新しい時代のメールヒェン……ホフマンの「金の壷」
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(2) 109. 新しい時代のメ-ルヒエン. が濃厚に残っているが、幸いにしてそこの後半に書かれているような. れていた。我々の社会に紛れ込んだのは、超自然的存在(霊達)であっ. マンのこの着想にはありきたりのものではない革命的なものが秘めら. どたばたを引き起こす喜劇という趣向はよくあることだ。しかしホフ. 騒々しいお笑いにはならなかった。当初ここでは、ふしぎなことと. た。しかも、まだこの先述の着想には述べられていないが、その超自. この手紙には着想した頃の茶番劇を書いてみたいという戯けた気分. 全-縁の遠い現在の社会に超自然的なものが入り込んで騒動を引き起. 世界と驚異の世界とを併存させるというこの発想が彼のいうA新しい. か霊の姿へと変貌してしまう。その為作品の主人公は(殆ど読者も)、. かれていない。この普通の人間として行動しているものがいつの間に. 然的存在が普通の人々と同じ額をしていて周りの人々にはそれと気づ. 時代のメ-ルヒェン∀であった。こうして出来上がった作品の世界で. 自分の見ていることが真実なのか、それとも単なる錯覚なのか、はっ. こすという、茶番劇を作ってみたいという意図がみられる。リアルな. は、登場人物、又は読者は、二つの世界の間でどちらを信じてよいの. きりしないのである。つまりホフマンのこの試みは従来のいわゆる. 「芸術メ-ルヒェン」(Kunstmarchen)に全-新しい境地を開いたも. か迷ってしまう。この現象が幻想小説の根本原理として後に認められ るのである。. のであった。さらにそれは、トドロフの言ういわゆる「幻想小説」. fantastique.Paris‥Se亡il一九七〇)。我々の日常世界の中に、超自然. 祖となったのである(TzvetanTodorov:Introductiona)a)itterature. かり三時、若い1人の男が、ドレスデンの市門である黒門を1気ii_駆. 的な存在を紛れ込ませるという趣向がこのような新しい世界を開-こ. 「金の壷」は次のようにして始まる。「昇天祭の午もとうに過ぎ、きっ. け抜けるなり、そのまま一直線に、店を広げていた醜い婆さんのリン. とになったのである。. 事が起こるのである。このように輪郭のはっきりした状況の中でそれ. うに、民衆の間で自然にできあがった作者不詳のものを言う。これら. 普通我々が童話(メ-ルヒェン)という時は、グリムの童話集のよ. (Vo)ksm腎chen)と芸術メ-ル. とは異質の存在が侵入して混乱が生ずる。ここだけではそれはど特筆. のいわゆる民俗メ-ルヒェンはおよその共通の特色がある。このメ-. (Kunstmbrchen). する必要はないように思えるかも知れない。我々の生きている現代社. ルヒェンは、非歴史的な存在であり、その語られている場所も、年代. ヒェン. 一民俗メ-ルヒユン. ゴや菓子の入っている篭に飛び込んでしまった似」 この冒頭を見ただけではこれからメ-ルヒェンが語られるとは予想 できない。時(昇天祭)も所(ドレスデンの黒門)も明示されている。 この作品が書かれる十八世紀初めの頃の特定の場所だ。こうして従来 のメ-ルヒェンのような遠-の時代の離れた場所に話が始まるのでは. 会にそれとは異質の遠い世界の人物、例えば何世紀も昔の人間、ある. もはっきりしない。メ-ルヒェンは現在の日常世界とは異なるもので. 荏-、現在の生きている時間に、そしてその生活している場所で出来. いは習慣も言語も違うずっと遠-離れた土地の人間が紛れ込んできて、. の. 中島.
