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アメリカの労働組合と識字テスト : 移民制限をめぐる労働組合の態度変容について

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アメリカの労働組合と識字テスト

-移民制限をめぐる労働組合の態度変容について-

岡本 雪乃

American Labor Union and Literacy Test: On Change in Preference of Labor Union

Yukino OKAMOTO

Abstract

Who did require immigration restrictions based on race and ethnic factors in the United States from the 19th century to the 20th century? It is commonly understood that labor union required such a restriction to defend their wages and labor conditions. However, it is not clear reason why labor union dares to require such a racist way despite had required any other way before.

The purpose of this study is to clarify factors that caused them to require such restriction. This study proposes that their require was made by policy legacy, previous immigration policy.

This study analyzes the process of the their requirement change from a modification of Alien Contract Labor Law to literacy test in 1897. The literacy test is their first attempt to regulate white immigrants by race and ethnic factors. I focus on the causes of modification of Alien Contract Labor Law failure, and elucidate the relationship between the causes and their change in requirement.

The result shows their change is caused by failure of implementation of Alien Contract Labor Law in spite that they did not have such interest. The failure in enforcement arouse from the institutional cause of low ability of administration and judicial conflict. They only had the choice in order to avoid these factors from implementation of immigration restrictions.

This result indicates that possibility to modify conventional interpretation on American immigrant study from the view of institutional factors. In that way, we can expect to understand the alteration overview of the immigration policy and the national order.

はじめに

本稿の目的は、19 世紀後半から 20 世紀初頭にかけて のアメリカで、労働組合が人種主義的な移民政策を要求 した理由を探ることである。 アメリカは建国時からずっと、多くの移民を受け入れ 続けてきた移民国家である。多くの、そして様々な文化 的背景を持つ移民を受け入れてきた経験はアメリカ人た ちのアイデンティティの重要な一要素となり、「自由」 や「平等」「アメリカン・ドリーム」といった独特のア メリカ文化の形成に大きな寄与を果たしてきたi。しか し、19 世紀の後半に連邦政府によって移民行政が開始 されると、1882 年の中国人排斥法に始まり、20 世紀初 頭には日本人を含めたアジア系、東南欧系移民の入国ま でもがその人種、民族性を理由として制限されるように なった。特に、1924 年の移民法はそれまでの開放的な

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移民政策からアングロサクソン中心主義を反映した出身 国割当制度を導入し、人種、民族的属性に基づいた入国 制限を行ったという意味でアメリカ移民政策史上の大き な変化のひとつとなったii。この 1924 年の移民法に基づ く移民受け入れの枠組みはもうひとつの大変化である 1965 年の移民法によって差別的規定が取り払われるま で、約 40 年間続くこととなる。 それでは、伝統的に移民の受け入れに寛容であり、そ のことを国家的アイデンティティとすらしていたアメリ カで人種差別的な制限が行われたのはなぜなのか。一般 的にこの要求を行ったのは労働力の過剰供給に直面した 労働組合であるといわれている。19 世紀後半から 20 世 紀初頭まで、アメリカ経済は数年おきに深刻な不況に よって失業率が増加した一方で、新来移民はとどまるこ となく押し寄せ、労働力を供給し続けた。この状況を問 題視した労働組合は労働力の過剰供給を防ぐため、移民 制限を求めるようになるが、従来の研究ではこの時の労 働組合の要求は自らの雇用を脅かされるという労働者階 級としての恐怖だけでなく、彼らとは異なる出自や風習、 習慣を持った移民に対する偏見や差別意識に基づいて 行われたものであると指摘されているiii。(J. Commons 1935:p.23, 野村 1967:p.188, 同 2013:p.188-p.189)し かし、これらの説明には以下のような疑問が残るように 思われる。 労働組合が入国後に労働者として労働市場に参加する ことになる移民の受け入れを制限しようと働きかけたと の主張には十分な妥当性がある。普通、移民の受け入れ を必要とするのは安価な労働力を調達しようとする企業 であり、労働組合はそれに反対するだろう。労働組合に とって移民は同じ階級に属する仲間であるが、他方で彼 らは国内労働市場において相対的余剰人口となって蓄積 し、国内労働者の労働条件を引き下げる敵としても映ず るためである。移民政策はこのように対立する利害を持 つ企業と労働組合との駆け引きの間に決定される。頻繁 に不況が繰り返されていた当時のアメリカでは、労働組 合にとって移民の制限は重要な課題であった。 しかし、労働組合は普通、移民政策において人種や民 族、宗教などの経済に関わらないはずの基準によって移 民の受け入れを拒もうとするとは考え難い。受け入れの 可否が企業と労働組合との駆け引きによって決まるのな らば、労働組合はどれだけの数の移民が、どのような業 種に、どのような形態で受け入れられることになるのか という移民の数と労働条件に関する問題こそを重要な争 点とみなし、特定の人種や民族、宗教などの問題につい ては無関心であると想定されるためである。 筆者は以前、それまで寛容な態度を示していた白人移 民の受け入れに初めて制限を行おうと試みた 1885 年の 契約労働者禁止法(Alien Contract Labor Law)の成立 過程において、労働組合の問題意識と人種秩序観がいか なるものであったのかを分析した(岡本 2017)。その結 果、労働組合には特定の人種や民族を排除しようとする 意図はなく、彼らが問題としたのは人種や民族というよ りも相対的余剰人口の増加であったことが明らかになっ た。制限されたのは相対的余剰人口を増加させていたと 考えられた契約労働制度に基づく移民の入国であって、 少なくともこの時期、白人移民については特定の人種や 民族的属性をもった人を排除しようとするような排外的 ナショナリズムに基づいた入国制限が求められてはいな かった。 では、労働組合はなぜ、1885 年には要求しなかった 人種差別的な制限を求めるようになったのだろうか。 1885 年以降に労働組合の移民への態度が変化したのだ としても、アメリカが伝統的に多様な文化的背景を持つ 移民の受け入れに積極的であり、さらに国民の大多数が かつては移民であったという経緯を考えるならば、そう した政策は強い批判をあびることが容易に想像できるた め、人種差別的な制限は労働組合にとって魅力的な提 案ではなかったはずであるiv。それにもかかわらず、労 働組合が 1885 年時点での経済的属性に基づく制限から、 人種、民族的属性に基づく人種差別的な制限へと要求を 変化させたのはなぜか。 この疑問にこたえるため、本稿は契約労働者禁止法が 制定されて以降に繰り返された修正の過程に注目して、 変化の要因を明らかにしようとするものである。契約労 働者禁止法は成立当初、ザル法とよばれ、成立後しばら くは労働組合によって数度の修正が繰り返された。しか し、修正を繰り返す中、1897 年に労働組合は識字テス トの導入を支持するよう態度を変化させる。識字テスト は東南欧系の移民が文字の読み書きができなかったこと を利用して彼らを排除する手段として優生学を主張する 人種主義団体によって支持されていた手法であり、労働 組合は以後、優生学協会と連携を取りつつ識字テストの 導入によって「劣等人種」たる東南欧系移民の入国制限 を求めるようになっていくv。したがって本稿では、労

