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KobeShoinWomen'sUniversityRepository
Title 「中 国 書 道 辞 典 」 の 正 誤 考 異(そ の1) NewApproachestoCorrectingandRevisingthe ChineseCalligraphyDictbnary(Partll)Author(s)
花 田 尊 文(HANADATakafumi) αfafloη 文 林(BUNRIN),No37:89-127 lssueDate 2003 ResourceType BulletinPaper/紀 要 論 文 ResourceVersion URL Right AdditionalInformation「中 国 書 道 辞 典 」 の正 誤 考 異(そ のH)
「中国書 道 辞 典 」 の正誤 考 異(そ
のID
花
田
尊
文
前 稿Dの
続 きで あ る。 説 明 が 重 複 す るが 「
中 国 書 道 辞 典 」2)(以 下 、 本
書 とす る)は 縦 書 きで1ペ ー ジが3段 組 、1段
は挿 入 図 な どが な けれ ば28
行 あ る。 そ こで最 初 に掲 載 ペ ー ジを 、 次 に 何 段 目か を 上 中 下 と区 別 し、3
番 目に 行 頭 か ら何 行 目か の数 字 を、 そ の 次 に そ の項 目を/で 区 切 って表 示
し指 摘 す べ き問 題 箇 所 は そ の部 分 に下 線 を 付 して示 した。 そ して ペ ー ジ/
段/行/と 問 題 箇 所 は太 字 と した。 ま た項 目の 記 述 は 全 文 を 引 用 す る必 要
もな いの で省 略部 分 は …… で 表 現 した。 筆 者 が 使 用 した の は第3刷 版 、 本
校 図書 館 蔵 書 は第2刷 版 で あ る。 本 稿 と 「
中 国 書 道 辞 典 」 を 照 合 しな が ら
見 て いた だ けれ ば幸 い で あ る。
P672/下/21/ち ゅ う ぶ ん ぶ 「諜 蚊 賦 」 元 の*虞 集 の 書 。 … … 元 統 三 年(一 三 三 五)六 四 歳 の 作 、 ・・… ・東 方 年 表3)な
ど諸 年 表 で は元 統 は2年(1334)ま
でで3年
は な い。 西 暦
1335年 は至 元1年
と して い る。 図 解 書 道 史 ・第4巻4)P283に
全 体 の図 版
が あ り、元 統 乙亥 三 月廿 七 日集 謹 識 と確 か に書 され て い る。 虞 集 の生 卒 は
至 元9年 か ら至 正8年(1272∼1348)な
の で そ の 間 に乙亥 は1275年 と1335
年 の二 度 あ る。64歳 の作 と あ るか ら西 暦1335年 は一 致 す る。書 道 全 集 ・第
17巻5)P202の
年 表(外
山 軍 治 作 成)に
よ る と1335年 の11月23日 に元 統 か
文林 三十七号
ら至 元 に改 元 され て い るの で これ以 前 の1335年 は元 統3年
とい う こ と に な
る。 前 記 の通 り3月 の作 な の で 改元 前 に な り、 元 統 三 年(一 三 三 五)の 本
書 の記 述 は誤 って い な い。
P678/中/17/ち ょ う か と う ぞ う ぞ う き 「趙 和 等 造 像 記 」 北 周 の 明 帝 三 年(五 五 九)の 刻 、 … … 。諸年 表 に よ る と明 帝 は2年(558)ま
で で3年 は な い。 西 暦559年 は武 成1
年 と して い る。 しか し書 道 全 集 ・第6巻6)P202の
年 表(外
山 軍 治 作 成)
に よ る と武 成 へ の改 元 は559年8月15日
な の で これ以 前 の559年 は明 帝3年
とい う こ とに な る。 今 この誌 文(ま
た は そ の拓)を
目賭 す る こと が で き な
いの で そ の 月 日を確 認 で きな い が、 本 書 の記 述 が 誤 りで な い可 能 性 は 十 分
に あ る。 確認 に つ い て は今後 の課 題 とす る。
P689/下/17/ち ょ う し け ん[趙 ・之 謙](清 ・道 光 九 ∼ 光 緒 一 〇1829∼ 1884) … … 字 は 鴇 叔、 梅 奄 ・悲 盒 ・悲 翁 ・思 悲 翁 ・死 悶 ・憩 寮 な ど と 号 し た 。 … …書 道 全 集 ・第24巻7)P176の
書 人 小 伝 に 同 項 目が あ り、 … … あ ざ な を 禽寂
む も ん と い っ た 。 … … 悲 盒 、 元 悶 な ど の 号 の ほ か に 、 … … と あ る 。 ま た 中 国 書 論 体 系 ・第18巻8)P425∼426の 書 人 伝 ・清IIの 同 項 目9)に 、 … … 悲 盒 、 錨 藺 と号 し、 … … と あ る 。 そ の 他 、 定 本 書 道 全 集 ・第13巻lo)P175(眞 田 但 馬 解 説)、 中 国 書 道 全 集 ・第8巻11)P227(澤 田 雅 弘 解 説)、 書 道 辞 典12) P507(小 林 斗 盒 解 説)な ど全 て 元 悶 と し て い る 。 さ ら に 書 の 文 化 史 ・下 13)P258∼260に 、 … … 号 を 悲 盒 と改 め 、 別 に 珀 藺 ・憲 察 と い い 、 … … 都 一90一「中 国 書 道 辞 典 」 の 正 誤 考 異(そ のII) で の 生 活 は 三 年 間 っ づ き、 … … こ の 時 期 、 彼 の 生 涯 中 も っ と も 充 実 し て い た こ と は、 号 を 元 悶 と 改 め た こ と で も察 せ ら れ る 。 と あ り、 以 上 か ら 兄 「き」 で は な く元 「む 」 を 正 と す る 。 お そ ら く単 な る誤 植 で あ ろ う。 P690/中/16/ち ょ う し ち ゅ う ぼ し 「張 思 忠 墓 誌 」 遼 の 重 煕 七 年(-〇 三 九)の 刻 。 … …
重 煕7年
は西 暦1038年 、 西 暦1039年 は重煕8年
で あ る。年 号 、 西 暦 の どち
らが正 しい のか 本 書 掲 載 の 図 版 で は刻 年部 分 が 出 て い な い の で確 認 で きな
い。 ま た現 在 の と こ ろそ れ を 確認 で きる他 の 資料 も得 られ な い ので 今 後 の
課 題 で あ る。
P700/上/19/ち
ょ うぜ ん ろ ういん し ょ う 『
超 然 楼 印 賞 』 八 巻
清 の*陳 錬 墓簑 及 び 自製 ・盛 宜 梧 編 。 … …乾 隆二 七 年(一 七 六 四)成
る。
乾 隆27年 は 西 暦1762年 、 西 暦1764年 は 乾 隆29年 で あ る 。 年 号 、 西 暦 の ど ち ら が 正 し い の か 。 書 道 全 集 ・別 巻114)P192の 年 表(中 田 勇 次 郎 、 平 野 顯 照 作 成)に 、1763・ 乾 隆28・ 古 銅 印 譜 超 然 楼 印 賞(陳 錬 墓)と あ る 。 ま た 中 国 印 学 年 表15)P42に 、1763乾 隆28癸 未 、 盛 宜 梧 輯 陳 錬 刻 印 成 、8冊 と あ る 。 こ れ ら に よ り西 暦1764年 の 乾 隆29年 説 は 排 除 で き る が 、 乾 隆27年 (1762)と 乾 隆28年(1763)の ど ち ら が 正 し い の か と い う 新 た な 問 題 が 生 じ る 。 現 在 の と こ ろ確 認 で き な い。P705/下/1/ち ょ う ひ っ[張 ・弼](明 ・洪 煕 一 ∼ 成 化 二 三1425∼1487) 華 亭 の 人 、 … … 『明 史 文 苑 伝 』 に 「弼 の 草 書 は 怪 偉 跣 宕 、 一 世 を 震 憾 せ しむ 」 と あ る 。 … … 朕 宕 「ふ と う」 の成 語 は 見 え な い。 跣 に 酷 似 した 字 形 に 踪 が あ り蹟 宕 「て っ と う」 な らば 大 漢 語 林16)P1348に そ の 項 が あ り 、 し ま り な く ほ し い ま ま 、 宕 は 度 を 越 す こ と と あ る 。 ま た 大 辞 林 の 同 項 に も 、 こ だ わ ら な い 、 こ せ こ せ し な い 、 頓 着 し な い こ と 、 と あ り 文 意 も 通 る。 跣 で は な く跣 が 正 し い と 考 え る 。 誤 植 で あ ろ う。 P708/上/10/ち ょ う ほ う よ く[張 ・鳳 翼](明 ・嘉 靖 六 ∼ 万 暦 四 一1527 ∼1613) … … 『芸 苑 盾 言 』 は 「伯 起、 平 生 二 王 を 臨 す る こ と 最 も多 く、 退 筆 家 を な す 。 天 趣 少 し く っ く と錐 も、 し か も規 度 森 然 」 と い っ て い る。 … …
家 「も う、 ぼ う」 は 大 漢 語 林P136に 、 お お わ れ る、 く ら い の意 と あ り。
文 脈 上 意 味 の通 りが よ くな い。類 似 の字 形 に家 「ち ょ う」 が あ り同 書P135
に 家 は塚 「っ か 」 とあ る。 家 な らば文 脈 上 無 理 が な い。 大 漢 語 林P669の
智 永 の項 に … …書 を求 め る人 が多 く、 鉄 門限 を作 った とか、 退 筆 塚 を作 っ
た な ど、 逸 話 が 多 い 〔
東 海 岳 、 書 史 〕
。 ま た 図 解 書 道 史 ・第3巻17)のP98
の智 永 の項 で 「尚書 故 実 」 を 引 い て … …筆 頭 を取 りて 之 を痙 め、 号 して退
っか筆 塚 と い い、 自 ら銘 誌 を製 せ り。 と あ り これ ら類 似 の故 実 か ら して も塚 の
意 と考 え る べ きで あ る。 な らば家 の用 字 が正 しい。 誤 植 で あ ろ う。
