井伏鱒二著作年表稿(昭和9年7月~12月)
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(2) 30. 付記 本著作年表稿の作成に当たっては、国立国会図書館、日本近代文学館、大阪府立中之島 図書館、神戸市立中央図書館、彦根市立図書館舟橋聖-記念文庫、日本大学総合図書館の 資料を利用させていただいき、その際多方面からの御助力を賜った。兵庫教育大学附属図 書館情報サービス係、岐阜大学附属図書館参考調査係の利用者サービスによって、各種の 資料利用・複写ができた。また、山内祥史氏、林泉氏、坂本幸男氏に資料や情報を頂戴し た。感謝申し上げる。 どんな些細なことでも、お気付きの点があれば、 〒673-14兵庫県加東郡社町下久米 942-1兵庫教育大学言語系教育講座前田貞昭宛てお知らせいただければ幸甚である。 §昭和9年(1934年) 7月 的場カクコ(1) -新中篇若草・10巻7号(7月号)・pp.6-14・7月1日(6月10日) ・宝文館・大菓久治・30銭 挿絵・鈴木信太郎。総ルビ。 8月、 9月、 11月、 12月に続載。 「編輯後記」に「先 づ創作欄は、中篇を井伏鱒二氏にお原ひした。第一回既に番高いユーモアに瀧っ て、今後どう発展して行くだらうか。挿画の鈴木信太郎氏の画風は、井伏氏の作 品を生かすに最も適当と信じる。」とある。本文冒頭に「(二十年前のこと)」と ママ. ある。 * 「従兄の庸一は-ばい気嫌になると必ず感動的になる性分で、どんな月 並な身の上ばなしをきいても直ぐに感心してしまふ。.」女の医者になるつもりで 東京に出てきたが、月謝を払えないので、蕎麦屋の女中をしているという的場カ クコを、例の調子で庸一は自宅に連れ帰る。カクコは庸一のところから洋裁学校 に通い、洋裁教師の資格を取ると庸一の家を出奔して、田舎の小学校の洋裁教師 になった。ところが、カクコは小学生に不時なことをしているのを農家の主人に 目撃されて、五十円の金をゆすられているのだと、電報で助力を求めてくる。彼 女の勤める小学校というのは全く辺都なところにあって、遥々庸一はカクコが下 宿している農家の離れを訪れる。翌朝、カクコをゆすっているという儀門太がやっ てくる。儀門太の話によると次のようである。最初、カクコの下宿として儀門太 の家が予定されていた。養蚕を三十枚分も川に捨てて、カクコの来るのを待った ところ、カクコは儀門太と仲の悪い現在の農家に下宿してしまったので損害を補 償してほしい-。この話を聞いた庸一は儀門太の要求通りに五円の金を払って やる。しかし、カクコは、儀門太が最初五円の金を要求したのは事実だが、さら に、今度は女教師が男の子の頭を撫でるのは風教上よろしくないとねじ込み五十 円の金を要求したのだと言う。翌朝、儀門太が来て、息子の嘉吉が家出して行方 が分からないと訴える。カクコと儀門太は、喧嘩腰になりながらも、嘉吉を捜し に行く。庸一も捜しに出たO二時間もしたところで、庸一は、半鐘を鳴らして大 声で叫びながら、迷い子を捜す人々に会う。カクコのところに帰ってみると、こ の日の早朝、池で溺死している男の子を発見した儀門太は、それをカクコには嘉 吉だと思わせて結婚を迫ったという。嘉吾の家出というのは、儀門太の設けた策 略らしいのである。もはや、カクコは結婚する気になり、カクコと儀門太の二人 は人力車を用意して結婚式場に乗り込む段取りになっているらしいのであった。.
(3) 井伏労二著作年表稿(昭和9年7月∼12月). 31. 印象-人としての枝光利一氏文芸首都・2巻7号(7月号)・pp.117-118・7月1日(6月20日) ・繋明社・保高徳蔵・ (岩崎四郎) -30銭 中山義秀「試練」、菱山修三「比類なき素朴人」とともに「人としての横光利一 氏」の内に掲載。 * 「私が『人としての槙光利一氏』を畏敬するまでに知る事が できたのは、毎月慣例の『作品』の会合が自然のきっかけであったかと考へる。」 それまでに、 「私」は二度桟光氏を訪ねたことがあるだけであった。枝光氏が 「ひたすら心がけてゐるのはたった一つのこと-どの点から見てもまことの作 家として恥ぢない心魂を鍛錬しようと念じてゐるかに見える。そして物わかりの いいところはどことなく山から降りて来た苦行者のやうでもあり、直情径行なと ころは漢詩人らしいやうな味はひでもある。」 住職出京のこと-創作早稲田文学・ <第3次>1巻2号(7月号)・pp.206-213・<7月1EJ>ォ6月22日>) ・早稲田文学社・井上英三・ 50銭 奥付には「昭和九年五月廿二E]印刷納本/昭和九年六月一日発行」とあるが、前 月号の奥付が誤って付されたものと思われるので、訂正して掲出した。 * 「私の 郷里の菩提寺妙泉寺の住職良恵師(四十二歳)は、へんないきさつからこのほど 上京してP大学芸術科に入学した。」良意師がP大学卒業生に寺の仏像二体を格 安に売り払う際に、 「もしも良恵師が大学の聴講生になって勉強する意志があっ たら、その際は大いに助力するといふ」という半ば冗談めいた約束をした。この ことを知って、妙泉寺の養子の若僧が、仏像の買い手であるP大学の卒業生に文 句をっけた。仏像の価値は、東京に遊学する三年間の費用に該当するというので ある。このP大学卒業生の父親というのが、村を権柄づくで牛耳る顔役だったか ら、事は面倒になった。この養子の苦情を知った顔役は、是非にも良恵師を東京 に遊学させるというのである。やむなく東京に出て来た良意師は、養子のいたの と同じ下宿屋の一室に暮らしている。 「私」が郷里の母の言い付けで時候の挨拶 にあがったときに、持参した重箱の餅類を受け取る良恵師の作法は、郷里にいる ときと全く同じだった。それから-箇月ばかり後、亡父の法会を依頼に行くと、 慣れぬ大学生活に良恵師は疲れきった様子であった。 感想(二) -随筆あらくれ・2巻7号(7月号)・p.27-29・7月1日(6月27日) ・紀伊国屋書店・徳田一 種・10銭 本文末尾に「(つづく)」とある。本文冒頭に「この文章の前号の表題は『レポー ト風の記事』といふのであるが、すこし厭やらしい感じの題名に見えるので今後 は小さく『感想』と改めることにした。」と断りがある。 *古事記冒頭の「天地 初発之時、於高原、成神名」の訓読についての感想を述べる。 <無題>-あらくれ全あらくれ・2巻7号(7月号) ・p.47-7月1日(6月27日) ・紀伊国屋書店・徳田一種・ 10銭 * 「先日、富士川支流の下部川に沿ふて遡り下部村を中心にヤマメ釣りをこころ み、七E]問に二ひき釣った。ヤマメを数へるには二ひさといはない。二本といふ。 それから一日に三回、湯につかった。霊泉といはれてゐる。胃腸病がすこし癒え.