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働組合が契約労働者禁止法の制定、修正から識字テスト の導入を要求するようになるまでの過程に注目し、労働 組合に識字テストの導入を求めさせた要因をさぐってみ たい。 以下ではまず、社会的学習(social learning)の議論 を参考にしながら記述のための分析枠組みを提示する。 そして、その分析枠組みをもとに 1885 年以降に行われ た契約労働者禁止法の修正の過程を分析し、労働組合の 要求を変化させた要因について考察する。最後に、分析 結果から本稿のインプリケーションを考察する。

1.分析の視点

契約労働者禁止法が期待された効果をあげられず、労 働組合は識字テストの要求を支持するようになったが、 一度決定した政策になんらかの問題が発生した場合、利 害関係者はどのように問題解決をはかるのだろうか。 この過程をホールは「社会的学習」の概念を用いて説 明する(P. Hall 1993)。社会的学習とは政策形成にかか わるアクターが過去の政策のパフォーマンスから政策的 手法の有効性や限界を認識し、政策の目標あるいは手 段を修正する試みのことを指す(P. Hall 1993:p.278)。 ホールによると社会経済状況の変化や政策そのものの構 造によって問題が発生した場合、官僚や政治家、利害関 係者などの様々なアクターによって学習が開始され、問 題を解決しようと政策が変更される。ただし通常、大規 模な変更が行われることはない。政策や制度には粘着性 があるため、既存の政策の目標が維持されたまま、政策 手段や政策手段の設定(具体的な水準)の変更といった 漸進的な変化によって問題解決が図られる。これに対し て政策の目標は、漸進的な変化が数度繰り返されても解 決できない問題が発生し、「失敗」が蓄積されるように なった場合に見直しが行われる。政策目標の見直しは それまでの政策を規定していた政策パラダイム(policy paradigm)を変更させることになるために大規模な変 化となる(P. Hall 1993:p.278-281)。 本稿でとりあげる労働組合が要求を変化させた事例も この通りの展開をみせた。契約労働者禁止法が制定され て以降、同法が効果をあげられないという問題に直面し ても、労働組合は契約労働制度を利用した移民の入国を 禁止するという既存の政策パラダイムの範囲内で解決を 図ろうと修正を繰り返し要求した。しかし、修正を繰り 返しても効果をあげられずに失敗が蓄積されると既存の 政策パラダイムでの解決が困難であると限界を感じ、政 策目標を変更させようと試みるようになった。 では、「失敗」が蓄積された結果、労働組合はなぜ識 字テストという人種差別的な手法を要求するようになっ たのだろうか。一度確立された政策パラダイムはその後 の政策決定を強く規定するため、利害関係者らは自らの 利益実現のために有利なパラダイムを提示しようと、戦 略的な駆け引きを行う。たとえば利害関係者間での合意 形成が困難であると予想される政策案の実現のために問 題を別の問題として設定し直すことで対立を緩和したり (Koch 1998)、あるいは社会的な注目が集められない問 題を解決するために人々の関心を集めるような課題設 定を試みることで賛同者を増やしたり(Shattschneider 1960)しようとする。本稿の関心である移民政策は課題 設定において多様な戦略が取られやすいことが指摘され ているvi しかし、1885 年から 1897 年の間、民主党と共和党と の勢力が均衡していたために議員にとって労働組合が無 視できない存在であったことを考えると組合外勢力との 合意形成や協調関係を必要としたとは考えにくい。白人 には開放的な移民政策を行ってきたという文化的な背景 を考えても同様である。つまり、労働組合が提示した新 たな手法は、他のアクターとのなんらかの取引や妥協の 結果として提示されたわけではなく、労働組合自身の利 害認識に基づいて提示されたと考えられるのである。 パラダイム転換が生じる際の政策過程について秋吉 (2006)は新たなパラダイムが構築された後に、制度化 される過程が存在し、それらの過程では政策決定、アク ターの問題認識、利害に影響を与える要因が存在すると 指摘している。 まず、新たなパラダイムが構築される段階では個別 具体的な政策の中核となるアイデア(idea)が形成さ れるが、この過程では認識コミュニティ(epistemic community)(P. Haas 1992) と よ ば れ る 政 策 領 域 に 関する知識の専門家からなるネットワークや政策遺産 (policy legacies)(Weiner and Skocpol 1985)とよばれ る過去に作られた政策が重要な役割を果たす。アクター の利害認識や選択は、自身の支持するアイデアが実現さ れるようにアイデアの説得力を主張し、波及させようと する認識コミュニティの影響を受ける。また同時に、歴 史的制度論が指摘するように、一度作られた政策、制度

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は利害関係者の利益や政治意識を大きく規定することか ら過去の政策、制度が政策遺産として影響を与えること になるvii 次に、新たなパラダイムの下、特定の政策アイデアが 具体的な政策の手段として制度化される段階ではアク ター間の利害調整が行われることになるが、この過程で は政策アイデアに政治的実行可能性があり、そのアイデ アによって問題解決が可能であることが求められるよう になる(秋吉 2006:p.114)。ただし、これらの過程は必 ずしも段階的に生じるわけではなく、独立しているわけ でもない。 19 世紀末のアメリカでは優生学を主張する認識コミュ ニティが 1885 年の時点で存在しており、識字テストの導 入がその方法のひとつとして提案されていたviii。労働組 合が 1885 年に契約労働者禁止法において白人移民に初め て入国制限を行おうとするときには共感されなかったこ のアイデアが 1897 年には賛同されるようになった背景に は、認識コミュニティ以外の要素、すなわち政策遺産に よるなんらかの影響が生じたのではないかと考えられる。 「失敗」に終わった契約労働者禁止法という過去の政 策が政策遺産として影響し、識字テストの政治的実行可 能性を高めたために労働組合は 1897 年に識字テストの 支持に踏み切ったのではないか。こうした仮説に基づい て本稿では、契約労働者禁止法の「失敗」と識字テスト との関係を政策遺産、政治的実行可能性に注目して検討 していく。 仮説の検討は以下のように進められる。まず、契約労 働者禁止法が制定されてから修正されるまでの過程を概 観する。次に、契約労働者禁止法が「失敗」に終わった 原因を探る。普通、政策が想定した成果をあげられない のは、政策形成に先行してそもそもの問題認識、課題設 定が誤りであった場合と、問題認識は正しかったがその 後の段階において社会構造の変化や実務上の問題といっ た運用にかかわる問題が発生した場合の 2 つが考えられ るため、本稿ではそれぞれの可能性を検討する。そして、 政策遺産としての「失敗」の要因が労働組合の選択に与 えた影響を検討する。