一92一「中 国書 道 辞 典 」 の 正誤 考 異(そ の 皿) P713/中/23/ち ょす い り ょ う[楮 ・遂 良](唐 ・開 皇 一 六 ∼ 顕 慶 三596∼ 658) 開 皇 は 晴 の 年 号 な の で 、 階 ・開 皇 一 六 ∼ 唐 ・顕 慶 三 と し た 方 が よ い だ ろ う。 P722/中/26/ち ん ち ょ う[陳 ・潮](清 ・嘉 慶 六 ∼ 道 光 一 五1801∼1835) … … 道 光 一 一 年(一 八 ニ ー)順 天 の 挙 人 に 中 っ た が、 会 試 に 第 せ ず 、 ま も な く労 捧 疾 を な し、 若 く し て 徐 星 伯 の 家 に 卒 し た 。 … … 道 光11年 は 西 暦1831年 、 西 暦1821年 は 道 光1年 で あ る 。 本 記 中 に 、 … … 挙 人 に 中 っ た が 、 … … と あ り郷 試 合 格 を 意 味 して い る 。 道 光1年 、 同11年 と も に郷 試 は 実 施 さ れ て い る が 、 … … 会 試 に第 せ ず 、 ま も な く労 痒 疾 を な し、 若 く して 徐 星 伯 の 家 に 卒 し た 。 … … と続 述 さ れ て お り そ の 卒 年 の 道 光15年 か ら考 察 す る と1821年 の 道 光1年 で は14年 も の 間 隔 が あ り 「ま も な く」 と 合 わ な く な る。1831年 の 道 光11年 な ら ば そ の 間4年 で 文 脈 上 無 理 が な い。 ま た書 道 辞 典P136に 同 項 目(杉 村 勇 造 解 説)が あ り、 … … 道 光11年(1831) に 挙 人 に な っ た が 三 五 歳 で 卒 し た 。 … … と あ り本 項 の 年 号 は 正 し い が 西 暦 は 誤 っ て お り(一 八 三 一)と 改 め た い 。 P740/中/22/て き うん し ょ う[翌 ・云 升](清) … … 道 光 二 年(一 八 三 二)の 進 士、 国 子 監 助 教 に 官 し た 。 … … 道 光2年 は 西 暦1822年 、 西 暦1832年 は 道 光12年 で あ る 。 進 士 は 会 試 、 殿 試 の 合 格 者 で あ る 。 道 光2年(1822)に は こ の 試 験 が 行 わ れ て い る が 道 光12 年(1832)に は 実 施 さ れ て い な い 。 中 国 書 論 体 系 ・第18巻P413の 書 人 伝 ・
清Hの 同 項 目(大 谷 敏 夫 解 説)に 、 乾 隆41∼ 威:豊10(1776∼1860)・ … ・・道 光2年(1822)の 進 士 。 … …(参 考 文 献 国 朝 書 人 輯 略 巻9国 朝 書 画 家 筆 録 巻4)と あ る 。 ま た 書 の 文 化 史 ・下P245の 同 項 目 に 、 … … 道 光2年 (1822)の 進 士 で あ る が 、 官 界 で の 経 歴 ほ か 詳 し い こ と は わ か ら な い 。 … … と あ る 。 以 上 か ら年 号 は正 し い が 西 暦 は 誤 っ て お り(一 八 二 二)と 改 め た いo
P744/上/16/て
ん いち か くひ も く 『
天 一 閣碑 目』 一 巻 ・続 増 一 巻
清 の萢 想 敏 撰 。 … …乾 隆 帝 が 『四書 全書 』 を編 む に当 り、 多 くそ の蔵 書
中 か ら謄 写 せ しめ た と い う。 … …
本 書P252、 け ん り ゅ うて い[乾 隆 帝]の 項 に、 … … 「四 庫 全 書 」 の 編 成 … … と あ り、P379、 し こ ぜ ん し ょ の 項 に 「四 庫 全 書 」 と あ る 。 書 で は な く 庫 と す べ き で あ る。 P749/下/12/て ん こ く 《笈 刻 》[笈 刻 要 具]の 項 … … ⑥ 印 色 池=印 色 を 入 れ て お く器、 俗 に 肉 池 と も い う。 磁 製 ・陶 製 ・漆 器 製 ・紫 檀 製 ・推 朱 製 ・ガ ラ ス 製 な ど い ろ い ろ あ る が 、 磁 器 製 の も の が 一 番 よ い 。 … …推 朱 「
す い し ゅ」 の 成 語 は な い。 また意 味 も通 らな い。 堆 朱 「っ い し ゅ」
な らば 文 意 も通 る し語 彙 も解 る。 字 形 が 似 て い るの で 誤 字 誤 植 で あ ろ う。
一94一「中 国書 道 辞 典 」 の正 誤 考 異(そ の 皿) P763/上/10∼11/と う さ く ひ ん[董 ・作 賓](清 ・光 緒 二 四 ∼ 民 国 五 二 1895∼1963) 光 緒24年 は 西 暦1898年 、 西 暦1895年 は 光 緒21年 で あ る 。 書 道 辞 典P553の 同 項 目(宇 野 雪 村 解 説)に 、 清 ・光 緒21(1895)∼ … … と あ り 、 中 国 印 学 年 表P111に1895光 緒21乙 未 、 董 作 賓 生 と あ る 。(以 上2件 は 卒 年 未 記 載) ま た 図 説 ・漢 字 の 歴 史18)P38に 、 … … 董 作 賓(1895∼1963)を 派 遣 し た 。 … … と あ る。 大 辞 林 の 董 作 賓 の 項 も1895∼1963と して い る。 よ っ て 本 項 の 生 年 は 西 暦 は 正 し い が 年 号 は 誤 っ て お り光 緒 ニ ー と 改 め た い 。 P765/中/27/と う じ ゅ ん[董 ・洵](清) … … 残 年 詳 か に しな い が、 嘉 慶 一 七 年(一 八 一 一)七 三 歳 で 健 在 で あ っ た こ と が 印 の 款 識 に よ っ て 知 ら れ る 。 嘉 慶17年 は 西 暦1812年 、 西 暦1811年 は 嘉 慶16年 で あ る 。 書 道 全 集 ・別 巻1、 P191の 年 表(中 田 勇 次 郎 、 平 野 顯 照 作 成)に 、1812・ 壬 申 ・嘉 慶17・ 董 洵 没(1740∼)と あ る。 ま た 中 国 印 学 年 表P34に1740乾 隆5庚 申 、 董 洵 生 。 P60に1812嘉 慶17壬 申 、 董 洵 卒 と あ る 。1740年 生 な ら数 え 年 の 計 算 で73歳 が1812年 と な り嘉 慶17年 と 一 致 す る 。 年 号 は 正 し い が 西 暦 が 誤 っ て い る (一 八 一 二)と 改 め た い 。 P768/中/4/と う せ き じ ょ[郡 ・石 如](清 ・乾 隆 八 ∼ 嘉 慶 一 〇1743∼ 1805) … … ま た 最 も 名 山 水 に 遊 ぶ を 好 み、 か っ て 一 節 一 笠 百 里 を 肩 行 李 走 し、 自 ら号 し て 笈 遊 山 人 と号 し た 。 … …
文林 三十七号
きょう筍 の 字形 は字 典 に見 え な い。 類 似 の 字 形 に 笥 が あ り 「
竹 の杖 」 の意 な の で
文 脈 も通 る。 笥 が正 しい用 字 と考 え る。 誤 字 誤 植 で あ ろ う。
P768/下/4/と
うせ ん ぞ うぞ う き 「
董 宣 造 像 記 」
北 斉 の 天統 四年(五 六 九)の 刻 、 … …
天 統4年
は西 暦568年 、 西 暦569年 は 天 統5年
で あ る 。 本 書 掲 載 の 拓 図 に
「
天 統 四 季(年)」
の刻 が 見 え る。 ま た 図 解 書 道 史 ・第2巻P385に
仏 像 と
造 像 記 の拓 図19)が あ り同 年 の 刻 が 認 あ られ る。 更 に 同書 第5巻
の別 刷 ②
の 年 表P18に 、568年(戊
子)北 斉 天 統4年
正 書 ・董 宣 造 像 記 とあ る。 年
号 の 天統4年
は正 しいか ら本 項 の西 暦 は(五 六 八)と
改 め た い 。但 し本 書
附 録P1051の 中 国 書 道 史 略 年 表 で は569年 に本 造 像 記 を 記 載 して あ り釈 然
と しな い。
P770/下/19/と
うち ん か ん さつ ぼ し こ う 『
唐 陳観 察 墓 誌 考 』 一・
巻
清 の鄭 悉 撰 。 … …乾 隆 六 年(一 七 九 五)注 韓 居 写 刻 本 が あ る。
乾 隆6年
は西 暦1741年 、
西 暦1795年 は乾 隆60年 で あ る。 年号 、西 暦 の ど ち ら
が 正 しい のか 要 調 査 で あ るが 現 在 の と ころ資 料 不 足 の た め確 認 で き な い。
P784/中/9/と り ゅ う[屠 ・隆](明) 郵 県 の 人 、 … … 万 暦 五 年(一 五 七 七)の 進 士 、 … … 万 暦 一 二 年(一 五 八 四)護 に あ っ て 官 を 罷 め 、 郷 に 帰 っ て ま す ま す 詩 酒 に 沈 潜 し、 文 を 売 っ て 自 給 した 。 同 二 五 年(一 五 五 七)再 び 官 に 起 用 さ れ 、 晩 年 福 建 に 遊 ん だ が 、 幾 ば く も な く し て 卒 し た 。 … … -96「中国 書 道 辞 典 」 の正 誤 考 異(そ の1) 同 二 五 年 と い う こ と は 万 暦25年 だ か ら西 暦1597年 で あ る 。 西 暦1557年 は 嘉 靖36年 な の で 万 暦12年(1584)よ り後 年 の 事 情 を 記 述 す る の に よ り 以 前 の 年 に 戻 る の は 文 脈 上 不 自 然 で も あ る 。 西 暦 の 単 な る 誤 字 誤 植 で あ ろ う 。 一 五 五 七 は 誤 りで 一 五 九 七 が 正 し い 。 本 書 の 解 説 で は 屠 隆 の 生 卒 な ど 不 明 で あ る。 中 国 書 道 全 集 ・別 巻20)P132の 書 人 小 伝 の 同 項 目(藤 原 有 仁 解 説) に 、 明 ・嘉 靖21∼ 万 暦33(1542∼1605)… … 万 暦12年(1584)中 傷 さ れ て 辞 職 し、 … … の ち 再 び 官 途 に っ い た と も い う、 万 暦31年(1603)秋 、 再 び 福 建 に 遊 び 、 … … そ の 後 ま た 郷 里 に 帰 り ま も な く没 した と い う 。 … …(参 考 文 献 ・明 史 巻288、 「祭 屠 緯 真 先 生 文 」(『虞 徳 園 先 生 集 』 巻16)、 「列 朝 詩 集 小 伝 」 丁 集 上 、GoodrichFang;DictionaryofMingBiography・ P1324∼27)と あ る 。 P787/上/16/と ん こ う ど う ろ ん い ん 『敦 好 堂 論 印 』 一 巻 清 の*呉 先 声 著 。 … … 康 煕 二 六 年(一 六 六 七)成 る 。 … …