(4) 32. たやうである。 (鱒二)」以上全文。 避暑地ABC-文芸・科学- [2] 大阪朝日新聞朝刊18923号・ 14面・7月7日 7月9日まで3回連載。バラルビ。 『肩車』 (作品社・昭和11年4月5日)に初収録。 『肩車』所収本文末尾には「(十年八月)」とある。本文冒頭に「A、日向青島」 とある。 * 「私はまだ避暑といふものをした経験がない。たゞ旅行が好きなので、 幾度も避暑地らしいところに行った経験はある。」 「しかし私の勝手をいってみれ ば、どこもかしこも文化が変態的に行きとどきすぎて反って調和を欠き、つむじ 曲りの人間には痔にさはって仕様がない場面を見せつけられすぎる。」 「私は純粋 な都会的の神経に好意を持っが、避暑にしても旅行にしても田舎に行くほどなら、 純粋に田舎らしい田舎が好きである。」青島の様子、また、対岸の折生迫の砂浜 に上がってくる海亀に酒を飲ませる漁師たちの習慣などについて記す。さらに、 しのぎやすい所として隠岐を推薦して、知夫利群島、西郷港の様子を紹介する。 また、 「東京から-ばん手近なところにある仙境として、また避暑地として私は 第一にこゝを推薦したい」として甲州奈良田を挙げる。なお、この内、隠岐島に 関する記述は、 「言葉(その二)」 (『桂月』 9号・大正15年7月)、 「隠岐の島」 (『旅 と伝説』 1年2号・昭和3年12月)、 「隠岐の島案内記」 (『文芸レビュー』 2巻7号・ 昭和5年7月)と重なるところがある。 避暑地A・B・C-文芸・科学大阪朝日新聞朝刊18924号・14面・7月8日 本文冒頭に「B、隠岐の島」とある。 避暑地A・B・C-文芸・科学大阪朝日新聞朝刊18925号・ 14面・7月9日 本文冒頭に「C、甲州奈良田」とある。本文末尾に「(終)」とある。 「絵本」について-短篇集/絵本/永井龍男著限定出版四季社・江川書房季報・ 9号pp.l-2 <通巻貢pp.63-64>・7月15日(7月 10日) ・四季社・日下部雄一・<定価不載> 本誌は『限定出版江川書房月報』の巻次を継承。関井光男「江川正之の夢と挫折 - 『限定出版江川書房月報』と『本』 - <文献捗猟17>」 (『国文学』 34巻 7号1989年6月20日)に詳しい。井伏文の前に同題の横光利一文がある。 「絵本 について」として『四季』第2号(昭和9年12月号、昭和9年11月20日)巻末広告に も掲載。 *永井龍男『絵本』 (四季社・昭和9年6月5日)に対する感想。一緒に見 つけて来た猫の絵が装帳に生かされていること、 「仮りに叙事的でありながら情 を含み題材を本格的に取扱って短篇であるといふ困難なことがなしとげてあ」る こと、 「感動を用意させ再読をうながす作品である」ことを述べる書簡の体裁を とる。 8月 的場カクコ(2) -中編若草・10巻8号(8月号)ォpp.2-10月1日(7月10日) ・宝文館・大要久治・30銭 本文冒頭に「(続・二十年前のこと)」とある。 山川・草木⑨ [4] 三田文学・<第2次>9巻8号(8月号)・pp.106-107月1日(7月20日) ・三田文学.
(5) 井伏鱒二著作年表稿(昭和9年7月∼12月). 33. 会・和木清三郎(西脇順三郎) -50銭 『静思夜』 (三笠書房・昭和11年8月i5a)に「山川草木」と改題して初収録。筑 摩書房版『井伏鱒二全集』収録の燃、 「土」と改題.なお、 『早稲田文学』 <第3 次>4巻6号(昭和12年6月)初出の「山川草木」 (後「池」と改題)とは別文。奥 付には西脇順三郎の名が発行者としてのみ掲げられ、編集者の名は掲げられてい ないが、奥付の脇に「投稿、編集、図書雑誌寄贈」の宛先として和木清三郎の名 が挙げられている。 *水上滝太郎の随筆集『親馬鹿の記』の一節を読んで、 「東 京にもやはり東京の人のなっかしい故郷と風物があるのを痛感した次第であった。」 「私」のうちの付近の川は、 「私」が引っ越してきた八年前には、きれいな川だっ たのが、今ではどぶどろの川となっている。 「私の田舎(中国の山間)は水がき れいで、どぶどろといふ言薫はない。」 「私はもう純粋な田舎の精神をなくし、ま た純粋な東京人の精神を身につけることもできなくて、日常の興味に中心がなく 宙に迷ってゐるやうである。」 感想(3) あらくれ・2巻8号(8月号) ・8月1日(7月27日)・pp.51-52紀伊国屋出版部・徳 田-穂・ 20銭 本文末尾に「(未完)」とある。 * 「古事記を読んで私は想像するのであるが、往 時の語部は口調するとき幾らか身ぶり手ぶりを加-てゐたのではないかと考へら れる。」語部が「どんな表情や身ぶりで口話してゐたか私は知りたい」。 「しかし 阿礼の口涌ぶりは図書館で文献をしらべてもわからないばかりでなく、私は古文 に慣れないせいか、読んでゐて阿礼の口頭ぶりよりも先づ安万侶の撰録するとき の苦吟ぶりが気になって困るのである。」 松田解子一伏字について--女性作家の印象文学界・<再刊>1巻3号(8月号) -p.112月1日(7月28日) ・文園堂書店・野々 上慶一・ 40銭 永井龍男「仲町貞子」、小林秀雄「林芙美子」、川端康成「矢田津世子」、林房雄 「宇野千代」とともに、 「女性作家の印象」の内に掲載。 * 「松田解子氏の『大鋸 屑』といふ小説を読んだが伏字が非常に多くて私には作品の意味がわからなかっ た。こんなに物凄い伏字の作品が市場に出るといふことは、すでに時代がいびつ に宙ぶらりんになってゐる証拠であるが、かういふ莫大な伏字はいっでも作者だ けが読みこなせる。」 「松田解子氏については、 『大鋸屑』以外には私は何も知ら ないので何も云へないのが当然である。」 流行語について-家庭と学芸大阪毎日新聞朝刊18424号・7面・8月15日 パラルビ。 * 「流行語といふものは、たいてい外国から渡って来た言葉が多いよ うである。」ひところ「明鏡止水」というのや「心境の変化」ということばが流 行した。 「明鏡止水」ということばを、われわれは「それは嘘ではないぞ、嘘で はないぞ」という意味で引用し、また、 「心境の変化」を「悪気ぢやないが、今 度から主義を変へた」という意味で使っている。 「このことは私たち民衆の傾向 を如実に語ってゐるものであって、魂在どんなに私たちが日朝的になってゐるか を裏書きして見せる事実である。」「グロッキー」とか「スランプ」とかいった 「気息奄々たる個人の有様を述べる流行語がこのごろ多すぎるようである。これ.