2.問題の経過

2.1.契約労働者禁止法の制定 南北戦争後、中国人移民が人種を理由に同化できない として、入国を制限されるようになった一方で、白人移 民は中国人と同様の労働条件下にあっても入国は認めら れ続けていたix。しかし、経済状況が悪化しだすと白人 移民についても入国制限が求められるようになる。 南北戦争後の急速な工業化は熟練労働力に代わる大量 の非熟練労働力の需要を生み、1870 年代以降の大量の 移民がこれを満たしていた。1881 年から 1910 年の間に 入国した移民は 18 万人近くに上っているが、これは移 民統計が取られ始めた 1820 年から 1880 年までに入国し た移民者数を上回る数であったx。そして彼らのうちの 大部分は都市部の工場労働者階級に吸収されていった。 しかし、1883 年から 1886 年にかけて起こった深刻な 不況によって労働環境や賃金の引き下げが行われるよう になると、労働騎士団(knights of labor)をはじめとす る労働組合によって移民労働力の過剰流入がアメリカ人 労働者にとっての死活問題としてみなされ、制限が求め られるようになった。そこで労働組合は企業が移民労働 力を調達する際に、入国に先立って海外で募集を行う契 約労働制度を利用していたことに注目し、その調達方法 を批判して規制しようと試みた。その結果制定されたの が 1885 年の契約労働者禁止法であるxi 契約労働者禁止法は以下の 6 条からなっているxii。ま ず第 1 条で合衆国内への契約労働者の入国が禁止されて おり、口頭によるものか文章によるものかにかかわらず、 また明示されているかどうかにかかわらず、いかなる形 においても入国に先立って労働の約束を行うこと、その ための渡航費を援助することを禁止している。第 2 条で は第 1 条に基づく契約が無効であることが定められ、第 3 条ではそうした契約を行った雇用者を罰則する規定が 定められている。また、第 4 条では契約労働者であるこ とを知ったうえで渡航させた船長にも罰則が及ぶことが 定められている。そして、第 5 条では本法の例外として 合衆国内に一時滞在する者が雇う秘書・家事使用人、国 内でまだ育成されておらず雇用が困難な新規産業の熟練 労働者、大学教授や芸術家等の一部の専門家の雇用が挙 げられている。第 6 条は本法と抵触する法についての附 則である。 2.2.労働組合による修正と識字テスト しかし、1885 年に契約労働者禁止法が成立するも、 同法は十分な効果をあげることができないでいた。そこ で初期には労働騎士団、その後はアメリカ労働総同盟

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(American Federation of Labor、以下、AFL と表記す る)による強力な働きかけの結果、同法は修正が繰り返 された。1887 年には契約労働者としてアメリカに渡航 してきた外国人を追放する権限が財務長官に与えられ、 入国審査体制が強化されたxiii。また、1888 年の修正で は同法に違反して入国してきた契約労働者を1年前まで 遡って強制追放できる権限が財務長官に与えられたxiv そして 1891 年には契約労働者禁止法は全般的な移民法 の中に吸収されることになった。その結果、審査手続が 一段と強化され、それまで手薄であったカナダ・メキシ コ国境での検問が開始された。また、船上での審査もよ り詳細に行われ、審査体制は整備・強化された。さらに、 実際に事前に契約を結んだか否かにかかわらず、海外で 移民に労働の勧誘をする等、なんらかの方法でアメリカ に移住する気にさせることが禁止されるようになったこ とで入国を禁止される移民の範囲は格段に広がったxv しかし、修正の努力も虚しく効果はあげられなかっ た。移民委員会の報告によると、同法に基づいて帰国さ せられた移民の数は毎年の移民総数のわずか 1% にすぎ ないxvi。労働組合はこうした状況を問題視し、修正を繰 り返すことで移民労働者の入国を阻止しようと試みた。 しかし、修正を求める議論が繰り返される中、1897 年 の AFL 全国大会において、労働組合は人種差別的な制 限方法であると一般的に認識されていた識字テストの導 入の支持を表明した。識字テストの支持は契約労働者禁 止法が制定された当時から議論されていた手段であった が、1897 年にいたるまで、この方法はあえてとられな かった。先述したように識字テストは当時アメリカに やってくる東南欧系移民の識字率が低かったことを利用 して彼らの選挙権や市民権の取得を制限する手段である と人種主義団体が主張していたため、支持するには抵抗 があったものと思われる。識字テストの要求を支持する ことは労働組合がその後、人種差別的な制限を要求して いくという姿勢を表すことに等しいことであったxvii 2.3.識字テストの要求とその後 1897 年に労働組合は初めて人種差別的な手法である 識字テストの導入を支持し、その後の移民政策に要求を 反映させていったが、その要求はすぐに受け入れられた わけではなかった。議会では相変わらず 2 大政党の勢力 が拮抗していたため、多くの支持を得ようとする議員に とって労働組合の要求は無視できず、受け入れられやす い状況にあった。したがって識字テストの要求は議会 を通過することは容易だった。しかし、大統領の拒否 権の前に成立を阻止され続けた。ようやく成立するのは 1917 年、ウィルソン大統領による 2 度の拒否権を乗り 越えてのことである。 ただし、労働組合は 1897 年の決定以降、常に識字テ ストによる移民制限を要求していたわけではなかった。 労働組合は 1897 年に一度は識字テストの導入を要求し たものの、その後 1898 年に経済状況が良くなると識字 テストへの関心を薄めたxviii。識字テストが労働組合に よって再び公式に要求されるようになるのは 1905 年の ことであるxix。しかしこの間、労使対立が鈍化したわけ ではなく、増加し続ける移民に労働組合は問題意識を抱 き続けていた。なお、労働組合の働きかけによって中国 人労働者に対する差別的な移民制限法が作られたのは 1901 年のことである。