康 煕26年 は西 暦1687年 、 西 暦1667年 は康 煕6年 で あ る。 年 号 、 西 暦 の ど ち
らが正 しい の か 。 中国 印 学 年 表P24に 、1687康 煕26丁 卯 、 呉 先 声 撰 《
敦 好
堂論 印》 一 巻 とあ る。年 号 は正 し く西 暦 が 誤 って い る。一 六八 七 が 正 しい。
P790ノ中/13/な ん ぼ く し ょは うん 『
南 北 書 派 論 』
清 の*院 元 の書 論 。 … …書 は鍾 縣 ・衛 灌 をっ いで 、 西 晋 末 ま で は南 北 の
別 が な か った が 、西 晋 亡 ん で(六 一 六)、 王 導 が 鍾 縣 の 「
宣 示 表 」 を携 え、
江 を渡 って南 し、江 南 書 派 の祖 と な っ て か らこ の分 派 を生 じた とい う。… …
諸 年 表 に よ れ ば 西 晋 は西 暦265∼316年
で あ る。 西 暦616年 は陪 の大 業12年
で あ る 。 大 漢 語 林P1269の 西 晋 の 項 に 、 … … 四 代52年(265∼316)〔 文 献 通 考 、 帝 系 考 〕。 と あ る。 六 一 六 で は な く三 一 六 が 正 し い 。 P804/中/20∼22/ば くか ん ん ぼ し 「莫 簡 墓 誌 」 元 の 至 元 三 年(一 二 六 六)の 刻 、 … … ま ず 明 らか な 誤 植 と思 わ れ る ミ ス 。 読 み の 仮 名 に 「ん 」 が 一 っ 多 い 「ば く か ん ぼ し」 で あ る。 さ て 例 に よ って 年 号 と 西 暦 の 問 題 で あ る 。 元 の 至 元 三 年(一 二 六 六)の 刻 、 … … の 記 述 に っ い て 本 書 掲 載 の 拓 図 や 図 解 書 道 史 ・ 第4巻P322の 全 拓 図 を 見 る と確 か に そ の 冒 頭 に 「大 元 」 と あ り誤 り と は 言 い に く い が 、 本 書 附 録P1061の 中 国 書 道 史 略 年 表 に 、1264年 ・蒙 古 は 燕 京 を 大 都 と し 、 至 元 と 改 元 。 と あ りP1062に 、1271年 ・元 帝 国 成 立 。 と あ る 。 ま た 中 国 歴 代 年 表2ユ)P479に1266年 蒙 古 ・至 元3年 。P480∼481に 1271年 蒙 古 ・至 元 八 年 十 一一月 国 号 を 改 め 元 と い う(世 祖)。P501に1337 年 元 ・至 元3年(順 帝)と あ る 。 っ ま り 元 と 国 号 を 改 め た の は 蒙 古 世 祖 の 至 元8年(1271)11月 で あ る 。 そ して 後 、 順 帝 の 代 に も 至 元 が あ る 。 以 上 の こ と か ら 、 よ り正 確 に は 蒙 古 の 至 元 三 年(一 二 六 六)と し た 方 が よ い で あ ろ う 。 P821/下/18/は ん そ う は く と う ぞ う き ょ う だ い き 「播 宗 伯 等 造 橋 題 記 」 魏 の 泰 始 六 年(二 七 〇)の 刻 。 … …
泰 始 は魏 の 年号 で は な く西 晋 の 年 号 で あ る。 更 に言 え ば魏 は西 暦270年 よ
り前 の265年 に亡 ん で い る。 本 書 附録P1045の
中 国 書 道 史 略 年 表 の 西 晋 の
270年 に本 題 記 を 記 載 して い る。 図解 書 道 史 ・第2巻P184に
二 図版 、P193
-98一
「中国書道 辞典」の正誤考異(そ の 皿)
∼194に 解 説 が あ り西 晋 の 泰始6年(270)と
あ り、翁方綱 の 「両漢金石記」
を引 き南宋 の曼 表 釈 を否 定 、 晋刻 の正 しきを述 べて い る。 た だ 「金 石 葦 編 」
に は便 宜 上 この 刻 石文 を魏 の部 に記 載 して い る こ と も附 記 して い る。 拓 図
を見 る と泰 始 六 年 の始 の字 が残 欠 して判 然 と しな いた め 旧 説 に誤 釈 を生 じ
た よ うで あ る。 そ の他 、 中 国 書 道 全 集 ・第1巻22)P182の
郭 栄 章 氏 の 「
石
門十 三 品探 訪 補 遺 」。 定 本 書 道 全 集 ・
第4巻P193の
松井 如 流 氏 の解 説(Pl6
に 拓 図)。 中 国石 刻 大 観 ・資 料 編323)P6の
谷 難 氏 の解 説(村
上 幸 三 訳 、
P7に
精 拓 図)な
ど い ず れ も西 晋 の泰 始6年(270)説
を 採 って い る。 以
上 か ら、 西 晋 の泰 始 六 年(二 七 〇)と
し 「
金 石 葦 編 」 の記 事 に触 れ て補 い
とす れ ば よ い だ ろ う。
P823/中/8/は ん ど う と くぞ うぞ う き 「奨 道 徳 造 像 記 」 ① 北 魏 の 普 泰 二 年(五 三 二)の 刻 、 亡 父 母 の た め の も の 。 ・・… ・普 泰2年(532)の
年号 につ いて は前 稿P104の 韓 震 墓 誌 の 項 で 既 に触 れ た
が 、今 少 し説 明 を補 い た い。 と にか くこ の時 期 の北 魏 は東 西 分 裂 直前 の 混
乱 期 で 、普 泰2年 の年 号 に つ い て も、 そ の前 後 関 係 にっ いて もそ の状 況 は
い さ さか 複 雑 で あ る。 とい うわ け で少 し長 くな るが 理 解 を 助 け るた め に中
国 の歴 史 ・3・ 魏 晋 南 北 朝24)のP346∼347を
引 用 す る。
……528年 、宮廷 内部 で争 いをっづ ける孝 明帝 の党 は、爾朱栄 の軍 を洛陽
に進 駐 させ 、 これ と結 ぶ こ とに よ って、 胡 太 后 の党 を抑 え よ う と した。 爾
朱 栄 は高 歓 を 先 鋒 と して 洛 陽 に 向 か った が、 太后 の党 は、 そ の進 駐 前 に帝
を毒 殺 した 。 しか しそ れ は 、 爾朱 栄 に 政 権干 渉 の 口実 を与 え る こ と に な っ
た。 か れ は先 帝 す な わ ち宣 武 帝 の 従 弟 に あ た る元 仮 を孝 荘 帝(528∼530在
一99一文林 三十七号
位)と
して 擁 立 し、 洛 陽 に進 駐 して、 乱 脈 を き わ め た 胡 太 后 と そ の一 派 を
捕 らえ て、 その 罪 を問 うて、 これ を黄 河 に投 げ込 ん だ 。 彼 は さ らに洛 陽 の
腐 敗 した政 界 を刷 新 しよ う と意気 ごん で、 皇 族 や 朝子 二 千 人 以 上 を河 陰 に
虐 殺 した。
この暴 挙 は、 爾 朱 氏 に対 す る反 発 を 朝野 にま きお こ し、 爾 朱 栄 に擁 立 さ
れ た孝 荘 帝 自身 が 腹 にす え か ね て 、 お りあ らば これ を殊 殺 しよ う とね ら う
ほ どで あ った。 しか し強 力 な軍 隊 を 率 い た 爾 朱 栄 は、 東 方 で は葛 栄 の勢 力
を粉 砕 し、 南 で は、 一 時 洛 陽 に侵 入 して き た南 朝 梁 の軍 隊 を撃 退 し、 西 は
関 中 を平 定 して、 孝 荘 帝 に禅 譲 を迫 る け は い を示 して きた。
530年 、 爾 朱 栄 が 参 内 す る機 会 を と らえ て 、 帝 はっ い に これ を 諌 殺 し、
同 時 に、 河北 各 地 の豪 族 た ち に決 起 を うな がす た め の使 者 を派 遣 した。 こ
れ に対 し、 爾朱 栄 の甥 爾 朱 兆 は報 復 の軍 を お こ して洛 陽 に侵 入 し、 そ の年
の う ち に帝 を 殺 して 、 他 の皇 族 を皇 帝 に擁 立 した。 この動 き に対 して 、 渤
海 郡 の高 乾 兄 弟 を は じめ、 同郡 の封 氏 、 萢 陽 の 盧氏 、趙 郡 の李 氏 な ど、 河
北 各 地 の名 族 はそ れ ぞ れ 郷 里 に兵 力 を結 集 し、 た が い に連携 しなが ら、 爾
朱 氏 に対 す る反 抗 運 動 に立 ち あが った。
こ の と き、 爾 朱 氏 の部 将 と して 、 もと の北 鎮 の反 民 二 十 万 あ ま りを統 率
して い た高 歓 は、 食 料 調 達 を名 目 と して、 部 下 と と も に東 方 に移 動 し、 信
都(河 北 省 翼 県)に 迫 っ て き た。 すで に信 都 を 占領 して い た高 乾 ら河 北 の
名 族 た ち は、 高 歓 が爾 朱 氏 か ら独 立 す る意 図 を もっ こ とを 察 知 した。531
年 、 両 者 の連 携 が成 立 し、 北 魏 帝 室 の ひ と り元 朗 を推 戴 して、 そ の も とに
連 合 政 権 を樹 立 した。
そ の翌 年 、 高 歓 らの連 合 軍 は鄭 を 占 領 した。 爾 朱 兆 らは これ を討 滅 す る
た め に、 二 十 万 と称 す る大軍 を 各地 か ら鄭 の 周辺 に 雲集 させ た 。両 軍 の 勝
一100一
「中国書道辞典」 の正誤考異(そ のH)
敗 は鄭 の郊 外 、 韓 陵 山 の戦 い にお いて 決定 した。 大 敗 した 爾 朱 氏 は、 もは
や磨 下 の諸 軍 に対 す る統 制 力 を ま っ た く失 った。 旧 北鎮 反 民 系 の諸 軍 は、