(3) 108. る。歴史的に存在したものから、または存在するものから遠く隔たっ. ている必要がある。漠然たる過去、定かならぬ遠い所を舞台にしてい. ある。従ってメ-ルヒェンの舞台は、語り手の時間、空間から隔絶し. 真実であるか否か疑うことばしない。ふしぎなことは当然起こるので. あり、そこでは驚異は自明である。ふしぎなことが起こってもそれが. を越えて他国で使われるようになったのは十八世紀後半においてであ. どがメ-ルヒェンを書いた。これらのメ-ルヒェンがイタリアの国境. GiambattisataBasi)ie(1五七五-〓ハ三二)、Pompeo. のイタリアである。イタリアでは、Giiiovan. ルヒェンの起源であるが、K)otzによると蛾、ルネッサンス十六世紀. て問題にされたのは二十世紀に入ってからである。さてこの芸術メ-. (一九〇六)であるという。従って芸術メールヒェンのジャンルとし. の幸せが得られる。課題の解決が主人公にとって大事である。課題に. 通性がある。主人公にはある課題が課せられる。それを果たすと永遠. その内の八つは広-ヨ-ロッパに広まっているメ-ルヒェンだった。. は決定的に新しい方向に向かった。ベロ-は約十個の物語を書いた。. て絶対王朝の宮廷があったから独自のメ-ルヒェンが生まれた。ベロ-. Sarnelliな. Straparo)a.. ている。主人公も日常生活から離れなけれならない。『途中』、そして. る。それが現れたのはフランスであった。フランスはイタリアとは違っ. は障害が伴っている。その障害を克服するには超自然の力の援助がい. これらのメ-ルヒェンの特徴は、条件と実現、呪いと救いである。課. Francesco. ていなければならない。又場所も不明確である。又行動パタ-ンも共. 『一人』である。その時冒険に出会う。読者や語り手との時間が離れ. る。主人公はその魔法の助けがなければ目的を達し得ない。物語の進. 我々も主人公と同じように世界を単純に見る。彼らは近代文学の人物. 以外の視点はないからして語り手は態度を明らかにすることはない。. である。そしてこのメ-ルヒェンで超自然的な力を持っていて作品の. 環境の放である。ヴェルサイユの宮廷ではその規定を守ることが大事. フランスのメ-ルヒェンがこの特徴を時に持っていたのはその周囲の. せられた条件が苦し-も満たされると始めて待望の幸せが得られる。. のような個性がない。内面もない、周囲もない。苦しい選択もない。. 展開に決定的な影響を与えるのは、妖精である。いわゆる妖精物語だ0. 主人公. 他方ではメ-ルヒェンには対照が大切である。例えば貧乏な男がお姫. このメ-ルヒェンの機関を動かすのは彼等である。彼等がいなければ. 行は1直線であり、副次的筋はない。視点は主人公にある。. 様と結婚する。. 何も動かない。妖精という姿は既に以前の民俗メ-ルヒェンや芸術メ-. 形を借りて作り上げたものを「芸術メ-ルヒェン」という。「芸術メ-. な権力者ではなかった。「眠れる森の美女」はBa・silieでは妖精達が. ぎなかった。彼等はそこでは支配的な力を持っていなかった。独占的. ルヒェンにもあったが、そこでは彼等は他の超自然的存在の一つに過. ルヒユン」という名称は必ずしも市民権をちゃんと得ている訳ではな. いなくてもうま-い-。ベロ-が超自然的な妖精を世界の支配者にし. これに対して作家が何らかの芸術的意図を込めて、メ-ルヒェンの. い。例えばwiihr)はそれを使いたくないのだが他に適当な名称がない. -の宮廷の婦人連が妖精物語を書いた。. た新しいタイプのメ-ルヒェンを創造したoそしてベロ-に習って多 HerヨanロTodsen. のでやむをえないと消極的な気持から使っている価.wiihrlによると、 最初に芸術メールヒェンという概念に至ったのは. 新しい時代のメールヒェン. 中島.