3.分析 1:労働組合の認識と契約労働者の実態

契約労働者禁止法の制定と修正にあたって、自らの労 働条件を引き下げているのが契約労働制度によって調達 された移民労働力であるとする労働組合の問題認識は誤 りだったのだろうか。19 世紀末のアメリカに契約労働 者は存在したのか。国内の労働条件を引き下げさせた原 因は契約労働制度を利用した労働力の調達だったのか。 契約労働制度とはアメリカ国内での労働を入国に先 立って約束したうえで移民させる労働力調達の方法であ るが、従来、この制度は特定の職種で熟練労働力を必要 とする場合にのみ利用されてきたものであった。しかし 本国で熟練労働に従事していた契約労働者達は階級意識 が高いためにアメリカでの労働条件に満足せず、契約を 果たさずに帰国したり他企業へ移動したりしてしまう事 態が頻発した。そのため、経営者にとって契約労働制度 による熟練労働力の調達はコストが大きくなり、機械化 の飛躍的な進展による熟練労働力需要の低下も手伝って 次第にその数は減っていくこととなった。 それでは、19 世紀末に契約労働者は存在しなかった のだろうか。C. エリクソンは、契約労働制度がこの時期 には既に衰退しており、1885 年の契約労働者禁止法は根 本的に時代遅れな法律であったと評価する(C. Ericsson 1957)。たしかにこの時期、契約労働制度に基づいた熟 練労働者の数は減少しているのだが、非熟練労働者の雇

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用方法に注目してみると契約労働制度はまだこの国で多 く存在していたのではないかと思われるところがある。 当時、飛躍的に成長していた鉄道建設産業のように港 から離れた地域で大量の労働力を必要とする場合や季節 労働などの短期の労働力を必要とする場合、移民労働力 を配分する制度が発達していなかったアメリカでは大量 の低賃金労働者を都市部の労働市場から調達することは 非常に困難だった。こうした場合、企業は移民斡旋会社 のような労務供給事業を利用して国外から労働力を調達 しようと試みたxx。熟練労働者の場合と異なって第 3 者 を介在させてはいたが、入国に先立って労働の約束を 行っていたという意味では契約労働制度は存続していた といえる。さらに労務供給事業を通じた移民労働力は都 市部の低賃金労働力、スト破り要因としても使われたこ とから、彼らは国内の労働条件を引き下げるよう機能し ていたといえるxxi また、こうした移民斡旋会社を利用する他にも労働の 期間や賃金の取り決めを行わないままに国内での労働を 約束し、労働力を調達する方法が存在した。たとえば低 賃金労働力を調達するため、入国時に所持していれば雇 用を約束するとして企業が大量の労働者募集広告を海外 で配布したことや、従業員に手紙を書かせることで労働 環境や賃金の条件、雇用状況をその親類者や友人に知ら せ、時には渡航の切符を送らせていたことが確認されて おり、こうした方法によって入国してきた移民の数は決 して少ないものではなかったxxii 労働組合が契約労働制度を問題とした時には、こうし た曖昧な、広義の意味での契約労働者の存在を問題視し、 規制しようとしていたように思われる。1885 年の契約 労働者法の文言では契約を交わすことのみでなく契約の 含意や暗示を行うこともが契約労働制度に含まれるとし て禁止されるよう修正された他、その後の修正でも契約 労働の概念はより広義に定められている。さらに、同法 が 1891 年に全般的な移民法の中に吸収されたときには、 労働契約の有無にかかわらず、企業や輸送会社による移 住の勧誘によってその気にさせられたと思われる者まで もが制限の対象になったのである。 エリクソンが契約労働者は 1885 年の時点ではすでに 存在しなかったという時、契約労働とは企業が外国人と の間に自ら直接、労働契約を結んだ場合にのみ成立する ものとして論じられている(C. Ericsson 1957)。しかし、 実際の雇用状況を見てみるならば当時の移民たちは、企 業との契約に基づいてはいないものの、第 3 者との労働 契約や手紙、広告を通じたなんらかの雇用のあてを持っ て入国していることが確認できることから実質の契約 労働制度は存続していたといえるxxiii。さらに、契約労 働制度によって入国してくる労働者のうちのほとんど 全てが非熟練労働者であり、工場の低賃金労働者、ス ト破り要因として使われたことは、契約労働制度が国 内労働者の労働条件を引き下げるよう作用していたこ とを示している。したがって、契約労働者禁止法の制 定と修正を行おうとした労働組合の問題認識が根本的 に誤っていたとはいえず、しかも修正によって同法の 文言上の契約労働制度はより現実のものへと近づいて いったといえるだろう。

4.分析 2:運用上の問題

契約労働者禁止法の制定と修正における労働組合の問 題認識、課題設定の方法が正しかったとすれば、政策が 期待された成果をあげられなかった原因は政策が決定さ れて以降の段階で生じたことになる。本節ではまず、契 約労働者禁止法が運用される段階でいかなる問題が生じ たのかを検討し、次に、この問題が修正によって回避さ れなかった理由を探る。 契約労働者禁止法の目的は入国に先立って労働の約束 をした者の入国を制限することとその雇用を行った企業 を取り締まることであるから、同法が効果をあげられな かったという時には 2 つの状況が考えられる。ひとつは 契約労働者の入国を制限できなかった場合であり、もう ひとつは契約労働者を入国させようとした企業に罰則を 与えられなかった場合である。 4.1.出入国管理行政にかかわる問題 まず想定されるのは契約労働者である移民を契約労働 者であると認識できず、入国させてしまっていた場合で ある。契約労働者の入国規制は財務長官に権限を与えら れた現場の職員たる移民捜査官によって行われていた。 したがって、原因としてまず考えなければならないのは、 出入国管理行政上の問題である。 1885 年から 87 年までの間、現状に納得しない労働組 合にとって問題だと認識されたのは移民捜査官に強制送 還の権限が付与されていないことであった。このため、 契約労働者の入国は実質制限されることはなかったxxiv

