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フランシス・ポンジュと現代芸術 : アルベルト・ジャコメッティについての論考をめぐって

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フランシス・ポンジュと現代芸術 : アルベルト・

ジャコメッティについての論考をめぐって

著者

横道 朝子

雑誌名

人文論究

51

2

ページ

77-90

発行年

2001-09-10

URL

http://hdl.handle.net/10236/4927

(2)

フランシス・ポンジュと現代芸術

──アルベルト・ジャコメッティについての論考をめぐって──

フランシス・ポンジュ(1899−1988)の作品が第一詩集『物の味方』(Le

Parti Pris des Choses, 1942)とは根本的に異なる新しい形式へと移行する

1940 年代は,詩人がジョルジュ・ブラックをはじめとする 20 世紀初頭を代 表する画家たちと交流を始めた時期にあたる。新しい形式の可能性を模索する 詩人にとって,画家たちの絶え間ない表現の冒険は刺激的であった。「新時代 の指標はとりわけセザンヌ以降のエコール・ド・パリの絵画の中に,そして, 1870 年代以降のフランス詩の中に見出される。ただし,今のところ詩は絵画 に対して少し遅れをとっているように思われる。というのは,詩においてはそ の形式だけで共鳴するように構築された作品がより少ないからである(しか し,我々がそれに取り組んでいるが)。第一次大戦以降,全てが終焉にさしか かった文明の大きな分裂によって支配され,進化を速めつつある。ブラックを 先頭とする絵画の天才たちだけが新しい精神を維持している。」(ŒC, p. 629) と述べているように,画家たちの創作の中に詩よりも進んだ新しい精神を見出 していた詩人は,画家たちについて書くことによって彼自身の創作のモデルニ テを正当化しようとしていたように思われる。 前回の考察(1)ではブラックについてのテキストを対象に取り上げたが,今 回はアルベルト・ジャコメッティについてのテキストを取り上げ,さらに考察 をすすめたい。というのも,新しい形式の作品を『やむにやまれぬ表現の欲 77

512-06

(3)

求』(La Rage de l’Expression, 1952)というタイトルのもとで一つの作品集 として出版する前年に,ポンジュはジャコメッティについての論考に取り組 み,その中でこの彫刻家の創作に限りない愛着を示すとともに,詩人の新しい 形式について言及しているからである。本稿ではこのジャコメッティについて の論考を取り上げ,詩人がこの彫刻家の作品をいかに受容し,彼自身の創作の 中に反映させようとしたのかを考察する。

1.

「閉じられたテキスト」

(texte clos)から

「開かれたテキスト」

(texte ouvert)へ

1942 年 5 月に『物の味方』の出版を果たしたポンジュは,翌 1943 年初頭 からいよいよ本格的に「開かれた形式」の作品集の構想に着手する。この「開 かれたテキスト」とは『物の味方』におさめられた典型的な散文詩の形式で書 かれた「閉じられたテキスト」(2)のアンチテーゼとなるものである。このジャ ンルの作品においては,自己批評や書き直し,愛用のリトレ辞典からの引用な ど詩の創作過程が提示され,作品の多くは十数ページにもわたる長いものとな る。この「開かれたテキスト」が『やむにやまれぬ表現の欲求』というタイト ルのもとで一つの作品集として出版されたのは 1952 年のことであるが,この 作品集に収められた作品(3)が実際に執筆されたのは 1938 年から 1943 年にか けてであり,この「開かれたテキスト」に対する詩人の関心が実は『物の味 方』の出版以前にさかのぼることがわかる。じじつ,『物の味方』に収められ た作品においても「閉じられたテキスト」からの脱却を示すきざしが見られる し,もはや典型的な散文詩の形式がポンジュの表現の欲求を十分に満たすもの でなくなりつつあることは確かであった(4) しかし,この時期の詩人は作品の創作過程を提示するというあまりにも革新 的な形式について確信を持つまでには至っていなかった。それは良き相談相手 であったジャン・ポーランとの書簡集から明らかに浮かびあがる。1943 年 5 月 19 日のポーラン宛の書簡では,「今,構想中の作品集だけど,実は私はそ 78 フランシス・ポンジュと現代芸術

(4)