か ね て爾 朱 氏 とそ の部 族 の横 暴 に不 満 を っ の らせ て いた か ら、 こ の大 敗 を
機 と して、 逆 に爾 朱 氏 を繊 滅 しは じめ たの で あ る。
爾 朱 氏 が 洛 陽 で 繊 滅 さ れ た の ち入 城 した 高 歓 は、 爾 朱 氏 の 立 て た 皇 帝
(前 廃 帝)も
、 自分 た ちが 信 都 に お い て擁 立 した皇 帝(後
廃 帝)も
、 と も
に廃 位 に処 して、 新 た に元 脩 を帝 位 につ けた。 これ を孝 武 帝(532∼534在
位)と
い うが、 実 権 は爾 朱 氏 の手 か ら高 歓 にか わ った だ けで あ って 、 北 魏
帝 国 は爾 朱 栄 が実 権 を握 っ た と きか ら、 す で に事 実 上 は消 滅 して い た ので
あ る。 … …
も う一 っ の 資料 は書 道 全 集 ・第6巻 、P205の 年 表(外
山軍 治 作 成)か
ら
で あ る。
528年(武 泰1)2月25日
、 北 魏 の太 后 胡 氏 が 孝 明 帝 を 毒 殺 させ た。
27日 、 太 后 が 臨 汝 王 の世 子 釧 を 帝 位 につ け た。
3月 、 爾 朱 栄 が 君 側 の好 を除 くこ と を名 と し、 長 楽 王 子 仮
と通 じ、 晋 陽 を発 した。
4月 、 爾 朱 栄 が河 陽 に至 り、11日 河 を渡 り子 仮 を帝 位 にっ
け た(孝 荘 帝)。 霊 太 后 お よ び釧 を 河 に沈 め、 自 ら
都 督 中外 諸 軍 事 、 太 原 王 と な り、 洛 陽 に入 った。
4月14日 、 改 元(建 義1)
5月 、 爾 朱 栄 が晋 陽 に還 った。
9月 、 爾朱 栄 が葛 栄 を捕 らえ た。爾 朱 栄 が 自 ら大丞 相 とな っ
た。
文林 三十七号
9月21日 、改 元(永 安1)
529年(永 安2)
530年(永 安3)9月
、 爾 朱 栄 が 洛 陽 に至 り、 元 天 穆 と と も に誹 せ られ た。
10月 、 僕 射 爾 朱世 隆 が 叛 き、 扮 州 刺 史 爾 朱 兆 と と も に、30
日東海 王 曄 を推 し山西 の長 子 で帝 位 につ けた(敬 帝)。
同 日改 元(建 明1)
12月 、爾 朱 兆 が洛 陽 に入 り、 敬 宗 を捕 らえ て晋 陽 に移 して
これ を殺 した。
531年(建 明2)2月29日
、爾 朱世 隆 らが 東 海 王 暉 を 廃 し、 広 陵 王 恭 を 帝 位
にっ けた(節 聞 帝 、 前 廃 帝)。
同 日改 元(普 泰1)
6月 、 翼 州 刺 史 高 歓 が 兵 を起 こ して爾 朱 氏 を撃 った。
10月 、 章 武王 融 の子渤 海 太 守 元 朗 が 高歓 に擁 せ られ 、6日 、
信 都 城 西 で帝 位 につ い た(出 帝 、 後 廃 帝)。 中興 と
改 元 した。高 歓 が 丞 相 と な った。
532年(普 泰2、
中興2)
3月 、 出帝 が 鄭 に移 っ た。
4月 、 爾 朱 世 隆が 捕 殺 さ れ た。 高 歓 が 洛 陽 に入 り、 帝 恭 お
よ び帝 朗 を廃 し、24日 平 陽王 脩 を帝 位 にっ け(孝 武
帝)、 自 ら大 丞 相 と な っ た。 太 昌 と改 元 。
5月 、 廃 帝恭 を殺 した 。
7月 、 高 歓 が爾 朱 兆 を 敗 走 させ 、 晋 陽 に拠 った 。
11月 、 廃 帝 朗 、 東 海 王 暉 を殺 した。
12月28日 、 永 興 と改 元 。
-102一
「中国書道辞典」の正誤考異(そ の皿)
同 日、再 び永 煕 と改 元 。
533年(永
煕2)
この 二 っ の資 料 を も とに年 号 、 西 暦 を簡 略 に表 に して み る と以 下 の よ う に
な る。
高 歓 一 朗(出帝、後廃帝)高 歓 入 洛 一 脩 即 位(孝 武帝) 10/6中 興1中 興24/24太 昌112/28同 日塑ニ ト_[茎
㌧
建 明22/29普 泰1普 泰2 爾 朱 氏 一恭(節 聞帝、前廃帝)訴
ド
永
配
丁
ト
永
早
二
っ ま り北 魏 に お い て531年10月6日
か らそ の 年 末 まで 普 泰1年
と中 興1年
が 、532年 々 初 か ら4月24日
ま で普 泰2年
と中 興2年 が 併 存 して い た の で
あ る。
P826/上/18∼20/ひ
が し と る きす たん させ き し ゅっ どか ん ぶ ん ぶ ん き 『
東
トル キ ス タ ン沙 磧 出土 漢 文 々 記 』
仏 の シ ャ ヴ ァ ンヌ編 著 。 ス タイ ンの第 二 回 中央 ア ジア探 検 に よ っ て採 集
した 木簡 及 び 古文 書 を整 理 し、 図版 を主 と し考 釈 を附 した もの。 全 体 を三
編 に分 ち 、第 一 編 に七 二 〇点 、 第 二 編 にニ ニ 九 点 、 第 三 編 に四 〇 点 、 計 九
九 一 点 を 収 め て い る 。 … … 本 項 記 述 の3編 の 合 計 は989点 で991点 に は な ら な い 。 ど の 数 値 が 正 し い の か 誤 っ て い る の か 。 図 解 書 道 史 ・第2巻P50に 、 … … 第 一 編 に は第1よ り 第709に 至 る709片 、 外 に 紙 片 の 唐 代 に 属 す る も の11。 第 二 編 に は 第721より に950至 る229片 。 第 三 編 に は951よ り991に 至 る40片 、 す べ て991片 を 収 め て い る が 、 … … と あ る 。 個 々 の 数 値 を 正 確 に 計 算 す る と 第 二 編 は229片 で は な く230片 が 正 し い 。 第 三 編 も40片 で は な く41片 が 正 し い 。 い ず れ も 単 純 な 計 算 間 違 い で あ る 。 そ し て こ れ ら の 正 し い 数 値 を 合 計 す る と991片 と な り こ の 数 値 は正 し い 。 よ っ て 本 項 の 記 述 は 、 … … 第 二 編 に 二 三 〇 点 、 第 三 編 に 四 一 点 、 計 九 九 一 点 を 収 め て い る 。 と改 め る必 要 が あ る 。
P827/上/6/び
くせ い どぞ うぞ う き 「
比 丘 静 度 造 像 記 」
北 魏 の普 泰 二 年(五 三 二)の 刻 、 … …龍 門 五十 品 の 一 、 そ の 蓮華 洞 に 現
存 す る。
前 出、 はん ど うと くぞ うぞ う き 「奨道 徳 造 像 記 」 の 項 参 照 。
P839/中/23/び
ょ うど う じひ 「
平 等 寺 碑」
北 斉 の武 平 三 年(七 五 二)の 刻 。 … … 便 師県 西 義 井 舗 北 に現 存 す る。
北 斉 の武 平3年
は西 暦572年 、 西暦752年 は唐 の天 宝11年 で あ る。 北 斉 は6
世 紀 後 半(550∼577)の
王 朝 で あ るか ら572年 が 正 しい で あ ろ う。 ま た本
書 附 録P1051の 中 国 書 道 史 略 年 表 の 北 斉572年 に 本 碑 の記 載 が あ る。 西 暦
752年 は単 な る誤 記 誤 植 と思 わ れ る。 しか し他 の 資料 に よ って そ の正 誤 を
検 証 す る必 要 が あ る。 本 項 に現 存 す る とあ るの で 本碑 の 拓 本 な い しそ の 図
版 をみ る こ とが で きれ ば よ い の だ が 、現 在 資 料 に当 た る こ とが で きな い の
で 確 認 にっ いて は今 後 の課 題 で あ る。
一104一「中国 書 道 辞 典 」 の正 誤 考 異(そ のH) P849ノ 中/18/ぶ き ゅ う け ん へ い こ う く り だ ん ぴ 「母 丘 倹 平 高 勾 麗 断 碑 」 魏 の 正 始 年 間(二 四 〇 ∼ 二 四 八)の 刻 。 … … 「こ う く り」 な ら ば 「句 」 が 正 し い 勾(こ う)で は な い 。 中 国 石 刻 大 観 ・ 資 料 編2のP241に 全 拓 図 が あ り、 正 し く句 の 字 形 が 刻 さ れ て い る 。 誤 植 で あ ろ う。 本 書P541の 正 始 石 経 の 項 に 、 … … そ の 正 始 年 間(240∼249) に 、 ・… ・・と あ り、 東 方 年 表 のP153に も正 始(魏)240∼249と あ る。 ま た 書 道 全 集 ・第3巻25)P206の 年 表(外 山 軍 治 作 成)に よ る と 、 正 始 は249 年4月8日 の 改 元 ま で10年 そ の 後 は 嘉 平1年 と な る 。 よ っ て(二 四 〇 ∼ 二 四 九)と 改 め た い 。 P852/下/20/ふ ざ ん[傅 ・山](明 ・万 暦 三 五 ∼ 清 ・康 煕 二 九1607∼1684) 卒 年 の 康 煕29年 は 西 暦1690年 、 西 暦1684年 は 康 煕23年 で あ る 。 書 道 全 集 ・ 第21巻26)P179の 書 人 小 伝 の 同 項 目(中 田 勇 次 郎 解 説)27)に 、 明 ・萬 暦35 ∼ 清 ・康 煕23(1607∼1684)… … 、 と あ り そ の 卒 年 を 康 煕23年(1684)と して い る。 同 説 に 定 本 書 道 全 集 ・第13巻 、P172(眞 田 但 馬 解 説)。 中 国 書 道 全 集 ・第8巻 、P178(石 田 肇 解 説)。 中 国 歴 代 年 譜 総 録28)P211な ど が あ る 。 しか し大 漢 語 林P101の 同 項 で は1605∼1690(清 史 稿506)と あ り、 歴 代 人 物 年 里 碑 傳 綜 表29)P496の 同 項 に は 、 明 ・神 宗 万 暦35∼ 清 ・聖 祖 康 煕29(1607∼1690)(全 祖 望 曲 陽 傅 山 先 生 事 略 、 薙 從 丁 宝 全 ・傅 山 先 生 年 譜)と あ り、 生 卒 に っ い て 異 説 が 存 在 し本 書 の 記 述 と一 致 す る 部 分 も あ る 。 こ こで は 多 数 説 の 明 ・万 暦35∼ 清 ・康 煕23(1607∼1684)に 従 い そ の 卒 年 は 康 煕 二 三(1684)を 採 る が 、 異 説 の 考 察 に っ い て は 未 着 手 で あ る 。