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AFL の働きかけによって 1887 年以降は入国審査で契約 労働者であると判明した場合の強制送還が可能になっ た。しかし、この時に問題となったのが出入国管理行政 の脆弱性である。 アメリカでは建国以来、移民の制限に関する権限は州 に属すると考えられていたことに加え、そもそも制限が 求められなかったため、連邦の下に統一した移民管理に 関する行政制度が作られることはなかったxxv。移民行 政が本格的に始められたのは南北戦争後のことである。 1882 年の移民法によって初めてパスポート・査証のシ ステム、主要港における移民捜査官の配置といった出入 国管理行政が開始された。しかし、この時の移民法が『法 令全書』の中でも約 1 頁と短いものであることや移民局 のような独立した部局が設置されなかったことからわか るとおり、連邦による出入国管理行政は未だ形成途上に あったxxvi こうしたアメリカの出入国管理行政の弱さは契約労働 者禁止法の運用が開始される 1885 年になっても変わら なかった。権限の拡大に加えて 1888 年に契約労働者禁 止法に基づく入国審査に予算が付けられることになり、 専任の捜査官が配置されることになったが、ニューヨー クとボストンの 2 カ所にそれぞれ 1 人ずつと非常に少な いものであった。行政は犯罪者・困窮者・病人などの審 査を行っていた既存の入国捜査官に追加の審査項目とし て契約労働者であるか否かを審査させようとしていた。 しかし、移民数が毎年増加していったにもかかわらず業 務負担を増やされたことで捜査官の業務遂行能力が追い つかなくなっていった。その結果、入国管理行政は実質 強化されないままに入国審査には様々な抜け穴が存在し ていたxxvii こうした抜け穴を利用したのが企業である。たとえば、 捜査官の数が少なく、全ての入国希望者に対する審査は 不可能であった。そのため審査が行われるのは 3 等客室 の乗客だけであり、それ以外の乗客はほぼ無審査で入国 することが出来た。この抜け穴を利用して企業は契約労 働者を 2 等客室に乗船させるなどの方法で労働力の調達 を行っていた。また、入国審査は捜査官の質問によって 行われていたのだが、捜査官の数が著しく不足していた ために移民ひとりあたりにかける労力は必然的に小さく せざるを得ず、入国審査は機械的に行われていた。その ため、企業はあらかじめ質問への答え方を移民に指示す ることで審査をすり抜けて契約労働者を調達することが できた。さらに、この時期は陸路による出入国管理が行 われていなかったために、港での審査を避けた移民がカ ナダ国境から入国してくることがよくあった。当時カナ ダに到着した外国人のうちの半数近い人数が、カナダ国 境からアメリカに入国するという状況であったxxviii こうした状況に AFL は、入国審査が技術的に困難で あるならば、入国時の見逃しで強制送還されなかった外 国人の存在がその後明らかになった場合には入国から 2 年まで遡って強制送還できるように要求した。この要 求は 1889 年の修正に反映され、1 年まで遡って強制送 還できるようになった。その後、1891 年の移民法によっ てアメリカの移民行政は充実し、本格的な出入国管理行 政が開始された。移民規制は財務長官の権限のもと、新 たに移民監督局が作られ、財務長官へ毎年報告すること が義務づけられた。他にも、船上での移民審査の義務と その審査規定が明記されるようになった。加えて、カナ ダ、メキシコとの国境で入国審査が開始されるようにな り、1891 年に 24 の国境検問所が設置、翌年には駐在の 入国捜査官が配置された。それでも、凄まじく増加する 移民の前に、依然として入国管理行政は対応しきれない ままであった。産業委員会に報告をよせたある移民捜査 官は、入国管理体制が強化されたところで予算や捜査官、 通訳が不足しているため多くの契約労働者が入国してし まっていると指摘しているxxiv 4.2.罰則にかかわる問題 契約労働者法による企業への運用は裁判所が行うこと になっていたため、この場合の問題は司法に求められる。 この時期のアメリカの裁判所は労働組合に非常に敵対的 であり、企業に友好的な審査と解釈を行うことによって 労働立法が葬り去られたり組合活動が制限されたりする ことが珍しくなかった(竹田 2010:pp.153-163)。契約 労働者禁止法も同様の理由によって効果が弱められるこ とになる。 1870 年代から 20 世紀初頭にかけて労働運動が高揚し た時代、労働組合は二大政党から重要な譲歩を勝ち得る ことが容易であり、多くの労働立法を成立させることが できたxxx しかし、これらの法律は裁判所の司法審査によって不 当な階級立法であるとみなされ、しばしば無効とされて いた。裁判所と労働組合の対立を最も象徴的に表す事例 は、雇用の条件として組合加入を含め労働組合との一切

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の接触の禁止を要求したイエロードッグ契約に関する事 例である。労働組合の側はイエロードッグ契約が労働組 合を破壊しかねない契約だとして反対し、イエロードッ グ契約反対の法律を制定させた。しかし、裁判所はこれ を企業の自由を侵害するとして無効にした。その結果、 労働組合の結成・組合への加入が違法とみなされるよう になったことで労働組合に大きな衝撃を与え、労働組 合と裁判所の対立は激化したxxxi。このように司法権力 が労働組合に対して厳しい態度を取った背景には当時の 判事が基本的には企業弁護士として企業の私有財産権を 守ることで成功した法律家から選ばれており、企業と近 い立場にいたという事情があった。また、判事のほとん どは富裕層出身で保守的であった(G. Friedman 1998: pp.173-175)。そのため、19 世紀末に高揚した過激な労働 運動は彼らにとって財産の自由が脅かされる恐怖を与え、 敵対的な立場を取らせるようになったのである。 契約労働者禁止法の運用についても裁判所は厳しい姿 勢をみせた。これまで確認してきたように契約労働者禁 止法の禁止規定は修正が繰り返されるたびに増やされ た。最終的に 1903 年の移民法では契約の証明は必要と されず、海外での労働力の募集や渡航費の補助が行われ たとみなされる事実があれば契約労働者禁止法によって 移民の入国は拒否、企業は処罰されることとなった。し かし、こうした法の修正による禁止規定の拡大にもかか わらず、裁判所は雇用を行った企業の起訴を困難なもの としたxxxii 起訴が困難であったことの要因は契約労働者禁止法に おいて禁止規定が拡大されたにもかかわらず、裁判所が 同法違反の要件として厳密に契約の存在が証明されるこ とを求めたことであった。そのためには、1886 年の時 点で以下の事柄が証明されなければならないとの判決が くだされ、修正後にもこの原則は引き継がれたxxxiii。まず、 入国に先立ってアメリカ国内でなんらかのサービスを行 うよう労働の契約ないしは取り決めが行われていなけれ ばならない。さらに、その契約を履行するためにアメリ カに移住しなければならない。そして違法な契約の存在 を知りつつ、その外国人の渡航費の援助を行う等して移 住を進めなければならない。この 3 つの要件が揃って初 めて起訴が可能となる。 ここで特に問題となるのは 1 点目の入国に先立つ契約 ないしは取り決めであった。裁判所は契約を厳密に解釈 することで有罪件数を減らした。法の文言上では契約と は文書によるものであろうとなかろうと労働を行うと思 わせるなんらかの勧誘であるとしているのだが、裁判所 はこれを決められた期間に決められた場所での労働の提 供と支払われるべき対価の取り決めであると解釈し、も し契約が履行されない場合に強制ができない契約は同法 がみとめる契約ではないとの判決を下したxxxiv。そのた め、移民の調達手段として使われていた手紙による移民 の調達は支払われる報酬や雇用の期間が正確に示されて いないために同法に抵触する方法ではないとみなされ た。また、パドローネなどの移民調達会社を用いた移民 の調達も入国前に労働に関する具体的な取り決めがなさ れないために同法には抵触しないとされた。このように、 裁判所は契約労働の枠組みをより厳密に解釈することに よって起訴を困難にした。起訴には 3 つの要件全てを満 たす必要があったために、渡航者の費用を援助している ことが明らかになろうとも、契約が行われていないと判 断された場合には有罪とならない。 また、2 点目の要件について、そもそも契約労働者は 入国時の審査によって入国が禁止され、強制送還されて いるはずであるため、基本的には契約労働者は入国して いないはずである。したがって、企業が罰せられるため には入国審査における見逃しが必要になるという問題を 抱えていたのであった。 こうして、裁判所の解釈によって契約労働者禁止法は 雇用者を取り締まることが困難となり、契約労働制度を 利用して労働力を調達しようとする企業に罰則を与える ことも抑制を働かせることもできないままとなった。裁 判所による労働組合の攻撃は当時珍しいものではなく、 次第に AFL に法律による改革の限界を認識させるよう になっていったxxxv。企業による激しい攻撃性の前に、 アメリカの労働組合の性格が階級的なものから保守的、 民族的排他性を持つものに変容していったといわれるの は、ちょうどこの 1880 年代から 90 年代のことであった (Marks 1989:pp.204-217)。 4.3.運用における問題と企業 本節では契約労働者禁止法の運用にあたって生じた問 題に労働組合が法の修正を重ねることで対処しようと試 みるも、結局その試みが失敗してしまったことを確認し てきた。企業は政策が決定される段階では終始静観に徹 して労働組合の要求通りの政策を成立させたが、実施の 段階ではその枠組みに対抗して契約労働制度による労働

