

ρ

unishment) の禁止の規定であ るかのように述べられるが、わたくしはこの条文から二重処罰の禁止とい う解釈は導きだしえないので、この点についての検討はひかえたい。 要するに、憲法第39条の前段後半は「前の無罪」を、後段‘は「前の有罪」 をもって一つの危険となし、その後、その「無罪」もしくは「有罪」とさ れた行為に対して再び訴追あるいは審理することを禁じていると解するを 相当とする。 二重危険禁止を規定する米国憲法は、必らずしも同じ文言で規定されて いないのは、前述の各州憲法の規定で述べたとおりである。連邦憲法や多 くの州においては、 「前の無罪」、 「前の有罪」などと区別せずに規定し - 103ー

(27)

であるのに対して、若干の州においてはこの両者を区分して、わが憲法第 39条の如き規定の仕方をしている事実から推しでも、わが憲法第39条の規 定のしかたをもって不当と解する日

1

藤教度・の立場には伐1)見しかねるのであ る。因みに、同じく二重危険禁止の規定をもっオクラホマ州の憲法は、わが 憲法第39条とよく類似している。すなわち、同州憲法第 2条第21節は、「何 人も一度陪審によって無罪とされた後、その無罪とされた行為について再 び生命叉は自由の危険におかれない。叉伺人色、同ーの犯罪について重ね て生命又は自由の危険におかれない」と規定しており九明らかに二重危険 の禁止の内容をなすものでゐり、にぎ「それを連邦憲法などよりも、より具 体的に表現規定したものと考えられるのである。 問藤教授はまた、憲法第39条の訳文に

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o

u

b

l

ej

e

o

ρ

a

r

d

y

なる言葉があ るとしても、この訳文に拘泥する必要はなL。、

1

訳文はつまりは訳文とし ての意味しかない」と一蹴されるが、憲法制定過程からして、訳文もまた わが憲法解釈上、重要なよりどころとなるべきであると信ずる。勿論、日 本文と訳文との聞に矛盾衝突があれば、日本文によるべきこと当然である が、両者聞においてこ

ω

ような抵触があるとは思えない。 卜

8

藤教授はさらに憲法第39条の規定が英米法流の二重危険の原則を採用 したものfごとすれば、新刑事訴訟法が旧法と同じく検察官にιもひろくと訴 権をみとめたことは、違憲fごといわなければならないとし、これははたし て正当であろうかと関われ、さらに述べられる。

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フェリは、大陸法系の 確定力

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制度に対してすら刑事政策的見地から攻げきを加え、むしろ誤っ た判決を是正して不当に罪責を免れる者が出る

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を防止するために判決に 対する定期的審査の制度をさえ主張したのであった。これは被告入の地位 をあまりにも不安な状態に陥れるものであって、わたくしはこれに賛成ず ることはできないが、その刑事政作的意図は充分に理解することができる (注85) とおもう

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と。 おもうに、絶対的に正義に合した裁判というのは人聞の世界で完全に期 - 104一

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検察官上訴に関する若干の考察 待できるものではない。裁判の完壊を要求するならば、前述の大陸法系の 確定力の制度に攻撃を加えるフエリの立場は理解できょうが、ひるがえっ て、被告人の地位の安定という立場から考えるとどうたーろうか。大陸法的 立場では、検察官は、終局前の裁判であると終局裁判であるとを問わず、 そして終局裁判については管轄違や会訴棄却の裁判叉は免訴の裁判のよう な形式裁判ばかりでなく、有罪叉は無罪の実体裁判に対しでも上訴するこ (注86) とができる。そして、叉、上告審で訴訟が終了するとは限らないのであ る。下級審への破棄差戻の裁判もありうる。このようにして、訴訟は無限 に発展する可能性すらあるわけで、このような場合、被告人は国家権力の 前に無限に審理されっちごけることもありうるのである。このようなことが 果して人権保障

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正当と考えられょうか。古来、 「疑わしきは被告人の 有利に

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十人の罪人を免れしむるとも一人の無実の人を苦しむこと 勿れ」となすは、刑事法における根本原理であり、か〉る原理のうらには強 大な国家権力に比べて常に弱い立場におかれる被告人を保護しようとする 要請があるからである。フエリの見解をもって「被告人の地位をあまりに も不安な状態に陥れるもので賛成できない

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とする団藤教授が、なぜ、被 告人の保護をよりあっくする方向に憲法第39条を解しようとしないのだろ うか。 同教授は、新憲法には個人主義的、自由主識的、米国憲法的要素が多分に 盛られているほか、他面社会主義的、ワイマール憲法的要素も取り込れてい るから、必らずしも個人主義的、米岡憲法的にのみ解すべきではない。憲法 が英米法的な二重の危険の原則をそのまL採用したと解するのは憲法全体 の精神から考えて疑問だとし、さらに、