れを断念しようかと思っているんだ」(C−1, p. 291)という記述が見られ,当 初新しい形式をあまり評価していなかったポーラン(5)がこれらの作品を評価 し,作品集として出版することをすすめている。しかし,信頼するポーランの 評価も詩人の不安を完全に消し去ることはできなかった。以下は 1943 年 8 月 5 日付けポーラン宛の書簡である。 私はもし君がそうしないほうがいいと言ったら『やむにやまれぬ表現の欲 求』を出版しない。こういったことに関しては私は君の了解なしには何もし ないつもりだ。(中略)確かにこれらのテキスト(=『やむにやまれぬ表現の 欲求』に収められたテキスト)が惨めなものに思われる日がある。(中略) とにかく,それがもし下書きであっても,それで 25,000 フランを稼ぐな んて,かなりおもしろいことだと思う。 でも,私はこれらの作品がただの下書きにすぎないと確信してるのかと言 えば,そういうわけでもない。確かなのは私にとって散文詩の形式はもはや 不十分だということ,そして私が新しい形式(もっと内面的であると同時に 叙事的な?)に向かおうとしていること。もしかしたらこれらの作品が新し い形式へと向かう道しるべとなるかもしれないということだ。(C−1, pp. 300−301) この手紙に対してポーランは迷わずに原稿を送ることをすすめる。しかし, この原稿はどの出版社にも拒否され,結局,この時点での作品集の出版は断念 されることになる。 しかし,1945 年になって新たな展開が見られた。ローザンヌの出版社メル モ書店がこの原稿を買い取ったのである。メルモ氏は,まずはこれらのテキス トを小冊子のかたちで個別に刊行し,後に『やむにやまれぬ表現の欲求』のタ イトルで一つの作品集として出版することを詩人に約束した。しかし,小冊子 の売れ行きが思わしくなく,作品集としての出版は徐々に先延ばしにされてい く。その状況を見て,1951 年ポンジュはメルモ氏に最後通牒とも思える次の 79 フランシス・ポンジュと現代芸術

(5)

ような書簡を送っている。 我々の契約の本が出版されるのを私は今でも期待し,待ち続けています。そ れは私の作品の中でも深い意味を持ち,問題の序文のもとに集められたテキ ストの総体として出版することにこそ意味を持つものです。それは少なくと も『物の味方』と同じくらい重要な作品となり,『物の味方』を解明し,そ れを超え,私の詩的創造についての間違った解釈を阻む書物なのです。 (ŒC, p. 1020) 小冊子で出版した作品の売れ行きが良くなかったのにもかかわらず,詩人は なぜ『やむにやまれぬ表現の欲求』を出版することを執拗に求めたのか。それ にはさまざまな理由が考えられる。まず,1944 年に発表されたジャン=ポー ル・サルトルのポンジュ論の影響を見逃すことはできないだろう。詩人の詩的 創造について多くの卓見を含んだ「人と物」(L’homme et les choses)はポン ジュを一躍有名にしたが,この論考が『物の味方』に収められた作品を中心に 考察されていたため,「ポンジュ=『物の味方』の詩人」という定式が生み出さ れることになる。さらに,サルトルが結論として導き出した「自然の現象学を 打ち立てた詩人」という詩人像がその後多くの現象学的アプローチによるポン ジュ論を生み出し,それが詩人を苛立たせていた。この書簡の中にある「私の 精神のあり方についての間違った解釈」とはこういった事情を指すものだろ う。 さらに,メルモ氏宛の書簡の表現からも明らかなように,最初に出版を見送 った 1943 年には持っていなかった新しい形式への確信を高めたということが 挙げられるであろう。この書簡ではポーラン宛書簡に見られた不安や躊躇はど こにも見られない。この自信を与えたもののとして,カミュや多くの画家たち の出会いが挙げられる。それでは,ジャコメッティとの出会いは詩人に何をも たらしたのか。ジャコメッティ論の読解に移ろう。 80 フランシス・ポンジュと現代芸術

(6)

2.ポンジュのジャコメッティ論

ポンジュのジャコメッティ論には「小彫像についての省察──アルベルト・ジ ャコメッティ人物像と絵画」(Réflexions sur les statuettes − figures et

pein-tures d’Alberto Giacometti)「JOCA SERIA──アルベルト・ジャコメッティ の彫刻についてのノート」(JOCA SERIA-Notes sur les sculptures d’Alberto

