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「は」と「が」に関する一考察 : 外国語としての日本語教育との関連

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(1)「は」と「が」に関する一一考察. 外国語としての日本語教育との関連 ヨフコバ四位エレオノラ 【キーワード】テーマ、レーマ、主思、従属節、冒頭文. 1.はじめに  「は」と「が」の問題は日本語の中で最も多く論じられる問題の一つで あり、膨大な研究の蓄積がある。また「は」と「が」の意味・機能の記述 には様々な概念が用いられている。ところが、日本語教育においては、「は」. と「が」の問題は、背景的位置を占めているように思われる1。特に、従属 節における「は」と「が」の用法に関する記述は極めて少ない2。このよう. な記述不足には妥当な理由があり、すなわち「は」と「が」は学習過程の 非常に早い段階で導入されるが、その段階においては「は」と「が」の使 い分けをめぐる徹底的教育を行うのは極めて困難だということである。し かし、それと同時に、教育の早期から「は」と「が」の使い分けに関する 説明を求めている学習者は少なくないということも事実である。.  「は」と「が」に関しては膨大な研究業績が存在していると言っても、 その業績を日本語教育にそのまま応用できるとは限らない。というのは、. 理論研究が提案する説や概念の多くは教育現場のレベルに合わず、学習者 に受け入れられ難いものだからである。また、教科書が提示する「は」と 「が」の意味記述を見ると、「は」は主題・題目の助詞(‘topic particle’)、. 「が」は主格助詞(‘subj ect particle’)であるという言及がほとんどであ. り、「は」も「が」も主格に使われる場合に、その相違が如何なるもので あるかということに関する説明はほとんど見当たらない。.  ある言語現象を記述するに当たって、その言語の実態に最も合う記述方 法または概念を選ぶのは当然のことであるが、外国語教育の場合は、この ような方法から逸脱した記述方法、すなわち学習者の母語にある言語現象 にたとえながら、記述するという方法も効果的であると思われる。. 一159一.

(2)  本稿では、従来の研究にも提案されており、また他の言語にも存在する「テ. ーマ・レーマ」またこれらの概念が暗示する「旧情報・新情報」という概 念を用いて、 「は」と「が」の用法の記述を試みる。 「旧情報・新情報」. という概念を用いて、 「は」と「が」を記述するということは決して目新 しいことではない(cf松下1928/1974、久野1973)が、どの研究によっても 用いられている記述方法ではない。 「テーマ・レーマ」という概念を本稿 の記述方法に選んだ主な理由は、従来の記述方法、すなわち「は」は主題・ 題目の助詞(‘topic particle’)、 「が」は主格助詞(‘subject particle’). という記述が生み出している非対称性が納得いかないためである。本稿で は、 「テーマ・レーマ」 (または旧情報・新情報)という概念を用いて、. 従来の研究で主に扱われてきた主文にさらに複文(特に、従属節をもつ複 文)を加え、 「は」と「が」の用法の分析を行う。.  分析の際に、「テーマ・レーマ」と「旧情報・新情報」の双方を用いるの で、筆者が考えているこれらの概念の関連を明記しておく必要がある(「テ ーマ」と「レーマ」という概念の定義は3.で挙げている)。 「旧情報・. 新情報」という概念は、その概念が指し示している現象の意味的側面のみ に及んでいる。一方、 「テーマ・レーマ」という概念は意味に加え、統語. 的(シンタクスの)側面、つまり文の構造にまで及んでいる。しかし、日 本語教育の場合は、 「テーマ・レーマ」という概念の高い専門性のため、. 学習者にとってより受けやすいであろう「旧情報(または所与の情報)・ 新情報(未知の情報)」という概念の用法の方が有効的であると思われる。. 本稿では「は」と「が」が主格に使われる、すなわち主語を標する場合の. みに焦点を当て、次の問題について考察する。まず、単文の主格に「は」. または「が」が用いられることによって如何なる意味相違が生じるかとい うことである。次に、複文の主節と従属節の「は」と「が」の分布を検討 し、とりわけ従属節の主格助詞を中心に分析する。最後に、日本語学習者 にとって極めて難しいと思われる文章の冒頭文に使われる「は」と「が」. の使い分け、言い換えれば何を主題として取り立て「は」で受けて、また 何を主題としては取り立ててはいけないかという問題に触れる。  上記の問題点は、関連性がないかのように見えるが、本稿では、 「は」 と「が」の記述に選択した概念をもとに関連付けたい。.  本稿は次のような章から構成される。1.は本稿の問題を提示する。2.. 一160一.

(3) では先行研究に簡単に触れる。3.では「テーマ」と「レーマ」という概 念、そしてその概念と関連をもつ「前提」と「焦点」という概念を定義す. る。4.は単文または主文の主格に使われる「は」と「が」の働きを分析 する。5.では、複文における「は」と「が」の分布を分析する。6.で は、母語話者を対象に行ったアンケートの結果をもとに、文章の冒頭文に. おける「は」と「が」の使い分けを考慮する。7.は本稿の考察のまとめ である。. 2.先行研究  ここでは、 「は」と「が」について書かれた膨大な文献をすべて取り上. げ、また「は」と「が」について議論される諸問題を述べるのは不可能で ありまた不要であると思われるので、本稿が焦点をおく「テーマ・レーマ」. または「旧情報・新情報」という概念を用いている研究および本稿で取り 上げている問題に関係のある研究のみに焦点を当てたい。  「は」・「が」と情報構造に言及する研究は古くからある(松下1928/1974、 佐久間1940/1983、春日1918/1978)が、情報構造との関連のみで徹:底的な分. 析を行っている研究は存在しない。.  松下(1928/1974)は、叙述に二種あり、一つは「題示的叙述」、もう一. つは「無題的叙述」であるとする。前者には「題目語」があり、その「題 目語」は「は」 (または「も」もしくはゼロ標識)によって標される。一 方、後者には「が」 (またはゼロ標識)によって標される「平説語」があ る。また、 「は」は「規定、不可変」のものを表し、 「が」は「未定、可 変」のものを表すと指摘する。.  佐久間(1940/1983)も叙述のタイプに着目する。そして、いわゆる「陳 述」と「叙述」を、 「は」と「が」の働きとの結びつきから考慮する。ま た、 「判断」の叙述には「は」、具体的な事実の叙述(「事実の報道」) には「が」が用いられると分類する。.  春目(1918/1978)も、「は」と「が」の使い分けを事実の種類(具体的. 事実、抽象的事実)および出来事の「目撃性」との関連という観点から分 類している。.  後に、 「旧情報・新情報」という概念の用法が明記され(久野1973、北. 一161一.