(6) 34. を私たちの趣味の進化と思ったら大間違ひであらう。」 「昨年あたり、これは外来 語でない『東京は荒れてる』といふ言葉が流行してゐた。なるほど、荒れてゐる。 さうして田舎も荒れてゐる。昨年の夏、私は所用あって或る田舎に行ってみて、 田舎の人心荒廃の極に達してゐる有様に驚いた。」その村では、反村長派の策謀 のために、十年釆何の落ち度もなく勤めてきた村長が公金横領の罪で警察に連行 され、それを見物に来ていた反村長派の徒党は万歳を三唱したのである。なお、 この村長と反村長派の争いについては「道づれの集金人」 (『大阪朝日新聞』朝刊・ 18646号・昭和8年10月1日)、 「私自身の問題」 (『人物評論』 1年9号・昭和8年11月 1日)でも触れられている。 随巷-叙景 東京日日新聞朝刊20856号・8面・8月27日 『三重芸術』 1輯(昭和9年11月15日)に再掲。 * 「私のうちでは、鼠が出て仕様 がないので猫を飼ふことにした。」猫の臭いがするだけで鼠がいなくなるという 平野屋の口利きで仔猫を貰ってきたが、この仔猫が来ても鼠は出てくる。平野屋 は、今度は、発情期を過ぎないと猫は鼠を取らないのだという。この仔猫は、夜 になると寝床に潜り込んで来る。 「私」は猫が嫌いなものだから、捨てるに捨て られず、この猫には困っている。 文芸時評【1】 - 『陳腐なる浮世』 ・白鳥氏の特性を集めた組曲一 報知新聞朝刊20708号5面・8月27日 9月3日まで7回連載。バラルビ。 *九月号を対象にした文芸時評。発禁になった 『中央公論』の二論文を読んだが、 「どちらも田舎の繭相場や貯蔵米のことを主題 にした感想文で」、 「今では田舎の窮状を救済することは絶対にできないのであっ て」、 「さういふ記事は実話的な興味もあって刺激こそ強いが、読後に気が滅入る。」 同じく『中央公論』の正宗白鳥「陳腐なる浮世」には、 「鴎外ならば単独な史伝 小説にするかもしれない古い軍談を、白昼この現実のなかへ遠慮なく据ゑてある」 箇所がある。白鳥が主人公に漏らさせる厳しい感慨は、一種のリリシズムとすら 見なせる。この作品は、白鳥の「持っ数多の特性が組曲のやうに集まってゐる作 品であ」る。同じく『中央公論』の宇野千代「色ざんげ」は、 「題材の関係から 二義的興味で鑑賞してゐたやうで、かういふ生々しい素材に対して、教養ある人 妻、分別ある女流作家はどういふ批判を加へてゐるかといふことに興味を持って 読んだやうであるO」同じく『中央公論』には久保田万太郎の「郷土芸術の部類 に属する」脚本「好晴」が掲載されている。 『改造』掲載の横光利一「紋章」は、 「長篇小説の出現を要求されてゐるといふ折から、またこの『紋章』のほうはい とした気はくからしても、当然これは批評するものには主要な対照となる作品で ママ. ある。しかしこの作品はずゐぶんまだ続篇がある筈ではないかと私は推測する。」 「葛西善蔵、岩野泡鳴、牧野信一、森鴎外など、豊富に詩を持ってゐる人たちに かぎって、多く巻末をぽつんと終りにしてゐるやうだと私はふと考へた。」荒木 親「夏」は「応仁の乱のころに似た世情が摘発されてゐる」作品である。尾崎士 郎「不安の季節」は、良心のままに行動しようとする多血質な主人公を、慎重に 描いて痛快な作品となっている。徳田秋声の作品「霧」のなかには、 「いっさい 現実にあると同じやうにあるべきものはみなあるやうな形でそなはって」いるよ うに見えるにもかかわらず、一般に秋声の作品を渋いとか地味だとかいっている.