文林 三十七号
P853/下/9∼10/ぶ
し し[武 氏祠]
武 氏 一 族 の廟 墓 。 … … っ いで 同 治一 〇年(一
八 六 三)軒 韓華 が 数 石 を訪
得 、 また光 緒 六 年(一 八 八 〇)に
も数 石 が 出 土 し、 前 後 を 合 す れ ば か な り
移 しい数 に上 っ たが 、 『金 石 録 』 に著 録 され て い て 当然 あ るべ き 「従 事 武
梁 碑」 「
呉 郡 丞 開 明碑 」 は つ い に姿 を見 せ な か った。 … …
同 治10年 は西 暦1871年 、 西 暦1863年 は 同 治2年 で あ る 。 図 解 書 道 史 ・第1 巻P367に 、 … … 更 に 同 治 十 年(1871)に 軒 韓 華 が 何 餓 の 一 石 、 及 び 祥 瑞 画 像 二 石 を 得 、 … … と あ る 。 年 号 は 正 し く西 暦 が 誤 って い る 。 同 治 一 〇 年 (一 八 七 一)と 改 め た い 。 P855/中/21∼22/ふ ぞ う し ょ う[傅 ・増 湘](清 ・光 緒 一 一 ∼?1872∼?)光 緒11年 は西 暦1885年 、 西 暦1872年 は同 治11年 で あ る。 年 号 、 西 暦 の ど ち
らが 正 しい の か大 漢 和 辞 典 ・巻1、P887に
同 項 目が あ る が生 卒 につ い て
の記 述 は な い。 現 在 、他 の 資料 を得 られ な いた め確 認 で きな い。
P860/上/16/ふ
りん ひ 「
符 燐 碑 」
唐 の開 成 三 年(八 三 八)の 刻 。 李 宗 閾 撰*柳 公 権 の書 、正 書 三 一 行 ・行
六 二 字 。 … …立 碑 の年 月 は な いが 、 王 艇 は柳 公 権 の官 街 な ど に よ っ て考 証
を か さ ね、 開 成 三 年 と定 め て い る。 本 書 は と りあ え ず こ れ に 従 っ た が 、
r金 石 文 字 記 』 は大 和 七 年 説 を と って い る。 そ の他 諸 説 が あ る。 今 は 陳 西
富平 県 の儒 学 に保 管 さ れ て い る。
一106一「中国書 道辞典」の正誤 考異(そ の]1)
この 時 期 に大和 の年 号 は な い。 西 暦827∼835年 に太 和 年 間 が あ り恐 ら く こ
れ を 指 す と思 わ れ る。 単 な る誤 字 誤 植 で あ ろ う。 大 で はな く太 が 正 しい。
P867/下/17/へ
い けっ しき 《
平 閾式 》
文 書 を書 く場 合 、 文 中 に尊 敬 す べ き字 や語 が あ る時 、 これ に対 しあ る特
別 な書 きあ らわ し方 をす る方 法 で あ る。 天皇 ・皇 后 そ の 他 皇室 の 語 が 出 る
時 は、 必 ず行 を改 めて 書 く こと、 す な わ す 平 出 し、詔 書 ・天 恩 ・慈 旨 ・東
宮 な ど これ に類 す る語 が あ る時 は、 そ の 前 一・
字 を あ けて書 く、 す な わ ち 閾
字 とす る こ と、 以 上 二 事 をふ くめて い うの で あ る。 ・
・
… ・
「す な わす 」 で は文 意 が 通 らな い。 「
す なわ ち」 の誤 植 か と思 わ れ る。
P873/下/5/べ
ん し し ょ じゅ く し ょけ ん じょ う 『
辮 志 書 塾 所 見 帖 』 正 続 二
冊
清 の*李 兆 洛 墓 刻 。 明 人 の 手 跡 を集 刻 した もの 、正 編 は趙 南 星 ほ か二 七
人 、 続 編 は獅 元 標 ほか 一 三 人 、 す べ て 四〇 家 の書 を集 め て い る。 随 見 随墓
に な る もので 、 時 代 は前 後 して い る。 道 光 一 四年(一 八 三 三)刊 行 。
道 光14年 は西 暦1834年 、 西 暦1833年 は道 光13年 で あ る。 年 号 、 西 暦 の ど ち
らが 正 しいの か 。 現 在 、 資料 を得 られ な い た め確 認 で きな い。
P878/下/22/ぼ う げ ん れ い[房 ・玄 齢](後 周 ・宣 政 一 ∼ 唐 ・貞 観 二 二 578∼648)・ ・・…各 種 年 表 に よ れ ば宣 政 は西 暦578年 一 年 だ け の 北 周 の年 号 で あ る。 後 周 の
文林 三十七号
国号 は10世 紀 中期 の五 代 の もの で南 北朝 時 代 の 方 は北 周 とす るの が 通 例 で
あ る。 南 北 朝 時代 の後 周 の 例 が 皆 無 とい うわ けで は な いが 混 乱 を避 け る た
め に は北 周 と した ほ うが よ いだ ろ う。
P885/上/20/ぼ う し ょ う し ょ う[彰 ・紹 升](清 ・乾 隆 五 ∼ 嘉 慶 一1740 ∼1796) 長 洲 の 人 、 字 は 允 初 、 尺 木 ま た 知 帰 子 と号 し た 。 乾 隆 三 四 年(一 七 六 五) の 進 士 、 書 道 に 長 じ、 古 文 を 工 み に し た 。 ・・… ・乾 隆34年 は西 暦1769年 、 西 暦1765年 は乾 隆30年 で あ る。1765、69年 と もに
会 試 は実 施 され て い る。 大 漢 和 辞 典 ・巻4、P803に
同 項 目が あ る が 何 年
の 会試 合 格 か は記 述 が な い。 現 在 の と ころ他 に資 料 を得 られ な い た め確 認
で きな い。
P890/下/21/ぼ
うたん ぼ し 「
暴 誕 墓 誌 」
北 周 の武 定 元 年(五 七 〇)の 刻 、 楷 隷 書 二 六 行 ・行 二 六 字 。 … …磁 県 西
南 の 田荘 村 出土 、 磁 県 金 石 保 存 所 に現 存 す る。
北 周 に武 定 の年 号 はな い。 この年 号 は東 魏 の もの で 武 定 元 年 は西 暦543年
で あ る。 西 暦570年 は北 周 の 天 和5年
で あ る。 書 道 辞 典 のP739の 同 項 目
(赤井 清 美 解 説)に 、 北 周 ・武 定1年(561)…
… とあ るが、 こ れ も年 号 と
西暦 が一 致 しな い。 本 項 の記 述 に磁 県 の 出土 とあ り、 この地 は東 魏 、 北 斉
の地 で あ る。 出土 地 を重 視 す る な ら東 魏 ・武 定1年(543)か
北 斉 ・武 平
1年(570)の
ど ち らか とな る。 資 料 の 入 手 に困 難 は あ った が 最 近 よ うや
く 「漢 魏 六 朝 墓 誌 集 繹 」(北 京 科 学 出版 社 刊 、 可 成 り以 前 と思 わ れ る が 発
一108一
「中国 書 道 辞 典 」 の正 誤 考 異(そ の 皿) 行 年 月 日 、 編 著 者 は 不 明)に 当 た る こ とが で き た 。 墓 誌 の 蓋 と 銘 の 図 版 お よ び 解 説 が あ り 、 そ れ に よ る と1930年 春 の 出 土 、 誌 高65.7× 幅67.5cm、 誕 は 北 魏 の 孝 昌1年(525)7月10日 に 卒 し、 北 斉 の 武 平1年(570)5月9 日 に 葬 られ た こ と が 判 明 した 。 よ っ て 、 北 斉 の 武 平 元 年(五 七 〇)の 刻 、 と 改 め た い 。 P892/中/11/ほ う ぼ う[豊 ・坊](明) 郵 県 の 人 、 一 名 道 生 、 字 は 存 礼 、 人 叔 ま た 人 翁 ・南 禺 外 史 と号 し た 。 嘉 靖 二 年(一 五 二 四)の 進 士 、 吏 部 主 事 に 官 し た が 、 事 に よ っ て 通 州 同 知 に 諦 さ れ 、 の ち 許 さ れ て 帰 家 し た 。 … …
嘉 靖2年 は西 暦1523年 、 西 暦1524年 は嘉 靖3年 で あ る。 中 国 書 道 全 集 ・別
巻 の 書 人 小 伝P136に 同項 目(藤 原 有 仁 解 説)30)が あ り、 明 ・弘 知5∼
万
鷺
繍 暮1臆欝 織 諭1衆
糠
(1523)の 進 士 、 … …(萩 信 雄 解 説 、 参 考 文 献 ・明 史 巻191)と あ る 。 よ っ て 年 号 は 正 し い が 西 暦 は 誤 っ て お り一 五 二 三 と 改 め た い 。P893/上/24/ほ
うや ど う こ くせ き 「
褒 斜 道 刻 石 」(P892よ
り)
… … これ ら刻 石 中 最 も著 名 な もの に左 記 が あ る
。
▽ 六 六 年(漢
・永 平 九)開 通 褒斜 道 刻 石 、
▽ 一 四 八 年(〃 建和 二)石
門 頒、
▽ 一 五 五年(〃 永 寿 元)李 君 通 閣 道 頒 、
▽一 七 二 年(〃 建 寧五)
邨 閣頒 、
▽ 一 七 三年(〃 烹 平二)楊 准 表 記 、
▽ 二六 三 年(魏
・景 元 四)
李 苞 開 閣道 題 記、
▽二 七 〇年(〃 泰 始 六)溜
宗伯 等 造 橋題 記 、
▽ 二 八
文林 三十七号
○年(晋
・太 康 元)修 桟 道 記 、
▽ 五 〇 九 年(北 魏 ・永 平 二)石 門 頒 、
O-・ 一九 四年(南 宋 ・紹 煕 五)山 河 堰 落 成 記 。
前 出 、 はん そ うは くと うぞ う き ょうだ い き 「
播 宗 伯 等 造 橋題 記 」 の項 参 照 。
泰 始 は西 晋 の年 号 で あ る。
P894/下/7/ぼ
くえ ん い か ん 『墨縁 彙 観 』 六 巻
清 の松 泉 老 人撰 、 法 書 ・名 画 の二 部 よ り成 り、 そ の収 蔵 品 を解 説 した も
の。 …… 法 書 ・名 画 の両 部 に そ れ ぞ れ乾 隆 七 年(一 七 四三)の