(4) 原1981)、「は・が」と情報構造の関係がより明確に論じられるようにな った。. 従来の多くの研究が、「は」と「が」を異次元のもの、すなわち「は」を 係り助詞、 「が」を格助詞として扱う傾向が強い3とすでに述べた。その傾. 向は、日本語における主語の存在を否定する立場(三上1972)に由来して いる。本稿では、 「主語」の存在をめぐる議論に踏み入れないが、日本語. に関しても西洋語と同様の主語の存在を認めてもよいということを支持す る論者(森重1965、鈴木1972、柴谷1978、尾上1985、淺山2004)の立場に 立ち、「は」と「が」を同等に論じるために、同次元の領域、すなわち「主. 語」という領域を設定して、両助詞が主格の位置に付き主語を標するとい う枠組みで分析を行う。また、主格以外の位置や働きの「は」 (対比)と 「が」 (対格)についてはここでは扱わない。.  「は」と「が」を論じる従来の研究は、これらの助詞の用法・意味を一. つの概念(または原理)をもとに記述することが一般的であるが、野田 (1996:108−109)は、 「は」と「が」を一つの原理をもとに論じるのは極. めて困難であり、いくつかの原理を組み合わせて分類したほうが有利であ ると述べ、新図式を提案する。野田は、まずこれまでに提案されてきた原 理を次のように分類する。. 1)新情報と旧情報の原理 2)現象文と判断文の原理. 3)文と節の原理 4)対比と排他の原理 5)措定と指定の原理.  そして、これらの原理にはさらなる5っの新しい原理を加え、その相互 的働きを次のように示している。. i騰羅驚く繋茎雑三1欝 1鎧灘灘〉ぐ薦麗ll描の原理 一162一.

(5)  また、このように図式化された原理に基づいて、野田は、 「は」と「が」 の働きを以下のように提示する。.                「一一格成分が主格→「は」          「主題をもつ一。一述語が主題一D『主題を明示→「は」.     主題をもてる一B     L主題内示→「が」.   「 「. 主謄A   L主題をもたない__→「が」.   L蝿をもてない____→「が」 E一対比一→「は」. とりたて. L拶馳.→「が」  本稿では、 「は」と「が」の記述を一つの概念をもとに試みるが、分析 の際に、上記の野田の図式を利用する。それは、この図式は「は」と「が」. の機能を極めて明確に整理しているためである。また、本稿の分析では、 「対比」と「主語以外の格成分の主題化」には触れないので、上記の図式 にある「主題を明示する」という用法と「主題を暗示する」という用法、 さらに「主題をもたない」という用法と、「主題をもてない」という用法、. そして「排他」という用法に焦点を当て、 「は」と「が」の働きを「テー マ・レーマ」との関連という観点から論じる。. 3. 「テーマ」と「レーマ」  分析に入る前に「テーマ」と「レーマ」という概念を定義しておく必要 がある。.  「テーマ」、 「レーマ」という概念は、文をそのコミュニケーション上. の機能から分析するために提案された概念であり、Mathesius(1947)によ って提唱された‘fhnctional sentence perspective’に由来しているものである。. 後にFirbas(1964)の‘theme’と‘rheme’により用語が一般化した(アメ リカの機能文法においては‘topic’と‘co㎜ent’と称される、cf Hocke枕1958)。 「テーマ」は叙述の「旧情報」(‘old infb㎜ation’,‘given in鉤㎜ation’)、. 一163一.

(6) すなわち話し手と聞き手が文脈または状況により共有する情報を表す部分 であり4、「レーマ」は、反対に「新情報」(‘new info㎜ation’)、すな わちテーマについて述べられている部分である。また、Chafe(1970:217) によると、 「旧情報」が表されるのは常に名詞句であるが、 「新情報」が. 表されるのは、名詞句でも動詞句でもある。Mathesiusは「テーマ」と「レ ーマ」の働きを主文(主節)に限って考慮するが、Halliday(1968)やChafe (ρρ.c♂のは「テーマ」と「レーマ」の働きをあらゆる節またテキスト機能 として考慮する。.  「テーマ」という概念はしばしば「トピック」 (題目)という概念に置 き換えられるが、ここでは、Muraki(1970)に従ってこれらを区別したい。. Murakiは「トピック」を、文頭に来る名詞句(‘sentence initiaf)として 考え、テーマと一致することもあれば、 「焦点」 (‘fOCUS’)を表すこと. もあるとする5。この指摘を日本語に当てはめたら、 「は」で標される名詞. 句も「が」で標される名詞句もトピックになれる。  「テーマ」、「レーマ」と密接に関わってくる概念があり、それは「前提」 (presupposition)と「焦点」 (fbcus)である。 「前提」に関しては様々な. 定義があるが、本稿ではStubbs(1983:203)の次の定義の意味で使う:‘the presupPositions of a sentence are necessary pre−conditions fbr the sentence being true or false’. m前提とは、文が成立するために、その文の真偽に関わる必要. な条件である]。また、「焦点」に関しては、数多くある定義の中から、Cook (1973:2)の次の叙述に従って定義したい:‘Within an asserted rheme, one element is that part of the sentence that supplies the specific bit of infbmlation sought by a particular WH−question and, thus, cannot be deleted fヒom the surface structure.’. m焦点とは、表明されるレーマの中で、疑問詞で問われる疑問に. 対する情報を供給し、さらに表層構造から削除できない部分である]。.  どの言語にも文レベルにおいて「テーマ」と「レーマ」が存在するが、. どの言語もそれを明記する文法的手段をもっているわけではない。多くの 言語では、 「テーマ」と「レーマ」は統語的手段、すなわち語順、または 音韻的手段、すなわちアクセントによって表される。一方、 「テーマ・レ. ーマ」を表す文法的手段の一つとしてはしばしば冠詞の働きが指摘される (c£黒田1976:151)。本稿の筆者の母語であるブルガリア語の冠詞も、 「テーマ・レーマ」を明記する働きはある6が、絶対的手段ではない。冠詞. 一164一.

(7) と「は」と「が」の働きの間に、ある程度の関連性は認められるものの、 冠詞は用法が固定しており、文法的規則性があるが、 「は」と「が」は談 話構造に依存する面、すなわち語用論的要素が多い。. 4.単文および主節における「は」と「が」  単文または主節の「は」と「が」については、すでに多く論じられてい るので、ここでは、 「テーマ・レーマ」との関係のみで触れることに留め る。.  1.で述べたように、「は」と「が」が同領域のもの、すなわち主格を標 する場合のみに焦点を当て分析する。  まず、野田 (1996:142)の次の例から見てみたい。 (1)君は主役だ。. (2)君が主役だ。. (1)に関しては、 「主役が君だ」というミニマルペアをもたないことに 注目されたい。一方、(2)は、「主役は君だ」というペアを持っている。 これらの文の意味構造の違いは、疑問詞の疑問文を使って確認しよう。 (1’)君は何か。. (2’)誰が主役か。/主役は誰か。. (1)の「君」はテーマ、すなわち「既知・所与」で、「主役」はレーマ7、. なわち「未知」または「既知に関する記述」 (「変項」、黒田1976:149) である。一方、 (2)においては「主役」がテーマで、 「君」がレーマで. ある。 (1)と(2)は、主格の助詞が入れ替わり、主語がテーマかレー マかという単なる構造上の違いを持っているだけのように見えるが、その 構造の違いは意味にも違いを生み出している。この違いをまず野田の上記 の図式から求めてみると、 (1)は「主題を明示する」、 (2)は、 「主 題を暗示する」または「排他」に相当する。また、「君は主役だ」と(2’). の「主役は君だ」は同じく主題を明示する文であるが、意味は異なる。こ. 一165一.