(7) 井伏鱒二著作年表稿(昭和9年7月∼12月). 35. が、 「我ままな読みかたをすれば現実と同じやうに暗い場合はあっても甚だ色彩 が強い」のである。 『文芸』掲載の川端康成「浅草祭」に現われた熱情と比較し てみると、 「私は東京の街を見れば見るほど旧気てしまふOつまり私は自分の住 んでゐた街や住まってゐる街に対して熱情が湧かないのである。川端氏の浅草に 対する熱情といふか探求心といふか、さういふ意気込みを私は失ってゐる。」竹 森一男「嘘の宿」はアナーキスティックな作品であるが、面白かった。武田麟太 郎「誤解」に含まれる憂馨には、 「盤根錯節に対し反っぽを向けたと見える冷た い感じが含まれてゐる。」仲町貞子「常次の土産話」は行き届いた作品である。 深田久弥「-家系」は、深田がじっくり落ちっいて書いた作品である。 『文芸春 秋』に載った真山青果「樽屋おせん」を読んで、 「現代、真に拍子木のたたける 芝居を書く人は真山氏をおいて他に人はないと痛感した。」 「物語では気狂ひを題 材にした作品に大賛成で、また気狂ひじみた人間を取扱った作品にも賛成である。」 それは「読んで-ばん手つとり早く日常の自分の胸さわざをまざらすことができ る」からである。その意味で、豊島与志雄「幻影」を読んで、 「私は幾分はっと した気持になることができた。」佐藤春夫「国姓爺の死」は、短篇にあきたらな い佐藤の不満を癒すために書かれたように思われる。 『新潮』の坂口安吾「麓」 も期待して読んだが、全三幕の内の一幕であった。大雑誌の創作欄を拡張すべき であるし、 『早稲田文学』や『三田文学』も全頁を創作欄にあてる程のことがあっ てもよいと思われる。 『三田文学』では、石坂洋次郎の「若い人」を読み、一種 の快味を覚えた。 『行動』掲載の富沢有為男「目白師」は「作者の小鳥(目白) に対するうん蓄をかたむけた作品」であった。 文芸時評【2】 -私の批評態度・宇野千代氏の『色ざんげ』 報知新聞朝刊20709号・5面・8月28日 文芸時評【3】 -未練なき末尾・完結した構光氏の『紋章』 報知新聞朝刊20710号・5面・8月29日 文芸時評【4】 - 『不安の季節』 ・枯淡味の漂ふ秋声氏の『霧』 報知新聞朝刊20712号・5面・8月31日 もの思ひのこと<?> [6] *詩? 博浪沙? ・1巻1号? ・8月? 『随筆十五人-博浪沙-』 (伊藤書店・昭和14年11月15日)に初収録. 『随筆 十五人-博浪沙-』所収本文末尾に「(昭・九・八月)」とあるのによる。 『随筆十五人-博浪沙-』所収のものは、 「恋愛はたとへば/そろばん入れ るみたいです」と始まる二速の詩。現物未確認。 <標題不明>. 沿線? ・創作特輯号1巻1号? ・8月? 現物未確認。 9月 梅雨空-随筆- [3.7.11] 行動・2巻9号(9月特輯号)・pp.66-月1日(8月2日) ・紀伊国屋出版部・豊田 三郎・50銭 本文末尾に「(七月二十四日)」とある。 『静思夜』 (三笠書房・ 11年8月15El)に 初収録。 『静夜思』所収本文末尾には「(九年七月二十四日)」とある。 * 「二三.
(8) 36. 年前からのことであるが、 -箇月に平均一回くらゐ神近市子氏あての郵便物が私 のうちに来る。」神近氏の住所も調べずにそのままにしておいたが、 「今日(七月 二十四日)午後四時二十分、一名の警官が私のうちにやって来て、この家には神 近市子とかいふ人が同居してゐないかと言った。」この警官と「私のうちのもの」 との問答を聞いていて不愉快になった「私」は、散歩に出て夜遅くなってから帰っ て来た。夕方から仕事に取りかかろうとしていたのが台無しになったのである。 神近氏宛の郵便物が誤配されて来るせいで、 「家庭争議を起したことが三度や四 度ではないのである。」 的揚力クコ(3) -中篇若草・10巻9号(9月号)・pp.2-10・9月1日(8月10日) ・宝文館・大要久治・30銭 本文冒頭に「(田舎のならずもののこと)」とある。 鏡舌-創作- [1] 文芸・2巻9号(9月号)・pp.57-62月1日(8月11日) ・改造杜・山本三生・50銭 『頓生菩提』 (竹村書房・昭和10年1月15E】)に初収録。 *大学病院の外科に勤め る女医が、病院内における、学会報告のための資料の担造や、外科部長の横暴ぶ りを、延々語るモノローグ体裁の作品。 <無題>ニー、最近注目した長篇(中篇)小説/二、最近感心した短篇小説- *アンケ卜回答 文芸通信・2巻9号(9月号) "p.16'9月1日(8月15日) ・文芸春秋社・菊池武憲・ 15 銭 目次には「最近注目した長篇・短篇小説に就て」とある。 * 「一、 『美しき村』 が単行本になったので、読みなはして感心しました。中篇ともい-るし短篇とも いへます。」以上井伏回答全文。 早慶戦-作家の感想-. 文芸通信・2巻9号(9月号)・pp.33-35・9月1日(8月15日) ・文芸春秋社・菊池武 憲・15銭 * 「中学のとき私と同じクラスの友人の弟さんA君(仮名)が慶応の文科と早稲 田の文科に入学試験を受けて、同時にどちらにも合格した。入学許可の通知が来 るまではせめてどちらか一つだけでも合格になればいいと心配してゐたが、こん なに二つとも合格になると、どちらを選んでいいか迷ふのである。」 A君は「私」 のところに相談に来た。しかし、 「私」は、早稲田大学を中退しているし、小説 は『三田文学』に持ち込んでもらったりしている。 「私はA君に何と云って返辞 をすればいいか確かに困って、おのれの素質に適すると思った方に定めるのがい いと思ふと言った。」彼は慶応に決めたと言って帰った。それから、二三年後、 早慶野球戦のあった日に銀座を歩いていた「私」は、野球の勝ち戦を祝うA君の 姿を目にした。 りべるて座-小説・創作- [1] 中央公論・49年9号(9月号) ・創作pp.21-44・9月1日(8月19日) ・中央公論社・牧 野武夫・ 80銭 『頓生菩提』 (三笠書房・昭和11年8月15日)に初収録。* 「私は『戯曲りべるて』 といふ演劇同人雑誌の同人内田仁一と二人で、無論アマチュアの新劇団体『りべ るて座』を組織した。」公演の費用は、内田仁一の妻・ユキコの父親が提供した。.