自序 に 松 泉
老 人 の題 署 が あ る。 尋雅 堂 叢 書 本 に は光 緒 元 年 の伍 紹 巣 の祓 が あ り、 撰 者
松 泉 老 人 の何 人 な るか を 考証 して い るが、 遂 に定 む る と ころ な く、 撰 人 不
詳 と して い る。 光 緒 二 六 年(一 九 〇〇)端
方校 本 出 ず るに及 び、 そ の 端 序
に お い て 「
墨縁 彙 観 は安 麓 邨(安 岐)の 著 す と ころ な り」と断 定す る に い た っ
た。 今 日に お い て は*安 岐 と定 め て ほ とん ど これ を 疑 う もの が な い 。 … …
乾 隆7年
は西 暦1742年 、 西 暦1743年 は乾 隆8年 で あ る。 本 書P3の
安 岐 の
項 に、 … …著 に 「
墨 縁 彙 観 」 六 巻 が あ る。 ち な み に残 年 明 らか で な いが 、
同書 の 自序 に よ って、 乾 隆八 年(一 一七 四三)六 〇 歳 で あ った こ とが 知 られ
る。 と あ り、 本 書 附 録P1066の 中 国 書 道 史 略 年 表 に も、1743・ 安 麓 村 「
墨
縁彙 観 」 とあ る。 よ って本 項 の記 述 は、 … …乾 隆八 年(一 七 四 三)の
自序
に … … と した い。 しか し、 書 道 全 集 ・別 巻1のP194の
年 表(中
田勇 次郎 、
平 野顯 照 作 成)に 、1742乾 隆7年 安 岐 が 墨 縁 彙観 を著 した。 と あ りい さ さ
か 判 然 と しな い。 著 が成 った の が 乾 隆7年 で 自序 は8年
と考 え られ な く も
な いが 、 現在 と ころ他 の 資料 を 得 られ な い ため 確認 で きな い。
一110一「中 国 書 道 辞 典 」 の 正 誤 考 異(そ のH) P904/上/3/ほ っ か い お う た い ひ こ う ぞ う ぞ う き 「北 海 王 太 妃 高 造 像 記 」 北 魏 の 太 和 年 間(四 七 七 ∼ 五 〇 〇)の 刻 。 … …
前 稿P102の
「
解 伯 達 造 像 記」(本 書P101/中)で
本 項 と同 じ北 魏 の 太 和 年
間 にっ いて 、 諸 年 表 によ り太 和 は23年(499)ま
で で 西暦500年 は景 明1年
に改 元 され て い る こ とを以 て太 和 年 間 を西 暦477∼499と
した。一 般 的 に は
これ で 誤 りで はな い が厳 密 に は もう少 し説 明 を 補 わ な けれ ば な らな い。 書
道 全 集 ・第6巻
のP208の 年 表(外
山軍 治 作 成)に
よ る と景 明 へ の 改 元 は
西 暦500年 の1月5日
で あ る。 つ ま り4日 間 の太 和24年 が西 暦500年 に存 在
す る。 年 初 の 僅 か4日 間 だか ら実 質 的 に は取 る に足 り な い もの か も しれ な
いが 太 和 の年 号 が西 暦500年 に存 在 す る歴 史 的 事 実 に は 違 い な い。 よ って
本書 の 、 北魏 ・太 和 年 間(四 七 七 ∼ 五 〇 〇)の 記 述 は誤 りで は ない。 む し
ろ厳 密 な 意 味 で正 確 で あ る。 しか し一般 的 な年 表 で 照 合 す る と前 述 の認 識
しか得 られ な い。
P911/下/8/み
んが ろ く 『
明 画 録 』 八 巻
清 の徐 沁 撰 、 明 代 の 画 人数 百 家 を挙 げ、 小 伝 を か か げ、 短 評 を附 した も
の。 当時 の画 人 は多 く書 家 で もあ るの で、 書 家 の 経 歴 を知 るに は重 要 は 資
料 と な る。 … …
単 な る 誤 字 誤 植 で あ ろ う。 文 脈 か ら 「は」 で は な く 「な 」 に 改 め た い 。P917/下/18/も
う こ うて い 「
毛 公 鼎 」
西 周 時 代 の 古銅 器 、 道光 年 間 に陳 西省 岐 山 県 か ら出土 した もの、 通 高 三
五 ・八 セ ンチ 、 口径 四 七 ・九 セ ンチ 、現 存古 銅 器 中 で銘 文 最 も多 く、 四 九
文林 三十七号
九 字 を三 二 行 に配 置 して い る。 … …
商 周 青 銅 器 銘 文 選 ・三32)のP316の 毛 公 鼎 の 項 に 、 … … 高53.8、 口 径47.9 c皿… … と あ る 。 中 国 青 銅 器 全 集 ・第5巻33)の 図 版 説 明P10に 、 通 高53.8、 口 径47.9c皿 と あ る。 ま た 、 ヴ ィ ジ ュ ア ル 書 芸 述 全 集 ・巻134〕 のP91の 解 説 も 高 さ53.8cmと 同 様 で あ る 。 本 項 の 記 述 は 数 字 が 入 れ 替 わ っ て い る と こ ろ か ら見 て 明 ら か に 誤 植 と思 わ れ る 。 通 高 五 三 ・八 セ ン チ 、 と改 め た い 。P918/中/13/も
うせ ん ざん ぴ 「
孟 壬
旋残 碑 」
漢碑 と推 定 され る もの。 光 緒 二 七 年(一 九 〇 一)九 月 、 雲 南 の昭 通 か ら
出土 、 郡 人謝 崇基 が 陰 に践 を刻 し、 昭 通 城 内鳳 池 書 院 に移 置 した。 上 戴 を
欠 き、 隷 書一 五行 ・行 ニ ー 字 を存 す 。 隷 法 古 撲 遁 勤 、 雲 南 唯 一 の漢 碑 と し
て 、 そ の 出現 は甚 だ重 視 され るが、 な お漢 碑 中 で も注 目さ るべ き もの の 一
で あ る。 年 紀 を侠 して い るが、 漢 碑 た る こ とは書 風 か ら見 て論 な く、 楊 守
敬 は東 漢 の 始 め桓 和 の 頃 な らん と いい 、羅 振玉 は前 漢 の 河平 四年 説 を た て
て い る。
楊 守 敬 説 の 桓 和 は 後 漢 の 桓 帝 の 和 平 年 間 を 指 して い る と考 え る と 西 暦150 年 頃 と い う こ と に な る 。 しか し東 漢 の 始 め(初 め?)と あ る か ら1世 紀 前 半 頃 に な り後 漢(東 漢)も 後 半 の 西 暦150年 頃 と は 時 期 が 合 わ な い 。 羅 振 玉 説 の 前 漢 の 河 平4年 は 西 暦 で は 紀 元 前25年 で あ る 。 中 国 書 道 全 集 ・第1 巻 、P93に 部 分 図 、P230∼231に 解 説35)が あ り、 後 漢 ・永 寿3年(157)、 碑 高140× 幅100c皿 、 雲 南 省 昭 通 市 鳳 池 書 院(現 、 昭 通 市 第 三 中 学)、 拓 本 20.3×14.5cm(部 分 拓)、 と あ る 。 ま た 、 中 国 石 刻 大 観 ・資 料 編236)P44 ∼47に 解 説(秦 公 、 萩 信 雄 訳)と 図 版 が あ り、 「孟 孝 王居碑 」 「孟 広 宗 碑 」 と 一112一「中 国 書 道 辞 典 」 の正 誤 考 異(そ のH) も 称 す る。 … … 永 寿3年(157)の 刻 。 と あ り、 近 年 の 研 究 成 果 に も と つ い て 「後 漢 の 永 寿3年(157)刻 」 と記 述 を 加 え た い 。
P919/下/15/も
う ほ う しひ 「
孟 法 師碑 」
唐 の 貞観 一 六年(六 四二)の 刻、 岸 文本 撰 、*楮 遂 良書 。 … … これ に よ っ
て み る に、 筆 者 四 二 歳 の作 、 今 見 られ る もの で 、 「
雁 塔 聖 教 序 」 な ど に み
る完 成 した 楮 法 と ちが い、 遣 麗 荘 厳 で、 「
伊 閾 仏 寵 碑 」 に似 て い るが 、 書
品 は こ の方 が 高 い。 … …
中 国 法 書 ガ イ ド33「 孟 法 師 碑 」37)のP10に 、 貞 観 十 六 年 ・四 十 七 歳 と あ る (角 井 博 解 説)。 定 本 書 道 全 集 ・第6巻38)P189∼190に 同 項(手 島 右 卿 解 説)の 記 述 が あ り 、 四 十 六 歳 と し て い る(満 年 齢 に よ る と 思 わ れ る)。 本 書P713、 楮 遂 良 の 項 に(晴 ・開 皇 一 六 ∼ 唐 ・顕 慶 三595∼658)と あ り 、 こ の 生 年 か ら算 出 す る と西 暦642年 は47歳(数 え 歳)と な る 。 歴 史 的 年 齢 は 数 え 歳 な の で 、 四 二 歳 は 誤 り で 四 七 歳 が 正 し い 。 P925/中/2/や り っ そ ざ い[耶 律 楚 材](南 宋 ・紹 煕 一 ∼ 元 ・太 宗 一 五 1190∼1243)・ … 一歴 代 人 物 年 里 碑 傳 綜 表P336に 、 金 ・章 宗 ・明 昌1(1190)庚
戌 ∼ 元 ・乃
馬 眞 氏 稻 制3(1244)甲
辰(元
史巻146、 擦 海 寧 王 静 安 先 生 耶 律 文 正 年 譜
訂 、 張 相 文 耶 律 文 正 公 年 譜)、 とあ り。 中 国 歴 代 年 譜 総 録P152に 、 金 ・明
昌元 年 ∼蒙 古 ・乃 馬 眞 后3年(1190∼1243)(耶
律 文 正 公 年 譜1巻 、(耶 律
文 正 公 年 譜 余 記1巻 、 王 国 維 編 ・海 寧 王 静 安 先 生 遺 書 本)、 も う一 っ 「
耶
律 楚 材 之 生 卒 年 」 陳 垣 ・北 京 学 報 第8期(1930年12月
出版)か
ら、 金 ・大