(8) れらの文の意味の違いは淺山(2004)のモデルを用いると明確にされる。. 淺山は、「は」と「が」の使い分けを説明するために、空間認識的モデ ルをたて、そしてそのモデルとの関連において、「「は」は主語候補を認 識させない、「単独」のものとして主語を提示し、「が」は複数の主語候 補を同時に意識させ「集合」として主語を提示する」と述べている(2004:. 152)。つまり、「は」または「が」で標される部分は次のような抽象化 された空間をもっている。. 図1 「は」. 「が」. ●.  三山は、情報構造だけでは「は・が」の使い分けを説明できないと主張す. るが、本稿の筆者は、情報構造のモデルと淺山のモデルには接点があると 考える。つまり、 「テーマ・レーマ」の確認に用いる疑問詞のテストは、. 複数から選ぶというやり方の裏返しである。そして、敢えてここで淺山の モデルを使うということは、図式化によって、 「が」の意味構造が明示さ れるためである。.  では、七山の図式8をもとに、 (1)と(2)のレーマの項の違いを見て みよう。. 一166一.

(9) 図2 (1) 「君は. (2) 「. (だ)」. が主役だ」.    社長.   私    田中. おもしろい.     ジョン.      團.  圃.    よくできる. 昨日来た人 etc.. etc..  この図式は、上記のChafbの指摘、すなわち「新情報」は名詞に限らず、 あらゆる品詞によって表されるということを立証する。.  淺山のモデルの利点は否定できないが、決して如何なる文にも有効とは 言えない。たとえば、次の文がそうである。 (3)視聴者は見た。 (TV番組より).  テレビ番組の中のコーナーのタイトルとして用いられているこの文の主 格に「は」が使われている。仮に、淺山のモデルを使って記述してみたら、. 「は」が使われているため、主語は単独であるとなる。しかし、単独主語 を提示するだけを目的に’「は」が使われているのであろうか。番組の中の. コーナーのタイトルであるこのフレーズは、当然前後の文脈を持たない。 また、コマーシャルのような響きを持っており、 「は」ではなく「が」の 用法の方が自然だと思われる9。敢えて、 「は」が使われていることにはど. んな意味があるのであろうか。疑問詞のテストを用いて、この文の情報構 造を確認しよう。. (3’)視聴者はどうしたか?.  疑問詞によるテストが示しているように、述語部がこの文の重要な情報、 すなわち「新情報」を含んでいる。また、 「テーマ」と「レーマ」は相補 的であるというLyons l 977(‘theme and rheme are complementary, in the sense that whatever is not thernatic is rhematic ant whatever is not rhematic is thematic’,. 一167一.

(10) p.509)の指摘を受けて、 「視聴者」は「テーマ」となり、 「は」によって. 標されねばならない。淺山のモデルに比べて、情報構造をもとになされた このような意味の記述の方が簡潔であり、また日本語学習者にとっても受 け入れ易いものではなかろうかと思われる。.  仮に、 (3)の主語に「が」を使ってみよう。当然(3’)のような疑問 文は作れない。また、「が」が使われる文((4))の疑問文には、(4’) と(4”)のような可能性が考えられる。 (4)視聴者が見た。.     ↑ (4’)だれが見たか。. (4”)どうなったか。.  (4’)は、野田の図式の「排他」 (「総記」と称される(久野1973)こ ともあるが、本稿では「排他」という用語を用いる)の用法を表す。一方、 (4”)は「主題をもたない」文を表す。 (4”)のような文は、久野が「中. 立的叙述」10と呼ぶ。三上(1963:48)は、名詞文が常に主題を提示し、 無題文となれるのは、非名詞文(一般的に「現象文」)であると指摘する。. また、野田(1996:128)は、主題を持たない文の述語の意味および文の機. 能を次のように分類する:一時的な状態、一回の動作、眼前の出来事、法 則の叙述、新話題(前の文脈とはつながりがない)。  「が」が用いられる「排他」の文と主題をもたない、いわゆる「無題」の 文の違いは、 「テーマ・レーマ」との関連において次のように特徴付けた. い。前者は「テーマ」と「レーマ」の二項対立の構造をもっており、また テーマが暗示されるのに対して、後者は命題全体が新知覚表象、すなわち レーマとなっている。この考察は、次の文章をもとに検証しよう。. (5)エレベータに乗ってからも管理人はぶつくさ言っていた。管理人   が鍵を開けた。香代が先に入った。異臭がした。電気をつける。.   香代は天まで届くような声で悲鳴を上げた。冬美がキッチンの床   に倒れている。.              (藤田宜永『女が殺意を抱くとき』p.51). 一168一.

(11)  (5)の二番目の文の「管理人が」と三番目の文の「香代が」の「が」 は「排他」の意味を表している。これは疑問詞のテスト(「誰が鍵を開け たか」 「誰が先に入ったか」)を使って容易に確認できる。これらの「が」. が排他であることは、さらに、次のような疑問文によって確認できる。 (6)管理人が鍵を開けたか。 (7)香代が先に入ったか。  野田(1996:104)が指摘するように、 「君が主役だ」 (すなわち「が」. が「排他」を表す)構文の疑問文はよく使われる11。.  一方、最後の文(「冬美がキッチンの床に倒れている。」)は中立叙述 の意味を表している。中立叙述、すなわち文全体がレーマであるという根 拠としては、述語のタイプ、文の機能、疑問文によるテストが挙げられる。. まず、述語のタイプを見てみよう。この文の述語は「状態」 (「一時的状. 態」)を表している。次に、文の機能について見てみよう。この文は「驚 き・予想外の出来事」を表している。野田(1996:124)が指摘するように、. 主題を持たない文になりやすい文が表す内容には意外性や驚きがある。 最後に、 (6)、 (7)で用いたような疑問文のテストを行ってみよう。 (8)?[冬美がキッチンの床に倒れている]か。.  (6)、(7)と違って、 (8)はすわりの悪い文である。全体がレー マである文が疑問の形になりにくいことは久野(1973=214)や野田(1996:. 93)にも指摘される。全体がレーマである文が疑問になりにくいことは、. 久野(砺のは次のように説明している:「全く予想できない(新しい)出 来事の真偽を問う質問をしなければならないようなシチュエイションはあ まりない」。すなわち、話者の知識が存在しない出来事の真偽を問うこと は不自然であるということである。さらに、 (8)の前提と(6)、 (7) の前提も異なる12。. 無題文が否定になりにくいということも指摘される(寺村1979:3)が、. 否定の形をとった中立的な叙述は存在する(例(9))。. 一169一.