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力の調達を行うことが容易にできた。最後に、運用にお ける問題が修正によって解決されなかった理由を、こう した問題を利用した企業の視点から整理する。 行政組織が発達しておらず入国管理行政の能力が低 かったため、企業は政策決定に介入せずとも契約労働者 の調達をそれまで通り行うことができたのは先述の通り である。これを可能にさせていたのは企業が入国に先 立って移民と接触する機会を持っていたことであった。 企業は契約を行った段階であらかじめ入国審査を切り抜 けられるよう指示することができた。入国を希望して やってくる移民にとってこの指示に従うことは魅力的で あったために、入国管理行政の抜け穴に移民が殺到する こととなり、多くの契約労働者の入国が可能となった。 司法はこうした企業の違法行為を後押しするよう作用 した。司法権力と友好的な関係を築けていたことが、違 法行為が見つかろうとも企業には罰則が与えられにくい 状況を作り出した。そのため、契約労働制度に基づいて 労働力を調達し続けることは企業にとって低賃金労働者 を獲得可能にさせるが、そのせいで自らに不利益を生じ させることにはならなかった。したがって、企業に抑制 が働かず、契約労働制度の利用が減ることはなかった。 このことが入国希望者数の増大をもたらし、行政の負担 を一段と大きくさせた。入国管理行政が強化される以上 の負担が常に発生し続けたために入国審査上の問題が解 決されることはなかったのである。 このように、行政制度が発達していなかったアメリカ において、元来、聞き取り調査による入国審査は負担が 大きく企業に有利に働きやすい手法であった。さらに、 行政の能力が強化されるようになっても、企業は入国前 の移民との協力関係、司法との友好的関係という資源を 利用することで法律に対抗することができた。そのため、 修正がくりかえされようとも同法が契約労働者の入国を 阻止することはできず、修正は失敗に終わってしまうの であったxxxvi

5.運用の失敗と識字テスト

これまで、労働組合は相対的余剰人口を抑制するため に契約労働者の入国を制限できるように修正を繰り返し たが、同法に違反して労働力を調達しようとする企業に よって入国管理行政、司法による刑罰と抑制がほとんど 機能できなかったため、同法の運用が著しく阻害された ことを確認してきた。この結果、1897 年に労働組合は 識字テストによる入国審査を求めるようになるが、これ がなぜ、識字テストの導入を支持させたのだろうか。 第 1 に考えられるのが従来の研究が指摘する「排外的 ナショナリズム」による説明である。これまでの研究で は労働組合が本来持っていた中流階級アメリカ人として の移民への恐怖と偏見が人種差別的な移民制限を行わせ た原因であると説明されてきたxxxvii。また、「人種への 帰属意識が階級への帰属意識を圧倒するxxxviii」という言 葉があるように、アメリカの階級闘争は人種問題にすり 替えられやすいものであることが確認されている。この 立場にたてば、行政と司法が機能できない状態が続いた ことが労働組合に不満として蓄積され、それが排外的ナ ショナリズムに変換されたことになる。この説明はアメ リカ労働史に特徴的な人種と階級との関係を考えると説 得的なところがあるが、1898 年から 1905 年までの間、 移民問題が重要な問題であると認識されながらも一度は 識字テストの支持が取りやめられた理由を説明できな い。また、移民数が増加の一方をたどる中、1901 年に は人種問題として中国人労働者の入国を制限させた労働 組合がこの時期に東南欧系移民にだけ態度を軟化させた とは考えにくいxxxiv そこで第 2 に考えられるのは排外的ナショナリズムを 伴わない「戦略的な選択」による説明である。この場合、 労働組合は差別的な制限を要求するよう変化したが、そ の目的は変わらず相対的余剰人口の抑制であり続け、人 種差別的な目的を持っていたわけではなかったと理解さ れる。これまで本稿は、契約労働者法が期待通りの効果 をあげられなかった原因は企業がもつ資源に対して入国 管理行政が脆弱だったことにあると論じてきた。このこ とは、法律を修正して目的を達成しようとする場合、企 業の資源を削減するか、それに対抗できるほどに入国管 理行政を強化せねばならないことを示す。しかし、行政 機構が発達しておらず、そのことが国家的アイデンティ ティとして根付いていたアメリカで、行政機能、支出の 拡大は困難であった。さらに、判事は終身制であるため に司法による弱体化を防ごうとすることもまた、しばら くは困難であった。修正が繰り返されるうちに労働組合 はこの困難さを認識していくことになる。そうすると、 労働組合にとって残された手段は司法と行政とを回避す る方法になる。この時期、司法による労働運動の妨害が 繰り返されることに失望を覚えた労働組合が次第にヴォ