Giacometti)(6)があり,どちらも 1951 年に書かれたものである。前者はカイ エ・ダール紙の 2 月号に載せられた比較的短い論文であり,後者は 7 月 30 日 から 9 月 4 日までのおよそ一ヶ月間で書かれたもので,ポンジュの画家論の 中では数少ない「開かれたテキスト」の形式の作品である。 1901 年生まれのジャコメッティは創作の最初期にキュビスムの影響を受け たが,その後,シュールレアリストとしてアンドレ・ブルトンたちと行動を共 にする。しかし,ブルトンと仲たがいをして以来,シュールレアリストからは 離れていき,第二次大戦中から 1950 年初頭はひたすら縮小していく人物像を 作っていた(7)。この時期はポンジュが「詩的日記」の形式に挑戦しはじめた 時期にあたり,さらにジャン・フォートリエ(8)においてもその作風が根本的 に転換した時期にあたる。この 3 人の芸術家の創作形式の一転という符合, それを取り巻く未曾有の大戦,というのは非常に興味深い問題を提起してい る。確かに時代の共同意識のようなものがこの 3 人の芸術家にあったであろ う。それは,このジャコメッティについてのテキストで取り上げられている問 題がブラックについてのテキストと比べると深刻であることからも明らかであ る。というのは,ブラックのテキストでは,20 世紀初頭の芸術にこの偉大な 先達が与えた影響を第三者的なまなざしで評価しているのに対し,ジャコメッ ティのテキストでは,第二次大戦後の危機の時代を同時に生きる同世代人とし て共有するテーマ,すなわち,虚無や不条理など実存主義に近いテーマが取り 上げられているからである。しかし,これらはサルトル(9)や矢内原伊作(10) あるいはジャック・デュパン(11)が描くジャコメッティのどれとも違うポンジ 81 フランシス・ポンジュと現代芸術

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ュ独自の視点でとらえられた論考である。 1)Je の消滅──作品のアノニマ性 ポンジュがジャコメッティの極端に細長い人物像に見たもの,それは「不安 や不条理感のために押しつぶされた」(AT, p. 157)人間の姿であった。「不条 理や反乱のこの世界,価値が崩壊し転換されるこの世界では,個人はできる限 り小さくなり,凝縮する。」(AT, p. 157)のである。さらに,この痩せ細った 人物像は,ポンジュの解釈によれば,以下の引用が示すように人間を取り巻く 社会や自然をも同時に表象しているのである。 社会,個人,自然はカオスである(渦巻きとカオス)。 1 .社会とは蜂の巣のようなカオスである。強制収 容 所,火 葬 炉,ガ ス 室,牢獄,数多くの死体が折り重なった殺戮の場。 2 .個人(人間)とは極端に痩せ細ったカオスである(ジャコメッティ)。 3 .自然(外界)は厚みのある物質的なカオスである。過去と未来とのカ オス,埋葬と生誕とのカオス。腐敗する死体と蛆虫(さや入りのエネルギ ー)とのカオス。(AT, p. 158) 人間の存在や営みのもろさと,自然の雄々しさ──ポンジュがまずジャコメ ッティの人物像に見たのは,この強烈な対比であった。人間の存在は,既存の 価値の崩壊や虚無に直面した苦悩や不安によってますますもろく,はかなくな っていくのに対して,それをとりまく自然の存在は明らかであった。偉大な自 然の中に人間の存在を位置付けようとすれば,その強烈な対比のために人間は どこまでも縮小していくしかないのである。 さらに,詩人はその縮小していく人物像が個性や人格を全て削ぎ取られた後 のもはや「任意の,私という人間(L’Homme quelconque que je suis)」(AT, p. 187)としてしか存在できない人間の姿であるととらえる。以下の引用を見 よう。

(8)

どうして私はそれ(ジャコメッティの彫刻)について自分なりの視点から 話そうとしたのだろう?なぜなら,彼が同世代人であるからとか?いや,違 う。もっと深い理由によってだ。