(12) (9)テレビ局の地下倉庫で、作業着に着替えた香代は、出入りの花屋   が運んできた花をあれこれと思案しながら、生けはじめた。だが、.   いつまでたっても助手の滝本冬美が現れない。 (藤田宜永『女が殺意を抱くとき』p.50).  「排他」の疑問文と「中立叙述」 (無題文)の疑問文は異なるとすでに. 述べた。同じく、これらの否定文、すなわち「排他」の文の否定される部 分と無題文の否定される部分も異なる。 (10)管理人が鍵を開けた。   → 管理人が鍵を[開けなかった]。 (11)助手の滝本冬美が現れない。→ [助手の滝本冬美が現れ]ない。. また、 (10)と(11)の前提が、下記のように異なる。 (10)管理人が鍵を開けた。   ←誰かが鍵を開けた。 (11)助手の滝本冬美が現れない。←助手の滝本冬美が現れるはずだ。  最後に、 「は」が予測されるのに、 「が」が使われる次のような用法に 触れておきたい。. (12)アナウンサー:道路は込んでいますか。    レポーター:それが込んでいないんですよ。(ラジオ番組より).  道路情報を伝えている上記の例のレポーターの叙述にある指示詞(「そ れ」)は、先行文脈を指しているので、テキストの機能という観点から考 えると、「は」の用法の方が自然であるが、敢えて「が」が使われている のは一体何故であろうか。すでに繰り返しで述べてきたように、 「が」で. 標される項をレーマ、すなわち新情報として考慮する。先行文脈に関連を もっている項には、レーマ的な(「新情報」という)意味が認められると いう一見矛盾に見えるこの叙述は、次の考察を通じて理由付けたい。.  まず、上記の例の意味をその状況との関連から考えてみよう。上記の例 の非言語的状況とは、連休中の道路状況のレポートということである。通. 一170一.

(13) 常、連休中は道路が込むが、上記のレポートの時には、予想外にすいてい るという意外な情報が伝えられている。すなわち、上記の文の意味には「驚. き・意外性」という意味要素が含まれている。すでに述べたように、「意 外性」や「驚き」という意味要素は、 「新情報」として働き、このような. 意味要素を含んでいる項は「が」によって標される。では、「意外性・驚 き」と「新情報」の関係は如何なるものであるか。その関連はAkatsuka(1985) によって説明されている。Akatsuka(ρμo’よ:635)は、 ‘unprepared mhld’. という概念を用いて、話者の認識が出来事の生起を受け入れるための準備 ができていなければ、その出来事は新情報として受け止められると指摘す る。また、Akatsukaが提示している認識的スケール(‘epistemic scale’)の. いわゆる非現実のドメイン(‘irrealis domain’)には「条件」の表現と並 んで、「新情報」(‘newly−learned infbrmation’)も位置づけられている13。. 5.複文における「は」と「が」  複文における「は」と「が」の分布と働きを分析する前に、従属節のタ イプの分類を見てみたい。.  南(1974)は日本語の従属節を3類に分けており、それぞれをAの類、B の類、Cの類と称する。 Aの類には、「継続」を表す∼ながらなどの節と「継. 起」を表す∼てや翻:形の節を分類する。Bの類には条傑筋、理由筋、鮭三. 筋、遵三三鰯などを分類する。Cの類には、朔筋や理歯筋の一部を分類 する。この分類の基準となっているのは、主節に対する従属節の従属度と いうことである。野田(1996:180)はこれらの類に、更にグル男筋を加え、. 従属節における「は」と「が」の許容を次のように示している。. 表1 種類. 節の内部に「が」. 代表例. 節の内部に「は」. 従属句. ∼ながら、∼まま. ×. ×. 強い従属節. ∼たら、∼とき. ○. ×. 弱い従属節. ∼けれど、∼が. ○. ○. 引用節. ∼と. ○. ○. 一171一.

(14) 従属句と言われる節は独自の主語を持たないため、「は」も「が」も現れ. ない。強い従属節には「が」しか用いられない。一方、弱い従属節と引用 節には「は」も「が」も用いられる。.  また、主節の主格助詞と従属節の主格助詞の分布が次のようにまとめら れている(野田:∫ゐ∫4.)。. 表2 従属節と主文の主格が違う 従属句. 従属節と主文の主格が同じ ∼は/が[…ながら]…。. ×. 強い従属節. [∼が…たら]、∼は/が…。. ∼は[…たら]…。. 弱い従属節. [∼は/が…けど]、∼は/が…。. [∼は…けど]、…。. 引用節. ∼は/が、 [∼は/が…と]…。. ∼は、[…と]…。.  本稿では、主語を持ち得る従属節に焦点を当て、従属節内の主語の助詞が. 選択される原理、また主面の主語の助詞と従属節の主語の助詞の分布を定 める原理について考慮したい。.  考察は、従属節の内部に「は」も「が」も用いられる引用節からはじめ、. 主節の主語と従属節の主語が異なる複文を中心に分析したい。分析は、 「NPIptcl∼NP2ptcl∼Vtr/intrと[言う/訊く/思う/考える…]」という構i. 文をもっている文について行う。主節の主語と従属節の主語が同じ複文は ここでは扱わないが、野田の上記の表が示しているように、主節の主語と 従属節の主語が同じ場合、 「は」が使われている。.  主節の主語と従属節の主語が異なる場合は、表2にもあるように、主節の 主語と従属節の主語のそれぞれに「は」も「が」も使える。  では、次の例を見てみよう。. (13)あそこの支配人は手入れが面倒だからと言って、偽物にしたの。 (藤田宜永『女が殺意を抱くとき』p.32). (14)日本がこうした藩に分かれていたころは、奉行というような役    人と、スボクのような農民との間には  スボクがヤクザ者で. 一172一.

(15) あったとしたらなおさらに  身分の大きい差があった。下の ものをヤリで突くことを、上の人間が卑怯だと感じることはな かった。奉行はこの時、家来も連れていたし、自分は馬に乗っ ていた。それを聞いて私は、スボクの奥さんが奉行の足を引っ ぱって倒そうとした、その情景をなるほど、と思ったのでした。 (大江健三郎、 『「自分の木」の下で』p.74). (15)経済学者のなかにはいまでもこのバブルの時代はまちがいでは    なかった、と主張する人がいます。高度成長そのものは決して    悪いことではなかった、というわけです。問題は、そのふくら    んだ風船を一挙にパンクさせたことにあるのだ、と彼らは主張 しています。 (淺山2004、p.250による例). (16)お母さん、ぼくは死ぬのだろうか。.    私は、あなたが死なないと思います。死なないようにねがって います。. お医者さんが、この子は死ぬだろう、もうどうすることもでき ない、といわれた。.         (大江健三郎、. 『「自分の木」の下で』p.12).  引用文の従属節は独立度が高いため、内部の主格の標識には「は」も「が」. も使える。では、上記の文の主格助詞の分布について少し詳しく見てみよ. う。 (13)の主節の主格には「は」が使われており、従属節の主格には 「が」が使われている。主節に「は」が使われているのは、この助詞が標. する指示物が前文脈にすでに現れ、既知であるためである。一方、従属節 の「が」は、 「何が面倒か」という前提をもつ質問の答えの主格を標して いるのである。.  (14)の従属節の「が」は一見説明し難いように見えるが、節の内部に 使われている「∼をなるほど」が「が」の用法の決め手となっていると思 われる。つまり、 「∼なるほど」という表現は「新発見」という意味を指 し示し、 「驚き」の意味をもたらす。すでに、論じたように、 「驚き」と. 一173一.