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ランタリズムの路線を取っていったのがその適例であろ う。 この時、いくつかの単語の理解の確認や簡単な英語の 問いかけに答えられるかどうかを試し、答えられなけれ ば強制送還を行うという識字テストによる制限は現場の 移民捜査官にとって、契約労働者であるか否かを多くの 質問によって判断するよりもはるかに負担のかからない 方法であった。さらに、契約とは何かという司法の解釈 を必要としないことから、「失敗」の要因を回避するた めの魅力的な解決策であったように思われる。つまり、 契約労働者禁止法の「失敗」を引き起こした要因が政策 遺産として影響し、識字テストの政治的実行可能性が高 められたため、労働組合は識字テストという手段を選択 したものと考えられる。

おわりに

これまでの議論をまとめると、契約労働者禁止法が制 定されてから識字テストが支持されるようになるまでの 過程は以下のようにまとめることができる。第 1 に、契 約労働者禁止法は成立してから修正が繰り返されたもの の労働組合が期待する通りの成果をあげられなかった が、その原因は実施の局面で企業が持つ資源に行政が対 抗できず、修正による問題の克服が実質不可能だったた めである。労働組合の要求は政治的に反映されやすかっ たが、行政が未発達であったために実施の局面では企業 の側に有利な状況であり、結局、労働組合の目的は実現 されないままとなった。その結果、第 2 に、こうした状 況で「失敗」が繰り返され、既存の法律の修正による解 決が不可能であると認識すると、労働組合は別の手段に よる問題解決を検討しだした。このとき、従来の法律の 枠組みで「失敗」を引き起こした要因を回避するための 手段として識字テストが支持された。識字テストが支持 されたのは人種差別的であったからではなく、その方法 が契約労働者であるかどうかを聞き取る従来の方法より も簡単に行えるために政治的実行可能性が高いと感じら れるようになったからであった。 ここから、契約労働者禁止法の「失敗」という過去の 経験によって識字テストという人種差別的な移民の入国 制限が魅力的な手段であると労働組合に認識されるよう になったのは、行政が脆弱であったために、よりコスト のかからない方法でしか移民の入国を制限できないと考 えるようになったからではないかというのが本稿の問い に対する答えとして導きだせる。 ただし、本稿のこうした分析はこれまでの研究を基に した推論のうえに行われている。そのため、実際に労働 組合がこのように問題を認識していたのか、彼らが東南 欧系の人々を国民秩序との関係でいかに位置づけていた のかは本稿の分析の範囲内では定かではない。本稿は推 論に基づいて、この時期の移民政策における労働組合の 方針転換をいかに理解できるかを示したにすぎない。今 後、労働組合の政治的言説に注目したより詳細な政治過 程の記述分析が行われる必要があるだろう。 しかし、本稿で得られた知見は 1924 年の移民法に代 表される 20 世紀初頭の人種差別的な国民秩序が作られ た原因を労働組合の性格に帰する従来の研究に新たな視 点を提供できたように思われる。この時期の労働組合が 人種差別的な移民政策を要求したというのは通説であ り、これまで当然に受け入れられてきた。しかし、労働 組合がこうした要求を行った背景に注目してみると、司 法や行政の制度の在り方が彼らの選択に影響を与えてい たことが確認できる。したがって今後、アクターを取り 巻き、彼らの利益認識、行動選択に影響を与える制度や 環境という視点から移民政策や国民秩序の形成過程を捉 え直すことで変化の全体像が明らかにできるだろうと期 待できる。 また、本稿の知見から移民政策における入国管理行政 の重要性を指摘できるだろう。ある時点での政策の「失 敗」は政策遺産として次の政策に影響を与える。移民政 策の場合だと、出入国管理行政の「失敗」という経験は 労働組合を始めとした移民に否定的な立場のアクター に、より簡単な方法で入国を阻止できるような方法を要 求させやすくなる。その結果、人道主義の観念が国際社 会の普遍的な価値であると認められているはずの現代で もxl、移民の全面廃止や不法入国者、不法滞在者の人種 や出身国を理由にした入国制限が行われるようになる可 能性は十分にある。19 世紀の後半に移民国家としての アイデンティティを持っていたアメリカにおいてさえ起 こったこの現象は、他の国家でも起こりうるだろう。経 済的グローバリゼーションが普及し、国境を越える人の 移動が避けられない現象となっている現在、移民や外国 人を排除するためではなく、「彼ら」と「我々」が共存 するためにこそ出入国管理行政の強化が求められるので はないかと思われる。

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i 18 世紀に末にクレヴクールが『アメリカ農夫の手紙』(1782) にて描いた自由な土地におけるメルティングポットとしての アメリカ像は「アメリカの自画像」「国民の物語」として神 話化され、繰り返し語られてきた。 ii 古矢は、アメリカの移民法、帰化法は基本的には規制の移民 法の原則を前提として小幅な修正を加えてきたにすぎず、移 民制限の正当化原理を変更させるような大規模な変化が起 こったのは 1924 年と 1965 年の移民法の 2 つのみであると指 摘する。この 2 つの移民法はそれぞれ、一世代の間、アメリ カの移民法体制を画定してきた。古矢旬『アメリカニズム』 東京大学出版会、2002、p.98 iii たとえば野村は合衆国内の旧移民が東南欧系出身の新移民を 彼らの労働運動を妨げる脅威であると認識し、移民を制限す るように求めたと指摘する。野村(2013)pp.188-189 iv 古矢(2002)p.96 v この時期、移民の制限を求めたのは労働組合のみではなかっ た。アメリカ人の優良な「種」を増やそうとする優生学者も また、アメリカにとって重荷となる劣等人種の入国を阻止す べきであるという立場から東南欧系、アジア系移民の入国を 制限するよう求めた。19 世紀から 20 世紀にかけての移民政 策において優生学が果たした役割については以下を参照さ

れたい。Desmond King, Making Americans: Immigration, Race,

and the Origins of the Diverse Democracy, Harvard Press, 2000

vi たとえば、現代における排外的ナショナリズムの高まりを説 明する研究では政治家にとって福祉の削減や財政の縮小は批 判を招きやすい政策であるために、財政難や福祉の圧迫、治 安の悪化といった本来ならば別の問題が移民と結びつけて解 決しようとされやすいことが指摘されている。たとえば河原 (2011)pp.10、13

vii 歴史的制度論に関する研究のレビューはPierson and Skocpol

(2002), K. Thelen and S. Steinmo (1992) などに詳しい。

viii 世紀転換期のアメリカにおける優生学運動の性格と影響につ いては貴堂嘉之「移民国家アメリカの優生学運動-選び捨 ての論理をめぐって-」『歴史評論』780、校倉書房、2015、 pp.28-39 を参照されたい。 ix 南北戦争後の国民秩序形成における中国人移民については貴 堂嘉之『アメリカ合衆国と中国人移民-歴史のなかの「移民 国家」アメリカ』名古屋大学出版会、2012 を参照のこと。

x Immigration Commission, abstract of the Reports of immigration

Commission, vol.1, 1911, p.57

xi 契約労働者禁止法の成立過程・背景については岡本(2017)