というのは,任意の,私という人間(L’Homme quelconque que je suis): ジャコメッティが彫刻によって,あつかましくも私たちに提示するのはこ れなのだ。 彼こそは,代名詞(一人称単数の)の彫刻家なのだ。 このあまりに決定的であまりに冷淡な私−Je は,死ぬこともできず,常 に誰かの人称代名詞として用いられる。自分自身を見つめることができない 私−Je。我々の文章の頭にぼんやりと貧弱に立ち現れる。それこそがジャ コメッティが彫ろうとしているので,それこそが彼がその彫刻の長い足の上 に立たせようとしていたものなのである(J)。 この幽霊から彼は王杖をつくる。確かにそうだ。この J とはそもそも, あらゆる「自分はこうしたい Je le veux」という確信や主張である。 なぜ,A.ジャコメッティのイコノグラフィーがこんなに強く私をひきつ けるのか。なぜなら,ジャコメッティの彫像の後では,我々は私−Je から 解放されつつあるからだ。(AT, p. 187) 既存の価値の崩壊の中で「私−Je」とは自己を確信し自己を主張する存在 ではありえなくなった。「私」とは,もはや「私がそうであるところの不特定 の人間」「万人としての私,我々としての私」であり,個人名(nom)を持つ ことができない(AT, p. 188)。すなわち,ジャコメッティが提示する「J」に 似た人物像とは,「実体を持たない存在」(AT, p. 188)としての「私」であ り,その実体をなくした「J」は,我々の文章の頭においても,まるで「幽霊 のように」絶えずつきまとうのである。 そして,詩人は彼自身の新しい形式について次のように語り始める。 (おそらくは)一時的な気の迷いについて:私の創作の(叙事詩的な)一つ 83 フランシス・ポンジュと現代芸術

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の段階。 神の死のレベルに,個人(人間)が細くなっていく,極端に痩せていくとい うレベルに自分を置くこと,すなわち,価値の崩壊(と変換)のレベルに。 『やむにやまれぬ表現の欲求』『サパート』『モモン』(私の修辞的な詩)が私 の創作においてどのように位置付けられるのかを説明すること。 それは,私の方法論や実験の一部を成すものである。『修辞的な問題につい てのプロローグ』から再考すること。 それこそが,問題の核心であり,この悲劇(闇の中での茶番劇 momerie) の中心的なエピソードである。(AT, p. 159) 引用文中の「一時的な気の迷い:私の創作の(叙事詩的な)一つの段階」が指 すのは,すぐ後で挙げられる『やむにやまれぬ表現の欲求』『サパート』『モモ ン』に共通の創作形式,すなわち,「開かれたテキスト」の形式への変換のこ とである。なぜ,詩人はこのジャコメッティ論の中で彼自身の新しい形式につ いて話す必要があったのか。それは,ジャコメッティの彫刻を,世界の強烈さ の中に位置付けるために縮小を続ける人間の姿である,ととらえた詩人は,そ の人物像に詩人自身の新しい形式における詩人 je-poète を重ね合わせたから である。というのも,新しい形式である「開かれたテキスト」の作品は,思い つくままに書き連ねていく,下書き状態で提示されるという特徴を持っている が,この特徴は詩の要素を統制し一つの詩作品として完成させる「人間(個 人)=が細くなっていく」状態から生まれると言えよう。統制者である詩人 je-poète のいない作品では,詩のマグマが一つの完成した作品としてまとめあげ るために切り捨てられたり,変形されたりせずに,ひたすら膨張を続けていく のである。ポンジュがジャコメッティの人物像に見た,もはや個人名を持たな い私−Je とは,実はポンジュの「開かれたテキスト」における詩人 je-poète そのものなのである。 さらに,作品において詩人 je-poète を消していくという立場は,ポンジュ が「詩人」という資格を拒否し,「記述者」(scripteur)という立場を取った 84 フランシス・ポンジュと現代芸術