(4) 107. 新しい時代のメ-ルヒェン. 教育目的にメ-ルヒェンを使ったのであり、彼は自国の民間に伝承さ. ているとみられる。上の身分が無力になった。しかし下層の者もそれ. 図が濃厚である。. ンは真の幻想小説的なホフマンとは異なり、教訓、社会批判などの意. に代るような力がない。ゲ-テのメ-ルヒェンは作者のものの考え方. ヒェン」は、ノヴュレ集の「ドイツ亡命者の話」(一七九五年) に、「新しいパリス」は自伝「詩と真実」〓八一1年). ければならないと考えた。理想郷を現すのがメ-ルヒェンであると考. 次にロマン派のノヴァ-リスはメ-ルヒェンこそ文学の中心にこな. (一八ニー年)の中に。これらは芸術メ-ルヒユンとして新しい境地. ルヒェンは予言者的描写。彼の作品「オフタ-デインゲン」(青い花). えた。将来の幸せの状態を先取りするのがメ-ルヒェンである。メー. ンを大いに変更してしている。まず「メ-ルヒェン」であるが、これ. 世のドイツを舞台にして入る。その中にアトランティス神話がある。. はメ-ルヒェン的である。「青い花」は時代はおよそ十字軍の頃の中. 寓意的な要素が多分にあり、暗も場所も状況も定かではないし、l定. 理想郷アトランティスは再現可能である。人々の目から引き離されて. ホフマンとは違う。ホフマンでは「金の壷」のアトランティスは、半. いて、どこかに隠されてある。それを戻すことはできる。ここの所が. に尽-す「パリス」と自己愛的な「ナルツィス」とが同居していて、. にもプレンタ-ノやティ-クがメ-ルヒュンを書いている。彼等のメ-. ば諦念をこめられて詩人の心の中に置かれている。ノヴァリ-ス以外. 「新しいメルジ-ネ」では、ドン・ファン的放浪者的な理髪師が小人. (皮肉)な態度が見られる。メルジ-ネはだんだん体が. ホフマンはメ-ルヒェンの舞台を自分の生きている時代に設定した。. ホフマンと幻想小説. きていた時代や場所から離れて設定されている。. ルヒェンの舞台は、ヴィ-ラントやゲ-テと同様に暗も所も作者の生. イロニッシュ. 小さ-なってい-自分の一族を救う為に人間と結婚しなければならな いのであるが、彼女はなんとこの役立たずの男を選んだのである。妖 精ともあろうものがこんな失欺をするとは-男(後の理髪師)は一旦 は小人の体形になって姫と結婚するがやがてそれに耐えられず女を捨. 二. 俗メ-ルヒェンにはありえない形態であり、既にここからして作者の. の水の精の姫と結婚した話を語る。主人公が語るというこの趣向は民. 彼がいかにナルツィスからパ-スに成長するかがテ-マになっている。. るということである。「新しいパリス」では、主人公の中に他人の為. の主人公も存在しない。作品の意図は皆が協力すればいい社会ができ. はフランス革命後の政治的混乱の中にあって善かれたもので、象徴的、. を開いたものである。それらは、形式的にも内容的にも民俗メ-ルヒェ. しいメルジ-ネ」はロマン「ゲィルヘルム・マイスタ-の遍歴時代」. の中に、「新. それはどれも大きな叙事的な作品の中に組み込まれている。「メ-ル. れている民俗メ-ルヒェンには関心がなかった。それから続いてゲ-. てて元の人間の姿に戻る。これはフランス革命後の社会的混乱を皮肉っ. 雪空. をあらわす手段になっている。こうしてみると、ゲ-テのメ-ルヒェ. の中. テを上げることができる。ゲ-テは三つのメ-ルヒェンを書いたが、. ドイツではゲィ-ラントがメ-ルヒェン風の小説を書いたが、彼は. 中島.