(16) いう意味は新情報として扱われ、「新情報」が表現される句の内部には「が」 が使われる。.  (15)の従属節内には「は」が使われているのは、後ろに来る部分がレ ーマ(「問題は何であるか」)となっているためである。また主文の「は」 は、 (13)と同じ規則に従って使われているのである。. 最後の(16)は極めて面白いので、少しばかり詳しく見てみよう。「私 は、あなたが死なないと思います」という文の従属節の主格に「が」が使 われている。否定の形をもっている「死なない」は、肯定の形で現れてい る前文の「死ぬ」と対比するため、否定文には「は」が現れると予想され る14。しかし、予想される「は」ではなく、 「が」が使われている。 「が」. が使われている理由を考える前に、この文に関して行った母語話者のアン ケート15の結果から見てみたい。以下のような結果が得られた。 「あなたは死なない」 (16名) 「あなたは/が死なない」 (2名) 「あなたが死なない」 (1名). 「あなたが/は死なない」 (1名).  原文と同じく「あなたが」を選択しているのはわずか2名である。ここ で、原文に使われている「が」に対する著者の意図を考えてみよう。まず、 この文の意味の含意(‘implicature’)の一つとして「あなたが死ぬと私は 信じない」というものが考えられる。すなわち、含意は‘non−factive predicator’. (Lyons 1977:795)を含んでいる16。 ‘Non−factive predicator’の使用によ. って、出来事の「真」は未確定となる(cfヨフコバ四位2006:237)。また、. Akatsukaの見解を述べた際に論じたように、未確定(‘uncertain’)の出来 事はirrealis domah1に位置づけられ、新情報として扱われる。この見解に従 うと、 「あなたが死なない」における「が」の用法は説明できる。.  次に、弱い従属節について見てみよう。弱い従属節として分類されている のは、並列節(∼で、∼∫説諭、∼乙・、∼/プ物ど∼が)や焦点とならな. い理由節である。これらの節は従属度が低いため、独立文に近い性質をも っている。このタイプの従属節の主語について市川(1995)が詳しく論じ ているので、ここでは市川の見解を踏まえながら、簡単な考察に留めたい。. 一174一.

(17) まず、並列節を含んでいる複文から見てみよう。. (17)雨はさらに激しさを増して降り続き、森のあちらこちらに、こ    れまでなかった流れができて、道は土砂崩れしました。            (大江健三郎、『「自分の木」の下で』p.11).  (17)の従属節には「は」も「が」も現れるが、「は」と「が」の決定 は単文レベルと同じと考えてよい。それは、それぞれの節が独立文として 存在できるためである。「これまでなかった流れ」が焦点(この焦点は「予 想外」のことを現している)として働くため、 「が」で標される。一方、. 「さらに激しさを増して降り続きました」と「土砂崩れしました」という 部分がレーマとして働くため、レーマ以外の部分、すなわち「雨」と「道」. は、レーマとテーマが相補的関係にあ.るという先述のLyonsの指摘に裏付 けられ、テーマとなり(「雨はどうなっているか」、 「道はどうなりまし たか」)、「は」によって標される。.  市川ψμ鷹:273)が指摘するように、「∼が」、「∼けれど」が対比を. 表すとき、 (18)にもあるように、通常「は」が使われる。しかし、対 比でも、「が」が使われることがある((19)、(20)、(21)),。 (20)が使われている教科書の助詞に関する説明を見ると、 「が」の用 法は「強調」という働きによって説明されている。言い換えれば、 「が」 で標されるアイテムは「焦点」となっている。. (18)今度は違う。日常の苦痛が増大したことは事実だが、そうなつ    てからでも、二年や三年は騙し騙しやっていけることは以前の 経験で承知している。 (市川1995,p.273による例). (19)文部省が体育の日にあわせ毎年まとめている「体力・運動能力    調査」で、子供たちは体格が立派になる一方、体力・運動能力    は長期の低落が続いていることが、六日、わかった。.                          (朝日新聞). 一175一.

(18) (20)このセーターは色はいいけど、デザインが悪い。 (SFJ、 L.10). (21)母親から音楽を学んだのがはじまりで、もう作曲するようにな    っていた光のために、私がこの会話をもとに詩を書いて、光は    曲をつけました。.           (大江健三郎、『「自分の木」の下で』、p.19).  次に弱い理由節について見てみよう。後に論じる強い理由節の主語には 「が」しか使えないが、弱い理由節は「は」も許容している。市川(卿漉:. 270)によると、理由節は「一般的叙述」や「状態・性質」を表している場 合は、 「は」が使われ、事態の「主張」や「報告」を表している場合は、 「が」が使われる。また、野田(1985:77)は、 「が」の用法に関しては. 次のように述べている:「主文の内容を相手が知っていて、それについて 相手が考えた理由を否定するとき、従属節の中では「が」を使う」 (例:. 「市川さんのお父さんは小学校の先生だったそうですね。それで市川さん も小学校の先生になろうと思ったんですか。」 「父が教師だったから僕も 教師になったんではありません。子供だ好きだからです」)。 本稿では、弱い理由節の主語の標識について次のように結論付けたい。す なわち、 「から・ので」節と二二が因果関係にない場合、または「から・ ので」節が主節の内容を限定しない17(「どうして∼」という質問の答えと. なっていない)場合は、理由節の主格に「は」が許容される((22)、 (23))。. (22)女は、予約なしでやってきた客だった。部屋は空いていたので、    泊めることにした。             (藤田宜永『女が殺意を抱くとき』、p.35). (23)私の家は、森の管理に関係のある仕事をしていたので、私が森    の木の名と性質を覚えることは、将来の生活にためになるはず    でした。.           (大江健三郎、『「自分の木」の下で』、p.11). 一176一.

(19)  最後に強い従属節について見てみよう。まず、このタイプの節を含んでい. る複文に関しては、他のタイプについて取り上げなかった同一主語の複文 を少しばかり見、学習者の質問によく出る、同一主語の場合の「は」と「が」. の使い分けの問題に触れておきたい。. 野田(1996:173)は、気節の主語と従属節の主語が同じ時は、ほとんど 「は」が使われ((24)、 (25))、 「が」が使われる場合は、文の 意味に意外性という要素が大きい((26))と指摘する。また、 「が」. が使われる文の意味には「望ましくない∫、すなわち否定的ニュアンスが 生じることもある(27)。 (24)盲導犬に指示を出すとき、人は英語を使うのだ。             (藤田宜永『女が殺意を抱くとき』、p.15). (25)アニルさんは、オーバーをぬぐと、ハンガーにかけます。                          (SFJ、 L.12). (26)こうして、アメリカを発つときは全く無名であった青年が、そ    の一ヵ月後帰国したときは「国民的英雄」になっていた。                    (野田1996,p.173による例). (27)役人が役所と自宅を往復するだけの生活を続けていると、市民    の生活感覚からずれてしまう。 (小川誉子美、三枝令子『ことがらの関係を表す表現一複文一』、p.41). 上記の文が示しているように、同一主語をもつ複文における「は」と「が」 の分布は基本的に単文と同様の規則に従う。.  次に、主節の主語と従属節の主語が異なる複文について見てみよう。強い 従属節の主語には「が」しか現れない。 「は」が用いられた場合は、その 「は」は対比しか表せないとされる(寺村1991、野田1995、淺山2004)。 すなわち、このような節は主題をもたないということである。  この種の節には「は」が用いられないということは、伝統的に(山田1936)、. 「は」と「が」が節または文において及ぶ力の場所が異なるということを. 一177一.