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ことに結びつく。「記述者」とは「記述すること以外の生存の全て,活動の全 てを拒否しようとする態度を選び取ったもの」(EPS, pp. 12−13)を示す。詩 人が「記述者」にとってかわることで,ポンジュが実現しようとしたのは,言 葉そのものが機能するエクリチュール,あるいは,考える機能を持ったエクリ チュールの創出である。ポンジュの「開かれたテキスト」は,「マラルメやロ ートレアモンが目指した非人称形式」(EPS, p. 14)を徹底して実作で展開し たものと言えるだろう。 2)対象の持つ完全さの表現へ向けて それでは,ポンジュはなぜ彼自身の作品の中で詩人 je-poete を消す必要が あったのであろうか。それは「表現されているもの」の後ろにかくされている 「表現されないもの」への限りない執着からではないだろうか。そして,その 執着は同時にジャコメッティの創作においても見られるものである。ポンジュ はジャコメッティの「残りへの気遣い」を彼の彫刻の持つ「崇高なまでのエレ ガンス」として,次のようにあらわしている。 太らせること,大きくすること,それは「残り」をかくしてしまう。それ こそ,ジャコメッティが求めないことだ。完璧な記号(signe)を獲得する ことが必要だ。しかし,残りについて気を配りつづけ,「残り」を保ちつづ けなければならない。(AT, p. 174) ジャコメッティは「一つの対象物はそれ自体で完全だ。対象物は何かの視覚 をあらわすものではなく,単にそれ自体で完結しているのだ。芸術作品が決し て完全でありえないのは,ある特定の視覚,現実についてのただ一つだけの視 覚しかあらわさないからである。しかし,他のいくらでもたくさんある視点だ って同等に有効なのだ(12)」と述べているが,ここからは,一つの対象につい て膨大なドローイングを残し,彫像を作っては壊し,壊してはやり直しを続け たジャコメッティの姿が浮かび上がる。そして,この表現されないものへの執 85 フランシス・ポンジュと現代芸術

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着は,まさしくポンジュを新しい形式へと駆り立てた動機に他ならない。すな わち,詩人が決定稿のみを示す「閉じられたテキスト」による表現に限界を感 じたのは,対象についてある特定の視覚しか表すことができず,対象物が持つ 多様性を切り捨ててしまうことになるからである。さらに,前回のブラックに ついての考察でポンジュの『物の味方』の作品がキュビスム絵画の特徴を持っ ているということを指摘したが,詩人がこの第一詩集のありかたから離れてい った理由は,おそらく,ジャコメッティがキュビストを否定したのと同じ理由 であろう(13)。すなわち,対象を知的に,あるいは,知識によって再構成する キュビストのやりかたでは,対象の持つ物質性,情感を,肉感的要素を全部そ ぎ落としてしまうことになり,存在の強烈さや存在の完全さに至ることができ ないのである。対象の持つ厚さや完全さを詩作の源泉にしていたポンジュは, 言葉を費やした過程を全て提示するという「開かれたテキスト」の形式にこ そ,その多様な「視点」を提示できる可能性を見たのである。 さらに,「こんな下書きのようなものが作品となるのか」という詩人の懸念 は彼がジャコメッティの作品の中に見出した「不完全さのダンディズム」によ って払拭され,「開かれたテキスト」の形式の肯定につながる。以下の引用を 見よう。 完全さが除去されることに存する,あるいは完全さを拒否することによっ て現れる(明らかになる)ダンディズムの振る舞い(ダンディたちは彼らの 召使たちに彼らの衣服の何着かを着させるが,ダンディ自身がそれらを着る のは,洋服が完全さを失ったとき,「新しさ」という性格をなくし,きらめ かない,金ぴかでない時だけなのである) おそらくは,これと同種のダンディズム,品行についての気遣いである。 それは目下のところ多くの芸術家において見られるのではないかと思う。そ れは現代の詩法の一段階(「掟」のひとつ)となってもおかしくないだろう。 マラルメはさらにもう少し晦渋さを付け加えることが必要であると言った ……私たちは不完全さを,余分な産毛を,いぼを,欠陥を,灰を付け加えた 86 フランシス・ポンジュと現代芸術