(5) 106. トドロフによると幻想小説なのである。「幻想とは、自然の法則しか. うなるか-ホフマンはそのような状況に我々を追い込むのだ。これが. な時人々の生活の中に自然の法則では説明できないものが生じたらど. つまりその時代には、自然の法則しか存在しないのである。そのよう. とも、大部分の実作例はこの三条件を満たしている」㈲. るものであって、第二の要請は必ずしも満たされなくてもよい。もっ. べてが等価なのではない。第一と第三の要請が真にジャンルを構成す. をも、ともに拒むものでなければならない。これら三つの要請は、す. ことが重要である。すなわち、読者がA詩的>,解釈をも、宮意的解釈. トドロフはさらに幻想小説に読み手の態度もー定のものがあると. 知らぬ者が、超自然的様相をもったできごとに直面し感じるためらい なのである」偲0「幻想小説」がジャンルとして考察されるようになっ. 読者が眼前に見たふしぎなことを真剣にそのものとして見ることが必. これは幻想小説が「ためらい」にあるならば至極当然な要求である。. 要であり、それが一見ふしぎなことという様相を帯びていて実は本来. 言っている。詩的な解釈も寓意的な解釈もしてはならないというのだ0. それはまず十九世紀になればすべてが自然の法則で説明するようになっ. は寓意として捉えるとなれば読者のためらいの切実さがなくなる。す. たのは比較的新しいが、その中で先述のトドロフの説は最も中心的な. たからである。幻想小説が生まれる為には日常生活から超自然的なも. 地位を占めている。トドロフは幻想小説は十九世紀と限定している。. のが追放されていなければならない。そのような状況の下で自然の法. でに幻想小説ではなくなるのだ。. あり、それと同時に、ためらいもテキスト内に表象されることになる。. この場合、読者の役割は、当の作中人物にいわば委ねられているので. 第二に、作中のl人物がこのためらいを感じていることもありうる。. か、超自然的な説明をとるか、ためらいをいだかせなければならない0. と思わせ、しかも、語られたできごとについては、自然な説明をとる. 第一に、テキストが読者に対し、作中人物の世界を生きた人間の世界. までに幻想小説として出来上がっている。また「金の壷」はそれを書. ばかりではないが、しかしこの試みを始めた「金の壷」は特に完壁な. とは思えないことが起こる。その点ではこの綱領を掲げた「金の壷」. 見られる。驚異が日常の中に演じられる。普通の場所で、この世の事. 日常生活の中にふしぎなことが起こるという、この思い切った試みが. ホフマンの殆ど全ての小説では、普通の秩序が堅固に支配している. さて小説「金の壷」を幻想小説の観点から検討してみる。. lニ幻想小説としての「金の壷」. 則に合わないことが生ずると、人々はどう解釈したらいいかとためら う。こうしてみると、ホフマンはメ-ルヒェンの舞台を自分と同時代 に置いたことにより新しい小説のジャンルの創設者となったのだ。 トドロフは言っている。. つまり、当の作品のテ-マの一つになってくるのだ。そして、ごく素. いていたホフマンが生活の上で逼迫していたが、その結末がハッピイ. 「幻想というものは三つの条件が満たされることを要求する。まず. 朴な読み方がされる場合には、現実の読者はそうした作中人物と同一. エンドであり、幾分か諦めの気分を含みながらも全体としては爽やか. 蓋. 化するものである。最後に、読者はテキストに対し特定の態度をとる. 新しい時代のメ-ルヒェン. 中島.
(6) 105. 新しい時代のメ-ルヒェン. ヽ. の件は見かけは大したことがないように見える。だが読者はこれはもっ. 自分が錯覚を起こしているか、さもなければ酔っぱらっているのだと しか思わない。. ところがアンゼルムス自身にも先はどの「ふしぎなこと」が自分の. ているのか?読者にはそれは単なるどうでもいい事件のようには思え. 記憶から消え去って、思い出すことといえばただただもう、ニワトコ. 「奇蹟と紛ぎれるばかりの出来事を眼にしたのさえきれいさっぱり. 錯覚であるように思えて-る。. ない。ということで読者は当時のドレスデンの姿が揺らぐのを見る。. の木陰でありとあらゆる気違いじみたことを大声で喚き散らしたこと. ばかり。それも披は前から独り言などいう連中には誰かれな-内心嫌. その中でも最も美しいゼルペンティ-ナが彼の心を捉える。この三匹. うに昇天祭の日に酔い痴れた神学研究生と見なされたかと思うと、そ. ては、べらぼうなことに思えてくるのだった。----こともあろ. 悪感を抱いていたのだから、それだけに自分がそれをしでかしたとあっ. (人)の金線の蛇は精霊の王サラマンダ-の娘である。このサラマン. う思うだけで我慢ができないのであった」㈲. ホルストである。しかしこのふしぎなことは、他のドレスデンの市民 達にはみえない。むしろアンゼルムスは気が狂ったと思われる。. の頭がどうかしていたからそう思ったに過ぎないと思うようになるの. こうしてアンゼルムス自身がさきほど体験したと思った奇蹟が自分. ダ-は二重の生活を送っていて、この市民社会では文書管理役リント. のニワトコの木蔭でばんやりしていると、三匹の金緑色の蛇が現れた。. リンケ温泉のお祭りを楽しむ金がな-なった。