印度學佛敎學硏究第68巻第2号 令和2年3月 (144) ― 963 ―
声聞乗と大乗に共通する無自性解釈
桑 月 一 仁
はじめに
一般的に無自性は大乗特有の概念だとされる.アビダルマの有自性に基づく実 在論への反省として要請された概念だからである.そのため有自性の立場にある アビダルマ論書に無自性が主張されることは管見の限り見られない.しかし,声 聞乗と大乗に共通する無自性解釈のあることが『摂大乗論』(MSg)の世親釈 (MSgBh)に説かれている.MSgには『大乗荘厳経論』(MSA)の無自性に関する 偈頌が引用され,MSgBhはそれを解釈する際に声聞乗と大乗に共通する無自性 というものに言及する.同じものがMSAの世親釈(MSABh)では有為の三相と 結び付いた無自性だとされる.本稿ではこのような三無自性性とは異なる特異な 無自性解釈が瑜伽行派においてなされる意義を考察する.1
.声聞乗と大乗に共通する無自性解釈
瑜伽行派の文献にはしばしば「一切諸法無自性,不生不滅,本来寂静,自性涅 槃」という〈般若経〉などの経文が引用され,『解深密経』(SNS)以降は「一切 諸法無自性」が三無自性性を意図していると解釈されることが松田(1977)に指 摘されている.この経文と同じ項目がMSA XI. 50–51にも見られ,これがMSg に引用され,『阿毘達磨集論』(AS)には同内容が散文で説かれることが長尾(1982, 385; 387, fn. 5; 2007, 109),勝呂(1989, 409–412)等に指摘され, 釈を踏まえて解説さ れている.2偈のうちk.50に無自性が説明される. 無自性性の探求に関して2偈がある. [1]自らで[存在するのではないから],[2]自身の自体として存在するのではないか ら,そして,[3]自身の体に存続しないから,また,[4]把握される通りにはそれが 存在しないから,無自性性が認められる.(MSA XI. 50) [1]「自らで存在するのではないから」無自性性である.諸法は縁に依拠しているからで(145) ― 962 ― 声聞乗と大乗に共通する無自性解釈(桑 月) ある.[2]「自身の自体として存在するのではないから」無自性性である.すでに滅した [諸法は]再びそ[の滅した諸法]の自体としては生じないからである.[3]「自身の体に 存続しないから」無自性性である.刹那滅性だからである.以上のような,この三種の無 自性性は,有為の三相に結び付いたものだと知られるべきである.[4]「また,把握され る通りにはそれが存在しないから」無自性性である.「それが存在しないから」とは,自 性が存在しないからである.…したがってまた,諸法の「無自性性が認められる」. (MSABh XI. 50; 長尾2007, 108–109) ここでは二重線部の「諸法の無自性性」の根拠が4点挙げられる.三無自性性 という言葉は見られないものの,[4]は相無自性性に相当すると長尾氏に指摘さ れている.棒線部には[1][2][3]が有為の三相に結び付いた無自性性だとさ
れ1),MSA無性釈(MSAṬ)は順次,生相,滅相,住異相とし2),安慧釈(SAVBh)
は依他起なる法における生相,滅相,住相として三性説と関連付ける3). そしてMSgBhでは[1][2][3]が声聞乗と大乗に共通する諸法の無自性性で あり,一方で[4]は声聞乗とは共通しない諸法の無自性性だとされる4). …以上,まずは声聞[乗]とも共通する諸法の無自性性である.[4]「また,把握される通 りにはそれは存在しないから」というこれについては,声聞[乗]とは共通しない[諸法 の無自性性]である.…それを意図して,この大乗の理趣として「一切諸法の無自性」と 説かれたのである.(MSgBh II-30. C153b4–6, D153b4–6, G210a1–3, N168a1–3, P184a2–4)
またASではMSA XI. 50が散文の形で示され,それが方広経に説かれる「一切 諸法無自性」という経文の密意だとされる5).①MSgBhで声聞乗と大乗に共通 するとされる無自性性が,②MSABhでは有為の三相に基づく無自性性だとさ れ,それが③ASでは方広経の「一切諸法無自性」の密意だとされる.①②③は 別々の文献の記述ではあるが,いずれも同じ文脈に見られ,文献間に共通する内 容だとみなすことは妥当に思われる.その場合,当時の瑜伽行派は「一切諸法無 自性」をSNSのように三無自性性として解釈するだけではなく,声聞乗と共通 する有為の三相に基づく無自性性としても解釈していたことになる.これは声聞 乗が無自性を主張していたことを意味せず,あくまで瑜伽行派が声聞乗も認める 有為の三相を援用して無自性を解釈しているに過ぎない.しかし,このときの声 聞乗が自性を認める者たちだとすれば,有自性の立場であっても大乗の無自性と 会通し得ると瑜伽行派がみなしていることを示唆する.そしてこれはASが経文 を「一切諸法無自性」という表現で引用し,MSABhとMSgBhが解釈するに伴い 「諸法の無自性性」という表現を用いていることからも推察される.