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い。 洗練によって,ダンディの気遣いによって……我々は,好き勝手に複雑に し,口ごもり,どもり(アルトーやブランのどもりは,ただ単に激昂,つま り,度を超した激昂から生じるのではない。それは謙虚さから来るのであ る)我々は頭から灰をかぶるのが好きなのである。 我々は自分自身がそうであるよりも,愚かに見られたいのである。 というわけで,私は一日中喜んでばかげたことを言うのである。(中略) ジャコメッティにおいて見られるのはこういったことなのだ。(AT, pp. 182−183) 下書きが作品になるということへの確信は,『やむにやまれぬ表現の欲求』 が出版された同じ年に書かれた多くの詩論の中でも見られる。我々は,この詩 人の姿にシジフォスを思わせるジャコメッティの姿を重ねるのである。 真の詩は,現在の詩の叢書の中に見出されるものとは,なんの関わりも持 たない。それは,新たな抱擁に憑かれたものたちの執拗な下書きの中にあ る。ということで,結局,生をこんなに困難にしているのは,世界の美しさ なのだ。 困難どころの話ではない。生とは持続する不可能事である。我々は全てを 言わなければならない。だから,我々は毎日,極めて多様な主題について, 思いつくかぎり多くの技法を用いて,このやり直しをするのだ。(ŒC. p. 631)

以上,ポンジュがジャコメッティの作品をいかに受容し,自分自身の作品に 反映させたのかを考察してきた。非人称形式の作品を詩の一つの新しいジャン ルとして確立させることに執心していた 1951 年当時のポンジュにとって,ジ 87 フランシス・ポンジュと現代芸術

(13)

ャコメッティの人物像はもはやサルトルが述べるような「身振りの絶対的な源 泉」を示すものでも,「真に唯一の人間的な統一」を示すものでもなく,戦後 の危機の時代において「不安や不条理感のために押しつぶされた人間の姿」で あり,「幽霊のような実体を持たない私−Je」であった。この特異なジャコメ ッティ受容がジャコメッティ自身の創作を十分にとらえていたか否かはここで は問題ではない。ただ,明らかであるのはその縮小していく人物像に詩人が彼 自身の新しい形式である「開かれた形式」における私−Je を見,それに新し い詩の可能性を託していたことである。 しかし,縮小していく人物像との対比によって示される外界の存在の完全 さ,強烈さが二人の芸術家の共通の源泉になっていたことも確かである。対象 について言葉を重ね続けたポンジュと,ナイフで対象を削り続けたジャコメッ ティ。二人の芸術家の表現形態が,かたやどこまでも膨張し,かたやどこまで も縮小するというように従来の表現形式を打ち破らざるを得なかったのは,対 象についての共通の認識,すなわち,対象とはいくら表現しても表現し尽くさ れることのない強烈さと完全さを持ったものであるという認識があったからで あろう。それはポンジュの「閉じられた形式」の作品の題材が「黒イチゴ」 「タバコ」といった身近な事物であったのに対し,「開かれた形式」の作品では 「太陽」「空」といった存在の強烈さをさらに表現できる題材に移行していくの もこの意識を端的にあらわしているといえよう。一見全く反対の様相を呈して あらわれる彼らの創作の軌跡に,我々はこの二人の芸術家に共通の「やむにや まれぬ表現の欲求」(La Rage de l’Expression)を見るのである。

本稿で引用するポンジュの著作は以下の版に拠って訳出を試み,略号とそのページ数 を示した。

AC : L’Atelier contemporain, Paris : Gallimard, 1977.

C−1 : Correspondance 1923−1968[avec Jean Paulhan],tome I, Paris : Galli-mard. 2 vol., 1986.

EPS : Entretiens de Francis Ponge avec Philippe Sollers, Paris : Gallimard/Éd. du Seuil, 1970.

(14)

ŒC : Œuvres completes, tome I, Paris : Gallimard, coll.《Bibliothèque de la Pléiade》,1999. 「フランシス・ポンジュと現代芸術──『調停者ブラック』(Braque, le réconcili-ateur)を中心に──」『年報・フランス研究』第 34 号,2000 年,pp. 81−92.  ポンジュの第一詩集『物の味方』に収められた詩篇の多くは,比較的短くまとま った言わば典型的な散文詩の形式をとっている。ポンジュはこの形式について 「閉じられたテキスト」あるいは,「爆弾形式のテキスト」(texte sous la forme de bombe)と形容している(EPS, p. 68)。詩人がこの形式に専念した期間は 1920 年頃から 1930 年前半にかけての 10 年間ほどであり(『物の味方』に収められて いるのはこの時期のテキストが中心である),それからの「『物の味方』の詩人」 の挑戦は,『物の味方』の形式を壊し,それを超える形式を確立することにあっ たと言えよう。  『やむにやまれぬ表現の欲求』収録作品とその制作時期は,「ロワール河の岸辺」