定29年(1189)∼ 乃 馬 眞 后3年(1243)を 示 し て い る 。 中 国 書 論 体 系 ・第 8巻39)P343の 書 人 小 伝 の 同 項 目(福 本 雅 一 解 説)に 、 明 昌 元 年 ∼ 太 宗15 年(1190∼1243)(参 考 文 献 、 元 史 巻146、 元 書 巻43、 宋 子 貞 ・耶 律 公 神 道 碑 、 張 相 文 ・湛 然 居 士 年 譜)。 書 道 全 集 ・第17巻 のP206の 年 表(外 山 軍 治 作 成 、 同 第16巻 ・中 国11・ 宋IIのP178に 同 年 表 あ り)か ら関 連 記 述 を 抜 粋 す る と、1229・ 太 宗1(己 丑)8月24日 、 蒙 古 の 窩 闊 台 汗 が 即 位 し た (太 宗)。(宋 ・紹 定2)。1231・ 太 宗3(辛 卯)8月 、 耶 律 楚 材 を 中 書 令 と した(∼ 太 宗12)。1240・ 太 宗12(庚 子)10月 、 耶 律 楚 材 正 書 、 贈 劉 満 詩 。 1241・ 太 宗13(辛 丑)11月 、 蒙 古 の 太 宗 が 崩 じ た(1186∼)。 皇 后 の 海 迷 失 が 代 わ っ て 政 治 を 行 っ た 。(宋 ・淳 祐1、1/1改 元)。1244・ 太 宗16(甲 辰)6月 、 耶 律 楚 材 が 没 し た(1190∼)。 と な る 。 ま た 、 中 国 歴 代 年 表 P472∼473に 、1241年 ・蒙 古 太 宗13年(辛 丑)11月 太 宗 姐 し第 六 后 乃 ち 馬 眞 氏 制 を 称 す 。1242年 ・馬 眞 氏 称 制1年(壬 寅)。1243年 ・馬 眞 氏 称 制2 年(癸 卯)3月 中 書 令 耶 律 楚 材 卒 す 。 と あ る 。 そ の 生 卒 に っ い て 不 一 致 は あ る が 彼 は 金 の 生 ま れ で あ る か ら生 年 に 南 宋 の 年 号 で は な く金 の 年 号 を 当 て た い 。 次 に 卒 年 に つ い て で あ る が 前 出 「莫 簡 墓 誌 」 の 項 で 述 べ た と お り 蒙 古 が 国 号 を 元 と改 め た の は 蒙 古 世 祖 の 至 元8年(1271)11月 で あ る。 そ の 卒 年 が 西 暦1243年 、1244年 の ど ち ら に せ よ1271年 以 前 で あ る か ら元 で は な く蒙 古 と し た ほ うが よ い。 しか し調 査 の 結 果 多 くの 課 題 が 残 る こ と に な っ た 。 生 年 に っ い て は圧 倒 的 に西 暦1190年(金 ・明 昌1)が 多 数 説 で あ る 。 卒 年 の 西 暦1243年 と1244年 の 二 説 に っ い て 、 そ の 正 誤 を 定 め る と こ ろ ま で 考 察 が 及 ば な い 。 更 に 西 暦1241年 太 宗 が 崩 じ そ の 後 の 年 号 表 記 に っ い て ど の よ う に 扱 え ば 最 も よ い の か 判 断 の 根 拠 が 得 ら れ な い 。 皇 后 が 称 制 し た 点 に っ い て は 諸 説 一 致 して い る も の の 、 中 国 の 資 料 で は 乃 馬 眞 、 日 本 の 資 料 一114一
「中国書道辞典」の正誤 考異(そ の11)
で は海 迷 失 、 馬 眞 と名称 が一 致 しな い。 同 一 人 格 を複 数 の 名 称 で 表 して い
る のか そ うで はな い の か、 ど の名 称 が 正 当 な もの なの か これ も判 断 の 根 拠
が 得 られ な い。 とい うわ け で誠 に安 直 だ が 現 在 の と こ ろ は本 項 の 記 述 に従
い、(金 ・明 昌一 年 ∼ 蒙古 ・太 宗 一 五(皇 后 称 制 三 年)1190∼1243)と
表 現 を 改 め るに と どめ て て お く。
P926/下/25/ゆ
うげ い しげん 『游 芸 屈言 』 二 巻
清 の*葉 徳 輝 撰。 書 画 の購求 収 蔵 な ど にっ いて の 心得 をの べ た もの。 … …
前 に宣 統 三年(一 九 一 一)の
自序 が あ る。 同 六 年 観 古 堂 刊本 ・郎 園 先 生 全
書 本 が あ る。
1911年10月(太
陽暦 、 本 項 以 下 同 様)の 武 昌 蜂 起 に始 ま った 辛亥 革 命 によ
り翌1912年1月1日
に は孫 文 を 臨 時 大統 領 とす る南 京 臨 時 政 府 ・中華 民 国
が 成立 、2月12日
宣 統 帝 は退 位 、 清 朝 は亡 び た 。 よ って 宣統 の 年号 は3年
ま で で あ る。 存 在 の な い宣 統6年 の 刊 本 とあ るが 、 まず この記 述 が正 確 か
誤字 誤 植 で は な いか が 確 認 で きな い。 次 に本 当 に6年 の 刊 本 な らば何 故 に
存在 しな い宣 統 の 年 号 を 使 用 した の か が解 らな い。 本 書P461∼462の
葉 徳
輝 の項 に、 彼 が変 法 運 動 に反 対 し、 変 法 失 敗 後 の 反 動 体 制 を 支持 し、1927
年農 民 運 動 高 揚 の 中 で 悪 徳 地主 と して 処 刑 され た。 と あ り 自 らの信 念 に も
とつ い て敢 えて 清 朝 の年 号 に固 執 した と も考 え られ るが そ の推 測 が正 しい
の か ど うか は確 認 で きな い。
P928/下/9/ゆ う ぼ う[尤 ・表](南 宋 ・建 炎 三 ∼ 紹 煕 五1129∼1194) 無 錫 の 人 、 字 は 延 之 、 遂 初 と 号 し た 。 … … 著 に 『遂 初 小 稿 』 『梁 渓 遣 稿 』が あ る 。
直 観 的 に語 彙 と して も遣 稿 は違 和感 が あ る。 書 道 全 集 ・第16巻40)P169の
書 人 小 傳 の 同項 に(中 田勇 次 郎 解 説)、 … … 詩 人 と して 楊 万里 、 陸 游 、 萢
成 大 とと もに南 宋 の 四大 家 の一 人 に か ぞ え られ、 そ の 作 は今 、 梁 渓 遺 稿 に
傳 え られて い る。 … … とあ り 「遺 」 が 正 し い。
P930/上/7∼8/ゆ け ん ご[庚 ・肩 吾](梁 ・?∼ 太 宝 三?∼552) 新 野 の 人 、 字 は 子 慎 ま た 慎 之 、 天 台 逸 民 と 号 し た 。 … … 書 を よ く し た 。 著 に*『 書 品 』 一 巻 『文 集 』 が あ り、 子 に*信 が あ る 。 書 道 全 集 ・第5巻41)P162の 年 表(外 山 軍 治 作 成)に よ る と 大 宝 の 年 号 は 2年(551)ま で で 同 年8月21日 に 改 元 、 天 正1年 と し、 西 暦552年11月12 日(東 方 年 表 で は10月)に 天 正2年 か ら承 聖1年 に 改 元 し て い る。 よ っ て 大 宝3年 は な い 。 歴 代 人 物 年 里 碑 傳 綜 表P88に 、 齊 ・武 帝 永 明5(487) ∼ 梁 ・簡 文 帝 大 宝2(551)65歳(梁 書 巻49附 庚 於 陵 伝 、 南 史 巻50附 庚 易 伝)と あ る 。 大 漢 語 林P472に 同 項 目 が あ り、487∼551(梁 書49附 庚 於 陵 、 南 史50附 庚 易 伝)と 生 卒 は 西 暦 だ け の 記 載 で あ る 。 書 道 全 集 ・第5巻 、 P155の 書 人 小 傳 の 庚 肩 吾 の 項42)で は 、?∼ 梁 ・大 宝 元?(?∼550?) と し卒 年 に つ い て は 書 断 を 引 き 、 あ る い は も う一 二 年 後 に 没 し た か も し れ ぬ 。 と補 述 し て い る 。 以 上 そ の 生 卒 に つ い て は 諸 説 一 致 し な い 。 卒 年 は 大 宝1年(550)?説 、 大 宝2年(551)説 、 西 暦562年(陳 ・天 嘉3)説 、 本 項 不 明 記 述(何 年 を 意 図 して い る の か 考 察 で き な い)説 、 と 四 説 。 生 年 に っ い て は 不 明 説 、 齊 ・永 明5年(487)説 、 も う一 説 は最 も 遅 い 卒 年 の 場 合 の 生 年 で あ る が 享 年65歳 と す る と 西 暦498年 と 計 算 で き る。 こ れ は 斉 116「中 国 書 道 辞 典 」 の正 誤 考異(そ のH) の 建 武5年 か 永 泰1年 に あ た る 。 以 上 三 説 と な る 。 さ て 本 項 の 記 述 を ど う 改 め る べ き か 、 生 年 に っ い て は 梁 代 の 可 能 性 は 小 さ い 。 卒 年 に っ い て は 多 数 派 の 大 宝2年(551)説 を 暫 定 採 用 す る 。 よ っ て(斉 ・?∼ 梁 ・大 宝 二 年??∼551?)と な る 。 P933ノ 下/19/よ う き そ ん[楊 ・游 孫](清 ・嘉 慶 一 八 ∼ 光 緒 七1813∼ 1881)・ ・… ・ 添 付 図 版 の 添 書 「楊 新 孫 ・双 幅 」 単 な る 誤 字 誤 植 で あ ろ う、 見 出 し に は 正 し く 「楊 折 孫 」 と あ る。 漸 で は な く折 が 正 し い 。
P948/中/22/ら
い ど うい いん 『
礼 堂 遺 印 』 二 冊
民 国 の*楮 徳 舞 笈 、張 魯 盒 ・秦 彦 沖 ・及 び楮 の子 楮 保 衡 共 編 。 楮 の刻 印
お よそ 百 方 を 収 む 。観 るべ き もの少 な くな く現 在 も尊 重 さ れ る。 民 国三 二
年(一 九 三 三)楮 保 衡 刊、 印行 四〇 部 とい う。
民 国32年 は 西 暦1943年 、 西 暦1933年 は 民 国22年 で あ る。 書 道 全 集 ・別 巻1、 P187の 年 表(中 田 勇 次 郎 、 平 野 顯 照 作 成)に1943・ 民 国32(癸 未)・ 松 窩 遺 印(楮 纂 、張 秦 編)と あ る。 中 国 印 学 年 表P93に 楮 徳 舞 生1871(同 治10) ∼ 、P166に 楮 徳 舞 卒 ∼1942(民 国31)、 と そ の 生 卒 年 の 記 載 が あ りP167の 1943(民 国32)の 項 に 、 張 魯 盒 、 泰 康 祥 輯 楮 徳 舞 刻 印 成 「松 窟 遺 印 」 二 冊 、 と あ る 。 い ず れ も 本 項 と書 名 が 異 な る が 本 書P714の 楮 徳 舞 の 項 に 、 … … 字 は 守 隅 、 松 窩 ま た 礼 堂 ・漢 威 ・里 堂 ・糟 遺 ・公 礼 な ど と 号 した 。 … … と あ り書 名 の 相 異 は 解 決 で き る。 ま た 遺 印 で あ る か ら楮 徳 舞 の 生 存 中 の1933文林 三十七 号