(20) もとに説明されてきた。一方、久野(1973:33)は、「は」(主題)と「が」. (総記・中立叙述)の区別が従属文の中では中和されると述べている。さ らに、淺山(2004:129)は異主語の標識として現れる「∼は∼が」構造を. 統語的関係と結び付けて説明している。すなわち、複数の主語の並列が許. 容され、また「主語!+述語1… 主語2+述語2」という構造が存在しな い強い従属節をもっている複文には、主節の主語と従属節の主語に異なっ た助詞が使用されることによって統語的関係が明示されるということであ る。淺山の説は妥当性があるが、その構造がどうして「∼は∼が」でなけ ればならない(言い換えれば、どうして従属節には「は」が使えない)の か、また稀でありながらも許容される「∼が∼が」構造が何故存在するか ということに関する納得のいく答えは与えていない。.  これらの疑問の答えは強い従属節として分類される節のタイプにあると 思われる。野田の分類に戻り、強い従属節として取り上げられている節に はどんなものがあるか見てみよう。ここへ分類されているのは仮定節、時 間節、理由節、連体修飾節、名詞節などである。  まず、仮定節、時間節、理由節について見てみよう。仮定節における「が」 の用法は、すでに取り上げたAkatsuka(1985)のepistemic scaleを用いて説明. できる。すなわち、仮定節が新情報などといった話者の不確定のあらゆる 度合い(‘dif飴rent degree of the speaker’s㎜ce貢ainty’)を表現する非現実の. ドメイン(‘irrealis domain’)に位置づけられているため、その内部には. 「が」が用いられるのである((28) (29))。また、時間節に関し ては、益岡(1995)が、 「P[時間表現]∼Q」という構造において、 「P」が. 焦点となっていると指摘する。すでに繰り返しで述べてきたように、焦点 は通常「が」によって標される。時間節の主語に「が」が使われている((3. 0))というのは、その節が焦点となっているためである。 理由節に関しても同様で、理由の部分が焦点となっている(「どうして∼」. という質問に答えている)ので、理由節の内部には「が」が現れる((3 1) (32) (33))。. (28)授業が終わったら、研究室に来てください。18 (29)あなたが行くな・ら、私も行く。. 一178一.

(21) (30)私がそれを考えたとき、幸いなことに、二度とも良い答えがや    ってきました。.            (大江健三郎、『「自分の木」の下で』p.7). (31)案内に不備杢あったので、参加者が混乱した。←[どうして参加    者が混乱したか].   (小川誉子美、三枝令子、『ことがらの関係を表す表現』、p.44). (32)山田さん墾来なくて、定時に出発できなかった。←[どうして定    時に出発できなかったか]   (小川誉子美、三枝令子、『ことがらの関係を表す表現』、p.48). (33)さらにデータグローブという装置を手にはめると、手先や指の    動きがコンピュータに取り込まれ、それが画像として画面に表    示されるので、画面の中のものに「触ったり」 「操作する」こ    とさえできるようになる。←[どうして画面の中のものに「触っ    たり」 「操作する」ことができるようになるか]. (三野寛子、深澤のぞみ、能波由佳、『使える日本語読解編』、p.4).  このように、従属節には「が」しか使われないが、主節の主語には、単 文と同様に、「は」も「が」も使える。主節の主語に「が」が使われるの. は、新叙述(34)や意外性のある出来事の叙述(35)、または動作が 出来事として述べられている叙述(36)の場合である19。. (34)心のもやもやを晴らしたいがために、香代は、予定の入ってい    なかった日を選んで、二人を訪ねてみることにした。古河は成    城学園の駅前で開業していた。香代がちょうど彼の病院の前に    着いたとき、黒い車から、白髪の刑事杢下りてきた。←[だれが    下りてきたか].             (藤田宜永『女が殺意を抱くとき』、p.53). (35)アメリカは、私たちがもっとも恐れ、もっとも憎んでいた敵で. 一179一.

(22) した。その国がいまでは、私たちが戦争の被害からたちなおっ てゆくために、いちばん頼りになる国なのです。←[どの国が頼 りになるか].        (大江健三郎、. 『「自分の木」の下で』、p.8). (36)渋谷駅で友だちを待っていると、30歳ぐらいの女の人が話し   かけてきた。                    (野田1985,p.38による例).  最後に、連体修飾節について見てみよう。ここで、連体修飾節と名詞節 をまとめて取り上げる。.  すでに触れたように、強い従属節内部には「は」が用いられず、「が」し. か用いられないということは、伝統的に「陳述作用」と結び付けられ、説 明付けられてきた。この考えの裏返しとしては断層構造に関わる「は」と 「が」の用法の分析がある(野田1996:287)。一方、すでに触れたように、. 淺山(2004)は複文における「は」と「が」の用法を統語的関係との関連 において説明している。.  本稿では、連体修飾節内部の「が」の使用をこの節の性質という観点か ら説明したい。その際に、連体修飾節の性質に関する大島(1995:131)の 見解を参考にしたい。大島によれば、連体修飾節の基本的な機能は限定、. すなわち複数の事柄の中から一部を取り出す操作である。一方すでに見て きたように、複数から一つを選ぶという機能を持っているのは「が」であ る。このような見解をもとに連体修飾節の主語には「が」が使われる理由 は妥当付けられる。.  従属節の「は」と「が」が論じられる際に一般に取り上げられているの は上記のような従属節であるが、本稿ではもう一つのタイプに注目してみ たい。そのタイプとは、 (37)、 (38)のように、従属節が疑問詞の 疑問文である。. (37)貧乏がどんなものかわかっていない。.                 (TVドラマ「天国の階段」より). 一180一.

(23) (38)第一章では、研究史を辿ることで、従来の定説がどのように形    成されたのかを確認した。                        (享菱山2004,p.77).  単文では疑問詞が述語部に入っていると、主語がテーマとなり、 「は」 で標されるのが普通である。. (39)貧乏はどんなものですか。 (40)従来の定説はどのように形成されましたか。 一方、主語が「が」で標されるためには、疑問詞は主語の前に来なければ ならない20。. (41)でも温室栽培のアサガオに、なぜ雨が当たるかしら。             (藤田宜永『女が殺意を抱くとき』、p.55).  しかし、(37)、(38)の複:文を見ると、従属節は(39)、(40) の単文と同じ構造をもっているにもかかわらず、主格には「が」が使われ ている。それは一体何故であろうか。理由について考える前に、例(37). に関して行った母語話者に対するアンケートの結果を見てみたい。20名 の回答者の中、 「が」を選んだのは17名である。一方、3名は、 「は」 でも可能である21と答えた。.  述部に疑問詞を含んでいる従属節における「が」の用法を考えるに当たっ て、安達(1995:247)の考察を参考にしたい。安達は、 「「か」が判断の. 成立・不成立にかかわるカテゴリーに属し、その付加された部分に対して 判断が成立していないことを表す」と述べている。すなわち、 「か」で表 示される部分全体が「不確定性」の意味を帯び、 「レーマ」として働くと いえる。 「か」で表示される部分がレーマであることと、そしてすでに述 べたAkatsukaの見解にあったように、「不確定性」が「新情報性」を帯びる. ということに従って、上記のような従属節における「が」の用法は説明付 けられる。. 一181一.