Berges de la Loire(1941. 5. 24)「雀蜂」La Guêpe(1939. 8−1943. 8)「鳥のた めにとられたノート」Notes prises pour un oiseau(1938. mars-septembre) 「カーネーション」L’Œuillet(1941. 6. 12−1944)「ミモザ」Le Mimosa(1941) 「松林手帖」Le Carnet du Bois de pins(1940. 8. 7−1941. 7. 22)「ラ・ムーニ

ーヌ」La Mounine(1941, mai-août)である。

 例えば『物の味方』収録の「黒イチゴ」Les Mûres についてポンジュは「この作 品のわざとらしい完璧さは私をうんざりさせる。ここでは黒イチゴのレアリテを なすあまりに多くの部分が欠落してしまっている」(ŒC, p. 57)とこういった作 品のありかたについて嫌悪をあらわにしている。この点については拙論「フラン シス・ポンジュ:創作形式の移行についての一考察」(『関西フランス語フランス 文学』No. 6, 1999, pp. 56∼67.)を参照されたい。  新しい形式について詩人が自信を持てなかった理由のひとつとして,詩人の最も 良き理解者で,相談相手であったジャン・ポーランが当初この形式の作品をあま り評価しなかったという事情が挙げられるだろう。例えば,『やむにやまれぬ表 現の欲求』に収められた作品の中で制作年代が最も古い「鳥のためにとられたノ ート」について,ポーランは「僕はあんまり「鳥」が好きじゃない。それは,醜 いと同時に安易だと思われる。」(C−1, p. 224)と厳しい批評を送っている。それ に対してポンジュは「おそらく「鳥」について君は的を得ていると思う。まった く大したものじゃない。」(C−1, p. 225)と答えている。それ以後この作品は 1952 年の作品集に収録されるまでどこにも発表されることがなかった。しかし,ポン ジュはこれ以降も新しい形式の作品の可能性について幾度もポーランに語り,理 解を求めていく。さらに,1941 年には,刊行が遅れていた『物の味方』(1942 89 フランシス・ポンジュと現代芸術

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年 5 月 19 日出版)の代わりに,詩的日記の形式で書かれた作品「ミモザ」「カー ネーション」「松林手帳」(後に『やむにやまれぬ表現の欲求』に収録されること になる)をひとつの作品集として出版できないかと出版社に打診している。この 新しい形式を世に問おうという詩人の「やむにやまれぬ出版へ欲求」は 1942 年 5 月『物の味方』の出版直後,「ミモザ」をフォンテーヌ紙に発表するというかた ちで実現されるが,これが新しい形式に対する確信に結びついたわけではなかっ た。出版後,ポンジュは「フォンテーヌ紙がミモザを発表したよ。といっても, 僕はこのテキストがそれほど好きじゃない。」(C−1, p. 274)と述べている。  Joca Seria, expression proverbiale que l’on rencontre chez Cicéron : les

cho-ses sérieucho-ses et celles qui ne le sont pas, c’est-à-dire, toute chose, tout.  メルセデス・マッター『ジャコメッティ』リブロポート,1988, pp. 194−216.  ポンジュはフォートリエについても以下のとおり多くの論考を残している。

《Note sur les Otages, Peintures de Fautrier》《Paroles à propos des nus de

Fautrier》《Fautrier d’un seul bloc fougueusement équarri》《A la gloire de

Fautrier》《Nouvelle notes sur Fautrier, crayonnées hâtivement depuis sa mort》《Fautrier, Body and Soul 》

 ジャン=ポール・サルトル「絶対の探求 ジャコメッティの彫刻について」『シ チュアシオン III』人文書院,1964, pp. 211−222. 矢内原伊作『ジャコメッティ』みすず書房,1996. ジャック・デュパン『ジェコメッティ/あるアプローチのために』現代思潮社, 1999. メルセデス・マッター『ジャコメッティ』リブロポート,1988, pp. 194−216. Alberto Giacometti, Je ne sais ce que je vois qu’en travaillant, Paris :

L’E-choppe, 1987, p. 14.

──大学院文学研究科博士課程後期課程──

参照

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