年(民 国22)の 刊 行 は不 自然 で あ り卒 年 っ ま り1942年(民
国31)以
後 の 刊
行 と考 え るべ きで あ る。 とす れ ば前 述 二 資 料 の1943年(民
国32)の
記 述 は
首 肯 で き る。 よ って本 書 の年 号 は正 しいが 西 暦 は一 九 四 三 と改 め た い。
P958/下/8∼9/り お う て い[李 ・応 禎](明 ・宣 徳 六 ∼ 弘 治 六1431∼1493) 長 洲 の 人 、 名 は牲 、 字 は貞 伯 。 景 泰 四 年(一 四 五 二)郷 試 に 挙 げ ら れ 、 大 学 に 入 り 、中 書 舎 人 に 官 し、弘 治 の は じ め 、南 京 太 僕 少 卿 に す す ん だ 。… … 景 泰4年 は 西 暦1453年 、 西 暦1452は 景 泰3年 で あ る。 明 史 稿 巻163に よ れ ば 、 景 泰 中 由 郷 墨 入 國 學 と あ り 郷 試 の 年 は特 定 して い な い 。 書 道 辞 典P835 の 同 項(杉 村 勇 造 解 説)は こ れ に従 っ て 、 ・… ・・景 泰 年 間(1450∼1456)に 郷 挙 に 合 格 して … … とあ る。 ヴ ィ ジ ュ ア ル 書 芸 術 全 集 ・第8巻43)P77に … … 景 泰4年(1452)の 挙 人 で す 。 … … と あ り 、 本 書 同 様 年 号 と西 暦 が 一 致 し な い 。 書 道 全 集 ・第17巻 、P190の 書 人 小 傳 の 同 項44)に 、(生 没 年 不 明) 名 は 惟 熊 、 ま た 牲 。 あ ざ な の 慮 禎 で 通 っ た 。 の ち あ ざ な を 貞 伯 と 改 め た 。 長 州(江 蘇)の 人 。 景 泰4年(1453)郷 試 に 合 格 し太 学 に 入 っ た 。 成 化 元 年(1465)善 書 を も っ て 中 書 舎 人 と な る 。 の ち 弘 治6年(1493)南 京 太 僕 寺 少 卿 と な り 、 同8年 に 退 官 し た 。 … … と あ る 。 ま た 中 国 書 跡 大 観 ・第2 巻45)のP251に 李 応 禎 の 項(肖 燕 翼 ・傅 紅 展 解 説 、 内 山 知 也 ・水 元 日子 訳) に 、 … … 景 泰4年(1453)郷 試 に 合 格 し太 学 に 入 り、 … … と あ る 。 よ っ て 本 項 の 年 号 は 正 し い が 西 暦 は 誤 っ て お り 一 四 五 三 と 改 め た い 。 P960/下/10∼11/り く う ん[陸 ・雲](西 晋 ・永 安 五 ∼ 泰 安 二262∼303) 一118一「中国書 道辞典」の正誤考 異(そ のn)
諸 年 表 に よれ ば 永 安 は呉 の 年 号 で あ る。 泰安 の年 号 は 見 え な い西 暦303年
は 西 晋 ・太 安2年
で あ る。 誤 字 誤 植 で あ ろ うか 。 歴 代 人 物 年 里 碑 傳 綜 表
P45の 同 項 に、 呉 ・景 帝 永 安5(262)∼
晋 ・恵 帝 太 安2(303)(晋
書 巻
54)。 中 国歴 代 年 譜 総 録P65の 同項 に、 呉永 安5年
生
晋 太 安2年 卒(262
∼303)(陸
雲 文 学 系 年 、陸侃如編 ・中古文学系年 巻6至 巻末)、 とあ り両
者 と も太 安 と して い る。 よ って 本 項 の記 述 は(呉
・永 安 五 ∼西 晋 ・太 安 二
262∼303)に
改 め た い。
P961/上/18/り く き[陸 ・機](晋 ・永 安 四 ∼ 泰 安 二 呉 県 の 人 、 字 は 士 衡 。*雲 の 兄 で あ る 。 … … そ の 書 に* り、 『陸 士 衡 集 』 一 〇 巻 の 著 が あ る。 261∼303)「平 復 帖 」 が あ
前 項 と全 く 同 様 で あ る。 念 の た め 歴 代 人 物 年 里 碑 傳 綜 表 を 参 照 す る とP44 に 、 呉 ・景 帝 永 安4(261)∼ 晋 ・恵 帝 太 安2(303)(晋 書 巻54、 余 有 陸 平 原 年 譜)、 と あ り、 本 項 の 記 述 は(呉 ・永 安 四 ∼ 西 晋 ・太 安 二261∼303) に 改 め た い 。 P964/下/11/り く しん[陸 ・深](明 ・成 化 一 三 ∼ 嘉 靖 二 三1477∼1544) 上 海 の 人 、 初 名 栄 、 字 は 子 淵 、 嚴 山 ・澹 室 ・四 酉 斎 と 号 した 。 弘 治 一 八 年(一 五 〇 四)の 進 士 、 … … 弘 治18年 は 西 暦1505年 、 西 暦1504年 は 弘 治17年 で あ る。 本 書P69の 王 守 仁 の 項 に 、 … … 余 挑 の 人 、 字 は伯 安 、 陽 明 と号 し、 世 に 陽 明 先 生 と 称 さ れ た 。 弘 治12年(1499)の 進 士 、 … … と あ り、 会 試 が 三 年 毎 で あ る か ら弘 治18年 (1505)に 実 施 さ れ た と 推 測 可 能 で あ る 。 中 国 明 清 書 法 名 品 図 冊 ・解 説 編46) -119一P118∼119の 陸 深 の 項(茅 新 龍 解 説 、 村 上 幸 造 訳 丁 義 忠 ・福 本 雅 一 校 訂) に 、 … … 弘 治18年(1505)の 進 士 、 … … と あ る。 よ っ て 本 項 の 年 号 は 正 し い が 西 暦 は 誤 って い る 。 弘 治 一 八 年(一 五 〇 五)と 改 め た い 。 P965/中/3/り く ぞ う し ょ う[陸 ・増 祥](清 ・道 光 一 三 ∼ 光 緒 一 五1833 ∼1889) … … 著 に*『 八 硬 室 金 石 補 正 』 一 三 九 巻*『 金 石 続 編 』 『楚 辞 疑 異 釈 証 』 な ど が あ る 。
大 漢 語 林P743に
「
楚 辞(癖)」
とあ り、 大 漢 和 辞 典 ・巻11、P924の
陸 増 祥
の項 を参 照 して も 「楚 僻 疑 異 釈 誼」 と して い る。 あ ま り に著 名 な楚 辞 、 そ
の用 字 は辞 ま た は僻 で あ る。 問 題 は本項 の 使 用 字 形 で あ るが 異 体 字 と して
も見 当 た らな い し大 漢 和 辞 典 に も辞 の字 形 は な い。 明 らか な誤 字 で辞(ま
た は 詳)に 改 め た い。
P968/上/8/り
げ ん せ い ひ 「
李 玄靖 碑 」
唐 の 大 暦一 二 年(七 七 七)の 刻 、*顔 真 卿書 、 四面 碑 で 、 陽 陰 は正 書 各
一九 行
、 両 側 は各 四行 、 四 面 と もに行 三 九 字 。 この書 結 体 逡 勤 、 筆法 暢達 、
家 廟 碑 に比 して風 格 の 点 で これ が 勝 る。 この 原 石 は、南 宋 の 紹 興 七 年(一
一 三 七)風
に折 れ 、明の嘉靖三年(一 五二五)雷 火に焚 け、つ いに二〇余
片 に破 砕 した。 … ・
一
嘉 靖3年
は西 暦1524年 、 西 暦1525年 は嘉 靖4年 で あ る。 例 に よ って年 号 と
西 暦 の 不 一 致 で あ る。 聴 沐 閣 墨 宝 ・原 色 法 帖 選46「 李 玄 靖 碑 」47)の 解 題
P3に
、 … … 嘉 靖 三 年 甲 申(1524)の
歳 に玉 農 観 の 火 災 に逢 って顔 碑 と と
一120一
「中国 書 道 辞 典 」 の正 誤 考 異(そ のH) も に 破 壊 さ れ 、 … … と あ る 。 本 項 の 年 号 は 正 し い が 西 暦 は 誤 っ て い る 。 嘉 靖 三 年(一 五 二 四)と 改 め た い 。 P970/中/3∼4/り こ う り ん[李 ・公 麟](北 宋 ・慶 暦 九 ∼ 崇 寧 五1049∼ 1106)・ ・・… 慶 暦 は8年 ま で で9年 は な い 。 西 暦1049年1月1日 に皇 祐1年 に 改 元 さ れ て い る 。 歴 代 人 物 年 里 碑 傳 綜 表P271の 同 項 に 、 宋 ・仁 宗 皇 祐 元 年(1049) ∼ 卒 不 明(宋 史 巻444) 、 と あ る 。 書 道 辞 典P841の 同 項(竹 石 古 難 解 説) は 逆 に 、?∼ 宋 ・崇 寧5(?∼1106)と あ る 。 書 道 全 集 ・第15巻48)P183 の 書 人 小 傳 の 李 公 麟 の 項49)で は 、?∼ 崇 寧5(?∼1106)と し、 同 書 P196の 年 表(外 山 軍 治 作 成)に 、1049・ 皇 祐1・ こ の 頃 、 李 公 麟 が 生 ま れ た(∼1106)。P190に 、1106・ 崇 寧5・ 李 公 麟 が 没 し た(1049?∼)。 と あ る 。 以 上 を 総 合 す る と 生 年 は 皇 祐1年(1049)?、 卒 年 は 崇 寧5年 (1106)と して よ い だ ろ う。 よ っ て 本 項 の 記 述 は(北 宋 ・皇 祐 一?∼ 崇 寧 五1049?∼1106)と 改 め た い。 P982/中/21/り ぶ ん で ん[李 ・文 田](清 ・道 光 一 四 ∼ 光 緒 ニ ー1834∼ 1895) 順 徳 の 人 、 … … 成 豊 九 年(一 八 五 五)の 進 士 、 官 して 礼 部 左 侍 郎 に い た っ た 。 ・… ・・ 威 豊9年 は 西 暦1859年 、 西 暦1855年 は 威 豊5年 で あ る 。 書 道 全 集 ・第24巻 、 P178の 書 人 小 傳 の 同 項50)に 、 ・・… ・威 豊9年(1859)進 士 の 試 験 に 第 三 番 で 及 第 し、 ・… ・・と あ る 。 中 国 書 論 体 系 ・第18巻 、P408の 書 人 伝 皿(大 谷