しかし彼はエルベ川辺. やがて超自然的な出来事が起こる。アンゼルムスは損害を弁償した為. 態度や言葉にはぞっとするようなものがあった。老婆は未来を予言し. この言葉は周囲にいた人達は誰も理解できない。でも老婆のその時の. か直にクリスタルグラスの中に落っこちよ-クリスタルの中に-」m。. よ、走んな---突っ張っていきな、サタンの餓鬼め-おまえなん. 超自然の世界が開かれることばない。彼等はふしぎなことを見たとき、. ホフマンの小説では常にそうであるが、平凡な市民達には、決して. てしきりに喚きたてていたのである」俄. ときたら、ニワトコの幹をだきかかえるなり、枝葉の繁る梢に向かっ. の気違いじみた行動をつくづく眺めやるのであった。なにしろこの男. 出た帰り道で、足をとめるなり、両腕を組むと、大学生アンゼルムス. は、市民の名に恥じない一人の主婦で、いましも家族ともども散歩に. 「炎あのお方、頭がおかしいのじゃないかしら->,とそう言ったの. J. と奥があるのではないかという示唆を得る。老婆の罵りの言葉「いい. 返す。その持主の婆さんに罵られる。そして弁償を支払わされる。こ. ある。一人の若者がリンゴと菓子の入った篭を蹴っ飛ばしてひっくり. 臨祭午後三時)。市民達がぶらついている。何でもない普通の状況で. ある定まった場所(ドレスデンの黒門)、或定まった時間(聖霊降. 日常的な生活の中でメ-ルヒェンはこんな風に始まる。. のように現れているか見てみよう。. さて小説「金の壷」にはトドロフの言うような幻想小説の特徴がど. な気分を保っているのがこの作品が愛好される理由であろう.. 中島.
(7) 104. 」㈱. である。読者も果たしてどちらの解釈が正しいのか決めかねる。. こうした構成は作品の中をずっと貫いている。しかしここで注目す. 登場人物あるいは読者は、どちらにしたらいいのかためらうのである0. べきことがある。それは所々わざわざ幻想を壊すような著者の行為が. 見られることである。イギリスの作家スタ-ンがやったように、物語. さらに例を挙げれば、アンゼルムスが文書管理人のリントホルスト から家にくるように薦められた後、リントホルストが立ち去るのを見. の途中で、いわば幕間におけるように、読者に語りかけ、解説したり、. た状況を想像してほしい、と頼む。. 事情を説明したりする。例えば第四夜話で、読者にアンゼルムスの陥っ. 送る場面である。. 「文書管理人は、大学生に黄金色のリキュ-ルの入った小瓶を手渡 すなり、あわただしく立ち去ったが、その足どりは、この間に迫って. 鷹が空中高-舞い上がったのであった。この時になって大学生アンゼ. けたたましい噂き声が上がったと思うまに、一羽の白っぽい灰色の禿. 生が今こうして夕闇迫るかなたに眼を凝らして見入っていると、突如. して両翼をいっぱいに広げたように思えてならなかった。--大学. ンゼルムスには、一羽の大きな鳥が今しもあわただしく飛び立とうと. げられ、宙にはためいた。讃しい気持で文書管理人を見送っていたア. 間に、広いマントが風をはらみ、裾が1対の巨大な翼のように押し広. ように見えた。コ-ゼン・ガルテンの近くまでさしかかったかと見る. 見直していただけないか。この点をこそまさに筆者が衷心から願う所. なたの周囲をうろうろしているお馴染みの連中だっているのを改めて. りはすまいか--と心配になって-る。--こういう仙境にさえあ. ルムスも文書管理人リントホルストもいる訳ではないと思うようにな. としようとしているからで、その時あなたがしまいには大学生アンゼ. 通の人間の日常生活なぞぶっ飛ばしてしまうはど不可思議な話をもっ. 費やそうとしているそれぞれの夜話の章では、幽霊現象のように、普. せる為なので、実のところ、何とも奇怪な彼の物語を書き留めるのに. に大学生アンゼルムスの姿をなるべ-うまく生き生きと浮かび上がら. 「好意を寄せて-ださる読者よ-こう申し上げるのもあなたの眼前. ルムスは、白々と舞い上がる巽を持つものは、つい先はどまで立ち去. であって、又大学生アンゼルムスの奇妙な物語を通じてあなたにはの. 来た夕闇の中を歩くというよりむしろ谷底めがけて舞い降りるという. りゆ-文書管理人の姿だと見ていたのだが、してみると禿鷹であった. めかそうと努めているところなのである」仙. それで読者は幻想の境地から醒める。あるいは第七夜話では、読者に. ているのである。著者が語る話はフィクションであると暴露している0. っまり著者は読者に想像力を強めて私の話を頭で描いてはしいと言っ. に違いないと気づいたのであるが、それではくだんの文書管理人の姿 はいったいどこに一挙に雲隠れしたのか、これは彼にも掴めなかった. この二つの例で示したようにこの作品では至る所「眼にしたと思う」. 物語の中に入って恐ろしい目に合って気絶しそうな少女を助けてはし. E≡i. ふしぎなことが本当なのかそれとも目の錯覚なのか、判断に苦しむ。. 新しい時代のメ-ルヒェン. 中島.