を参照のこと。

xii E. P. Hutchinson, Legislative History of American Immigration

Policy, 1798-1965, University of Pennsylvania, 1981 より参照

した。

xiii Feb. 23, 1887 (24 Stat. 414)

xiv Oct. 19, 1888 (25 Stat. 566)

xv March 3, 1891 (26 Stat. 2084)

xvi Immigration Commission, abstract of the Reports of immigration

Commission, vol.2, 1911, p.378. Industrial commission, Report

of the Industrial Commission on Immigration and Education, 1901, p.662 2 つの報告の数字は若干異なるが誤差の範囲内 である。 xvii その後、労働組合は優生学者らと共に識字テストを進め ていくことになる。当時の労働組合を代表する AFL の代 表、ゴンパース(Samuel Gompers)は優生学の知見から移 民の排斥を訴えていた知識人、ロッジと「奇妙な同盟」を

組むことになる。John Higham, Strangers in the Land 2nd ed.,

Rutgers University, Press, 1988, p.164

xviii A. T. Lane, American Trade Unions, Mass Immigration and the

Literacy Test: 1900-1917, Labor History, 25, 1985, pp.5-26, p.6

xix A. T. Lane (1985)

xx John, Commons and John B. Andrews, Principles of Labor

Legislation 4th ed. , Herper and Brothers, 1936, p.325-326. 他、

Gunther Peck, Reinventing Free Labor: Padrones and Immigrant

Workers in North America West, Cambridge University Press,

2000

xxi 片山一義「アメリカにおける労働者供給業と労働請負制度

-パドローネ制度の機能と特性-」『札幌学院大学経済論集』 2010, pp.135-165

xxiiIndustrial commission, Final Report of the Industrial

Commission, 1902, pp.56, 57. Industrial commission, Report of the Industrial Commission on Immigration and Education, 1901,

xxiii同様の指摘は片山(2010)でもされている。片山によるとエ

リクソンの研究は「基本的に合衆国の企業自らが『直接的』 に外国人契約労働者を導入しなかったことを主張するもので あり、パドローネ等の移民斡旋人による『間接的』な導入事 実に対してまで否定していない。」p.141

xxivImmigration Commission, abstract of the Reports of immigration

Commission, vol.1 ,1911, pp.56-57

xxv加藤(2014)

xxviアメリカの移民政策の変遷については加藤洋子『「人の移動」

のアメリカ史』彩流社、2014 に詳しいため、こちらを参考 にされたい。

xxviiIndustrial commission, Report of the Industrial Commission on

Immigration and Education, 1901, p.123 に出入国管理行政上の

問題点がまとめられている。

xxviii加藤(2014)p.159

xxixIndustrial commission, Report of the Industrial Commission on

Immigration and Education, 1901, pp.44, 123

xxxたとえば 1886 年までに連邦及び 7 つの州で 8 時間労働制を

制定した他、多くの州で活動家のブラックリスト、施設警備 員の使用やストライキ中の労働者募集の広告を禁止するよう 法律が作られていた。竹田有『アメリカ労働民衆の世界』ミ ネルヴァ書房 , 2010, pp.159-160

(12)

xxxiイエロードッグ契約の詳細については佐藤進「黄犬契約論:

アメリカにおける団結権生成過程の一断面」『金沢大学法文 学部論集』(2)1955、pp.77-98 を参照。

xxxiiこ の 問 題 は Industrial commission, Report of the Industrial

Commission on Immigration and Education, 1901, pp.647-658 で

10 頁を割いて指摘されている。法の運用、判決の詳細につ いてはこちらを参照されたい。

xxxiiiIndustrial commission, Report of the Industrial Commission on

Immigration and Education, 1901, pp.655-658 に提訴のための 3

要件がまとめられている。以下の記述は本報告書を参考にし た。

xxxivU.S. v Craig, 28 F. 795, Oct. 11, 1886

xxxvこうして AFL はヴォランタリズムの路線を選択し、企業

との直接交渉によって国家や政府を介入させない問題解決の 方法をとっていくようになる。

xxxviしたがってその後、移民委員会が指摘するように、事実上

無制限ともいえる移民労働力がアメリカ労働市場に提供され

たのである。Immigration Commission, abstract of the Reports

of immigration Commission, vol.1, 1911, p.24

xxxviiC, Ericssonはこうした立場から労働組合を批判している。C. Ericsson, 1957, p.185 xxxviii大塚秀之『アメリカ合衆国と人種差別』大槻書店 , 1982, p.14 xxxixA. Lane は労働組合の中に東南欧系移民への差別的入国制限 を実施することが了解されるのは 1904 年以降のことである と指摘する。1897 年の選択は一時的なものにすぎず、1904 年の不況と移民数の激増が生じるまでは躊躇いがみられるの である。

xlウ ィ ー ン 宣 言 及 び 行 動 計 画(Vienna Declaration and

Programme of Action)では人道の尊重が国際社会の最も重 要な価値のひとつであり、義務でもあるとされており、国際 社会では人権の主流化が進んでいる。 参考文献 秋吉貴雄「政策変容の様態とアイディア - わが国の航空輸送産 業における規制改革を事例として」『年報行政研究』41、 2006、pp.110-130 岡本雪乃「19 世紀末アメリカの移民政策と国民秩序-白人移 民を対象とした移民政策過程からみる国民秩序の検討-」 『政策科学』25(1)、2017 片山一義「アメリカにおける労働者供給業と労働請負制度- パドローネ制度の機能と特性-」『札幌学院大学経済論集』 2010、pp.135-165 加藤洋子『「人の移動」のアメリカ史』彩流社、2014 河原、島田、玉田(編)『移民と政治:ナショナル・ポピュリ ズムの国際比較』昭和堂、2011 佐藤進「黄犬契約論:アメリカにおける団結権生成過程の一断 面」『金沢大学法文学部論集』(2)1955、pp.77-98 竹田有『アメリカ労働民衆の世界』ミネルヴァ書房、2010 野村達郎『アメリカ労働民衆の歴史』ミネルヴァ書房、2013, ————「移民労働者の流入とアメリカ労働運動- 19 世紀末・ 20 世紀初における-」『愛知県立大学外国語学部紀要』2、 1967 萩原進「アメリカ資本主義と労資関係」戸塚秀夫・徳永重良編 『現代労働問題-労資関係の歴史的動態と構造-』有斐閣、 1997 古矢旬『アメリカニズム』東京大学出版会、2002

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