(24) 6.冒頭文における「は」と「が」について  文頭に来る「は」と「が」の使い分けに関しては、具体的な事実または 聞き手の目撃しない事物の叙述には「が」が用いられ、話し手・聞き手の 両方にとって既知である具体的な事実または抽象的な叙述には「は」が用 いられると一般的に指摘される(c£春日1918/1978、佐久間1940/1983、野. 田1996)。しかし、浅山(2004:274)が指摘するように、必ず「は」が用 いられる「恒常的状態」、 「習慣的な動作」、 「真理」の叙述を除いて、. 「は」と「が」の使用は、話し手(または書き手)の主観的な判断によっ. て左右されることが多く、語用論的な要因の考慮も必要である。特に、他 動詞の述語をもつ文の主格に関しては、「は」と「が」の置き換えが多い。.  では、まず具体的な例を見てみよう。下記の例は全て冒頭文(日経産業 新聞、2006.8.4)に使われているものである。. 42)半導体開発のC&Nは全地域測位システム機能の小型半i導体チップ   を開発した。. 43)バンダイビジュアルは映像製作会社のサンライズと共同で、人気.   アニメ「起動戦士ガンダム」の初代テレビシリーズのDVDソフト   を制作する。. 44)チケット販売大手ぴあが、インターネット経由でチケットを購入   した顧客の顧客履歴を分析する能力を増強した。. 45)銅の価格高騰が電線各社の業績の先行きを読みづらくしている。 46)NTTグループの光関連事業の収益基盤が安定してきた。 47)米アメリカ航空がビジネス・富裕層に的を絞った乗客の獲得を強   化し始めた。. 48)船舶・航空計器大手で東証一部上場のトキメックの情報システム. 一182一.

(25) 子会社、トキメック情報システムアズはシステム外販事業に乗り 出す。.  上記の例においては、 「が」の方が多く使われている。また、 「は」と. 「が」の用法は動詞のタイプにはほとんど左右されていない。一方、筆者. が調べた、他のジャンル(小説、学術論文)も含めた文頭文には圧倒的に 「は」が使われている。.  ここで、このような文頭文における「は」と「が」の使い分けに関する. 母語話者の意識を見てみよう。 (42)∼(48)に関して行ったアンケ ートの結果は以下の通りである。 表3. 44 45 46 47 48. 「が/は」の. 「が」の. g用. g用. g用. は. 6. 3. 4. 7. は. 9. 1. 9. 1. が. 11. 0. 7. 2. が. 1. 6. 5. 8. が. 3. 6. 3. 8. が. 10. 0. 9. 1. は. 2. 5. 9. 4. No.. 42 43. 「は/が」の. 「は」の. 原文. g用.  まず、上記の結果から言えることは、 「は」と「が」の用法には主観的. 側面がみられる。また、初出でも「は」が多く選ばれている。では、原文 に使われている「は」と「が」の使い分けは手当たり次第であろうか。「は」. の用法は註4で挙げたLyonsの指摘、すなわち「は」で標される部分(「心 理的主語」)が書き手の‘cognitive point of departure’であるという裏付け. をもっているといえる。言い換えれば、発話時点(ここでは、記事が書か れた時点)において、読み手の意識が、握供されている情報を受け入れる. 一183一.

(26) 準備ができていると書き手が想定するという状況が存在する。一方、「が」 で標されている部分に関しては、このような想定は存在しない。また、「が」. の用法によって、書き手は特別な効果、すなわち「広告的な響き」を狙っ ているとも考えられる。. 7.おわりに  本稿では「は」と「が」の問題を取り上げ、単文と複文におけるこれら の助詞の使い分けやその使い分けを裏付ける意味概念について論じてきた。 上記の分析は次のことを示した。まず、 「テーマ・レーマ」またはこれら の概念と意味的関連をもつ「旧情報・新情報」をもとに、 「は」と「が」. のあらゆるタイプの文・節における用法を十分に説明できる。また、冒頭 文で使われている「は」と「が」の用法には主観的または語用論的側面が あり、 「は」か「が」の使用は発話時における発話者と聞き手/読み手の 情報に対する意識状態によって決定される。. 註 1「は」と「が」の使い分けに関する極めて詳細な記述を提示している教科書も  ある(芭‘Situational Fun(元ional Japanese’、1991.筑波ランゲージグルーープ。.  以下、SFJと称する)。. 2従属節における「は」と「が」の用法をめぐる記述は、「∼とき」節と連体修飾 節に留まり、理由節や引用節などにおける「は」と「が」の分布に関する記述.  は、補助教材(cf野田1985)を除いて、ほとんど見当たらない。 3「は」と「が」を異なる次元のものと扱う研究が多いが、「は」と「が」を同レ. ベルにおいて分析する研究もある(cf淺山2004)。 4恥ons(1977:508)は、「心理的主語」と「テーマ」の関係について論じている際  に、心理的主語を‘the entity that the speaker had in血d when he fbrmulated the intention to produce an utterance’[言諸が発話しようとする.  ときに頭の中で描いている実綱、すなわち‘cogr直tive point of depa血ぼe’信忍.  識的出発、削として意義付ける。本稿の6章で取り上げる日本語の冒頭文に使わ  れる「は」の用法も、このような‘oognitive point of departure’として説明. 一184一.

(27)  できると思われる。.  また、「トピック/テーマ」という概念は、文章の構造、すなわちテクストレペ  ル(「文章の主題」)の用語としても用いられるが、ここでそれは扱わない。. 5淺山も、文頭にくる名詞は必ずしも「主題」であるとは限らないと指摘し、下記  のような、複文の従属節における主語の例を挙げて次のように述べている:「語.  順という点から見ても、先に「花子が」から」出発しているので、これを「主 題」としてもよいはずである[が]…「が」が選択されている。」(2004:103).    例:好が添を誘んでいる、とき、,近ぐで河妙吻彦がした。また鱗のヲ猫      ψ蜘をの)か、と.蟹っで羨隔グ返っ,たが1誕ら〃、な〃b髪の郵のぜ〃、で窓.      が撚よラだ 6日本語の「が」に託されている「不特定指示機能」(寺村1991:46)とブルガ  リア語の不定冠詞(主語の位置では⑦冠詞)の働きが対応することがある。た  とえば、寺村(1わ掘)の次の例における「トラックが」はブルガリア語では無  冠詞となり、その不特定1生が明示される場合は、θ曲「ある一つ」という数詞  を伴う。.    例:グさ、、あそ・ご継)どごろで みヲソクψ塘を∠勲,た,んだう蔦.      幽㎜ちδθ吻’5α舳舳η3.ρ濠加幽わ伽認塑磁 7より厳密に言えば、レーマのなかの「焦点」である。. 8ここで注意しておきたいのは、本稿では、明確さのためにこの図式を借りて用い  ているだけであり、浅山の見解そのものを受け入れているわけではないという  ことである。. 9裏づけの一つは、「見た」が一回の出来工事を表しているということである。 10「中立」という概念は様々な意味で使われている。たとえば、淺山は「中立」.  という概念を、その項には「は」も「が」も使えると全く異なった意味で用い  ている。. 11野田(1996:103)は、疑問文がよく使われるこのタイプの構文は否定文があ  まり使われないと指摘する。否定文がよく使われるのは、主題を明示している  文(「主役は君だ」→「主役は君ではない」)である。 12言諸の知識が確認される叙述(たとえば、‘factive verbs’を含んでいる命題).  の前提とそうでない叙述の前提について]Lyons(1977:592・606)が詳しく論じ  ている。. 13「不確定性」や「不満」といった態度も「新清報」のドメインに属する. 一185一.