(8) 103. いる所がある。もし寓意であるならば幻想小説ではな-なる。果たし. 新しい時代のメ-ルヒエン. いと言う。アンゼルムスを愛しているヴュロニカが彼を奇妙な力から. (A--egorie). にこの夜嵐の中を出ていって恐ろしい光景を目撃したつもりになって. と並んで第二の筋が生まれたのだ。著者が作家の苦労を読者に語る。. の筋とは別に、著者が物語の中に入って行-別の筋がある。本来の筋. 風の虚構が入って来るところをみてみよう。第十二夜話では、今まで. -れと要求する。ヴュロニカが恐ろしい妖術を目の当たりにして死ぬ. つまりアンゼルムスの姿が市民社会から消えてしまった、彼はアトラ. ンティスで渇望の女性ゼルペンティ-ナと幸せに暮らしているが、自. 女が助けを求めて泣きつこうとしている守護天使の一人にでもなった. 「か-てあなたは(読者)、今にも死なんばかり不安に怯えている少. 物が歩み寄って来る。リントホルストが話の筋から分離して今は著者. て助けてやろうと申し出たのだ。こうして著者の方に向かって作中人. ホルストからの招待状が来る。リントホルストは著者の困窮を見かね. 分にはそれを書けないと嘆-。その時思いがけな-作中人物のリント. ような気持になり、いやそれどころか、かねて隠し持っていた拳銃を. Hronie). である。視点を変えるやり方。幻想. めるよう要求したり、創作活動に参加するように呼びかける。それで. は虚構(フィクション)であると、暴露してしまう。読者に空想を強. であった。--こちらも遠慮なく平気で、炎をそっと吹き払うとそ. ことに高林の中に登ってい-と、その燃え立つ炎の中に姿を消したの. 「文書管理人は素早く部屋着のガウンを脱ぎ捨て、まった-驚いた. そしてなんと自身杯の中に入ってしまうのだ。. りの酒を持ってきました」伯. 「私はあなたのともだちの楽長、ヨハネス・クライスラ-のお気に入. 待を受ける。リントホルストは客に酒を振る舞う0. と接し、助けるのである。そして著者が-ントホルストの家で彼の接. roヨantische. 彼は意図的に虚構の世界の幻想を明るみに出してしまう。しかしよく. の飲み物を味わったが、こいつはなかなかいけた-」㈱. 構造はその後もずっと続く。 さらにホフマンはこの作品は寓意で読んでいいという示唆を与えて. この場面は、詩作はアルコ-ルの酪町の中でなされること、また詩. 見ると、著者は詩的な世界を壊してはいない。つまり「ためらい」の. 破壊を引き起こす。ユ-モア小説の手法でもって、「金の壷」の世界. イロニ-. めらことはしな-なる。ロマン派の好んだ幻想破壊(ロマンチック・. クションであると暗示していることになり、それでは読者は本気でた. 読者にこの筋に参加するように呼びかけているのは、この話がフィ. い気特になってしまって・・・・・・」叩. やにわに引き抜き、有無を言わさずその老婆を撃ち殺さずにはおけな. しいと願う。. はどの恐怖に震えている時、読者にそこに飛び出して助けてやっては. ひとりで出かけて行-所である。著者は読者にヴュロニカと同じよう. てそうであろうか。さてメ-ルヒェンの筋と並んで寓意. 天. 救って-れると思う老婆の助けを求めてぞっとする恐ろしい秋分の夜. 中島.