(9) 井伏鱒二著作年表稿(昭和9年7月∼12月). 37. チェーホフの「熊」を上演するということで、稽古を始めた。ところが、ユキコ 夫人が差し出口をきいて、 「熊」中の主要な男優二人を辞めさせてしまった。そ のために、ほとんど無謀ともいえる劇団員の投票で、笹朝一という見さかいもな い男が、代役として、 「熊」のスミルノフを演じることになったのである。初日 に、このスミルノフ役の笹朝一は、相手役のポポ-ワを演じる野口蘭子に舞台の 上で実際に接吻しようとして舞台を混乱させてしまった。二日目、遅刻した上、 再び実際に接吻した笹は、劇団員の怒りを買い、照明を消した舞台の上で袋叩き にされる。慰労会の後で、ポポーワを演じた野口蘭子は、就職口を捜してほしい と内田に依頼する。 「りべるて座」の幹部が集まり、この野口蘭子の生活問題に ついて、善後策を協議することとなった。名案は出なかったが、帰り道で、ルカ を演じた牧山春汀はこの件を-任してはしいという。その後、野口蘭子は、春汀 の助力でバア・ポポーワを開業した。しかし、牧山春汀は結婚を申込めないまま だし、バア・ポポーワでは、 「春汀とスミルノフとは店先きに一目ぢゆう座り込 むばかりでなく、スミルノフは勝手に裏口から出入りしたり二階にあがって行っ たりして、ほかのお客の心証を害するといふので」、営業不振で閉鎖しなければ ならない状態らしい。 葛西善蔵忌に際して-文芸時評- [3.8.10] 作品・<5巻9号> (53号・9月号)・pp.104-106・9月1日(8月20日) ・作品社・駒 沢文一・ 40銭 「葛西善蔵忌に際し」と改題して、 『静思夜』 (三笠書房・昭和11年8月15日)に 初収録。 『作品』本号には、小野松二「お詫び」という文章が掲載されている0 この小野の文章によれば、 「本誌前号の目次と内容に敵酷」があり、 「前号一一七 頁から一二〇貢の問に、井伏鱒二氏の『葛西善蔵忌に際して』及び中山義秀氏の 『時評』の代りに、本号のペン・クラブ欄に掲載さるべき」文章が掲載されてし まった。前号には「阿部氏のものだけ前半しか採録できなかったので井伏、中山 両氏のものと共に本号に掲載し直しておいた。」 -ということである。 *宇野 浩二の新著『文学の眺望』に収めれた「葛西善蔵」を読んで、 「私」が思い出し た葛西善蔵に関する、文壇外での見聞を綴る。 感想(4) あらくれ・2巻9号(9月号) ・9月1日(8月27日)・pp.46-47紀伊国屋出版部・徳 田-穂・ 20銭 本文末尾に「(この章未完)」とある。 *古事記上巻に登場する伊邪那岐命、伊邪 那美命の二神の行動について記す。 文芸時評【5】 - 『浅草祭』の感懐・微笑ましい実在の固有名詞報知新聞朝刊20713号・5面・9月1日 文芸時評【6】一気狂を描いて・文芸と文芸春秋から報知新聞朝刊20714号・5面・9月2日 文芸時評【7】一創作欄の解放・中長篇小説の流行に就て報知新聞朝刊20715号・5面・9月3日 本文末尾に「(をはり)」とある。 近県旅行(-) 中外商業新報朝刊17480号・7面・9月22日.
(10) 38. 本目と9月23日、 26日、 27日、 28日の計5回連載。パラルビ。 * 「今年の夏、六月 七月八月の三箇月問、私は旅行にばかり出て殆んど東京にゐなかった。健康のた めと一つは絶望的になりがちな毎日の気持を立て直したいためと、この二つの目 的から東京から逃げ出したわけである。」甲州の本谷川の渓谷に行ったとき、 「私」は腰の曲がった老婆に、繭買いの仲買人と間違えられ相当高値にふっかけ られた。 「私」は、 「足腰たたないやうな老婆まで血まなこになってからくりをい はなければならない老婆の立場に関心を持っ。」本谷川上流の「金峯渓谷は日本 渓谷美の第一位と云ってもいゝだらう。」 「本谷川に沿うて行くと、増富温泉とい ふ極めて貧弱な温泉場がある。」 「私」は、この増富温泉の不老閣というのに泊まっ たが、そこには鴎外の特別室があった。老主人の話では、大正七年ころ、鴎外は 肺病を悪くして半年程滞在し、看護婦二人が付いて療養したということである。 「私」は近くの渓流で本職の釣り師らしいのが、ヤマメを釣っているのを見たが、 一向に釣れない。富士川支流の下部川に行くと、ヤマメを養殖していて他愛なく 掴めそうな気がする。この下部川の養殖池の番人小屋の老人に話しかけたが、全 く愛想もなく、 「私」は気を悪くした。 「下部温泉の源泉館所有の大浴場には他の 旅館の浴客が押しかけて来るばかりでなく、土地の人が銭湯代用に入浴に釆」る。 たくましい渓谷として本谷川に匹敵するのは、富士川支流の早川だろう。 「私」 は、早川の上流に行き、西山温泉を経て、奈良田の部落を目指すつもりだったが、 連日の降雨であきらめて帰ってきた。 近県旅行(二) 中外商業新報朝刊17481号・7面・9月23日 近県旅行(≡) 中外商業新報朝刊17483号・7面・9月26日 近県旅行(四) 中外商業新報朝刊17484号・7面・9月27日 近県旅行(五) 中外商業新報朝刊17485号・ 7面・ 9月28日 本文末尾に「(九月十八日夜)」とある。 10月 <無題>-わが最も愛する作中人物- *アンケート回答 若草・10巻10号(10月号)・pp.108-109・10月1日(9月10日) ・宝文館・大菓久治・ 30銭 アンケート項目として「一、貴方の最も愛せらるゝ小説・劇・映画の作中人物。 /二、右愛せらるゝ理由。」とある。 * 「劇では『三人姉妹』が好きです。いっ たいにチェーホフが好きで、短篇『たはむれ』など愛すべき作品だと恩ひます。」 以上井伏回答全文。 <井伏鱒二より佐佐木茂索宛>-特輯・文壇人私信集文芸通信・2巻10号(10月号)・pp.3-4・10月1日(9月15日) ・文芸春秋社・菊池武 憲・15銭 12頁∼13貢に「たよりに代へて/中根栄氏、井伏鱒二氏、竹中郡民に/黄藤」と して、貴液の詩「杭州歳暮」、 「北平早春」、 「魯境一夜」、 「平漠路上にて」、 「パ ッション」が掲げられている。 *甲州増富温泉に十数年ぶりに行ってみて、実に.