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工)事件にお けるブラック判事の「同一事件について再び危険におかれない権利は、陪 審の権利と同様に神聖なものであって、だからコモン・ローおよび憲法に よって同様の注意をもって護られているのである」なる言葉を引用して、 「わが新憲法にはかような姉妹制度ともいうべき陪審に関する規定はない

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から、憲法第四条は「二重危険禁止の原則」を規定したものではないとす る同教授の解釈の根拠としているが、先ず、前の部分について検討するに、 わが新憲法に探用されていろワイマール憲法的社会権保障の規定は、{可も 自由権にとって代わるべきものではないはずで、むしろ、それは自由権を 実質的ならしめるための規定でなくてはならないはずである。さらに、ブ ラック判事の前記引用文は、むしろ教授の立場を不利にしていると考えら れる。すなわち、ブラック判事の上.述意見は二重危険禁止をもって、陪審 の権利と同様に神聖なることを強調しているのであって、何も両者が姉妹 関係にあることを強調しているとは考えられない。事実、 この 「二重危 険禁止の原則」は、陪審裁判

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こると非陪審裁判たることを問わず適用され (注87) ているのである。たとえば、ケプナ一事件は、非陪審事件であったが、二 重危険禁止が適用され、再度の審理が禁止されたのである。このことから も、わが国に陪審制度のないのを理由に英米法流の「二重危険禁止の原 則」を適用不可能とする立場は説得力に欠けるものといわぎるを得ない。 次に、大野盛直教授によれば、 「米固においては、かつて検事上訴につ いては禁じられていたが、今では国の側からの上訴は許されるようになっ (注88) (注89) ている」としてパルコ事件必どを例にあげておられるが、同教授のこの見 解には大きな誤解があるように思う。 このパルコ事件のおきたコネチカット州では、憲法上に二重危険禁止の 規定は害在しない。そして、同州には、刑事事件において検察官による上 訴を裁判長の承認を得た後で許容する制定法があって前述のパルコ事件で 問題となったのは、この検察官上訴をみとめる制定法が合衆国憲法修正第

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条に違反するかどうかという点であった。この事件の被告人ノカレコは、 最初、第二級殺人罪を宣告された。これに対して検事側で前記制定法にも とずき控訴したのである。パルコは控訴審において第一級殺人罪を宣告さ れ、死刑を言渡された。パルコは更に州の最高裁に

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告したが下級審の判 決は支持された。そこで、被告人は、更に連邦最高裁に上告し、 「二重危

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-検察官上訴に関する若干の考察 険禁止を規定した連邦憲法修正第5条は、岡修正第14条(いわゆる

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によっても禁じられている。修正第5条は州を目的とす るものではなく連邦政府のみを目的とするものであるが、同条は二重危険 よりの免除を規定しているのである。そしてこの修正第5条の禁ずるとこ ろは、修正第工4条の「伺れの州も、法の正当な手続によらずして何人に対 しでも生命、自由叉は財産を奪うことを得ない」という規定の中に当然包 含されるものであって、 この修正第14条の規定を間接適用することによ って、被告人を再度審理することの違憲性を主張したのである。すなわ ち、検事上訴によって被告人を再審理することは、修正第5条が修正第工4 条に吸収される立場から、それが「法の正当な手続」によらず生命叉は自 由を奪うことであり許されないとするのである。上訴申立人は、さらに、 (注90) 連邦政府の措置が権利章典の侵害となる場合は、それがいかなる事項とい えども、その同一事項が州によってなされる場合には、修正第14条によっ てひとしく違法となると主張するのである。 この申立に対して、連邦最高裁は、 「法的誤謬の問題につき州側に上訴 権をみとめることは、修正第14条の「法の適正手続」の規定に違反しない と判示した。すなわら、この事件において、連邦最高裁は、修正第五条lζ 規定された二重危険の禁止は、修正第工4条に包含されていないと判断した のである。同判示によれば、合衆国憲法の権利章典の規定の中には、修正 第14条に包含される権利と然ざるらものがあるとし、 「検事上訴を許容す る制定法が被告人を二重の危険に服せしめることが、我々の政治組織をし てこれに耐え得ない程度の厳しく且つ非道なことか、またそれは、すべて の我々の市民的及び政治的制度の根底にある自由及び正義の基本的原則を 侵害するものなのか」と問題を提起し、これに否定的な回答をよせている のである。 因みに、同判決は、カードーゾー判事により書かれているが、同判事は 権利章典の規定中、修正第14条に包含される国民の権利として、 「言論の ー

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参照

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