(9) 102. しかねないものであった。アンゼルムスのアトランティスでの生活が. 書き記すことができた。こうした副次的な筋は本来の筋の幻想性を壊. がアトランティスの中で、騎士領をもらって幸せに暮らしている様を. とは変身であることを示唆している。こうして著者は、アンゼルムス. として読むべきであると言い切れない。つまりホフマンのこの作品に. 読者には本当なのかそうでないのかと疑わせ、決してこの作品を寓意. ひど-奇妙で幻想的である。こういうリントホルストの奇妙な出没が. 異」を否定していない。つまり作者とリントホルストとのこの場面も. von. der. Renaissance. Vo)kerKlotz.Daseurop巴scheKunstmarchen.Fufundzwanzlg. Kapite)seinerGeschichte M仁nchen)985. ‥Seui))970(Ders.‥Einf辞rungindiefantastische. demFranz6sischenvonKar)inKersten.SentaMetzundCaroline Neubaur.Frankfurt)992). E.TIA:Hoffmann.Fantasie. und. und. Nachtst缶ke.S.)84. Nachtstiike.S.)79. 五十二王. E.T.A‥Hoffmann.Fantasie. トドロフ. 三好郁朗訳。朝日現代叢書1975年. zur. Literatur.Aus. 邦訳-ツヴュタン・トドロフ「幻想文学=構造と機能」渡辺明正、. bis. Paul・WW夢r1.DasdeutscheKunstmarchen.Muchen)984. Briefen.. は永遠に真実かそうでないのか定かでない所がある。どこまでも幻想 小説なのである。. G缶nze)‥E.T.A.Hoffmann.Leben. Zeitdokumenten.DGsse)dorf.)9791S.255. und. 著者が酒を飲みながら描いたものであるとすればそれは車乗フィクショ ンであると告白しているようだ。だがここでこの作品の素晴らしさば、. Klaus. und. E.T.A‥Hoffmann.FantasieundNachtstiikeinCal1otsManier.. Se)bstzeugnissen. Werk. そのことが本当には幻想破壊には至っていないことである。この副次. T2VetanTodorov‥(ntroductiona)a)itteraturefantastique.Paris. Miinchen)976. in. 的な筋そのものが幻想小説的である。リントホルストが炎で温められ さらに終わりの部分で著者はこの作. る杯の中に入っていくというのは、読者にはやはり本当なのかと疑う 気特にさせられるからである。. 品を寓意風に解釈するよう示唆する。もしそうなればここでためらい が終わり、幻想小説としてのこの作品は終わったことになる。 著者がアンゼルムスの幸せに比べて自分の惨めな生活を嘆いている と、驚いたことに又リントホルストが現れて慰めてくれる。. 「そうお嘆きになりなさるな---それにあなただってあの地に少 なくともご自身の内面なる感覚の詩的財産として優美な農園をお持ち になっているのではありませんか。--そもそもアンゼルムスの至. 福なるものも、あれはポエジ-に生きるということにはかならないで はありませんか」岨. こうして-ントホルストはアンゼルムスの冒険もアレゴリ-として 解釈すべきだと諭す。もしアンゼルムスの物語が寓意であるならば、. によって構成されたこの新しい筋は、アンゼルセムの話の世界の. 新しい時代のメ-ルヒエン. Moderne.. 元. 邦訳. 什 ㈲ ㈲ 仙 ㈲ ㈲ ㈲. この作品は幻想小説ではなくなる。だが「作者」と「登場人物の一人」 「鷲. 仰 中島.
(10) ㈹. ¶川岨 .吐 ㈹. 9. 姻 .‖u 爪甲. 姻. E.T.A:Hoffmann.Fantasie. E.T.A:Hoffmann.Fantasie. E.T.A:Hoffmann.Fantasie. E.T.A:Hoffmann.Fantasie. E.T.A:Hoffmann.Fantasie. E.T.A:Hoffmann.Fantasie. und. und. und. und. und. und. und. Nachtst辞ke.S.255. Nachtstiike.S.252. Nachtst¢ke.S.252. Nachtstiike.S.22). Nachtst辞ke.S.)97. Nachtstiike.S.202. Nachtstiike.S.)65. 新しい時代のメ-ルヒェン. E.T.A‥Hoffmann.Fantasie. 中島. 管.
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