(11) 井伏鱒二著作年表稿(昭和9年7月∼12月). 39. つまらなかったことを報告する、八月二十二日付けの手紙。 飾らぬ生水品一中島健蔵氏著「懐疑と象徴」 帝国大学新聞544号・9面・10月8日 「井伏鱒二」の署名があるが、太宰治の代筆。中島健蔵「太宰よ、さよなら」 (『人間』 3巻7号1948年7月)には、 「一九三五年一月二十四E]」に、太宰治が壇 一雄と一緒に研究室に訪ねて来て、 「井伏が、わたくしの最初の本の『懐疑と象 徴』のために、帝大新聞に書いてくれた書評が、実は太宰の代作であったことを、 太宰の口から聞かされたのである」とある。既に太宰の文章として扱われている ので再録書は掲げなかった。 11月 聴講生ブーニンのこと-小説現代・ 15巻11号(11月号)・pp.388-399・11月1日(10月8日) ・大日本雄弁会講談社・ 渡辺茂雄(御郷信祐) - 53銭<送料共> 挿絵・小池巌。総ルビ。本文末尾に「(完)」とある。本文標題と作者名との問に 「かうしてこのままでは/年をとるばかりだ、 /どうも心が落ちつかない-」 とある。 * 「もう十何年も以前のことであるが、私が早稲田の文科二年生になっ たとき、はじめて文科に女子聴講生の入学が許可され、私たち男学生の毎E]の出 11I110. 席率が急によくなったほど女子聴講生は私たちの興味の対象となったものである。」 「私」はそのころを思い出すと、 「女子聴講生よりも男子聴講生たちが一様に教室 の隅にしょんぼり集まってゐた姿をなっかしく恩ふ。」その聴講生の一人にブー ニンがいた。ブーニンが登校して初めて受けた授業は、文学概論を担当していた 片岡教授の講義だった。ところが、片岡教授はブーニンに個人的な質問をして、 ブーニンを困惑させた上に、授業時間を長引かせた。教室にいた学生の一人が皮 肉を言ったところ、片岡教授は怒りだし、 「私」と赤木定懐は、片岡教授から説 教されることになる。ようやく解放された「私」は、ブーニンの旅行談を聞かせ られるoしかし、ブ-ニンはその日以来、学校から姿を消してしまった。 「私」 は、十数年ぶりにブーニンと再会したのだが、ブーニンは、そのころの女子聴講 生に養って貰っているらしいのである。 的場カクコ(4) -中篇若草・10巻11号(11月号) -pp.2-12・11月1日(10月10日) ・宝文館・大葉久治・ 30銭 本文冒頭に「嘉吾が失探して、 /カクコ苦境に立ち煩悶のこと」とある。 <無題>ニー、作品批評家として感心されてゐる人/二、自作に対して理解ある批評をし た人/三、作品批評家として不適当と思はれる人/四、不愉快な月評家とその一例- * アンケート回答. 文芸通信・2巻11号(11月号) -p.5・11月1日(10月15日) ・文芸春秋社・菊池武憲・ 15銭 目次には「月評に就ての感想」とある。 * 「いい批評家と思ふのは、小林・河上・ 中島・青野氏等。小説家で批評をする人では、正宗・室生氏等6 /批評家として 不適当と恩はれるのは、先づ小生のごときかと存じ候。」 むかしの記録[6] 博浪沙・1巻4号(11月号) -11月1日(10月27日) -pp.2-3博浪社・清水泉・15銭.
(12) 40'. 本文末尾に「(お膳の部未完)」とある。 『随筆十五人「一博浪沙-』 (伊藤書店・ 昭和14年11月15日)に初収録。 『随筆十五人-博浪沙-』所収本文末尾には 「(昭・九・十一月)」とある。 * 「これは江戸時代の某藩における或る近習の手 控帖であるが、いまそれを読みやすく書きなはしたのである。風俗は文化文政の ころ。」と冒頭にあって、藩主起床から食事までの、近習としての職掌心得を記 す。 車中所見 レツェンゾ・11月号pp.24-25・11月1日(10月28日) ・紀伊国屋書店レツェンゾ編 輯部・田辺茂- ・ <非売品> 本文末尾に「(十月十三日)」とある。 『大阪毎日新聞』朝刊18313号(昭和9年4 月22日)、 『四季』 34号(昭和13年2月号・昭和13年1月20日)掲載の同名作品とは 別文。 * 「落莫といふ課題はどことなく俳句の題のやうな気持もするがこの前、 良寛の俳句研究家某氏の著述を読んでゐると、 『うらを見せおもてを見せて散る 木の葉』といふ句を批評して、この辞世の句は、人世に対する希望と絶望との交 錯をうたひ真実に徹した叫び声であると説明しであった。」 「単に『はらはら』と 散る木の葉を、そのまゝ素直にうたふ句であったと見た方が反って私たちの身に しむのではないかと思はれる。」 「私はまだこの句のやうな感激に富んだ『はらは ら』と散る木の葉を日常では見かけたことがない。」たまたま雨の降る日に荻窪 駅から電車に乗ると、 「私の持ってゐる濡れた傘に樺の落葉が貼りつけられてゐ るのに気のつくことがある」。しかし、 「私自身の持ってゐる傘などよりも他人の 持ってゐる女持ちの傘に目をっける傾きが奉る。」 文学生活と今日-僕と文学文芸首都・2巻11号(11月号)・pp.104-105・11月1日(10月28日) ・繋明杜・保高徳 蔵(岩崎四郎) -15銭 * 「自分の旧套な気持を何とかして処理したいために、その-方便として先々月 から私は旅行に出ることにして、六月以来、九つの旅行に出た。」 「さうして旅行 rfw. から帰つって来ると、やはりその旅行はつまらなかったと思ひめぐらし、決して さっぱりとした気持ではない。」 「どこに行ってもどこに住居しても自分の薬にな ることは一つもないと意気消沈するときさへもある。気無精といっていいか惰弱 といっていゝか(、)かういふ安易にあこがれる観念は(そもそも何ぞやと恩は なくてはならないのであるが)私に働きかけることが多いのである。」. 凶作余聞(1) [4] 報知新聞朝刊20774号・5面・11月2日 『山川草木』 (雄風館書房・昭和12年9月27日)に初収録。 11月4日まで3回連載。 パラルビ。 * 「凶作実話といふ課題を与へられて私は山形県庄内地方に行って来 たが、実際は五人連れの旅行のことで、自由行動もできかね凶作を視察するとい ふわけにも行かなかった。」既に鉄道沿線では収穫も終わり、庄内平野に近づい た頃には、辺りはすっかり日が暮れていたのである。その日は温泉宿で接待され、 翌日は鼠ヶ関見物に行き、午後は鶴岡市の政府貯蔵米の倉庫を見た。そして、紅 葉見物ということで、焚字川の渓谷へ出かけた。この渓谷に来る道すがらの稲田 では刈り取った稲を集めて燃やしていた。稲の穂は実っていないばかりではなく、 藁細工の材料にもならない有様だった。この地方の顔役の話によると、今年は死.