(28)  ((fをbvkova−Shh 2004)。その「新情報への属性」をもとにこそ、淺山のモデ.  ルでは説明がつかない次のような例における「が」の用法は説明できる。    例:私がどうしてそんなことしなければならないのか?(2004:344一).     私がそんな事をいったのんだのだ。(2004:345) 14否定文における「は」の用法は、野田が肯定文との対比という観点から説明し  ている。野田(1996:214−215)は次のように述べている:「肯定文を使うとき.  は、とくに否定文を意識しないで使うことが多いのにたいして、否定文を使う  ときは、肯定文を意識しやすい…否定文では対比の相手を想定しやすいので、  対比の「は」も使われやすい。」. 15アンケートはメールにより20人の母語言諸を対象に、既存の単文と複文の3  8の例から消した主格助詞の穴埋めを依頼したという方法で行った。回答者の.  年齢は、30歳くらいから70歳くらいまでである。また、回答者のほとんど  が、日本語教育の経験がある。以下は、依頼の文章と調査に使われた文の例で  ある。.   「以下は、「は」と「が」に関するアンケート調査です。目的は、これらの助.    詞の使い分けをめぐる母語言諸の意識を調べることです。例は、ほぼ全て    既存のものであり、小説や新聞記事または教科書から集めたものです。    に主格助詞を記入してください。「は」も「が」も可能な場合は、次のよう    に(は/が)、より使用頻度の高いものから記入してください。.    例32:お母さん、ぼくは死ぬのだろうか。.      私   、あなた   死なないと思います。死なないよう      にねがっています。お医者さん   、この子   死ぬだ      ろう、もうどうすることもできない、といわれた。」 16‘ morr魚ctive pre(漉ator’の用法に関して、:Lyons(1977:795)は次のよう.  に述べている:‘The use of a norrf哀ctive predicato鵯互ke beheve or th血k,  commits the speaker to neither the truth nor the魚lsity of the proposition. e即ressed by its complement clause_’[「信じる」や「思う」のような非事実. 性を表す動詞の用法は、言諸がその動詞に従属する節の命題の真偽には関与し  ないことを示す1。.  また、野田(1996:179)は、「∼なんて信じられない」などのような形で、「∼.  と」節の内容に否定的な気持ちが表されるので、主格に普通「が」が使われる  と論じている。これは高言諸の信念と引用部の言諸(主語)の信念が一致しな. 一186一.

(29)  いためである。. 17野田(1996:178)は、「理由節が焦点となっていない」という記述を用いてい る。. 18出典のない例は、筆者が作成したものである。. 19細節の主語にも「が」が用いられているとき、曖昧さをなくすために、主節の  主語は文頭には来ず、従属節の後ろに来ることが多い(例(34)、(36))。 20疑問詞が主語であるという用法(「誰がきましたか。」「どこが痛いですか」)な  ど)はここでは扱わない。 21「は」の用法も可能であるということに関しては野田(1985:81)も指摘する。. 参考文献 淺三友貴2004『現代日本語における「は」と「が」の意味と機能』第一書  房 安達太郎1995「「カ」による従属節の不確定性の表示について」仁田義雄  (編)『複文の研究』、247−262、くろしお出版 市川保子1995「従属度の低い従属節の主語」仁田義雄(編)『複:文の研究』、.  265−284、くろしお出版. 大島資生1995「「は」と連体修飾節構造」益岡隆志、野田尚史、沼田善子  (編)『日本語の主題ととりたて』、109−138、くろしお出版 尾上圭介1985「主語・主格・主題」『日本語学』、4−10 春日政治1918/1978「主格につくかとハ」 『尋常小学校国語読本の研究』.  (『日本の言語学 第三巻文法1』、563−568、大修館書店). 北原保雄1981『日本語文法の焦点』中央公論者 久野障1973 『目本文法研究』大旧館書店 黒田成幸1976「日本語の論理・思考」『岩波講座 日本語1』、139−176、.  岩波書店 佐久間鼎1940/1983 『現代日本語法の研究』くろしお出版. 鈴木重幸1972「日本語文法・形態論」むぎ書房 柴谷方良1978『日本語分析』大修館書店 寺村秀夫1979「ムードの形式と否定」林栄一教授還暦記念論文集刊行委員. 一187一.

(30)  会(編)『英語と日本語と』、191−222、くろしお出版. 寺村秀夫1991『日本語のシンタクスと意味皿』くろしお出版 野田尚史1985『日本語文法セルフ・マスターシリーズ1 はとが』くろし  お出版 野田尚史1995「文の階層構造からみた主題ととりたて」益岡隆志、野田尚.  史、沼田善子(編)『日本語の主題ととりたて』、1−36くろしお出版 野田尚史1996『はとが』くろしお出版 益岡隆志1995「時の特定、時の設定」仁田義雄(編)『複文の研究』、149−166、.  くろしお出版 松下大三郎1928/1974 『改撰標準日本語文法』勉誠社. 三上章1963『日本語の構文』くろしお出版 三上章1972『現代語法序説』くろしお出版 南不二男1974『現代日本語の構造』大修館書店 森重1965『日本文法二主語と述語一』武蔵野書院 山田孝雄1936『日本文法学概論』賓函館 ヨフコバ四位エレオノラ2006「ブルガリア語の従属節のevidentiality」スラ  ヴ研究 No.53,217−240. Akatsuka,N(1985)Conditionals and the epistemic scale. Lαηg繊gε,625−639 Chafb,W.(1970)醜α伽g oη4伽3〃〃伽アθ(ゾL卿g〃㎎・θ. Chicago,111.:.  University of Chicago Press. Cook,P.H.(1973)2物ε脚ε, R舵醜ε,αη4 F∂c㍑∫α8’G7α醜醜。∫♂cα1σ配vε7301∫..  University Microfilms, Michigan:Ann Arbor Firbas,J.(1964)Some thoughts on the fしmction on defining the theme in F㎜ctional Sentence Analysis.肋vα〃x伽g〃∫吻〃θ3漉Pアαg〃θ, p.267−280 Halliday,M.A.K.(1968)Notes on transitivity and theme in English.」∂〃アηα1(ゾ  五∫ηgz4∫5”c3,4.2,152−308. Hockett,C.F.(1958)オCo〃78ε加温漉7η伽g〃’訂∫c3.New York:Macmillan Lyons,」.(1977)8αηα履。3.Cambridge:Cambridge University Press.          レ Mathesius,V.(1947)(瀦珈αα0わθαが加γん。卿’, Prag Muraki,M.(197q)Pアθ5μρρo磁。刀,、恥θ〃40−C1⑳ηg oη4 Zら8吻α’加’∫oη.  Unpublished PhD. dissertation, The University of Texas at Austin.. 一188一.

(31) Stubbs,M. (1983) Discourse Analysis. Chicago: The University of Chicago Press Yovkova - Shii,E.(2004) Evidentiality and admirativity - Semanticfimctional aspects ofthe Bulgarian l-participle E E'EIill lli. 12611-, 1-38. - 189 -.

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参照

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