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.「一切諸法無自性」の言い換え
瑜伽行派の諸文献に引用される「一切諸法無自性」という経文は,sarvadharmā niḥsvabhāvāḥという同格表現で引用され,それが解釈されるに伴いdharmāṇāṃniḥsvabhāva-tā / -tvaというgen.のdharmaと接尾辞の付されたniḥsvabhāva-tā / -tva という表現に言い換えられる場合がある.この言い換えは厳密ではなく,上掲の MSgBhでは解釈前の表現が *dharmāṇāṃ niḥsvabhāvaとなっている.しかしSNS VIIには言い換えが頻出する6). …世尊は何を意図して「一切諸法は無自性であり,一切諸法は不生不滅であり,本来寂静 であり,自性涅槃である」とおっしゃったのか,他ならぬその意味を私は世尊にお尋ねし たいのでございます. …勝義生よ,私は諸法の無自性性は三種であると,すなわち相無自性性と生無自性性と勝 義無自性性とを意図して,「一切諸法は無自性である」と説示したのである.(SNS VII-1.
D16b4–5, P18a3–4; VII-3 D17a1–2, P18a8–b1)
棒線部には経文が同格表現で引用され,それが波線部ではgen. -tva / -tāの表現 に言い換えられている.同様の言い換えは『菩 地』(BBh)7)と『唯識三十論』 (TrBh)8)にも確認され,BBhは言語表現され得ない自性を認めながらも無自性を 説き9),SNSとTrBhは諸法の三自性を認めながらも三無自性性を説くことから, 自性を認めつつ無自性を解釈する場合に表現の言い換えが見られると考えられ る.つまり,sarvadharmā niḥsvabhāvāḥはすべての諸法が自性を持たないことしか 意味し得ないため自性を認める余地はないが,これをdharmāṇāṃ niḥsvabhāva-tā / -tvaとすることで,無自性を無自性性という属性として捉え,基体となる諸法が 自性を持つ余地を残したのだと推察される.
おわりに
瑜伽行派がわざわざ声聞乗と大乗に共通する無自性を説くのは,有自性の立場 にあっても,たとえそれが声聞乗の立場であっても,大乗の一切諸法無自性と会 通し得るとみなしていたからだと考えることができるだろう. 1)このうち[3]は刹那滅に基づく無自性であり,k. 50bの「自身の体に存続しないから無 自性性が認められる」という内容は,刹那滅の根拠の1つであるsvayam asthiteḥと類似する (MSABh XVIII. 82).ただし無自性と刹那滅の関係を論ずる研究は管見の限りない.また, k. 50bにsvabhāveとあるが,写本にはsve bhāveという読みもあり,韻律上どちらも可能で(147)
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声聞乗と大乗に共通する無自性解釈(桑 月)
ある.チベット訳はMSABhとMSAṬがrang gi ngo bo la,SAVBhがbdag gi dngos po laとし, この文脈でのsvabhāvaは前者がngo bo nyid,後者がrang bzhinかngo bo nyidであるため, いずれもsve bhāveの可能性も残る.MSg,MSgBh,MSg無性釈(MSgU),ASはrang gi dn-gos laであり,svabhāvaはngo bo nyidであるため,これらはsve bhāveを支持し得るが,MSg
等の玄奘訳が「自性不堅住」であってsvabhāveを支持する.しかしASのpradhan本はsve
bhāveであり,MSg等と異なり玄奘訳は「無住自體故」である.いずれの 釈もパラフレー ズしないため訳語しか参考にならない.本稿は自性を否定せずに無自性を主張する文脈だ
と理解しており,sve bhāveであればsvabhāvaとは違う概念だとみなすことができ,自性に
否定的な評価を与えていないと考えられるため,sve bhāveを採る. 2)MSAṬ XI.