(13) 井伏鱒二著作年表稿(昭和9年7月∼12月). 41. 活問題だという。凶作地帯調査に来る代議士や学者は、百姓を慰めはするが、結 局、小作人と地主との対立を深めて人騒がせをするだけである。緊急を要する対 策に着手しようとしても、政府は許可を与えるのが遅く、そんな対策などもはや 無意味だというようなことばかりが続出する。この話をしてくれた顔役もいい知 恵はないと投げやりになっているようだった。 「これと類似な意識はこのごろ一 般に行きわたってゐて、誰しも直ぐに納得できるだらう。」 「私」は、鶴岡市に引 き返す途中、一本の落穂を拾って持って帰って来た。手にしてみると、まるで頼 りないものであった。鶴岡市に引き返す途中、 「私」たちは、往来の娘さんに美 人が多いのに驚いて「ヒナマレ」と言っていた。都に稀な乙女という意味である。 凶作余聞(2) 報知新聞朝刊20775号・5面・ 11月3日 凶作余聞(3) 報知新聞朝刊20776号・5面・ 11月4日 本文末尾に「(完)」とある。 随巷-叙景 三重芸術・1輯pp.56-57・11月15日(11月11日) ・三重文芸協会・北原千秋・30銭 『東京日日新聞』朝刊20856号(昭和9月8月27日)の再録。 所有権と保管品(上) -家庭と趣味- ⑨ [3.8.10] 東京日日新聞朝刊20940号・ 14面・ 11月20日 翌日に続載。パラルビ。 『静思夜』 (三笠書房・昭和11年8月15日)に初収録。 所有権と保管品(下) -家庭と趣味東京日日新聞朝刊20941号・8面・11月21日 絵本について 四季・2号(昭和9年12月号) ・巻末広告<ノンブルなし>-11月20日(11月15日) ・ 四季社・堀辰雄(日下部雄一) -30銭 『限定出版四季杜・江川書房月報』 9号(昭和9年7月15日)の再録。 趣味の問題-ユーモア・コント集サンデー毎日・ 13年54号・ 11月25日pp.16-17大阪毎日新聞社・荒木利一郎・ 12銭 挿画・勝田哲。 *与田落山は偽作を措いて生活をしている。どうしても他人の真 似になってしまい、自分自身の絵をかけないのだそうである。しかし、師匠古賀 春山の偽物だけは作らないのである。この落山は、師匠・春山の息子である古賀 古津三のところに今でもご機嫌伺いにやってくる。古津三は、落山が持参した十 二枚の扇面を、当時の古津三の愛人・サチコが措いた油絵の額の裏に挟んでおい た。親の反対で別れることになっていたサチコは、その油絵を持って大阪の両親 のもとに帰ってしまう。ところが、半年ばかりして、サチコの父親が、是非もう 一度娘に会ってくれと古津三のところに頼んで来た。というのは、この十二枚の 扇面が真筆と鑑定され、貴重な扇面を額の東に入れておく古津三に大人物らしい ところがあると、サチコの父親が感心してしまったからである6古津三とサチコ の交友も再び進展してゆくかもわからない。 12月 <無題>-最も印象深かったもの一本年度に於ての文学・絵画・演劇・映画その他--.
(14) 42. *アンケート回答. 新潮・31年12号(12月号)・p.26'12月1日(11月10日) ・新潮社・中根駒十郎・50 銭 * 「拝復、小説では坪田譲治氏の諸作を印象深く見ました。」以上井伏回答全文。 的場カクコ(5) -中篇若草・10巻12号(12月号)・pp.2-9・12月1日(11月10日) ・宝文館・大勇久治・30 銭 本文冒頭に「庸一、味気ない立場にされ最後に昼寝すること」とある。本文末尾 に「(完)」とある。 師走夜さむ-我が歳末の記- [3] 文芸通信・2巻12号(12月号)・pp.12-13・12月1H (11月15日) ・文芸春秋社・菊 池武憲・ 15銭 副題を削除して『静思夜』 (三笠書房・昭和11年8月15日)に初収録。 辛 「十二月 といふ月の印象は」 「私の日常の気分からいってみれば、その感じは灰皿のふち に載せてある、バットの喫ひのこしである。さつきそこで煙りをくゆらしてゐた かと思ふといっの間にか喫ひくちだけになってゐる。前日から持ち越しの心配ご とについて考へをまとめようと何気なくその喫ひ殻をぢつと見てゐると、思はず 知らず味気ない思ひに胸はふさがる思ひで目をっむってみても、押しつぶされた バットの喫ひくちが目にちらつく。」友人にそんな話をすると、 「くぜっ果つ喫殻 にきく除夜の鐘」と詠んだ。 「友人は除夜の晩に私のうちをのぞいて見たのでは ないかと恩はれるほど成程その通り漸く口説の果てた後ほっとして気がつくと、 いっの問にそんなにたてつづけに喫ったのかおびただしいバットの喫ひ殻が火鉢 の灰にささってゐて遠くきこえるのは除夜の鐘であった。」 「かういふ押しつまっ た世話場のことは別として、私は苦労のない子供のとき霜枯れの田甫みちで遊び まはったのを恩ひ出す。」 「先年十二月の半ばころ風邪のために引きこもり、氷枕 をあててゐても頑痛の激しかったとき私は子供のころの紙凧を思ひ出してモッコ ウ凧を空たかくあげてみようといふ止みがたい気持であった。そのとき私は、 『紙凧のうた』といふ詩をっくったが、これは初めてつくった私の詩。」 「紙だこ のうた」の総題で「その-」、 「その二」として二編が引用されている。なお、 「その-」、 「その二」として掲出されている「紙凧のうた」は、一編の詩として、 『三田文学』 <第2次>3巻11号(昭和3年11月1日)に「粗吟断章」の内に発表さ れたのが初出で、 『四季』 43号・昭和14年1月号(昭和13年12月20日)に再掲され ている。. 頓生菩提-創作・小説- ①自① [1.5.9.12] 改造・16巻13号(12月号) ・創作pp.65-94・12月1日(11月18日) ・改造社・山本三 生・80銭 本文末尾に「(完)」とある。 『頓生菩提』 (竹村書房・昭和10年1月25日)に初収 録。 『川と谷間』収録の際、 「冷凍人間」と改題。単行本・叢書以外では、 『大東 亜文学』第2号(昭和19年12月1日)に「冷凍人体」の標題で中国語訳が掲載。 わたくしごと小感-徳田秋声研究あらくれ・2巻12号(12月号)・pp.23-25・12月1日(11月18日) ・紀伊国屋出版部・ 徳田一種・ 15銭.
(15) 井伏鱒二著作年表稿(昭和9年7月∼12月). 43. 求 「私は自分の空想で、私といふ人間が徳田秋声氏にとってどうい3,男として印 象されてゐるかを述べたいと思ふ。」あらくれ会の席上、 「私」は、片隅で黙って いる。徳田さんは「私」のことを、二日酔いだとか、無愛想な男だとか思ってい るかもしれないが、 「私」はその場の雰囲気を乱したくないだけである。文芸春 秋の園遊会のとき、催し物の見物席で徳田さんに会った。徳田さんは、通りかかっ た正宗白鳥氏に声を掛けた。両大家はごく淡々とした会話を交わしたようであっ た。 <無題>-本年の自作と世評あらくれ・2巻12号(12月号)・p.35・12月1日(11月18日) ・紀伊国屋出版部・徳田 一種・15銭 * 「世評といふほどの反響が見えなかった。小生今年はひっそりとしてゐたやう な結果になった。」以上井伏全文。 <無題>-あらくれ会あらくれ・2巻12号(12月号)・p.81・12月1日(11月18日) ・紀伊国屋出版部・徳田 一種・15銭 * 「今年、おもてむきには活発に書いたとは見えないで実質的に力作を発表して ゐた作家の一人、坪田譲治氏の自愛を祈るところ切なるものがある。私も坪田氏 の瑛尾にふして先づ自分のEj常からして恥かしくないやうにしなくてはならない とこのごろ念願してゐる次第で、人の前で気まぐれの冗談なども云はないことに した。 (井伏生)」以上井伏全文。 * 「井伏鱒二著作年表稿(昭和9年1月-6月)」訂正(本誌前号掲載) 下線部(誤) -→ (正) p.27再録書一覧 6.静思硬-静夜恩 p.29 1月、 「嘉村議多さんの事」の項 「鶏助集」によれば- 「鶏肋集」によれば p.31 1月、 「華同音洲その他」の項 『田園記』所収本文末尾には「(九月一月)」とある- 『田園記』所収本文末尾には 「(九年一月)」とある p.31 2月、 「『もんとでら』の記」の項 あらくれ・2巻・1号pp.85-87・2月1日(1月27日) ・秋声会・徳田-穂・20銭. -あらくれ・2巻1号pp.85-87・2月1日(1月27日) ・秋声会・徳田一種・20銭 『あらくれ』第4号(昭和8年3月5日)に「釣鐘の昔」として、現「釣鐘の音」の冒頭 部分が発表される - 『あらくれ』第4号(昭和8年3月5[])に「釣鐘の音に関する研究」として、現『釣 鐘の音』の冒頭部分が発表される.
(16) 44. p.31 2月、 「増富温泉」の項 「『田園記』所収本文末尾には『(九年二月)』とある。」を付け加える。 pp.33-34 3月、 「筆跡挿話」の項 「筆跡挿話」 - 「筆蹟挿話」 p.34 4月、 「文学的読書」の項 『田園記』 (作品者・昭和9年5月15日) - 『田園記』 (作品社・昭和9年5月15日) p.35 4月、 「釣鐘の音に関する研究」の項 「万歳」と叫ぶことを知らずに「ウ7-イウフーイ」と叫んだということに井伏は興 味を示している。なお、この喚声については、井伏は『さざなみ軍記』においても使 用し、また、 「万歳(『東京E]日新聞』昭和15年1月24日∼25日朝刊)においても、この 「ウフーイウフ-イ」という喚声について記している -「万歳!」と叫ぶことを知らずに「ウ7-イウ7-イ!」と叫んだということに井. 伏は興味を示している。なお、この喚声については、井伏は『さざなみ軍記』におい ても使用し、また、 「万歳」 (『東京日日新聞』昭和15年1月24日∼25日朝刊)において も、この「ウ7-イウテ二才!」という喚声について記している. p.35 4月、 「軒について」の項 静思夜-静夜恩 p.37 5月、 「噂ばなし(-)」の項 再録書なし- 「小林秀雄」の項のみ『論集・小林秀雄』第1集(麦書房196G年7月30 日)に再録。. p.40 6月、 「四季鳥の卵」の項 サンデー毎日夏季特別号pp.131-137・13年27号・6月15日(6月10日) ・大阪毎日 新聞社・荒木利一郎. -サンデー毎日夏季特別号・13年27号pp.131-137-6月15日(6月10日) ・大阪毎日 新聞社・荒木利一郎 p.41 6月、 「水上村見物」の項 静思夜-静夜思.
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自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から
ことの確認を実施するため,2019 年度,2020