C92b3–4, D92b3–4, G114b2–3, N100b5–6, P103a3–4. 3)SAVBh XI. C194a4–5, D193b6–7, G282b1, N214b3–4, P214b1–2. 4)MSgUは「小乗とも共通する無我/共通しない無我」 と す る 点 以 外 は 同 内 容 で あ る(MSgU II-30. C233b2–4, D233a2–6, G329a6–b3, N263a1–3, P285a2–5). 5)AS III-133; Gokhale 35.15–18, Pradhan 84.11–15. 6)〈般若経〉の経 文 が *sarvadharmā niḥsvabhāvāḥと さ れ る 用 例 は,§1に3例,§2に1例,§3に1例,§8に3
例,§9に2例,§17に1例,合計11例見られる.一方で,三無自性性として解釈されるに
伴い *dharmānāṃ niḥsvabhāva-tā / -tvaと言い換えられる用例,あるいは *dharmaと併記さ れ な い も の の *niḥsvabhāva-tāと さ れ る 用 例 は,§3に1例,§8に3例,§9に1例,§17に1 例,§28に4例,§30に2例,§31に1例,合計13例見られる. 7)BBh XVII 265.3–16. 8)TrBh 128.1–9. 9)松田1977参照.
〈略号および一次文献〉
AS Abhidharmasamuccaya. Fragments from the Abhidharmasamuccaya of Asaṅga, V. V. Gokhale, Journal of the Bombay Branch of the Royal Asiatic Society 23: 13–38, 1947; Abhidharma Samuccaya of Asanga. Ed. P. Pradhan. Visva-Bharati Studies 12. Santiniketan: Visva-Bharati, 1950. BBh
Bodhisattvabhūmi. Bodhisattvabhūmi: A Statement of Whole Course of the Bodhisattva (Being Fifteenth Section of Yogācārabhūmi).Ed. Unrai Wogihara. 2 vols. Tokyo: Seigo Kenkyūkai, 1930–1936.
C Co ne edition of the Tibetan Tripiṭaka. G dGa ldan edition of the Tibetan Tripiṭaka. N sNar than edition of the Tibetan Tripiṭaka. MSA[-Bh] Mahāyānasūtrālaṃkāra[-bhāṣya]. See
長尾 2007. MSAṬ Mahāyānasūtrālaṃkāraṭīkā. MSg Mahāyānasaṃgraha. See長 尾 1982. MSgBh Mahāyānasaṃgrahabhāṣya. MSgU Mahāyānasaṃgraha-upanibandhana. SAVBh Sūtrālaṃkāravṛttibhāṣya. SNS Saṃdhinirmocanasūtra.
TrBh Triṃśikābhāṣya. Sthiramati s Triṃśikāvijñaptibhāṣya: Critical Editions of the Sanskrit Text and its Tibetan Translation. Ed. Hartmut Buescher. Wien: Verlag der Ösferreichischen Akademie der Wis-senachaften, 2007. 〈二次文献〉 勝呂信静 1989『初期唯識思想の研究』春秋社. 長尾雅人 1982『摂大乗論――和訳 と注解――』上,講談社. ――― 2007『 大乗荘厳経論 和訳と 解――長尾雅人 研究ノート(2)――』長尾文庫. 松田和信 1977「菩 地所説のānulomikopāyaにつ いて――三性三無性説との関連において――」『印仏研』28(2): 142–143. 〈キーワード〉 無自性,niḥsvabhāva (龍谷大学世界仏教文化研究センター客員研究員・浄土真宗本願寺派宗学院研究生)